4.第一容疑者


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、ちょっとぉ! ワタクシ、もう行っちゃうよ? もう船出の時間だよ? 
いいの? 人気者の船出に立ち会うなんて滅多にないことなんだよ!? ねぇ、誰か残って! 誰でもいいから! 
ちょっと自分の人気を疑っちゃうから、このシチュエーション!」

 村役場で二大宗派のことが論じられるより僅かに時を戻すと――佐志の港でひとりの男が喚き散らしていた。
 埠頭を行き交う誰かが反応してくれるのを期待しつつ、最後には喉を嗄らして噎せ返ったのは、
ダブルボタンのスーツとシルクハットがいかにも胡散臭いK・kである。
 ワーズワース暴動の渦中で再会を果たしたアルフレッドたちに随行し、因縁浅からぬ佐志まで足を運んでいたのだ。
 どうにかしてミーティングに入り込もうと、K・kなりにアルフレッドたちへ媚を売ったのだが、
彼は存在そのものを無視されており、誰にも全く相手にされなかった。
 並みの無視ではない。皮肉や悪態を吐いても誰も立ち止まらないと言う徹底の仕方である。

「――あぁ〜、そう言うタイプのシカトですか。リアクションしないタイプのね、ハイハイハイハイ。
……ハイスクール時代を思い出して、軽く死にたくなったんですけど、この気持ちはどうすりゃいいのかね!?」
「首吊り用のロープなら手配してやってもいいぞ?」
「ちがーうッ! ワタクシは愛が欲しいのよ、愛がッ! ロープじゃなくて心の繋がりがッ!」
「どの口が言うんだ、どの口が……」

 これ以上ないと言うくらい完璧に黙殺されているK・kへお情け程度に合いの手を入れるのはラトクの役目だった。
 そうは言っても、K・kの接待がラトクの仕事ではない。
彼はジョゼフから命じられた仕事を完遂する為に死の商人の戯言へ付き合っているだけなのだ。
 素っ頓狂な出で立ちでバラエティー番組に出演しているこのタレントは、
ジョゼフの命令ひとつで冷酷無比なエージェントと言う本性を現すのである。

「ワーズワースの件はどうなった? 運び込まれた銃器は? 
貴様が言ったのではなかったか、製造番号さえ分かれば犯人を辿れると」
「……キミくらいはジョークに付き合ってくれてもいいんじゃないかね。
それくらいのボキャブラリーは持ち合わせているでしょ、子どもたちのアイドルさん?」
「くだらんことを抜かすな。お互いにビジネスだ。無駄話など要らん」
「……友達いないでしょ、アナタ」
「友人と呼べる人間はここ二十年はいた試しがないし、妻や息子とは別居中だ。
離婚調停の最中だったが、生憎と戦争に入ってしまったからな。今はどうなっていることやらさっぱりわからん。
どうも人との縁にはとことん見放されるようだな」
「求めてないです、ハイ。そんなヘビーな答えは要らなかった! 淡々と語っちゃうところがなお怖いっ!」

 惨劇の引き金となった大量の銃器が、誰の手によってワーズワースへ運び込まれたのかを調査することが
ラトクに与えられた任務だった。そして、その鍵を握っているのがK・kなのである。
 K・kの説明によると――ワーズワースへ運び込まれた銃器は、元々は彼が大量に売り捌いた物であり
取引を終えて手元を離れた後、かの惨劇の地へ流れ着いたと言うのだ。
 裏社会で死の商人として名の通ったK・kは、この不可解な状況を察知すると、
仕事熱心にも自らワーズワースへ足を運び、事実関係を確かめようとしていた次第である。
その最中にヒューの手で捕まり、挙げ句の果てにワーズワース暴動にまで巻き込まれていた。
 製造番号さえ確認出来れば、銃器を販売したクライアントが判別可能かも知れないと言うK・kを信用し、
ここにはいないシルヴィオが血飛沫と炎が舞うワーズワースを掻い潜り、
実際に暴動で使用されたライフルを調達したのである。
 そのライフルはラトクを経由してK・kの手元に戻り、彼の調査結果を待つ状態であった。
 ラトクとしては一刻も早く製造番号を確かめたかったのが、そこは商魂逞しいK・kだ。
「ワーズワースで使われた銃器は元々は自分が所有していた物。この始末は自分で付ける」などと豪語し、
肝心のクライアントを明かそうとしないのである。
 柄にもなく正義漢めいたことを回りくどく言っているが、
厭らしい笑顔を向けつつ己の袖の下を引っ張った辺り、脂ぎった面の下に意地汚い邪念が透けて見える。
 価値ある情報をタダで教えるつもりはないと言うことだ。
 K・kが取引を持ちかけてくると見越していたラトクは、
顔色ひとつ変えずに胸ポケットからルナゲイト家の刻印が施された小切手帳を取り出し、
その内の一枚を彼に差し出した。
 見れば、ジョゼフのサインと天文学的な金額が列記されている。
 一生豪遊し倒しても使い切れない程の数字に舌なめずりしたK・kは、
ラトクから小切手を引っ手繰るなり、港に停泊してあるモーターボートへと飛び乗った。
それもまたラトクがK・kの為に調達してきた物だ。協力への見返りにしても破格の報酬と言えよう。
 弛み切った中年腹を見るに敏捷性とは掛け離れたイメージの強いK・kだが、
このようなときだけは並々ならぬ身体能力が発揮されるようだ。
 これほどまでに脱兎の如く≠ネる諺の似合う男は他にはいない。

「くれるっていう小切手(もの)は頂戴しますけど、代わりにクライアントを教えるなんて言ってませんからねぇ」
「……貴様……!」
「おっとと、暴力沙汰はカンベンしてくださいよ。こう見えても博愛主義者なのですよ、ワタクシは」

 これにはさすがのラトクも腹を立て、唾を吐き捨てながらシャープスカービンをK・kに向けた。
 ジョゼフからは状況に応じて射殺しても止むなしとの許可を得ているのだ。
今ならば何を躊躇うこともなくトリガーを引いたことだろう。この男の全存在がラトクには生理的に受け付けなかった。

「――フェイ・ブランドール・カスケイドには気を付けなさいな。彼はこの件の重要参考人ですからね」

 今まさにK・kの心臓目掛けて鉛玉≠ェ撃発されようとしていたとき、
彼の口から思いがけないことが語られ、ラトクは反射的にトリガーから指を外した。

「……どう言うことだ? 何故、ここでカスケイドの名が?」
「言葉通りの意味ですよ。こんなに路銀を頂いちゃって何のお返しもしないのは商売人の心得に反してますからね。
こう見えて、サービス精神旺盛なのですよ、ワタクシ」
「重要参考人と言うものは、大抵の場合、直接関与した人間を指すだろうが。
まさか、天下の英雄様が第一容疑者とでも言うのか?」
「そこらへんはご自分で突き止めたほうがよろしゅうございますことよ〜」

 ラトクが自分を撃たないものと見て取ったK・kは、胸ポケットからシルクのハンカチを取り出し、
ご陽気にも「シー・ユー・アゲイン!」と手を振りながら佐志に別れを告げた。
 多少のリスクは背負ったものの、相当な額の報酬≠掴み取ったK・kにとっては意気揚々の船出なのであろう。
 乗り込んだモーターボートは佐志の住民から買い取った簡易型だが、前回に比べれば格段に快適である。
初めて佐志を訪れたときは乗ってきた船をローガンたちに破壊されてしまい、
急造したイカダで渡海させられたのだ。雲泥の差と言っても良かろう。

「……肝心なところははぐらかされたが、とりあえずは――」

 払った報酬に見合うだけの情報を得られなかったものの、手掛かりとしては上出来と言えよう。
後はこれを基に調査を進めて行けば良い。それにK・kが乗り込んだボートは半端にしか燃料を積んでいない――
と言うよりも細工して予め燃料を抜いておいたのだ。
 あと三十分もすれば大海原の真っ只中で立ち往生する羽目になるだろう。
この海域は鮫も多いと聞いている。助けも来ないような場所で漂流せざるを得なくなったK・kを想像すると、
少しは溜飲も下がると言うものである。

「それにしても――フェイ・ブランドール・カスケイドだと? 難民キャンプを潰して、あいつに何の得がある……」

 勝ち誇ったように沖を目指して遠ざかっていくK・kを薄ら笑いで見送ったラトクは、
けれども一瞬で笑みを消して何事かを思案し始めた。

「……これはまた随分とキナ臭いことになってきたな」





 ワーズワースへ銃器を流入させた重要参考人――あるいは第一容疑者――がK・kによって暴かれた頃、
佐志より遠く離れたミキストリ地方の荒野では、昼下がりと言う時間帯にも関わらず、大変な喧騒で酒盛りが催されていた。
 ミキストリは他の土地と比してルーインドサピエンスの廃棄物が極端に多く、自然環境の破壊が加速度的に悪化している。
草も疎らな荒れ野には畸形の樹木が立ち並び、脇を流れる河川から鼻の機能を損なうほど凄まじい悪臭が漂っていた。
 どう考えても飲食に不向きの場所にも関わらず、大酒を呷り、肉を喰らう乱痴気騒ぎの主役とは、
『提督』ことアルカークが誇るヴィクドの傭兵部隊である。彼らは荒れ野に仮の陣屋を設けて美酒に酔い痴れていた。
 荒れ野の仮陣屋――またの名を酒宴の舞台とも言えよう――は、先刻、来客を見送ったばかりだ。
 ヴィクドの運営をディオファントスに一任し、傭兵たちを率いてミキストリまで遠征してきたアルカークは、
およそ一時間前に柳真(りゅう・しん)なる男と面会していた。
 絹の衣に身を包むその男は、『緬王朝』の官僚を自称し、ヴィクドに軍事同盟を申し入れた。

 つい先日のことである。プールなる国が自領を脅かさんと画策していることを知ったアルカークは、
本拠地より遠いミキストリにて敵の軍勢を釘付けにするべく出陣した。
 双方の根競べとも言うべき対陣は数日に及んだものの、実際に戦火を交えるまでには至らなかった。
ヴィクドは十倍近い軍勢でもって壁≠作り出し、この威圧でもってプールの進撃に楔を打ったのである。
 密偵にて敵状を探ったアルカークは、敵将がプール随一の猛者であることも対陣の前夜には掴んでいた。
 その猛将――ヤズールは占領した土地で見せしめの処刑を行なうことを好んでいる。
 好んでいる≠ニ言っても、彼は殺戮を愉しむような鬼畜ではない。
支配下に置いた民へ恐怖を植えつけ、絶対に逆らえないよう手懐ける為の政治的手段なのだ。
 ヤズールは理と知を兼ね備えた将であるとアルカークが見破ったのと、
「テムグ・テングリの領地には、もっと容易く突き崩せる拠点がある」と言う不可思議な噂が
プール軍の陣中で飛び交い始めたのは殆ど同時期のこと。
 陣中にてどのようなやり取りがあったのかは知れないが、ヤズールのほうが先に陣を退いたと言うことは、
彼は利を計算するだけの知恵を備えている証左でもある。これもまたアルカークの読んだ通りであった。
 結果、ヤズールは一兵たりとも減じずにテムグ・テングリ群狼領の拠点へと攻め寄せ、
ヴィクドは侵略の危機を脱したのだった。

 改めて詳らかにするまでもなく、プールと緬は戦争状態にある。
緬は「敵の敵は味方」と言う古来の教えに倣い、共にプールを倒そうとヴィクドに持ちかけたわけだ。
 柳真はプールの置かれた状況を事細かにアルカークへ説き聞かせていった。
 バハムールV世と名乗るプールの現国王は、富国強兵政策を掲げ、そこかしこに戦争の火種をばら撒いており、
主たる敵は境界(くにざかい)を接するパキシアン王国であるそうだ。
 「諸王の王」とまで謳われるマルダースが相手ではさすがに分が悪い。
侵略初期こそ勢いに乗って勝ち進んでいたものの、現在ではマルダースに押し返され、不利な状況が続いていた。
 パキシアン王子のザッハークを唆し、一度は横死寸前までマルダースを追い詰めたバハムールV世だったが、
程なくして親子は和解、王家の結束もより一層強固なものとなっていった。
 バハムールV世の失策を、柳真は有史以来最悪の愚鈍とまで扱き下ろしている。
 大いに私怨が混ざった柳真の見立てはともかく、愚鈍と言う点はアルカークも反対はしなかった。
富国強兵政策はヴィクドの理念に通じるものではあるが、
戦争で勝つ為に別の戦争を繰り返すなど、愚かとしか例えようがあるまい。
 実は柳真が来訪する少し前にヤズールの使者もアルカークを訪ねていた。
陣を解いて撤退する意向を示し、追い討ちを仕掛けないよう無理を承知でアルカークに哀願したのである。
 ヤズールより派遣された使者は、誠意と謝罪の証として数十頭もの軍馬をヴィクドに差し出した。
 それ故にヴィクド軍は大勝利と沸き返っているのだ。
緬からの進物はテムグ・テングリ群狼領から強奪してきた品々である。
小憎らしい馬軍をも出し抜いたと傭兵たちは意気盛んだった。

 そのような中にあっても、アルカークは平素と同じ仏頂面を崩そうとはしなかった。
部下の高揚に水を差すような真似こそ控えているものの、当人は微かにも笑わない。
 結局、この気難しい提督は緬と同盟を結ぶことを拒絶した。但し、上辺だけは友好的な態度で接している。
Aのエンディニオンの難民は無条件で保護するようギルガメシュから通達されている。
緬の不利益になるようなことは決してしない――と、心にもないことを並べ立てた程だ。
 誰がどう見ても猿芝居の領域を出ないのだが、柳真は疑いもせずにアルカークの言葉を信じ込んだ。
国の趨勢を担う官僚でありながら腹芸ひとつ見抜けないとは、相当に追い詰められている様子である。
あるいは、それが資質の限界と言えるのかも知れない。
 柳真自身も一芝居打っていたとすれば展開も異なってくるのだが、
ヴィクドの『提督』として数限りない合戦を経験してきたアルカークは、
長年の経験から相手の心理を見破る眼力≠培っている。化かし合いか否かは顔を一瞥しただけで判断出来るわけだ。
 今、その慧眼には緬の行く末までもが映し込まれていた。
 言葉を交わす内に判明したのだが、アルカークが満天下に難民排除を発している情報さえ柳真は掴んでいなかった。
これまでに提督が取ってきた振る舞いは、Aのエンディニオンの人間にとっては背筋が凍りつくようなものばかり。
同盟を打診すること自体が無知の表れであろう。
 情報戦を疎かにする時点で緬の行く末は判る。

「忌々しいのは乗国(じょうせい)……成り上がりの分際で王の血を軽んじるとは恥知らずにも程がある!」

 また柳真は、『乗星』なる隣国との緊張状態を仄めかしていた。
 元来、緬は乗星に属する自治体であり、地方軍閥の雄と言う家柄であった。
Aのエンディニオンでも稀に見る規模の国土を持つ乗星は、広大な地に群雄割拠の歴史を刻み込んでおり、
民、王族、豪傑と問わず大陸へと血を吸わせてきた。嘗ての緬は列強と権勢を競う程の蛮勇であったそうだ。
 しかし、それも一時のこと。時代の流れに飲み込まれて零落し、列強に踏み潰され、
国家として統一された後は乗星内の地方自治体として落ち着いた――が、
柏楽(はく・らく)なる人物が代官となったとき、突如として独立を宣言した。
 柏家は旧緬王朝の血統であり、現在の乗国の在り方を苦々しく思ってきた。
大陸を本来あるべき姿に戻したいと願う大志が頂点に達した結果であると柳真は熱弁を振るった。
その饒舌こそ、彼が独立運動にて果たした役割を如実に物語っている。
 自ら『帝』を僭称する柏楽だが、その行く末は必ずしも明るいものではなかった。
兼ねてより乗国へ侵略する機会を伺っていたプールに狙われ、
一方的に攻め込まれた挙げ句に本土まで占領されると言う失態を犯したのである。
 旧王朝の血筋、地方軍閥の雄と言う称号も過去の栄光にしか過ぎず、
柏楽は独立の名乗りから僅か半月で『先帝』と呼ばれることになった。それも故人を偲ぶと言う形で、だ。
 次の『帝』に柏楽の縁戚である白易(はく・い)を据えた柳真は、
プールに敗れた残党を取りまとめ、緬と言う国が健在であることを大陸に示した。
 このように柳真の話だけを聴けば有能な官僚のように思えなくもないのだが、
情報戦と言う極めて重要な外交手段に於いて無能を晒した為、彼の弁舌は信憑性と言うものを全く欠いていた。

 あらゆる観点から同盟を結ぶ値打ちもないと判断したアルカークであったが、
足労を掛けた返礼にと、柳真に手土産≠ひとつ用意した。
 それは、テムグ・テングリ群狼領の領地に関する情報である。
重要拠点に比べて警備の手薄な小村の所在(こと)を柳真に耳打ちしていった。
 数にして二〇。ひとつひとつは小さな町村であるが、
全て平らげようものなら緬はBのエンディニオンに広大な領地を得ることになる。
 柳真は思わず喉を鳴らした。

「我々も貴様らと立場は変わらん。テムグ・テングリの存在は癌も同然でな。早いうちに切除しなくてはならんのだ。
その栄誉を貴様に譲ってやる。奴らの領地、煮るなり焼くなり好きにせい」
「それは――大変な栄誉でありますが、本当に宜しいので? 領地の切り取りはそちらにとっても死活問題のはず。
……やはり、正式に同盟を取り交わした後、共に起つべきかと存じます。
一心同体となった暁には、我ら緬の手勢もマスターソン殿の敵と戦いましょう。
そののちに分割統治と言う形では如何で? 共に勝利の美酒を味わおうではありませんか」

 Bのエンディニオンに於いて、確固たる後ろ盾を欲しているのだろう。あくまでも同盟にこだわろうとする柳真に対し、
アルカークは「喰らうときは大きく喰らう。それが傭兵の慣わしだッ!」と鼻を鳴らして見せた。

「貴様、オレを見くびっているのか? ヴィクドを侮っているのかッ!? 
目先の利益に飛びつくようなハンチクだと、オレたちをバカにしているわけだなッ!?」
「い、いえ、何もそのような……」
「もう良い。臆病風に吹かれるような雑魚に付き合っても仕様がない。どこへなりとも消え失せろ――
いや、待て、逃がさん。面白い趣向を思い付いた。先制攻撃の前祝だ、膾斬りにして貴様らの陣に放り投げてくれるッ! 
緬などと言う木っ端、ヴィクドが踏み潰してやるわッ!」
「ま、マスターソン殿! 私ひとつの首ならいくらでも差し上げましょう! 
ですが、緬と争うことはヴィクドの為にもなりませんぞ! 我ら緬は中原に名を馳せし勇者の血筋! 
テムグ・テングリなる鼠輩にも引けは取りません! 必ずやマスターソン殿に仇を為しますぞ!?」
「出来るか、貴様如きに?」
「出来ます、緬ならば!」

 値踏みでもするかのように、ためつすがめつ柳真を凝視したアルカークは、
最後に「見上げた度胸とだけ言っておく」と吐き捨て、鉤爪を振り回すことで退去を命じた。
 緬の武勇を語った柳真の言行も、結局は虚勢の域を出ていない。
官僚肌の柳真自身が武勇とは縁遠く、百戦錬磨のアルカークから凄まれたなら、すぐさま身を竦めてしまうのだ。
 彼はヴィクドの仮陣屋を去るまで――否、去った後も己の浅薄に気付いていなかった。
それどころか、毅然とした態度でもってアルカークを納得させたと安堵する始末である。

 覚束ない足取りで去っていく柳真の背を、アルカークは心底つまらなそうに眺めていた。
 彼に教えたテムグ・テングリ群狼領の町村は、プール軍が先んじて占領に向かった馬軍の拠点と
相対する形で所在している。柳真がその事実に勘付くのは何時頃になるだろうか。
 タイミング自体にアルカークは関心がない。緬、プールの相撃と言う結果さえあれば満足なのだ。
害虫は害虫同士で共食いでもしていれば良い――それがアルカークの本心であった。
 今の彼の興味は、配下をねぎらい、腹を満たしてやることのみに注がれている。
焚き火に掛けられた鍋の前で胡坐を?き、器用にも鉤爪でもってレードルを使っていた。
 鍋の中身は提督特製のチーズカレーだ。ヴィクド特産のチーズをカレールウへ直接加えてひと煮立ちさせる為、
鍋底が焦げ付かないよう細心の注意を要するわけである。

 胃袋を刺激する香りで満たされたヴィクドの仮陣屋を、ひとりの女性が訪ねてきた。
 年の頃は二十歳そこそこであろうか。人好きのする可憐な顔立ちだが、頬には細かな刀傷が刻まれており、
虎の毛皮にて拵えたケープも実に猛々しい。
 若輩ながらも周囲から大変に畏敬されているらしく、
すれ違う皆に――礼儀や行儀の類をどこかへ置き忘れてきたかのような傭兵にまで「お嬢!」と一礼されていた。
丁重な扱われ方からも瞭然であるが、彼女はアルカークの親族だ。
 末の娘、アルテミシア・マスターソンである。
 娘の来訪を見て取ったアルカークは、チーズカレーの配膳を傭兵のひとりに任せると、
脇に控えていたアルフォンス――彼は提督の三男である――を伴って炊事場を離れた。
 三人が向かったのは仮陣屋の裏手である。警備以外には目立った人影もなく、
密談を交わすにはお誂え向きの場所と言える。

「アルカエストの首尾はどうだ? 手抜かりなどないだろうな?」

 挨拶もそこそこに実父から兄弟の近況を問われたアルテミシアは、
微笑すら見せずに「何の為に馬を飛ばしたと思ってる!」と苛立ち混じりで答えた。
自分より遥かに年長の傭兵が相手でも一歩も退かない逞しい気骨だけでなく、
無愛想や不調法も父親から譲り受けた様子だ。
 孫にして養子のアルカエストは、今度の出撃には同行しておらず、別の任務を帯びて遠方に出張っていた。
その成果を伝える連絡係(メッセンジャー)としてアルテミシアが奔った次第であった。

「親父殿が気にしていた……風土病? 伝染病? とにかくそっちのほうはクスリまで確保できたそうだ。
新しく飛ばされてくる分までは知らねーけど、今日現在で向こう≠ゥら持ち込まれた分は七割がた押さえたってよ」
「七割とは大きく出たな。その根拠は?」
「おれはアルカエストから聞いたことをそのまま伝えてるだけだ! 信用できないならモバイルでも何でも使え!」
「訊いておらんのか、このバカ娘がッ! 少しは気を回せッ! 病原体はどこからやってくるとも限らんのだッ!」
「黙れ、放蕩親父ッ!」

 見苦しく、且つ、聞き苦しい親子喧嘩はさて置き――アルカークがアルカエストに命じたのは、
Aのエンディニオンに於いて発生している風土病あるいは伝染病の実態調査であった。
そうした病気が実際に存在するのか否かまで提督の孫は調べを尽くしたのである。
 Aのエンディニオンにて奇病が大流行していると言った情報を何処かで聞いたわけではなかった。
想定し得るひとつの可能性として、アルカークは新しい病気の襲来を案じたのだった。
 Bのエンディニオンの薬が、Aのエンディニオンの病気に効能を発揮するとも限らない。
異なる世界の人間を受け入れる側にとっては、全くの未知であるからだ。
 それだけにアルカエストの調査は入念だった。Aのエンディニオンの難民に対する聞き取りは言うに及ばず、
各地に点在する難民キャンプにも部下を派遣して情報を収集していった。
 衛生的な環境を確保しにくい難民キャンプは、下手を打つと病原体の温床ともなり兼ねない。
ときにはアルカエスト自らが乗り込んで状況を確かめることもあった。
 感染の予防および罹病時の処置を滞りなく進める為、アルカークはワクチンや治療薬まで買い占めている。
周到なことに民間治療の方法をもアルカエストに調べさせたのだ。

「――例の『黒旋風(こくせんぷう)』、今はどこまで広がっている?」
「だから、詳しいことはアルカエストに言えっつってんだろ。
おれが聞いた話によりゃあ、一部の地域がごっそりヤラレちまったらしいぜ。ま、こいつは最新情報とは言えねーけどな。
一回でも難民になっちまったら、向こう≠ナどんな動きになってるかはマジにわかんねーって言うしよ」
「異世界とやらに居残っている難民の予備軍、か。……そのまま一生こちらに来なければいい。
勝手に押しかけてきておいて難民だと助けを請う。図々しいって言葉はヤツらの為にあるようなもんだ」

 横から口を挟んできたアルフォンスのことを、
妹のアルテミシアは「今、誰が喋ってんだ!? 順番ってのを守れよッ!」と本気で怒鳴りつけた。

「害虫どもがどのタイミングで飛ばされてきたのかは知らんが、
風土病の類は、一度、発生すると次々に感染地域が拡大していくものだ。
……これから先、新たに飛ばされてくる連中はひとりとして生かしてはおかん。
比喩でなく本当にエンディニオンを壊す病原体なのだからな」
「アルカエストも同じこと、言ってたぜ。血は争えねーってことかよ。……利発なことで何よりだな」
「フン――アルカエストの成果はアルカエストだけの物だ。マスターソンの血筋なんぞは関係ない。
あれが自らの才能を発揮したに過ぎん」

 アルカークが孫に対する誉め言葉を口にした瞬間、三男(アルフォンス)の面が歪んだ。
そこには明白な敵愾心と嫉妬の情念が滲んでいる。
 アルフォンスが変調する様を目端に捉えたアルカークは、三男の肩へ愛おしそうに左手を置くと、
「お前のことも頼りにしている」と微笑みかけた。決して仏頂面を崩さないと思われた提督が微笑んだのだ。

「K・kとか言う武器商人、あれはお前の流した情報に踊らされている。お前の勝ちと言うことだ、アルフォンス。
……これでライアンの動きをコントロール出来るようになった」
「父様……っ!」
「佐志は死んだも同然。そして、ライアンどもはそれに気付いてもおるまい」

 思いも寄らない賞賛にアルフォンスは瞳を潤ませ、傍らに在ったアルテミシアは薄気味悪そうに実兄から目を逸らした。

「なにがお前の流した情報≠セ。手前ェで仕組んどいて……。
最初からこーなるように頭ン中でこねくり回してた計画だろーが」
「左様。カスケイドとライアンには派手に潰し合って貰わんと困るのでな」

 軽蔑すら込められているようにも思える娘の言葉を、アルカークは一笑に付した。
相手にするだけ時間の無駄とでも言いたげな態度である。
 これが癇に障ったアルテミシアは、「マルガレータはどうなんだよ!?」と眦を吊り上げて父に食って掛かった。

「また<}ルガレータを道具にしやがって……! あいつはマスターソンの遠縁だろうがッ!」

 アルテミシアに背を向けたアルカークであるが、道具≠フことを責められて気まずくなったわけではない。
瑣末なことなど彼は少しも気に留めていなかった。それ故に愉快そうな笑い声を引き摺っていったのだ。

「人は大きくふたつに分かれる。利用する者とされる者だ。そして、それは性情によって更に細かく分かれる。
他者に使われることで、初めて生きられる者。……マルガレータはどの種類だと思う? 答えろ、アルテミシア」
「それは……」
「愚図は要らん。さっさと答えろ」
「いや――」

 遠縁の性情を問われたアルテミシアは、答えに窮して俯いた。俯く以外にはどうすることも出来なくなった。
絶句したと言うことは、彼女は心中にて答え≠ノ行き着いた証しでもある。
 アルテミシアが言葉を失うまで何秒と掛からなかった。
 アルカエストやアルフォンスの成果を、マスターソンの血ではなく個々人の才覚だと述べたばかりではあるが、
しかし、己の業(わざ)が娘にまで受け継がれたことを嬉しく思わない親などいるものか。
 娘の頭脳を誉めそやす代わりに、アルカークはまたしても大きく笑った。

「覚えておけ、アルテミシア。そして、マルガレータをよく見ておけ。
世の中には使われるべくして使われる道具≠ェある。そして、利用されるさだめの人間にも幸はあるのだ」

 背中越しに訓戒を与え、やがてアルカークは振り返った。
その顔はアルテミシアやアルフォンスの父ではなく、既にヴィクドの『提督』の物へと変わっている。
 いや、それ以上に恐ろしい何か≠ヨ変化していたと言うべきであろう。

「オレはヴィクドの為に、オレの全てを使えるぞ」

 烈火ではなく冷血。惨酷にして冷徹――本当に心を許せる身内の前でしか晒すことのない本性が、
今、アルカークの面に顕れていた。
 実父が本性を曝け出すとき、アルテミシアは何ひとつ喋れなくなる。指の一本さえ動かせなくなる。
尋常ならざる気魄に触れて歓声を上げられるのは、少なくともこの場に於いてはアルフォンスくらいであろう。

「お前はどうだ。使えるか、お前自身≠――」

 恐怖に耐え兼ねたアルテミシアがその場に崩れ落ちようとも、アルカークは本性を隠そうとしなかった。
ただ一度、「愚図は要らんと言ったばかりだろうが。這い上がってこい」とだけ言い捨てた。





 「死んだも同然」と決め付けたアルカークの真意は判然としないが、
事実、佐志の役場にて行なわれていたミーティングは、ワーズワースへ銃器を持ち込んだ第一容疑者の名が
ラトクよりもたらされてからと言うもの、混乱と紛糾を繰り返し、最後には分裂にも近い形で解散となった。
 紛争調停の名人として鳴らしているマイクでさえ制御が利かないのだ。深刻にして異常な事態と言えよう。

「事件は会議室で起こってるっての!?」

 これは、ヴィンセントを補佐する為にロンギヌス社より派遣されてきたカキョウ・クレサキの感想(ことば)である。
 飛行機能が備わったMANA、『ファブニ・ラピッド』を用いて近海を渡り、佐志入りを果たしたカキョウは、
ミーティングが行なわれている村役場に向かって上機嫌で歩を進めていた。
 彼女が所有するMANAは、ビークルモードにシフトさせると自由自在に空を翔ることが可能となる――が、
実はAのエンディニオンでは飛行可能な高度が厳密に制限されており、それを越えてはならない取り決めであった。
 自由とは名ばかりで、これまでにも窮屈な思いをしてきたのである。
 その点、Bのエンディニオンには制限を強いる者などいない。取り決めすら存在していない。
思う存分、空の旅を満喫出来ると言うわけだ。
 海を渡る旅も爽快であった。潮風を楽しみ、清々しい気持ちで村役場の門を潜ったのだが、
それも一瞬にして吹き飛ばされてしまう。会議室のドアを開けた瞬間、彼女は室内の情景に仰け反ってしまった。
 如何なる推移があったのかは見当もつかないが、会議室では銀髪の青年が大男に左腕を掴まれ、
宙を舞ったかと思うや否や、板張りの床へ強か叩き付けられていたのである。
 所謂、双手背負投(もろてせおいなげ)だ。柔道の代名詞とも言うべき投げ技を披露した大男は
真っ白なTシャツを着用しており、そこには『ジプシアン・フード』なるロゴがプリントされていた。
 野次とも罵り合戦とも取れる大音声が廊下にまで漏れ出していた為、議論の白熱だけは察せられたが、
よもや本物の格闘にまで発展しているとはカキョウにも予想がつかなかった。
 そもそも、だ。拳(て)を出した時点で会議の体(てい)を成さない筈である。

 銀髪の青年とは、言わずもがなアルフレッドであり、彼を投げたのはテッド・パジトノフその人だった。
 硬い床へ叩きつけられる寸前に右手でもって受け身を取り、ダメージを減殺させたアルフレッドは、
すぐさま体を捻って後方へと飛び退った。
 着地と同時に構えを取り直し、テッドの追撃を警戒する。
左の拳を前方へ突き出し、胸の手前に引いた右の拳と交差させると言うアルフレッドが最も馴染んだ構えである。
全身のバネを最大限に引き出す工夫として、腰を軽く落としている。
 迎撃態勢を整えたアルフレッドに対して、白熊の如く大柄なこの青年が自ら攻勢に出ることはない。
鮮やかな双手背負投を決めたのは僅か数秒前であるが、
そこへ至るまでにはアルフレッドの側からの打撃と言う手順を踏んでいた。
左拳を突き込んできたので、双手背負投で返り討ちにした――それだけのことなのだ。
 テッドの側からアルフレッドへ危害を加えようとする意思は絶無に等しい。肉弾戦に陥った状況すら痛恨事なのである。

「……どうした、自分から挑んできたくせに消極的だな。俺はもう腹を括っている。あとはお前次第だ」
「ぼく次第ってことなら、いっそもう止めようよ。こんなこと、不毛だって」
「状況が許すなら、試してみるがいい」
「とほほ……これじゃあ、ハンガイ・オルスのときと一緒じゃないか」

 冷たい眼光をぶつけてくるアルフレッドにテッドは何の反論も出来なかった。
このような状況を作り出してしまったのは、他ならぬテッド自身なのである。


 ことの発端はジョゼフが漏らした一言であった。
 フェイ・ブランドール・カスケイドが銃器流入問題の重要参考人であると皆に伝えた瞬間、
確かに会議室は騒然となった――が、そのときにはまだ拳が飛ぶような状況ではなかった。

「化けの皮が剥げて誰からも相手にされなくなった腹癒せではないか? 
自分が味わわされたものと同じことで他者をいたぶるのは小物の特徴じゃ。
あれの親父が殺されたときと状況がそっくり同じじゃよ。全く見下げ果てた男よな」

 先述の通り、ジョゼフの失言によって事態は一気に悪化したのである。
 兼ねてからフェイと折り合いの悪かったジョゼフは、考えられる中でも最も厳しい言葉を選んで彼を愚弄した。
人格も気骨も何もかも――フェイ・ブランドール・カスケイドと言う人間を構築する全てを侮辱していった。
 傍らに控えたラトクも心中では主人の言に同調していたが、今日ばかりは下手に相槌を打つわけにも行かない。
恐る恐るグリーニャの面々の様子を窺ってみれば、彼らの表情は瞬く間に歪んでいくではないか。

「あ〜らら、アウチったね。ボキだってもうリトルくらいエアをリードするヨ? 
セイってグッドなコトとノンなコトを、タイミングと一緒にルック分けてネ。
ザットなワード遊びはユニークなベリーグッドなシチュエーションでファイアしないとサ」

 ホゥリーから指摘されたように平素の調子でフェイを貶してしまったのは、ジョゼフの迂闊であった。
メディアを統べる新聞王らしくもなく、彼は幾つもの禁句を使ってしまっていた。
 嘗てグリーニャを襲った悲劇をもジョゼフは揶揄していた。
 ギルガメシュによって滅ぼされるより遥かに昔、グリーニャはギャング団の襲撃を受けたことがあった。
嵐の中で繰り広げられた凄惨な戦いである。村の全滅と言う最悪の事態こそ避けられたものの、
多くの村民が犠牲となり、シェインとフェイの両親もこの事件にて落命していた。
 保安官であったシェインの父、ショーン・アネラス・ダウィットジアクは村民を守るべく最期まで戦い抜き、
その勇敢な行動は伝説的な英雄として人々の尊崇を集めている。
 そして、そのショーンに剣術を手ほどきした師匠がフェイの実父なのである。
優秀な戦士でもあった妻と共にギャング団と懸命に戦い、志半ばにて力尽きてしまったのだ。
 即ち、ジョゼフは勇気ある犠牲者をも卑しめたと言うわけだ。
大恩ある相手とは雖も、こればかりはグリーニャの人間として看過出来なかった。
 アルフレッドの憤りは他の者よりも遥かに深く、烈しいものだった。
思い返せば、フェイとの決裂に至った原因もジョゼフの悪言である。
重大な前科を持っているにも関わらず、同じ過ちを繰り返したジョゼフを許してはおけない。

「御老公、いくらなんでもそれは言葉が過ぎるのではありませんか。
……フェイ兄さんがグリーニャを快く思っていなかったのは事実です。
しかし、だからと言ってあの悲劇をワーズワースで再現する理由にはなりません。
御老公は本気で考えておられるのですか? フェイ兄さんがそんな真似をするような人間だと?」
「ぬ……」
「俺にとっては御老公もフェイ兄さんも大切な恩人です。だから、……今の発言は聞き捨てなりません」

 悲哀を込めた諫言に心を揺さぶられたジョゼフは、初めて己の失言を恥じ入った。
 この場に於いてはアルフレッドだけが憤っているわけではない。
シェインとムルグもジョゼフに向かって激烈な怒気を叩き付けていた。
 ムルグに至っては今にも飛び掛りそうな気配すら見せているが、
彼女の場合はフィーナが抱き締めている限り、ジョゼフへ直接的に害を加えることはない。
 そのフィーナはただひたすらに哀しかった。
彼女にとってジョゼフとはアルフレッドの、ひいてはライアン家の大恩人であり、同時に親友の祖父でもある。
そのような相手からグリーニャを卑しめる言葉は聴きたくなかった筈だ。
 怒りの代わりに哀しみを込めて、フィーナはジョゼフの顔をじっと見つめていた。
 ベイカーなどの例外を除けば、余程のことでもない限り、フィーナが他者へ私憤をぶつけるのは稀である。
そのような人間にまで責められては、海千山千のジョゼフとて猛省すると言うものだ。
すぐさまに「此度はワシが全面的に悪かった。一言もない……」と陳謝し、前言を撤回した。

「謝れば済むって話じゃなくね? お忘れかも知れないけど、ボクもグリーニャの人間なんだよね。
例の事件で父さんも母さんも――……ボクにだって怒る資格はあるよなッ!?」

 陳謝を容れてアルフレッドとフィーナは引き下がったものの、
彼らよりも幾分幼いシェインだけはジョゼフの失言に我慢がならなかった。
湧き上がる怒りをどうしても堪え切れなかった。

「コ、コッカケ? コケーコ! コケーコ! ケコカカケコーココー! ケッコ!」
「ボクはフィー姉ェじゃないけど、何を言いたいのかは分かるぜ。ボクだって仲間同士でこんなことしたくないよ。
……それなのに飲み込めないんだ。この気持ちだけは、どうしようもない……ッ!」

 フィーナに倣って矛を収めたムルグも落ち着くよう働きかけたが、
シェインがブロードソードの鞘を握り締める力は秒を刻む毎に強まっていく。
 謝罪して前言さえ撤回すれば何事も解決すると割り切れるのは、ある種、大人≠フ考えと言うものである。
 だが、子どもはそうはいかない。謝罪を受け入れない自由≠振り翳して批難を続けるのだ。
そこに子どもだけの正義≠ェ在った。

「ま、落ち着きたまえ、少年。会長も頭を下げておられるんだ。これ以上、キミは何を望むと言うんだい。
ライアン君じゃあるまいし、裁判所で慰謝料を請求するとか言わんだろうね?」
「そこで俺を巻き込むな。しかも、どうしてクレーマーのような言われ方なんだ」
「謝ってくれなんてボクは頼んでないさ。ただ、許したくないって言ってるんだよ!」
「分からない子だねぇ。むやみやたらと駄々を捏ねるんじゃないよ。
大人の世界と言うものはキミが思ってるよりもシンプルで、……想像以上にフクザツなのさ。
ライアンお兄さんを見習って、大人≠ノなりたまえよ」
「残念、ボクはお子様だぜ!」
「おじさんからひとつアドバイスしよう。そう言う切り返しは大人に嫌がられるぞ」
「……ラトク、下がっておれ。これはワシの失態に他ならん。お前に庇われては末代までの恥になるわい」
「そうは行きませんよ、会長。自分は単純明快な大人≠ナすので」

 場に満ちる緊張の空気が度を越したと見て取ったラトクは、
我が身を盾にしてジョゼフの前に立ちはだかり、正面切ってシェインと睨み合った。
 如何なる事情があったにせよ、シェインの心が傷付けられたことに変わりはなく、
そうなると剣の師匠と親友が黙っていない。フツノミタマとジェイソンがシェインの両脇を固め、
垂れ込める空気も一等張り詰めていった。

「そんじゃ、オイラからおっさんにアドバイスしてやらぁよ。お子様ってのは、大体、仲良しとつるんでるもんだ。
大人はトシ食うごとに友達減るらしーから、こう言うモンだって忘れちまってるだろ? 
もういっぺん、オイラが教えてやるぜ!」
「ガキがいちいち出しゃばってんじゃねぇ。落とし前は大人同士でつけるって相場が決まってんだ。
それにこのケンカはバカ弟子のケンカ。なら、買うのはオレしかいねぇだろがッ!」
「どーゆー理屈でそーなるんだよ。ボクのケンカなんだからボクがやるよ!」
「しかし、どうだろうなぁ。フツ君の場合は頭の中身が子どもとそんなに変わらんから、
ビスケットランチ君の理論(はなし)ともマッチするんじゃないか?」
「あァんッ!? ナメたこと、抜かしてんじゃねーぞ、コラッ! 
二度と子ども番組出れねぇツラにしてやってもいいんだぞ、おォッ!?」

 グリーニャ出身ではないものの、先ほどの失言には義憤を禁じ得なかったのだろう。
フツノミタマは鞘に納めたままのドスを口に銜え、気早にも居合術の構えを取っている。
 ジェイソンも臨戦態勢だ。オープンフィンガーグローブで包まれた両拳の五指を小気味良く鳴らしていた。
 ジェイソンと同じく親友同士の間柄となったジャスティンではあるものの、
さすがに新聞王との対峙には加わらず、マイクと共に両者へ仲裁を持ち掛けていた。

「話し合いの場に暴力を持ち込むのは恥ずべき行為では!? 大人も子どもも関係ありません! 
それともうひとつ! ジェイソンさんは自重してください! 
こう言う場合、別の人間が同調し始めたら余計に拗れます! 
あとひとつ! 子どものケンカに大人が口出しすることこそ一番恥ずかしいのではありませんか!? 
大人同士で決着って……今のフツノミタマさんは最悪に恰好悪いですよ!?」
「てめ、この……ガキがちょっと叱られただけでガッコにクレームつけるみてェな、そんなバカ親に見えるってか!?
手前ェんとこのガキが一等賞になれねぇから運動会やめろってキレるタイプか、オレがッ!?」
「本質的には同じですっ!」
「ジャスティンよぉ、ダチがコケにされても黙ってるのは、物分りが良いのとはちと違うぜ! 
やるときゃやんなきゃならねぇ! オイラだって今のばかりは許せねぇよ!」
「私はそんな話をしているのではありませんっ!」
「お前、カチンと来なかったか? 」
「それは――私だって腹は立ちましたけど……っ」
「だったら! 文句のひとつくらいブチかましてやれッ! オイラみてーな人間がこんなこと言うのはおかしいけど、
義の心からも外れたんだぜ、このクソジジィッ!」
「ジェイソンさん……」
「手前ェだけ良い子でいるくらいなら、オイラはダチの為にクソ野郎をぶん殴るッ!」
「……いやはや、会長は子どもたちに大人気ですな」
「おヌシがそれを言うか。今までの人生でも一、二を争う当てこすりじゃわい」

 自分だけ良い子でいるくらいなら、友の為に拳を振るう――
ジェイソンの発した熱い言葉にジャスティンの気持ちは大きく揺れた。
 確かに大人の態度≠ナはないが、それもまた正しい選択肢のように思えてならないのだ。
 シェインは心を深く傷付けられた。その様を目の当たりにした瞬間、己の心を震わせた衝動こそが、
親友の為に選び取るものなのだ、と。
 理知を拠り所とするジャスティンが感情優先の決断に一〇〇パーセントの納得をすることはなかろうが、
しかし、ジェイソンに同調するのは確実である。

「私としたことがマユさんからの頼みをコロッと忘れていましたよ。
ジョゼフ様の監視(おめつけやく)を仰せつかっていたのですがね」
「マユが? なんじゃと申す?」
「『何しろ、お叔父様は全世界の支配者にも等しい。口に出すのも憚ることさえ好き勝手言ってしまう。
周りの方々から反感を買うに決まっている』。……と、このようにマユさんは常々案じておられましたから」
「会長、お喜びください。お孫さんは会長の人となりを誰よりも解っておられますよ」
「ええ、マユさんはジョゼフ様の拓いた道を着実に歩んでいます。支え甲斐があると言うものです」
「寄ってたかっておヌシらは……」

 口先ではジョゼフの迂闊を責めているようにも見えるセフィだが、さりげなくラトクと肩を並べており、
批判が腹芸であることは瞭然だった。
 どちらにも寄らずに中立を保つヒューは、「アレか、ルナゲイトの関係者は、性格の悪さが必須条件なのか」と
セフィの言行に皮肉を飛ばしている。
 やがて、ダイジロウとテッドもシェインたちの前に立ちはだかった。
 クレオパトラが下した非情の選択に打ちひしがれたとき、ふたりはジョゼフから幾度も慰められていた。
その上、ルナゲイトで保護するとまで誘いかけられたのだ。
 提案自体は断らざるを得なかったものの、新聞王の温情には深く感謝しており、
彼の危機に駆けつけるのは自明の理と言うものであった。
 シェインやジェイソンと稽古を共にして親しくなっていたテッドは――

「ぼくも今の話を聴いていたけど、ジョゼフさんに悪意は感じられなかったよ。
……正直、僕は部外者さ。でも、だからこそ、状況を客観視出来る。みんながいがみ合う理由なんてない筈だ」

 ――と、短慮を戒めようとも試みた。
 無論、結果は予想の通りである。ふたりの少年は首を横に振り、これを見て取ったテッドは悲しげに俯いた。
 テッドにはシェインの事情(かこ)は解らない――が、
ここに至るまでのやり取りから問題の輪郭だけは察している。それだけに強く諌めることも出来ず、苦しい状況が続いた。

「なんでシェインがグリーニャの代表みたいな流れになってんの? こんなクソガキに何がわかるんだよ。
ぶっちゃけ、村の厄介者だったんだぜ? 親が早くに死んじまったもんだから周りに食わせてもらってたがな! 
親が伝説の保安官でなけりゃ、とっくに見捨てられてたんだよ、こいつは!」

 普段からシェインのことが気に食わなかったハリエットは、不用意にも火に油を注ぐようなことを言い放った。
ジョゼフと同じ短慮であるが、彼の場合は私的な敵愾心が滲んでいるだけに一層性質(たち)が悪い。
 嫉妬に歪んだハリエットへハーヴェストが「あんたは黙っていなさいッ!」と叱声を飛ばし、
それに反応したアシュレイが「彼もグリーニャの一員だ。余所者扱いは許されない」と些かピントのズレた抗弁を行い、
これが瞬く間に各人へと伝播して済し崩し的に押し合い圧し合いとなった。
 騒乱を煽った形のハリエットには、ルディアが制裁としてドロップキックを喰らわせていた。
侮辱にも等しい放言をしたのだ。顔面に足跡を刻まれるのは当然の報いであろう。
 一目惚れ以来、シェインを慕い続けている葛(かずら)に至っては、
通信販売で購入したクナイ――忍者が使う鋭利な道具だ――を心臓に突き立てるべく
ハリエットを追い掛け回している。
 見るに見兼ねたジャーメインは、ラトク相手に掴み合いを演じるジェイソンを止めようと人波の渦中へ分け入っていく。
 ジャーメインを恋敵のひとりと見なしているマリスも対抗意識を出して後続したが、
腕力の劣る彼女にパトリオット猟班と同じ真似など出来る筈もなく、
フツノミタマに押されてよろけたダイジロウにぶつかり、そのまま尻餅を突いてしまった。

「おい、シラネ……」
「ま、待ってくれよ、ライアン君――」

 ダイジロウの肩を掴もうとしたアルフレッドの右手をテッドが取り、弾みで一本背負を繰り出してしまった。
これはテッド当人にとっても無意識の行動であり、投げた直後に「しまった」と自ら悲鳴を上げた程である。
 鈍い音とマリスの絶叫が狭い会議室で反響し、これによって一瞬の静寂がもたらされた。
やがて皆の口からどよめきが漏れ始め、場の空気が冷たく張り詰めていく。
 ジョゼフの失言を糾弾したアルフレッドを、あろうことかテッドが投げ飛ばしてしまった――
意識的か否かはともかくとして、新聞王を挟んで分かれた両者の間にて腕力≠ェ用いられた恰好である。

「なんや、最後はやっぱりドツき合いでケリつけるんか。ええんとちゃうか、こないモメるんやったら、
パチキでもかましてスカッとしたらええねん」

 ヒューと同じく中立を決め込んでいたシルヴィオは、その立場から些か無責任な感想を呟いたが、
意外なことにマイクは彼の考えを支持した。「グッドアイディアかも知れねぇ!」と両の掌を打ち鳴らしたのだ。

「――よし、ここはひとつ、おめーらふたりでプロレス勝負だ! モチのロン、セメントマッチな!」
「あなたは何を言ってるんですかっ!?」

 ジョウは反射的にマイクの後頭部を引っ叩いていた。
 ジョウの得物は『パクシン・アルシャー・アクトゥ』の銘を持つ不思議な槍である。
現在は会議室の壁に立て掛けてある為、彼の手元にはないのだが、それがマイクには不幸中の幸いだったのだろう。
金属製の柄で殴打されたら失神はまず免れまい。

「いってぇなぁ……、お前、ティンクに似てきたんじゃねーか? あんまヘンな影響受けて、カミさんを泣かすなよ?」
「おかしいのはあなたでしょう!? どうしてプロレスと言う話になるのですか!」
「いいか、ジョウ――品行方正のお前にゃ縁のない話かも知れねーが、
男には殴り合いでしか理解し会えない瞬間ってのがあるんだよ」
「本人同士が勝負を望んでいるのなら私だって止めたりしませんよ。でも、今のは明らかに不慮の事故。
現に投げたほうの彼は追い討ちだって仕掛けては……」
「ジョウ、無粋は言いっこナシだぜ。爽やかになる一本勝負と行こうじゃねーか」
「マイクさんッ!」

 訳知り顔でジョウの頭を軽く叩いたマイクは、呆然とした面持ちで向かい合うアルフレッドとテッドの間に立ち、
自身がレフェリー(審判)を務めると宣言した。「気の済むまで戦ったらいいぜ」と扇動することも忘れない。

「ど、どうしてそんな流れになるんですか!? 止めてくださいよっ!」
「アルちゃんにもしものことがあったらどうするのです!? いえ、アルちゃんはマーシャルアーツ・マスター、
決して遅れを取ることはないものと存じますがっ! ……けれどもっ!」
「拳を交えて云々は分からなくもないけどさぁ、ちょっと無理があるんじゃない? 
話の持って行き方なんかデタラメも良いトコだもん」

 アルフレッドの腕を掴んで自重を訴えたフィーナと、タスクに抱き起こされていたマリス、
更にはジェイソンの頭に拳骨を振り落としていたジャーメインが、一斉にマイクのほうを振り返る。
 これはミーティング――即ち、如何なる衝突も言葉によって解決しなければならない場≠セ。
そこに進んで暴力を持ち込もうとするマイクの意図が三人には理解し難かった。

「本題にも入っていないのに何をやっているんだ、君たちは! 私たちが集まったのは何の為だ? 
ワーズワースの真相を確かめる為じゃないのか!? 容疑者の一報から何も進んでいないじゃないか!」

 呆気に取られて立ち尽くしていたヴィンセントも慌ててアルフレッドを止めに入ったが、
意外なことにニコラスがその動きを遮った。

「オレはマイクさんの言い分も正しいように思うぜ。あなたの言うように、今は何も進んでいないかも知れねぇ。
でもさ、まずは拗れたモンを解決しなきゃどうしようもねぇぜ。今のままじゃ集中も何も出来ねぇだろ? 
みんなが納得して先に行けるのなら、オレはいくらでも我慢するよ」
「それは私にだって分かる。手段の問題だ。人間には言葉がある。言葉で解決したらいい!」
「いいや、言葉じゃねぇよ。最後は心と心の結び付きだぜ」
「ロマンチストか、お前はっ! そうやってピンカートンさんとこの娘さんを口説いたのか!?」
「ミ、ミストのことは関係な――って、なんでコクランさんがンなこと知ってんだよッ!?」

 『両帝会戦』の折、命懸けの一騎討ちを通じてアルフレッドと解り合えたニコラスは、
マイクの理論へ実感と共に肯(うなず)けるのだ。
 てっきりアルフレッドのことを押し止めるばかり思っていたダイナソーやアイルは、
ニコラスの行動に目を丸くして驚いたものである。
 ニコラスの言葉に背中を押されたのか、はたまた別の思料があるのかは、テッドには読み取れなかったものの、
深紅の瞳に闘志が漲ったことだけは確認出来た。
 今やアルフレッドは完全に戦いの構えを整えている。

「代理戦争の駒にされるのも癪だが、やるからには本気で行くぞ」
「ライアンッ! おい、待て――てめぇ、待たねぇかッ!」

 自制を呼び掛けるヴィンセントの声すら黙殺したアルフレッドは、
マイクから発せられた「ファイトッ!」と言う開戦の合図と共に鋭く踏み込み――
やがて、カキョウの驚嘆へと至るのだった。




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