6.避けては通れぬ道


「ま、これで少しは頭が冷えたってもんだろ。つーか、自分たちゃ何をやってんだろうって虚しくなったんじゃねーか? 
……気付いてくれたら、オレはそれで良いんだよ。争いは何も生まねぇ、ハートを空っぽにするだけだぜ!」

 床の上に身を横たえたままでいるアルフレッドを見下ろしつつ、急に尤もらしい演説を始めたのは、
両者の戦いを煽動した上にレフェリー役まで務めたマイク・ワイアットその人である。
 愚にも付かない小競り合いを大立ち回りにまで導いた張本人が、何の脈絡もなく掌を返したわけだ。
ことの成り行きを本気で案じていたジョウなどは、思わず膝から崩れ落ちてしまった。

「――ちょ、ちょ、ちょっとお待ちください。マイクさん、貴方、ご自分が何を喋っているか、分かってます?
こんなことになったのは、他ならぬ貴方の所為でしょうっ!?」
「おやおや? ご聡明なジョウにも分からなかったか?」
「貴方の頭の中身は、はっきり言って常識の範疇を超えていますからね。見失うことも少なくありませんよ!」
「つまりだな! このテのケンカはやり合えばやり合った分だけ、虚しくなるっつーコトだよ。
戦って初めて気付く過ちってヤツだ。オレはそこが言いてぇんだよ!」
「……はぁ?」

 アルフレッドとテッドの戦い――それ自体が今度の諍いを鎮める鍵だったと、マイクは胸を張って語った。

「ケンカってェのは、お互いに対するフラストレーションがマックスまで膨らんだときに起こるもんだ。
ごく限られた仲間内でのいがみ合いを見てりゃ分かるだろ? 別に決裂するほどのもんでもねぇけど、
心の片隅でトゲみてーに残り続ける、アレだよ」
「その場は誤魔化せても不満は燻り続ける……と仰りたいのですか?」
「そーゆーときの一番の治療法は、なんと言ってもガス抜きさ。
溜まったもんを全部?き出す勢いで不満をぶつけようぜ! ケンカだって何だってすりゃいいんだ!」
「仰りたいことは何となく伝わってきましたが、一般常識がソレを暴案だと言って認めないんですけど……」
「ケンカしてケンカして、ケンカしまくるのが肝なんだよ、ここはな。
逆上せたモン同士が徹底的に殴り合えば、そりゃあ、血ィ見ることにならぁ。
でもよ、痛い目に遭うと人間ってのはちょっとずつ冷静になってくるもんだろ? 
あれ、自分は何をしてるんだろう。こんなことを繰り返しても意味がないのに――ってさ。
……人はそこで初めて握り拳の虚しさを知るんだよ。そして、開いた手を重ね合わせる。
握手で確かめ合えるのは何だ? 友情って言う名の約束だよ!」
「そんな単純に片付けられたら苦労はしませんよ。……折り合いを付けられず、割り切ることも出来ず、
気が遠くなるような長い年月の間、内紛を繰り返していた祖国(くに)を、私は知っています」
「限られた仲間内でのいがみ合いって、さっき言っただろ? マジな殺し合いやってる連中にこんなコトはさせねぇさ。
お互いのことはよく解ってる。仲間だって認めてる――仲間≠セから通じ合えるんだよ。
痛い目を見るのもバカバカしいから、適当なトコで手打ちにしようっつって調停に乗る部族だって多いんだぜ?」
「規模の大小に関係があるのでしょうか……」

 「それはオレが保証するぜ」と、マイクの発言に右の親指を立てて賛同したのは、やはりニコラスである。
彼は自身の経験を例に引き、相互理解の手段として拳を交えることを推奨していたのである。

「アルとパジトノフさんがやったのは、あんたの目には無駄な努力みたいに映ったかも知れねぇ。
でもよ、バカみたいな骨折りが誰かの心を動かすコトも確かにあるんだよ――」

 ニコラスの話に耳を傾けていたジョウは、我知らず双眸を見開いた。
 室内を見回すと、ジョゼフの失言が原因となって真っ二つに割れていた人々が自身の過ちを悟り、
一様に猛省しているではないか。
 誰よりも激しくジョゼフに食って掛かったシェインも、今では頬を?きつつ俯くばかり。
一時は内部分裂の危険性さえあったのだが、その気配は霧の如く散っていた。
 徹底的にケンカを出来るのが仲間と言うもの――マイクの語った意味をジョウはようやく理解した。
この決着を迎える為にアルフレッドとテッドを戦わせ、闘技場紛いの囲いまで設えたと言うわけだ。

「……あなたの言う通りです。私が早計だったようですね。自分の物差しでつまらないことを言ったものだ……」

 ニコラスとマイクの顔を順繰りに見つめていったジョウは、口元に晴れやかな微笑を浮かべている。

「ニコちゃんが解ってくれて嬉しいぜ。痛みを分かち合える仲ってのは、何より深いモンだからよ!」
「どうでも良いけど、あんたまでニコちゃんって言うのはやめてくれねーか」

 ここに至って、ようやくマイクの意図を理解したアルフレッドは、
同じ心境に至ったであろうテッドと顔を見合わせ、精魂尽き果てたかのようにがっくりと項垂れた。

「お前の掌の上で転がされただけか。……終わってみれば、こんなに胸糞悪い話もないな」
「結果的に丸く収まったのなら、それでも構いませんけど……」

 アルフレッドとテッド、ふたりの本音は「良い迷惑」の一言に尽きる。
彼らは逆上して取っ組み合いを始めたわけではない。成り行きから対峙してしまっただけなのだ。
 緊張状態の解消と言う結果を得られたからこそ甘んじて是認出来るのだが、
そうでもなければマイクに向かって殴りかかったかも知れない。
 発端を作ったジョゼフは、不必要且つ不本意な闘争を余儀なくされたふたりに対して後ろ暗い気持ちがあり、
せめてもの罪滅ぼしとして、彼らの代わりにマイクの尻を思い切り抓り上げた。

「集団ヒステリーを防ごうとして、アルとパジトノフ君をスケープゴートにしただけじゃ! 
そのような悪知恵を働かせるなど冒険王の名が廃るぞ!?」
「ス、スケープゴートなんて人聞き悪ィぜ、御老公! ふたりならきっと他の連中を止められると信じてだな――」
「やかましい! 善意で謀ったことならば、余計に猛省せんかッ!」

 ジョゼフの握力は老身とは思えないものがある。堅牢なる装甲で防備を固めたクリッターでさえ、
彼が五指で掴めば骨肉まで引き千切ってしまうだろう。今のところ、マイクの尻の肉は裂かれていないが、
いつまで無事を保っていられるのかも分からなかった。
 悶え苦しむマイクの脳天へ追い撃ちとばかりに拳骨を振り落としたのはフツノミタマである。
今こそ宿敵――そう思っているのはフツノミタマのみだが――を叩きのめす好機だといきり立っているようだ。
 握り締めた右拳の中指を立て、「ガキの教育に悪ィんだよ! 二度と近寄るんじゃねぇ!」などと喚き散らしている。
自分の言行を棚に上げて、よくぞ他者にそのような説教を垂れたものだ。

「調停名人だぁ? 合戦火付け人の間違いじゃねぇのか、ええ、ペテン師がぁッ! 
てめーが何をしたってんだよ!? アル公とデカブツを焚き付けただけじゃねーか! 
ンなこたぁ調停でも何でもねぇ! 薄汚ェ騙(カタ)りだぜッ! 人を騙して都合よく動かしてよぉッ! 
手前ェは高みの見物じゃねーかッ! 違うんか? 違うんか、この詐欺野郎ォッ!」
「ひっでぇな〜、そりゃあ、勘違いだぜ。大体、カネも絡んでねぇから詐欺だって成り立たねーし」
「カネが目的じゃなくても詐欺になンだろうが、おォうッ!? 
人畜無害ってなツラして、ガキまで誑し込んでいきやがらぁッ! 
そりゃあ立派なペテンじゃねーか、オォ!? ペテンじゃねーのかよ、オラァッ!」
「……はいはい、バカオヤジはちょっと黙っていよーな」

 途中から全く私憤に摩り替わったフツノミタマが恥ずかしいやら情けないやら、
鞘に納めたブロードソードを渾身の力で振り抜いたシェインは、彼の後頭部を手加減なく殴打した。
 ジェイソンとジャスティンも加勢し、のた打ち回るフツノミタマに猿轡まで噛ませた。
 言葉を紡げず、野獣のような唸り声を上げるフツノミタマを一瞥したジャスティンは、
「思春期の気持ちも分からないようでは、その内、本当に相手にされなくなりますよ」と、
冷ややかに皮肉ったものだ。
 その一方で、シェインはマイクにも手厳しい。
ジョゼフが指摘したスケープゴート≠ェどうしても引っ掛かったのである。

「マイクにもちゃんと考えがあったんだろうし、今までにも成功例があるんだろうけど、
……今のはちょっと引いちゃったかな。今度、同じことをやったらマイクだって承知しないぜ?」
「うう、面目ねぇ……」
「モメる原因(もと)を作ったボクが言うのもおかしいんだけどね。
マイクだって厭だろ? こんな風に仲間をコントロールすんのは。
だったら、もうこんなことはやめにしようぜ!」
「あい、了解ッス……」

 ジョゼフどころか、シェインにまで叱られてしまい、さすがのマイクも本気で落ち込んだようだ。
 勿論、シェインにもマイクの意図は解っている。最終的に自分が責めを負うことまで考慮し、
その上で戦いを煽ったのかも知れない――本質(そこ)まで理解し、一応は納得もしているのだが、
それでも言うべきことは言わなくてはならなかった。
 仲間とは何でも言い合うべきだと唱えたのは、他ならぬマイクなのだ。
尊敬する冒険王が示した道を、シェインは健気に守ろうとしていた。
 すっかり項垂れてしまったマイクに下衆な笑みを向けるフツノミタマと、
その傷顔にゴミ溜めでも見るような眼差しを浴びせるジャスティンはともかく――

「そもそもの原因は誰でもないワシじゃがな……あいすまん、この通りじゃ――」

 マイクの尻から指を離したジョゼフは、改めて皆に頭を垂れた。
 自身の不用意な失言がこのような事態を招いてしまったのだ。
居並ぶ誰もが自分より遥かに年下だが、詫びる相手に齢(よわい)の上下など関係あるまい。
ただただ恐縮して謝るばかりであった。
 カメラのシャッター音が室内に鳴り響いたのは、その直後のことである。
弾かれたように顔を上げると、愛弟子たるトリーシャが姿勢よくデジタルカメラを構えているではないか。
言うまでもなく、それは取材時の撮影に用いるものだ。

「な、何をしとるんじゃ、トリーシャ!? おヌシ、今、何をッ!?」
「え、いえ――師匠の貴重なショットを是非とも想い出にしたいなー、なんて」
「た、た、たわけ……! の、残しておくようなものではなかろうが!」

 まさしく貴重な情景と言えるだろう。
あらゆる事物に対して達観しているかのように振舞う新聞王が気恥ずかしさに悶え、
頬を紅潮させつつ自分の半分も生きていない弟子に食って掛かっているのだ。
 データを消去するようジョゼフが訴えていると、
どう言うわけか、その脇から彼自身の声≠ェ聞こえてきた。
「あいすまん、この通りじゃ――」と、先ほど述べた陳謝の言葉を繰り返している。

「ジョゼフ様、ご存知ですか? 近頃のモバイルは動画を撮影することも出来るのですよ。
デジカメのように高画質とまでは行きませんが、これはこれで便利な優れものです」
「通販番組の司会か、その口調――い、いや、そんなことは問題ではない! 
セフィよ、お主、それを何時から撮っておった!?」
「アル君とパジトノフさんの一本勝負が終わった後から、余す所なく。
……マユさんからの返信が待ち遠しい限りですよ」
「送信したのか? 送信しおったかぁ!」

 動転するジョゼフの視線の先には、笑気を纏ったセフィが佇んでおり、掌中にはモバイルが握られていた。
液晶画面にて再生されているのは、改めて詳らかにするまでもなく先ほどのジョゼフの姿――
トリーシャ曰く、貴重なショット≠ナある。

「皆さん、手際が大変によろしいのですねぇ。自分はテレコを回すくらいしか出来ませんでしたよ」
「ラトク、お主っ!」
「いやはや、申し訳ありません、会長。職業病なのでしょうなぁ。気付いたらスイッチを入れていました」
「真顔で嘘を吐くでないわぁッ!」

 ラトクもラトクで、スーツの袖から取り出した小型マイクをジョゼフに向かって翳している。
わざわざ両掌に載せて恭しく差し出したあたり、底意地の悪さが窺えると言うものだ。

「手際が良いのはお前さんだろ。そのテレコ、アンテナで音声データを送信するタイプじゃね〜か。
マスターテープは、どっか別の場所に隠してあんだろ?」
「さすがは稀代の名探偵、お目が高いな。ちなみにキミの言うテープは
エージェントの詰め所に据え置きされたサーバーの中。
今頃、向こうじゃ大忙しさ。新しく登録されたデータを確認するのもお仕事だからね」
「おのれ、ラトク……憶えておれよ……」

 ヒューのひけらかした探偵らしい知識が、ジョゼフの羞恥を更に加速させていく。
 ラトクはルナゲイト家のエージェントだ。
裏≠フ業務上、高性能なボイスレコーダーも油断なく仕込んでいるわけである。
相当に離れた距離の音声をも高質な状態で集められるのだろう。
 あのジョゼフが、弱みに付けこまれて年下から弄ばれていた。忠実な部下にさえ茶化されていた。
どうして、このような成り行きとなったのか――その意味≠ヘジョゼフ自身にも解っている。
 胸中に差し込む微かな戸惑いが明答(こたえ)と言うわけだ。

「されどのぉ……」

 行き着いた明答(こたえ)が容れ難いのか、是認を躊躇うジョゼフの頭に何か≠ェ投げつけられた。
 多少、硬くはあるが、決して重くはない。乾いた音を立てて床に落ちたそれは、何の変哲もないモバイルであった。
インターネット回線に接続中であるらしく、液晶画面には先刻まで閲覧していたホームページが表示されている。
 「妙なプライドに凝り固まった年寄りほど扱いにくいものはない」と言う挑発的な見出しが、
老齢のジョゼフの目を引いた。どうやら、若者たちが壮年以上の先達に不満をぶちまける場所であるようだ。

「尻の穴の小せぇクソジジィだな! 周りが気にしてねぇって言ってんだから、それで良いだろうが! 
なんだ? 手前ェを納得させんのに証拠が欲しいってか? だから年寄りはうぜーんだよッ! 
そんなもんは自己満でしかねーだろうが、めんどくせー! 俺らを巻き込むなや!」

 モバイルを投げつけた犯人は撫子である。胡坐の内側へとルディアを座らせている彼女が、
呆気に取られて固まり続けるジョゼフを散々に扱き下ろした。
 言葉遣いは汚いものの、指摘自体は鋭く、正鵠を射ている。
 これまで仲間たちの諍いには関知せず、ルディアの手前もあって煽ることさえ控えていたのだが、
その代わりに事態の成り行きをつぶさに観察していたようだ。

「……証拠にゃならないかも知れないけど、これでどう……かな?」

 撫子の話に思うところがあったシェインは、ジョゼフの手を握り、次いで頭を下げる。
 「む……」と低く唸ったジョゼフもシェインの手を握り返し、これを以って一件落着となった。

「――なんとか一段落したみたいね。ここから先はお喋りを楽しめるのかな?」

 対立の終息を見て取ったカキョウは、両の掌を打ち鳴らして仕切り直しを促した。
 何時の間にやら見慣れない顔が在ったことを不思議がるアルフレッドに、
ヴィンセントはロンギヌス社のスタッフであると耳打ちした。
 所属する部署の違いなのか、同じロンギヌス社のスタッフでありながら、
カキョウとヴィンセントは余りにも出で立ちが異なっている。
 アッシュローズのジャケットにロングスカート、チョーカーより垂らされる翼を模したプラチナのペンダント――
カキョウの装いを舐(ねぶる)るように観察するアルフレッドに対して、
「何と破廉恥な! このような形でセクハラとは……恥をお知りなさい!」と、
タスクから叱声が飛ばされたのは言うまでもない。


 アルフレッドとテッドの負傷をマリスがリインカネーションによって治療し、
他の者たちが机や椅子を並べ直してミーティング再開の準備を済ませたのは、午後三時を少し過ぎた頃であった。
 その間(かん)に飲食店に勤務するカミュ――アシュレイの夫でもある――がコーヒーと茶菓子を差し入れた為、
第一会議室は茶話会のような趣へと一変した。
 長らく殺伐とした空気が続いたこともあり、ようやく一同は人心地つくゆとりを得たわけだ。
 カミュひとりではコーヒーを配るだけでも一苦労だろうと、ミストも手伝いに加わっていた。
 彼女が童話作りで忙しいことを知っているニコラスは、自らも率先して支度を助け、
その働きぶりに感心したカミュから「うちのお店で働かない? ルックスも良いし、二代目看板息子になれるよ」と
スカウトまでされていた。
 互いの労をねぎらうニコラスとミストの姿を、アルバトロス・カンパニーに関わる人々はしみじみと眺めている。

「良き伴侶を得られて、順風満帆ではないか、ヴィントミューレ殿。
ご両親にも気に入られているとサムから聴いた。気早かも知れんが、心よりお祝い申し上げる」
「な、な、何のお祝いだよ? 何だってんだよ! サムに何を吹き込まれたかは知らねぇが、別にオレは……っ!」
「へぇ〜、ニコちゃんってば、ミストちゃんの前でアイルの言ったコト、全否定すんの? そんな度胸あんの? 
罪作りだねぇ、ニクい男だね〜。惚れた女の子を泣かせてまで手前ェのプライドを守るなんて、
イケてる男にしかできねぇことだよ。……ニコちゃん、すっかり男≠ノなったみてぇだな!」
「てめぇ、サムっ!」
「あ、あの、あのっ! みなさん、誤解されていますけど、私とラスくんは、そ、そんな仲ではありませんのでっ!」
「ラスさんに良い人≠ェ出来たと聴いて興味津々でしたが、何の心配もなくぴったりのお相手でしたね。
私が言うのもおこがましいのですが、お似合いのふたりだと思いますよ」
「今時、珍しいくらい奥ゆかしい娘だぜ。……少し寂しいが、俺もここいらで兄貴分(せわやき)卒業かな。
ラスのことを任せられる相手は、この娘しかいねぇよ」
「あ、あああ、あのっ、えぇっと――ラ、ラスくん、わ、私、ど、どど、どうすれば……」
「マックスまでバカ言ってんじゃねぇよっ! ミストが困ってるだろ! そう言うタチの悪い冗談、やめろよな!」
「冗談とは慮外ですね。私もマックスさんもラスさんの幸せが本気で嬉しいんですよ? 
何より素敵なご縁ではありませんか。ふたつの世界の橋渡しはラスさんにお任せします」
「ジャスティンっ! この……マセたこと言ってんじゃねーッ!」

 寄って集って冷やかされたニコラスとミストは、良く熟れた林檎のように満面を真っ赤に染め上げている。
ダイナソーたちもふたりの初々しい反応へ眩しげに目を細めるのだった。
 叢雲カッツェンフェルズのお目付け役にしてミストの親友であるミルクシスルは、
ニコラスに向かって敵愾心剥き出しの眼光を叩き付けていたが、これは余談。

 アルバトロス・カンパニーの関係者たちが和やかに茶話を楽しんでいるかと思えば、
その一方ではアルフレッドがジャーメインやシルヴィオから吊るし上げを食らっていた。
つい先ほどまで打撃の嵐を轟かせていた青年は、今や、容赦なき非難の嵐に晒されている。

「がしんたれが! あない粋がっといて、なんでボロカスにされとんねん。アホ丸出しやんけ! 
……引き分け? お情けまで貰(もろ)うて、ワレぁ自分が情けないと思わんのか!?」
「おまけにあたしの技までパクるし! パクッたならパクッたでちゃんと勝ってくれなきゃ! 
首相撲まで役立たずに思われたら最悪よっ! あんた、どう責任取ってくれるわけ!?」

 スカッド・フリーダムをルーツとするジャーメインとシルヴィオは、
それぞれ違う想いを秘めつつも、アルフレッドの引き分け≠ノは我慢がならない様子である。
先ほどの戦いは実質的に敗北だったと断定した上、彼を正座させて攻守のひとつひとつを糾弾し続けていた。
 見るに見兼ねたローガンが仲裁しようと試みたものの、
シルヴィオから「ワレの指導不足が原因や! アホ以外の何でもあらへん!」などと責任を問われ、
遂には師弟並んで正座と言う事態に陥ってしまった。
 今度の一件に関しては、ネイサンもかなり手厳しい。
 声援など一度たりとも送らず、むっつりと押し黙って戦いの成り行きを傍観していた彼は、
正座させられた師弟を冷ややかに見下ろし、「元気が有り余っているのは良い傾向だよ」と皮肉たっぷりに言い捨てた。

「ほら、アルは頭脳労働が担当だからさ、たまに身体を思い切り動かしたくなるんだよ。
せめてお楽しみの時間くらい許してあげておくれ」
「それは誤解だ、ネイト。別に俺は楽しくなどなかった。パジトノフだって仕方なく戦わされたんだぞ」
「テッドさんはどうでもいいんだよ。お楽しみはキミだよ、アル。
さぞかし満喫したんだろうね。周りが止めてもシカトしちゃったもんねぇ」
「好き好んで痛い目に遭いたいヤツなどいるものか。もう一度、はっきりと言っておくぞ。誰も楽しんでなど――」
「僕の目にはシルヴィオさんと立ち合ったときと丸っきり同じように見えたよ? 
と言うか、それ以外には考えられないよね? ……ああ、そうか! 柔道とも深い因縁があるんだ〜。
そりゃあ、戦わなきゃならないよね。他の何を捨て置いてでもさ」
「い、いや、柔道とは別に何も……」
「ああ、何も言わなくて良いよ。だから、口を塞いでいて。僕はいつだってアルの味方さ。
みんながキミの趣味に怒り狂っても、僕だけは理解してあげるからさぁ〜」
「……お、怒っているの――ますか、ネイト――さん……」
「怒ってなんかないよ。シルヴィオさんのときだって、僕、怒らなかっただろう?」
「ア、アル、こらアカンで。ネイトのヤツ、プッツン来てもうてるわ。速攻謝ったほうがええ!」
「ちょっとちょっと、ローガンさん。穏やかじゃないなぁ。誤解を招くようなことを言ってアルを怯えさせないでよ。
……ああ、そうか。アルの背中に隠れているから、僕の顔がよく見えないんだ? 
さっきもそうやってアルの背中を押し出したんだねぇ。いけないお師匠様だね――ねぇ、アル?」
「ローガン、火に油を注ぐな……」
「ワ、ワイの所為とちゃうやろっ!」

 ワーズワースにて強行されたジークンドーとトレイシーケンポーの私闘に居合わせたネイサンは、
一度(ひとたび)、アルフレッドが武術家の顔になってしまうと、
最早、周りが何を言っても止められないと悟っている。ある種の諦めの境地と言えよう。
 叱責を受ける立場と言うこともあって「楽しんではいなかった」とアルフレッドは弁明してみせたが、
今し方の大立ち回りを見る限り、柔道との腕試しに心躍らせたのは間違いあるまい。
 それ故にネイサンは全てを理解した味方≠フような笑みを浮かべ続けるわけだ。
無論、アルフレッドとローガンの目には恐怖の相としか映っていない。

「――そちらにも複雑な事情があるようだが、それはさて置き。フェイ・ブランドール・カスケイドと言う男が
ワーズワースの銃器問題に関わっているのは間違いないんだな? 確定でなくとも、可能性は高いのだな?」

 和やかな茶話は二〇分ほど続いたが、それもヴィンセントの言葉を合図に一区切りとなった。
彼は改めて『第一容疑者』の正体についてラトクに確認を求めていた。
 咀嚼していたサブレをコーヒーで飲み干したラトクは、目配せにてジョゼフの判断を仰ぎ、
主人の首肯を以って「K・kの置き土産を信じるならね」とヴィンセントに答えた。
 K・kの人となりには猜疑の念を拭えないものの、
商品――無論、兵器の類だ――に割り当てられた製造番号で顧客を管理すると言う方法には信頼が置ける。
それがラトクの見解であった。
 曲がり形にも裏社会で武器弾薬を売り抜けてきた男だ。
顧客の管理と言う点に於いては、表の世界よりも遥かに厳密でなければならない。
成り行き次第では、商品≠ェ自分自身に向けられることも有り得るのだ。
 小心なK・kのこと、自らの命を守る為ならば、ありとあらゆる手立てを尽くすことだろう。
この件に関しては、小悪党の小さな器こそが信憑性の裏付けであった。
 理由や経緯は不明ながら、K・kより仕入れた銃器をフェイがワーズワースに持ち込んだ可能性は高い――
その事実が改めてラトクから語られたとき、アルフレッドは思わず腰を浮かせてしまった。
 ラトクによる説明はこれで二度目である。それでも早鐘を打つ心臓は鎮められなかった。

「本当にフェイ兄さんだと言ったのか? K・kが意図的に誤った情報を流したのではないか?」
「疑えばキリないが、それを言い出したら何も――」
「――いや、別の人間が犯人という可能性は低い。そのカスケイドなる人物が主犯と見て間違いないだろう」

 ラトクからアルフレッドに対する返答を遮ったのは、ヴィンセントである。
最早、彼はフェイのことを主犯格と見做しているようだ。
嫌疑について詳しい捜査を行なうまでもなく結論に至ったわけである。
 Bのエンディニオンでも指折りの英雄に掛けられた疑義が信じられなかったのか、
カミュは「そんなおかしな話ってないよ……」と呻いている。

「今までカスケイドさんは世界中で色々な人を助けてきたんだよ? 冒険王マイクにだって引けを取らない人なんだ! 
そんな人がどうして難民キャンプに銃器なんか……常識で考えたら、すぐに分かるはずじゃないかっ!?」

 堪り兼ねてヴィンセントに抗弁するカミュの声は、はっきりと震えていた。
 グリーニャの隣町――シェルクザール出身者である彼も幼少の頃からフェイの人となりを知っている。
大多数の人間と同じように彼のことを英雄として尊敬していたのである。
 それにも関わらず、異なる世界より訪れた人間からいきなり犯罪者扱いされてしまったのだ。
感情的にならないよう強いるほうが無理であろう。
 すぐさまアシュレイが寄り添わなかったなら、動転してヴィンセントに掴み掛かったかも知れない。
 カミュが落ち着くのを見計らってから、ヴィンセントの隣に座したカキョウが
「フェイさんって人は商売が本職なの?」とアルフレッドに尋ねた。
 ヴィンセントまでもが身を乗り出したあたり、彼女の問いかけは極めて重大な意味を持っているのであろう。

「……いや、フェイ兄さんはあくまでも冒険者だ。頼まれたらお使い≠ュらいなら代行するかも知れないが、
クリッター討伐と言った危険な仕事をメインに請け負っている。剣の腕一本で旅している人なんだよ。
俺が知る限り、商売に興味があると言う話は聴いたことがない」
「う〜ん、それならヴィンセントの言う通りかも知れないなぁ」
「だ、だから、どうしてそう言う……っ!」
「まあ、落ち着いて――そう、落ち着いて聴いて欲しいの。これは、すごく難しい問題だよ」

 再び爆発しそうになるカミュを宥めたカキョウは、次いでテーブルに頬杖を突き、
これ以上ないと言うくらい重苦しい溜め息を吐いた。

「シンジケートと言うほど手広くなくても、ある程度のルートを自分で確保しているなら、
その人の手から別の誰かに売られたって可能性も考えられなくはないのよ。
でも、フェイさんの場合は、残念ながらそれには当てはまらない。
……と言うか、転売された形跡があるなら、K・kって人も気が付いたと思うんだよね」
「……て、転職されたとは考えられませんか? 冒険者から変わったとか……」

 躊躇いがちに口を挟んだのは、カミュでもアルフレッドでもなく、何とミストであった。
 フェイはマコシカの民にとっても馴染みの深い人間である。
ミスト本人も面識があり、触れ合った限りでは非の打ち所がない傑物(じんぶつ)と言う印象のみである。
 フェイに掛けられた嫌疑が何かの間違いであって欲しいと願わずにはいられなかった。
一時(いっとき)はマコシカにて語り継がれる伝説の勇者、
『ワカンタンカのラコタ』に最も相応しいとさえ認められた青年なのだ。
 無論、武器の売買に加担した時点で責任は発生している。それは否定出来ない。
しかし、直接的にワーズワースの、ハブール難民の破滅を招いたとは、どうしても考えたくなかった。
 愛娘が振り絞った精一杯の勇気を、レイチェルは愛しそうに、ヒューは痛ましそうに見つめている。

「武器の売買はそんなに生易しい世界じゃないんだよ、お嬢さん。
昨日今日、商売を始めた人間には誰も見向きもしない。売り買いをしくじれば共倒れになるからね。
商売は信用が第一。そのあたりは裏も表もないさ。どちらの社会でも共通事項だ」

 どう答えて良いものかと惑うカキョウに成り代わってヴィンセントがミストと相対し、
半ば言い諭すようにして商売≠フ仕組みを説いていく。

「裏社会の共倒れは、ただ会社が潰れるだけじゃ済まされない。面目が潰された相手は必ず死の報復に出る。
更に言えば、そんな事態に陥るリスクを冒してまで素人を相手にはしない。
……ロンギヌス社も兵器を扱う企業だからね。そのテの事情には詳しいつもりだよ」
「……それでは、やはり……」
「もしも、カスケイドが武器を又売りしたなら、おそらく個人間の取引と言うことになるだろうね。
大きな組織さえ絡まなかったら、あのデブオヤジにだって把握は出来ない筈だ。
……そして、そこから導き出される答えはひとつ――そう言うことだよ」

 Aのエンディニオン最大の軍事企業にて兵器コーディネーターを務めるだけあって、
ヴィンセントの言葉はとてつもなく重い。ありとあらゆる可能性からフェイの関与を証明してしまえるようにも見えた。
 淡い希望さえ打ち砕かれて肩を落とすミストにはニコラスが寄り添った。
「まだあの人が犯人だって決まったわけじゃねぇよ。調べを進めたら、別の真犯人が判るかもだろ?」と
励ましてはいるものの、今のところ、嫌疑を覆すだけの材料など見つかりそうにない。

「で、でもさ、フェイの兄ィはひとりきりで旅してるんじゃないんだぜ!」
「そうだよ! ソニエさんやケロさんがついてるもの! フェイ兄さんは絶対に道を踏み外したりしてない!」
「コカ! コッカカカカ!」

 別の真犯人=\―空想に過ぎない存在を必死になって信じようとするのは、やはり同郷の人間であった。
 先刻は皆に迷惑を掛けるほど取り乱してしまったので、今度は異議を唱えながらも冷静を欠くまいと努めている。
 フィーナとシェイン、ムルグの主張は単純にして明快だ。
ソニエやケロイド・ジュースがそのような暴挙を黙って見過ごす筈がない――それが彼らの論拠である。

「他の方ならいざ知らず、ソニエさんは絶対にお許しにはなりませんっ! 
愛はときに勇気を与えるもの。ソニエさんほどの御方であれば、過ちを正すことに躊躇する筈もありませんわ!」

 リーヴル・ノワールの探索を共にして以来、ソニエに信頼を寄せるようになっていたマリスも、
フィーナたちグリーニャの主張に同調する。
 ソニエの祖父であるジョゼフにも「如何ですの?」と尋ねるが、当の新聞王は首を横に振るばかり。
是とも非とも言わず、返事らしい返事を紡ごうとはしなかった。

「……私はコクランさんの仮説が限りなく正解に近い気がしますね。
皆さんには申し訳ありませんが、近頃のフェイ・ブランドール・カスケイドはそれほどまでにキナ臭い」

 フィーナたちの主張は思わぬ人物によって切り捨てられてしまった。
 セフィである。ラトクと共に新聞王の脇に座していた彼は、フェイが無実だとする訴えを真っ向から退けた。

「まぁ、セフィさんったら――いくらジョゼフさんの手前とは言え、真実を歪めてしまうのは如何なものかと思いますわ。
そのような手段で好ましい心証を得たとしても、マユさんはお喜びにならないのではなくって?」
「今、この場の問題はフェイ・ブランドール・カスケイドの処遇ですよ。私情を挟む余地はどこにもありません」
「でしたら……っ!」
「ですから、私は危ういと申し上げているのです。英雄と言う名の偶像を無条件で盲信することは如何にも危うい」
「セ、セフィさん……?」

 ジョゼフに近しい立場から抗弁したのかと質されるセフィであったが、
彼がフェイを疑わしく思う根拠は、あくまでも自身の調査結果に基づいている。

「アル君、フェイさんの足取りはどうなっています? メアズ・レイグからは何か連絡は?」
「ヴィクドのアルカークがフェイ兄さんに接触を図った――らしいと言うところで止まっている。
イーライとレオナにはテムグ・テングリのサポートを頼んでいるからな。私事の頼みに力を入れてもらうわけには……」
「――そこまでで結構」
「セフィ、お前は何を……」
「……皆さんに謝っておかなくてはならないことがあります。
これからお話するのは、実はハンガイ・オルスを発つ前には調べがついていたことです。
口外を差し控えるべきだと独りで判断して、今まで黙っていました。伏してお詫び申し上げます――」

 アルフレッドにヴィクドの介入を再確認した上で、セフィは先日の調査で判明していたことを打ち明けていく。
 フェイの身辺調査を執り行ったのは、誉れ高き『剣匠』の名のもとに集った義勇軍が
ハンガイ・オルスから忽然と失踪した直後のことである。
 真偽を確かめて欲しいとアルフレッドに要請され、セフィは城内にて入念な聞き込みを行なっていた。
その最中、件の義勇軍がフェイを見限って去ってしまったことを突き止めたのだ。
 三つ巴の決闘で卑劣な振る舞いを見せ、あまつさえ史上最大の作戦を論じる軍議からも弾き出され、
フェイの名声は地に堕ちていた。彼自身のプライドもズタズタに引き裂かれていたことだろう。
そのような折に義勇軍の解散――否、退散と言う事態が訪れたわけだ。
 断じて許し難い裏切り≠ノフェイは狂乱し、これを止めようとしたソニエには暴力まで振るった。
信じられないことに愛する恋人を殴り付けたのである。
 チームが崩壊するきっかけとしては、それだけでも十分であろう。
ソニエとケロイド・ジュースは義勇軍を追うかのようにハンガイ・オルスを去り、
英雄の周りには誰もいなくなってしまった。
 独り残されたフェイがどのような心境であったのかは余人には知る由もない。
ただひとつ確かなことは、アルカークの使いを名乗ったマルガレータと言う女性を――そこまで説いた後、
セフィは慌てて口を噤んだ。ここから先の内容(はなし)は、シェインたち年少者に聞かせるべきではないと憚ったのだ。

「うそ……だよ、フェイ兄さんがそんなこと……」

 セフィに口を噤ませた内容を察したフィーナは、我が身を抱いて真っ青になった。その双肩は小刻みに震えている。
信じられない――否、聴きたくもないことであった。
 頭にシルクハット状のトラウムを出現させたカミュは、今の報告が真実か否かをセフィに質した。
帽子の頭頂部から『○』と記されたパネルが勢いよく飛び出したのは、その直後のことである。
 カミュが具現化させたのは、ウソ発見器のトラウム、『ダックスープ・フレーバー』だった。
 何かひとつでもセフィが偽りを述べていたならば、『×』のパネルが飛び出した筈であり、
カミュ自身もそれを望んでいた。彼としては少しでも英雄を擁護し得る材料を集めたかったのだ。
 だが、暴き出されたのはフェイの狂乱と言う真実ひとつ。自身の期待が外れたことを確かめたカミュは
黙したままシルクハットを床に叩きつけた。
 孫娘を殴打されたと知ったジョゼフは、一瞬だけ血相を変えたものの、すぐさまに激情を抑え込み、
「今まで苦しい思いをさせていたようじゃな。……ご苦労であった」とセフィをねぎらった。
 フェイがソニエに対して暴力を振るったのは、これが初めてではない――
そのことをエージェントの調査にて承知していたジョゼフは、心中にて「ただでは済まさぬ」と憎悪を吐いた。

「……本来なら、あのときに報告していなければならなかったのですが、
無用な混乱を招くと思い、今日まで黙っておりました。本当にお詫びのしようもありません……」
「……いや……」

 それきりアルフレッドは押し黙ってしまった。
 無論、独断で報告を控えていたセフィを責めるつもりはない。彼の判断が誤りであったとも思っていなかった。

(フェイ兄さんが堕ちた……だと――)

 答えに窮してしまうほどにアルフレッドは混乱していた。未だ嘗てない混迷と言っても差し支えはあるまい。
深紅の瞳は焦点が合わないほどに揺らいでいる。
 仲違いした現在(いま)でも心底より尊敬する兄貴分が、Bのエンディニオンにその人ありとまで謳われた英雄が、
人の道を踏み外し、仲間まで失ってしまった――その事実を認めたくはないのだと、脳が拒んでいるかのようだ。
 受け皿を失った情報≠ヘ頭の中で空回りし、これによって思考する機能(ちから)さえも喪失されてしまった。
混迷、あるいは、恐慌と呼ぶ以外にはない情況へとアルフレッドは追い込まれていた。

「ヴィクドってさ、難民――って言うか、あたしたちを追い出そうとか企んでる過激派連中でしょ。
そんなヤツと手を組まれたら厄介ってレベルじゃないよね……」

 ロンギヌス社のエージェントとして各地を飛び回るカキョウもアルカークの悪名は耳にしていた――と言うよりも、
異なる世界で活動するからには、自分たちを迫害しようとする傾向(うごき)へ敏感にならざるを得ないのだ。
 カキョウが懸念する通り、アルカークとフェイが何らかの形で結託したとなると、
暴動の発生を見越した上で難民キャンプに銃器を流した可能性も高くなる。
 万一にもそれが真実ならば、件の暴動は突発的な事件などではなく、周到に仕組まれた謀略に他ならない。
ギルガメシュに抗う為の力を授けたと考えるのは、余りにも都合の良い解釈であろう。
 現在の状態はともかくとして、フェイは呼びかけひとつで義勇軍を召集出来るほどのカリスマを誇っている。
今までに積み重ねてきた名声を利用して難民迫害など企てようものなら、
ワーズワース暴動の比ではない犠牲者が出るのは必定であった。
 何しろフェイの背後にはアルカークの影が見え隠れしている。
Aのエンディニオンの難民にとって良からぬ流れであることは間違いない。

(……フェイ兄さんが……しかし……どうしてだ……どうしてこんなことになる……?)

 突如として現れた最悪の筋運びを前にして、アルフレッドは反論ひとつ唱えられずにいた。
カキョウの懸念を「取り越し苦労だ」と否定することも出来なかった。
 思考と言う一番の取り得をもがれた今の彼は、ただひたすらテーブルの上に視線を落とすばかりである。

「ジョゼフの爺様がブチ上げた仮説、ありゃあ、もしかしたらビンゴかも知れねぇな。
フェイの野郎が他にアルカーク・マスターソンと手ェ組むメリットなんかね〜だろ」

 明らかに様子がおかしくなっているアルフレッドを目端に捉えたヒューは、敢えて刺激の強い言葉を選び、
これを以って彼に喝を入れようと試みた。
 レイチェルからは「あんた、物をよく考えて喋んなさいよ!」ときつい叱声を浴びせられたが、
不思議なことに今度は誰も騒ぎを起こそうとはしなかった。更に言えば、強く反論しようとする者さえ現れなかったのだ。
 フィーナもシェインもムルグでさえも、アルフレッドと同様に混乱の極みにあり、
周囲の状況すら正確には掴めていないことだろう。
 フェイがマルガレータ相手に働いた所業≠知ってからと言うもの、マリスもまた口を真一文字に結び続けている。
気遣わしげにタスクが寄り添っているものの、双肩の震えは何時までも止まらない筈だ。
 口先では挑発的な言動を発したものの、ヒューはジョゼフの仮説が完全な正解だとは思っていない。
新聞王自身が個人的な感情からフェイに対する見立てを歪めているのだ。
その言行を一から十まで容れるのは軽挙と言うものであった。

(しっかし、そこまで手前ェの生まれ故郷を憎めるもんかねぇ。……俺っちにはそこらへんの心の機微がさっぱりだぜ)

 グリーニャへの私怨はともかくとして、フェイが悪意を以ってワーズワースに銃器を持ち込んだのは事実である。
否、裏付け調査が済んでいない現在は、「真実に最も近いとされる仮説」とでも言い直すべきかも知れない。
 いずれにせよ、フェイの堕落と狂乱は事実として受け止めるしかなかった。
アルフレッドたちにはやり切れないことであろうが、
最早、世界から尊崇を集めていた自慢の「フェイ兄さん」は帰ってはこないのだ。

「アルカーク・マスターソンと手を結んで、正義の道から外れるような真似をしたって言うの? 
幾らなんでも有り得ないわ、極端過ぎるわよ、話の流れが……」

 ハーヴェストは未だに英雄の狂乱が飲み込めず、しきりに頭を振っている。
彼と同じ冒険者稼業に就いている彼女は、他の者と比してフェイの築いた功績と言うものを身近に感じられるのだ。
ふたりの仲間を合わせて、正義の同志とさえ認めていた。
 それだけに、この件で被った衝撃も大きい様子である。
 「マスターソンに騙されているんじゃないのかしら。口車に乗せられたとか……」と潔白を訴えるハーヴェストに同調し、
シルヴィオもスカッド・フリーダム内部に於けるフェイの評価を詳らかにした。
曰く、義の同志として申し分のない快男児――隊員たちの誰もがフェイのことを尊敬していたと言う。
 今でこそ離隊した身であるが、ジャーメインとジェイソンも、シルヴィオと同じ義の戦士であったことに違いはない。
フェイの歩んできた正義の道には、ふたり揃って首肯して見せた。
 嘗ての英雄も擁護の声すら上がらないほど堕ちてしまったのだと、ヒューもジョゼフも見做していたが、
それでも誰かが口火を切れば、僅かばかりでも味方が出てくるものだ。
 数は少なくともフェイの無実を信じる者がいる。腕組みしながらその声に耳を傾けていたマイクは、
「これまた難題だな」と呻き、次いで眉間に皺を寄せた。

「フェイ・ブランドール・カスケイド、か。ビッグハウスを訪ねてくれたことがあるらしいんだが、
生憎と対面で話す機会がなくてなぁ。そう言えば、ハンガイ・オルスでも最後まで顔を合わせなかったぜ」
「マイクもフェイ兄ィのこと……」
「疑わないわけにはいかねぇさ――でも、決め付けも良くねぇ。オレの耳に聞こえてきたアイツの話は、
いつだってイケてる名声だったんだぜ? セイヴァーギアも言ってくれたが、
ヴィクドのクソオヤジに転がされてるのかも知れねぇ。もしも、間違いをやらかしちまったんなら、
今すぐにでも止めてやらねぇとマジで取り返しがつかなくなるぜ」

 直接面識のないマイクも、フェイについては『セイヴァーギア』に比肩する英雄と言う印象しかなかった。
こうしてミーティングに参加するまでは邪まな気配すら感じなかったのだ。
 他ならぬ冒険王から背中を押されたような気がして、シェインは少しだけ表情を明るくした。
別の真犯人≠探しても良いと認めてもらえたような感慨すら湧いている。

「膝突き合わせて酒でも呑んでたら、もっとアイツの良いところを聞かせられるんだろうけどよ……。
でも、トチ狂ってムチャをするような男とは思えねぇな。
人伝の印象でしか話せねぇけど、オレも耳≠ノは自信があって――」
「――ンなことねぇッスよ。やっぱり、あいつはそんなクソ野郎だったんだ! 
何が英雄サマだよ! あいつはねぇ、シェインなんかよりもっとタチが悪ィんですよ! 
親子揃って村の人間を騙しやがって……グリーニャから追い出された逆恨みだぁ? 本ッ当、救いようがねぇカスだぜ。
グリーニャの恥さらしなんですよ、あんな野郎は!」

 それとなくフェイに対する敵愾心を和らげようとするマイクであったが、
横から割って入ったハリエットがこれを台無しにした。冒険王の言葉を蹴り飛ばした上に、
「グリーニャの恥さらし」とまで言い切ったのだ。
 先ほどシェインに向かって暴言を吐き、ハーヴェストから叱責されたばかりだと言うのに、本当に懲りない少年である。
 ハリエットの舌が回り始めると、叢雲カッツェンフェルズの仲間たちは、
最早、知らぬ顔を貫いて飛び火を避けることしか出来なかった。

「キミは確かシェインと同じグリーニャの……もし良かったら、オレにも詳しく事情を聞かせてくれねぇか? 
もしかしたら、そこに何か手がかりがあるかも知れねぇ。同じ故郷の仲間を恥知らずだなんて言わなくて済むかもだぜ? 
同郷のヤツをそんな風に言い続けるなんて、そんな寂しい話はねぇよ――なぁ?」
「まだまだ! まーだまだカスケイド親子の悪評は終わりゃしませんよ! 
いつ誰に襲われるか分からねぇから、シェリフに頼らず自分たちの力で村を守れるようになろうとかウンタラカンタラ――
高い月謝を目当てにワケわかんねー道場だか何だかを開いてねぇ〜。いや、これはおれも親から聞いた話なんスけど。
やり方が小ざかしいんスよ、あいつら。達者なのは口だけだったりして? 英雄って名声も、所詮は口で――」
「――るッせぇんだよ、グチグチネチネチとォッ! さっきから聴いてりゃ、てめェ、何様のつもりなんだッ!? 
あァん? てめェは何なんだッ!? 人から聞かされた話でバカみてぇに踊ってよォッ!」
「い、いや、だって親が……」
「誰から聴こうが関係ねぇんだよッ! そいつを疑いもしねぇでピーチクパーチクあちこちに吹きまくるッ! 
てめェの根性が癪に障るっつってんだッ! いいか、てめェみてーのを世間じゃクソ野郎っつーんだよッ! 
いつまでもおのぼりサン気取ってねぇで、ちったぁ周りを見やがれ、カスがッ!」

 なおも饒舌にフェイを謗ろうとするハリエットに対して、ついにフツノミタマが大爆発を起こした。
 椅子を蹴って立ち上がると、やんわりと諭そうとするマイクを押し退けて愚かな少年を大喝したのだ。
眉間に青筋を立てているあたり、余程、ハリエットの言動が気に食わなかったようである。むしろ、感心するわけがない。
 シェインのときに続いて二度目だが、今度はアシュレイも手を差し伸べてはくれなかった。
擁護する気力すら失せてしまう程にハリエットは暴言を重ねている。
 人格を疑われるような振る舞いを繰り返す少年など、果たして誰が助けるのだろうか。

「聴こえてねぇのか、聴く耳持たねぇのか、どっちなんだ、コラッ!? 
ことと次第によっちゃ、よ〜く回るその舌ァ、斬り取っちまうぞ? おォッ!?」
「あ、あう……あうあう……」
「斬り取って良いのか悪いのか、その返事も出来ねェのかッ!? 根性なんてもんは、とっくの昔に腐って落ちてるかッ! 
……ンなダセー大将に看板任せておくと思うか? ひとりでサル山のボスになりてぇかッ? 
えェッ? 裸のナントヤラで良いっつーのか、てめぇッ!」
「ひ、ィひぃぃぃ……」

 右手一本で胸倉を掴み上げられたハリエットは、今や完全に腰を抜かしている。
 「子ども相手にそないがなってどないするねん。そのくらいにしといたりーな」と、
ローガンがフツノミタマを諌めていなければ、見るも無残に粗相≠していたかも知れない。
 ローガンに宥められてようやくハリエットを解放したフツノミタマは、
自分の席に戻ると、如何にも不機嫌そうに瞑目してしまった。
以来、口も真一文字に結んでいるのだが、怒りの炎は消えていないらしく、
眉間に浮き上がった血管は休みなく脈動し続けている。
 無言の威圧にすっかり竦んでしまったハリエットは、床を這いずり回った挙げ句、ローガンの背後に隠れてしまった。

(……なんやろなぁ……フェイに同情してまうで……)

 ローガンもまたフェイの突然の狂乱に疑問を感じていたのだが、
ハリエットの言行を目の当たりにして、その考えが徐々に変わりつつある。
 仮にジョゼフが仮説した通りの妄念にフェイが取り憑かれたとすれば、
ハリエットのような人間が彼をそこまで追い詰めたのではないか――と。
意趣返しとは、動機となる怨恨なくしては成り立たないのだ。

 フェイと言う男がBのエンディニオンに於いて如何なる存在なのかを見届けたヴィンセントは、
「気分を害したら、すまない」と前置きを述べつつ、アルフレッドと視線を交えた。
 深紅と瑠璃、ふたつの眼差しが交わった。

「フェイ・ブランドール・カスケイドは本当に信じるに足りる相手なのか? 
……いや、この際、遠回しな言い方はやめよう。正常(まとも)な人間なのか?」

 さしものアルフレッドもこれには絶句した。ヴィンセントに悪意がないことは彼にも解っている。
それでも、計り知れない衝撃が押し寄せ、その心を打ちのめしていった。
 ワーズワースに暴動の種を蒔いた第一容疑者とされているフェイ・ブランドール・カスケイドの人格と言うものを、
ヴィンセントは熟知しているわけではない。それ故、疑義の根源を身内たるアルフレッドに確かめたかったのである。
より厳密な審議の為に、だ。
 それはつまり、ヴィンセントにとってフェイ・ブランドール・カスケイドは
狂人以外の何者でもないと言うことを意味している。
 「狂人」と言う状態をフェイの基準として定め、数値を足し引きしているに過ぎなかった。
この場合の数値≠ニは、人格の異常を指し示す度合いと言うことになるだろう。

「……コクラン、あんたは身内を狂人扱いされて……それで平然としていられるか……?」

 暫時の沈黙の後、アルフレッドは喉の奥より声を搾り出した。
質問に対する明答にはなっていなかったが、これが今の彼には精一杯であった。

「……すまない、カスケイド氏を卑しめるつもりじゃなかったんだが――」

 アルフレッドを傷付けたものと思ったヴィンセントは、すぐさまに頭を垂れた。
 これは実に繊細な問題である。ヴィンセント自身、口に出すべきか否か、寸前まで葛藤していたのだ。
会ったこともない相手の人格を疑い、あまつさえ身内に真偽を質そうと言うのである。
許し難い愚弄だと首を絞められる事態も覚悟していた。苦痛を伴うような侮辱だったと提訴される展開すら考慮していた。

「――しかし、今は一切の私情を捨てて欲しい。お前さんがゴネても、回答(こたえ)を拒否っても、
カスケイド氏が銃器問題の容疑者と言う事実は変えられないんだ。……ライアン、この問題に向き合ってくれ」

 アルフレッドにフェイと向き合うよう突きつけながら、ヴィンセントは己自身にも逃げ出すことを許さなかった。
 己の一言一言がアルフレッドを精神的に追い込んでしまうことも解っていたが、
心を鬼にして詰問を続けなければならないのである。
 この一件が遺恨となり、新たに結んだ信頼関係に亀裂が入るかも知れない。その確率は相当に高い筈だ。
二度と目を合わせて貰えないような状況に陥るのは怖いが、
心の震えを押してでもフェイのことを調べ上げる責務がヴィンセントにはあった。
使命にも似たものを心の奥底にて滾らせているのだ。

「フェイ・ブランドール・カスケイドは正常(まとも)なのか、それとも狂っているのか。
ライアン、お前の脳はどんな答えを弾き出す? ……どう見える≠フかは、敢えて訊かないぜ」
「……コクラン……」

 並々ならない緊迫感に圧されて誰もが沈黙する中、
深紅と瑠璃の眼差しは一ミリたりとも逸れることなく交錯し続けている。
 ジョゼフもヴィンセントに加勢しようと考えたのだが、一瞬の後に、それは軽率だと思い直した。
ここで自分がフェイを貶める発言などしようものなら、アルフレッドは間違いなく私情に走ることだろう。
そして、郷愁と言う名の幻想に益々凝り固まってしまう筈だ。
 ヴィンセントは完全な第三者の視点からフェイと言う人間を捉えている。英雄の名声にも囚われずに、だ。
これによって、兄貴分(みうち)を客観視する機会を初めてアルフレッドにもたらしたわけである。
 あるいは、アルフレッドが郷愁と言う名の幻想から解き放たれる好機となり得るかも知れない。
ヴィンセントの言葉ではないが、真の意味でフェイに対峙して欲しいとジョゼフは常々考えているのだ。

「……あたしも話すべきかどうか迷ったんだけどさ――アル、あんたはあの人を尊敬してるんでしょうけど、
向こうはそうは思ってないかも知れないわよ」
「……どう言う意味だ、向こうは=c…だと? 何が言いたい、トリーシャ」
「一方通行の信頼は痛い目を見るだけだって言ってんのよ」

 最初に沈黙を破ったのはトリーシャだった。今こそフェイの周辺で起こった善からぬ風聞を伝えるべきだと
意を決したのである。
 それは、嘗てフィーナにだけ耳打ちしていた懸念事項(ないよう)である。
 セントカノンでの訣別以来、アルフレッドとフェイの間には只ならぬ気配が常に垂れ込めるようになった。
 例えば、グドゥーに於ける大敗後のことだ。仮の陣屋に参集した諸将の前でフェイは弟分を冷たく突き放している。
ハンガイ・オルスの闘技場にて繰り広げられた三つ巴の決闘では、背筋が凍りつくほどの敵愾心を滾らせ、
英雄らしからぬ所業に及んでいた。
 アルフレッド自身、敬愛する兄貴分から目の敵にされていることは分かっていた。
致し方なかったとは雖も、それだけの侮辱(こと)をフェイにしてしまったのだから、嫌われて当然だと割り切っていた。
それでも、自分だけは今までと変わらず「フェイ兄さん」と呼び続けようと、心に誓っていたのだ。
 今は道を違えてしまったけれど、いつかは必ず和解出来る――アルフレッドは同郷と言う絆を信じて疑わなかった。
 しかし、次にトリーシャが口にしたことは、その淡い期待すら粉々に打ち砕くものであった。

「……合戦に負けた腹癒せなのかどうかは分からないけど――
グドゥーの砂漠から逃げ帰ってきた後さ、あの男、あんたのことを大声でコケにしまくったって言うわよ。
悪口って言うか恨み節なのかしらね。……多分、あいつがアルに持ってるのは恨みよ。信頼なんかじゃない」

 この忠告自体は以前にも彼女から聞かされていた。そのときは根も葉もない風評だと
取り合う気も起こらなかったのだが、何しろ今は状況が違う。胸に突き刺さる痛みも違う。
 同郷の弟分を口汚く謗るなど英雄とは思えない言行である。これは狂気に基づく暴走とも言い換えられるだろう。
 しかも、だ。アルフレッドの評判を落とす為の陰口や吹聴ならばいざ知らず、
フェイは独り言のように罵詈を喚き散らしていたと言う。
その場に置いてあった椅子などへ当り散らしながらの暴挙であったらしく、最早、正気の沙汰とは思えなかった。
 これらの情報はラトクよりもたらされたものだ。自分が取材したかのように朗々と語ったトリーシャは、
一区切り付けた後、ちらりとラトクの顔色を窺った。
 トリーシャの目配せに気付いたラトクは、押し黙ったまま軽く頷いて見せた。
 恨みを買ってしまったと言う危機意識≠ゥら冷静な――否、冷徹な判断力を引き出すことについては、
ラトクにも異存はない。いずれにせよ、今のままではアルフレッドは使い物にならないだろう。
 当惑の色に染まったアルフレッドの双眸は、最早、どこに焦点が合っているのかも分からない。
 兄貴分の不興を買ったと言う意識はあったが、しかし、恨まれているとは夢にも思わなかった。
 不興と恨みは、紙一重のように見えて全く異なる感情の働きだ。少なくとも、アルフレッドはそのように捉えている。

「……恨み、か。核心に迫ったんじゃね〜の、こりゃ」
「イエスイエス、メンのロジカルってデリケートだけどシンプルだしィ? 
そんでもってボキがルックした限り、彼はカントリー丸出しのピュアなボーイだったからネ。
何かトリガーがあったら、スッテンコロリンでショ」

 ヒューとホゥリーは何かを悟ったようだが、ふたりの話もアルフレッドの耳には入っていなかった。

「ルディアもあの人が怖くて仕方なかったの。いつもは全然気にならないの。ただのハンサム君なの。
……でも、時々、急に地獄の悪魔みたいに見えるときがあったのね。
最後に会ったときなんて、あんまり怖くて、動けなくなって……心臓が氷になっちゃったんじゃないかって思ったの」

 トリーシャの話を聴く内にフェイと対面したときの印象を想い出したのだろう。
相手が稀代の英雄であるにも関わらず、ルディアは最後まで「怖い人」としか思えなかった。
 サミット会場やセントカノンで顔を合わせたとき、彼女はフェイと言う男に対して例えようのない恐怖を感じていた。
感情ではなく本能が危険を訴えていたのだ。
 そのような恐怖は、大型クリッターと遭遇したときにも、両帝会戦へ加わった折にも感じたことがない。

「あのとき≠ゥぁ……うーん……言われて見ると、確かにあのときのフェイ兄ィは普通じゃなかったよ。
自分より年下の子どもを手加減なくふっ飛ばしちゃうんだもんなぁ」
「ルディアを子ども扱いだなんて、シェインちゃんってば良い度胸なの。レディの恨みを思い知られてやるのっ」
「ばーか、そんなこと、話してる場合じゃないだろ」

 出来ることならば、シェインはフェイの潔白を証明したかった――が、
その兄貴分がルディアを突き飛ばしたことについては、どうにも庇いようがなく苦しげに頭を?くばかりだった。

(それが狂気の始まりだったと言うのか? 凶兆だったと……?)

 ふたりの少女が話した内容(こと)に、アルフレッドの心はまたしても揺さぶられた。
 特にトリーシャの話によるダメージが最も大きい。
自分が兄貴分から恨まれているなどとは、一度たりとも考えなかったのである。
 さりながら、「身に覚えがない」とは言い難い。セントカノンでの訣別からここに至るまでの経緯を振り返れば、
怨恨の念を抱かれていてもおかしくはなかった。
 それが敵愾心の根源であり、三つ巴の決闘の折にも叩き付けられた殺意の正体であったわけだ。

(俺がフェイ兄さんを壊してしまったのか……?)

 いつか必ず和解出来る――そのような期待はアルフレッドの独り善がりでしかなかったようである。
 狂気の核に怨恨が宿っているとすれば、フェイは間違いなく正気を失っている。
即ち、正常(まとも)な思考能力を欠いていると言うことだ。
 ソニエやケロイド・ジュースも去った今、フェイを止められる者は誰もいない。
アルカークの掌の上で転がされ、過ちを犯してしまっても何ら不思議ではなかった。

『フェイ・ブランドール・カスケイドは正常(まとも)なのか、それとも狂っているのか』

 ヴィンセントの問いかけが鼓膜に蘇った瞬間、アルフレッドは心臓が大きく脈打つのを感じた。
早鐘を打つような鼓動は、今や刺すような痛みを伴っている。
 声ひとつ発せられないまま俯くアルフレッドに向かって、「下向いて黙ってるときじゃねぇ!」と叱咤が飛ばされた。

「お前はエルンストの軍師なんだろ!? 連合軍の行く末を決めたのだってお前だろッ!?
何の為に戦っているのかを見失うなッ!」

 声の主は、何とダイジロウである。
 驚くテッドを尻目にアルフレッドのもとへ歩み寄ったダイジロウは、彼の腕を掴んで椅子から引っ張り上げ、
「しっかりしてくれ!」と、その双肩を叩いた。

「シラネ……」
「お前が抱えてる事情は、大方、分かったよ。この先、辛ェことになるってのもな。
でも、そんなことで潰れるようなタマじゃねぇだろ。付き添いとは言え、俺も例の軍議には出ていたんだぜ。
……史上最大の作戦を仕切れるのはお前しかいねぇんだ! もう一度、そいつを自覚しろッ!」

 叱り飛ばすような、励ますような――アルフレッドの肩へと置かれた掌には様々な思いが込められていた。
 今でこそファラ王の庇護下にあるが、元々、行く当てのない難民であるダイジロウやテッドは、
Bのエンディニオンへと迷い込んだ折に家族と生き別れていた。
 ファラ王やクレオパトラが捜索に力を尽くしているようだが、未だに消息が不明なのだ。
 狂気に冒されたフェイがワーズワースへ仕掛けたものと同じ暴挙を繰り返していけば、
いずれは彼らの家族にまで危害が及ぶだろう。
 そのような事態にも関わらず、ダイジロウは決して私情を口にしなかった。
生き別れた家族のことを思えば、フェイの存在は断じて看過出来ない筈だ。

「ギルガメシュをブッ倒す――それが俺たちの合い言葉だろ?」

 今、ダイジロウは、連合軍の一員としてアルフレッドを鼓舞している。
 それは私情よりも大局を重んじようとする覚悟の手本に他ならない。

『お前はギルガメシュを潰すために大掛かりな作戦を練ってるわけだ。
フェイひとりにかまけてちゃ、大事なところを見失いかねないだろうが。私情にとらわれて目ェ曇らすなっつってんだよ』

 フェイを野放しにしておくことで何が起こるのか――そのことへと考えが及んだとき、
嘗てイーライより掛けられた言葉がアルフレッドの脳裏に蘇った。
 ワーズワースへと赴く直前、フェイの動向を尋ねた折に報告と共に与えられた忠告である。

「合い言葉ならもう一個あるわ! ワーズワースでは届かなかった手を、今度こそ差し伸べられるように! 
……どんなときでも懸命に生きている人たちを弄ぶ外道なんか、あたしは絶対に許さないッ!」

 アルフレッドの心中を知ってか知らずしてか、
ダイジロウに続けとばかりにジャーメインも勇ましく『合い言葉』を上げた。
決してワーズワースの悲劇を繰り返してはならないと、強く強く、拳を握り締めている。
 この場に居並ぶ誰もが彼女と同じ志を秘めているのは間違いない。
ヴィンセントが厳しい態度を取り続けるのも、救えなかったワーズワースへの思いが根底にあるからだ。

「今度こそ敵方の好きにはさせ申さぬ。世界の隔たりを超えて育むしこの縁(えにし)、
我らの魂に懸けて守り抜きましょうぞ! これぞ我らの戦でござるッ!」

 ボスたちとの約束を胸に秘める守孝も勢い良く立ち上がり、「今度こそ手を差し伸べ申す」と合い言葉を反復した。
 彼の言う敵とは誰か――最早、ギルガメシュのみを指してはいないのだろう。
 『敵』なのだ。難民排斥を謀るアルカークも、その走狗に成り下がったかも知れないフェイも、
いずれも見過ごすことの出来ない大敵であった。彼らの行動は史上最大の作戦を揺るがすものに他ならないのである。
 難民に対する無慈悲な攻撃は、人道的な面からも許し難いが、何よりもギルガメシュへ利を与える行為なのだ。
彼らが殺戮に走れば走るほど、世論はギルガメシュが謳う「難民保護」に傾いてしまうだろう。
ワーズワース暴動によってその大義が揺らいでいる今、ギルガメシュに挽回の好機など与えてはならなかった。
 銃器流入問題の第一容疑者であり、今後も同様の事件を引き起こす可能性が高いフェイは、
史上最大の作戦へ影響が及ぶ前に粛清する必要があった。
 反ギルガメシュ連合軍の逆転を賭した作戦を乱す者は、誰であろうとも粛清すべしと提言したのはアルフレッド当人だ。
兄貴分(みうち)などと言う事情は関係なく、直ちにフェイの排除を斬り捨てなくてはなるまい。
 そうでなければ、史上最大の作戦を承諾した諸将に示しがつかない。
即ち、雌伏する連合軍の士気を左右する事態と言うことだ。
 フェイ・ブランドール・カスケイドは、今やふたつのエンディニオン共通の大敵と成り果てていた。
 ハブールの民を破滅に招いたフェイを見逃せば、それはニコラスたちと結んだ絆を否定することにも繋がるだろう。
それどころか、シェインとジャスティンを引き裂いてしまう。熱い言葉で鼓舞してくれるダイジロウや、
武技を競ったテッド、浅からぬ縁を感じつつあるヴィンセントとも同じ道を歩めなくなる。
 そして、ボスたちと交わした再会の約束を断ち切ることになってしまう。

(……そんなことが……出来るものかよ……!)

 人としての情では、どうしてもフェイのことを敵とは認識出来ない――が、
理知の部分ではヴィンセントに返す言葉は既に決まっていた。
 最初から答えはたったひとつしかなかった。

(……フェイ兄さんを追跡し、逮捕する……そして、粛清を――)

 史上最大の作戦を妨げる者は、何人(なんぴと)たりとも見逃すことは出来ない。
そう宣言するべきなのは解っている。取るべき手段さえも解っている。
 それなのに、「粛清」の二字を言葉として紡ぐことが出来ない。
心の軋みに、人としての情に、忘れえぬ郷愁に――アルフレッドは引き止められてしまうのだ。

(……フェイ兄さんだぞ……)

 憎まれていても恨まれていても、世界中の誰もが彼を敵だと見做していても、
敬愛する兄貴分との想い出をなかったことには出来なかった。
 使命と心を割り切ってしまうには、アルフレッドとフェイは親し過ぎたのである。

「――私たちでやろう。フェイさんが本当に裏で糸を引いていたのか、私たちで突き止めるんだ」

 深い闇の如く懊悩するアルフレッドの鼓膜を、凛然たる声が打った。
 何者にも揺るがし難いほど強い意志の力と、痛ましいくらいの覚悟を漲らせた声が、
アルフレッドの心に垂れ込めた闇を吹き飛ばし、光明を以って進むべき道を示していった。
 アルフレッドに道を開いたのは、フィーナである。
 ジャーメインや守孝が勇ましい声を上げる最中、徐に立ち上がった彼女は、
決意の光を宿した双眸でもって皆の顔を順繰りに見回していた。

「これは私たちの戦いなんだよ」

 フィーナに抱えられたムルグも、呆けたようにその顔を仰いでいる。
 今までに聞いたことのない声色であったのだ。友達の名前を呼ぶ嬉しそうな声、家族と話す愛らしい声、
山盛りの白米を前にして蕩ける声、アルフレッドの気持ちが分からないと嘆いた涙声、
他の皆を守れるなら自分が傷付くことも厭わない戦士としての吼え声――
パートナーが発する声をムルグは何よりも好んでおり、全て心に刻んできたのだ。
 そんなムルグでさえ今し方の声は全く記憶にない。近しいものすら思い当たらない。
英雄伝説にて語られる救国の士の如き凛々しさを帯びていたのである。
 その凛とした声は、居並ぶ皆の心を掴んで離さない。彼女の師匠たるハーヴェストでさえ思わず瞠目した程だ。
 フェイの堕落を受け入れられずにいるカミュは、「本気……なの?」と悲嘆にも近い声を上げたが、
フィーナは些かも揺らがず、「私たちにしか出来ないことだから」と力強く頷き返している。

「フェイさんと私たち、縁もゆかりもない他人じゃないよね? 
マコシカの集落でも、リーヴル・ノワールでも、サミットのときも、あの砂漠だって――命を懸けて一緒に戦った仲間だよ。
仲間が間違いを犯そうとしているときに手を差し伸べないなんて、そんなことは絶対に有り得ないんだ」

 フィーナにとってもフェイの所業は許せるものではない。
ハンガイ・オルスで仕出かしたとされる狂態などは、耳にした瞬間に身の毛が弥立つほどの戦慄を覚えたものだ。
 それでも、恐怖に圧されて逃げ出したいとは一瞬たりとも考えなかった。
 フェイ・ブランドール・カスケイドと言う存在が無限の闇に成り果てたと言うのなら、
光の弾丸でもって漆黒の渦を裂き、輝ける前途(みち)を示したいと思った。
 これは決して退くことの許されない戦いなのだ。エンディニオンの未来へと続く戦いなのだ。
 今のフィーナは『SA2アンヘルチャント』を、リボルバー拳銃のトラウムを手にしてはいない。
しかし、エメラルドグリーンの瞳は決意と言う名の照星を覗き込み、そこに己が為すべきことを見定めていた。
 凛として起つフィーナは、心にて銃爪(トリガー)を引こうとしていた。

「……で? 突き止めたら、どーするってんだ? フェイなんたらってガキがマジで主犯格だったら、
手前ェで兄貴分をブッ殺すってか?」

 ルディアを膝から下ろして立ち上がった撫子が、フィーナと視線を交える。
 フェイを討つのか――質そうとした内容そのものは過激だが、フィーナの決意を揶揄するような意図はない。
いざと言うときに銃爪を引けるか否か、その覚悟を確かめようとしていた。
 どのような形であれ、直接的にフェイと対峙すれば、血で血を洗う戦いは避けられないだろう。

「フェイさんが道を誤ってしまったなら、もう自分でも止まれなくなっているのなら――
そのときは身体を張ってでも食い止めるよ。フェイさんも私も、グリーニャで生まれ育った家族だもん。
何があっても、その絆は断ち切れないから……ッ!」

 敢えて生殺(せいさつ)の是非には言及しなかったが、鉄火を以って決着を図る事態へ陥ったときには、
迷いなくリボルバー拳銃を取るとフィーナは答えた。否、口に出して語ったわけではないが、
秒を刻む毎に輝きの増す双眸からは、それだけの決意が迸っているのだ。
 撫子にはそれだけで十分だったようだ。「暑苦しいヤツだぜ」と憎まれ口こそ叩いたものの、
フィーナの決意を貶めるような真似はしなかった。
 覚悟の程を認めたように、あるいは「自分も一緒に戦ってやる」と示すかのように、幾度か首肯して見せた。

「ふたつのエンディニオンが手を取り合って生きていける世界、その為に私たちは戦っているんだよ。
フェイさんのことだけじゃなく――きっと試練はこれからも続くと思うんだ。
一歩でも退いたら、もう取り返しが付かなくなる。一秒遅れる毎にたくさんの人が命を脅かされる……! 
……私たち、そのことをワーズワースで学んだよね?」
「守りながら戦うことの難しさも……だから! あたしたちは前に進まなきゃならないのよねッ!」

 フィーナの言葉にジャーメインが勇ましく応じる。

「手を取り合えるのは俺サマたちが一番良く知ってるぜ。誰が何を企もうが、こいつは絶対に曲げられねぇ! 
邪魔するヤツは、片っ端からエッジワース・カイパーベルトで跳ね返してやらぁッ!」
「ギルガメシュの目には難民と言う弱き身と映ろうが、それに甘んじるつもりはない。
小生たちも持てる力を尽くそう。共存の先駆けになれると考えただけで、柄にもなく心が昂ぶるぞ……!」

 共に手を取り合う為に――ダイナソーとアイルも力強く頷き返した。

「悲劇は絶対に繰り返させない。……ワーズワースでは届かなかった手を、今度こそ差し伸べるッ!」

 フィーナを突き動かすのは、やはり、ワーズワースで目の当たりにした悲劇であり、
救えなかった命に対する思いであり――

「昨日よりも今日、今日よりも明日、明日よりも明後日、その先の未来まで――
エンディニオンで生きるみんなに、ずっとずっと笑っていて欲しい。
……その為に戦うッ! 迷ってなんかいられないッ!」

 ――そして、エンディニオンに輝かしい未来を拓かんとする勇気である。
 フィーナは心の弾倉(シリンダー)に勇気と言う名の銃弾を込めていた。

「……フィー……」
「……大丈夫、アルだけじゃないんだよ。私だって怖い。何が待ち受けているのか、考えただけでも震えちゃうよ。
だけど、怖いからって目を背けたくないんだ。何もしなかったら一生後悔するよ」

 言葉を交わしながらアルフレッドのもとへと歩み寄ったフィーナは、彼の左手を取って強く強く握り締める。
両の掌で包み込んだのは、互いの体温を通して勇気を伝える為であろう。

「それに! シラネさんも言ったじゃない。この戦いはアルが軍師なんでしょう? 
それなのに何時までも下を向いてたらダメだよ。みんな、アルを頼りにしてるんだからね!」
「何しろ、こいつはエルンストの軍師だもんな。今更、降りるなんて言えねぇよなぁ」
「だから、それはお前の買い被りだ、シラネ。……だが、自分が何をすべきなのかは見つかったよ」

 アルフレッドは己の心が燃え滾るのを感じていた。フィーナが未来の希望を語る度に勇気が膨らみ、
靄のように垂れ込めていた迷いも苦しみも晴れていく。
 エンディニオンで生きる皆の為に戦う――唯一無二の志を想い出した彼に恐れはない。
ヴィンセントへと転じた目は、深紅の双眸は、最早、些かも揺れてはいなかった。

「フェイ兄さんがどのような精神状態なのか、結論はすぐには出せない。何しろ、今は情報が少な過ぎる。
だから、調査を進めよう。風聞ではなく確たる情報が欲しい。その上で結論を出したいんだ」
「――それで良いぜ。いや、お前にはそのやり方が似合ってるのかも知れねぇな」
「勿論、どんな事態≠ノなっても対処出来るよう抜かりなく備えておく。
これはエンディニオンの未来を占う戦いだからな。ヴィクドを討伐する算段もつけておかなくては……!」
「エルンストってのは、テムグ・テングリの親玉だったな。俺は会ったことはねぇが、随分と可愛がられたんだろうな。
……大した軍師っぷりだよ、ライアン」
「あんたまでからかうなよ……」

 アルフレッドの返答は、皮肉っぽい人間の耳にはその場しのぎのように聞こえたかも知れない。
 だが、ヴィンセントは決して承認を拒もうとはしなかった。彼の、いや、彼らの勇気を認め、尊重しようとしていた。
その口元には微笑すら浮かべている。

「――これより軍議を行なう」

 アルフレッドの呼び掛けに応じて仲間たちは部屋の中央へと机を固めていく。
筆記用具やBのエンディニオンの地図など必要なものを机上に運び終えると、皆でこれを取り囲んだ。

「一刻も早くフェイ兄さん――いや、フェイ・ブランドール・カスケイドの身柄を確保しなくてはならない。
相手はワーズワース暴動の第一容疑者だ。直接尋問が最優先。
その他、取引に使った物的証拠など手に入れられるものは全て集めるぞ。
ヴィクドの関与についてはディオファントスにも探りを入れよう」
「ソニエさんの行方も一緒に捜してはいかがでしょうか。……いいえ、何があっても欠かせない御方です。
それに、私はあの御方も心配でなりません。身も心も傷付いているのではないかと……」
「マリスの意見は尤もだ。おそらくケロさんも一緒にいるだろうから、有益な情報を得られる筈だ」

 遠慮がちに挙手したマリスの意見をアルフレッドは即座に取り入れた。
フェイのもとを去ったと言うソニエやケロイド・ジュースもまた重要参考人となるだろう。

「――あ! いっそ、フェイの野郎を指名手配にするってのはどうだ? 
丁度、シルヴィーもいるしよ、スカッド・フリーダムの力を使えば軽いべ?」
「ワレぁ、アホか。自分の立場っちゅーもんを弁えんかい。
表立ってドンパチでけへんから、ワレぁスカッド・フリーダムを抜けたんとちゃうんか。
なんや? わしらでフェイを追い掛け回せェ言うんかいな? アホも休み休み言いや、ジェイソン」
「いやいや、指名手配すんのはフェイの野郎だぜ。ギルガメシュじゃねーよ」
「と言うかですね、カスケイド氏を指名手配するのはもっとまずいんですよ。
連合軍の要人(かなめ)の手配書なんて出回ったら、ライアンさんの立てた作戦が一発で崩れ去るじゃないですか。
……私だって理解しているのに、ハンガイ・オルスとやらに居たあなたがどうして解ってないんですか」
「ジャスティン、そりゃあ、言い過ぎだよ。人間には向き不向きがあるだろ。
ジェイソンが細かいトコまで気付くタイプだって思うか?」
「高望みが過ぎましたか。反省します」
「よ、寄って集(たか)ってオイラをコケにしやがって! ……つーか、シェインが一番失礼なんだよなーッ!」

 的外れな意見を皆から責められ、すっかり不貞腐れてしまったジェイソンはともかく――
アルフレッドの呼び掛けによって再度の仕切り直しとなった話し合いは、途中の停滞が嘘のように活発である。
 直接、話し合いには参加しない叢雲カッツェンフェルズやミストに至るまで、
第一会議室へ居合わせた皆にフィーナの勇気が伝播していた。
 マイクやジョゼフはアルフレッドたちの奮闘を微笑ましそうに眺めている。
年長者の彼らがリーダーシップを取ることも出来ただろうが、この場は若い者たちに任せるつもりのようだ。

「あのコたち、すっごい掘り出し物じゃん。今のうちにスカウトしとく?」
「いや、……ロンギヌスなんかに閉じ込めちゃ勿体ねぇよ」

 カキョウの耳打ちに対して、ヴィンセントは首を横に振った。
妙にゆっくりとした仕草は、どこか未練を――カキョウの言葉へ頷きたいと言う本心を――感じさせた。
 両者の視線の先にはアルフレッドとフィーナの姿が在る。

(もしかすると、俺はとんでもない瞬間に立ち会ったのかも知れねぇな)

 「何をサボッているんだ、コクラン。あんたの知恵だって欠かせないんだぞ」と
声を掛けてくるアルフレッドに苦笑を漏らしたヴィンセントは、カキョウを伴って議論の輪に戻っていった。

「ワーズワースでは届かなかった手を、今度こそ差し伸べられるようにッ!」

 ヴィンセントたちを迎えたフィーナが件の合い言葉を唱え、皆もこれに応じて拳を突き上げた。




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