10.アカデミーと言う名の原罪‐U


 モルガン大司教が開いた晩餐会は、覇天組局長暗殺計画と言う大波乱を挟みながらも恙なく終了し、
招かれた賓客らも翌日には開催地たる高原別荘地を発っていった。
 暗殺計画に於いて討手を担っていたゲルハルト・ザッカーらは、
当面の間、パオシアン王国へ身を寄せることに決まった。
 モルガンの筋書きではゲルハルトらは覇天組に返り討ちにされていなければならなかった。
その死を以ってナタクに首輪≠嵌めるつもりであったのだ。
 しかし、ザッハークの闖入によって卑劣な企みは覆され、ゲルハルトらも生き長らえた。
これはモルガンとしても面白からぬ事態であろう。口封じを仕掛けてくる可能性も決して低くはなかった。
それ故にザッハークは責任を持ってテンプルナイトを保護すると申し出たのである。
如何に大司教とは雖も、『諸王の王』が治める国には手出しは難しかろう。
 ほとぼりが冷めた頃、ゲルハルトたちは留学生として陽之元へ赴くことになりそうだ。
その折にはシンカイが案内役を務めるだろう。無論、ザッハークも全面的な協力を約束している。
 計り知れない度量に心をときめかせたミダは、すぐさまにザッハークへ色目を使い始めたのだが、
それはともかく――パオシアンへ向かう一団を見送った後、ナタクたちも帰路に就いた。


 晩餐会にて発生した一連の事件と、大司教が繰り返し説いていた異世界との戦争について、
その一切を陽之元の総大将≠ヨ報告することをバーヴァナに確認したナタクは、
一先ず覇天組の屯所――『誠衛台(せいえいだい)』に帰還した。
 首都の一角に所在するこの屋敷は、覇天組の活動に必要な全てが揃えられている。
隊士たちが寝泊りする宿舎や事務所は勿論のこと、手術用の設備まで整った医務室、装備開発を行う工場、
更には識者から学問を教わる講堂までもが敷地内に納まっているのだ。
 逮捕者を入れておく留置場や取調室も当然ながら完備している。
 とりわけ大きな武道場からは絶えず威勢の良い声が洩れていた。
非番あるいは待機中の者は、ここで師範役から武芸の稽古を付けて貰うのだった。
 平隊士が槍を構えて守る門は外敵の侵入を跳ね返すほど頑丈な構造(つくり)となっており、
警察組織の拠点と言うよりは、一種の要塞の如き迫力を誇っていた。

 誠衛台に戻ったナタクは、荷解きもそこそこに主だった幹部を招集して軍議を開いた。
 副長と総長を伴って軍議の場に臨むナタクは、ワインレッドのワイシャツにループタイを締め、
その上から陣羽織を纏っていた。
 背に架け橋を模った紋章を縫い付けてある陣羽織は、肩から胸部に掛けて青い厚手の生地、
胸部からその下は浅黄染めの薄い生地と言う構造である。ドレスの裾にも見紛う下半分は蛇腹状となっており、
一定の間隔を置いて連続する折り返しは、何とも言えない趣を生み出している。
 陣羽織≠ニは古い時代に使われていた軍用のコートであり、現在では明らかに時代錯誤。
これをワイシャツの上に羽織った佇まいは、不恰好としか言いようがなかった。
 それでも敢えて陣羽織を纏うのは、これが覇天組局長としての平服であるからだ。
ラーフラやルドラが背広を着こなすのと同じ理由である。
 局長が陣羽織を纏って現れたと言うことは、この召集が土産話の披露ではないと隊士に明示したも同然。
事実、着替えを手伝った公用方――シャラと言う名の女性隊士だ――や、
ナタクと共に軍議の場に入った副長と総長も表情を引き締めている。
 覇天組の指針を左右する極めて重要な会合であることは明白であった。

 軍議にはナラカースラの姿も在る。彼が率いる四番組は、所謂、別働隊として機能しており、
屯所も誠衛台とは違う場所へ独自に構えているのだが、そこへ立ち寄ることもなく本隊に随伴し続けていた。
 軍議に参加するのは戦頭などの役付き≠ェ殆どであるが、平隊士からも幾人か呼び出されている。
そうした面々は覇天組創設以来の最古参であり、隊の財産として認められているのだ。
 シュテンたちと古い付き合いであり、現在は一番隊に属する女性隊士、イラナミもそのひとりであった。
短く切り揃えた髪型が表す通り、烈しい気性の持ち主で、些か協調性を欠くところもあるのだが、
遊撃隊の要であることは間違いがなく、重大な軍議には必ず参加している。
 無論、これはシュテンやホフリも同様である。平隊士ながらもナタクは必ず彼らに出席を求めていた。
それだけ局長の信頼が厚いと言うことだ――が、ホフリ当人は毎回のように居眠りしてしまい、
会合の後でルドラから厳しく叱られている。
 隊旗を守るアラカネは行軍に於いて常に先頭を務める為、出席しないわけにはいかない。
一所に留まり続けることが苦手な彼にとって拷問のような時間であり、
叶うことならば、今すぐ中座して武道場に駆け込みたいのである。

「――シュテンから聞いたぜ。おまえ、局長と一緒だったくせに主犯格を殺らなかったらしーな。
ブルッてんじゃねーよ、おまえらしくもねえ」
「……仕方ないだろ。流れでそうなっちまったんだ」
「かあ〜、日和ったんか。局長から許可まで貰っといてよぉ〜。
旗振ってる間に腑抜けたんじゃねーだろうなあ? なんなら、おれが気合い入れてやろーか? 
スパーリングで目ェ醒ましてやるよ!」
「また後で、な……」

 アラカネの場合、イラナミの参加によって引き止められている部分が大きかった。
彼女が同じ空間に居ればこそ、途中退席を留まっているわけだ。
 この女性隊士の前では、アラカネはいつもと違う表情を見せる。
余人には殆ど分からない程度の変化ではあるが、目元も口元も柔らかくなる。
「殺人依存症」とまで畏怖される男が、だ。
 旅先でもイラナミの為に土産を探しており、これをミダに見つかったときには、
地面に額づいてまで黙っていて欲しいと懇願したほどである。

「こんなトコでおデートの約束なんかしてんじゃねーよ。イヤミか、てめーら!」

 アラカネに戯れ付くイラナミを目敏く発見したシュテンは、歯軋りを交えつつ喚き声を上げた。
 彼は入れ込んでいた女性から絶縁のメールを叩き付けられたばかりであり、
男女の会話が耳に入っただけでも旋毛を曲げてしまうのだった。
 局長が留守中の出来事を公用方に尋ねただけでも、
「ナタクはいーよなー! オレはもうそんな風に話しかけることも出来ねーもん!」と噛み付いた程だ。
傍迷惑な不貞腐れ方としか言いようがなかった。
 そんなシュテンのことをイラナミは心底から嘲り笑っている。

「おまえのことも聞いてんぞ。局長の命が危ねぇってときにも女の尻を追い掛け回しやがって……。
見下げ果てたチンカスだな。昔っからなーんにも変わってねぇ。
そーいや、惚れたオンナにフラれてグレたんだっけなぁ。その頃のまんまかよ。
一ミリも進歩がないなんてキモいだけだぜ」
「う、うるせぇ! お前にオレの何が分かるんだよッ!」
「大抵はお見通しだぜ。だから、虫唾が走らぁ。そんなんだからロクでもねぇオンナしか寄ってこねーんだ。
……おい、アラカネからも何か言えよ。このチンカスによぉ」
「俺は……別に……」
「ほれ、見ろ! アラカネだって答えに困ってるじゃねーか! 
思い込みと決め付けで他人様の人格を語ってんじゃねーぞ、このズベ公!」
「おめでたい勘違いをしてんじゃねぇ。てめーがくだらねーカスってコトは再確認するまでもねぇだろうが」
「――だろ!? さすがはアラカネ、アタマがキレるぜ。
ガッコのテストで全教科零点連発だったバカとは出来が違うなっ! 
体育ですら調子こいてやり過ぎて、最低評価っつー筋金入りなんだぜ、このバカ」
「い、何時の話してやがんだッ! てめーだって赤点ばっかりだったじゃねーか!」
「何時の話も何も、生まれてこの方、てめーはそうやって落第人生送ってきただろ! 
トボけ方までノータリンだな! どうしたら、そこまでバカになれんのか不思議だぜ!」
「そのねちっこい言い方ッ! アラカネそっくりだな、オイ!」
「これをねちっこいと感じるてめーの感性を疑うってハナシだ! てめーもアラカネを見習え!」

 イラナミとシュテンは幼馴染みと言う関係であった。
長い交わりの中で互いに影響し合ってきたのだろうか、喋り方も何処か似通っていた。
 シュテンがアラカネと諍いを起こすのは毎度のことだが、
イラナミを相手に言い争う姿も誠衛台では日常の風景に溶け込んでいる。
 理詰めで追い立てるアラカネと異なり、似た者同士である所為か、
口論の内容も極めて幼稚で、その距離≠煖゚いように思えるのだ。
 そして、両者のやり取り――幼馴染ならではの距離感とも言える――にアラカネの顔が幾分翳る。
またこれを見つけたホフリが「イラナミちゃんはお前をお手本にしてるんだって。良かったでちゅね〜」と
冷やかすまでが日常茶飯事なのだ。
 当然、自分に向けられた揶揄を捨て置くアラカネではない。ホフリの顔面を右の五指にて掴み、
もがく彼を高々と持ち上げ、握力を全快にして締め付けるのだった。

「ア、アラカネさん、適当なところで解放してあげてくださいね?」
「ああ、分かってるさ。適当なところ≠ワでならやっちまって構わねぇだろ?」
「いえ、でも、あ、泡を噴かれていますけど……」
 
 小刻みに震え出したホフリを見て取り、大急ぎでアラカネを宥めたのは五番戦頭のサントーシャである。
 臀部にまで達するほど長い銀髪を左耳の上でひとつに結わえ、
レースワンピースとシフォンカーディガンを着こなす姿は、育ちの良い令嬢のようにも見えるが、
彼女とて歴(れっき)とした覇天組の隊士であり、戦いの場に於いては勇猛果敢に銃剣を振るうのだ。
 サントーシャが率いる五番組は『銃統隊(じゅうとうたい)』なる異名を持っており、
銃砲を用いた遠距離攻撃を一手に引き受けている。
 武闘組織≠フ標榜が示す通り、覇天組は近接戦闘を主軸に置いていた。
しかし、『北東落日の大乱』の末期に至って諸勢力が海外から最新の銃器を買い入れるようになり、
その過程で新設されたのが銃砲中心の五番組であったわけだ。
 余談ながら、戦局をひっくり返そうと銃砲の積極採用を推したのはバーヴァナであり、
覇天組も彼の導きによって編制の見直しに至ったのである。
 銃統隊の新設は、覇天組の戦術を抜本的に見直すことにも等しく、極めて難しい課題であったのだが、
戦頭を任されたサントーシャは仲間たちの期待へ見事に応えた。一から四番までの諸隊の近接戦闘を妨げず、
その上で敵陣を崩す射撃を実現したのだった。
 指揮官としての才覚は覇天組随一であり、他の戦頭とも異質な存在感を誇っていた。
 無論、サントーシャ当人の戦闘能力も他者に引けを取らない。
懐まで潜り込んでしまえば銃身を押さえ込むことも容易いと言う驕りは、
卓越した銃剣術の前に薙ぎ払われるだろう。
 サントーシャは件の晩餐会には同道しておらず、局長代理を任された公用方と誠衛台へ居残り、
覇天組本来の役目を果たしていたのだ。
 もしも、晩餐会に銃統隊のメンバーを伴っていたなら、余計なことを喋らせる前にモルガンを射抜けた筈――
これは副長の弁であるが、冗談めかした彼とは対照的にサントーシャは真剣に頷いていた。
 結局は未遂であり、且つ本当の狙いがナタクの生命とは別であったとは雖も、
隊士たちにとって局長暗殺計画が許し難い蛮行であったことは間違いない。


 局長の代わりに誠衛台の運営を預かっていた公用方――シャラは、
隊の行く末を左右するような事態にも関わらず、片が付くまで何ひとつ報せてこなかったナタクたちを
「ホウレンソウ≠ヘ何処に行ったのかな」と責め続けている。
暗殺計画が発覚した時点で急報するのが道理と言いたいわけだ。
 シャラが立腹するのは無理からぬ話であろう。企みの発覚から晩餐会当日まで三日も空いていたのだ。
その間に誠衛台から援軍を送ることも出来た筈である。
 ザッハーク・カヤーニーと言う幸運も重なって今回は切り抜けられたが、
モルガンが数百もの聖騎士を差し向け、尚且つ局長の生命を本気で狙っていたなら、
如何に覇天組と雖も、最悪の事態は免れ難かったであろう。
 陽之元首都の警備やテロリストの取り締まりと言う覇天組本来の任務を優先させる為、
また留守居の者たちに不要な心配を掛けない為、敢えてナタクは連絡を控えたのだが、
シャラに言わせれば、これは局長の思い上がりなのだそうだ。
 局長の窮地に援軍を出したからと言って、覇天組の任務が疎かになるわけがない。
ありとあらゆる事態を想定し、隊士たちは厳しい訓練を積んでいるのだ。
今回のナタクの判断は、そうした努力を否定し兼ねないのだった。
 それに、だ。解決後に危険な状況であったと知らされたほうが仲間たちはずっと苦しいものである。
『捨』の旗に志を託した同胞なのだから、苦しみを分かち合い、共に悩みたい。
何も話して貰えないと言うことは、つまり局長から信用されていないのかも知れない――
そのような落胆を隊士たちに与えてしまったら、士気は最低になるだろう。
 「隊士ひとりひとりの心を蔑ろにして、何が局長なのかな?」と批難されたナタクは、
何ひとつ言い返すことが出来なかった。シャラの糾弾は何もかも正しかった。
 近頃のナタクは、あたかも死に急ぐように無謀な戦いを繰り返している。
そのことも含めて、シャラは厳しい諫言を飛ばしたのだった。
 ナタクにとって一番堪えたのは、留守中の報告と諫言以外で口を利いて貰えなくなったことだ。
機嫌を取ろうにも、話し掛けただけでそっぽを向かれる始末である。
 この被害≠ヘアプサラスにも及んでいた。局長暗殺計画の情報を真っ先に掴んだ彼女にも、だ。
 口止めを言い渡したのはナタクであるが、応じてしまった時点でアプサラスにも責任は発生し、
それ故に覇天組結成前からの大親友であるシャラに冷ややかな態度を取られている。
 アプサラスはシャラのことを己の半身と呼び、とにかく可愛がっている。
つまり、溢れんばかりの愛情を注ぐ相手を悲しませてしまったわけだ。
心の痛手は計り知れず、ナタクの後頭部を杖(じょう)で叩いた程度では全く癒されない。
 軍議の場に赴いても、アプサラスは抜け殻同然であった。

 一方のナタクは局長の矜持から気を取り直し、着席した幹部たちを順繰りに見回していく。
古参隊士まで含めて隊の要が勢揃いしていた。
 無論、市中警護や別の任務へ出張っている者は、この中には含まれない。
アプサラスの片腕であるヌボコの姿も見当たらなかった。彼は二名の平隊士と共に遠国まで赴き、
そこで重要な調査を行う手筈となっている。ナタクらとも陽之元に向かう途上で別れていた。

(……今、艮家が復活しやがったら、本当に陽之元はひっくり返されるかも知れねぇ。
だから、早めに芽を潰さなきゃならねぇんだが、しかし――)

 愛息にまで無理をさせていると省みたナタクは、瞑目しながら深い溜め息を吐いた。
現在、ヌボコは艮家についての調査を請け負っている。
 数ヶ月前のことだが、艮家の人間が他国の地で生き延びていると言う情報を得ていたのだ。
族滅≠ニ言う手段を以って艮家に引導を渡した覇天組としては、断じて野放しには出来ない。
草の根を分けてでも探し当て、真偽を確かめようと言うのである。
 覇天組本来の任務だけでも大変だと言うのに、教皇庁の要請でギルガメシュと戦い、
異世界との間に戦争を起こさないよう警戒しつつ、更には旧敵の動向にまで神経を尖らせなくてはならないのだ。
 溜め息ひとつくらい零しても批難はされないだろう。
 気鬱を察したらしいシャラが心配そうな目を向けるが、ナタク当人と視線が交わった途端、
想い出したように顔を背けてしまった。この反応に局長は眉間に皺を寄せて呻いている。

(……ともかく、今は目の前のことに集中するしかねぇ――)

 幹部を招集する規模の軍議を執り行う場合、特別な部屋を使うことになっている。
『評定場』と呼ばれるその場所は、板張りの床に大きな円卓が設えられており、
隊士たちはここに着席して議論を交わすのだった。
 円卓の真ん中ではロングコート種のチワワが安らかな寝息を立てていた。名をミカボシと言う。
 以前はナタクの実家にて飼われていたのだが、何時の間にか誠衛台に住み着いてしまい、
今では隊士たちからマスコットのように可愛がられていた。
 自由に屯所を闊歩し、あるときはナタクの頭、あるときはミダやサントーシャの膝、
またあるときにはヌボコの後ろを随いて回っている。
食事の世話をしてくれるシャラには特に懐いている様子であった。
 最奥の壁際に目を転じると、そこには漆黒の装束が台座でもって飾られていた。
 フード付きのコートだ――が、各所に装甲と思しき鋼の板が縫い付けられており、
軍装の一種であることが窺える。
 白い襟には赤糸で持ち主の名前が刺繍されているが、そこに記されたのは局長のものではない。
『伍長』なる役職に『ショウリュウ』と言う名が添えられていた。
 覇天組の隊士たちを見守っているかのような黒装束は、至る所に銃弾の痕跡が散見される。
 そして、黒装束よりも更に後方――黒地に『捨』の一字を銀糸で刺繍した隊旗が壁に立て掛けられている。
旗棒は室内での掲揚に適した短い物に交換し、角型の頑丈な台へと差し込んであった。
 無骨な覇天組らしい殺風景な部屋であるが、窓の外に目を転じると、そこには見事な景観が広がっている。
 古びた井戸の周辺に白砂が敷き詰められているのだが、そこに美麗な紋様が浮かび上がっているのだった。
 中庭の井戸は枯渇してはおらず、覗き込めば冽水(みず)の気配が確かに感じられる。
改めて詳らかとするまでもないが、その水面には漣が立っている。
 一定の形を持ち得ない漣は複雑な紋様を作り出し、これを白砂が中庭へと映しているわけである。
 井戸から中庭への波及は見る人の想像力に委ねられるのだが、
まるで冽水の揺らめきが白砂まで伝達されたような景となっているのだ。
 古井戸を中心として円を描くように、しかし、細やかな波の形状まで砂紋でもって表現された中庭は、
誠衛台を訪れた客に感嘆の溜め息を吐かせている。
「風情」と言う二字は、この庭にこそ相応しいと絶賛する者も多い。
 評定場に入り、円卓の首座に就いたナタクは、件の晩餐会にて起こった事件とその経緯を
ラーフラが説明する間、窓越しに砂紋を眺めていた。
 評定場とは別の場所であるが、中庭に面した板張りの部屋に独り座し、
砂紋へ意識を落とし込みながら物思いに耽ることも多いのだ。
 それは無我の境地とも言うべき時間であった。
 混沌とした思考(かんがえ)を纏めるときには、決まって砂紋と相対している。
ナタクの脳は、今こそ無の時間を欲していた。
 尤も、現在(いま)は白砂を見詰めることなど許されない。全体会議の真っ只中なのである。
局長にあるまじき余所見は直ぐにルドラから咎められてしまった。

 総長が咳払いでもってナタクを諌める頃には、副長による報告も完了しており、
隊士たちはシャラから配られた資料を読み始めていた。
 その紙束は評定場の脇に堆く詰まれた段ボール箱より取り出された物が殆どである。
全ての頁に教皇庁の紋章が押されており、これによって本来の持ち主が明確に分かった。
 言わずもがな、持ち主はモルガンである。
ギルガメシュから譲り受けたと言う異世界≠フ資料――正しくはその複写だ――を、
頼まれてもいないのに誠衛台まで送り届けたのであった。
 迷惑にも程がある――が、神隠しの被害が際限なく拡大し、
また教皇庁の一部に侵略を是認する動きが見られる以上、
もうひとつのエンディニオンのことは知っておくに越したことはない。
 モルガンの話によれば、フゲンも異世界に転送されてしまっていると言う。
ナタクとて無関心を貫いてはいられないのだ。
 試合の最中に被害に遭ったMMA(総合格闘技)のイベント、『バイオスピリッツ』も、
嘗て拳を交えたジェームズ・ミトセの後継者も、現在は異世界に在る。
 覇天組としても他人事ではなかった。遠征の最中に神隠しに巻き込まれ、
本隊と離れ離れになると言う事態も大いに考えられるのだった。
 被害に遭わないよう対策を整えることは不可能に近いが、いざと言うときに如何に振る舞えば良いのか、
これを定める手掛かりくらいは見つけられるだろう。

「異世界へ転送されているのではないか――ですって? 
……そんなこと、神隠しが確認された当初から分かりきっていたことではないの。
この大司教、誰にでも予想の付くことを大手柄のように宣(のたま)うのね。
お里が知れるとはこのことだわ」

 ハクジツソの上役に当たる『技官』のイザヤは、シガレットを咥えながら書類の内容に難癖を付け始めた。
白衣の良く似合う理知的な女性であった。それでいて、双眸には強烈な知的欲求を煌かせている。
 銀髪に褐色の肌――ルドラやジャガンナート、サントーシャらと同じ祖先(ルーツ)に持つイザヤは、
右側のみ長く垂らしている前髪を掻き上げると、如何にも厭らしげにラーフラをせせら笑った。
 その間、彼女はシガレットを何もない空間へと突き出した。先端の灰は今にも崩れ落ちてしまいそうである。
 誰よりも早く反応したのは隣に座っていたハクジツソである。
すかさずアルミの灰皿を差し上げ、落下した屑を受け止めた。
 ハクジツソから見ればイザヤは上役ではあるが、さりとて主従のような関係は覇天組には存在しない。
頂点に立つ局長とて他の隊士とは同志的な結び付きでしかないのだ。
 それにも関わらず、ハクジツソはまるで従僕のようにイザヤに従っている。
どうやら、彼女ならではの上下関係≠ニ言うものを叩き込まれている様子だ。

「……高説を垂れる前に綱紀と言うものを考えぬか、イザヤ」
「くだらないわね。と言うか、つまらない男に成り下がったものね。
昔はもっとギラついていたのに、今では規律に縛られる番犬だなんて」
「自分の亭主をつまらん扱いして悲しくならんのか……」
「惚れた腫れたに人間的な面白味は無関係よ。あたしの場合、つまらなければつまらないほど、
相手のことが魅力的に見えてしまうのよね。本当に罪作りね、あなた」
「む、無茶苦茶なことばかり言いおってからにッ!」
「顔がニヤけているよ、ラーフラ君」
「……ルドラさん、ワシをからかう前にイザヤを注意してくれませんか……」

 イザヤを伴侶としているラーフラは、その姿に頭を抱えた。比喩でなく、本当に頭を抱えている。
 副長として隊の規律を守らねばならない立場なのだが、その伴侶が看過し難い振る舞いを繰り返しているのだ。
これでは他の隊士に示しが付くまい。
 当のイザヤは伴侶の憂鬱など気にも留めず、美味そうに紫煙(けむり)を吸い込んでいた。

「あ、あの――本当にイザヤ先生は異世界のことを最初から想像していたのですか? 
あまりにもスケールが大き過ぎて、私の脳(あたま)では理解が追い付かないのですが……」
「ちょっとした計算とありきたりな消去法よ、サントーシャ。
教皇庁が動き回っているのに地上には手掛かりひとつ見つけられない。
それならば、何らかの事情で異なる空間に紛れ込んだと考えるほうが、妥当且つ自然なのよ」
「そ、そう言うもの……なのでしょう……か?」
「尤も、原形を留めたまま転送されていたのは予想外だったけれどね。
位相が変わった瞬間に負荷で消滅したと考えていたもの」
「イソウって何でしょうか?」
「自分で調べなさい。あたしは技官であって教授じゃないのよ」
「あ、あうう……」

 モルガンから提供された資料も、イザヤの講釈も理解し切れず目を丸くするばかりのサントーシャを、
シャラが「大丈夫、大丈夫。このテの話はフツーの人は分かんないからね」と優しく慰めた。
 事実、先程の講釈を完全に理解出来た人間は、円卓には殆ど居なかったようだ。
シュテンとイラナミに至ってはサイエンスフィクションに置き換えて雑談に興じる有様であった。
 生真面目なハハヤは持ち得る限りの想像力を駆使し、異世界と言うモノの理解に励んでいる。
覇天組の任務とも無関係ではなくなるのだ。何が起こっても対処出来るように備えておこうと言うわけである。

「神隠しと僕らが呼んでいる怪現象ですが、ギルガメシュの転送装置とは何か関係があるのでしょうか。
モルガン大司教の話では、ギルガメシュは世界を跨ぐような機械を持っている――と、
そのように局長からは聞いています。だからこそ、僕らの手元にもこれだけの情報が届いたわけですが……」

 ハハヤの言葉を受けて、「だから、あいつらは何もかも知ってるんだよ! 
コイツは全部ギルガメシュの仕掛けたワナなんだって!」とシュテンが声を張った。
 彼は神隠し自体がギルガメシュの自作自演だと主張し続けている。
これは「オーバーテクノロジーの持ち主は必ず世界制服を企む」と言う突飛な解釈に基づいており、
アラカネには鼻で笑われたのだが、意外にもイザヤは「当たらずとも遠からず」と肯定的であった。

「ボケちまったんじゃないでしょうね、博士。バカの言うことを間に受けるなんざ、あんたらしくもねぇ」
「世界征服の陰謀云々に関してはあたしもアラカネ君に賛成よ。
『遠からず』と言ったのは、ギルガメシュが何もかも知っていると言う一点のみ。
……まず間違いなくギルガメシュは神隠しのメカニズムを解明している筈だわ」

 そのようにアラカネに答えたイザヤは、一拍置くように新しいシガレットに火を点けた。
 正確には火を点けた≠フはハクジツソである。イザヤが白い筒を取り出した瞬間、
精密機械のような速度でオイルライターを翳したのだった。

「ギルガメシュが量子テレポーテーションを実用化しているとも話したわよね?」
「物体を量子レベルにまで分解して、異なる場所に転送すると言う――」
「ハハヤ君は勉強熱心で結構ね。どこぞの鉄砲娘にも見習って欲しいわ」
「あ、あうううう……」

 イザヤの話にハハヤが頷く。ギルガメシュの副指令を追跡する最中に発見した転送装置から
部品の一部を持ち帰り、資料としてイザヤに提出したのだが、この折にはハハヤも立ち会っていたのだ。

「エンディニオンの彼方此方で起きている神隠しが量子テレポーテーションと同じメカニズムであれば、
シュテン君が言うようにギルガメシュは何もかも知っていたことになる。
……そして、生体だろうが何だろうが、一個の情報≠ノ変換し得る技術をギルガメシュは――
いえ、アカデミーは既に開発していた」

 イザヤの口から『アカデミー』と言う単語が語られた瞬間、評定場は水を打ったように静まり返った。
 「だから、やっぱり世界征服の野望なんだろ!?」と拳を突き上げようとしていたシュテンも、
喉まで出掛かった吼え声を飲み下したのである。

「アカデミーの研究拠点に残されていたデータとも合致しているのよ。
『ニルヴァーナ・スクリプト』と言ったかしら――質量を伴った物体あるいは生体を一個の情報≠ノ変換し、
異なる位相で再構築させる技術をアカデミーは何年も前から運用していたらしいわ。
この場合の情報≠ニ言うのは、所謂、構成データね。プログラムをイメージして頂戴な」
「そんなこと言われても、全然イメージ付かないんですが〜」
「情報の転送と言う点では、……そうね、強引な例え方をすると電子メールみたいなものかしら。
ああ、実体を伴うからメールよりファクシミリのほうが近いのかも知れないわ」
「それが量子テレポーテーション……なのですか?」
「正確にはアカデミーが打ち立てた仮説のひとつと言うべきかも知れないね。
システムとして実用化しているのだから、仮説も何もあったものではないだろうが……」

 ハハヤの言葉を受けるようにしてルドラが重々しく頷いた。

「さすがは総長。それとも、昔取った杵柄と言うべきかしら?」
「それを言うならキミも同じ≠セろう。……率直に訊きたい。奴らが神隠しを起こしていると思うかい?」

 目的はともかくとして、シュテンが言うように神隠しそのものがギルガメシュの主導であるのか、
ルドラはイザヤの意見も確かめたかった。
 今でこそ覇天組の技官を務めているが、彼女は『特異科学(マクガフィン・アルケミー)』と呼ばれる
学問の権威であり、同学会では百年に一度の大天才とも畏れられている。
ルドラも以前は同じ学問に携わっていたのだが、イザヤの頭脳には遠く及ばなかったのだ。
 それ故にルドラはイザヤに質さずにはいられなかった。
彼女ならば、神隠しの真相にも辿り着けると期待しているのだ。

「偶然にしては出来過ぎている――けれど、わざわざ怪現象を起こすだけの旨味が奴らにはない。
そのことは最前線で戦ってきたあなたたちが一番解っているはずよ」
「難民保護の一念だけはブレていないと言うわけね」

 腕組みしながら椅子に凭れ掛かるアプサラスは、イザヤの話を咀嚼するようにして、
ギルガメシュの大目的を振り返った。即ち、異世界に飛ばされて難民となった同胞の保護である。

「しかし、この現象が発生することを予知していたのは事実ね。
そして、そこには間違いなくアカデミーが一枚噛んでいる。
これもまた偶然にしては出来過ぎているのだけど、ギルガメシュが台頭し始めたのは、
神隠しが頻発する少し前だもの。……次元の法則にまで抵触するような怪奇現象を
単なるテロ集団が察知出来るわけがない。この予想、全財産を賭けてもいいわよ?」
「……イコール、ワシの全財産にもなるんじゃが」
「怯える必要はないよ、ラーフラ君。賭けはキミの奥さんの勝ちだ。いや、賭けにもならないと言うべきかな」
「あら? 嬉しいことを言ってくれるじゃない」
「イザヤさんが仰った通り、ギルガメシュとアカデミーの結びつきは私たちが一番に疑っていることじゃないか。
ギルガメシュ自体がアカデミーの下部組織じゃないかと、私は思っているくらいだよ」

 結果的に真相の解明には至らなかったものの、ルドラにとって――否、覇天組にとっては十分な収穫であった。
 アカデミーが――その名を聞いただけで覇天組に重い沈黙をもたらす組織が、
ギルガメシュの活動に於いて大きな役割を果たしていることは間違いない。

「話は分かった――」

 瞑目したままイザヤたちの話に耳を傾けていたナタクが、徐(おもむろ)に双眸を開いた。

「――イザヤ君、同じ装置を覇天組でも作れねぇのか?」

 ナタクの質問は極めて重大な意味を帯びている。
 ギルガメシュと覇天組は『技術力』と言う一点に於いて大きな差が開いてしまっていた。
彼らの標準装備であるレーザーライフル程度ならば容易く屈服させられるのだが、
世界を渡る転送装置となると話は別だ。
 そして、その装置が今後の戦いに如何なる影響を及ぼすのか、分かったものではなかった。
神隠しの逆回し――異世界の侵略によって力を付けた本隊が副指令の加勢へ駆けつける可能性も否定出来ない。
ならば、覇天組も同じ技術を確保してギルガメシュの利を潰してしまおうと言っているのだ。
 余りにも無茶であり、同時に乱暴な理論を述べたことはナタク自身にも解っていたが、
あるいはイザヤならば実現可能かも知れないと、その期待が躊躇を上回ったのである。
 技手として武装の開発にも携わっているハクジツソは、
ナタクの言葉に尻込みするどころか、「おもしれーこと、言ってくれるじゃん!」と、
頬から鼻にかけて紅潮するほど昂ぶっていた。
 イザヤ当人の反応は実に冷ややかである。「そんなことも分からないのか」とでも言いたげに頭を振っていた。
ハクジツソに対しては呆れ顔まで向けている。

「あたしの頭脳を以ってすれば不可能ではないわ。でも、資金はどうやって工面するのかしら? 
武装警察如きの蓄えじゃ部品を一個作っただけで破産よ。陽之元の国家予算を丸ごと注ぎ込んでも
実験まで漕ぎ付けないわね。仲良しになったパオシアンにでも出資を頼んだらどうかしら」
「仮に、だ。パオシアンに出資を取り付けたとして、実用可能な物が完成するまでどのくらいの時間が要る?」
「最速で五年。試運転には生体実験が欠かせないから、倫理面で引っ掛かるかも知れないわね。
裁判になることも計算に入れて、判決までひっくるめて五年。揉める度に一年ずつ加算されると思って頂戴」
「……イザヤ君の頭脳を以ってしても駄目か。その頃にはエンディニオン自体がどうなってるか分からねぇな」
「天才だから自分の限界も見極められるのよ。信頼を保つ秘訣は可能なことしか口にしないこと。
大体、あたしたちとギルガメシュでは初期の条件が全く違うわ。
アカデミーとの繋がりなど陽之元には何処にもない。……そんなルート、あたしは探したくもないわ」
「言うまでもなかろう。アカデミーなど……消息を探し当てるときは、ひとり残らず無からしめるときじゃ!」

 会話を締め括ったのはラーフラである。彼はアカデミーと言う組織名(な)を吐き捨てる際、
嫌悪と侮辱の念を込めていた。あらん限りの憎しみを、だ。
 円卓上で寝息を立てていたミカボシでさえ、ラーフラの吐き捨てた組織名に反応して飛び起き、
低く唸り始めたのである。彼もまたアカデミーに憤怒を抱いている様子であった。
 このままでは収拾が付かなくなると考えたシャラは、「おいで」とミカボシを手招きする。
彼女自身もアカデミーには怒りしか感じないが、さりとて唸り声を背景にしたままでは
議論も滞ってしまうだろう。シュテンあたりがミカボシに触発されないとも限らない。
 シャラの気持ちが通じたのか、匍匐前進するようにして円卓の縁まで移動したミカボシは、
そこから彼女の膝の上へと飛び移った。

「……なるべく想い出したくないもんね……」

 ミカボシの背を柔らかく撫でながら、シャラはナタクの面を窺った。
 半ば眼の落ちかけた双眸には昏い光が宿っている。
その様を見て取った瞬間にシャラは痛ましげな面持ちで俯いた。
 アカデミーの話になると、ナタクの瞳には決まって昏い光が燈ってしまう。
 それは排撃の想念である。滅多なことでは他者を否定せず、
敵対する相手にまで認められる部分や敬うべき部分を見出してしまうほど人の好いナタクが、
唯一、受容を拒むのがアカデミーと言う存在であった。

(……知的好奇心だけで人間の生命を弄ぶなんて――アタシだって絶対に受け容れたくないよ)

 シャラの意識は、覇天組とアカデミーの因縁の発端にまで遡っていた。
 何年か前のことになるが、ナタクはアカデミーに拉致され、実験台にされたことがあった。
陽之元で生まれ育った人間のみが身に宿すプラーナ――その原理を解析するサンプルとして、
当時から世界最強の呼び声も高かったナタクが狙われたのだ。
 ナタクを拉致したのはアカデミーの中でも特に急進的な一派(グループ)である。
プラーナと言う神人にも等しい異能(ちから)を得る為、
細胞片を採取するどころか、脳内にまで魔手を伸ばしたのだ。
 およそ人間とは思えない人体実験の影響か、一時はプラーナそのものを制御出来なくなった程である。
現在は完全に回復しており、ナタク本人は「思わぬ副産物≠ェあった」と笑い飛ばしているが、
彼を取り巻く人間は経過の確認にも神経をすり減らしたものだ。
 勿論、連れ去られたナタクを救出したのは覇天組の仲間である。
バーヴァナたちの協力も得てアカデミーの拠点を探り当て、総攻撃を仕掛けたのだ。
 覇天組による攻撃が始まるとナタク本人も速やかに行動を開始し、
己の身を実験材料のように扱った者たちへ死の報復を試みた。
制御の利かなくなったプラーナを一切の手加減なく発動させ、ついには辺り一面を焼け野原に変えたのだった。
 研究棟にイシュタルのレリーフを彫刻すると言う悪趣味極まりない施設であったと、シャラは記憶している。
生体実験を行う場所と創造の女神と言う取り合わせ自体が悪い冗談でしかない。
 彼(か)の機関は人間界に定められた倫理をも平然と踏み破るのだ。
アカデミーに所属する総員が人格破綻しているとは思いたくないが、
少なくともギルガメシュに良識を求めることは不可能に近いだろう。
 ギルガメシュに関与する者たちは、ナタクを拉致したのと同じ急進的な一派に違いない。

「――もうひとつ、注目したいのは、異世界同士を繋ぐような技術が本隊の独占状態ってところだな。
今までボクらは副指令の別働隊と戦ってきたけど、奴らの武装は極端に上等じゃなかったよね。
アカデミーの演習でも使われるようなポピュラーな品ばかりだった筈だ。
少なくとも、技術の格差を見せ付けられるようなものはなかった。……これって妙には思わないかい?」

 シャラの意識を追想(かこ)から現在(いま)へと引き戻したのは、軍師たるジャガンナートの話であった。

「ギルガメシュ内部で派閥がふたつに割れてる――ってコトかな、ガンちゃん。
主導権を握ってるのは本隊だろうから、別働隊には型落ち≠オか回ってこない、みたいな?」
「ゲットは話が早くて助かるよ。内通者とやらもそこら辺はボンヤリと濁してるけど、ボクはそう読んでる」
「生死に関わるような現場でそんな真似をされたら萎えるよなぁ。つーか、不満爆発じゃね? 
おれたちにとっちゃ大助かりだけどさ」
「上手いこと、操ることが出来れば、ふたつの派閥を同士討ちさせられるんじゃないかな。
テロ組織と仲間割れは切っても切れないからね。意見が割れたら、後はトントン拍子さ。
手っ取り早いドンパチって選択肢が目の前に転がっているんだもの」
「さっすがガンちゃん、考えることがドス黒いね〜っ! この性悪〜っ!」
「倫理もへったくれもないような連中に正々堂々と立ち向かう理由なんかないからね」

 ゲットも納得したように相槌を打っているが、オーバーテクノロジーの粋を惜しみなく投入する本隊に比べ、
別働隊の標準的な装備は貧弱と言っても差し支えがなかった。
 しかも、だ。覇天組の脅威に晒されていると言うのに武装強化の動きさえ全く見られない。
それ故、一時期のルドラは本隊の戦闘能力もたかが知れていると考えていたのである。
別働隊に回すだけの余力すら持ち得ないのだろう、と。
 内部の事情から両隊の間で不当に格差が開いているとすれば、
ジャガンナートが提言したように不満分子を煽動することも不可能ではなかろう。
覇天組にとっては戦局を一気に進められる好機であった。

「内部から突き崩すにしろ、外から踏み潰すにしろ、これから先のギルガメシュとの戦いでは、
この男がひとつの鍵になるかも知れないよ――」

 そう言って、ジャガンナートは一枚の書類を高々と翳した。

「『在野の軍師』?」
「本名不明だけれどね。どうやらボクと同じで性悪≠ンたいだよ」
「でもさ、見た目、かなりイケてるね?」
「……シャラ君、今、それは関係ねぇと思うんだが……」

 素っ頓狂なことを放言したシャラに溜め息を吐きつつも、ナタクは件の書類から目を離さない。
そこには銀髪の青年の画像が印刷されており、更に『在野の軍師』と言う大仰な見出しが添えられていた。
 ジャガンナートの掲げた紙切れ――補足資料も数枚ほど付けられた――を順に回し読みしたナタクたちは、
記述されていた内容に度肝を抜かれ、暫くの間、言葉を失っていた。

「……シュペルシュタイン大司教は真正の阿呆じゃったのか。
このような厄介者がおると知りながら、異世界と戦争して優位に立ち回れると思っておったのか……」

 ラーフラが漏らした独り言にはルドラも渋い表情で頷いている。
 モルガンが仮想敵と目している異世界――これにまつわる資料には、
彼(か)の地を席巻する諸勢力の概略も含まれていた。
 世界最強と名高い騎馬軍団を繰り出して版図拡大を推し進めるテムグ・テングリ群狼領、
強力無比な傭兵を輩出する武辺のヴィクド、武術の達人が集結したスカッド・フリーダム、
マスメディアを以ってして世界を実効支配するルナゲイトなど代表的な勢力が列挙され、
これらを率いる長についても相当な量の説明が書き添えてあった。
 いずれも英傑揃いである。ナタクが最も興味を引かれたのは、
テムグ・テングリ群狼領を統べるエルンスト・ドルジ・パラッシュと言う男だ。
 ギルガメシュの侵略に抗う大連合を呼びかけた張本人との呼称もある。
主将を務めた為、敗戦後は虜囚の身になったそうだが、
争乱の後も彼が生き残り、運よく機会に恵まれたなら、是非とも手合わせしたいと考えていた。
 エルンストと言う男は、ギルガメシュとの一大決戦では単騎で敵の本陣まで斬り込んだとされている。
それ程の傑物ならば、聖王流の相手にとって不足はあるまい。
 勿論、スカッド・フリーダムにも特別な関心を寄せている。
有志による結合――それ故に義の戦士と称している――と国家機関と言う差異こそあるが、
覇天組と組織の性格が似通っているようにも思えた。
 彼らの根拠地と言うタイガーバズーカは武術の達人が集まっているそうだ。
武芸の修行場が林立し、切磋琢磨に励んでいると言う。諸流派の交流戦も定期的に開かれているようであった。
 武術家にとって最良の環境であろう。文献を紐解くなど古流武術の研究も盛んであった。
 ひとりの武術家としても心惹かれるものがある。
同じ資料を読んだシンカイも「是非とも訪ねてみたいものだ」と昂揚している。

 一方、ジャガンナートが注目した『在野の軍師』も英傑のひとりに数えられるのだが、
しかし、異世界に於ける立ち位置そのものは異例と言うか不可思議であった。
 わざわざ在野≠ニ注釈されるように、彼は如何なる組織にも属してはいない。
ギルガメシュに故郷を滅ぼされて以来、離れ島の漁村に身を寄せているそうだが、
そこも海洋貿易の拠点と言う以外に変わったところはなく、世界の情勢に影響を与えることもなかった。
 忌むべき侵略を受けて焼け落ちた故郷も同様である。
ありふれた片田舎の農村であり、ギルガメシュが攻め寄せた意味さえ分かっていない。
 生まれ育った故郷も現在の拠点も、何の変哲もない。どこにでも居るような民間人にしか思えないのだ――が、
ここ数年の間に異世界で起きた大きな戦いには殆どと言って良いほど関与しており、
その都度、非凡な才能を発揮したそうである。
 「冴え渡る智略には、テムグ・テングリの総大将も舌を巻く」と添付資料には明記されていた。
予知能力を持った凶悪犯でさえ手足を?ぐように完封したと言う記述には、
さしものアラカネも「どうすりゃそんな芸当が出来んのか、教えて欲しいくらいだぜ」と唸った程である。
 委細までは判然としなかったが、反ギルガメシュ連合軍の全体会議に於いても大きな役割を果たしたと言う。
如何なる勢力にも属さないと言う特殊な立場でしか思い付けない秘策を示したのだ、と。
 それ故に『在野の軍師』と言う矛盾を孕んだ呼称が付けられたのであろう。
 そして、『在野の軍師』の智略は、殆どの場合、彼自身による実践を伴っている。
ギルガメシュとの直接対決では華々しい戦果を上げていると言うことだ。
 現在の住まいでもある漁村が襲撃された折には陽同作戦を指揮して敵を返り討ちにし、
砂漠地帯で繰り広げられた一大決戦では本隊と別に兵を動かし、海から攻め寄せて軍艦をも沈めている。
しかも、このときの主力は巨大船舶ではなく武装漁船であったと言うのだ。
 奇想天外な作戦立案と、当意即妙な采配によって、在野の軍師は圧倒的な劣勢を跳ね除けたのである。

「お主の目にはどう映る? 同じ軍師として、この男をどう見る?」
「さぁて、答えに困っちゃうな。単純な引き出し≠ナは完敗だね。
この子、陸(おか)の上のゲリラ戦から海戦まで全部ひとりで取り仕切ったんだよ? 
ワンマンアーミーも良いところじゃないか。こんなの、ボクには無理だねぇ」

 智謀を競って勝てるか否かとラーフラは訊ねているわけだ。
これに対して、ジャガンナートはおどけた調子で肩を竦めた。

「何言ってんのさ、ガンちゃんだって、それくらいは出来るじゃん」
「うむ。『北東落日の大乱』では何度か船戦(ふないくさ)もあった。
お前に作戦ミスなどなかったと記憶しているが?」
「いくらなんでも船の運航には詳しくないよ。『在野の軍師』と違ってね」

 ニッコウとシンカイから擁護の声を掛けられるが、ジャガンナート当人はこれを認めず、
首を横に振り続けている。

「ボクは全体の方針を立てることは出来ても、後は現場(みんな)に丸投げだろう?」
「それはだって、ガンちゃんがおれらを信頼してくれてる証拠じゃんか」
「ま、ニッコウの言う通りなんだけどさ。でも、『在野の軍師』とやらは正反対。
舵の取り方まで、かなり細かく指示を出してるみたいだよ。
……それは完全な専門知識。この子が海軍将校ならそれも納得だけど、加わった戦場は海だけじゃない。
ありとあらゆる状況に応じて、その都度、知識に裏打ちされた采配を振るっている。
各分野のエキスパートが分担することを、この子はたった独りでサバいてるわけさ。
向こうにMANAがあるのかは分からないけど、この分じゃ空戦もやってのけそうだよ」
「コイツと同じ状況になっても、ガンちゃんは上手いことやれるって。
今まで、どんな苦しい状況があっても何とかしてきたんだもん」
「イザヤさんの言葉を拝借するなら、自分の限界を見極めて、可能なことしか口にしない――ってトコかな。
ニッコウの言葉は有り難く頂戴しとくけどね」

 残念ながら、『在野の軍師』と全く同じ芸当はジャガンナートには出来ないだろう。
それは本人が一番良く解っていることだ――が、他者を真似する必要性を彼は全く感じていなかった。
 先程、シンカイも触れていたが、覇天組とて艦艇との戦いは経験している。
そのとき、隊士たちは甲板を主戦場に選んだのである。船から船に飛び移り、敵の懐へと飛び込んだわけだ。
 無論、全体の動きを取りまとめたのはジャガンナートである。
船の運航を指揮した『在野の軍師』と比べれば一目瞭然であるが、同じ海戦でも方法論自体が違う。
そもそも、『最凶』の二字で恐れられる武闘集団では艦隊戦など必要としていないのだ。
身ひとつで敵に肉迫する――これぞ覇天組の基本戦術と言うものであった。
 だから、ジャガンナートは劣等感など持ち得ない。己の能力が劣っていると落ち込む理由もない。
 不遜なまでに堅牢な装甲と、圧倒的な火力を備えた巨大戦艦にさえ、
陽之元が誇る最強の戦士たちは平然と飛びついていく。
如何にして彼らの戦闘能力を最大まで引き出すか――これを練ることが覇天組の軍師の役割なのである。
 ワンマンアーミー≠ノならなくとも、仲間との絆があれば十分と言うわけだ。

「『在野の軍師』もギルガメシュを敵に回してる。故郷を焼き討ちされたのだから、それも当たり前かな。
……ボクらのほうで上手く転がせば、ギルガメシュを引っ掻き回してくれるんじゃないかな」

 「モルガンのやったコトとあんまり変わらないから、気乗りはしないけどね」と言い添えるが、
『在野の軍師』を利用しない手はなかった。ギルガメシュを共通の大敵としている以上、
彼もまた覇天組の武器≠ニなり得るのだ。
 ジャガンナートの発言を受けて、「やっぱし性悪では、ウチの軍師が一枚上手か」と、
ゲットは腹を抱えて笑った。
 応じるジャガンナートも口の端を厭らしげに吊り上げている。
 知識の量と作戦家としての優劣は、必ずしも一致するわけではない。
そもそもだ。軍師の才覚とは、その錬度を競うものではなく、戦いの勝敗を占うものである。
必勝の作戦が立てられるのであれば、それこそが才能≠ネのだ。
 そして、『在野の軍師』はギルガメシュに差し向ける当て馬≠ノ最も適していた。
極めて優れたワンマンアーミー≠ヘ、必ずや敵軍を撹乱してくれるだろう。

「その『在野の軍師』がこちらのエンディニオン≠ノ渡ってきた可能性もあると言うわけ、ね――」

 資料の一枚を読んでいたアプサラスが、「後でヌボコにも伝えなくては……」と独り言を漏らす。
 彼女の手に在る紙切れには、そのように記されていた。
 ふたつのエンディニオンを繋ぐ転送装置は、つい最近も起動されたばかりであった。
大掛かりな転送を行ったと言うことだが、それは荷物のやり取りなどではない。
転送装置を使ったのは外部からの侵入者である。
別働隊を叩くべくもうひとつのエンディニオン≠ヨ突入を図ったそうなのだ。
 その中に『在野の軍師』も混ざっているのだと、内通者は伝えてきたわけである。
転送装置への侵入も彼の主導によるものと見て間違いあるまい。
 生き馬の目を抜くような奇策であるが、それだけ相手も逼迫しているのだろう。
密かに開発が進められていると言うギルガメシュの最終兵器を完成前に阻止することが目的なのだと、
書類には明記されていた。
 それは、人間の精神に働きかけて殺戮する大量破壊兵器を指している。
「精神感応兵器」とも呼称されるものであった。
 その存在は覇天組も把握している。以前に踏み込んだギルガメシュの拠点にて設計図の複製を入手したのだ。
『福音堂塔』なるコードネームが振られたことも確認していた。
 ギルガメシュ本隊の侵略に脅かされている異世界の人間にとっては、まさしく最悪の事態であろう。
人体に作用する電波を発し、脳に過負荷を与えてショック死させる――このような兵器が完成してしまえば、
抗戦自体が不可能になるのだ。
 そのような事態へ陥る前に行動を起こすのは、自明の理と言うものであった。

「……上手いこと大司教の思惑に乗せられたみたいで、何だかあんまり面白くないなぁ」

 書類を読み終えたミダが円卓に頬杖を突きつつ溜め息を漏らした。
これを見て取ったナラカースラも「全くだぜ」と肯いている。

「利用出来る駒だろうが何だろうが、『在野の軍師』も異世界の人間に変わりはねぇ。
……これで覇天組は異世界ってもんを厭でも意識せざるを得なくなっちまった」
「だよね〜、ここまでが大司教の敷いたレールって感じだよね〜。ホント、顔以外にイイとこなかったね、あいつ」
「そんなカッコ良かったんですか?」
「お、シャラちゃん、食いついてきたね〜。私も直接は会ってないんだけど、
教皇庁のホームページに顔写真が載ってたから、後で一緒に――」
「――あ、うんっ、あ、後で楽しみましょう、ミダさん。
ルドラさんが地味にこっちを睨んでるので、はい……」

 ナラカースラが指摘したことについては、ジャガンナートも苦々しく思っていた。
 モルガンの仕掛けた卑劣な罠を切り抜け、テンプルナイトの一件もやり過ごすことが出来たのだが、
結局は教皇庁が操り易いよう首輪≠掛けられてしまった。
 依然として隊は陽之元本国に帰属しており、手綱を引くような強制力までは教皇庁も持ち得ないが、
意識の面に於いて、覇天組は異世界と相対することになったのである。
一度、植え付けられた意識と言うものは、容易に取り除けるものではない。
 このような事態を予測出来なかったことを、ジャガンナートは密かに悔やんでいた。

「要はレールを吹っ飛ばすような暴走特急になりゃいいってコトだろ? 
そういうのは得意じゃねーか。おれたちゃ、泣く子も黙る覇天組なんだぜッ!」

 ジャガンナートの鬱屈を吹き飛ばすかのように、イラナミが勇ましい吼え声を上げた。
シュテンと一緒になって立ち上がると、天に向かって拳を突き出し、
「教皇庁、何する者ぞッ!」と仲間たちに呼び掛けていく。
 イラナミとシュテンに触発されたのか、シンカイも椅子を蹴倒すような勢いで起立し、
「異議なしッ!」と拳を握り締める。温厚なハハヤまでもが「やりましょうッ!」と後続した。
 軍議の最中、ずっと居眠りしていたホフリは周囲の大声によって目を覚まし、
殆ど反射的に立ち上がったが、当然ながら状況など解っておらず、面には困惑を貼り付けていた。
 目覚ましの代わりとばかりにイラナミから後頭部を殴られるホフリであったが、
こればかりは自業自得としか言いようがなく、誰にも慰めては貰えなかった。

「ガンちゃんの心配も分かるけど、いつものようにおれたちを信じてくれてりゃ、それでイイからさ」
「……ニッコウ……」
「次に後悔すんのは教皇庁のほうだよ。覇天組を舐めたらどうなるか、たっぷり教えてやろうぜっ!」

 円卓に突っ伏して悶絶するホフリはともかく――ニッコウもイラナミの呼び掛けに応じた。
 事態(こと)ここに至った以上、最も必要なのは陰謀に負けない気概である。
仮に首輪を嵌められてしまったなら、手綱を振り解くほど逞しさを見せ付ければ良いのだ。
いずれは教皇庁も思い知るだろう。生半可な小細工など覇天組には無意味なのだ、と。
 苦境を前にして落ち込むどころか、逆に昂揚する仲間たちの姿を見て取ったジャガンナートは、
口元に安堵の微笑を浮かべた。
 間もなくナタクも「イラナミ君の言う通りだ」と立ち上がり、腕組みしながら円卓を見回した。
そこに在る頼もしい仲間たちを順番に見回していった。

「この先、何が起きても俺たちは教皇庁の犬にはならない。そして、教皇庁の犬にも負けねぇ。
覇天組の魂を教皇庁に見せてやれッ!」

 局長の宣言を受けて、隊士たちは「応ッ!」と猛々しく拳を突き上げる。
誠衛台に集った勇者たちの気骨を、ナタクは心の底から誇りに思っていた。




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