2.不満分子

 朝靄に硝煙が混じっていた。
 新しい朝を迎えたのだから、心身を引き締める為にも清廉な空気を肺一杯に吸い込みたいところであろう。
だが、炎の余韻さえ燻るこの場に於いては、深呼吸ひとつしただけでも噎せ返ってしまうに違いない。
 口惜しいとしか言いようがなかった。周囲を天然自然で囲まれた山荘は、
その立地からも分かる通り、風も水も草木も清浄であり、
これらに触れているだけで俗世の毒≠ニ言うものが抜けていくように思えるのだ。
 果たして、それは錯覚などではなかった。何ら混ざり気のない生命の息吹は、
心が疲れ果ててしまった人間に「生きること、育むこと」を強く問い掛ける。
生きとし生ける存在(もの)が必ず分かち合えることを、だ。
 自分は生きている。生きていけるんだ――天然自然からの問いかけを通じ、
生命と言うものを実感したとき、俗世にて疲弊した心は癒され、
或る者は元居た場所へと還り、また或る者は新たな道を見つけて歩き出すのである。
 特にこの世界≠ヘ天然自然そのものが極端に稀少だ。それだけに心へ訴える力が強い。
生命の息吹が人間の一番深い領域(ばしょ)まで響くのだ。
 しかし、件の山荘へ集った者たちの心だけは、決して癒されることがないだろう。
生命の息吹は喉を焼くような硝煙に飲み込まれており、普段の清らかさなど僅かも残ってはいなかった。
 山荘は――否、山荘であった筈の建物は、今や瓦解寸前と言った有様であり、各所に破壊の痕跡が見られた。
木材を基調とした壁には数限りない弾痕が刻まれ、粉砕された窓ガラスからは黒煙が吐き出されている。
 併設された物置小屋は全く焼け落ちてしまい、在りし日の原形など止めてはいない。
周囲に灰が舞っていることから、先刻、鎮火したばかりであることが窺えた。

 残骸同然と化した山荘を背にして、十数名の者たちが庭の真ん中に陣取っている。
尋常ならざる集団であることは、幾人かの掲げるノボリ旗を見れば瞭然であろう。
そこには「世直し」などと大書されていた。
 社会に対して抑え難い不満を持ち、革命を志向する一党であることは疑いようがなかった。
 決死の覚悟の表れであろうか、皆揃って白い鉢巻を締め、手に手に散弾銃などの武器を携えている。
 彼らが正面切って睨み据えるのは、山荘を攻撃してきた相手である。
更に状況を詳らかにするのであれば、この物騒な集団を鎮撫するべく駆けつけた武装警察――と言うことになる。
 『捨』の一字を銀糸で刺繍した旗を掲げ、又、漆黒のプロテクターを用いる武装警察は、
「世直し」を宣言する一党の半分以上を既に逮捕していた。
 見れば、白い鉢巻を締めた二十人ほどの男女が庭の片隅にて力なく項垂れているではないか。
彼らの手首には鋼鉄の輪が――手錠が嵌められ、すぐ近くで武装警察のメンバー二名が
逃走を許すまいと目を光らせている。
 銃砲の痕跡が生々しい庭に陣取り、件の武装警察と睨み合いを演じる者たちは、
まさしく最後の抵抗と言うわけだ。あるいは、戦いに敗れて追い詰められた残党と言う呼称もある。
 ただ社会への不満を訴えるのみであれば、警察機関から攻撃されることなどない。
せいぜい一時的に身柄を拘束され、事情聴取を受ける程度である。
その上で犯罪性の有無が検められ、危険と見做された場合は正式に逮捕の手続きが取られるのだ。
 しかし、山荘に集った者たちは違う。明らかなテロリズムを帯びており、対処に緊急を要する手合いであった。
 「山荘」と言うだけあって、此処は高山の只中に位置している。
危険分子の潜伏先には相応しい場所と言うわけだ。建物の所有者も「世直し」を掲げる構成員である。
 麓には小さな集落が在る。その集落では数日前から収穫祭の支度が進められていた。
山間にて慎ましく暮らす人々にとっては、一年に一度の大きな催しである。
 「世直し」を掲げる一党は、そのささやかな祭りを襲う計画を企てていたのだ。

「『教皇庁(きょうこうちょう)』と言う癌が蔓延る限り、
義挙は何処でも起こり得るのだと世の中に示す。それが此の度の目的だ。
大いなるイシュタルの名を騙り、エンディニオンを我が物とする背教者を、これ以上は許しておけん。
万民の怒りを奴らに思い知らせるのだ!」

 最後の抵抗者の中央に在って、憤然と胡坐を掻く主犯格の男は、自分たちにこそ義があると主張し続けている。
彼らの言う「世直し」とは、国家に対する叛逆とは異質のようだ。
 エンディニオンと言う世界に於いて、誰もが胸に秘めている創造女神への信仰――
これを司る機関の在り方に彼らは激怒し、そのやり場を見つけられずに思い詰め、
ついにはテロリズムと言う忌むべき手段を採ってしまったのである。
 村祭りを襲撃すると言う企ても、アウトローの如き略奪ではなく社会に対する問題提起が狙いであった。
そして、自分たちのような義挙を世界中の人間に促そうと言うわけだ。

「貴様らもおかしいとは思わないのか!? 女神の威光を嵩に着て、世界を好き勝手に弄ぶ教皇庁をッ!
それだけならまだしも、奴らは聖職の地位を売り物にしているッ! 信仰を司る者たちがッ! 
……腐り切っている! 土台から腐っているッ! そんな連中に舵取りを任せていれば、
いずれエンディニオンは取り返しの付かないことになるッ! 目を醒ませ、貴様らッ!」

 自分たちに手錠を掛けるべく駆け付けた武装警察に向かって、主犯格は社会正義を問い掛けた。
世を憂う者たちの想いを斬り捨てることが、エンディニオンと言う世界を悪しき方向へ導いてはいないか、と。
 山荘に集った者たちは、己の掲げる「世直し」こそが絶対的に正しいのだと信じて疑わない。
そこまでの信念が有ればこそ、凶行と言うよりほかないテロリズムを選んだのであろう。

 主犯格と差し向かいの形で座している男は、「世直し」の根拠を静かに受け止めている。
主張そのものには決して反駁せず、テロリストの妄言などと無碍に撥ね付けることもなく、
ひとつの意見として対等に向き合っていた。
 漆黒のプロテクターの上から白い外套を纏ったその男は、
瞼が半ば落ちかけてはいるものの、双眸に宿る光は強く、瞳の奥には深い慈悲を湛えていた。
 彼こそが武装警察を率いて山荘を攻め落としたリーダーである。
 左頬へ斜めに走った一筋の傷跡が極めて印象的な男であった。異常なほど血の色が濃い古傷は、
顎の裏を抉り、鼻先へ到達する寸前で止まっている。
 白い外套が古傷の色を一等際立たせているようにも思えた。
 こちらも年季が感じられる。あちこちに飛散したどす黒い斑模様が返り血であることは疑いようあるまい。
裾は擦り切れ、胴を覆う部分には大小の穴が等間隔で穿たれている。
言うまでもなく銃撃を受けた痕跡であり、焼け焦げた箇所が白地に映えて生々しかった。
 外套の背面には銀糸で『捨』の一字が刺繍されているが、
これは「既に生命を捨てた身」と言う意思の表れなのかも知れない。
生地の色合いや損傷の状態が合わさると、さながら亡霊の如き様相となるのだ。
 傍らに軍配団扇を置いてある。柄(え)の左右に扇形の金属の板を両翼の如く嵌め込み、
表面が黒く塗装されていた。
 この金属の板には表裏がある。表の面には「微欲」、「貫誠」、「克己」、「大志」の四語が
銀字で刻印され、裏の面には九つの星を模る紋様が浮彫り細工にて表現されていた。
二枚の板を跨ぐ形で中央に大きな星を置き、その周囲を八つの小さな星々が取り巻いているのだ。
これらの星は円を以って描かれている。
 両翼≠フフチは更に金属の枠を嵌めてあった。この部分は鋭利に研ぎ澄まされており、
作戦指揮の道具としてだけでなく手斧の如く振るうことも出来るだろう。
 柄の底には百と八から成る香木の連珠が結ばれており、戦闘に於いてはこれを腕に巻き付けるのだった。
 額にはプロテクターと同色の鉢巻を締めており、布地の端には銀糸でもって所属と名前が刺繍されている。
リーダーの鉢巻には『局長(きょくちょう)』なる役職名が記されていた。

「成る程、な――」

 そう言って、『局長』は己の髪を弄んだ。
 長く伸ばした後ろ髪を首の付け根のところで縛っているのだが、
それが肩を通って胸元まで流れ込んでおり、無意識の内に毛先を摘んだのである。
 『局長』が率いる武装警察は、「世直し」を自称する企てを一週間ほど前に掴んでいた。
 先程から主犯格の男が罵っている組織――『教皇庁』がテロ計画の情報を提供して来たのだ。
「ギルガメシュに忠誠を誓う一党が山間部に潜んでいる」と。
 教皇庁の言う『ギルガメシュ』とは全世界に宣戦布告した一大テロ組織である。
「世直し」を志向する一党もこの組織の支援者だと言うのだ。
 そして、教皇庁は情報提供と併せて、ギルガメシュ支援者の追討を武装警察に要請している。
 事態を重く見た『局長』は、監察と呼ばれる密偵を放って捜査を開始し、
その過程で村祭りの襲撃と言う許し難い計画に行き当たった次第である。
 教皇庁から提供された情報について、確実な裏付け捜査を済ませた上で討伐へ乗り出すつもりであったが、
テロ計画が発覚した以上は悠長には構えていられない。自ら突入部隊を率いて現地に乗り込み、
山荘に先制攻撃を行うことを決定したのだった。
 補佐役たちの助言を容れた『局長』は、計画決行の朝に奇襲を仕掛けた。
朝霧が垂れ込める中、茂みに紛れて山荘まで近付いた突入部隊は、
先ず銃砲の斉射によって威嚇し、相手の混乱を見極めたところで屋内へと踏み入ったのだ。
 無論、山荘側も抵抗は試みた――が、心身共に無防備である時間帯を襲われたこともあって隊伍は乱れ、
三〇分もしない内に鎮撫されてしまった。
 テロ組織の支援者と言う割には戦闘に関して全くの素人であり、
かき集めたと思しき散弾銃の使い方さえ知らない者が殆どだった。
攻めかかった武装警察の側にとっては拍子抜けも良いところだ。
 攻撃を受けた側は混乱の中で物置小屋に火を点け、これによって武装警察を焼き殺そうと図ったのだが、
炎を前にして怯むような軟弱者に突入部隊など務まる筈もなく、結局、足止めにもならなかった。
 山林へ延焼する前に火は消し止められ、最早、最後の抵抗者を残すばかりとなった
 降伏も勧告したが、主犯格は決して首を縦に振ろうとはしない。
最後のひとりになっても信念を貫いてみせると息巻いている。
 勇ましいことは勇ましいのだが、この奇襲攻撃による死傷者はひとりとして出ていないので、
彼の雄叫びは空回り以外の何物でもない。
 その上、最後の抵抗は『局長』の計らいで武力衝突ではなく話し合いとなっている。
このような状況下で「最後のひとりになっても戦う」と吼えても、他者の目には自己陶酔にしか見えないわけだ。
 さりながら、ひとりとして人的な被害が出ていないと言う事実は、
話し合いへ持ち込むに当たっては特に重要な意味を持っている。
 仮に死傷者が出ていたなら、主犯格は『局長』の声になど耳を傾けず、本当に死に物狂いで抗戦した筈だ。
仲間たちが無事であったればこそ、なけなしの判断力も働くと言うものであり、
それ故に自分たちの置かれた状況を認識出来たと言うわけだ。
 最早、逆転し得る可能性はない。そうなった以上、リーダーは仲間の生命に責任を持たなくてはならなかった。
信念は尊いものの、依怙地になって武器を構えたところで無駄な犠牲者が出るばかり。
先方が示した話し合いに応じれば、誰も失わずに戦いを終えられる可能性もあるわけだ。
 勇ましい言葉は虚勢に過ぎないが、その選択には批難されることなど何ひとつない。
 自ら武器を捨てて地べたに座った主犯格を見て、『局長』も「アタマ張ってるだけのことはあるぜ」と
安堵の溜め息を吐いたのである。
 山荘を奇襲する直前、『局長』は仲間たちに「事情聴取が済むまで絶対に殺すな」と号令を発したのだが、
どうやらその機転が功を奏したようだ。
 無論、武装警察が腕利き揃いでなければ、このような措置など取ることは出来なかった。
戦いの中で山荘は半壊状態に陥り、物置小屋に至っては全焼しているのだ。
それにも関わらず、死傷者をひとりも出さなかったのは、圧倒的な強さで暴徒を屈服したからに他ならない。

 戦いそのものは終息しているのだが、しかし、危機が完全に去ったと言うわけでもない。
抵抗者の中には今も猟銃を抱えている人間がおり、罷り間違って発砲などされようものなら、
事態は最悪の結末を迎えることだろう。
 第一に標的になれるのは、「世直し」の主犯格と差し向かいで座っている『局長』だ。
幾ら説得を試みる為とは雖も、敵前に己が身を晒す『局長』のことを部下たちは心配そうに見守っていた。

「――教皇庁の犬めッ!」

 主犯格に倣って地べたに腰を下ろした直後、抵抗者のひとりから『局長』に向かって、
そのような蔑称が浴びせ掛けられた。
 武装警察の中でも血の気の多い者たちは『局長』を愚弄されていきり立ったが、
これは左目を二枚重ねの布切れで覆う男が「局長の顔に泥を塗るでない」と鋭く制した。
 鼻の下から顎先、両頬に豊かな髭を蓄えたその男は、鉢巻に『副長』と刺繍されている。
言わずもがな、『局長』の補佐役のひとりであった。

「誰の差し金でここまでやって来たんだ、貴様ら。いや、聞かなくとも分かる。
……教皇庁に歯向かう者は誰彼構わず咬み殺す忠犬が!」

 同志の言葉を受けて、主犯格も軽蔑の念を込めて『局長』を睨(ね)めつけている。
 教皇庁の差し金で武装警察が動いたと言うことは誤りではない。
彼(か)の組織の要請を受けて出動したのも事実であった。
 しかし、「教皇庁に歯向かう者」を標的にしていると言う点は完全なる誤解であり、
「忠犬」などと呼び付けられることは心外である。
 武装警察が不倶戴天の大敵と見做しているのは、ギルガメシュと言う名のテロ組織だ。
高らかに「世直し」を叫ぶこの一党がギルガメシュに通じているとの報せがあったからこそ、
こうして出撃したのである。
 ところが、だ。面と向かって彼らの話を聞く内に教皇庁の情報が誤りであったことが確認された。
彼らは教皇庁に手向かいこそすれ、ギルガメシュに同調するつもりなど毛程もない。
危うく武装警察は取り返しの付かない失態を演じるところであった。
 あるいは、教皇庁が悪意を以って情報を捻じ曲げたのではないかと『局長』は分析している。
ギルガメシュとその支援者は問答無用で倒す。それが彼の率いる武装警察だ。
そうなることを踏まえた上で、敢えて誤った情報を混ぜたと言う次第である。
 教皇庁の障碍を武装警察に潰させるとすれば、不倶戴天の敵≠フ名を利用するのが最も都合が良い。

(……反吐が出るぜ……)

 教皇庁のやり方に不満を抱き、「世直し」の義挙を図ろうとした一党こそが正しい。
そのように『局長』には思えてならなかった。
 山荘の企てを潰滅させた『局長』自身が、教皇庁の在り方に納得していないのである。

「……お前らの言い分はわかった」

 主犯格との対峙に至るまでの経緯を心中にて振り返っていた『局長』は、
長い溜め息と共に深々と首を頷かせた。
 ギルガメシュの支援者ではないことが確認されたのだから、これ以上、戦火を交える理由はない。
村祭りの襲撃を企てていたことは糾弾しなくてはならないが、幸いにも悲劇は未然に防がれている。
 後始末はともかくとして、此の地に於ける戦闘は全て終わったのだ。

「女神イシュタルの御名を盾にやりたい放題やってる教皇庁が気に食わねぇのは俺たちだって一緒だ。
そんな世の中を直してェって気持ちも分からなくもねぇ。だがな――」
「――教皇庁の犬が何をほざくッ! 我々の何が分かると言うんだ!?」

 『局長』の話を「世直し」の主犯格が大変な剣幕で遮った。

「私の父は『ガリティア神学派』の神官だった。階級の売り買い、一部教区の優遇――
こんなことが繰り返される今の教皇庁に我慢がならず抗議の声を上げたのだ。
正しい抗議だぞ!? ……しかし、教皇庁の答えは、父の除籍と永久追放だったッ!」

 「世直し」の旗のもとに集った者たちは、主犯格と同じような目に遭わされてきたのだろう。
教皇庁による屈辱的な仕打ちを思い出したのか、嗚咽する者も散見された。

「少しでも教皇庁を善くしたいと願う気持ちを踏み躙ったのだッ! 
何が聖職だッ! このように腹の底まで腐った連中が神々の守護者を気取っているッ! 
これ以上の背徳があるものかッ! ……否ッ! 断じて否ぁッ!」
「教皇庁を牛耳っておるのは、お主の父上と対立する宗派――『ヨアキム派』じゃな。
話の流れで確かめさせて貰うが、お主が憎んでおるのは教皇庁か? 
それとも、ガリティア神学派を冷遇する対立宗派か?」
「如何にも教皇庁の犬に似つかわしい単純な発想だな。何でもかんでも二元論で片付くと思うなよ」

 主犯格の男は、口を挟んだ『副長』のことを無知蒙昧とでも言うようにせせら笑った。

「ヨアキム派にも親しい友は大勢いる。それどころか、義挙の同志にもヨアキム派は多い。
……我々が許せないのは、あくまでも教皇庁。人々の信仰を食い物にする悪魔たちだッ!」

 主犯格の男は、改めて「世直し」の義を主張した。
教皇庁に対して毅然と反抗を示すことこそ、エンディニオンに生きる人間として最も正しい決断である、と。
 そして、武装警察の『局長』を睨み据えると、改めて「教皇庁の犬」と罵った。
 当の『局長』は反駁ひとつ挟まずに「世直し」の主張を受け止め続けている。
腕組みをしながら、ただ静かに主犯格やその同志たちを見つめている。

「ご期待に添えなくてすまねぇが、生憎と俺たちはギルガメシュを潰す為にあの連中と手ェ組んでるだけだ。
忠誠を誓ったつもりなんざねぇよ。そもそもよ、こっちは教皇庁お抱えの聖騎士じゃねぇんだ。
……今度の一件だって、お前らがギルガメシュの同志と疑われたから出張っただけなんだぜ。
結局のところ、誤報だったんだけどよ」
「じゃから、言うたではないか、局長。裏≠取ってからにせぬかと。
留守居の総長からお小言を貰っても知らぬぞ」
「そうも言ってらんなかっただろ。どっちみち、これで一件落着だ」
「……我らを教皇庁に引き渡して褒美に与(あずか)るわけか」

 『局長』と『副長』の会話に耳を澄ませていた「世直し」の主犯格は、
「ご主人様に気に入られなければ、餌も貰えないのだから苦労するな」と、厭味混じりで鼻を鳴らした。

「アホか。教皇庁にそこまでの義理はねぇよ。これで解散。お前らも好きにしていいぜ」

 ところが、『局長』は誰も想定していなかったことを口走った。
山荘に集った者たちばかりではなく、武装警察の面々とてこの言動は予想すらしておらず、
皆、揃って目を瞬かせている。
 唯一、『公用方』と鉢巻に刺繍された女性だけは『局長』の行動に得心がいったらしく、
「だって、こーゆーことを言いそうじゃん、局長」と皆を宥めて回っていた。
 栗色の長い髪を襟足のところで二房に分けて縛り、これを朝の風に靡かせている。
髪を結わえる桜色のリボンが愛らしい顔立ちを一層際立たせていた。

「す、好きにして良いと言われても……」
「『好きに』っつっても、やっぱり麓を襲いますなんて言いやがったら、
今度こそ待ったナシでブチのめすからな? 本当のテロリストには容赦しねぇぜ」
「い、いや、そ、それは……」

 「世直し」の主犯格は、未だに自分たちに向けられた言葉の意味が判っていない。
脳が合点や理解と言った処理を拒んでいるかのようだ。
頭が真っ白になってしまうほど、『局長』の行動には驚愕させられたわけである。
 未遂とは雖も、テロ行為を企てた者たちを『局長』は無罪放免しようとしているのだった。
 重大な結論にも関わらず、余りにもあっさりと言ってのけるものだから誰も彼も当惑の極みに陥り、
どのように反応して良いものか、困り果てていた。

「……局長、それは如何なものじゃ。仮にも武装蜂起を進めてきた者たちじゃぞ。
せめて地元の保安官(シェリフ)に身柄を引き渡してはどうじゃ?」

 流石に『副長』は『局長』の決定に異を唱えている。これは当然の反応と言うものであろう。
武装警察のリーダーともあろう男が、その責任を放棄しようとしているのだ。
補佐役としては何があっても認められるものではあるまい。

「いや、ここから先の判断はこいつらに任せる。大人なんだから、手前ェの尻の拭い方くらい分かる筈だ」
「良識ある大人≠フ判断が出来る輩であれば、そもそもこのようにバカげた企みなどせぬじゃろうが。
確かにワシらは余所者じゃ。逮捕権も持たぬ。じゃが、……いや、それ故に災いの芽を見過ごすべきではない」
「じゃあ、何だって言って保安官事務所(シェリフ・オフィス)に引き渡すんだ? 
何か危なそーな抗議運動を発見したんで、とりあえず捕まえておきました――とでも言うつもりかよ。
笑い者になっておしまいだぜ、デモとテロの区別も付かねぇのかってさ。
ンなことになったら、隊の信頼まで台無しにならァよ」
「武器をかき集め、祭りの襲撃まで企てておったんじゃ。立派なテロリストじゃ」
「武器っつっても猟に使う散弾銃くらいなモンじゃねーか。違法性のあるモンは見当たらねぇぞ。
MANAだって誰も持ってきてねぇ。大体よ、一回でも誰か発砲したか? 
してねーだろ。ここいらの弾痕は、全部、俺らが撃ち込んだモンじゃねぇか」

 「世直し」の為に山荘に集結した者たちは、今や大口を開けながら固まっている。
自分たちを逮捕しにやって来た筈の武装警察が内輪揉めを起こしている。
何故かは分からないが、『局長』が自分たちを庇って補佐役と言い争っているのだ。
 全く以って意味が分からない。呆気に取られるなと言うほうが無理であろう。

「実害も何もナシじゃ保安官だって検挙のしようがねーだろ。せいぜい説教されるくらいだ。
だったら、今ここで放免しても同じじゃねーか。お前の好きな合理化ってヤツだ」
「屁理屈を捏ねおってからに……!」
「心配いらねぇよ、こいつら、根は悪い人間じゃねぇ。もう間違いを犯したりしねぇさ」
「局長ッ!」

 あくまでも無罪放免にこだわる『局長』と、現実的な判断から然るべき措置を取ろうと譲らない『副長』。
両者の言い争いは平行線を辿り、『公用方』の女性が仲裁に入ったことでようやく一区切りとなった。

「ギルガメシュの支援者なんて腐った情報に踊らされちまったが、本当に何の関係もなさそうだ。
……俺たちの敵はギルガメシュじゃねぇか。教皇庁への抗議運動にまで首突っ込むことはねぇよ」
「アタシも局長に賛成かな。デモの取り締まりまでアタシたちでやっちゃったら、
本当に教皇庁の犬≠ノなっちゃうよ」
「……戦いの痕跡(あと)は如何するつもりじゃ。ここまで派手に崩落しておれば、地元の民も気付くぞ」
「――それくらいの後始末は任せても良いよな?」

 「世直し」の一党を順繰りに見回しながら、『局長』は後始末の承諾を求めた。
そうして山荘の持ち主を探しているわけだ。
 目当ての相手は、武装警察によって手錠に繋がれている。
『局長』が自分に向かって語りかけているものと気付いたその男は、頻りに首を頷かせた。
 ここで後始末を断れば、『局長』の厚意を蹴ったも同然。問答無用で保安官事務所に連行されることだろう。
建物の損害は確かに辛いが、仲間たちの生命には換えられない。ひとつの制裁として飲み込むしかなかった。
 戦闘の痕跡は失火とでも誤魔化せば良い。麓まで銃砲の音は届いていたかも知れないが、
委細を質されたときには、物置小屋に備蓄しておいた気体燃料のボンベが破裂などとも言い繕える筈だ。
 この山荘での戦闘などなかった。つまり、危険分子による企てもなかった――
その結論は、まさしく超法規的措置であった。しかも、逮捕されるべきであった者たちは、
何かを取引条件に出したわけでもないのだ。
 主犯格の男も、他の同志たちも驚きにどよめき続けている。
 漆黒のプロテクターに身を包んだ武装警察は、世間では「教皇庁の犬」と呼ばれる組織であった。
教皇庁から呼びつけられたなら、尻尾を振って駆け付けると陰で罵られているのだ。
 教皇庁に意見しようとする人間は容赦なく攻め滅ぼすことだろう。
そうして、褒美にありついている――それが巷の風聞であったのだが、実態とは余りにも掛け離れていたようだ。
 本当に「教皇庁の犬」などと呼ばれる性格であったなら、
今度の抗議運動を放免することなど絶対に有り得ない。

「さっきも言った通り、お前らの気持ちは俺にも分かる。
今は手ェ組んじゃいるが、ぶっちゃけ、教皇庁のやり口はクソとしか思わねぇ。
……でもよ、正義の為なら無関係の人間を巻き込んでも構わねぇって考えには賛同し兼ねるぜ」

 改めて主犯格の男へ向き直った『局長』は、教え諭すような語調で言葉を紡いでいく。

「……最初から誰も殺すつもりはなかった。我らの意志を知らしめるのが目的であって――」
「人が死ぬか、どんな被害が出るかってのは問題じゃねぇ。要は踏み越えちゃいけねぇラインってヤツだ。
……それはあんたらにも分かるだろ? 分かるくらいには頭も冷えてるよな?」
「……ああ……」

 「世直し」を掲げてきた主犯格の男は、それまでの強気が幻であったかのように弱々しい。
良心の呵責によって揺さ振られ、激しく葛藤している様子である。
 片田舎の村祭りを襲撃すれば、まず間違いなく報道機関から大々的に取り上げられるだろう。
辺鄙な土地での惨劇は、大都会で同じような事件を起こすよりも注目度が高まる。
 土地柄と悲劇性の落差(ギャップ)がニュースバリューを生み出すのだ。
彼らもそれを当て込んでテロ計画を立てたのである。
 しかし、その果てには何が待っているのだろうか。世間の注目と言っても所詮は一過性のものであり、
下手をすれば、三流のワイドショーで自称有識者の食い物にされて終わるかも知れない。
そして、そのときには「世直し」の大義などなくなっているのだ。
 信念の価値などと言うものは、無関係な人間の平穏を踏み躙った時点で吹き飛んでしまうのである。
 極端に言えば、村祭りへの襲撃を企てた段階で「世直し」の計画は破綻したわけであった。

「……気が咎めてるんなら、祭りの支度を手伝ってきな。それで手前ェの心にケリをつけるんだよ。
人手が足りねぇなら、武装警察(ウチ)からも力自慢を貸すからよ」

 逮捕者の手錠を外すよう部下に命じてから、『局長』はそのように言い添えた。
それこそが一番の償いなのだ、と。

「教皇庁が許せねぇんなら、正しいやり方で抗議しろ。
自分たちは絶対に正しいって、家族にも教皇庁にも……誰にでも胸を張れるやり方でな」

 「世直し」の為に集まった人々は、主犯格の男も含めて、今や『局長』の言葉へ神妙に聞き入っている。
そこに自分たちの進むべき路を見出そうとしているようだ。

「教皇庁はお前らを確実に恐れてる。間違いを指摘されて怯えるのは、やましい気持ちがある証拠だぜ。
だから、俺たちを差し向けようと謀りやがったんだ。……お前らの声は決してちっぽけじゃねぇ。
もっともっと大きな声でヤツらに文句を言ってやれ。そのとき、お前らを中心にでっけぇ輪が出来てるハズだ。
……教皇庁の過ちを糾そうとした、その勇気を大事にしてくれ」

 道を踏み外しそうになった者たちを頭ごなしには否定せず、
最も望ましいであろう戦い方を諭していく『局長』の姿を、武装警察の仲間は誇らしげに見つめている。
 どうにも納得が行かないのか、教皇庁への報告が憂鬱なのか、
『副長』だけは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
しかし、心の底から『局長』の判断に反対しているわけではないだろう。

「抗議運動をやり直したいのなら、俺は幾らでも相談に乗るぜ。
お前らの本気≠受け止める覚悟くらい、もう済ませてらァ――」

 そう言って笑んだ『局長』の顔を、山間に昇った朝陽が照らす。
 教皇庁の在り方を許せずに「世直し」を志しながら、判断を誤りかけていた者たちにとって、
その笑顔がどれほど救いになったことだろうか。
 この男に出会わなければ、間違いなく最悪の結末を迎えていた筈だ。

 ギルガメシュとの戦いに明け暮れる武装警察の隊名(な)は、『覇天組(はてんぐみ)』。
 そして、その隊を統べる『局長』の名は、ナタク。
 仁に厚いこの男と覇天組も、時代(とき)の流れの中に否応なく巻き込まれていくことになる。
それはつまり、ふたつのエンディニオン≠巡る戦いの渦中へ身を投じることを意味していた――。




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