3.局長暗殺計画

 Aのエンディニオンに所在する島国――『陽之元(ひのもと)』。
覇天組とは、その陽之元に属する武装警察であり、
首都及び要人の警備やテロリストの取締りを主な任務としている。
 隊を率いる総大将には『局長』と言う呼称が与えられ、
その下に戦闘を指揮する『副長』、組織運営を管理する『総長』と言う補佐役を置き、
更に役割や能力に応じて隊士たちを幾つかの『組』に振り分けることで隊務を遂行していた。
 副長は『戦頭(いくさがしら)』と呼ばれる実働部隊のリーダーを、
総長は庶務や経理の部門を、それぞれ統括するわけだ。
最上位に位置する局長は広く全体を見渡し、人員采配などで力を発揮するのである。
 機動力、戦闘能力は世に並ぶものがないとまで謳われており、他国にまでその名を轟かせていた。
 それもその筈であろう。陽之元は長らく内戦の時代にあったのだが、
その最終決戦とも言うべき大動乱――『北東落日の大乱』を終結に導いたのが覇天組であった。
 内戦も末期となると、陽之元に巣食う旧権力と、新時代を望む反乱軍とに大きく色分けされ、
覇天組は反乱軍の一翼を担って旧権力を撃ち破ったのだ。
 最大の宿敵――『艮家(こんけ)』と呼ばれる特権階級の一族だ――に対しては、
老若男女を問わぬ族滅≠行い、数え切れない屍を築いた。
 その上に陽之元の新時代は開かれたのである。
 とき同じくして――陽之元国外では『唯一世界宣誓ギルガメシュ』が台頭し、
「難民救済」なる大義を掲げて侵略行為を繰り返していた。
 Aのエンディニオンに於いて女神信仰を司る『教皇庁(きょうこうちょう)』は、
ギルガメシュに対抗し得る手段として最凶≠フ武闘集団こと覇天組に注目。
長い内戦の影響で世界から孤立しかけていた陽之元を国際社会へ呼び戻すと言う口実を作り、
覇天組へギルガメシュの掃討を要請したのであった。
 こうした経緯があり、覇天組は海を渡ってまでギルガメシュを追跡しているのである。
本来は陽之元国内にて活動すべき武装警察が、だ。
 先日もギルガメシュの活動資金を援助していた悪徳金融業者を壊滅させたばかりである。
教皇庁より要請を出されたなら、彼らは異国の金貸し≠も追い詰めるのだ。
 当然、「教皇庁の犬」などと心ない陰口を叩く人間も現れ始める。
それは覇天組にとって最も堪える痛罵であるが、祖国の地位を世界へ認めさせるには、
不毛と解っていながらも黙って遠征を繰り返すしかなかった――。

 教皇庁の大司教が主催する晩餐会に局長のナタクが招かれたのは、そのような折のことである。
 開催地の近くにはギルガメシュの支援者が潜伏していると言う情報もあり、
ナタクは幾人かの隊士を連れて渡海することを決めたのだ。元より大司教は覇天組の全員を招いている。
 堅苦しい場を好まないナタクにとって晩餐会など苦痛でしかなく、
招待状が届いた当初は欠席すると言って聞かなかった。
 世界中の珍味が揃えられ、賓客が集う会合であろうとも関係ない。
場末の食堂でカレーうどんを啜るほうが局長には好みと言うわけだ。
 結局は副長のラーフラと総長のルドラに説得され、開催地へ向かう船に押し込まれてしまったのだが、
晩餐会で着用するタキシードを選んでいる最中もナタクは愚痴ばかり零していた。
 支度を手伝っていた少年隊士でさえ、「父様はいつまで経っても子どもですね」と
呆れ果てたものである。
 その少年隊士――ヌボコのことをナタクは養子として迎えていた。
 父の旧友のひとり息子であり、幸せとは言い難い生い立ちを背負っていた彼に憐憫を覚え、
引き取る決意をしたのである。ヌボコの両親は既に他界しており、頼みに出来るような親族もいなかった。
 血の繋がりこそないものの、親子関係は極めて良好だ。
だからこそ、ヌボコも遠慮会釈もなく耳の痛いことを口にする。
そして、応じる父もおどけたように舌を出すのだった。
 出発前から気鬱になるような旅の唯一の慰めは、古い友人が同行していることだ。
そのような楽しみもなかったなら、彼は甲板から海へ逃れていたかも知れない。
 ナタクは『聖王流(しょうおうりゅう)』と言う古武術の宗家を襲名しているのだが、
この流派には『蘇牙流(そがりゅう)』と言う分派が在り、
晩餐会にはそちらの後継者も賓客として招かれていた。
 双方ともに小具足術――体術と武器術を高い次元で融合させ、武芸百般を真髄とする流派である。
聖王流が体術へ重点(おもき)を置くのに対し、蘇牙流は武器術を中心に技術体系を完成させている。
 蘇牙流の宗家は短刀を用いた技が巧みであり、
「小太刀を取らせれば陽之元一」とまで賞賛される腕前なのだ。
 褐色の肌に銀色の髪を持つ初老の男性は、名をバーヴァナと言う。
遥か昔、遠国より陽之元へ移住した民の末裔であった。
覇天組では総長のルドラ、軍師のジャガンナート、監察方――密偵のようなものである――のアプサラスが、
彼と同じ祖先(ルーツ)を持っている。
 ヌボコも銀髪だが、彼の場合は肌の色が父のナタクと一緒――
即ち、陽之元旧来の民との混血(ハーフ)と言うわけである。
 バーヴァナは彫りの深い顔に口髭を蓄えていた。鼻を中心として左右に伸ばしているわけだが、
こちらも銀一色であり、両端の反り返りは弓の如く欠けた月を彷彿とさせる。
 また、側頭部から後頭部にかけて短く刈り上げており、見る者に剽悍な印象を与えていた。
 如何にも武人らしい容貌であるが、その面持ちは極めて穏やかだ。
目元にも情けの深さが滲んでいるように見える。
 小太刀最強の名声を欲しい侭にする達人とは思えないほど柔らかな佇まいであるが、
これはつまり、鞘に納まった状態≠ネのであろう。
無論、抜き放たれた後は蘇牙流の後継者に愧じない気魄を見せる筈だ。

「カリカリしても始まらないさ。気持ちを割り切って旅を楽しもうじゃないか。
僕なんか滅多に国外(そと)には出れないしね。良い骨休めってヤツさ。
キミたちの土産話も楽しいけれど、やっぱり自分で体験するのが一番。
それに、ほら――今から行く町にはエマトリス由来の遺跡もあるそうじゃないか。
時間があれば、そっちも散策したいもんだよ」
「バーヴァナさんも歴史好きですもんね」
「キミくらいだよ、僕の話に随いてきてくれるのはね。周りは歴史に興味のない人間ばかりだからさぁ……」
「――ま、遺跡巡りなら幾らでも付き合いますよ。ちょっとくらいの観光は許されるでしょう。
海外出張から速攻トンボ返りなんて、マジで面白くありませんから」
「お、乗ってきたねぇ。そう来なくっちゃ」

 そのバーヴァナから宥(なだ)められ、ようやくナタクは機嫌を直したのだった。
 長い歴史の中でふたつの流派(ながれ)に分かれた聖王流と蘇牙流であるが、
同門同士の抗争と言った確執もなく交流が盛んで、ナタクとバーヴァナは大昔からの馴染みなのだ。
出逢ってからの年月だけならば、覇天組の誰よりも長いだろう。
 バーヴァナのほうがナタクよりも一回り年長なのだが、両者は年齢を超えた友情で結ばれており、
武術家としての技量も伯仲であった。ナタクに言わせれば、武器術ではまず敵わないそうだ。
 現在、バーヴァナは陽之元正規軍の教頭――将兵の調練を担う大切な役目だ――と言う要職に在る。
 嘗ては旧権力の側で兵権を執った将軍であったのだが、『北東落日の大乱』が幕を開ける頃には
志を同じくする軍人を伴って出奔し、反旗を翻していた。
 覇天組とは別の反乱組織に身を置き、立場の違いから一度はナタクとも立ち合っている。
同士討ちにも等しい事件を経て正式に覇天組と同盟を結び、
艮家を始めとする旧権力の一掃に成功した次第であった。
 半ば独立部隊と化し、陽之元国内に於いても評価の割れる覇天組の後ろ盾でもある。
 陽之元正規軍の教頭と覇天組の局長を同時に招くからには、
晩餐会を主催した大司教は、女神に仕える職に在りながら血腥い事柄への興味が尽きないのだろう。
無論、国際社会に復帰したばかりの陽之元の内情を探ろうと言う目論見も含まれている筈である。

 教皇庁のことを快く思っていないラーフラやルドラが警戒を強める中、
大司教の目論見は思いも寄らぬところから発覚した。
 あるいは、目論見自体が想像を絶するものであったと言うべきかも知れない。
 晩餐会が催される大司教の私邸は高原別荘地に所在しており、
山間を貫く鉄道でなければ辿り着くことすら不可能であった。
 大司教は食堂から会議室まで設けられた賓客専用の特別列車を手配し、
ナタクらはこれに揺られながら高原別荘地を目指したのである。
 そして、驚天動地としか言いようのない報せは、その途上にてもたらされた。

「――例の大司教、とんだ食わせ物よ。各国から賓客を招いたと言うけれど、
その晩餐会自体が大仕掛けのフェイク。ヤツの本当の目的は覇天組(うち)の局長を暗殺すること。
……教皇庁は覇天組にケンカを売ろうってハラのようね」

 先んじて現地へ潜入し、ギルガメシュの支援者を調査していたアプサラスから
ラーフラのモバイル宛に電話が入り、晩餐会の裏で進みつつある大司教の陰謀が告げられた。
 覇天組局長の暗殺――それこそが大司教の目論見なのだと、アプサラスはモバイルの向こうで語っていた。
 アプサラスは幼少の頃は旅芸人の一座で働いており、そこで歌や舞踊などの技芸を修行していた。
 各地を経巡る旅芸人の一座は、諜報員を兼ねていることが多い。
事実、アプサラスも師匠から技芸だけでなく忍術を授かっていた。
 全く気配を絶って夜陰に紛れる隠形の術、別人に摩り替わる幻惑の技――
ありとあらゆる忍びの秘伝を使いこなす逸材であったればこそ、
隊内の誰もがその腕前に絶対の信頼を置いているのだ。
 ラーフラを介して報告を受けたナタクは、この突拍子もない展開に目を丸くし、
自分をからかっているのだろうと最初は笑っていた。
丁度、食堂車でバーヴァナとコーヒーを喫(の)んでいたときのことである。
 しかし、監察方の長から電話を受けたラーフラも、彼の傍らに立つルドラも、
幾ら時間を経ても「そんな物騒な話、あってたまるか」と種明かしをしない。
笑気を噴き出すどころか、面に滲んだ緊張の色は秒を刻む毎に濃くなっていく。
 そこでようやく暗殺計画が冗談ではないと悟ったナタクは、随伴している隊士全員を会議室へと招集し、
アプサラスがもたらした報告を改めて精査し始めた。
 ラーフラからの援護要請を二つ返事で引き受け、会合にも同席したバーヴァナは、
指先でもって髭を弄びつつ、「どうあっても教皇庁とは仲良くなれそうにないな」と、
忌々しげに吐き捨てたものである。

 特別列車には個室も用意されており、隊士たちはそれぞれの部屋で寛いでいた。
 昼寝中の者も在った為、総員の集合には一〇分ほどを要し、
シュテンなどは「こっちは乗り物酔いでキツいんだから無理さすなよ」と口の先を尖らせつつ不服を漏らした。
 遊撃隊に所属するこの男は、女性が羨むほどきめ細かい黒髪を肩の辺りまで伸ばし、
左右に分けた前髪を赤く染めている。その上、 端正な顔立ちに、少しだけ釣り上がった双眸――
見てくれだけならば、テレビタレントのようだ。
 両の手首と足首に金属製の枷が見られるのだが、これはマフィアの使い走りをさせられていた頃、
当時の親分(ボス)に逆らって嵌められた物である。
 マフィアから足を洗って覇天組に参加したのであるから、何れの枷も取り除けば良いのだが、
シュテン本人は「男として箔が付く」などと余人には理解不能な美意識を持っており、
一種の勲章≠フ如く自慢して回っている。
 こうした言行からも察せられる通り、彼は隊内でも指折りの問題児であった。
 尤も、ラーフラから概要を説明されて以降は、流石に表情を引き締めている。
 局長には副長と総長のほか、勘定方のニッコウ、隊医のゲットも同行していた。
両名ともに急病と言った不測の事態に備えているわけだ。
 一番から四番までの戦頭や軍師のジャガンナート、技手のハクジツソ、
遊撃隊に属するシュテンとホフリまでメンバーに含まれている。
これはギルガメシュに与する者との戦闘も想定した布陣であった。
 遊撃隊は文字通りの任務を、技手は武器の開発や調整をそれぞれ担当している。
 隊内一の巨魁にして旗持を担当するアラカネは、
今回の旅路に於いて副長からナタクの身辺警護を命じられている。

「車内を隈なく調べましたが、盗聴器や隠しカメラの類は見つかりませんでした。
何を話していただいても構いません」
「監察方と技手の合わせワザ一本さ。おれの探知機にもアレな電波は検知されなかったぜ!」
「うむ、ふたりともご苦労じゃった。……そうじゃな、思う存分、報復の策を練らせて貰おう――」

 局長の生命にも関わる重大な話し合いは、ヌボコとハクジツソの申し送りによって始まり、
アプサラスより直接的に報告を受けたラーフラがその後を引き継いだ。
 暗殺計画そのものは至って単純(シンプル)であった。
 陽之元から遠く離れた国で――多くの味方が望めないような地にナタクを誘き寄せ、
晩餐会の名目で彼を酩酊させておき、人気のない場所で不意打ちを仕掛けると言う段取りである。

「バーヴァナ殿を晩餐会へ招いたのは、おそらく陽之元に対する警告じゃろう。
教皇庁に逆らえば、例え覇天組局長と雖も一溜まりもないと、
バーヴァナ殿を介して陽之元本国にプレッシャーを与えようと言う魂胆じゃな。
加えてアリバイ工作よ。陽之元の要人を手厚く遇する教皇庁が、
同じ陽之元の人間を殺すわけがない――そのように内外に示すわけじゃ」
「見え透いた嘘でも、そこまでやれば立派なもんだ。いや、褒めるわけには行かないがね。
そこ行くとご馳走の山はメッセンジャーの駄賃代わりか。……侮ってくれるよ、全く」
「バーヴァナ殿だけは怒らせてはならぬと、大司教殿は知らぬのであろうよ。
今し方、話したことは全てアプサラス殿の見解じゃが、当たらずとも遠からずじゃろうとワシも思うておる」
「しかし、大胆にも程があるな。それ以上に身の程知らずだ。
青瓢箪みたいな神官が覇天組の鬼局長とまともにやり合えると、本気で考えているのだろうか。
最初の段階で計画が破綻しているとしか思えないよ」
「それがナタク君に立ち向かえるだけの戦力があるのですよ、バーヴァナさん。
……そう、教皇庁には例外的にね」

 バーヴァナの疑問にはルドラが答えた。
 彼は鞘を用いず抜き身の状態で両刃の直剣を携行しているのだが、
他国の人間をいたずらに脅かすわけにも行かず、現在(いま)は厚手の生地で刀身を覆っている。
 得物を垂直に立て、その柄頭に両手を掛けた総長は、
「教皇庁の大司教ならではの手札と言うべきかも知れません」と苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。

「素人に毛が生えた程度のギルガメシュの兵など恐れるに足りませんが、
教皇庁の手札≠ヘなかなか侮れませんよ」
「――そうか。……いや、信じたくもないんだが、例の大司教は聖騎士団を差し向ける気か!」

 ルドラの言わんとしていることを悟ったバーヴァナは、
右拳に左掌を打ち付けつつ、「本当に何でもアリだな、あいつら」と鋭い舌打ちを披露した。

「聖騎士を動かすとしか考えられません。裏付け調査を進めている最中ではありますが、
アプサラスさんは聖騎士の一隊を町の片隅で見つけたそうです。
我々の向かう先に待ち構えている――と言うほうが、状況に即しているかも知れませんね。
いずれにせよ、偶然にしては出来過ぎているとは思われませんか?」
「大司教殿はヨアキム派だったな。……まさか、聖地の守護が任務のパラディンを呼び寄せるとはな!」
「ところがどっこい、アプサラス殿の報告によると、大司教はパラディン以外を動かしたようでしてな……」

 半ば呻くようなラーフラの声に呼応し、「正気の沙汰とは思えないね」とルドラも頷き返す。
 召集されたばかりで詳しい説明を受けていないシュテンなどは、
「おめーらだけで納得してねぇで、オレらにもちゃんと解説しやがれ!」と、
バーヴァナを押しのけて副長と総長に話の続きを催促した。

「パラディン以外に教皇庁が投入出来る戦力はただひとつじゃろうが。少しは頭を働かせぬか」
「るせぇ! いちいち回りくどいおめーらが悪ィんだよ! バーヴァナのおっさんだってわかんねーだろ!?」
「いや、今の説明で十分だ。その先は胸糞が悪くなるだけだから、聞きたくもないな。
……よりにもよってテンプルナイトを当てようと言うのか? ヨアキム派の大司教ともあろう人間が。
身の程だけでなく恥も知らないようだ」

 ラーフラとルドラの話から討手の正体を把握したバーヴァナは、思わず列車の天井を仰いだ。
 特別列車だけあって豪奢なシャンデリアで飾り付けられているのだが、
今のバーヴァナには何もかもが酷く空虚に感じられた。
 この列車も件の大司教が手配したものである。何不自由なく設備の整えられた特別列車も、
これから向かう晩餐会さえも――醜い存念を覆い隠す偽装のように思えてならないわけだ。
 最早、大いなる欺瞞であることは疑うまでもない。

「父様……!」

 思わぬ強敵が父の命を狙っていると知ったヌボコは、流石に心穏やかではいられない。
ギルガメシュの将兵すら物ともしない覇天組から見ても、教皇庁の戦力は侮り難いと言うことだ。
 腰を浮かせたヌボコの肩をハハヤは――優しい兄貴分は柔らかく叩き、落ち着くよう諭した。
局長の養子であるヌボコのことをハハヤは実の弟のように可愛がっているのだ。
 そのヌボコにとって局長のナタクは武術の師匠である。彼の家族に対する思いも人一倍深かった。

「僕らは『北東落日の大乱』を勝ち抜いたじゃないか。その間、何度、暗殺の危機があったと思うんだい? 
こう言うときの対処法は何通りも知ってるよ。しかも、ターゲットはセンパイだよ? 
何をどうやったらセンパイを暗殺出来るって言うんだい」
「その通りだな。毒を飲まされても死なんような男、殺し方があるなら俺にも教えて欲しいくらいだ」

 ヌボコを勇気付けるようにシンカイもハハヤへ同調する。

「それはそうですが、万が一と言うこともあるでしょうし……」
「……おめーら、俺をゾンビみてーに言うんじゃねぇよ。ヌボコも軽く納得すんな」

 絶対的な信頼が高じて不死の怪物のように扱われ、ナタクは苦笑を漏らした。
確かに教皇庁の討手を相手に遅れを取るつもりはないが、それにしても他に言い方があるだろう。
 毒を飲まされても死なないのは特異な体質と言うことではなく、専門の修練を積んだ成果である。

「……問題は聖騎士団のほうだ。聖騎士には教皇から誓約のサーベルが授けられると聞くが、
その剣を穢すようなものではないか」

 同じ剣を携える者として義憤が湧き起こったのだろうか。
着流しの帯へ差し込んである愛刀の柄を握り締めたシンカイは、
「聖なる剣が泣く」と言い捨て、眉間に皺を寄せた。
 彼らの口にする聖騎士団とは、教皇庁が擁する軍勢の総称である。
任務の性質と、何よりも宗派によって、聖騎士団はパラディンとテンプルナイトの二隊に大別されていた。
 今回、ナタクを招いた大司教はヨアキム派と言う教皇庁最大宗派に属する人間であり、
こちらはパラディンを戦力として抱え込んでいた。
今し方の会話でも語られた通り、教皇庁の聖地≠守護するのが主たる役目である。
 ヨアキム派と対立するもうひとつの宗派――ガリティア神学派は、
各地に点在する宗教施設を管理し、神人の立像を奉じるテンプルナイトを擁していた。
 パラディンにとってはヨアキム派が、テンプルナイトにとってはガリティア神学派が拠り所であり、
相容れない存在の命令など承服する筈もなかった。
 その常識に照らし合わせるならば、件の大司教は天地をひっくり返すような奇策を図ったことになる。
対立宗派の駒≠操り、暗殺者に仕立て上げるなど前代未聞と言えよう。
 シンカイらと共に局長へ同行しているニッコウは、
「奴さんはとんでもねぇキレ者みてぇだな」と、感心とも皮肉とも取れる呟きを漏らしている。

「どうやって仕込んだのかは知らねぇが、上手い具体に手懐けたもんだ。
ヘタすりゃ餌付けどころか、ダマくらかして煽ったんじゃねーのか? 
奴さんからして見たら、邪魔者をまとめて始末出来て一石二鳥ってヤツだ。
ナタクを狙って無事で済むヤツなんかいるわきゃねぇしよ。
……痛くも痒くもねぇだろ、テンプルナイトが何人死のうがよ」
「それが俺には許せん。戦とは互いの命を賭けるものだ。
痛みを感じないどころか、返り血も浴びぬ場所で高みの見物など、嘗ての艮家のようではないか」
「鵜飼いみてーな連中は別に艮家だけじゃなかったけどさ。……ま、シン君の言いたいことは分かるぜ」

 大司教の弄した謀略を想像し、気味悪そうに舌を出すニッコウの真向かいでは、
シンカイが全身から怒気を漂わせている。
 親友の生命が狙われたことへの怒りは言うに及ばず、
神聖な役目を担うべきテンプルナイトが汚れ仕事の道具にされたことへ強く憤っている様子だ。
 『ガムシン』らしい真っ直ぐな憤怒とも言えよう。

「聖騎士の剣とやらを血で汚させようとするゲス野郎が腹立たしいんだろ、あんたの場合。
同じ道を歩ませたくねぇってところか」
「アラカネ、俺は別に――」
「覇天組なんてご大層な名前を背負(しょ)っちゃいるが、所詮は薄汚れた殺し屋稼業と大差ねぇ。
聖騎士サマとは正反対だ。けどよ、筋書きを書いた野郎は俺らの同類だと思うぜ。
それに乗っちまった時点で、テンプルナイトも同じ場所に立ったワケでよ。
……だったら、同じ目線で相手してやるのが、あんたの好きな道義ってもんじゃねぇか?」
「ぬ……」
「いつものように覇天組らしく戦えば良いんだよ。……ヤツらの屍を踏み台にしてでも、
ゲス野郎に覇天組って恐怖(もの)を刻み込んでやろうじゃねーか」

 アラカネはシンカイの気持ちを尊重しつつも、その弱点を正論でもって宥めていく。
 親友を狙う相手にまで思いを巡らせ、義憤を抱くような好漢とは分かっているが、
さりとて戦いの場で妙な同情心に囚われるのは命取りに他ならず、
会敵の前に自重を促しておかなくてはならなかったのだ。
 アラカネの並べ立てた正論にシンカイが頷く一方、
何事にも我が道を貫くホフリは如何にも面倒臭そうに欠伸を噛み殺していた。
 ステテコに腹巻と言う風貌で屋外を出歩くような男である。
四角い黒縁眼鏡はレンズに数多の瑕が見受けられるが、それでも修理などは考えない。
周囲(まわり)のことなど無関心にも近いわけだ。

「で、ど〜すんだよ、結局。先手必勝でテンプルナイトとか言うのを皆殺しにしちまうか? 
首でもブチ斬って、晩餐会のテーブルにでも並べてやりゃあ、忘れられない余興になるぜ?」
「お主が言っておるのは先手必勝ではなく見切り発車じゃ。
ヨアキム派の大司教とテンプルナイトの結託は、あくまでもこの場での想像に過ぎぬのじゃからな。
そもそも、本当にナタクが狙われているのか否かも裏付けが取れておらぬ。
アプサラス君の調べがつくまで暫し待つのじゃ」
「ンなもん、何時まで掛かるか分からね〜じゃん。
ダラダラやってる間によ、先にナタクがやられちまったら、元も子もね〜べ?」
「――ホフリさん、些か言い過ぎでは? アプサラスさんは全速力で任務を果たしておられるのです。
決して怠けてなどおりません」

 監察方の上役であり、探索任務の基礎を授けてくれた恩人――アプサラスの仕事を
貶されたように受け取ったヌボコは、咳払いを交えつつホフリを窘める。
昼間から酒気を帯びているような男にだけは、師匠の仕事を語って欲しくないのだ。
 「アプサラスは怠けていない」との一言は、ホフリに対する皮肉であったのだが、
我が道を行く男の耳になど届くわけがなかった。

「なら、オイラたちも全力疾走よォ。アラカネも言ったべ? いつもの覇天組らしくってよ。
どいつもこいつもまとめてやっちまうんだよ。大義名分(いいわけ)なんざ、後から幾らでも作れるべよ」
「……ホフリさんは本当に適当に生きとるんですな……」
「阿呆が――年下に呆れられてどうするんじゃ。後から取り繕って成功したアリバイ工作などあるものか。
テンプルナイトを血祭りにした後、覇天組の名に傷が付くようなことになってはいかん。
それ故、アプサラス殿が頼りなのじゃ」
「面倒くせ〜な〜。そんなん証拠になりそうなもんを消滅させりゃ済む話じゃんか」

 自分で話題を振っておきながら会話の途中で飽きてしまったのか、
ホフリは床一面に敷き詰められた絨毯へ寝転がった。
車輪の振動が子守唄にでもなっているのだろう。早くもうつらうつらと船を漕ぎ始めている。
 その尻をラーフラが十文字槍の石突で叩く。大切な議論をしている最中に居眠りなど厳禁であると
暗に叱っているわけだ。 
 ホフリに掛けられたラーフラの言葉を、「バーヴァナさんを招待したのはその為かもな」と
ゲットが引き継いだ。

「おれらがテンプルナイトを――教皇庁の人間に手を掛けたら、覇天組どころか陽之元の立場が悪くなっちまう。
『要人が傍にいながら監督も出来ないのか』とか難癖付けられたりな。
バーヴァナさんが教皇庁を襲うよう指示したなんて言い触らすかもしれねぇぜ」
「いちいちカチンと来るような連中だけど、作戦としては悪くないね。
褒めてあげたくなるくらい練り込まれているよ」

 部屋の隅にて壁に凭れ掛かっていたジャガンナートが、流れゆく風景を眺めながら薄く笑った。
向かい側の車窓から視線は動かさないものの、仲間たちの話には耳を傾け続けていたようである。

「味方の損害を最小限に止めつつ、敵に大きな痛手を与えるのが合戦の大原則だからねぇ。
しかも、どうやったって覇天組のほうが世間から批判される。
大司教クンは教皇庁と言う利点(アドヴァンテージ)をフルに活用してるってワケ」
「結局、高みの見物だろう。……自ら剣を交える胆力も持たんのか、ヤツは」
「覇天組相手にケンカを売るんだから度胸はあると思うよ。
その上で命を張る場≠見極めてるって話だよ、シン君。
頭脳(あたま)も良さそうだしね。つまり、覇天組の始末なんか自分が命を賭けるまでもないと、
そう思ったんでしょうよ。いやはや、ここまでナメられちゃ、覇天組もカタなしだねぇ」
「……ますます気に入らん」
「気に入ろうが気に入るまいが、これが現実だよ。現実の戦いさ」

 中央がひとつに繋がった眉を顰めるシンカイに向かって、
ジャガンナートは皮肉混じりの笑い声を飛ばした。
 軍師として敵方の謀略を分析し、周到に練り込まれた計画へ一種の共感を覚えたのか、
「相手にとって不足はないねぇ」と、どこか愉快そうでもある。

「ワシらはその策略を更にひっくり返す。逆に言い逃れ出来ん状況まで追い詰めてから潰すのじゃ。
しかし、向こうから先に仕掛けて参ったときには、……良いか、一切の手加減はするでないぞ」

 軍師の話が一段落したところで、ラーフラは改めて隊士たちを見回した。

「ヒットマンではなく聖騎士団を動かしたのは、正しくもあり、誤りでもある。
成る程、覇天組局長の力量を侮ってはおらぬ。それだけの知恵は持っておる様子じゃ」
「宗派の違う連中を操るのが引っ掛かるけれどね。覇天組の対抗馬は聖騎士団くらいでなくては務まらない。
腐ってもエリートの集まりだからね。一番の誤りは――」
「――宗派とかそんなのは関係ないわ。神聖な仕事をしてきた人間を暗殺者に堕とすのが大間違いよ。
……なんなの? 教皇庁の神官は誰も彼も頭のネジが飛んでるワケ? カンペキに女神への冒涜じゃない」

 副長と総長の話を受けて、遊撃隊≠アと三番組の戦頭を務める女性隊士――ミダが低く呻いた。


 女神への冒涜――ミダが口にした言葉はナタクの心に深く響いていた。
特別列車を降りて三日が経過した現在(いま)も生々しく鼓膜にこびり付き、ふとした瞬間に蘇っている。

「遠路遥々、よくぞお出で下さいました――」

 そんなミダの声を上書きしたのは、皮肉なことに彼女から「女神への冒涜」と謗られた相手であった。
三日前の出来事を振り返っていたナタクの眼前に、自身の暗殺計画を企てる張本人が現れたのだ。
 モルガン・シュペルシュタイン――四〇にも満たない年齢ながら教皇に側近として仕え、
ヨアキム派の旗頭とも謳われる大司教である。
 教皇庁に於いて『大司教』は極めて高い地位に在り、
聖地にて教皇を補佐する『枢機卿』に次ぐ高位神官であった。
 教皇を頂点とする序列では、大司教は三番に位置している。
これは女神の名のもとに剣を振るう聖騎士とも同格であるが、
モルガンの場合は「教皇の側近」と言う肩書きが備わっている為、
実質的な権限は枢機卿に勝るとも劣らない。
 モルガンこそが教皇庁を動かしていると畏れる声も少なくはなかった。
 彼の経歴を調べ上げたアプサラスの説明によれば、まさしく非の打ち所のない人物であるそうだ。
Aのエンディニオンで頻発している『未確認失踪者捜索委員』の委員長も務めている。
 ナタクとバーヴァナは、その男の私邸に足を踏み入れたところであった。
背後には護衛役としてアラカネが従っている。
 世界中から賓客を招いての晩餐会と言うこともあり、
会場として開放された大広間には料理の支度も整わない内から大勢が詰め寄せていた。
 いずれの来賓も行き過ぎと思えるくらい華美に着飾っている。
国の威信を示す狙いも含んでいるのだろうか、わざわざ民族衣装を纏う者も見られた。
 陽之元正規軍の教頭≠ニ言う堅苦しい役務にありながら
諧謔(ユーモア)の感性にも富んでいるバーヴァナは、
一目見た瞬間に「これはアレだね、テレビで見る仮装番組を思い出すね。
参加者が得点競うヤツ」と呟いたものである。
 しかし、主催者たるモルガン・シュペルシュタインは仮装の競い合いには参加していなかった。
 高位の神官には位階に応じた装束や装飾品が授けられると言うのだが、
個人的な酒宴と言う点に配慮したのか、それとも別の思惑を秘めているのか、
サークレット以外は宗教の色を排し、社交的な装いで揃えている。
 ここまで燕尾服が似合う人間を、ナタクたちは他所(ほか)で見たことがない。
 獅子の鬣の如き癖毛を直すことが出来ず、
その所為で服に着られている≠謔、な印象にならざるを得ないナタクとは正反対であった。
 後方に撫で上げたブロンドの髪は腰に届くほど長く、その色艶には貴婦人たちが必ず振り返っていた。

「本日はお招きに預かり、光栄至極です、大司教――」

 恭しく握手を求めてきたモルガンにバーヴァナは笑顔で応じ、ナタクもこれに倣った。
 大司教はアラカネにも手を差し伸べた。その人の立場を問わず、
誰とでも分け隔てなく接しようと言うのであろう。

(偽善者って生き物は、どいつもこいつもやることが一緒だな)

 礼儀正しく握手に応じながらも心中にて毒づいたアラカネは、敵≠フ出方を油断なく探っている。
万が一にも不穏な動きが見られたときには、局長から止めようがこの場でモルガンの首を圧し折るつもりである。
 隊旗を守り抜くことがアラカネの使命であるが、一度(ひとたび)、戦闘への参加が許されると、
彼は覇天組の誰よりも凶暴な破壊者と化す。嘗ては敵対勢力から「殺人依存症」とまで恐れられた男なのだ。
国賓の前で大司教を肉塊に変えることくらい平然とやってのけるだろう。
 アラカネの視線に気付いていないのか、はたまた冷たい殺気を受け流しているのか、
モルガンはナタクやバーヴァナへ親しげに話しかけている。

「――陽之元にその人ありとの呼び声も高い両先生とは、一度、胸襟を開いて話をしてみたかったのです。
特にナタク先生はギルガメシュの件で多大な骨折りを頂いておりますので、
少しでも日頃の疲れを癒して頂ければ――と。他の隊士の方もお連れ頂いたようで、
これまた光栄至極でございます」
「お気遣い痛み入ります。招待状では隊士全員をお誘い頂いたのですが、
屯所を空にするわけにも行きませんので、籤引きでメンバーを選抜して参りましたよ。
居残り組にはさんざん文句を言われましたがね。飲み食い好きなのが身近におりますし。
土産と言うことではありませんが、余った料理を彼らに包んでやらないと」
「委細承知しました。メイドにはそのように伝えておきましょう」
「いやいや、これは戯言(ジョーク)ですので――」

 モルガン大司教はナタクの冗談にもにこやかに応じている。
立ち居振る舞いにも品があり、邪悪な陰謀を企てるようには見えなかった。
 見えない代わりに、ナタクとバーヴァナは内面から零れ出す気配を探り、
ターコイズブルーの瞳の奥に微かな闇≠感じ取った。
 その闇≠ヘ、他者の血を浴び、怨念を背負う人間にしか宿らない。
俗に『業(ごう)』とも呼ばれる気配(もの)であった。
 アラカネは大司教の為人を「自分たちと同類」などと推し量っていたが、それは的確な読みであったわけだ。
 当人は穏やかな好人物を演じ切っているつもりなのであろう。
しかし、生と死とが紙一重ですれ違う苛烈な時代を生きてきた人間を欺くには、些か役者不足であった。

「……どうやらキミは本当にモテモテみたいだね」
「……色目を掛けられたからには、相応のお返しをしてやらなくちゃなりませんね」

 別の賓客を迎える為にモルガンが離れていった後、ナタクとバーヴァナは互いの直感を小声にて確かめ合った。
 アプサラスたち監察方の尽力によって裏付け調査は既に完了している――が、
やはり張本人と対面して確かめるのが最も確実であろう。

「お返しっつっても、ここで暴れんのだけはカンベンしてくれよ、アラカネ。
……お前、あのおっさんのこと、マジで殺(や)る気だったろ?」
「善処だけはしといてやんよ」

 ナタクから自重を促されたアラカネは、にこりともせずに鼻を鳴らした。

「……もしかすると、アラカネ君が言うように先手必勝もアリかも知れないね」
「バーヴァナさん!?」
「油断は命取りと言うことさ――」

 意外なことを口走ったバーヴァナに驚き、勢いよく振り返ると、彼は或る一点を険しい面持ちで見据えていた。
 バーヴァナの視線が向かう先を辿ってみると、そこにはひとりの青年の姿が在った。
 ワイングラスを片手に他の賓客と談笑に耽るその男の顔は、ナタクもアラカネも見覚えがある。
直接的な面識はないものの、テレビや新聞では幾度となく目にしていたのである。
 それは『パオシアン』と言う国の王子――ザッハーク・カヤーニーであった。
 晩餐会には世界各国から賓客が招かれており、その中には王族も含まれている。
王子と言う肩書きそのものは大して驚くほどでもない――が、
パオシアンはガリティア神学派を国教と定める王国であり、
しかも、ザッハークの父は全世界のテンプルナイトを統括する立場にあるのだ。
 ヨアキム派の大司教が主催する晩餐会に於いて、これほどの珍客は他には居ないだろう。
本来、同派の人間にとっては「招かれざる客」とも言うべき相手なのだ。

「まさかと想いますが、討手はパオシアンが手引きしたとでも?」
「そこまでは断定出来ないな。一国の要人を闇討ちするなどマルダース王が許す筈もない。
パオシアンと陽之元には何の遺恨もないし、そもそもカヤーニー王家は教皇庁とも距離を置いている。
大司教と手を組む理由が見つからないよ。……ただし、注意だけはしておいたほうがいい」

 アラカネからの問いかけに対して、バーヴァナは「今のところ、要注意人物の第一位」と答えた。
 仮にパオシアン王国が局長暗殺の討手を差し向けたとすれば、迎撃戦は極めて厳しい状況が予想される。
エンディニオン全土のテンプルナイトと比しても、カヤーニー王家幕下の精鋭は錬度が頭抜けているのだ。

(……こんな形で逢いたくはなかったな――)

 一方のナタクは、複雑な思いを抱えながらザッハークの姿を見据えていた。


 ナタクの意識は、再び今日より以前に巻き戻っていく。
 今度は二日前――宿所として宛がわれた高級ホテルの一室での軍議を追憶している。
 モルガン大司教は、ナタクとバーヴァナの為にロイヤルスイートルームを用意していた。
他の覇天組隊士に与えられた個室も中級のホテルとは比べ物にならない程に広く、
まさに至れり尽くせりの待遇である。
 ルームサービスやホテル内の設備は、何もかも無料で利用することが出来た。
併設されたスポーツジムへ赴き、心身を引き締めたシュテンとアラカネはともかく、
ホフリやハクジツソはダーツバーに入り浸って泥酔し、ルドラから叱声(かみなり)を落とされていた。
酒宴を好むミダまでもがホフリたちに混ざっていた為、総長も叱り方に難儀したようだ。
 裏社会に詳しいナラカースラは、「本物の悪玉は、これから殺す標的こそ手厚くもてなすんだぜ?」と
三人を脅かしたものである。
 確かに破格の厚遇ではあるものの、何時までもそこに浸ってはいられない。
先んじて高原別荘地に潜伏していたアプサラスも合流し、覇天組隊士とバーヴァナはナタクの部屋に集まった。
 ロイヤルスイートルームは室内運動場かと錯覚する程に広く、
十余名の人間が勢揃いしても窮屈には感じない。それぞれが思い思いに椅子を見つけ、
あるいは絨毯の敷かれた床に腰を下ろして軍議を始めた。

 アプサラスの他にも数名の監察方が高原別荘地に潜伏しており、
迅速な調査の結果、局長暗殺の討手――テンプルナイトの一隊が詰めている隠れ家も特定された。
モルガンは彼らを埒外の廃屋に押し込めたと言うのだ。
 川沿いに建つ廃屋で、周辺には地元の人間も滅多に寄り付かないと言う。
近くに架かる橋は幾重も蔦が巻き付いていると言うのだから、
用もなく打ち棄てられた領域と見做すべきであろう。

「土地の人間にも尋ねたのだけど、その一軒家には大昔に変わり者が暮らしていたらしいわ。
誰とも交流せず、自分だけの世界を持ってるタイプのね。
……そして、自分だけの世界を完結させる為に首を括った――」
「最後だけ急展開じゃな」
「変わり者がひとりで死んだ場所だから、土地の者も気味悪がって近寄らない。
家主が首を括って十年は経つのに、未だに廃墟として残っているのは、つまりそう言う理由(ワケ)。
……そんな場所に人を押し込める神経が信じられないわ」

 調査を進める最中、モルガンへの私憤を相当に募らせていたようだ。
報告の最後には、アプサラスは「あんな愚物を取り立てる教皇庁は信用ならないわ」と憎々しげに吐き捨てた。
 対立宗派の聖騎士たちを使い捨ての駒として操りつつ、
世間から隔絶されたような場所に控えさせておくなど性根が腐っている証拠と言えよう。
ガリティア神学派に属する者などモルガンの目には虫けら以下としか映っていないのだろう――
これもまたアプサラスの見解であった。
 私憤が過熱する余り、ヌボコから宥められたアプサラスはさて置き――
監察方の調査によってモルガンの陰謀は半ば暴かれたことになる。
 モルガンの部下と思しき者がテンプルナイトのひとりと密談を交わす場に潜み、
両者の唇の動きを読み取ったアプサラスは、遂に暗殺の段取りをも掴んだのである。
 晩餐会の会場であるモルガンの私邸と地続きで繋がっている古代遺跡へナタク独りを誘い入れ、
そこでテンプルナイトに襲撃させると言うのだ。
 暗殺が決行される時間帯も把握出来た。午後九時過ぎ――それまでにモルガンは
全ての手筈を整えることだろう。

「このあたりは神人由来の遺跡も多い。……神々の聖域を戦場にするとは言語道断だな」

 歴史探訪を趣味とするバーヴァナは、モルガンの計画へ憤怒を露にした。
貴重な遺跡を血で穢しても構わないと断じる思考が、先ずバーヴァナには理解出来ない。
ましてや、大司教ともあろう人物が為すべき行いではあるまい。
 教皇庁はルーインドサピエンス(旧人類)時代の遺跡の保護にも注力していた筈である。

「偶然とは言え、幸運であったな。我らは武具一式を揃えてある。
敵の要所さえ押さえてしまえば、後は容易い」

 先日、アラカネから向けられた正論(ことば)で迷いを吹っ切ったシンカイは、
肉厚で重量(おもみ)のある愛刀を入念に手入れしている。
同情すべき点があるにせよ、局長を狙う敵として相対したときには一刀のもとに聖騎士を斬り伏せる覚悟だ。
 軍議を始める前に頼んでおいたルームサービスのオードブルを頬張り、
果実のジュースでこれを飲み干したゲットは、指に付着したソースを舐め取りつつ、
「バカ丸出しって感じだよな〜あ」とシンカイの言葉に頷いた。

「一番から四番まで戦頭が顔並べて、おまけにおれたちも一緒だぜ。
局長暗殺どころか、手前ェらのほうが虐殺されるっつーの」
「メシ喰うついでにギルガメシュの手先もブッ潰す――なんて、向こうは知らねぇだろうしな。
……なあ、ラーフラ? まさか、大司教に通知なんかしちゃいねーよな?」
「通知せぬわけに行くか。あやつの目が届く範囲で捜査をするのじゃぞ? 
……無論、大司教の計画を先に知っておれば、適当に誤魔化したのじゃが――」
「か〜ッ、大間抜けじゃねーか! やり合う前から手の内を見せてどーすんだよ!」
「まぁまぁ、そうカリカリすんなって。ラーフラさんだって予言者じゃね〜んだから、
何もかもお見通しってワケには行かないさ――ほら、ソーセージでも食って落ち着きなよ。
シュテンのメシほどじゃないけど、コレも案外イケるぜ?」
「ンなこと言ったってよぉ〜」

 勧められたボイルドソーセージに齧り付き、次いで大仰に悲鳴を上げるシュテンとは対照的に、
ゲットは今後の成り行きに何も心配はしていない。
 暗殺のターゲット――覇天組の局長が何人もの隊士を伴って入国することなど、
おそらくモルガンはテンプルナイトの耳には入れないだろう。
そのような配慮が出来る人間であれば、対立する宗派の聖騎士とて人並みに遇した筈である。
 テンプルナイトと大司教の関連よりも気に掛かるのは、
この地に潜んでいると言うギルガメシュの支援者の件である。

「そっちの情報(ネタ)は出所が判ったのかい? そうゴロゴロ支援者に居て貰っても困るから、
どちらかっつーと誤報だと助かるんだけどな」
「いえ、……こちらにやって来た監察方が総出で調べを進めているのですが、どうにもボヤけていて……」

 ゲットの問いかけにはヌボコが答えた。
今回は父に随伴している為、本来の任務へ関われずにいるのだが、彼もまた監察方の一員であり、
平素はアプサラスと共に標的の探索などを行っている。
 覇天組の監察方は極めて優秀であった。隊士ひとりひとりの技能もさることながら、
各地の情報屋などと結託して大規模なネットワークを形成しており、
陽之元の脅威となり得る存在を一個(ひとつ)として逃さないのだ。
 そのような情報網を築いているにも関わらず、今回ばかりは敵の正体が判然としない。
通報の虚実や実態すらも掴み兼ねており、ヌボコは「自分の力不足が恨めしいです」と肩を落としている。
 元は匿名情報なのだが、拠点と思しき場所の写真やギルガメシュとの関わりを示す書類も
証拠として添えてあった為、最初の内は誰もが信憑性を認めていた。
 俗に言う迷宮入りの様相を呈してきたのは、現地調査を始めて間もなくのことである。
当初の信憑性など今では絶無に等しかった。

「――アプサラスのほうはどうなんだ? ここまで証拠がアガッてるんだから、
今更、おかしなコトにはならないと思うんだが……」
「出所(でどころ)は確か――とだけ言っておくわ」

 他方のニッコウは、局長暗殺計画を通達してきた情報屋のことをアプサラスに質している。
 それは監察方とも親交の深い男であった。アプサラス自身、その男の情報には全幅の信頼を置いており、
実際に大司教の陰謀まで行き着いたのだ。
 それにも関わらず、彼女は言葉を濁した。胸を張って「心配するだけ時間の無駄」とは答えなかった。
 両者の会話へ耳を傾けていたラーフラは、一頻り首を傾げた後、
右の隻眼でもってアプサラスを凝視し始めた。その瞳には困惑を宿している。

「……随分と引っ掛かる言い方じゃな」
「そんな言い方になる場合は、私自身が引っ掛かっている証拠です」
「勿体ぶらずに教えてくんねぇかよ、アプサラス。おれやラーフラ――いや、何よりヌボコの為に頼むぜ」
「う……」

 討手の動きを掴んだとは言え、親友の生命に関わる事態を楽観視することなどニッコウには出来ず、
すぐさま質問へ答えるようアプサラスを急かした。
 催促を受けたアプサラスは、目端でもって愛弟子(ヌボコ)の面を――不安げな表情を捉えると、
頬を掻きつつ仕切り直しの咳払いを披露した。

「――ざっくばらんに言えば、私に密告してきた情報屋はカネで動くタイプなのよ。
それが彼らの商売だし、どんな情報屋でも似たり寄ったりだけれど、
……その男はカネに素直な分、何かと転び∴ユいのよ」
「成る程、確かに引っ掛かる相手じゃな」
「カネにうるせぇヤツは信用出来るか、そうでないかの両極端だもんな〜」

 ラーフラとニッコウを交互に見比べながら、アプサラスは「同時に声を掛けないこと」と注意も言い添えた。

「オレらを引っ掻き回す罠――かもな」

 三者の話に割って入ったのは、瞑目したまま考えごとに耽っていたナラカースラだった。
 局長暗殺計画と言う事態に直面するとは想像もしていなかった為、
四番組の構成員でもある『御雇(おやとい)』――即ち、子分たちは陽之元に留め置き、
単身でナタクに随伴したのだが、その判断が裏目に出たと先程まで落胆していたのである。
 ナラカースラが率いる四番組は異質な存在であった。
異名は『別選隊(べっせんたい)』――言わば、別働隊だ。
 しかも、隊を構成するのはナラカースラ個人の子分であって正規の隊士でもない。
『御雇』と言う名称を与えられた者たちは、時代の闇≠ノしか生きられない人間が殆どである。
局長によって覇天組に編入されていなければ、その闇≠フ中で野垂れ死んでいた筈なのだ。
 全身の至る箇所へ罪人の証たる刺青を彫られた四番戦頭は、局長に並々ならない恩義を感じており、
その生命が狙われているときに全力を発揮出来ないことが悔しいのだった。

「なんだい、そりゃ。おれはてっきり教皇庁の誰かが大司教を裏切ったと思ったんだけどよ」
「情報屋って生き物の使い方は人それぞれでよ。裏のネタを引っ張り出すだけじゃなく、
狙った相手に偽の情報を刷り込むのにも利用出来るってワケさ」
「そのテの撹乱は『北東落日の大乱』のときにもあったけど、
それと今じゃ――あ、いや……似てるのか、今回も」
「そーゆーこと。今度はホンモノを流してるみたいだけどね。
……ここからどう転がるのか、ちょいと気を付けなきゃならないかもな」

 議論を重ねる途中でニッコウもナラカースラの仮説に気が付いた。
 局長暗殺の情報を意図的に覇天組へと流し、反応を探っていた可能性もあると、
ナラカースラは考えているのだ。
 情報屋を使って覇天組に揺さ振りを仕掛けたのは大司教本人であり、
これもまた局長暗殺へ到達する為の計略であろう――と。
 仮説を論じた後、目配せでもって答え合わせを求めると、覇天組の軍師は親指を立てて応じた。
ジャガンナートもまた同じ仮説(こと)を考えていたようである。
 言葉を用いず意思を通わせるジャガンナートとナラカースラの様子を、シュテンは不思議そうに眺めていた。
何を奇妙に思っているのかは定かではないが、口を大きく開け広げている。

「――にしても、そこまでしてナタクの生命(タマ)を狙う理由が謎だよな。
覇天組全体を敵に回すだけじゃねーか。何を得するんだ、教皇庁が」
「……まだ解ってねぇのは、てめェくらいなもんだ。バカは黙ってろや」
「ンだと、アラカネぇッ!」

 教皇庁の大司教がナタクを狙う理由――その点をシュテンは理解していなかったようである。
一度、「覇天組を潰すのが目的」と言明されたにも関わらず、だ。
 モルガンやテンプルナイトなど返り討ちにしてやると荒々しく息巻いておきながら
肝心の部分を掴み兼ねていたとは、アラカネでなくとも呆れて当然である。
 正論しか吐いていないアラカネに対し、「大司教の正体ならオレだって分かるぜ! 
てめーみてぇな陰険野郎に違ェねぇッ!」と破れかぶれに噛み付いていくシュテンの姿を、
ラーフラは痛ましそうに見詰めていた。

「要は覇天組に首輪を付けようと言うわけじゃ。輪を嵌める首≠ヘ挿げ替えることが前提のようじゃが」
「だから、その言い方がいちいち回りくどいつってんだよッ!」
「ナタク以外の局長なら御し易い――それが大司教殿の結論と言うことよ。若しくは教皇庁の判断……か。
自分たちの思い通りになるよう犬≠調教したいのであろう。
ここまで語れば、お主の頭脳(あたま)でも解るじゃろ? 今度の暗殺は実利以外の何物でもない」
「……おお、よ〜く解ったぜ。教皇庁が正真正銘のカスってコトがな」

 ここ最近の覇天組を振り返れば、教皇庁が首≠フ挿げ替えを謀ったとしてもおかしくはなかった。
ギルガメシュに資金援助をしていた悪徳金融業者を攻めた際には、
容疑者のひとりを助けた上に覇天組の監察方として雇ってもいる。
 件の容疑者は、本来は陽之元に籍を置く人間であり、この点を教皇庁は問題視していた。
実際、ナタクは陽之元内の教区を管轄する司祭から尋問まで受けたのだ。
 「同郷だから温情を掛けたのではないか」と難詰する声は陰気そのもので、
暫くはナタクの耳にこびり付いて離れず、それどころか、悪夢(ゆめ)の中にまで現れたほどである
 司祭が執拗に追い縋ったのも無理からぬ話ではあった。教皇庁にとって、これは由々しき問題なのだ。
女神イシュタルの名のもとに下された命令に逆らう者など地上に存在してはならないのである。

「逮捕はしたが嫌疑不十分で釈放。しかし、密偵としての力量は捨て難いものがあった。
よって、覇天組で引き取ったまで。やや回りくどい道のりですが、ゆくゆくは教皇庁の力となる人材です。
そちらのご指導は平伏して承りますが、ここは曲げて新たな人材を了承頂きたい」

 そのようにナタクは釈明したが、教皇庁から見れば女神に対する冒涜以外の何物でもない。
 尋問に当たったのは大司教ではなかったが、教皇庁を取り仕切る男の関与は疑いないこと。
果たしてその疑念は、局長暗殺計画と言う形で明らかにされた次第である。
 ラーフラの口から暗殺計画の背景が語られたとき、アプサラスは血が滲むほど強く唇を噛んでいた。
ナタクが温情を以って雇い入れた相手とは、彼女の昔馴染みなのだ。
 そのことが局長の身に危難を招いたとアプサラスは思い詰めており、
ヌボコやミダから慰められても、「私の所為だから……」と繰り返すばかりであった。
 ナタク自身はアプサラスが原因とは微塵も思っていない。
元より教皇庁と覇天組は相容れない存在であり、遅かれ早かれ確執が生じるとも予想していた。
 先日も教皇庁に逆らおうとした抗議運動を放免しており、これこそが直接の引き金になった筈だ。
 そもそも、だ。教皇庁から飼い犬のように扱われること自体、ナタクには身震いするほど腹立たしい。
 教皇庁が楔を打ち込むつもりであれば、覇天組は真っ向から受けて立つ――それがナタクの結論である。
無論、他の隊士たちも同じ思いであろう。

「局長が変わったくらいで操り易くなると、そんな風に考えた時点で底が知れたな。
覇天組と言うものを上辺しか見ていない証拠だ。随分と舐められたものだね……!」

 「第三者の客観的な意見だけれど」と前置きしてから自身の見解を述べたバーヴァナは、
次いでナタクとラーフラを交互に見詰める。その口元には薄い笑みさえ浮かべていた。
 部外の人間には殆ど知られていないが、ラーフラ――つまり副長こそが覇天組を作り上げた第一の功労者だ。
ナタクを局長として戴き、隊を編制したのも副長その人である。
 本気で覇天組を叩きたいのであれば、局長よりも先に副長を狙うべきだとバーヴァナは笑ったのだった。

「舐められているのはそこではありませんよ。こんな見え透いた策(て)でセンパイを亡き者にしようなんて――
ふざけた思い上がりに付き合ってやる理由はない!」

 バーヴァナの見解を受け、ハハヤは両の拳を鳴らし始めた。
 平素は温厚で明るい青年なのだが、ナタクやヌボコを害そうと図る者に対しては最凶の鬼と化すのである。

「今更、チンケな生命なんざ惜しかねぇが――薄汚ェ連中に持ってかれるのは面白くねぇ。
……首輪を嵌めようとするバカの手は幾らでも咬み千切れ! 教皇庁なんざ目じゃねぇぜッ!」

 覇天組が教皇庁の犬でないことを世界中に示してやれ――と、局長は猛々しい号令を発した。
 誰よりも早く拳を突き上げ、勇ましく応じたのがアプサラスであることは、
改めて詳らかとするまでもあるまい。

(――犬には爪と牙があるってコトを忘れんなよ、末成り……)

 そして、ナタクの意識は晩餐会の場へと戻り、その双眸はパオシアンの王子から離れ、
前方より歩み寄ってくるモルガンを捉えていた。




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