6.DEEP RED


(……『無の拳』とか何とかブツブツ言ってたな。結局、何のことか訊けず終いだったが、
ハハヤのアレ≠ンてぇなモンかねぇ――)

 在りし日を俯瞰する現在(いま)のナタクは、その意識をカナン・ミトセとの戦いとは別の時間に飛ばした。
 数年を遡る死合とは違い、その時間(ページ)のナタクは顎に髭を蓄えており、双眸は眠たげに半ば落ちかけている。
ここ最近の出来事を振り返っていると言うわけだ。
 黒い胴着と袴に身を包んだナタクは、同じ出で立ちの愛弟子――ハハヤと向かい合っていた。
カナン・ミトセとの死合と同じく、互いに武器を持たずに無手であった。
 聖王流が誇るふたりの達人が対峙したのは、言わずもがな武道場である。
同じ板張りでも寺院址のように朽ちてはおらず、頑強な造りであり、手入れも行き届いていた。
壁には訓練用の槍刀なども立て掛けられており、徒手空拳のみを鍛錬する場ではないことを示している。
 生半可な稽古場でないことは、マットや畳の類が見当たらないことからも明らかである。
つまり、投げ落とされた際の衝撃を和らげる設備など、ここでは必要とされていないと言うことだ。
硬い床の上に頭から叩き付けられて意識を失ったとしても、それは当人の力量不足と見做される――
まさしく鬼たちが技を磨くのに相応しい場であった。
 無論、覇天組の隊士たちの稽古場である。一角ではルドラとシンカイが訓練用の太刀で切り結び、
また別の一角ではニッコウとアプサラスが互いの得物を打ち合わせている。
ヌボコもアラカネから筋力訓練の助言を受けていた。
 建物が気合いの声で揺れるほど隊士たちは稽古に熱心なのだ――が、
局長と一番戦頭が相対した途端、得物をぶつけ合う音も、踏み込みの足が床板を滑る音も、何もかもが一斉に止んだ。

「お〜、どうにか間に合ったみたいだね。……ったく、おちおち昼寝も出来ね〜や」

 ゲットが道場に顔を見せたのは、武道場が静寂に包まれた直後のことであった。
ナタクとハハヤが模擬戦を行うとき、覇天組の隊医はそれを察して駆け付けるのだ。
 すぐさま治療を施せる状態を整えなくてはならない程、両雄のぶつかり合いは危険と言うわけである。
その場に居合わせた誰もが戦慄の前に釘付けになってしまう――これこそが何よりの証左と言えよう。
 聖王流の宗家はナタクが継いでいる。その正統後継者は愛弟子のハハヤを百年に一度の天才と誇らしげに語っている。
これに対して師の贔屓目などと謗る声が上がらないのは、ハハヤの力量に誰もが恐れ戦いているからだ。

「――お手柔らかにお願いしますよ、センパイ」
「それは俺の台詞だろ。お前にゃ、もうとっくに敵わねぇんだぜ?」

 如何なるときにも礼節を弁え、決して才能に溺れず人一倍の努力を積み重ねるハハヤは、誰からも愛される好青年である。
それ故にナタクは彼に聖王流の塾頭を任せ、更には自身の妹と娶せたのだ。
 しかし、一度(ひとたび)、戦いの場に立てば聖王流門下の類例に漏れず、
また、覇天組一番戦頭の称号(な)に愧じない勇敢な姿を見せ付ける。
虫も殺せないような人の好い貌(かお)をしておきながら、表情ひとつ変えずに羅刹の業(わざ)を乱れ撃つのだ。
 ハハヤには『魁(さきがけ)先生』なる異名がある。覇天組の誰よりも先駆けて敵陣に突撃していくことから、
敵味方にその名で恐れられていた。
 これとは別にハハヤはもうひとつの異名を付けられている。それも、ハハヤと言う男にではなく彼が操る業に対して、だ。
 耳に馴染みのない不思議な響きの言葉、『無痛殺(むつうさつ)』こそがもうひとつに異名である。
 その意味するところもまた掴みどころがなく、どこか奇妙であった。
余りにも速く、そして、精確に急所を穿つ為、攻撃された側は痛みを感じる前に息絶える――そのように見えるそうなのだ。
苦痛どころか、己が何をされたのかも理解出来ないまま落命する業であると、ハハヤを知る誰もが畏怖していた。
 しかも、だ。ハハヤの武技には気配と言うものが全く伴わない。
魂が共鳴するような闘気や心臓を凍て付かせるような殺気と言った、遍く気≠フ熾りを完全に断ち、
相手に何も反応させないまま死を齎すのである。人間と言う生き物は本能や直感でもって危機を察知する筈だが、
聖王流が誇る百年に一度の天才は、それすらも凌駕しているのだった。
 呼吸や筋肉の微かな動きから相手の行動を読み抜き、見切り、その場に最も適した攻め手を組み立てていく。
これは、一瞬で標的を殺傷する計算とも言い換えられよう。
戦場では対多数の状況が殆どであり、ハハヤは一秒にも満たぬ間に数名を蹴散らしていくのだ。
そして、何が起きたのかも解らず、呆けたような表情を浮かべる屍の山を築くのである。
 ハハヤが繰り出す業は無であり、有。虚であり実――有り様こそ異なっているものの、
動きを先読みが出来ないと言う点に於いては、カナン・ミトセと同等であった。
 ナタクとて気配を断つ術は会得しており、生半可な相手には『無痛殺』に近いことが出来る。
さりながら、達人相手にはどうにもならず、如何に工夫を凝らしても気配を見破られてしまう。
 これに対して、ハハヤは実力伯仲の相手にも――否、己よりも稽古が進んでいるような相手にさえも
気の熾りを見抜かせない。師匠すら辿り着けない領域に彼は立っていた。
ナタクが「敵わない」と断言してしまうのも頷けると言うものだろう。
 理屈では解き明かせないような境地に立てる者にこそ『天才』の二字は相応しい。
それはハハヤのような人間を指して言うのである。

「先ずは軽く――」

 ハハヤの言う軽く≠ニは、いきなり飛龍撃を三連続で放つことを言う。
左右の拳でもって立て続けに飛龍撃を繰り出す『双闘龍撃(そうとうりゅうげき)』の発展型だが、これよりも数段鋭い。
しかも、ハハヤは右拳ひとつで眉間、鳩尾、丹田を次々と狙っていくのだ。
 足腰のバネを駆使した飛び込みから牙の如き拳を突き入れる飛龍撃は、ナタクにとって一番の得意技である。
彼から稽古を付けられたハハヤにもその系譜は受け継がれており、錬度は師匠以上とも噂されていた。
ありとあらゆる方向から同時に牙を突き立てる『懸乱龍撃(けんらんりゅうげき)』は、
現世代にはハハヤ以上に巧く使いこなせる人間がいなかった。
 互いが密着した状態で放つ術、己の身を砲弾に見立てて空襲さながらに天より急降下する術、
地面を這う程の低い姿勢から相手の足元を掬う術――ありとあらゆる飛龍撃の変形にハハヤは精通しているのだ。

「――天稟を思い知らされるよ。『軽く』の基準が滅茶苦茶だぜ」

 一瞬にして幾度も閃いた牙に先読みではなく反射神経で相対し、大きな痛手も被らずに防ぎ切ったナタクは、
三度目の突き込みの際に迎撃を試みた。
 伸び切ったままのハハヤの右腕、その手首に己の左手甲をぶつけて撥ね上げたナタクは、
鋭く踏み込みつつ斜方へ落とす肘打ちで胴を狙った。防御から攻撃へと素早く転じた左肘で、だ。
 本来は刀剣で斬りかかって来る相手に用いる返し技であった。
敢えて懐に飛び込みながら持ち手を押さえ、がら空きとなった胴に強撃を見舞おうと言うのだ。
 その瞬間にハハヤは半歩ばかり後方へ下がって肘打ちを避け、
そうかと思えば、ナタクの踏み込みへ合わせるようにして右の回し膝蹴りを繰り出す。
返し技で逆襲されるどころか、そこまで読み切って逆にナタクの胴を脅かしたのである。
 予知能力でも備えているのかと錯覚してしまうような見切りであり、攻防一致の蹴り技であった。
 尤も、ナタクとてこうした展開は予測していた。
ハハヤのような見切りではなく、愛弟子の才能に対する絶対的な信頼が根拠である。
自分の動きを必ずや上回るだろう、と。
 それ故にナタクは踏み留まった。膝でもって胴を抉られようとも弾き飛ばされまいと踏ん張りを利かせ、
すかさず己の左腕をハハヤの股下へと滑り込ませる。袴の帯を五指にて捉えると同時に対の右手で左袖を掴み、
ハハヤの身を高々と持ち上げた。
 柔道で例えるところの肩車(かたぐるま)に形は近い。頭蓋骨を粉砕するようにして脳天から地面へ叩き付け、
それでも凌いだ相手には追撃の膝を落とす――この辺りが武道≠ニ戦場武術≠フ差異と言えよう。
 ハハヤは敢えてこの技をナタクに使わせ、そこから反撃に転じようとしていた。
高く持ち上げられた瞬間、己の股を潜っている左腕を両足で挟み、
次いで捕獲されていない右手でもってナタクの帯を掴むと、ここを軸に据えて瞬間的に横回転を生み出した。
己の全体重を横方向に振り、これによって投げを打つ側の重心を崩したのである。
 ナタクにとっては前方へ傾いだ恰好だ。次の瞬間には左袖を掴んでいた手まで外され、ハハヤの自由を許してしまう。
 中空で身を翻したハハヤは、そこから引き込むようにして腕十字へと変化した。
 床の上に仰向けで倒されたなら、完全に左腕の関節を決められる――が、ナタクもそう簡単には屈しない。
体勢を崩す寸前で上体を撥ね起こし、腕十字を決められたままの左腕を力任せに持ち上げた。
絡み付いたままでいるハハヤの身体を腕一本で支える状態だ。
 左腕に絡み付いた足を引き剥がすように腰を捻りながらハハヤの身を振り回し、
床板目掛けて顔面から落とすと言う荒業である。
 身体を叩き付けられる寸前に腕十字を解き、着地と同時に半歩ばかり踏み込んだハハヤは、
ナタクが引き戻すよりも早く左腕を捉えた。彼の左肩と首に右腕を巻き付け、続けて左の五指にて己の右手首を掴み、
師匠の身体をうつ伏せに引き倒す――俗に脇固(わきがため)とも呼ばれる状態だ。
 関節を極められている側の左手でハハヤの後ろ襟を掴み、次いで自由に使える右掌と両膝を床に押し当てたナタクは、
接地した三点を軸に据えて内から外へと一気に回転した。その流れの中で先ず首を引き抜き、
次に後ろ襟を掴んでいるで左腕でもってハハヤを押さえ込む。
 首こそ引き抜いたものの、左肩にはハハヤの両腕が絡んだままだ。
どうやら、この部位だけは逃さないつもりのようである。
半端な脇固でも仕留め切れると、天性の勘で判断したのかも知れない。
 脇固を完全には外せないと見て取ったナタクは、右の五指にてハハヤの左袖を捉えると、
後ろ襟を掴む左腕に一層の力を込め、更に両膝でもって踏ん張りを利かせて己の上体を引き起こした。
相当に無理な体勢からハハヤの全身を持ち上げたのである。

「いつもながら莫迦な真似をする……」

 稽古の手を止めて聖王流同士の模擬戦を眺めていたアプサラスは、その様に驚嘆の声を漏らした。
脇固は床に伏せられた状態で初めて成立する技だ。つまり、ハハヤ自身を持ち上げてしまえば捕獲は不完全となる。
だからと言って、ナタクの挙動(うごき)には無理がある。両腕の筋肉が裂け、靭帯が千切れてもおかしくはなかった。
 しかも、だ。ナタクは両膝のバネのみで跳ね飛んだ。すかさず身体を捻りながら横向きに倒れ込み、
この勢いをもってハハヤを床に叩き付ける――変則的な裏投(うらなげ)にまで持ち込んだのである。
 追撃を受ける前に身を転がし、一旦、間合いを取ったハハヤは、左腕を回しながら立ち上がろうとするナタクに向かって、
「センパイ、あくまでも稽古なんですから。そんな無茶しないでくださいよ」と気遣わしげな声を掛けた。

「身体を壊すのが趣味みたいなヤツに何を言ったってムダだよ。医者の仕事を意味なく増やすなってんだい」

 ナタクの代わりに答えたのはゲットである。このように肉体へ過剰な負荷を加える動きさえ、
現在(いま)のナタクは平然とやってしまうのだ。それ故にゲットが控えていなくてはならないわけである。
 平隊士へ稽古を付けるときは問題ではない。ヌボコの相手をしているときにも心配はない。
しかし、百年に一度の天才とまで謳われる男との模擬戦となれば話は別だ。
ナタクも一切の遠慮なく本気≠出してしまうだろう。
そして、その本気≠ノは先程のような危険な動きが含まれている。
 腕十字や脇固を返す際にナタクが用いた技は、確かに聖王流の系譜にて受け継がれてきたものではある――が、
稽古の最中に使って良いものではなかった。何かひとつでも仕掛けを誤れば、己の身体が壊れてしまうのである。
戦場と言う極限状態の中、「肉体の一部を犠牲にしてでも生き延びる」と言う取捨選択でのみ許される緊急回避であった。

「稽古だから無茶出来るんじゃねぇか。どんな技でも使わずにいると錆付いちまうからよ」

 ハハヤとゲット、両人への答えをナタクは言葉ひとつで済ませてしまった。
 父の言い分にも一理あるとヌボコが納得しかけたとき、ニッコウから「アホか」と言う呆れ声が飛んだ。

「尤もらしいことを言って誤魔化そうとするんじゃねーよ。身体いじめて何の得があるってんだ。
度胸試しみたいなことをしなくたって、いざってときには自然と飛び出す。本能の部分に刻み込まれるのが聖王流だろ。
お前がやってんのは自傷行為とおんなじだぜ」
「ボロクソに言ってくれるじゃねーか」
「言われるほうが悪いんだよ。小言がイヤなら自重しな。目に余るようならシャラさんも呼んでくるけど?」
「……それはマジで勘弁してくれ。小言じゃ済まなくなっちまわァ」

 最初に学んだ道場こそ違えども、ニッコウとナタクは同門である。
最終奥義も含めて聖王流の全てを識(し)り尽くしており、それ故にナタクに向かって辛辣な言葉を掛けるのだ。
 稽古に用いるのが相応しいとは思えない技が、あろうことか当代の宗家から飛び出したときには、
誰かが咎めるしかあるまい。その役割は幼友達である自分こそが担っているのだとニッコウは心得ていた。

「……どうします、センパイ。まだ続けます?」

 如何にも不機嫌そうなニッコウの手前、控えめに尋ねてくるハハヤに対して、
ナタクは構えを取り直すことで返答に代えた。
 思わぬ注意を受けてしまったが、さりとて稽古を打ち切る理由にはならない。
数度ばかり打撃と組技を競った程度では、ハハヤの側も得ることなど何もなかった筈だ。

「この程度じゃお前だってクールダウン出来ねぇだろ――」

 ニッコウとて模擬戦そのものは止めるつもりはない。徐々に間合いを詰めていたナタクが、
攻め入る好機を見極めた瞬間に床を蹴り、左右に身体を振りながらハハヤに踏み込んでいっても、
制止を訴えるような真似はしなかった。
 但し、何時にも増して険しい眼差しをナタクの一挙手一投足に向けている。
自傷にも等しい行為――これを見つけたときには、厳正な審判のようにすかさず警告を飛ばすことであろう。
 刹那、ナタクの両拳が閃いた。拳闘で言うところのフックがハハヤの防御を――否、腕を軋ませる。
足腰を捻り込み、振り子の如く左右の拳を往復させ、瞬きひとつの間に十数度はハハヤを揺さ振っていた。
 聖王流本来の打突――当身と呼ばれる打ち方も含まれる――を忠実に全うするハハヤに対して、
ナタクは拳闘の技術にも長けている。拳打に於いては、聖王流の打突よりも拳闘のほうが得意のようにも見えるくらいだ。
 事実、竜巻さながらに吹き荒れたフックの連打は、天才の名を欲しい侭にするハハヤにも弾きようがなかった。
骨身に響く破壊力で押し込まれ、反撃に転じることさえままならない。

「一段と速く、重くなっている……!」

 ヌボコが漏らした感嘆の声はハハヤの耳にも届いたようで、
「一日――いや、一秒ごとに強くなっているよ、キミのお父さんは」と微笑を湛えながら頷いて見せた。

「一秒ごとに伸びるのはお前だろ、ハハヤ。俺はそんなに器用じゃねぇ。伸び代だってとっくに使い切ってらァ」
「センパイに分からなかったとしても、僕には分かるんですよ」

 ハハヤにとっては数え切れないほど受け止めてきた拳なのだ。
弟子入りしてから今日(こんにち)まで、ナタクの繰り出した一撃一撃をしっかりと記憶に留め、
いつか辿り着くべき目標として定めているのである。
 ナタクの――『戦いの申し子』と畏怖される男の拳は進化を決して止めない。
修羅場を潜り抜ける度、猛者と相対する度、彼の牙≠ヘ鋭く研ぎ澄まされていくのだ。
 自分との模擬戦が飛躍の一助となっているのならば――と誇らしい思いもあるのだが、
少しでも気を緩めると、途端に置き去りにされてしまうだろう。今はそのことを恐れる気持ちのほうが強かった。
 だからこそ、ハハヤはナタクに正面から打撃戦を挑んでいく。
留まるところを知らない進化に少しでも近付きたくて、思い切り腕を伸ばしていく。
 先程の反撃とばかりにハハヤが繰り出したのは、残像すら振り切るほど疾(はや)い両拳の乱れ打ちであった。
直線的な突きかと思えば、急速に変化して横に薙ぎ、次いで鳩尾を打ち据え、更には側面に回り込みながら胴を抉り――
様々な角度からナタクを猛襲した。
 その上、だ。拳を引き戻す挙動(うごき)に合わせてハハヤは蹴りも放っている。
体勢を崩すべく膝や腿を脅かし、身のこなしを封じるよう四肢の付け根に強撃を重ねていく。
拳でもって胴を打ったときには、全く同じ軌跡を蹴りでも描き、二重のダメージを与えることもあった。

「これだけ激しく動き回っているのに一個も無駄が見当たらないなんて、一体、どう言う厭味なんだ……」

 忍術を極め、速度には自負のあるアプサラスも、これには肩を竦めている。
 ハハヤが百年に一度の天才であることは覇天組の誰もが認めているのだが、
傑物たる証明――あるいは力量の差とも言い換えられよう――を改めて見せ付けられてしまうと、
やはり武芸を志す人間としては悔しいのだ。ましてや、大きく引き離されたのは己が最も得意とする速度。
これほどの屈辱は他にはあるまい。
 そして、絶対に辿り着けない天稟を前にして歯噛みし、血管が浮き上がるほどに拳を握り締め、
やがて悔しいと思った気持ちさえ突き抜けてしまう――胸を刺す劣等感をも包み込み、
彼ならば勝てなくとも仕方ないと納得させてしまうのが、ハハヤと言う稀代の天才であった。
 彼が繰り出す乱打は、ただ速いだけではなかった。ありとあらゆる攻撃には殺気も闘志も宿っていない。
達人が相手であっても、決して付け入る隙を与えない。「無欠」と言う二字が、そこに具現化しているのだ。
 神の領域としか例えようのない芸当を、果たして他に誰が真似出来るのだろうか。
そこに行き着いたとき、誰もが「ハハヤには敵わない」と悟るのである。
 一切の気≠断ち、また神速の域にまで達し、無と有、虚と実を完全な形で結実させた天才の業には、
人の子では反応することさえ不可能であろう――

「弟子が弟子なら師匠も師匠、か。……本当に自分たちと同じ人間なのか、時折、真剣に分からなくなる」

 ――が、戦いの申し子は違う。人の皮を被った獣≠ヘ、天才の業にも喰らい付いていく。
 全てとは行かないまでも、およそ八割程度はハハヤの攻撃に反応し、下腕や掌底でもって受け流している。
全身を亀の甲羅の如く変える特殊な防御法を用いれば、技の拍子を崩し、姿勢をも挫けるのだろうが、
敢えてその手段(て)を採らず、愛弟子の神速に付き合っているようにも見える。
 これは稽古なのだ。相手を倒すことよりも攻防の中で何を学ぶかが肝要なのだ。
気≠伴わず、先読みの叶わない神速を、地力のみで如何に防ぐか。ナタクはこれを試しているのだった。
反射神経、動体視力を鍛えるには、ハハヤは最高の稽古相手であった。

「似た者師弟と言うべきだろうな。一見して無駄がないように思えるハハヤの動き――実はあの全てが無駄なことだ。
……いや、無駄と言うのは少し違うか。強いて言えば、布石。真の狙いは別にあると思う」

 アプサラスの嘆息を受けるようにしてシンカイが呟いた。
 ハハヤの降り注がせている乱打が、実は陽動(さそい)であるとシンカイは捉えていた。
彼の隣に立つルドラも「だろうね。局長相手に手数では崩せないと、ハハヤ君も承知している筈だ」と頷いており、
ニッコウやヌボコも否定はしない。
 拳と脚の嵐の中で瞬間的に変化し、強撃を放つことだろう。
アプサラスを愕然とさせる程の乱打ですら、ハハヤにとっては攻め手を組み立てる上での布石に過ぎないわけだ。
 果たして、シンカイの見立て通りの展開が訪れた。ナタクの視界を覆い隠すような右上段蹴りを放った直後、
ハハヤの左拳が手刀の形に変わった。
 その様を見て取ったヌボコが「まさか――」と思わず呻く。
 聖王流の手刀の神髄は打撃に非ず。刀剣の類と互角に斬り結ぶ∴ラの修練を重ね、秘技の領域にまで昇華されている。
その名は『断空刃(だんくうじん)』。カマイタチを伴うほどの速度で手刀を薙ぎ払い、相手の骨肉を切断するのだ。
 殺傷力は他の武技の比ではなく、腕十字や脇固を脱する際にナタクが試みた緊急回避とは別の意味で、
「稽古に用いるのが相応しいとは思えない技」である。ヌボコが呻いたのも当然であろう。
 断空刃がシンカイの言う布石なのか――これを見極めるような猶予などはなく、
斜め上の軌道を描く手刀を視界に捉えた瞬間、ナタクは上半身のバネを振り絞って右拳を突き出した。
 『虎徹(こてつ)』である。打撃の威力を一点に集中し、ただ一撃を以って相手を破壊する中段突きであった。
 ナタクの踏み込みは深い。滑り込んでくる断空刃を敢えて胴で受け止め、その間に顔面へ拳を叩き込もうと言うわけだ。
 カマイタチを伴う手刀を生身で受けるなど自殺行為のようにも思えるが、
切断の力と言うものは振り抜く瞬間にこそ最大の値に達する。
広い面≠ナ堰き止めてしまうことは、実は理に適った防ぎ方なのだ。
 断空刃を破られたハハヤだったが、しかし、動揺は見られない。死命を決する秘技ですら陽動(さそい)であったわけだ。
 鼻先まで迫っていた虎徹を僅かに後方へ跳ねて避け、これと同時に左前回し蹴りを繰り出した。
腰から足首に至るまでのバネを瞬時にして限界まで引き出したこの蹴りは、
『鳴鵬箭(めいほうせん)』なる技名が与えられている。
 
「ま〜たバカッ疾(ぱや)いな。あれはおれでも躱せねぇ」

 ハハヤの鳴鵬箭をニッコウがそう評する。聖王流門下の中で最も蹴り技に長けているのが彼なのだ。
ジャガンナートには「足癖が悪いよね」と揶揄されているが、
一度(ひとたび)、本気になれば放つ蹴りは無限にして変幻自在。他の追随を決して許さないのである。
 そのニッコウが絶賛する鳴鵬箭――蹴り足の爪先に対して、ナタクは右拳を叩き付ける。
続けて前方に踏み出すと、膝を折り曲げさせるようにして拳を押し込み、ハハヤの体勢を崩しに掛かった。
 否、姿勢が崩れるのを待ってはいない。更に一歩踏み込み、対の左拳を掬い上げるようにして放つ。
拳闘に於けるアッパーカットだ。
 その挙動(うごき)をも見切った――あるいは想定内か――ハハヤは、
蹴り足を即座に引き戻し、再度、横薙ぎに一閃させる。ナタクの左腕を弾き、アッパーカットの拍子を崩そうと言うのだ。
 ナタクの左腕を弾いた瞬間、同じ蹴り足を顔面に向かって振り上げる。
中段から上段へと変化させたのだ――が、左足が伸び切った直後、
ナタクの面を打たずに腰を捻り、今度は足先を急降下させた。
 真の狙いは右膝であると傍目には見えただろう。ナタクもそのつもりで迎撃の態勢を整えている。
 しかし、今度もハハヤの蹴りは師匠の身をすり抜けた。これもまた陽動(フェイント)と言うことだ。
軸の右足でもって跳ね飛び、瞬く間にナタクの左側面まで滑り込むと、全身を駒の如く旋回させながら蹴りを打つ。
蹴り足を入れ替えての上段蹴りであった。

 この挙動(うごき)こそが『無痛殺』と呼ばれる所以であった。
ありとあらゆる気≠フ熾りを断ち、複雑怪奇な身のこなしで相手を幻惑し、意識の外から神速にして必殺の一撃を見舞う。
 しかも、だ。ハハヤの慧眼は相手の呼吸を確(しか)と見極めている。
捻り込むような上段蹴りもナタクが身体を動かそうとする拍子に合わせて繰り出していた。
最も威力の浸透する瞬間を狙い定めたわけだ。
 両足が地面から離れた状態で放たれた蹴り技だが、腰の捻りを十二分に利かせている為、
軸を据えたのと同等の速度、勢いを持ち、何よりも重みを備えていた。それ故に必殺¢ォり得るのだ。
 これらの技巧が結実したとき、ハハヤの技は『無痛殺』と言う境地にまで昇華されるのである。
今し方の上段蹴りも人体急所たる後頭部を狙い撃ちにしており、
常人であれば、己の身に何が起こったのかを把握する前に絶息するだろう。
 尤も、ナタクが相手では『無痛殺』とは成り得ない。これは即死した人間にのみ当て嵌まる状態(もの)なのだ。
この蹴りを放つ為に布石を積み重ねてきたハハヤであったが、ナタクは決して止まらない。
痛みに負けて足踏みすることもない。

「父様……ッ!」

 拳を握り締めるヌボコの目の前にて、五体を投げ出すように跳ね飛んだナタクは、
ハハヤの右側面まで回り込むようにして身を翻し、次いで左右の足を同時に繰り出した。
愛弟子の両膝――その表裏を右脹脛と左脛で挟み込み、腰を捻ることでうつ伏せに倒そうと言うのだ。
 この流れの中でナタクは左腕を伸ばしている。ハハヤの右腕を掴めば、技は完成されるのだった。
柔道で言うところの蟹挟(かにばさみ)に近い型であった。
 聖王流での技名は『臥鰐(ががく)』と言う。
低い姿勢からの突進や乱打戦、あるいは身を転がすと言う回避動作の中で突発的に変化し、
奇襲を以って相手の身を挫くのだ。
 転倒させた後は膝への関節技や背面への打撃など様々な追撃に派生させられる。
それが解っているからこそ、ハハヤは即座に後方へと跳ね飛んだ。
両足を刈らせず、腕も取らせず、臥鰐を避け切った。
 臥鰐が躱されるや否や、床に左掌を突いたナタクは、すぐさまに膝を折り曲げ、続けて右足甲に左足裏を重ね、
全身のバネを振り絞って変則的な飛び蹴りを繰り出した。放物線を描くようにしてハハヤを追い掛けるこの技は、
左右の足を重ね合わせることによって威力を一点に集中すると言うものだ。虎徹と同質の技とも言えよう。
 追撃を見て取ったハハヤは、周囲の者たちを絶句させる手段に出た。
自身の左足裏をナタクのそれに合わせ、蹴り込みの勢いを踏み台の如く利用して更に後方へと跳ねたのだった。

「人畜無害なツラして、人を食った真似をしやがるぜ。天才ってのは、ああ言うもんかねぇ」

 ヌボコの隣に在ったアラカネが皮肉っぽく笑う中、鮮やかに着地して見せたハハヤは、これと同時に飛龍撃を放つ。
ナタクが着地する瞬間に猛進し、体勢が整う前に攻め掛かるつもりであった。
 今度は三連続の仕掛けではなく、一本の槍と化して突っ込んでいく。

「先刻、誰かが言っていたな、似た者師弟だと。その言葉、少しも疑う理由がないな」

 そう呟くアプサラスの目の前では、ナタクがハハヤの飛龍撃を迎え撃っている。
愛弟子の拳を頭突きでもって受け止め、その身を弾き飛ばしていた。
 ニッコウが呆れたように頭を振り、ゲットが「稽古じゃなかったのか〜。それが稽古か〜?」と注意を飛ばしたのは、
当然の流れであろう。ナタクの挙動(うごき)は無茶以外の何物でもなかった。
 明らかな危険行為だが、今のナタクは誰にも止められない。聖王流の師弟に割って入ることは叶わない。

「センパイのそう言うところ≠ヘ、僕は嫌いじゃありませんよ。……身の毛が弥立つ思いですけれど」
「お前の才能だって身震いするくらい面白ェよ。戦う度、心に火が付くぜ――」

 近距離でハハヤと向かい合う恰好となったナタクは、全身を振り回すようにして『獅尸咬(ししがらみ)』を試みた。
足裏による踏み付けは避けられてしまったが、構うことなく横薙ぎの右拳を繰り出していく。
 直撃の瞬間に腰と手首を内側へと捻り、これによって凄絶な威力を生み出すのが獅尸咬の要であった。
拳の先にまで宿る回転は単純な仕組みのようで奥が深く、直撃を被った相手の顔面は無残に破壊されてしまうのだ。
 迎え撃つハハヤも己の身を竜巻の如く旋回させていた。師弟で床に円を描いているようなものだ。
遠心力を乗せて左肘を突き出し、此処にナタクの右拳を重ねて弾き飛ばすと、すかさず己の拳を薙ぎ払った。
 右拳を放つ瞬間、踏み締めていた床が軋み音を上げた。即ち、足腰のバネを駆使した技と言う証左だ。
遠くの間合いから飛び込むことはないが、これもまた飛龍撃と同質なのである。
 『潘龍撃(ばんりゅうげき)』と言うのが技名だ。飛龍撃が推力を要とした拳打であるのに対し、
こちらは足腰のバネを振り絞って強力な回転力を生み出す性質(もの)であった。
 肘打ちでもって相手の姿勢を崩し、対の拳で脇腹を穿つ――ハハヤが最も得意とする技である。
 獅尸咬に左肘を合わせられ、敢えなく弾かれてしまったナタクだが、
瞬間的に身を深く沈み込ませ、右拳の直撃だけは辛うじて避けた。

 ナタクの頭上でハハヤの右拳が虚しく空を切り、風を裂く音が轟いた。
 肉を撲(は)るような乾いた音が道場の天井に跳ね返ったのは、まさにその直後であった。
その場に屈んだナタクに向かって、ハハヤが右膝を突き上げたのだ。
 正確には「屈んだ」のではない。脇腹への突き込みを避ける挙動(うごき)に合わせ、
今まさに屈もうとする瞬間を狙撃したのだった。
 但し、道場内に響き渡ったのは、ナタクの顔面を撥ね飛ばした激音ではない。
ハハヤの挙動(うごき)が変化したときには、既にナタクは両掌を眼前に翳しており、
絶妙の拍子(タイミング)で膝蹴りを受け止めていた。
 膝蹴りの威力を完全には押さえ込めず、両腕を上方へと弾き飛ばされてしまったものの、
本来ならば『無痛殺』とも成り得るような攻撃を防げたのは、人並み外れた勝負勘があったればこそだ。
 撥ね上げられた両腕を不動によって強引に揺り動かし、ハハヤの両襟を捉えたナタクは、
上体を引き起こす勢いに乗せて背負投を打とうとした。膝の屈伸によって生まれたバネで大きく飛び上がり、
この勢いでもってハハヤを飲み込もうと言うわけだ。

 しかし、組み付かれた直後にはハハヤも迎撃に移っている。
ナタクの右袖と左襟を掴み、互いに組み合う状態へと持ち込んだ。
 中空に跳ねるべくナタクが膝を伸ばそうとした瞬間、彼の左襟を掴んでいたハハヤの右手が動いた。
襟を捻り上げるようにして、手首を返した。
 傍目には着衣の一部を軽く捻ったようにしか見えなかっただろう――が、
この細微な挙動(うごき)だけでナタクは投げの拍子を崩され、
中空へと飛び上がるどころか、姿勢すら傾がせてしまったのだ。

「正面から組んでハハヤさんを投げられるわけが……」
「何割何分だろうな、ヤツに投げが決まる確率は」

 ヌボコの漏らした嘆息に、アラカネが首を肯かせる。
 これもまた天才ならではの妙技である。胴着と肉体は基本的には密着している為、
理論上は着衣に掛けられた力の作用も骨肉まで伝達させることが出来る。
ハハヤはこの原理を巧みに操り、襟を捻り込むことでナタクの姿勢を崩したわけであった。
 術理だけならば単純だが、常人には不可能に近い。相手が技に移る呼吸≠竦gのこなし、
力を伝達する拍子(タイミング)まで完全に見極めなくてはならないのだ。
 聖王流の宗家として『組討(くみうち)』を極めたナタクとて同様の技法は体得しているのだが、
やはり、神の領域とも言うべき見切りを駆使する相手には敵わない。
ハハヤを捕獲したつもりが、反対に投げの体勢に持ち込まれてしまった。
 ナタクの身を引き付け、体勢を崩しつつ、足を払おうとしたのである。

「そう来るならよォ――」

 ナタクとて『組討』を極めた男であり、抗いもせず競り合いに敗れることはない。
投げを打たれた状態から形勢を引っ繰り返す術(すべ)も心得ている。
 天稟に基づく見切りでは一歩敵わないナタクがハハヤより優れているのは、戦いの中で研ぎ澄ませた勝負勘だ。
その勝負勘はハハヤが技に入る一瞬を鋭く察知し、足を刈られるよりも先に自ら跳ね飛んだ。
不動によって脚力を限界まで引き出し、ハハヤの挙動(うごき)を上回ったのである。
 技が完成する寸前で主導権を奪われ、投げ返される恰好となったハハヤは、ナタクと一緒になって床の上に横転した。
想定していた以上の高さから、だ。
 相手の投げに飲まれた状態から劣勢を覆す技法は、聖王流に於いて『浮股(うきまた)』と呼称されている。

「――センパイは本当に怖いや……!」

 横に投げ出されるや否や、ハハヤは後方に転がった。落下と同時にナタクが袴の裾を狙って右の五指を伸ばしてきたのだ。
 素早く上体を起こせば、そこには既に踵が迫っている。
足取りを躱されることも、間合いを離されることも勝負勘で察知したナタクが『爪燕(そうえん)』を繰り出したのである。
 五体を投げ出した状態から強引に仕掛けた為、体勢は大きく崩れており、
ハハヤには簡単に見切られてしまったが、蹴り足を床に着けると、即座に上体を撥ね起こして追撃に移った。
 前のめりになるほどの勢いで頭突きを見舞った。首の挙動(うごき)に不動を用いたこの技は、
兜を被った相手を破る為に編み出された『鹿角(ろっかく)』である。

「あ、バカ――」
「ハハヤまで何やって――」

 ニッコウとゲットが同時に呻く。
 両者の視線が向かう先を辿れば、ハハヤもまた鹿角を――猛烈な頭突きを試みようとしていた。
勢いよく飛び込んでくるナタクを同じ技で迎え撃つつもりなのだ。
 間もなく両者の頭が耳障りな音を立てて激突し、眉間から鮮血が流れ出した。
 互いの額を密着させたまま、ハハヤは師匠を冷静に見据え、ナタクは愛弟子に向かって猛々しい笑みを浮かべている。
 数秒を刻んだ後、ふたりはその場に座り込んだ。それは、模擬箭が終わったことを周囲に示す合図であった。

「……やっぱりセンパイには敵いませんね」
「おい、逆だろ。殆どお前に遊ばれてたじゃねぇか」
「そんなことはありませんよ。僕は手数が多いだけで、肝心なところは、全部、センパイに押さえられています。
最後の鹿角だって――あそこで愉しく笑えるほど、……僕には覚悟≠ェありませんから」
「あんなもんは覚悟≠ニは関係ねぇよ。俺が人よりバカなだけだ」
「それに倣って言うなら、僕は人よりずっと臆病者です。聖王流の誰よりもヘタレですよ」

 ニッコウから説教と共に投げ渡されたハンドタオルで血と汗を拭い、ゲットから皮肉交じりの応急手当を受けた後、
ハハヤは天井を仰ぎながら苦笑いを漏らした。
 彼の言葉にナタクは首を傾げるばかりだ。武芸の根幹とも言うべき『心技体』をハハヤは理想的な形で完成させている。
恵まれた才能に驕ることなく修練を重ねた末、聖王流――あるいは蘇牙流も含めて――の歴史に於いて、
最も優れた武術家となったのだ。
 『無痛殺』と言う前人未到の境地に達したことからも瞭然であるが、武技の冴えは師匠など優に超えている。
それなのに、ハハヤはナタクには敵わないと言うのだ。
 長い付き合いだ。愛弟子が謙遜ではなく本心から語っていることは判る。

「生憎と言うべきか、臆病者には幸いと言うべきか――僕はジェームズ・ミトセの継承者とも、
『四天王』と呼ばれる人たちとも、まともに戦ったことはありません。
多分、本気で仕合うような状況になったら、怖くて逃げ出すと思いますよ」
「さっきから妙な弱音吐いてんじゃねぇよ。そんなヤワに育てた憶えはねぇぞ」
「……センパイなら僕の言いたいことが解るでしょう?」

 「だから、絶対にセンパイには敵いっこないんです」とハハヤは続けた。
 彼は間違いなく百年に一度の天才である。その天稟を疑う者は誰も居ない――が、
それ故に実力伯仲の相手と戦う機会が極端に少ないのだ。
 覇天組一番戦頭として戦いの場に立てば、『魁(さきがけ)先生』の異名が表す通り、次々と敵の尖兵を平らげていく。
一撃で仕留められない相手など滅多には遭遇しなかった。
 結局のところ、互角に技を競い合える相手は師匠たるナタクしかいないのだ。
そのナタクの模擬戦に付き合っているアラカネですら、ハハヤにはまるで歯が立たなかった。
 そして、師弟で模擬戦を行う度、ナタクが潜ってきた死闘の数にハハヤは圧倒され、己との違いを思い知らされると言う。
 ハハヤとて強敵との戦いは幾度も経験している。『北東落日の大乱』では敵対勢力の副将を撃破し、
覇天組随一の武勲まで上げていた。
 その折には初手から全力で臨み、付け入る隙さえ与えず、殆ど完封に近い形で勝利を収めている。
それこそが覇天組一番戦頭の務めなのだと、ハハヤは心に決めていた。
何よりも塾頭として聖王流の名を穢すことは許されない。誇りある勝利は絶対条件であった。
 ところが、だ。その決意を指して、ハハヤは「臆病」と自嘲していた。
己の矜持に縛られ、そこから逸脱することも出来ないのだ、と。

「……だから、俺はとっとと局長の座を譲ろうって言ってるんじゃねぇか。
お前にはもっともっと伸びて欲しいんだぜ?」
「他の隊士が居る所で滅多なことを言わないでくださいよ、センパイ――いえ、局長。
僕は人の上に立つ器ではありません。覇天組局長はただひとりです」

 そして、局長としての大器こそがナタクの強さ、覚悟≠フ深淵(ふかさ)であるとハハヤは考えている。
 戦いの場に立ったとき、覇天組局長は相手の全てを受け止めてしまう。
対峙した者を攻め滅ぼすだけではなく、志や魂までも背負う覚悟≠ナ臨んでいるのだ。
 全身全霊の武技に耐え、そこに込められた想いを飲み込める器が備わっているからこそ、
局長と言う大役を務められるのである。
 怨念を浴びせられることも少なくはない。無念を受け継ぎ、胸に刻むと言うことは自身の神経を削る行為にも等しい。
それにも関わらず、ナタクは如何なる全身全霊をも心に刻み、積み重ねていく。
心身を蝕むことが分かり切っている闇≠自ら進んで取り込むなど、傍目には愚かにしか見えないだろう。
 しかも、だ。卓越した武技も、心中に秘めた志も、相手の全てを引き出せるまで戦い続けると言う回りくどいやり方を
ナタクは好んでいる。その分だけ損傷も重なるのだが、彼にとっては痛みさえも相手に寄り添う手段であり、
寧ろ望むところであった。
 副長としてナタクを補佐するラーフラなどは、その様に「この世で一番の不器用じゃ」と溜め息を吐いている。
 ナタクと同じ状況に身を置き、また彼と激闘を演じた者たちに拳を向けなくてはならないと、
そのように想像しただけでハハヤは身震いが止まらなくなってしまう。
 いずれも心に秘めた矜持とは対極に位置するものであった。
天稟を以ってして、聖王流と言う流派、あるいは覇天組の隊名を高めるような武勲は上げられても、
己自身≠ェ何かを背負うことは出来ない。そのような器でないことを自覚している。

 覚悟≠フ深淵(ふかさ)は、心身に宿した気魄にも通じていた。
 ナタクと言う大器を満たす気魄は、天稟など遥かに上回るだろう。
個≠ニ言う極めて限定的な領域でのみ機能する才能には依らず、
数限りない魂魄(たましい)を背負い、己の血肉と換えているのだ。
 だからこそ、ナタクの気魄は深く、如何なる者にも屈することがない。
今や地上最強との呼び声も高いが、それは戦績などで計るものではなく、
対峙した相手の魂魄(たましい)を背負った果てに辿り着く、覚悟≠フ顕現と見るべきであろう。
 陽之元国では際立って武勇に秀でた四人の傑物に『四天王』なる称号が与えられており、
ナタクもまたそのひとりに列せられている。そして、他の三人もナタクと同じ大器、気魄の持ち主と言うことだ。
 己自身≠保つことでも精一杯と言う「臆病者」では、
覚悟≠フ末に鍛え上げられた魂魄(たましい)には、どう足掻いても敵わない。

「僕は局長には敵わないんですよ。でも、それで良いんです。僕には僕の全うすべき道がありますから」

 腑に落ちないような表情(かお)をしているナタクに向かって、ハハヤは改めて繰り返した。
 『無痛殺』と言う究極的な領域に達するほどの天稟を持ちながら――
あるいはそれ故に覚悟≠ニ言う名の芯を磨く好敵手(あいて)や機会に恵まれないとは、これに勝る皮肉はあるまい。
 「敵わない」と語る声には一握の諦念が滲んでいる。天才の感覚によって己の限界を悟ってしまうと、
そのことに悔しさを覚えないわけがなかった。

「……やはり、血≠フ為せる業――なのでしょうか」

 関節技を外した際に左腕を痛めたであろう父を気遣い、袖を捲くって肘に冷湿布を当てていたヌボコが、
ふと血筋≠ニ言うものについて口にした。
 親子関係を結んではいるものの、ナタクとヌボコの間に血の繋がりはない。
そして、ヌボコは己の身に流れる血≠ノついて複雑な感情(おもい)を抱いており、
小さな呟きには葛藤の色が表れていた。
 ナタクの身に流れる血≠ノ触れながら、己の血≠思い、ヌボコは僅かに顔を俯かせた。

「う〜ん、それは僕も何とも言えないね。センパイは聖王流開祖の血を継いでるけど……」

 ハハヤが語った通り、宗家を継ぐナタクの身には聖王流開祖の血≠ェ流れている。
聖王流――無論、蘇牙流も含まれる――の門下にとっては、まさしく貴種とも言うべき血統であろう。
 さりながら、武術家としての才能が血統に左右されないことはハハヤが証明している。
「百年に一度の天才」とも讃えられるハハヤだが、その出自(うまれ)はごく一般的な家庭である。
父親は凡百の会社員であり、武芸とは全く無縁の人間であった。祖先を遡っても、数代前に役人が居た程度。
それも地方の文官に過ぎず、武官などではない。
 そもそも、だ。ハハヤの両親は「人を傷付け、殺める手段」である武芸に否定的で、
息子の師匠となったナタクのことも暫くは白眼視していた程だ。
 ハハヤは血筋にも出自にも囚われずに才能を開花させ、一流派の塾頭にまで上り詰めたと言うわけである。

「開祖の血統≠ネんて言うと御大層に聞こえるが、血を引いてるってだけで強くなれたら、そんなにラクなことはねぇよ。
気性や体型の遺伝くらいはあるだろうが、それだって絶対じゃねぇ。何を磨くか、どこまで伸びるかは本人次第。
強い≠チてコトの理由には、血統≠ェ入り込む余地なんかねぇさ」

 治療を手伝ってくれたヌボコの頭を撫で付けながら、ナタクは血≠ヘ重要でないと語った。
 開祖の血≠ニ宗家を受け継いだナタクではあるものの、血統に依る世襲には興味がなく、
いずれは塾頭であるハハヤに自身の座を譲るつもりでいる。
正統後継者として最も相応しい人材であり、誰からも異論は上がるまい。

「父様の仰ることは解ります。……解るつもりです。でも、血≠フ影響は否めないのではありませんか。
何も引き継がないと言うことは有り得ませんし……」
「お前は真面目だな。もっと気楽に考えて良いんだぜ? 父ちゃんみたいなボンクラにならねぇ程度にな」
「何言ってるんですか。ヌボコ君はセンパイそっくりですよ。『子は親を見て育つ』ってコトですね」
「そ、そうか? 似た者親子ってのも悪かねぇけど」

 父の言葉を受けてもヌボコは血≠ノ対する蟠りのようなものが拭い切れないらしく、幼さの残る顔を曇らせている。
 養子(むすこ)の懊悩が全く解らないナタクではなかった。
血筋と言うものは、生まれついた環境と切っても切り離せない関係にある。
 生まれ落ちた瞬間から背負うモノ≠ノついて、ヌボコは苦い思いを抱えていた。
 聖王流開祖の血筋で言えば、死地にさえ愉悦を感じる精神性がこれに当て嵌まる。
 血肉による遺伝と言うよりは、家門(いえ)≠ネどの環境に依る部分であるが、
世に生まれた直後からナタクは聖王流としての修練を施され、これによって獅子の如く猛々しい精神性が育まれたのだ。
 これもまた生まれついた環境によって背負ったモノ≠ニ言えよう。
 普通の少年として過ごしてきたハハヤが持ち得ないものでもある――が、
だからと言って、背負ったモノ≠ェ人より恵まれているとはナタクは考えない。
 血≠ノよって背負わされたモノ≠思い、気持ちが沈んでしまうヌボコを見れば瞭然であるが、
人によっては呪いと呼ぶしかない場合もある。ナタク自身、己の出自(うまれ)を忌々しく感じることもあるのだ。
血≠ニ言う名の呪いに狂わされた人間も数多く目の当たりにしていた。

(――ヤツが背負ったジェームズ・ミトセの系譜は、呪いなのか、誇りなのか、一体、どっちなんだろうな……)

 血統や家門――過去から這い出し、未来をも縛り付ける呪いにまで思考が至った途端、
ナタクの追想は再び時間を巻き戻した。
 瞼を半ば閉じた現在(いま)の有り様ではなく、双眸を百獣の王の如く獰猛に見開いていた時間に。
全身を血の色に染めながらも歓喜に打ち震えた、ジェームズ・ミトセの系譜を継ぐ男との死合≠ノまで――。

(そう言う意味じゃ、拳法斎は今まで出会ってきた誰よりも恵まれた£jだったのかも知れねぇな)

 大杉の生い茂る寺院址にて立ち合ったカナン・ミトセは、天稟と血統を兼ね備えているように見えた。
彼が継いだのは伝説の武術家の系譜であり、カナン自身の才能も人智では計り知れない。
 そして、背負ったモノの大きさは、右手の甲に刻まれた不思議な刺青からも窺えた。
大きな円の中に八角形の模様を彫り込み、更にその内側に小さな円を三つばかり描く――
それはミトセの流派を象徴する紋様なのだから。
 「戦い」そのものの考察と言う不可思議な形ではあるが、死地に愉悦を感じる精神性も肉体に宿している。
 ジェームズ・ミトセの系譜を継ぐ男が歩んできた求道の旅は、
相手の魂魄(たましい)を受け止めると言うナタクの戦いと同じ意味を持つ筈だ。
積み重ねるモノは違えども、彼もまた「何か」を背負って生きる人間であった。
 ミトセと言う名の器が、求道を経て研ぎ澄まされた気魄で満たされているのは間違いない。
 それは、カナン・ミトセがナタクと同じ獣≠ニ言う何よりの証左であろう。
若くして活力の色が抜け落ちた白髪は、凄まじき求道が映された毛並み≠ニ言うわけだ。


 互いの骨肉を喰らい合う獣≠スちは、構えを取ったままで暫しの沈黙に浸っている。
さりとて、疲弊した様子でもない。全身を鮮血で赤黒く染めているにも関わらず、
息ひとつ切らしていないのは、ある意味に於いては不気味と言えるだろう。
 疲弊を超越する感慨が両雄を包み込んでいた。
 我が身に刻まれた痛みを、膚(はだ)を引き裂くかのような怖気を、
例えようのない充足感と共に噛み締めているのだ。あるいは魂の昂揚に酔い痴れているのかも知れない。
 生と死とが紙一重ですれ違うような状況に身を置きながらも自分の世界≠ノ没入し、
未だに顔色ひとつ変えない当代のミトセであるが、彼の心だって弾んでいないわけがないのだ。
そのようにナタクは――『戦いの申し子』は信じている。
 少なくともナタクはジェームズ・ミトセの系譜(わざ)を心の底から畏怖し、それ以上に尊んでいる。
この極めて優れた男と立ち合えたことを、ひとりの武術家として何よりも誇りに思っている。
 先刻、カナン・ミトセから突き込まれた技を顧みると、ただそれだけで心身が沸騰していくのだ。
 体内を走る神経まで衝撃を貫通させ、手酷い痛手を負わせる秘技――点穴。
カナン・ミトセはこの技法を自由自在に操り、ナタクの肉体を思うが侭に弄んだのである。
肘や膝の内側に在る経穴(ツボ)を突かれた途端、該当する部位から一切の力が抜け落ちてしまうのだ。
 この瞬間にはナタクは全くの無防備となる。閃光の拳であろうとも、変幻自在の蹴り技であろうとも、
何の労もなく直撃させられるのである。攻め手の補助として、これ以上に有用な技法(もの)はあるまい。
 しかし、ある瞬間に点穴そのものが恐るべき詰め手≠ニなった。
 即ち、鳩尾を狙った点穴だ。この部位に在る経穴は心臓と繋がっており、
点穴の秘技を以ってして激烈な衝撃を伝達すると、極めて危険な状況を招き兼ねないのだ。
ただ一突きで心臓の働きを麻痺させ、死に至らしめることも不可能ではなかった。
 無論、これは点穴――つまり、経絡武術と呼ばれる技を極めた者のみが到達し得る境地であり、
当代のミトセの技量を裏付ける証左とも言い換えられるのだった。
 それに、だ。死を司る技の行使に些かも躊躇しないカナン・ミトセの精神に、ナタクは心地良い戦慄を感じていた。
「生命の遣り取り」を前にして震えてしまうようでは、求道も何もあったものではない。
 ジェームズ・ミトセの系譜を継ぐ男は、「戦う」と言うことが如何なるものか、
武術家としての魂に於いて理解しているのである。
 それでこそ張り合いもあるのだと、『戦いの申し子』は獅子さながらに雄々しい笑みを浮かべた。

「ぼちぼち会心の一撃が欲しいぜ。目の前が真っ白になるくれェのがよ」

 ナタクの言葉がカナン・ミトセの耳に――否、心に届いたかどうかは分からない。
だが、次の激突では先程の点穴と同等か、それ以上の大技を解放するしかないと言うことは共通認識である筈だ。
 投げ技も関節技も数え切れないほど試したが、相手を仕留めるには至らなかった。
互いの拳をぶつけ合い、血の一滴まで削り合うのも悪くはないが、
それでは何時まで経っても決着を迎えられないだろう。
 何よりも沸き立つ魂が次≠求めている。大技同士の激突でも挟まない限りは昂揚も爆ぜない筈だ。
何もかも吹き飛ばすほど精神を研ぎ澄ませて、初めて次≠ノ進めるのだ。
 人はその領域こそ真なる極限≠ニ呼んでいる。

「……罪よ……罰よ……我が良心よ……さようなら……さようなら――」

 誰に向けたものでもない呟きを引き摺りながら、カナン・ミトセが独特の足さばきを再開させた。
蹴り技主体へ変化したときと同様に、高度(たかさ)を落として跳ねる回数を増している。
言わずもがな、己に潜在する最高速度を引き出す為の予備動作だ。
 ジェームズ・ミトセの系譜が紡いだ乱舞を再び披露しようと言うのだろうか――
合掌の構えを見詰めるナタクが四肢に力を込めていく。身に纏う気魄は秒を刻むごとに白熱していく。
 点穴の秘技を放とうにも、神経を蝕むのに必要な部位は殆ど壊していた。
この不利をカナン・ミトセが如何にして克服するのか、ナタクの興味は尽きないのだ。
そのナタクは、低い跳躍を繰り返すカナン・ミトセとは対照的に、地に根を張るようにして重厚に構えている。
先程までは小刻みに全身を揺らし、素早く立ち回ることを重視していたのだが、
どうやら大技をぶつけ合う状況に備え、戦法そのものを切り替えた様子である。
 喧嘩殺法でもって暴れ回っていたときと比して、聖王流を主軸に攻め手を組み立てていた状態に近い。
 相手の出方を窺うように――否、カナン・ミトセへ正面激突を誘うかのように、
ナタクは少しずつ両足を前に送っていく。
地に伏した虎が獲物に向かって少しずつ近付いていく様にも良く似ていた。

 果たして、『戦いの申し子』の待望した瞬間が訪れた。
 合掌の構えを維持したまま跳ね飛び続けていたカナン・ミトセが、
廃墟に漂っていた塵や埃を舞い上げながら攻撃に転じたのである。
 その様を見て取ったナタクは、双眸を見開いて歓喜した。彼の視界には何人ものカナンが映り込んでいたのだ。
 多重残像とも言うべき状況である。正面に、側面に、あるいは中空にカナン・ミトセの姿が在った。
いずれも虚像の如く揺らめいている。視認こそ出来ないものの、背後にも確かに彼の気配を感じていた。
 これでは分裂したカナン・ミトセに取り囲まれているようなものである――が、
「多重残像」と言う状況が示すように、ナタクと戦っている相手は、あくまでも独りである。
 幻惑を誘発させる仕掛けなのか、空(くう)に残像を映し込む速度で廃墟の中を飛び交っているのだ。
最高速度を発揮すれば、残像どころか、音もなく身を移せる男が、だ。
 今までにない技を仕掛けようとしていることは明白である。
相変わらず会話は成立しないものの、これでナタクの誘いに乗ったことが確認されたわけだ。
 そして、多重残像の数が三〇を超えた瞬間、廃墟を駆けていたカナン・ミトセの顔々が一斉にナタクのほうを向いた。
 その直後、鍼でもって刺し貫くような衝撃がナタクの全身を襲った。
腹、腰、背中、四肢――と、鋭い痛みが絶え間なく続くのだ。
 廃墟を席巻していた残像がナタクに向かって殺到しており、カナン・ミトセの挙動を完全には把握出来ない。
 だが、これまでの攻防から推察するに、点穴であることは間違いなかろう。
即ち、経絡武術の秘技を全方位から突き込まれている状況であった。
 当代のミトセは拳打だけでなく蹴りでも経穴を穿つことが出来る。
点穴の要の内、右の爪先だけは今も無事であり――両の中指と左の爪先は既に深手を負わせている――、
おそらくはその部位で秘技を放っているのだろう。変幻自在な蹴り技と点穴を巧みに融合させた次第である。
 全身を亀の甲羅の如く堅牢に変えるような防御法が聖王流には伝わっており、
これを用いて点穴を弾いてきたナタクであるが、今度ばかりは全く間に合わない。
為す術もなく滅多打ちにされるばかりであった。
 しかも、だ。点穴そのものも今までとは異なっている。肉体の芯まで衝撃が貫通したと言うのに、
四肢の力が虚脱することもないのだ。確実に脇腹も突かれている筈だが、一向に力は奪われない。
 代わりに関節と言う関節が動かなくなっていた。幾ら念じても言うことを聞かず、
ナタクは左右の腕を交差させたまま、さながら彫像の如く固まってしまった。
 全身の筋肉が極度に緊張し、本人の意思とは無関係に硬く収縮した状態なのだ――と、
ナタクは己に起きた変調を分析している。
 これは経絡武術の知識に基づく推量であった。連続して神経を痛め付けたのは、この状態をもたらす為である。
経穴と言うものは、圧迫する順番やその方法によって様々な効力を肉体に与えるのだ。
 四肢から力を奪うのではなく、筋肉を緊張させて関節を固めたのは、
おそらくは『不動(ふどう)』と言う聖王流特有の闘術を封じるのが狙いであろう。
 その術理まで完全に見極めたわけではなかろうが、
人体の可動の限界すら超越する技法をナタクが身に着けていることは、カナン・ミトセにも解っている筈だ。
 だが、肉体が柔軟性と言うものを完全に失ってしまったら、どうであろうか。
可動域そのものが完全に固定されてしまえば、如何なる闘術を以ってしても無意味となる。
動かせる部位そのものがなくなってしまったわけである。
 不動を封殺するひとつの方法としてカナン・ミトセは筋肉の収縮を選び、
これを経絡武術の秘技でもって達成しようと言うのだ。
 残像を伴う程度まで速度を落としたのは、ナタクの視覚を幻惑する為だけではない。
ただ刺激を与えるだけでは、複数個所に対する点穴の効力(ききめ)を連動させることは出来ない。
体内を走る経絡は複雑に結び付いている為、或る経穴を突いた後、
僅かに拍を置いてから別の箇所に点穴を行うと言った工夫も肝要なのだ。
 経穴から神経へ、そして、網目の如き経絡まで効果が伝達される時間を計算し、
点穴の拍子を調整していたのだ。だからこそ、一時的に速度を抑えた次第である。
 全ては『戦いの申し子』を確実に仕留める為の布石であった。

「だが、それだけじゃ――」

 果たして、ナタクの正面にカナン・ミトセの本体≠ェ姿を現した。
後ろに引いた右拳こそが死合を決する詰め手≠ネのであろう。
見れば、中指の第一関節を僅かに突き出させている。まさしく点穴を放つ際の握り方だ。
 右の中指は青く腫れ上がっている。今までの攻防で骨が損傷しているのだ――が、
それでも経穴へと捻じ込み、止(とど)めを刺さんとする覚悟であった。
 あるいは、損傷した指であっても大打撃を与えられる部位に狙いを定めているのかも知れない。

「……友よ、その門の向こうから……裁きを宣告し給え……」

 意味不明な言葉と共に右拳を打たんとしているカナン・ミトセを、ナタクは獰猛な笑みでもって迎えた。

「――俺は殺れねぇッ!」

 吼えるや否や、全身の関節を固められている筈のナタクがカナン・ミトセへと攻め掛かっていった。
 『不動』とは、聖王流あるいは蘇牙流の武術家が厳しい修練の末に体得する闘術である。
筋肉や関節の動きを自在に操り、人間が発揮し得る力や柔軟性と言うものを瞬時にして限界まで引き出す――
人間の限界を超える秘術と言っても差し支えのないものであった。
 無論、関節が固定された状態も予想されている。
何らかの理由から筋肉が異常に緊張した状況さえも想定の範囲内である。
如何なる状態をも突破し、人体に潜在する能力(ちから)を爆発させるのが『不動』なのだ。
 硬直した筋肉を強引に伸張させることは、人体に深刻な負荷を跳ね返す。
筋組織が裂けることは免れないだろう。関節を固められた状態でこの闘術を行使すれば、
あるいは靭帯まで引き千切れてしまうかも知れない。
 しかしながら、『不動』は術者への負担など最初から考慮されていなかった。
戦いの場へ身を投じる者にとっては、肉体の損傷など何ら気に留めるものでもない。
 己の身が壊れてでも死地に臨むと言う覚悟が、『不動』と言う闘術の本質なのだ。
 そして、その闘術の上に聖王流の武技が在る。
闘術と武技の結晶――それこそが聖王流と言う流派が誇る強さ≠フ根源(みなもと)であった。

(――その上で聖王流は野性≠引っ張り出す……ッ!)

 全身の筋肉が上げる悲鳴を黙殺し、腰を捻りつつ点穴を避け、
一気にカナン・ミトセの懐深くまで潜り込んだナタクは、重ね合わせた両の掌を全身全霊で突き出した。
 『仙麒吼(せんきこう)』なる名を与えられたこの掌打は、
胴鎧の上から衝撃を貫通させ、内臓を破壊すると言う『具足殺し』の象徴たる絶技であった。
 内部破壊と言う点に於いては、先にミトセの肋を抉った『雷獣奠(らいじゅうてん)』と同質だ。
雷獣奠が胴鎧の継ぎ目を狙うのに対し、仙麒吼は正面突破に重点(おもき)を置いており、
ナタクは状況によって使い分けている。
 一度の戦いで両方を同時に放つことは稀であった。そもそも、続けて使用する必要がない。
どちらか片方でも喰らおうものなら、内臓を惨たらしく破壊され、直ちに死に至るのだ。
これを耐え凌げる者は、猛者揃いの陽之元国にも五人といない。
 雷獣奠を凌げたカナン・ミトセとは雖も、二度も内部破壊を直撃されては堪え切れるものではない。
両の掌を腹部に突き込まれた瞬間、カナンは今までとは比較にならない量の血を噴いた。
 今度こそ大打撃を与えたかに見えた――が、そのカナン・ミトセは床板を踏み締めてその場に留まり、
更には吐血を頬に溜めて勢いよくナタクの顔面に噴霧させた。
  自身の痛手さえ目眩ましに利用したことからも察せられる通り、彼は勝負を捨ててはいない。
刹那の驚愕でも構わない。ほんの一瞬でもナタクを惑わせれば、それだけで十分なのだ。
 己が作った血の池へと踏み込みつつ、先程、躱されてしまった点穴を再びナタクに繰り出した。
 果たして、カナン・ミトセの右拳はナタクの喉元を捉え、鍼のような痛みと衝撃を体内深くまで貫かせた。

「……ォあ……が……ぐッ……!」

 その直後のことである。ナタクの脳に激痛が襲い掛かり、続けて視界までもが急速に暗転していった。
 喉元の経穴は脳へと至る神経に結び付いており、
突き方によっては抵抗する間も与えずに意識を奪うことが出来るのだ。
そればかりか、脳に激烈な衝撃を伝達し、即死させることさえ不可能ではなかった。
 カナン・ミトセもそのつもり≠ナ深々と衝撃を貫通させている。これまでよりも一等深い場所に、だ。
 死は免れまいと言う確信を持って禁忌の経穴を貫いた。死合を決したと疑いもしなかった。
 それにも関わらず、カナン・ミトセの前に立つ男は崩れ落ちる気配もなく、
反撃とばかりに両手を伸ばそうとしているではないか。ベルトと腕を掴み、投げを打たんとしているようだ。
 ところが、彼の双眸は虚ろであり、おそらく現実の世界など捉えてはいないだろう。
即ち、無意識で標的≠ノ襲い掛かろうとしているわけである。
 さしものカナン・ミトセも、これには驚愕させられたのであろう。
 十字でも切るような軌道で左右の拳を交差させ、顎とこめかみを同時に撃ち抜き、
脳に対して新たな痛手を重ねていく。その挙動(うごき)も殆ど反射であった。
 天を仰ぐと右拳と、外から内へ風を水平に薙いだ左拳――二条の閃光によって頭部を揺さ振られたナタクは、
伸ばし掛けていた両手を力なく垂らしたものの、このときには双眸に猛々しい光が蘇っており、
「良い気付けになった」とでも言わんばかりにカナン・ミトセを睥睨していた。

「――おおおぉぉぉォォォあああぁぁぁァァァッ!!」

 己に忍び寄っていた死の影を吹き飛ばすかのようにナタクが咆哮した。
廃墟を揺るがすほどの大音声を張り上げたのである。
 正面から獅子の雄叫びに晒されたカナン・ミトセは、金縛りにでも遭ったかのように身体が動かなくなってしまった。
我が身の状態が全く理解出来ないのか、怪訝な表情を浮かべている。
 あるいは、動物的な本能の部分でナタクに慄いているのかも知れない――そうとしか説明が付かなかった。
 だからこそカナン・ミトセは自由を失った身体を持て余し、現在(いま)の状況に対する考察を唱え続けている。
それ以外の選択肢が彼には許されないのだ。ナタクの姿が消える瞬間を目の当たりにしながら、
後を追い掛けることさえ出来なかった。
 強引に身を震わせ、金縛りを解いたときには、『戦いの申し子』は既に背後まで回り込んでいた。
この状態で死角を取られると言うことは、カナン・ミトセにとって絶望を意味する。
 ナタクは裏投(うらなげ)に分類される技で止(とど)めを刺すつもりのようである。
 体勢を整えていては間に合わないと即断し、すぐさま後ろ回し蹴りを繰り出したカナン・ミトセは、
これを追い掛けるようにして首を振り、ナタクとの間合いを確かめる。
 順序は乱れ切っており、体勢も崩れ掛けているが、蹴りでもってナタクの猛襲を堰き止めようと言うのだ。
 ただし、蹴りを当てることが目的なのではない。僅かに親指を突き出し、しかも、脇腹を狙っている。
変形ながら点穴の秘技を繰り出そうとしていた。全身の虚脱を以って体勢を崩し、
窮地から脱しようと言うわけである。
 下手を打てば右の親指まで骨折してしまうだろうが、そのようなことに構ってはいられまい。
 後ろ回し蹴りと見せかけて、鉤爪と化した親指をナタクの脇腹へと滑り込ませたカナン・ミトセは、
果たして、彼の身から全ての力を奪い去った。
 踏ん張りを利かせることも出来ず、前のめりになって崩れ落ちるナタクであったが、
『不動』によって両腕だけは揺り動かしており、奇襲の如くカナン・ミトセの足元を脅かそうとしていた。
 双眸にて野性を輝かせる姿は、獲物≠捕獲せんとする百獣の王を彷彿とさせた。
 迫り来る獅子の双手から逃れようと後方に飛び退るカナン・ミトセだが、
剥き出しになっている脛に風を感じた直後、全身が重力の支配から解き放たれていた。
気付いたときには中空に放り出されていた。
 己の身に何が起きたのか、当然ながらカナン・ミトセにも想像がつかない。
獅子の吐息が竜巻に変わったとでも言うのであろうか。
 いずれにせよ、竜巻を起こしたのがナタクであることは間違いない。
 地上に在る『戦いの申し子』は、両膝を床に突きつつ右腕を天に突き出し、
対の左腕は胸の前で水平に倒している。この不可思議な体勢に何か≠ェ秘められているのだろうか――
竜巻が起こるまでの経緯を見極めようとしていたカナン・ミトセであったが、
口から漏れ出す考察は直ぐに途絶えてしまった。
 膝を突いた状態から跳ね、次いで両足で床を踏み締め、中空のカナン・ミトセに向かって右拳を突き上げたのである。
 型も何もあったものではない力任せの技ではあったが、噴火の如き勢いが拳に乗せられており、
これを腹部に叩き込まれたカナン・ミトセは、先ず天井に撥ね飛ばされ、続けて屋根を突き破り、
ついには蒼天まで至った。

 瓦礫と共に地上へ降ってきたのは、数秒の後のことである。
 蒼天に在る間に身を翻したのか、カナン・ミトセは合掌の構えを作ったまま垂直に急降下してきた。
相当な高度(たかさ)にまで達した筈であり、着地した瞬間にも激音を立てたのだが、
足腰を挫いた様子でもない。
 それから少し遅れて瓦礫が降り注ぎ、血に染まったカナン・ミトセの白髪頭を奇妙な色に染め直す。
埃はともかく細かな木片だけは気に障ったらしく、幼児のように首を振って払おうとした。
 実年齢以上に老いて見える面立ちには似つかわしくない様子が滑稽で、
ナタクは思わず笑気を噴き出してしまった。
 蒼天まで弾き飛ばされたカナン・ミトセも、そして、ナタクも、ダメージの蓄積こそ否めないものの、
大して疲労は見られない。ここまでの攻防を再び繰り返すことさえ不可能ではなさそうだ。

「もうちょっと準備運動に付き合おうか、拳法斎?」

 ナタクの口元が歪む。
 口の端より零れ出した鮮血が顎先に溜まっている。玉を結んだ赤黒い雫を右の親指で拭い取った後、構えを取り直した。
 百獣の王の如き双眸には、恍惚にも等しい昂揚が爛々と輝いていた。
 ジェームズ・ミトセの系譜を継ぐ男は、あらゆる技巧が磨き抜かれていた。
『戦いの申し子』と畏怖されるナタクが、聖王流の武技をどれだけ繰り出しても仕留め切れないのだ。
 それがナタクには愉快で仕方ない。ひとつ打つ手を間違えれば、その瞬間に生命を落とすような死合こそ
武術家にとって無上の喜びである。身に着けた技を出し切り、燃え尽きるまで血肉を燃やし――
己の全てを解き放つ境地にまでナタクの魂は達していた。
 今にも爆ぜそうな獅子の瞳が、それを物語っている。

「俺のほうは身も心も滾ってきたぜ。晴れて次≠ノ行こうじゃねぇか」
「――それについては賛成だ」

 一方通行のつもりであったので、急にまともな答えが返ってきたことにナタクは驚いてしまった。
 何時の間にか、カナン・ミトセの瞳はナタクの姿を中央に映し込んでいる。

「何だよ、ちゃんと話を聞いてるんじゃねぇか。何でもかんでもシカトかと思ったぜ」
「耳に入れるかどうかはその場のノリだ。人生にとって価値のないことだけを選り分けて聞き流す」
「あんた、友達いねーだろ」

 呆れたように頭を掻くナタクであるが、口元に宿した笑気は今までとは比べ物にならないくらい猛々しい。
歯を見せて笑う威容(さま)など、肉食獣の舌なめずりを彷彿とさせた。

「――なら、小手調べはここで終(しま)いってコトで良いな」
「ここまではミトセの拳(けん)のみ――ここから先は『ヨシダの柔(やわら)』もお見せしよう」
「ヨシダ=H」
「ミトセを名乗るよりも数世代を遡った昔の業――古(いにしえ)の奥義とでも思って貰おうか」
「そいつは願ってもねぇ――が、嘘吐きは何の得もしねぇぜ?」
「嘘など……天に唾を吐くようなことは断じてしていない」
「ここまではミトセの拳って、あんた、さっき言ったよな。言葉の綾なら聞き逃すけどよ、
得意の拳法だってまだ半分も出しちゃいねぇだろ? この期に及んで出し惜しみなんて萎えるじゃねぇか」

 嘘吐きと面罵されたことがどうにも理解出来ず、足を止めて大仰に首を傾げるカナン・ミトセであったが、
間もなくナタクの真意を悟り、「愉快の意味を知った心地」と、天井の穴より彼方――蒼天を仰いだ。

「……訂正しよう。ミトセの拳もヨシダの柔も――ここからが本番(しょうぶ)≠セ」
「おう、どうせ戦(や)るなら、お互いマジじゃないと張り合いがねぇぜ」
「あなたもそのつもりで来て頂こう。伝え聞いた聖王流は、こんな程度ではなかった筈。
その秘義は人智を超え、手も触れずに相手を葬り去るとか。先程、その一端は見せて貰ったが……」
「どこのバカが秘義なんてぶっこいてんのか知らねぇが、そんなもん、本当≠フ聖王流じゃ序の口だぜ。
……心配しなくても、あんたには俺の取っておきを見せてやらぁ。
生命の遣り取りってのは、そうでなくちゃ始まらねぇからよ!」

 カナン・ミトセが仄めかした本番(しょうぶ)≠ノ破顔を以って応じるナタクは、
全身に黄金色(きがねいろ)の稲光を纏わせている。
それはつまり、身の裡に宿す全ての力を解放し、ミトセの奥義と相対すると言う表明である。
 覇天組局長としても、ひとりの武術家としても、ナタクは数え切れないほどの敵と戦ってきた。
瀕死の重傷に追い込まれるような経験もあった。
 間違いなく当代のミトセはそれらに比肩する好敵手であるのだ。

「何もかも出し切った果てに答えが見えるのだろうか。生命を遣り取りする意義が……」
「そいつはあんたが自分で見つけてくれ。ひとつだけ確かなのは、死力を尽くさないヤツは何もなれねェってこった」

 そして、「生命の遣り取り」の意味を語らう死合は、一等熾烈な領域へと突き進んでいった。
寺院址が跡形もなく吹き飛んでしまう程に――。

(――それが今じゃムショ暮らし、か。……考えごと≠ヘまだ続けてるのかねぇ)

 身も心も解き放たれるような充実した時間であったと、ナタクは振り返っている。
 だが、ジェームズ・ミトセの系譜を継ぐ男は、その時間の中で何かを得られたのであろうか。
彼の哲学を満たすことが出来たのか、ナタクには今も判断がつかなかった。
 ひとつだけ確かなのは、ヒトと言う生物の極限に達し、これを超越した時間であったことだ。
 その果てにヒトとしての理知が破壊され、やがて監獄へ至る道が拓かれたとすれば、
これほど哀しいことはないとナタクは密かに心を痛めていたのである。
ジェームズ・ミトセの血によって紡がれてきた求道の系譜までもが絶えるのではないか――と。




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