7.The Archiepiscopus


「――ナタク先生?」
「……ああ、いえ。ミトセの名前を聞いたもので、少し昔のことが懐かしくなりましてね」

 往時(かつて)の戦いを振り返ったことで全身の血潮が滾っているのだが、
それをモルガンに気取られるのも面白くない。小手調べ≠終えたところで追憶を打ち切り、
現実へと意識を引き戻したナタクは、既に覇天組局長としての表情(かお)である。
 そして、カナン・ミトセと立ち合ったときのような猛々しい生気は、双眸のどこにも見られない。

「自分と戦う少し前――ミトセはライアン≠ニ言う老人とも仕合ったそうです。
そのときに刻まれた教えを再確認したいとも話していましたな。
……話していたと言うか、向こうは独り言みたいなものでしたが」
「――では、ミトセ氏はナタク先生に感謝していることでしょう。
現在はどうあれ、決闘の瞬間には真理に達した筈です」
「さぁ――自分もそこまで無責任なことは言えません。
たった一戦で悟りを開けるなら、何世紀も戦いの意味を探してはいなかったと思いますので」

 ミトセの求道が行き詰まりとも言うべき監獄で終わらないことを祈らずにはいられなかった。
 嘗て相対した武術家の顛末へと思いを馳せ、俄かに表情を暗くするナタクを
痛ましげに見詰めたモルガンは、「心中、お察し申し上げます」と恭しく頭を垂れた。

(白々しく言いやがるぜ、この野郎……)

 それにしても――と腹立たしいのは、大司教の抜け目のなさである。
 素知らぬ顔でナタクの談話に聞き入っていたが、
おそらくこの男はジェームズ・ミトセの系譜まで全て調べ上げている筈だ。
カナン・ミトセのことを教えてくれたと言う監獄勤めの友人も架空の人物に違いない。
 それは武芸に対する興味などではなかった。ナタクのことであれば如何なることでも知り尽くしている。
何もかも見通していると、無言の内に威圧を仕掛けてきたわけである。
 そもそも、だ。ナタクが記憶に留めているカナン・ミトセは、
己の戦歴を自慢げにひけらかすような男ではない。ましてや、監獄の職員に語るわけがなかろう。
そのような疑念を抱かれると見越した上で、モルガンは敢えてカナンに言及した次第である。
 ジェームズ・ミトセの系譜を継ぐ者との一戦は、ナタクにとって得難い時間であった。
それを泥まみれの靴で踏み躙られたようなものであり、不愉快極まりなかった。
 勿論、表面(おもて)には出さない。覇天組局長と言う立場で晩餐会に招かれた以上、
数多の賓客の前で揉め事を起こすことは許されないのだ。相手が自分の暗殺を謀っていたとしても、だ。
 身の裡より湧き起こる憤怒を堪え、静かに微笑み返すしかなかった。
 覇天組の隊士以上に付き合いの古いバーヴァナは、微笑に隠されたナタクの忍耐を全て見通している。
武術家の誇りを踏み荒らしたモルガンへの怒りとて共有している。
 それ故に彼は「大司教は武術への感心がお強いのですな」と別の話題を掲げたのである。
何時までも当代のミトセにこだわっていては、ナタクの心に負担が掛かるばかりであった。

「もしや、大司教にも何か心得≠ェ? 教皇庁に秘伝の武技が伝わっておるのでしたら、
私のほうこそご教授を頂きたいものです」
「いえいえ、滅相もない。女神イシュタルと神人の教えを広めることが神官の務めでございます。
武技の鍛錬は聖騎士に譲っておりますよ。私は観賞が専門でして、ええ。
時間にゆとりがあるときには『バイオスピリッツ』のビデオを見ておりますよ。
聖職者には似つかわしくない趣味だと言われることも多いのですが……」
「バイオ――ああ、総合格闘技のイベントですね」
「おや? バーヴァナ先生はあまり関心がございませんか?」
「いやはや、申し訳ありません。自分が古流を修めている所為か、現代の格闘技(もの)にはどうにも疎くて。
総合ルール……と言うものも良く解らないのですよ」
「最近ではジュリアナ・ヴィヴィアンと言う選手が有名です。
『イシュタルの申し子』などと称しておりますから、そこは教皇庁としては些か悩ましいのですが……」
「名前だけは何処かで見た記憶があります。さて、どこだったかな――
ああ、何かバラエティ番組に出演していましたね」
「確かにタレント活動も盛んにしてますよ。バーヴァナさんが好きな歴史番組には出てませんけど」
「流石にキミは詳しいね。確かアラカネ君もMMAには詳しかったんじゃないかな」
「……まァ、それなりには」

 会話の流れの中でモルガンが触れた『バイオスピリッツ』とは、昨今、隆盛の目覚しい格闘技イベントである。
 ありとあらゆる格闘技の技術や理論を一纏めにし、整理と体系化を施した試合形式のことを
昨今は『総合ルール』と呼称しており、これを採用する興行としては、
『バイオスピリッツ』は世界最大の規模を誇っていた。
 そもそも、『MMA』と言う格闘様式を提唱したのが『バイオスピリッツ』なのである。
MMAとは、『ミクスド・マーシャル・アーツ』の略称であった。
 選手の安全性などもルール上で配慮されている為、プロスポーツとしては完成されたが、
その代償に「生命の遣り取り」と言う緊張感が大幅に削ぎ落とされている。
だからこそ、『現代総合格闘技』の興行として成功し得たのであろうが、
実戦の中で研ぎ澄まされた武術の使い手には、どうにも肌に合わないわけだ。
 競技化された試合にはバーヴァナは全くと言って良いほど感心がなかった。
陽之元正規軍で教頭を務める男にとって、「戦い」は遊戯(ゲーム)とは違うのである。
 これについてはアラカネも同意見であった。何も考えず眺めている分には退屈しのぎになるのだが、
実戦と比べてしまうと、流石に物足りなく感じてしまう。「殺人依存症」と恐れられる男であれば尚更だ。
 一方のナタクは技術研究の為にMMAを体験し、競技化された格闘技の理論も吸収していた。
 無論、彼の骨子もバーヴァナと同じ実戦主体の古武術であり、
やはり「生命の遣り取り」にこそ武芸の価値と本質を見出している。

「――では、『バイオスピリッツ』の出場選手と観客が会場ごと消失してしまった事件も
バーヴァナ先生の耳には届いておりませんかな」
「一体、何の話ですか、それは……」

 何時まで総合格闘技の話題が続くのかと、心中で辟易するバーヴァナであったが、それもほんの一瞬のこと。
モルガンが何の脈絡もなく突飛なことを口走ったのである。
 それは全くの初耳であった。自分よりもMMAの事情について詳しいであろうナタクを伺うが、
やはり彼も首を横に振っている。

「……成る程、そうか。これ≠熨蜴i教のお役目でしたね」

 脳裏の閃きを口にするバーヴァナに向けて、モルガンは押し黙ったまま首を頷かせた。
 ここ一年余りの間、Aのエンディニオンでは連続神隠し事件が頻発している。
「神隠し」と呼称される通り、つい先程まで間近に居た人間が跡形もなく消えてしまうのだ。
 ギルガメシュは件の怪現象を「異世界への強制転送」だと喧伝しており、
これに巻き込まれた者たちは転送された先にて『難民』として不自由な暮らしを強いられていると言う。
 難民と言う史上類を見ない悲劇と混乱を防ぐには、武力を以ってエンディニオンを束ねるしかない――
このように理解不能な理論を振り翳し、ギルガメシュは全世界に宣戦布告した次第である。
 教皇庁がギルガメシュとの全面対決に至ったのは、至極当然の成り行きと言えよう。
 神隠しに遭ったと想定される人々の捜索を迅速に進める為、
教皇庁は『未確認失踪者捜索委員会』を発足している。消失してしまった人々を根拠なく難民と断定し、
これを保護するとの名目で侵略戦争を展開させるギルガメシュとは、根本的な部分で相容れないのだ。
 モルガン大司教は『未確認失踪者捜索委員会』にて責任者を務めている。
優秀な監察方を抱える覇天組ですら知り得ない神隠し事件を把握していたのも、
件の委員会の権限(ちから)と言うものだった。
 しかし、委員会の活動にも大きな方向転換が求められているとモルガンは続けた。
 最初の内は人間だけが失踪していたのだが、ときが経つにつれて消失される規模が拡大しており、
施設どころか、一個の都市が完全になくなってしまうような事件も発生していた。
 こうした事態にも対応出来るよう委員会自体も再編する時期に差し掛かっていると言う。
 『バイオスピリッツ』が怪現象に遭遇したのは、『未確認失踪者捜索委員会』の再編が
進められる最中のことであったのだ。
 ここでモルガンは説明を一区切りさせたのだが、
ナタクたち三人は腑に落ちないといった調子で眉根を寄せている。
 世界最大規模の格闘技イベントが会場ごと消失してしまうなど空前絶後の大事件であろう――が、
そのような報道など陽之元では一度たりとも耳にした憶えがない。
穏やかならざる時勢だけに、ギルガメシュによるテロと騒ぎ立てる声があってもおかしくない筈だ。

「ニュースバリューを考えたら捨て置くほうがおかしいんだが、……キミたちは何か聞いているかい?」
「局長が知らんものを俺みたいな平隊士が知るわけないでしょう。
上の人間が下まで情報を寄越さないってのは世の常ですがね」
「ンなこと隠して何の得があるんだ」

 アラカネから当て擦りのような言葉を浴びせられてしまったが、
如何に覇天組局長とは雖も、知らないものは知らない。監察方とて件の情報は掴んではいない筈である。

「しかし、妙だな……消失したと言うことは跡地が残るわけで――そこはどのような形になったのですか?」
「ナタク先生の仰るように跡地は大きな空洞になってしまいました。大きく穴の開いた虫歯をご想像ください。
……当然ながら通信社の方も新聞社の方も集まって参りましたよ。事情を話して、お引取り頂きましたけれどね」
「よく記者を納得させられましたね……」
「闇雲に誤った情報を書き立てることを神々は憂えている――とお話をさせて頂きました。
誠意(まこと)を以って説得すれば、必ず心は通じ合えると言うことでございます」

 ナタクの耳にミダの発した「女神への冒涜」と言う痛罵が蘇ったのは、詳らかにするまでもなかろう。
早い話が、神罰の名のもとに報道関係者を恫喝し、記事の掲載を差し止めてしまったのである。
どのように言い繕おうが、権力を振り翳した報道規制であることに相違ない。
 エンディニオンに於いて女神イシュタルは絶対的な存在であり、
これを司る教皇庁に逆らうことは、神々への冒涜にも等しい――まさしく最強の権力と言えよう。

「今から二ヶ月ほど前のことです――ミトセ氏が収監されている刑務所も地上から姿を消しました。
……この情報も陽之元の皆様にはお届けしていなかったかと存じますが……」
「『お届けしていなかった』、ね。つまり、そのニュースも教皇庁の預かりと言うわけですか……」
「成る程、ようやく合点が行きましたよ。私にミトセの話をされたのは、つまり――」
「――ええ、この大事件について両先生のご意見を伺いたかったからです」

 非常に回りくどい筋運びであったが、これこそがモルガンの語ろうとした本題≠ナある様子だ。
だからこそ、教皇庁とは無縁であろう人物――ジェームズ・ミトセの系譜を口にしたのである。
 今やモルガンは朗らかな笑みを消し、真剣な顔つきとなっている。
他の貴賓らに聞こえないよう発する声も低く落としている。

「両先生に折り入ってお話がございます――何分にも人目を憚る内容(もの)ですので、
出来れば、場所を移りたいと思うのですが……」
「それは構いませんが――ねえ、バーヴァナさん?」
「……うん、私としても大司教の言われたことが気に掛かる。是非とも詳しい話を聞きたいものだよ」

 些かの動揺も見せず、平静を装って応対してはいるが、両名ともに我が耳を疑っている。
いよいよ暗殺計画の仕上げに着手するのかと思いきや、
モルガンは然るべき場所≠ヨバーヴァナまで招くと言い出したのだ。
 万難を排して暗殺を完遂させるのであれば、ナタクを単身(ひとり)にしなくてはならない筈だ。
陽之元正規軍の教頭まで同行した場合、計画の成功率は限りなく零へと近付くのである。
 よもや、陽之元の要人をふたりまとめて葬り去ろうとは謀るまい。
教皇庁に睨まれるようなことを仕出かした覇天組局長と異なり、
バーヴァナには命を狙われる理由すら存在しないのだ。
 それだけに両先生≠ニ話がしたいと申し入れてきたモルガンの真意が分からない。
彼は護衛として付き従っているアラカネさえ引き離そうとしなかった。
 ついにそのとき≠ェ訪れたと最大まで警戒心を強めていたアラカネも、
今では呆けたように口を開け広げてしまっている。

「今宵の晩餐会には覇天組の副長殿と総長殿にもお出で頂いているそうですね。
相応の場を整えてございますので、御二方の意見(おはなし)も伺いたいのですが……」
「ラーフラとルドラの……ですか?」
「御二方は覇天組の要と聞き及んでおります。……今は教皇庁にとっても正念場。
より広い意見を――いえ、あらゆる世界の巨人から知恵をお借りしたいのです」
「まあ、手招きすれば随いて来ると思いますが……」

 今度はラーフラとルドラまで交えたいと言い出した。
 ナタクを始末するには不都合なことだらけではないか。首尾よくテンプルナイトを招き入れたとしても、
陽之元の猛者が四人も揃っては返り討ちは必至。そして、それが解らないモルガンではない筈だ。

(カナン・ミトセもおかしな野郎だったが、……こいつもこいつでワケわかんねぇな)

 言葉なくバーヴァナと視線を交えたナタクは、微かに首を傾げて見せた。





「――何だか、妙なことになってきたみたいですよ」

 晩餐会の会場に潜り込んでいるシュテンから電子メールにて連絡を受けたハハヤは、
モバイルの液晶画面に見入ったまま、頻りに首を傾げている。
「意味がわからない」と繰り返してしまうほど珍妙な内容が表示されているわけだ。
 現在、彼の身は草叢の中に在る。背の高い草や古木で姿を隠し、
ナタクの首を狙う者――テンプルナイトの一隊が控えている廃屋を睨み据えていた。
 会場へ足を運ばなかった隊士たちが此処には集結している。
古びた橋のすぐ近くで件の廃屋を見張り、テンプルナイトが飛び出すのと同時に迎え撃つ手筈である。
橋を渡って街道へ出る前に仕留めるのが上策と軍師が立案したのだ。
 その軍師――ジャガンナートは、大弓を腋に抱えたまま先程から考え事に耽っている。
 出立の準備自体は済ませているようだが、
晩餐会が始まってからもテンプルナイトは動く気配すら見せなかった。
 廃屋から大司教の私邸まではそれなりに離れており、徒歩では二〇分は要する。
今から出立しても大遅刻は免れず、標的を取り逃がす可能性とて高いのだ。
 そもそも、だ。暗殺を謀る場合、先んじて現地に入り、相手を待ち伏せるのが定石と言うもの。
決行時間を迎える寸前まで別の場所にて待機するなど、それ自体が失敗を意味しているようなものであった。
 だからこそ、ジャガンナートは腑に落ちなかった。
 モルガンの頭脳は驚異と言っても差し支えがない。巧妙な計画と、その実行力は敵ながら賞賛に値する。
そのような男が肝心なところで指示をしくじるだろうか。
テンプルナイトが了承を拒んだと考えられなくもないが、それならば早々に廃屋を引き払っている筈だ。
 「要所で詰めが甘い」と言う想定も挙げられるが、それにしても討手の遅刻と言う非常事態と見れば、
催促の連絡くらいは入れそうなものである。

(テンプルナイトはボクらを引き付ける囮で、実は他に討手がいる? ……いや、まさかな――)

 様々な仮説を立てては心中にて打ち消し、結論も出せないまま頭を振り続けるジャガンナート。
そのような折に、またしても意味不明な連絡が入ったと言うわけだ。
 ハハヤを経由して晩餐会の現状を確認したニッコウは、
「ヤロウの目的はナタクじゃなかったのかよ。メチャクチャじゃねーか」と鳴杖の先端で頬を掻いた。
 鳴杖の先端に付けられた円形の金具には幾つかの鉄の輪が通してあり、
これを打ち鳴らすことによって破邪の効力を秘めた音色を奏でるのだ――が、
流石に隠密行動には不向きであり、現在は防音の為に革の袋を被せ、その口を紐で縛ってある。
 ニッコウに向かってメールの文面を読み上げているハハヤも今宵ばかりは母衣を背負っていない。
そもそも、母衣の装着には布を掛ける骨組みが必要であり、
これを接続させるプロテクターとて身に纏ってはいないのだ。
 皆、普段着のままで草叢に隠れている。宵闇に紛れるのであれば、擬態の効果もあるプロテクターを
着用したほうが良さそうなものであるが、万が一にも余人に目撃されたとき、
覇天組と気取られないようにしなければならないのだ。
 埒外と言うこともあって街灯の類は設置されておらず、足元を照らすのは月明かりのみ。
目立つ物さえ身に着けていなければ、正体が露見する可能性は大幅に下がる筈であった。
 どのような小細工を図っても確実に見抜かれてしまうだろうテンプルナイトは、
言わずもがな死を以って口を封じるつもりである。
 愚直なシンカイは「死人に口無し」とでも言うような手段が好みではないのだが、
局長――否、覇天組そのものが生きるか死ぬかの状況とあっては、黙って承知せざるを得なかった。
 そのシンカイもニッコウやハハヤの様子がおかしいと気付き、
姿勢を低く維持したまま彼らのもとへと馳せた。
少し離れた場所に立つ木の陰にてナラカースラと待機していたのである。
 現在は着流しではなく紺色の袴を穿き、帯に愛刀を差し込んでいる。
鞘から垂らした鎖を帯に括り付けているのだが、当然ながら持ち主が動くと金属が擦れ合い、
自然界のものとは明らかに異なる異音を立ててしまう。
 その異音が廃屋にまで届いてしまえば、草叢へ潜んでいる意味すら消え失せるのだ。
ニッコウは声を出さずに唇のみを動かし、「余計なことをすんじゃね〜よ! 持ち場に留まれって!」と、
シンカイの短慮を批難したものである。

「何があった? よもや、作戦を見破られたのではあるまいな?」

 目くじらを立てたニッコウには構わず、シンカイは委細をハハヤに訊ねた。
ふたりの口から同時に漏れ出した溜め息も、『ガムシン』の耳には入っていないのだろう。

「――つまり、我々の取り越し苦労……だったのか?」

 晩餐会の状況を聞かされたシンカイは、たちまち難しい表情となり、刀の柄頭を左手で掴んだ。

「おれとしちゃあ、そのほうが有り難ェけどさ。そう何度も命狙われてちゃ敵わねぇもん。
……ただでさえ、うちの大将は死にたがりなんだからよぉ」

 ニッコウが漏らした溜め息には、安堵と不安が混ぜこぜになっている。
 どちらの情念もナタクに向けられたものだ。安堵は彼に危害が及ばないこと、
不安は彼が危害を喜んでいること――どちらかと言えば、後者のほうがニッコウの中では大きい。
 宿所から出発する直前、ニッコウはラーフラから水際にて脅威を食い止めるようにと厳命されていた。
即ち、テンプルナイトをナタクに近寄らせてはならないと言う意味である。
 凶刃を前にしたナタクは、局長と言う立場も忘れて我が身を危地に晒すことだろう。
 『北東落日の大乱』の終結以来、ナタクは己を傷付けるような危うい戦いばかりを繰り返している。
覇天組全体を見渡すべき役職でありながら平隊士を差し置き、
最前線まで飛び出していくのも、そのひとつであった
 まるで、大戦で失った何か≠取り戻すように。決して満たされない心の餓えを持て余すように、だ。
 百戦錬磨のテンプルナイトは格好の相手と言えよう。
 一対一の勝負であれば、赤子の手を捻るようにして返り討ちにしてしまうだろうが、
複数名に囲まれたときには、いくらナタクと雖も五体満足では済まない筈である。
そして、今宵の討手は聖騎士団≠ナあった。

(……そう簡単にくたばれると思うなよ。そんなオチ、おれの目が黒い内は絶対に許さないぜ)

 わざわざ副長から言い付けられるまでもなく、局長を死なせるわけには行かなかった。
その思いはシンカイやジャガンナート、そして、ナタクに同道するゲットとも共有している。
 五人は少年期を共に過ごした親友なのである。覇天組の隊士と言うことを抜きにしても
ナタクを狙う者は許せないのだ。

「んんー……勘違いって結論出すのは、ちょ〜っと気が早いんじゃない? 
ホントに取り越し苦労なら、今、私たちは誰を見張ってるの――ってコトになるじゃない」

 シンカイたちの会話に――そして、ニッコウの思量に――ミダの声が割り込んだ。
彼女もまた持ち場を離れて三人のもとへやって来たのである。
退け者にされているのが寂しくなったのか、ミダに続いてナラカースラも合流した。
 両手で頭を掻き毟り、「陣形も何もあったもんじゃねぇ!」と嘆息するニッコウなど誰も眼中に入れていない。

「テンプルナイトの奴ら、ナタク君だけじゃなく覇天組の幹部を一掃しようってハラじゃない? 
あの三人は名実共に隊の要だもの。まとめて始末しちゃえば教皇庁にとっては最高よ。
恐怖統制的に言うことも聞かせ易いってコト」
「相変わらずミダのネェさんは言うことが面白ェな。想像力が逞しいっつーの? 
ネェさんの考え通りだとしたら、バーヴァナの旦那はどうなるのさ。
陽之元の要人を何の理由もなく殺しちまったら、それこそ教皇庁にとっちゃ最悪だぜ」
「ナラカッちゃんが暢気なのっ。証拠が残らなきゃ告発も何も出来ないでしょ? 
教皇庁だったら、そーゆーエグい湮滅(コト)も喜んでやると思うよっ!」
「そいつはオレらの作戦じゃね〜か」
「ミダさんの心配はご尤もだけど、そんなに単純なことじゃないと思うぜ。
ここまで用意周到にやって来た大司教が、詰めで大雑把になるかねぇ」
「――ニッコウ君!?」
「おうおう、言ったれ、言ったれ、ニッコウ。多分、ネェさんは肝心なトコがわかってねぇよ」
「ミダさんは暗殺が成功した場合を真っ先に想定してますけど、
頭脳派の大司教が覇天組の――いや、陽之元の人間の強さを見誤ると思いますか? 
……ナタクひとりに数人のテンプルナイトで襲い掛かるなら、万分の一でも可能性はあったでしょうが、
今はもう頭数が違う。副長と総長、おまけに覇天組一番のデカブツが揃ってます。
おまけにバーヴァナさんと来たもんだ。前に組み手に付き合って貰ったことがありますけど、
あの人もナタクと同じ化け物ですよ。何で『四天王』に入ってないのか、分からないくらいだ」
「陽之元の戦士はひとり増えるごとにとんでもなく厄介になる――ソレはオレらが一番分かってることっしょ? 
教皇庁が覇天組(オレら)に目ェ付けたのも、そーゆー理由じゃなかったかなァ?」
「テンプルナイトが一〇〇人でもいたら話は別ですけど、
チンケな廃屋に入るくらいの人数じゃ返り討ちにされるのがヤマ。
大司教だってそれは分かってるハズなのに、なんでナタク以外を引っ張り込んだのか――」

 ニッコウとナラカースラからふたり掛かりで見落としを指摘されたのが悔しかったらしく、
ミダは「どーせ、私は脳筋(のーきん)ですよーだっ!」と頬を膨らませた。

「大司教から見たら他宗派の聖騎士など捨て駒に過ぎんだろう……が、
それでも己の計略をしくじるような無謀はするまい」

 ニッコウとナラカースラの見立てにはシンカイも頷いている。
尤も、彼とて委細を説かれるまではミダと同じように覇天組幹部を一網打尽にする策略としか考えていなかった。

「とりあえず、センパイやバーヴァナさんたちはモルガン・シュペルシュタインと一緒に
例の遺跡へ向かうそうです。ヌボコ君たちも予定通りに仕掛け≠始めるそうですし……」

 メールに記載されていた内容をハハヤが改めて整理する。
ナタクとは別行動ながらヌボコたちも大司教の私邸に入っており、局長暗殺計画への反撃を講じる予定だ。
 しかし、モルガン側が想定外の行動(うごき)を見せたからには、反撃の策にも軌道修正が必要であろう。
以降の攻め手についてナラカースラから意見を求められたジャガンナートは、
「ボクらは大きな間違いを犯していたのかも知れない」と、何時になく真剣な面持ちで吐き出した。
 この軍師の言葉にニッコウは鳴杖の柄を握り直した。
「大きな間違い」なる発言の意味を計り兼ね、誰もが緊張した面持ちである。

「最初から不自然なことが多過ぎた。本当はそこで気が付くべきだったんだよ。
暗殺計画のあからさまなリーク、急に情報源が曖昧になったギルガメシュ支援者の噂――
全てはボクらをこの地に誘き寄せる為の罠だったんだ。それも武装持参でね。
……ギルガメシュの噂を流したのも大司教と見て間違いない。
テンプルナイトを相手に戦う準備を整えさせたってワケさ」

 ジャガンナートが何を喋っているのか理解に苦しむシンカイは、先程から頻りに首を傾げている。

「どう言うことだ? あそこのテンプルナイトを覇天組に始末させるのが目的とでも言うのか? 
その為にお膳立てを? ……あばら家に集まっている連中は何者なんだ!?」
「大司教にとっては捨て駒以上の値打ちなんかないさ、シン君。
特別でも何でもない。道端で蹴飛ばす小石と同じだ」
「だから、分からん! そのような者に我らをぶつける理由がどこにある!?」
「その捨て駒の死を以ってして、モルガン・シュペルシュタインはナタクに首輪を嵌めるつもりなんだよ。
……大司教のお望みは、テンプルナイトにナタクを始末させることじゃない。
そのテンプルナイトをボクらに殺させることだ」

 騒然となるシンカイたちに向かって、ジャガンナートは「ボクらは間違っていた」と再び繰り返した。

「――おう、おめーら! ようやくお出ましみたいだぜ!」

 モルガンの本当の狙いをジャガンナートが述べようとしたとき、
橋の下に隠れていたホフリから呼び声があった。
 そのホフリは別行動中のハクジツソからアタッシュケースと一体型の機械を渡され、
内蔵されたパソコンを操作し続けていた。ハハヤたちの輪にも加わらずに、だ。
それ故に敵状の変化を逸早く察知出来たのである。
 呼びかけに反応して廃屋へと視線を巡らせれば、
二十余名のテンプルナイトが隊列を組んでいるところであった。
どう考えても暗殺決行の刻限には間に合わないように思えるのだが、
それはともかく今から出立するのは間違いなさそうだ。

「テンプルナイトが遅くに出発する理由も今なら明白。
ボクらに流れてきた暗殺決行の時間と、モルガン・シュペルシュタインが奴らに吹き込んだ時間は
大きくズレてるんだろうね。……優しい大司教サマは、覇天組が確実に準備を済ませられるよう
余裕を見てくれたわけさ。ボクらが着いたとき、テンプルナイトが出発した後だったら大変だろう?」

 指先でもって弓弦(ゆづる)を引っ張り、その具合を確かめるジャガンナートが、
自身の推論を口早に続けた。
 随分と遠回りをしてしまったが、思考回路を把握した今ではモルガンの動きが手に取るように分かる。
だからこそ、胸の奥から嫌悪感が込み上げてくるのだ。
行儀も悪いので自重したが、許されるならば、今ここで唾(つばき)を吐き棄てたかった。

「お前の推理は何となく分かった。……テンプルナイトはモルガンの策略を知っていると思うか?」
「シン君ね、そーゆーのを世間一般では愚問って言うんだよ。
覇天組にぶつけるのが目的なんだから、あくまでもナタクを狙うよう言い付けてあるハズさ。
局長と一緒に現地入りしている隊士が立ちはだかるなら、
実力で退けるしかない――とも吹き込んでるんじゃない?」
「自分でそのような状況を作っておきながら、恥知らずも良いところだな。
……大司教ともあろう者が聞いて呆れる!」
「恥なんかとっくに捨ててると思うけどね。人間らしさがカケラでも残っているなら、
こんなフザけた真似なんか出来やしないさ」
「ならば、答えはひとつだ――」

 モルガンに対する怒りが頂点を迎えたのか、シンカイは平素よりも荒々しく愛刀を抜き放った。
 憐れなテンプルナイトではなくモルガンにこそ白刃を向けるべきだと、彼は心中にて幾度も念じている。
『ガムシン』が握り締めるのは、即ち義憤の剣であった。

「こっから晩餐会まで鳴杖(つえ)をブン投げて、大司教のどてッ腹をブチ抜いてやろうかね。
ここまでアタマに来たのは久しぶりだぜ」
「ナイスアイディアっ! 叩けば埃が出る身なんだし、殺られるだけの理由があったんだって暴露しちゃえば、
大司教の自業自得でケリつけられるもんねっ!」
「誰だっけ、ちょっと前に同じコトを喋ってなかったか? 後からアリバイ工作すんのは無理なんだって。
ネェさんもその場にいたハズなんだけど、もう忘れちまったみて〜だな」
「それを言ったのは僕ですよ、ナラカースラさん。……頭に血が上ってるのだと思いますけど、
ミダさんは少し落ち着いて下さい。ホフリさんと同レベルのことを言っちゃうなんて流石に考えものですよ? 
良いんですか、ホフリさんなんかと同じように見られても」
「そ、それは死刑宣告に近いものがあるわね……」
「んん〜? こっからじゃ良く聞こえねぇんだけど、もしかして、オイラ、褒められてたりするんかや?」
「そうです、べた褒めです。だから、持ち場を離れず其処で待機しておいて下さい」
「……ホフリ君のあしらい方が上手になったわねぇ、ハハヤ君ってば」
「良くも悪くも付き合いが長くなっちゃいましたから――」

 二番戦頭の――シンカイの抜刀に続き、ニッコウも鳴杖の先端に被せていた革袋を外す。
ミダは拳を鳴らし、ナラカースラは鎌の柄から垂らしてある鉄鎖を握り締め、
そして、ハハヤは手足を屈伸させ――各々が臨戦態勢を整えていった。

「とりあえずは生け捕りにすることを考えてくれ。テンプルナイトは必ず利用出来る。
大司教や教皇庁に一泡吹かせてやることだって不可能じゃなくなるよ」

 軍師から飛ばされた指示にニッコウたちは揃って頷き返した。
シンカイは己の意思を示すように刃を返している。
白刃の逆――つまり、刀身の峰≠ナもって殴打し、鎮圧しようと言うわけだ。

 テンプルナイトの一隊はリーダーと思しき初老の男性を先頭に廃屋を発った。
腰に剣帯を締め、そこに教皇から下賜されたサーベルを吊るしている。
聖騎士の証たるサーベルの他に兵器めいた物は携行していないようだ。
 例外的に先頭の男だけは剣帯と別のベルトを肩掛けに締めている。
これはライフルの持ち運びを利便化する為に接続されたものであった。
 さりながら、件の男が携えたライフルとは覇天組局長相手に通用しそうな代物ではない。
一般的なリボルバー拳銃と同じように弾倉(シリンダー)が回転する形式であり、
多少なりとも銃器の知識がある者ならば、この種類の物は旧式であると即座に見抜けるのだ。
実際、塗装の剥がれなど銃身の各所に年季と言うものが感じられた。
 「一般的なリボルバー拳銃と同じ」である為、銃爪(トリガー)を引く度に弾丸が一発だけ発射される。
それはつまり、連射には不向きと言うことを物語っている。
テンプルナイトがどこまで覇天組局長の脅威(おそろしさ)を認識しているのかは未知だが、
連射も利かないような旧式銃で挑もうなど無謀以外の何物でもない。
 その上、狙撃用の改良とて施されてはいないのだ。照準器すら取り付けていない。
橋の中央に差し掛かったところで彼らの往く手を遮ったナラカースラは、
ライフルを一瞥するや否や、「局長もナメられたもんだな」と侮蔑交じりの薄笑いを浮かべたものである。
 古びた橋と隣接する街道に陣取ったのは、一番から四番までの戦頭たちであった。
ニッコウとジャガンナートは人間離れした跳躍力を発揮してテンプルナイトを飛び越え、
一団の背後へと降り立った。月明かりが落とす影の躍動を追い掛けていたホフリもその着地点に立ち、
「バっカが見るぅ〜ブっタのケツぅ〜」と挑発の声を繰り返している。
 ステテコに腹巻と言う出で立ちの男から謗られるのは、身震いする程の屈辱であろうが、それはともかく――
前途は戦頭たちが閉ざし、退路はニッコウとホフリが絶った。
テンプルナイトの出端を挫くようにして挟撃の態勢を整えた次第である。
 対するテンプルナイトたちは数人一組で背中合わせとなり、
前後の敵に警戒を払いつつ打ち揃ってサーベルを抜き放った。
 訓練が行き届いた機敏な連携に接して、シンカイは思わず目を細めた。
 これまで蹴散らしてきたギルガメシュの兵隊とは動きからして全く異なっており、
勇士の集まりであることは瞭然である。それぞれの面に壮烈とも喩えるべき気迫が漲り、
澄んだ双眸は汚れ仕事を引き受けるような人間には似つかわしくない。
 彼らが聖騎士であることは疑いなく、それ故に口惜しく思えてならなかった。
局長を狙う敵として退けなければならないことは、ひとりの武人としても心苦しいのである。

「空飛ぶMANAは持ってきてないみたいね。……ま、あんな目立つモノは暗殺には向かないもんね」

 シンカイの隣ではミダがテンプルナイトの様子に目を凝らしており、
彼らが聖騎士の特権≠装備していないことを確かめると、胸を撫で下ろすような仕草を見せた。
 Aのエンディニオン――否、教皇庁の定めに於いて、天空での戦いは神聖な行為とされている。
ミダが口にした「空飛ぶMANA」とは、まさしく聖騎士の特権たる武装であり、
許可(ゆるし)を得た者以外は所有すら出来ないのだ。
 一般の市場にて取り引きされているMANAの中にも飛行能力を備えた物は在る。
しかし、その高度は大きく制限されるのだ。もしも、教皇庁の取り決めを破って神聖な領域≠侵した場合、
聖騎士によって逮捕あるいは撃墜される可能性もあった。
 無論、聖騎士のMANAは飛行能力の実装を以って特権≠ニ謳っているわけではない。
搭載された武装も特別仕様であり、その破壊力は一般に流通されるMANAとは比較にならないのだ。
正当な理由さえ伴っていれば、上空から地上へ絨毯爆撃を行う権限すら聖騎士には与えられている。
 聖騎士にのみ許された桁外れの特権≠ェ投入されてしまうと、さしものナタクも苦戦を免れまい――
そのように隊士たちは案じていたのだが、大司教たるモルガンから制限されたのか、
はたまた汚れ仕事へ神聖な武装を用いるのを憚ったのか、
テンプルナイトは誰ひとりとしてMANAを携行していなかった。
 ミダの語った通り、衆目を集めるような武装を敢えて外したとも考えられるが、
いずれにせよ、秘密裏に行うべき暗殺には余りにも不向き。
特権≠ニ言う切り札を捨て、サーベルのみに武器を絞った判断は正解であろう。

「……覇天組か?」

 テンプルナイトの先頭に在った男が誰何する。
 このような状況で前途に立ちはだかるのだ。他には考えられないのだろう――が、
それでも確かめずにはいられなかったらしい。
 右手にサーベル、左手にリボルビングライフルと言う勇ましい姿である。
銃身の長いライフルを片手で扱うのは至難の業であり、下手を打つと暴発する危険性もあるのだが、
この男に限って言えば、どうやら虚仮威しではなさそうだ。
 如何に困難な技術であろうとも使いこなせると言う自信が、威風に形を変えて全身から発せられていた。
相当に熟達した使い手≠ナあろう。他の聖騎士たちにも隙と言うものが全く見られない。

「覇天組の者であるか?」

 今一度、先頭の聖騎士が誰何した。
 奇しくも正面から対峙する恰好となったシンカイは、彼の問い掛けに首肯を以って応じた。

「覇天組二番戦頭、シンカイ――貴公の名を訊かせて頂きたい」
「エアフォルク公国所属、ガリティア神学派聖騎士――ゲルハルト・ザッカー。
……後ろに控えしは我が隊の俊英である」

 覇天組と言う隊名を聞かされた途端、ギルガメシュの将兵は悉く震え上がったものだが、
ゲルハルト・ザッカー以下テンプルナイトはひとりとして取り乱すことがない。
己に峻烈な修練を課し、心身を鍛え上げている証拠であった。
 そして、死を賭してでも目的を果たさんとする強い覚悟を秘めている。
 武人の規範とも成り得る魂と言えよう。気高い姿を見れば見るほど、
斬って捨てるには惜しい人物と言う思いがシンカイの心に募るのだ。

「……ザッカー殿、悪いことは言わん。モルガン・シュペルシュタインとは手を切れ。
あのような男の為に聖なる剣を穢して如何なされるおつもりか。
黙って刃を納め、誇りある騎士の道に戻られよ。さすれば、覇天組も遺恨を水に流す」

 元よりテンプルナイトに憐憫の念を寄せていたシンカイは、
リーダー格のゲルハルト・ザッカーに兵を引くよう説得を試みる。
 尋常ならざる成り行きから対峙せざるを得なくなったものの、互いに憎み合っているわけではないのだ。
ジャガンナートの推理によれば、この対決自体がモルガンによって仕組まれた陰謀である。
そのようなものに踊らされて刃を交えるなど、「不毛」の二字以外に言葉が見つからない。

「覇天組と教皇庁は同盟関係。もうひとつ付け加えるならば、覇天組はどちらの宗派にも属してはおらん。
……我らの争う理由がどこにある? 無益な斬り合いにその剣を使ってはならん」

 鎖を振り回してテンプルナイトたちを威嚇しているナラカースラは、
一瞬だけシンカイに咎めるような視線を向けたが、説得そのものに反対はしなかった。
長い間、死線を共にして来たのだ。ガムシン≠フ為人はナラカースラとて良く解っている。
 不毛な戦いはナラカースラとしても望むところではない。シンカイのことを甘いとは思うが、
さりとて説得のみで鎮められるのなら、それに越したことはなかった。
 しかし、説得の言葉が受け入れられなかった場合に備えて、臨戦態勢だけは維持し続けるつもりだ。

「お気遣い、痛み入る――」

 ゲルハルトはシンカイの言葉を受けて礼儀正しく一礼した――が、
抜き放った刃を鞘に戻す気配は見られない。銃口を地面に向ける素振りも見せなかった。

「――が、これ以上はご無用に願いたい。我々は敵同士として見(まみ)えている。
我らは教皇庁の敵として覇天組局長を討つ。……争う理由は十分だ」
「ザッカー殿……」
「このような形で相見えた以上、我らは戦わねばならん。
その線引き≠ヘ明確にしておくべきかと存ずるが、如何か?」
「センパ――……いえ、局長を狙う理由をお聞かせ下さい。
『教皇庁の敵』と貴方は仰いましたが、それは建前……いえ、大司教に吹き込まれたことではないのですか。
本当は局長を狙う理由なんかない。そうではありませんか?」

 一番戦頭たるハハヤもシンカイに肩を並べ、ゲルハルト・ザッカーと言葉を以って相対する。
 ハハヤとて武人なのだ。ゲルハルトたちの振る舞いに共感し、
このまま乱戦に突入することを躊躇う気持ちが湧いている。
 局長の命を狙う「討手」の二字から卑劣漢を想像していたのだが、
策謀を張り巡らせて人間の運命を弄ぶモルガンよりも遥かに正大ではないか。
暗殺計画が暴かれた後も、彼らは無様な言い逃れをすることもなく堂々と立ち続けている。
己の志を愧じず、誇りを保つ姿には好感すら抱いてしまう。
 合コンの度に粗相をしていろいろ≠ニ拗らせているミダなどは、
恍惚(うっとり)とした表情で「モロ好み……」と口走り、隣に在るナラカースラを呆れさせた。

「ガリティア神学派の貴方が教皇庁の為に剣を振るう――これほど不自然なことを僕は知りません」

 握り締めていた拳を開き、敵意がないことを示しながら語り続けるハハヤだったが、
ゲルハルトに変化は見られない。抜き身の白刃は尚も覇天組に向けられている。

「僕らも局長を守らなくてはなりません。避けられない戦いならば、受けて立ちます。
しかし、理由も定かじゃないのに襲われるなんて迷惑ですし、そんな戦いは真っ平御免です。
……無秩序な暴力など天のイシュタル様は決してお許しにはなりません」

 生半可な説得では通用しないと判断したハハヤは、
信仰心の厚い者に最も強く響くだろう言葉を敢えて選んでいく。
話の流れによっては悪い方向へ刺激し兼ねない為、細心の注意を払いながら、だ。
 横目でハハヤの様子を窺ったシンカイは、彼の面が緊張で強張っているのを見て取った。
一度は解いた筈の拳とて再び握り締めている。
 厄介なことに巻き込んでしまったと悔やむシンカイであったが、
人一倍口下手な彼にとってハハヤの助勢は何よりも頼もしく、説得を成功させるには欠かせない。
 ハハヤから正面のゲルハルトへ視線を戻すと、彼はまたしても一礼を返している。
態度こそ恭しいものの、それは拒絶の意思表示に他ならない。

「お忘れか? ガリティア神学派とて教皇庁の一部なのだ。そして、教皇庁は神々を護り奉る聖なる砦。
……神と人とを繋ぐ拠り所を侵す者は断じて斬る。そこに宗派の隔たりなど差し挟む余地はない」

 ゲルハルトが口にしたことは詭弁であろう。理屈だけは解るが、この場に於ける言い逃れとしては些か苦しい。
 彼が聖なる砦と称した教皇庁は、現在、ヨアキム派が権勢を壟断している。
ガリティア神学派と対立する一派――あるいはモルガンが大司教として君臨する宗派とも言い換えられよう。
そして、両宗派の暗闘は公然の秘密でもあるのだ。
 そのような中で今回の騒動が起きた。ヨアキム派の大司教の命令に応じ、
ガリティア神学派のテンプルナイトが暗殺と言う汚れ仕事を引き受ける――
これは天地がひっくり返るような異常事態なのである。

「モルガン・シュペルシュタインとは偶々目的が一致しただけのこと。手を結んだ憶えはない。
我らは我らの大義に殉じるつもりだ。テンプルナイトは予言者ガリティアの為に剣を振るう」

 あくまでも自分たちの意志で覇天組局長を狙うのだと一気呵成に語った後、
ゲルハルトは初めて己の言行を愧じるように俯き加減となった。

「……シュペルシュタインが俗物であることは百も承知だ。与したいと思ったことは一度もない。
手を差し伸べただけで肌が爛れ、肉も腐って落ちる。あのような愚物が教皇庁を取り仕切ることも解せん」
「でしたら、……ザッカーさん!」
「だが……それでも我らは偉大なる預言を全うせし信徒。
そして、古代(いにしえ)の預言者は教皇庁の導師であった――
その教皇庁に叛くことはイシュタルへの冒涜にも等しく、我らが預言者の遺志をも穢すもの。
テンプルナイトの名に懸けても覇天組局長は討たねばならんのだ……!」
「それは誤解だ! ナタクには教皇庁に逆らう気など少しもないッ!」

 堪らずシンカイが声を荒げる。世間で囁かれているような「教皇庁の犬」に成り下がるまいと
反抗していることは事実だが、だからと言って叛逆を企てたことは一度もない。
 アプサラスの旧友を助けただけで叛逆と見做されるのであれば、
シンカイもハハヤも断固として抗議するつもりである。
 現在、覇天組の監察方にて働いている件の女性は、ギルガメシュに操られていたに過ぎないのだ。
それが証拠に、己がテロリストに与していたことさえ判っていなかったのである。
情状酌量の余地は十分にある筈ではないか。
 そのことは包み隠さず教皇庁に報告している。覇天組が責任を持って面倒を見ることは、
陽之元政府の承認も受けている。正規の手続きを踏襲したにも関わらず、
叛逆の汚名を着せられることは甚だ心外であり、どうしても我慢がならない。

「……如何なる事情があろうとも教皇庁に逆らったことは間違いない。
それを看過することは聖騎士の恥辱(はじ)である」
「ですから、センパイにそんな気はありませんッ! 本気で教皇庁に歯向かうつもりなら、
今回の招待だって蹴飛ばしましたよッ! 晩餐会への出席こそが誠意の証明とは思いませんかッ!?」
「今となっては如何なる釈明も意味を持たん。申し訳ないが、我らの耳には言い逃れにしか聞こえんのだよ。
……何故なら、貴公らは生まれついての――」

 そこまで言って、ゲルハルトは口を噤んだ。歯切れの悪さからも察せられる通り、
何事かを言い淀んだようである。本人にとっては不意の失言であったらしく、
自分自身にただただ驚き、次いで嘆き、やがて双眸を見開いた。

「ナチュラルボーンが何だって? えぇ、立派な聖騎士サマよォ? オレたちが何だってのさ? 
まさか、生まれついて教皇庁の敵なんてホザくつもりじゃねぇだろうなぁ? 
こちとら、教皇庁に一度は見捨てられた内戦の国出身だぜ? 
あんたらのほうから蹴飛ばした陽之元の何≠ェ分かるってんだ? 敵も味方もクソもあるかッ!」

 「お前たちは生まれついての――」との言葉に何が続くのかを半ば察し、
それ故に立腹したナラカースラから難詰されても、ゲルハルトは決して口を開こうとはしなかった。
 悔恨にも似た想念を瞳に宿し、静かにナラカースラを見詰め返すのが精一杯である。

「――はいはい、そこまでそこまで。心が一直線なヒトは何もかも単純明快で気持ち良いけれど、
そーゆーヒトをモルガン・シュペルシュタインは掌で転がしてるんだよ。
ヤツの思惑に乗せられるなんて誰にも面白くないでしょ〜が」

 加速度的に緊迫感が高まっていく両者の間へ割って入ったのは、
遠方より無遠慮に投げ込まれたジャガンナートの声であった。

「ザッカーさんだっけ? キミさ、今し方、シュペルシュタインとは目的が一致したって言ったよね? 
……申し訳ないけど、ヤツの考えはキミたちテンプルナイトとはめちゃくちゃ掛け離れてるよ。
最終目的だって全然違うところにあるのさ――」

 ナラカースラを見詰めたまま振り返ろうともしないゲルハルトの背に向けて、
ジャガンナートは自身が推理した教皇庁の――否、モルガン大司教の陰謀を説き始めた。

「ぶっちゃけた話、キミらは生贄に過ぎないんだよ、教皇庁のね――」





 モルガン大司教がナタクらを招いた先――暗殺計画の大詰めを迎える場所との言い方もある――とは、
小高い丘の上に所在する石柱群であった。
 風雨に晒されて朽ちようとしている様相(さま)が悠久の刻と言うものを偲ばせる。
この地方の伝承を紐解くと、林立する石の柱は神殿の一部であり、
ルーインドサピエンス(旧人類)の時代には神人たちの御座所として使われていたそうだ。
 ヒトと神々が共に在った時代の名残とも言うべき古代遺跡である。
そのように神聖な場所へ昏(くら)い想念を抱えたまま赴くことは、
心から歴史を愛するバーヴァナにとっては苦痛以外の何物でもない。
 現在、晩餐会の会場となっている大司教の私邸は、本来はこの石柱群を管理する為に建てられた管理棟である。
過分に豪奢と言う点はさて置き――ある意味に於いては公共施設とも言うべき場所を、
モルガンは私邸≠ニして使っていた。役宅ではなく、あくまでも私邸≠ナある。
 その上、遺跡の管理も土地の者へ一任し、モルガン自身は手も口も出していないと言う。
 件の屋敷は、最早、古代遺跡の管理棟としては全く機能していなかった。
大司教へ就任した折に祝いとして教皇から直々に賜ったのだと、モルガンは語っていた。

(公私混同は今に始まったことではないが――神人の御座所まで他人任せにしているとはな。
それで信仰の護り手を名乗るなど聞いて呆れる……)

 バーヴァナはモルガンの耳に入らないよう小さく溜め息を吐いた。
 その大司教は古めかしいカンテラを手に一行を案内している。
木立を切り拓いた間道によって私邸と石柱群は繋がっており、
ナタクたちが誤った経路を選ばないようモルガン自ら先導を買って出たわけだ。
 バーヴァナ、そして、覇天組の幹部たちは、薄気味悪い林の中を暫し歩くことになった。
暗闇の何処かに伏兵が潜んでいるのではないかと、
局長の護衛役を任じられたアラカネは、四方八方に警戒を巡らせている。
 当のナタクは修羅場に慣れていることもあって何とも暢気であり、
古代遺跡へと向かう道すがら、後から合流したラーフラとルドラにここまでの状況を掻い摘んで説明した。
「お前らがメシをがっついてる間に、こっちはインテリな話し合いをしてたんだぜ?」と冗談を交えて、だ。
 緊張感が足りないとアラカネからは睨まれてしまったが、土壇場になって慌てても仕方あるまい。
暗殺の標的にされた事実こそ動かし難いものの、頼もしい仲間が四人も揃った今、
ナタクには何も臆することがなかった。
 総合格闘技の興行――バイオスピリッツが集団神隠しの被害に遭ったこと、
そして、ジェームズ・ミトセの系譜を継ぐ者の追憶(こと)にもナタクは触れていく。

「もう忘れちまってるかも知れねぇが、戦争の真っ只中だっつーのに海を渡ってきた武術家がいたろ? 
憶えてねぇかな、ジェームズ・ミトセの末裔が――」
「忘れると思うか、阿呆めが。大事な時期じゃと言うのにあやつと戦った所為で全治半年、全治半年じゃ」
「一回言えば分かるっつーの」
「何回でも言うてやるわい。あのときのことを思い出すと、ワシはむかっ腹が立って仕方がないからのぉ。
幾度、要らぬ苦労を掛けられたか、数えるのも馬鹿馬鹿しくなってしもうたわ」

 ミトセの名がナタクの口から語られた瞬間、ラーフラの表情(かお)が不機嫌なものに変わった。
 どうやら、副長にとっては耳にするのも不愉快な名前のようだ。

「留守居のシャラ殿がこの場におったら、どんな顔をしたか――
お主こそ思い出さぬか、誰にどれだけ説教されたか。心配させるのが趣味なのかと、さんざん絞られたのぉ。
リハビリでは、シャラ殿どころか、フゲン殿にまで迷惑を掛ける始末じゃったな」
「そこでその話を持ち出すのかよっ」
「今は大事な時期だから止めておけと、ワシらは決闘を引きとめたハズじゃ。
ミトセも一度は納得したのではなかったか? それをどこぞのバカが強行したのじゃ。
多くの反対意見を黙殺したのは、はてさて、どこのどなたであったかのぉ。
平衡感覚が本復するまで、そこそこ時間が掛かったと記憶しておるが?」
「……クソ、この話は藪蛇だったぜ」
「藪蛇なんて言葉が出てくる時点で反省が足りない証拠だね。今一度、己の所業を省みるべきだよ、ナタク君」
「ルドラさんまで言いますか……」
「いや、言うよ? 当たり前じゃないか。私なら文句を言わないって思い込んでいるほうがおかしいよ。
ミトセ氏とのことに関しちゃ、キミの味方は覇天組にはひとりもいないと思ったほうが良いね。
あんまり反省が足りないようなら、今すぐシャラさんに電話してみようか。いっそ泣かされなさい」
「う……」

 局長の仕事を実務レベルで補佐する『公用方(こうようがた)』の女性隊士を脳裏に思い描き、
ナタクは決まりが悪そうに俯いた。
 公用方を務める女性隊士は、現在、陽之元本国の屯所を局長代理として預かっている。
言わば、留守居役だ――が、局長暗殺計画のことを聞けば、残留の隊士を引き連れて加勢に駆け付けるだろう。
少なくとも、彼女だけは完全武装で突撃してくる筈だ。
 だから、生命の危機にあったことは敢えて連絡しなかった。
そして、本国の屯所にモルガンの陰謀を漏らさないようラーフラたちにも厳しく言い付けていた。
 公用方とアプサラスは無二の親友であり、「シーさんに隠し事とか有り得ない」と一度は抗弁されたのだが、
これは眼光ひとつで封じ込めた。彼女と意見を戦わせる場合、大抵はナタクの側が折れるのだが、
それでも譲れない一線はある。
 件の公用方には帰国後に必ず怒られるだろうが、局長暗殺計画と言う未曾有の事態によって
覇天組全体が混乱することを考えれば、現時点では何も通知しないほうが良いのだ。
余人はともかく、ナタク自身はそのように結論していた。

(帰ってからのコトを考えると憂鬱っつーか、なんつーか……いっそここでマジに殺してくれねぇかな――)

 心の中で公用方に謝りつつ、ナタクは一本に縛った長い後ろ髪を両手で弄んだ。
 公用方の説教が余りにも長引くようであれば、優しいヌボコあたりが上手く取り計らってくれるだろう。
しかし、彼女の機嫌は暫くは直るまい。そのような状況を考えるだけでナタクはやり切れなくなるのだった。
 古い話になるが、ジェームズ・ミトセの系譜を継ぐ者と立ち合った直後などは、
丸三日も口を聞いて貰えなかったのである。
 尤も、その三日間はナタク自身の意識が朦朧としており、言葉を交わすどころではなかった。
ようやく正常(まとも)な会話が出来るようになったのは、当代のミトセとの戦いから一週間後である。
 極限の時間の果てに骨身がズタズタになり、内臓も酷く損傷し、
暫くの間、誰かの介助がなくては歩くこともままならない状態であったのだ。
 それ故に完治まで半年も要してしまったのだが、入院生活そのものは一ヶ月足らず。
書物でも読みながら療養したいと密かに考えていたが、
『北東落日の大乱』の最中にそのような怠け心は許されなかったのだ。
 何よりも『時代』がナタクと言う男を必要としていた。

(――あの頃は、ちょっとだけあいつのことが羨ましかったな。
身ひとつで何処にでも飛んでいけるあいつが……)

 大いなる『時代』の流れとは無縁の場所に生き、旅を続けてきた男――
ジェームズ・ミトセの系譜を継いだ者もナタクと同じ病院に運ばれた。
 しかし、彼は身体を起こせるようになると、医師の制止も聞かずに勝手に退院してしまった。
正規の手順さえ踏まなかった為、行方を晦(くら)ましたと表すのが最も適切かも知れない。
ラーフラなどは「どこぞで野垂れ死んでおるに違いないわ」と鼻先で嘲ったものである。
 アプサラスに頼んで足取りを調べた頃には、当代のミトセは既に陽之元を発っていた。
回復し切っていない肉体を引き摺りながら、何処かへと消え去ったのだった。
 病室が違ったこともあり、入院中には一度も顔を合わせなかった。
結局、死合≠フ中で語らい、別れたと言うわけである。
 公用方――当時はまだその職にはなかったのだが――へ頼み込み、彼の様子を覗いて貰ったのだが、
現在の有様へと至る兆候は入院中からあったように思えた。
常人には理解し得ない意味不明なこと――求道とは明らかに異なる奇怪な言葉を飽きずに唱え、
医師や看護師を困惑させていたと言うのだ。
 余人(ひと)はそれを壊れた≠ニ見る。
 次にナタクがカナン・ミトセの名を聞いたのは、彼が罪を犯して収監されたと言う噂の中である。
 それが単なる噂ではなく正当な裁判を経た実刑判決であることは、異国から取り寄せた新聞で確かめた。
大手には見向きもされず、ニュースに餓える小さな新聞社でしか扱われなかったが、
それでも問われた罪の内容に驚かされたものだ。
 極限の時間を共有した相手は、数年の後に全く異なる道を辿ってしまった。
そのことを残念に思う気持ちは確かにある。自分にその責任の一端があるようにも思えてならない。
 しかし、ナタクは当代のミトセと再び会うつもりはなかった。
 事件を報じた新聞には収監先の刑務所も記載されており、
公用方やバーヴァナからは面会を勧められたが、そのいずれにもナタクは首を横に振った。
在りし日の死合≠通して満たされた以上、交わす言葉など必要ないのだ。
 それに、だ。現在(いま)の姿を見られることは、彼にとって何にも勝る屈辱であろう。
拳を交えた好敵手(とも)を卑しめるような振る舞いだけはしたくなかった。

(今の俺を――こんなくたばり損ないを見たら、あいつは何て言うんかな……)

 当代のミトセ、あるいは『拳法斎』と呼ばれる男の最後の追憶を終えたときには、
ナタクの足は古びた石畳を踏んでいた。件の古代遺跡の入り口に敷き詰められた石畳を、だ。
 意識は別の世界に在ったものの、身体だけは前に向かって動いていたのだ。
先を行くモルガンが脇道に反れなければ、聖なる神殿へ到着するのは自明の理と言うものである。

「……道中、伏兵はいなかったみてェだな?」

 在りし日の戦いを回想している間に何事もなかったか、ナタクは小声でアラカネに訊ねた。
 僅かでも殺気を感じれば、彼の意識も瞬時にして現実へと引き戻されただろうが、
そのようなこともなく長々と追憶に浸ってしまった。念の為の確認と言うわけである。

「お陰でこっちは不完全燃焼だ。折角、その気≠ナ来たのに見張りの一匹も居やしねぇ。
大司教の頭蓋骨(アタマ)でも握り潰さなきゃ収まらねぇぜ」
「残念そうな声で物騒なことを言うんじゃねーよ」
「何の為にお前に随いてきた分からねぇっつってんだ。久しぶりに暴れられると思ったのによ」
「俺に愚痴んのは構わねぇが、ラーフラには絶対に聞かれんなよ、それ。
職務怠慢とか言い出して、面倒くせーコトになるからな」

 奇襲のひとつも起こらず、平穏の内に古代遺跡まで辿り着いてしまったのが拍子抜けであったのだろう。
アラカネは期待外れとでも言いたげに鼻を鳴らしている。
 旗持の任務を離れている間くらいは、思う侭に荒れ狂いたかったようだ。
『殺人依存症』などと恐れられていた頃からアラカネのことを知っているナタクは、
「クールダウンに模擬戦くらいなら付き合ってやるからよ」と苦笑いするしかなかった。

「――ああ、向こう≠燻nまったようだね」

 ルドラの言葉を受けて耳を澄ませると、風に乗って民族楽器の合奏が聴こえてくる。
主に打楽器や吹奏楽器による編制であるが、個々の楽器が強く自己主張するのでなく、
共に結び合わさり、伸びやかに広がっていく趣であった。
 ナタクたちにとっては馴染みがあり、モルガンにとっては異国情緒として響く音色である。

「これは確か、覇天組の皆様の――」
「ええ、当方の座興でございます。無理を言って披露の場を設けて頂き、恐縮でございます」
「何を申されます。こちらこそ、異国の文化に触れる機会をお与え頂き、
光栄の極みでございますよ、ナタク先生」

 その音色を奏でているのは、会場に詰めた交響楽団ではなく覇天組の隊士たちである。
晩餐会に招かれた返礼として陽之元に伝わる歌舞を披露したいと申し出たのだ。
 世界的な楽団に比べると流石に見劣りはするものの、
アプサラスのように覇天組には技芸に秀でた隊士が多く、酒宴の余興としては上等だ。
高尚な演奏に些か飽いてきた人々にとって陽之元の歌舞は新鮮そのものであり、
座持ちと言う点では、寧ろ大成功であろう。
 ナタクたちの案内された古代遺跡は私邸とも程近く、また都会のような喧騒もない土地である為、
覇天組隊士による合奏が遠くまで届くのだった。

「ナタク先生のご子息も演奏に参加しておられるのでしたね。直に拝見出来ないのは残念ですが……」
「あれは父と違って芸術家肌でして。いずれその道に進むのも良いかと。
親バカと言われてしまったら、それまでのことですが……」

 余興の歌舞にはヌボコも演奏者の一員として加わっていた。
 彼も音楽の素養については非凡である。専門はクラシックギターなのだが、
ジャガンナートから手解きを受けて一通りの楽器を奏でられるようになっていた。
 現在は活動を休止しているが、覇天組の軍師は演奏家としても一流なのである。
天才とも言うべき相手に教えを授かったのだから、才覚の飛躍も当然であろう。
 「アプサラスさんに倣って旅の芸人になりたい」と冗談めかして語っていた息子の姿が思い出され、
ナタクは相好を崩した。

「これは意外ですね。政治の道に進まれるものとばかり思っておりました」
「ヌボコが……ですか? いや、どうでしょうか……政界云々の話はした憶えがありませんよ」
「いえ、私の記憶が正しければ、ヌボコさんはタラーク先生の――」
「――お言葉ですが、大司教……ヌボコは自分の倅です。それ以外の何者でもありません」

 モルガンが口にしかけた『タラーク』とは、ヌボコの実父のことである。
嘗て陽之元の旧権力に於いて政府中枢に在り、その中でも穏健派の重鎮として多くの人々に慕われていた男だ。
 ナタクの父とは親友同士であり、極めて優れた聖王流の師範でもあった。
ナタク本人とも古くから親交があり、その縁がヌボコを養子として迎える動機のひとつとなったのである。
軍人と政治家と言う隔たりこそあるものの、嘗てはバーヴァナも人生の手本と仰いでいたのだ。
 旧権力の中枢に在った為、時代の激流から逃れることがかなわず、
新時代の夜明けを見る前に非業の死を遂げてしまったが、
没した現在(いま)も陽之元の人々から尊崇を集める偉人であった。

「……して、シュペルシュタイン殿。そろそろ場所を変えた理由を話して頂けませぬかな? 
局長と教頭だけでなくワシらまで召喚されるとは、……穏やかな話ではござるまい?」

 言葉を途絶させられたモルガンが続きを言いかけた瞬間(とき)、
今度はラーフラが話を遮った。私邸から古代遺跡まで移動させられた意味=\―
即ち、論じるべき本題に入るよう促したのだ。

(穏やかな話でないのはナタクのほうじゃがな。……不用意に禁句を出すとは、とんだ抜け作じゃわい)

 『偉人の息子』と言う立場は、権力闘争に於いては何にも勝る旨味≠ェある。
死してなおタラークは人々の尊崇を集めており、彼を襲った悲劇を虚飾として利用すれば、
人心を掴むことも容易となろう。他の政治屋≠出し抜いて優位に立てると言うわけだ。
 政治の――否、政界の道具にされそうになっていたヌボコを守る為、
ナタクは養父(ちち)になる覚悟を固めたのだ。
 今し方、モルガンが口にしたことは、そうした過去を穿り返すことに等しく、
ナタクにとってはまさしく禁句であった。無神経を通り越して、喧嘩を売ったことにも等しいのだ。
 事実、ヌボコを引き取ったことが巧みな政治的判断であると褒めそやし、
媚を売ってきた相手を血祭りに上げたことがある。普段は隊士たちの狼藉を諌めているナタクが、だ。
 ヌボコを権力闘争の世界へ巻き込もうとする言行は、即ちナタクの逆鱗に触れる原因(こと)。
暗に政治の道へと誘うかのようなモルガンの言葉を途中で遮ったのは、まさしく危険信号であったのだ。
 アラカネでさえ一連のやり取りには戦慄を覚えている。
彼はナタクの模擬戦の相手を務められる数少ない男であり、
それ故に『戦いの申し子』の本当の恐ろしさを誰よりも理解していた。
互いの安全が第一となる訓練ならばともかく、真剣に立ち合えばと瞬殺は免れないとも考えている。
 これ以上、モルガンが神経を逆撫ですれば、古代遺跡もろとも彼の身を地上から消滅させるに違いない。
それどころか、大司教を差し向けた諸悪の根源と見做し、教皇庁自体を滅するかも知れなかった。

(誰だよ、コイツを頭脳派なんて言ったの……とんでもねぇボケかましじゃねぇか)

 双眸を怒りで染め上げたナタクを思い返すと、ただそれだけでアラカネは背筋が凍りつく。
聖王流の武術家ではなく、覇天組局長でもなく、
一頭の獅子と化して全ての暴威(ちから)を解き放ったナタクとは、
それほどまでに恐ろしい存在なのだ。
 そして、モルガンは眠れる獅子≠揺り起こし兼ねない禁句を口にした。
アラカネを凍りつかせた戦慄は、たちまちラーフラやルドラにも伝播していく。
 バーヴァナとて同じことだ。大人≠轤オく愛想良く笑んでいるものの、
内心ではモルガンの失態に呆れ果てていた。勿論、大司教を庇おうとは思わない。
 張り詰めた空気を察したモルガンは、それでも涼しげな笑みを崩さず、
「皆様にご足労頂いたのは他でもありません」とラーフラの前言に頷いて見せた。

「ナタク先生とバーヴァナ先生には先程もお話をしたのですが、
ここ数ヶ月、エンディニオンの至るところで原因不明の神隠しが頻発しておりまして――」
「未確認失踪者の捜索――シュペルシュタイン殿の本業でございましたな。
近頃は人間だけでなく建物、都市までも消失していると聞き及んでおります」
「由々しき事態です。被害の規模が際限なく拡大している現在(いま)、
教皇庁も捜索の在り方自体を見直さなくてはなりません」
「……その手伝いを私たち覇天組にしろと仰るのですか」

 「それでは身体が幾つあっても足らぬでしょう」と慇懃無礼な調子で相槌を打つラーフラに対し、
彼の隣でモルガンの話に耳を傾けていたルドラは、苦々しげな表情で呻いた。

「総長の言う通りだとしたら――申し訳ありませんが、この場でお断り申し上げます」

 ルドラの後に続いたのはナタクであった。
モルガンの返答も待たずに局長として覇天組の指針と言うものを明示したのだ。

「確かに覇天組は教皇庁と協力体制を築き上げております。この先も変わらずに続くことでしょう。
しかし、我らのお役目はあくまでもギルガメシュの討伐のみ。
人探し物探しは専門外でございます。素人がしゃしゃり出ては、却って現場の混乱を招くでしょう。
大司教のお役目を邪魔するわけには参りません」
「ナタク先生、私は――」
「――そもそも、覇天組の主(あるじ)は陽之元であって教皇庁ではない。
全ての要請を無条件で承知する義務などないと言うことを、改めて確認させていただきたい。
覇天組の命は陽之元と共にございます」

 仮にルドラの予測の通り、未確認失踪者捜索委員会の役目まで覇天組に課せられるとすれば、
それはつまり、名実共に『教皇庁の犬』に成り下がると言うことだ。
 覇天組局長として、これだけは断じて承服するわけにはいかない。
権力を前に尻尾を振る忠犬などと、現在ですら陰口を叩かれているが、外聞や体裁などが問題ではないのだ。
『捨』の隊旗のもとに集った隊士たちを教皇庁の駒≠ノはさせない――
ただその一念でナタクはモルガンと対峙しようとしていた。
 大司教を睨み据えようものなら、ますます教皇庁の心証を悪くしてしまうだろう。
もしかすると、神々に歯向かう逆賊の汚名を着せられるかも知れない。
 さりながら、譲れない一線と言うものは確実に存在する。何があっても退いてはならない一線が、だ。
それを護り切ることが覇天組局長の責任であるとナタクは信じていた。
 傍らに控えたルドラも局長の言葉へ頻りに首を肯かせている。

「仮定の話として――未確認失踪者捜索委員会のお役目を覇天組が手伝うとしましょう。
局長からも指摘がありましたが、果たして我々に何が出来ると言うのです? 
人探し物探しと一口に言っても、人海戦術的に大量の隊士を駆り出せば捜索が捗るわけではありません。
調査と言う役目に精通したスペシャリスト――即ち、監察方を使うことになります」
「覇天組の監察方はどの国の諜報機関より優れていると聞き及んでございます。
お力添えを賜れたなら望外の喜びであり、何にも増して頼もしいのですが、しかし……」

 何事か言いかけたモルガンに対し、ラーフラは「最後まで総長の話をお聞きくだされ」と釘を刺した。
言動そのものは丁寧であるが、声色には有無を言わせぬ凄味が漲っている。
 慇懃無礼な態度の裏では、副長もモルガンへの憤怒を溜め込んでいたわけだ。
覇天組をこよなく愛する男にとって、隊士たちを思うが侭に操ろうとする教皇庁の企みは許し難い。
万が一、ナタクが拳を振り上げるような事態へ発展した場合には、
ラーフラは局長よりも先に大司教へ襲い掛かることだろう。

「しかし、よろしいですか、大司教――覇天組監察方の役務は、あくまでも攻撃対象の調査。
教皇庁から要請されるケースでは、ギルガメシュとこれに与する鼠輩の身辺調査が中心でございます。
……第一、ギルガメシュの討伐は覇天組本来のお役目ではありません。
陽之元に於ける本当の活動と、ギルガメシュ討伐で覇天組は既に手一杯。
その上、更に別のお役目を引き受けようものなら、まず間違いなく覇天組は潰れます。
最優先すべき役目に支障を来たすなど本末転倒と言うものです」
「ワシからも一言よろしいかな、シュペルシュタイン殿――貴殿は覇天組を如何にお考えじゃ? 
陽之元でなく教皇庁の要請で他国まで遠征することには隊内でも疑問の声が多い。これは紛れもない事実じゃ。
……にも関わらず、新たな負担を掛けようとは無体ではござりませぬか。
他人の尻拭いなど承服出来ぬと隊士たちが抗議し始めたなら、そのときはワシらにも抑え切れぬ。
……この点は如何にお考えか?」
「ラーフラ君、尻拭いとは流石に言い過ぎではないかな」
「ですから、ルドラさん、ワシは事実≠カゃと先に念を押したではありませんか。
言い繕ったところで何も変わりはせぬ。……それにご聡明なシュペルシュタイン殿のこと、
我が隊の内情も察しておられることでしょう」

 ルドラとラーフラはそれぞれにモルガンへ反抗する意思を示した。
 ラーフラなどは隊士一同による武力蜂起を仄めかし、
ルドラも言い方こそ窘めながら可能性そのものは否定しなかった。
 二本柱≠ニ共に在る局長は、腕組みをしつつ、ただ静かにモルガンを睨み据えている。

「覇天組の意見は何ひとつ誤っていないように思えますね。私としても咎める理由はありません」
「バーヴァナ先生まで何を――」
「彼らが繰り返すように覇天組の活動は陽之元に帰属するもの。
共通の大敵に当たるギルガメシュとの戦いならばまだしも、
教皇庁が始めた委員会の仕事まで負わせるのは道理に合いません。陽之元としては絶対に承認出来ない。
それにも関わらず、女神の名のもとに陽之元の主権を侵害するのでありましたら、
内政干渉としてあらゆる手段を用いて抗議します。よろしいですね、大司教?」

 バーヴァナも陽之元国の要人と言う立場から覇天組の反抗に同調する。
 言わずもがな、彼らの言行は恫喝である。あるいは正当な主張と言うべきであろう。
「抗議」と柔らかく言い表しているものの、バーヴァナとて本気になれば、
モルガンも教皇庁さえも武を以って脅かし、地上から消滅させることすら厭わない。
 聖王流の分派――蘇牙流を極めたバーヴァナも人智を超えた魂を宿しているのだ。
 数多の敵意を真正面から向けられる状況に立たされたモルガンだが、
狼狽するどころか、眉ひとつ動かさず、「教皇庁は国家の主権を守る立場でございます」と、
穏やかに微笑み続けている。

「ご安心くださいませ。私は――いえ、教皇庁は如何なる権利を侵すものでもございません。
今まで通り、覇天組の皆様と共に歩んで参りたいと思っております。
ラーフラ先生のご意見はご尤も。当方の不手際で負担が掛かっておりましたら、
教皇庁を代表して心よりお詫び申し上げます。埋め合わせは幾らでもいたしますので、
何なりとお申し付けください。教皇庁は陽之元にも覇天組にも協力を惜しみません。
同盟とは互いに等しく力を尽くしてこそと心得ておりますから」

 石柱の一本に凭れながら筋運びを見守っていたアラカネは、
モルガンの並べ立てた美辞麗句に我慢の限界を来たしたのか、
「言い訳ってェのは丁寧にすればするほどウソ臭くなるんだぜ、大司教サマよ」と、
聞こえよがしに悪態を吐いた。
 図星を突かれた恰好のモルガンであるが、これには知らぬ顔を決め込むつもりらしく、
アラカネを一瞥することもない。

「――では、費用を工面する代わりに片棒を担げと申されるのですな。平等な同盟関係≠ニして。
成る程、実に合理的な考えじゃ。持ちつ持たれつは商売≠フ基本でございますからのぉ」

 なおも剣呑な態度を崩さないラーフラにモルガンは首を横に振った。

「遠征へ赴いた折、何らかの手がかりを得られたならば、それを提供して頂ければ幸甚でございます。
しかし、未確認失踪者の捜索の為だけに監察方を動かして頂きたいと、
そのように申し上げるつもりはありません。寧ろ、今宵は当方からの情報提供でして」
「情報提供……ですか?」

 これにはナタクも意外そうな表情(かお)を見せる。
 畏まって情報提供と言われても、ナタク自身には思い当たる節など何もなかった。
覇天組が欲しているのは陽之元国内に潜在するテロリストや、
共通の大敵たるギルガメシュに関連した情報であるが、それならば古代遺跡まで移動する必要もあるまい。
私邸の一室にて密談を交わせば済む話である。

(……マジで何を考えてやがるんだ、この末成りは……)

 局長暗殺計画を破綻させるような行動に続いて、今度は意味不明な言動だ。
モルガン・シュペルシュタインと言う男がナタクには解せなかった。

「以前にナタク先生が立ち合われたミトセ氏の収監されている刑務所、
バイオスピリッツの観客とその会場――このふたつが消失されたことは先程もご説明致しましたね?」
「いちいち確認せずとも結構。先に進んでくだされ」

 気を持たせるような言い回しに苛立ち、ラーフラが鼻を鳴らした。

「今し方、挙げさせて頂いたケースは全て世間には報道されておりません。
心苦しい限りではありますが、未確認失踪者捜索の遂行を妨げそうな情報は開示をセーブさせて頂いております。
人命第一と言う観点からの判断とご了承頂きたい」

 一度でも堰を切ってしまうと、自制しようと言う気持ちは全く失せると言うもの。
一等無遠慮になったアラカネは、ルドラから咎められても聞き入れず、
「人命第一ってお題目さえブチ上げたら報道の自由もツブせるってワケか。
流石は女神の下僕だな。言うコトもやるコトも、何もかも正義≠ェ付き纏ってやがらぁ」と、
モルガンに皮肉を浴びせかけた。
 アラカネと全く同じことを考えていたバーヴァナは、
賢人めいた態度を崩さないモルガンへ蔑むような眼差しを向けた。

「――刑務所と格闘イベントの消失は、ほんの一端に過ぎません。
世間に公表していない失踪情報は二〇〇件にも上ります。
……実は、その中にナタク先生ゆかりの人物の名前がありまして……」

 己とゆかりのある人物の失踪と聞かされたナタクは、
本国の屯所に残してきた隊士や四番組の『御雇(おやとい)』を思い浮かべたが、
仮に集団消失であれば、一個人を連想させる言葉は使わないだろうと直ちに考えを改めた。
モルガンとて「隊士一同」などと巧く総括したに違いない。
 仮に個人の消失であったとしても、隊士の誰かが居なくなってしまったなら、
他の者がすぐさまに連絡してくる筈である。
 己の発言が如何なる反応を引き出すのかを窺っていたモルガンは、
ナタクの面に狼狽の色を見て取ると、微かに笑気を薄めた後、ようやく本題≠ノ移った。




←BACK     NEXT→
本編トップへ戻る