8.不浄なる存在


「私ども教皇庁としましてはフゲン先生の捜索を最優先で行いたいと考えております。
僅かな手掛かりであろうとも入手したときには、ナタク先生へ逐一報告致しますので」
「ちょっと待て、今のはどう言う意味だ?」

 モルガンの発言に対し、これまで対外的な態度を保ってきたナタクが素≠曝け出した。
それはつまり、本来の口調に戻ってしまうほど気が動転している証左であった。
 大司教が口にしたフゲンとは、ナタクにとって最愛の師匠である。
『北東落日の大乱』に於いては覇天組と共に反乱軍の要を担い、
奇跡とも称される秘策を案じて旧権力の打破を主導した偉人であった。
輝かしい功績から陽之元一の大賢者と呼ばれることも多い。
 そのフゲンをモルガンは未確認失踪者と見做しているのだ。

「……師匠――いえ、フゲンが神隠しの被害に遭ったと仰るのですか。
教皇庁はそのように断定したと言うのですか」

 素≠ェ出ていたことに気付き、咳払いを交えて取り繕うナタクであるが、
双眸には今までで最も強い光を宿している。回答を誤魔化したときには五体満足では帰さない――
そのようにモルガンへ突き付けたのだ。

「これは由々しき問題ですぞ、大司教。貴方は陽之元の要人が失踪したと明言なさった。
……フゲン氏はトルピリ・ベイドへ視察に赴いていると、陽之元ではそのように確認しております」

 ナタクの心情を察したバーヴァナが委細の説明を求めた。
 確かにここ半月ほどフゲンからは定期連絡が途絶えていた――が、
彼は海外視察へ赴く場合、資料には記述されていないような民間単位での風習などを調べる為、
アパートメントなどを借りて現地の生活に混ざっていくことを好んでいた。
 現地(そこ)に暮らす人々と心を通い合わせなくては学べないことも多い。
これがフゲンの信条であり、ナタクも若い頃は師匠と共に様々な土地を体験してきたのである。
 その土地の風景へ完全に入り込む為、一ヶ月以上も連絡のやり取りが出来なかったこともある。
流石に「政府の要職にはあるまじき行為」として咎められたが、
それだけの時間を費やしただけあって収穫は多く、当地で結んだ絆が国交と言う形で花開いていた。
 ナタクとて師匠の信条は理解しており、連絡が途絶えても何時ものことと安心していたのだが、
モルガンの情報提供≠ノよって、それが暗転してしまった。
 あるいは予断が裏目に出たと言うべきかも知れない。
 フゲンは視察先に滞在しているのではなく、未確認失踪者として地上から消え失せてしまった。
少なくとも、モルガンはそのように説いている。

「ギルガメシュに捕らえられたと言うことはありませんか? 
フゲン氏のことは私も良く知っておりますし、そのようなヘマはしないと信じています。
……が、万が一と言うこともある。神隠しと断定するのは早計では?」
「ルドラさん、……しかし、師匠は――」
「ナタク君、キミの気持ちも解るが、ここはあらゆる事態に備えておかなければ」

 幾らか狼狽を滲ませながらもルドラは別の可能性をモルガンに訊ねた。
それこそが最悪の事態であるのだが、この場に於いては想定しないわけにも行かなかった。

「ルドラ先生のご懸念、お察し申し上げます。しかし、この件については既に調べはついているのです。
……お恥ずかしい話、教皇庁の神官も怪現象の被害に遭っているのですが、
その者らが地上から消失した際の状況と、フゲン先生の行方が知れなくなった前後を照らし合わせると、
あらゆる条件が酷似するのです。合致と申しても差し支えありません。
それ故に教皇庁は未確認失踪者と断定した次第でございます」
「その前に果たすべき道理と言うものがあるのではっ?」

 モルガンからルドラに返された回答には、傍らにて両者のやり取りを見詰めていたバーヴァナが
真っ先に呻き、反射的に腰のベルトへと両手を動かしてしまった。
 それは得物たる小太刀を抜き放たんとする所作(うごき)である。
晩餐会の為に誂えた一張羅である為、武具の類は一切身に着けていないのだが、
もしも、本当に鞘をベルトから吊り下げていたのなら、バーヴァナは躊躇なく白刃を晒した筈だ。
 温厚で知られるバーヴァナでさえ大司教の言行は腹に据え兼ねるものがあった。

「ここにはふたつの問題がある。フゲン氏が我々の預かり知らぬ場所で怪現象の被害に遭っていたこと、
それを確認しながら教皇庁は同盟を結ぶ陽之元に何も伝えなかったこと――否、秘匿したこと。
……後者は外交問題として扱わねばなりませんな。フゲン氏は陽之元の国民であり、
これを守る義務が私たちには有ります。情報の隠蔽を見過ごすことは出来ませんな」
「ですから、こうして打ち明け――」
「――敢えて言わせて頂きましょうか、シュペルシュタイン大司教。
タイミングが合わなかっただけだと貴方は仰ろうとしているのかも知れませんが、
神隠しの可能性が浮上した時点で陽之元に連絡を入れるべきだったのではありませんか? 
これは緊急を要する問題です。それを私たちを招くまでひた隠しにしておられるとは。 
教皇庁と陽之元の交渉の切り札として、フゲン氏の命を弄んでいるようにしか思えないのですが、
これは私ひとりの勘違いでしょうかっ?」

 バーヴァナの語調は秒を刻むごとに強く尖っていく。
最優先で調査すると言う申し出はともかくとして、陽之元の要人の危難を把握したのであれば、
即座にホットラインを行使するのが正常な判断と言うものであろう。
 それに、だ。ナタクにとってフゲンの存在は一番と言っても過言ではない弱点であり、
これを無遠慮にまさぐるモルガンがバーヴァナにはいちいち腹立たしかった。

「もうその辺にしときましょう、バーヴァナさん――」

 噛みつかんばかりに熱している様子のバーヴァナをナタクが宥めた――が、
斯く言う彼も冷静ではない。瞼が半ばまで落ちかけた双眸は依然として強い敵意で満たされている。
それは今や昏(くら)い殺意にも近付きつつあった。

「――そろそろ、腹を割って話そうじゃねぇか、モルガンさんよ」

 借り物の一張羅にも関わらず、ナタクは地べたにそのまま腰を下ろし、胡坐を掻いて大司教を睨み据える。
いや、最早、モルガンのことを大司教などとは思っていないだろう。
畏まった余所行き≠フ口調から一変し、態度から何から全て粗暴となっている。
 驚きに目を見張るモルガンの前でネクタイまで外し、
「あんた、何が目的なんだ。俺たちに何をさせようっつーんだ」と言い捨てた。
 突如として態度を変えた局長には、ラーフラとルドラも顔を顰めている。
ナタクは決して礼儀を弁えない人間ではない。窮屈とは感じても、格式を求められる場に於いては
それに相応しい立ち居振る舞いを崩さず、如何なる相手にも誠意を以って接するのだ。
 つまり、「対外」と言う意識を投げ捨ててしまうほどに憤怒が逆巻いていると言うわけである。
 モルガンは僅かな時間の間に二度も禁句を発している。ヌボコを政治屋≠フ道具のように扱ったこと、
フゲンの遭難を秘匿していたこと――いずれもナタクの神経を逆撫でするものだ。
 自身の命が狙われても癇癪は起こさないが、大切に思っている人間が弄ばれることだけは断じて許せず、
ついに我慢の限界に達したのだった。
 最初からモルガンを壊す≠ツもりでいたアラカネは、待望の瞬間が訪れたとばかりに口笛を吹いている。

「情報提供だとか何とか抜かしやがったが、そんなもんはただの撒き餌だろうが。
俺が食い付くのをニヤけながら待ってやがる。……舐めてんじゃねぇぞ、クソガキ」
「撒き餌とは些か慮外。私はナタク先生のお役に立ちたい一心でございま――」

 抜き身の威圧に晒されながらも薄笑いを崩さず、他意など持ち得ないとモルガンが釈明を始めた途端、
ナタクは石畳を掌でもって叩いた。
 次の瞬間、突風の如き衝撃波がモルガンに押し寄せ、
その身を透過しながら一直線に地面を走り抜け、やがて後方の石柱を撫でた。

「――うるせぇッ!」

 これまでになく野太い声を張り上げたナタクは、その一喝を以ってモルガンの釈明を途絶せしめた。

「……今のは『龍旋掌(りゅうせんしょう)』と呼ばれる技の、ひとつの形式(かたち)です。
遠距離の相手に不可視の衝撃波をぶつける――ま、手品≠ンたいなものです」

 聖王流と蘇牙流の双方に共通する技であると、バーヴァナはモルガンに説いた。
 何が起きたのかも理解出来ず、呆気に取られているモルガンへ術理を明かそうと言う親切心ではない。
動揺を煽って無様な姿を引き出そうとしているだけである。

「今くらいの力加減だとダメージなんかありませんが、
その気≠ノなれば衝撃波だけで標的を薙ぎ倒すことも出来ますし、
打ち方と力の込め方を変えると心臓だって破裂させますよ。
……ちなみに蘇牙流(うち)では投擲用の武器と併用する場合が殆どで――」

 説明を続けながら足元に転がっている小石を拾い上げたバーヴァナは、
これを少し離れた石柱目掛けて投げ付けた。すると掌中に在った小石が矢弾の如く空を裂いて飛翔し、
間もなく石柱を貫いてしまった。何の変哲もない小石が、だ。

「――こんな手品≠烽竄黷ネくはないですね。合戦では専ら短い刃物や鉄串を投げますが」

 バーヴァナは掌を突き出すようにして小石を放っている。
龍旋掌によって生じた衝撃波が小石に強烈な推力を与え、石柱をも穿つ弾丸に変えたと言うわけだ。
 打ち方と力の込め方、つまりは形式(かたち)によって得られる効果は様々だが、
実戦に於ける有用な戦術である点は共通していることだろう。
 痛みこそないものの、冷たい戦慄が身の芯まで駆け抜けた筈だ――が、
それでもモルガンは涼しげな態度を崩さない。微かに驚きはしたものの、
汗ひとつ流さずにナタクとバーヴァナを交互に見詰めている。
 実質的に教皇庁を取り仕切る大司教を、覇天組など容易く握り潰してしまえる立場の人間を、
よりにもよって武威で嚇かしたことを批難もせず、ただ端然と屹立し続けている。
 絶対的に有利な立場として君臨する者の傲慢とも些か異なっていた。
如何なる制裁をも甘んじて受け入れる覚悟を持ち、
抜き身の殺意の前に敢えて我が身を晒している――そのような佇まいなのだ。
 ナタクの龍旋掌を浴びようとも、バーヴァナから揺さ振りを掛けられようとも、
モルガンの双眸は恐怖の影さえ映さなかったのである。
 虚栄が崩れ去る瞬間を待ち侘びつつ、厭らしげな笑みを浮かべていたラーフラでさえ、
「案外、肝が据わっておるようじゃな」と内心にて感心した程である。

「――お喋りはそのくらいでイイんじゃねーの? とっとと炭クズにしちまおうぜ」

 宵闇の向こうから野卑な声が飛び込んできたのは、そのような折のことであった。
 その声はエレキギターの音色を伴っていた。技巧自体は拙劣にも近いのだが、
強い念を込めて弦を掻き鳴らしていることだけは伝わってくる。
 見てくれからしてテレビタレントのように整っているので、
身を揺すりながらエレキギターを奏でる姿がとても良く似合っていた。
 そして、弦の弾ける音が響き始めた頃から夜天には黄金色(きがねいろ)の稲光が爆ぜている。
しかも、雲間ではなくモルガンの頭上に火花を散らしているのだ。
 闇を走る稲光は徐々に高度を下げていき、ついには大司教の周辺にて輪のような軌跡を描き始めた。
黄金色の光線が回転していると言い換えたほうが、場景を正確に表せるのかも知れない。

「そいつのハナシ聞いてっと、全身にジンマシンが出ちまうんだよ。
アレだな、生理的に合わねぇってヤツ? クソうぜぇお説教ごと焼き尽くすに限るぜ!」

 宵闇から姿を現したのはシュテンである。改めて詳らかにするまでもなく、エレキギターの奏者はこの男だ。
手にした相棒≠ヘアンプ内蔵型であるらしく、単体でけたたましい電子音を発している。
 蜘蛛の糸の如くモルガンを囲んだ稲光は、ピックの動きに共鳴しているようだ。
シュテンが弦を擦る度に黄金色の明滅が大司教を照らすのだった。
 そこから術者も特定出来ると言うものであろう。エレキギターと言う媒介を以ってして
稲光を操っているのは、他ならぬシュテンその人である。
 どの場所に光線を走らせ、また火花を炸裂させるのかも自由自在であるらしく、
一際強くピックが振り下ろされた瞬間、モルガンの眼前にて小さな爆発が起きた。
 単なる威嚇であった為、烈しい光にて目を眩ませる程度の効果しかなく、
顔面が焼け爛れるような事態には至らなかったものの、
稲光の集束した場所にて爆発が起こることは確かであるようだ。
 夜天を走る稲光は、モルガンの目には一種の導火線のようにも見えているのかも知れない。
 シュテンが短慮に走ろうとしていると認めたナタクは、
「勝手なコト、言ってんじゃねーよッ! こいつとはまだまだ話さなきゃならねぇことがあるんだッ!」と、
憤怒も忘れて制止の声を飛ばした。

「腹を割って話すっつってんだろ! その前に爆殺してどうすんだ! ちったぁ状況ってモンを読め、バカッ!」
「おめーのコトを殺そうとしてた野郎じゃねーか。今更、何を話し合うことがあるんだァ? 
命乞いをされたワケでもあるめぇし、先手必勝で返り討ちにすんのが華じゃんか」
「……お前は待機中に何を見てたんだ。まさかと思うが、居眠りしてたんじゃねぇだろうな?」
「そーやってまた人のことを能天気呼ばわりしやがって! こんなときに誰が寝れるかッ! 
眠気なんざモバイルいじくってる間は襲ってこねーんだよッ!」
「根本的にサボんなっつってんだ! 何時にも増してアタマ悪ィな、てめーは!」
「うっせぇ! うっせぇ! コリスちゃんからメールが来ちまったら、
それが優先順位トップなんだよッ! 恋はトップストライカーなんだぜッ!?」
「ルドラさん、聴きましたね? 聴いてましたよね? 後でこのバカに教育的指導をお願いしますッ!」

 余談の域を出ないのだが、シュテンが口走った『コリスちゃん』とは、
近頃、彼が入れ揚げている女性の名前である。
女癖の悪いホフリのような隊の評判を損ねる騒動こそ起こさないものの、
細かく打ち合わせを重ねていた段取りを失念してメールに興じてしまう辺り、問題児に変わりはなかろう。
 「こんなシケた仕事、とっとと切り上げてあのコに愛の調べを捧げてぇぜッ!」と叫ぶシュテンに
アラカネは白い眼を向け、蔑むように鼻を鳴らした。
「必死過ぎて気持ち悪ィんだよ。だから、てめーはモテねぇんだ」とまで吐き捨てている。

「す、スカしてんじゃねーぞ、デカブツ! てめーだってずっと女日照りだろうがッ! 
オレのことをバカに出来る立場か、コラァッ!?」
「はあ? ……ああ、うん――そう言うことにしといてやるよ。バカにもプライドがあるもんな。
それを傷付けちゃ可哀相だもんな。気配り上手の仲間に感謝しろよ」
「どこをどう気ィ配ってんのか、説明してみろ、てめーッ! 人にナイショでオイシイ思いしてやがったなッ!? 
つーか、ハナから虚仮にしまくってやがんだろーがッ!」
「ほう? 知らねぇ間にバクテリアから進化してたのか。
虚仮にされてるコトに気付いただけでも大したもんだ。前はそこまで行き着けなかったもんなァ」
「てめーから先に木っ端微塵にしたるぞッ!?」

 このふたりも付き合いが長い。所謂、喧嘩友達のような間柄であるが、
それだけに互いに遠慮がなく、たちまち売り言葉に買い言葉の口論となった。
 聞くに堪えない口論が繰り広げられる中、モルガン当人は稲光の輪舞を興味深げに観察している。
その光線によって己の身動きが封じられていることは気にも留めていないようで、
面には好奇の色さえ浮かべていた。
 この場景だけを切り取ると、夏の夜を舞う蛍に心奪われたように見えなくもない。

「……これが噂に名高い『プラーナ』ですか。間近で拝見したのは初めてですが、
これを神秘と呼ばずして何とするのでしょう。ヒトのまま神人の領域まで近付いた奇跡――
選ばれし者にのみ許された特権ではありませんか……!」

 陶酔にも近い表情で黄金色の煌きを眺めるモルガンは、『プラーナ』なる言葉を口にした。
 プラーナ――それは陽之元の人間にのみ宿るとされる不思議な異能(チカラ)の総称である。
術者の肉体あるいは念を送った先に黄金色の稲光として現出し、これを用いて様々な奇跡≠起こすのだ。
 身に宿せば術者の潜在能力を極限まで引き出し、
物質として変換させれば刀剣や弓矢と言った武具を生成することも出来る。
完全に制御し得るか否かは術者の力量次第であるが、無限にも等しい可能性を秘める異能であった。
 如何なる因果律に基づき、陽之元で生まれ育った者にのみ宿るのかは、現在までに判明していない。
 エネルギーの結晶体である『CUBE』――それもオリジン≠ニ呼称される希少な物が
陽之元では他国に比して膨大に出土しており、これがプラーナの正体を究明する鍵として注目されていた。
オリジンの『CUBE』を創出するほどのエネルギーが陽之元と言う土地の何処かで脈動し、
そこに住む人々へ何らかの影響を与えているのではないか――と。
 『プラーナ』とは古い時代の言葉で生命力そのものを指している。
件のエネルギーはエンディニオン自体に備わった生命力であり、
陽之元の人間は惑星から染み出した血≠異能に換えているのだろうと提唱する学者も在った。
 その仮説が真実だとすれば、陽之元で生を受けた人間は、エンディニオンと生命を分かち合ったことになる。
モルガンが恍惚の中で漏らした言葉ではないが、まさしく神人に近付いた存在なのだろう。
 プラーナの本質を解き明かす研究は旧権力の時代から着手されており、
究明の志は覇天組の技官――名をイザヤと言う――にも引き継がれている。

「プラーナは教皇庁に歓迎されておらんと聴いておったが、
大司教が肝要なのか、はたまた変わり者なのか、悩ましいところじゃわい」
「大司教の姿をキミの伴侶(パートナー)に見せたら、一体、何と言うだろうね。
思わぬ理解者が出来たと喜ぶのか、それとも――」
「……イザヤの性格はルドラさんも知っておるでしょう? 
あのテンションが最高に鬱陶しいと、タバコの煙と一緒に吐き捨てるじゃろうな。それで終いじゃよ」

 感動に打ち震えている様子のモルガンについて、ラーフラとルドラは小声で語らった。
思わず怪訝な目を向けてしまうほどに大司教の反応は過剰であり、ふたりは心の内を測り兼ねている。
 無から有を創り出す異能(ちから)は、モルガン自身の言葉を借りると神人に匹敵するモノと言うことになる。
それは女神に仕える人間へ特別な感慨を与えるようだ。己の生命が脅かされている最中に歓喜の声を上げるなど、
誰がどう見ても怪異である。
 エレキギターを媒介としてシュテンが操ったプラーナは、一点に集束させたエネルギーを爆発させ、
対象を粉微塵に破壊するものであった。導火線とも言うべき稲光に触れただけでも黄金色の炸裂が起こるのだ。
 シュテンが如何なる異能を操っているのかは判らずとも、
生命を脅かされる恐怖と言うものは、本能の部分で直感すると言うものである。
第一、モルガンは全方位から殺意を浴びせられているのだ。
これで何も感じなければ、遅鈍を通り越して阿呆と呼ぶしかない。
 黄金色の導火線を以ってモルガンを包囲した際、シュテンは高らかに爆殺を宣言している。
ナタクのことを殺そうとした相手なのだから、機先を制して返り討ちにするのだ――と。

「覇天組局長暗殺計画――などと言うと、ミステリーかサスペンスのようで締まらないのですが、
この件について、何か述べたいことはありますか? 
……と申しますか、洗い浚い話して頂かなくてはならないのですよ、大司教」

 シュテンの前言を引き継ぐ形でモルガンを審問するのはバーヴァナである。
 彼もまた掌中に黄金色の稲光を集束させ、そこに光り輝く小太刀を創り出している。
眩い閃光が白刃の形を取って凝固したような一振りであった。
 長年に亘って愛用している小太刀は陽之元本国にて保管してある為、急拵えの代用品だ――が、
大司教を斬って捨てるには何の不足もない。これはつまり、言い逃れは許さないとの威圧であった。
 ただ単純にモルガンの殺傷が目的であれば、先程のように小石を投擲するだけで済むことである。
龍旋掌によって射出される弾丸≠ヘ、人間の骨肉など容易く貫いていくだろう。

「――さて、弱りましたね。容疑を掛けられることは致し方ないとしても、
そのように忌むべき計画には全く関わっておりませんので、私には何とも述べようがございません」

 我を忘れてプラーナの発現に見入っていたことを恥じたモルガンは、
咳払いを挟んでバーヴァナに向き合うと、審問の内容をあっさりと否認した。

「そもそも、私にはナタク先生の御命を付け狙う理由がございません。
私が支度して参ったのは胸や喉を突く短刀ではなく、
フゲン先生が巻き込まれた被害の情報と、これにまつわる約束がひとつ――
そうでございますね、この誠意こそが身の潔白の主張と言うことになりましょうか……」
「自分の口から誠意と語るのは、大抵の場合、不誠実な人間なのですがね」
「これは失言を。あらぬ誤解を招いたのは不徳の致すところながら、私は事実を再確認したかったのです。
モルガン・シュペルシュタイン、己に愧じることは何ひとつございません」

 「鉄面皮」とバーヴァナは心中にて毒づいた。ナタク暗殺計画が露見していることを悟りながらも、
顔色ひとつ変えることなく、言い淀むこともなく、モルガンは己の潔白を主張している。
 しかし、涼しげな面相が計画の首謀を認めている。
許されざる大罪を犯しながら余人にはこれを立証することが出来ないと確信し、
遺された者たちを嘲笑する完全犯罪者のようなものであろう。
 「己に愧じることはない」とモルガンは胸を張って見せたが、この言葉に誤りはない。
覇天組にとって――否、陽之元にとって許し難い陰謀を企もうが、彼自身≠ヘ何ら愧じる必要がないのだ。
 小賢しい修辞(レトリック)まで披露した大司教のことを、ナタクは今までとは異なる目で睥睨している。
心の底から込み上げる憤怒とは別に、冷静な部分でモルガン・シュペルシュタインと言う男に
評価を下そうとしていた。あるいは、認めようとしていたと言い換えるべきかも知れない。
 確かに面の皮は厚いが、それ以上に肝が太い。プラーナに対する大仰な感嘆はともかくとして、
己を害する意思を持った者たちに包囲され、あまつさえ陰謀を見破られようとも平常を保てるのは、
如何なる事態にも動じない精神力の表れとも言えるのではないか。
 ナタクはそこにモルガンなりの覚悟を感じ取っていた。
 何時、咬み付いてくるとも知れない覇天組を野放しにしておくことは、教皇庁にとって如何にも危うい。
陰謀を用いてでも首輪≠嵌め、抑え込むことが最良と考えるのは自然の流れであった。
その果てに死の報復が待っていたとしても、己の屍が教皇庁の礎石となるのであれば本望だと、
モルガンは決意しているのだろう。
 教皇庁の為に、ひいては女神イシュタルへの信仰を貫く為に――自己犠牲を厭わないモルガンの精神力は、
敵ながら天晴れであると認めざるを得なかった。敵対を理由に大司教の魂を否定してしまうことが
ナタクには躊躇われたのだ。

(見下げ果てたカスだったら、何の気兼ねもなく潰せたのによ。……参っちまうぜ、こりゃあ――)

 ラーフラやルドラ、この場には居ないジャガンナートには人が好過ぎると窘められているのだが、
半ば無意識で人の優れた面を探してしまう。それがナタクの長所であり、同時に短所でもあった。

「こちとら隠し事が苦手なんでね、ハッキリ言っとこう。
ことと次第によっちゃ、あんたにはここで死んで貰うことになる。
……俺ひとりの命ならまだしも、覇天組の命≠くれてやるわけには行かねぇ。
俺たちは『教皇庁の犬』にはならねぇってコトだ」

 今まで以上に強い言葉を発するナタクであるが、これは教皇庁に対する牽制であると同時に、
モルガンの精神力を試す意図も含まれている。
 面と向かって生死の分かれ目を突き付けられようともモルガンは揺るがない。
「教皇庁に仕えるのは私のような者ですよ。それなのに犬≠ネどと……悲しいことを仰らないで下さい。
人間の間に上下を定めることを、私は望んではおりません」と、
あくまでも理論を以ってナタクたちと相対していた。
 己の身を教皇庁に捧げんとする覚悟も、腹芸を貫かんとする意志力も、ナタクの目には痛快そのものであった。
無論、憤怒との間に矛盾も生じているのだが、一廉の人物への敬意は抑えようがあるまい。

「ゴタクなんざ要らねぇよ。もう二度と覇天組にちょっかいは出さねぇって約束だけが欲しいんだ。
この期に及んで強情を張るつもりなら、あんたはここまでだぜ」
「謂れのない罪で裁かれるのは不本意ですが――その前にお聞かせ願えませんでしょうか? 
私を殺めた後、貴方がたはどうなさるおつもりなのです? 
これでは教皇庁と陽之元の全面戦争にもなり兼ねませんが……」

 局長が悪癖を出したことに気付いたのだろうか、両者の間へ急にラーフラが割って入り、
「トリックを明かすミステリーなど売り物にならんわ」と地べたに唾を吐き捨てた。

「脅しではなく、ひとつの事実として受け止めて頂きたいのですが、
このような場所で私を殺めてご覧なさい――たちまち、陽之元は逆賊の汚名を着せられてしまいますよ。
……教皇庁には皆様を疎んじる輩も少なくありません。彼らに付け入る口実を与えては
陽之元にとっても大きな痛手となりましょう」
「自分が死んだ後のことまで気にするとは、几帳面もそこまで行き着けば大したものよ。
安心せい。シュテンではないが、殺害の痕跡も残さず地上から消滅させて進ぜよう」
「例え、遺体を残さずに処理したところで証人は溢れ返っておりますよ。
この辺りに目撃者はいないものと見受けますが、皆様が尋常ならざることに手を染めたことは、
晩餐会の貴賓の誰もが気付いてしまうでしょうから……」
「お主、肝心なところで抜けておるな。……教皇庁の大司教を相手に喧嘩を売ろうとしておる人間が
何の手配りもしてせぬと本気で思うてか? 無策の力押ししか能がないと? ……侮られたものよ」

 訝るような表情を見せるモルガンを嘲り笑ったラーフラは、右の人差し指と親指を弾いて鳴らした。
乾いた音に呼応し、宵闇の中からシュテンとは別の覇天組隊士が姿を現す。
座興として晩餐会の賓客たちに陽之元伝統の技芸を披露していた筈のヌボコたちであった。
 左右の手に金剛杵と呼称される武器を携えたヌボコの隣には、
抜かりなく杖(じょう)を構えたアプサラスの姿も在る。
ふたりの後ろにはゲットとハクジツソも続いていた。
 ヌボコと共に演奏を担当していた者――監察方の隊士たちも宵闇に紛れて殺意を滾らせている。

「――ああ、何時の間にか演奏が途切れていましたね。いやはや、気が付かずに迂闊でございました」

 死の包囲網を敷かれたような状況にも関わらず、モルガンはどこかのんびりとした口調である。
ヌボコたちが武器を手に現れても、少しとして動揺してはいない。

「本当は別のコトに使うつもりでいたんだが、どうも事情が変わってきたみたいなのでね。
当方も守りから攻めに移らせて頂きましたよ、シュペルシュタイン大司教」

 斯く言うルドラの口元には冷たい笑みが浮かべられている。
 右の握り拳を垂直に立てた彼は、そこを左指の先でもって撫でる。
すると天に向かって閃光が走り、間もなく黄金色の軌跡はルドラの右掌中にて一振りの両刃剣に姿を変えた。
バーヴァナの創り出した小太刀と同じ代用品であるが、瞑想状態にて振るう秘剣は些かも鈍らないだろう。
「達人は得物を選ばない」と言うことだ。
 光の剣の握り心地を確かめていたルドラは、数秒置きに明滅を繰り返す刀身で風を薙ぎ、
次いでモルガンへと切っ先を向けた。
 明らかな不敬であるが、互いを敵と認めた相手にまで謙るほどルドラは間抜けではない。
ましてや、モルガンは局長の生命を狙った男だ。最初から容赦無用と決めている。

「貴様の館に居た人間はひとり残らず眠って貰った。小一時間は目を覚まさない筈だ。
人ひとりを始末するには十分な時間だな。……頼みの証人など最初から存在しない。
貴様の仕掛けた罠は全て壊した――それを思い知るが良い」

 杖の底にて石畳を叩きつつ、アプサラスが陰謀の崩壊を通告した。
 それまで泰然自若と構えていたモルガンも、彼女の言動には僅かに眉根を寄せた。
覇天組が晩餐会の招待客に危害を加えたのではないかと案じたわけだ。
 その反応からモルガンの心中を読み取ったヌボコは、
「今更になって自他のリスクに気付いたのか。そう言うのを素人の生兵法と言うのだ。
その程度で動揺するなら、あんたは俺たちの居る世界≠ノは向いておらん」と忌々しげに吐き捨てる。

「貴様に語ってやる義理はない……が、アプサラスさんの名誉の為に――来賓には幻術で眠って貰っている。
覇天組の第一義は市民の警護だ。国籍が違えども、罪なき人を傷付けることは許されん。
貴様のように人の命を弄ぶ愚物と一緒にするな」
「……ヌボコ、些か口が過ぎる」
「そうですか? 俺はまだまだ言い足りないくらいですよ、アプサラスさん。
声をプラーナで矢弾に換えられたら手っ取り早いと思わなくもありません」
「養父の影響なのか、何なのか、時々、お前は人が変わる瞬間があるな。
……それとも、反抗期なのか? 素直なヌボコでいてくれると嬉しいのだがな。
余りに尖ると、ハハヤも泣いてしまうぞ」
「父様の背中を追い掛けていれば、自然と荒っぽくもなりますよ」
「やはり、局長が原因か。……悪影響しか与えていないな、あのろくでなしは……」
「――お前ら、人をチンピラの見本みてェに言ってんじゃねーぞ。ヌボコも少しはフォローしろ」

 養父の暗殺を謀った相手だけにヌボコの怒りは深く、嫌悪感を露にしてモルガンを睨み据えている。
十を僅かに超えたばかりの齢には似つかわしくないほどの威圧感に驚いたのか、
さしものモルガンも僅かばかりたじろいだ。

「うちのアプサラスちゃんはプラーナで幻覚を創り出すのが大得意でね。
ちょいと脳をイジって、会場備え付けのソファまで移動して貰いましたよ。女性優先でね。
余った男衆は床に雑魚寝だけど、まぁ、絨毯もフカフカだし、風邪引くこたァないっしょ。
卒倒して頭や身体を打つような人はいなかったから、怪我に関しちゃノープロブレムだぜ」
「ゲットさん、『脳を弄る』とは人聞きが悪い気がするのですが……」
「人聞きも何も事実じゃん。おれみたいに頭蓋骨(アタマ)を切開して――ってコトはないけどさ」

 両手で一個ずつヨーヨーを操っていた――回転に合わせて円盤から無数の刃が飛び出す改造型だ――ゲットは、
幻術による作用についてヌボコの説明を少しだけ補足した。
 アプサラスが賓客を相手に試みたのは催眠術の一種であった。
歌舞に合わせて密かにプラーナを行使し、幻覚の形で賓客の脳へ有意に働きかけたのだった。
高次の術者に限られるものの、黄金色の稲光は脳が持つ電気信号と結び合わせることまで可能なのだ。
 アプサラスの秘術に捕まった人々は、彼女の歌舞に見蕩れている――そのように錯覚しながら、
柔らかなソファへ、あるいは絨毯へと身を横たえていったのである。
脳が見せている映像≠ニ肉体の働きが全く異なっていることにも気付かず、
賓客たちは眠りに落ちたことだろう。
 技芸だけでなく忍術にも優れた才能を持つアプサラスは、舞い踊る最中に吸引型の麻酔薬を散布し、
催眠効果を促進させている。これは賓客のみならず会場内に詰めた他の隊士にも影響を及ぼし兼ねないのだが、
彼女の術が成るまで呼吸を止めていることなど彼らには造作もない。
 吸引によって死に至る猛毒で満たされた場所であっても、ガスマスクを装着せずに突入する――
そのような訓練を覇天組の隊士たちは積んでいるのである。

「プラーナとは本当に万能なのですね。神人も同じような霊威(きせき)を身に着けておられたのでしょう。
それを間近で拝見出来るとは心が震える想いでございます」
「おれ、このアンちゃんのアタマん中はマジで弄くってみたいね。
どーゆー思考回路してんのか、アプサラスちゃんも興味あるだろ?」
「興味も何も、ただ気色悪いだけですが」

 酒宴の座興として歌舞を申し出たのは、賓客たちを一つ所に集め、
効率的に幻術を完成させることが目的であったわけだ。
 そして、これこそがラーフラとルドラの仄めかした手配り≠ナある。
若しくはモルガンを攻め立てる為の切り札とも言い換えられよう。

「しかしながら、この策にはひとつだけ穴があります。
皆様の歌舞を見ていなかった人間はどうなるのか――と言うこと。
屋敷で働く使用人たちは勿論、全ての賓客が皆様の余興を見ているとは限りません」
「ああ――ごめんね、アンちゃん。あんたンとこの使用人皆サマには物理的に眠って貰ってるからさ。
一応、あんたの共犯者って括りになんのかな? 軽く気絶して貰っただけなんで、
ご来賓の幻術が醒める頃には息を吹き返すハズさ」
「確か貴方様は覇天組の――」
「――そ、隊医ね。折角の催し物に見向きもしないへそ曲がりにも一発かましたけど、
痛みはなかったと思うぜ。こう見えても、おれ、注射がウマいタイプだからさ」
「注射と当身って何の関連があるのか……」
「そこは敢えてツッコミ入れないのが大人の配慮ってもんだぜ、ヌボコ。
これでまたひとつ大人の階段を上ったかな? ごめんな、ナタク。お前の息子さんはおれが大人にしちまったよ」
「わざわざ誤解を招くような言い方してると見做して、後で俺が一発かましたるからな。
覇天組の教育的指導は問題児以外にも落っこちるんだぜ」

 場違いにも軽やかな笑い声を上げるゲットは、本来は医師を生業とすべき人間であった。
若かりし頃に家伝の医術を極めており、人体の何処を打てば後遺症の心配なく意識を奪えるのか、
武術の大家とも言うべきナタクやバーヴァナ以上に熟知している。
 人体の内部破壊に於いては隊内随一であった。家伝の知識に基づいて己の身を効率的に動かし、
これによって肉体に潜在する能力を余すところなく引き出すのだ。
「人体を知り尽くした」と言っても差し支えはあるまい。

 万策尽きたように思えるモルガンであったが、当人は「お見それ致しました」と頭を垂れるばかりで、
少しの動揺も感じられない。依然として涼しげな表情を崩そうとしなかった。
己の邸宅にて覇天組が逆転策を講じたと言うのに、まるで他人事のような態度である。

「覇天組が掴んだ情報によると、この地にはギルガメシュの支援者が潜んでおると言う。
それどころか、武装したテンプルナイトも何処かに隠れているそうな。
いずれもヨアキム派に実効支配された教皇庁を苦々しく思っておる輩じゃな。
悲鳴を聞きつけてワシらが此処に到着したときには、既にモルガン大司教は殺された後だった――
このような筋書きで如何じゃ? 容疑者はギルガメシュの支援者と言うことになるじゃろう」
「そいつらの潜伏情報を売り込んできた情報屋は、急に雲隠れしてしまって、
私たち監察の力を以ってしても所在が解らないわ。ギルガメシュの支援者も具体的には正体が解っていない。
……鮮やかな手口よね。完全犯罪者に仕立てたら効果も覿面だと思うのよ」

 晩餐会の場に在った頃から少しも変わらない様子(こと)を怪訝に思いながらも、
ラーフラとアプサラスの両名は理詰めの説明を交えつつ大司教を追い詰めようと試みる。
 刺すような視線と追及を静かに受け流しながら、
モルガンは「筋書き通りに仕組むとして、果たして世間が納得しましょうか」と至極真っ当な反駁を繰り出した。

「実に周到な仕掛けとは存じますが、今のところは状況証拠しか示されてございません。
シェリフの捜査を一時的には霍乱出来ても、犯人不明の迷宮入りまで誘うには些か説得力が足りませんな。
手詰まりとなったシェリフはあらゆる方向から犯人像を推理するでしょう。
……そのとき、覇天組はどれ程の等級が割り振られるのでしょうか。
第一容疑者と目されていてもおかしくはないかと――」
「――厭でも納得させるさ、教皇庁がね」

 ナタクらと合流して以来、アタッシュケースと一体化した機械を操作していたハクジツソが、
内蔵のパソコンから顔を上げつつモルガンをせせら笑う。
 極細のケーブルでパソコンと連結されていたイヤホンを耳の穴から外し、
「自分の一番の味方から見放されるなんて、オチとしたら最高じゃん」とまで煽り立てた。
 アラッシュケースからは長細いアンテナが夜天に向かって突き出しており、
遠方からの電波を逐次受信しているようである。

「あんたの手配した駒≠ネ、めっちゃ面白いコトをべちゃくちゃ話してくれたよ。
まァ〜、その内容が世間に知れ渡ったら、ヨアキム派はおしまいだろうねェ。
教皇庁の皆サマがたは、必死こいておれらの筋書きを押し通すと思うよ〜?」

 「ちなみに録音は陽之元の屯所のサーバーへリアルタイムで飛ばしてっからさ。
もう手遅れ、詰み≠チてヤツだよん」ともハクジツソは付け加えた。
 改めて詳らかにするまでもなく、アタッシュケースと一体型の機械はハクジツソの手製である。
相互伝達の関係にある機械との通信が主目的であるが、
付属の集音器を用いることで特定方向の音声を漏れなく拾い、
これを内蔵の記録媒体(データメディア)に保存していく機能も備えていた。
 つまり、ハクジツソは遠方から送信されてくる音声内容を以ってして大司教に勝ち誇った次第である。
双方向通信が可能となるよう設定してある兄弟≠ヘ、それほどまでに重大な情報を送ってきたわけだ。
 自身が操作する物も、遠方に在って音声データを送信してきた物も、
ハクジツソは手持ちの部品のみで、しかも、半日足らずで完成させている。
ラーフラたちの案じた反撃策に応じ、その場にて設計図を引いたのだ。
まさしく『技手』の面目躍如と言ったところであろう。

 委細を説かれずともハクジツソが如何なる情報を得たのかを悟ったモルガンは、
困ったように肩を竦めている。さりとて、切羽詰った表情ではない。
 自身に降りかかった危難さえ楽しんでいるようにも見え、
張り合いがないとばかりにハクジツソは両の頬を膨らませた。

「よく考えて返事しろよ。場合によっちゃ、あんたはただの犬死にってコトになるんだぜ。
……バカみたいにデケェ組織ってモンはよ、
権力を守る為なら一途に尽くしてきた人間だって簡単に蹴飛ばしやがる――
それはてめぇが一番解ってんだろ?」

 進退窮まるような状況へ立たされたにも関わらず、
依然として余裕の態度を保ち続ける底なしの胆力に感じ入りながらも、
ナタクはモルガンに向かって凄味を利かせた。
 この大司教ならば、どのように恫喝を浴びせたところで怯みもしないだろうと確信しながら、だ。





 ナタクたちとモルガンの対峙から時間を少しばかり遡り――
局長暗殺計画の討手であるテンプルナイトを埒外の橋上にて包囲した覇天組隊士たちは、
それぞれ得物を構えたまま、ジャガンナートの言葉へと耳を傾けていた。
 テンプルナイトには使い道≠ェあるので生け捕りにすべしと号令を発した覇天組の軍師は、
続けて「テンプルナイトは教皇庁の生贄に過ぎない」とも言い放ったのだ。
 これはジャガンナートが推量を重ねて導き出した結論である。
 モルガンから捨て石同然に扱われるテンプルナイトに同情的であったシンカイは、
討手のリーダー、ゲルハルト・ザッカーと向かい合ったまま、呻くような声で「生贄……」と反芻している。

「シュペルシュタイン大司教と目的が一致したなんて、おっさんは考えてるみたいだけど、
そんなん甘い甘い。つーか、イイ齢(とし)して見通しがなってないよね。人生、ヌルいよね」

 左手にリボルビングライフルを、右手に教皇より賜ったサーベルを構えるゲルハルトは、
数多の部下から困惑の視線を向けられながらも、ジャガンナートの謗りには抗弁しなかった。
 ただ真っ直ぐにシンカイを睨み据えている。

「いや、ガン君本人だけ納得されても困るわよ。モルガン・シュペルシュタインと目的が違うって――
それじゃ、この人たちはどうなるの? ナタク君が狙いなのは間違いナシじゃない」

 左右重ねた掌を前方に突き出し、両腕に黄金色の稲光を纏わせているミダは、
ジャガンナートが言わんとしていること、その意味を殆ど飲み込めていない様子だ。

「この人たちの目的は確かにナタクの命ですよ。でも、それを命じたモルガンには別の考えがあるってコト。
さっきも言いましたけど、本来の目的とは別のコトを吹き込まれただけのハナシです。
……まァ、モルガンからして見れば、それも目的達成の過程に過ぎないんでしょうがね」
「その目的ン中にはおれらがガン首揃えて睨み合うコトまで含まれてんのかい?」
「聡いね、ニッコウは。話が早くて助かるよ――」

 「それがガンちゃんの言ってた、『大きな間違い』か」と呟きながら首を頷かせるニッコウに対し、
ジャガンナートは薄い笑みを浮かべて応じた。言わずもがな、そこに宿るのは感嘆である。
 除け者にされた格好のミダは「そーゆー態度は可愛くないなぁ」と不貞腐れているが、
軍師と勘定方は揃ってこれを黙殺した。平素の彼女は隊にとっても良き相談役なのだが、
一度(ひとたび)、臍を曲げると手が付けられないくらいやさぐれてしまうのだ。
 そして、現在(いま)はミダの機嫌取りにかまけている場合ではない。

「ザッカーさんさぁ、武装した覇天組がこんなに集まってるの、不思議に思わないかい? 
大体、晩餐会に招かれた人間が武器持参で入国なんて、
無粋どころか、あらぬ疑いを掛けられるの間違いナシでしょうに」

 ジャガンナートの声を背中で受け止めるゲルハルトは、尚も無言である。

「まァ、そんなに込み入った事情でもないさ。ギルガメシュの支援者がこの辺りに潜んでるって密告があってね。
遠出のついでにダニ掃除もしちまおうってコトさ。隊士(ボクら)にも招待状は貰ったけど、
晩餐会自体はナタクとバーヴァナさんに任せておけば良かったからねェ」

 武装の理由をひとつひとつ明かしていたジャガンナートは、そこで息継ぎを挟んだ。
次の段落へ移るような間≠敢えて設け、これによってテンプルナイトの焦燥を煽るつもりであった。

「ところが、現地に入ってビックリさ。例の支援者は影も形もないと来たもんだ。
拍子抜けも良いところだよ。ただでさえ嵩張る武器一式、面倒臭いのを我慢して担いできたのにね。
……で、そこに飛び込んできたのが、覇天組(ウチ)の局長を暗殺しようって計画なんだよね」

 ジャガンナートが局長暗殺計画に言及した瞬間、幾人かのテンプルナイトが呻き声を上げた。
こうして隊士に待ち伏せされた時点で企ての露見は決定的なのだが、
そのことを改めて突き付けられると、やはり心が波立つのであろう。
 軍師を援護するかのように、「お前ら、ギルガメシュの話は聴かされてねーんだろ」と
ナラカースラが言い添えた。騙されていることをテンプルナイトに悟らせ、
諸悪の根源たるモルガンから引き離そうと言う企みだった。

「ナタクの運の悪さは筋金入りだけど、それにしたってタイミングがおかしいだろう? 
ギルガメシュの次は教皇庁の陰謀か――ってね。そこで、ようやく気が付いたのさ。遅過ぎたくらいだけどね。
……これはテンプルナイトに覇天組をぶつける為の罠なんだよ。全て仕組まれていたコトなんだ」

 不安を増幅させるような弁舌に堪えきれなくなったのか、リーダーが無言を貫いている中、
テンプルナイトのひとりが「どう言うことなんだ!?」と、罠≠フことをジャガンナートに質した。
 覇天組の隊士に阻まれることは覚悟していたのだろうが、
この状況さえもモルガンの仕掛けであるとは、流石に予測し得なかった筈である。
そして、その言葉は彼らの境遇を如実に表していた。

「幾ら覇天組と言ったって、テンプルナイトと互角に渡り合うには、それなりの人数と準備が欠かせない。
そこでペテン師は『ギルガメシュの支援者が潜伏中』なんて情報を流し、
ベストの条件をボクら自身に整えさせた。……次はナタクの暗殺計画だ。
誰が討手なのかも筒抜けだったけど、これだってキミらとボクらを鉢合わせにする策略だよ。
本気でテンプルナイトを殺しに行くよう仕向けたわけだね。ナタクが狙われたら、ボクらは絶対に容赦しない。
……シュペルシュタイン大司教はパズルの天才だね」

 質問者だけでなくテンプルナイト全体へ説き聞かせるように、ジャガンナートは普段より声量を高めている。

「改めて繰り返すのは大間抜けだけど、覇天組に入った情報はふたつとも偽物さ。
そのことに気付くのが遅れた所為で、ボクらは夜空の下で睨み合ってる。
……だからこそ、このまま何もせずに解散するよう進言させて貰おうか」

 ジャガンナートの声と、何よりも双眸に強い力が込められる。
自然と覇天組隊士たちの気魄も熱量を増していく。
 解散、即ち撤退と言う選択肢を受け入れて欲しいと、テンプルナイトへ訴えているのだ。

「大司教の仕組んだ展開に乗っかるんでなく、くだらない下衆の掌から抜け出そうじゃないか。
どんな報酬にぶら下げられたのかは知らないし、敢えて聴かないけれど、
それは聖騎士の誇りと引き換えにするだけの値打ちがあるのかい?」

 ジャガンナートから最後に投げられた問い掛けは、
テンプルナイト――即ち、ガリティア神学派の聖騎士にとって余りにも重い。
ヨアキム派の大司教によって良いように振り回された挙げ句、
捨て石以下の扱いをされていると判ってしまったのだ。
 覇天組の軍師が呼び掛けた通り、これ以上、モルガンに従う理由などあるまい。
それどころか、晩餐会まで押し入り、各国の賓客の前で大司教の謀略を暴いても良かろう。
報復の権利はテンプルナイトにこそ相応しいように思えた。

「……我々が討たれることでモルガンは何を得するんだ。テンプルナイトは世に数え切れん。
こんな小さな一隊を潰した程度で何になる。所詮、我らは地方の騎士。値打ちなどたかが知れているのだ」

 部下の命を預かるリーダーとしての責任に突き動かされ、ゲルハルトが初めてジャガンナートに振り向いた。
その間(かん)、ここに至るまでの経緯をも振り返ったのだろう。面には悲哀混じりの憤懣を浮かべている。
 大司教の罠≠ゥら脱却すべしと言う勧告を受け止めつつも、
最悪の事態を警戒して身体を大きく開き、サーベルの切っ先をシンカイに、
リボルビングライフルの銃口をジャガンナートにそれぞれ向けている。

「謙遜するねぇ。それだから大司教も狙いを付けたのかも知れないけどね。
素直で誠実。一隊を率いるリーダーとしては百点満点だ。ウチの局長よりも性格良いよね、ウン」
「……皮肉にしか聞こえんな」
「皮肉のつもりだよ。大体、こんなあばら家に押し込められて、何で疑問を持たないかねぇ。
ここから晩餐会の会場まで何分掛かると思ってるんだい。
……大司教からは自分がナタクを誘き寄せるって言われたんじゃないの? 
あのね、手引きする役がいる場合、討手は襲撃場所の近くで潜伏してるモンだよ。
計画通りに標的が動くか分からないんだし、状況を注意深く見張ってなきゃ」
「……何分にも暗殺の仕掛けは不慣れなので、な」

 「不慣れどころか、これが初めてなのだが……」とゲルハルトは苦しげに呻く。
 ジャガンナートには「素直で誠実」などと皮肉られてしまったものの、
裏表のない好漢であることに間違いはない。サーベルの切っ先を突き付けられているシンカイであるが、
出来ることならば、ゲルハルトとは斬り結びたくはなかった。その思いは秒を刻むごとに強くなっている。

「――さて、と。さっきの質問だけどね……キミらの命が大司教の目的だと知ったとき、
うちの局長はどうすると思う? 何を感じ、何を考えるか、ザッカーさんには解るかい?」
「何を――と訊かれてもな……生憎、我らも局長殿の為人までは調べなんだ」
「なら、教えてあげよう。……この件で一番のダメージを受けるのは、やっぱりアイツなんだ」

 両雄の会話を見守っていたハハヤは、ジャガンナートがナタクの痛手について言及した瞬間、
「僕にはそれが一番許せませんよ」と忌々しげに地面を蹴り付けた。 
 温厚な彼にしては極めて珍しい行動と言えよう。
腹癒せで物に当たるなど、普段ならば絶対にしない男なのだ。

「センパイ――局長の心に傷を刻むつもりらしいですからね。……本当に最低な人間だッ!」

 依然として首を傾げ続けるミダはともかく――ハハヤもモルガンが仕組んだ罠≠フ本質に気付いている。
だからこそ、行き場を失うほどの怒りが噴き上がり、遂には似つかわしくない腹癒せに至ったのだ。
 我知らず右拳に纏わせた黄金色の稲光は、許されることなら大司教へと降り注がせたい筈である。

「ハハヤが言ったように心の傷が、イコール、ナタクに嵌める首輪≠ネんだよ」
「――ちょっとッ! そう言う意味で生贄≠チてコトなの!? 
モルガン・シュペルシュタインの頭(ドタマ)はそこまで腐ってるのッ!? 
……危うく見てくれに騙されるところだったわッ!」

 ようやく全てを理解したミダは、血管が浮かび上がるほど強く両拳を握り締め、
次いで「上から目線の連中は何処だってやることが一緒ねッ!」と、大音声を夜天に響かせた。
 このときばかりはテンプルナイトへの同情も込めて吼え声を上げていた。
 己が傷付くのは一向に構わず、寧ろ望んで生命を削っている節もあるナタクだが、
その半面、他者を巻き込むことを極端に嫌っている。今度の件でテンプルナイトから犠牲者が出たなら、
必ずや自責の念に苛まれるだろう。
 それは人の好いナタクにとって何よりも堪える痛手(ダメージ)であった。
犠牲者を犬死≠ノさせない方策を懸命になって考え、これを弔いに代える筈である。
覇天組局長とは、そのように不器用な男であった。
 教皇庁に歯向かえば、覇天組と無関係の人間まで生命を弄ばれる――
理不尽としか言いようのない事態を突き付けられたなら、さしものナタクも萎縮せざるを得ないだろう。
 これこそがモルガンの用意した首輪≠ナあった。ナタクが他者の為に哭ける人間だと読み切った上で、
最も残酷な手段を採り、その心を縛り付けようとしているのだ。
 ギルガメシュなど非ではない悪辣な謀略である。モルガンはテンプルナイトの犠牲を前提として
陰謀を張り巡らせたのであった。巷に於いて覇天組は敵対者に一切の容赦をしないと恐れられている。
ましてや局長の暗殺を謀る者は、例えナタク本人が赦免しようとしても周りの隊士が許すまい。
必ず討手を始末すると確信して、今宵の対峙を仕組んだわけである。
 己の推理をゲルハルトらテンプルナイトに語って聞かせたジャガンナートは、
「何しろヤツは大司教。その立場なら仮に計略がバレても報復は受けないハズって高を括ってるんだろうよ。
ボードゲームでもする感覚でキミらを……いや、ボクら全員をハメたのさ」と、吐き捨てるようにして締め括った。

「あなたたちから見たら覇天組は敵だよ? 敵の言うことを信用出来ないのは仕方がないかも知れない。
でもね、シュペルシュタイン大司教が腹の底から腐った男ってことは、
他でもないあなたたちが一番良く分かってるんじゃないかな? 
……ここまで莫迦にされて黙っていられるの!? 剣尖(きっさき)向ける相手は局長じゃない――でしょ!?」

 ミダはゲルハルトらに刃を納めるよう呼び掛けていく。
語気の荒さからも察せられる通り、モルガンに対する怒りが相当に高まっている様子だ。
 共通の標的があったればこそ対立宗派とも結託したのだとゲルハルトは語っていたが、
今やテンプルナイトにはモルガンへ従う理由などあるまい。
真っ正直な人間を言葉巧みに惑わし、死地へ追いやるような男なのだ。

「おれたちは局長を守る為だけに此処に居る。それ以外にあんたたちとコトを構える必要なんかないよ。
……ここだけの話、モルガンに報復する気があるなら、いくらでも相談に乗るぜ?」

 ゲルハルトらがモルガンを見限る理由は、テンプルナイトと覇天組の和解にも通じている筈だった。
自分たちの間にも戦う理由はなくなったのだと、ニッコウは努めて穏やかな声で説いた。
 それでも、ゲルハルトらはサーベルを鞘には納めない。戦意とて消沈しない。
波紋の如く動揺は広がったが、誰ひとりとして臨戦態勢を解こうとはしなかった。
 何があっても応対出来るよう先端に分銅の付いた鎖を振り回しているナラカースラは、
説得を続ける仲間たちを見据えつつ、その心中にて「無駄な努力だな」と呟いた。
 彼だけはテンプルナイトに気を許すつもりはなさそうだ。

「我らの目的は貴公らの大将――それは認めよう。
……だが、モルガン・シュペルシュタインが何と言って我らを差し向けたのか、
そこまでは読み切れなかったようだな」

 シンカイと――敵対する相手の身をも案じる好漢に向き直ったゲルハルトは、双眸に慙愧の念を宿している。
己の紡ぐ言葉に何事か恥じ入るものがあるのか、語る声は今までになく強張っていた。
 テンプルナイトがモルガンの指示に従う理由は、ジャガンナートにも断定し切れなかった。
教皇庁に於いて、ガリティア神学派の権限を拡張させると言った報酬(えさ)でも
ぶら下げたものと考えたのだが、これも当て推量に過ぎないのである。
 さりながら、ゲルハルトは小賢しい弁舌に惑わされる短慮な人間には見えない。
これまで相対してきたギルガメシュの将兵は、覇天組の隊名(な)を聴いただけで恐慌を来たしたが、
彼とその部下はたじろぐ素振りも見せなかった。本人の技量は言うに及ばず、統率力も頭抜けている。
シンカイのように武人としての共感から憐憫を抱くほど甘くはないが、
そうした感情を抜きにしても惜しい人材と思えるのだ。

「ナタクが教皇庁の転覆を図っているとでも吹聴されたのかい? やッすい策(て)だね。
確かに安いけど、いがみ合う宗派同士で手を組むとしたら妥当なトコロだ。
手前ェんとこの基盤をブッ潰されたら、宗派もクソもないもんな」

 ジャガンナートの問い掛けにゲルハルトは何も答えない。
代わりに彼の部下が応じた。殺伐とした気魄を一等膨れ上がらせ、無言の内に回答(こたえ)を示した。

「神々にも等しき異能を弄するなど許し難き背教。ニンゲンと言う種を穢したミュータント(突然変異体)を
速やかに抹殺すべし――それが大司教の命令だ。ましてや、覇天組はミュータントの最右翼。
捨て置くわけにはいかん。……不浄なる存在をエンディニオンより取り除くことは、
預言者も教義の中で説かれているのだよ」

 部下の殺気を肌に感じたゲルハルトは、シンカイたちの顔を順繰りに見据え、次いで一瞬だけ俯き、
やがて、モルガンへの加担に至った決定的な要因を明かした。

「……ザッカーさん……」

 その瞬間、ハハヤは果てしない絶望感に打ちひしがれた。
 一方でナラカースラは「出たよ」と肩を竦めておどけている。半ばゲルハルトに対する厭味だ。
どうやら四番戦頭は軍師よりも先にテンプルナイトの真意を読み抜いていたらしい。

「さんざん偉ぶってやがったけど、所詮はコイツらもモルガンの同類項ってこった。
手前ェで考えることを捨てちまって、善し悪しの判断まで右へ倣えなんて連中、
オレに言わせりゃ犬畜生なんだよ。……預言者の飼い犬か、てめぇは」
「……ナラカースラさん、それはあんまりな言い方ではありませんか。
この方たちの思想(おもい)まで踏み躙るようなものですよ?」
「そーよ、そーよ。ミュータント云々だって大司教の野郎が言い出したことでしょ。
そこだけ切り取って何もかも否定するのはどうかと思うなぁ」
「ハハヤも姐さんも幻想(ゆめ)を視過ぎなんだよ。
どんな風に言い訳したって、人間を選り分けてるのに変わりはねぇ。
……不浄だの取り除くだの、何様のつもりでほざいてやがるんだ、聖騎士サマはよォ」

 裏社会で――人間の醜い部分が犇めき合う世界で生きてきたナラカースラは、
負の感情と言うものに極めて敏感であった。他者より向けられる憎悪を見落とせば、
ただそれだけで命取りになる世界で戦い続けてきた男なのだ。

「『預言者の飼い犬』はオレらを人間とは見ちゃいねぇ。塵芥よりも更に下って扱いなんだぜ? 
陽之元に巣食ってた旧権力(カス)どもと変わらねぇんだよ。
……そんな連中とは永遠に分かり合えねぇ。潰し合いが唯ひとつの解決策――だろ?」

 この期に及んでテンプルナイトと和解する可能性は有り得ない。
そう吐き捨てたナラカースラは、鎖の回転を更に速めていく。
風斬る轟音に反応した聖騎士がサーベルを振り翳せば、すかさず分銅を投擲し、頭蓋骨を破砕することだろう。
そこには一切の手加減はあるまい。
 女神イシュタルでも神人でもなく、生身の人間でありながら、
黄金色の稲光を以ってして様々な奇跡を起こす『プラーナ』――
この異能(ちから)をテンプルナイトは種の突然変異と見做し、「不浄」の二字にて否定していた。
プラーナを宿した者は人間と言う種から外れているのだ、と。

「それを言っちゃおしまいだぜ。……あんたら、随分と窮屈な思いをしてきたんだろうな……」

 鳴杖を肩に担いだニッコウは、やり切れない思いと共に首を横に振り続けている。
 人にあらざる異能を全否定し、地上より放逐せんとする過激な思想が在ることは覇天組も承知していた。
遠征先のことではあるが、排撃的な運動家から侮辱の声を浴びせられたことも一度や二度ではない。
 無論、ガリティア神学派の誰もが覇天組をミュータントと蔑んでいるわけではなかった。
寧ろ友好的な者のほうが多く、同宗派の中でも排撃を改めるべきとする考えが大多数であった。
 だからと言って、排撃的な運動家を「ガリティア神学派の異端」と謗ることは出来ない。
「不浄なる存在の治罰」と言う教義への解釈が先鋭化した事実として受け止めなくてはならないのだ。
彼らとてイシュタルの敬虔な信徒であり、同じエンディニオンの人間なのである。
 今し方、ナラカースラが飛ばした罵声は、ハハヤが言う通り、ゲルハルトらの信仰心を貶すものであった。
『預言者の飼い犬』なる罵り言葉は、彼らにとって最大の侮辱であろう。
 実際、聖騎士のひとりは血走った眼で言い返そうとしたが、これはゲルハルトが押し止めた。
覇天組は討伐すべき不浄なる存在だが、局長暗殺と言う手段に走った自分たちも罪で穢れており、
最早、『聖職』と胸を張ることは出来ない――そのように心得ているわけだ。

「……ザッカー殿はプラーナを持つ人間は全て滅ぼすと、そう申されるのだな?」
「……それが預言者の教えである……」
「それは陽之元と言う国を認めぬことと同じだが、……本当に宜しいのか?」

 シンカイは努めて冷静に、極めて重大なことを確かめた。
 その身にプラーナを宿したのは、何も覇天組の隊士だけではない。
陽之元で生まれ育った者は誰もが等しく備える異能(ちから)なのだ。
 つまるところ、シンカイの問い掛けはテンプルナイトの運命を決定付ける分かれ道であった。
ゲルハルトが陽之元への危害を口にしてしまえば、最早、後戻りは出来なくなる。
 今でこそ教皇庁の要請に応じてギルガメシュと戦っているものの、
覇天組本来の任務は陽之元と言う祖国(くに)を護ることである。
これを脅かす敵≠ヘ、例え情状酌量の余地があろうとも斬り伏せねばならなかった。

「――地上の穢れは洗い流さねばならん。それがガリティア神学派の宿命(さだめ)」

 決然たる返答にシンカイの心は悲しみで埋め尽くされる。
預言者の教えを守り切ること――それがゲルハルトの、否、テンプルナイトの答えであった。
どれだけ相手を好ましく思っても、決して分かり合えないと言うことだ。
 そして、今、完全なる敵同士となった。ここから先はナラカースラの言うように潰し合いしかない。
シンカイとは別の意味でゲルハルトを好ましく想い始めていたミダは、
「結局、今度も失恋確定かー……」と、独りで勝手に肩を落としている。

「ちなみに今までの会話は、ぜ〜んぶナタクたちの耳にも入ってるからね。
所謂、盗聴ってヤツぅ? ついでに言っとくと、陽之元のほうにも音声データ飛ばしてるし」

 ハクジツソから渡された交信用の機械――アタッシュケースと一体化した物だ――を操作していたホフリは、
その役目も一段落とばかりに背伸びをし、次いで右の中指と親指を弾いた。
 乾いた音に合わせて地面へ黄金色の稲光が走る。これが起動の合図であったのか、
土や草花を突き破って地中から数多の人影が出現した。
 メイドをモチーフにしたと思しき女性型の人形であった。
製作者の趣味であるのか、本体から衣装に至るまで精巧に作りこまれている。
 しかし、愛玩を目的とした人形でないことは、全体像を見れば瞭然だ。
両手に鋭利な刃を接続したモノ、重火器を搭載したモノなど、何れも戦闘用の改造が施されていた。
 「改造」と言う表現も正確ではなかろう。最初から戦闘を想定して設計されていた筈である。
いずれの人形も繰り糸の如き稲光でもってホフリの指先と繋がっている。
 彼は人形遣いの業を受け継ぐ一族の末裔であり、これこそが本領発揮と言うことだ。
 メイド服に身を包んだ少女と言う造形が些か不可思議であるが、
数え切れない程の戦闘人形が起動し、搭載された武装を一斉に構える。
これはつまり、テンプルナイトの退路を完全に絶ったと言う証であった。

「一国の要人の暗殺を企む不届き者みたいな見出しで、明日の朝刊を飾るんじゃね〜のか、お前ら。
……あ、明日はねぇか! モルガンもろともブチ殺した後で教皇庁に突きつけねぇとな。
どっちにしろ、あんたらがおしまいってコトは一緒だけどね。そこんとこ、お分かりィ?」
「周到なことだな。……なるほど、本当に一巻の終わりだ」
「スカしてんじゃねっての。ザコキャラよろしくカッコ悪く泣き崩れろよ。
コイツが世間様に出た瞬間、おめ〜らはマジで犬死になるんだからさ〜」
「犬死で結構。為すべきことは決まっている。我らは魂までも預言者の教えに全てを捧げる覚悟だ。
背教と言う二字を形にしたミュータントは消し去る……ひとりでもふたりでも――」

 ミュータントと言う蔑称を繰り返すゲルハルトであったが、
彼の双眸には覇天組を貶めようとする意志が見られない。
不浄なる存在を忌み嫌うような視線すらシンカイは感じなかった。
 大いなる預言者が不浄と定めた存在と戦うこと――これを遵守することが彼らにとっての宿命なのだ。
教義を全うすることは、己の生きる意味を確かめる行為に等しく、個人の感情をも超越しているのだった。
 彼らは差別の意識に突き動かされて『ミュータント』を滅ぼそうとしているのではない。
それがガリティア神学派の宿命であるから、罪に穢れることさえ厭わずサーベルを抜き放ったのだ。
 これはゲルハルトのみならずテンプルナイトの皆に共通することだった。
相容れない存在を討伐せんとする強い意志は見られるものの、
覇天組のことを不浄などと蔑む声は誰からも上がらなかった。

「――ボクも悪人だけど、シュペルシュタインは筋金入りだね。……正真正銘の下衆だよ」

 プラーナを用いて水晶の如き矢を作り出し、これを弓弦につがえたジャガンナートは、
心底から湧き起こる嫌悪感を舌打ちと言う形で表した。
 テンプルナイトはガリティア神学派の宿命の為、覇天組は局長暗殺を阻止する為、
互いを相容れない敵と見做して必ず殺し合う――モルガンはそこまで見通して
全面対決の構図を仕組んだのだろう。
 人の宿命を弄ぶとは、これに勝る女神イシュタルへの冒涜があるだろうか。
モルガンこそが背教の象徴だと、ジャガンナートは唾(つばき)と共に吐き捨てた。
 それ故にシンカイは悲しく、虚しかった。
 己の為すべき宿命を潔く受け入れ、ただその道を真っ直ぐ進む精神には清らかなものさえ感じられる。
今となっては説得の言葉も無意味だが、刃を交えるのが惜しい傑物であると改めて思ったのだ。
虚しい対峙だと思わざるを得なかった。
 しかし、戦いは避けられない。無念の表情を浮かべた後、シンカイは愛刀をゲルハルトに向けて構え直した。
今度ばかりはジャガンナートも生け捕りにしろとは叫ばない。

「局長を仕留められんのは残念だが、その走狗だけでも討ち果たす。不浄なる者はひとり残らず駆逐せん」
「それはこちらの台詞と言うものだ。陽之元を害する者は断じて見過ごせん」

 ゲルハルトとシンカイ、両者による宣戦を以ってして死闘の幕は切って落とされた――

「――ちょ、ちょっと待ってください! ……何か聞えませんか!?」

 ――かに思われたのだが、ハハヤの一声がこれを引き止めた。
 勢い込んだ瞬間に出端を挫かれたシンカイとはゲルハルトは不恰好につんのめり、
バツの悪そうな顔を見合わせた。

「こう言う場合、ロクなことが起きない確率は八〇パーセント超えてるのよね……」

 両手を耳朶へ添えたミダのように聴覚を研ぎ澄ませると、
微かではあるものの、夜の静寂(しじま)から風を裂く異音を拾うことが出来た。
それは巨大な何か≠ェ急降下している音にも良く似ていた。
 覇天組とテンプルナイトは斬り結ぶことさえ失念して夜天を見上げている。
現在までに不審な飛来物などを視認することは出来ないが、
風を裂く異音は、徐々に、しかし、着実に地上へと迫りつつあった。




←BACK     NEXT→
本編トップへ戻る