1.School Cafeteria Aのエンディニオンに所在する島国――『陽之元(ひのもと)』。 覇天組とは、その陽之元に属する武装警察であり、 首都及び要人の警備やテロリストの取締りを主な任務としている。 隊を率いる総大将には『局長』と言う呼称が与えられ、 その下に戦闘を指揮する『副長』、組織運営を管理する『総長』と言う補佐役を置き、 更に役割や能力に応じて隊士たちを幾つかの『組』に振り分けることで隊務を遂行していた。 副長は『戦頭(いくさがしら)』と呼ばれる実働部隊のリーダーを、 総長は庶務や経理の部門を、それぞれ統括するわけだ。 最上位に位置する局長は広く全体を見渡し、人員采配などで力を発揮するのである。 それだけに悩みが多く、日頃から顰め面を作っていることが多い。 眉間に寄せる皺は「海溝に匹敵するほど深い」などと揶揄されていた。 両の瞼は眠たげに半ばまで落ち込んでいるのだが、 本格的に機嫌を損ねると、いよいよ双眸の大部分が隠れてしまう。 『評定場』とも呼称される円卓に座した現在(いま)の『局長』は、 眉間の皺も双眸の隠れ具合も、まさしく最悪の状態と言えるだろう。 最凶の武装警察の首領≠ネどと言う大仰な肩書きを背負っている『局長』だが、 その形容(たとえかた)から連想されるような威圧感は、滅多なことでは表に出さない。 少なくとも、人前では不調法な振る舞いは慎んでいた。 しかし、重大な問題に直面した際にはこの限りではない。 隊士たちがトラブルを起こそうものなら、招集した幹部の前で険しい表情を面に貼り付けているのだ。 両腕を組みつつ、事態が収集するまで圧(へ)し口を続けることは、 『局長』としての責任感の表れであった。 生来、気難しい性格というわけではない。寧ろ、気さくで親しみ易い性情だ。 その『局長』が、これ以上ないと言うくらい厳めしい表情を作っている。 それはつまり、円卓の上で話し合うべき内容が「最悪の状態」であることに他ならない。 評定場と呼ばれる部屋は、覇天組の屯所――事務所と宿舎を兼ねた屋敷を指している――、 『誠衛台(せいえいだい)』の一角に設けられており、 原則として資格を持った幹部以外は立ち入りを禁じられている。 『副長』として『局長』を支えるラーフラは、言うまでもなく円卓に着くことを認められた人間だ。 彼は招集の報せを屯所の外で受けていた。恐妻もとい愛妻のイザヤを伴って近場のレストランへ 昼食を摂りに出掛けていたのである。 奇しくも、両者の結婚記念日だった。ラーフラは午後から出張の予定が入っており、 イザヤと夕食を共にすることが出来ない。その為、段取り≠前倒しして夫婦水入らずの時間を作り、 三ツ星と評判のレストランにスペシャルランチを注文していたのだ。 愛妻への贈り物としてラーフラはハンカチを選んでいた。 それも、感謝の言葉を刺繍したシルクの逸品である。 照れ臭さもあって気持ちが焦ったラーフラは、料理が運ばれてくる前に包みを差し出そうとしていた。 妻に告げるべき愛情の言葉は、一週間も前から心中にて繰り返し練習していた。 抜かりはない――が、巡り合せだけが致命的に悪かった。 今まさに贈り物を差し出そうとした寸前、モバイル宛に緊急招集のメールが届いたのだ。 イザヤも覇天組の隊士であり、夫と同じく評定場への出入りを許可された立場にある。 殆ど同時に鳴り始めたけたたましい着信音は、落ち着いた雰囲気の内装を見事に損ねてしまった。 仲の良い夫婦であってもモバイルが奏でる音色は正反対だ。 専用の着信音――古い女性アイドルグループのナンバーだ――を設定する夫に対して、 妻の側は一定のリズムが単調に繰り返されるだけの無機質な電子音である。 両者の性格が端的に表れた一幕とも言えようが、それはともかく―― 折角の段取り≠台無しにされてしまったのだから、ラーフラが不機嫌になるのも無理からぬ話だ。 これから先も多くの結婚記念日を積み重ねるだろうが、その中でも最悪の想い出として刻まれるに違いない。 「人にプレゼントを贈るとき、お主なら前もってどんな支度をするんじゃ? 相手が喜ぶムード作りか、洒落たオープンカフェの予約か? 早足で歩きながら渡すとロクでもない結果が待っていることは、今日、教えて貰ったわい」 「俺なら、せめて何処かに腰掛けて渡すよ。歩きながら渡したんじゃムードもへったくれもねぇ」 「お主の言う通りじゃよ。三〇分かけて選んだ包み紙は、手渡す前に泥色の水玉模様で一層綺麗になった。 チョコレートフォンデュや刺身醤油のような状態でな。中身が無事だったのは奇跡じゃ」 「三秒ルールは間に合ったみてェだな」 「三秒も浸しておったら、純白のシルクが漬け握り≠ノなっておったわい!」 評定場へ入った途端に憎まれ口を叩くラーフラだったが、 自分よりも遥かに難しい表情(かお)をしている『局長』を見てしまうと、 八つ当たりしようと言う気分も吹き飛んでしまうのだ。 『局長』はワインレッドのワイシャツにループタイを締め、その上から陣羽織を纏っている。 陣羽織≠ニは古い時代に使われていた軍用のコートであり、 これをワイシャツの上に羽織った佇まいは、不恰好としか言いようがなかった。 肩から胸部に掛けて青い厚手の生地、胸部からその下は浅黄染めの薄い生地と、非常に凝った構造ではある。 ドレスの裾にも見紛う下半分は蛇腹状となっており、一定の間隔を置いて連続する折り返しは、 何とも言えない趣を生み出していた。 独創的なデザインはともかく、時代錯誤と言うことに変わりはない。 それでも敢えて陣羽織を纏うのは、これが覇天組局長としての平服であるからだ。 正式な議論へ臨むと言う姿勢を出で立ちでもって示した『局長』は、 面に尋常ならざる表情(もの)を貼り付けている。 彼を支える立場としては腹癒せの軽口を打ち切らなくてはならなかった。 「手綱≠引く公用方(にんげん)が近くにおらんと、たちまち狂犬に早変わりじゃな」 「いい加減、犬′トばわりには慣れちまったよ」 「慣れては困るぞ、ナタク――否、覇天組局長殿」 「冗談に決まってんだろ。犬≠フアタマに『教皇庁』って付けるヤツがいたら、 その手を咬み千切ってやらァ」 黒いスラックスを吊るしているサスペンダーを指先で弾き、乾いた音を鳴らす。 『局長』――ナタクの鬱憤を和らげようと、柄にもなく戯(おど)けて見せたわけだ。 尤も、ナタク当人は笑気の欠片も見せず、ラーフラの試みは実らずに終わったようである。 獅子の鬣の如き癖毛がナタクのトレードマークであった。 その鬣が溶岩の如き昂ぶりに共鳴し、逆立っているようラーフラには見えるのである。 襟足の部分で縛った長い後ろ髪の毛先(さき)も、だ。 単なる錯覚とはラーフラ自身も分かっている。だが、そのような印象を周囲に撒き散らすほど、 現在(いま)のナタクは張り詰めていた。 「お主の古傷は気分次第で色が濃くも薄くもなる。そのことに気付いておるか?」 ラーフラの言う古傷≠ニは、ナタクの左頬を斜めに走る一筋の痕のことだ。 顎の裏を抉り、鼻先へ到達する寸前で止まっている。 おそらく刃物によって付けられたのであろうその痕は、確かに血の色が強い。 赤黒い液体が滲み出し、頬から顎先へと滑り落ちそうなほどに。 感情の移ろいによって痕の色が変わることなど常人であれば有り得ない。 だが、ナタクの場合はラーフラが指摘した通りの変化を遂げるときが有るのだ。 そのように見える瞬間が偶に訪れる――と表すほうが正確に近いのかも知れない。 写真や動画を撮影して前後の状態を確認した者はいないので、 目の錯覚か否かは判らない。心の働きに応じて明滅が起こり得るとすれば、 それもまた人智を超えた証左と言えるだろう。 「覇天組の局長は人外の化け物=vと、陽之元内外で畏れられているのである。 現在(いま)の痕は、血の色が一等濃いようラーフラの双眸には見えた。 「気分次第でコロコロ変わるのは、お前の目付きじゃねーか。 いや、大抵の人間は気分に吊られて当たり前なんだけどよ、お前は特に素直だよ。 相手を嚇かそうと、わざと殺人鬼みたいな目をするときもあらァ。 評定場(ここ)に入ってきたときの目付きなんか凄かったぜ?」 「目付きの悪さでお主にからかわれる日が来るとはのォ」 「そうだ、俺に言われちゃおしまいだぜ」 「物事の本質を見極めようとする観察眼と言って欲しいものじゃな。 目付きひとつで地金を晒す阿呆もおるじゃろう? 寝惚け眼のお主と一緒にされては堪らぬわ。 人の目付きをとやかく言う前に、お主は公用方に目覚まし時計でも買ってきて貰え」 過去の負傷によって光を失ってしまったのか、ラーフラは左目を二枚重ねの包帯で覆い隠している。 濃緑と柿色の布を重ね合わせるのは、彼なりのこだわりなのであろう。 対の右目は健常そのものである。但し、片方のみで双眸の働きをしなくてはならないので、 人や物を眇めることが多く、それが為に眼光も鋭く研ぎ澄まされるのだ。 評定場へ入室した直後の目付きは、本人が語った「本質を見極める観察眼」とは程遠く、 機嫌の悪さのみを宿していた。無論、現在はナタクを気遣って相当に柔らかな性質(もの)に変わっている。 それに影響されたのか、始まりこそ刺々しかったナタクの受け答えも徐々に和らいできている。 このように局長のストレス解消まで引き受けてしまうことから、 一部の仲間には天使≠ニも喩えられているのだが、副長本人は全く気付いていないだろう。 頬から顎まで豊かな髭を蓄えた男にとって、これほどまでに似つかわしくない呼び名もあるまい。 「――冗談はさておき、シャラ殿はまだ戻らんのか?」 「シャラ君とアプサラス君は、今頃、学食≠ナランチミーティングの真っ最中だよ。 夕方までは『学校』に居るって今朝の打ち合わせでも言っただろ。耳、詰まってたのか?」 「言い訳にしかならんが、今日はワシらの結婚記念日でな。 愛する妻にどのタイミングでプレゼントを渡そうか、そればかりを考えておったんじゃよ」 「それじゃ集中もクソもねぇな。副長の務めを蔑ろにしても、今日ばかりは誰も文句は言わねぇさ」 「いやいや、罰と言うのは当たるものじゃよ。女神イシュタルはちゃあんと見ておる。 気合いを入れたプレゼントを駆け足の最中に渡す羽目になって、おまけに万有引力の餌食にされたわい。 包み紙には実にネイチャーな模様が入ったが、あれもまたイシュタルのお導き≠カゃろう」 「なんだよ、泥ン中にでも落としたのか? 鈍臭ェなぁ」 「お主こそワシの話をちっとも聞いておらんではないかァ!」 「……あんたたちのトークショーには芸がないわね。オーディエンスは一分で飽きるわよ。 あたしは三十秒保たなかったけれど」 局長と副長の会話を一刀両断の如く切り捨てたのは、言わずもがなイザヤである。 右側のみ長く垂らしている前髪――美麗な銀髪である――を掻き上げると、 片手間潰しと言わんばかりにシガレットを喫(す)い始めた。 「――で? 今度は何をやらかしたのよ。怒らないから言ってみなさいな」 「別に俺がトラブッたわけじゃねーよ」 さっさと自分の席に着いたイザヤは、紫煙を吐き出しつつ興味なさげにあらましを尋ねる。 彼女の覇天組に於ける肩書きは『技官』である。隊内にて用いる兵装の開発が専門と言うわけだ。 幹部であっても隊の運営とは遠い部門を担っており、彼女の側も積極的に関与するつもりはなかった。 こうした会議さえ研究の時間を取られて煩わしいと思う人間(タイプ)なのである。 夫のラーフラでも外食へ連れ出すことに苦労するのだ。 夫婦の大切な記念日すら彼女には時間の浪費でしかなかった。 「後でまた詳しく説明するが――どうやら、ヌボコたちが誤認逮捕をやっちまったみたいでな。 それも場所は外国。考えられる最悪の状況ってヤツだ」 「間抜けね」 「ああ、こんな間抜けな話はねぇよ。監察ともあろう者が見切り発車で対象を囲んじまったんだからな。 しかも、大先輩がふたりも随いていながらだ。……こりゃあ、ルドラさんの叱声(カミナリ)が落ちるぜ」 「監督不行き届きの局長(あんた)と副長(うちのしゅじん)が間抜けだと言っているのよ。 判断ミスは指導不足。あんたたちこそ説教されなさい」 「……痛快なくらい正論で、何ひとつ言い返せぬのが悔しいわい」 「何とか反論しろよ、旦那サマ=Bイザヤ君に口喧嘩で勝てんのはお前だけなんだぜ」 「結婚記念日をブチ壊しにしてまで挑んだところで、せいぜい勝率は二割じゃ。 勝てぬ戦いならやらんほうがよかろう」 「する前から勝負を諦めるなんて、見下げ果てた負け犬ね。 それ以下かしら? どこまで駄目になれば気が済むのよ」 「……お主もお主で、もっと亭主を大事にしてくれんか……」 三人で漫談めいたやり取りをしている間に―― 否、局長と副長が揃ってイザヤにやり込められている間に、他の幹部たちも評定場に集まり始めた。 結婚記念日の夫婦を円卓に座して出迎えたのは、ナタクひとりだけではない。 幾人かの幹部は副長よりも先に馳せ参じていた。 明らかに張り詰めた様子の局長に声を掛けられず、黙して成り行きを見守っていたのだ。 天使≠フ到着に安堵の溜め息を吐いたのは言うまでもない。 餌にありつけると勘違いしたのか、屯所に住み着くチワワも隊士たちの中に混ざっていた。 彼は周囲の緊張など知りもせずに円卓の中央で寝息を立てている。 名前はミカボシ。以前はナタクの実家にて飼われていたロングコート種のチワワである。 隊の先鋒を担う『一番戦頭(いちばんいくさがしら)』のハハヤは、 暇さえあればミカボシの世話を焼いている。その彼の後に随いて評定場までやって来た様子だった。 百年に一度の天才と讃えられる武術家であり、戦いの場では誰よりも勇ましい一番戦頭であるが、 円卓に於いては局長に気を遣い過ぎてしまい、すっかり萎縮していた。 「――何をそんなに狼狽えているんだい。ナタク君はキミのお義兄(にい)さんじゃないか。 局長がピリピリしていたら他の皆まで緊張してしまうと、一言、耳打ちするだけでいいんだよ」 「ル、ルドラさんっ!?」 「長い付き合いだ。キミが落ち着かない理由くらい一目で分かるのさ」 三人の会話にも上がった総長のルドラは、少しばかり遅れて評定場に現れた。 褐色の地肌が透けるくらい薄い銀髪や着衣――白いスラックスに清潔なワイシャツだ――に 湿り気が感じられるのは、敷地内に併設された武道場で平隊士たちに稽古を付けていたからだ。 微かではあるものの、両肩からは湯気が立ち上っている。 ルドラは総務を取り仕切る立場にあるが、それと同時に隊内でも一、二を争うほど優れた剣士なのだ。 撃剣師範――即ち、剣術の指導役も受け持っていた。 瞑想状態に入ってから剣を繰り出すと言う特殊な流派は、ルドラ以外には使いこなせない。 無茶苦茶な身のこなしに見えて全ての太刀筋が複雑な体系として完成しており、 専門(そのみち)の修練に打ち込んで初めて結実するのである。 だが、剣技や身のこなしの一端、あるいは武芸者としての精神の鍛え方は、 後身にとって大きな手掛かりとなる。それこそが総長と言う立場から隊士へ伝授すべきものであった。 「息が上がっておるように見えますぞ、ルドラさん。剣客も寄る年波には勝てませんかな?」 「ラーフラ君にそれを言われるのは少しばかりショックだよ。 朝も昼も夕方も、夜だって普通に眠たがっているキミにね。今から体力測定でもしてみようか?」 「今日の副長はボロクソだな。ルドラさんからは貧弱呼ばわりされて、俺には目付きを茶化されてよ。 『学校』から滋養強壮に効く薬用酒でも差し入れて貰えるんじゃねぇか」 「ファンにはブルーベリーのジャムをリクエストすると良い。これで健康体まっしぐらだ」 「そこまでポンコツ呼ばわりするなら、それなりにいたわって欲しいモンじゃが……っ」 この軽口を以ってして、覇天組の要たる三役が勢揃いしたことを円卓の隊士たちは認めた。 円卓には一番から三番までの戦頭が顔を揃えている。本隊とは別行動を取る四番戦頭のナラカースラ、 市中の見回りに赴いている五番戦頭のサントーシャはそれぞれ欠席だ。 その一方、隊の威力攻撃を担う二番戦頭のシンカイは、どこか気まずげに身を縮めている。 天下無双との呼び声も高い剣豪なのだが、現在(いま)のところ、その頼もしさは欠片も見られない。 これは勘定方の頭取を務めるニッコウも同様であった。 頭を掻き毟りつつ着席すると、垂れ気味の双眸を忙しなく動かして周りを窺い始めた。 仲間たちの様子に注意を払っている――と言うよりは、何かに怯えているような調子である。 「い〜かい、ハハヤ? 後ろめたいこともないのにグチグチと不安がってキョドッてたら、 こーゆーカッコ悪いおニィさんみて〜になっちゃうからね。謙虚とお間抜けを履き違えたらダメだぜ?」 「ゲット、それは俺たちのことを言っているのか……」 「他に誰がいるのさ? 図体デカいオトナがキョロキョロやってんじゃないよ」 ルドラに続いて円卓に着いた隊医のゲットは、俯き加減で恐縮し続けているニッコウとシンカイを 笑気の爆発と共に冷やかした。 「あんましシン君をいじめないでくれよ。つか、おれも皮肉の対象なんだけどさ……」 「申し訳なく思えば、相応の態度を取るのが人間と言うものだ。 開き直ってふんぞり返るほど、俺もニッコウも常識を知らんわけではない」 「アホくさ。誰のカミさんがトチッたってさぁ、それでおれらが批難すると思うのかい? クンダリーニやジーヴァとも付き合い長いんだぜ? あいつらの早とちりは今に始まったことじゃない。 みんな、もう慣れっこだってば」 「……待て、さりげなく家内(ジーヴァ)を莫迦にしなかったか? ゲット、貴様――」 「シン君、このタイミングでそのキレ方はおかしいから。どう考えても今のは助け舟だから」 「そうそう! その調子、その調子。シン君には不機嫌面(ヅラ)が一番似合うよ〜!」 さんざん隊医に茶化され、気詰まりから憤激へと形相を一変させた二番戦頭はともかく―― 幹部たちの招集にまで至った緊急事態は、ニッコウとシンカイ、両者の伴侶が引き起こしたものであった。 しかも、だ。今度の事件には局長の養子であるヌボコまで関与している。 そうした事情もあって、ナタクは過剰なまでに気を張り詰めていたのである。 無論、局長と言う立場でも頭が痛い。先程、連絡が入ったばかりの緊急事態――即ち、誤認逮捕は、 どうやら覇天組側による完全な過失のようだ。相手側には何ら非はないとの報告を受けている。 「急に呼びつけてすまなかった。どうも抜き差しならねぇ事態になっちまったんで、 こうしてみんなに集まって貰った。中には結婚記念日のお祝いをしてたヤツもいるみてェだが……」 「……その話は捨て置けぃ。局長、議題(はなし)を先に進めてくれぬか」 「わーったよ――」 召集を発した幹部たちが、皆、円卓に着いたと見て取ったナタクは、 一度ばかり咳払いを挟んだ後、誤認逮捕へと至ってしまった詳しい経緯を説明し始めた。 現在、覇天組は陽之元内乱の時代に争った宿敵、『艮家(こんけ)』の血族を捜索し続けている。 『北東落日の大乱』とも呼称される争乱の末期に於いて、覇天組はこの宿敵を族滅≠ケしめた。 陽之元の未来へ影を落とすものと予想される存在を根絶やしにしたと言うことである。 悪鬼の如き所業を以ってして、覇天組は祖国の新時代を切り開いた――その筈であったのだが、 今になって生き残りが疑われるようになったのだ。 艮家は交易を通じて異郷にも一族の人間を送り込んでおり、その末裔が血を守り続けていると言う。 本当に艮家の血が世に残っているのか、はたまた何者かによる撹乱の計略なのかは定かではない。 それが為、覇天組としては真偽を確かめないわけにはいかないのである。 族滅≠フ失敗は、陽之元の前途に必ずや災いをもたらすであろう。 悶着を起こした三名の隊士も、件の調査任務を帯びて疑惑の土地へと潜入していたのだった。 「――ヌボコからの報告によると、艮家の末裔と見なした対象は十代半ばの少年三名のようだ。 先にクンダリーニとジーヴァが目を付けて追跡。ヌボコは後で合流したそうだ。 それから間もなく少年たちの引率者と思われる二十代半ばの男性も駆け付けて、 交戦状態になったらしいんだが……」 「拘束した後に誤解じゃと悟った――と言うオチが付いたのじゃな? 気が付いたのもヌボコじゃろ」 「ああ、……どうも相手方にヌボコの知り合いが混じっていて、それで間違いだと分かったらしい。 ジャスティン・キンバレンと言ったかな――以前の潜入先で親しくなった友人≠ンたいだよ」 「あやつに友人なんぞおったのか。ワシはそれが驚きじゃ」 「てめー、なに俺ン家の養子(せがれ)を虚仮にしてんだよ。髭毟んぞ、コラ」 密偵の役割を担う監察方に所属するヌボコ、一番組に属するクンダリーニ、 二番組に属するジーヴァ――以上の三人は、艮家の血族が息衝くと囁かれる異郷に赴き、 その行方を探っていた。 そして、誤認逮捕は容疑者を発見した直後に発生。疑わしい対象をクンダリーニとジーヴァが追い込み、 ヌボコも交えて攻撃を行った末に身柄を拘束したと言う。 この際に三人は裏付け調査を全く行わなかった。緊急性があるものと判断を誤り、 実際には艮家と何か関わりのない人間を追い詰めてしまったのだ。 国家の土台を腐らせていた旧権力の象徴が、再び陽之元の脅威になろうとしている―― その焦りが三人の判断力を狂わせたとしか言いようがなかった。 まさしく浅慮が招いた事態であり、ナタクは局長としての己の監督不十分を皆に詫びた。 尤も、ナタクや当事者の失態を糾弾する声は誰からも上がらない。 ゲットが語った通り、責任問題などと仲間を追い詰めるような者は覇天組にはいないのだ。 隊内一の問題児と目されるホフリがこの場に居合わせたなら、 無神経な悪口でも吐き散らしたかも知れないが、彼はサントーシャと共に市中の見回りへ繰り出しており、 この会合には加わっていない。三人の縁者たちにとっては不幸中の幸いと言えるだろう。 「……どこをどう捉えても家内が悪い。面目次第もない」 「謝って済むような問題じゃないけど、頭下げるくらいしか今のおれたちには出来ないからさ―― 本当に申し訳なかった……!」 だからと言って、隊に迷惑を掛けたことに変わりはない。 ニッコウとシンカイも局長に倣って伴侶の不手際を詫びた。 余談ながら――クンダリーニがニッコウの、ジーヴァがシンカイの伴侶である。 「謝罪会見の真似事なんか覇天組(ボクら)には似合わないっしょ? 誤認なんか問題にならないくらいド汚いコトも日常的にやってんだしィ〜。 上っ面だけの自己満足はとっとと打ち切って、時間を有効に使おうじゃん――ね?」 頭を垂れることで謝罪の意を表す三人を鼻先で笑ったのは、 ルドラやイザヤと同じ褐色の肌と銀の髪を持つ青年、ジャガンナートであった。 彼は覇天組に於いて軍師と言う大役を担っている。 喋る言葉のひとつひとつが的確に他者の神経を逆撫でする人間(タイプ)だが、 その頭脳は間違いなく覇天組の財産なのだ。 果たして、局長による召集の理由が誤認逮捕に至った経緯の説明ではないと、 軍師(かれ)の頭脳は分析したようである。 「誤認逮捕の謝罪なり補償なりを話し合うんなら、 せいぜい、局長、副長、総長の三役が顰めっ面を突き合わせるくらいだ。 『助勤(じょきん)』まで呼び出す理由はない――そうだろ、ナタク?」 「む……」 『助勤』とは幹部を指し示す覇天組独自の用語(ことば)である。 三役の下――正確には軍事を総括する副長の下だ――には戦頭と言う小隊長が配置されているのだが、 それ以外にも覇天組結成以来の古参隊士は幹部級として扱われ、 この階級の面々には『助勤』なる呼称が与えられていた。 さりとて、同志的結合に基づく覇天組は階級の上下による待遇の優劣など皆無である。 当然ながら特権らしい特権もなく、何事にも無遠慮なホフリは「名ばかり管理職」と自ら称していた。 それでいて、隊の行く末を左右する重大な会議には原則的に参加するよう取り決められている。 即ち、助勤以上の人間が評定場へ立ち入る資格を有していると言うわけだ。 局長の秘書官として機能している公用方や、監察方と勘定方の頭取たちも助勤と同等の階級に在る。 「ヌボコたちが引っ張ろうとしたのは、ただの子どもとその保護者≠ネのかい? ……それとも、ボクらにまで正体を隠さなきゃならないような相手だったのかい?」 「先読みするのは構わねぇが、これから話を続けようとしてた人間を捕まえて、 秘密主義者みてェに言うなっての――」 単純な誤認逮捕では済まないと言うジャガンナートの予測に首肯するナタクだが、 論調の一部は口頭にて否定した。 「――みんな、モルガン・シュペルシュタインの話はまだ憶えてるか?」 「ついこの間の話だろ。確かめるまでもねぇだろうが。 ……大体、忘れたくても忘れられるワケがねーじゃねぇか。覇天組(おれたち)はよ……ッ!」 旗持のアラカネは隊内随一の巨躯を揺するようにして呻いた。 『教皇庁(きょうこうちょう)』、ヨアキム派大司教――モルガン・シュペルシュタイン。 その男の名は覇天組隊士にとって口にするのも忌々しいものだった。 局長を卑劣な罠に陥れ、覇天組を教皇庁の走狗に仕立て上げようとした不倶戴天の敵≠ナある。 幾重にもナタクを追い詰め、その心に浅からぬ傷を刻み込んでいた。 局長のもとに集った隊士たちから見れば、幾ら憎悪しても足りない相手であり、 ラーフラに至っては、モルガンの顔写真をダーツのボードに貼り付けていた程である。 眉間や眼球に矢が突き刺されば高得点と言う陰険な遊戯(ゲーム)であった。 そのような男の話をナタクは想い出せと言う。呻き声が上がるのも無理からぬ話であろう。 「その子どもたちが『在野の軍師』の一党(おなかま)ってコトかしら?」 聞くに堪えない呻きで包まれる評定場に在って、鋭く声を張ったのはイザヤである。 誤認逮捕で遭遇した少年たちと、モルガン・シュペルシュタインの話―― ジャガンナートに勝るとも劣らない頭脳の持ち主は、 断片的な手掛かりからひとつの推論にまで行き着いたようだ。 覇天組の軍師も彼女の言葉には首肯でもって同意を示している。 * 「――なるほど、異世界からお客さんがお見えになったと言うことですか」 「奇妙」と冠する偶然か、起こり得るべくして起こった必然なのか―― 覇天組の屯所とは別の場所に於いても、イザヤやジャガンナートと同じ推論を口にする者が在った。 それも、殆ど同時刻に、だ。 双方が全くの無関係であったなら、前者の「偶然」と表すべきであろう――が、 件の発言者は覇天組から寄せられた手掛かりにも接しており、 そこから考察を進め、意見の一致に至ったことは、やはり「必然」と言うほうが正しかろう。 異世界間を行き来する転送装置をギルガメシュが開発した可能性も発言者は把握している。 その装置を奪ってこちら側≠ヨの突入を図った一党の存在も同様である。 「異世界からお客さん」と言う喩えは、まさに正鵠を射る表現(もの)であったわけだ。 「あんまりにも途方のない話なので、自分で言ってて全然実感が湧きませんけどね――」 発言者の声質(こえ)はイザヤと比して相当に若く、瑞々しい張りを保っている。 イザヤのように煙草(けむり)で喉を焼いてはおらず、 ましてや、世の中の事物を無価値と断じるような響きも宿していない。 実際、その発言者はセーラー服に身を包んでいるのだ。 丸メガネの向こうに覗く双眸は知性を湛えているものの、 大部分に幼さを残した顔立ちは少女≠ニ呼ぶに相応しい。 発言者は紛(まご)うことなき女子高生であった。 胸元のリボンが目を引くセーラー服も袖を通したばかり――と言った齢であろう。 腰の辺りまで伸ばした長い髪は紐で結わえたりせず、自然な状態で流している。 その少女が在る場所も、小難しい議論にはそぐわないように思える。 それどころか、周りの人々から「無粋」、「場違い」などと言われてしまう可能性のほうが高い。 件の発言者と似たような出で立ちの男女が飲食を共にする賑々しい場所――いわゆる、学食≠ナあった。 自動販売機にて購入しておいたチケットと食事を配膳係に引き換えて貰い、 室内に並べられたテーブルへと着くわけだ。 食堂は百人以上の人間を一度に収容し得るほど広い。 それでもキャパシティの限界にまで近付きつつあるようだ。 一階席は明るい窓際が特に賑やかで、吹き抜け式の二階席も喧しいくらいの談笑で包まれていた。 丸メガネの少女が陣取ったのは二階席の隅である。 壁際のソファに腰を下ろし、推論(はなし)の合間の息継ぎとばかりにミルクへ口を付けている。 銀のコップに淹れてある為、その味わいは心にまで染み入ることだろう。 「そこは覇天組(アタシたち)も一緒かな。……『アカデミー』が絡んでるみたいだから、 これから先もビックリでドッキリな展開が続きそうでちょっと怖いよ」 エッグベネディクトへフォークを入れつつ相槌を打ったのは、彼女の真向かいに腰掛ける女性だ。 一口に「真向かい」と言っても、そこにはふたりの女性が座っている。 話の続きもそこそこに厚切りのベーコンへ釘付けとなっているのは、 丸メガネの少女から見て右正面の相手と言うことになる。 やや茶色がかった長い黒髪を襟足の辺りでふたつに結わえた女性だ。 髪を纏める桜色のリボンは、活力に満ちた明るい顔立ちとこれ以上ないくらい調和している。 平素はともかくとして、この瞬間に於ける「活力」は「旺盛な食欲」とも言い換えられるようだ。 落とし卵の匂いに魅了されたのか、今にも舌なめずりしそうな勢いである。 エッグベネディクトを平らげない内は、最早、まともな会話は望めそうにない。 そのように周囲の人間へ思わせるほど前のめりになってしまっているのだ。 同行者と思しき――昼食にばかり気を取られないよう相方を窘めてもいる――左正面の女性は、 褐色の肌に銀の短髪であった。「短髪」と言っても、長さとしてはミディアム・ショートに近い。 こちらはローストチキンやアボガドを挟んだクラブハウスサンドを注文したのだが、 一切れも手を付けておらず、それどころか、皿に視線を落とすこともない。 彼女の場合、食欲は二の次のようである。腕組みしたまま丸メガネの少女の推論に聞き入り、 時折、思い出したようにミルクで喉を潤していた。 両名とも学生服姿である。差し向かいの少女とはデザインが異なるものの、 女子高生のアイコンとも言うべきセーラー服に身を包んでいた。 これもまた独特の構造であった。後ろ半分が燕尾状に伸びており、 シルエットも定番の物と比してハーフジャケットに近い。 スカートは腰回りの部分にコルセットのような形状を採用している。 これをサスペンダーで肩から吊っているのだ。 上下ともに学生服としては非常に凝ったデザインと言えよう。 上着の襟とスカートは夜の彩(いろ)である。そこに走る赤いラインは流れ星の如く鮮やかだ。 着衣と合わせて一揃いであろうニーソックスは伸縮性に富んだラバー製だった。 「ドッキリさせられそう――はこっちの台詞よ。マフィンだけじゃなくタイまでソースで味付けする気?」 「……アーさん、アタシ、そんな子どもじゃないんだから……」 「じゃあ、手鏡(コンパクト)を貸して。それで、今のシーさんを映してあげよう。 人間、ここまで前のめりになれるものかと驚くんじゃないかな」 銀髪の女性――アーさんと呼ばれた側である――が相方の脇腹を肘で小突いた。 小突かれたのはシーさんと呼ばれた側だ。桜色のリボンで髪を束ねた側とも言い換えられる。 半熟状態から崩れた黄身でマフィンはドレスアップしており、 彼女はそこから立ち上るチーズの香りへすっかり夢中になっているようだ。 食事を摂る際に山吹色のスカーフを汚してしまわないか、隣に座った相棒は気が気ではないらしい。 「山吹色のスカーフなんですから、ソースが着いちゃってもあんまり目立たないと思いますよ? 黄身の色がグラデーションになって、逆に綺麗になるんじゃないかと」 「おぉっ! さっすが〜! グッドアイディアだよ、それ! シミなんか怖くないねっ!」 「カレーうどんを使って白いワンピースに水玉模様を作っていますから! 毎回! 染物ならえっへんです!」 「……すまないんだが、ふたりの会話が超時空過ぎて、ちょっとツッコミが追いつかない……」 青春を謳歌する少女に似合いの制服であり、昼時の学食≠ノはありふれた風景だ――が、 丸メガネの少女と相対したふたりは、「学生」と呼びかけるのに最も適切な齢を 少し≠ホかり過ぎているように思える。 勿論、若いことに変わりはない。それでも、「青春」の二字が馴染むような幼さ≠ゥらは 既に抜け出しているのである。 それもその筈で、両名とも歴(れっき)とした覇天組の幹部隊士なのだ。 エッグベネディクトを前にして食欲を抑え切れないほうがシャラ、 クラブハウスサンドが冷めてしまっても気にしないほうがアプサラスである。 前者は覇天組局長の秘書官に当たる『公用方』を、後者は監察方の頭取をそれぞれ務めていた。 当然ながら教育機関は少し前≠ノ卒業済みだ。 学食≠ノ集まった顔ぶれをよくよく確かめてみると、学生服と実年齢の合致しない人間が多い。 中には皺くちゃの面で詰襟の学ランを纏っている者もいる。鼻の上に乗せているのは老眼鏡だった。 珍妙としか表しようのない場景からは、ここ≠ェありふれた学舎でないことが察せられるだろう。 陽之元で暮らす者以外は、この場所こそが国政の中枢だと説明されても戸惑う筈である。 国内外へ公式に発表し、国防上の問題に障らない範囲で施設を開放していても、だ。 来訪した外交官の中にも、実際に建物へ足を踏み入れるまでは半信半疑だったと苦笑いする者は多い。 シャラとアプサラスの正面に座した少女は、つまり、政府関係者と言うことになる。 陽之元の内情に疎い人間は、彼女に附された「国政に欠かせない要人」との説明を 悪い冗談だと思うに違いない。 しかし、現実として彼女は覇天組の幹部とランチミーティングを設けているのだ。 それも、極めて重大な内容を論じ合っている。あるいは陽之元の国政をも左右し兼ねない議題を、だ。 幼さを残した丸メガネの女子高生は、国家元首の首席補佐官と言うポストに在り、 その役目を完璧に遂行している。 世俗に塗れた呼び方をするならば、スーパー女子高生≠ニ言うことになるのだろう。 優れた能力と高潔な人格の持ち主ならば、例え若年であろうとも存分に働くことの出来る陽之元の国家中枢は、 便宜上、『学校』と呼称されていた。 嘗て陽之元にて渦巻いた内戦、『北東落日の大乱』――その最激戦地に在って原形を留めていたことから 国家再起動の象徴に選ばれたのがハイスクールの校舎であり、それに由来して『学校』と呼ばれているわけだ。 国政の仕組みも『学校』へ起因するものが多い。 シャラとアプサラス――少し前≠ノ教育機関を卒業した人間を指している――が セーラー服に身を包んでいることも、実はその一環であった。 政府関係者が建物内へ立ち入る場合、年齢に関わらず、学生服を着用することが義務付けられているのである。 覇天組局長のナタクが『学校』を訪問する際には、菱形の徽章を襟に付けた学ランを着込んでいる。 『学校』にちなんだ仕組みのあらましを明かすことは後の機会に譲るとして―― シャラとアプサラスのふたりは、覇天組局長の名代と言う立場で首席補佐官たる少女と会合を持ったのだ。 最初の内は「如何に教皇庁と相対していくか」について話し合っていた。 Aのエンディニオンに於いて女神信仰を司る教皇庁は、長らくギルガメシュとの抗争を続けている。 そして、彼(か)のテロ組織を壊滅させる手段に覇天組を選んだのだった。 最凶≠フ武闘集団と名高い覇天組を、だ。 長い内戦の影響で世界から孤立しかけていた陽之元を国際社会へ呼び戻すと言う口実を作り、 ナタクたちにギルガメシュ掃討への参加を要請したのである。 こうした経緯があり、覇天組は海を渡ってまでギルガメシュを追跡していた。 言わずもがな、本来の覇天組は陽之元国内にて活動する武装警察だ。 「教皇庁の犬」などと心ない陰口を叩く人間も現れ始める。 それは覇天組にとって最も堪える痛罵であるが、祖国の地位を国際社会へ認めさせるには、 不毛と解っていながらも黙って遠征を繰り返すしかなかった。 そのような折に、教皇庁は局長のナタクへ信じ難い事案を持ち掛けてきたのである。 これを如何にして切り抜けるか――覇天組のみならず、国家の中枢を担う面々も揃って頭を悩ましていた。 教皇庁にて大司教の立場に在るモルガン・シュペルシュタインは、 いずれ異世界との間に戦争が勃発するとナタクに明かしたのだ。 この場合の「異世界」とは、頻発する神隠し現象に遭遇して地上から姿を消してしまった人々が 行き着く先とされる土地である。 その地に在っては、こちら≠ナ受けられたような保障など適用されない。 そうした同胞たちをギルガメシュは『難民』と認定し、その救済を第一義に掲げて武装蜂起したのだった。 異世界との戦争については、丸メガネの少女は陽之元正規軍の教頭からも報告を受けている。 件の話をナタクと共にモルガンから聞かされたのが、その男なのである。 バーヴァナと言う名を持つ正規軍教頭は、まさしく陽之元の国政を支える一角であり、 軍事面に於いても特別補佐官の立場から首脳陣に意見を具申している。 同等の権限は覇天組局長のナタクにも与えられていた。 他国との戦争状態、あるいはテロリストによって深刻な事態に陥った場合、 ナタクとバーヴァナは揃って帷幕の内側へと召集されるだろう。 「異世界は仮想敵」とするモルガンの言動は、例え差し迫った状況でなくとも、 慎重に議論を重ねるべき内容であった。そう判断せざるを得なかった。 覇天組は――否、陽之元は教皇庁によって未知なる戦争に巻き込まれようとしているのだ。 国政の要である首席補佐官の立場として、又、過酷な内戦を経験した人間として、 丸メガネの女子高生は悩ましげな溜め息を吐いていた。 『学校』は国を担う能力と資格を有する者は誰でも受け入れる――が、 彼女が首席補佐官と言う要職に就いた理由は、ただそれだけではない。 覇天組と肩を並べて『北東落日の大乱』を戦い抜いたからである。 彼女が仲間たちと共に旧権力へ挑んだのは、内戦の末期であった。 陽之元の人間は生まれついて『プラーナ』と呼ばれる異能(ちから)をその身に宿している。 彼女たちに備わったモノは群を抜いて強力であり、参戦するや否や、たちまち旧権力の脅威となった。 だが、優れたプラーナ以上に反乱軍を喜ばせたのは、彼女たちの若さ≠ナあった。 時代と言うものは、常に先≠ヨと向かうものである。 そして、その先≠担うのは、いつだって若い力なのだ。 旧権力の食い物にされてきた祖国(くに)を変えようと、若い力と意志が決起した―― そのことで反乱軍の将兵は大いに奮い立ったのである。 所詮、旧(ふる)い権威にしがみ付くしかない憐れな者どもとは違う。 次≠フ時代を担う者は、自分たちの側に微笑んでくれたのだ、と。 旧権力と戦い続けてきた覇天組も彼女たちの可能性に賭け、 反乱軍の――否、新時代の旗頭に据えたのだった。 旧権力との戦乱の果てに、覇天組は政敵の族滅≠ニ言う手段を採った。 そこまでの荒療治を施さなくては祖国(くに)を変えることは出来なかったと、 丸メガネの女子高生も理解している。 鉄血を以って購わなくてはならない、産みの苦しみと言うものである。 あるいは、革命の代償とも言い換えられよう。 首席補佐官たる少女の溜め息が途切れることはなかった。 普段はこのように思い詰める性格ではなく、もっと気楽に構えているのだが、 今だけは溜め息を止められない。 教皇庁に操られるまま異世界との戦争などに突入すれば、先の内乱と同様の悲劇が繰り返されることだろう。 しかも、今度は何も得るものがない戦いなのだ。 だからこそ、皆が懊悩している。 教皇庁との繋がりを今後も保っていくことが、陽之元の未来にとって最善の選択なのか。 明答(こたえ)を示す者は何処にもいなかった。 このように難しい時期であるからこそ、ギルガメシュ掃討と言う名目で教皇庁に駆り出されている覇天組は、 陽之元全体の態度を映しているものと見做されてしまうわけだ。 出口のない迷路を三人して彷徨っている最中にシャラのモバイルへナタクから電話連絡が入り、 ここで初めてヌボコたちによる誤認逮捕が報(しら)された。 当然ながら首席補佐官にもその場で委細が伝えられた。 それが為に議論の内容も誤認逮捕(そちら)へ引き摺られたと言う次第である。 異世界との戦争について論じ合っている最中に、 仮想敵と目されたもうひとつのエンディニオン≠ゥらお客さん≠ェやって来たのだ。 注目が集まるのは必然と言えよう。 「今のところ、覇天組(アタシたち)が異世界の人たちと接触したことに教皇庁は気付いてないみたい。 ……それだけに局長は次の一手を慎重に考えてるんだよ」 「あー、ナタクさんの眉間にまた皺が増えちゃいますね。 ヤですよ? 一週間会わなかっただけで長老キャラになっちゃってたーってオチ」 「ホントにありそうだから困るよ……」 丸メガネの少女が紡いだ諧謔(ユーモア)にシャラは引き攣った笑みを浮かべた。 野性味に溢れているように見えて、ナタクの生真面目は筋金入りである。 責任感の強さが苦悩を一等深め、これによって老いまで加速してしまうのだ。 ここ最近は指摘された皺ばかりでなく白髪の量まで増えているように思える。 普段からナタクと反りの合わないアプサラスは、困り顔のシャラを横目で見やりつつ、 「長生き出来ないタイプと言うことは分かりきっている。ぽっくり逝っても自業自得だな。 次期局長も内定済みだからノープロブレム」と際どい冗談を漏らしている。 「みかげちゃんはどう思う? しらばっくれたまま、そのコたちを陽之元で保護しちゃうか、 教皇庁に連絡を入れて引き渡すのかって、屯所ではそのことを話し合っているんだよね」 「……どう転ぶにしても、今ここで判断することは出来ませんよ。 選択次第では教皇庁と完全な手切れになってしまいますからね」 「私はそれでも構わん。大義名分で陽之元の体面(かお)が立つのなら、『聖地』に乗り込んでもいい」 「アプサラスさんは相変わらずの教皇庁嫌いですね」 「ヤツらに好意的な人間がエンディニオンにどれだけいるのか、計ってみたいものだな。 みかげだって気に食わんだろう?」 「利用出来る内は利用しておきたい――って言うのが本音ですけどね、あたしの場合」 「おっ、みかげちゃん、仕事モード入ったねぇ!」 「なんですか、それ〜。あたしはいつでもバリキャリの仕事モードですよー」 「仕事モードの人間が、どうして匂いのキツいカレーを頼んでくるのよ。 ランチはランチだけど、この三文字の後にはミーティングが続くのよ? 話し合いの場にカレーって……」 「だって、ミルクに一番合うじゃないですか」 「アーさん、ご飯は楽しく美味しく食べるのがマナーだよ。 好きでもないメニューを選んだって、お喋りは弾まないでしょ?」 「……ホント、もーイヤ……」 丸メガネの少女――みかげは、頭を抱えているアプサラスにも食事を進めるよう促し、 自身もカレーライスを頬張った。 その流れの中で、みかげはシャラの言葉を反芻していく。 教皇庁に通報しないまま異世界からのお客さん≠陽之元で匿ってしまうことは、 露見した場合のリスクは高いものの、決して悪い策(て)ではない。 「ヌボコ君たちが接触したのは、ギルガメシュの別働隊を叩こうとしている人たち―― それは絶対に間違いありませんね?」 「うん、ばっちり確認済みだよ。バブ・エルズポイントって言う基地から転送装置を使ったみたい。 ……局長経由でしか聞いていないんだけど、そのコたちは『トリスアギオン』のコトも知ってたよ。 今のところ、これが一番説得力高いかな」 シャラが口にした『トリスアギオン』とは、福音堂塔なる別称も持つギルガメシュの最終兵器だ。 覇天組もギルガメシュの拠点を叩いた際に『トリスアギオン』の情報を掴んでおり、 完成だけは阻止すべきであると警戒を強めていたところだった。 「向こう側≠フ事情にも詳しいと、そう考えて構わないみたいですね」 ヌボコたちの接触した相手を異世界からのお客さん≠ニ改めて認識したみかげは、 陽之元が採るべき選択肢について思料を進めていく。 「神隠し≠ェいずれ私たちの身にも降りかかるとしたら、 ……彼らの持っている情報は掛け替えのない財産になる。 如何に教皇庁と雖も、仮想敵≠ニは直接はコンタクトを取れていない筈だから、な」 みかげの意図に気付いたアプサラスが首肯を以って応じる。 教皇庁を出し抜いておくことは、陽之元の今後にとって大きな利点となり得る。 ただでさえ捨て駒同然の扱いを受けているのだ。先んじて入手した異世界の情報を交渉材料として提示し、 これを以って互いの立場を逆転させられるかも知れない。 それに、だ。謀略に長けたモルガン大司教へ身柄を引き渡せば、 どのように悪用されるか、分かったものではない。 ヌボコたちが接触した異世界人は大半が少年であるが、 モルガンは人道に反する振る舞いまで平然とやってのけるだろう。 彼は――否、教皇庁は「創造女神の名」と言う免罪符を切ることが出来るのだ。 いずれにせよ、年端の行かない少年たちが異世界との戦争に利用されるのは間違いなかろう。 勿論、教皇庁に対する利点を生かせなくては何の意味もない。 ただ身柄を確保するのみでは宝の持ち腐れも同じなのだ。 陽之元で匿うだけの価値が本当にあるのか、慎重に判断しなくてはならなかった。 「ほむ――公方様≠ノは時間が出来次第、すぐに報告します。最終的な結論はそれからと言うことで。 現在(いま)はテレビ会議に入っていますが、小一時間もすれば終わるでしょう。 公方様の判断が出るまでの間、一時的に覇天組で身柄を預かってください」 「堅苦しい言い方せず、ほむらちゃんってフツーに呼んだらいいのに。 クボーサマ≠チてさぁ、ほむらちゃんもイヤがってなかった?」 「そ、それはそうなんですけど、あたしにもほむ――公方様にも立場と言うものがありますから」 立場と言うものを論じながら、重大な話し合いの場にカレーライスを持ち込むのは矛盾していないかと、 アプサラスは苦笑を浮かべた。香辛料の匂いには先程から幾度も鼻腔をくすぐられ、気になって仕方ない。 「長い付き合いだろう? 私たちの前で畏まらなくてもいい。 余計な気を回していると、ウチのバカ局長みたいになるぞ」 「そ、それだけは堪忍してください! あたし、まだおばあちゃんじゃありませんよっ!」 「……アーさんもみかげちゃんも、ナッくんに厳し過ぎ」 みかげが口にした『公方(くぼう)』とは、陽之元の国家元首に対する正式な呼称である。 他国で言うところの『大統領』に該当する役職であった。 「――それにしても、やっぱりピンと来ません。仮想敵≠ノ設定してシミュレーションするのはともかく、 教皇庁は本気で異世界を相手に戦うことを考えているんでしょうか。 バーヴァナさんから伺った話だとシュペルシュタイン大司教の思考回路は、 カレーに青汁混ぜてグリーンカレーって言い張るくらいブッ飛んでる気がするんですけど」 「先見の明か、病的な心配性なのかはともかく、ヤツが本気なのは私が保証する」 カレーを引き合いに出した良く分からない例えは聞き流し、主旨たる部分にのみアプサラスは強く頷いた。 覇天組隊士の一員として、陽之元正規軍教頭と共に大司教主催の晩餐会に招かれたアプサラスは、 その場にて「異世界との戦争を仮定している」と、モルガンの口から聞かされている。 これを論じるモルガンに対しては、アプサラスは狂気じみた気配を感じていた。 その場に居合わせたヌボコは、モルガンの話を受けて「エンディニオンが滅びる」と口走った。 世に言う『ディアスポラ』のような事態に陥ると、局長の養子は分析したようだ。 国から民が去っていくと、その地の文明はたちまち衰退し、数世代も経ずに滅亡の憂き目に遭う。 これは長い歴史の中で幾度も繰り返されてきたことだ。 文明や社会と言うものは、そこに住む民が在って初めて成り立つのである。 『ディアスポラ』とは祖国から離散する民=Aあるいはその状態を示す用語(ことば)だ。 そして、これを原因として文明が衰える事態が惑星規模で起ころうとしている。 神隠しと呼称される怪現象の拡大は、この世界に住む全ての人々へ離散≠強いるのだ。 生まれ育った惑星――即ち、Aのエンディニオンから全ての人々が離散≠ウせられたなら、 それはまさしく「世界の滅亡」にも等しい。 大司教は創造女神の信仰を守る立場に在る。そして、「世界の滅亡」を避けることは信仰の遵守にも通じる。 イシュタルへの誓いを貫く為ならば、モルガンは幾らでも免罪符を切るだろう。 異世界の土地を間借りするのではなく自分たちの文明で塗り潰してしまえば、 広い意味では「生まれ育ったエンディニオン」を保つことが出来る。 それこそモルガンの語る「異世界との戦争」の本質であった。 「あくまでも仮定」と彼は繰り返していたが、単なる心配性≠ナあれば覇天組を抱え込もうとはしない筈だ。 ギルガメシュ討伐後は、もうひとつのエンディニオン≠圧倒する為の駒に使うと言うことである。 「モルガン・シュペルシュタインの顔は教皇庁のホームページでチェックしたよ」 「シャラさん好みのハンサムですよね。何度かニュースや新聞で見ましたよ」 「それにとっても若いの。対抗馬≠ヘお年寄りばかりなのにね。 ……それで大司教まで出世したんだから、政治感覚≠ェずば抜けて鋭いんじゃないかな。 想像だけど、きっとチェスの腕前も世界レベルだよ」 「駒の種類や動かし方は熟知していても、斬り合いの血で汚れる騎士は想像出来ないタイプ……ですか?」 「ハンサムだけど、あれは映画も観ないガリ勉の顔だったよ」 「ファンタジー映画は観なくても、聖騎士を導く立場と言うことは忘れちゃいけないと思いますけどね」 雑談から本題へと会話の流れが戻ったとき、アプサラスのモバイルが振動し始めた。 一瞬で止んだことから電子メールの着信を報せる合図だと察せられる。 ポケットからモバイルを取り出し、液晶画面を確かめたアプサラスは、 そこに表示された送り主の名前に「可愛いコトをしてくれる」と相好を崩した。 これを受けてシャラが「あれは、きっと、ヌボコ君からのメールだよ」とみかげに解説する。 監察方の頭取を務めるアプサラスは、ヌボコにとって師匠に当たるのだ。 忍術を極めた彼女は密偵として必要な技術の全てをヌボコに仕込んでいた。 愛弟子である。そのヌボコが養父(ナタク)を経由せずに電子メールを送ってくれたのが嬉しかったらしい。 「時々、アーさんからアブないニオイを感じるんだよねぇ。 修行と称して、な〜んかイケないこと、教えちゃったりしてないかなぁ」 「未成年の前でセクハラ発言するのは感心しませんよ」 「だってさー、アレはさー、……ねぇ?」 「辛口カレーみたいに刺激的なほうが気持ちは盛り上がるって聞きますけど、 アプサラスさんも、『禁断の恋』って言うスパイスでやられちゃった――とか?」 「……想像したくない過ちが起きたとき、私はどっちを弁護したらいいと思う?」 「え〜、あたし、どちらかと言うとアプサラスさんを応援したいなぁ。 ステキじゃないですか、イケナイ関係から燃え上がる年の差カップルなんて」 「忘れてるみたいだけど、ヌボコ君にはもう許婚いるんだよ?」 「あっ、そうか――じゃあ、昼メロ展開待ったナシですねっ!」 「……ちょっと面白いかもって思っちゃって、ごめんね、ヌボコ君……」 相棒がメールを熟読している間にシャラは自分の分のミルクを飲み干した。 アプサラスは「ご満悦」を絵に描いたような表情(かお)である。 モバイルの液晶画面をシャラとみかげへ順繰りに翳し、電子メールに添付されていた写真を見せびらかせていく。 そこには能天気にピースサインを作る三人の少年が映し出されていた。 画面の一番奥で呆れ顔を作っているヌボコが、同行者の誰かによる撮影と言うことを示している。 まるで記念撮影のような趣だが、彼らの置かれた状況まで思考を巡らせれば、 微笑ましい一幕とはとても思えない。 誤認逮捕ではあるものの、彼らは事実として武装警察に身柄を拘束されたのだ。 少年のひとりがヌボコと旧知であったとしても、極度に緊迫した境遇と言うことに変わりはない筈である。 それにも関わらず、愉快そうに笑顔を弾けさせるとは、 好意的に表すならば、これほど肝の据わった少年たちは他にいないだろう。 「――あれ? 保護者の方がひとり随いてるんじゃありませんでしたっけ?」 「寧ろ、子どもと写っていなくて良かったと言うべきだな。一緒に浮かれてたら保護者失格だ」 「おぉ〜、この空色の髪のコ、将来有望っぽいね。もう二年もしたらワクワクしちゃうかも?」 「シャラさんもアプサラスさんのこと、言えない気がしますよ。 いつか、あたしも証言台に立たされるんでしょうか。法律の勉強しとかなくちゃ!」 「ひどッ!? アタシ、アーさんみたいに鼻血垂らしたコトはないよっ!?」 「シーさんは名誉毀損で訴えられるのが先だな。屯所に帰ったら訴状を用意しよう」 学食≠フ雰囲気が俄かに変調したのは、三人してモバイルの液晶画面を覗き込んでいる最中だ。 だからこそ、最初は首席補佐官ですら変化に気付けなかった。 笑い声に溢れていた学食≠ヘ静まり、代わりに椅子を引く物音が幾つも続く。 そこでようやく何が起きたのかをみかげは察し、 「ほむ――」と言う珍妙な呟きを引き摺りつつ大慌てで立ち上がった。 シャラとアプサラスは、みかげに背を向ける状態だった為、二階席の誰よりも反応が遅れてしまった。 みかげの行動に釣られて背後を振り返らなければ、あるいは起立さえ出来なかったかも知れない。 愛弟子の電子メールへ夢中になっているアプサラスであれば、本当に失念した可能性もある。 三人の視線が交わった先には、セーラー服姿の少女が立っていた。 みかげと同い年であろう。面持ちは太陽のように明るく、八重歯が愛らしい。 傍らには幾人かの女子高生を伴っているが、彼女たちもまた政府の要人である。 その要人を従え、周りの人々を即座に起立させると言うことは、 『学校』に於いて――否、陽之元に於いて相応のポストに在ると言う何よりの証左であろう。 起立を以って出迎えることは最大限の敬意だが、応じる当人にとっては一等窮屈なのだろう。 卵白のオムレツとミルクを載せたプラスチック製の盆(トレー)を左手で支えつつ、 右手でもって着席を促した。 「おーっす、みんなとゴハンしたかったから、ちょちょいっと捲いてきたよ〜」 「――あんたが大将っ!」 客を呼び込む魚屋の店主(あるじ)のように左手を挙げたシャラは、次いで素っ頓狂な声を掛ける。 相応のポスト≠ノ就いている相手への接し方としては余りにも珍妙だが、 これが正式な呼びかけなのだから仕方ない。 陽之元の国家元首は――新時代の旗頭となった少女は、『公方』の異称として『大将』とも呼ばれている。 「みかげちゃん、カレーか〜。それも捨て難いなぁ。カレー食べたくてお腹空いてきたよ」 「大丈夫よ、ほむらちゃん! あたしのを分けてあげるから! 『あ〜ん』してあげる!」 「立場≠ヘどうしたんだ、立場は……」 「まぁまぁ、アーさん」 胸元を飾る黄色いリボンを揺らしながら朗らかに笑った少女の名は、ほむら。 『北東落日の大乱』と言う内戦を終え、輝かしい新時代を向かえ、 今、再び分かれ道に差し掛かりつつある陽之元の若きリーダーであった。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |