2.Laminar Diffusion Flame 「想い出の場面や風景がパネル状になって表示される? それが時空の彼方に流れていき、次は光の奔流に飲み込まれて? そして、気付いたときには異世界――か。まるで作り込まれたSF映画だな。 ……誰か、その光景をモバイルのカメラで撮っておらんのか? 動画などと贅沢は言わんが、写真くらいならどうだ?」 微かな当惑と深い感嘆を綯い交ぜにしたような溜め息は、或る少年の口から滑り落ちたものである。 「神秘」の二字が具現化したような、浮世離れした佇まいの少年だ。 年齢は十を少し過ぎた頃であろうが、物憂げな眼差しによって大人びた雰囲気を醸し出している。 肌色は橙だが、霧の衣を纏ったようにやや白く、そのことが幻想的な際立たせているのだ。 髪の色は特に不可思議である。生まれつきの銀髪にわざわざ金の染料を重ね、 白金(プラチナ)の輝きを人為的に作り出していた。 その少年こそが覇天組局長の養子であり、監察方の新星として期待される隊士――ヌボコである。 さりながら、現在(いま)は漆黒のプロテクターを脱ぎ、普段着に替えている。 肩口まで大きく開いた真っ白なシャツにブラックジーンズ、 エアクッション付きのバスケットシューズ、車輪を象ったネックレスと言う軽やかな出で立ちだ。 浅葱色の紐で結わえた後ろ髪は、数センチにも満たない長さと言うこともあって 狼の尻尾の如く風に吹かれて舞い踊っている。 何より敏捷性が求められる監察方の所属だけあって細身のシルエットだが、目利き≠ヘ誤魔化せない。 十を過ぎたばかりだと言うのに、生命を遣り取りする戦士の肉体(からだ)であった。 武装警察の隊士なのだから、当然と言えば当然であろう。必須条件と言うことが正しいのかも知れない。 体術と武器術を複合させた小具足術――流派の名は『聖王流(しょうおうりゅう)』だ――なる武芸を 会得しており、これを数多の実戦にて磨いていた。 ナタクは聖王流の宗家である。ヌボコもその武技を徹底的に叩き込まれているわけだ。 『金剛杵』と呼ばれる種類の武器を握らせれば、幹部隊士が相手でも決して引けを取らない。 養父はルール無用の喧嘩殺法にも手馴れているのだが、 ヌボコ自身も小具足術の本道よりそちらのほうが得意である。 ありとあらゆる状況に対応し得る『武芸百般』の理想を巧みに操り、その上で応用力にも富んでいる。 この齢にして早くも戦士としての才能が花開いたと言うわけだ。 そうでなくては覇天組の少年隊士など勤まらないのかも知れない。 赤熱する鉄板の上であろうとも平然と歩いて渡れる精神の鍛錬も十分に受けていた――が、 それでも純粋な欲求からやって来る知的好奇心には抗えない様子だった。 だからこそ、この世の物とは思えない体験談に昂ぶってしまうわけだ。 人智を超えた光景を誰も撮影していないと分かった瞬間など、 脱臼し兼ねない勢いで肩を落としたのである。 同道していた少年のひとりが堪えきれずに笑気を噴き出したあたり、 怜悧冷徹のように見えて、ヌボコはこのような傾向が強いのだろう。 「貴方は少しも変わりませんね」とまで笑われていた。 子どもじみた――つまりは年齢相応と言うことになるだろう――戯れは、 ヌボコが滞在する或る町の目抜き通りにて繰り広げられたものである。 正確には、覇天組最大の政敵の生き残りを調査している場所と表すべきか。 散歩に伴っているのは、件の潜伏先にて邂逅した三人の少年である。 皆、年の頃はそれほど変わらない。 「それじゃあ、アレか? この二枚目、昔っからオツムが足りなかったのかよ? オイラも人のコトは言えね〜けど、人違いで手錠(ワッパ)を掛けるのは感心しね〜わな〜。 知り合いの兄ちゃんだったら、『不当逮捕で提訴する』とかなんとか騒ぎ出すところだぜ」 「少しも変わらない」と言う先程の話を受けて、三毛猫模様のバンダナを巻いた少年は、 わざとらしく唇を尖らせて見せた。言わずもがな、鬱憤を表す仕草(ゼスチャー)だ。 目抜き通りを共に歩く三人の少年は、ほんの二時間前にヌボコによって逮捕、拘束されていたのである。 『艮家(こんけ)』――陽之元に巣食っていた旧権力の末裔と間違われた末の珍事であった。 覇天組にとっては、言い逃れも出来ない誤認逮捕である。 この地を根城とする情報屋の話≠裏付け捜査もせずに信じ込んだのが、そもそもの失敗であろう。 件の情報屋曰く、「覇天組の潜伏に気付き、その動向を探っている人間がいる。 ギルガメシュの一味ではなさそうだ。覇天組と聞いて慌てるとしたら、 他には艮家の末裔しか思い当たらない」とのことである。 この段階でヌボコたちの判断力は惑わされた。ここ数日の間に街中で姿を見かけるようなり、 且つ、何かを探っている様子――この断片的な情報から逮捕すべき対象を誤った次第だ。 あってはならない過ちに気付いた後は、謝罪と猛省を以って拘留を解いている。 その後は陽之元の政治中枢からの要請と覇天組本隊の指示を受けて、 彼らの身柄を預かることになった。今度は友好的に、だ。 「おぉー、今のはアル兄ィに似てたな! ジェイソン、お前、物真似の才能あるよ。 ホントに言いそうだもん、賠償請求とかさ。案外、ちっちゃいからね、アル兄ィ」 「オイラ、法律には詳しくねーから相場はわかんね〜んだけど、どのくらいをフッ掛けりゃいいんかな。 ほら、活動資金(カネ)はどーしても必要じゃん?」 「図書館にでも行って調べてみようか。ヴィンセントが話してた万国公法ってのがヒントになったりして」 「マンガ以外の本なんか、表紙を見ただけでも蕁麻疹が出ちまうよ、オイラ。 手っ取り早く保安官(シェリフ)にでも相談してみっか! ……あ、いっけね! オイラたちがとっ捕まったのが、そもそも保安官みたいな連中だったぜ!」 「マジで!? こっちのエンディニオン≠ヘ、法律も何もあったもんじゃないな!」 間もなく、空色の髪の少年も誤認逮捕への批難に加わった。 被害者の発言に対しては如何なる反論も許されず、ただただヌボコは首を頷かせるしかない。 尤も、少年たちには最初からヌボコを追い詰めるつもりなどなかった。 三毛猫模様のバンダナを巻いた小柄な少年は、スポーツ選手が用いるようなビブスにハーフパンツ、 バスケットシューズと言う活発な出で立ちであり、その面には厭らしさの欠片も見られない。 空色の髪の少年も同様である。同い年とは思えないほど硬派なヌボコをからかっただけなのだ――が、 弄ばれた当人は本気になって恐縮していく。 今や、全身から悔恨の念を漂わせていた。この少年の養父も何かにつけて思い悩む性格なのだが、 愚直なほどの真面目さと責任感は、血の繋がりを超えて受け継がれているようだ。 「……幾ら謝っても足りんが、改めて申し訳なかった。償いは幾らでもさせて頂くつもりだ。 俺自身も責任を必ず取らねばならん……」 「お、おいおい、冗談をマジに受け止めんなって! 成り行きはともかくボクらは大助かりだよ」 「そうそう。なにせこっちのエンディニオン≠ノは不案内だからよ、おめ〜らと知り合えて儲けモンさ。 貸し≠作っちまったって思ってるんなら、そりゃおあいこだぜ」 「む……」 「暫くは覇天組とやらでボクらの身柄を預かってくれる≠だろ? 宿ナシは避けられたんだもん。 ジェイソンじゃないけど、儲けモンって感謝しなきゃいけないくらいだよ」 陳謝を重ねるヌボコの肩に掌を置いたふたりの少年は、対の握り拳の親指を立てつつ、 「誤解もなくなったんだし、気にすんな!」と陽気に笑って見せた。 『学校』から身柄を預かるよう指示されるまでに事情聴取と言う名目で尋問も行っていた。 答えにくいことまで根掘り葉掘り質すものだから、少年たちを引率していた強面の男は 最後には憤激を爆発させていた。一時は得物たるドスを振り回して暴れた程である。 そのような仕打ちを受けてなお、誤認逮捕の被害に遭った少年たちは、 何事もなかったように笑いかけてくれるのだ。己の浅慮が堪らなく恥ずかしくなったヌボコは、 もう一度だけ、「……申し訳なかった」と頭を垂れた。 「ここまで縮こまるセシルさん≠熕V鮮で面白いですね。 前にお会いしたときは、もっと偉そうにふんぞり返っていましたから」 「……人聞きの悪いことを言うな、ジャスティン……」 「さて、どうでしょうね?」 三者の間に入って取り成したのは、ヌボコのことを「少しも変わりませんね」と笑った少年である。 ボブカット気味に切り揃えたローズグレーの髪が風によって一撫でされると、 乱れた糸の如き有り様が年少らしからぬ艶を生み出すのだ。 身に纏う着流しも、そうした艶を引き立てている。 貝殻模様が散りばめられた象牙色の長衣に灰色の角帯を締め、全体の彩(いろ)を格調高く引き締めている。 着流し姿の少年――ジャスティンこそが、ヌボコの旧友≠セったのである。 陽之元を活動の主軸に据えている覇天組であるが、ギルガメシュ討伐の経緯からも察せられる通り、 必要ならば国外にも出張っていく。密偵の任務を受け持つ監察方はその尖兵(さきがけ)であった。 ジャスティンがヌボコと知り合ったのは、彼がフィガス・テクナーに潜伏していた頃である。 出会いこそ偶然であったが、親しくなるのに時間は要さず、 ヌボコがフィガス・テクナーに滞在している間、彼の調査を手伝ったのだ。 その任務の折に使用された『セシル』と言う偽名で、ジャスティンはヌボコに話しかけている。 「なんだかセシルたちの関係も不思議だよなぁ。任務を手伝って貰うくらい仲良くなったのに、 メルアドも交換せず別れちゃったんだろ? 秘密部隊でもないなら連絡先くらい教えたら良かったじゃん」 「謎の情報員でも気取りたかったんじゃないですか? 私には良い迷惑でしたよ。 セシルさんがフィガス・テクナーで注文した古書、ずっと預かっているんですよ」 「ダチは大切にしなくちゃダメだぜ、セシルぅ? 連絡先のコト、ちくちく言ってたシェインはな、 事情があって会えなくなった親友の夢を毎晩見ちまうんだぜぇ。そんな風になったら、超恥ずかしーだろ?」 「なんでそこでラドの話になるんだよ! べ、別に夢なんか見てないよッ!」 「あれ、私の記憶違いでしょうか。寝言か夜泣きかは分かりませんでしたが、 シェインさんの口からその人の名前が漏れていたような……」 「ンなッ!? ジャスティンまで何言って……ッ!」 「――あ、『ラド』っつーのは、オイラとシェインの親友(マブダチ)な。 いつかセシルにも紹介するよ。ジャスティンもまだラドには会ってね〜し」 「楽しみですね、セシルさん」 「……俺の名前はヌボコなんだが……」 少年たちに伝播していくのは時間の問題だった。今では誰もヌボコのことを本名では呼んでおらず、 このまま『セシル』で定着してしまいそうな勢いである。 空色の髪の少年と三毛猫模様のバンダナを巻いた少年――つまり、シェインとジェイソンは 一種の愛称として馴染んだ様子だ。 「セシルは、……いや、覇天組もギルガメシュを相手にずっと戦ってきたんだよな? しかも、武装警察だろ? オイラ、なんだか親近感湧いちゃうよ」 「先刻も少しばかり話を聞かせて貰ったが、お前も俺たちと似たような組織に居(お)ったらしいな。 考えることは同じ≠ニは良く言うが、親近感があることは否定せんよ」 「こっちに覇天組がいるなら、あっちにはスカッド・フリーダムがあるッ! エンディニオンの義≠フ守り手とはオイラのことさ!」 「何言ってんだ、お前。スカッド・フリーダムにいたんじゃギルガメシュと戦えないっつって、 啖呵切って辞めたんだろ」 「シェインよぉ〜、おめーもアタマ固ェぞ〜? 初対面相手にややこしい事情を話してど〜すんだ。 オイラが義の戦士ってコトは変わらないんだからさ! それでイイんだよッ!」 「アル兄ィがいたら、経歴詐称ってツッコまれるぞ〜」 「フィガス・テクナーを訪ねて来られたのも覇天組の任務でしたね」 「ああ。……だから、あの街でもギルガメシュの工作員に襲われた。 市民を装って潜伏するのはテロリストの基本だが、よもや、フィガス・テクナーで遭遇するとはな……」 「んー……同じギルガメシュでも本隊と別働隊は毛色が違うっぽいな。 ボクらが戦ったヤツらは、もっとこう……大軍勢で押し寄せてくる感じだったよ」 「そうそう、セシル――シェインの話は参考になると思うぜ。 こいつ、こう見えてギルガメシュ本隊との合戦にも加わってるからさ!」 「うむ、そこは詳しく聞かせて欲しいと思う。陽之元の屯所に移ったら、 おそらく覇天組(うち)の軍師も交えて話すことになると思うが……」 シェインたちが如何なる決意を秘めて異なるエンディニオン≠ヨ突入してきたのか、 ヌボコは事情聴取を通じて承知している。それが為にフィガス・テクナーに於ける任務の内容も 隠さず明かしているのだ。 ヌボコが『セシル』を名乗ってフィガス・テクナーへ潜入したのは、 ギルガメシュが台頭し始めた頃――即ち、覇天組が教皇庁から討伐の要請を受けた時期である。 件の『唯一世界宣誓』は難民発生の原因として神隠し≠ニ呼ばれる怪現象を挙げていた。 討伐に先んじて神隠し≠フ委細を調査しておくべきとする軍師の意見を容れて、 局長は世界各地に密偵を放ったのだ。 この調査任務には、監察方だけでなく四番戦頭が率いる別働隊も動員されていた。 結局、怪現象の解明よりギルガメシュ討伐を優先せざるを得なくなり、 任務自体が打ち切られたのだが、その際にヌボコがフィガス・テクナーへ派遣されていたことは、 シェインたちにとって何よりの僥倖であろう。 ジャスティンとヌボコが旧知であったればこそ、 覇天組が追跡している艮家とは無関係であると早くに証明出来たのである。 潔白を示し得る手掛かりを持たなければ、尋問は長引き、余計に事態(こと)が拗れていたかも知れない。 「軍師ィ? 異世界にもいんのかよ! アル兄ィみたいのが出てくるんじゃないだろうなァ」 「それはどうでしょうか。あんな人が世界にふたりもいるとは思えませんが……」 「アルの兄キって言えばさ、最近、な〜んかメイとアヤしかったんだよ。 右手首に嵌めたミサンガ、おめーら、気付いたか? あれってメイのお手製なんだぜ」 「マジ!? アル兄ィ、鬼畜じゃん! ……ボク、もう知ーらね〜。どーなっても知ーらね〜」 「……それはもしかして、『在野の軍師』と言う人のことか? 本隊では大注目しとるそうなんだが、会う前からボロクソだな……」 本人の与り知らないところで評判を落としている『在野の軍師』はさておき―― ギルガメシュと戦う同志として互いを認め合うようになった経緯がシェインの脳裏に蘇る。 思い掛けない誤認逮捕と、これに附帯する事情聴取も、だ。 次いで、異世界(ここ)に至るまでの道程をも反芻していく。 今し方もヌボコが話題に挙げた『ニルヴァーナ・スクリプト』のことである。 (異世界まで、来ちゃったんだよなぁ、ボク……。とんでもない大冒険だよ、なぁ――) 故郷を発って以来、人間界の常識を逸脱する体験を幾つも経てきたが、 その中でもバブ・エルズポイントで遭遇した事件――否、災難(アクシデント)は最も緊迫感に満ちていた。 同時に最大の混沌だったとも言えよう。何しろ体験者のシェイン本人ですら明確には説明し切れないのだ。 記憶など断片的にしか残っていない。本当ならば膨大な情報量に包まれていたのかも知れないが、 そのとき、心身の感覚は殆ど消え失せていたのである。 僅かでも情報≠拾えたことは、寧ろ幸運だったと言うべきであろう。 『ニルヴァーナ・スクリプト』と言うものは、俗に走馬灯とされている現象のようにも思えた。 肉体が重力の支配より解き放たれたと思うや否や、視界の全てが漆黒の闇で塗り潰され、 続けて過去の出来事が空間に描画され始めたのである。 より正確に表すならば――鏡の如きパネルが漆黒の空間を飛び交い、そこに数多の記憶が映写されたのだ。 それらは一瞬にして何処かへと吸い込まれていった。 それ故に記憶の映写と思しきもの≠ニ、抽象的に表すしかなかった。 自分の記憶が表示されているのか、図らずも他者の記憶を覗いてしまったのか、それすら定かではない。 ただ漠然とした懐かしさのみをそこ≠ノ感じたのである。 意識が混濁しているような状態に在って、パネルの内容を正確に見極めることなど出来よう筈もあるまい。 今にも潰えそうだった意識が微かに引き締まったのは、左右の手に負荷を感じた瞬間であった。 光の速さで横切っていくパネルと同じように、シェインもまた何処かへ吸い込まれてしまうと考えたのか、 フツノミタマが思い切り左手を伸ばし、弟子の右手首を掴んだのである。 包帯で吊るしている筈の左腕を――だ。 それから一秒にも満たない間に右腕にまで強い力が掛けられた。 肉体が崩れ落ちていないことを確かめるように首を動かして見れば、 そこにはエンジ色の紐が巻き付いていた。 このままでは散り散りになってしまうと判断したジャスティンが咄嗟に鉄扇を取り出し、 骨組みの末端に括り付けてあるエンジ色の紐をシェイン目掛けて投げ放ったのだ。 尖端のニードルを分銅の代わりにして狙い定め、シェインを捕まえることに成功した次第である。 ジャスティン自身は腰の辺りをジェイソンに抱えられており、 これによって不可思議な浮揚感の中でも姿勢を制御出来たようだ。 シェインの腕を掴んでいるフツノミタマから、ジャスティンを抱えるジェイソンまで一繋ぎとなり、 その状態(こと)を確かめた次の瞬間、闇を食い破った光の奔流に呑み込まれ、 今度こそ心身の感覚が消え失せた。 先程まで見せられたのは走馬灯であり、やはり、自分は死んだのだ――と、 シェインも一度は生命を諦めたのだった。 (――『贄喰(にえじき)』のヌバタマ……全部、あいつの所為だよ……ッ!) 「自分は死んだ」と先ず考えたのは、転送装置を起動させた際、 不測の災難(アクシデント)に見舞われたからだ。 自分たちの命を狙ってやってきた兇賊が起動中の装置に飛びかかり、 これによって転送そのものが極端に不安定となってしまったのである。 ニルヴァーナ・スクリプトとは、物体を量子レベルにまで分解し、 亜空間を経てふたつの世界を渡し、移動先にて再構築するシステムである。 送信の段階で障害の生じたファクシミリ内容が受信側で滅茶苦茶な物となってしまうように、 粒子レベル――もっと言えば一個の『情報』にまで分解された物質へ不測のノイズが加わり、 再構築時に元の形とは全く異なるモノへと変質してしまう恐れもあった。 どのような事態が発生するか、誰にも見当が付かないと言う混沌を経た後、 現在(いま)も生を――否、原形を留めていることがシェインには奇跡としか思えなかった。 『想い出の場面や風景がパネル状になって表示される? それが時空の彼方に流れていき、次は光の奔流に飲み込まれて? そして、気付いたときには異世界――か。まるで作り込まれたSF映画だな。 ……誰か、その光景をモバイルのカメラで撮っておらんのか? 動画などと贅沢は言わんが、写真くらいならどうだ?』 ニルヴァーナ・スクリプトに対するヌボコの感想が思い出された。 件の現象が終息し、意識が再び正常な状態へと戻ったとき、四人はこの町に辿り着いていた。 正確には、この町で意識を取り戻したと言うべきであろう。 貿易港、エルピスアイランド――どこか佐志を彷彿とさせる町並みだった。 海外との交易を行う為に造られた人工島であり、本土とは長大な橋で結ばれている。 『スタンジス連邦』なる国家(くに)≠ノ属する港町であるそうだ。 一行の中で誰よりもAのエンディニオンについて詳しいジャスティンの解説によると、 この『スタンジス連邦』とは、クリッターや他国からの侵略に対する自衛を目的として 複数の町村が寄り集まって出来た体制(もの)であるそうだ。 Aのエンディニオンでは最大の領土を誇り、 同じ連邦内でも文化や風俗、人種に至るまで極めて多様であると言う。 各町村の代表者を選出して平等な議会政治を行い、広大な領土を治めている――と ジャスティンが語ったところで、先ずジェイソンの思考回路が焦げ付き、次にフツノミタマが音を上げた。 シェインとて解説の全てを咀嚼出来たわけではない。国家≠ニいう言葉の意味さえ掴み兼ねている。 第一、自分たちが生まれ育った側のエンディニオン≠ニの差異も殆ど分からない。 言語も問題なく通じる。何かを飲食しても体調を壊したりはしない。 向こう≠ゥら持ってきた紙幣でさえ通用してしまうのだ。 己の立つ惑星(ほし)は異世界なのだと言う実感が湧くまでには、相当な時間を要した。 「――ま、習うより慣れろって言うじゃん? 他の皆とも合流しなきゃいけないし、 暫くはあちこち回ってみようよ。……暢気にしてる場合じゃないけど、焦ったって仕方ないしさ!」 これがシェインの結論である。 即ち、ニコラスたちの――神隠し≠ノ遭って異世界へ迷い込んだ人々の逆回しと言うわけだ。 彼らは逞しくBのエンディニオンに順応した。シェインはその様子を間近で見てきたのである。 アルバトロス・カンパニーと言う一番の手本に倣い、 こちら側≠フ空気に馴染むことを提案するのは自然の流れであった。 「ハナッから気構えが出来てる分、オイラたちはラクだよな」と笑ったのはジェイソンだ。 実際に神隠し≠体験したジャスティンもシェインに同意し、これを以って当面の方針が定まった。 覇天組の襲撃を受けたのは、それから間もなくのことである。 エルピスアイランドを散策し始めた矢先にヌボコの先輩隊士、ジーヴァとクンダリーニに取り囲まれ、 迷惑以外の何物でもない誤認逮捕へ至ったのだった。 余程、腹に据え兼ねたらしいフツノミタマは、現在もジーヴァとクンダリーニを相手に猛抗議を続けている。 最初の内は平謝りし続けていた両人だったが、少しずつフツノミタマの粗暴な態度に苛立ち始め、 今では子どもじみた口喧嘩に発展。聞くに堪えない罵詈雑言の応酬となっている。 大人たちの醜態が鬱陶しく、また情けなくなって、 四人は宿舎――つまり、エルピスアイランドに於けるヌボコたちの活動拠点から出てきた次第である。 シェインにとっては何よりの気晴らしだった。 彼はエルピスアイランドと言う土地にすっかり魅了されている。 「人種や文化が多様」とジャスティンは解説していたが、まさにこの地は異文化の縮図だと思えるのだ。 纏った民族衣装や奇抜な髪型、化粧の様式など、一目で文化性が異なると分かる人々が集まり、 何事か熱心に話し込んでいた。 多くはスタンジス連邦との貿易の為に来訪した商人であり、 互いの利益(もうけ)を競うからこそ、話し合いにも熱が入るのだ―― そのようにシェインへ説明したのはヌボコである。 「エルピスアイランドは観光名所でもあるが、この町で交わされている会話の殆どは商談、取引だ。 スタンジス連邦の北方は鉱業が盛んでな。それを目当てにやって来る貿易商も多い」 「……コウギョウ? 工業か?」 「違う単語が頭に浮かんでいそうだが、俺が言いたいのは金属のほうだ。 説明されるよりも現物を見たほうが早かろう――」 ヌボコに促されて視線を巡らせると、その先では金の延べ棒≠手に持った小太りの男性が、 買い付けに訪れたのであろう客を相手に熱弁を振るっている。 取り扱っている商材のサンプルなのだろう。指で弾いた際に延べ棒が奏でる音色を聞かせるなどして、 相手に品実の良さを伝えようと努めていた。 ヌボコが言わんとしたことはシェインも直ぐに理解した。 同じような光景はBのエンディニオンでも幾度となく目にしている。 今は亡き親友――クラップ・ガーフィールドは時計職人を生業にしていたのだが、 己の手がけた品が如何に他より優れているか、来客に向かって饒舌に語っていたものだ。 エルピスアイランドの商人に在りし日の故郷を想い出したシェインは、 「針の刻みは歪みナシの半端ナシ! この広い広〜いエンディニオンで唯ひとり、 プロヘス・テレスがお認めになったテクニシャンなんだぜ!」と言う親友の謳い文句を心中にて唱えた。 時間(とき)の流れを司る『神人(カミンチュ)』の名前まで出してしまうのだから、 これ以上ないと言うくらい威勢の良い喧伝だ。 「……やけに詳しいじゃん。もしや、貿易商への転職を目指してたりして?」 「貿易自体には興味はあるが、俺の場合は、これも任務の内だよ。 その土地その土地の特色を徹底的に下調べしておかんと、密偵などやっておれん」 「ふ〜ん? 張り切って下調べしてた割りには、ボクらをナンチャラって連中に間違えたけど、 アレはどう言うコトなん?」 「――そっ! ……それを言ってくれるな。気を引き締め直して再発防止に努めるから……」 「ごめんごめん、ボクも悪ノリし過ぎたよ。この話はこれっきりにしよう――な?」 「む……」 ヌボコの話へ耳を傾ける内に、シェインはますますエルピスアイランドの土地柄が気に入っていた。 余所から訪れた者を拒絶するような視線が感じられないことも心地良い。 「自分たちは異世界の人間だ」と名乗っていないのだから当然かも知れないが、 身の保障も覚束ない中で今在る土地へ受け入れられると言うことは、大変に望ましい筋運びである。 貿易の世界へ切り込んでいこうとすれば、おそらくは事態も変わってくるのだろうが、 今のところ、シェインにはそのようなつもりはない。 商人たちの縄張り≠ノ抵触しない限りは、すこぶる過ごし易いわけだ。 シェインたち四人は着衣も髪型も不揃いであり、統一された文化の様式や法則性は提示していない。 それ故に――と言うべきか、却って町並みに馴染んでいる。 (マイクのヤツ、これ見たら、テンションがブッ壊れるだろうなァ) シェインが想いを馳せたのは、Bのエンディニオンに残ってギルガメシュと戦い続けている親友―― マイク・ワイアットである。向こう≠ナは『冒険王』の異名で呼ばれており、 全ての冒険者の頂点に立つ男であった。 シェインの境遇を知ったマイクは、この年齢の離れた少年に親友として接し、 異世界へ発つ前には虹色に輝く宝玉の首飾りを授けていた。 必ず再会しようと言う念(ねがい)を込めた餞別だ。 現代科学を超越した神秘の結晶であり、強い守りの力を秘めていると冒険王は語っていた。 その冒険王マイクが統治する根拠地、『ビッグハウス』は貿易によって栄えていた。 即ち、世界中から人と物が集まる場所と言うことだ。 未(ま)だ現地を訪ねてはいないので、人からの伝聞や写真でしか知らないものの、 おそらくはエルピスアイランドと同じような活気で満ちているのだろう。 生まれ育ちや考え方の違う人々が顔と顔を突き合わせて熱く語り合うと言う町並みも、だ。 Bのエンディニオンの中心地とも言うべきルナゲイトにも、 世界中から物や人が集まっていたのだが、エルピスアイランドに比べると、 その空気は何処か冷たかったように思える。町全体の発する熱量が違うと言うことだろうか。 「――スナッククレープだってよッ! あんなの、初めて見たぜェーッ!」 物思いに耽るシェインの意識を現実世界へと引き戻したのは、ジェイソンの大声であった。 興奮と言う名の衝動から発せられた声を視線で追いかけると、 軽食を扱う屋台に向かって突進しようとしているではないか。 或る催し物の真っ最中であるエルピスアイランドは、こうした屋台が町中で犇めき合っている。 ソースの焦げた匂いに胃袋を刺激される度、ジェイソンは我慢し切れずに飛び出していくのだ。 此処へ至るまでにも、既に牛肉の串焼きや珍魚の揚げ物を平らげている。 ヌボコの説明によると国外から出張してきた屋台も多いらしく、 エルピスアイランドを一周するだけで世界の味≠堪能出来るそうだ。 「はいはい、そんなにがっつかないように。慌てなくても食べ物屋は逃げたりしませんからね」 「なっ、なんだよ、おい! おめーはオイラのおっ母(か)さんかっ!?」 「お腹を痛めた憶えはありませんが、世話の焼ける子どもを持ったような気分にはなっていますよ。 子どもに首輪≠嵌めることはありませんから、不出来なペットと言い換えるべきかも知れません」 「何だってイイから離せよ〜。カレーとクレープの禁断の出会いがオイラを待ってんだ!」 「屋台の看板を朗読しないでください。どれだけ餓えているんですか」 歯止めが利かなくなった猛犬のようなジェイソンを抑えるのは、呆れ顔のジャスティンである。 鉄扇の紐をジェイソンの首に巻き付け、比喩でなく物理的に手綱を引いていた。 もしかすると、ジェイソンが腹の具合を悪くしないよう気を遣っているのかも知れない。 故郷から遠く離れた土地で一番に注意すべきは食中りなのだ。 少しばかり離れた場所に所在する噴水公園で待つ旨を ジャスティンに告げて――ジェイソンの耳には届いていないだろう――、 シェインはヌボコと並んで歩き出した。言うまでもなく、道案内は新たな友人に頼っている。 件の噴水公園も多くの人々で賑わっていた。 植木でもって囲まれた円形の泉は、三叉の矛を掲げた見目麗しい男の石像を中央に据え置き、 その穂先から水が噴き出す仕組みとなっている。 石像の左足は、対の右足と比して非常に変わっていた。 棒切れを連想させる形は、どうやら義足であることを表しているようだ。 「あれは水の流れを司る『神人(カミンチュ)』、カトゥロワの石像だ。 ここからだと分かり辛いんだが、目線が港の方角を向いていてな。 行き来する船が海難事故を起こさんよう祈願しておるのよ」 シルエットが明確に見て取れる位置まで近付いたとき、ヌボコは石像にまつわる薀蓄を披露し始めた。 創造女神イシュタルと神人の信仰を共有していることは、事情聴取の席でも確認し合っている。 その認識のもと、ヌボコはカトゥロワと言う神名(な)を口にしたのだった。 「お前の生まれた世界のカトゥロワ≠焉Aあの石像と同じだったか?」 「神像を作るって発想がなかったよ。……でも、イメージ通りとは言えるのかな」 Bのエンディニオンに於いて神人の存在とは、万物の様々な現象や自然の中に感じるものであり、 石像と言った形で伝承や神話を具現化したことはなかった。 人の手にて彫り上げた像ではあるが、シェインは生まれて初めて水を司る神人の姿≠ニ言うものを 目の当たりにしたのだ。 尤も、神像そのものとは、これで二度目の遭遇である。 初めて目にしたのは、カトゥロワの神像≠ノ――と言うことだ。 Aのエンディニオンに於ける信仰は、ワーズワース難民キャンプに置かれていた イシュタル像を通じて接している。 件の難民キャンプにて出会った老神官から二大宗派と言った信仰形態の特徴なども聞かされている。 Aのエンディニオンの信仰を司り、覇天組とも複雑に結び付く教皇庁のことも、そこには含まれていた。 噴水まで範疇に入るのかは定かではないが、こうした神像の管理まで教皇庁が担っていると言う。 悪意を以って神像を損壊させようものなら、その地を管轄する保安官事務所(シェリフ・オフィス)ではなく、 女神の名に於いて教皇庁から直接処罰されると言う次第だ。 そのことを説明したヌボコは、「確かに神像は貴重だ。古い時代のものは文化遺産として保護せねばならん。 しかし、それを口実に実効支配のような振る舞いをする教皇庁には納得し兼ねるがな」と、 忌々しげに吐き捨てている。 もしも、この場にレイチェルが居合わせたなら、信仰上の理由から複雑な表情を作ったことだろう。 ワーズワース難民キャンプの悲劇を通じて知り得た情報からシェインは――否、彼の仲間たちも含め、 教皇庁に対して善い印象は持っていない。 件の難民キャンプにて暮らしていたのは『ハブール』と言う都市の民であったが、 教皇庁の最大勢力と対立する宗派であることを理由に、 神隠し≠ノ遭う以前から冷遇され続けてきたそうなのだ。 しかも、だ。最大勢力――ヨアキム派の女性神官は、マコシカの信仰形態を冒涜とまで批難している。 それはつまり、Bのエンディニオンの信仰を貶めたことにも等しいのである。 敵意と呼べるほど昏(くら)いものではないにせよ、 シェインの胸中には教皇庁に対するやり場のない苛立ちが渦巻いていた―― 「――そう言えば、噴水のことまでセシルは詳しいんだな。これも下調べの一環なのかい? 思いっきり観光名所っぽいんだけど、ガイドブックを頭に叩き込んでおくのも任務に必要なん?」 ――さりながら、ぶつける相手のいない憤りに呑み込まれては、 案内を引き受けてくれたヌボコにも失礼と言うものであろう。 己の気分転換も含めて、シェインは異なる話題をヌボコに投げ掛けた。 興味の対象をカトゥロワの噴水から『セシル』と愛称で呼ばれる少年へ切り替えたのだ。 突然のことで驚いたのだろうか。居た堪れないと言った調子で身を揺すらせたヌボコは、 僅かな躊躇いと咳払いを経た後、指先でもって後ろ髪を弄びつつ、 「……趣味なんだよ」と気恥ずかしそうに切り出した。 「学問と言うほど大層ではないが、色々な書物から知識を得るのが面白くてな……」 「あー、ジャスティンが古書を預かってるとか話してたもんな。 読書好きなのか。それなら、アイツとウマが合うハズだよ」 「最近はインターネットのお陰で調べものが捗る。 遠出する先の情報とて現地の役所のサイトにアクセスすれば済むからな。 我が侭を言わせて貰えるのなら、その土地土地の史料をもっとアップロードして欲しいものだよ」 「役所のサイトなんて行ったコトもないけど……詳しく知りたきゃ直接来いって感じなの?」 「つまり、遠くに住んでおる人間は手間ばかりが増えると言うわけだ。 一箇所にまとまっておらんから、色々な書物なりサイトを巡って情報を稼がねばならん。 ……まあ、それはそれで、歴史を読み解く楽しみもあるんだが……」 「めっちゃ熱心だなァ――じゃあ、この町の歴史も調べてきたのかい?」 「……例えば、この噴水――設計図が引かれたのは三世紀前だ。 それも、エルピスアイランドともスタンジス連邦とも関係のない町の、無名の建築士が戯れで書いたものだよ」 「港のほうを向いてるのに? この町の為の特注品じゃないんだ!」 「面白いのはここからだ。建築士の没後、例の設計図は人手に渡って古書街に紛れ込み、 挙げ句の果てに『世界的建築家の遺作』とでっち上げられてオークションに掛けられた。 そして、その詐欺に引っ掛かったのが、エルピスアイランドを興した連中だった。 味気ない人工島に箔を付ける為に、ひとつのシンボルを置こうとしたんだな」 「世界的建築家の遺作を再現するんだから、港のシンボルにはピッタリだけどさぁ―― でもさぁ、それってバレなかったの? カモにされたら、誰か騒ぐでしょ?」 「バレないわけがない。尤も、エルピスアイランドの役場も連邦も本物だと言い通しておるがな。 所謂、公然の秘密と言うものだ。しかし、効果はあったぞ。カトゥロワの像は見る人に教訓を与えてくれる」 「……神人の加護はカネで買える。だけど、人は守っちゃくれない。 頼りになるのは自分だけ――ってトコロかな?」 「ご明察。だから、海難事故を起こさないように貿易商たちは気を張っておるよ。 広い意味では、神人の加護と言えるのかも知れん」 「もうちょっとイケてるオチはなかったのかよ」 神像を設置したことによる神秘的な出来事や、 無名の建築士の再評価と言った夢の如き物語を想像していたシェインは、 現実的としか言いようのない結末に思わず笑気を爆発させた。 それ以上にシェインが面白く感じたのは、語り手を務めたヌボコの方である。 平素から古めかしい喋り方をしており、どこかぶっきらぼうで口数も少なかったのだが、 自分の趣味については饒舌になるようだ。 「冷血漢」と罵られることも多い『在野の軍師』ほどではないが、少しばかり無愛想な少年―― ヌボコに対する第一印象がシェインの中でひっくり返ったのである。 「本当に勉強好きなんだな。そこまで打ち込めることがあるのは羨ましいよ」 「……む」 趣味を褒められたことが照れ臭かったのか、ヌボコは俯き加減で含羞(はにか)んだ。 喋り過ぎたと恥ずかしくなっているのかも知れない。 感情の起伏が小さいだけで、人間味は深そうだ。 そう言う意味でもジャスティンと波長が合ったように思える。 ヌボコと言う少年の為人(ひととなり)に触れた途端、シェインは一気に親近感が湧いてきた。 ジャスティンは「セシルさんは面白い人ですよ」と頻りに話していたのだが、 その意味をようやく掴んだわけである。 「――ああ、そうだ! 丁度、ジェイソンと正反対なんだな! あいつ、ヌボコの好きそうな本なんか絶対読まないもん。せいぜいマンガか、ゲーム雑誌くらいだぜ」 「スカッド・フリーダムの話も聞かせて貰ったが、互いの組織の違いが表れておるのではないか? 似て非なる体質だと思ったがな、スカッド・フリーダムとは」 「チームに染まるくらい深く考えるようなタイプなら、そこを辞めたりしないって」 「……辞めると言う意味も俺には分からんよ。 いや、そこまでして仲間のカタキを討とうとする心意気は大したものだ――が、 しかし、肝心の本隊がギルガメシュと戦わん意味が分からん。 保安官の手に負えぬ事件を引き受けるのが仕事なら、どうして侵略を迎え撃たんのだ?」 「ジェイソンみたいのは特例だけど、ボクが知る限り、スカッド・フリーダムは堅物多いからね。 自分たちの『義』は合戦にはないって決めたら、そこに一直線なんだよ」 「覇天組と比べれば、しがらみはないに等しいようだが、 代わりに内部(なか)の重石に邪魔されておるわけか。……難儀なことだ」 「覇天組の内部(なか)はどうなん?」 「強いて言えば、頭の中身(なか)が軽い人が多い」 「ボクたち、その人たちの世話になるんだよね。いきなり心配になってきたんだけど!」 ヌボコとジェイソンの性格はともかくとして、一種の独立性を保つ機動部隊と言う点に於いては、 覇天組とスカッド・フリーダムは組織の体質に似通う部分も多い。 どちらの隊も所属員一同で揃いの武装を用いており、武術の達人によって構成されており、 更に治安維持を目的とした同志的結合である。 掲げた一字は異なるものの、自分たちの志を高らかに宣言している点も非常に良く似ていた。 スカッド・フリーダムは人として守るべき道として『義』の一字を、 覇天組は己の身を犠牲にしてでも戦い抜く覚悟として『捨』の一字を、それぞれ内外に示していた。 勿論、ヌボコが触れたように両隊には異なる部分や相容れない要素がないわけではない。 事情聴取の際に併せて説明があった為、細かな差異はシェインも把握している。 スカッド・フリーダムは全世界に義の戦士たちを派遣し、弱者を守る為に戦っている。 これに対して覇天組の活動は陽之元に帰属するものである。その範囲も首都が中心であった。 屯所と呼ばれる本拠地も首都圏に所在しているのだ。 局長が推進する犯罪者更生施設が首都郊外に建てられている点も少なからず影響しているだろう。 犯罪者更生施設の有無も両隊を分ける相違点だ。覇天組局長は陽之元の国政にも加わり、 施設創立を働きかけてきたのである。 行政と言うものに縛られないスカッド・フリーダムには、そもそも政治への参画と言う概念が存在しなかった。 その分、義の戦士たちの方が機動力は勝っていると言えよう。 覇天組も首都以外で活動するテロ組織の監視の為に別働隊――その名も別選隊と言う――を置いているが、 数十人程度では実行出来ることにも限界がある。だからこそ、首都に屯所を構えたのだ。 しかしながら、祖国にとって有益であれば、国外までギルガメシュ討伐に遠征しなくてはならない。 ただでさえ足りていない隊士を割き、教皇庁の使い走りのような有り様になっても、だ。 覇天組とスカッド・フリーダム、両隊の最大の違いは戦争経験の有無である。 ナタクたちは祖国を真っ二つに引き裂いた内戦を勝ち抜き、新たな時代を築いていた。 達人たちの錬度はともかくとして、浴びた血の量は覇天組のほうが遥かに夥しい筈だ。 そのような苦難を分かち合ったからこそ、ヌボコが身を置く隊は鉄の結束力を誇り、 同時に風通しも良さそうだった。 シェインたちが他の仲間と散り散りになってしまったことを知ると、 その捜索へ全面協力する旨をヌボコは即座に約束した。 無論、その場にはジーヴァとクンダリーニも居合わせたのだが、 両者ともにヌボコの交わした約束を支持している。 上層部(うえ)の決裁を仰ぎもせずに約束をしてしまうのは、ヌボコが浅慮と言うことではない。 仲間たちの快諾を信じているわけだ。これまでに同じような状況(こと)が幾度もあったに違いない。 (……窮屈じゃなけりゃ、ジェイソンたちも脱退なんかしないでスカッド・フリーダムで頑張ってたよな。 シルヴィオはどうなんだろう……今もあの中に居る人は……あんまり話せなかったけど……) これまでに出逢ってきた隊員たちの言行から察する限り、 スカッド・フリーダムと言う組織の体質は、覇天組ほど柔軟であるようには思えない。 「――世話と言えば……」 ふとヌボコが口にした言葉を受けて、シェインは驚愕の調子で肩を揺らした。 「……やっぱりここでサヨナラ――なんて言わないよね?」 「――ああ、すまん。そう言う意味じゃない。小さなことが気になっただけなんだ。 ……俺たちと出くわすまでお前たちはどうやって生活していたんだ? 見ず知らずの土地にいきなり放り出されたようなものだったが、何の保障もなくて恐ろしくはなかったのか?」 「あ〜、そっちね。ちょっと焦っちゃったよ」 ヌボコの言わんとすることを察したシェインは、噴水公園の外れに ホットドッグ・スタンドまで歩いていくと、取り残されたように佇んでいるヌボコを手招きした。 やって来た彼に注文を訊ねる。立て看板に貼り付けられたメニューを指差したシェインは、 「ボクはサルサチーズのヤツにしたよ」と言ってヌボコにも好きな物を選ぶよう促した。 僅かな躊躇いを挟んだ後にヌボコが選んだのはハーブソーセージのホットドッグであった。 注文を確かめたシェインは、自分の財布から三枚ばかり硬貨を取り出して支払いを済ませ、 次いで最寄のベンチへと移った。 その背を追うヌボコは驚きに目を丸くしている。 無論、ヌボコが何を驚いているのかもシェインは把握している。 勿体付けるようにしてサルサソースのホットドッグに噛り付き、それから片目を瞑って笑って見せた。 「種明かしするとね、今のはボクらのエンディニオンのお金だよ。 言っておくけど、偽札じゃなくて本物だからね。それでも普通に使えちゃうんだ」 「……そんなことが有り得るのか……?」 「レジだってちゃんと通っただろ」 「レジを通すのは商品のバーコードで、紙幣の真贋までは読み取れんよ」 ヌボコが驚くのも無理からぬ話であろう。異なるエンディニオンからやって来たとされる人間が、 その世界の硬貨を使い、こちら側≠ナ買い物を済ませたのである。 ヌボコは警察組織の人間である――が、背景となる職務を抜きにしても、 只今(いま)の光景を怪訝に思わないほうがおかしいだろう。 「そんなに不思議なら自販機で試してみようか? コーヒーを買ったときは普通に使えたよ。 なんなら、昨日、ボクらが泊まったホテルに問い合わせて貰っても良いし」 「……先刻、言ったことを繰り返すかも知れんが、こんなことが本当に有り得るのか?」 「ボクらの世界でも同じことがあったよ。こっち≠ゥら飛ばされてきた人たちのことね。 ギルガメシュ風に言うと『難民』ってコトになるんだろうけど、この呼び方は使いたくないなァ」 「神隠しの被害者はこちらのエンディニオン≠フ紙幣を使った――そう言えば良いか?」 「そーゆーコト。ボクが最初に会ったのはジャスティンの先輩のラス――ニコラスと、 サムって言う兄ちゃんたちなんだけど、あいつらが店で何か買うときも、 偽札だ〜って疑われたことはなかったハズだよ」 「……本当なんだな?」 「ボクは友達にウソ吐くような男じゃないぜ?」 「――のようだ、な」 そこで言葉を区切ったヌボコは、包み紙も開けずに持っていたハーブソーセージのホットドッグへと 視線を落とした。次いで徐(おもむろ)に包装紙を破いていく。 香味によって脳を刺激しつつ、シェインから聞かされた話を整理しようと言うのであろう。 ホットドッグを頬張る横顔は不必要なくらい凛々しく、思考の回転数が跳ね上がったことを感じさせた。 「ヌボコの言う暮らし≠ェお金の問題だけじゃないってコトは分かってるさ。 でも、別に心配事はなかったんだ。きっと大丈夫だろうって、アタマのどこかで思ってたのかもなァ」 「悪い方向に考えても始まらんから?」 「それもあるけど――ラスもサムも……アルバトロス・カンパニーは逞しく異世界を生きているからね」 「勿論、簡単な道じゃなかった」ともシェインは言い添えた。 彼の脳裏に蘇るのは、ギルガメシュ本隊とこれに抗う連合軍との一大決戦となった熱砂の合戦≠ナある。 このとき、ニコラスたちはギルガメシュのエトランジェ(外人部隊)として参戦し、 シェインが属する佐志軍と宿命的な対決を繰り広げたのだった。 世界≠ニ言う隔たりを乗り越えて絆を育んだ者同士が殺し合う凄惨な戦場であった。 それが我慢ならなかったシェインは、 自身のトラウム――『精霊超熱ビルバンガーT』でもって熱砂を揺るがし、 次いで佐志軍とエトランジェの双方にブロードソードを向けたのである。 その剣先には双方に和解を促す意志が込められていた。 ギルガメシュに惑わされることなく、自分たちが結んだ友情を信じろ――と。 未来を担う子どもの説得が大人たちの心に響いたのか、 佐志軍もエトランジェも、幼い呼びかけを容れて不毛な戦いを打ち切った。 あるいは、本当に守るべきモノを想い出したのかも知れない。 いつか必ず友≠ニして再会しようと誓い合った後、両軍は熱砂にて別れたのである。 「……合戦自体は連合軍のボロ負けだったんだけどね。でも、大局(まわり)なんか関係あるもんか。 ボクらは――ボクらだけは大切なものを失わずに済んだ。……そのことを誇りに思うよ」 手柄を自慢するのではなく、ひとつの事実として悲しい戦いを語って聞かせたシェインは、 最後に「だから、何とかなるって思ったのさ」と付け加えてホットドッグを平らげた。 「ふたつのエンディニオン≠ノどんな関係があるのかも全然掴めていないけど、 それでも、ボクらは分かり合える。これだけは絶対に間違ってないんだ。 あとは、そう――こっちの世界≠ナ生まれた仲間たちをお手本にして、 同じように現地の人と接すれば良い。必ず上手く行くって信じてたよ」 「お前は手本に恵まれたんだな」 「もちろん! それにこっち≠ヘあいつらが生まれ育った世界なんだぜ? 人を獲って喰うクリッターの棲家なんかじゃなく、人の好い連中ばかりなんだもん。 怖がる理由なんて、どこにもなかったよ!」 今までに出会ってきたAのエンディニオン≠フ人々に異世界での生き方を学び、 また彼らと接したときのように振る舞えば、身の保障が脅かされる事態には至るまい―― シェインが語ったのは、絆によって裏打ちされた自信とも呼ぶべきものであった。 何とも不思議な根拠であるが、シェインにとっては決して揺らぐことのない心の芯であり、 世界を隔てた友情の成果には胸を張っている。 「それに、ほら――ボクとセシルだって、もう友達だろ? こんなに簡単に分かり合えるんだもん。 生まれた世界の違いなんてさ、人間って生き物にはあんまり意味がない気がするよ。 そんなことよりボクは誰と友達になりたいかってコトのほうが大事かな!」 「それは、まあ、……否定せんよ」 面と向かって純粋な感情をぶつけられると、幾ら表情の変化が控えめなヌボコと雖も、 頬が羞恥の色に染まってしまう。 そのような心の揺らぎを晒したくなくて俯き加減になると、 最早、後ろ髪を指先で弄ぶことしか出来なかった。 対の手で食べかけのホットドッグを持っているが、シェインの話へ熱中する余り、 噛り付くことも忘れてしまっていた。港から漂ってくる潮風に晒されたことで湯気まで消え失せている。 「――だろ? そーなんだよ! ……砂漠でラスたちと戦ったときに解ったんだよ。 生まれたエンディニオンが違うってだけで相手のことを押し付けたり、拒絶しなくちゃならないなら、 もう一度、手を繋ぐことは――ううん、最初から手なんか繋げなかったよ!」 「なるほど、な……確かにそこまで解っていれば、異世界だろうが恐ろしくはないかも知れん」 余人の耳には途方もないと聞こえるようなことを平気で言ってのけるシェインの横顔を、 ヌボコは眩しそうに見つめた。 内心ではヌボコはシェインのことを誰よりも強い心の持ち主だと認めている。 出逢って間もない少年に対して、今では尊敬の念すら抱きつつあった。 彼がギルガメシュと戦う理由は、余りにも重い。 故郷を滅ぼされ、戦火の中で幼馴染みの親友を殺され、妹のように可愛がっていた娘まで誘拐され―― 明るい笑顔の裏には、数え切れないほどの悲しみを背負っているのだ。 ワーズワース難民キャンプの一件――これも事情聴取の中で聞かされたことだ――も、 彼は心に深く刻み込み、決して忘れないだろう。 それでも、シェインは復讐の念に潰されずにいる。 「ギルガメシュを倒す」とは吼えても、「怨敵を滅ぼして恨みを晴らす」とは口にしない。 心中にて己の身に置き換えて想像を巡らせたヌボコは、シェインと同じように振る舞える自信が湧かなかった。 陽之元の旧政権に於いて要職に就いていた実父は、政敵の陰謀によって暗殺された。 その悲しみを受け止め、育ててくれた養父には「感謝」の二字だけでは言い表せない思いを抱いている。 自分の父を訊ねられたときにはナタクと即答する――それは、紛れもない親子の情であった。 そして、養父のナタクは覇天組局長である。余人に比して殉職の可能性が格段に高い。 もしも、養父(かれ)が戦いの中で落命したときには、覇天組隊士としての務めも忘れて 復讐心に囚われてしまうだろう。 だが、シェインと言う少年は、ただ直向きに前途(さき)を見据えている。 怨恨はひとつの過去から忍び寄る鎖であり、現在(きょう)も未来も搦め取るものなのだが、 そのような呪縛に飲み込まれる気配など全く感じられない。 彼が携えるブロードソードには、前途を阻む敵だけでなく、 過去と言う名の亡霊≠断ち切る力も宿っているのかも知れない。 「――ああ、異世界って話で思い出したよ。ジャスティンの先輩のひとりにトキハってのがいるんだけど、 ボクらの世界の神人に興味津々でさぁ〜。マコシカって民族のトコで世話になったときなんか、 集落の言い伝えとか、たくさん教わったって話だよ。それに、さっき話に出てきたラスってヤツは、 異世界でガールフレンドも作っちゃってるし。……な? 自分の知らない世界には楽しいコトばっかだろ?」 「ああ、……それは羨ましいな。実に羨ましい」 「なんだよ、澄ました顔して女の子に餓えてたりすんの?」 「そちらではない。トキハと言う御仁の方だよ」 ただひたすらに未来を見つめるシェインは、ヌボコにもひとつの輝かしい道を示して見せた。 自分たちの祖先が築いてきた文化は、神隠しで飛ばされた先の異世界≠ノよって塗り潰される。 護持することなど不可能に近く、それこそがAのエンディニオンの滅亡なのだと、 モルガン・シュペルシュタインは繰り返していたのである。 確かに大司教の弁にも一理ある――が、しかし、実際にはどうであろうか。 机上の空論に終始するモルガン大司教ではなく、現実として異文化に接した人々はどうであったか。 シェインが言うには、トキハなる青年は、Aのエンディニオンとは異なる信仰の形態すら 心乱されることなく冷静に受け止め、ひとつの文化として学んでいたそうだ。 「異文化を学ぶこと」は、必ずしも「自分たちの文化が塗り潰されること」には直結しない。 モルガンの思考は「学ぶ」と言う段階を欠いているように思えてならないのだ。 異文化に学ぶことは、そこに染まり切ると言う意味ではなく、未来への可能性に他ならない。 そもそも、だ。目の前に在るシェインとて、初めて接した異世界≠ノ呑み込まれてはいない。 彼が出逢ったこちらの世界≠フ人々とて、それは同じようである。 「世界を守ることと、耳目を閉ざすことは全く別物だろうに……」 「……は? なにひとりで納得してんのさ。もしかして、セシルってば妄想癖アリ?」 「ただの考えごとを妄想癖に繋げんでくれ」 それからホットドッグを一気に平らげたヌボコは、空いた両手でもってシェインの肩を掴み、 「ずっと腑に落ちんかったことが解決した。そんな心持ちだよ」と破顔して見せた。 それは、年齢相応の眩い笑顔であった。 二度三度とシェインの肩を叩いた後、ヌボコはベンチから立ち上がり、両の拳を天に向かって突き出した。 背を伸ばすかのように、高く高く、どこまでも高く突き上げた。 「――俺の生まれた陽之元はな、元々はひとつの民族が暮らす国だったんだよ。 世界中の民でごった返す『スタンジス連邦』やエルピスアイランドとは正反対だな」 天高く突き上げていた両の手を腰へと移したヌボコは、 シェインに背を向けたまま往時の陽之元について語り始めた。 「それが大きく変わったのは、現代(いま)から何世紀も昔。他国から難民――いや、移民がやって来たときだ。 『メルカヴァ』と言う軍事国家に故郷を滅ぼされた流浪の民を、時の政権は迎え入れた。 ……俺はふたつの民族の混血(ハーフ)なんだよ。父が移民の末裔、母が陽之元本来の民と言う具合だ」 陽之元本来の民は髪の色が黒や茶であり、肌の色は橙に近い。 これに対して、他国より移って来た民は銀髪に褐色の肌――と、ヌボコは付け加えた。 混血と称したヌボコは、肌は橙に近く、髪は銀。 尤も、その銀髪は金の染料によって白金(プラチナ)の彩(いろ)に変わっているのだが。 「陽之元が長らく内戦を続けておったことは話したな?」 「ああ。古い権力にしがみ付いてた連中と、それに反乱した人たちの戦い――だったよな?」 「では、もうひとつ問題だ――その内戦に終止符を打った一番の要因は何か?」 「それが覇天組なんだろ? ジーヴァさんとクンダリーニさんが鼻高々っつー感じで話してたし」 「……うむ、あのふたりの話は黙殺してくれて構わん」 「ひでぇな、オイ! ……ノーヒントじゃ分かんないよ」 「世間では覇天組、あるいは『鬼道衆(きどうしゅう)』と言う似たような集団の手柄のようにも言われるが、 実は違う。一握りの力でどうにかなるくらいなら内戦も短期間で決着がついた筈だ」 「あ〜、言われてみればそうだね。勝ったのは反乱軍のほうだから―― そっちが何か新しいコトをやり始めたって感じなのかな?」 「そうだ。閉ざしていた扉を開き、他国の力を取り入れたことで旧政権を一掃させられたんだよ」 ヌボコが言うには、陽之元は他国との交わりを絶っていた時期があったそうだ。 数世紀に亘って旧政権を牛耳っていた『艮家』は、 国体の護持を名目として陽之元の領海を渡ることを全面的に禁じていたのである。 つまり、内戦の末期にして最大の激闘、『北東落日の大乱』に至るまで、 ありとあらゆる国交が断絶していたと言うことであった。 「反乱軍は海路を切り開いて独自に交易を始めたんだよ。 『北東落日の大乱』当時はMANAすら陽之元には入っておらんかった。 世界から見たら、陽之元は恐ろしく遅れた国≠セったのかも知れんな」 「なんだか、すげぇスケールの話になってきたな……」 「発端は海路の封鎖に綻びだよ。或る港に教皇庁の使節船が入ってきてな。 海上封鎖を解くよう艮家に迫ったことから、『北東落日の大乱』が始まったんだ」 一度(ひとたび)、穿たれた風穴は、如何なる権力を以ってしても埋めることは出来ない。 新しい風を受けて燃え上がった炎は、穴を覆わんとする掌をも焼き尽くすのだ。 開明的な思想の持ち主たちは、今こそ改革の時節だと声を上げ、これを弾圧する旧権力との間で闘争に発展。 そうした激動期に誕生したのが覇天組であったわけだ。 教皇庁の使節船によってこじ開けられた穴は、陽之元に『情報』と言う名の光をもたらした。 今まで制限されていた文物を旺盛に取り込み、知恵も技術も蓄えた改革派たちは、 次に海路の安定化を図り、実効的に交易を再開させたのである。 これを主導したのが、現政権の陽之元正規軍教頭であり、覇天組局長に学問を授けた師匠であったと言う。 いずれも旧政権の要職に在った人々だ――が、新時代を切り開くと言う大志を抱いて野に下ったのである。 最早、艮家には国を担うだけの力はなかった。名門と言う名門、軍閥と言う軍閥と婚姻を結び、 「血肉や細胞の如く国家と一体化した」とも呼ばれる手腕によって権力を維持し続けてきたのだが、 内戦の末期にはそれすら無効化され、あまつさえ族滅≠ニ言う凄惨な末路を辿ったのだ。 「――お前たちから聞かせて貰った話は、それと同じじゃないかと思ったんだよ」 陽之元の近代史(れきし)、そのあらましを語ったヌボコは、 勢いよくシェインを振り返ると、「今度は世界中に新しい風が吹くぞ」と痛快そうに笑った。 「陽之元は海外の力や知恵を得て飛躍した。今まで培ってきたものと新しいものが結び合わさって、 国ひとつが生まれ変わったんだよ。今度はエンディニオン全体が同じ熱気で包まれる……!」 ヌボコの考えに気付いたシェインも、「面白い!」と膝を叩いて立ち上がった。 「インテリかと思いきや、熱いことを言ってくれるじゃないか! ふたつのエンディニオン≠ェ影響し合ってどんな風に変わるのか――ワクワクしてくるよなッ!」 「そうだ、その通りだ」 周囲からは奇異の目を向けられてしまったが、シェインもヌボコも全く気にならない。 ふたつのエンディニオン≠ェ結び付くことによって生まれる新たな可能性への期待に昂揚し、 全身から熱気まで迸らせている。 「お楽しみを心の底から楽しめる楽しいヤツが腹を抱えて楽しまないんじゃ、 世の中に楽しさは広められない」と、独特の五段活用を信条とするシェインだけでなく、 感情表現が人より淡白なヌボコまで拳を強く握り締めているのだ。 「教皇庁の大司教は片方の文明が廃れ、それが世界の滅びに繋がると信じ込んどる。 だが、そんなことは有り得ん」 「教皇庁の人間ならボクもクインシーってババァを知ってるよ。 イシュタル様への信仰がおかしいとか言って、レイチェル――マコシカの酋長と角突き合わせてたな」 「そうだ、自分にとって都合が悪いものと向き合うのは確かに難しい。 だからと言って、それを拒絶したり、自分の都合だけを押し付けるのが人間じゃない。 人間はそんなにつまらん生き物ではなかろうよ」 「よし、次は理屈をブチ抜いてみよう!」 「俺もお前たちのエンディニオン≠学びたい。それも思い切り……!」 「オーケー、ボクも手伝うぜ!」 「ならば、俺はお前が心の底から楽しめるものを探そう」 シェインとヌボコ――異なるエンディニオンに生まれたふたりの少年は、 モルガンの憂慮とは正反対の未来(もの)を見つけたようである。 幼さを残した笑顔には、しかし、一杯の希望が弾けていた。 「――これからのエンディニオンは、どんな風になるのかな!?」 「分からん。しかし、楽しみでしかない」 一際大きく笑ったシェインとヌボコは、次いで互いの腕を絡ませ合った。 (……なんだか鏡を見てるような気分だよ。……いや、目の前に居るのはボクとは違う顔なんだけど。 ……どうかしちゃったのかな、ボク……) ヌボコの双眸に己が映っていることを確かめながら、シェインは不思議な感覚に包まれていた。 「親友」と呼べる相手には、今までに何人も出逢ってきた。 ラドクリフ、ジェイソン、ジャスティン――言うまでもなくヌボコもそのひとりに入る。 今は亡きクラップや、憧れの存在であったマイクも忘れてはいない。 だが、目の前に在る少年だけは、絆と言う光の糸で結ばれた「友」とは少し違うように思えるのだ。 共に理想とするものを分かち合い、大いに語らい、その中で更なる高みへと達した―― このような経験は、もしかするとヌボコが初めてかも知れない。 己の半身がそこに在ると言う錯覚すら覚えていた。 あるいは、ヌボコも同じ気持ちでいるのかも知れない。シェインの瞳を覗き込むと、一等強く頷いて見せた。 「――居た居た。おーい、何やってんだよ、おめ〜らァ!」 「噴水の前にいてくださいよ。どうして勝手に場所を変えてしまうんですか」 ジェイソンとジャスティン、ふたりの呼び声が鼓膜を打ったことで、 ようやくシェインたちは腕組みを解いたが、このように外的なきっかけがなかったなら、 おそらくは何時間でも魂の共鳴に身を委ねていた筈である。 魂の共鳴――それ以外に今し方の状態を表す言葉は、シェインもヌボコも持ち合わせてはいない。 「噴水公園ってだけで、別に噴水の真ん前で待つとは約束しなかったんだけどねェ」 「全くだな」 そう言って笑いながら、シェインは近付いてくる親友たちに手を振った。 想定していた待ち合わせの場所に居なかったことをジェイソンたちは怒っている様子だ。 「――ああ、市街地まで近付いてきておったな。 音の遠さからすると……今はスカイフォール峠を通過したところだろう」 「スカイフォール?」 「強いて言えば、第五チェックポイントのような場所だ。俺たちの目当ては次の次≠セよ」 ヌボコに促されて更に耳を澄ませると、公園を吹き抜ける潮風に微かな駆動音が混ざっていると確認出来た。 それも数台分の駆動音である。ここはAのエンディニオンだ。 MANAのエンジンを蒸かし上げる音に間違いあるまい。 見れば、ジェイソンも「ボサッと突っ立ってっと、ガーッて通り過ぎちまうぜ!」と、 駆け足の仕草(ゼスチャー)を取っているではないか。 宿所から散歩に繰り出したのは、直接的には大人たちの口論が鬱陶しかったからであるが、 この駆動音も目当てのひとつであった。 ジェイソンに急き立てられて、一行は食堂街と商業街を跨ぐアーチ橋へと移動する。 架橋の下に広がっているのは、川の流れではなく人々の行き交う町並みである。 より正確に表すならば、MANAが走行する道路だ。 他所と大きく異なっているのは、道沿いに分厚い壁が設けてある点であった。 カーブを曲がり損ねて突っ込んできたMANA――自走機械を堰き止める為の防壁であろう。 それはつまり、車体が吹き飛ぶような危険事故が頻発していると言うことだ。 これこそがシェインに異世界≠実感させた最大の要因である。 エルピスアイランドは島中に周回走路が走っており、 そこで何台ものレーシングマシーンが極限の速度を競うのだ。 競技に使用されるMANAは動力源となるCUBEを幾つも搭載しており、 その出力は一般向けの物と比して桁外れである。 音にも光にも達すると言われる世界でのレースは、エルピスアイランドで一番の名物であり、 この地を訪れた人々を熱狂させている。 スタンジス連邦では合法的な賭博としても認可されているので、 路上設置のダストボックスには予想を外した投票券――俗に車券とも呼ばれる紙切れである――が 大量に投げ込まれているのだが、これは余談。 いずれにせよ、自走機械が存在しないBのエンディニオンでは絶対に見られない光景だ。 ましてや、荒野を渡る人間にとって貴重な戦力ともなるMANAを娯楽の為だけに用いるなど、 贅沢の極みと言えよう。 シェインの隣に立ったヌボコは、ジャスティンと一緒になって競技の概要を説いていく。 ふたりの説明を受けてジェイソンは感嘆と共に頷き、シェインは無言で相槌を打っている。 今のシェインはヌボコと肩を並べているだけでも嬉しいのだ。誇らしく思う気持ちが全てに優先し、 競技の説明にも半ば上の空と言った有り様である。 間もなく、眼下をレーシングマシーンが駆け抜けた。 常人の動体視力では追跡しきれないような速度であったが、 架橋に集まった観客は狂わんばかりに大歓声を上げ、 予想を外した一部の者たちは悲鳴と共に投票券を宙に放(ほう)っている。 一方のシェインは、数多のレーシングマシーンが刻んでいった閃光(ひかり)の軌跡を、 ただじっと見つめていた。だからと言って、動力として組み込まれているCUBEの明滅が 網膜に焼き付いたと言うわけではない。 (光の道――なんて言ったら、クサ過ぎるかな?) 閃光の軌跡に重なるのは、ニルヴァーナ・スクリプトを経た際に包まれた真っ白な輝きである。 あのときに受けた光は、共に異世界へと飛び立った仲間たちに希望を授けてくれる筈だと、 シェインは強く確信していた。新たな時代を告げる鐘の音の代わりなのだ――と。 「ご満悦のようだな、シェイン? レースカーはあと三周はするぞ。お楽しみはこれからだ」 「ああ。……お楽しみはこれからだよ!」 眩い光の果てに導かれた相棒≠前にして、シェインは例えようのない昂揚に打ち震えていた。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |