11.在野の軍師の誤算


 ギルガメシュの使者が新たな御屋形≠訪ねて来た――グンガルがその報せを受けたのは、
バブ・エルズポイントから討手が出ていないことを完全に確認し、
合戦に参加した将兵を休ませている最中のことであった。
 テムグ・テングリの属領である小村に入り、分宿の手配まで済ませて
サルーンにて食事を摂っていたグンガルは、血相を変えて転がり込んできたビアルタに、
「カレーくらいゆっくり食べさせてくれ」と最初は辟易したような顔を向けたものである。
 しかし、彼の携えてきた急報を知った途端にスプーンを取り落とし、
これを拾うことも忘れてサルーンから飛び出すと、そのまま愛馬に跨った。
 十分に休息を取った後、ブンカンたちと合流するよう鞍上からビアルタに指示を飛ばすと、
自身は愛馬に鞭を入れて小村から駆け出した。
 目指す場所はただひとつ。エルンストの御曹司に何の相談もなく、
ギルガメシュの使者を勝手に迎え入れたタバートのもとである。
 タバートはハンガイ・オルスに程近い自然草原で居を構えている。
最後の砦を無血にて開城した後、彼は馬軍が伝統的に使ってきた移動式住居で暮らしていた。
 テムグ・テングリ群狼領の起源(ルーツ)は遊牧民であり、
遠征の際には搬送に適した組み立て式のテントを用いていたのである。
 羊の毛で拵えた不織布(フェルト)を被せた円形のテントは、
密集するような設営と共に馬軍の象徴としてBのエンディニオンで広く周知されている。
 中でもとりわけ大きく、猛々しい狼の威容(すがた)を染め抜いた軍旗を何本も立てたテント――
御屋形の住居へ駆け付けたグンガルは、直立不動で恐縮する衛兵に一瞥も与えず、
骨組みに嵌め込まれている木の扉を乱暴に開けると、
実際に姿を確かめるよりも早く「どう言うおつもりかッ!?」と憤激の声を張り上げた。
 三日三晩、満足に睡眠も取らず愛馬を駆って来た為、顔色も機嫌も頗(すこぶ)る悪い。
それ故に礼儀正しいグンガルとは思えないほどの不調法となっているわけだ。

「大伯父上ッ! 貴方は何を考えてこんな暴挙をッ!?」
「……キミが挨拶も出来ない若者とは思わなかったよ。悲しむべきことだな」

 数え切れないほどの書物に囲まれ、奥まった場所に机を置いた室内は、
執務室のような趣を整えている。椅子に腰掛けたままグンガルを迎えたタバートは、
鼻に掛けていた四角いフレームの眼鏡を外しながら、無礼極まりない類縁に冷たい眼差しを送った。
 彼が何に立腹しているのか理解した上で、自分の側には非などないと信じ切っている様子だ。
何処か人を見下したような態度であり、グンガルの苛立ちが鋭さを増したのは言うまでもあるまい。
 擬装に用いた『プール』の軍装を捨て、黒革(ブラックレザー)の甲冑に替えたグンガルと、
金の染め糸によって秀麗な刺繍が施された白い装束のタバートは、
そのまま武辺と吏僚の対立を表しているようにも見えた。
 タバートは武将≠ニ呼ばれる類の人間とは掛け離れている。
馬軍の『御屋形』としては異例の経歴とも言い換えられよう。
頭脳明晰で政務に適した人材だが、合戦場からは久しく離れており、血の臭いすら忘れかけている。
 テムグ・テングリ開祖の時代から血統を保つ名門の出身でありながら、だ。
 十代半ばで血気盛んな少年と、五〇代半ばに至って己の人生そのものに倦(う)んだ壮年と言う構図でもある。
虚しい諦念を宿したタバートの瞳は、前途あるグンガルを忌々しげに見据えていた。

「ギルガメシュの使者とはどんな話をされたのですか!? いや、問題は話し合った内容だけではなく! 
自分に何の連絡もして下さらないとは、一体、どう言う了見(おつもり)なのですか!?」
「予想した通りと言うのも面白くないな。やはり、そのことかね。いや、その程度かね……」

 大伯父に当たる相手へ礼儀も敬意もなく罵声にも近い語調で難詰するグンガルであったが、
対するタバートは、自分に向けられた問い掛けすら一笑に付した。
嘲り混じりの笑気を以って、「愚問」と切り捨てたようなものであろう。

「どうやら、彼らは統一された政権を作ろうと言うつもりらしい。
中央に一本の軸を据えると言う考え方は実に合理的だ。信任を得た上で統治を行うと言う仕組みも悪くない。
少なくとも、武力に物を言わせる強引なやり方よりも民の信頼は得られ易い」
「それでッ!?」
「ほう? 全体像も掴まない内から結論を得ようと言うのかね。早計だな、実に――」

 Bのエンディニオンに打ち立てられようとしている新しい政権――
『幕府』の委細を確かめようともしないグンガルに対して、タバートは失望の目を向ける。

「――承認したとも。テムグ・テングリ群狼領は幕府を全面的に支持する」

 エルンストに代わってテムグ・テングリ群狼領を統べる新しい御屋形は、
いともあっさりと幕府への服属を明かした。
 淀みない言い方には己の行動を愧じる念など一片も感じられず、それ故に幕府支持の表明にも躊躇はない。

「先程も言ったように、ギルガメシュが作ろうとする幕府は信任を得た上で成り立つもの。
私たちのように民を担う立場の信任を募り、公平な統治を約束しようと言うことだよ。
統治権、領有権の委任と言う形になるがね」
「大叔父上は、まさか……」
「ギルガメシュと我々は異なる世界に生まれた。相容れない筈だった。
その垣根を越えて縁(えにし)を求めてきた相手を、私は無碍には扱えない。
世界と言う垣根を超える最初の相手として、ギルガメシュはテムグ・テングリを選んでくれたのだよ。
彼らはテムグ・テングリに敬意を以って接してくれている。それ相応の態度で報いねばならない」

 幕府に連携することは道理に合っていると、タバートは淡々と説いていく。
 そのタバートに向けて怒号を浴びせかけることさえ、グンガルの頭からは抜け落ちていた。
ただただ首を横に振り続けるばかりなのは、憤激の炎が思考の回路をも焼き切ってしまったからである。
 大きく開け拡げられた双眸には、様々な情念が混沌として入り混じっている。

「……大伯父上、貴方は……貴方はご自分が何をなさったのか理解しておいでですか!? 
我が父、我が祖父が多くの犠牲を払いながら築き上げてきた栄光(もの)を、
大伯父上は一切合財ギルガメシュに差し出したのですよ!?」
「それは極論だな。委任したに過ぎないよ。財産はテムグ・テングリに残される」
「これまで流れてきた血に、先に死んでいった者たちに申し訳が立たないと、
少しでも考えたのでございますか!? それで、よくもこんな……ッ!」
「悲しむべきことだな。テムグ・テングリの血が意味もなく流れた」

 版図拡大に邁進し、草原の遊牧民から世界最強の騎馬軍にまでテムグ・テングリ群狼領を押し上げた
先代、先々代の功績を貶めるような発言である。
 如何に相手が大伯父――テムグ・テングリ群狼領の現在の御屋形であるとしても、こればかりは聞き捨てならず、
グンガルは「流れた血の意味は、貴方が一番解っていなくてはならないのですッ!」と激昂した。

「大伯父上は御屋形なのですよ、テムグ・テングリの!? その貴方が群狼領の礎を踏み躙ってどうされるッ!」
「キミに説教されるまでもないよ。……自由を信条としていた遊牧の民が城を築き、土地に縛られる――
これほど滑稽な話はエンディニオン史上、他に類を見ないだろうが、
現実問題である以上は無責任に放り出すことも出来ない。いみじくもキミの言った通りだよ。
私はテムグ・テングリを預かる立場なのだからね」
「ならば、それなりの務めを果たしてください! 我らの領地を差し出すなど持っての外! 今すぐに撤回を!」
「……テムグ・テングリを守るのが御屋形の務めと、私は心得ているのだがね。
それだから、私は幕府と共に歩む決意なのだ」

 グンガルがいきり立つほど、タバートの面に帯びた冷気は強くなっていく。

「それに――だ。考えてみたまえ、グンガル君。ここで『幕府など不当だ、断じて認めない』と反発すれば、
エルンスト君が見せしめに処刑されるかも知れないのだよ。
それはテムグ・テングリにとっても、……キミたちが精を出す連合軍にとっても大きな痛手ではないかな? 
私とて不本意だが、今は彼らに従うしかあるまい」
「……とても不本意のようには見えないのですが?」
「面白いことを言うね、キミは。ギルガメシュへの恭順を示しながら逆転の機会を計ると言うのが、
アルフレッド・S・ライアンの謀略ではなかったかな? 
幕府に賛同することはこれ以上ないと言うくらい優れた布石だと思うがね」
「恭順するにしても、先に根回しは済ませておくべきだと申し上げているのです。
……これは連合軍との連携の話だけではありません。属領の間には我ら宗主に従うべきか、
ロンギヌス社やギルガメシュに与するべきか、迷っている人間も多いのです。
ひとつ打つ手を間違えれば、取り返しのつかない事態になり兼ねません」
「幕府支持は見せ掛けに過ぎないと、伝令でも走らせるべきだった――と?」
「ブンカンがこの場に居たら、きっとそのように進言したことでしょう。
父上の頃からテムグ・テングリ群狼領を支える軍師ならば……!」
「私はテムグ・テングリの御屋形≠セと、先程も述べたばかりだよ、グンガル君。
テムグ・テングリの人間を路頭に迷わせるわけにはいかない。
その為の汚名ならば喜んで着よう。如何なる批難も甘んじて受けよう」

 如何にも含みを持たせた言い方であったが、その真意を追及しようにも、
「この話はこれまで」とタバートの側から一方的に接見を打ち切られてしまった。

「キミに相談もなく幕府支援を取りまとめたことについては謝ろう。
だが、あのときにはそれ以外の選択肢がなかったのだよ。
即時の返答を求められる私の立場と責任も理解して欲しい。
……我々は同じテムグ・テングリの民だ。理解し合うことは出来ても、いがみ合う必要はない筈だね」

 ただそれだけを言い渡したタバートは、机上に転がしておいた四角い眼鏡を掛け、
この仕草(ゼスチャー)を以ってしてテントから退出するよう促した。
 外部の思惑はともかくとして、タバートはテムグ・テングリ群狼領の御屋形に他ならないのだ。
如何にエルンストの御曹司とは雖も、彼の最終決定に逆らうことは決して許されなかった。
下手をすると、馬軍に対する謀叛とも取られ兼ねない。
 血を分けた父と祖父の功績が台無しにされたことへの憤怒や、タバートの振る舞いに対する反論、
唾と共に吐き掛けたい罵声が今にも飛び出しそうになるが、「御曹司」と言う矜持がこれを押し止める。
 今日(こんにち)の群狼領の礎となった人々の誇りを貶めることだけは、何があっても避けたかった。

「……大伯父上はテムグ・テングリ群狼領の全てを担っておられるのです。そのことをお忘れなきよう――」

 最後に一言だけを言い残し、グンガルはタバートに背を向けた。
 最早、先代の御曹司と新しい御屋形の間には交わす言葉などなかった。





 テムグ・テングリ群狼領が――否、タバートが幕府支持を表明した顛末は、
ザムシードのモバイルを通じてアルフレッドに伝えられた。
 言うまでもなく、通話の相手はグンガルである。タバートのテントから退出した後、
居ても立ってもいられなくなった彼は、ビアルタやブンカンよりも先にザムシードへ連絡を入れた次第だ。
 テムグ・テングリ群狼領の領有権だけで完結する問題であったなら、先ずブンカンに相談したことだろう。
だが、これは違う。史上最大の作戦を内側から崩壊させる可能性まで多分に含んでいる。
 それ故、マイクに接見しているだろうザムシードのモバイルへと電話を掛けたのである。
最悪にも近い緊急事態を如何にして対処すべきか、冒険王と話し合う為に、だ。
 その場にアルフレッドも居合わせていたことは、グンガルにとって何よりの僥倖であろう。
 通話に応じたザムシードから在野の軍師の帰還を教えられたグンガルは、
マイクではなくアルフレッドへモバイルを渡すよう指示を出し、次いで委細を明かしたのであった。
 タバートの独断を説明する前に「お身体に障りはないのですか?」と確かめた辺り、
グンガルの誠実な人柄が窺える――が、朗らかな気持ちに浸ってもいられない。
動転し切っている御曹司を落ち着かせることが先決であった。
 だからこそ、彼の友人たち――シェインたちの身に降りかかったことは伏せたのである。

「焦らなくてもいいんだぞ、グンガル。ここまでの流れは計算通りだ。
どうやらギルガメシュは俺たちの思惑に乗ってくれたらしい」
「で、ですが! こうなってはテムグ・テングリの独立さえ危うくなってきます!」
「これがお前たちにとって由々しき事態と言うのは重々承知している。その上で、落ち着いてくれと言っている。
……耐え難い試練ばかり押し付けてすまないと思っているが、ここが連合軍の正念場だ」
「アルフレッドさん……!」
「ギルガメシュに中央政権を取り仕切るだけの能力はない。幕府などと威張っているのも最初だけだ。
半月もすれば統治そのものが破綻して、元の領主に泣き付くしかなくなる。
……それまでは、どうか辛抱してくれ」

 つい先程までマイクたちと議論していたこともあって、アルフレッドの思考と理路は整理されている。
幕府がテムグ・テングリ群狼領から領有権を取り上げることは、想定の範囲内なのだ。
 タバートはテムグ・テングリ群狼領に於いて守旧派の中心人物であると聞いている。
そのような立場の男が自ら進んでギルガメシュに傅いたことは、大局的に見れば最も望ましい筋運びであった。
 連合軍の作戦を守る為とも口にしたそうだが、それは完全なる建前であろう。
 エルンストと言う革新派が退いたテムグ・テングリ群狼領の基盤を守旧派の手で固め直す。
その為にもギルガメシュとは良好な関係を保たねばならない――タバートの狙いはこれに尽きるのだ。
 勇敢なる馬軍の御屋形にあるまじき無様を目の当たりにしたとき、
連合軍諸将の心理はどのように働くだろうか。真の王者として毅然と在るエルンストを待望する声が
相対的に高まるものと、アルフレッドは胸中にて計算していた。

「最終的な勝利を目指すと言うアルフレッドさんの作戦には異論もありません。
自分も最善の選択肢だと信じています。……でも、ブンカンたちに何と説明すれば良いのか……」
「お前やエルンストには何の罪もない。今度の一件、タバートひとりに責任がある。
いずれ幕府が崩壊したとき、その責任をタバート自身が贖うことになる。だから――」

 そのようにグンガルを励ましていると、アルフレッド自身のモバイルがズボンのポケットで振動し始めた。
 二台のモバイルを同時に操れるほど器用でもないアルフレッドは、
通話を求めてきた相手が諦めるまで黙殺を決め込んでいたのだが、振動が終わるや否や、
今度はMANAの説明を聞いていたマリスのもんぺ≠ゥら電子音が鳴り響いた。
 おそらくは佐志の誰かが連絡を入れてきたのだろう。
アルフレッドが着信に気付かなかったと判断し、通話の相手をマリスへ切り替えた様子である。

「……アルフレッドさん? どうされました?」
「いや、……何でもない。とにかくだ、マイナス要素をひとつずつプラスに換えていくんだ。
御曹司のお前はタバートには迎合せず、父の路線を貫くと諸将に示してだな――」

 アルフレッドの視線の先ではマリスがモバイルを耳に宛がっている。
グンガルと通話しつつ、彼女の動きを目だけで追っている為、内容まで聞き取れなかったのだが、
ただでさえ白い頬から僅かな生気までもが抜け落ち、病的な色に塗り変えられていくのが見える。
 穏やかならざる事態がモバイルを通じて伝えられたことは明らかであった。

(一体、何だと言うんだ?)

 モバイルを耳に宛がったままで、マリスはライナに何事かを掛け合っている。
 すると、ライナまでもが眉間に皺を寄せ、慌てた調子でノートパソコンを操作し始めた。
これはケーブルによってモニターと連結されており、映像を出力する機械の代用とも言える。
 モニターに表示された内容がMANAの紹介から別の画面へと切り替わる頃には、
ケートやビンにも緊張が伝播していた。
 パソコン上に於ける操作の内容がモニターの画面に映し出されているのだが、
どうやらライナは、ネットニュースの最王手である『ベテルギウス・ドットコム』のサイトを
閲覧しようとしているらしい。
 果たして、ベテルギウス・ドットコムのサイトでは、何やら熱弁を振るう男性の映像が垂れ流されていた。
『中継』と言う画面内の字幕から察するに、生放送のようである。
 画面下には映像の累積放送時間も表示されており、配信開始から二〇分余りが経過していることが確認出来た。
 ライナは件の映像をモニター画面全体にまで拡大し、続けて音量も引き上げていく。
 モニターに映し出された背広姿の男性にはアルフレッドも見憶えがない――が、
胸の辺りに表示された字幕が、彼の肩書きを明らかにしていた。
 新体制の『幕府』は正当にして安全。政治アナリストが語る――初老の男性の肩書きには、
そのような一文が添えられている。

「……掛け直す」

 グンガルの返事を待つこともなく通話を打ち切ったアルフレッドは、
本来の持ち主であるザムシードへモバイルを返すことさえ忘れ、
唖然とした面持ちでモニターを見つめるばかりであった。
 ザムシード自身もモバイルの返却を求めることはない。彼も、その傍らに在る源八郎やティンクも、
今はモニターの画面に釘付けとなっており、他のことに気を回す余裕など全く持ち得なかった。

「い、今、撫子さんから電話を頂戴したのです。ネットサーフィンをしておりましたところ、
ベテルギウス・ドットコムが更新されていて、それがとても信じられない内容だから、
すぐにアルちゃんに見せるようにと。それで、わたくしのところに電話がありまして……」

 アルフレッドのもとへと歩み寄ってきたマリスの説明は、
余りにもたどたどしく、殆ど要領を得ないものであった。
 彼女自身も混乱し切っており、頭の中で要点をまとめられていないのだろう。
 だが、マリスが如何なることを伝えたかったのかは、
ベテルギウス・ドットコムが配信する生放送の内容から察せられる。
 『幕府』と言う統治体制は安定性に富んでおり、
Bのエンディニオンの民にとっても、Aのエンディニオンの難民にとっても、
最も望ましい政体である――と、専門家を名乗る男性は切々と語り続けていた。

「……してやられたな。人質から委任を取るっつーのは、オレらを撹乱する罠だったのかも知れねぇ」
「あの男は、私たちが暮らしていたエンディニオンでは名の知れた政治アナリストですよ。
……ギルガメシュは情報戦を仕掛けてきたようですね」

 マイクが漏らした呻き声にジョウも重々しく頷いた。
 ニュースの公平性を声高に掲げているベテルギウス・ドットコムが、
自ら進んでプロパガンダに加担したとは考えにくいが、現在、放送されている内容に関して言えば、
統治権及び領有権の委任をBのエンディニオンへ広く募る為の布石に他ならない。
 それが証拠に、テムグ・テングリ群狼領が逸早く幕府支持を表明した旨を執拗に繰り返している。





「――よォ、親不孝モン。お袋さんに電話くらいしてやれよ。すげぇ心配してたぜ」

 ビッグハウスより遠く離れた佐志に在るヒューは、
アルフレッドからの連絡を軽食喫茶の『六連銭(むつれんせん)』にて受けた。
 女主人(ママ)は夜に向けて仮眠――陽が暮れてからが本番なのだ――を取っている為、
現在は給仕(ウェイター)のカミュが店を預かっていた。
 給仕(ウェイター)と雖も、カミュ自身の料理の腕前も相当に上達しており、
近頃は女主人(ママ)も安心して店番を任せられると言う。
 Bのエンディニオンで随一と謳われる名探偵は、
『六連銭』のカウンター席に腰掛けながらモバイルに向かって説教を垂れたのだ。
 右隣にはセフィが、左隣にはローガンが、それぞれ着席している。
三名の手元には、カミュ手製のチキンカツサンドの皿が揃って置かれていた。
 大葉を挟んで揚げた二枚の鶏胸肉には柚子胡椒が程よく塗り込まれており、
胃袋を刺激する香りでもって店内を満たしている。
 二人前を頼むほど腹を空かせたローガンなどは、直ぐにでも齧(かぶ)り付きそうなものだが、
飼い主から待機を命じられた犬の如く圧(へ)し口を作って食欲を抑え、
ヒューが持つモバイルを凝視し続けている。
 改めて詳らかにせずとも察せられるだろうが、『六連銭』にて昼食を摂ろうかと言う間際に、
アルフレッドからの着信が入った次第である。
 窓際のテーブルには、行儀悪く椅子の上で胡坐を?く撫子の姿もあった。
例によって例の如く、その姿勢でモバイル操作に耽っている。
 撫子と差し向かいの椅子には、取材の拠点たる佐志へと戻ってきたばかりのトリーシャが座っていた。
 ふたりが共有する一枚のテーブルの上には相当な数の料理が置かれており、
白米の山が顔を覗かせる飯碗を左手に持ったトリーシャは、大層幸せそうな面持ちでこれらを眺めている。
 陶製の角皿に盛り付けられた白身魚の煮浸しを箸で切り分け、
口に運んだ瞬間などは、「ファンタスティック!」と感動に声を震わせた程である。

「オーバーにも程があんだろ。煮浸しだって初めて食うわけじゃねぇだろうに。
人ン家のこたつを占領したときだって、てめぇ、このテのメシはガツガツいってたじゃねぇかよ」
「違うのよ、違うのよ。取材中ってのはスピード勝負だから、落ち着いてご飯も食べられなくってさぁ。
ジャンクフードも嫌いじゃないけど、こーゆー繊細な味付けはご無沙汰だったのよ。
……嗚呼、椅子に座ってご飯なんて最高の贅沢だわ……!」
「意味わかんねーぞ、てめー」

 撫子とトリーシャによる他愛ない雑談はともかくとして――ヒューたちが『六連銭』に揃っているのは、
無論、偶然などではない。示し合わせて集まったのである。
 昼過ぎにはアルフレッドから連絡があるものと予想したヒューが皆に呼びかけ、
先述の面々が『六連銭』に入ったと言う次第だ。
待機がてら昼食を摂るのであれば、役場の会議室よりも軽食喫茶のほうが落ち着けるだろう。
 果たして、ヒューの予想通りにアルフレッドから着信があり、
『六連銭』の一同――但し、トリーシャを除く――は昼食を中断することとなった。

「冗談を言っている場合じゃないことは、お前だってとっくに分かっているだろう。
悪ふざけも時によりけりだ。次に同じ真似をしたら本気で怒るぞ」

 通話を始めた途端に家庭の事情を弄(まさぐ)られたアルフレッドは、
この上なく不機嫌そうな語調でもってヒューの軽口を詰った。
 アルフレッドが憤激に染まった状態であることは、着信が入る前から織り込み済みであったので、
ヒュー自身は大して気にはしていない。自身の軽率を詫びて改めるどころか、
「図星突かれて駄々を捏ねるなんて、アルフレッドちゃんってば何歳でちゅか〜」と挑発でもってやり返した。

「おい、ヒューッ!」
「そんな場合じゃなくたって、言わなきゃならね〜んだよ。……俺っちも人の親なんでよォ」

 皮肉とも訓戒とも取れることを言い捨てたヒューは、受話口から飛び出してくる怒声をも黙殺し、
セフィに向かって自身のモバイルを放り投げた。
 通話の相手を怒らせた状態で交代を強いられるなど堪ったものではなく、
困り顔でモバイルを受け止めたセフィは、受話口を耳へ宛がう前に
「ヒューさんに代わって、ここから先は私――セフィがお相手します」と名乗った。
 何よりも先ず怒声を封じ込めないことには、正常(まとも)な会話すら難しかろう。
通話の相手が交代したことを確かめれば、少しは憤怒が和らぐものと考えたのである。
 少なくとも、アルフレッドにとってセフィは叱声の対象ではない。

「アル君が何を仰りたいのかは、私たちも承知していますよ。撫子さんが例の生放送を見つけた直後から、
私もヒューさんもツテを頼って彼方此方の様子を探っていましたので」
「それなら、……別に良いんだが」

 アルフレッドが知りたがっているだろう情報を一気呵成に並べ立て、
立腹していた事実さえ忘れさせようと言うのがセフィの計算である。
憤激を逸らすには、餌を撒くのが最も効果的だと考えたわけだ。
 案の定、アルフレッドはセフィの話には冷静に耳を傾けている。
 真横のヒューを一瞥し、おどけた調子で片目を瞑って見せると、名探偵(かれ)は肩を竦めてそっぽを向いた。
セフィから窺うことは出来ないものの、その面には苦笑いを貼り付けているに違いない。

「……但し、アル君のお気に召さない状況かも知れません。
タバート氏のもとを訪ねた使者は、その足で別の面会に飛んだ様子です」
「それが何処だか分かるか?」
「『ヴィクド』ですよ。熱砂の合戦で特に激しく戦った傭兵軍団を切り崩しに掛かったようですね」
「アルカーク・マスターソンがサミットでどんな発言をしたのか、誰からも聴いていないのか、ギルガメシュは。
大胆と言うか何と言うか……自殺行為としか思えないな」
「勿論、ターゲットはヴィクドだけじゃありません。同じような使者が方々に放たれたと見て間違いないでしょう。
私が世話になっているプロ≠ニヒューさんのお得意様、両方でウラを取りましたが、
調略の手がエンディニオン全体まで伸ばされつつあります」
「間抜けな質問かも知れないが、情報のプロ≠ニ言うことで良いんだな?」
「広い領土を持つ者や、土地の大きさに関わらず、様々な方面に強い影響力を持った者――
有力者に類される人間から順に篭絡していく腹積もりのようです。
……平たく言うと、『ジューダス・ローブ』が仕留め損ねた輩になりますか」
「……そう言うことになるのか……」
「……ボケ殺しは勘弁してくださいよ、アル君。私としてもギリッギリのラインだったんですから」

 アルフレッドの声は流石に硬く、精神的な疲弊を感じさせた。
 サミットで捕らえた人質以外からも統治権が奪われることは、さしものアルフレッドも想定外であり、
まんまと出し抜かれた恰好である。
 いとも容易くタバートは傅き、今度はアルカークに調略の罠が仕掛けられた。
これはつまり、連合軍の切り崩しにも通じる事態なのだ。
 エルンストの面前にて交わした同志の誓いを、アルフレッドは強く信じている。
 主将自らが最後の逆転を期して逆境に身を置いているのだ。
自らの生命を賭して、連合軍に再起の可能性を残したと言っても過言ではない。
そのことを考えれば、同志の誓いを裏切ることなど出来るわけがない――
アルフレッドの心は、この思いで占められているだろうとセフィは想像していた。
 大きく外してはいないだろうとの確信も持っている。
セフィ自身、アルフレッドの思いと、これに基づく立案に理があると信じたからこそ、
ハンガイ・オルスに於いても同志の結束に奔走したのだ。
 しかし、国際的なテロリストとして裏社会を渡ってきたセフィは、
アルフレッド以上に人間の心の闇≠知っていた。
 それ故にセフィには危うく思えてならないのだ。
 『在野の軍師』とも称されるアルフレッドは、馬軍の覇者に大いなる希望を見出していた。
 確かに希望は重要である。劣勢窮まる連合軍を奮い立たせ、同志の結束を一等強めるには、
エルンストと言う名の希望が不可欠ではあった。いずれ到達すべき理想の顕現とも言い換えられよう。
 だが、重大な立場に在る人間ほど、その心は移ろい易いものである。
単に日和見と言うことではない。自領の民の生命を預かる以上、守らなくてはならない一線があるわけだ。
 例えば、世の風向きが大きく変わったとする。これに逆らおうものなら自領の民まで吹き飛ばされる――
そのような事態に直面したとき、責任ある者は方向転換せざるを得なくなるのだ。
 連合軍としてギルガメシュに勝てなくとも、民の暮らしを守れるのならば、喜んで裏切り者の汚名を着るだろう。
 在野≠ニ冠する軍師は、このような責任とは無縁である。
 煩わしいしがらみを持たないからこそ、史上最大の作戦を立案出来たとも言えるのだが、
現在(いま)となっては、それが悪い方向に作用するのではないかと案じられた。
 心に染み出していくような不安を持て余しながらも、アルフレッドを気遣って口には出さず、
会話が途切れた瞬間を見計らって、セフィは本来の持ち主へとモバイルを返した。
 煩わしげな表情(かお)を浮かべるヒューではあったが、
さりとて、今後の方針も確認しないまま通話を終えることは出来ない。
如何にも面倒くさそうにモバイルを耳に宛がうと、
「ジューダス・ローブ潰しは失敗だったかもな。邪魔者を根絶やしするまで泳がせときゃ良かったぜ」と、
穏やかならざる冗談を飛ばした。

「……セフィに睨まれてるだろ、お前」
「知ったこっちゃねーな。いつも通り、付け毛で顔面隠してっから目の動きなんか見えやしねぇ。
……動きが見えにくいのは何処も一緒さ。良からぬ相談持ちかけられた連中がどうすんのか、
探りを入れてくしかねぇんだけど、もしかすっと雲行き怪しくなるかもだぜ」
「長い物に巻かれろ≠ニ言う心理だな」

 通話口から漏れてきた重苦しい溜め息に釣られて、ヒューまでもが呻き声を零してしまった。

「そこに皆でやれば怖くない≠チてェ情況を掛け合わせようって魂胆だわな。
忘れてたわけじゃねぇが、ギルガメシュの軍師は相当なやり手だぜ」
「有力者を取り込んだとプロパガンダ放送で世間に知らしめる計略だろうな。
癪に障るが、俺たちの考えていた情報戦と性質が似通っている」
「我らが軍師サマもギルガメシュの野郎に引けは取ってねぇってこった。
それが分かっただけでも、めっけもんじゃね〜の。手の届かないレベルじゃねェさ」
「茶化すな。……小さな町村がこぞってギルガメシュに擦り寄る事態は避けたかったが、
それこそ敵の狙いだろう。プロパガンダ放送は群集心理を煽るには持ってこいだ」

 小村の寝返りは、ハンガイ・オルスに於ける多数派工作の折にも最大の懸念事項であった。
 独力ではギルガメシュに対抗出来ないような寒村の代表補佐は、
徹底抗戦が議決された場合、村ごと滅びるしかないとまで思い詰めていた。
同様の不安を抱えた町村は非常に多く、説得に当たったアルフレッドたちの頭を悩ませたものである。
 防衛に要する戦闘力の補填などはビッグハウスやパトリオット猟班が分担して受け持つこととなり、
問題解決に向けて具体的に動いてはいる――が、目に見える形で成果を確認出来るものではない為、
合戦への不安を拭い切れたかは分からない。
 そもそも、だ。ビッグハウスと言った大勢力の恩恵を受けられるのは連合軍の同志だけであり、
この輪にも入らなかった町村は全くの対象外である。
 何時、攻め滅ぼされるとも知れない不安の中で、新たに何らかの刺激が加わったなら、
自発的に幕府へ加担するかも知れない。

「ぶっちゃけ後手後手だけど、何か対策立てたほうが良くねぇか? 
気付いたときには孤立無援(ぼっち)なんて、シャレじゃ済まねーぜ」
「これからマイクやグンガルとも話し合ってみようと思っている。闇雲に動いては逆効果だろうからな。
お前たちは引き続き情報収集を頼む。妙な動きを察知したら直ぐに知らせてくれ」
「了解。……そこら中で妙な動きが起きたら、電話もひっきりなしだと思うけどよ」
「さっきも言っただろう。冗談は時と場合によりけりだと」

 必要なことは全て確認出来たので、このまま通話も終了しても構わないと思ったのだが、
左隣に座したローガンが頻りに自分の顔を指差しており、ヒューとしても代わらざるを得なくなってしまった。
これを無視してモバイルを仕舞ったなら、後で首を絞められるだろう。

「――こら、アホ弟子っ! 道草食っとらんで、早(はよ)う帰って来ィや!」

 殆ど引っ手繰るような勢いでヒューのモバイルを取ったローガンは、
発する声にも満面にも、喜色と言うものが溢れている。
 前回、アルフレッドからヒューのモバイル宛に着信があったときは別の場所に居たので、
愛弟子の声を聴くのは久しぶりなのだ。無事と言う報せこそ受けていたものの、
実際に言葉を交わすまでは安堵よりも心配のほうが強かったに違いない。

「お前、何か食っているだろう。それで電話を代わるのか。……いつも思うが、どう言う神経なんだ」

 久しぶりに聞いた弟子の言葉は、いつものように手厳しいものであったが、それでも師匠には堪らなく嬉しい。
鼓膜から染み込み、心の奥まで響いていくようであった。

「昼時やで? メシ食うんは当たり前やがな」
「電話の最中に飯を食うのは当たり前ではなく非常識と言うんだ」

 尤も、アルフレッドにしてみれば最悪の気分であろう。
 食欲が我慢の限界を超えたローガンは、ヒューとセフィが通話をしている間にチキンカツサンドを食べ始め、
鶏胸肉の塊を頬張りながらモバイルをもぎ取ったのである。
 今も対の手にはチキンカツサンドを一切れ持ったままだ。これも通話の最中に平らげてしまうだろう。
咀嚼する音が直線的に鼓膜へ飛び込んでくるのだから、アルフレッドとしては堪ったものではあるまい。

「……ホンマに大丈夫なんやろな? どっか、おかしくしたんとちゃうか?」
「会う人間会う人間、みんな同じことを聞いてくる。いい加減、辟易していたところだ。
身体に異常が残ったのであれば、隠さずに伝える。互いに正しく状況を確かめ合っていなければ、
戦力の計算も成り立たない。違うか?」
「そんだけ減らず口叩けるんやったら平気っちゅーこっちゃな」
「何度も同じことを言わせるな。辟易しているんだよ、俺は」
「お前はやせ我慢が多いコやさかい、耳にタコ出来るくらい繰り返さんと本音言わんやろ。
佐志(こっち)帰ってきたら、実はケガしてましたなんてコトになってみぃ、
ゲンコツ落とすくらいじゃ済まさへんで」
「あのなぁ……何時からお前は俺の母親になったんだ?」
「そや! ヒューも言うとったけど、お袋さんと親父さんに声聞かせたりィや! 
孝行したいと思うたときに肝心の親がおらへんかったら、どーもならんやろ? 
そーゆーのを後回しにしてまうやん、お前。後悔する前に釘刺さなて思(おも)てたんや!」
「実の母親を討とうとしている人間に、どう言う冗談だ」
「そっ、それを持ち出すんかいな!」

 喋り始めた頃と比べてアルフレッドの声が柔らかくなったと感じたローガンは、
送話口のマイクに拾われないよう静かに安堵の溜め息を吐いた。

「――そうだ、ヒューに訊きそびれたんだが、守孝やコクランはどうしている? 一緒に居るのか?」
「なんやねん! もう仕事の話かい! ワイと仕事のどっちが大切なんや!?」
「仕事に決まっている」
「即答すな!」

 可愛い弟子からぞんざいに扱われても、心の広い師匠は決してめげない。

「お孝さんはいつも通りや。朝からナガレと港に詰めとるよ。夕方くらいまで此処には来ぃへんとちゃうか。
……ああ、今な、ワイら、『六連銭』におんねん。今日はチキンカツサンドやで」
「だから、食いながら喋るな。クチャクチャ煩い」
「カミュちゃんのメシ、やめられへん、止まらへんのや! 
ヴィンセントかて必ずっちゅーくらい『六連銭(ここ)』で食っとるで。今はおらへんけど」
「シラカワと一緒にまだ港か」
「ちゃうちゃう。さっきまでお前から電話来んのを一緒に待っとったんや。
けんど、会長はんから電話着た言うて店を出てってもうた。その内、帰ってくるやろ」
「……その会長についても訊きたいこともあったんだがな」

 ローガンの視線はカウンターから少し離れた一枚のテーブルに向かっているが、
机上には食べかけのカニクリームコロッケ定食が置きっ放しとなっていた。
 すっかり冷めてしまっているものの、それでもカミュが片付けないのは、
いずれヴィンセントが帰ってくると判っているからだ。
椅子の背凭れには脱いだ上着も掛けられている。

「お喋りしながら待っとればええやん。ワイなら幾らでも付き合うで? 
人のモバイルやさかい通話料も気にせんでええしな!」
「お〜い、持ち主を前にして、こすっからい話してんじゃね〜よ」
「それだけじゃなく、ケチ臭いことこの上ないですね」
「ヒューの文句とセフィの呆れ声が聞こえてきたぞ。
……まあ、いい。佐志に戻ってから詳しく話をすると、それだけコクランに伝えてくれ」
「なんや素っ気ない。もうちっと師匠とお喋りしようや〜」
「切るぞ――」

 まるで話し足りないローガンとは対照的に、アルフレッドの側は淡白なものである。
用事は済んだとばかりに容赦なく通話を打ち切ってしまった。
 おそらくローガンの側から電話を掛け直してもアルフレッドは黙殺するだろう。
次に再会するまでは、とかく無理を重ねがちな弟子の体調さえ確かめられないと言うことだ。
 モバイルからは通話終了を告げる無情な電子音だけが垂れ流されており、
「ワイやなかったら破門やで、この仕打ちィ!」と恨み言を吐いたところで応答する声はなかった。

「――え、ちょっと! 電話切ったの!? ネイトやフィーがど〜なったのか、もっと詳しく聞きたかったのに!」
「ワイの所為やあらへんがな! アルが一方的にブチ切ったんやで!?」
「そこは上手く引き止めてよ! あいつの師匠じゃないの!」
「素直に言うこと聞くよなタマやったら、もっと可愛げあったやろな!」

 次は自分に順番が巡ってくるものと考えていたトリーシャは、
ヒューの手元にモバイルが返却されるや否や、両手を振り上げながらローガンに食って掛かった。
思わず全身で表してしまう程に苛立ちが強いと言うことだ。
 批難の声にも含まれていたが、転送事故の経緯をアルフレッドの口から詳しく聞きたかったのである。
トリーシャからすれば、恋人と親友が不測の災難(アクシデント)に巻き込まれているのだ。
伝聞ではなく詳説を求めるのは、ごく自然であろう。
 性格上、口に出して言うことはないのだが、撫子も決死隊の安否が気に懸かって仕方がなく、
引き篭もりがちな自宅から『六連銭』まで出張ってきたのだ。
 誰より撫子に懐いていたルディアも、転送事故に遭遇したひとりだった。
フィーナたちと一緒に水无月家まで押し掛けては、テレビゲームなどに興じたものである。
 「友人」と呼べる数少ない人々の情報が何ひとつ得られなかったことで一気に機嫌を損ねた撫子は、
ただでさえ悪いと言われる目付きを更に鋭くしてローガンを睨(ね)め付けると、
「こんなに使えねぇポンコツ、初めて見たぜ」と痛罵を吐き捨てた。

「そらあんまりやがな! ヴィンセントも帰って来ィへんから引き止めたろと思うたんやで! 
アルのヤツ、こっちの気も知らんと一方的に切りよったさかい――」
「責任転嫁してんじゃねーぞ、ハゲ」
「ハゲてへんがな! ハゲてへんがなッ! バンダナの下はフッサフサやねん! 失礼やなッ!」

 冷ややかな眼光を浴びせてくる女性陣に対し、やるせない思いで弁解を試みるローガンの傍らでは、
ヒューとセフィが互いの顔を見合わせていた。揃って口元を歪ませつつ、意味ありげな視線をも交えている。
 鼻先から上をルビーレッドの付け毛(エクステ)で覆い隠している為、
相変わらず感情の揺らぎが掴み辛いものの、今のセフィは自分と同じ目をしているだろうと、
ヒューは確信していた。

「ヒューさんはどう見ておられるのですか? 今度の事態を……」
「どうもこうもねぇよ。攻撃一辺倒のギルガメシュがこんな搦め手隠してやがるとは
俺っちだって読み切れなかったぜ。……『ジューダス・ローブ』にだって予知出来なかったんだろ? 
先に分かってりゃ意地でも始末を付けただろ〜しな」
「サミットの列席者が幕府とやらに利用されることは、あの時点≠ナは知り得ませんでしたよ。
どこかの誰かさん≠煖ツっていましたが、未来予知の能力(トラウム)が損なわれるのは、
些か早過ぎたのかも知れません。不十分な情報の断片から未来と言う名のパズルを自力で組み立てるのは、
正直申し上げて、恐ろしく骨が折れますからね」
「ケッ、口の減らねぇ元テロリストだぜ。……お陰で手前ェの首を絞めてる気分になってきやがった」

 自身の歩みを顧みる恰好となったセフィは、自嘲混じりの笑気を溜め息と一緒に零した。

「当分の間、アル君はビッグハウスからお戻りにはならないでしょうから、
我々のほうで善後策を練っておいたほうが良いのでしょうか。あくまでも選択肢のひとつとして」
「ギルガメシュの軍師は、そこまで読み抜いて引っくり返してくるかも知れねぇけどな。
……アルみてェのが他にも居るってコトが俺っちには信じらんねぇよ」
「……これから先も我々の前に立ちはだかるのでしょうね」
「沖に浮かぶ監視船はともかく、佐志はもうギルガメシュに宣戦布告しちまったからな。
分かっちゃいたけど、いよいよ腹ァ括って挑まなきゃならねぇわな」

 ふとカウンター席の向こうを見れば、眼前で繰り広げられる会話に不安を抱いたらしいカミュが、
少女と見紛うばかりの面に逼迫した表情を貼り付け、俯き加減で立ち尽くしているではないか。

「おっとぉー……もしかして、カミュちゃんを怖がらせたかな?」
「誤解をさせてしまったのなら申し訳ありません。直ちに佐志が戦場になるようなことはありませんから、
どうかご心配なく。カミュさんもご存知のようにギルガメシュの一部も我々の同志ですので……」
「それなら、いいんだけど……」

 沈鬱な面持ちのカミュを見て取るや否や、ヒューとセフィは慌てて頭を下げた。
 戦いと陰謀に身を投じる者同士が懸念を共有することには何の問題もないが、
血の匂いや死の影を迂闊に外部(そと)へと漏らし、
無関係な人間まで狼狽にさせることは、可能な限りは避けるべきであった。
 不必要に恐怖と混乱の種子を振り撒くことは、戦局にまで悪影響を及ぼすのだ。

「俺っちらは、ほれ、年取ると心配事が尽きねぇってワケさ。
あーでもねぇこーでもねぇって悩むのが仕事みてぇなもんだよ。
ピチピチなカミュちゃんは、な〜んも不安になんなくていいんだぜ?」
「お言葉ですが、私はカミュさんとそんなに年齢(とし)は変わりませんよ。
ヒューさんみたいな本物≠ニ一緒にしないで頂けませんか」
「本物≠チて何だよ! あんまふざけたこと言ってっと、
うちのカミさん、ここに連れてくんぞ!? 本物≠チつうモンを見せてやらぁよ!」
「私は構いませんが、連れて来たところで滅多打ちに遭うのはヒューさんでは? 
女性に向かって失礼にも程がありますよ」

 穏やかならざる議論の代わりに漫談のようなやり取りを披露すると、カミュも俄かに笑顔を取り戻し、
これに安堵したヒューとセフィは、目配せでもって落着を確認し合った。

「――おい、ライアンは!? まだ電話は来ねぇのか!? 厄介なことになったぞ……ッ!」

 その直後のことである。
 ロンギヌス社の会長から着信が入り、店の外へと出ていたヴィンセントが顔面蒼白で戻ってきた。
唇の色などは殆ど病的な紫に近く、生気は一欠けらも残されていないように見えた。
 奇しくも、グンガルから馬軍の緊急事態を報(しら)されたザムシードと酷似する情況である。




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