12.攘夷思想


 テムグ・テングリ群狼領の支持表明と、これを報じるネットニュースを通じて『幕府』の存在が公になった。
水面下では成立を急ぐギルガメシュであるが、正式には新しい政体の創設を認めてはおらず、
巷に流れる情報は風説の域を出ていなかった。
 ベテルギウス・ドットコムのサイトにて大きく取り上げられた「幕府は正当で安全」なる急報にさえ、
ギルガメシュ側は何ひとつ言及しなかった。報道が事実だと認めることも、誤りとして訂正を求めることもない。
 ただひたすらに無言を貫き続けていた。
 これもまたギルガメシュの仕掛けた情報戦である。手筈を調えたのは軍師たるアゾットであろう。
風説と言うものは流行り病のように伝播し易く、しかも、囚われた人々の間で突飛な憶測を呼び、
恐怖と焦燥、あるいは絶望を際限なく膨張させるのだ。
 不安の種は人の心から理性と言う名の養分を貪り喰らい、醜悪な花を咲かせる。
その花弁は目にした者へ極限の負荷を与え、風に乗って撒き散らされる香りが狂気を呼び覚ますのである。
 悪夢としか例えようのない花が枯れ落ちるまで、これらは決して止まることはない。
そして、花が枯れる瞬間(とき)は、周辺の生命が吸い尽くされた結末(とき)である。
 この大仰な喩えは、今や現実の問題としてアルフレッドたちを脅かそうとしていた。
 ヒューとセフィが調査したところによると、ギルガメシュに権能の委任を申し出る小村が後を絶たないと言う。
連合軍に協力的であった者でさえ幕府参画の交渉を求める有様だ。
 連合軍の盟主たるテムグ・テングリ群狼領が幕府の支持を表明した影響は、計り知れないほど大きかった。
 無論、このような事態になることをアルフレッドも想定はしていた――が、
予測は予測でしかなく、そこに抑止力など備わっている筈もない。
 「指を咥えて眺めている」と言う表現は、このような状況を指すのであろう。
実体のない時流を操作し得る手立ては、如何に『在野の軍師』と雖も持ち合わせてはいなかった。
 幕府に因んだ報道も歯止めが利かなくなっている。
 ベテルギウス・ドットコムによる第一報以来、所謂、ローカル局に於いても、
その土地の名士を招いた討論番組が相次いで製作されていた。
幕府が地方に及ぼす影響や、成立後の展望を広く知らしめようと言う企図であろう。
 尤も、番組に招かれるのは論客とは名ばかりの俗物ばかりである。
ギルガメシュに擦り寄って甘い汁を吸おうと言う魂胆が透けており、
過日のトキハのように「政体としての正当性を他者の権能に依存する危うさ」などを
問題提起する人間は絶無に等しかった。
 テレビ放送だけでなく、メディアに露出する誰もがギルガメシュの報復に怯えているのだ。
 ワーズワース難民キャンプを蹂躙した駐在軍の公開処刑は全世界に放送されている。
獣骨の十字架へ磔にされた哀れな遺骸を市中に引き回し、次いで鞭を打ち、
火炎放射で焼き捨てると言う残忍な所業である。死ぬより恐ろしい仕打ちと言っても差し支えはあるまい。
 ギルガメシュを批判でもしようものなら、件の駐屯軍と同じ形で報復されるかも知れない――
その恐怖に対して、竦むなと強いるほうが無理と言うものであろう。
 情報戦は依然としてギルガメシュの優勢で進んでいる。
 ベテルギウス・ドットコムにも、主だったローカル局にも、
権能委任の進捗状況と言った極秘情報が流れている筈だ。無論、情報源はギルガメシュである。
 軍師の職に在り、且つ諜報部員を指揮するアゾットであれば、
匿名情報の提供と言った小細工≠ヘ造作もないことだ。
 ギルガメシュが声明のひとつも発表しないまま、報道だけが過熱する状況は、遂に三日目を迎えた。
 ヒューたちの調査に拠れば――否、裏の情報屋に頼るまでもなく、
世相が幕府成立を確定的なものとして捉え始めたのは明らかであった。


 新たな客人が冒険王の邸宅を訪ねたのは、その混乱の只中である。
 マイクの妻、ケート・クレメンタイン・ワイアットに案内された客人が足を踏み入れたのは、
ごく親しい友人だけが通される応接室である。公務に用いる貴賓室とは別の場所に所在しており、
内装も冒険王の趣味が多分に反映されていた。
 床全体を覆い隠すように敷かれた広い絨毯は、Bのエンディニオンの地図が模様として編み込んである。
世界の海を股に掛けるマイクにとって、これ以上に相応しい逸品はなかろう。
 そのマイクが最もこだわったのは、応接室の中央に設置された四角いテーブルだ。
 これはビリヤード台を改造した物であり、分厚いソーダガラス製のトップボード――言わずもがな特注品――が
最上部に置かれている。直上の天窓から降り注ぐ太陽光を跳ね返すと、
板の表面に施されたエナメル絵付けの不死鳥が、灼熱の息吹を発しているようにも見えるのだ。

 壁にはルーインドサピエンスを由来とする天体観測機器が飾ってある。
 何やら目盛が縁に刻まれた円形の土台へ二種の円盤を嵌め込んだ器械であった。
高度方位の座標線が振られた大きな円盤と、この上に組み込まれた網状の小さな円盤である。
網目と言うより骨組みのようにも見える小さな円盤は星図を模った物だ。
 先述した二種の円盤には時計の針の如き定規も付いており、
これらを駆使して天体の出没などを測量していたと伝承されている。
 マイクが所持するのは真鍮製の品であるが、現在では天体観測に使われることはなく、
骨董品として内装に彩を添え、沈黙を以ってして往時の名残を物語るのみだった。
 ペガンティン・ラウトよりも更に古い時代に七海を制覇したとされる海賊船の操舵輪も飾ってある――が、
武術に心得のある客人が先ず関心を抱いたのは、錆ひとつない板金の甲冑(プレートアーマー)である。
 等身大の人形に兜までの一揃いを着せているのだが、鞘の内に納められた長剣を勇ましく翳した姿は、
今にも合戦の場へ飛び出しそうな躍動感を表現している。
 次に――と言うよりも、最も目を引いたのは、部屋の一角に据え置かれた大型テレビである。
 ここ数日の間に運び込まれたものであるらしく、室内の雰囲気との親和は皆無に等しい。
古びた遺跡の中に文明の利器が突如として現れたような違和感を覚えるのだ。
 件のテレビ画面には、客人にとっても見覚えのある顔が映し出されていた。

「――昨夜、朕のトラウムに徹夜で調べさせたのだが、幕府の『幕』とは、天幕のことであるそうな。
そこで朕にグッドアイディアがある。どうせ飾るならば麗しい物が良いに決まっている。
いや、断然良い。良い故に朕自ら人肌脱いでみた。出血ご奉仕のフルヌードだ。
最高品質のタペストリー仕立てにしたので、朕の革命的セクシーを堪能出来るぞ」

 画面の向こうで意味不明な発言を繰り返しているのは、『グドゥー』の太守たるファラ王だ。
 或るローカル局製作の討論番組に招かれているらしいのだが、
彼は提示されたテーマから大きく逸脱しているらしく、共演する論客や有識者は唖然と固まっており、
司会者に至っては苦虫を噛み潰したような顔である。
 テレビの直ぐ近くに設置されたソファに腰掛けている『在野の軍師』――アルフレッドも、
画面に映し出された司会者と大して変わりはない。
自身のモバイルに向かって「あのバカを今すぐスタジオの外に連れ出せ!」と怒号を叩き付けていた。
 テレビ画面の内容に対して、この怒号である。
通話の相手はダイジロウ・シラネか、テッド・パジトノフのどちらかだろう。
両名ともにAのエンディニオンからやって来た難民だが、ファラ王の庇護を受けて生き長らえ、
現在は側近として付き従っている。

「アポピスとか言うヘビに首でも絞めさせれば良いだろう!? 
あの男は事態(こと)の重大性がまるで分かっていない! 
テレビで幕府寄りのコメントを連発してみろ、それを見た連合軍の同志が何を考えると思う!? 
タバートに裏切られた直後だぞッ! ……とにかくヤツを黙らせるんだ。
出来る、出来ないじゃない。やるしかないんだよ、シラネッ!」

 二者択一の正解は、どうやらダイジロウであったようだ。
 撮影場所から遠ざけるよう迫ってはいるものの、テレビ出演自体を問題視しているわけではなく、
同志であるファラ王にギルガメシュと同調されては困ると釘を刺したかった様子である。
 一方的に捲くし立てた後、アルフレッドは舌打ち混じりで通話を打ち切った。
 次いでソファから立ち上がり、マイクと肩を並べながらテレビ画面を凝視する。
一端、地域活動を紹介する広報映像を挟んだが、それが終わってスタジオ中継に画面が戻ると、
さながら手品の如くファラ王の姿は席から消えていた。
 ダイジロウか、あるいはその背後に在るクレオパトラが手を回して強引に退場させたのだろう。
クレオパトラはファラ王の妻であり、同時に『グドゥー』を実質的に取り仕切る影の最高実力者であった。
 ルナゲイトの新聞王にさえ警戒心を抱かせるほどの女傑だ。
出演者のひとり――他ならぬ彼女の夫だが――を名簿から削らせることは容易く、
これによって生じた損害の補填とて痛くも痒くもない筈である。

「――こんなにバカげたパフォーマンスにまで神経を尖らせるなんてね。
だいぶ余裕がなくなってきたようじゃないか、ライアン君」

 ケートに案内された客人がアルフレッドに声を掛けようとしたとき、別の人間がそれを遮った。
 さりながら、客人とアルフレッドの接触を妨げたわけではない。偶然に皮肉の声が重なっただけなのだ。
 客人が立つ位置からは後姿しか見えないが、アルフレッドへ突き刺さった声には聞いた憶えがある。
そのおぼろげな記憶は、初老に近い横顔を捉えた瞬間に明答(こたえ)に繋がった。
 ソファのひとつに腰を下ろし、アルフレッドを痛罵したのはディオファントス・ララミーその人だった。
ファミリーネームこそ異なっているが、『ヴィクド』を統べるアルカーク・マスターソンの実弟である。
 傭兵部隊によって栄えたヴィクドの出身者としては、彼は異色の経歴の持ち主であった。
武辺を頼みとする人間ではなく、経済学者であり思想家なのだ。
 件の客人は開城する前のハンガイ・オルスにてディオファントスと顔を合わせていた。
親しく言葉を交わしたわけではないのだが、声色が記憶に刻み込まれるほどの至近に在ったのは確かだった。


 そのディオファントスは客人より二日ほど早くビッグハウスへ到着していた。
そして、冒険王の邸宅を訪ねるや否や、滞在中のアルフレッドを叱り飛ばしたのである。
 以前の邂逅では友好的な態度で接していた筈なのだが、
過日に披露した気さくな笑顔など現在(いま)は何処にも見当たらなかった。
 ミリタリーコートを羽織った身の裡より溢れ出すのは、「猛烈」の二字以外には表しようがない程の憤激だ。
 奇妙な成り行きからハンガイ・オルスで親しくなった両者は、
密に連絡を取り合うと言う約束を交わしていた筈なのだが、
それ以来、佐志の側からディオファントスへ連絡を入れることはなかった。
 ワーズワース難民キャンプに銃器を持ち込んだ可能性があるヴィクドとの接触を断つことは、
アルフレッドからしてみれば至極真っ当な措置であったのだが、
事情を知らないらしいディオファントスは大いに戸惑ったことであろう。
 言わずもがな、ギルガメシュの最終兵器も、これを阻止すべくAのエンディニオンへ突入を図ることも、
アルフレッドはディオファントスに伝えてはいなかった。
敵と見做した勢力に重大な情報をもたらす理由などないからだ。
 即ち、ディオファントスは待機状態のままで放置されたようなものであった。
 さすがに痺れを切らし、ご機嫌伺い≠ニ称して佐志の守孝へと自ら電話を掛け、
そこで初めてアルフレッドたちの事情と経緯を把握したのである。
 しかし、この程度のことであれば、ディオファントスも立腹まではしなかった。
アルフレッドとアルカークは犬猿の仲であり、異世界との接し方に於いては全く相容れない。
ヴィクドごと敬遠されても仕方がないと割り切れたことだろう。
 ディオファントスが憤激を爆発させたのは、幕府の存在が公になった後のアルフレッドの行動である。
 史上最大の作戦を取り仕切るべき『在野の軍師』は、
何ら対抗策を打つこともなく何日も無為に過ごしていた。

 改めて詳らかとするまでもないが、水の都とも謳われるビッグハウスを観光していたわけではない。
冒険王マイク、グンガルの代理として事態の打開を協議するよう託されたザムシードと共に、
連合軍の影響力を堅持する策を話し合ってきたのだ。
 この議論にはロンギヌス社のエージェントたるライナ・グラナートも加わっている。
 アルフレッドが佐志のヒューに電話を掛けた直後、
入れ違うような形でヴィンセントからライナのモバイルに着信が入った。
 そして、ライナ経由で伝えられた急報こそが、
アルフレッドたちを答えのない議論へ誘(いざな)う原因となったのである。
 ロンギヌス社が買い占めた土地――テムグ・テングリの領内も含まれている――が
何者かによって次々と壊滅させられていると、ヴィンセントは報(しら)せてきた。
 正確にはロンギヌス社の会長からヴィンセントに危急が伝えられ、
彼を経由し、事態の収拾に向けてアルフレッドたちと協力し合うようライナに指示が飛んだのだった。
 ロンギヌス社が買い占めた土地と言うことは、即ち、Aのエンディニオンの難民の居住区を指している。
ギルガメシュが設置した難民キャンプより遥かに安定した生活圏と言うことだ。
 その居住区が圧倒的な暴力によって蹂躙されていた。
土地を提供したBのエンディニオンの人間もろとも皆殺しにされた村もあると言う。
 犯人の正体と規模も判然としない――が、難民を標的とした計画に基づいている点は間違いなさそうだ。
同様の虐殺が各所で多発しているそうだが、狙われるのは決まって難民と、これを支援した人間である。
 ライナ以外のエージェントたちも会長の指示で対応に奔走しているが、
今のところは犯人と遭遇することもなく、事件の痕跡を調査するのみである。
 ギルガメシュの罠に陥れられたアルフレッドと同じように、
ロンギヌス社も完全な後手に回っていていた。仮に犯人を捕捉して迎撃に成功したとしても、
大局に何ら影響をもたらさない一時凌ぎに過ぎないだろう。禍根を断ったことにはならないのだ。
 誰が何の理由で、難民たちを襲い続けているのか――ロンギヌス社の会長は、
その根本的な解決をアルフレッドと言う稀代の軍師に期待している様子であった。
 アルフレッドにしてみれば、傍迷惑な話でしかないのだが、難民の大量虐殺を聞かされてしまった以上、
ロンギヌス社で対応すべき問題だと切り捨てるわけにも行かない。
 難民救済はアルフレッドたちにとっても大目的のひとつである。
他者から要請されるまでもなく、対症療法∴ネ外の方策を立てるつもりであった。
 結局、それはアルフレッド自身の首を絞める結果にしかならなかった。
 全く異なる二種の議題――いずれも重大な問題だ――を並行的に話し合おうものなら、
思考の分裂と混乱を招くに決まっている。ヒューたちには難民を襲った犯人の捜査も要請したが、
「二兎追う者は一兎も得ず」と言う諺が表しているように何ら成果は得られなかった。
 これについては世界各地に派遣されたマイクの仲間も同様だ。
先に託されていた任務との掛け持ちである以上、事件現場まで赴くことは叶わず、
結果、それなりの人数を投入しながらも有力情報ひとつ得られないと言う醜態を晒していた。
 さりとて、どちらか片方に議題を絞ることも出来ない。
異なる二種の議題に共通するのは、至急の解決を求められている点であった。
 こうなると、さしものアルフレッドも八方塞である。
結局、考えをまとめられないまま時間ばかりが経過し、そのような状況でディオファントスを迎え、
『在野の軍師』の役割を放棄したにも等しいと面罵されたのだった。
 また、ディオファントスは年長者としての責務も果たせないのかとマイクまで叱責した。
答えを得られないまま苦悶するアルフレッドに手掛かりのひとつでも提示していたのか、
殊更に厳しい態度で追及したのである。
 ディオファントスが発したのは全くの正論であり、両名とも何ら反論することが出来なかった。
マイクに至っては、「昔、ガッコのセンセに廊下に立たされたのを思い出したぜ」と、
情けない声を漏らしつつ肩を落としたものだ。

 そして、新たに冒険王の邸宅を訪れた客人も、アルフレッドに対する憤激を漲らせていた。

「――何を暢気にテレビなんか見てるのよ……あんた、そんなに余裕なの? 余裕かましていられるの? 
……何が在野の軍師よッ!」

 応接室の入り口にて大音声を張り上げたのは、ジャーメイン・バロッサその人であった。
 両拳を腰に当てて屹立し、両の目を剥いて憤怒を表していた。
その想念が身の裡を焦がす程に激烈であることは、真一文字に結ばれた口が物語っている。
 僻地から直行してきたのだろうか、衣服のあちこちが泥水で汚れてしまっており、
平素であれば年頃に相応しい愛らしさを湛えている筈の面には、濃い疲労が見て取れた。
 連合軍内部に於けるパトリオット猟班の役割は、ギルガメシュに脅かされる小村の警護が主体である。
これに適した活動的な装いをジャーメインは選んでいた。その身に叩き込まれた格闘術――
ムエ・カッチューアを繰り出すのに最も相応しい姿とも言い換えられるだろう。
 半袖のセーラー服に桜色のベスト、プリーツスカートである。
ソックスは白く、愛用のローファーを履いていた。また、襷掛けの恰好で筒状の鞄(バッグ)を下げている。
 泥の付着や黒ずんだ擦り傷は全身に及んでおり、
サイドポニーに結い上げた棗紅の長髪にまで泥水が飛び散っていた。
 両の拳に巻かれたバンテージには、血の痕と思しき赤黒い染みが散見される。
 彼女が尋常ならざる事態に巻き込まれたのは瞭然であった。
己が何を経験したのか、委細を一言も語らないままアルフレッドのもとへ駆け寄ったジャーメインは、
振り向いた彼の反応も待たず、ロングコートの両襟を渾身の力で掴み上げた。
 怒りを燈(とも)した翡翠色の瞳には、微かな戸惑いで揺れる深紅の瞳が映り込んでいた。

「メ、メイさん!? いきなり、何を――」
「今はこいつを庇ってる場合じゃないのよ! 恋人だからってッ!」

 アルフレッドが頚動脈を絞められていると見えたマリスは、慌てて両者の間に割って入ろうとしたが、
その動きをジャーメインは一喝でもって押し止めた。
 本能の領域まで恐怖が波及するような凄まじい迫力に気圧され、マリスは完全に立ち竦んでしまった。
今、在る場所に釘付けにされたまま、指の一本も動かせなくなっている。
 親しい――少なくとも、自分に危害は加えてこないと信じられる――と思っていた相手だけに、
剥き出しの激情を叩き付けられた衝撃(ショック)が強かったのであろう。
 あるいは、フィーナから叱声を飛ばされた記憶が瞬間的に蘇ったのかも知れない。
 温厚なフィーナをマリスが本気で怒らせたのは、復讐の狂気に取り憑かれたアルフレッドを
「何も間違ってはいない」と庇ったときである。
 経緯(いきさつ)こそ異なっているものの、最愛の恋人を助けようとした状況は類似していなくもない。
何かひとつでも共通する部分があると、その小さな疼きを引き金として痛烈な動揺へと至ってしまう――
これこそが最悪な記憶≠ニ言うものであった。
 一方のアルフレッドは、凄まじい怒号に晒されながらも、
ジャーメインが迸らせる憤怒の正体を見極めようとしていた。
 普段から感情の起伏が激しい少女ではあるものの、
例えば、フツノミタマのように意味もなく怒声を張り上げる種類の人間でもない。
 ジャーメインが自分以外の誰かの為に本気で怒れる人間と言うことは、アルフレッドも良く知っている。
おそらくは今度も同じなのであろう。
 ワーズワースの難民たちが暴虐の餌食とされてしまったときのように、
傷付けられた誰か≠フ為、ジャーメインは怒りの吼え声を振り絞っているのだ。

「……出し抜けに何の真似だ」
「一丁前に苦しいって言いたいわけ!? あんたにはそんな資格もないのよ!? 
救えたハズの生命まで見捨てたくせに! もっと早く判断してたら、あんなことには……ッ!」

 焼き切れる寸前まで昂ぶった感情が理知を上回っている為か、
支離滅裂と言う事態には陥っていないものの、ジャーメインが並べ立てる罵倒は筋道が立っていなかった。
 現在(いま)の彼女は、逆上としか表しようのない状態にあり、
「要領」の二字さえも思考(あたま)から抜け落ちているのだろう。
 断片的な手掛かりから彼女の身に起きたことを推察し、荒んだ心へ寄り添わなくてはならないのだ。

「誰のことを――いや、何のことを言っている? バブ・エルズポイントでの奇襲戦(たたかい)か? 
シュガーレイが加勢に駆け付けたとヒューから報告があったが、
……お前、何も聞かされていないのか? 戦死者は出ていない。
尤も、ギルガメシュの損害も微々たるものであったようだから、痛み分けと言うのもおかしいが――」
「その隊長から言われて、あたしはここに来ているのよッ! 
あんた、あたしらの役目を忘れてるんじゃないでしょうね!? それとも、しらばっくれてんの!? 
こうしてあんたらがテレビを眺めてる間にも、難民の人たちは……ッ!」
「難民がどうした? まさか、お前の赴任先まで襲われたのか……!?」
「警護の約束をした人たちだけ守ってれば良いワケ!? 違うでしょ! 
どこに居るかなんて関係ない! 誰だって守れなきゃ――これじゃ、ワーズワースの二の舞じゃないッ!」
「……成る程、な……」

 ジャーメインが如何なる地に駆け付け、どのような場景を目の当たりにしてしまったのか。
また、そこに湧き起こった激情とは何か――ようやく彼女の思いを理解するに至ったアルフレッドは、
一瞬の瞑目と合わせて重苦しい溜め息を吐き、次いで翡翠色の瞳と正面から向き合った。
 深紅と翡翠、ふたつの眼差しが中空にて交わった。

「お前の言いたいことは分かった。難民たちが連続して襲われている件だな。
……いや、『連続して』と言うのは些か違うか。難民ばかりが標的にされている件――と言い直そう。
俺たちもロンギヌス社から情報を提供されたのでな、概略は把握している」
「何よ、そのスカした言い方!? それに狙われてるのは難民だけじゃないのよッ!」
「既に把握していると言わなかったか? 人の話は聞くものだ。
ヒューやセフィにも犯人の足取りを追って貰っている」
「それくらい、あたしだって知ってるわよ! ココ来る前に佐志に連絡入れたんだから! 
……来るんじゃなかったって、今は後悔してるけどね! 
マイク・ワイアットと一緒に作戦でも練ってると思ったのに――なんてザマなのよッ!?」
「自分にとって不満な成り行きだからと言って、いちいち喚くな、見苦しい」
「あんたねぇッ!」
「意味が分からないのは俺だって同じだ。シュガーレイがお前を此処に寄越したのか? 
そう言った連絡は受けていないのだが?」
「だからッ! パトリオット猟班の代表だって言ってるでしょ!?」
「言っていない。自分が何を話しているのか、少しでも良いから振り返ってみろ」
「こンのぉ――」

 「憤怒」の二字を具現化したようなジャーメインとは対照的に、アルフレッドは極めて冷静である。
傍目には極端な温度差であるが、相手に同調して感情を昂ぶらせてしまっては、
纏まる話(もの)も纏まらなくなるだろう。
 依然として要領を得ない発言から事実を探り当てなくてはならないのだ。
アルフレッドまで冷静さを欠いては本当の手詰まりと言うものである。
 口振りから察するに、事前の連絡もなくビッグハウスに来訪したジャーメインは、
パトリオット猟班を率いるシュガーレイから派遣されてきたようである。
 各地の難民が襲撃されている現状でも伝えようと言うのだろうか。
それならば、無駄足と言うより他はあるまい。
前言の通り、この急報(しらせ)をアルフレッドはロンギヌス社から既に受け取っているのだ。
 しかも、だ。そのことをジャーメインは佐志へ連絡を入れた際に把握したと言う。
それにも関わらず、わざわざビッグハウスを訪ねた理由がアルフレッドには掴めなかった。

「とりあえず、手を離せ。苦しいとは思わないが、煩わしいことに変わりはない」

 ジャーメインの手をロングコートの襟から引き剥がそうと試みるアルフレッドであったが、
両の手首を掴んでみても彼女は微動だにしなかった。左右の五指でさえ襟を食い破ったかのように揺るがない。
 華奢に見えるジャーメインの骨を痛めないよう気を遣ったわけではなかった。
今でこそ『パトリオット猟班』を名乗って独自に行動しているが、元々はスカッド・フリーダムの隊員である。
『トレイシーケンポー』を駆使してアルフレッドを追い詰めたシルヴィオ、
あるいは馬軍の将たるザムシードにも匹敵する超人的な肉体の持ち主なのだ。
渾身の力で手首を圧迫しても、おそらく骨身が軋むことはあるまい。
 だからこそ、ジャーメインを引き剥がすことが出来ない。鋼鉄の塊と化したように彼女は動かない。
そこに彼女の意志が表れているように思えてならず、アルフレッドは煩わしげに眉根を寄せた。

「……最初は弱り目≠狙ったアウトロー辺りかと思ったんだが、どうやら見当違いのようだ。
正直言って、犯人を割り出す目途は立っていない。だが――」
「あんたは何も分かってない! なんにも見ていないッ! だから、悠長に構えていられるのよッ!」

 努めて静かに受け答えを続けていたアルフレッドだが、却ってジャーメインの憤激を煽ってしまったらしい。
 無論、アルフレッドの側に他意はなかった。暢気、悠長と痛罵されたが、それすらも誤解である。
焦燥を表に出しても無意味と思い、この難局へ冷静に臨みたいと考えているだけなのだ。
 これについては皆も一致している筈なのだが、同席者は誰も彼女を宥めようとはしなかった。
 気魄ひとつで他者を封じ込めてしまう程に、ジャーメインの剣幕は凄まじいのだ。
見るからに勝気なライナや、傍若無人な物言いが目立つティンクでさえも、
現在(いま)は身を強張らせていて、声を言葉として紡ぐことすらままならない。
 ただひとり、ディオファントスだけは険しい顔でアルフレッドとジャーメインを見比べていた。

「人からの聞きかじりじゃなくッ! その目で現実を見なさいよッ!」

 そう吼えるなり、ロングコートの襟を掴んでいた両手を勢いよく離したジャーメインは、
次いでショルダーバッグから薄汚れた紙包みを取り出し、これをアルフレッドの眼前に翳した。
 中身を確かめろと、翡翠色の瞳が語っている。
 怪訝な面持ちのまま紙包みを受け取ったアルフレッドは、
手に持った感触から中身が写真の束であることを察知した。
 ならば、自分ひとりで確認しても仕方があるまい――応接室中央に置かれたテーブルにて紙包みを開いた瞬間、
アルフレッドは全く言葉を失った。
 反射的にジャーメインへ視線を巡らせると、彼女は憤然とした調子で首を頷かせた。
 マイクやザムシード、源八郎たちも机上の写真を凝視しては呻き声を洩らしている。
そして、その後(のち)には誰もが沈黙するのだ。
 「我が目を疑う」とは、まさしくこのことであろう。
写真と言う形で切り取られているのは、難民を巡るひとつの現状であった。
 数十枚もの写真は、その現状≠残酷な程に捉えていた。

「――な、なんだよ、これは……なんだってんだよッ!? 
ココ≠ヘロンギヌスの土地じゃないかッ! それなのに、何で……」
「……今更、何を狼狽(うろた)えている。
買収した土地が襲われたことは、あんたたちが一番分かっている筈だろう。
コクランの代理なら、それらしく気をしっかり持て」
「う、うるさいんだよ、この若白髪! ……こんなの見せられたら、誰だって混乱するさ!」
「他のエージェントも対処に動いているのだろう? 俺は見せて貰った記憶もないんだが、
誰も現地の写真を送って寄越さないのか? 情報の共有が聞いて呆れるな」
「アホじゃないのか、あんた! メチャクチャに壊された町に辿り着いたら! 
……撮影なんかより弔うほうが先でしょうがッ!」

 慟哭にも似たライナの悲鳴が表すように、撮影場所の殆どはロンギヌス社が買い占めた土地――
即ち、Aのエンディニオンの難民たちに提供された安全な居住区である。
 正確には、安全だとされてきた場所≠ニ言うべきであろうか。

「大丈夫ですかい、アルの旦那」
「ロンギヌスのエージェントを虚仮にしたことか? いざとなったら、コクランに周旋でも頼めば良い」
「そうじゃありませんよ。……顔色、どんどん悪くなってますがね」
「……お前も似たようなものじゃないか。他人の台詞を真似るようで芸がないが、
こんな写真を見せられたら、誰だって似たような顔色になる」

 犠牲者の亡骸を写すことだけは避けてあるが、地に染みた赤黒い模様は隠しようもない。
 嘗て横たわっていただろう人々が幻像として写真の中に浮かび上がる。
それは、ワーズワース難民キャンプの悲劇を彷彿とさせる場景であった。
 あの悲劇を間近で目にした人間は、誰もがハブール難民の虐殺と重ねてしまうのだろう。
 ジャーメインから一喝された動揺も鎮まらない内に件の写真を見せられたマリスは、
激しい眩暈に襲われてよろめいてしまい、そこをジョウに支えられた。
 アルフレッドとて似たようなものである。マリスより身体が丈夫であったから、
何とか踏み止まることが出来た――その程度の差でしかない。

(人に気を張れと言っておいて、自分でどうしようもないな)

 昏(くら)い想念に取り憑かれない内にワーズワースの幻像≠振り払ったアルフレッドは、
心の平静を取り戻すよう己に訴えながら家屋の損壊状況を確かめていく。
 ひとつの違和感が生じたのは、分析に転じて間もなくのことであった。
 炎に巻かれて焼亡した場所が多い為、注意深く写真を観察しなければ判り難いのだが、
歪に捻じ曲がった鉄製の柱や、限界を超えて反り返った木立、
ある一点を中心として輪でも描くかのように散乱した残骸など、
巨大な竜巻によって蹂躙されたと思しき痕跡が見受けられるのだ。

「記録的な暴風雨に遭ったようにも見えるな。……これをどう考える、ライアン?」

 惨状を捉えた写真へ目を凝らす内に、ザムシードもアルフレッドと同じ疑問点に行き着いたようである。

「――話に割り込んで良いか? コレはかなりの手掛かりになると思うんだよ。
全部が全部とは言えねぇが、同じ人間が手ェ下した事件も決して少なくねぇ。
そっから足取りを追跡出来るんじゃねーかな?」

 冒険王も何枚かの写真に見られる奇妙な共通項に気が付いたひとりである。
ザムシードへ続くようにして自分の見解を述べていった。
 数十枚の内、三割ほどの写真には竜巻の被害に遭ったような痕跡が確認出来るのだ。
これについては同一犯の仕業と見做しても間違いなかろうとマイクは説いている。

「地形的に竜巻の発生しないような場所まで含まれているんだ。答えはひとつしかない。
そもそも、同規模の竜巻が多発すること自体がおかしいだろう。
発生場所は決まって不逞の輩に襲われた町や村。仮に偶然だとしても、二度あれば良いほうだろう」
「奇蹟は奇蹟でも人為的な奇蹟――トラウムと見て間違いない、か」
「中でも希少なエネルゲイア型だな。竜巻と言うよりも風を操るトラウムだと思う」
「やはり、トラウムは百害あってナントヤラだな。
……ワイアット氏の知り合いにこのテのトラウムを使う人間はいないのか? 
世界中の誰よりも顔は広いのだろう?」
「うーん、さっきから記憶の引き出しを逆さまにしちゃいるんだが、
どんだけ頑張っても該当するヤツが出てこねぇ。そう言うザムシードにはピンと来るヤツがいねぇのかよ。
あんただってあちこち飛び回ってるんじゃねーか」
「手掛かりから賊を追跡出来るだろうと言っておきながら、随分と無責任だな。
期待だけさせておいて、それに応えないのは人として感心しないがね」
「悪ィなァ、エルンストと違ってオレは器が小せぇもんでよォ」
「私としても甚だ残念だが、全くその通りらしい」
「大の大人がふたりして何をやっているんだ。マイクもそんなことでイジけるな」

 ザムシードの言葉に不貞腐れて圧(へ)し口を作るマイクはさて置き――
アルフレッドは風を操るトラウムが難民虐殺に深く関与したと推理している。
 このように自然現象を起こすトラウムは『エネルゲイア』として分類されており、
ゼラールに備わった『エンパイア・オブ・ヒートヘイズ』の同種と言うことになる。
 ディオファントスが使う冷気のトラウム、『スノーボールアース』もエネルゲイア型の一種であった。
 このエネルゲイア型はBのエンディニオンに於いて所有者が極端に少なく、
重要参考人の特定も全くの不可能ではないように思えるのだ。
それ故にザムシードは該当者が居ないものかとマイクに訊ねたのであった。
 なお、Bのエンディニオンで最も一般的なトラウムは、『マテリアライズ』と呼称される種類だ。
『ヴィトゲンシュタイン粒子』を物質に変換するタイプのものである。
 尤も、世間一般では「物質への変換」と言うよりも武器などを具現化させる異能として認識されているようだ。

「ロンギヌス社が何をどこまで掴んでいるのかは知らないけど、
パトリオット猟班で一番最初に現場へ踏み込んだのはミル姉さんよ。
……誰ひとり、助けることは出来なかったんだけど……」

 皆の気持ちが落ち着く頃合を見計らって、ジャーメインは詳しい経緯を明かし始めた。
彼女自身も感情の昂ぶりが鎮まってきたのだろう。先程と比べて語り方も整理されていた。
 ジャーメインが口にした「ミル姉さん」とは、ジウジツなる格闘技を使うパトリオット猟班の女巨人――
ミルドレッド・ダンプ・アウグスティーナのことである。
 アルフレッドとも奇妙な因縁があり、無血開城前のハンガイ・オルスにて死闘を演じている。
ジャーメインにとってはパトリオット猟班の同志であり、同郷の友人でもあった。
 そのミルドレッドは、どうやらロンギヌス社のエージェントより難民襲撃の実態に近付いていたようである。
 ジャーメインの伝聞によると――ミルドレッドが警備の任務を帯びて赴いていた町に
「アウトローの集団に襲われた」と言う救援要請が届いたそうだ。
 より詳細に状況を明かすならば、赴任先に所在するシェリフ・オフィス(保安官事務所)へ
山をひとつ越えた村から緊急の連絡が入った次第である。
 そして、これが全ての始まりであった。
 赴任先を一時的に離れる許可をシュガーレイから得たミルドレッドは、
シェリフたち数名を伴って襲撃を受けたと言う村へ急行したのだが、
彼女たちが駆け付けたときには、既に賊徒は去った後――つまり、何もかもが終わった後であった。
 最悪の結末だった。ロンギヌス社の手引きによって難民を迎え入れた村ではあったのだが、
それでも世界の隔たりを超えて互いに歩み寄ろうとしていたそうなのだ。
 村としても大いなる転換であった。新たな出発を決断だった筈であった。
しかし、その努力が実る前に全滅の憂き目に遭ったと言うことである。
 老若男女を問わず、生まれた世界(エンディニオン)も問わず、
村で暮らす人間はひとり残らず暴虐の風に飲み込まれていた。

「……アル、あんた、さっき風を操るトラウムだとか、竜巻だとか言っていたわね。
それはきっと正解に近いと思うわ。あたしもね、風が吹き荒んだ場所に居たのよ。
……その場所に居たって言うのはおこがましいかな。あたしは、結局……」
「お前、まさか――」
「――これでまたひとつ、戦う理由が出来たってコトよ……!」

 血が滲むほどに唇を噛み締め、悔しげに落涙を堪えるジャーメインの姿を見止めて、
アルフレッドは初めて彼女の悲しみを理解した。憤怒の奥に秘められていた悲しみを、だ。
 血と泥で汚れたまま服も替えずにビッグハウスへ飛び込んだジャーメインであるが、
直前まで彼女が何処に在ったのか、そこで如何なる事態に直面してしまったのか、
応接室に居合わせる誰もが悟っていた。

「……生き残りは?」
「私が見つけたときには、……死後二日くらいは経っていたから……」
「……すまない、無神経なことを訊いてしまった……」

 ミルドレッドが惨劇の場に遭遇する一方、ジャーメインも別の土地で同様の事件に巻き込まれていた。
 彼女も蹂躙された後の現場へと立ち入ったのだが、他方より救援要請を受けたのではなく、
別の赴任先へ移る最中の不意の発見であり、ミルドレッドとは些か状況が異なっている。
 その日≠ヘ野宿に適した場所を探していたと、ジャーメインは静かに語った。
 クリッターが潜むような危険地帯で寝起きをすることにも慣れているが、
それにしても雨風を凌げる場所が好ましく、荒野の只中に打ち棄てられたゴーストタウンを発見したときは、
自身の幸運に歓声まで上げたそうである。
 しかし、その喜びも一瞬で潰(つい)えた。
 歪な形で損壊した家屋に首を傾げつつ足を踏み入れたゴーストタウンにて、
ジャーメインは十数人分の亡骸を発見したのである。
 いずれも年端の行かない子どもたちであった。年の頃で言えば、ジェイソンと同じくらいである。
見るも無残に全身を引き裂かれており、ジャーメインが駆け寄ったときには事切れた後であった。
誰ひとりとして、息をしている者はいなかった。
 横たわる亡骸の中に大人の姿は見られない。ゴーストタウンと言う奇妙な状況ではあるのだが、
どうやら子どもだけで集まっている最中に暴虐の風と出くわしたようだ。
 不思議な子どもたちであった。誰も彼も童話や幻想小説に登場する貴族のような出で立ちなのだ。
煌びやかな冠を被り、赤く派手派手しいマントに真っ白なタイツを身に着ける者も在った。
 そのように豪奢な着衣は襤褸切れのように切り刻まれ、白いタイツも鮮血に染まり、
痛ましさを一等際立たせていた。
 ボウガンや大振りの短剣(ダガー)などを握ったままの亡骸もあり、子どもたちの側も抗戦した様子である。
しかし、その結果は余りにも残酷であった。多勢に無勢であったのか、
幼い力では竜巻を切り抜けることは叶わなかった。
 おそらく生存者などはひとりとして残っていないだろう。
 一日がかりで亡骸の埋葬を得た後、この件をパトリオット猟班の隊長たるシュガーレイに報告すると、
驚くべき事実がジャーメインにもたらされた。シュガーレイも別の場所で難民襲撃に遭遇したと言うのだ。
 この電話の中でミルドレッドの件も教わったのだが、
シュガーレイが埋葬を引き受けることになった事件は一等悲惨であった。
 シュガーレイは自身の赴任先が襲われていた。
 ロンギヌス社の手引きによって難民を迎え入れた村ではない。
自分たちの祖国(くに)へ帰り着くべく旅をしていた難民に食料を提供しただけであったのだ。
 ただそれだけのことで悪鬼の標的にされてしまったと言う。
 シュガーレイがバブ・エルズポイントの合戦へ加勢する為に村を離れた僅かな期間を狙われたのである。
 「隊長にとって一生のトラウマになるかも知れないわ」とジャーメインは語った。
 決死隊の一員となったジェイソンの支援と言うことは理由にはなるまい。
何より、シュガーレイ自身が言い訳にしない筈だ。
私事≠優先させる為に遂行半ばの任務を中断したことは『義の戦士』にあるまじき振る舞いであり、
その末の痛恨事など決して許されるものではない。

「隊長が手刀で自分の首を斬っちゃうんじゃないか、あたしたちはそれが心配で……」

 シュガーレイの留守中に襲撃された小村は、
あるいは竜巻に吹き飛ばされたほうが幸運であったさえと思えてしまう程の惨状であった。
住民全員が首を刎ねられ、これを巨木に吊るされると言う猟奇的な末路を辿ったのだ。

 但し、この時点ではパトリオット猟班は難民を標的とした計画的な攻撃とは捉えていなかった。
戦争の混乱に付け込んだアウトローによる犯行と仮定していた。
 ゴーストタウンに程近い町村で聞き込み調査を行ったジャーメインは、
彼らがAのエンディニオンからやって来た『チャイルドギャング』と言うことを突き止めた。
 身寄りのない子どもたちが生きる為に徒党を組み、暴力的な行為を以って金品や食料を強奪する集団を指して、
ふたつのエンディニオンではチャイルドギャングと呼んでいる。
 事実、ジャーメインが情報収集に赴いた幾つかの村は略奪の被害に遭っていたのだ。
数週間前からゴーストタウンに住み着き、ここを拠点として近隣を荒らし回っていたそうである。
 リーダー格の少年は右目を包帯で覆っていたそうだが、ジャーメインが埋葬した亡骸は何れも損傷が激しく、
特徴を教わったところで判別することは不可能に近かった。
 一体、どこで調達したのか、リーダー格の少年は大量の重火器を繰り出して住民たちを脅かしたそうである。
ゴーストタウンには砲弾の痕跡は見られなかったので、銃砲を使う前に殺されてしまったようだ。
 寝込みを襲われたのか、朝日が昇り切らない内に踏み込んで来たのか。
いずれにせよ、明確な殺意を以って攻め立てられたことは間違いない。
 Bのエンディニオンを根城にしてきたアウトローにとっては、
異世界のチャイルドギャングなど不愉快そのものであろう。
縄張り≠侵害したことで報復を受けたのではないかと想像する人間は多く、
ジャーメイン自身も限りなく正解に近いと考えていた。
 一連の襲撃事件に共通項があり、且つ計画的な犯行だとパトリオット猟班が察知したきっかけは、
他方で警護の任務に就いていたモーントが赴任先で耳にした噂話である。
 難民ばかりが襲われているそうだ――と。
 これを語ったのは世界中を経巡る行商人(トレーダー)であったそうだ。
一所に留まることなく荒野を行き交う仕事だけに危険の気配には敏感であり、
それ故に各地で多発する事件に逸早く共通項を見出せたのであろう。
 件の噂話をモーントからメールで報(しら)されたシュガーレイは、
ジャーメインとミルドレッドの双方に電話を掛け、それぞれが遭遇した襲撃事件の委細を確認し、
初めて自身の痛恨事との照合に着手した。
 ここでようやくパトリオット猟班は一連の事件をひとつの線で結び付け、
独自の検証結果に基づいて調査に乗り出したのである。
 シュガーレイとミルドレッドが事件現場にて撮影した写真のデータは
ジャーメインのモバイル宛に送信されている。これらを現像した物が紙包みの中身と言うことだ。
 隊長から事態の打開を託されたジャーメインは、捜査の協力を要請するべく佐志の同志に連絡を取り、
そこでアルフレッドとマリスの帰還を知らされ、ビッグハウスへ自ら乗り込んだと言う次第である。

「……ワケわかんねーわよ。なんでこんな目に遭わされなきゃならねーのさ……」

 ロンギヌス社が買い取った土地だけに留まらず、様々な場所でAのエンディニオンの同胞が
無差別に襲われている事実は掴んでいたが、その惨状は予想を遥かに上回っていたらしい。
 ジャーメインが持ってきた写真へ一通り目を通し終える頃には、ライナの面は蒼白になっていた。
ほんの少し前までの威勢の良さは、今や見る影もない。
 残酷な事実に堪えきれなくなったのか、写真の束を机に置いたライナは、
「……外の空気を吸ってくる」とだけ言い残し、応接室を出て行ってしまった。

「……ヒューやセフィには今の話をしていないのか? 俺のほうにはふたりからの連絡などなかったが、
お前は何の為に佐志に電話をしたんだ?」

 疲弊が透けて見えるライナの後姿を見送りながら、
アルフレッドは先程より気に懸かっていた疑問をジャーメインに投げ掛けた。

「しなかったからここに来てんのよ! 具体的な話をする前に勢いで電話切ったからね! 
捜査を始める前に、先ずアンタに一発かまさなきゃって思ったのよ!」
「……お前は呆れるくらいの大莫迦だな」
「はァッ!? 怒られてるのはどっちか分かってる!? 自覚が足りないにも程があるでしょーがッ!」
「俺を蹴りたいなら好きにしろ。無能と言う批難も甘んじて受け容れる。
……だが、ヒューなりセフィなりに具体的な話をしていれば、もっと手掛かりを得られていた筈だ。
お前、海を渡って此処に来るまでに何日掛かった?」
「一日半だけど、それが何かッ!?」
「それだけの時間があれば、今頃、犯人にまで辿り着いたかも知れないと言っているんだ。
ヒューたちは情報収集のプロだぞ。人のことを批難する前に我が身を振り返れ。
誰が一番時間を無駄にしているかを」
「あんたねぇッ!」

 怒りに任せて拳を握り締めたジャーメインを、アルフレッドは冷ややかに見据えている。
 もっと早くにヒューとセフィがパトリオット猟班と連動していたなら、
捜査は大きく進捗しただろうとアルフレッドは確信し、それ故に苛立っていた。
 建設的な話を何ひとつしないまま通話を打ち切り、アルフレッドへの叱責を優先させるとは、
余りにも合理性を欠いているではないか。
 要は自分の憤りを慰めたいだけなのだ――ジャーメインを睨(ね)め付ける瞳には、
今や嫌悪の念すら滲み出している。

「何よ、その目は? ……何よ、その目はァッ!」

 再びアルフレッドの胸倉へ掴み掛かろうとするジャーメインに我が身をぶつけ、
両者が接触する前に押し止めたケートは、「今のでおしまいじゃないでしょ? 他には何かないの?」と、
パトリオット猟班による捜査結果を詳らかにするよう求めた。

「モーントが――あたしの仲間が聞いた話によると、
例の行商人(トレーダー)はパトリオット猟班が見落とした事件現場の近くも通りかかったみたいなんです。
現場の近くでは怪しい一団が目撃されたとも言います」
「そんな有力な手掛かりを今まで隠していたのか。同志も何もあったものではないな」

 ジャーメインが目撃情報へ言及した瞬間、アルフレッドから痛烈な皮肉が飛んだ。

「今のあなたの務めは、あらゆる情報に耳を傾けることではありませんか? 
そうでなくても我々は追い詰められているのです。自ら選択肢を投げ捨てるのは如何なものかと」
「アルよォ、悪いことは言わねぇからジョウを怒らすのはやめといたほうがいいぜ? 
どう言うタイプがキレたらヤベぇか、何となく分かるだろ。……オレだって手に負えねぇと思うよ」
「……ふん――」

 すかさずジョウがアルフレッドをと窘め、次いでジャーメインに話を進めるよう促した。

「……例の目撃された一団は、頻りに『世直し』、『ジョウイ』と叫んでいたとか……」

 ――ジョウイ。
 行商人(トレーダー)から伝聞した目撃情報によれば、
難民たちを襲ったと思しき一党は、その言葉を繰り返していたそうである。
 これによって襲撃犯たちは、或る統一された目的のもとに行動している疑いが強まったわけだ。
この場合、目的と言うよりは思想≠ニ表すべきかも知れない。

「ジョウイ? ……まさかとは思うが、あの『攘夷(じょうい)』のことを言っているのか?」

 ジャーメインの口から『ジョウイ』と語られた瞬間、アルフレッドの顔が強張った。
深紅の瞳に映る想念は、何時の間にか嫌悪から狼狽へと塗り変えられている。

「何よ、急に興味なんか出しちゃってさ。気に食わないったらありゃしないわ!」
「互いの好き嫌いなど、どうでも良い。『攘夷』と言うのが俺の想像通りであったら一大事だぞ」
「……さすがにご聡明な軍師サマは、その言葉に引っ掛かったってワケね」

 再び睨み合うアルフレッドとジャーメインに向けて、
「おふたりの仰った攘夷とは、一体、何のことでしょう?」と、マリスが恐る恐る口を挟んだ。
 その声色は恐縮と言うよりも萎縮に近い。迂闊な発言をしようものなら、
ジャーメインから再び怒鳴られてしまうと怯え切っているのだ。
 しかし、現在(いま)のアルフレッドには、心身を震わせる恋人を気遣うだけの余裕がなかった。
ジャーメインとて「さっきは言い過ぎた」と陳謝することもない。
そもそも、マリスの顔など視界にも入ってはいなかった。
 それほどまでに『攘夷』の二字が持つ意味は重いのだ。

「外から来る全てのモノを徹底的に打ち払うって思想だよ。人でも物でも何でも徹底的に拒絶しちまうんだ。
自分たちが生まれ持ったモン――例えば、文化なり環境なりを捻じ曲げる原因っつってな。
心の壁って言い換えられるのかも知れねぇな」
「マイクさん……」
「オレは好かねぇ考え方だけど、一理あるよ? 生まれてからずっと身近にあったモンが、
何処かの誰かの手で作り変えられちまうって思ったら、そりゃあ怖ェもんだ。
でも、オレがちょいとばかり引っ掛かってるのは、そう言う根本的な部分じゃねぇのさ。
……ギルガメシュがおっ始(ぱじ)めようとしてる『幕府』な、
コイツが治めてた或る土地でも攘夷思想が吹き荒れた時代があったそうなんだよ。
そのときに排撃の対象にされた面々は『夷荻(いてき)』って呼ばれていてなァ」
「『イテキ』と言うのが、外からやって来たモノ……なのでしょうか? その総称だと……」
「飲み込みが早くて嬉しいぜ。その『夷荻』が転じて、『攘夷』って呼び方が生まれた――
こんなところで良いかな、アル?」
「解説に感謝する。尤も、俺だってアカデミーで教わった程度の知識しか持ち合わせていないんだがな」

 ルーインドサピエンスよりも旧い時代の伝承から攘夷にまつわる部分を抜き出したマイクは、
自分の知識に誤りがないか、アルフレッドに答え合わせを求めた。
 これにはアルフレッドも困ってしまった。概略を学んだ程度の自分とマイクでは大違いだ
彼は自らの力と知識を磨き上げ、秘境や『レリクス(聖遺物)』を追い求めて来たのである。
攘夷や幕府を含む旧い時代の事物について在野の軍師と冒険王のどちらがより詳しいか、
そこに疑問を差し挟む余地などあるまい。
 知識量を冒険王と張り合うほどアルフレッドも愚かではない。
だからこそ、「その説明で大きく外してはいないと思う」と答えるのみに留めた。
 マイクが説いた通り、『攘夷』とは幕府の置かれた土地にて起こった異文化への排撃思想の一形態である。
 尤も、往時の攘夷思想は排撃だけで語られることは少なく、
決起の原理に据えた大義や、異文化を退ける手段と組み合わせて指向されるものであった。
 いずれにせよ、冒険王と相容れない思想であることは間違いない。
攘夷思想の性質を丁寧に説明しながらも、その面は不愉快そうに歪んでいた。

「……偶然にしちゃあ出来過ぎだぜ。ギルガメシュが幕府なんて言い出しやがったから、
わざわざ攘夷ってェ言葉を蘇らせたんじゃねぇか? いや、タイミングとか微妙にズレてっけど」
「マイクの言いたいことも分からないでもないが、
攘夷思想そのものは、ギルガメシュがこちら≠ヨ訪れる前からあったんだよ。
その頃はまだ攘夷とは名付けられていなかったのだが……」

 マイクに相槌を打ちつつ、アルフレッドは前回のサミットの内容を振り返っていた。
言わずもがな、ジューダス・ローブとギルガメシュが襲来する前に交わされていた議論を、だ。

(――アルカーク・マスターソンそのものだからな、攘夷と言う思想は……!)

 Bのエンディニオンの全てを変えてしまったと言っても過言ではないサミットと共に想い出されるのは、
嘗てヴィクドがギルガメシュ兵に行った所業である。
 討ち取った将兵を磔にして郊外に放置し、これを囮に使ったのだ。
しかも、捕虜となったギルガメシュ兵に仲間の亡骸を十字架へ括り付けるよう強要したと言う。
 反抗などしようものなら首を刎ねて大木の枝から吊り下げる――
このように身の毛も弥立つ行為がヴィクドでは横行していた。
人道の二字から掛け離れた振る舞いであっても、ヴィクドでは正当な行為として許されていた。
 Aのエンディニオンより迷い込んだ難民をサミットにて『インベーダー』と貶め、
その席で訴えた通りにギルガメシュ兵を排除≠オたのは、ヴィクドを支配する『提督』、アルカークだ。
 アルカークが採った排除≠フ方法は、奇しくもシュガーレイが遭遇した事件と酷似している。
屍すら晒して辱めると言う残虐非道な仕打ちに於いても、だ。
 パトリオット猟班が目の当たりにした『攘夷』は、極めてアルカーク・マスターソンの思想に近い。
近いどころか、『提督(かれ)』そのものと言っても差し支えがなかろう。
 ヴィクドの所業と攘夷の符合から両者の連携を疑うアルフレッドは、
先程から声を聞いていないアルカークの実弟を窺った――が、
ディオファントス当人は頬骨が前方に出っ張った顔を苦悶に歪めつつ、
一枚一枚、惨劇の写真を手に取っては重苦しい溜め息を吐いている。
 知らない芝居(ふり)にしては、余りにも悲しい瞳であった。
 心底から犠牲者を悼んでいることは誰の目にも明らかであり、
アルフレッドに至っては、僅かでも猜疑の念を持ったことを後悔した程である。
 ただそれだけで断定するのは尚早であろうが、ディオファントスの様子を見る限りでは、
パトリオット猟班の遭遇した攘夷とヴィクドは関連性が薄いのかも知れない。
 写真を見つめるディオファントスの肩は、虐殺に対する怒りで小刻みに震えていた。

(……バカな、係わり合いがない筈は――)

 ヴィクドと攘夷、ふたつの難民排撃の符合に確信まで抱いたアルフレッドにとって、
ディオファントスの反応は衝撃であった。
 アルカークと同じ思想が、ヴィクトとは無関係の場所に現れてしまった――
これこそが真に憂慮すべき事態である。
 両者の結び付きが確認出来れば、攘夷の火元≠潰す方策とて立てられたであろうが、
無関係の可能性が高くなった以上、仕留めるべき標的(まと)さえアルフレッドには定められないのだ。
 さりながら、火元≠ェ判明するまで待つことも出来ない。
対策を打たずに放置しようものなら、攘夷と言う名の思想は世界全土に拡大していくだろう。
 現時点でも既に兆候が見られるのだ。
 ジャーメインとミルドレッドは、死の竜巻の爪痕を発見した。
一方のシュガーレイが目にしたのは、全く異なる形の暴威である。
 それはつまり、複数の土地で同時に攘夷思想が起こったことを意味している。
数多の人間の心がアルカークと同様の危険思想に染まったと言うことである。

(――いや、……しかし、思想の類は自然発生などしない筈。必ず誰かが煽動している筈だ……)

 ヴィクドの提督以外に難民排撃を仕組むとすれば、一体、可能性があるのは誰か――
そう自問した瞬間、アルフレッドは胃の中身が逆流しそうになった。
口元に右掌を添えて堪えなければ、相当に見苦しい姿を晒した筈だ。

「――アルちゃん!? 顔が真っ青ですわよ!?」
「……問題ない」
「でも、お加減が……」
「違う。……気分が悪くなったわけでもない。俺は……大丈夫だ」

 傍らに在って突然の変調を見て取ったマリスは、すぐさま最愛の恋人へ寄り添おうとしたのだが、
その動きをアルフレッド本人は左手でもって制した。
 マリスは罹患まで案じた様子だが、当のアルフレッドは身の裡を這いずったモノの正体を
既に見極めている。全身から生気を奪っていくモノは、決して病などではない。
 だからこそ、アルフレッドはマリスへ頼るわけにはいかなかった。
誰かに支えられることなく耐えなくてはならないのだと、己に言い聞かせていた。
ここで誰かに弱音を吐いてしまったなら、危険思想と相対する覚悟さえ萎えてしまうだろうと、
一種の危機感さえ抱いている。

「……まさかと思うが、フェイ兄さんが関与しているのか?」

 床下に落としていた視線をジャーメインへと巡らせたアルフレッドは、
脳裏へ浮かんだ瞬間に大きく心身を揺さ振った仮説を口にした。
 それは、アルフレッドにとって何よりも勇気を要する問いかけであった。
彼の兄貴分――フェイ・ブランドール・カスケイドには、
ワーズワース難民キャンプへ悲劇の原因を持ち込んだ嫌疑が掛けられている。
それどころか、ヴィクドと連携したと言う噂まで流れていた。
 アルカークに代わって難民排撃を主導し得る人間が居るとすれば、
今のアルフレッドにはフェイ以外には思い当たらなかった。
 無論、フェイが一連の残虐な事件を引き起こしたと言う証拠など何処にもない。
英雄とまで謳われた技を以って死の竜巻を生み出し、罪もない人々の首を刎ねたとは想像したくもない。
 ディオファントスの関与が認められない以上、
フェイを経由してアルカークが攘夷思想を流布している可能性は限りなく低いだろう。
低いものとアルフレッドだけは信じたかった。
 それでも、最悪の可能性が完全に消えたわけではない。
それ故、愚問と思いながらもフェイの関与を確かめずにはいられなかった。
 アルフレッドから向けられた問い掛けの意味を理解したジャーメインは、
一瞬、哀れむような眼差しを彼に向けた後、言葉もなく静かに頭(かぶり)を振った。

「――俺もバカな質問をしたものだな。賊の足取りが掴めないのだから、
フェイ兄さんが関わったかどうかも分からなくて当然か……」

 アルフレッドが漏らした言葉は、いずれも自分の心を誤魔化すものでしかない。
 首を横に振って返答の代わりとしたジャーメインに応じているように見えて、
実際には己ひとりを安心させる為だけに吐かれた独り言なのだ。
 そこに会話の相手≠ネどは居(お)らず、呆れ返るほどに空虚であった。

「あるいはフェイ兄さんだと断定出来たほうが良かったかも知れない、か。
それなら対処のしようもあると言うか――」
「――待ちたまえ。この事態は計算外だったと、そう言うつもりではないだろうね、ライアン君? 
全く予測していなかったとは言わせないぞ」

 なおも虚ろな独り言を続けようとするアルフレッドをディオファントスの声が鋭く遮った。
 手に取っていた最後の写真を机に戻したディオファントスは、次いでアルフレッドを睨(ね)めつける。
その瞳には失望と軽蔑の念が入り混じっている。
 何の前触れもなく侮辱めいた眼光を浴びせられたアルフレッドは、暫時、答えに詰まってしまう。
その間にもディオファントスの失望は深くなっているように見えた。

「俺は別に予知能力者ではない。手に入るだけの材料から推論を立てるだけだ。
言うまでもないが、それにも限界があって……」
「キミを連合軍の要などと見込んだ私が愚かだったようだね。ここまで物を知らない子どもとは……」

 最早、アルフレッドの話など身を入れて聴くだけの値打ちもないと言いたいのか、
右手を胸元の辺りまで挙げたディオファントスは、双眸を瞑りつつ頭を振って見せた。
 さも忌々しいと言いたげな表情を貼り付けて、だ。

「……それはどう言う意味だ? 無知は自覚しているが、流石に今のは不愉快だな」
「……今度の一件、キミは何処かに扇動者がいるもの決め付けているが、
その考え方がそもそもの間違いなのだよ」
「煽動は過激派の常套手段だ」
「過激であろうと何であろうと、思想と言うものは民衆の中で生じ、同調によって膨らんでいくのだよ。
時代や社会に対する不満や抗議を種にしてね。扇動者の出番はその次だ。
火が点いていなければ、幾ら風を送り込んでも意味がないのだからね。
……キミは思想が生まれる原理を先ず理解していない」
「あんたが説いた原理とやらも、一側面に過ぎないのではないか? 
提唱者と扇動者が同一と言うケースも決して少なくはない」
「それならば、言い方を変えようか。キミの好きな、『今、手に入るだけの材料』と言うヤツだ。
エンディニオンに垂れ込め始めた攘夷思想は、一体、どちらの経緯で起こったものだろうね? 
思想の出処を個人に求め、そこに解決の糸口を見出そうとするキミの考えは正解か、否か。
……ワイアットさんに答え合わせを頼もうじゃないか。紛争調停のプロである冒険王に――」
「……そこでオレに振るのかよォ」

 応じるマイクは歯切れが悪い。どうやら冒険王はディオファントスの側にこそ理があると感じているようだ。
それが為にアルフレッドを庇うことも出来ず、困り顔で頬を掻いている。
 さりながら、ここまでのアルフレッドの奮闘を否定したくもない。
「オレも器用じゃねぇからさ、アルと同じように手近な材料でしか戦えねぇよ」と、
控えめながら擁護を述べた。それが今の冒険王に出来る精一杯の配慮(こと)である。
 だが、それすらもディオファントスは「甘やかしている場合ではない」と一言で切り捨てた。

「今からでも遅くない。連合軍の作戦指揮はワイアットさんと交代しなさい。
ライアン君、キミでは役者不足だ」
「何だと……」

 自分の拙劣を認め、省みることの出来るアルフレッドではあるものの、今の発言だけは聞き逃せなかった。
ディオファントスから失望されようが、在野の軍師こそが史上最大の作戦の立案者なのだ。
その役割を放棄するよう強いられることは何にも勝る侮辱である。
 面と向かって今までの戦いを愚弄されたようなものであり、絶対に引き下がることなど出来ない。
 我が身を犠牲にしているエルンストへの誓いも、連合軍の同志たちへの責任も果たしてはいないのだ。
道半ばにも関わらず、どうして課せられた役割から降りられると言うのだろうか。

「おそらくワイアットさんはキミの顔を立てて、ここまで任せていたのだろうね。
それで後手に回っては元も子もないと言うか、寧ろ無責任とも思えるが……。
作戦の見通しを誤った上に、冒険王本来の手腕を妨げるなど言語道断。即刻、消えなさい」
「言わせておけば、好き放題に……何様のつもりなんだ、あんた!?」
「連合軍の一員のつもりだよ、これでもね。だからこそ、連合軍に不利益を呼び込む要素は排除する」
「その物言い、アルカーク・マスターソンとそっくりだな。
似ているのは喋り方だけか? それとも、短絡思考まで一緒なのか? 
……あんたは優秀な経済学者だが、ソロバン弾きと戦争は違う。一体、あんたに何が分かるんだ」
「少なくとも、キミよりは世の中の仕組みについて心得ているよ」

 アルフレッドとディオファントス、両者の間に漂う空気が急速に張り詰めていく。
数限りない死線を潜り抜けてきた冒険王や、その仲間ですら仰け反ってしまう程に、だ。

「この場の誰よりも戦争について理解が深いと主張するのなら、敢えてこちらからも言わせて貰おうか。
戦争で勝ち抜くのに必要な原則は何だね? 不始末を仕出かした人間を仲間意識で使い続けることか? 
……だから、私は御役御免だと言っているのだよ、ライアン君。
自分の不始末は、自分自身が一番よく解っている筈だな」

 アルフレッドの言葉ではないが、やはり、アルカークと同じ血筋と言うことであろうか。
凄味を利かせて迫ろうものなら、傍らにて状況を見守る者でさえ背筋が凍り付くのだ。
 無論、アルフレッドも負けてはいない。どれほどディオファントスから威圧されても一歩も退かず、
憤怒の気魄を以って応じている。
 両者とも今すぐにでも取っ組み合いを始めそうな気配であった。

「待て待て、ライアンは我が御屋形の信認を受けて作戦を統括しているのだ。
そう易々と首の挿げ替えをされては、テムグ・テングリの面目にも関わるのだよ。
ヴィクドだって困るんじゃないか? ……もう一度、繰り返すぞ。ライアンはエルンスト様の信認を得ている」
「アルの旦那も抑えてくだせェ。同士討ちはシャレになりやせんぜ――」

 ザムシードと源八郎が両者を押し止めるべく身を乗り出した直後、室内に酷く気の抜けた音が響き渡った。
極度に緊張した状況には、余りにも不似合いな音であった。
 当然ながら、音の鳴った方角に皆の視線が集中する。
 数多の眼光が集束した先では、ジャーメインが真っ赤な顔で腹部を押さえているではないか。
気の抜けた音は、彼女の胃袋が鳴らしたものであるようだ。

「もしかして、ゴハンも満足に食べてないんじゃない?」
「と、とにかく、ビッグハウスまでは全速力って思ったから、あの、そのぉ……」

 苦笑を浮かべたケートの問い掛けに、ジャーメインは素直に頷く。
これによって場の空気が和らぎ、アルフレッドもディオファントスも――室内の皆が脱力した。
 ジャーメインは羞恥で押し潰されそうになっているが、他の人間は誰もが救われたような思いだ。
あの気が抜けた音によって仕切り直しの機会が得られたのも同然なのである。
 誰かが止めずに縺れ続けていたなら、まず間違いなく冒険王の邸宅は戦場と化した筈だ。

「――よっしゃ、ビッグハウスとっておきのカフェにでも繰り出そうや。
ずーっと部屋ン中に閉じ籠もってたんじゃ健康にも悪ィしよ! ケート、ライナを捜してきてくれ!」
「はいはい、あんたは皆さんのエスコートをよろしくね」

 手拍子を以ってして休憩を宣言するマイクとケートには、誰ひとりとして反対しなかった。




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