16.抹殺指令


 スカッド・フリーダムの本拠地にして発祥地でもあるタイガーバズーカは、
ときにマコシカの集落と同じ「秘境」と呼ばれることもあった。
 その理由は単純にして明白だ。麓の町から徒歩で数日を要する程の山深い土地に
義の戦士は鍛錬の場を求めたのである。
 獰猛な野生動物やクリッターの群れが潜み、また満足に均されてもいない岩だらけの悪路を
越えなくては到達出来ないのだから、まさしく「秘境」と言うものであろう。
 アルカーク・マスターソンが率いるヴィクドも高山地帯に位置しており、
ここで生まれ育った傭兵には『ハイランダー』なる異称が付けられているのだが、
そのヴィクドと比して、タイガーバズーカは数倍もの標高の山地に所在していた。
 「峻険」の二字以外に例えようのない山道を、
数日を費やして――タイガーバズーカの人間は一時間程度で麓と往復するのだが――登っていくと、
山肌を覆い隠すかの如く生い茂った竹林を見つけることが出来る。
 ここまで来れば、あと一息だ。件の竹林を抜けると、
それまでの悪路が嘘のようになだらかで開けた場所に辿り着く。
タイガーバズーカの人々は、そこに町を興して暮らしていた。
 武術で栄えた土地だけに、やはりと言うべきか、それに因んだ施設が多い。
負傷の手当てに大忙しの町医者や、体力の補給に欠かせない食堂、
くたびれた品の修繕も引き受ける武道具店などは常に繁盛しており、客足が途絶えることもなさそうだ。
 町の中央には円形の舞台が設置されているのだが、これは演芸などを披露する場所ではない。
歴(れっき)とした闘技場なのだ。木板を組み合わせた床面には大きく『義』の一字が記されていた。
 床面にクッション材を敷くことは禁じられており、闘技場に立つ者は相応の覚悟を決めることになる。
危険と隣り合わせの状況で潜在能力を爆発させ、武芸の腕を競い合うと言うことだ。
 年に一度、タイガーバズーカを挙げて催される武術大会の舞台となるのも円形闘技場である。
その期間の盛り上がりと言ったら凄まじく、死と隣り合わせのような悪路さえ踏破し、
下界から観客が詰め掛けるのだ。
 タイガーバズーカの最強を決めると言うことは、即ち世界一の武術家の選出にも等しいのだった。
 円形闘技場が設置された区域は、中心街とでも言うべき場所である。
此処を取り囲む形で山中の平らかな場所に家屋を建て、居住区と定めていた。
 何しろタイガーバズーカは山岳地帯に位置している。
居住に適した地形を見つけるのも一苦労であり、中には人工的に均した区画も在った。
谷間(たにあい)へ無理矢理に建てられた家屋も見受けられる。
 世間一般で言うところの生活≠ノは不向きとしか思えない環境であるが、
タイガーバズーカの人々は、寧ろ鍛錬になると喜んで受け容れていた。
 生まれ落ちた瞬間から『心技体』と言う武術の三原則を極めることに覚醒するような人々は、
心の在り方まで超人的なのだ。
 極端に空気が薄く、気温も低い。何よりも天候が全くと言って良いほど読めず、
冬季などは氷雪に包まれた極寒地獄と化す――これ程までに過酷な高山であっても、
絶好の修行地として心から愛し、決して離れようとはしない。
 この地で生を受けた者が人間離れした肉体を誇っている秘訣とも言えよう。
 下界の影響に染まりにくく、また、ひとつのことに打ち込める環境だからこそ
研ぎ澄まされていく『義』の心も忘れてはならない。
あちこちに点在する居住区を『義』と言う名の一本の線で結び合わせ、
タイバーバズーカと言う町を形作っているわけだ。
 町の名に因んでいるのか、それとも義の戦士の象徴なのか、
町の至る場所に白虎の獣面(かお)を染め抜いた旗が立てられている。

 義の都とも言うべき町並みを見下ろすのは、一等高い霊峰である。
ここには武芸百般の道場が置かれており、諸流派の秘伝を学ぶことが出来るのだ。
 タイガーバズーカは下界から登ってきた者も広く受け入れているので、
入門だけならば自由である。あくまでも、入門だけならば、だ。
 『心技体』を鍛錬する為の環境だけに切り立った崖の上に設けられた道場も多く、
生半可な者では近付くことさえ容易ではなかった。
強風に煽られてよろめいた瞬間、谷底へ真っ逆さまに転落してしまうような場所なのである。
 しかも、だ。諸流派の道場へと辿り着くには、自ら経路を探し出さなくてはならなかった。
 霊峰には道らしい道もない。岩を割って突き出した大木の枝から枝へと飛び移り、
鋭く尖った無数の岩石を踏み越え、あるいは崖をよじ登り、その果てに道場の門を潜れるのだ。
 素質のない者は、門を叩く前に篩いに掛けられてしまうわけである。

 霊峰の頂上付近には『白虎穴(びゃっこけつ)』と呼ばれる洞窟が在った。
 人の手によって岩壁が刳り貫かれた場所であり、
外に向かって流れていく湧き水を除いては、特に変わった物があるわけでもないのだが、
この洞窟こそがタイガーバズーカの――否、スカッド・フリーダムの聖地なのである。
 白虎穴の歴史を詳らかとするには、現代よりも時を巻き戻さなくてはならない。
さりながら、太古の昔と言う程ではなく、遡る年月は一〇〇年にも満たないのだ。
 タイガーバズーカ自体、「秘境」と呼ばれる割には歴史も古くはなかった。
 何処からともなく漂然と現れたひとりの武術家が前人未到の山岳地帯を切り開き、
志を同じくする者たちを集めて義の都を築き上げたのである。
 霊峰の頂に大穴を穿ち、生命の源たる湧き水をもたらしたのも、その武術家であった。
 虎の口を彷彿とさせる岩の亀裂より染み出した湧き水は、
白虎穴より滑り落ちて滝を成し、池となってタイバーバズーカの生命を育み、
次に川を作り、下流に向かって幾日も移ろい続け、やがては大海に出でる――
時の刻みが重なる水の流れにこそ、『心技体』の神髄が顕れていると武術家は語った。
 その武術家こそがタイガーバズーカの創始者であり、その名をテイケンと言う。
 山岳を拓き、義の都を興す最中にて若い妻を娶り、彼女の家系を継承したテイケンは、
『コールレイン』の家名を称することになった。
 そして、テイケン・コールレインは後年(のち)にスカッド・フリーダムの総帥と冠することになるのである。

 老齢ながらも全盛時と変わらない肉体を誇るテイケンは、自ら里を下りて各地の要人と談判に及ぶことが多い。
 近頃のタイガーバズーカは、ギルガメシュに任せてはおけないと、
独自に難民ネットワークを築き上げようとしている。総帥直々に支援要請へ赴く機会も少なくないのだ。
 総帥不在の間、スカッド・フリーダムひいてはタイガーバズーカを預かるのは
補佐役を務めるイゴール・バロッサであった。
 イゴールはテイケン総帥よりも二回りほど若い――それでも五〇は超えている――が、
タイガーバズーカきっての名門として知られるバロッサ家の長であり、
嘗てはスカッド・フリーダムの戦闘隊長も務めた男である。
 タイガーバズーカの全ての人々から全幅の信頼を寄せられており、
だからこそ、テイケン総帥も安心して義の都を任せられるのだった。
 そのイゴールは、現在(いま)、スカッド・フリーダムの幹部たちを前にして険しい表情で黙りこくっている。
 総帥補佐らしく筋骨隆々の肉体に義の戦士の隊服を着用している――が、
山形模様の腰巻とズボンだけで上着は用いず、代わりに長いマフラーを首に巻き付けていた。
 彼の視線の先に在る者たちは、何れも隊服を完全な形で身に着けていた。
額に鉢鉄(はちがね)を締めた雄々しい佇まいが、蝋燭の明かりに照らされている。
 イゴールを含めた一同が直立不動で会するのは白虎穴である。
聖地たる洞窟の中には総勢で九人の戦士たちが集結していた。

 青々とした髭剃りの跡がやけに目立つものの、眼光だけは異様に鋭い中年の男は、
ビターゼ・ギルベッガンと言う名である。
 少しも飾らずに髪の毛を角刈りにし、黒縁眼鏡を掛けた姿からは朴訥な人柄が窺える。
 誰よりも涼しげな面持ちのクラリッサ・バルバドスは、
一見すると美男子と間違えてしまいそうになるものの、歴(れっき)とした女戦士である。
 切れ長の双眸に凛々しく引き締められた口元、短く切り揃えられた頭髪と言う出で立ちは、
歌劇の世界に於いては男装の麗人≠ニ持て囃されることだろう。
 最年少は少女隊員である。年の頃は十六、七と言ったところであろうか。
後ろ髪が外に向かって元気良く跳ねたショートボブであり、髪型同様に全身から気力が溢れ出している。
年上の人間に囲まれた状況だが、少しも物怖じしていない。
 「溌溂」の二字を絵に掻いたような少女戦士は、トーニャ・バンドールと言う名前であった。
 トーニャの隣で不機嫌そうに腕組みしている長身の青年は、カリーム・ローレンスバーグと言う。
 他の隊員が素足であるのに対し、彼だけはバスケットシューズを履いている。
 それもその筈で、彼はバスケットボールと体術を融合させた全く新しい戦闘スタイルの使い手なのだ。
相手をボールに見立てた投げ技の数々は、二〇〇〇ミリにも及ぶ身長を全く生かし切っている。
 何がそんなに気に食わないのか、隣のトーニャから「そんな怖い顔だと、カノジョに逃げられるよ」と
肘でもって小突かれても、一言も発することなくイゴールを睨み続けていた。
 そのイゴールの傍らへ控えるようにして屹立するのは、彼の娘婿であるビクトー・バルデスピノ・バロッサだ。
 ややくたびれたヘッドバンドで象牙色の前髪を押さえ付け、剥き出しとなった額に鉢鉄を締めている。
端正な顔立ちを「優男」と揶揄する者も多いのだが、その身に纏う気魄は「軟派」の二字とは掛け離れていた。
 双眸は細く、何事を思案しているのか、余人には計り知れない。
 ビクトーの真隣には、殊更に険しい面持ちの女性隊員が寄り添っていた。
 角張った骨組(フレーム)の眼鏡を掛けていることから、少しばかり神経質そうな印象を与えるものの、
決して他者を寄せ付けないような人間ではあるまい。現在(いま)はビクトーへ哀しげな眼差しを向けている。
 左目の下にひとつ置かれた泣き黒子(ほくろ)が、瞳に映す感情(おもい)を際立たせているようにも見えた。
 彼女こそがイゴールの娘にしてビクトーの妻――イリュウシナである。
 彼女の対角線上には、別の女性隊員が立っている。意志の強さで面を満たすイリュウシナと対照的に、
こちらは穏和で愛らしい顔立ちだ。四角い骨組(フレーム)の眼鏡の向こうにある双眸も柔らかく、
ビクトーとイリュウシナの様子を心配そうに見つめていた。
 名前をグンダレンコと言う。
 ウルフカットと呼ばれる髪型は、丸みを帯びたミディアムショートのイリュウシナとも好対照だが、
髪の色は双方とも棗紅色である。
 瞳も共に翡翠色――その彩(いろ)はジャーメインを思わせる。
グンダレンコに至っては、顔立ちまでジャーメインとそっくりであった。
 近似と言うことであれば、浮かべた表情はともかくとして、
顔の構造(つくり)はグンダレンコとイリュウシナは瓜二つではないか。
そして、ふたりともバロッサの家名を称している。
 グンダレンコとイリュウシナは双子の姉妹であり、尚且つジャーメインの姉と言うことになる。
ふたりとも右手首にミサンガを嵌めていた。末の妹から贈られた物と思しきミサンガを、だ。
 このふたりにイゴールとビクトーをも含め、タイガーバズーカの名門――バロッサ家の一族であった。
 家長たるイゴールも棗紅色の髪と翡翠色の瞳である。

「――これがアルフレッド・S・ライアンを抹殺すべき根拠と言うことです」

 そう言って一同を見回したのは、スカッド・フリーダムが関わる全ての戦いを取り仕切る指揮官――
戦闘隊長を務めるエヴァンゲリスタ・デイナ・シュマンツであった。
 『戦闘隊長』と言う極めて重大な肩書きを背負っている筈なのだが、この男の姿は他の誰よりも異様である。
 両頬には炎が渦巻く様を模ったタトゥーが刻まれている。
このタトゥーは耳の下を通ってスキンヘッドの後頭部にまで達しており、
両の頬から噴き出した炎は、やがて褐色のキャンバスにサラマンダーの威容(すがた)を紡ぎ上げるのだった。
 拳頭は真っ平らに潰れ、鼻の頭も団子のように拉げている。
 そうかと思えば、目玉が大きく、睫毛も長い。飴玉のように丸々とした双眸には愛嬌すら滲んでいるのだが、
じっくりと風貌を観察しなくては、そこまでは気が付かないだろう。
 尤も、現在(いま)は僅かばかりの愛嬌も引っ込めてしまっている。
眉間に寄せられた皺は深く、穏やかならざる気配を帯びていた。

 エヴァンゲリスタが戦闘隊長の名に於いて幹部たちを白虎穴に召集したのは、
ギルガメシュがラジオ放送を通じて幕府成立を宣言する前日のことだった。
 より詳しく経緯を明かすならば――他の八人と向き合う形で屹立するロクサーヌ・ホフブロイが
タイガーバズーカへ帰還した直後と言うことになる。
 嘗てリーヴル・ノワールを探っていた女性隊員は、エヴァンゲリスタの要請を受けて再び里を下り、
或る人物≠フ身辺を調査していたのだ。
 その調査対象と言うのが、『在野の軍師』ことアルフレッド・S・ライアンだったのである。

 佐志やビッグハウスへ密かに潜入し、身辺調査を行っていたロクサーヌの報告によると、
今や対ギルガメシュ連合軍の中枢はアルフレッドの言いなりになっているそうだ。
 『在野の軍師』もまた己の立場を利用し、個人的な望みを果たそうとしているように思えると、
彼女は幹部たちに告げた。「いわゆるひとつの私見じゃけえ鵜呑みにされても困るよ」と
付け加えることも忘れずに、だ。
 ロクサーヌは緩やかなウェーブの掛かった髪を左方へ流し、更に花柄のシュシュで束ねている。
額の中央から左右に分けた髪は、松葉をあしらったヘアピンを使い、頬に接する位置で留めている。
 右頬に掛かる髪の毛先を指先で弄(いじ)っているのは、己の調査に自信を持てないからか、
それとも、白虎穴内部の空気が居た堪れないのか。おそらくは後者であろう。

「私の調べた内容(こと)が絶対正しいっちゅうこたぁないじゃろうから、
みんなには冷静に吟味して欲しいんじゃよ。一方的な決め付けは堪忍してね」

 そのようにロクサーヌは強調した。
 アルフレッドが『在野の軍師』として連合軍の作戦立案に深く関わったことまでは
スカッド・フリーダムも掴んでいる。
 勿論、そこまでは何の問題もなかった。スカッド・フリーダムの貫く義とは相容れなかった為に
熱砂の合戦には加わらなかったが、彼らにとってもギルガメシュは共通の大敵である。
 アルフレッドがギルガメシュを追い詰めてくれるのならば、それは歓迎すべきことであったのだ。
 問題は新たに創設された政体――幕府を巡る彼の謀略から噴出した。
 連合軍の切り崩しが画策されていると知るや否や、
アルフレッドは各地で犠牲になっている難民たちを愚弄するような行動を取った。
 攘夷を叫ぶ輩の暴挙を著名なジャーナリストであるトリーシャ・ハウルノートに報道させ、
連合軍からの離反を画策する者たちを脅したのだ。
「ギルガメシュに味方をすれば、お前たちもこうなるぞ」と、
件の記事の向こうからアルフレッドは睨みを利かせたわけである。
 それはつまり、攘夷の犠牲となった全ての人々を権力争いへ利用したことにも等しい。
 ところが、権力を争うべき相手ともアルフレッドは繋がっている節があった。
 攘夷の実態が報道される少し前、彼はギルガメシュ幹部の別荘に滞在していたと言うのだ。
しかも、その相手とは古くからの友人であるらしい。
 アルフレッドの動向や背景に奇妙なものを感じたことから
エヴァンゲリスタはロクサーヌを走らせたわけだが、
調べれば調べるほど、『在野の軍師』にまつわる疑惑は深まっていった。
 エルンストの御曹司たるグンガルに至ってはアルフレッドを盲信している。
 彼の父も『在野の軍師』には特別に目を掛けていたようだが、
息子のほうはアルフレッドの言行に何の疑いも持たなかった。
 馬軍の将来を背負うであろう御曹司が一個人を贔屓するようでは先は暗いと、
エヴァンゲリスタは語った。
 テムグ・テングリ群狼領は連合軍の主将なのである。このまま盲信が続こうものなら、
アルフレッドひとりの意思で全軍が――否、アルトの命運が左右されることにもなり兼ねない。
現時点に於いてさえ、ギルガメシュとの争乱という名分のもとにその兆候が見られるのだ。
 そのグンガルからはスカッド・フリーダムに対して幾度も同盟の申し入れがあった。
これもまたアルフレッドの画策であるとエヴァンゲリスタは把握していた。
催促されようとも返答を保留し続けるのは、『在野の軍師』の存在を警戒しているからに他ならない。
 グンガルと密接に結び付く一方で、アルフレッドは新たな御屋形たるタバートと反目し合っている。
 どうやら、タバートはギルガメシュへ媚を売り、テムグ・テングリ存続を求めていく腹積もりのようだ。
 あくまでもギルガメシュ打倒を主張するアルフレッドならば、
タバートを警戒するのは無理もなかろう――が、いよいよ邪魔者だと判断すれば、
彼はグンガルを唆し、ひいては馬軍の内紛を計画するに違いなかった。
 このようなときにテムグ・テングリ群狼領が再び内輪揉めなど起こそうものなら、
エンディニオンは更なる混乱を来たすことであろう。
 極めつけはジューダス・ローブの顛末だ。
 世界最凶のテロリストと恐れられた男はアルフレッドの秘策によって討ち取られた筈であったが、
実際には生存しており、あろうことか、佐志の一味に加わっていると言うではないか。
 しかも、だ。義を捨てて仲間を裏切り、スカッド・フリーダムを去ったシュガーレイたちとも
アルフレッドは同盟を結んでいる。悪名高いことで知られる冒険者チームの『メアズ・レイグ』といい、
『在野の軍師』のもとには善からぬ輩が次々と群がっていくように見えた。
 そこに義の心など感じられない。「信用」の二字からは余りにも掛け離れている。
アルトの命運を背負った連合軍は、そのような男に操られているのだとエヴァンゲリスタは繰り返した。

「戦いの場に於いて何よりも尊ぶべきは義の心。
勝利の後に恨みを残すような戦いを繰り返していては何時まで経っても世は纏まりません。
こんなにも簡単なことを、アルフレッド・S・ライアンと言う青年は理解していない。
……いや、理解しようとも思わないでしょう。その心に根差すのは怨むべき敵を滅ぼすという一念のみ。
愚かな理由でタイガーバズーカを去ったシュガーレイたちと同列と言うことですな。
その程度の器にエンディニオンの趨勢を委ねることが、どうして出来ましょうか」

 そう語るエヴァンゲリスタは、『在野の軍師』の根拠地たる佐志まで自ら赴き、
難民保護の協定に助力を求めていた。
 その折に港の防備も視察したのだが、バリケードや機雷と言った備えも
アルフレッドから命じられるままに設えたと佐志の民は語っていた。
皆が皆、『在野の軍師』の名を口にして、「彼の言う通りにしておけば安全」と胸を張ったのだ。
 佐志に同行した新聞女王マユもアルフレッドの軍才には信頼を置いているらしく、
港を哨戒する人々の言葉に深く頷いていた。

「わたくしは昔からアルフレッドさんを存じ上げておりますが、
あそこまで『文武両道』を体現された人物を他には知りません。
スカッド・フリーダムの皆様にも負けず劣らずの使い手≠ナございますし、
士官学校でも比類なき成績であったと聞き及んでおりますわ。
佐志がギルガメシュから襲われたときには小勢で返り討ちにし、続く合戦では敵艦を沈める大金星。
アルフレッドさんが連合軍に協力していると伺って安心したくらいでございます。
あの方さえ味方につけば、最早、負けは有り得ませんもの。
アルフレッドさんと共に戦うのであれば、何も恐れることはございません」

 アルトを実質的に支配してきたルナゲイト家の当主にここまで言わせるのだ。
『在野の軍師』の器量を疑う必要はあるまい。
 しかし、一方でエヴァンゲリスタは彼らの発言に違和感を覚えている――と言うよりも、
違和感以外には持ち得なかったほどだ。
 誰も彼も、アルフレッドを担いで戦うことだけを思考している。
使い道≠ェあるように見えた佐志の少年たちも
アルフレッドの指揮下に入ることを望んでいるようにも見えた。
 それはアルフレッドを信じ、頼りに思う状態とは些か異なっている。
少なくとも、エヴァンゲリスタはそのように考えている。
『在野の軍師』の駒≠ナあることに、彼らは何の疑いも持たないのだろうか――と。

「真に悲しいことではありますが、この世には生かしておくべきではない人間も存在するのです。
それがアルフレッド・S・ライアンだ。義を持たず、ただ死を振り撒くだけのこの男は、
野放しにしておけば、必ずやエンディニオンに災厄をもたらすでしょう。
……誰かが泥を呑まなくてはならないと言うのなら、我らが代わって罪に穢れましょう。
力弱き人々が犠牲となる前に悪しき謀(はかりごと)を断ち切らねば――」

 佐志とその仲間たちも、テムグ・テングリ群狼領の御曹司も、連合軍に与する諸将も、
過激思想の犠牲となった難民さえも――アルフレッドの目には
ギルガメシュを滅ぼす為の駒≠ニしか映っていないのだろう。
 数多の人間が暴力を振るう道具や免罪符として利用されようとしているのだ。
これほど恐ろしいものはなく、義の戦士にとっては断じて見過ごせない事態であった。
 それ故にエヴァンゲリスタは幹部たちを白虎穴に招集し、
アルフレッド・S・ライアンの抹殺を宣言したのである。
 いずれ災いを芽吹かせると明らかな存在であれば、種の内に始末をつけるべきなのだ――と。

「エヴァンゲさんが言いたいことは、概ね分かったんだけどさぁ、
だったら、何でこんな大切な話し合いにシルヴィーが呼ばれてないの? 
まず、それを誰かツッコもうよ。フツーにおかしくない? 『義』を唱えておいて仲間外し?」

 それまで戦闘隊長の話を聴くだけであったトーニャが初めて質問を口にした。
怒気を孕んだ語調からして詰問と表すべきかも知れない。
 白虎穴に入った当初は溌溂としていた顔も、今では不機嫌そうに歪んでいる。
口まで尖らせて、納得し兼ねると言う意を表している様子だ。
 トーニャが指摘した通り、幹部≠ニ言っても白虎穴には一部の者しか集められていない。
ワーズワース難民キャンプにてアルフレッドと死闘を演じたシルヴィオ・ルブリンも、
スカッド・フリーダムの要たる幹部の一角なのだ。
 そのシルヴィオにエヴァンゲリスタは召集の声を掛けなかった。
露骨としか言いようのない排除の仕方をトーニャは難詰しているのだった。

「……ライアンとやらに接触したのが、そんなに気に入らないのか、戦闘隊長殿は」

 黙してイゴールを睨み据えていたカリームもトーニャに加勢する。
既に彼の目はエヴェンゲリスタへと移っており、その眼光は一等鋭さを増している。

「如何にもまずい。戦闘隊長の立場としては歓迎せざることだ」

 当のエヴァンゲリスタは返答までに全く逡巡しなかった。
 それはつまり、トーニャとカリームから幾ら睨まれようとも、
シルヴィオ除外の決定を覆すつもりはないと言うことを表している。

「アルフレッド・S・ライアン――その男は弁舌にも長けているようだ。
ハンガイ・オルスでは連合軍の諸将を相手に論陣を張り、反対派すら取り込んだと聞いている。
……それに間違いないな、ロクサーヌ?」
「私の調べた限りじゃあ、そうゆうことじゃったよ」
「多数派工作もお手の物と言うことだ。彼の口八丁にシルヴィオが毒された可能性も捨て切れない」
「戦闘隊長ともあろう人がそんな寝言を抜かすとはな。
今からでも遅くない。シュガーさんを呼び戻して肩書きを返上したらどうだ」

 トーニャの隣で話を聞いていたカリームも全身に静かな憤怒を漲らせており、
氷のように冷たい罵声をエヴァンゲリスタに浴びせた。

「毒されたかも知れないから除外する? ……大の大人が臆病風に吹かれたのか、情けない。
だったら、俺はどうなる? 難民キャンプから帰った後も、何度もシルヴィーと顔を合わせているぞ。
あんたの理屈じゃ俺も毒されていなければおかしいよな」
「あたしだってノッポ人太郎おんなじじゃん。シルヴィーとは家もお隣同士だし。
一家揃って隔離されるパターンだよね。なのに、アイツを差し置いてお呼ばれしちゃったよ。
ノコノコ来ちゃったあたしも間抜けだけど、エヴァンゲさんはやることなすこと矛盾しまくりじゃん」
「納得のいく説明をしてもらおうか、戦闘隊長の義務として」

 現戦闘隊長に迫るカリームとトーニャを傍から眺めていたロクサーヌは、
「トーニャちゃんは『七導虎』で信用されてるからじゃろ。
カリーム君はもちぃと出世しようか。あ、ノッポ人太郎って呼んだほうがえかったかのぉ」と、
右手をひらひらと振っている。
 怒りに震えるふたりの神経を逆撫でするようなものであるが、
ロクサーヌなりに場の空気を和ませようと図ったのかも知れない。
 言うまでもなく逆効果であり、「シルヴィーも七導虎じゃん! 繰り上げ当選のあたしなんかと違ってさ!」と、
トーニャを爆発させる火種となった。
 彼女たちが語る『七導虎(しちどうこ)』とは、
スカッド・フリーダムに於いて心身ともに極めて優れた七人の戦士に授けられる称号であった。
 この称号こそが幹部の証とも言うべきものであり、白虎穴に於いては戦闘隊長のエヴァンゲリスタを筆頭に、
ビターゼ、クラリッサ、トーニャ、ビクトーが列している。
 トーニャの言葉からも察せられる通り、この場から除外されてしまったシルヴィオも七導虎のひとりであった。
 文字通り、七頭の虎≠ノ擬(なぞら)えた称号の筈なのだが、
それにも関わらず、シルヴィオを含めても一名足りない。
 最後のひとりについてはトーニャも言及せず、また誰も名前すら呼ぼうとしてしない。
どうやら仲間内からも余り歓迎されていない様子である。
 一方、総帥の補佐役を務めるイゴールの場合は、称号らしいものは特に冠してはいないのだが、
しかし、隊内に於いては七導虎よりも更に格上である。
勿論、現在の地位に就く以前は、彼らと同じように七導虎の一角を務めていたのだ。
 戦闘隊長のエヴァンゲリスタは、つまり現世代に於ける七導虎のリーダーでもあり、
その権限を以ってして、「アルフレッド・S・ライアンは抹殺すべし」と繰り返した。
 当然ながらカリームとトーニャは「答えになっていない」と声を荒げる。
先程の問いかけを全く無視された形であり、憤激は至って自然な反応と言えよう。
 エヴァンゲリスタ当人は、いきり立つ両者を涼しげな面持ちで眺めている。
対岸で騒ぐ破落戸(ごろつき)を理解し難いものとして眺めるような、侮蔑すら入り混じった表情であった。

「……理解に苦しむな、キミたちの態度は」
「その言葉、リボンで飾ってお返しするよっ!」
「他でもないシルヴィオ自身から報告を受けているだろう? 
あろうことか、彼はワーズワースとか言う難民キャンプで忌むべき裏切り者と接触しているのだ。
接触しただけならまだしも、義を捨てた裏切り者を処断もせずに見逃している。
……そのような人間は、最早、白穴虎に足を踏み入れる資格もないと思うのだがね。
いや、そう考えるのが自然だ」
「裏切り者? エヴァンゲさんってば、もしかして、メイのことを言ってるのかなッ!?」
「他に誰がいると言う? わざとらしい質問は慎みなさい。
シルヴィオも裏切りの片割れ――と即座に断じることは出来ないが、
これからは疑って掛かるしかないだろうね。歪んだ精神と言うものは、とかく伝染し易いもの。
ただでさえシルヴィオは素直だからな」
「わかってるじゃん、シルヴィーのこと!」
「だから、裏切り者に感化されても不思議ではない。
認めたくはないが、醜く歪んだ精神は強いエネルギーを発するものだよ。
素直な人間と言うのは実は厄介でね、決まってそのようなモノに引き付けられる。
毒気に中てられ、判断力を失う。……裏切りと言う行為は、我らの『義』にとって最も強い反発だ。
そこには大きなエネルギーが生じているのだろうね」
「……マジで言ってるの? ねぇ、エヴァンゲさん、マジでそんなこと言ってんの? 
て言うか、そもそも、自分の言ってるコト、ちゃんと分かってる!?」
「しかも、アルフレッド・S・ライアンとジャーメインは、今では深い間柄とも聞いている。
謀略を弄するライアンのこと、ジャーメインを通じてシルヴィオに善からぬことを吹き込んだとも限らない。
そうだとすれば、シルヴィオが裏切り者を見逃したことも辻褄が合う」
「そう言うのは辻褄ではなく、こじ付けと言うんだ、バカめ……」

 「そんな理由でシルヴィオを弾いたと言うのか? 七導虎は何時からそんな安い集団になった? 
戦闘隊長と言う看板は、臆病者が身を隠す為にあるわけじゃないぞ」と、
カリームはエヴァンゲリスタを面罵した。

「あんたの主張はただの疑心暗鬼に過ぎない。ライアンしかり、シルヴィオしかり……! 
ライアンとか言う一個人が連合軍を操っていると、あんたは危ぶんでるが、
そう言う自分こそ手前勝手な疑心暗鬼でスカッド・フリーダムを動かそうとしているじゃないか!?」
「洗脳されたの前提で話してるけど、シルヴィーに限って、そんなことはないって。
……大体っ! メイだって悪人じゃないでしょ! 
あのコの覚悟だってひとつの『義』だよ! あたしたちとは違う形かもだけどっ!」
「キミは肩を持つのか? バロッサ家の面汚し≠フ肩を……」
「肩持っちゃいけないの? 自分の親友を庇うのは当たり前だよっ!
隊員のカタキ討ちを裏切りって言い張るエヴァンゲさんの考えだって、
あたしはまだ許してないんだけどっ!? あのコはレンさんの代わりに――」
「……それくらいにしておきなさい。ヒートアップし過ぎるとトーニャの為にもならないわ。
折角、七導虎になれたのだから、それをもっと大切にしなさいな」
「トーニャちゃんの気持ちは嬉しいよ、うん。……だけど、決定は決定だから――ね?」

 尚も食い下がろうとするトーニャを制止したのは、ジャーメインの姉――
グンダレンコとイリュウシナのふたりであった。
 トーニャの胸に友情が燃え盛っていようとも、止むに止まれぬ事情があろうとも、
ジャーメインを始めとする『パトリオット猟班』は、
私的な理由からスカッド・フリーダムを離脱していったのである。
「裏切り者」と蔑まれても仕方のない立場であった。
 そして、「立場」と言う点に於いては、トーニャも綱渡りに等しい状況にある。
 裏切り者の名を受けたジャーメインを必要以上に庇い続ければ、
スカッド・フリーダムに於ける彼女の立場まで悪くなってしまうだろう。
 トーニャが噛み付く相手は、スカッド・フリーダムの戦闘隊長なのだ。
 そもそも、七導虎の立場から裏切り者を庇うこと自体、極めて危険な行為なのである。
度が過ぎれば、カリームもろともタイガーバズーカから放逐され兼ねない。

「……レンさん、リュウさん……」

 厳しい面持ちの中に感謝や慈しみを含ませたイリュウシナと、
微笑みの中に悲しみを湛えたグンダレンコ――両者の声に心を揺さぶられたトーニャは、
血が滲む程に唇を噛み、エヴァンゲリスタへの追及を打ち切った。
 無論、トーニャは保身を考えたわけではない。
 ジャーメインと――親友と血を分けた姉から直々に止められては、
トーニャとしても引き下がるしかなかった。

「あなたたちはそれで良いのか? ここまで屈辱を受けて黙っているつもりなのか? 
……幾ら戦闘隊長とは雖も、他家の娘を面汚し≠ネどと蔑む権利はないハズだ。
文句のひとつでも言い返したらどうなのですか!?」

 一方のカリームは、口を噤むどころか、ジャーメインの家族をも論戦に巻き込もうとしている。
当主のイゴールから入り婿のビクトーに至るまで、バロッサの家名を持つ者たちを見回すと、
エヴァンゲリスタの言行に『義』はあるのかと質した。
 この男が戦闘隊長であり、ジャーメインがスカッド・フリーダムを離脱したからと言っても、
赤の他人≠ナあるエヴァンゲリスタに人格まで貶める権利はなかろう。

「トーニャの言葉を借りるなら、ジャーメインはグンダレンコさんの代わりに戦っているようなもの。
……グンダレンコさん、他ならぬあなたの為の仇討ちです。
妹の気持ちを蔑ろにして、あなたは平気なのか!?」

 業を煮やした様子のカリームは、グンダレンコに向かって直接的に呼びかけた。
 他人の事情を穿り返してはならないと憚って最低限の情報(こと)しか口にしないが、
カリームの言葉からはジャーメインを復讐に駆り立てた発端が察せられる。
 あるいは、バロッサ家が抱える事情とも言い換えられよう。
 しかし、当のグンダレンコは悲しげな面持ちで首を横に振るのみだ。
 彼女だけでなく、バロッサ家の人々は誰ひとりとしてカリームには応じず、
エヴァンゲリスタに言い返す気配すら見られない。
 ただただ沈黙を貫いている――が、それも無理からぬ話であろう。
 総帥補佐のイゴールを筆頭として、
幾人もスカッド・フリーダムの幹部を輩出したことから察せられる通り、
バロッサ家はタイガーバズーカきっての名門である。
 タイガーバズーカの長老格にしてイゴールの実母に当たるノラ・バロッサは、
スカッド・フリーダム結成当初からのテイケンの盟友であり、
現在も義の戦士たちの相談役を務めている。
 それほどの名門から裏切り者≠出してしまったことは、
バロッサ家始まって以来の痛恨事なのである。
 口を真一文字に引き締めたイゴールの沈黙は、まさしく不覚を悔いている証左だ。
その様を見つめるトーニャは、親友が家族にまで庇われなくなったことを悲しみ、
「幾らなんでもメイが可哀想だよ……」と俯いてしまった。
 バロッサ家の苦しい立場はトーニャもカリームも承知している。
 だが、ジャーメインたちパトリオット猟班は、ギルガメシュに殺害された同志の無念を晴らすべく
決死の覚悟で連合軍に加わったのだ。トーニャが語ったように彼らの行動にも『義』の心は存在し、
スカッド・フリーダム内部でも理解を示す人間は少なくない。
 パトリオット猟班を指して戦闘隊長が「裏切り者」と糾弾する為に、
皆で口を噤んでいるだけなのだ。『義』の一字を以って抑え付けられていると言っても過言ではなかった。
 それならば、バロッサ家の人々もエヴァンゲリスタの物言いに正面から反論して良い筈だ。
誰も咎めたりはしないだろう。
 そもそも、カリームがバロッサ家の人々に問い掛けたのは、
義の戦士としての矜持ではなく、ジャーメインに対する肉親の情なのである。
 それにも関わらず、イゴールはただの一言も発さない。
腕組みしたまま瞑目を続けており、カリームの呼びかけを聞こえない芝居(ふり)でもって
受け流そうとしているようにも見えた。
 この場で――義の戦士たちの聖地に於いて私情を語ることなど許されないと、
総帥補佐は考えているのだろうか。

「……イゴールさん……」

 再三の呼びかけにも応じないイゴールに対して、カリームは失望にも似た表情へと変わりつつあった。

「アルフレッド・S・ライアンを抹殺した後の様子を見ていると良い。
それでもギルガメシュとの戦いを優先させたなら褒めてやらないでもないが、
『義』を裏切る人間の心変わりは山の天気よりも早いものだよ。
すぐにギルガメシュへの報復を忘れ、ライアンの仇討ちと言って我々を――」
「――決定事項のように話を進めているが、ライアン抹殺の根拠が曖昧ではないか、戦闘隊長」

 エヴァンゲリスタの発言を遮ったのは、黙して成り行きを見守っていたビターゼであった。
 青々とした髭剃りの跡を左の親指でもって撫でつつ、黒縁眼鏡の向こうからイゴールの様子を窺っている。
 エヴァンゲリスタから実の娘を徹底的に謗られたことでイゴールまで傷付いてはいないか、
そのことを案じているのだ。

「アルフレッド・S・ライアンの意思が連合軍を思うが侭に動かしていることは分かった。
それ自体は確かに警戒すべき事態だが、件の青年を葬り去れと主張する根拠には繋がらんぞ。
泥を被ろうと言う覚悟は戦闘隊長らしく感心だ。
……関心ではあるがね、不確かな見積もりで血を浴びても、何の意味もあるまいよ。
将来的には危険だろうと言う確率の問題で人命を奪っては、到底、『義』は成り立たん」

 古い友人へと視線を向けながらも、ビターゼが異論を叩き付ける相手は戦闘隊長である。
 その声は白虎穴を揺るがすほどに重々しく、エヴァンゲリスタでさえ一度は黙らされた。
黙った≠フではなく、黙らされた≠フである。
 これと言った特徴もなく朴訥そのものの顔立ちとは裏腹に、
淡々とした言葉遣いの端々に凄まじい威圧を帯びているではないか。
 ビターゼ・ギルベッガンは最年長として七導虎のまとめ役を担っている。
この最年長≠ニ言う肩書きは飾りではなく、
彼は総帥のテイケンと共にスカッド・フリーダムの結成に奔走した一員なのだ。
 当人の希望で七導虎の座に留まり、若い世代を後見しているものの、
本来ならば、イゴールへ匹敵する位階に昇っていてもおかしくはなかった。
 ビターゼの前では戦闘隊長すら駆け出しに等しいのである。
年功に基づく上下関係など規律に厳しいスカッド・フリーダムに於いて、
ビターゼは最古参として存在感を発揮しているのだ。
 さりながら、いつも最古参と言う立場を利用して目下を押さえ付けているわけではない。
今回が異例なのであり、また発言力を裏打ちするのはビターゼ本人の戦闘能力であった。
 刈り上げた髪に白い物が混じる年齢ではあるものの、
その身に備えた『カジュケンボ』なる武術の技は衰えを知らず、
隊内のみならずタイガーバズーカの民から一目置かれていた。
 そして、心技体を練り上げた果ての強さとは、
スカッド・フリーダムの隊員にとって唯一絶対の物差し≠ネのである。
 名実相伴う一声を以ってして、脱線しつつあった議論を本筋に戻したビターゼであったが、
エヴァンゲリスタの思惑にも乗ってはいない。
 アルフレッド・S・ライアンを抹殺すると言う彼の判断が正しいのか、改めて追及している。
 この男もまた、アルフレッド抹殺が義のない戦いだと感じている様子であった。

「己の判断にやましいところがないと言うのであれば、やはり、シルヴィオも白虎穴に呼ぶべきだろう。
その上で『在野の軍師』やジャーメインから善からぬ影響を受けていないか、問い質せば良い。
臭い物に蓋をすると言うような今のやり方では公平さを欠く。
……キミはジャーメインとの接触にも疑いの目を向けているようだが、
それならシルヴィオの証言は何よりも重要な筈。シルヴィオを通して、あの娘の様子を確かめるのだよ。
シュガーレイ一同が『義』を捨ててしまったのか否か、自ずと答えが見えてくるだろう。
それからでも判断は遅くはないと思うぞ、戦闘隊長」

 エヴァンゲリスタがジャーメインやシルヴィオを裏切り者扱いしていることについても、
ビターゼは物言いを付けた。アルフレッド処断を論じるときに比べて語調が強くなったのは、
つまり、先程の彼の態度に怒りを覚えていると言う証拠である。
 カリームとトーニャにとっては思わぬ援軍であろう。
ふたりして驚きと期待の入り混じった顔を見合わせている。

「結論は既に出ていますよ、ビターゼさん。これを覆すことこそ『義』を違えたことになるでしょう。
アルフレッド・S・ライアン、その男を取り除くべきだと判断したのは、
彼の思想が復讐に凝り固まっているからです」

 暗に発言の撤回を求められたエヴァンゲリスタであるが、彼も決して揺らがなかった。
年長者と相対する言葉を選びつつ、アルフレッド抹殺の根拠を並べ立てていく。
 この折にエヴァンゲリスタは復讐の想念が最大の判断材料になったと説いた。
 アルフレッドがギルガメシュに故郷を焼き討ちされたこと。
同郷の親友を殺害され、実の妹まで誘拐されたこと――
ロクサーヌの調査結果を論拠に挙げたエヴァンゲリスタは、『在野の軍師』の本質を復讐鬼≠ニ断じた。

「お分かり頂けましたか? 今やエンディニオンは個人の報復に振り回されようとしているのです。
これほど危険なことを自分は他に知りません。彼は連合軍を使って自分の復讐心を満たそうとしています。
語弊を承知で申し上げますと、……狂っているんですよ、彼は。復讐と言う名の妄念にね」
「キレっぷりなんか尋常じゃないみたいじゃよ。捕虜が逃げ出したときは汚い言葉を浴びせまくたっとか。
戦争じゃーって、すごい剣幕じゃったゆうて聞いたよ」

 ロクサーヌが言い添えたのは、佐志に於ける調査にて知り得た情報である。
 ロンギヌス社のエージェントなど人の出入りが俄かに慌しくなった佐志へと潜入した彼女は、
影の如く人混みに紛れ込み、様々な巷説に耳を傾けていたのである。
 これを単なる噂話で済ませるわけにはいかない。ロクサーヌの調査は極めて正確であった。
事実、アルフレッドはニコラスたちがギルガメシュの捕虜を連れて逃げ出した折に、
おぞましい罵声を撒き散らしていたのである。
 そのような復讐の狂気に取り憑かれたまま両帝会戦を迎えたのも事実なのだ。

「彼の意思が、いえ、復讐の想念が介在している間は秩序を定めることもままならないのですよ。
ひとつの現実として、このエンディニオンには生きていてはならない命がある。
それがアルフレッド・S・ライアンなのです」

 復讐の狂気と言う証拠を以って、エヴァンゲリスタはアルフレッド抹殺の正当性を改めて主張した。
 彼の言葉に凛然たる麗人――クラリッサは深々とした首肯でもって賛同の意を示している。

「攘夷を叫ぶ兇賊たちと五十歩百歩――と言うことだな。成る程、ひとつの想念に凝り固まった人間は厄介だ。
目的だけを見据えて視野が狭まり、周りが見えなくなる。最後には自分が何をしているのかも見失うだろう。
……どれだけ犠牲を積み重ねても、それに気付かないと言うことは実に恐ろしいぞ」

 アルフレッドが囚われた想念は、狂気を帯びた暴力と言う一点に於いて、
難民を脅かす攘夷と同質とまでクラリッサは言い捨てた。
このまま野放しにしておけば、無闇に屍を増やすだけだ、と。
 どうやら彼女は完全にエヴァンゲリスタの味方に回った様子である。

「スカッド・フリーダムを裏切った一党も目的は復讐――
悲しいかな、シルヴィオはこの忌むべき狂気を否定しないそうです。
『義』から最も遠いところに位置する想念と交わることは、
戦闘隊長の立場としては断じて容認出来ませんな」

 エヴァンゲリスタは言外にビターゼたちを牽制している。
ジャーメインたちの行動にも『義』はあるとして理解を示す者たちに対し、
同じ裏切り者≠フ烙印を押されたいのかと圧力を掛けた次第であった。
 最早、両者の言い分に妥協点はないように思われた。
 ビターゼが口を噤んだ為、今のところは論争には発展していないものの、
遅かれ早かれ平行線を辿ることになるだろう。水掛け論が続き、物別れとなる結末まで見えている。
 このままでは埒が明かないと考えたビターゼは、裁断を下すようイゴールに目配せした。
 郷を留守にしている総帥からスカッド・フリーダムの全権を委任された彼こそが、
今は最終決定を行う立場に在るのだ。それは戦闘隊長を上回る権限の持ち主にしか出来ないことであった。
 エヴァンゲリスタは――否、白虎穴に集った全ての者たちがビターゼの意図を察し、
イゴールへと視線を巡らせる。
 皆の視線を一身に浴びたイゴールは、様々な懊悩が混ざっているであろう重苦しい溜め息を吐いた後、
「……エヴァンゲリスタの言うように結論は出ている」と語り、次いで傍らのビクトーを睥睨した。
最後まで沈黙を貫き通した娘婿を、だ。

「スカッド・フリーダムの『義』は――正義はただひとつである。
これを違えた瞬間にエンディニオンは進むべき道を見失うものと思え。
我らが背負うものとは何か、今一度、自らの心に問い掛けるべし」

 イゴールの言葉は洞窟と言う極めて狭い空間に反響し、何時までも義の戦士たちの耳に残り続けた。
解散が宣言されて白虎穴を離れた後も鼓膜にこびり付いて離れなかった。




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