17.Clarification of where responsibility lies


「――アルフレッド・S・ライアン、キミは生きていてはならない生命なのです。
スカッド・フリーダムが『義』に於いて、……否、世界の安寧の為にキミを討つ」

 そして、ビクトーによる宣告がビッグハウスの一角――造船所跡に響き渡った。
 白虎穴の追憶を経て現在(いま)、バロッサ家の婿は裁くべき対象と向かい合っている。
ここに至るまでの経緯を説いた後(のち)、エンディニオンの秩序を著しく乱すであろう『在野の軍師』に対して、
『義』の名の下に極刑を申し渡したのである。
 白虎穴の会合にてイゴールが口にした結論≠ニは、つまりはそう言うことであった。
 両腕をだらりと垂らしたままアルフレッドに向き合うビクトーは、
その面に何の感情も浮かべていない。おそらくは吹き溜まりの塵芥でも眺めるような心持ちなのであろう。
 即ち、ビクトーの目に映っているのは、片付けるべき屑≠ニ言うことだ。

「私から話すべきことは以上です。……私見を述べさせて頂くのなら、全て自業自得と言うものでしょう。
何かを恨みたいのでしたら、我が身の不覚を恨みなさい――」
「――ふざけないでよっ! 揃いも揃って何様のつもりなのッ!?」

 義兄の宣告を遮るようにして、ジャーメインが怒りの吼え声を上げた。
 彼女は全身に蒼白い稲光を帯びている。トラウムの精製にも深く関わっているとされる
ヴィトゲンシュタイン粒子――これを純粋なエネルギーに変換する秘伝、『ホウライ』の発現であった。
 このタイガーバズーカ独自の秘伝を極める過程に於いて、
相手が纏う稲光を打ち消してしまう技術をも会得するものだ。
よってスカッド・フリーダムの隊員同士の戦いでは、ホウライ自体が無用の長物と化してしまう。
 ジャーメインの両拳では蒼白い火花が一段と激しく爆ぜているのだが、
幾らホウライの勢いを強めようとも、この場に於いては何の意味も為さないわけである。
 だが、今は冷静な判断が付くような情況ではない。彼女自身、無意識にホウライを発現させているのだろう。
愛らしい面は今や憤怒の色に染まり、激烈に歪んでいた。

「復讐に狂ってるって、そんなのは一方的な決め付けじゃないッ! 
しかも、自分の都合で連合軍を影で操ってるって!? ……ふざけるんじゃないわよッ! 
エンディニオンの秩序とやらを一番バカにしてるのはそっちのほうじゃないッ! 
アルはみんなを丸め込んだんじゃないッ! 話し合いを通じて、戦う意志をひとつにまとめたのよッ!」

 やや離れた地点にてアルフレッドと対峙している義兄に向かって、ジャーメインは怒号を迸らせた。
その際に生じた稲光が辺り一面に輻射され、帯電現象の如く瓦斯灯の柱に纏わり、空を目指して駆け上っていく。
 蒼白い火花が爆ぜて散った空は、いつしか灰色の分厚い雲に覆われつつあった。
この場の混迷を全く表したような空模様と言えよう。
あるいは今から処刑されようとしているアルフレッドへの餞なのかも知れない。
 尤も、ジャーメインは処刑ではなく私刑だと捉えている。
義を標榜する者どもによる恥ずべき私刑である――と。
 エヴァンゲリスタによる独善的な判断は勿論のこと、
これを承認してしまった実父に対してもジャーメインは激しく憤っていた。
 幼少の頃から『義』の在り方を説き聞かせてくれた父が、これを裏切るような裁断を下している。
あろうことか、私刑を容認してしまっている。
 私刑の何処に『義』があると言うのか――どう考えても父は判断を誤っており、
実の娘としても、義の戦士の端くれとしても、こればかりは承服し兼ねるのだった。
 傲慢としか言いようのないスカッド・フリーダムの私刑だけは断じて認めないと、
ジャーメインはふたりの姉にも眼光を以って訴えている。
 スカッド・フリーダムを離脱してから初めての再会にも関わらず、
愛する肉親と憎悪の壁で隔てられたことは、彼女にとっても耐え難い程に悲しいのだが、
今は姉妹の情に流されてはいられない。
 イリュウシナはジャーメインの前に、グンダレンコはザムシードの前に、
それぞれ立ちはだかっている。どうやら処刑人≠ヘビクトーの担当であり、
ふたりはアルフレッドへの加勢を阻む構えのようだ。
 即ち、ふたりの姉も道を誤り、恥ずべき私刑に与したと言うことだ。
この時点で、ジャーメインにとっては退けなくてはならない『敵』となったのである。

「……本当に意志がひとつにまとまったのなら、ギルガメシュ側に寝返る筈はないわ。
同志として集まったのに、たったひとりの、それも得体の知れない若造に何もかも支配されている――
そのことに嫌気が差したとも考えられるのではないかしら?」
「メイちゃん、落ち着いて考えて? 私たちもこの決断が正しいとは思っていないのね。
罪を問われたときには潔く罰を受けるつもりよ。でも、スカッド・フリーダムは逃げるわけにいかないの。
……例え、間違っていると分かっていても、『義』を貫く為にはやらなきゃならないことがあるから」
「間違ってるって思うなら! それを声に出して言わなきゃ! 
誰かに押し付けられた『義』を納得しちゃうなんて、そんなの絶対に間違ってるッ! 
レン姉にもリュウ姉にも、自分の『義』を捨てて欲しくないよッ! 
ちなみにお父さんは後で絶対にブチのめすッ!」
「メイちゃんってば〜……」
「そんな弱り顔したってダメだよ、レン姉! アルは罰せられるようなことは何もしてないッ! 
……全部が全部、納得出来るわけじゃないけど、それでも、精一杯に悩んで、頑張っているのは分かる! 
だからッ! あいつの気持ちを誰にも否定させないッ!」
「気持ちの問題じゃないのよ、ジャーメイン。ついさっきビクトーも話したでしょう、野放しにしておくことの危険性を。
無駄な犠牲を増やすと分かっていて、それを見過ごすことは『義』に悖(もと)るわ」
「どうして、悪くなる可能性ばかり考えるのよ!? あたしに言わせれば、それが一番おかしいのよ! 
自分たちの都合で人の未来まで決め付けるなんて……! 
スカッド・フリーダムの『義』は、何時からそんなに上から目線になっちゃったのさッ!?」

 白虎穴の再現のようにも思える水掛け論をジャーメインと繰り広げながら、
グンダレンコとイリュウシナは、妹の言葉に驚愕を禁じ得なかった。
 エヴァンゲリスタがパトリオット猟班の『義』を手酷く罵ったことは、
ビクトーによる宣告を通じてジャーメインも受け止めた筈である。
同郷の人間から裏切り者と謗られたことは、流石に聞こえない芝居(フリ)は出来まい。
 「パトリオット猟班にも『義』はある」と言い返すに違いないと、ふたりの姉は考えていたのだ。
 ところが、ジャーメイン当人はアルフレッドの誇りを守ろうと懸命になっている。
自身に向けられた批難に対して、彼女は一度も反論しないのだ。
自分のことよりも『在野の軍師』のことを優先させていた。彼の戦いが誤りでないと主張し続けている。
 妹の怒りを真正面より受け止めながら、グンダレンコとイリュウシナは揃って目を細めるのだった。

「何時から≠ニは、ユニークな発想だな。スカッド・フリーダムの『義』は昔から独善的だったよ。
自分たちの都合を社会正義のように決め付けていたじゃないか。最初から救いようがなかったぞ」
「ちょっと、ちょっとぉ! おじさん、どっちの味方なのよ!?」
「今、この場ではお前さんの味方と言うことになるだろうが、
生憎とスカッド・フリーダムは、お前さんと共闘する前から目の上のタンコブなのでね」
「ああ〜、顔に見憶えがあると思っていましたけど、確か、あなたはテムグ・テングリ群狼領の――」
「ほう? 光栄ですな、姉君=B私も随分と有名になったものだ」
「はい、写真で拝見したんですよ」
「スカッド・フリーダムの間で、あなたのことを知らない人間は少ないわよ、馬軍の叛将%a。
……お言葉を返すようだけど、我々もテムグ・テングリ群狼領を親しい隣人とは認め難いのだから」
「だから、同盟の申し出も蹴ったと言うわけですな? ……ま、今のはお褒めの言葉と受け取っておきましょう」
「誰も褒めてなどはいないわ。『義』に悖(もと)る馬軍は信用ならない。ただそれだけのことよ」
「姉さん、初対面の方に、そんな態度は失礼ですよ。もっと言い方を考えないと〜」

 一方、グンダレンコと直接的に対峙したザムシードの態度は極端に冷ややかであった。
 テムグ・テングリ群狼領の将たる彼は、版図拡大の妨げでもあったスカッド・フリーダムに対して、
並々ならない悪感情を抱いている。
 彼らが一方的な『義』を押し付けてきても、ジャーメインのように感情を昂ぶらせることはなく、
反応そのものは至って淡白である。つまり、スカッド・フリーダムはそのようなもの≠セと、
最初から割り切っているわけだ。
 独善的で救い難い集団のように見下していると言っても過言ではあるまい。

「考えてみれば、ライアンも不憫だな。よりにもよってスカッド・フリーダムから目を付けられるとは。
中身のない『義』の餌食になっては浮かばれんだろう」

 恐ろしく抑揚の乏しい声でもって、ザムシードは心底からの侮蔑を吐き捨てた。
淡々とした物言いは、却って憎悪の深さを表しているように思える。

「……聞こえているぞ、フランカー。お前こそ人の運命を決め付けてくれるな」
「流石に耳聡い。とりあえず、そっちに行くまでは持ち堪えておけよ。
目の前で見殺しにしたと、御曹司にも御屋形様にも叱られるのでな。
ビアルタ殿からは、一杯くらい奢って貰えるかも知れんが」
「わざわざ不吉なことを話してどうする」

 本人に背中を向けた状態で、アルフレッドはザムシードの軽率な言葉を窘めた。
 スカッド・フリーダムによって生命が脅かされていると言うのに、
その声は不自然とも思えるくらい落ち着いていた。

(……暗殺、か……よく今まで狙われなかったものだな……)

 「生きていてはならない生命」とまで断じられてしまったアルフレッドは、
その胸中を自分自身への嘲りで満たしている。
ここに至るまでの報い≠受けるべきときが訪れたのかも知れない――と。
 一度、ハンガイ・オルスへ詰めていた折にも暗殺者の影が忍び寄ったことがあった。
あのときは取り越し苦労だった――と言うよりも、ザムシードが別の人間を狙っていたのだ――が、
どうやら今度は本当に生命の危険が迫っているようだ。

「お前たちの言い分は良く分かった。暗殺される理由としては十分だな。
……俺も自分が綺麗な身とは思っていない。言い逃れするつもりだってない。
そこの女が言ったように罪に問われたなら罰も受け入れよう」

 改めて正面の処刑人≠ヨと意識を向けたアルフレッドは、意外にも反論ではなく懺悔を口にした。
ビクトーの読み上げた罪状≠認め、己が罰せられるべき人間であることも言明した。
 それどころか、全ての罰を甘んじて容れるとまで言い切ったのである。
 さしものビクトーもこれには驚かされたのであろう。ただでさえ細い目を更に鋭く引き締め、
アルフレッドの面を窺っている。殊勝な態度を見せておいて、
裏で何事か画策しているのではないかと訝っているわけだ。

 猜疑の念を真っ向から浴びせられたアルフレッドは、
しかし、誰にも信じて貰えないのは当然だ――と、自虐にも近い薄笑いを浮かべた。
 今までの戦いを顧みれば、己自身であっても擁護する気にはなれない。
エンディニオンの為を思って戦ってきたのだと、我が身の潔白を強弁するには、
余りにも多くの血を浴びてしまっている。
 復讐に狂っていたことも揺るがし難い事実だ。
 クラップを殺害され、故郷を滅ぼされた直後などはギルガメシュを根絶やしにすることしか考えていなかった。
彼らを同じ生き物とも思わず、捕らえた敵兵を息絶えるまで拷問したこともあった。
 熱砂に於ける両帝会戦では、上陸前に轟沈せしめた敵艦のみならず、多くの生命を殺戮した。
 それだけに飽き足らず、連合軍諸将を恐怖統制のような形で繋ぎ止めようともしたのだ。
 全てはギルガメシュを攻め滅ぼす為である。ただその為だけに形振り構わず東奔西走していたのだから、
復讐に狂ったままであろうと認識されても不思議ではない。
 アルフレッド自身が兵権を握ったことなど一度も――否、一瞬でもないのだが、
第三者たるスカッド・フリーダムの目には連合軍を操っているようにも見えるのだろう。
 テムグ・テングリ群狼領も、連合軍の諸将も、
『在野の軍師』にとっては意のままに動く傀儡と言うわけである。

(……ある意味、買い被りが過ぎるとも言えるな。俺は――そう……俺はそんな大した人間じゃない……)

 挙げ句の果てには攘夷の名の下に虐殺された難民すら利用してしまった。
ビクトーの宣告≠ゥら察するに、攘夷思想の報道を仕掛けたことまで
スカッド・フリーダムは掴んでいる様子である。
 これもまた許されざる罪のひとつであろう。
ワーズワースに於いてハブール難民の悲劇を目の当たりにしておきながら、
その同胞たちを使い捨ての道具にしてしまったのだ。
 これによって、ハブール難民をも踏み躙ったのである。

 悲劇の地にて受け取った預かり物≠ヘ、今もまだズボンのポケットに仕舞ってある。
 最早、持ち主の想いを受け継いでいく資格もなかろうが、
しかし、約束≠放り出すことなど出来よう筈もない。

「……自分が生きていてはならない人間だと認めるのですね?」
「同じことばかりを繰り返していて、よく飽きないものだな」
「飽きる飽きないの問題ではありませんからね。
……潔く出頭するのであれば、相応の死に場所を用意して差し上げましょう」
「至れり尽くせりだな。それも貴様らの『義』と言うものか?」
「尊厳に対する礼儀と言うものです」

 処刑人≠スるビクトーが罰を受ける覚悟を再び質した。
 心の内側で何を企んでいるのか、見極めようと言うのであろう。
その物言いは、さながら処刑場への道を促す獄吏のようだ。
 生きていてはならない人間――義の戦士にそこまで言わしめる程の暴挙を繰り返しておきながら、
尚も聖人君子を気取ったのであれば、それこそ身の程も恥も知らない大莫迦者か、正しく狂人であろう。
 アルフレッドは決して愚かではない。スカッド・フリーダムに糾弾されるまでもなく、
争乱の後に裁かれるべきは己であると自覚している。
 しかし、それでも――

「……だが、戦いもしなかった者たちに言われる筋合いでもない。
あんたたちに差し出す首もないと言うことだ」

 ――『義』の処刑人≠標榜する男に対して、アルフレッドは抗い戦うと言い捨てた。
スカッド・フリーダムの私刑になど付き合うつもりはないと、明確に宣言して見せた。
 すかさずジャーメインは拳を突き上げ、「そうこなくちゃッ!」と大音声で応じた。
彼女のように声こそ発しないものの、ザムシードも両手でもって握り拳を作り、その親指を立てている。
 ふたりに対して背中を向けたままのアルフレッドには視認することなど叶うまいが、
その気持ちは確実に伝わっている筈だ。

 俄かに歪んだビクトーの面は、アルフレッドの浮かべた表情を物語る写し鏡であろう。
独善的な私刑に抗い戦わんとする意志が一等強まったわけだ。
 アルフレッドの反抗をジャーメインが真っ先に喜んだことも、ビクトーの神経を逆撫でしたに違いない。
この処刑人≠烽ワた義妹のことを「バロッサ家の面汚し」と謗ったひとりなのだ。

「……自分の罰から逃れようと言うのですね、キミは」
「いいや、あんたたちに人を裁く資格などないと言っているんだ。
……飲み込みが鈍いな、あんた。それでよく偉そうに題目を並べられたものだ」
「……仰っている意味を理解し兼ねるのですが……」
「ならば、逆に訊いてやる。一体、お前たちが何を背負っていると言うんだ。
ギルガメシュと正面切って戦ったことがあるか? エンディニオンが食い散らかされているときに
スカッド・フリーダムは何をしていた? 弱き者を救う護民官≠ニ評判の貴様らは?」
「その弱き者を救う為に奔走しておりましたよ。私たちのやり方で――」
「――いいや、違う。現実から目を逸らしていただけだ。
今、何と戦わなければならないのかを見定めている分、パトリオット猟班のほうが遥かに上等と言うものだ。
比べるのも無礼かも知れないな。……偉そうな題目ばかりを並べて
自分の正義に酔っているだけの貴様らは、何かを語る資格すら持ってはいないんだよ」

 これこそが、アルフレッドを戦いの場に立たせる力であった。
 身も心も血で穢れてしまうような戦いの中で、彼は数え切れない程の思い≠受け取ってきた。
 史上最大の作戦が瓦解し、その責任をディオファントスから追及されたとき、
一度は『在野の軍師』と言う立場から降りるべきではないかと思い詰めた。
 だが、結局は周りがそれを許さない。目の前に在る者だけではなく、
戦いの日々の中で出逢ってきた全ての人々との誓いや、その手に託された思い≠ェ、
舞台から去ることを許してはくれなかった。
 ワーズワース難民キャンプにて交わした約束も同じである。
預かり物≠持ち続ける資格など持ち得ないと自嘲しながらも、
その苦しみさえ抱えていくしかないのだ。
 信じられないくらい多くの思い≠背負って、ここまで戦って来たのだ。
最早、自分ひとりの戦いではないのだと、アルフレッドは強く感じている。
 あるいは光≠フ中へと去っていった者たちも、
我が身を通して忌むべき闇≠感じ取り、戦いの意志をぶつけようとしているのかも知れない。
 これもまた舞台に残った人間の務めであろう――そう信じればこそ、
アルフレッドはスカッド・フリーダムの在り方を謗ったのである。
 秩序の護り手を自負しながらも、義の戦士たちが何か≠背負って戦っているようには見えなかった。
それどころか、背負うべき筈の思い≠自ら拒絶しているとしか思えなかった。
 『義』の私刑を拒む理由としては、ただそれだけでもアルフレッドには十分である。
 ましてや、スカッド・フリーダムと言う組織を共に戦う同志とも思ってはいない。
 アルトもノイもなく、誰もが命運を賭して臨んだ両帝会戦にも加わらず、
綺麗事ばかりを唱え続けてきた輩である。逆らう、逆らわないと言う以前に、
欺瞞に満ちた一党の放言など聞くに値しないのだった。

 戦うべきときに戦えなかったことについては、スカッド・フリーダムの側にも忸怩たる思いがある。
 「返り血を浴びるだけの度胸もない臆病者が正義を語るな」とアルフレッドから罵倒された瞬間など、
グンダレンコとイリュウシナは揃って俯き加減となったのだ。
 『義』のない争乱にスカッド・フリーダムは関わらないと言うことが組織全体の基本方針であるが、
しかし、外からの目が必ずしも好意的に解釈してくれるとは限らない。
 あれだけ護民官を自負しておきながら、肝心なときには庇ってはくれない。
エルンスト・ドルジ・パラッシュをも降すギルガメシュを前にして怖気付いたのだと、
口汚く罵られたことは一度や二度ではなかった。

「世界中が戦っていたときに、貴様らは自分の正義を満足させることしか考えていなかった。
グドゥーの戦場すら見ていないだろう? ……他人の生命を弄びたいのであれば、
先ずは自分の生命を張ってからにしたらどうだ。口先だけの英雄気取りが……ッ!」

 アルフレッドの罵声が――否、数多の民より浴びせられた罵声が如何なる意味を持ち、
またどれほどスカッド・フリーダムの誇りを卑しめるものか、他ならぬ義の戦士が一番解っているのだ。

「呆れて物が言えませんね。キミたちこそ一方的な正義を語っているではありませんか。
我々が為すべきことは生命を護ることにあります。合戦に明け暮れるあなたたちはどうなのですか。
今にも救済を求めている難民が目に入りましたか? ……その声なき声に応えることが、
スカッド・フリーダムの掲げる『義』なのです。世界中が力の相克しか考えていないときこそ、
我々にしか為せないことを見出し、ただそこに力を注ぐのみ」

 だが、七導虎たるビクトーは決して動じない。ギルガメシュと正面切って戦うことに『義』はなく、
力弱き難民を救い続けることがスカッド・フリーダムの使命であると繰り返した。
『義』を護らんとする戦士の矜持は、他者の声によって左右されることはないのだ、と。
 まさしく信念である。ビクトーを義の戦士たらしめる骨子とも呼ぶべきものであり、
この魂が燃え盛っている間は、何人たりとも彼を退けることは出来まい。

「この期に及んで、まだお得意の『義』か? それだけ言っていれば何もかも許されると思うなよ」
「……成る程、最早、問答は無用のようですね。
あなたの言い分も受け止めておくべきかと思いましたが、それすらも時間の無駄のようです」
「お互いに聞く耳を持たないんだ。問答も何もあったものか」
「討つべき相手の声に耳を傾け、それを背負うのも私の務めなのです。
いいえ、心ある者ならば、誰だってそうするはず……」
「貴様に説教されなくても、そんなことは戦場で厭と言うほど学んできた。
……思い上がるなよ、偽善者の分際で……ッ!」

 アルフレッドはビクトーの語る信念を一笑に付した。
 最初から相容れないとは思っていたのだが、言葉を交わせば交わすほど嫌悪感が心身を這い回り、
遂には気が狂うのではないかと言う錯覚すら覚えているようになっていった。
 先程、ジャーメインは帯電現象の如く辺り一面にホウライの稲光を迸らせていた。
彼女と同じようにアルフレッドも破裂せんばかりの憤怒を溜め込んでおり、
激情(これ)に呼応して今にも蒼白い火花が爆ぜそうであった。
 アルフレッドは『義』の一字を盾に取るスカッド・フリーダムの傲慢が許せず、
その彼のことをビクトーは「生きていてはならない生命」と見做している。
 今や言葉で解り合えるような段階ではない。そもそも、言葉では通じ合えない人間もいる。
これより先は、互いの生命を賭して白黒をつけなくてはならないのである。

「……あろうことか、キミは希望の芽を潰してしまった。確かに芽吹いた未来の可能性を……。
キミに『義』がなく、生かしておくべきではないと判断する材料は、
私にとってはそれだけで十分です――召されなさい、女神イシュタルの御許に」
「訳の分からん御託を並べるな。首はやらないと言っただろうが――」

 言うや否や、アルフレッドはビクトーが臨戦体勢を整えるよりも疾(はや)く攻め掛かった。
両者の間合いは僅かに離れている。この状況を生かして機先を制するべく、不意打ちを図ったのである。
 アルフレッドは両の足裏にてヴィトゲンシュタイン粒子を爆発させ、
これによって弾丸の如き推力を生み出した。これもまたホウライが為せる技である。
 普通、人間が跳ね飛ぶには屈伸運動によって膝や足首のバネを生かさなくてはならない。
迎え撃つ側としては、その挙動(うごき)から相手の出方を読み取れると言うわけだ。
 武芸を鍛錬する者であれば、常に意識し続けていること――その心理の裏を掻こうと言うのだった。
 ホウライを爆発させたアルフレッドは、微かに膝を屈伸させるだけで急速に跳ね飛んだ。
予備動作が殆ど見られない跳躍は、並みの相手ならば確実に幻惑されたことであろう。
 ヴィトゲンシュタイン粒子を純粋なエネルギーに変換させると言うホウライは、
アルトに於いて他の追随を許さないほど強力な戦闘手段であるが、当然ながら外し方≠熨カ在している。
 相手のホウライにヴィトゲンシュタイン粒子を以ってして作用し、
その効力を強制的に打ち消してしまうのだ。端的に表すならば、同質の力をぶつけて相殺すると言う術理である。
 しかし、この外し方≠ェ必ず相手のホウライを打ち消せるかと言えば、そこまで万能ではない。
ヴィトゲンシュタイン粒子によって得られた効力へ直接的≠ノ干渉し得る状態が必須の条件となる。
 例えば、ヴィトゲンシュタイン粒子から変換されたエネルギーを相手が身に纏ったとする。
その場合は、闘気(オーラ)の甲冑とも言うべき部位に接触し、
自身の側からも蒼白い稲光を送り込むことでホウライが相殺されるのだった。
 それはつまり、ヴィトゲンシュタイン粒子の瞬間的な爆発や、潜在能力の覚醒と言った用法であれば、
相手側の干渉を受けにくいと言うことである。
仮に外し方≠知っていても、物理的な接触を伴わなければ意味を為さないのだ。
 少なくとも、アルフレッドはローガンからそのように教わっている。
 案の定、ビクトーからホウライ外し≠フ技法を使われることはなく、
アルフレッドは限界まで推力を得ることが出来た。自身の肉体が悲鳴を上げる程の速度を生み出したのである。

(スカッド・フリーダムの恐ろしさは身に沁みて分かっている――初手から全力で攻めるのみ……ッ!)

 望んだ通りに最小限の挙動(うごき)のみで跳ね飛んだアルフレッドは、
ビクトーの左側頭部目掛けて、右の後ろ回し蹴りを繰り出した。
 先手必勝で『パルチザン』を試みたわけだ――が、この不意打ちを見極めたビクトーは、
石畳の上に半円を描くようにしてアルフレッドの背面まで滑り込んだ。
鼻先の寸前で交差するように横薙ぎの一閃を躱して見せたのだ。
 このままでは背後から反撃を喰らわされると判断したアルフレッドは、
中空にて身を捻らせ、この僅かな回転力に乗せるような形で対の左脚を振り上げた。
 暴れ馬が背後に立ったものを後ろ足で蹴飛ばすような恰好だ。
 側面に回り込んだビクトーの顎を狙う変則の蹴り技であるが、この場合、直撃するか否かは問題ではない。
反撃に出ようとする挙動(うごき)を封じ込めることが重要であった。
 咄嗟の判断ながらも効果はあったようで、僅かに後方に跳ねて左脚を避けたビクトーは、
退(すさ)った場に留まってアルフレッドの出方を窺っている。
この時点に於いては、反撃を繰り出そうと言う気配は見られない。

「――逃がすか!」

 着地と同時にビクトーが立つ側へと振り向いたアルフレッドは、続けて大きく踏み込んでいく。

 このときにはビクトーも構えを取っていた。左手を僅かに突き出し、対の右手を胸元に引き付けている。
親指のみを折り曲げ、残る四指を揃えて伸ばすと言う手刀の形であった。
 股は少し開き気味で、傍目には馬の背に跨るような体勢にも見えた。
両の足でもって地を踏み締め、攻守を組み立てる構えであるらしい。

(……これは――空手……か? フルコンタクト系のように見えなくもないが……)

 思い付く限りの格闘術に当て嵌めてビクトーの技を推し量ろうとするアルフレッドだったが、
この僅かな時間で答えを得るのは不可能に近い。すぐさまに思考を切り替え、
今は攻め抜くことのみに集中しなくてはならないと己に言い聞かせた。
 相手の懐まで一気に飛び込む程の勢いで間合いを詰めたアルフレッドは、
ビクトーが突き出している右腕を側面から通すようにして自身の左拳を突き入れた。
踏み込みに用いた左足と同じ側の拳を、だ。
 アルフレッドも右の拳を胸元に引き付けている。そこから腰の捻りを加えた一撃を放つと見せかけて、
最短距離で強撃を叩き込んだのである。
 互いの下腕を交差させるようにして拳を突き込むと言う動作にも明確な意味があった。
拳と共に前方へ突き出される肘でもってビクトーの右手を押さえ込み、その可動を封じてしまうのだ。
 このときのアルフレッドは拳を垂直に立てている。それ故に肘鉄砲をも最短距離で繰り出せるのだった。

「――リャアァッ!」

 ビクトーの右下腕を押さえ込み、これによって全身の動きをも阻むに至った肘を支点として、
アルフレッドは左の縦拳を速射する。飛び蹴りによる奇襲には失敗してしまったものの、
今度こそ主導権を掌握出来る筈であった。

「ダメよ、アルッ! 義兄さん相手に迂闊に飛び込んじゃ――」

 アルフレッドの攻め手が危ういと見て取ったジャーメインは、
焦った顔で警戒を呼びかけるが、しかし、その声が彼の耳に届くことはなかった。
 もしかすると、耳には届いていたのかも知れない――が、その意味を理解する前に全身が烈しく揺さぶられ、
注意を促したジャーメインやザムシードの間をすり抜けるようにして、
遥か後方へと撥ね飛ばされてしまった。

 アルフレッド当人は言うに及ばず、ジャーメインもザムシードも眼前で起きたことを理解出来なくなり、
僅かな時間、呆けたような面持ちで立ち尽くしていた。
 無論、ほんの一瞬のことである。アルフレッドを迎え撃ったと思しきビクトーを――
空手で例えるところの正拳突きの体勢で佇む姿を視認するや否や、
ふたりは弾かれたように後方を振り返った。
 轟々と風を裂いて通り過ぎていったのは、やはりアルフレッドである。
ビクトーの一撃によって数十メートルも吹き飛ばされ、今はうつ伏せに倒れていた。

「アル……ッ!」

 血の気の引いた顔で駆け寄ろうとするジャーメインだったが、
正面まで回り込んだイリュウシナに行く手を阻まれてしまった。
 ザムシードとて同じだ。依然として彼の前にはグンダレンコが立ちはだかっている。
 何とかして突破しようと拳を繰り出してはいるものの、
不思議な所作(うごき)の蹴り技でもって足元を脅かされてしまい、全く先に進めなくなっていた。
 ザムシードが直線的な突き込みを放てば、グンダレンコは目にも止まらぬ速さで身を沈め、
拳打を避け切るや否や、地に突けた膝を軸として対の脚を振り回し、反撃の蹴りを見舞うのである。

「こんなに鬱陶しい蹴りは見たことがないね。ウワサに聞くカポエイラと言うヤツか?」
「えぇ〜……全然、似ていないと思いますけれど。混同されたらショックです……」

 ザムシード自身、変則的な拳闘を得意としている筈なのだが、
今ではグンダレンコの動きに惑わされ、完全に飲み込まれてしまっている。
 低い姿勢から稲妻の如き鋭さで振り落とされる蹴り技は彼も初めて対峙するものであり、
迎え撃つどころか、拍子を崩されて腿や脛、あるいは腰に痛打を浴び続けている。

 グンダレンコの猛襲に呼応するかのように、イリュウシナもまた臨戦態勢を取った。
 右手を前方に突き出し、左手を胸元に引き付けると言う構え方は、夫であるビクトーにも少し似ている。
 尤も、全てが同じと言うことではない。親指を折り曲げ、残る四指を揃えて伸ばすビクトーに対し、
イリュウシナの場合は五指を大きく開いており、そこに両者の差異が見て取れた。
 実妹に対して、左半身を斜めに向けるような構えを取ったイリュウシナは、
「これが私たち≠フ選んだ道よ」とだけ呟き、それきり口を真一文字に結んだ。
 ジャーメインのふたりの姉は、あくまでも壁≠フ役割に徹するつもりのようだ。
アルフレッドのもとへ辿り着くには、この壁≠突き破らなくてはならないと言うことである。

「……どうなっても知らないからね。もうリュウ姉にだって止められないんだから……っ!」

 石畳に倒れこんだまま微動だにしないアルフレッドを見つめたジャーメインは、
一瞬の瞑目と深呼吸の後、バンテージで覆われた両拳を握り締めた。
 実の姉と戦うことへの迷いを振り切ったのであろう。
手の骨が軋むほど強く握った拳には、覚悟の力が漲っているように見えた。
 対するイリュウシナは、僅かに身を縮めている。
妹の発する闘志に気圧され、居竦んだわけではなく、これが彼女の迎撃態勢なのだ。

「外の世界に出て少し自信を付けたようね、ジャーメイン。
その威勢の良さが空振りに終わらなければ良いのだけど」
「終わらないわよッ! スカッド・フリーダムの内側に籠もり切りだったリュウ姉に、目に物見せてやるわ!」
「そうやって直ぐにカッカするところは、少しも変わっていないわ。
安心して良いのやら、心配するべきなのやら。子どもの頃と同じで扱い易いとは分かったわね」
「さあ、どうかな!? あたしだって、いつまでも昔のままじゃないよッ!」

 ジャーメインの闘志が一等膨らんだ瞬間、その出端を挫くようにしてイリュウシナが動いた。
「姉妹」の二字は単なる飾りではないと言うことか、末の妹が攻撃に移らんとする呼吸を完全に読み切っている。
 これは打撃の応酬に於いても同様であった。
 イリュウシナの腕が鞭の如く撓(しな)り、左右の掌を連続して顔面に打ち込んでいくのだが、
これにジャーメインは難儀し、前進せんとする勢いを削がれてしまった。
防御を固めて耐え凌ごうにも、次なる動作、その次に取り得る思考まで見抜かれており、
必ずと言って良いほど裏を掻かれている。
 横殴りの右掌打と、斜め上から打ち落とされた対の掌を何とか防いでも、
がら空きとなった胴に追撃が叩き込まれてしまうのである。
 無防備な状態と言っても、ほんの僅かな時間だ――が、それを見逃すイリュウシナではない。
風を裂く程の勢いで右掌底を振り抜き、妹の脇腹を打ち据えた。

「――んあぁ……ッ!」

 今の一撃は有効打≠ナある。単に防御が間に合わなかったと言うだけでなく、
全く想定していない箇所への直撃であった為、その痛手は極めて深刻であった。
 ジャーメインは己の肋骨が軋む音を聞かされたのだ。
 もう一度、同じ音が聞こえたときこそ危うかろうが、
姉の攻め手を正確に見極め、最悪の事態を回避出来るかどうか、
現在(いま)のジャーメインには分からなかった。

「啖呵を切った割にあっさり止まったようだけど、これで打ち止め? 情けないこと……」
「な、なんの! これしきのことで負けちゃいないわッ!」
「……参ったと言わなかったことだけは褒めてあげようかしら……」
 
 呼吸が止まる程の衝撃に貫かれ、思わず上体を折り曲げそうになるジャーメインだったが、
ふとアルフレッドの姿が視界に入り、危ないところで持ち堪えた。
 ここで膝を屈したならば、彼を助けに行くことも出来なくなってしまうのだ。
それだけは何としても避けなければならなかった。

(――アル……ッ!)

 歯を食い縛って攻勢に転じたジャーメインは、
今までの報復とばかりに必殺の飛び膝蹴りを放とうとした――が、
その寸前に足甲を踏み付けられ、上昇しようとした反動でもって姿勢を崩されてしまった。
 何時までも踏み付けてはおらず、すぐに妹の足を解放するイリュウシナだったが、
しかし、手心を加えるつもりは毛程もない。大きく身を傾がせたジャーメインの顎を
左掌底でもって容赦なく突き上げる。
 またしても猛烈な一撃であった。耐え切れずに撥ね飛ばされたジャーメインは、
グンダレンコと戦っている最中のザムシードにぶつかってしまった。

「情けない悲鳴が聞こえてきたぞ。肉親相手に気が引けてるのか?」
「そ、そっちこそ良いように振り回されてるじゃない! 
あたしを皮肉りたいなら、先に自分のほうを何とかしなよッ!」
「そりゃあ、ご尤も」

 揶揄してくるザムシードを押し退けたジャーメインは、再びイリュウシナに向かっていく。
 その背中を視線でもって追い掛けたザムシードは、次いでイリュウシナの様子を窺う。
如何なる武術の使い手かは知れないが、どうやら掌による打撃を得手としているらしい。
彼の目には平手打ちを連発しているようにも見えていた。
 実際、造船所跡には肉を打つ乾いた音が絶え間なく響いている。

「あちらの姉君≠ヘ顔付きがキツいから、ヒスッたようにしか見えんな。
ビンタの滅多打ちはヒステリーには付き物だ」
「リュウ姉さんのは『骨法(こっぽう)』と言うれっきとした武術なんですよ。
あんまり失礼なことを言わないでください〜」

 彼の無神経な呟きに対し、片手を地に着けた低い姿勢から繰り出すと言う
豪快な後ろ回し蹴り――全身を放り出すようにして踵を浴びせるのだ――でもって
抗議するグンダレンコであったが、ザムシードにとってはイリュウシナの体得した武術など重要ではない。
己自身もジャーメインも、どちらもアルフレッドのもとまで辿り着けないことが大問題なのだ。
 処刑人≠ノ吹き飛ばされて以来、彼は一度として起き上がっていない。
どのような技を刻まれたのかも定かではないが、深手を負ったことは明らかであろう。
 深手と言う点に於いてはジャーメインも同じだ。ザムシードを押し退けた際、彼女は大きくよろめいていた。
僅かな打ち合いであったにも関わらず、身体の芯まで痛手が響いている証拠だ。
 執拗に顔面を打たれた為に両頬は腫れ、口の端からも赤い筋を垂らしている。
幾度となく脳を揺さぶられた筈である。衝撃が頭蓋骨を浸透する武技をもイリュウシナは使いこなすに違いない。
 ザムシードの読み通りと言うべきか、ジャーメイン当人も頭部への打撃は何とか避けようとしている。
 しかし、顔面への攻撃ばかりに気を取られていると、掌打でもって腕を押さえ込まれ、
続けて下段蹴りを喰らわされてしまうのだ。
 脛を強打された痛みに堪え兼ね、少しでも退(すさ)ろうものなら、
今度は左右の五指にて捕獲≠ウれてしまう。互いの右腕を一繋ぎにでもするかのように手首を捉え、
対の掌でもって顔面をも掴んだイリュウシナは、すかさず左足をジャーメインの右足首へと引っ掛ける。

「はァう――ッ!?」
「ちっとも進歩が見られないッ!」

 外側から仕掛けていく足払いによって、後方へと転ばされるジャーメインだったが、
その身が中空にある内にイリュウシナは追撃を見舞った。
横顎に向かって、右掌底を手刀の如く振り落としたのである。
 この追い討ちによって、ジャーメインは頭から石畳に叩き付けられてしまった。
 今こそと好機と捉えたのか、イリュウシナの追撃は尚も続く。
痛打に喘ぐジャーメインの膝を渾身の力で踏み付けようとしたのだ。
 彼女もグンダレンコも、ビクトーの処刑≠補佐する壁≠フ役割を担っている。
ジャーメインの足を破壊してしまえば、その役割も遂行し易くなるだろう。
 イリュウシナの狙いを悟ったジャーメインは、
すぐさまに両手を石畳に突き、腕の屈伸でもって大きく跳ね飛んだ。
間一髪ではあったが、背筋が凍るほどに恐ろしい踏み付けだけは何とか躱したのである。

「本当に進歩がないかどうか、試してみなよ――」
「認めたくなくても、試した結果の感想よ」

 足の骨の破断を免れるや否や、ジャーメインは一気にイリュウシナの懐深くまで潜り込み、
そこから右肘を突き上げると見せかけておいて、勢いよく頭突きを喰らわせた。
 掌打でもって右下腕を押さえ込んだイリュウシナも頭突きに転じることまでは予想出来なかったらしく、
眉間への直撃を許してしまった。当たり所が悪ければ、角張った眼鏡まで割れていただろう。
 ジャーメインにとっては、この戦いで最初の有効な加撃である。
額に締めた鉢鉄(はちがね)の上からでも大打撃を与えられたようで、
イリュウシナの面を赤黒い雫が滑り落ちていった。

「ここから――」
「――どうすると言うの? その力程度で……」

 イリュウシナの身が僅かに傾いだと見て取るや、ジャーメインは彼女の首に両腕を引っ掛けた。
『首相撲』と呼ばれる必勝の状態に持ち込んだのである。
 ところが、だ。ジャーメインの攻勢はそこで断ち切られることになる。
 ジャーメインが左膝を突き上げた瞬間、イリュウシナは自身の右膝を叩き付け、
蹴り技に移ろうとする挙動(うごき)を力ずくで堰き止めてしまった。
 正確には妹のほうが姉の力に競り負けている。
首に組み付いたのだから、本来ならば相手が沈黙するまで攻撃を加えられた筈なのだ。
それにも関わらず、膝蹴りの一発も撃ち込めないまま弾き飛ばされた次第である。
 次いでイリュウシナは、ジャーメインの膝を足裏でもって踏み付けようとした。
 狙われた膝を咄嗟に突き上げて威力を相殺させたから良かったものの、
無防備のままで蹴り込まれていたなら、間違いなく片足を壊された筈である。
 体勢が大きく崩れ、痛手を被った側の膝を石畳に突いてしまうジャーメインだったが、
それはつまり、『首相撲』の状態が解けたことをも意味している。
 自由を取り戻したイリュウシナは、実妹のこめかみを掌底でもって穿ち、更には足裏で蹴り付けた。
横面を擦るようにして踏み込むという荒業だ。

「くぅ……ン――ッ!」

 右頬を抉られながらも左方に跳ね飛び、一度、イリュウシナから間合いを離したジャーメインは、
次いで川辺に立つ瓦斯灯の柱へ凭れると、大きく深く息を吸い込み、乱れた呼吸を整え始めた。
 視線の先では、もうひとりの姉がザムシードを翻弄している。
 馬軍の将が繰り出した直線的な突き込みを、身を旋回させて避け切ったグンダレンコは、
振り向くと同時に足払いを繰り出した。
 足首を刈られたザムシードが片膝を突くと、グンダレンコはすかさず背後まで回り込み、
後頭部目掛けて拳を打ち下ろす――が、その一瞬に隙が生じた。
 屈んだままで首を横に振り、グンダレンコの拳を避けたザムシードは、
その状態から腰巻へと腕を伸ばし、左右の五指で捕獲≠キるや否や、彼女もろとも後方に跳ね飛んだ。
 中空で身を捻り、グンダレンコだけを石畳に叩き付けようと言うのである。
 さしものグンダレンコも、ここまで急速な変化には反応し切れず、
ザムシードが望んだ通りに背中から投げ落とされてしまった。

「ははァ〜、身体を捻ったのは受け身を取らせない工夫でしたか。
流石はテムグ・テングリの方ですね。ビックリして眼鏡も飛びそうになっちゃいましたよ」
「平気な顔で言われても嬉しくないがね」

 自分が掛けられた技を分析しつつ、地に背を着けた状態で両足を繰り出し、
ザムシードの右足を搦め取ろうと図るグンダレンコであったが、
体勢に無理があった為、後方への跳躍でもって躱されてしまった。
 変則的な拳闘を得意とするザムシードは、足捌きも巧みである。
生半可な攻撃では残像すら捉え切れないのだ。
 おそらく片膝を突いたのも陽動(さそい)であったのだろう。
本当に引っ掛けられたのであれば、身を放り出すような投げ技まで持ち込めなかった筈である。
 劣勢であることは否めないが、それでもザムシードはグンダレンコに手傷は負わせている。
最初は幻惑される一方であったが、所作(うごき)に慣れるにつれて互角の攻防が
 テムグ・テングリ群狼領では、心身を鍛錬する為に草原の民の伝統武術を学ぶと、
ジャーメインも耳にしたことがある。グンダレンコを返り討ちにした変形の投げ技は、
その内の一種なのであろう。
 彼が拳闘以外の技にも優れていることは、模擬戦を共にしたアルフレッドからも聞かされていた。
しかし、伝聞と実際では大違いだ。技の冴えはジャーメインの予想以上であり、
思わず瞠目させられた程である。

(どちらか片方でも辿り着けたら良いんだけど、……だけど――)

 着実に挽回しつつあるザムシードに比して、自分はイリュウシナ相手に攻め倦ねている。
 一刻も早くアルフレッドを助けなくては――その焦燥を抑えることが出来なかった。

「……どうやら、本当に空振りのようね。一体全体、ルシアに何を教わっていたのかしら……」
「なんでそこでお師さんが……お師さんは関係ないでしょ!?」
「そもそも、ルシアに付いたのが誤りかも知れないわね。あれもあれで色々と難があるし……」
「ちょ、ちょっとーッ! 言って良いことと悪いことがあるんじゃない!? 
幾らリュウ姉だって、お師さんの悪口は許さないわよッ!」
「許さないのは結構だけど……気の所為かしら? さっきから同じようなことを何度も聞いているわ。
良いこと、ジャーメイン。希望的観測を述べているだけじゃ無意味なのよ。
願いを貫き通す力は、その拳で示しなさい」
「くっ……!」

 胸に突き刺さる一言で反論を封じられたジャーメインは、苦しげに歯噛みした。
 この姉――イリュウシナには、攻守を組み立てる際の呼吸を全て見切られているのだ。
幾らアルフレッドを救いたいと願ったところで、壁≠突き破れなくては何の意味もない。
そして、現在(いま)のジャーメインでは拳を届かせることすら難しいのである。
 容赦なく現実を突きつけられた以上、「進歩が見られない」と叱られても、
ジャーメインには言い返すことが出来なかった。

 だからと言って、姉との実力の差に打ちひしがれてはいられない。
ましてや、勝ち目がないと言って諦めることなど断じて有り得ない。

「ここまでバカにされたら、逆に気持ちがいいよ。……バカの一念ってのを見せてやろうじゃないッ!」

 瓦斯灯の柱より離れ、構えを取り直したジャーメインは、翡翠色の瞳に不退転の覚悟を宿している。

「メイちゃんったら何時になく必死ねぇ。それだけライアンってコが大切なのねぇ〜」

 そのジャーメインに冷やかしめいた声を掛けるのは、正面切って向かい合ったイリュウシナではなく、
ザムシードと交戦中のもうひとりの姉――グンダレンコである。
 まさしく打撃の応酬と言った様相であった。
 懐まで潜り込むと見せ掛けておいて、いきなりグンダレンコの右側面へ跳ね飛んだザムシードは、
着地を待たず中空にて腰を捻り、腕全体を撓らせるようにして右拳を繰り出した。
 弓形の軌道を描いた拳が狙うのはこめかみだ――が、すれ違いざまの不意打ちに対し、
グンダレンコは振り返ることもなく身を沈めた。その頭上を風切る音が駆け抜けていく。
 ザムシードの右拳を避けるや否や、彼女は臀部を向けるような体勢から一気に左足を振り上げた。
 不意打ちには不意打ちの仕返しと言うことであろうか。
意表を突いた蹴りでもってザムシードの腹を抉ろうとしている。
 尤も、グンダレンコの変則的な所作(うごき)に幻惑され続けてきたザムシードは、
不意打ちと言う状況にまで感覚が慣れてしまったらしく、この蹴りも対の左拳でもって難なく弾き飛ばした。
 このように複雑怪奇な乱打戦を繰り広げながら妹を冷やかそうと言うのだから、
グンダレンコは相当に余裕を残しているらしい。

「恋人の危機と見れば、誰だって落ち着いてはいられないわよ。
私情どころか、自分の都合を優先させる時点で戦士失格とは思うのだけど……」
「恋び――シ、シリアスな状況じゃないの、今!? そのテの冗談は禁止だよッ!」

 突拍子もないグンダレンコの発言には、イリュウシナまでもが首を頷かせている。
ジャーメインの頬が憤怒とは別の意味で紅潮したのは言うまでもあるまい。

「あらぁ? お姉ちゃんの見間違いかしら。あのコ、メイちゃんのミサンガを着けてたわよねぇ?」
「そ、それが何!? お守りとしてあげただけであって、別にそんな……」
「効果覿面のお守りよねぇ。本当に大事な人にだけ贈るから、メイちゃんの気持ちもたっぷり詰まってるものぉ」

 石畳に突けた左膝を支点にして右足を勢いよく振り落とし、
拳打を放とうとしていたザムシードの腰を打ち据え、その拍子を崩す――
鮮やかな蹴りを放ちながら、グンダレンコは妹に向かって右手を翳した。
 彼女の手首には、数種の刺繍紐で編み上げられたミサンガが嵌められている。
 この動きに呼応してか、イリュウシナも右腕を高く突き上げ、手首を回して見せた。
彼女もまたグンダレンコと同じミサンガを着けている。
 改めて詳らかとするまでもなく、これらはジャーメインの手作りであった。
グンダレンコの話から察するに、「本当に大事な人」だけに贈っているようだ。
 ふたりの姉による揶揄はともかくとして、ジャーメインはアルフレッドにも同じミサンガを贈っていた。
彼が異世界へと旅立つ間際に餞別の品として渡したのだ。
 そして、そのミサンガを現在(いま)もアルフレッドは右手首に嵌めていた。

「いいのよぉ、メイちゃんの思う通りにしても。……失ってしまったら、もう二度とは取り返せないんだもの。
精一杯、あの子の為にがんばってあげなさい。メイちゃん自身にがんばれるものが見つかって、
お姉ちゃん、とっても嬉しいわぁ」
「レン姉……」
「……レン、そう言う任務放棄を疑われるような言葉は慎みなさい」
「あらあら〜、怒られちゃったわぁ。ごめんね、やっぱり大っぴらには応援出来ないみたい。
でもね、お姉ちゃん、メイちゃんに後悔だけはして欲しくないのよぉ」
「――よく分からんが、後悔と言うのは、これからお前さんがすることだよ」

 三姉妹の会話に生じた一瞬の間≠ヨ割り込むようにして、ザムシードの拳が唸りを上げた。
左肩口からぶつかるようにして間合いを詰め、続けざまに右拳を突き込んだのである。
 接近戦主体の拳闘とは雖も、例えば『首相撲』のように余りにも相手と密着してしまうと、
己の攻め手が極端に減ってしまう。拳打を放とうにも腕を伸縮させられない状況では、
銃を奪われたガンファイターも同然であった。
 ありとあらゆる武芸の共通事項であるが、最も実力を発揮し得る間合いと言うものが
大原則として存在するわけだ。
 そして、ザムシードの突進とは、その有利な間合いを自ら潰すような行為に他ならない。
並みの人間であれば、先ず彼の正気を疑い、驚いた拍子に体勢を崩し、
後から襲ってくる拳の餌食となったことだろう。
 左の肩口からぶつかっていった為、必然的に右拳は後ろに引いた状態だ。
そこから肩と腰のバネを振り絞り、矢の如く鋭い拳打を放ったのである。
 しかし、グンダレンコの反応は更に疾(はや)かった。
例によって例の如く身を沈ませ、直線的な突き込みを避けて見せた。
 さりながら、ザムシードとて同じ失敗を幾度も繰り返すほど間抜けではない。
ここで挙動(うごき)を変化させた。握り締めていた右拳を開き、
五指でもってグンダレンコの上着を掴んだのである。捕獲≠オたのは左襟だった。
 この動きと連動させるようにしてザムシードは左腕をも伸ばし、グンダレンコの右肘辺りを掴んだ。
 左襟首にも、右肘にも、狼の牙で咬み付かれたような強い力が掛かっている。
馬軍伝統の投げを打たれるものと直感したグンダレンコは、
技の拍子を崩すべくザムシードの右足を払おうとした。
 果たして、グンダレンコの左足は空を切る。直撃を被る寸前にザムシードは狙われた右足を後ろに引き、
これによって彼女の蹴りを避け切ったのだ。
 この流れこそザムシードにとって絶好の機会だった。
左の足払いを外した直後であるのだから、グンダレンコが踏ん張りを利かせられるのは右足一本しかない。
投げ技を凌ぐには余りにも心許ない状態と言えよう。

「妹の前に自分が後悔するのだな――」

 皮肉を飛ばすや否や、ザムシードはグンダレンコの身体を上方へと引っこ抜いた。
 更には彼女の右肘を掴んだ手を急激に引っ張り、次いで腰を捻り込み、
中空にてグンダレンコの身体を振り回した。
 回転に巻き込んで身体の自由を奪いつつ、硬い石畳へ後頭部(あたま)から落とすつもりだ。

「あらあら〜」

 先程のように不意を突いたわけではなく、真正面から仕掛けた為か、
この投げ技はグンダレンコには通じなかった。
彼女自身も身を翻し、ザムシードと向かい合うような恰好で着地してしまったのである。
 着地するや否や、グンダレンコはザムシードの太股を踏み付け、
彼の動きを封じつつ、蹴り足の屈伸でもって後方へと飛び退いた。
 双方の打撃が届かない間合いまで離れたグンダレンコを、ザムシードは忌々しげに睨み据える。
 互いの距離が遠いのだから、彼女を無視してアルフレッドの下まで走ろうとも考えたのだが、
義の戦士の身体能力を以ってすれば、一瞬で追いつかれてしまう筈だ。
 スカッド・フリーダムの幹部が恐るべき高み≠ノ在ることを思い知ったばかりである
片足ならば容易く投げ落とせる――その見立ては大きく外れ、遂にグンダレンコを捉え切れなかったのだ。
捕獲≠オた状態から投げを仕損じたのは、ザムシードの長い戦歴の中でも数える程しかなかった。

「いけませんよぉ、女の子相手に力任せなんて。今、ちょっと貞操の危機を感じてしまいました」
「……お前さんの姉君は、どちらもボケかましか?」
「何であたしに話を振るの!?」
「見るからに似た者姉妹じゃないか。お前さんの場合は色ボケのほうだが」
「こらぁッ!」
「……待ちなさい。私はジャーメインやレンのようなオトボケはしていないハズよ」
「いやいや、十分じゃない? 三姉妹、仲良きことは美しきかな――ってね」

 軽口のようなやり取りを交わしながらも、ザムシードとグンダレンコの攻防は続く。
 間合いを詰めつつ拳を振り抜くロングフックと見せて、
更に一歩を踏み込み、肘打ちに転じるザムシードであったが、
この変則技をグンダレンコは後ろ向きに旋回することで避け切った。
 旋回を終えて差し向かいとなった瞬間、グンダレンコはザムシードの脛へと右足甲を振り落とす。
 その所作(うごき)にザムシードも蹴りを合わせた。拳闘を得手とする馬軍の将が、だ。
 相手の足を払って転がせる技法は馬軍の伝統武術にも含まれている。
数日前にザムシードと模擬戦を行ったアルフレッドも、
この掬い上げるような足払いによって下段蹴りを弾かれていた。
 何しろ馬軍の将による蹴りである。ただの足払いとは比較にならないような威力を秘めているのだ。
 奇しくも下段蹴りの激突となった次第だが、この対決は義の戦士が競り勝った。
敗れた馬軍の将は蹴りに用いた右足を刈られた挙げ句、その場に横転しそうになった――

「――蹴り技なら、そちらに分があるものなッ!」
「あらまぁ」

 ――が、ここで終わるようでは馬軍の将など名乗れない。
 中空で身を捻ったザムシードは、地面を擦るようにして拳を振り上げたのだ。
 常人には考え付かないような反撃と言えよう。拳打の体勢としても無理がある。
まさしく変則的な拳闘ならではの技巧であった。
 流石にグンダレンコを捉えることは出来なかったものの、その切れ味は白刃に匹敵するほど鋭い。
弧を描くアッパーカットは彼女の胴を掠め、『義』の一字が書き込まれた胸甲の留め具を切断した。
 アッパーカットこそ外したものの、ザムシードは石畳に横転することなく着地し、
すかさず追撃の構えを取る。尤も、グンダレンコは既に飛び退いた後であり、
射程距離(リーチ)の限界まで腕を伸ばしても拳は届きそうにない。

「これでラクになったな」

 その場に残された胸甲の残骸を踏み壊しながら、ザムシードが口の端を吊り上げた。

「セクハラ反対です〜。ご期待に添えなくて申し訳ありませんけど、
シャツの下にはちゃんとブラ着けてますから〜。
ドッキリでポロリなハプニングなんか期待しないでくださいね〜」
「生憎と家内以外には興味がないのでね。……『ラクになる』と言ったのは、
お前さんの心臓を手っ取り早く潰せるって意味さ」
「あらあら、なるほど。てっきりメイちゃんと同じピンクな思考(あたま)の持ち主さんとばかり〜」
「ジャーメインとは真逆よ、レン。このコの場合、恋人を悩殺する為に、はしたない恰好をしているのだから」
「そこでリュウ姉が乗る意味がわかんないっ! 『MANA(これ)』のどこが悩殺なワケ!? 
思いっきり防具じゃないのよっ!」
「うんうん、そう言うギャップ、男の子が好きそうよね〜。メイちゃんもお年頃だものね〜」
「姉としては清い交際をして欲しいものだけど……今のジャーメインの姿を見たら、父さん、きっと泣くわね」
「噛み合わないなー! 一向に噛み合わないなーっ!」

 相変わらずバロッサ家の三姉妹は姦しいやり取りを繰り広げているものの、
最早、そうした冗談に付き合う気はないと示したいのか、ザムシードは両の拳を交互に鳴らした。
 頬に手を当てつつ、「これはまた物騒ですねぇ〜」と呟くグンダレンコではあるものの、
その身には蒼白い稲光を帯び始めている。
 ここまで温存していたスカッド・フリーダムの切り札を遂に披露しようと言うわけだ。
 即ち、『遊び』は終わりと言うことであろう。グンダレンコが纏うホウライの輝きへ呼応するように、
ジャーメインとイリュウシナも徐々に間合いを詰めていく。

「――実の姉を相手に無益な抵抗などするものではありませんよ、メイ」

 緊迫の度合いを強めつつある四者の対峙に、ビクトーの声が割って入った。
 暫し状況を見守っていた処刑人≠ェ再び動き出したのは、妻と義妹が身構えた直後である。

「脆弱な意志とは存在そのものが悪≠ニ言うことをご覧に入れましょう――」

 不吉な言葉を残し、ジャーメインの目の前をすり抜けたビクトーは、
「堂々と順番飛ばしかね! 意識もない相手の始末を優先するのがお前たちの『義』か!?」と言う
ザムシードの制止を黙殺して高空に跳ね飛んだ。
 忌々しげに舌打ちをするザムシードと、震えた声でアルフレッドの名を呟くジャーメイン、
両者の視線の先では、石畳に肘を突いたアルフレッドが、よろめきながらも上体を引き起こそうとしていた。

 ようやく意識を取り戻した――と言うよりも、何とか即死を免れたと表すほうが正しかろう。
肺にまで痛手(ダメージ)が及んだのか、アルフレッドの咳には赤い飛沫が混ざっていた。

「……な、なに――が……」

 おそらくは亀裂が走ったであろう胸部の激痛を堪え、
朦朧とした意識を引き締めるべく頭を振るアルフレッドであったが、
上空からは今にも非情の追撃が降り注ごうとしている。
 三角屋根の建物を飛び越える程の高い跳躍でもってアルフレッドを追いかけたビクトーが、
急降下の勢いに乗って蹴りを繰り出してきたのである。

「流石に一撃で仕留めることは叶いませんか――」

 跳躍の頂点から一気に滑空する蹴りは、弓弦に弾かれた矢の如きものであり、
地に突き刺さるや否や、文化財としての価値も高いであろう石畳を陥没させた。
 その足裏にて踏み付けようとした対象とは、言わずもがなアルフレッドの頭部である。
これ程の破壊力が炸裂しようものなら、頭蓋骨など跡形もなく粉砕されてしまうだろう。
 石畳を穿つ踏み付けは身を横に転がすことで躱せたものの、
一度くらい攻撃を外した程度で処刑人≠ェ諦める筈もない。
 処刑人≠スるビクトーは、その場で身を翻し、対の膝を叩き落してアルフレッドの胸部を狙った。
単に骨を砕くのではなく、心臓を押し潰すつもりである。

「――チィ……ッ!」

 掌でホウライを爆発させて真横に滑り、追撃の膝を避け切ったアルフレッドは、
石畳に新たな亀裂が走るのを見極めつつ、瞬時にして身を引き起こした。
 胸部の痛みは酷く、視界も定まってはいないものの、暢気に身を横たえてはいられない。
しかも、だ。立ち上がった直後にはビクターは既に眼前まで迫っている。

「機転が利くのも考えものですね。余計に苦しい思いをするだけです」
「黙れ……ッ!」

 反撃の出端を挫かれたアルフレッドは忌々しげに歯噛みしたが、ここで攻め急いでは先程の二の舞である。
ビクトーの猛襲を凌ぎながら付け入る隙を窺おうと、一転して防御を固め始めた。
 最初の攻防ではビクトーの動きを捉え切れずに返り討ちとなったのだが、
今度こそ同じ轍を踏むわけにはいかない。まさしく一挙手一投足に全神経を集中させ、
反撃の好機を見極めようとする。
 右腕を大きく振り被ったビクトーは、斜方へと斬り落とすようにして手刀を閃かせる。
 肩のバネや腰の捻りを限界まで発揮している為か、風斬る音だけでも寒気が走る程に凄まじい――が、
ビクトーの踏み込みを完全に見極めたアルフレッドは、素早く飛び退って右手刀を避け切った。
 紙一重の回避だが、アルフレッドにとっては寧ろ好都合であった。
ここまで接近してしまえば、ビクトーもホウライを使うことは出来ないのだ。
 アルフレッドがタイガーバズーカの秘伝をローガンから授かったこともビクトーは把握しているだろう。
相手が蒼白い稲光を纏った瞬間、すかさずホウライ外し≠用いると言うことだ。
 アルフレッドもビクトーも、この攻防に於いてはホウライに頼ることは出来ない。

(後は俺の力量で追いつけるかどうか――)

 瞬時にして右手を引き戻したビクトーは、更なる踏み込みと同時に右前回し蹴りでの追撃を試みる。
どうやら、横一文字に胴を薙ぎ払うつもりのようだ。
 この挙動(うごき)に合わせ、アルフレッドは打撃が襲い掛かるであろう脇腹へと左腕を引き付ける。
 下腕には右の掌をも添えており、確実に防ぎ切る自信があった。
中段から上段へと蹴りの軌道が変化しても、腕を翳すことで反応出来るだろう――と。
 ところが、蹴りを受け止めた瞬間に奇怪な現象が起きた。
左下腕でもって打撃に耐え、添えた右掌にて威力を緩衝させた筈なのに、
予想を上回る程の強い衝撃が腰まで貫通したのだ。
 姿勢の制御に欠かせない要を揺さぶられたことで、さしものアルフレッドも踏ん張りを利かせられず、
半ば脱力するような形で身を傾がせてしまった。

(どうなっているんだ、これは……ッ!?)

 アルフレッドには驚愕の一言しかなかった。内回し蹴りは完璧に受け止めていたのである。
それにも関わらず、肉体の奥深くまで衝撃が貫き、ただ一撃のみで姿勢を崩されてしまった。
 しかも、だ。踏ん張りが利かなかった要因は腰への痛手だけではない。
蹴りを受けた瞬間、下方へ落としていた筈の重心が大きくズレてしまい、
ほんの一瞬ながら全身が浮き上がったのである。
 両の足裏が地に着いていないのだから、重心の制御などは不可能にも近い。
瞬間的な突風によって足元を掬われたような錯覚すら覚えていた。
 義の戦士が繰り出す打撃は骨まで軋ませる程に重く、防御を仕損じれば耳障りな破断音を聞く羽目になる――
この恐ろしさが想像出来ないアルフレッドではなかった。シルヴィオやジャーメインと立ち合ったとき、
自身の肉体へ戦慄と共に刻まれているのだ。
 だからこそ、アルフレッドは防御を完璧に固めながら反撃の糸口を探ったのである。
生半可な防ぎ方では肉も骨も容易く砕かれてしまうことだろう。
 ひとつの事実として、アルフレッドの工夫は成功していた。
両手を駆使した防御によって打撃の威力をも吸収している。
本当にしくじったのであれば、蹴りを受け止めた左腕など歪(いびつ)に折れ曲がっていた筈だ。
 それ故、重心を維持出来なかった原因について、アルフレッドは見当も付かなかった。
単に当たり≠フ強い蹴りと言うわけではなさそうだ。

(何か内側に捻じ込まれるような違和感はあったが……)

 無論、長々と考察していられる状況ではない。ビクトーは次に左の脇腹へと狙いを定めている。
 竜巻の如き勢いで腰を捻り込み、これによって生じた遠心力は、
横薙ぎの右拳に死の気配≠ニ言う圧倒的な恐怖を付与していた。
 無防備なままで脇腹を穿たれようものなら、その瞬間に処刑は完了されるだろう。
体勢が崩れたままなので威力など絶無に等しいのだが、アルフレッドは咄嗟に右掌打を繰り出し、
ビクトーの左拳を迎え撃とうと試みる。
 アルフレッド当人としては、せめて相撃ちに持ち込みたかったのであろうが、
片手のみで義の戦士の打撃を受け切ることは難しく、結局は拳の威力に競り負けてしまい、
水路を跨いだ対岸の区画まで弾き飛ばされた。
 その途中、水路に架かった橋へとぶつかりそうになったものの、
アルフレッドは中空にて身を翻し、踏み台代わりに欄干を蹴って跳ね、石畳の上に着地して見せた。
 傍目には華麗な舞踊のようにも見えたかも知れないが、本人には芸術性を披露している余裕など微塵もない。
 額から流れ落ちる汗を右手甲で拭ったアルフレッドは、
このときになってようやく右腕全体が酷く痺れていることを自覚した。
手首も少しばかり傷めたようだが、胴を貫かれるよりは遥かに良かろう。

(……やはり、この男の動きは――)

 威圧のつもりであろうか、やけにゆったりとした足取りで向かってくるビクトーを捉えつつ、
混乱した思考を深呼吸でもって鎮めたアルフレッドは、
己の身に起きたこと、そして、処刑人≠ェ見せた所作(うごき)を脳裏にて呼び起こした。

 その追想は最初の攻防にまで遡る。
 先手必勝とばかりに突き込んだ拳がビクトーの顔面を捉えた――そう確信した瞬間、
アルフレッドの身体は自由を失い、直後に反撃を叩き込まれたのである。
 先ずアルフレッドの拳打をビクトーは右の手刀でもって受け止めた。
前方に突き出していた左手ではなく、胸元に引き付けていた右手を防御に用いていた。
 手刀によって拳打を受け流すと同時にビクトーは後方へと身を引いたのだが、
その流れの中で右の手首を内から外へと回している。アルフレッドの拳を巻き込むようにして、だ。
 アルフレッドの身体に変調が訪れたのは、その直後のことだった。
後方へ退いたビクトーへ吸い寄せられるように上体が傾いたのである。
「傾いた」と言うよりも、浮き上がったと例えるほうが正確なのかも知れない。
 アルフレッドを吸い寄せた――その刹那にビクトーは腰を捻って両足の位置を変えた。
言わずもがな、反撃の拳を打ち込む為の予備動作である。
 手刀より変化した右の拳がアルフレッドの胸部を穿ったのは、この直後のことであった。

「――円≠フ動き……」

 あるひとつの仮説に行き着いたとき、アルフレッドは双眸を見開いた。
ビクトーが繰り出した技は、攻守ともに円≠フ軌道を描いていたのである。
 アルフレッドの拳を受け止め、体勢をも崩させた右手刀は全円を描き、
これに連動した腰の捻り――即ち、弓弦を引き絞るかのような動作(うごき)も
半円の軌道を辿っている。
 アルフレッドを対岸の区画まで弾き飛ばした横薙ぎの拳にも同じことが言える。
前回し蹴りの着地から腰を逆回転させた際に、ビクトーの拳は大きく半円を描いていた。
 円≠フ運動を攻守の要とする人間は、アルフレッドが記憶する限りでは、ただひとりしか思い当たらない。

「……シルヴィオと同じ技に見えましたか? 『トレイシーケンポー』とは理論の上で
重なる部分も多く――いえ、……似たようなものと言っておきましょう」

 橋を渡り、相手の面を視認出来る距離まで近付いたビクトーは、
アルフレッドの心中を見透かすように『トレイシーケンポー』と言う武術を口にした。
 案の定と言うべきか、ビクトーが呟いた名は、今まさにアルフレッドの脳裏に浮かんだものである。

「キミには言うまでもないかも知れませんが――シルヴィオが会得したトレイシーケンポーとは、
開祖の兄弟が独自に編み出したものではなく、ある流派から枝分かれした武術(もの)です。
……その源流とシルヴィオの技に共通点があったところで、何も不思議はないでしょう?」
「……貴様……」

 源流≠ニトレイシーケンポーの双方に見られる共通点とは、
即ち、『火炎旋風』にも例えられたシルヴィオの所作(うごき)――円軌道の技巧(わざ)を指していた。
 それは同時に、アルフレッドをも飲み込んだビクトーの絶技と呼ぶことも出来る。

「ご存知でしょう? ジークンドーと因縁深い武術がトレイシーケンポーだけではないことを。
……つまり、お誂え向き≠ニ言うことです」
「……そうらしいな……」

 再び正面に立ったビクトーが何を語ろうとしているのか、その真意をアルフレッドは即座に悟った。
「お誂え向き」なる言葉の意味を正確に理解出来たのは、この場に於いては彼ひとりかも知れない。
 『義』の大敵を討ち果たすことによって、裏切り者≠出してしまったバロッサ家の汚名を雪ぐ――
その為に当主の娘婿が差し向けられたわけではないと言うことだ。
 即ち、シルヴィオ同様に円軌道の技巧(わざ)を極めたビクトーこそが、
アルフレッドの処刑人≠ニして最も相応しいと言う意味である。

「……ああ、安心しましたよ。これだけ長々と語っておいて、
キミがトレイシーケンポーの源流について何も知らなかったら、とんだ道化になるところでした」
「これでも自分の学んだ武術には愛着があるのでな。その人が道を拓いてくれなかったなら、
ジークンドーの開祖は世に出ていなかったかも知れない。
……俺のところの開祖も、貴様が言う源流の師父も、
まさか、未来にこんな巡り合わせが待っているとは思いもしなかっただろうがな」
「この邂逅を運命と決め付けて呼ぶのは、些か躊躇われますがね。
我が『ケンポーカラテ』とジークンドーは、こんな事態≠ノならなければ、
切磋琢磨し合える関係であったのですから――」

 ふたりが語らうのは、ルーインドサピエンスよりも更に旧い時代のことである。
 アルフレッドが体得した武術、『ジークンドー』――
その開祖が世界に広く知られ、後代にまで名を残す程の栄光を勝ち取ったのは、
当人の類稀なる才能は勿論のこと、或る運命的な出逢いに恵まれたからである。
 つまり、アルフレッドとビクターがそれぞれ開祖と尊崇する英傑たちの邂逅だ。
 両雄は交わった瞬間から武術界の至宝の如く光り輝き、名もなき武術家であった男の運命を変え、
ジークンドーと言う大輪の華を咲かせるのだった。
 ジークンドーの開祖に栄光へと続く道を拓いた偉大なる先達は、自らも優れた武術を興している。
これこそが『ケンポーカラテ』であり、ビクトー・バルデスピノ・バロッサは当代の伝承者であった。
 ジークンドーとケンポーカラテ――二本の運命の糸は、遥かな年月を経て再び交わろうとしている。
それも、両開祖が最も望まなかったであろう形で、だ。
 悠久の時を超えて磨き上げられた武技を競い合うのではない。
片方は処刑人≠ニして、もう片方は刑を執行される悪≠ニして相対している。
 今、繰り広げられているのは、血で血を洗うような醜い殺し合いなのだ。

「……成る程、確かにお誂え向き≠セ」

 自嘲のように呟くアルフレッドだったが、その声は耳を塞ぎたくなるような警報によって掻き消されていった。
 先程より造船所跡に鳴り響いている警報は、町全体を水没させる高潮への警戒を呼びかけるものなのか、
それとも、アルフレッドに刑の執行を告げる暗示(もの)であるのか――


(次回へ続く)





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