1.バロッサ家の一族


 どこかで拾ってきた木っ端を適度な大きさに切り揃えることもなく強引に組み合わせ、
隙間を有刺鉄線で補うと言うデタラメな柵でもって境界を示す――
常識の範疇で考察した場合、殆ど意味を為さないと思われるガラクタも、
物資の乏しい開拓村では珍しい光景(もの)ではなかった。
 人類の天敵たるクリッターは言うに及ばず、
開拓村の僅かな蓄えまで略奪しようとするアウトローにも何ら効果はなさそうだが、
さりとて、開拓者たちには堅牢な壁を築くだけの余裕もない。
 ましてや、柵自体の防御力など開拓者にとっては二の次なのだ。
急拵えでも粗雑でも、自分たちが開いた土地であると内外に示すことが最優先であった。
 当然ながら、アウトローやクリッターが開拓者の誇りを考慮に入れることはない。
また、その必要性もない。従って、防備の甘い開拓村は格好の狩り場≠ニ化すわけだ。
 荒野の只中に置き去りにされたゴーストタウンの多くは、開拓者たちの夢の残骸(あと)である。
 誇りなどと言う個人の都合が通用しない荒野の洗礼≠ノ恐れをなして逃げ出したか、
自分たちの拓いた土地に固執して全滅の憂き目に遭ったか――
どこからともなく嘆きの声が聞こえてきそうな場所であることに変わりはなかった。
 Bのエンディニオン――のちにアルトと呼ばれることになる世界だ――に於いては、
死の気配が垂れ込める夢の残骸(あと)でさえ、ごくありふれた光景である。
冒険者にでもなって荒野を旅すれば、二日に一度は出くわすことだろう。
 人気のない場所だけに犯罪者の隠れ家として利用され易く、
何も知らずに足を踏み入れたキャラバン(隊商)が餌食となる事件(こと)も少なくない。
 それ故と言うべきか、近隣町村から要請を受けた護民官≠ェ――スカッド・フリーダムが
ゴーストタウンに突入してアウトローを駆逐すると言う場面も日常茶飯事であった。
 そもそも、アウトローの取り締まりは義の戦士が請け負う任務の大部分を占めているのだ。
 ルナゲイトのような安定した地域であればまだしも、
法律が全く機能しない荒野ではアウトローは際限なく凶悪化しており、
銃器で武装した保安官(シェリフ)でさえ手に負えないことも多かった。
 そのようなときこそ、スカッド・フリーダムの出番と言うことだ。
心技体を極限まで鍛え上げ、『ホウライ』と言う秘術をも操る義の戦士の手に掛かれば、
非道な暴力を振り翳す輩であろうと一溜まりもあるまい。

 ルナゲイトに程近いゴーストタウンを根城にするギャング団は、
際立って不幸な巡り合わせであった。
 折しも、世界最凶のテロリストと悪名高い『ジューダス・ローブ』が新聞王暗殺を謀った時期である。
セントラルタワーの爆破と言う未曾有の混乱に乗じてルナゲイトに押し入ろうと企てていたのだが、
そこをスカッド・フリーダムが誇る『七導虎(しちどうこ)』に踏み込まれてしまったのだ。
 『七導虎』とは、スカッド・フリーダムの中でも特に優れた隊員だけが名乗ることを許される称号であり、
所謂、最高幹部に相当する位階でもあった。
 年功序列に基づいて昇格するような体質ではなく、頭抜けた心技体のみを指標として位階が決する為、
『七導虎』に数えられた者たちは、他の隊員とは比較にならない程の戦闘力を秘めているのだ。
 生身で海原を渡り、千里を一日で駆け抜け、拳ひとつで岩盤をも砕くと
義の戦士たちは畏敬されることも多いのだが、まさしくその通りの猛者が選び出され、
『七導虎』と称しているのだった。
 この想像を絶するような怪物たちが群れを成してギャング団の鎮圧に乗り出したのである。
少しばかりアウトローが集まったところで太刀打ち出来る筈もなかった。
 スカッド・フリーダムの活動範囲は世界全土に及んでいる為、七匹の虎が一所に集結したわけではない。
ゴーストタウンに姿を現したのは、たったの三匹であった――が、
その中には『戦闘隊長』まで含まれていた。
読んで字の如く、スカッド・フリーダムの全戦闘を統括する立場の男が、だ。
 ジューダス・ローブが猛威を振るっていた時期の戦闘隊長はシュガーレイである。
ギャング団の鎮圧には同じ『七導虎』の一角――ビクトーも従っていた。
 現世代のスカッド・フリーダムに於いて最強の座を競うような手練れのふたりが肩を並べて来襲したのだ。
義の戦士の隊服を見て取って恐慌状態に陥っていたギャング団が
更なる戦慄に叩きのめされたのは言うまでもあるまい。
 シュガーレイとビクトー、彼らに追従してきた隊員の武技でさんざんに打ち負かされ、
アウトローたちは為す術もなく降参していった。
 サブマシンガンと言う強力なトラウムを所有しながらも
逃げ惑うことしか出来なくなっていた頭目は、
拘束された手下を見捨て、たったひとりで有刺鉄線の柵を飛び越えようとしていた。
 当然ながら、彼には跨る馬もない。柵の外に広がる荒野まで飛び出せたとしても、
義の戦士の健脚を以てすれば一瞬で追いつかれてしまう筈なのだが、
それが無駄な足掻きと判断出来るだけの冷静さを欠いてしまっていた。
 例え悪足掻きであろうとも、賊徒の逃亡を許すスカッド・フリーダムではない。
サブマシンガンを携えながら急拵えの柵を目指していた頭目の進路を塞ぐようにして、
ひとりの隊員が立ちはだかった。
 人並み外れて恵まれた体格の男であった。背丈も高く、はち切れんばかりの筋肉を纏っている。
 髪型についても「人並み外れている」と言うべきかも知れない。
側頭部のみを短く刈り込みつつ、長く伸ばした頭頂部の毛髪を逆立たせており、
所謂、モヒカンの一種にも見えた。
 そこにスカッド・フリーダムの正式な装備である鉢鉄(はちがね)を締めているわけだ。

「アタマ張っとるクセに部下を見捨ててトンズラしくさるんは感心せえへんで。
少なくとも、男児(おとこ)のやることやあらへんがな」

 ギャング団の頭目を見据え、故郷言葉(おくにことば)で呟くこの男は、
予(あらかじ)め敵の行動と思考を計算して進路上に回り込んでいた様子である。
 極めて珍妙なことであるが、その隊員は両の掌を眼前にて合わせつつ頭目を待ち構えていた。
これから死にゆく者への鎮魂を前倒ししたようにも見える合掌であった。

「どッ、どけぇーッ!」

 錯乱にも近い状態であったギャング団の頭目は、
突如として視界に入った標的≠ヨ反射的に銃口を向け、震える指でもって銃爪(ひきがね)を引いていた。
 一方、スカッド・フリーダムの隊員は、サブマシンガンを向けられたと言うのに狼狽の気配すら見られない。
裂帛の気合いを発しつつ構えを取り、頭目の挙動(うごき)を注視している。
 銃口の向きに注意を払っていれば射撃を避けることも可能とする理論が盛んに唱えられており、
弾丸が描くであろう軌道から外れると言う点に於いては、大きく間違ってもいない――が、
しかし、全ての射撃が直線的な弾道を描くとは限らない。
銃撃者自らが移動しながら連射を行った場合、それは『面』の射撃となるのだ。
 弾道そのものが上下左右に変化する場合、ただ銃口を凝視しているだけでは回避しきれない。
 ギャング団の頭目は疾走したまま銃爪を引いている為、銃身そのものが激しく振動するのだ。
頭目自身も照準を合わせられないだろうが、銃口がどこに動くか読みにくい分、
正面切って対峙する側にとっても厄介である。下手に動けば、たちまち『面』の射撃に晒されるだろう。
 銃身が上下している影響であろうか、サブマシンガンから連射される銃弾は、
地面を舐めるようにして隊員に迫っていく。
やはり、その弾道は直線的ではなく、左右に乱れる着弾点には規則性も認められなかった。
 しかも、だ。頭目は平常心を失った状態である。サブマシンガンの命中率を論じる以前に、
見当違いとしか言いようのない場所に銃弾が飛ぶことも多いのだ。
 銃弾に抉られて土埃が舞い上がり、両者の視界が遮られる。
 右手を軽く翳し、左手を前方に突き出すと言う構えを取った義の戦士は、
徐々に接近してくる激しい音――発砲と着弾と言う二種の音が入り混じっている――を頼りに
着弾点とそのタイミングを予測し、右方へ跳ね飛ぶことで銃撃を避け切った。
 相手が被弾したか否かを確認することもなく走り続けるギャング団の頭目であったが、
砂埃を突き抜けようとした瞬間に、彼の視界はぐるりと回転した。
 次いで後頭部に鈍痛が襲い掛かってきた。双眸から火花が飛び散る程の衝撃が脳を揺さぶる。
 何らかの超常現象が起こって天地がひっくり返ったのではない。
何者かによって彼の身が投げ落とされただけである。
 見れば、正面切って銃撃と相対していた筈の隊員が何時の間にか頭目の間近に駆け寄り、
彼の右腕を取って投げを打っていた。抜け目なくサブマシンガンまでもぎ取っている。
 義の戦士は頭目をうつ伏せに組み敷き、追い討ちとばかりに顔面へ強烈な蹴りを加えた。
 砂塵を吹き上げる風に何かが拉げる音と情けない悲鳴が混ざる。
どうやら、先程の一蹴りでもって鼻骨が折れたようだ。

「オレはスカッド・フリーダムのジェロム・モンテファスコーネっちゅーモンや。
ごっつ遅い自己紹介になってもうたけど、堪忍したってや。
……あんさんのダチ公は残らず引っ捕まえたで。あとはあんさんをとっちめたらお終いっちゅーこっちゃ。
悪いこと言わへんから、ここらで降参しとき。無駄に痛い目見たって仕方ないやろ?」

 両手を鼻を添えながら地面を転がった頭目に向かって、義の戦士――ジェロムが降参するよう促す。
これ以上の抵抗は無意味だと突き付けたわけだ。
 ジェロムからして見れば手心を加えたつもりなのだが、極限まで追い詰められた人間は、
他者からの干渉の全てを自分に対する攻撃≠ニ受け取ってしまうものである。
 鼻血を迸らせながら首を左右に振った頭目は、人の言葉としては成立しないような喚き声を上げた。
ゆったりとした足取りで近付いてくる男に殴り殺されると思い込んでいるのだろう。
血走った目でもってジェロムを睨め付けている。
 その直後、ジェロムの足元に転がっていたサブマシンガンがヴィトゲンシュタイン粒子に還った。
間もなく眩いばかりの光が頭目の右掌の中で爆ぜ、そこに掻き消えた筈のトラウムを作り出す。
トラウムの解除と再具現化を連続して行うことで、唯一無二の武器を取り戻した次第である。

「……ほな、しゃあないな――」

 ギャング団の頭目が降伏勧告を拒絶したと認めたジェロムは、
虚しそうに溜め息を吐いた瞬間、残像すら映さないほどの速度でもって一気に間合いを詰めた。

「――縛り首の前に一発折檻したるッ!」

 瞬きよりも疾(はや)く中間距離から接近し、互いの眉間がぶつかる程に深く踏み込んだジェロムは、
その勢いに乗せて右拳を突き込んだ。垂直に立てた鉄拳を、だ。
 サブマシンガンで応射することもなく胸部を抉られたギャング団の頭目は、
ただ一撃のみで戦意が消滅してしまった。言わずもがな、同時に意識も吹き飛んでいる。
 ジェロムの右拳は心臓の真上に突き込まれており、
あるいは打撃の威力と衝撃が身体の芯まで達したのかも知れない。
 己の身に何が起きたのかも理解出来ておらず、また痛みすら感じなかったようで、
その場に崩れ落ちた頭目の顔は、「呆然」の二字が最も似つかわしい。
 半ば狂乱していた相手を一突きで打ち倒す技量からも察せられるように、
ジェロム・モンテファスコーネもまた『七導虎』の一角であった。

 そのジェロムを朽ち掛けた家屋の中から伏兵が狙っていた。
改めて詳らかとするまでもなく、ギャング団の一員である。
 手下を見殺しにして自分独りだけ逃げようとしていた頭目の救出を図るとは、
見上げた忠誠心と褒め称えるべきか、はたまた蒙昧と嘲るべきか。
 ライフル銃を携えたその男は、義の戦士たちの位置関係を確認すると
不意打ちでもってジェロムを仕留めるべく、息を殺して裏口を目指した。
 一口にライフルと言っても、狙撃に特化した機能でも備えていない限り、
有効な射程距離が極端に優れているわけではないのだ。
対物の貫通力や破壊力はともかくとして、長距離射撃に不向きな物も少なくない。
 しかも、だ。この男が携えたライフルは
接近戦に持ち込まれても取り回しが利くよう銃身を切り詰めてあり、命中精度は半減してしまっている。
 持ち主も卓抜した腕前と言うことではない。
相手に気取られるか否かと言う距離まで近付かないことには狙撃もままならないのだ。
 確実に鉛弾を撃ち込むのであれば、物陰に身を隠しながら標的の背後まで回り込むしかなかった。
 尤も、第六感まで鍛え上げるスカッド・フリーダムの戦士たちは、
微かな殺気であっても漏らさず察知することが出来る。
即ち、完全に気配を絶っておかない限りは背後を取ることなど不可能と言うわけである。
 案の定、ライフルを携えた伏兵は裏口を出たところで七導虎のひとりに捕捉されてしまった。

「裏口から出入りをする人間は三種類に分けられる。その家に住む人間か、馴染みの御用聞きか。
後者は廃れて久しいかも知れないな。……もうひとつのタイプは、貴様のような不審者だよ」
「なっ、なぜ……ッ!?」
「『何故、ここに隠れていると分かった』とでも訊きたいのか? 
人はそれを愚問と言うんだよ。ご覧の通り、我々はスカッド・フリーダムだ。
貴様たちが考えている以上に稽古を積んでいる――つまり、そう言うこと≠セな。
自慢話のようになってしまって自分でも気持ち悪いがね」

 伏兵の前に立ち塞がったのは、よりにもよってシュガーレイである。
 ギャング団の一員であるこの男が戦闘隊長と言うスカッド・フリーダムの役職など知るわけもなかろうが、
もしも、予(あらかじ)め承知していたのなら、ライフルまで放り出して一目散に逃げ出した筈だ。
 無論、待ち受ける結果は何も変わるまい。『七導虎』の頂点に立つ戦士に睨まれた悪≠ェ
五体満足で逃げ切れる可能性など絶無である。

「か、頭目(かしら)のカタキッ!」
「泣かせるくらい健気なことだが、担ぐ相手を完全に間違えたな――」

 頭目を救わんとしていた男は、狙いも定めないまま反射的に銃爪を引いてしまったが、
その直後には彼の視界からシュガーレイがいなくなっていた。
 風に撫でられて霧が晴れるかのように、影も形もなくなったのである。
 消失した標的を弾丸が貫く筈もなく、銃爪を引いた当人すら呆然と立ち尽くしている。
 無論、奇術を使って人の目を欺いたわけではない。
ライフルが撃発されるや否や、シュガーレイは地を這うほど低く身を沈め、
そのまま標的目掛けて突進していったのである。
 シュガーレイが得意とする攻め手のひとつであった。
 下肢の筋力(ちから)と柔軟性を限界まで引っ張り出すことで素早く地を滑り、
標的を射程圏内に捉えた瞬間、勢いよく右拳を繰り出すのだ。
 当然、極端に低い姿勢から拳を打ち込むことになる。
しかも、地を滑りながらの攻撃となる為、腰の捻りは殆どと言って良いほど利かせられなかった。
 肩のバネのみで右腕全体を撓らせ、次いで肘を完全に伸ばし切り、
拳を鉄槌に見立てて振り抜くのがシュガーレイの様式(スタイル)なのだ。
斜方へ振り落とすと例えるほうが正確かも知れない。
 低い姿勢で滑り込み、無防備な足を取る――変形のタックルであると見せかけて、
相手を幻惑する効力も備えているのだが、この場に於いては陽動(フェイント)を狙う理由もなかった。
ただ純粋な打撃で事足りるのだ。
 変則的な拳打を人体急所である鳩尾に叩き込まれた男は、
この時点で既に意識が混濁していたが、それでもシュガーレイの猛攻は終わらない。
 標的が吹き飛ぶや否や一等加速し、宙に放り出されていた右手首を左の五指で掴み取った。
 その瞬間、シュガーレイは地に背を着けるようにして身を放り出した。
左の五指は相手の右手首を捕獲≠オたままである。即ち、次なる技へ最速で移行出来ると言うことだ。
 右腕を捻りながら相手をうつ伏せに引き倒したシュガーレイは、
そこから『腕拉ぎ十字固め』と言う関節技へと移った。俗に『裏十字』とも呼ばれる形である。
肘の可動域を超えるほど相手の腕を逆側に引き伸ばし、関節を痛め付けるのだ。

「――あ……ゥがッ!?」
「人をいたぶることには躊躇いを持たない癖に、
自分が痛い思いをするときには、一丁前に悲鳴を上げるんだな。
……この痛み≠ノ対して、貴様たちは想像力が足りていなかったわけだ」

 『裏十字』へ持ち込んだ直後、標的の右肘から何かが破断する音が聞こえてきた――が、
シュガーレイは顔色ひとつ変えない。最初から肘関節を圧し折るつもりで技を仕掛けたのだ。
どれほど相手が苦悶しようが、気遣う必要などなかった。
 後方へ吹き飛んだところを力ずくで引き倒したのだから、反動で右肩の関節も壊れた筈である。
その上で腕を捻り、肘まで圧し折った。全治に要する時間は計り知れないだろう。
 完治せずに使い物にならなくても良いとシュガーレイは考えていた。
 この地に潜んでいたギャング団は、寒村ばかりを狙って略奪を繰り返し、無益な殺戮まで好んでいたと言う。
早い話が救いようのない輩なのだ。
 彼らの身柄を保安官事務所(シェリフ・オフィス)に引き渡せば、速やかに裁判が行われるだろう。
非道の限りを尽くしてきた頭目は縛り首に違いないが、手下の刑については分からない。
 だからこそ、二度と悪事を働けない肉体(からだ)にしておこうと言うのだ。
 惨たらしい振る舞いであることはシュガーレイ本人が一番解っているが、
エンディニオンの秩序の為、民の為には、泥を呑む覚悟で臨まなくてはならなかった。

「……憶えておけ。いや、二度と忘れさせない。悪≠ヘ必ず滅びる運命だと――」

 再び邪な心が芽生えることがないよう正義の恐ろしさと言うものを身体に刻み込んでおく必要もある。
既に標的は戦意を喪失していたが、シュガーレイの双眸から冷酷な光が失せることはなかった。
それどころか、標的が呻き声を発する毎に酷薄の色を強めていくようにも思えた。
 徐(おもむろ)に標的の身を仰向けに引っくり返したシュガーレイは、
次いで腹の上に馬乗りとなり、止(とど)めとばかりに右拳を振りかぶった――が、
その手首を後ろから掴まれてしまった。

「何も『パウンド』までかまさんでもええやろ。お前は栄えある戦闘隊長やで? 
加減っちゅーもんを知らんとアカンねん」

 『パウンド』と呼称される拳打――シュガーレイの心中では正義の鉄槌と言うことになろう――を引き止め、
過剰な追撃を窘めたのは、いつの間やら駆け付けたジェロムその人であった。
 何とも皮肉な成り行きであるが、シュガーレイに倒された男は、
自らが命を狙った相手に救われたと言うことである。
 今にも朽ち果てそうな建物の裏へジェロムと共にやって来たビクトーは、
地面に放り出されたままのライフルを拾い上げると、恐怖に呑まれて失神してしまった持ち主に向かって
「殺そうとした相手に情けを掛けられたら世話ないです」と侮辱を吐き捨て、
次いでシュガーレイに目を転じた。

「ひとつ間違えたら、私刑≠ノなってしまいますから、そこだけは注意して頂きませんと。
肩書きを持ち出すのは気が引けますが、今のキミはスカッド・フリーダムの看板≠ナす。
キミの気持ちだって分からないわけでもありませんけれど――
それでも、『七導虎』の立場から物申すなら、司法との住み分けはハッキリさせておきべきかと」
「せやろ? ビクトーかて、そう思うやろ? ボコるのは仕方ないにしても、
念入りに腕まで壊さんでも良かったんや」
「その腕が犯罪を繰り返すかも知れないのですから、
予防として壊しておくのは、正しい判断と言えなくもありませんけどね」
「そうそう――って、急に手のひら返すなや! どっちの味方やねんっ?」
「強いて言えば、『正義の味方』です。……制裁を司法に委ねると言いましても、
荒野にのさばるアウトロー相手に法律を説くのはナンセンスですしね」
「それとこれとは別問題やろ!」

 失神したままの賊徒に手錠を掛けながら、ジェロムは聞こえよがしに盛大な溜め息を吐いた。

「お前たちふたりは『義』っちゅーモンに対して真面目過ぎるねん。
バカ正直言うか、思い込んだら一直線みたいなトコがあるやろ? 
それもひとつの美徳やろうけど、自分の志を他人に押し付けたらアカンで。
自分の中でごっつ大切にしとる心意気かて、イコール世間の常識とはならんのや」

 ライフルをビクトーに任せたジェロムは、捕縛を完了した賊徒を肩に担いだ。
 間もなく三人は他の隊員が待つ広場へと足を向けたのだが、その道中でもジェロムの注意は続いた。
 スカッド・フリーダムが弱き者たちの護民官≠ナあり、対峙する相手が悪逆非道なアウトローであろうとも、
行き過ぎた暴力は慎まなくてはならないと、ジェロムは説いているわけだ。
 暴徒の鎮圧と言う任務上、戦闘そのものは不可避であるが、
スカッド・フリーダムの『義』に瑕が付くような振る舞いだけは避けるべきであった。
 どちらがアウトローか分からないようなことを仕出かせば、
『義』を掲げたところで誰にも信じて貰えなくなるだろう。
それどころか、自分自身がスカッド・フリーダムの志に胸を張れなくなってしまう。
 ジェロムが口にしたのは正論以外の何物でもなく、
対するシュガーレイは申し訳なさそうに頬を掻くばかりであった。

「面目ない。……反省するよ」
「せやせや、真面目クンは反省も素直でええねん。それでこそ、『七導虎』の大将や!」
「いやいや、軽々しく意見を翻すのは感心しませんよ。
キミは『七導虎』のリーダーなのですから、他の隊員に道を示すようなつもりで初志貫徹して下さい」
「私は反省をだな……」
「……ビクトーの場合、クソ真面目なのか、クソみたいに腹黒なのか、分からん瞬間があるわい……」

 減らず口を叩いているビクトーはともかく、シュガーレイは本気で猛省している様子である。
圧(へ)し口で呻き続ける辺り、「やり過ぎてしまった」と自覚しているのは間違いない。
戦闘隊長と言う肩書きが圧し掛かれば、それだけ自責の念も深まると言うものだ。
 そんなシュガーレイを「言葉が通じない相手は身体で分からせるしかありませんよ」と
慰めるのはビクトーである。自分も窘められたばかりだと言うのに、まるで反省の色がなかった。

「ホンマ冗談にしちゃキツ過ぎるで、ビクトー。部下に示しが付かんてイゴールはんにチクったろか? 
それとも、おノラはん≠ゥら言うてもろうたほうがええかな」
「義父様はともかく大婆様だけはご遠慮願いたいものですねぇ」
「それはそれでイゴールはんに失礼やろ!」
「キミこそ失礼ですよ。そろそろ、義父はん≠ニ呼べるようにならなくてはね」
「露骨に話を変えよってからにぃ!」

 ジェロムから白い眼を向けられたビクトーは、おどけた調子で肩を竦めて見せた。

 三人がゴーストタウンの広場まで戻ってくる頃には、
他の場所で戦っていたと思しき隊員たちがギャングの一党を残らず引っ立てていた。
 賊徒から回収した武器を一箇所に集める役割は、ふたりの女性隊員が担っていた。
バロッサ家の末娘として、タイガーバズーカでは知らない者がない知られるジャーメインと、
その親友のトーニャ・バンドールである。
 後(のち)に出で立ちが一変するジャーメインも、
このときはまだスカッド・フリーダムの隊服を身に纏っており、
胸甲に記された『義』の一字にも何ら疑いを抱いてはいなかった。
 それはつまり、気兼ねなくスカッド・フリーダムの仲間と笑い合っていられた時間とも言える。
訣別する運命など夢想だにせず、トーニャとも仲良く肩を並べているのだ。
 そして、今し方の出来事をビクトーから聞かされた途端、
ジャーメインは満面を憤怒の色に染め上げながらジェロムに食って掛かった。

「――反省するのはジェロムさんのほうでしょ!? 結婚式まで一ヶ月切ってるんだから、
そんなムチャしないで欲しいわよっ! レン姉泣かせたら、『七導虎』だって承知しないよッ!」

 ジャーメインが叱ったのは、サブマシンガン相手に突進すると言う危険な戦い方のことだ。
 言うまでもなくジェロム当人には銃撃を躱せる自信があり、
それ故に正面切って迎え撃ったわけだが、この理屈がジャーメインには通用しないらしい。
 傍らに立つトーニャまでもが「男の人って、結婚直前になると、何故かムチャしたがるよね〜」と
親友の肩を持つのである。

「ホント、どーゆー神経なんだろうね。独身最後の冒険ってヤツかな? 
奥さん出来たら、やれなくなるコトも多いっしょ。そーゆーのに未練タラタラとか?」
「トーニャの言う通りだとしたら、大馬鹿を通り越してクソ野郎だよっ!」
「え、えらいボロカスやんけ、オレっ!」
「だって、そうじゃない! ……あのねぇ、一昨日だってさァ、
レン姉ってば鏡の前でウェディングドレスを宛がってさ――
どう!? いじらしいでしょ!? レン姉の気持ちを考えてあげてよねッ!」
「義父様はそれを見て連日泣いていますけどね。
その度に義母様から呆れられ、良いトシして大婆様からゲンコツ落とされて……。
さんざんですよ、あの人」
「お前はもう少しイゴールさんに優しくしろ。鬼畜か。娘を嫁に出す父親の気持ちは複雑なんだろう」
「娘を嫁には出さへん≠ェな。イゴールはんは貰うほうやがな。
なのに、ボロ泣きされてもうたら、婿養子(オレ)の立場があらへんがな」

 シュガーレイが呆れ返るほど締まらない内輪の話をビクトーが付け加えた。
 その話の中で言及された通り、ジェロムはジャーメインの姉、グンダレンコとの結婚を
一ヵ月後に控えており、だからこそ将来の義妹はカンカンに怒ったのである。
 ジェロムに万が一のことがあったら、愛する姉は絶望の底に叩き落されるのだ。
未来への祝福でなく弔いと怨念を唱えることなどジャーメインは願い下げであった。
 グンダレンコと共に生きていく未来を一時でも忘れたジェロムのことを許せる筈もない。
「入り婿無責任男!」と厳しく批難するのは、妹として当たり前の感情であった。

「ああ――言われて想い出したが、ふたり揃って入り婿じゃないか。しかも、総帥補佐と同居。
『七導虎』のうち、ふたりが一つ屋根の下で暮らすのだからバロッサ家は安泰だ。
良かったな、お前たち。乗り合わせたのはタイガーバズーカで一番の宝船だぞ」
「そこまで皮肉って頂けたなら、入り婿冥利に尽きますよ。……全く、キミのほうが鬼畜じゃないですか」
「好きなコトを言えてええなぁ、シュガーレイは。嫁はんを貰った側やからなぁ。
……オレは今から身震いしとるで。イゴールはんと一つ屋根の下て……」

 婿養子と言う立場をシュガーレイにからかわれ、ビクトーとジェロムは揃って肩を落とした。
 ビクトーもまたイゴールの娘――つまり、ジャーメインのもうひとりの姉と言うことになる――、
イリュウシナの夫である。現時点では婚約者と言う立場のジェロムと異なり、
彼は左手の薬指に神聖な誓いの証たる結婚指輪を嵌めていた。
 婚姻の手続きを済ませているか否かはともかく、
ビクトーもジェロムも、バロッサ家の入り婿であることに変わりはない。
それ故に互いの顔を見合わせ、引き攣った笑みを浮かべているわけだ。
 タイガーバズーカきっての名門として知られるバロッサ家は女系の一族であり、
当主の座にはイゴールが就いているものの、実権は彼の実母が握っていた。
 スカッド・フリーダムの相談役であり、タイガーバズーカの人々から『大婆様』と畏敬される古老――
ノラがバロッサ家の一切を取り仕切っているのだ。
 イリュウシナはバロッサ家の長女、グンダレンコは双子の妹である。
彼女たちの伴侶となる人間には、入り婿以外の選択肢など最初から与えられていないと言うべきであろうか。
タイガーバズーカ開拓に貢献した一族と言う権威には誰も逆らえまい。
 ノラやイゴールが拘(こだわ)らなくとも、周囲の人間が入り婿以外の形を許さないのだ。
良かれ悪しかれ、それが名門の格式と言うものである。
 事実、ジェロムの先達≠ニも言うべきビクトーは、幾度となく胃に穴が開くような場面を経験していた。

「へぇぇ〜、ふたりともウチにそんなに不満があったんだ? いやぁ〜、ちょっとショックだなぁ。
義兄さんたちにストレス掛けるのも申し訳ないし、今のコトはリュウ姉とレン姉、
ついでにお父さんにもメールしとくよ。……あぁ、お祖母ちゃんにも忘れずに伝えておかなきゃだね」
「ま、待ちや! 誰もそないなコトは言うてへんでッ!?」
「よし、分かった――メイ、ストロベリーサンデーで手を打とうじゃありませんか。
キミにとっても悪い取り引きではないと思いますよ、ええ」

 「言質を取った」と言わんばかりのジャーメインに対して、ビクトーとジェロムは大慌てで首を横に振った。
 余りにも必死な態度は滑稽以外の何物でもなく、トーニャや他の隊員たちも大爆笑している。

「お婿さんって言えば、おノラさん、メイのお見合いの話もしてたよ」
「――はぁ!? お見合いィ!?」

 三人の会話へ耳を傾けている内に、トーニャは大婆様≠フ突拍子もない発言を想い出した。
 バロッサ家の重鎮は、二〇歳(はたち)にも満たない末の孫娘の為、
見合いの場を設けるつもりだと口走ったそうである。
 この発言には他でもないジャーメインが飛び上がって驚いた。
 ビクトーやジェロム――バロッサ家に関わる人々にとっても寝耳に水のことであったのだろう。
皆、揃って大口を開け広げ、意味不明とばかりに首を傾げている。

「なっ、なんでそんなことに!? あたし、まだハイスクールだって卒業していないんだけど!?」
「んーっと――何時頃だったかは正確には憶えてないんだけど、おノラさんとお茶したときにね、
『上のふたりが片付いたから、そろそろメイにも相手を見繕ってやらんと』って言ってたんだよ。
曾孫の顔が早く見たいんじゃないかな?」
「あンのババァッ、人の知らないトコロで勝手なことをッ!
……て言うか! そう言うハナシなら、あたしじゃなくてリュウ姉とレン姉に言うべきじゃん! 
ふたりの義兄さんにも頑張って貰ってさぁ!」
「曾孫のハナシはともかく、メイってば男っ気ゼロでしょ? 
何時までもグズグズと初恋を引き摺ってるし。そりゃあ、おノラさんも心配になるよ、うん」
「初恋って! こんなちっちゃな頃のコトでしょーが! 引き摺るも何もないわよ!」

 水平に開いた掌を腰の辺りで左右に振るジャーメインの顔は羞恥の色に染まっている。
それくらいの背丈の頃の淡い想い出を穿り返されたのだ。恥ずかしくないわけがない。

「想い出は想い出、今は今。インスタントヌードルが出来上がるまでにも時間は未来へ進むのさ。
お湯で戻したノンフライ麺と同じように、ぼくも心の準備は済んでいるよ、メイ」

 ジャーメインの見合いが話題になって以来、落ち着かない調子で身体を左右に揺すっていた若い隊員が、
今こそ自分の存在を示すべく手を挙げて見せた。どうやら、彼女の伴侶に立候補したいようである。
 後に彼女らと共に『パトリオット猟班』へ加わることになるモーントであった。
 ジャーメインの稽古相手(スパーリングパートナー)も努めるこの青年は、
彼女に対する個人的な好意を隠そうともせず、事ある毎にアプローチを繰り返している。
 尤も、健気な努力は一向に実を結ばない。感情の起伏が乏しいこともあってか、
好意自体がジャーメインへ届いているようにも思えなかった。
 垂直に天を衝く一本杉のように綺麗な姿勢で挙手したものの、案の定、ジャーメインの視界には入っていない。
「伸びたヌードルも美味しいよね」と独特の言い回しで納得しているが、
それは楽天家と呼ぶには余りにも悲しい慰めであろう。

 一方、モーント当人の視界には、物陰に潜んで反撃の機会を窺う賊徒の姿が映り込んでいる。
義の戦士たちは「ギャングの一党を残らず引っ立てた」と認識していたのだが、
それは大いなる誤りであったらしい。
 そもそも、捕らえられた賊徒は誰ひとりとして尋問に応じず、
スカッド・フリーダムの側もギャング団の正確な人数は把握出来ていなかった。
この情報の不足が物理的な危機に変わろうとしているのだ。
 最後に残った賊徒は、懐から短刀を取り出し、これを腰だめに構えて突進してきた。
 この時点では他の隊員は賊徒の気配を察知出来ていなかった。
仮に誰かが気付き、迎撃態勢に移ったとしても、モーントは構わず先駆けたに違いない。

「――お湯で戻している間に腹を空かせておけば、ヌードルはもっと美味しく食べられる」

 左右への跳躍を交えながら、モーントは賊徒へと突き進んでいく。
その動作(うごき)は空間へ残像を焼き付かせる程に速く、賊徒の目には分身でもしているように見えた筈だ。
 それが証拠に賊徒は混乱の面持ちで立ち止まり、この直後にモーントによって捕獲≠ウれた。
 相手の右太股を左腕でもって抱え込んだモーントは、右の五指でもって対の側の手首を掴むと、
決して痩せぎすではない賊徒の身体を高々と持ち上げ、そこから腰を捻りつつ地面へと落下させた。
 突如として起こった竜巻に掬い上げられたようなものであり、賊徒には短刀を振り回す余裕もない。
そもそも、彼は固い地面に頭から投げ落とされており、視界も暗闇に染まっているのだ。
 相手に組み付いたまま、己の身も地面へと放り出していたモーントは、
右腕一本の屈伸のみで軽く跳ね、次いで賊徒の腹部へと左膝を落とし、今度こそ止(とど)めを刺した。
 すかさず手錠を嵌め、逮捕を完了することも忘れない。

「いえ〜い、めっちゃハングリー精神。ナイスガッツでお腹ぺこぺこりん」

 賊徒の不意打ちを未然に防ぐと言う活躍を見せ付けることで、
自分こそジャーメインに相応しいと改めて主張するモーントであったが、
またしても彼女には気付いて貰えず、後から「何かあったの?」と訊ねられる始末であった。
 他の仲間たちには拍手でもって賞賛されたが、
モーント本人としてはジャーメインに認めて貰えなければ何の意味もなく、
脳天を地に着けたまま、背中を橋梁の如く反り返らせることで無念の心を表していた。
 いつもと同じように報われない結果となってしまったものの、
モーントの所作(うごき)にはひとつとして無駄がなく、技の冴えは抜群に鋭い。
 ごく最近にスカッド・フリーダムの仲間となった新米隊員ながら、
ルーインドサピエンスよりも旧い時代に活躍した海賊の格闘術――『グリマ』を体得し、
隊内でも一目置かれ始めていた。
 尤も、モーントが何より優れているのは、実はグリマの技巧ではなく、
鋼鉄以上に堅牢と思える肉体であった。
 仲間からは『不破の盾』と畏れられており、おそらく短刀で斬り付けられたとしても、
皮膚が裂けて血が滲むことはあるまい。それどころか、生身でもって白刃を弾き返しただろう。
 逞しく鍛え上げた肉体を「筋肉の鎧」などと表す場合もあるが、
モーントは寧ろ痩身であり、件の喩えからは遠く離れていた。
 筋肉の鎧で全身を包んでいるのではなく、肉体そのものが甲冑さながらに頑強なのは何故か、
それは誰にも解らない。物理的な攻撃を一切受け付けないと言う事実だけが示されるのみである。
 この「物理的な攻撃」の中には首への絞め技や関節技の類も含まれており、異名の通りの鉄壁の守りであった。

 或るアウトローとの戦闘では、敵の銃弾を弾きながら突き進んでいった。
銃爪(ひきがね)を引く側にとって、これに勝る恐怖などあるまい。
 モーントは右腋に相手の首を挟み込み、次いで相手の左脇下を潜るようにして右腕を通し、
五指でもって対の手首を確(しっか)りと掴んだ。
 これによって捕獲≠ヘ完成したかに思われたが、相手はモーントにとって都合の良い練習台などではない。
棒立ちでいる筈もなく、捕獲≠ゥら逃れるべく反射的に身を捩った。
 ここまでの攻防から察せられる通り、モーントが体得した海賊の格闘術は、
レスリングと同様に相手と組み合った状態からの技巧に重点を置いている。
 改めて詳らかとするまでもなく、相手が取っ組み合いからの脱出を図った場合の対処も心得ている。
実際、標的が身を捩った瞬間にはモーントの所作(うごき)は更に加速していた。
 捕獲≠維持したまま、モーントは軽い跳躍を断続的に繰り返し、互いの身を横へ横へと滑らせていく。
やがてその動作(うごき)は、地に螺旋を描くと言う不思議な足捌きに変化していった。
 傍目には舞踊でも披露しているように見えたことだろうが、
この螺旋の運動は相手の体勢を崩し、一切の身のこなしを掌握する為の実戦的な技巧である。
 螺旋の足捌きによって幻惑された標的は、最早、モーントの思い通りに身体を動かすばかり。
さながら不可視の糸で踊らされる人形のようなものである。
 完全に自由を奪ったものと確認したモーントは、己の身を放り出すようにして後方へと投げを打った。
 生身で銃弾を弾くモーントに瞠目し、続けて勢いよく身体を振り回され、
地に叩き付けられたアウトローは、何が起きているのか、全く把握出来ない内に意識を失ったと言う。
 勿論、モーントは倒した相手に止(とど)めの拳を突き込むことも忘れない。
競技化された近代の様式(スタイル)ではなく敵の殺傷を目的とした古伝の技巧こそ、
モーントの真骨頂なのである。

 自身の体質を生かす形で急成長を遂げるモーントに対して、何故か、ジェロムは物憂げな表情を浮かべていた。
 モーントが逸早く伏兵に気付き、これを討ち取るまでの一部始終をジェロムは見届けていた。
旧い海賊の格闘術を極めつつある彼であれば、仕損じることはあるまいと迎撃の一切を委ね、
期待通りの成果に賞賛の拍手を送ったのだ。
 しかし、現在(いま)は賞賛とは全く正反対の面持ちである。
 さりながら、ジャーメインを口説き落とそうと躍起になる姿に呆れているわけでもない。
モーントのことを視界に捉えてはいるものの、
意識(こころ)だけは別の世界に飛ばしてしまっているような――何とも例えようのない表情だった。

「……何か気に病むことでも?」

 彼方を彷徨っていたジェロムの意識を現実へと引き戻したのはビクトーの声であった。
ただ一点を見据えたまま微動だにしなくなってしまった彼のことを案じ、
何事かあったのではないかと、掌でもって右肩を揺さ振ったのである。
 シュガーレイもジェロムの傍らに立ち、気遣わしげな視線を向けている。

「……そないなわけやあらへんけど――」

 同志であり、親友でもあるふたりに心配を掛けたことが気恥ずかしくなったのか、
何とか誤魔化そうと努めるジェロムであったが、どうにも上手く言葉を紡げない。
 困ったように頭を掻き、ふたりから顔を背けるようにして天を仰いだ。
 雲ひとつない青空である。ゴーストタウンの寒々しい空気を
忘れてしまいそうになるくらい清々しい彩(いろ)であった。

「……これからどないなっていくんやろな――って、ふと思うただけやねん」

 やがて、ジェロムは呟くように心の内を吐露していく。

「お前らしくもなくマリッジブルーか? 経験からアドバイスさせて貰うとだな、
結婚なんてものは勢い勝負だ。思い切り良く飛び込んでしまえば、大抵のことは何とかなる。
ジェロムみたいなタイプは、寧ろ向いていると思うがな」
「ボケるトコとちゃうやろ、ココは。……なんやけったいな現象があちこちで起きとるやん? 
自分が元居た場所もよう説明でけんっちゅー妙な連中もぎょうさん出てきよった。
『ジューダス・ローブ』の所為でしっちゃかめっちゃかになってもうたテレビ番組かて、
そないな迷子≠見世物にしとったやん。……あ、見世物言うたら失礼やな。
アレはアレで人探しと同じモンやさかい」
「迷子=c…ですか――」

 モーントと同様の迷子=\―そのようにジェロムは語りたいのだと、
シュガーレイとビクトーはすぐに察した。
 入隊して日が浅いモーントは、そこに至る経緯もまた異例であった。
行く当てもなく荒野を放浪していた彼をスカッド・フリーダムで保護したことがきっかけなのだ。
 その折に声を掛けたのがジャーメインであり、以来、モーントは彼女に懐いたわけである。
殻を割って飛び出した雛鳥が最初に見たモノを親鳥を信じ込むようなものであろう。
 一種の刷り込み≠ナある。それが分かっているのか、はたまた素≠ナあるのか、
ジャーメインが彼に世話を焼く場合、殆ど保護者のような態度なのである。
完全に異性として認識しておらず、それ故にモーントのアプローチも届かないのだった。
 報われない色恋の余談はともかく――入隊までの奇妙な経歴からモーントの立場を定義付けるのであれば、
迷子≠フ二字が最も相応しいと言えるだろう。
 そして、モーントと同じように行く当てもなく、また身の保障もない迷子≠スちは、
今、無法の荒野に溢れようとしていた。
 新聞王の計らいでテレビのバラエティー番組に出演したアルバトロス・カンパニーと
境遇を同じくする迷子≠スちである。
 世界に溢れる迷子≠ニモーントでは事情も経歴も違うようだが、
秩序の守り手を標榜するスカッド・フリーダムは、どちらも保護すべき対象と見做している。
 誰が投棄したとも知れない有害な廃棄物や獰猛なクリッターが荒野には蔓延っている。
これらを切り抜けたところで、迷子≠ヘ身を落ち着かせられるような場所さえ持たないのだから。
遠からずアウトローの餌食にされてしまうだろう。
 果たして、スカッド・フリーダムの掲げる『義』は、
迷子≠ナあろうと何者であろうと、見殺しなど断じて許さないのだった。

 しかし、隊全体の方針はともかくとして、任務を遂行する隊員個々の心中には複雑な思いがある。
 無論、迷子≠助けることに異存はない。彼らも自分と同じ人間であり、生命は等しく尊いもの。
助けを呼ぶ声が聞こえたなら、力弱き者の護民官≠ニしてすぐさまに駆け付ける決意であった。
 その一方で、ジェロムのように迷子≠ニ言う存在そのものに懐疑的な人間も少なくはなかった。

「誰かが言うてたやろ、迷子≠チちゅーのは異世界からやって来たんとちゃうかって。
どこから来たのか質問してみィ、どいつもこいつも、聞いたこともない地名を喋っとる。
ひとりやふたりなら虚言癖でバッサリ切り捨ててええやろうけど、
何百っちゅー数になってもうたら話は別や」
「こうも続くと、突飛な発想が実は正解に近いのではないか――そう言いたいのですね」
「アニメみたいな話なんかあってたまるかいって思っとったけどなァ……」

 この問題に関しては、三者ともに同じ仮説を共有している――と言うよりも、他に仮定の設けようがなかった。
 何処から現れたとも知れない迷子≠フ正体は、最早、人智を超えた領域に求めるしかなさそうなのだ。
 スカッド・フリーダムが保護したモーントとて、普通では考えられない特異な体質の持ち主である。
些か強引な当て嵌めであることは否めないものの、人間界の常識では計り知れない現象と言う点に於いて、
二種の迷子≠ヘ似通っていると思えなくもないのだった。

「世の中が不安定になると、書き入れ時とばかりにアウトローどもが活発になりよるやろ。
いや、そんなモンはオレらで退治したらええねんけど、
戦いが終わった先でなぁ――……異世界からやって来た迷子≠ノ、
オレらの『義』がホンマに通じるか、そればっかりはさっぱり見当付かんのや」
「……それでブルーになっていたのか、お前」
「ジェロムだって私たちのことは言えませんよ。いえ、キミこそ本当のクソ真面目です」
「ビクトーの言う通りだな。それに呆れるくらい度を越している。
今からこの調子だと、婿に入ってから大変だぞ、お前」
「何でそこに話を結び付けんねん!?」

 シュガーレイの冗談はさて置き、これこそがジェロムを悩ませる一番の原因である。
彼にとっては迷子≠フ正体など些細なことなのだ。
 生まれ育った世界が異なっていると思しき迷子≠ノ対しても、自分たちの志が通じるのか――
それは、スカッド・フリーダムが掲げる『義』の行く末にも関わることなのである。
 情況次第では迷子≠ニの接し方も変えていかなくてはなるまい。

「今んとこ、『お前らの主張はおかしい』言うて反発する人はおらんようやけど、それもホンマかどうか。
向こうからしたら、ワケもわからん土地に間借りしとるようなモンやろ? 遠慮しとるだけなのかも知れへん。
……こっちに慣れた頃になって、抑えてた鬱憤とか爆発するんとちゃうやろか」
「確かに一理あるな。その土地その土地で常識も違えば風習も違うんだ。
我々の文化や常識が必ずしも通用するとは限らない。
『エンディニオン』でさえ分かり合えないことも多いのだから、
異世界からの迷子≠ェ相手なら、一体、どうなることやら」
「異世界言うのを差し引いても、よくあるケースや。……それはそれで悲しむべきコトやろうけどなァ」
「我々の『義』と相容れない好例は、そこに転がっているアウトローどもだな。我ながら皮肉な話と思うがね」
「アウトローを例として当て嵌めるのは、幾らなんでも乱暴でしょう。
同じ人間なのですから、『義』の心は共有出来ると確信していますよ。
幾度か迷子≠ニは面談しましたし、先日のバラエティも拝見していましたが、
常識も文化も、それほど掛け離れているとは思えませんでした。
そもそも、『義』と言うものは人間が人間らしく在り続ける為の規範ですからね。
同じ人間なのですから、そこに大きなギャップが生じるハズもありません」
「同じ人間なのだから、ギャップが生まれるんじゃないか? 
最初は似たような考え方であっても、正確に同じじゃないし、時間が経つにつれてメンタルも変わってくる。
……彼らは何処からともなく訪れた迷子≠セ。明日をも知れぬ身の上は『義』の精神を簡単に乱してくれる。
それに、暮らしを共にする内に相容れない部分は必ず出てくるぞ。
そのテのギャップは手当てをしない傷口のように広がっていくものだ。
何しろ、迷子≠セけに基盤がない。確たる基盤が近くにないと言うことは、当然、逃げ場もない」
「……何だか、また入り婿生活の話をぶり返しているようにも聞こえるのですが……」
「なんでやねん! てゆーか、どんだけトラウマやねん、自分!」
「いや、遠からず。例えとして正しいかは知らないが、互いの常識の測り方は結婚生活に似ていなくもないぞ」
「お互いの感じたギャップをリカバーし切れないと破綻する――と言いたいのですか。
……私も脱いだ靴下を放置してリュウ姉さんから怒られますけど」
「それは単なるお前の非常識だろう」
「独身時代の癖が抜け切らなくて……」
「だから、それはお前個人の非常識だろうが。
今、ここで問題にしているのは、お互いの常識や心の距離を測り兼ねたまま、
スカッド・フリーダムの『義』を押し付けることになるんじゃないかってコトだ」
「せや、シュガーレイの言う通りやねん。規範っちゅーのは、他の誰かがイジッてええモンとちゃう。
……オレにはそれが一番おっかないんや」

 シュガーレイの言葉にこそ、ジェロムは首を頷かせた。

「他の誰かに寄り添おうて柔軟に変わってけるほど、スカッド・フリーダムは小器用とちゃうやろ――」

 迷子≠フ二字から連想される事柄は、見上げた青空のように晴れやかとは言い難く、
ジェロムの目には灰色の雲が視えている。やがて、その雲がスカッド・フリーダムの前途を
覆い隠すのではないかと思えてならず、彼の面は憂色を濃くしていった。


 エンディニオンの変貌に際し、スカッド・フリーダムの『義』の在り方を案じていたジェロムは、
この後(のち)に憂色を湛えたまま不帰の人となる。
 力弱き者たちの護民官≠ニ言うスカッド・フリーダムの使命を果たすべく、
ギルガメシュに襲撃された寒村へと駆け付け、その乱戦の最中に絶命したのである。
 ジェロム・モンテファスコーネとは、サブマシンガンすら物ともしない歴戦の勇者である――が、
それでも未知の殺戮兵器の前には無力であった。
 しかし、義の戦士として本分を貫いたことに間違いはなく、
七導虎として戦い抜いた男の最期は凄絶の一言であった。
腰から上が跡形もなく吹き飛ぶと言う散り様である。
 図らずもエンディニオンが変貌する瞬間に立ち会い、その激流の飲み込まれた形であった。

 スカッド・フリーダムとギルガメシュの最初の交戦は、
ジェロムと言う勇者の殉職から少しばかり遡ることになる。
 発端はサミットの警護と言うギルガメシュとは何ら関係のない任務であった。
 全世界に恐怖を撒き散らしていた最凶のテロリスト――ジューダス・ローブが
サミットの襲撃を予告してきたのである。
 全世界への挑戦と言っても過言ではない事態に際し、
新聞王と名高いジョゼフはスカッド・フリーダムに救援を要請する。
サミットの開催地は新聞王の一族が統治するルナゲイトであり、
円卓会議に先駆けて万全の迎撃体勢を整える必要があったのだ。
 エンディニオン全土から各地の代表者たちが集結し、同じ円卓にて相見(まみ)える会合は、
世界平和の象徴としても大変に意義がある。
 即ち、テロの脅威に屈する形で開催を延期あるいは中止することなど絶対に許されないと言うことだ。
 そして、予定通りに開かれたサミットは、世界に溢れた迷子≠フ処遇を巡る激論の中で
ジューダス・ローブを迎えることになる。
 世界最凶のテロリストには、新聞王子飼いとも言われる者たちが立ち向かった。
 その戦いを主導したのは、『在野の軍師』として名を轟かせることになるアルフレッド・S・ライアンである。
彼はジューダス・ローブの切り札であった予知能力を智略でもって封じ込め、
遂にひとりの犠牲者を出すこともなく身柄を取り押さえることに成功したのだ。
 アルフレッドが立案し、自ら指揮を執った作戦は一分の隙もない見事なものであった。
事実、ジューダス・ローブの逮捕と言う壮挙を成し遂げたのだ――が、
真なる災厄は世界最凶のテロリストの正体が暴かれた後(のち)に降臨し、
これを以て全ての歯車が狂い始めた。
 天を衝くほどに巨大な『鉄巨人』を繰り出してルナゲイトに来襲した真なる災厄こそが
ギルガメシュであったのだ。
 突如として円卓に殺到した仮面兵団を迎え撃つべく、義の戦士たちは勇敢に立ち向かったのだが、
ギルガメシュ側の武装は彼らの想定を凌駕する程に優れており、
ひとりまたひとりと光線銃によって全身を撃ち抜かれていった。
 これがスカッド・フリーダムとギルガメシュの間で行われた初めての戦いであった。
改めて詳らかとするまでもないことだが、壊滅した部隊を率いていたのがシュガーレイその人である。
 新聞王直々の救援要請であり、尚且つジューダス・ローブの阻止と言う大一番だ。
スカッド・フリーダムが誇る戦闘隊長自らがルナゲイトに赴き、その果てに悲劇に見舞われたのだった。
 七導虎の長であるシュガーレイは、他の隊員とは比べ物にならない程の戦闘力を秘めている。
 隊内で最強の座を争う程の猛者であったればこそ、未知なる光線銃の弾道を見極め、
死地を潜り抜けることも出来たのだが、その頭抜けた力量ゆえに、
彼は落命したほうが安楽と思えるような苦しみを背負うことになった。
 サミット警護に同行した仲間は残らず射殺され、たったひとり、彼だけが生き残ってしまったのだ。
 心を崩壊させるには十分過ぎるほどの慟哭であった。

 ルナゲイト陥落とギルガメシュ来襲の急報は、
戦闘隊長の部隊が壊滅した事実と共にタイガーバズーカを駆け巡った。
 仮面兵団が侵略の魔の手を拡大させることを警戒した義の戦士たちは、
力なき者たちの護民官≠フ使命を果たすべく各地へと出撃していった。
 そして、この出撃こそがジェロムにとって最期の旅となった次第である。
 ジェロムの訃報は、バロッサ家の人々を絶望の底へと叩き落とした。
 一月(ひとつき)の後には大いなる喜びに包まれる筈であったのだ。
他の者より少しだけ大きな食器を買い揃えるなど、新たな家族を迎え入れる支度も済んでいたのである。
 祝福を約束されていると信じて疑わなかった運命は、
ギルガメシュと言う名の災厄によって、あってはならない形に歪められてしまった。
 人生そのものが狂わされたであろうグンダレンコは、
しかし、無言の帰還と呼ぶには余りにも痛ましい姿となった婚約者を前にしても、決して取り乱さなかった。
 最愛の人の勇戦を讃え、彼と共に激闘し、満身創痍となりながら生き延びた仲間たちをねぎらい、
あくまでもジェロム・モンテファスコーネの花嫁として気丈に振る舞い続けた。
 永久の別れたる埋葬に於いてさえ、この花嫁は決して涙を見せなかったのである。
 グンダレンコの涙は、イリュウシナもジャーメインも知らない。
その悲しみを受け止めることが出来たのは、彼女の母――リィリィただひとりであった。
 一族の当主であるイゴールもまた未来の息子の死に心が張り裂けんばかりの思いを味わった――が、
スカッド・フリーダム総帥補佐と言う立場は、嘆く遑(いとま)すら許してはくれない。
 彼はバロッサ家の支柱であると同時に、スカッド・フリーダムの要でもあるのだ。
 今にも零れそうな悲憤を古参の矜持にて押し込めたイゴールは、
隊内の動揺を鎮めるべくタイガーバズーカを駆けずり回った。
 スカッド・フリーダムには若い戦士が多い。今こそ古参の人間が道標(しるべ)となり、
選択を誤ることがないよう『義』の精神を示すべきだと考えたのである。

「我らは悪逆非道な暴力の手によって勇敢な同志を失い、郷は深い悲しみに包まれている。
……だが、涙に濡れた目を世界に向けてみよ。エンディニオンに生きる人々は鉄の巨人の影に怯え、
得体の知れぬ妖魔の如き業に晒され、混乱の極みにある。
力弱き者たちの叫びが聞こえぬか? 一時の感情で『義』を忘れ、己を慰めるだけで本当に良いのか? 
スカッド・フリーダムとは勇気の前衛、秩序の守り手であるべきだ。
この混乱に乗じて、アウトローどもが略奪に走るとも限らん! 
他者の痛みを食い物にする卑しき悪党を取り締まり、
世の乱れを正すことこそ護民官たる我らの使命と心得るべしッ!」

 総帥のテイケンや七導虎のまとめ役であるビターゼ・ギルベッガンと共に
義の戦士たちへ檄を飛ばすイゴールであったが、古参の尽力は考えられる最悪の結果を招くこととなる。
 戦闘隊長であったシュガーレイは自責の念から職を辞し、
スカッド・フリーダムさえも離脱してタイガーバズーカを去っていった。
 ギルガメシュの手に掛かった仲間たちの無念を晴らす為、
シュガーレイは果てしない復讐へ己の身を捧げたのである。
 仲間の仇討ちよりも護民官としての任務を優先させると言う総帥の決定については
隊員の間でも意見が割れていた。どうしても承服出来なかった者たちがシュガーレイに追従し、
やがて、『パトリオット猟班』を名乗るようになったのだ。
 当時、七導虎の一角を担っていたミルドレッド・ダンプ・アウグスティーナが
スカッド・フリーダムを見限り、パトリオット猟班へ移ったときなどは隊内に激震が走ったものである。
 ミルドレッドはルナゲイト陥落の折に縁者を失っており、
仇を討つ為であれば、女≠捨てるとまで言い切っている。
そこまでの覚悟を止めることは誰にも出来なかった。
 ミルドレッドが隊を離れると表明した直後には、
バロッサ家からもパトリオット猟班へ同調する人間が現れてしまった。
 言わずもがな、イゴールの末娘であるジャーメインのことだ。
 ジェロムの誇りの為に涙すら封印した姉を思い、
その無念を晴らすべくパトリオット猟班に加わったのである。
 実の娘までもがイゴールに背を向けたのだ。義理の息子の仇討ちよりも組織の面目を選んだと捉え、
失望したジャーメインは、父に向かって噛み付くこともないまま故郷を発った。
 自室の机に畳んで置いた隊服こそが、バロッサ家に対する訣別の挨拶であった。


 そして、現在(いま)――ジャーメインとバロッサ家の一族は、完全なる敵として相対していた。
イゴールの末娘は、スカッド・フリーダムが「抹殺やむなし」と断定した絶対的な悪≠ノ与している。
 その悪≠アそ、嘗てシュガーレイと共にサミットの警護に当たり、
ジューダス・ローブ逮捕と言う壮挙を成し遂げた『在野の軍師』、アルフレッド・S・ライアンなのだ。
 ギルガメシュ打倒を目的として集結した筈の連合軍の兵権を壟断し、
自らの復讐を果たす為の道具として思うが侭に動かしている――その身辺を調査した隊員は、
アルフレッドと言う人物に対して、悪≠ニ断じざるを得ない結果を報告していた。
 故郷を滅ぼされたことで復讐に狂った『在野の軍師』は、
攘夷を唱える過激な難民排撃運動の犠牲者まで謀略に利用したのだ。
人間として決して許されることではない。
 「正義」の二字から掛け離れた鬼畜の如き所業を平然と繰り返し、
そのことに良心の呵責すら覚えないような男が連合軍の要を担っている。
この状況は極めて危険と言えよう。
 作戦の名のもとに諸将の動きを操作し得る立場とは、
そのままエンディニオンの情勢に影響を及ぼすと言うことである。
 アルトとノイ――ふたつのエンディニオンの未来が復讐鬼の怨念によって歪められてしまうのだ。
 秩序の守り手を標榜するスカッド・フリーダムとしては、何があっても看過出来ない状況であった。
これ以上、アルフレッドの暴走が激化する前に始末を付けなくてはなるまい。
 シュガーレイの後任として戦闘隊長の座に就いたエヴァンゲリスタが提言し、
これを容れたイゴールの名のもとに下された抹殺指令は、エンディニオンを守る為の正義の戦いなのだ。
 それ故に七導虎の一角たるビクトーが悪≠フ討滅へ差し向けられたのである。
彼に追従するのは、ジャーメインの実姉――イリュウシナとグンダレンコのふたりであった。
 バロッサ家の三人に出撃を命じたのはイゴール当人である。
 タイガーバズーカきっての名門にも関わらず、
スカッド・フリーダムの『義』に泥を塗るような裏切り者を出してしまった。
しかも、その裏切り者は許されざる悪≠ニ深く交わっていると言うではないか。
 『義』に背を向けた裏切り者――ジャーメインがアルフレッドに与していると判明した以上、
バロッサ家が身を切らなくては周囲に示しも付かないと言うことであった。
 新たな戦闘隊長は件の編制を声高に支持している。それが何よりの証左であろう。
 バロッサ家の責任を背負い、冒険王が治めるビッグハウス――悪≠フ潜伏先だ――へ出撃した三人は、
さながら見せしめの如きものであった。
 婚約者を失った痛手が癒え切っていないグンダレンコまで討手として駆り出されたことが、
『義』の同志に対する贖罪の側面を象徴としていると言える。
 人生最良の日に纏う筈であったウェディングドレスを弔いの炎に投げ入れ、
慟哭を押し殺して再起しようとしていたグンダレンコを実の妹との潰し合いに引き摺り出したのである。
これ以上ないと言うくらい惨い仕打ちであった。

 そのグンダレンコがイリュウシナと共に壁≠築いてくれた為に、
処刑人≠フ任務を請け負ったビクトーは抹殺対象と一対一で向き合うことが出来たのだ。
 彼の妻であるイリュウシナはジャーメインと、
グンダレンコはテムグ・テングリ群狼領から冒険王マイクを尋ねてきたザムシードと対峙し、
その行く手を阻んでいる。
 『在野の軍師』の抹殺は正義の執行にも等しく、何人(なんぴと)にも邪魔させるわけには行かない。
 事前の調査でアルフレッドに大勢の仲間が随いていることも把握している。
 冒険王マイクとも同志として繋がっており、彼の統治するビッグハウスに於いて
アルフレッドが完全に独りになると言う状況は考え難い。
 任務に取り掛かれば、おそらくは誰かが処刑人≠フ前に立ちはだかるだろう。
そうした事態を想定し、イリュウシナとグンダレンコは壁≠ニして随伴した次第である。
 スカッド・フリーダムからすれば、悪≠ノ味方する者は誰であろうと大敵なのだ。
処刑人≠ノ追い縋ろうとする人間には攻撃を加えても構わないと戦闘隊長から許可されている。
 更にイゴールは、ジャーメインと交戦するような状況に陥った場合、
手加減などしないようイリュウシナとグンダレンコに厳命していた。
 それどころか、「場合によっては生命を絶つべし」とまで言い放ったのである。
事実上の粛清命令であった。

「ご存知ないかも知れませんが――私が学んだケンポーカラテと、
アルフレッド・S・ライアンのジークンドーの間には浅からぬ因縁がございまして。
……互いの開祖は良き戦友であり、良き好敵手であったと聞き及んでおります。
旧い伝説ですが、私はそこに不思議な巡り合わせを感じます。宿命とでも呼ぶべきものをね」

 処刑≠果たすべくタイガーバズーカを出立する直前、
ビクトーは自らが極めた武術――ケンポーカラテと、
アルフレッドが体得したジークンドーとの旧い因縁をイゴールに語った。
 以前(さき)にワーズワース難民キャンプでアルフレッドと接触したシルヴィオの報告を通じて、
彼がジークンドーの使い手と言うことをビクトーも承知している。
 ビクトーがケンポーカラテの開祖として尊崇する人物も、ジークンドーを創始した人物も、
どちらも伝説の武術家に違いはない――が、前者のほうこそ「先達」と呼ばれる立場にあり、
その男に見出され、世界中の脚光を浴びたことによって、
今日(こんにち)のアルフレッドまで受け継がれる武技が誕生した次第である。
 このように深い因縁で結ばれた両武術が、遥かな時代を経て相見(まみ)えることになったのだ。
単なる「偶然」である筈がなく、宿命に導かれて巡り逢ったとしか言いようがなかった。
 「己こそが処刑人≠ノはお誂え向き」とビクトーが自負するのは、
ケンポーカラテとジークンドーの因縁をも踏まえた上でのことであった。

「――大いなる流れに導かれたのであれば、それに従うまでございます。
ましてや、彼(か)の青年は道を踏み外した悪≠サのもの。
ケンポーカラテの技にて誤りを絶たねば、我が開祖にも、その盟友にも申し訳が立ちません。
……ジークンドーの名を穢す振る舞いは断じて許し難し……!」

 アルフレッドの暴走を喰い止めるのは、ケンポーカラテの継承者としての責任でもある――
やたら仰々しい言葉まで用いて熱弁を振るうビクトーであったが、これらは全て建前なのだ。
 イゴールを相手に両武術の宿命などと説きながら、
実際には彼の隣に立つエヴァンゲリスタへ聞かせていたのである。
 このように大層な建前を掲げ、あくまでも己から志願したような姿勢を示しておけば、
バロッサ家が見せしめにされたと言う印象は薄まるだろう。
 誰かが口に出したわけでもなければ、強要したわけでもないのだが、
名門ならば身を切って汚名を雪ぐべしと言う気配がバロッサ家の周りには漂っていたのである。
 犠牲を強いる声なき圧力などスカッド・フリーダムの『義』を何よりも傷付けるものであろう。
このように陰険な振る舞いは正義への冒涜に他ならないのだ。
 それ故にこそ、バロッサ家の一族は処刑人≠ニ言う汚れ仕事を引き受けたのである。
 スカッド・フリーダムの『義』を貶める気配など存在しないと、彼らが証明しなくてはならなかった。
 「宿命」の二字は、あるいはバロッサ家にこそ当て嵌まるのかも知れない。
タイガーバズーカきっての名門であれば、その土地に生きる同胞の誇りをも守らなくてはならないのだ。
 その『義』を穢す人間などタイガーバズーカの何処にもいない。
バロッサ家は自ら汚名を雪ぐ戦いに臨んだのだから――その意志を見届ける証人こそが、
戦闘隊長たるエヴァンゲリスタと言うことであった。

 尤も、どのように言い繕ったところで、自己犠牲と言う本質は変わるものではない。
 しかも、だ。裏切り者の汚名を着せられたジャーメインの前には、
実の姉であるイリュウシナが立ちはだかっている。
 血を分けた姉妹同士で潰し合うと言う悲惨な状況に陥っているのだ。
スカッド・フリーダムの『義』を裏切った報いとしても余りに過酷であろう。
 ジャーメインは決して悪≠フ道に堕ちたわけではない。
慟哭を抑え込むしかなかったグンダレンコを想い、
その無念を晴らすべく、敢えて裏切り者の名を受けたのである。
 これもまたひとつの信念であろう。ビクトーは高潔な意志を貫いた義妹に尊敬の念すら抱いていた。

(メイは――いえ、『在野の軍師』だって自らの信念に……『義』に従ったまでのことではありませんか……)

 人気のない造船所跡にてアルフレッドと対峙し、
処刑人≠ニしての責務を果たさんとしているビクトーの脳裏には、大婆様≠フ言葉が蘇っていた。
ジェロムからおノラはん≠ニ呼ばれていたバロッサ家の重鎮――ノラ・バロッサの言葉が、だ。
 それは稽古の最中に説かれた訓示である。
 古伝空手の使い手としてもタイガーバズーカ随一と名高いノラは、
自身の道場を他流の者にも開放し、訪ねてきた武術家に分け隔てなく稽古を付けていた。
 稽古と言っても技術的な手ほどきは皆無に等しく、殆どの場合に於いて直接打撃の模擬戦である。
それ故、ノラのもとには道場破りさながらの威勢で乗り込んでいく者も少なくなかった。
 タイガーバズーカが誇る古老に己の武技が通用するのか――皆、腕試しのつもりで臨むのだが、
齢七〇を優に超えても壮健なノラから「降参」の一言を引き出せる人間は数える程しかおらず、
大抵は鎧袖一触で返り討ちにされるのだ。
 血気に逸る若者の中には、並みの人間よりも小柄なノラのことを侮る向きもある。
腕力に物を言わせて攻め立てれば押し切れると勘違いし、間もなく己の不遜を恥じるわけだ。
 確かにノラは背丈だけは小さい――が、繰り出す鉄拳は岩盤すら砕くのではないかと思えるほどに重く、
相手の攻撃の一切を捌き切る身のこなしも全盛時と何ら変わらない。
 全身を筋肉で固めた大男であっても、神懸かった技巧(わざ)の前には容易く宙を舞うのだった。
 そして、この荒稽古の度に、ノラは「年寄りの昔話」と称して様々なことを語って聞かせている。
 テイケン総帥と共にタイガーバズーカ開拓にも尽力した大婆様≠フ訓話は、
若き戦士たちには人生の指針ともなり得る金言なのだ。
これを目当てにして道場に通い詰める者も少なくはなかった。

「――今のご時世、正義にもいちいち理屈が付いて回るじゃろう? 
余計な情報が少なかった分、どこでも人間≠ェ素直じゃったのか、
このババァがうら若き乙女であった時分には、『世の為、人の為』と言う謳い文句が素直に口に出せたもんじゃ。
近頃は口にせぬほうが穏便に済む場合も多かろう。吐こうとした息を止めねばならんのでな、
苦しい思いばかりが積もっていくわい。……じゃがな、どんな時代であろうとも、
己の信念を嘘を吐いてはならんぞ。それは己自身を否定するのと同じことじゃ。
己が信念を受け入れ、最後まで貫けるかは、心を磨けるか否かに懸かっておるのじゃよ」

 「これは昔を懐かしむババアの戯言じゃ。決して真に受けるでないぞ」とノラは言い添えたが、
そこで語られた『義』の在り方には誰もが強く頷いたものである。
 言わずもがな、ビクトーやシュガーレイ、生前のジェロムもその中に含まれている。
三人の孫娘は祖母の生き様を以てして、その教えを心へ刻んだに違いない。
 ノラの訓示は、まさしく義の戦士たちの導(しるべ)であった。
彼女に『義』の神髄を授かったからこそ、ジェロムも最期の瞬間までスカッド・フリーダムの誇りを貫けたのだ。
 己の信念に、そして、正義に胸を張ろう。これがなくては義の戦士など務まるまいと、
大婆様≠ヘ語っていたのだった。
 しかし、今日(こんにち)の有様はどうであろうか。
往時に授かった『義』の在り方と全く異なってはいないだろうか。
 少なくとも、現在(いま)のビクトーは誰にも胸を張ることなど出来なかった。
 彼の焦燥を煽るかのように、先程からビッグハウス全体に『高潮』を告げる警報が鳴り響いている。
 ビッグハウスの『高潮』とは、町中を流れる水路の循環が強風によって堰き止められ、
ここに満潮が重なったときに観測される現象であった。
 もう間もなく、造船所跡の一帯も流れ込んできた海水でもって満たされるだろう。
現在は潮位が異常な水準に達している状態であり、
一度(ひとたび)、この現象が発生すると町全体が水浸しになってしまうのである。
 件の警報は、己の身の裡より聞こえてくるのではないかとビクトーは錯覚していた。
海水よりも先に彼の心は迷いと憂いで満たされているのだ。

(……大婆様。『義』とは何でしょうか――)

 スカッド・フリーダムの『義』とは、将来的に脅威になり得る可能性がある人間≠
追い詰めることであったのだろうか。

「根っからのワルでもない限り、正義の心は誰にだって宿っておるのもじゃ。
街角の募金と言う小さな親切心から、己が身を捨ててでも世の為に働こうとする聖人まで、
誰でも等しく正義を持っておる。……正義とは誰かを屈服させる武器ではないぞ。
自分以外の誰かと繋がってゆける心の握手じゃ。どんなにちっぽけであっても、人からバカにされようとも、
正義を貫き通したときには、周りにたくさんの仲間が並んでおるじゃろう。
心の底から信じ合える仲間と言うものは、ワルには持てぬ正義だけの特権じゃ」

 果てしない自問自答の中で、この訓示もビクトーの脳裏に蘇った。
 彼はスカッド・フリーダムの正義のもとにアルフレッドへ攻撃を仕掛けた。
あまつさえ、「生きていてはいけない生命」とまで言い放ち、精神さえも執拗に責め立てた。
 それは執行されるべき刑を読み上げるような行為だった――が、
他ならぬビクトー自身がアルフレッドのことを罪人とは思っていない。
幾度となく考察を繰り返しても、法に背いた人間には見えなかったのである。
 確かにアルフレッドは戦場で数え切れない生命を奪ってきた。
 身の毛が弥立つような所業にも手を染めたようだが、これは合戦と言う生命の遣り取りの中で行われたこと。
アルフレッドだけに罪を問うのは公平とは言い難かった。
 抹殺指令の根拠――否、将来的に脅威になり得る可能性≠フ論拠として、
エヴァンゲリスタは復讐の狂気を掲げているのだが、
そもそも、ギルガメシュとの争乱はアルフレッドの個人的な思惑で始まったわけではないのだ。
 『在野の軍師』が連合軍と正式に合流したのは、
エンディニオンの覇権争いともなった『両帝会戦』の終結後のことである。
熱砂の合戦までアルフレッドの狂気として単純化してしまっては、参戦した諸将も立つ瀬があるまい。
 ビクトー自身、アルフレッドには恨みなど全く持ち合わせていない。
寧ろ、ギルガメシュを相手に良く戦っていると感心するくらいだ。
 エヴァンゲリスタは世界の秩序を乱す原因と言い張るものの、
百戦錬磨で知られるヴィクドの『提督』を論破し、連合軍諸将を奮い立たせた手腕には、
前途への嘱望しか持ち得なかった。
 しかも、だ。復讐の想念に歪んでいる筈のアルフレッドは、実際に相対すると沈着そのものではないか。
今のところは狂気の断片すら感じられない。
 故郷を滅ぼされたのであるから、醜い怨念も抱えてはいるだろう――が、
それもまたアルフレッド・S・ライアンと言う男の一側面≠ノ過ぎないのではなかろうか。
 つまり、ビターゼの指摘は正しいと言うことだ。
 七導虎のまとめ役は、エヴァンゲリスタが抹殺指令を口にしたとき――

「アルフレッド・S・ライアンの意思が連合軍を思うが侭に動かしていることは分かった。
それ自体は確かに警戒すべき事態だが、件の青年を葬り去れと主張する根拠には繋がらんぞ。
将来的には危険だろうと言う確率の問題で人命を奪っては、到底、『義』は成り立たん」

 ――と言った旨の反対意見を述べていた。
ビターゼもまたアルフレッド抹殺を義のない戦いと捉えていたのである。
 バロッサ家の責任と言う枷≠ウえなかったなら、
ビクトーとて何の躊躇いもなくビターゼの発言に頷き、世にも愚かな任務を拒んだことだろう。
 無論、『在野の軍師』の謀略の全てを肯定するつもりはない。憤慨を覚える部分とてないわけではなかった。
 たったひとつだけ、アルフレッドは断じて許し難いことを仕出かしている。

「キミは希望の芽を潰してしまった。確かに芽吹いた未来の可能性を……。
キミに『義』がなく、生かしておくべきではないと判断する材料は、私にとってはそれだけで十分です」

 先程もアルフレッド当人に突き付けたのだが、
エンディニオンの未来に花開いたであろう或る希望の芽≠摘み取ってしまったことは、
ビクトーとて腹に据え兼ねている。
 だが、それすらもアルフレッドと言う青年軍師の一側面≠ネのだ。
 ビターゼの言葉を借りるなら、アルフレッドを悪≠ニして討つだけの根拠には足りない。
これこそ正義の執行と胸を張ることがビクトーには出来なかった。
 この場に於いては、嘗て授かったノラの訓示もビクトーの心を締め付ける。
大婆様≠フ言葉の通りであるならば、真なる悪≠ノ大勢の味方など付くわけがなかった。
 アルフレッドが信念を分かち合う同志に恵まれていることは、皮肉ながらジャーメインが証明している。
 当人たちに確かめたわけでもないので、現時点では邪推の域を出ないのだが、
どうやらアルフレッドと義妹の間には深い交わり≠ェあるようだ。
 そのような相手を甚振(いたぶ)って、気持ちが良い筈もなかった。
 これは己自身に限ったことではない。愛妻であるイリュウシナの気持ちを慮ると、
ビクトーは何とも例え難い苦しみに苛まれるのだった。
 骨法の武技を以て実の妹を叩きのめし、抉るような痛罵で追い討ちを掛けるイリュウシナではあるものの、
心の底では誰よりもジャーメインのことを大切に思っているのだ。
 以前まで用いていた「メイ」と言う愛称ではなく、「ジャーメイン」と敢えて冷たく突き放しているが、
今なお肉親の情を持ち続けているからこそ、イリュウシナは一時的に攻撃の手を止めていたのである。
 掌打によって浸透した衝撃は、確実に脳を揺さぶっている。
その痛手(ダメージ)からジャーメインが回復するまで猶予を与えたと言うことだ。
両者動かぬ睨み合いの裏に隠された配慮は、愛情の顕れに他ならない。

「……成る程、確かにお誂え向き≠セ。俺とあんたの流派は、どうやらここで雌雄を決する運命らしい。
それもこんな愚かな形でな……」
「愚かなのは――」
「――あんたのほうだろう。自分で自分の流派を貶めたようなものじゃないか。
独り善がりな『義』を揮う道具にされたんだ。ケンポーカラテの開祖も草葉の陰で泣いてるんじゃないか」
「……キミに言われたくはありませんね」
「では、他に誰が言う? 誰がスカッド・フリーダムの『義』とやらを否定したとき、
あんたらは耳を貸すと言うんだ? ……だから、独り善がりだと言っているんだよ」
「……キミに『義』の何が分かると言うのですか。戦場にしか生きる道を持てないキミに……」
「あんたらが振り翳す『義』は、あんたらの為だけに都合良く出来ている。詭弁で誤魔化すな」

 スカッド・フリーダムの『義』を謗られたビクトーは、しかし、それ以上は何も反論出来なかった。
ただただ感情の宿らない顔をアルフレッドに向けるのみである。
 現在(いま)のビクトーには、それが精一杯であった。
 こんなことは『義』でも何でもないと心の片隅で認めてしまっている自分が虚しく、
惨めに思えてならなかった。それ故に心は死に、信念を誇ろうと言う気力も湧き起こらない。
 スカッド・フリーダムが体現すべき正義の規範などは、今や自己矛盾で歪み切っていた。




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