5.Gathering of Old Friends


 立ち並ぶ防風林の隙間から朝日を臨むのは、これで三度目である。
アルフレッドが目を醒ましてから三度目を数えると言うことだ。
その間(かん)、彼はマリスと共にボルシュグラーブの別荘に滞在している。
 一口に別荘≠ニ言っても行楽を楽しむ為の建物とは言い難い。
ギルガメシュによって接収される以前は、そうした目的で使われていたのだろうが、
ボルシュグラーブに限って言えば、任務の合間に寝泊りをするだけである。
 「武辺」の二字が誰よりも似合う朴訥な青年にとっては、風雨を凌げれば何処でも構わないわけだ。
 だからと言って、アルフレッドとマリスが滞在中に不便を感じたことは一度もなかった。
内装こそ殺風景であるものの、生活(くらし)に必要な物は一通り揃っており、快適と言うより他ない。
 充実と言うと語弊があるかも知れないが、
バブ・エルズポイントで負った怪我と疲弊を癒すには最適の環境であった。
 マリスの『リインカネーション』は敢えて使わないようにしている。
 肉体を復元せしめるトラウムなど過去に前例がなく、生命の神秘を司ると言っても過言ではない。
ボルシュグラーブを経由してギルガメシュ本隊にまで伝われば、
捕らえられて実験台にされる恐れもあったのだ。
 殆ど誇大妄想にも近いのだが、アルフレッドはギルガメシュと言う組織の理性を全く信じてはいない。
 斯く言う当人とて、気まぐれな猫≠ェボルシュグラーブの目の前で覚醒しないだろうかと、
常に悩ましかった。
 灰色の銀貨の律動によって目醒める『グラウエンヘルツ』も、
マリスの身に備わった『リインカネーション』も、地上にふたつとない特異なトラウムなのである。
 朝日が昇り切るより早く自主稽古を始めるボルシュグラーブにも付き合ったが、
この最中にも『グラウエンヘルツ』が発動することはなかった。
 アルフレッドにとっては幸運(さいわい)であった筈だ。
万が一、ヴィトゲンシュタイン粒子によって肉体を魔人≠ノ換えられてしまったなら、
あらゆる物質を消滅させる灰色のガス――『シュレディンガー』を以ってして
旧友を抹殺しなければならなかった。

(……こいつにはまだまだ踊って貰わなくてはな……)

 心中にて捏ね繰る計略はさて置き、ボルシュグラーブとの稽古自体はアルフレッドにも得るものが大きかった。
 本調子でないことを踏まえて模擬戦こそ含めなかったものの、
危険な岩場での走り込みや、潜水したまま数分に亘って呼吸を止め続ける荒稽古など、
アカデミーにて組まれていた訓練プログラムを再び体験することが出来たのだ。
 故郷へ戻った後はメカニックとして働いていたので、軍用の訓練など必要なかった。
ギルガメシュと鉄火を交えるようになってからは、
『ホウライ』を授けてくれた師匠との模擬戦を中心に鍛錬していたのである。
 幾度となく繰り返された模擬戦は、超人揃いのスカッド・フリーダムと互角に渡り合えるだけの肉体を
アルフレッドに授けてくれたが、それでも軍用の訓練≠ニは言い難い。
 捕虜となった場合に厳しい尋問――当然ながら拷問もここに含まれる――を耐え抜くと言う、
精神面に多大な影響を及ぼす特殊な訓練に至っては、
アルフレッドの相方が務まる人間など佐志にはいなかった。
 そのアルフレッドに容易く操られたボルシュグラーブが
訓練の相方として適任か否かは議論の余地があるだろうが、それはともかく。
 僅かな時間ではあったものの、アルフレッドは心身ともに引き締まったことを確かめていた。
 数秒の間に百を超える回数の腕立て伏せや腹筋運動などを行い、
足を掛けただけで折れてしまいそうなほど枝の細い木を選び、体重の移動を計算しつつ素手で一気に登り切り――
こうした訓練プログラムによって鈍っていた肉体も覚醒し、
三度目の夜明けを迎える頃には、『ワンインチクラック』の一撃で岩を砕くほどに復調したのだった。
 拳と言う一点に全身の力を集中させる『ワンインチクラック』は、
肉体の回復(もどり)具合を測るには格好の指標(サンプル)であろう。

「ワンインチパンチ――だっけ。ナマで見るのは久しぶりだけど、やっぱりスゲェなぁ。
お祖父さんがジークンドーの師範なんだよな?」
「道場を開いてたわけではないから、師範と言うのは正しくないような気もするがな」
「アカデミーで習ったサバットでもお前は負けナシだったよなぁ。
ライアン家は格闘一家なんじゃないかってウワサもあったんだぜ?」
「ジークンドーの成り立ちにはサバットの理論も組み込まれているから、
ある意味、下地があった――それだけのことだ。
それに格闘一家と言うのも見当外れた。ジジィはともかく父に格闘技のセンスは欠片もなかったよ」
「隔世遺伝ってヤツかな」
「いや、単に父は根性がなかっただけだ。そんな人間には技も何も身につかない」
「……もうちょっとオブラートに包んであげろよ」

 「何にしても上々だよ」と、ボルシュグラーブは拍手を以って旧友の本復を喜んだが、
訓練プログラムにまでアカデミーとギルガメシュの関わりを認めてしまったアルフレッドは、
流石に気分爽快とは行かない。

(……これ以上、敵≠ノ借りを作りたくはないのだが――
それを言えば、俺の武器は何もかも敵≠ゥらの借り物になってしまうか……)

 コールタンからは一刻も早く戦列に復帰するよう急かされていたが、
彼女の言いなりに動くのも癪であり、今のところは本調子に戻すことが先決である。
 心の動揺が鎮まり切らないのであれば、せめて肉体だけでも万全に整えようと言うわけだ。


 アルフレッドを、ひいてはエンディニオンを取り巻く情勢が大きく動き始めたのは、
完全な形での『ワンインチクラック』を披露した当日――即ち、彼が意識を取り戻して三日目のことである。
 ボルシュグラーブは早朝の稽古を終えると、カーキ色の軍服に着替えてバブ・エルズポイントへ赴き、
『アネクメーネの若枝』のバルムンクとして、夜半過ぎまで任務に従事する。
 プール軍による襲撃≠フ事後処理など取り捌くべきことが山積みであり、
帰路へ着く頃には精根尽き果てたような顔になってしまうのだ。
脳味噌まで筋肉で出来ているような彼にとって、デスクワークは地獄の責め苦にも等しいわけである。
 ましてや、ボルシュグラーブは本隊を欺く形で侵入者を匿っている。
平素の何倍も神経を尖らせているに違いない。

 そんなボルシュグラーブが、珍しく昼過ぎにはバブ・エルズポイントを引き上げてきた。
そして、客室(ゲストルーム)にマリスを尋ねると、
如何にも陽気な調子で「アルを呼んでくれ。同窓会をやろう、同窓会!」と指を鳴らして見せたのだ。
 何か小さな物でもギルガメシュ打倒の手掛かりを見つけるべく、
走り込みの名目で小さな孤島を散策するアルフレッドと異なり、
特に何かが出来るわけでもないマリスは、以前に彼から贈られた携帯ゲーム機で遊んでいた。
日中はそのようにして過ごしている。
 部屋中に響き渡る電子音はともかく、黙々とコントロールキーを操作していたマリスは、
扉打(ノック)もせずにいきなり入室してきたボルシュグラーブを軽く睨めつけた後、
何時にも増して舞い上がった様子の彼に小首を傾げた。

「同窓会……ですの?」
「そうやってゲームばっかりやっていても面白くもないだろ? 気が詰まってくるしさ。
マリスだってそうは思わないか?」
「いえ、そうでもございませんが……」
「まあまあ、騙されたと思って! 少し気分転換といこうじゃないか!」

 伝えたいことだけを伝えると、ボルシュグラーブは足早に客室(ゲストルーム)を出て行く。
彼は「同窓会をやろう」と口走っていた。
 一体、何をするのやらとアルフレッドに連絡を入れていると、
数分の時を置いてボルシュグラーブが客室(ゲストルーム)へと戻ってきた。
 今日の任務を終えたこともあってか、カーキ色の軍服は既に脱いでおり、
現在(いま)はノースリーブのタートルネックにカーゴパンツと言う砕けた出で立ちに替えている。
 アルフレッドを呼び出したことを確かめると、今度はマリスの手を取ってダイニングルームへと招く。
 恭しく女性に接する紳士として振る舞いたい様子だが、手を差し伸べることにさえ慣れていないらしく、
所作のひとつひとつが余りにもぎこちなかった。

(……わたくしの手を握っても良いのは、アルちゃんだけですのよ……)

 ボルシュグラーブの汗ばんだ手に微かな不快感を覚えるマリスだったが、
さりとて振り解くわけにもいかず、一刻も早いアルフレッドの到着を祈りながら
ダイニングルームまで引っ張られていくのだった。

 何時もの走り込み≠切り上げて別荘に戻ってきたアルフレッドは、
タンクトップにジーンズと言う普段着に替えてダイニングルームへ向かったのだが、
入室するや否や、眉間に深い皺を寄せた。
 正確には、そこに見つけた顔≠ノ辟易したと表すべきであろうか。

「――余を待たせるとは大した出世よな、アルフレッド・S・ライアン。
余の器から慈恵が溢れておらねば、不敬を問われて処罰されようとも何の申し開きも出来ぬぞ? 
感謝して額づき、余の名を謳って敬うが良い」
「……何故、お前が……」

 ダイニングルームには真四角のデジタルウィンドゥが展開されていたのだが、
中空を浮揚するパネルに表示されるのは高慢を絵に描いた顔=\―
『閣下』ことゼラール・カザンその人であった。
 パネルの向こうでは、例によって例の如く全身を十字架に見立てた体勢(ポーズ)を取っている。
 ゼラールは黄金の椅子の座面上に屹立しているのだが、
これが画面内に映り込んだ内装と絶妙な調和を醸し出している。
 『閣下』が背にした日輪のステンドグラスも、壁際に立てられたガラスの器の燭台も、
ゼラール・カザンと言う男が放つ灼熱の趣を表し、また室内の趣にも溶け込んでいた。
 かと思えば、全体の調和を損ね兼ねない『天上天下唯我独尊』の軍旗を掲揚してある辺りが、
如何にもゼラールらしいと言えよう。
 所在地までは判らないが、洋館の一室であることは間違いなさそうだった。
 室内にはトルーポの姿もある。『閣下』の玉座≠ニ比して幾分質素な椅子に腰掛け、
アルフレッドとマリスを指差しては、「ハネムーンにしては味気ないトコに行ったんだな」と笑っている。
 モバイル宛に電話を掛けてきたマリスは「同窓会が始まるそうです」と意味不明なことを喋っていたが、
これでは本当に学友同士の集まりではないか。
 ここに至る経緯を問うべくマリスに目を転じると、既に彼女は疲れ切った様子で項垂れていた。

(……こいつはろくでもないときにばかり顔を出してくれる……!)

 ゼラールもトルーポも、アルフレッドが史上最大の作戦を立案した張本人だと知っている。
 あくまでも名目上ではあるが、ゼラール軍団はテムグ・テングリ群狼領の間諜(スパイ)として
ギルガメシュへ送り込まれたことになっている。それもエルンストの信任を得て、だ。
 ゼラール自身はギルガメシュの主義主張を完全に支持しているわけではなく、
嘗ての『御屋形様』に対しても最大限の敬意を払っている為、
よもや、連合軍を不利に追い込むような発言をするとは思えないが、
人間界の常識では推し量れないこの男のこと、何を仕出かすか、分かったものではないのだ。
 もしも、失言の気配が見えたときには身体を張ってでも止めてくれるだろうと、
『閣下』の傍らに控えるトルーポへ期待するしかなかった。

「……ボルシュ、これはどう言うことだ? 同窓会? 今朝の今朝までそんな話はなかっただろう」
「一種のサプライズってヤツさ。面白かったろう?」
「どこがどう面白いのか、俺には分からないのだが……」
「相変わらず頭が固ェなぁ。こっちは緊急会議だって言われて、タレントでもねぇのに生中継始めたんだぜ? 
ドッキリってモンは、引っ掛かったら赤っ恥までエンジョイしねぇと損しちまうよ」
「……いいか、ボルシュ? 世の中にはサプライズパーティーを楽しめる人間と、そうでない人間がいる。
調子を狂わされて喜んでいられるほど、俺の頭はスカスカではない」
「コラコラ、ダチを捕まえてなんてバカ呼ばわりすんなよ〜。
こっちはルナゲイトだけど、全部スピーカーから筒抜けなんだぜ」
「聞こえるように言ったに決まってるだろ、トルーポ」

 遠方のゼラールやトルーポはデジタルウィンドゥによる中継と言う形ではあるものの、
アカデミー時代の同窓会を調えたボルシュグラーブは、見るからに浮かれ切っている。
 入隊したてのゼラールやトルーポにとって、『アネクネーメの若枝』の一角たるボルシュグラーブは、
本来ならば声を掛けることさえ許されないほど高位の上官である。
 それに、アルフレッドとマリスの両名は、分不相応の厚遇はともかく捕虜と言う点は変えようもあるまい。
 ところが、だ。世に並ぶ者がいないくらい人の好いボルシュグラーブは、
一切の立場(しがらみ)を取り払ってしまおうと考えている。
 四人の関係をアカデミー時代に戻した上で、同窓会を開こうと手筈を整えた次第であった。
 自分に関わりの深い旧友たちが集まったことで、最高に気分が盛り上がっているのだろう。
呆れたように口を開け広げているアルフレッドの前を通り過ぎ、軽やかな足取りでキッチンに下がると、
一、二分を数えた後、何やら木製の盆を手にして戻ってきた。
 両手で掴んでいる盆の上には、三人分のカップと、ほのかな芳しさを発しているポットが乗っていた。

「良い茶葉が手に入ったんだけど、ひとりで楽しんだって味気なくてね。
折角、アカデミーの仲間たちが揃ったんだから、美味しい茶を楽しみつつ、同窓会とでも洒落こもうじゃないか」

 戦闘時では力強さを存分に見せ付けるボルシュグラーブには似つかわしくないのかもしれないが、
意外にも彼は風流を好む性格であった。
 彼の趣向を知っていたアルフレッドと、興味すら抱いていなかったマリスは、
それぞれ正反対の反応を見せている。前者は「何時もの薀蓄は要らないぞ」と釘を刺し、
後者は意外そうに目を丸くしていた。

「それってこっちにも送り付けて来たヤツか? 上官サマが寄越した物資だから、
てっきり最新兵器のサンプルか何かかと思ってワクワクしたのによ」
「もっと良いものだったろう? 武器なんかよりもずっと心が豊かになる。
折角だからお前たちも淹れて来いよ。同じ香りを楽しめば、物理的な距離だってなくなっちまうさ」
「あー、悪いな。ありゃもう女子部に回しちまったぜ。男子部にはお上品過ぎてよォ」
「何でだよ! ゼラール宛だって名指しで送っただろう!?」
「妙なサプライズにこだわらねぇで、事前に同窓会の仕込みって報せといて貰えたら、
こっちだって貰って困るお歳暮みたいなコトはしなかったさ。
……ま、こっちはこっちで好きにやるから気にすんな!」
「阿呆どもめ。童(わっぱ)でもあるまいに、茶など飲みながら宴など出来るものか――葡萄酒を持て」
「上官としちゃあ、昼間っからの飲酒は注意しなくちゃならないんだが、
今日のところは見逃すことにするよ。オレも同罪さ、同罪!」
「こやつめ、笑っておるわ。されど、分からぬでもない。
連座のような形でもなくば、そちの如き者が余と肩を並べることもなかろうて」
「はいはい、お前の演説も後でゆっくり聞くからよ。ちょっと待ってなって――」

 ゼラールやトルーポの言葉からも、今日の同窓会が入念な下準備を経て成立したものであることが察せられた。
 笑顔を携えながら、十分に暖められた磁器のカップに茶を注いだボルシュグラーブは、
立ち上る湯気を胸一杯に吸い込むと、満足そうに首を頷かせた。

「――よし、上手く香りが出たな。さあアル、マリス、存分に味わってくれ。
そっちのふたりは適当なところで乾杯でもしてなよ」
「フェハハハ――小癪なことを抜かすわ、こやつ。されど、此度の働きは誠に健気であった故な、
それに免じて特別に赦してくれよう」

 ソーサーに乗ったカップをアルフレッドとマリスに手渡したボルシュグラーブは、
デジタルウィンドゥから聞こえてくる高飛車な声に相槌を打ちながら、茶を一口啜った。
 ボルシュグラーブが一服持っているなどとは万が一にもなかろうが、
それでも警戒心が拭いきれなかったアルフレッドは、
彼が満足そうな表情を湛え、またその身に何の異変も起こらないことを確認してからカップに口をつけた。

「どうだ、美味いだろう? こっち≠ナ初めて手に入れた茶葉なんだが、
香りが良いし、味も申し分ない。まったりと口に広がる感じが堪らないよ」
「確かに美味しいですが、この場合は『まったり』という表現は少々――
そうですね、敢えて言うならば、この言葉はコクのある薄い油膜がさっと広がりながら
味蕾を撫でていくような時に使うべきかと思います。
いえ、決して間違った言い方だと申しているわけではありませんが……」
「じゃ、じゃあ、清冽な風味がそよ風のように口内を駆け抜けていくような感覚……という感じかな。
うーむ、イマイチだな……オレの語彙の少なさは勘弁してくれよ〜」

 旨い茶の上手い表現方法に悩み、ボルシュグラーブは手を頭に当てて思い切り首を傾げた。
 一方、マリス当人は単なる世間話のつもりであったので、真剣に考え込まれて逆に困惑している。
茶の風味を論じ合うような高尚な趣味など、ボルシュグラーブには求めていないのだ。
 そんなふたりを横目で見た後、アルフレッドはカップの中の茶へと視線を落とした。

「口当たりも良いし、鼻へと抜けていく爽やかな香りも心地良い。
だが、俺は発酵させて紅茶にした方が好きだな」
「確かに香りとコクが深くなる紅茶も捨て難いな。
これは私見だけど、紅茶は甘い物と一緒にとるべきだと思っているから、茶単体だったら緑茶かなって。
……ああ、そういえばアルは甘党だったな。アカデミーにあったカフェでも、
紅茶とケーキのセットをよく注文していたっけ」
「そうだな、糖分の摂取は何よりも頭脳労働のエネルギーになるし、それに甘い物は心が安らぐ」
「味覚も性格も変わっていないな、アルは」
「何じゃ? 偉そうに上等な茶と謳っておきながら、それに合う甘味のひとつも用意しておかぬのか? 
フェハハハ――『画竜点睛を欠く』とはこのことぞ。そちの程度に見合った不手際じゃな」
「……くっそぅ、離れたところにいるから余計にツッコミが腹立つぜ……! 
オレだってお茶請けも出したかったところだけど、急な同窓会だったから準備が出来ていなくて。
そこら辺は勘弁して欲しいんだよなぁ〜」
「サプライズにこだわったのはお前だろ。それでシクッてたら世話ねェよ」
「トルーポ〜! お前もか〜!」

 男性陣の中にただひとり混ざっていることもあって、些かマリスは気圧されてしまっているが、
ボルシュグラーブたちはアカデミーで過ごした頃の感覚にすっかり戻っていた。
 腹中にて計略を捏ね繰り続けるアルフレッドとて、
懐かしい雰囲気そのものを撥ね付けるつもりはなさそうである。
 俗にノスタルジーとも呼ばれる甘やかで緩やかな空気が、五人の間に流れていた。
 それから先もアカデミー時代の想い出話を交えつつ同窓会は続いた。
 和やかなムードで進んでいった――その筈であったのだが、
会話の内容が難民問題に抵触した途端、五人の間の空気が緊迫感を帯び始める。

「――アカデミーの頃から大言壮語の多い男だったが、どうやら本当に時の人≠ノなったらしいな。
ワーズワース難民キャンプの件は俺も聞いているぞ、ゼラール。
……あまり言いたくないのだが、あの一件に関してはお前を心から認めたいと思う。
大したものだよ、本当に……」

 果たして、同窓会と言う砕けた場に難民問題を持ち込んだのは、
無粋にかけては右に出る者がいないアルフレッドその人であった。
 惨劇の舞台となったワーズワース難民キャンプをゼラールが大火炎にて――
己のトラウム、『エンパイア・オブ・ヒートヘイズ』にて弔ったことはアルフレッドも既に知っている。
 難民救済を掲げておきながら保護の対象を虐げ、あまつさえ皆殺しにすると言う大事件は
組織の汚点としてギルガメシュ側も認めており、ワーズワース難民キャンプへ駐屯していた将兵を
ひとり残らず処刑することで事態の収束を試みていた。
 当事者の処刑は全世界に広く報道されたのだ――が、その動きに前後して、
『ベテルギウス・ドットコム』と言うネットニュースがゼラールへ独占取材を行ったのである。
 駐屯軍と入れ替わる形で件の難民キャンプへ事後調査に入ったゼラール軍団と、
痛ましい焼け跡を目の当たりにした『閣下』の決断に注目し、
彼らが果たした役割と、ギルガメシュが語る難民保護の実態を解明するのが
『ベテルギウス・ドットコム』の目的(ねらい)であった。
 そして、ゼラールは『ベテルギウス・ドットコム』のホームページを通じ、
エンディニオン全土にその名を轟かせた次第である。
 『パンタナール・データバンク』と言う民間企業が弾き出した結果によれば、
ギルガメシュの支持率はワーズワース難民キャンプに於ける失敗によって急落した――が、
ゼラールの独占取材がネットニュースに流れるや否や、回復傾向に転じたのだ。
 支持率を算出した『パンタナール・データバンク』はAのエンディニオンの企業であり、
同じ世界≠フ人間――無論、Bのエンディニオンに転送されてきた者に限定されるが――を
対象にして調査を行っている。
 即ち、ゼラールの決断が異世界の人間にも高く評価されていることを示している。

「――ほう? 幼児並みのエゴに凝り固まっておった貴様も、ようやく余の前に傅く気になったか。
阿呆のように抵抗ばかりしておったが、貴様の如き非才では余の偉大さを理解するまで
時間を要するのも必然よな」
「そうやってすぐ図に乗るから褒めたくなかったんだよ。
……ともかく、お前の決断は見事だった――俺は素直にそう思う」
「たかがあれしきのこと、ゼラール・カザンと言う存在の奇跡と比ぶれば大したものでもなかろう。
腰の重い上層部(うえ)を待っておっては何時までも片付かぬと思ったまでよ。
そもそもエンディニオンの民なれば、それは余の下僕も同然。下僕の弔いも覇王が務めの内ぞ」

 同窓会に仕事の話を持ち込むのは如何なものかと顔を顰めるトルーポだったが、
『閣下』が応じてしまったからには、「無粋」の一言で切り捨てるわけにもいかない。
 満面に愛想笑いを貼り付けたまま、琥珀色のストレートウィスキーを煽るのみであった。

「幹部がやるべきことを新参者が代行したとも言えるわけだな。
……ボルシュ。例の難民キャンプのことだけは、俺も旧友だからと言って擁護は出来ないな」
「……分かってるさ、アル。あれはオレたちの落ち度だ。言い逃れは出来ない」
「他の幹部もお前のように道理が分かる人間であれば良いのだがな。
……グリーニャを焼き払った連中は、とても道理が通じる相手とは思えなかったが……」
「それにしても、アルは随分とワーズワースの件に関心があるんだな。ちょっと意外だよ」
「……ボスとディアナもそうだが、俺は違うエンディニオン≠ノ友人が多いんだ。
ふたつのエンディニオンを結び付けようと努力している人間も知っている。
そんなときにあのニュースを見せられたら、誰だって心穏やかではいられない」
「……アルの言うことは尤もだよ、うん……」

 自分たちもワーズワース難民キャンプへ立ち入り、
間接的ながら暴動へ関与してしまったと言う事実は伏せつつ、
アルフレッドは静かにボルシュグラーブを追い詰めていく。
 口舌は欺瞞に満ちているが、心の内にて燃え滾る憤怒は決して偽物ではない。
ワーズワース難民キャンプの現状を双眸で確かめ、そこで暮さざるを得なかった人々とも交わったのだ。
当事者を処罰したところで許されるものではないと、アルフレッドは強く思い続けている。

「肝心要の難民保護でさえ、人質の出した草案に頼らねばならぬほど御粗末じゃ。
ディアスポラ・プログラムだけでなくギルガメシュの運営もあの人質≠ノ一任してはどうかのォ」
「ゼ、ゼラール! それはさすがに漏らしちゃマズいぞッ!」
「――だそうです、閣下。これでまたギルガメシュは大間抜けだってアルやヘイフリックにバレましたね」
「立場に関係なく優れた献策は平等に聞き入れる――とでも胸を張れば良かったと申すか? 
言い回しを弄んだところでギルガメシュの間抜けは隠せぬぞ。
第一、ボルシュグラーブ・ナイガードに斯様な知恵は働かぬ。
小細工、小器用などあやつと言う男からは最も遠いところにあるのじゃ」
「くぅ……事実だから反論のしようもない」

 難民支援計画――ディアスポラ・プログラムをゼラールから持ち出されたボルシュグラーブは、
流石に困ったような表情(かお)を浮かべた。
 裏情報と言うことになるが、アルフレッドとマリスもディアスポラ・プログラムの存在自体は知っていた。
 冒険王マイクの長年の仲間であり、彼の拠点である貿易の都『ビッグハウス』に於いて
外交を担当する人間が提唱した難民支援計画であると伝え聞いている。
 件の外交官はサミット襲撃事件の折にギルガメシュに拘束されていた。
つまり、不倶戴天の敵である筈の組織に向けて、獄中から難民支援の方策を訴えていたわけだ。
 現在の進捗状況までは掴み兼ねていたが、ギルガメシュ側が具体的な難民支援の計画を
提示しないと言うことは、ディアスポラ・プログラムそのものが立ち消えになった可能性もある。
仮に却下されていなくとも、凍結に近い状態であるのかも知れない。

「――つまり、ギルガメシュは難民――いや、この世界に飛ばされたと言う同胞に関しては、
具体的な手段を何も講じていないと言うことか? 人質の草案に頼ると言うのは聞き捨てならないな」

 現在(いま)もディアスポラ・プログラムは進行しているのか、これを確かめる意図も含めて、
アルフレッドはギルガメシュの難民支援計画をボルシュグラーブに質していった。

「無為無策でいるわけじゃないんだけどな……アルの言う通りでもいいだろう。正直、有効打がないんだ」
「当面の、いや、最大の課題はそれなんだろう? それなのに未だに結論が出ていないとは驚いたよ。
それではグリーニャも犬死、無駄死にと言うわけだな」
「アルちゃん……」

 同窓会と言う和やかな場には似つかわしくないくらい語調の荒くなってきたアルフレッドを、
マリスが背を摩って諌める。
 旧友が迸らせる憤激の念を受け止めたボルシュグラーブは、
カップに残っていた茶を呷った後、「言い訳はしない」と改めて繰り返した。

「身内の問題を曝け出すのは気が引けるけど、オレたちは軍事のスペシャリストは何人もいるが、
政治の専門家って言うのがいないんだよなあ。そう言うのが不得手というか興味が薄いというか、
そう言う人たちばかりだから、なかなか上手い具合に煮詰まっていかないんだよなあ……」
「うつけめ。己が救いようのない阿呆と敵≠フ前で暴露しておるようなものではないか。
目に余るようであれば、今すぐに造反してくれるから、そのつもりでおれよ」
「気を付けたほうがいいぜ、ボルシュ。閣下が本気になられたら、ブクブ・カキシュは半日で陥落だぜ」
「ふたりしてシャレにならないことを言うなよ……」

 ボルシュグラーブの脳裏にはギルガメシュの高官が何人も浮かんでは消えていった。
 彼自身は勿論のこと、グラム、アサイミーといった人間はガチガチの軍人だ。
それも戦略レベルというよりは戦術レベルで動くべき人材である。
政治と言うような細かい仕事は性格的にも体質的にも不得手なのだ。
 知恵者と言えば軍師たるアゾットだが、どうにも彼は掴み辛い。
決して政略に関して才能がないわけではないだろうが、
本気でそれに当たっていると思い当たるような節がないのだ。
 本職と言える軍略とて――それが結果的に大成功を収めているとはいえ――、
敢えてギルガメシュの軍勢を不利に陥れるような困った面を持っている。
 将兵の弛緩を防ぐ為の措置とは雖も、味方に損害を出すことを前提とするような作戦の立案には、
ボルシュグラーブは以前から疑念を抱いていた。
 フラガラッハに至っては問題外だ。戦闘狂と言えるような男に政治など間違っても任せられない。
 コールタンは前述の面々とはまた異なった毛色である。弁が立つので特使を務めることもあるのだが、
基本的には技術屋であり、立法、司法、行政の類は専門外であろう思える。
 『唯一世界宣誓』と言う大義の頂点に座すカレドヴールフは、
組織を率いるときには、その絶大なカリスマ性を以ってして行なっている。
 だが、今度の対象はギルガメシュという一組織ではなく遥か大きいモノだ。
カリスマ性に頼るのみで、どこまで上手くやっていけるのだろうか。
 それに、ボルシュグラーブには首魁について気がかりなことがあった。
 現在(いま)の首魁は政治には余り関心がないように見えるのだ。
それどころか、常に落ち着きを欠いているように思える。

(……ティソーン副指令にバレなきゃいいけどな。今の姿を見たら大目玉じゃ済まないかも……)

 そのように冷静さを欠き始めたのは、グリーニャを攻めて以来のことだった。
政治問題に関わっている余裕など持ち得ないのかも知れない。
 とにかく、だ。戦略上の障碍となっていた反対勢力を、思いの外、簡単に屈服させる事が出来たのに、
そこから先が少しも捗らない。
 反対勢力を一掃してしまうほどにギルガメシュは戦闘行為には長けていたのだが、
それ以外は怪しいものがあった。
 ゼラールから批難されたように、難民の保護を大義名分としながらも支援計画そのものは
制圧の対象たるBのエンディニオンの人間が発した意見に頼りきりである。
 ギルガメシュの独力では難民を護っていく為の統治体制すら整えられなかった。
 ボルシュグラーブ自身も大義を果たし切れないことへ忸怩たる思いを抱いている。
例え外部(そと)の人間が立てたものであっても、迅速な難民支援を実現し得るのであれば、
ディアスポラ・プログラムを運営すれば良いと考えていた。
 それを柔軟な思考と言うべきか、無責任であり甘い見通しと批難すべきかはさて置き、
己が属する組織の弱点は、「言い訳はしない」と素直に認めている。

「お前の意見はどうなんだ、ボルシュ」

 そのとき、アルフレッドの鋭い声がボルシュグラーブの鼓膜を打った。
 それは、裁判官が被告を相手に答弁を求めるような一声であった。

「――へッ、意見? ……あ、ああ、統治問題をどうしていくかってコトか」
「いや、俺が言いたかったのは難民の――いや、それはひとまず置いておこう。
ギルガメシュが統治の方針をどう考えているのか、それは一市民としても関心がある。
死活問題と言っても差し支えがないくらいだ」
「自分で名乗るのは何だか烏滸(おこ)がましい気もするけど、
オレは融和派に属している――という事になるかな」
「……それは力ずくでわたくしたちを征服する気はない――と言うことですの?」

 恐る恐ると言った調子で紡がれたマリスの問い掛けに対して、
ボルシュグラーブは「勿論だ。敵味方関係なく犠牲は最小限に留めたい」と力強く肯いて見せた。

「それをお聞きして、少し安堵しましたわ。あの頃はそれほど親しくはありませんでしたが、
同窓生に変わりはありませんもの。そのような御方と干戈を交えるなど、考えただけで悲しくなります」
「……えーっと、オレはそれなりに親しくしていたつもりなんだけど……」
「ボルシュらしいな。大方、そんなところだろうとは思っていたが――」
「そ、そんなところってどんなところッ!? オ、オレはマリスのことを大事な友達と思ってるって話であって、
べ、別にお前たちの間に割って入ろうってつもりなんかッ!」
「――何の話をしているんだ。深呼吸をしろ。少し落ち着け」
「あ、ああ、すまねぇ……」
「話を戻すが――それでお前は良いのか? 自分で言うのもおかしな話だが、
こちら側≠フ人間は反乱分子が多い。表に出ている動きと潜在的なものを両方含めてな」
「……うん、それは憂慮すべきことだと思ってる」
「解っているなら、尚更、不思議だ。強硬に斬り従えるようなことをしないのは、
何か理由があるんじゃないのか? 兵力の不足などとは別に……」

 今までにギルガメシュが行ってきた数々の蛮行と、
Bのエンディニオン本来の住民と融和することを志すボルシュグラーブの意見は
矛盾と言うほどに掛け離れており、この相違がアルフレッドにとっては奇妙なものにも思えた。
 ボルシュグラーブは空のカップに茶をもう一度注ぎ、一口付けて自分を落ち着かせながら
答えるべき言葉を探していった。

「理由? 問題ならば呆れるほど多いがの」

 暫しの逡巡の間にはゼラールから皮肉も飛ばされる。

「うーん……敢えて言うならば、この茶があるから、かな」
「……茶? これが? 良く分からないが……つまり、どう言うことなんだ?」

 予想外の回答にアルフレッドは面食らってしまった。
 Bのエンディニオンの茶とボルシュグラーブの推す融和の間に、
どのような関係にあるのだろうかと不思議に思っていると――

「こんな美味い茶葉を作ることが出来るんだ。
これだけの物を栽培するのにどれほどの手間暇をかけているのか、
どれだけ心を砕いているのか、オレには良く分かっているつもりだ。
それに茶だけじゃない。この世界の全ての人々を見てきたわけではないが、
少なくとも、オレの見た限りでは自然を育み、それと共生している心穏やかな人たちばかりだった。
そんな心豊かな人々を力ずくで押さえ込もうなんて、オレには到底思えない……!」

 ――ますます理解に苦しむような言葉を重ねられ、アルフレッドは呆気に取られて固まってしまった。

「確かにこっち≠ノは自然崇拝に基づく信仰はあるが……しかし、そう言うものなのか?」
「そう言うものなんだよ。先住する人たちが難民を手酷く扱うと言っている人間も組織の一部には居る――
けど、オレはそんなことは信じない」
「信じる必要もなかろう。難民を手酷く扱っておるのは外でもないギルガメシュじゃ」

 またしてもワーズワース難民キャンプの一件を皮肉られたボルシュグラーブは、
今度も「言い訳はしない」と静かに頷いた。
 彼の面には当てこすりに対する憤激や、後ろめたさは少しも見られない。
果たすべき責任を心得た堂々たる態度でもって、批難の声と相対している。
 旧友の決意を認めたのであろう。一先ず皮肉めいた言葉を区切ったゼラールは、
悦楽に歪んだ面持ちで葡萄酒のグラスを呷った。

「……だから、融和――か。ふたつのエンディニオンの人々の……」
「今は問題がある。誤解だって多い筈だ。それでも必ず手を取り合えると思っているんだよ。
心の在り方って言うか、物の感じ方だって大して変わらない。」

 Bのエンディニオン産の茶を通じ、その世界の人々が心優しい善良な存在であると信じるボルシュグラーブは、
己の思いの丈をアルフレッドに伝えた。マリスにも、ゼラールにも、トルーポにも――だ。
 理由となっているその茶は、話の合間にも彼の口に入り、再びカップの中は空になっていた。
 ボルシュグラーブの彼の熱意は、勿論、アルフレッドにも伝わった。
 それはダイナソーやアイルの奮闘にも、自分たちの想いにも通じるものだ――が、
それでも気持ちの落とし所が見つけられず、それ故にもうひとつの疑問をボルシュグラーブへぶつけた。

「お前の思いは評価したいが、しかし、融和政策と一口に言っても何をする? 
具体的な対策がないのなら、お前の理想はただの空想(えそらごと)になる。
まさか、『手を取り合って平和を唱えましょう』なんて言葉で解決するなんて考えていないだろう? 
そんな事は有り得ないが、そうだとしたら俺は笑うぞ」
「そうなんだよ、アルと同じようなことを会議でも言われたんだよなあ。
理想はあってもそれを達成するべき手段が思いつかない。分かってはいるんだがなァ……」

 一度、溜め息を吐き、目線を下に落としながらボルシュグラーブは疑問に答えた。
 両手を組み、それを小刻みに揺らす姿からは、焦りやもどかしさのようなものを感じ取れる。

「頼むぜ、ボルシュ。上層部(うえ)がしっかりして貰わねぇと、こっちも上手いこと動きが取れねぇよ。
同窓会で愚痴ってるようじゃ会議で融和政策を提案しても説得し切れねぇだろう? 
何をどうするべきか、そこんところをハッキリしてくれたら、俺たちゃ幾らでも手ェ貸すからよ」
「それは聞き捨てならんぞ、トルーポ。そちは余の軍団を己の好きなように動かそうと申すのか? 
さても危ういことよな。今の言をピナフォアやラドクリフが聞けば、さてどうするであろうの?」
「おや、思い違いでしたかな? 俺は閣下の御慈恵を代弁したつもりでしたが」
「フェハハハ――小賢しい真似をするものじゃな。よかろう、我が腹心の一芸に応えるとしよう。
余は下僕のひとりとて見捨てはせぬぞ? 感謝して敬うが良い」
「……ゼラール、トルーポ……」

 デジタルウィンドゥの向こうから旧友に励まされたボルシュグラーブは、
自分の為すべきことを整理するように思考回路へ再び力を注いだ。

「強硬派がどう出るのかもオレには心配なんだけど、あっちも決め手に欠けていてさ。
ギルガメシュの方針は最終決定にまでは至らないんだ。
会議の行方がどうなるのかさっぱり分からない――と言うよりは暗礁に乗り上げたようなもんだよ」

 一先ずボルシュグラーブは己の置かれた状況を振り返っていく。
ひとつひとつの情報を組み直すことで、新たな発想を迎えられるのではないかと期待しているわけだ。
 そして、そこに隙が生じる。旧友に囲まれて気持ちが大らかになり、警戒心まで緩んでしまったのだろう。
ギルガメシュの機密を次々と漏らしていることさえ、今は自覚していないようである。
 ゼラールとトルーポも、この場に於いてはテムグ・テングリ群狼領の間諜(スパイ)としての役割を
果たすつもりでいるらしく、上官の機密漏洩を止めようとはしなかった。
 アルフレッドを一瞥したトルーポなどは、口元に自嘲混じりの薄笑いを浮かべたほどだ。

(……ありがたい話だ。いっそこのまま分裂してくれれば願ったり叶ったりだが、
それはさすがに贅沢と言うものかな……)

 頓挫としか例えようのないギルガメシュ上層部の有り様を聞いたアルフレッドは、
少し≠ホかりその話に興味を示しているよう表面を装いながら、腹の底ではこの混乱を大いに歓迎した。

「埒の開かないコトを考えていても仕方ない――か。この辺で、ちょっと話題を変えようか」
「結論を見ない内から切り替えるのは感心しないぞ」
「まぁまぁ、オレもアルやマリスに聞きたいことがあるんだって。
まだお開きって時間でもないし、寄り道するくらいで丁度良いと思うぜ?」

 内心ではギルガメシュ内部の紛糾を喜んではいたが、
勿論、その事をおくびにも出すわけにはいかないアルフレッドは、
ボルシュグラーブから見れば、何かをしきりに考えているようであった。
 そこから考えて、ボルシュグラーブはアルフレッドが口を出し易い内容にしようと、
先程までとは異なる話題を振った次第だ。

「……俺に聞きたいこと? まだ何かあるのか? 
話しておかなくてはならないことはもう済んだつもりなのだが……」

 ボルシュグラーブの性格上、他者に対する猜疑心に囚われることはなかろう。
ましてや、旧友を疑うことなど有り得ないのだ。
 アルフレッドはテムグ・テングリ群狼領、ひいては反ギルガメシュ連合軍とは無関係――
一度、その事実を確認したならば、再び同じ疑義を持ち出すとは考えられなかった。
 そのことも踏まえて、話せる範囲の事柄は全てボルシュグラーブに伝えたつもりである。
 この上、更に訊ねたいことがあるとすれば、ニルヴァーナ・スクリプトの転送事故を引き起こした張本人、
『贄喰(にえじき)』のヌバタマの件かも知れない。
 尤も、これに関してはアルフレッドにも答えようがなかった。
フツノミタマの命を狙っていると言う報告は受けていたが、その理由も定かではないのだ。
 委細を調べる前に襲撃を受け、あのような事態に陥ったわけである。

「実は――バブ・エルズポイントからこっち、ずっと不思議に思っていたんだ。
……アルもマリスも、どうして異世界≠ノ付いているんだ? 
少人数で攻めるなんて、余程の覚悟が必要だろうに。そこまで義理立てする必要があるのか?」
「――は? ……どういう意味だ、ボルシュ?」
「あの、ボルシュグラーブさんは何を仰って……」

 ボルシュグラーブの発言の真意を量り兼ねて、アルフレッドとマリスは同時に聞き返す。
 それは、アルフレッドにとって全く想定外の質問であった。
 茶と人の心を結び付けると言う先程の発言以上に、彼には理解し難い言葉であった。
無論、マリスにしても同様である。それ故、ふたりして唖然としてしまったわけだ。

「どういう意味も何も、ふたりとも元々そっち≠ェ異世界と呼んでいる方の、
……ええっと、何だかややこしいな……つまり、オレたちの同胞≠カゃないか。
ギルガメシュに協力して然るべき――とまでは言わないけれど、
そっち≠フ世界に手を貸す理由があるとは思えないんだけど……」
「……あの、ボルシュグラーブさんは何か誤解をなさっているのではありませんか? 
わたくしたちは、ずっとこちら≠フエンディニオンで生きておりましたわ」
「マリスの言う通りだ。……ボルシュ、お前、何を言っているんだ?」
「ま、待ってくれ! そう……なのかッ!?」
「嘘を言ったって仕方ないだろう。お前はそのように言うが、オレからしたら正反対だ。
お前のほうこそ、どうして異世界の組織に与している? そのことのほうがよっぽど不可解だ」

 ボルシュグラーブと言葉を交わす内に、
アルフレッドの心中には例えようのない不快感が垂れ込め始めていた。
 思考に――否、脳の機能全体が靄で呑み込まれていくような感覚であり、
思わず心の働きまで遮断されるのではないかと錯覚してしまう。
 そこには怖気すら伴っていた。

「ど、どうにも話が分からない! 異世界(こっち)に飛んだのはお前のほうじゃないのか!?」
「なッ――」

 両者は互いの言っていることがまるで理解出来ない。
 双方の間で認識にズレ≠ェ生じていることだけは間違いないようだが、
それが明確化されたところで、根本的な問題が解決されるとも思えなかった。
 そもそも、問題やズレとされている部分が何≠ネのか、誰も掴めていない。
この場に在る全員で出口のない迷路に入り込んだしまったようなものであった。

「……あの、アルちゃん」
「少し黙っていろ、マリス。……三分で構わないから考える時間をくれ」
「は、はい……」

 ボルシュグラーブからして見たら、アルフレッドはBのエンディニオンの人間と共闘している。
 だが一方、アルフレッドから見たら、どう言った因果関係でボルシュグラーブが
Aのエンディニオンの――つまり、別の世界の人間と共に在り、
尚且つ、ギルガメシュと所属しているのか、理解できない。
 『唯一世界宣誓』を名乗るギルガメシュは異世界の組織である筈なのだ。
 しかも、だ。実の母であるフランチェスカ・アップルシードは、
カレドヴールフなるコードネームを名乗り、首魁として異世界の組織を率いている。
 彼女は自分が生まれ育った世界を侵略していることになるわけだ。

(……確かにそうだ……いや、何故、今までそこに考えが至らなかったのか……)

 ボルシュグラーブの言葉を受けて、アルフレッドの思考は焦げ付きそうになっている。
 Bのエンディニオンの人間と、Aのエンディニオンのギルガメシュ――双方の結び付きは、
どう考えても分からない。明答(こたえ)どころか、取っ掛かりすら見つけられなかった。

「ゼラール、トルーポ、お前たちは……」

 ボルシュグラーブは混乱に塗り潰された面をデジタルウィンドゥへと向けた。

「異なるエンディニオンから飛ばされたところをエルンストに拾われた――とでも思ったのか? 
見くびるでないわ。余は余の意志のみで動くものぞ。如何なる事象も余の意を操ることなど出来ぬ」
「閣下が仰りたいのは、俺たちもアルと同じ境遇ってコトだ。
ずーっとこっち≠フ世界に居たんだぜ。俺のカミさんだってこっち≠フ人間さ」

 流石は肝の据わった傑物と言うべきか、パネルに映し出されたふたりは、
この意味不明な事態に接しても全く狼狽していない。
 さりながら、事態を明確に解き明かすだけの明答(こたえ)は持ち合わせていないようだ。

「な、何が何なのか……」

 何故、このような事態になっているのか、世界≠フ捉え方までねじれてしまったのか。
この疑問を解決する手掛かりさえ今は誰にも掴めない。
 アルフレッドに至っては頭の中では論理の組み立てもままならず、ひたすらに黙ったままである。

「ここ一年ばかり摩訶不思議な事態が立て続けに起きていたが、これは極めつけだな。
どうにもこうにも説明がつかない」
「ついに貴様の底も見えたな、アルフレッド・S・ライアン。
己の無知を嘆き、額を地に着けて悔やむがよい。余はその頭に葡萄酒を掛けてくれよう」
「お前だって同じだろ、ゼラール。……ボルシュの中で俺が――いや、俺やマリスや、ゼラールとトルーポも、
一体、どう言う扱いだったのか、そこから話していくべきなのかもしれないな……」

 アルフレッドの口から溜め息が滑り落ちた。とても長い溜め息だった。

「扱いって、オレたちはアカデミーで一緒に机を並べた仲で――」
「いや、そういう事じゃなくてだな。話を合わせようとしていくと――
俺たちの間ではアカデミーを去ってから認識の違いが生じている。
つまり、アカデミーから先のことを尋ねているんだ」
「あ、ああ、成る程……そういうことか。……こっち≠フエンディニオンだとさ、
お前たちはもう何年も前から行方不明扱いになっていたんだ。
詳しいことは伝聞だから良く分からないけど、ある日、忽然と姿を消したことになってる。
それってつまり――」
「――つまり俺たちも神隠し≠ニ同じ扱いと言うわけか?」

 ボルシュグラーブの失踪という言葉から、
アルフレッドはニコラスたちが口に出していた神隠し≠ニ言う単語を思い出し、それを尋ね返した。

「うーん、……教皇庁の連中と同じ言い方をするなら、そうなるのかもなあ。
でも、その単語(ことば)が一般的に認知されるより前から、お前たちは失踪者として扱われていたんだ」
「……そんなことになっていたのか。具体的にはいつ頃から、だ? いつから俺たちはそんな……」
「ここに居るのに居なくなった――っていうのも変な感じだけどな。
それはとにかく、記憶が確かなら、お前たちの失踪はアカデミーが封鎖されて直ぐ――と言ったところかな」
「気持ちの悪い話だな。俺には失踪した憶えなんかない。
寧ろ、俺の記憶の中ではお前が急にいなくなっている。なぜ、全く逆の記憶が存在しているんだ?」

 自分が自分の知らない間に失踪するなんてことがあるはずもない。
ボルシュグラーブの言葉はアルフレッドには容易に納得出来るようなものではなかった。
 アルフレッドの記憶ではボルシュグラーブやフランチェスカがいなくなっているのだから尚更だ。
 隣席のマリス、次いでゼラールとトルーポにも目配せをしていくが、
誰も彼もアルフレッドの言葉を否定しなかった。
 皆の記憶の中でも、ボルシュグラーブのほうが失踪していたのである。

(フランチェスカ・アップルシードがカレドヴールフになるまでの経緯も
洗い出さなくてはならなくなったな、これで……)

 振り返るのも忌々しいが、アルフレッドは実母が蒸発した頃のことも想い出している。
 父との関係が決定的に狂ったとき、母はファミリーネームを『ライアン』から『フランチェスカ』に復した。
それ以降の消息は杳として知れなかったのだ。
 父はともかくアルフレッド自身は捜そうとも思わなかった。
 実母の蒸発に至る経緯とその謎がこのような形でアルフレッドの目の前に現れるとは、
一体、どうして想像出来ただろうか。

「アルもオレも、自分の記憶が正しいと思っているんだよ……な? 
それじゃ、どれくらい考え込んだって辻褄が合わないよ」

 どれくらい考え込んでも答えは出ないと話しながらも、
ボルシュグラーブはこれ以上ないと言うくらい首を捻っている。
 アルフレッドもマリスも、それは同様だ。大仰な仕草(ゼスチャー)こそ見せないものの、
トルーポとて首を傾げたい筈である。
 ふとアルフレッドは傍らに在るマリスを見て、己の考えにも疑問を持ち始めた。

(俺は自分の記憶が正しいと思っている――だが、マリスは……俺の中でのマリスは……)

 様々な出来事が怒涛のように押し寄せていた為、
再会して以来、忘却の彼方へと送り込んでいたことが突如として甦った。
 アルフレッドの記憶の中では、マリスは病に侵されて余命幾ばくもない状態であった。
瀕死と言っても過言ではない病状であった筈なのだ。
 それなのに再会した時には――そして、今もマリスは重篤な状態があったとは思えないくらい健康である。
 この点も矛盾を孕んでいる。どこまで自分の記憶が正しいのか、アルフレッドは悩みに悩んでいた。

「――そうだ、アカデミーだ。アカデミーなんだ」
「と、突然どうしたんだよ、アル?」

 記憶の中の細い線を手繰っていく内に、アルフレッドは『アカデミー』と言う単語に反応した。
この同窓会に出席した五人を繋ぐ単語に、だ。
 その発言は余りにも唐突で、且つ脈絡のないものであり、ボルシュグラーブにとって理解し難いものだった。
思わず間を置くことなく尋ね返したのも、無理からぬ話であろう。

「俺たちはアカデミーに所属していた。その記憶は五人とも持っている。
そうだな、マリス? それに画面の向こうのふたりも?」
「あの日、アルちゃんと過ごした愛の日々はわたくしの宝物でございます」
「あれが宝物じゃと? 何と安いことよ。程度の低い人間に合わせねばならぬことほど
退屈なものはなかったわ。財産どころか、掃いて捨てる塵芥に過ぎぬ」
「閣下の仰せに従います――と言いたいところだが、俺は凡人だからね。まあ、悪くない想い出だよ。
『カルタゴのハンニバル』とか言う超古代の将軍の敗北についてディスカッションしたとき、
収拾つかなくなってアルと閣下が共倒れになった想い出なんて格別だよ」
「フェハハハ――今日は何時になく小癪よな、トルーポ」
「だがしかし、そのアカデミーはエンディニオンの何処を探しても見当たらない。
影も形も、まるで煙になって消えてしまったかのように跡形もないんだ」

 アカデミーは何処にもない――そのことをアルフレッドが口にした瞬間、マリスも驚きに双眸を見開いた。

「そう言われれば、変……ですわね。わたくしとアルちゃんのあの思い出の日々は今でも克明に覚えているのに。
その舞台となっているアカデミーは、果たして、何処に行ってしまったと言うのでしょうか……」
「それが気に掛かる……と言うよりも、何故、今までそれが気にならなかったのか、
なぜ疑問にも思わず生きてきたのか……」
「わたくしも……どうして、アルちゃんから言われるまで気に留めていなかったのでしょう……」
「それだけじゃない。俺たちがボルシュと再会するまで――いや、再会してからだって、
ボルシュたちが、……嘗ての縁者がこの世界≠ゥら姿を消していたことにも疑問は持てなかった。
想い出は事実として認識していたのにも関わらず、そのことには何も思わなかった。
まるで、無意識の内にその点に触れるのを拒否していたかのように……」
「在る筈の建物や、居た筈の人が消えているのに
それを知りながら何も感じないと言うのは妙……ですわね……」

 アルフレッドがふと気付き、発した言葉は、記憶の中にあった開かずの間≠開けたような奇妙な感覚を呼んだ。
 知りながらも気に留めていなかった事柄を改めて認識し、
これによって初めてそれ≠ェ存在していたかのように感じられたのだ。
 どう考えても辻褄の合わないおかしな事柄が記憶の片隅にあったにも関わらず、
異常を『異常』だと認識することなく今日まで生きてきたのか――
不可思議としか表しようのない事態に、マリスもボルシュグラーブも絶句した。

「……アル、お前はアカデミーが何の痕跡も残していないと言ったが、
オレたちのエンディニオンではちゃんと存在しているんだよ。
あくまで形だけはって事で、今は閉鎖されているが……」
「それは先ほど聞いた。俺たちの失踪とほぼ同時刻だと――」

 そこまで話を進めたとき、アルフレッドの思考に再び靄が掛かった。
 つい数分前の会話が蘇り、堪らない不快感に苛まれた。

「――何故、それを聞いた瞬間に違和感を覚えなかったのか……これもまた解らない……」
「なあ、やっぱりアルたちのほうが、今ここに居る世界に飛ばされてきたんじゃ――」
「逆にお前たちがアカデミーごと向こう≠フ世界に飛ばされたという可能性も否定出来ない。
都市ひとつが元の形そのままに転送された事例を、俺はこの目で見ているんだ。
アカデミーくらいの規模のものが転送されたとしても不思議ではない」
「し、しかしだな! オレは転送されたなんて記憶はないぜ。
そのアカデミーが存在している世界で、ずっと暮らしてきた筈なんだがなァ」
「お互い様だ。アカデミーやボルシュたちが消えてしまったエンディニオンとでも言うべきか、
その世界の住人だった記憶しか持ち合わせていない」
「そうであるのに、わたくしたちは一様に同じ記憶を共有しているのです。
……い、一体全体、どういうことなのでしょう?」

 片方のエンディニオンでは現存しており、もう片方では姿形の残っていないアカデミー。
アルフレッドがBの世界に飛ばされたのだとしても、ボルシュグラーブがAの世界に送られたのだとしても、
どちらかが正しいと仮定したところで、どちらにも矛盾が生じる。
 たった五人の同窓会と言う少人数規模の話ならいざ知らず、
世界的な範囲で不整合に気付かない人々が存在しているのだ。
 想像の範疇を超える話に、アルフレッドは首を捻り、ボルシュグラーブは頭を抱えた。

「――ふたつのエンディニオンは、元はひとつだったのではないか? 
されば、得心のゆく部分が多かろう。斯様なことにも気付かぬとは、まさしく無知の典型であるな」

 煩悶するアルフレッドたちを眺めていたゼラールは、ふとひとつの仮定を一同に示した。

「お、同じ世界ィ? パラレルワールドみたいな枝状分岐宇端末点ってコトか?」
「それとはまた違うだろう、ボルシュ。並行世界であるならば、こちらの世界にもお前がいて、
あちらの世界にも俺が存在している。そうではない世界に分岐したにしても、それだとまた辻褄が合わない」

 ゼラールの話を受けて、ボルシュグラーブは更に混乱の度合いを強めていった。
 一方のアルフレッドは並行宇宙(パラレルワールド)とは考えていない。
或る可能性に基づく世界の分岐≠ニ言った事象とは異なっていると以前にも議論していたのだ。
 ゼラールが導き出した仮定のほうが、ふたつのエンディニオンの謎を明確化する分析として、
より正しいようにアルフレッドには思えた。

「ゼラールの話を採るならば、元はひとつの世界がふたつに分裂したと言うわけだな」
「如何にも」
「あながち間違いではないかも知れない。少なくとも、大きく的を外しているとは思えないな」
「だ、だとしたら! どうしてそのときの記憶が誰にも存在しないんだよ? 
それに、人や物がふたつの世界を行ったり来たりする理由も解らない。
……人や物がそれぞれの世界に振り分けられたのだと考えられても、
その惑星(ほし)自体がふたつに分裂するなんて、そんなことが物理的に有り得るのかよ!?」

 仮説の域を出ないこととは雖も、ゼラールのこの考えには矛盾や疑問点が多く、
とてもではないが正論として扱うわけにはいかなかった。
 今までで最も信憑性の高い論説としてアルフレッドは支持するつもりであるが、
それでも慎重に検証を進めようと言う構えは崩さない。
 ボルシュグラーブも直ぐに思いつく点を挙げ、ゼラールの考えに異議を呈した。

「有り得るのではないか? 女神イシュタルはゼラール・カザンと言う神人にも勝る存在を地上に送った。
まさしく人類史上の奇跡ぞ。それと同じよ。有り得ないこと≠ネどとひと括りに束ね、
人智を超える事象を頭から否定するほうが愚かじゃ」
「それは俺も納得し兼ねるぞ。妄想は抜きにして根拠をだな――」

 ゼラールの論説に対して、アルフレッドが整合性の取れた答えを見出すべく知恵を絞っていると、
ボルシュグラーブのモバイルが警報(アラーム)を鳴らし始めた。
 通常の着信音ではなく、緊急性の高い警報(アラーム)である。

「閣下、こいつァ……」
「ふぅむ、無粋な輩がおるものよ」

 耳を澄ませば、デジタルウィンドゥの向こうでも数名分の警報(アラーム)が鳴り出していた。




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