7.the Shogunate


「バルムンク、ただいま参上しました!」

 アルフレッドたちと別れたバルムンク――ボルシュグラーブは、
三日の船旅を経てルナゲイトに、そして、ブクブ・カキシュに戻って来た。
 ギルガメシュ本隊の全作戦が決定されるシチュエーションルームに入り、
姿勢正しく敬礼した彼に向かって――

「遅いぞ、バルムンク。こう言うときには開始一〇分前には着席して会議の用意をしておくってもんだ」

 ――と、グラムが開口一番、そのように叱声を飛ばした。

「えぇ!? あッ、す、すいません。これでも全速力でやって来たつもりなんですけど……」

 駆けつけてすぐさまに大目玉を食らい恐縮するボルシュグラーブであったが、
厳しい言葉とは裏腹に、グラムの目付きは穏やかなものであった。
 ギルガメシュきっての若き精鋭に目を掛けているからなのであろうか、
グラムは『アネクメーネの若枝』としての心構えを説いているようであった。
 事実、ある意味では彼が関知しようとしないフラガラッハが大遅刻してやって来ても、
グラムは何ら注意を飛ばすこともなかった。
 大体、グラム自身も定刻の三〇分前にルナゲイトへ入ったばかりである。
ブクブ・カキシュへの到着時間で言えば、ボルシュグラーブと大して差はないのだ。
他人(ひと)のことを窘められるような立場でもない。
 バブ・エルズポイント警備の任務に当たっていたボルシュグラーブと同じように、
グラムもまた遠地まで出張っていたのである。
 緊急招集の警報(アラーム)が鳴り響いてから、既に三日が経過している――が、
ボルシュグラーブとグラムの遅参を原因として日延べされていたわけではない。
遠方に在ったふたりが赴任先から帰還し得る時間を計算し、「三日後の開催」と決定されたのだった。
ブクブ・カキシュ内の控え室に三日も留め置かれた他の幹部たちは、退屈で仕方がなかっただろう。
 最後に入室したカレドヴールフは、身体を鈍らせていた幹部たちをねぎらうことも、
遅参したふたりを叱り飛ばすこともなく、無言のまま首座へと向かっていく。

「――始めよ」

 やがて、総司令が首座に腰掛け、親衛隊長のドゥリンダナがその傍らに直立不動で控え――
これを合図にブリーフィングが始まった。
 ところが、だ。緊急招集を伴うほど重大な会議にも関わらず、シチュエーションルームには副指令の姿がない。
 別働隊を率いる副指令のティソーンは、Aのエンディニオンを主戦場としている。
従って、Bのエンディニオンに在るブクブ・カキシュに姿を見せないのは当然なのだが、
しかし、デジタルウィンドゥを介した交信は可能である。
これまでにも件の通信手段を用いて連絡を取り合ってきたのだ。
 それなのに、今日は通信回線すら開いてはいない。
副指令が全く関与しないブリーフィングほど不自然なものはなかろう――が、
列席した幹部たちは、誰ひとりとしてそのことを気に留めてはいなかった。
 この場に居ないほうが都合が良いとでも考えているのか、
カレドヴールフでさえティソーンの不在には一切触れないのだ。

「任務の最中にも関わらず、こうしてお集まり頂き、誠にありがとうございます。
さて、今回の議題は言わずもがな、こちら≠フエンディニオンの統治問題なのですが――」

 ギルガメシュの軍師として議事進行を務めるアゾットは、
副指令不在と言う異様な状況の中、一同を見回して口を開いた。
 予想された通り、最重要の議題として統治問題へ言及するアゾットであったが、
これに接するボルシュグラーブの耳には、軍師の声など少しも入っていない。
そもそも、今の彼では周囲の如何なる情報をも取り込むことが出来ないだろう。
 どう言うわけか、見る者が圧迫感を覚えるほどに彼の面は強張っている。
滝のような汗が頬から額から零れ落ち、顎の先にて玉を結んでいるのだ。

(見ていてくれ、アル……マリス。オレはやるぜッ!)

 ボルシュグラーブの脳裏にはアカデミーの旧友たちの顔が浮かんでいた。
 数日前にアルフレッドから助言を得ていた彼は、
今までの自論を曲げて武力行使を提案しようと席を立ちかけたのだが――

「この案件に関してアサイミー君から妙案があるということなので、詳しく話していただきましょう」

 ――口火を切る前に出端を挫かれ、動くに動けなくなってしまった。
 挙動不審としか言いようのない珍妙な動きを見せたボルシュグラーブを尻目に、
アゾットから発言を許可されたアサイミーは勢いよく席を立ち、先ずは上官たちに恭しく一礼をした。

「副官の身分の私めに発言の機会を与えて下さったことに感謝致します。
僭越ながら述べさせて頂きますと――」
「長げえ前置きはいらねえよ、ババァッ! こっちは忙しい中、時間割いてやってんだから、
とっとと本題に入りやがれッ! うぜーなァッ!」

 語り始めたアサイミーに向かって、早速、フラガラッハから野次が飛んだ。
 口では説明を急かしているものの、既に彼は備え付けのモニターでネットサーフィンを始めている。
アサイミーの話など最初から興味を持っておらず、
自身の行動計画を緊急招集で乱された腹癒せに大声で喚いただけである。
 「相変わらずだ」とアゾットは俯き加減で苦笑し、そして、いつものように暴言の張本人を放置する。
唐突に上官から発言を遮られて戸惑っているアサイミーには、
フラガラッハに成り代わって説明の続行を促した。

「――で、では、始めさせていただきます。こちら≠フエンディニオンの統治ですが、
強攻策を行なうにしろ、融和路線を目指すにしろ、問題点があります。
どちらを採るかで会議が紛糾し、中々結論を見ないことはご承知の通り。
……ですが、今回、この閉塞的な状況を打破する策のヒントを得ました」
「ほう? その策ってのはどんなモンだ?」

 当面の抵抗勢力を退けて覇権を奪取したにも関わらず、統治の方向性を定めることも出来ない。
それどころか、難民キャンプの運営に於いて痛恨の失態を演じてしまった。
あまつさえ肝心の難民支援計画すら人質からの建白に頼る始末――
こうした点からギルガメシュと言う組織に行き詰まりを感じていたグラムは、
アサイミーの論に一際大きな反応を示した。

「はい、古い文献を当たってみましたところ、次のような記述がありました。
ルーインドサピエンスよりも更に旧い時代――或る東の島国には武人によって開かれた政治機関がありました。
『幕府(ばくふ)』と呼ばれていたものだそうです」
「バクフ――って、一体、それは?」

 アサイミーがどのような事柄を語っているのか、
全くと言って良いほど理解の追い付かないボルシュグラーブは、
胸の内に秘めていた自論(ことば)も忘れて首を捻った。

「昔、その島国は幾つもの勢力に分かれて鎬を削っていた時代がありました。
そこに至るまでの詳しい経緯は省きますが、ついにはその国はとある武人たちの集団によって統一されたのです。
そして、その武人の長が国を治めるために設立したのが『幕府』という組織です。
武人を頂点とした軍事政権と考えてくださいませ」

 独壇場と言うこともあって、幕府なる政治機関を説くアサイミーは饒舌だった。

「全国を幾つかのブロックに分割、それぞれに幕府が任命した自勢力の武人を置き、
その土地を治めていた――要約すると、このようなところです。
分割されたブロックは、その国では『藩(はん)』と呼ばれていたそうです」
「簡単過ぎるにょ。もうしゅこし、細かにゃ話を聞かせて欲しいにょ」
「……畏まりました。幕府は各地方に置かれた自治組織に対して優位な立場を取ります。
細かい運営は幕府が任命した者に委任し、当の幕府は大まかな各地方の武人を支配することで全体を統括、
統治を行っていくのです。幕府の方針にそぐわない行為を行った者は強権的に処分されていたようです。
法の基本的な骨子を定めて、微細な部分は委任する――と言い換えても宜しいかと。
また、税に関しては各委任領の独自採算というシステムを採っていまして……」

 アサイミーの説明に対してコールタンは相槌を打ち、グラムは両腕を組んだ。

「――ってえコトは、その幕府ってのはどこから収入を得ているんだ?」
「幕府は幕府で直轄領を有し、そこから租税やその他諸々を徴収します。
特に交易の拠点となるような場所、価値がある鉱物などが産出される場所は優先的に幕府の直轄地となり、
このような点から幕府は財政的にも各地に対して優位な立場にあります。
更に、幕府が考え出していた制度によって各自治勢力は隔年毎に金銭的な負担を強いられていたようで、
その面からも反抗の目を摘み取る事に成功していたと言えましょう」
「反抗ってことは十分に抑え切れていたって言えるのか? 
磐石な統治体制だったって言えねえんじゃねえのか?」
「ご指摘はご尤もですが、元々幕府は各地域に対して圧倒的に軍事的なアドバンテージがありますので、
その制度と言うのは、あくまで保険のような意味合い程度ではなかったのかと思われます」

 アサイミーの説明に対し、各人が思いの丈を述べたが、
彼女はそれに対してひとつひとつ疑問を氷解させていくような解説を付け加えた。
 それによって幕府と言う聞き慣れない組織について、皆がおおよその外形を掴んでいく。

「何でその幕府とやらが統治問題の解決策になるって言うんです? 
そこら辺が自分には良く分からないんで、もう少し分かり易く説明が欲しいんだよなあ……」
「お気付きになられませんか、バルムンク様? 先ほどの説明の通り、幕府と言う組織は、
武人の勢力が武力を以ってして国を纏め上げて統治したものです。
……これは我々と共通点があると言えないでしょうか?」

 ボルシュグラーブの質問に対しても、アサイミーは予め想定していたように即答した。
 幕府とギルガメシュ――双方とも武力で世の中を平定したという面に関しては、
アサイミーの言う通り同じである。

「我々が行ってきた事と多々合致するところがございますので、
これからのギルガメシュが進むべき道を幕府になぞらえていくのが宜しいのではないかと存じます。
如何でございましょうか?」

 シチュエーションルームへ集まった各々に視線を向けつつ、アサイミーは自らの案の是非を問いた。

「……あの、私のような人間が質問しても、よろしいでしょうか……?」
「構わないとも。トキハ君の見識は間違いなくギルガメシュの財産だよ」

 アサイミーの傍らにて控えめに挙手し、彼から発言を促されたのは、
この軍師の特別副官――トキハ・ウキザネであった。

「えと……幕府については大体分かりました。……ですが、それで本当に上手く行くのですか?」
「と言いますと?」
「新参者が生意気を言うようですが……看板だけ立派なものを作っても、
それで皆さんが――世界中が納得するんでしょうか?」
「我々に必要だったのはまさにその看板なのです。武力があり、難民の平和の為に戦うと言う大義もあります。
そこに幕府という権威付けが行なわれたとしたら、ギルガメシュの統治は磐石になるのではないでしょうか」

 トキハにもアサイミーは胸を張って自説の正当性を主張した。
 「そう言うものでしょうか……」と懸念を完全には拭い去ることの出来ないトキハではあったが、
それでも幕府と言う聞きなれない言葉を用いる以外には、
一向に煮詰まらない議論を収束に導くことなど不可能のようにも思えている。
 首を捻ったままのトキハではあったが、それ以上の疑問や反論を紡ぐことはない。
 軍師たるアゾットは、微笑みを以ってトキハを下がらせると、
今こそ結論を出そうとアサイミーに目配せし、その後(のち)にカレドブールフへ意見を求めた。
 ブリーフィングの最中、押し黙ったままであった総司令に決断を仰いだのである。

「如何でしょうか? アサイミー君の案に関しても、最終的な決定権は司令にございますので、
一言ご意見を賜りたいと存じますが、何かございますか?」
「――幕府とは中々良い響きだな。こういうものが必要だったのかもしれない」

 意外にもカレドヴールフの反応は良好であった。口元には薄い笑みまで浮かべている。

「お眼鏡に適えたようで、私としても恐悦と致すところです」

 幕府と言う名称を用いることへ前向きな意欲を見せるカレドヴールフに対し、
アサイミーは安堵の溜め息を漏らしつつ深々と一礼をした。
 主君に感謝の辞を述べる家臣の如き立ち居振る舞いであった。

「何某機関、何某組織ではどうにもインパクトに乏しい。
……かと言って、王国や公国、ましてや帝国などと名乗るのは明らかに間違った話だ。
我々は、寧ろそのような体制(もの)からは対極の位置にある。
忌まわしい因習をも打倒せねばならないのだからな。
それらと比較してみれば、確かに幕府という名称は今までにないものだ。
少なくとも、現在のエンディニオンでは独自性を感じられる。何かしら訴えかけてくる力もあるぞ」
「はい、武を以って覇を唱える我々には相応しい名乗りかと存じます」
「うむ、幕府の意味合いさえ正しく流布出来れば、人々を惹きつけるメッセージにもなるだろう。
それに幕府とやらの統治体制も理に適っている。反対する理由はない」
「それでは、幕府を名乗ることで決定したいと思います。皆様、よろし――」

 カレドヴールフもアサイミーの案を承認した為、アゾットは即座に決定を下そうとしたのだが――

「幕府! 成程、幕府とな! フェハハハ――如何にも小物らしい浅知恵ぞ!」

 ――会議の席には相応しくない笑い声を上げる者によって横槍が入れられた。

「……何か不満でもありましたか、ダインスレフさん」

 まとまりかけていた会議をこじらせるかのように破顔一笑と言ったような表情(かお)を浮かべ、
一同の視線を集めた『ダインスレフ』とは、テムグ・テングリ群狼領から転身してギルガメシュに帰属し、
ワーズワース難民キャンプを弔った功績で幹部たる証のコードネームを与えられたゼラール・カザンその人だ。
 末席ながらシチュエーションルームにも迎え入れられている。
 ゼラールのこの一言――と言うか笑い声に、「氏素性の知れない新参者が何を言うのか」と言うような
不愉快な感情をアサイミーは顔面の動きで表し、フラガラッハは「厄介事を持ち出しやがって」とばかりに
気まぐれで聞いていた議論から顔を背け、再びネットサーフィンを始めた。
 とにかくアサイミーはゼラールと言う存在が不快であった。
 敵軍からの転身と言う異例の経歴にも関わらず、彼は恐ろしい速度で昇進している。
難民キャンプひとつを炎で焼き払うと言うパフォーマンス――アサイミーの目にはそう映る――ひとつで、だ。
 格別の計らいを以って迎えられたと言うのに、ギルガメシュへの忠誠心は皆無に等しい。
上官には敬意の欠片も抱かず、カーキ色の軍服を着用している姿さえ見た憶えがなかった。
重要なブリーフィングにも関わらず、カレドヴールフより下賜された軍刀すら帯びてはいない。
 思惑や功名心はともかくとして、力の及ぶ限り組織に貢献してきたアサイミーには、
不敬の二字が服を着て歩いているようにしか見えないのだ。

「不満だろうと文句だろうと、真っ当な意見具申なら聴いておくべきではありませんか? 
ゼラ――じゃない、ダインスレフ……発言を続けなさい」

 旧友の発言を助けようと、ボルシュグラーブがアサイミーを押さえた。
 ゼラールの両脇にはトルーポとムラマサの姿も在る。
ただ単純にブリーフィングを乱すような発言ではないのだろうと踏んだのである。

「不満などというチンケな感情ではない。幕府に関しては余も知るところであるが、
この者の不勉強さに思わず笑いがこみ上げてきただけの事よ」

 座学を大の苦手としていたボルシュグラーブは言うに及ばず、
アカデミーと深く結び付いているだろうギルガメシュの中にすら、
アサイミー以外にその存在を知る者はいなかったようだが、
『幕府』と言う政体についてゼラールはアカデミー時代に学んでいた。
 ルーインドサピエンスより旧い時代の事物も教材として採用するアカデミーに於いて、
軍事政権の一形態として取り上げられていたのである。

「わ、私のどこが不勉強なのでしょう!? 聞き捨てなりません、ご説明願いましょうかッ!」

 膨大な量の資料を当たって、ようやく手にした妙案を一笑に付されては、
誰であっても心穏やかではいられないだろう。
 ただでさえアサイミーは癇癪を起こし易いのだ。
憤怒を爆裂させたような金切り声を上げるのは、ごく自然の流れであった。
 そうなることを見越していたギルガメシュの軍師は即座に彼女を宥め、
次いでゼラールに意見具申を続けるよう促した。

「ダインスレフ君――アサイミー君の意見に何か間違った点でもありましたか?」
「間違いとな? ……そうかそうか、軍師殿にも分からぬのなら慈恵を以って教えて進ぜよう。
今の案には肝心な所が抜けておる。画竜点睛を欠くとはまさにこのことぞ」
「アサイミー君の案には何が足りないと言うのでしょうか?」
「無知を恥ずことなく教えを乞おうという態度は良し。余も聞かせ甲斐があるというものだ」

 後ろに倒れるのではないかと心配になるくらい椅子を傾けながら座していたゼラールは、
如何にも他者を見下したような笑い顔を崩さないまま、その姿勢で話を進めた。

「そもそも幕府と言うものは天下を治めたからと言って、誰でもが好き勝手に名乗れるものではない。
もう少し史料を読んでいれば分かる話であろうが、
その島国には幕府よりも以前から天子を中心とした統治機構が存在しておる。
それなくして幕府を名乗ろうなどとは滑稽千万」
「えーっと、その国には幕府の他にもうひとつ政治組織があったってことか? 
何だかよく分からねぇし、頭がこんがらがってきちまったけど……」
「うむ、そちには難しすぎたかの」
「またお前はオレのことをバカにしやがって〜」

 旧友の発言でもあるので、身を乗り出すような勢いで意識を集中させるボルシュグラーブだったが、
やはり何を語っているのかは理解し切れず、何度も何度も、左へ右へ首を捻っていた。
 完全に余裕がなくなっているのか、ゼラールに対する口調も旧友へ向けるものに戻ってしまっていた。

「武人が武力を以って国をまとめた、これは正しい。そやつらが幕府と称した組織を作った、これも正しい。
しかし、帝を頂点とする政治組織――朝廷(ちょうてい)から許可を得ることがない限り、
幕府などは開くことは出来ぬ。国を平らげた武力勢力と言ったところで、武人らも名目上は帝の臣下なのじゃ。
統治とは雖も、権限の委譲という形を取っているものなのだ。
分かるか? 権威付けなき権力などでは幕府などと称せるはずもあるまい。
今の案では存分に間の抜けた笑い話にしかならぬということだ」
「なるほど、我々にはその朝廷となるべき存在――権威を担保するものがないということですか。
確かに、アサイミー君の案では不十分かも知れないな。……アサイミー君、補足はあるかな?」
「……いえ、……何も――」

 新参者に論破された形となり、あまつさえ幹部たちの面前で不勉強を嘲られたアサイミーは、
歯軋りしながら俯いてしまった。
 しかし、アゾットには彼女の献策が大きく誤っていたとは思えない。
現時点で欠いている要素を足すことさえ出来れば、ギルガメシュの窮地を救い得る妙案にまで昇華されるだろう。
 幕府と名乗る為に必要な権威付けを如何にして満たすか――
ギルガメシュの軍師は、この課題をどう解消したものかと思料し始めた。

「ようやく己が愚かさを悟ったか? ただ単に武力で征圧したからと言って、幕府などとは烏滸がましい。
物の道理が全く欠如しておるのだ」

 笑い声を交えながら滔々と説明するゼラールであるが、周りの者たちにとっては笑いごとではない。

「幕府がダメってことはもう一回やり直しかい? おいおい、ここまで来てそれはないんじゃねえの」
「仕方ないと言えば仕方ないんじゃないですかね、グラムさん。
ゼラー……いえ、ダインスレフの言うことにも一理はあります。
一刻も早くこの状況を打破する手を考えないといけませんが、
穴のある策を進めるのはもっと良くないと想いますよ?」
「あァ? バカか、てめーは。ゴール直前で振り出しに戻るとかありえねえっつってんだよ。
ただでさえ面倒くせえコトをいつまでダラダラと……役に立たねえなァ、うちのインテリ連中は!」
「あんたしゃんねぇ、偉しょうにゃことを言う前に自分でも話し合いに参加したりゃどうかにょ? 
サボってるにょがモロバレだにょ」
「だったら、実のある話し合いにしやがれっつってんだよ! くだらねぇから付き合う気にならねぇんだ! 
てめーだって意見ひとつ言ってねぇだろうが、ミラクルババァ!」

 ゼラールの反論によってブリーフィングは再び紛糾した。
 アサイミーの献策が、それで万事解決と思われた妙案が、決定間際で暗礁に乗り上げたのだ。
統治問題の突破口にならないとなると、緊急招集まで掛けたのは一体何だったのかと、
皆の気持ちが萎えてしまうわけだ。
 箒のようにそそり立った頭髪(かみ)を掻き毟るボルシュグラーブに、
腕を組んで目を瞑り、何事かを考えている様子のグラム。
俯いたままのアサイミーに、元より議論へ参加する気のないフラガラッハ。
 コールタンは議論の成り行きを黙して見届ける構えのようだ。
自分のほうから裏切った人々の前に素知らぬ顔で現れる彼女のこと、
腹の底では何事かを企んでいるのかも知れない。
 そして、ゼラールは『四剣八旗』の様子をどこか遠い目で眺めている。
 八方手詰まりかと思えたとき、思索に耽っていたアゾットが遂に口を開いた。

「権限の委譲が為されれば良いと言うことなのでしょう? それならば、ひとつ考えがあります」
「マジ――いや、本当ですか、アゾットさん?」
「大マジだよ、バルムンク君。……我々にはルナゲイトを攻め落とした際に捕虜として身柄を拘束し、
現在も管理下に置かれている各地の有力者、代表者がいます。それを利用するのです」
「ほう、人質を使って何とする?」

 軍師の論にカレドヴールフが身を乗り出した。

「彼らが有しているその土地土地の統治権を我らギルガメシュに委任すると言う形を取るのです。
そうすれば、我々が幕府を開く事に問題が発生するという懸念は払拭されましょう」
「本来、朝廷とやらに委任されるべき権限を、代表者からの権能の委譲と言う形に代えるってことか?」
「グラムさん、ご明察――そう言うことですよ。我々が独断で統治者として振る舞うのではなく、
あくまで代表者からの許可を得ての統治行為と言うことであれば、
先住する民を麾下に置くだけの大義名分が立ちましょう」
「ああ〜、自分も少しずつ分かってきました。成程なぁ。
でも、そんな簡単に彼らが権限を譲り渡しますかね? 
曲がりなりにも代表と言う地位にあった人間ですし、権限の譲渡を迫られたからと言って、
すぐさまに『はいそうですか、分かりました』なんて応じるかどうか……。
簡単に済むような話じゃない気がするんですけど」

 ことある毎に飲み込みの悪さを自嘲するボルシュグラーブでも、
ここまで丁寧な説明を受ければ理解に達すると言うものだ。

「説得≠ネらば、幾らでも手があると言うものですよ。
脅すも良し、宥め賺すも良し、硬軟織り交ぜた方法で何とでもなるでしょう。
彼らも自分たちが置かれた立場≠ニ言うものが分かっているでしょうから、無碍に断る者もいないかと」
「ま、そこら辺は頭脳労働専門のアゾットに任せときゃ良いんじゃねえか? 
何にせよ、これで上手く行くっていうなら無駄な争いごとはしなくても済むわけだからな。
とりあえず、幕府のセンでやってみりゃ良いと思うがね」

 懸念及び解消するべき部分は多々あるだろうが、
自軍の損害が想定される強攻路線より有益と感じられるアサイミーの策と、
これに附されたアゾットの補正案をグラムも受け容れた。
 『アネクメーネの若枝』のリーダー格たるグラムが同意を示したことは、
ギルガメシュのブリーフィングに於いては極めて大きな意味を持つ。
 全身の大部分を機械化したこの男は、他の幹部とは比べ物にならない程の死線を潜り抜けてきたのだ。
即ち、肉体の損傷が戦士としての経験を表しているわけである。
 そして、その経験は重大な局面で選択を誤らない判断力へと通じるのだ。
最高意志決定権を持つカレドヴールフも、大一番でグラムの意見を退けたことはない。
 グラムの同意を得ると言うことは、実質的には最終決定と同義なのである。

「――では、幕府の成立をギルガメシュの急務として進めたいと思います。
カレドヴールフ司令、これでよろしいでしょうか?」
「委細問題なし。ダインスレフの意見も尤もであるが、そこには目を瞑り……兎に角良しとしよう」
「畏まりました。可及的速やかに権限の委託を取り付けることと致しましょう――」

 かくして、幕府発足を目指すことをカレドヴールフも正式に承認。
Bのエンディニオンの安定的な統治に向けて、ギルガメシュは新たなる一歩を踏み出していった――

「――待て」

 ――かに思われたその瞬間(とき)、シチュエーションルームに制止の声が響き渡った。
 老いて擦れ気味ながら、轟然たる存在感を醸し出す力強い声であった。
 幹部たちの視線を引き付けたのは、ゼラールの傍らに控える鉄色のレインコートの男。
言わずもがな、ムラマサである。
 隻眼に宿る光は今までにないほど鋭く、野獣の如き気魄を発するその威容(すがた)には、
『閣下』を挟んで向かい側に座すトルーポでさえ慄かされた。ゼラール軍団最強を誇る男が、だ。
 嘗てギルガメシュの軍師を務め上げた謀将が、そこには在った。

「先住する民から権限の委託を受けると言う方策は悪くない……が、
それだけで幕府とやらが成り立つとは到底思えん。磐石の政体に成り得ると本気で考えたなら、
余りにも見通しが甘過ぎる。その有様(ザマ)でギルガメシュを背負えると思うな」

 地獄の悪魔でさえ震え上がるような凄味を浴びせられたアゾット、アサイミーの両名は、
「新たに取りまとめた指針こそ最善の選択」などと反論することも出来ず、
ただただ身を竦ませている。
 自分に楯突くような相手には癇癪を起こす傾向があるアサイミーでさえ、
唇を震わせながら仰け反るばかりだ。
 ムラマサの迫力に間近で接するトルーポとて、アサイミーたちと何ら変わらない。
秒を刻むにつれて激しさを増していく心臓の鼓動に戸惑い、これを抑える呼気すら乱れ切っていた。
 背中を滑り落ちたのは、恐怖と言う名の冷たい汗である。
 顔面に刻まれた戦傷とは裏腹に、どこか好々爺のような雰囲気を漂わせていたムラマサとは別人である。
比喩ではなく本当に人格が入れ替わったのではないだろうか。
 仮面を脱ぎ捨て、その果てに顕れた老いぼれ≠フ本性は、
数多の戦場で『死神』と恐れられてきたトルーポをも遥かに凌駕していた。

「ならば、どうする。思うところを述べてみろ、ムラマサ」

 嘗て己を支えてくれた軍師へと視線を巡らせたカレドヴールフは、
その凄味に気圧されることなく涼しげな面持ちで具申を求めた。
 ギルガメシュを率いる首魁と、一度は表舞台を去った老将は、
在りし日にはこのようにして意思を交わしていたのだろう。
 首魁より直々に献策を命じられたムラマサは、
先ずゼラールに一礼し、彼の頭越しに意見具申を行う是非を問い掛けた。
 ギルガメシュと言う組織ではなく、ゼラール個人へ忠誠を尽くす臣下の如き振る舞いであるが、
これを見咎める者はシチュエーションルームの何処にもいなかった。
 大半の人間がムラマサの気魄に呑まれてしまっており、声を荒げるどころではないわけだ。
 この場に於ける最高権力者のカレドヴールフとて問題には思っていない様子だ。
彼女と同じく威圧を凌いだグラムは、信じ難い世界でも垣間見たように目を剥いているが、
さりとて、「礼儀を尽くす相手を間違うな」などと面罵することもない。

「……よろしゅうございますな?」
「確かめるに及ばず。そちの智謀を存分に披露せい!」

 裂けて血が滴るほどに口の両端を吊り上げ、そこに火の粉を散らしたゼラールは、
この上ないほど昂奮した調子でムラマサに頷いて見せた。
 『閣下』の承認を受け、改めてカレドヴールフと向かい合ったムラマサは、
「幕府と言う政体を目指すことに異存はない――」と切り出した。

「――権限の委譲に基づいた政権、これも悪くはない。
我らの大義が正当だと裏付ける証左にもなるだろうからな。
……だが、サミットとやらで捕らえた人質だけでは担保としては脆過ぎる。
拘束した人質の数はどれくらいだ? それに対してブクブ・カキシュの外には、
一体、幾つの統治権が転がっている? ルナゲイトから逃げ遂せた人間も少なくないと聞いているぞ」

 ムラマサの隻眼は、アゾットとアサイミーが見落とした点を的確に捉えていた。

「『自分たちは幕府など承認していない』と言う声がルナゲイトの外から押し寄せてきたとき、
貴様らはどうするつもりなんだ? ……童(わっぱ)どもの話を聞く限り、
幕府とか言うシステムは統治権を取り上げないことには成り立たんようだ。
土地土地の有力者がこぞって承認したと言う形を整えればこそ、逆意を摘み取っても正当性によって守られる。
幕府を認めない人間が大多数の中で無理無体に斬り従えたら、それこそ本末転倒だ」
「にゃるほど、ルナゲイトの外に飴≠ソゃんをバラ撒くって言いたいにょ?」

 やはりムラマサに気圧されることのなかったコールタンが、
閃きを表すように右の中指と親指を打ち鳴らした。
 極端に抽象的な表現ではあったが、ムラマサ当人にはコールタンの言わんとしたことが通じたらしく、
「ときには鞭≠入れねばならんだろうがな」と頷き返した。

「先住する人間がギルガメシュに恐怖心を抱いているのは明白だ。
彼方此方で散発している反抗が何よりの証拠と言うヤツだ。
グドゥーで抗戦を続けるファラ王とやらは、少し毛色が違うらしいが……」
「幕府に従うのにゃら今までにょことを水に流して、将来の安全を保障しゅる――
チラちゅかしぇるエサは、しょんなトコロかにゃ?」
「概ね、そんなところだ。場合によっては、身銭を切らねばならんだろうが、背に腹は代えられまい。
相手が身の程知らずの要求をしてきても、その場では頷いてやれ。空手形でも構わん。
……後で踊らされていたことに気付いても、ヤツらにはもう取り返しが付かんのだからな」
「しゃしゅがは先代軍師殿にょ。こーゆー詐欺紛いのやり口もお手のもにょだにゃ」
「テムグ・テングリと言う世界最強の勢力でさえギルガメシュには勝てんと言う恐怖が残っている間に
全てを終えなくてはならんのだ。手段を選んでなどいられるものか。
ギルガメシュに従ったほうが生きる上で得だと分かれば、こちらの呼びかけにも応じるだろうよ。
……逆らえば根絶やしにするとでも脅かしてやれば、怯えは容易く破裂する。
今すぐにでも諜報部員を放って印象操作をしておかねばな」

 利と恐怖、二種の揺さ振りを以ってして人間の心理を操らんとするムラマサの鬼謀に、
コールタンは薄い笑みを浮かべた。

「魔を司る神人(カミンチュ)――ツァ・ユティ・タは、
悪意や憎悪の種を世界中に振り撒いて人間を狂わしぇりゅって聞いたにょ。
……あんたしゃん、ツァ・ユティ・タにょ化身じゃにゃいかにゃ?」
「いつぞやも貴様に言われた気がするわ……」

 コールタンから寄せられた賞賛――皮肉も多分に含んでいる――を一笑に付すムラマサであるが、
彼の献策は、あらゆる意味でギルガメシュに有益であった。
 幕府と言う新しい統治体制の地固めを促進させるばかりではない。
 Bのエンディニオンの土地を買い占め、ここに安全な居住区を用意し、
難民たちを収容すると言うロンギヌス社独自の動きを牽制することにも繋がるだろう。
 黙して耳を傾けていたカレドヴールフも納得と言った調子で深く頷き、
「流石はムラマサ、見事な策だ」と褒め称えている。

(……冗談じゃ……冗談じゃねぇぞ、オイ……)

 ゼラールの指揮下に入ったとは雖も、ムラマサがギルガメシュの将であることに変わりはない。
所属する組織の益となる手立てを立案するのは当然であろう――が、
これを聞かされていたトルーポは、全身の血が凍り付くような思いであった。
 表向きは幕府成立に向けた布石だが、真の狙いは反ギルガメシュ連合軍の分断にあると思えたからだ。
 アルフレッドが立案した史上最大の作戦とは、ギルガメシュへ恭順したように見せかけた連合軍諸将が
水面下で結託し、逆転を図ると言うものである。
 ムラマサがこれを潰しに掛かっているのではなかろうかと、トルーポは案じていた。
ギルガメシュから提示された利に釣られて同志を裏切る者が現れたとき、連合軍は瓦解するのだ。
 そして、ムラマサ自身は件の作戦を読み切っている。
ごく僅かな手掛かりから『在野の軍師』の計略を察知したのである。
 己の感付いた敵方の策謀について、ムラマサがカレドヴールフらに告げ口するようなことは
今までにはなかった。
 だからと言って、密告の心配はないものと断じることは出来ず、
トルーポも常に注意を払っていたのだ――が、そんな彼にとっても思わぬ不意打ちであったわけだ。
 無論、そこまでの権謀術数をムラマサが秘めていたのかは定かではない。
さりながら、口に出して真意を質すことも、口上を押し止めることも不可能である。
事ここに至っては、八方塞の現状に歯噛みするしかなかった。
 その一方で、ゼラールは僅かも揺るがない。
 己が――テムグ・テングリ群狼領の間諜と言う立場だ――窮地に追い込まれたと言う危機感はなく、
老いぼれ≠フ顔に隠していた軍才を剥き出しにするムラマサを恍惚の表情で見つめていた。
 たじろぐ気配もない『閣下』を見ている間に、これまでとは別の考えがトルーポの脳裏に浮かんできた。
 統治権を委譲するようギルガメシュが工作を仕掛けてきた折に連合軍諸将が一致団結して要求を突っ撥ね、
鉄の如き結束力を見せ付ければ、史上最大の作戦は真の意味で完成したことになるだろう。
 これは同時に、武力に依るテロ組織の限界を全世界に露見させる事態なのだ。

(……とんでもねぇ成り行きだぜ、アル――)

 そこに深慮遠謀が秘められているか否かはともかくとして、
アルフレッドとムラマサ、ふたりの作戦家の計略が真っ向から激突する形となった。
 無論、伸るか反るかの博打にも等しい。ムラマサが語ったように人間の心理とは状況に左右され易く、
連合軍諸将が現在(いま)も結束を維持していると言う保証は何処にもなかった。
 誰かが寝返りの声を上げたとき、大勢が同調に転じるかも知れない。
それも堰を切ったように、だ。恐怖と言う感情は、ときとして全て≠塗り潰してしまうものである。 
 計略合戦はどちらに軍配が上がるのか、こればかりはトルーポにも読めなかった。

「あ、あの――やっぱり、もっと慎重になるべきですっ! ……だ、だと思います、私はっ!」

 この難局をゼラール軍団は如何にして乗り切るべきか――
トルーポの思料が纏まる前に、ムラマサとは別の声が上がった。
 声がした方角に目を転じると、アゾットの脇に控えていたトキハが挙手と共に起立しているではないか。
 しどろもどろな喋り方からも察せられる通り、どうやら反射的に立ち上がってしまったらしく、
自分の行動を後悔するような表情を作っている。その面からは血の気が殆ど失せていた。

「ほう? これは議論が捗りそうだな」
「発言を許す。但し、アゾットの顔に泥を塗るような真似はするな」

 ムラマサとカレドヴールフから同時に睨(ね)め付けられ、
思わず卒倒しそうになるトキハであったが、手を挙げてしまった以上は逃げ出すわけにも行かず、
必死に気を張って堪えると、自身が疑問に思ったことを語り始めた。

「えと、……権能の委譲が前提になる仕組みなんですが、
そもそもですね、統治と言うか、権威の根拠を他所に求めてしまうのは危なくないでしょうか……」
「信任なくして統治は成り立たん。これは幕府に限った話ではなかろうが。
古くは王制にも通じることだ。民の信任を無視して圧政を敷いた王は、何れも憐れな末路を辿っている。
……鉄火を以って侵略をしているのだ、ギルガメシュは。尚のこと、正当な統治だと承認させねばならん」
「で、でも、ですね! 幾ら口で正当な統治だって主張しても、
本当の意味で実体を伴っていなければ、結局は一緒じゃないでしょうか? 
……その、……今までのやり方と!」

 ムラマサの野太い声に怯みながらも、トキハは言葉を紡いでいく。

「こちら≠フエンディニオンの人たちから権利をもぎ取って幕府を作っても、
そんなのは急拵えでしかないように私は思います。
……信任≠ニか、権威なんてものは、先に作ったり、上から押し付けるものじゃないですよ。
ギルガメシュには安定した統治を行えるって、そう言う能力を知らしめて、
初めて信任が生まれるんじゃないでしょうか?」
「中々に博学のようだが、お前は政治学者か何かか?」
「私はトルピリ・ベイド移民の末裔です。陽之元から他国へ移住した民の……。
ご承知のこととは思いますが、祖先の国では最近まで激しい内乱が続いていました。
このときに倒された旧政権は、政略結婚による姻戚関係(つながり)で権威を維持してきたそうです。
……見せ掛けの力ですよ、そんなの。陽之元のケースを調べて、つくづく考えさせられました。
国を動かす力と国を担う資格は別問題だと、私は思います。
ギルガメシュはその資格を捏造しようとしてはいませんか? しかも、他人の力を使った捏造を」
「ギルガメシュが治めるのは国ではなく惑星だ。陽之元と一緒には出来ん」
「本質は一緒です。……そのハズです」
「……自らは資格を持たず、別の何かに寄りかかった権威は、
何かの拍子に簡単に覆ると、そう言いたいわけだな、貴様?」

 統治権の委譲に頼る危険性――または脆弱性とも言い換えられよう――をトキハに質したのは、
ムラマサではなくカレドヴールフである。
 両手を柄頭に添える形で軍刀を垂直に立て、鞘の先端でもって床を突いている。
 トキハが語ったことは、上官(アゾット)の考えに対する批判を多分に含んでおり、
ひいてはギルガメシュと言う組織を否定したも同然である。
 あるいは、叛意と見なされても仕方がなかった。ワーズワース難民キャンプの失態以来、
隊内の秩序へ過敏になっているカレドヴールフのこと、この場にてトキハを処断し兼ねない。
 万が一、首魁が暴走の気配を見せたときには、身体を張ってでも食い止めようと、
僅かに腰を浮かせるグラムであったが、トキハ当人は身じろぎもせずにカレドヴールフを見据えている。
 見れば見るほど首魁の顔貌はアルフレッドにそっくりだと、トキハは心中にて呟いた。
 彼は復讐の狂気に侵されたアルフレッドを間近で見ている。
それどころか、熱砂の合戦場では敵同士として対峙したのだ。
 世界と言う垣根を超えて育んだ絆すら「敵と馴れ合うなど言語道断」と切り捨て、
容赦なく命を奪おうとした狂気をカレドヴールフに重ねてしまい、
身も心も凍て付きそうになるトキハであったが、
叛意を疑われ、軍刀で首を刎ねられるとしても、言うべきことは言うつもりである。
 己の考えを論じる間に勇気が奮い立ち、覚悟も決まったのだった。

「そうです。見せ掛けでしかなかったから陽之元の旧政権は倒されたのです。
……旧政権を倒した覇天組の矛先が、今、我々に向けられていることをお忘れなく」

 首座の傍らに控えるドゥリンダナが殺気立つほどの批判を浴びせられたカレドヴールフだが、
ついに軍刀を抜き放つことはなかった。
 語り始めの頃は語勢(いきおい)も弱々しかったのだが、
トキハの論は具体的な例を引用していて分かり易く、道理と言うものを確かに備えている。
 彼が語ったように覇天組らの勇戦によって旧権力は転覆され、陽之元には新政権が誕生した。
『御一新(ごいっしん)』とも呼ばれた一大転換期である。
 時代の――否、次代の主導権争いに敗れ、滅亡の憂き目に遭った陽之元旧政権と同様の事態が
幕府に於いても起こり得ると、トキハは警鐘を鳴らした次第である。

「ギルガメシュは何の為に異なるエンディニオン≠支配下に置くのです? 
世界征服が目的だったのですか? ……ご自分たちで掲げた大義を忘れてしまったと仰るのなら、
私は隊を去ります。どうぞ反逆者として裁いて下さい。いつかのように晒し者にでもすればいいんです」
「己の身分を弁えろッ! 口が過ぎるぞッ!」
「……では、お聞きします。統治問題を話し合うと言いながら、
この会議の中で難民と口にされた方は何人ですか? 何回、難民のことが話題に挙がったのですか? 
……私が理解出来ないのは、その一点です」

 堪り兼ねて口を挟んだドゥリンダナに対し、トキハは努めて冷静に本心を訴えた。

「土台がしっかりとしていなければ、どんなに立派な屋敷を建てても簡単に倒れます。
……瓦礫に押し潰されるのは、屋敷で暮す住人だけではありません」

 比喩的な言い回しであるが、トキハはそこに難民への想いを込めていた。
 今でこそアゾットの副官としてブリーフィングに同席するトキハであるが、
以前は難民だけで構成されたエトランジェに属しており、
明日をも知れぬ生活(くらし)が如何に苦しく、恐ろしいものか、身を以って知っているのだ。
 難民キャンプで暮す人々と同じ経験をしたと言う立場から、
未完全な政体の破綻と、これに伴う災厄をトキハは懸念している。
 ギルガメシュはAのエンディニオンに属する組織である。こればかりは動かしようがない。
即ち、彼らが政治的な失敗を犯した場合、その反動が保護対象たる難民に降りかかるのである。
 Bのエンディニオンに於いて難民と呼ばれる人々は、
望むと望まざるとに拘らず、ギルガメシュの同胞なのだ。
 だからこそ、ムラマサやカレドヴールフが恐ろしくともトキハは立ち上がったのだった。

「『唯一世界宣誓』、それは難民たる同胞を救わんが為ッ! オレたちは誰も大義を忘れちゃいないッ!」

 隻眼の威圧に中てられて金縛りの如く動けなくなっていたボルシュグラーブだが、
流石にトキハの発言には黙っていられず、気合いの吼え声を引き摺りながら勢いよく立ち上がった。
 新しい政治形態の確立を目指すのは、あくまでも難民支援実現の為である。
その志は片時も忘れたことがなかった。

「――或る王が家来から繁栄を褒め称えられたとき、その者を自らの王座に腰掛けさせた。
最初は酒の席の戯れかと思ったその家臣だが、天井を見上げた途端に王の真意を悟った。
いつ切れるとも知れない一本の髪の毛で、天井から重い剣を吊るしていたのである。
言うまでもなく、王座の真上だ。この逸話を耳にした後代の王たちは、
栄光などは儚く、危険は直ぐ隣に有るのだと捉え、身も心も引き締めるようになったと言う――」

 何の脈絡もなく旧い伝承を語り始めたのは、ボルシュグラーブと同じようにムラマサに気圧され、
今の今まで硬直し続けていたアゾットである。
 依然として顔色は優れないが、特別副官たるトキハの奮起を目の当たりにしては、
何時までも間抜けを晒してはいられない。

「……ダモクレスの剣≠ノょ?」
「やはり、コールタンさんはご存知でしたか」
「摂理と行政を司る神人(カミンチュ)――レフの頭上にも似たようにゃ剣が浮かんでりゅと、
もにょにょ本で読んだ憶えがありゅにょ。しょっちか、ダモクレスかで迷ったにょ〜」
「いにしえの王がレフに倣ったのか、それとも王の教訓がレフの伝承として取り込まれたのか、
それは定かではありませんがね。ま、私は学者ではないので真相には関心もありません――」

 アゾットの語った伝承にコールタンだけは聞き覚えがあったらしく、
そこに込められた意図をも察し、「先代様≠ノ怒られても知らにゃいにょ」とからかって見せた。

「――私の関心事は、トキハ君の言葉だよ」
「アゾットさん……」
「よく頑張ったね。……キミの言葉、私は胸に刻み込んでおくよ」

 ねぎらいの想いを込めてトキハの頭を撫でたアゾットは、
今一度、シチュエーションルームに参集した皆の顔を見回していった。
 そのアゾット自身は、既に軍師の表情(かお)に戻っている。

「トキハ君は我々に一番欠けていたことを教えてくれましたよ。
幕府を開き、世界中から統治権を集めたとしても、自分たちは決して君臨者には成り得ないのだと、
常に緊張感を持って統治に当たるべきでした。
……そうでなくては、本当にワーズワース難民キャンプと同じ過ちを繰り返してしまいます。
何かひとつでも選択を誤れば、ただそれだけで全てが崩れ落ちるくらい脆い地盤――
その気構えをもって幕府を運営しなくてはなりません」
「未完成のままで構わないと仰るのですか?」
「現在(いま)は、ね。万全の体制を整えていられるだけの時間的余裕がないと言う現実問題もある。
トキハ君の言ったように難民たちはこの瞬間にも生命の危機に晒されているんだ。
だから、このままで行こう。そして、ここからの働きで幕府の正当性を認めてもらおうじゃないか。
我々が目指すのはこの惑星(ほし)の征服ではなく、エンディニオンの未来なのだから――」

 敢えて旧い伝承を例に引いたのは、トキハの懸念に理があると感じたからである。
身贔屓から彼の意見を捻じ込もうとしたわけではない。
 幕府と言う仕組みを成り立たせる為の土台は、トキハが指摘したように恐ろしく脆弱だ。
陽之元旧政権のように転覆させられてしまう可能性も高い。
 未完全で不安定な体質であるが、これこそ最大の武器に換えられると、アゾットは提唱したのであった。
 それはアゾットが至高と考える軍略の在り方にも通じるのだ。
 いにしえの軍略に曰く、『戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となす。
五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕りを生ず』――。
 敢えて、戒めの剣を求めることは、アゾットが軍師の職に在る以上は必然だったのかも知れない。

「――これにて……」

 十分に議論が深まったと感じたカレドヴールフは、軍刀を納めた鞘の先端でもって床を叩き、
これを以って終結を宣言した。

「諸君の想い、全てを我が身に、我が心に留めよう。己を律し、欲得を戒める精神を研ぎ澄まさねば、
『唯一世界宣誓』の大義は果たせぬ。ギルガメシュは救いの御手を差し伸べる者だ。
生命窮まった難民と雖も、穢れた手などは振り払うに違いない。
……諸君――今一度、ギルガメシュの正義を己に問うのだ!」

 ブリーフィングの総括にも当たる訓示をカレドヴールフが語り出す頃には、
ムラマサは平素のような好々爺の顔に戻っていた。
隻眼から凄絶なる気魄を発し、他者を圧倒していたのが信じられないほどの変わり様である。

「……タヌキめ……」
「ん? 何か言ったかな、バスターアロー殿?」
「ちょいと小腹が空いたんで、タヌキ汁でも食いてぇって思っただけさ」

 図らずも老将の変貌に釘付けとなっていたトルーポは、何とも表しようのない複雑な表情で頭を掻く。
背中を――否、全身を濡らす冷たい汗が不快で仕方なかった。




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