12.伝言あり 思いも寄らない形で「お師さん」と再会したジャーメインが目を丸くする中、 他の者たちは、やはり冒険王マイクの登場に驚愕し、呆然と言葉を失っていた。 「何をザワついているのやら。これだけの騒ぎが起こったのだから、 マイク・ワイアットまで報告が回って当然だろうに。今頃、怖気付く意味が解らんな」 ザムシードから至極当然且つ冷静な指摘が投げられたが、 心技体≠フ修練を欠いているとしか言いようのない狼狽(うろた)え方を披露するセルカンたちの耳は、 おそらく声のひとつも拾えていない筈である。 「せ、世界平和に努めてきた『ワイルド・ワイアット』が、どうしてそんな男に味方するのですか……。 いや……そうかッ! 今の雷撃、標的(まと)を外しただけなのでしょう!? 本当はアルフレッド・S・ライアンに狙いを定めていたのだけど、手元が狂って――」 「ゴチャゴチャうるせぇガキんちょだな、オイ。思い込みだけでモノ語ってんじゃねーぞ。 オレの狙いは間違いなくてめぇらだよ、スカッド・フリーダムの若衆(わかいの)。 この抗争(ケンカ)、マイク・ワイアットの名前で買ったらァ」 「う、ウソだ……ウソだ、ウソだ、そんなことッ! 紛争調停に尽力されてきた偉大な英雄が、 どうして戦いの火種になる罪人などを……ッ! いや、正義に楯突くなどッ!?」 「手前ェの立場がホントに自覚(わか)ってねーんだな。 良いか、ボクちゃん? 人ン家の文化財をここまでブッ壊してくれやがったら、 それだけでブッ殺しリストに入るんだよ、フツーは」 「これは正義の戦いですからッ!」 「やってるコトも考えるコトも、しっちゃかめっちゃかなタイプかよ。……始末に負えねぇなァ」 二五〇名もの同志の中で最も威勢が良く、自分たちの正義を微塵も疑わないセルカンに至っては、 世に名高い冒険王が世界秩序の敵に肩入れすることが信じられないと言った様子であった。 改めて詳らかとするまでもなく、ビクトーらの援軍としてビッグハウスに馳せ参じた二五〇名の同志は、 ロクサーヌが取り纏めた『在野の軍師』の身辺調査にも目を通している。 アルフレッドとマイクの同盟についても承知していた筈なのだが、 実際に己の目で確かめてしまうと、衝撃が身も心も貫き、理性さえも大きく揺さ振られるのであろう。 単に動転するだけならまだしも、正義の同志に裏切られたと言う失望まで抱いてしまったらしく、 憎悪に満ちた眼光まで叩き付けている。構えまで取り直したところから察するに、 今度は冒険王を攻撃対象として選んだ様子である。 そもそも、だ。マイクからしてみれば「正義の同志」と見做されること自体が迷惑であった。 これはセルカンや、彼の傍らに立つ者たちによる勝手な決め付けに過ぎず、 アルフレッドとの同盟に対して「正義を裏切る行為」と受け取ること自体が どうしようもない思い上がりなのだ。 面倒見の良さから世界中の人々に頼られる冒険王ではあるものの、 独り善がりな正義漢気取りに付き合う気はない。 ましてや、スカッド・フリーダムは許し難いようなことを幾つも仕出かしているのだ。 少年隊員たちを迎え撃つことにも一切の迷いはなかった。 義の戦士を名乗る者たちと徹底的に潰し合う覚悟であればこそ、 ティンクとジョウだけでなく、ケートやビンまで引き連れて乱入したのである。 「負けん気だけは認めてやらァッ! だがよ、ケンカ売る相手を間違えたぜ、てめーらはッ!」 セルカンから激烈な敵愾心を向けられていることはマイク自身も既に気付いており、 「時空の彼方の地平に突き立てられし神薙の魔剣よ。いにしえの封印を解き、我が前に出でよ」と、 左手を包むグローブに向かって呪文めいた命令を発した。 これに共鳴するかのように不可思議な石柱――無論、籠状の機械に収納された物である――が明滅し、 次いで左手の甲の部分に縫い付けられた円形の装置から幾筋もの光線が飛び出していく。 やがて、その光線は両刃の剣を彷彿とさせる形状(かたち)を中空に描き出し、 又、円形の装置も件の輪郭へ沿うようにしてエネルギーを放出し始めた。 驚くべきことであるが、このエネルギーは氷の如く凝固し、たちまち本物の刃と化したのである。 魔剣≠ニ言う呼び名が皮肉と思えるほど刀身は透き通っており、余人の目には水晶の刃と映ることだろう。 あるいは、敵と斬り結んだ後(のち)に魔剣≠ニ呼ぶに相応しい姿へ変わるのかも知れない。 生き血を吸った水晶が悪魔の如き彩(いろ)に染まることは想像に難くなかった。 「――貴方の言う文化財を壊してしまったのはこの私ですよ。 彼らは先ほど到着したばかりで何もしていません。全ての糾弾は私が引き受けなくてはならないのです」 今にも暴力の応酬へ発展しそうな空気を漂わせながら睨み合うマイクとセルカンであったが、 その間へ割り込むようにして、ビクトーが「造船所跡の破壊は己に責任がある」と自供した。 もしも、セルカンが飛び掛かったときには、マイクは魔剣≠以てして容赦なく斬り捨てることだろう。 スカッド・フリーダムの隊員は、誰もが優れた武術家であるが、しかし、冒険王とは比べるべくもない。 正面切って激突しようものなら、セルカンは格の違いと言うものを思い知りながら息絶える筈である。 この最悪としか言いようのない事態へ陥る前にマイクの意識を自分のほうへ引き付けたのだった。 「ンなこたぁ、そのでけぇ図体見りゃ分かるぜ。……直接、誰がやったかなんてのは関係ねェ。 連帯責任っつーモンをガキんちょに教えてやろうってんだ。それもオトナの務めじゃねーか!?」 「その教育的指導に冒険王自らのお出ましとは驚かされましたよ」 「いちいち堅苦しいと思ったら……あんた、何かの資料で見た憶えがあらァ―― ビクトー・バルデスピノっつったっけな。七導虎まで出張ってくるなんざ、ケンカ売る満々じゃねーの」 「今は婿養子に入りましたので、バロッサと言う家名も付くのですよ。 それに――私たちの狙いはあくまでもアルフレッド君です。 ビッグハウスのお歴々に挑戦するつもりなど毛頭ございません。 ……貴重な文化財をここまで傷付けてしまったら、何の言い訳にもなりませんが……」 「どーなってんだ、スカッド・フリーダムは。幹部(あんた)とも話が噛み合わねェじゃねーか。 ……アルたちをやってくれたのが宣戦布告だっつってんだよッ! 造船所跡(ここいら)のコトは別問題――オレはダチを傷付けるヤツを絶対に許さねぇッ!」 今まさに冒険王へ挑もうと言う寸前で割り込みに遭ったセルカンは、 跳躍に移らんとする体勢を維持したまま唖然呆然と固まっているが、 両者を引き剥がそうと図ったビクトーにとって、これこそが望んだ通りの筋運びなのである。 また他方では、マイクとビクトーの会話に耳を傾けていたクラリッサが 七導虎としての役目と矜持を想い出そうとしている。 失恋の痛手に感(かま)けている場合ではないのだ――と。 間もなく冒険王の立つ側に向き直り、依然として魔剣≠構え続ける彼と視線を交えた。 「義憤云々を説く割には随分と遅い到着だったな、マイク・ワイアット。 ……と言うか、よくここで戦っていることが分かったものだ。 市街地からは遠く離れているし、通報するような人間も見当たらなかった筈だが?」 「また輪をかけて堅苦しい姉ちゃんが出てきたな――トレーニングに出たきり帰ってこねぇから、 まさか、高潮にでも巻き込まれたかと心配はしてたんだけどな。 ……オレも町をシキッてる身なんでね、その高潮の対策に追われちまったんだよ――」 クラリッサの問い掛けに答えつつもマイクはアルフレッドたちへ順繰りに頭を下げ、 加勢が遅れたことを詫びていった。 「――高潮のほうが一段落したんで、三人がどーなってんのか、ちょいとトラウムで探ってみたんだよ。 そしたら、お世辞にも穏やかとは言えねぇコトになってるじゃねーの」 「うちの旦那のトラウムは、そうね――噛み砕いて言えば千里眼≠チてコトになるかしら。 誰が何処で何をしているのか、結構、お見通しなのよね」 「千里眼≠ヘちょっと違うだろ、そんなに便利じゃねーし。 つか、視覚だけをパワーアップさせるモンでもねーだろ。説明にしてもテキトー過ぎるぜ」 「だから、『噛み砕いて』って注釈付けたじゃない。大体、あんたのトラウム、説明しにくいのよ。 でも、ホラ――アルフレッド君たちの動きだけじゃなくて、この子たちが潜んでるのだって察知出来たわよ」 「それこそ偶々だぜ、千里眼≠ナも何でもねぇ。……マジで何でもお見通しだったら、 もっと早く駆け付けていたんだけどな……」 アルフレッドたち三人とスカッド・フリーダムの刺客が交戦していることを 冒険王はどうやって察知したのか――この委細について、ケートが補足を述べていった。 そのケート・クレメンタイン・ワイアット――冒険王の妻は、 『アルテミュラー』なる銘の化合弓(コンパウンドボウ)でクラリッサを狙っている。 僅かでも怪しい動きを見せたときには即座に射掛けようと言うのだ。 陽の光を吸い込んで煌めく鏃を向けられようと怯みもしないクラリッサの胆力も大したものだが、 会話に加わりつつ自然な流れの中で照準を合わせるケートは、 冒険王として名を馳せた男の伴侶(パートナー)らしく抜かりがない。 「……それだけ=\―か?」 夫妻(ふたり)の説明を受け止め、又、化合弓でもって脅かされていることを把握しながらも、 クラリッサの視線は冒険王から左隣の女性へと移っている。 ジャーメインが「お師さん」と呼んだ相手だが、どうやらクラリッサとも旧知の様子である。 「それなら、一体、どうしてルシアが――」 マイクの左隣に立った女性の名をクラリッサが呼ぼうとした瞬間、 横槍のように別の声が飛び込んできた。 「――旦那ぁッ! 大丈夫ですかいッ!? 遅刻しちまって申し訳ねぇッ!」 声の主は、ビッグハウスまでアルフレッドに従ってきた権田源八郎である。 緊急事態と言うこともあって具足も着けない軽装だったが、戦闘も想定して狙撃銃だけは肩に担いでいる。 源八郎の後ろにはマリスとディオファントスも続いている。 この三人は靴が濡れるのも構わずに浸水した通路をひたすらに駆け、 そして、地上の有り様に絶句したのである。 源八郎に至っては満身創痍のアルフレッドを目の当たりにした瞬間、 得物を取り落としそうになってしまった程だ。 「アルちゃん……アルちゃんッ!」 マリスなどは狂わんばかりの気色(けしき)で最愛の恋人の名を叫んだ。 立っているのが不思議に思えるような外傷も痛ましいのだが、 彼女にとって最も衝撃だったのは、病的な程に白い頬を伝う血の涙であろう。 何時(いつ)枯れるとも知れない赤黒い雫を流し続けているのだ。 失策続きのアルフレッドに冷ややかな態度を取ってきたディオファントスとて、 その惨たらしい姿には絶句させられている。 「い、今すぐに治療を……! 『リインカネーション』を……ッ!」 治癒の力を秘めたトラウム――リインカネーションを試みるべく駆け寄ろうとしたマリスだが、 その動きを当のアルフレッドは「今の俺に近付くな」と一喝で押し止めた。 「何を強がっているのかは知らないが、ここは素直に手当てして貰ったほうが良いのではないかな。 ライアン君、やせ我慢も無責任のひとつと言うことを認識し給え」 「……煩い、黙れ……」 ディオファントスにまで治療を受けるよう促されてしまったが、それでもアルフレッドは首を縦に振らない。 頑なに拒絶するばかりか、マリスに対しては顔も向けずに「余計な真似をするな」と言い放ったのである。 「ですが、アルちゃん……! 血の涙を流されるなんて只事ではございません……ッ!」 「知ったことか。……戦いはまだ終わってはいない――それが理由だ……」 「戦いの最中であっても治療くらいはするものですっ! 今、お役に立てないのなら、わたくしの力は何の為にあるのですかっ! ……アルちゃんッ!」 「決着がつくまでは誰にも邪魔はさせないッ!」 尚も食い下がろうとするマリスを鋭い声が押し返した。 「この男とだけは何があっても決着をつけなければならないんだ。この男とだけは……ッ!」 「何故なのです……どうして、そこまで……」 「……どうしても邪魔をすると言うのなら、お前でも容赦はしない。力ずくで排除する。 何を踏み越えてでも、……この男だけは確実に殺す……!」 「アルちゃ――」 「……殺す……ッ!」 鮮血混じりの咳と共に言い捨てるや否や、アルフレッドはビクトーを仰いだ。 この巨人の生命を絶つこと以外には何も関心がないと言う凄惨な面持ちで、だ。 邪魔をするなら容赦しない――ここまで冷たく突き放されてしまうと、 何時もであれば身も世もなく泣き崩れているところだが、今日ばかりはマリスの反応が異なっていた。 スカッド・フリーダムとの戦いに備えて、わざわざもんぺ≠ノ着替えてきたのだが、 臀部が濡れてしまうことも気にせず、その場にへたり込んでしまった。 マリスの隣に立っていた源八郎などは鬼よりも恐ろしい形相となり、 歯を食い縛りながら宙(そら)に向かって発砲した。 「旦那に……旦那に何をしやがったあッ!? ことと次第によっちゃ許さねぇぞッ!? ひとり残らず撃ち殺してやるッ! ……よくも、よくも旦那をォッ!」 『鉄砲権田(てっぽうごんだ)』と言う勇ましい異名を取りながらも 滅多なことでは激したりしない源八郎が、今、この瞬間に凄まじいまでの怒りを爆発させている。 際立って目立つ隊員たち――片目から鮮血を噴く巨人など戦闘に参加したと思しき者たちである――へ 順繰りに銃口を向けるなど、普段の陽気な姿からは想像もつかなかった。 血走った眼で狙撃銃を構える源八郎も、血の気の失せた頬を震わせるマリスも、 アルフレッドの身に――否、彼の心に如何なる事態が起きてしまったのか、一目で悟っていた。 理性を消し飛ばす程に昏(くら)い復讐の狂気が、再び揺り起こされたのである。 実の母親に親友を殺害されたことで心が歪んでしまい、復讐の名のもとに殺戮に狂奔したアルフレッドは、 ニコラス・ヴィントミューレの命懸けの献身によって我に返ったのだ。 もうひとりの親友が寄り添っていなかったなら、おそらくは死ぬまで暴走を繰り返したことだろう。 源八郎とマリスを含む皆がアルフレッドの復活に安堵し、心の底から喜んだのである。 それが、現在(いま)はどうだ。狂気から解き放たれた筈のアルフレッドは、 血の涙を流しながらあのとき≠ニ同じようなことを口走っているではないか。 スカッド・フリーダムとの抗争(たたかい)を通じて古傷≠ェ抉られ、 封印された筈の復讐の狂気が再び噴き出したことは、遅れて駆け付けた人間にも十分に想像出来る。 それはつまり、アルフレッドとニコラスの友情が踏み躙られたことと同義であり、 だからこそ、源八郎は逆上したのだった。 アルフレッドの心を傷付けた人間に対しては、最早、慈悲と言うものは持ち得ない様子であった。 このままでは際限なく拗れると考え、一先ず落ち着くよう促そうとしたイリュウシナの右肩を 躊躇いなく撃ち抜いたのである。 狙撃銃の威力によって後方に弾き飛ばされる姉の姿を見て取ったジャーメインは、 堪らず「ちょ、ちょっと待って!」と悲鳴を上げた。 「素手の勝負に鉄砲を持ち込むのは反則でしょっ!? いや、戦いに反則も何もないんだけど―― と、とにかく! それだけは止めてッ!」 敵と味方に分かれ、生命を奪い合う覚悟まで決めたとは雖も、肉親の情と言うものは割り切り難く、 ジャーメインは殆ど反射的に狙撃を止めるよう訴えた。 言行の矛盾は自覚しているが、思考よりも身体のほうが先に動いてしまったのである。 さりながら、頭に血が上っている源八郎が制止の声を容れるわけもなく、 銃爪(ひきがね)から右の人差し指を外そうとはしなかった。 こうなると、バロッサ家の末妹には実力行使以外の選択肢がなくなってしまう。 斯くなる上は折られていない側の足にて跳ね、飛び膝蹴りでも繰り出して源八郎を突き崩すしかあるまい。 己のほうが狙撃の対象とされてしまう危険性も高いが、最早、踏み止まってはいられないのだ。 しかし、それは敵となった姉を助ける為に現在(いま)の仲間を攻撃することに他ならない。 常識の範疇で考えるならば、決して許されるものではなかった。 (――ごめんね、みんな……こればっかりは自分でも止められないんだ……っ!) 矛盾としか言いようのない行動を心中にて詫びながら 飛び膝蹴りの体勢に移らんとするジャーメインだったが、 その動きよりも早く別の者たちが源八郎へと殺到していった。 言わずもがな、二五〇名にも及ぶスカッド・フリーダムの援軍――その一部である。 長時間に亘る激闘で疲れ果てたジャーメインよりも 到着したばかりの彼らのほうが身のこなしも遥かに機敏であった。 ホウライの稲光を身に纏わせている者さえ見受けられるのだ。 幾らバロッサ家の末妹と雖も、これでは追い付くことさえ難しかろう。 あるいは、本当の裏切りには至らずに助かったと言うべきかも知れない。 飛び膝蹴りでもって割り込むことを諦めた後(のち)、 一瞬の気の迷いを悔恨するジャーメインだったが、 目の前では若い隊員たちが次から次へと狙撃銃の餌食になっている。 兵の数と、これに基づく力でもって彼らは一気に押し切るつもりであったようが、 この程度のことで『鉄砲権田』が怯む筈もなく、標的(まと)を外す理由にもならなかった。 源八郎と正面切って向かい合った全ての隊員たちは、いずれも四肢を撃ち抜かれ、 身動きひとつ満足には出来なくなってしまった。自慢の武技を披露することさえ叶わずに、だ。 頭部(あたま)を狙撃しない分だけ源八郎も理性を留めているのだろう。 さりとて、銃創が原因で失血死しても構わないとは考えていた。 難民救済と言う共通の目的のもとに協力体制を整えたスカッド・フリーダムと決裂することさえ 源八郎は辞さない覚悟なのだ。 もしも、この場に佐志の長たる少弐守孝が居合わせたなら、 源八郎の比ではないほど荒れ狂ったに違いない。 彼はアルフレッドの後見役を自負しているのだ。今度の私刑≠耳にすれば、 佐志の全軍を率いてタイガーバズーカまで攻め入り兼ねなかった。 仮に守孝が出陣の号令を発したとしても、源八郎には反対する理由などあるまい。 「あっさりやられたもんだねぇ、リュウ? 鉄砲みたいなオモチャなんざ避けるのもカンタンだろ〜に。 雑魚ばっか相手にしていて身体がナマッちまったんなら、稽古くらい付き合ってやるけど?」 「ルシア……」 『鉄砲権田』の脅威に晒されただけで当初の陣形が崩されていく義の戦士たちを 冒険王の隣で見下ろしていたジャーメインの「お師さん」が初めて口を開いた。 撃ち抜かれた肩を庇い、ロクサーヌに支えられながら辛うじて立っているイリュウシナを ファーストネームでもって呼び付けたのである。 「ルシアちゃ〜ん、それは無茶ぶりと言うものだよぉ。 今のリュウ姉さんは、身体が鈍ってるとか、そう言う問題じゃないでしょぉ〜」 深手を負ったバロッサ家の長姉のもとにはグンダレンコもすぐに駆け寄り、 その傷口にハンカチを宛がいながらジャーメインの「お師さん」に対して抗議の声を飛ばした。 「言い訳ブチかませばオッケー貰えるなんて、スカッド・フリーダムの戦いもラクになったもんだ。 しかも、相手は露骨に武器を構えてたっつーのに。『だらしない』以外に似合うセリフがあるんなら、 今すぐあたしに教えて欲しいもんだね」 「……久しぶりに顔合わせたと思ったら、相変わらず毒舌全開ね。流石に今は堪えるわ……」 「毒舌だあ? 人を陰険ババァみたいに言うなっての。生憎、あたしは愛と真実しか口にしないよ。 稽古に付き合おうって慰めてやるのは親愛。メガネ姉妹がボロクソなのは真実―― なっ? 分かりやすいだろ? 世界中を探し回っても、こんなに素直な人間はいやしないよ」 「ルシアちゃんの言う素直は、自分に対して正直ってだけだと思うよぉ〜。 メガネ姉妹は随いてけませ〜ん」 末妹を通じて知り合った縁なのか、それは定かではないものの、 軽口を叩き合う三者が古い馴染みであることだけは間違いあるまい。 傍らにて三者のやり取りに接し、「真実しか喋らんって臆面もなく自分から名乗ちゃうなぁ、 素直じゃのォて、ええ根性しとるってゆうべきじゃのォ」と口を挟んだロクサーヌも 知り合いではあるらしいのだが、直接的に声を掛けるのでなく、 そっぽを向きながら喋るあたり、ジャーメインの「お師さん」とは 少しばかり距離≠ェあるように思えた。 そのロクサーヌは、現在(いま)、グンダレンコの身を片手のみで支えていた。 そもそも、グンダレンコは肩を撃ち抜かれたイリュウシナを介抱していたのである――が、 彼女も彼女で深手を負っているのだ。頭部に受けた大きな痛手(ダメージ)の影響でよろめいた結果、 慌てて姉妹の間に立ったロクサーヌが二人分の体重を支える羽目になったのだった。 「――ルシア・レッドウッド! まさか、弟子を助けに来たのかッ!? タイガーバズーカの恥さらし共めッ! 師弟揃って義を踏み躙るつもりかよッ!」 少し離れた場所からジャーメインの「お師さん」を睨んでいた若い隊員のひとりが 「ルシア・レッドウッド」と低く呻いた。 この名を知らないタイガーバズーカの出身者など、地上の何処にも存在しないだろう。 スカッド・フリーダムの本拠地に根を下ろした人間ばかりではなく、 武芸を嗜む者の多くは「ルシア・レッドウッド」と言う名に聴き憶えがある筈だ。 事実、ザムシードは師弟の顔を交互に見比べると、 「レッドウッドの弟子とは思わなんだ。」などと言って感心したように溜め息を零したものである。 ジャーメインの「お師さん」ことルシア・レッドウッドが背負う肩書きとは、 端的に表すならば武術研究家≠ニ言うことになる。 ビクトーが操るケンポーカラテや、シルヴィオの極めたトレイシーケンポーなど―― 旧人類(ルーインドサピエンス)よりも更に旧い時代に誕生した武術が 現在まで受け継がれている例も少なくない。 しかしながら、全ての武術が往時のまま保存され続けるわけではなかった。 時代が移る過程に於いて後継者の消滅と言った事態は必ず付きまとい、 優れた技巧(わざ)も失われていったのだ。 即ち、遺失文明と同義である。そして、失われてしまった武術の復古こそがルシアの生業であった。 東奔西走して断片的な史料を掻き集め、更に必要な情報を抜き出し、 徹底的な検証を施した上で技術体系の再編を試みているのだった。 彼女の研究成果によって失伝を免れた武術は数知れない。 若い隊員が呼んだ「ルシア・レッドウッド」の名は、いずれ歴史書にも記されることだろう。 それ程の功績を成し遂げているのである。 消失が憂慮される武術の保護と復活は、タイガーバズーカの出身者ならではの事業とも言えよう。 愛弟子――ジャーメインに授けたムエ・カッチューアとて旧人類の遺産から蘇らせたものであった。 世界中の武術を追い求めるからには、ルシア自身の腕前≠熨越しなくてはなるまい。 事実、生半可なアウトローでは全く歯が立たない程の猛者であり、 スカッド・フリーダム所属でなくタイガーバズーカ出身者全体を対象として選考するならば、 彼女こそ最強と推す者も少なくはなかった。 七導虎すら超えるとも囁かれる程の武術者にも関わらず、 秩序の守り手たるスカッド・フリーダムには一度も入隊した経験がない。 タイガーバズーカ出身の武術家ならば、加わって当然とされてきた隊に、だ。 護民官たる使命を貫く手段こそが武芸と言う思想に凝り固まった者たちの中では、 類稀なる才能を正義とは別のことに使うルシアへ反発する声も確かに上がっている。 「『義』に背を向けた卑怯者」と蔑む人間まで現れる始末であった。 正義を標榜する者たちが集まったことによって生じた一種の群衆心理――あるいは思い上がりと言えよう。 先ほどルシアの名を呼んだ若い隊員も、傲慢な群集心理に取り込まれているらしい。 目上の者と接するにも関わらず、「タイガーバズーカの恥」とでも言いたげな声色だったのである。 これこそ『義』が聞いて呆れる無礼と言うものであり、 年少者の仕出かした失態(こと)と笑って聞き逃すほどルシアも甘くはなかった。 「見ず知らずのガキんちょから呼び捨てにされる覚えはないねぇ。 フランクな付き合いはバッチ来いだけど、どこかに礼儀を置き忘れたようなバカは大嫌いでねぇ――」 「な……ッ!?」 「――顔洗って出直してきなッ!」 一瞬で――それこそ瞬間移動としか思えない程の速度で件の隊員の前に飛び降りたルシアは、 右の人差し指でもって彼の眉間を弾いた。所謂、『デコピン』と呼ばれる行為(もの)である。 傍目には軽く人差し指が当たった程度にしか見えなかった筈だが、 しかし、命中の瞬間に轟いた激突音(おと)は重く、たった一撃で件の隊員を遥か後方まで吹き飛ばした。 数棟の建物を突き破り、勢いが減殺されていなければ、間違いなく大海原に落ちていただろう。 人類史上空前絶後のデコピンに慄き、身震いするセルカンたちを見据えたルシアは、 「根性入れ直したほうが良いヤツらばっかりだァ」と、拳を鳴らしながら歩み寄っていく。 群を抜いて負けん気の強い者たちは仲間の仇を取るべくルシアに立ち向かっていったが、 その結果は改めて詳らかにするまでもなかろう。 垂直落下の手刀でもって右方より迫る相手を叩き伏せ、 後方の敵に対しては全身からぶつかるような勢いで肘鉄砲を繰り出し―― ルシアは自分を取り囲んだ者たちを簡単に蹴散らしていった。 相手が蒼白い稲光を纏っていようとも彼女は全く意に介さなかった。 圧倒的な武技の前には小細工など無意味と言うことであろう。 「オーラオラッ! 根性注入してやるから並んで立ちなァッ!」 ルシアが歩を進める度、冒険王とその仲間が立つ屋根の上まで義の戦士たちは吹き飛ばされ、 戦闘の続行が不可能な状態に追い込まれていくのだ。ただひたすらに巨人を仰いでいたアルフレッドも、 ルシアの威容(すがた)には心底から驚愕させられてしまった。 「お前の師匠だそうだが……何なんだ、あれは。あんなのがタイガーバズーカに居たのか……」 「元々、出鱈目な人だったけど――また一段と強くなった気がするよ。 最近、発掘したって言う『レドリッド』って足技系≠ニ相性良かったのかなぁ」 ジャーメインの師匠らしく弟子と同系統の武技(わざ)も繰り出してはいるのだが、 ムエ・カッチューアとは明らかに異なる所作(うごき)も数多く見受けられた。 それが『レドリッド』なる武術の特徴なのであろうか。 直接的に打撃を狙うジャーメインと比して、ルシアの場合は搦め手を工夫する傾向があるようだ。 拳を突き込んできた相手には、その腕を腋でもって挟むような恰好で肘鉄砲を放ち、 横っ面へと強撃を滑らせていった。 手首を掴まれようものなら半歩ばかり踏み込みつつ捕獲≠ウれた側の腕を勢いよく振り回し、 逆に肘鉄砲でもって相手の肩を打ち据えていく。すかさず肘を押し当てて挙動(うごき)を封じ、 更にこの一点を支点として鞭の如く下腕を撓(しな)らせた。 相手の五指を振り解きながら腰目掛けて裏拳を繰り出し、これを以て体勢を崩すや否や、 猛烈な膝蹴りに派生する次第であった。 向かってくる敵が巨躯であったなら、両の肘を連続して振り抜いて相手の脳を激しく揺さ振った後(のち)、 止(とど)めとばかりに右の肘鉄砲を叩き落した。 これがジャーメインならば三度目の肘打ちで本当に止(とど)めを刺したのだろうが、 ルシアにとっては更なる強撃への経由でしかない。肘でもって首の付け根を抉りながら相手を押さえ込み、 何処にも逃げられない状態まで追い詰めておいて左膝を突き上げるのだった。 相手の挙動(うごき)を封じ込んでから威力の高い攻撃へ繋げると言うことは、 原理そのものは『首相撲(くびずもう)』に近いのであろう。若しくは、これを応用しているのかも知れない。 無論、複雑な工夫を経ずに速射する武技(わざ)も鋭い。 予備動作が見えない程の速度で斜め下から突き上げる肘打ちは、 相手に防御へ移る暇すらも許さず、その身を高く撥ね上げるのだった。 「まぁだまだ――こんなモンじゃウォーミングアップにもなりゃしないよ! どうせなら二〇〇人総出で掛かってきなッ!」 両掌でもって相手を突き飛ばし、姿勢を崩したと見て取るなり鋭く踏み込んだルシアは、 全身を大きく捻るようにして右の前回し蹴りを放ち、狙い定めた左太腿を一撃でへし折った―― 転げ回る義の戦士を見下ろしつつ迸らせた吼え声には誰もが戦慄し、恐怖に仰け反っている。 自棄になって突っ込んできた青年隊員の飛び膝蹴りを左掌で軽く受け止めると、 ルシアは反撃の右拳を突き入れて胸骨を陥没させ、崩れ落ちた相手を踏み付けにしながら周囲を見回した。 すると、どうだ。処刑人≠フ加勢に駆け付けた二百余名の義の戦士たちが 強風に煽られた稲穂のように次々と仰け反っていくではないか。 中には悲鳴を引き摺りながら後退する者まで見られる。 造船所跡に到着した直後の威勢の良さなどは今や見る影もなかった。 勇ましい声を張り上げていられるのは、「痴れ者め、退くなッ! 正義が挫けてどうするッ!?」と 仲間たちを叱咤するセルカン・グラッパくらいである。 「無様」の二字が何よりも似つかわしい大崩れであった。 「――はあああぁぁぁッ!? なんなんだい、そのリアクションはッ!? 全員まとめて相手してやるっつってんのに、なんでそっちが追い詰められたよーな顔してるんだァッ!? イケイケで攻めて来なァッ! ほれほれぇーッ!?」 あっさりと戦意が挫けてしまったのが面白くないのか、それとも暴れ足りないのか、 袖を捲って剥き出しにした両腕に力瘤を作りながら挑発を飛ばすルシアであったが、 義の戦士たちは一向に動かない――否、動けない。 ルシア・レッドウッドと言う圧倒的な恐怖の前に金縛りのような状態に陥っているのだ。 「聞いたかッ!? 裏切り者に加担して正義に楯突きながら、それが悪と微塵も感じない物言いをッ! 望み通りに攻めて攻め切れッ! 総員、自分に続けぇッ!」 斯くの如くセルカンが雄叫びを上げて攻撃態勢に入ろうとも、最早、仲間たちは反応すら出来なかった。 七導虎を超えるとまで囁かれるルシアの戦闘力は、彼らの予想を遥かに上回っていた。 より正確に表すならば、二百余名で一斉に襲い掛かったとしても歯が立たない――と言うべきであろう。 しかも、背後には冒険王マイクの姿も在る。彼もまたスカッド・フリーダムへの憤激を迸らせており、 この場に駆け付けた仲間たちと共にタイガーバズーカまで攻め寄せてしまいそうだった。 義の戦士たちは、最早、一秒たりとも油断の出来ない状況にまで追い込まれていた。 ルシアにばかり気を取られていたセルカンの足元には銃弾まで撃ち込まれたのである。 二度も続けて銃爪(ひきがね)を引いたのは、言わずもがな『鉄砲権田』こと源八郎だ。 風を裂くような奇怪な音に反応して咄嗟に跳ねていなければ、 今頃、セルカンの両足は使い物にならなくなっていただろう。 「不意打ちとは卑怯なッ! ライアンに与する人間は誰も彼も悪しき業ばかりを好む……ッ!」 忌々しげに呟きながら構えを取り直したセルカンの力量は、 共に駆け付けた二五〇名の中でも頭ひとつ抜きん出ている。 同世代に於いてはジェイソン・ビスケットランチとも同等と見られているのだ。 そして、そのジェイソンはタイガーバズーカに於いて「天才」と言う呼び名を欲しい侭にしていた。 年少の身でありながら『クン・ケフォ・タヴァン』なる拳法を極めたセルカンは、 全身全霊を傾けさえすれば、ルシアを相手に勝てないまでも善戦する可能性だけはあった――が、 それも一対一と言う状況に限定した話である。 二百余名によって『在野の軍師』を包囲した筈のスカッド・フリーダムであるが、 今や反対に挟撃の危機に晒されているのだ。ルシアが敵中に飛び込んだことで布陣図まで一変したのだった。 この絶望的な構図をセルカンひとりだけが認識していないらしい。 冒険王マイクたちに背後を取られたにも関わらず、 一つ覚えのように「攻めまくれ」としか口にしないのである。 極端にして独特な精神構造が彼に見せる世界に於いては、 己が悪と見做した存在には何があっても負けることはないのであろう。 勧善懲悪こそが真理であり、これに基づいて世の全てが成り立っていると言うわけだ。 思わず憐みを覚えてしまう程に激しい思い込みであり、 「正義」の二字に対する独り善がりな盲信がセルカンの判断を狂わせていた。 即ち、ありとあらゆる行動が勘違いによって引き起こされているのだ。 周囲を振り返ることもなくルシアへ挑戦しようとするのは、 深い考えもないと言う何よりの証左であろう。 平然と源八郎に背を向けた辺り、狙撃銃に脅かされた事実すら忘れている様子だ。 「浅慮」とは彼の為に在るような言葉だった。 クン・ケフォ・タヴァンの武技(わざ)にホウライの恩恵を加えたとしても、 現在(いま)のセルカンに勝機などは見えなかった。 対するルシアは手招きでもって挑発している。 罪過を悔やむべき悪が太々しい態度を取り続けること自体、セルカンには許し難く、 「本性を表したな! タイガーバズーカの恥さらしめッ!」と吼えるや否や、 全身に蒼白い稲光を纏った。 「――正義の拳を思い知れェッ!」 マッシュルームカットに切り揃えた髪を振り乱しながら猛進した少年隊員は、 クン・ケフォ・タヴァンの武技(わざ)を次から次へと繰り出していったのである。 セルカン・グラッパに備わった身体能力の為せる技でもあるのだろう。 柔軟性に富んだ伸びやかな攻撃が轟々と唸りを上げた。 いずれの技も切れ味が恐ろしく鋭い――が、 それでもルシアへ満足に痛手(ダメージ)を与えることは叶わず、 受け流される度にセルカンは「何かの間違いだッ!」と憎々しげに喚いた。 改めて詳らかにするまでもないことだが、打撃を防ぎ切ったからと言って、 レドリッドのほうがクン・ケフォ・タヴァンより技巧(わざ)が優れているわけではない。 二十余年も武芸一筋に打ち込んできたルシアと、年の頃さえ一〇を超えたばかりのセルカンでは 積み重ねた修練の年月も経験も余りにも違っており、それ故に拳と脚が通じないのだった。 右の下段蹴りでもってルシアの左膝を捉えたセルカンは、 次の瞬間には残像すら映さない程の速度で上段蹴りへと変化した。 自分より身長が高い彼女の顔面を打とうと言うわけだ。 天をも突かんと右足を伸ばした直後、上体を傾けつつ対の左足を突き上げ、 これを避けられるや否や、腰を捻り込みつつ軸足でもって踏み込み、再び右の蹴りを放った。 斜め下から襲い掛かる後ろ回し蹴りである。 折り畳んだ状態から両足を一気に伸ばし、全身のバネを瞬間的に爆発させる妙技であったが、 これを三度(みたび)繰り返してもルシアの頬を掠めることすら叶わなかった。 連続蹴りを見舞う直前には左膝を揺さ振っておいた筈なのだが、 どうやら微塵も効き目がなかったようである。それが証拠にルシアの身動きは全く鈍っていなかった。 「小癪ッ! いや、人目を忌み嫌う悪党だから逃げるのだけは巧いのかッ!?」 「口を動かす前に正義の拳とやらを動かしな! そんなんじゃ当たってやれないね!」 「ぬうゥ――」 一度として直撃させられないことが腹立たしくて仕方がないのか、セルカンは何かにつけて喧しい。 翼を広げた猛禽(とり)の如く両腕を左右に伸ばし、この状態で駒のように高速回転したセルカンは、 打撃を試みながら遠心力を得ると、すぐさまに右の飛び前回し蹴りへ変化した。 天才≠アとジェイソンを除く同世代の武術家であったなら、振り回される両拳で全身を殴打された挙げ句、 止(とど)めの蹴りまで喰らわされて卒倒していたことだろう――が、 相手はアルトの武術界に名の通ったルシア・レッドウッドだ。 流れるような攻撃を全て見極めた彼女は、巧みに身を捻って悉く躱して見せたのである。 死角となる位置から側頭部を狙った前回し蹴りでさえも空を切る有り様だった。 「――ちッぃぃぃィィィ!」 奇襲気味の前回し蹴りをも回避されてしまったセルカンは、 中空から身を放り出すようにして急降下し、水飛沫を伴いながら着地すると、 鎌の如き軌道で左足を振り抜いた。回し蹴りの要領でルシアの足元を脅かそうと言うのである。 傍観者たちの目から見てもセルカンの蹴りは速い――が、ルシアの動きはそれ以上に鋭い。 直撃するか否かと言う瞬間を見極めて垂直に跳ねた彼女は、回避直後には報復の手刀を閃かせている。 縦一文字の強撃は、鋼鉄(はがね)さえ断つような名剣にも匹敵することだろう。 ルシアの手刀を無防備な脳天に振り落とされたセルカンであったが、 しかし、彼も肉体(からだ)の打たれ強さだけは七導虎たちに匹敵していた。 本来ならば脳にまで衝撃が達するような強撃を被ろうとも、上体を傾けることさえなかったのだ。 「モーントのボウヤとは違うみたいだけど――アンタもアンタで頑丈そうだねぇ? いいね! こいつは壊し甲斐がありそうだッ!」 「あんな余所者と一緒にするなッ! 我が流派の修練を以てすれば、邪悪な技など効きはしないのだッ!」 同志を吹き飛ばした恐怖の『デコピン』でもって眉間を抉られもしたのだが、 皮膚が裂けて鮮血が飛び散るような事態にも至らず、 威力も衝撃も、その身に叩き込まれる一切をセルカンは耐え凌いだのである。 まさしく驚異と呼ぶに相応しかろう。不破の鎧もかくやと思えるほど頑強な肉体を得る為、 想像を絶するような過酷な修練を繰り返したに違いない。 これは天才の呼び声が高いジェイソンですら持たざる武器(もの)であり、 セルカン・グラッパと言う少年の末恐ろしさを表してもいる。 「正義は不屈にして不滅ッ!」 「そうだねェ、一理あるねェ、あんたが正義かどうかは別としてねェ」 右の人差し指による『デコピン』を眉間でもって受け止めた上に力で押し返したセルカンは、 反撃として両の腕を繰り出していく。肘を支点として下腕を振り子の要領で揺り動かし、 鎖で繋がった鉄球の如く拳を叩き付けようと言うのだ。 奇妙な所作(うごき)に基づく技だが、術理自体は四肢の運動に沿ったものである。 要は肩から肘に至る腕の柔軟性を極限まで引っ張り出したと言うことだ。 これによって両の拳は本物の鉄球にも等しい破壊力を発揮し、又、その速度も尋常ではなかった。 両の拳をルシアの顎へ立て続けに命中させたセルカンは、すぐさまに前蹴りへと繋げていく。 脳まで揺さ振られたであろう彼女の腹を足裏でもって踏み付けにし、 そのまま勢いに任せて蹴倒そうと言うわけであった。 太腿の付け根と膝のバネを一気に引き出す技であるが、その足をルシアは逆に蹴り飛ばしてしまった。 顎を伝って脳にまで衝撃が浸透したのであるから、暫時、身動きも止まらざるを得まい―― そのようにセルカンは見越していたのだが、ルシアの肉体も彼と同等か、それ以上に堅牢なのだ。 即ち、顎を抉った打撃などルシアには少しも効いておらず、セルカンが返り討ちに遭っただけのことである。 脳を揺さ振る痛手(ダメージ)とて、彼が最も得意とする独り善がりな思い込み≠ニ言うわけであった。 ルシアの繰り出した反撃は掬い上げるような蹴りである。 如何にセルカンの肉体が頑強であろうとも左右の足が宙に浮いてしまっては為す術がなく、 それこそ狙い目とばかりに彼女は直線的な拳打を繰り出していった。 「ぬ……ぬうぅっ!」 しかし、セルカンの身のこなしも恐ろしく速い。 ルシアに向かって右半身を開き、すり抜けるような恰好で拳打を避け切り、 続けて同じ側の足を斜め上に向かって繰り出した。 腰や股関節の捻りを駆使して後方の敵に蹴りを見舞おうと言うのが本来の用途なのだが、 半身を開いた上に胸を反り返らせて拳打を躱した避けた現在(いま)は、 ルシアの左肩に足甲を直撃させ、その動きを妨げるのみであった。 有効な痛手(ダメージ)を与えることは難しかろうが、僅かな間でも相手を押し止める効果は望めるだろう。 果たして、ほんの一瞬だけルシアの身のこなしが鈍った。 その直後のことである。中空にて身を捻って体勢を立て直したセルカンは、 着地するよりも先に反撃を試みた。 何もない空間にて自転車のペダルを漕ぐような所作(うごき)を繰り返し、 ルシアの胴にでも連続して足裏を叩き込もうと言うわけだ。 飛び蹴りの最中に両腕を広げると言う独特の構え方などから察するに、 あるいは猛禽(とり)の爪を模倣した技なのかも知れない。 そして、その爪には常に蒼白い稲光を纏わせていた。 「ほうほうほう――見たところ、『クンフー・トーア』をかじってるみたいだねェ。 いやあ、感心感心。なかなか稽古が行き届いてるじゃあないか。それだけは見直してやるよ」 「おのれ! 愚弄するつもりかッ!」 「人の褒め言葉を素直に受け取れないようじゃロクな大人にならないぞ? えェ、ボクちゃん?」 「おッ……のれェッ!」 中空に於いて浮揚するような格好で繰り出す蒼白い爪は、 セルカンにとって渾身の必殺技であったようなのだが、 対するルシアは片手のみで軽く弾き返してしまった。幾度も連続する蹴り技を、だ。 武術研究家の面目躍如と言うべきか、その口振りから察するに、 どうもルシアはセルカンが体得した武術にも詳しい様子であった。 電光石火の蹴りを悉(ことごと)く受け切る身のこなしこそが何よりの証左と言えよう。 更に付け加えるならば、彼女が口にした『クンフー・トーア』とは、 クン・ケフォ・タヴァンの別の呼び方である。 蒼白い爪を以てしても討ち取ることが叶わず、いよいよ業を煮やしたセルカンは、 両の足を揃えて一本の槍の如く突き出そうとした――が、ルシアは左の五指にて彼の右足首を掴み、 その状態を維持したまま全身をも振り回すと、止(とど)めとばかりに石畳へ叩き付けようとした。 水面を抉る形となったが、両掌を石畳に叩き付けて落下時の衝撃を相殺させたセルカンは、 激しく身を捩ることで足首に対する拘束≠ゥら逃れ、続けて大仰に転がってルシアから間合いを離した。 何時までも同じ場に留まり続けていれば、レドリッドなる武術の餌食になるものと警戒したのであろう。 事実、ルシアは己のジャケットより垂れ下がった右側のベルトを両手で握り締め、 セルカンの首に引っ掛けようとしていた。無論、頸動脈を絞める為に、だ。 このような技法もレドリッドの体系には組み込まれていると言うことである。 「――毒婦め……ッ!」 「どこで憶えたのか知らないけど、痛いコトに使い方が間違ってるんだなァ。 思春期のボクちゃんだけに難しそーな言葉を喋りたかったっつーのは解るけどねェ、 そーやって粋がる前にママから辞書の引き方くらい教わってきな」 「ルシア・レッドウッド! 貴様はどこまでも、どこまでも……ッ!」 乱れ切った呼吸を一瞬にして整えるセルカンであったが、再び毒婦≠ノ立ち向かおうと踏み出した直後、 数人の僚友から「もうよせ! 勝てっこない!」と引き留められてしまった。 冴え渡るクン・ケフォ・タヴァンの妙技を以てしても、 これを操るセルカン・グラッパの才能を全て出し切ったとしても、 ルシア・レドウッドと言う女傑には決して敵わないのだと、周囲の僚友たちが認めてしまった形である。 無論、セルカン当人には甚だ不本意な事態であり、集団による侮辱と受け止めて喚き散らしたものの、 仮に誰にも止められずに戦い続けたところで、いずれは押し切られ、競り負けたに違いない。 確かにセルカンの肉体は不破の鎧が如く堅牢であるが、 肩を大きく上下させる程に呼吸(いき)の荒い彼と比して、 ルシアの側は汗ひとつ流していないのだ。そこに歴然たる差を感じ取るのは自明と言えよう。 自分の身を案じて駆け寄ってくれた仲間の手を邪険に振り解いたセルカンは、 血走った眼でルシアを睨み据えながら右の人差し指を勢い良く突き出した。 「勝てる勝てないの問題じゃない! 最後まで正義を貫けるか、どうかだ! 見ろ、この悪逆非道の数々をッ! ……ルシア・レッドウッドのことだけではないぞ! ビクトー様の目を抉ると言う戦士の風上にも置けない所業――これを悪≠ニ呼ばずして何とするッ!?」 「香ばしいっつーか、痛々しいっつーか。ここまで頭ン中、お花畑だったら、 さぞや人生が楽しいんだろうねェ……ちょいと羨ましくなってきちまったよ」 「黙っていろ、毒婦ッ! ……正義を諦めたら、世界は悪≠フ思うツボだッ!」 善かれ悪しかれ、スカッド・フリーダムの少年隊員は義の戦士としての矜持に拘泥するつもりのようだ。 吼え声自体は喧しいことこの上なかったが、正義を信じる一念だけは愚かな程に純粋であり、 それ故に言動には偽りや邪念を全く感じさせないのだった。 「世間知らずのボクちゃんには残念なハナシかもだけどねェ―― ボクちゃんが愛して止まない正義ってェ代物は、誰かの都合次第で簡単に変わるし、 面白いくらい歪んじまうモンなのさ。スカッド・フリーダムの在り方と同じようにね」 「貴様のような悪≠ェ我が隊を語るなァッ!」 どのように言い繕ってもスカッド・フリーダムの『義』が 現戦闘隊長の手によって歪められた真実≠ヘ変えようがない。 だからこそ、ビクトーも激怒したのだ――と続けようとしたところでルシアは口を噤んだ。 『義』の先駆者であり続けなければならない巨人は、黙したまま天を仰いでいた。 「今こそッ! ビクトー様からもこの毒婦に言ってやってくださいッ! 我が隊の正義の何たるかをッ!」 セルカンから請われても巨人は反応ひとつ返さない。声ひとつ発することもない。 「ビ、ビクトー様……?」 さしものセルカンも心細げな声を洩らした。何しろ彼は援軍として駆け付けた直後に 不可視の打撃≠ナもって吹き飛ばされている。そのような経緯もあってか、 己がビクトーに疎んじられているのではないかと不安に感じているらしい。 義の戦士にとって、七導虎の信頼を失うことは死の宣告にも等しいのである。 セルカンだけでなく、二五〇名もの隊員たちがビクトーの真意を測り兼ね、彼に視線を向けている。 面に滲ませるのは「不安」の二字であった。 穏やかならざる沈黙に包まれた只中に在って、 ビクトーがルシアの言葉にこそ同調しているとイリュウシナは気付いていた。 「正義とは誰かの都合次第で歪められる」と言う指摘へ我知らず頷きそうになった為、 天を仰いで誤魔化したようなものなのだ。最早、スカッド・フリーダムに嘗ての『義』がないことを 彼の心が認めてしまっている証左とも言えよう。 シュガーレイの後継として戦闘隊長に任命されたエヴァンゲリスタ・デイナ・シュマンツ―― その男の思い付きによってスカッド・フリーダムと言う隊が歪められている。 これが真実であり、又、現実であった。 そして、その現状に七導虎の一角として憤激しない筈がなかった。 夫の心中に渦巻く静かな怒りさえもイリュウシナは悟っており、 だからこそ血が滲む程に強く唇を噛み締めるのだった。 スカッド・フリーダムは力弱き人々を救う護民官であるべきなのだ。 その志をあくまでも貫かなくては、義の戦士を名乗る資格などあるまい。 任務の過程で殉職した同志たちの魂に報い、無念を晴らす為にも志を堅持することが欠かせない―― この思いをスカッド・フリーダムの総員が共有している筈であった。 だが、援軍を標榜してビッグハウスに駆け付けたセルカン・グラッパたちは、一体、何なのか。 護民官と言う本来の任務から二百余名もの隊員を引き離し、汚れ仕事に送り込んだのは、 義の戦士たちを導くべき立場の戦闘隊長だと言うではないか。 許し難い行為(こと)であった。己が泥を呑むとはバロッサ家の人間の償いとして受け入れられるが、 同じような汚れ仕事を少年少女にまで命じる判断だけは絶対に認められなかった。 七導虎が最も優先すべきなのは、前途ある若者たちが何の疑いもなく『義』の戦いへ邁進できるよう 道を開いていくことなのだ。エヴァンゲリスタは正反対のことを仕出かしているではないか。 援軍の中に成人した者はひとりもいない。 セルカン・グラッパに至ってはジェイソンと大して変わらない年齢なのだ。 「……ビクトー……」 嵐の如く荒れ狂っているだろう心中を気遣い、イリュウシナは労わるような声色で夫の名を呼んだ。 七導虎の宿命と言うべきか――ビクトーは憤怒を露にすることさえ許されていなかった。 二百余名の少年少女が見ている前で『義』の規範にあるまじき振る舞いなど出来よう筈もあるまい。 それ故にルシアの言葉にも頷けなかったのである。心底より同調しても、だ。 天を仰ぎ続ける巨人の姿から苦しい胸の内を察したルシアは、 ある意味に於いて「煮え切らない」とも言える態度が気に食わなかったのか、 舌打ちを引き摺りながら圧(へ)し口を作った。 「クラリッサ様ぁ……っ!」 縋るような声でセルカンから名を呼ばれたクラリッサだが、彼女とてビクトーと全く同じ心境なのである。 少なくとも、この少年隊員のようにスカッド・フリーダムの『義』を純粋に信じることは出来ない。 己と同じ懊悩を抱えているであろう巨人を見上げながら、 「目上の人間を捕まえて毒婦呼ばわりした口で正義を語るんじゃない」と不調法を注意するのみであった。 『義』の規範として尤もらしい発言であるが、しかし、セルカンのほうを振り向きもしないのだから、 気のない返事≠ニ呼ばれるものであることは間違いない。 そのクラリッサと正面切って対峙するジャーメインは、 何の前触れもなく現れたかと思えば、セルカンたちを相手に大立ち回りを始めた「お師さん」に向かって 「とりあえず落ち着かない?」と呆れたような声を掛けた。 「えぇ〜っと……お師さん? 助けて貰って嬉しいんだけど、あたしたち、みんなして置いてきぼりでさ。 何でお師さんがココに居るのか、そっからしてもう分かんないから。全体的にワケ分かんないから」 ようやくジャーメインと視線を交わしたルシアは、 片手を挙げて応じつつも、満身創痍としか例えようのない愛弟子の姿を豪快に笑い飛ばした。 「はいィ!? この状況のどこに笑える要素があんの!? こっちは一ミリも思い付かないんだけど!?」 「だって、あんた、超面白いカッコしてるじゃないか。そんなん見せられたら誰だって吹き出すさ。 いやあ、飲み物を口に含んでる最中じゃなくてラッキーだったよ。人間霧吹きになるところだったさ!」 「左足首と右肩が折れてんの! 誰が好き好んで、こんな大道芸みたいな真似するかっ!」 「かぁ〜、相変わらず可愛いおバカ娘だねぇ。誰もポーズのハナシなんかしてないだろう? 服装(ナリ)のことだよ、服装(ナリ)。乳まで出してノリノリじゃないか」 「出してないでしょーが! てゆーか、ノリノリって何よ!?」 ルシアから冷やかされ、反射的に左手で胸元を覆い隠したジャーメインは、 この場には居ないライナより借り受けたメタルビキニ型のMANAを身に着けている。 件の装備の上から薄い桜色のワイシャツとデニム地のスカートを着ているのだが、 半袖の上着はボタンを留めておらず、左右の裾を臍の上で縛っていた。 確かに普段着と比較して肌の露出する面積は広い。そのことをからかわれたのだろうか―― 頬の火照りを自覚しつつルシアを見つめると、彼女は瞳の動きでもってアルフレッドを示した。 「オトコの気を引く出血大サービスとは言え、まさか、メイがポロリを解禁するなんてねぇ〜。 いやはや、目いっぱい背伸びしてる感じが微笑ましくて微笑ましくて……あたしゃもう腹が捩れそうだよ」 「お師さんッ!」 ルシアが口元に浮かべているのは、これ以上ないと言うくらい厭らしい笑みであった。 おどけた調子で肩を竦めると言う仕草からして愛弟子を存分に冷やかし、弄ぶつもりのようである。 いろいろなこと≠見透かされたようでジャーメインは気恥ずかしくなり、 いよいよ顔面は林檎同然の色と化した。 「――師弟漫才はその辺にしときな。お前さんはコントライブの巡業で来たんじゃねーだろ」 「その上、勝手に露払い≠ワで始めちゃってさー。コイツら蹴散らすのはボクらの仕事って取り決めだろ。 こーゆーシチュエーションは新兵器の試運転には持ってこいなんだからさぁ〜」 ジャーメインとルシア――師弟の間へ割り込むようにしてマイクとビンが声を張った。 ビンに至っては背に担った箱状の機械を操作しつつ、狙うべき標的(まと)を見定めている。 音声入力によって命令(コマンド)を認識させるシステムとなっているのだろう。 それまでは鋼鉄の箱のようにしか見えなかったのだが、 「モルモットだってより取り見取りじゃん。あんなことやそんなことまで試しちゃおう」と、 ビンが哄笑混じりに攻撃命令を発した直後には両側面から数本の機械腕(アーム)が飛び出し、 獲物を威嚇するような可動(うごき)を披露した。 「世界征服にだって使える取って置きだい! そこいらのチンピラなんかイチコロだよ!」 各機械腕(アーム)の先端には超音波を発するスピーカーや、 電波妨害を行う為のアンテナ、分厚い装甲をも抉るであろう大型ドリルなどが組み込まれており、 「世界征服」と言う物騒極まりない謳い文句が単なる脅しとは違うことを表している。 高圧電流によって接触した部位を溶解させる刃(ブレード)や毒ガスを散布する噴霧器、 火炎放射器と言った実戦的な武器――否、兵器も機械腕(アーム)には装着されているのだ。 間もなく機械上部から連装型のレーザー砲まで迫り出し、 この場に居合わせる全ての者たちに臨戦態勢が整ったことを示した。 スカッド・フリーダムを蹴散らすのは自分たちの役割と述べたビンであるが、 その言葉通りに本気で攻めかかれば、二百余名の隊員たちなど容易く蹂躙してしまうだろう。 たったひとりでも都市制圧が可能と思われるほど桁外れな武装に冒険王とその妻の攻撃まで加わるのだ。 「蹴散らす」などと言う生易しいものではなく、痕跡ひとつ残さずに消し飛ばしてしまうかも知れない。 「世界征服!? 世界征服と言ったのか、今ッ!? ……おのれ、冒険王ワイアットめッ! 正義の同志と我らに見せておいて、その実、とてつもない大陰謀を企んでいたとは――」 ビンが自分たちを狙っていると認めるなり、喧しく喚き始めたセルカンを一瞥したマイクは、 「騒いでいなきゃ生きられねぇのか、てめーは」と吐き捨てながら左手を真横に振り抜いた。 冒険王の左手を包むグローブ――手の甲の部分に縫い付けられた円形の機械からは 水晶と見紛うばかりに透き通った刃が飛び出している。仰々しく魔剣≠ネどと称される刀身を閃かせると、 辺り一面に風を薙ぐ轟音が鳴り響き、次いでセルカンの足元で大波が起こり、 一瞬の後(のち)に石畳へ横一文字の刀疵が刻まれた。 ビクトーが諸手にて繰り出す衝撃波が不可視の打撃≠ナあれば、 こちらはさながら不可視の斬撃≠ニ言うことになるだろう。 冒険王の魔剣≠ノよってセルカンが威圧される様を横目で見止めたルシアは、 ここに至ってようやく己の使命を想い出したのか――誰かに指摘されるまで忘れていたことも問題だが――、 腰のベルトより垂らしているポシェットから筒状に丸めた一枚の紙を取り出しつつ、 肺一杯に空気を吸い込んだ。 「――耳の穴かっぽじってよーく聴きな、ウスラバカどもッ! テイケンのオヤジからの伝言だァッ!」 「テイケン……総帥ってゆうた、今!?」 イリュウシナとグンダレンコ――重傷を負った姉妹をひとりで支えていたロクサーヌは、 ルシアの言葉に素っ頓狂な声を上げて驚いた。 「テイケン総帥」とは、言わずもがなスカッド・フリーダムの頂点に立つ男のことである。 そのような大人物の伝言を部外者たるルシアが携えていること自体、 義の戦士たちにとっては理解し難い事態なのだが、ここに至る経緯を確かめるだけの時間はない。 テイケンの伝言と直接的に関連しているであろう長細い紙を両手で広げたルシアは、 どよめきと共に立ち尽くす義の戦士たちへ大音声を張り上げた。 「――アルフレッド・S・ライアンに対する攻撃を即刻終了し、 総員、直ちにタイガーバズーカに帰還せよッ! ……世にもバカげた任務は打ち切りってことだッ! 聞こえたね、世紀の大間抜けどもォッ!」 ルシアが広げて見せた紙には、如何にも武骨な筆致にて『バカチン』と大書されていた。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |