13.HERE COMES A NEW CHALLENGER


 冒険王が治めるビッグハウス――その一角に所在する造船所跡に駆け付けた義の戦士たちは、
ルシアより齎(もたら)されたテイケン・コールレインの伝言を受けて一斉に呻き声を洩らした。
中には甲高い悲鳴も混じっている。
 それも無理からぬ話であろう。戦闘隊長たるエヴァンゲリスタの発した『在野の軍師』抹殺指令が
スカッド・フリーダムの頂点に座す総帥によって直々に撤回されてしまったのである。
 これはつまり、スカッド・フリーダムの全ての戦闘を取り仕切る立場のエヴァンゲリスタが
取り返しのつかないような失策を仕出かしたとテイケン総帥が認めたことにも通じるのだ。
 そもそも、だ。戦闘隊長の立てた作戦内容に総帥が異議を唱えること自体が異例中の異例であり、
少なくとも、前任のシュガーレイの頃には一度として発生はしていない。
 より分析を突き詰めるならば、スカッド・フリーダムの掲げる『義』を
総帥自身が否定したことに他ならないのである。
 世界の秩序を守る為には不可欠な『義』の心を携えていればこそ、
エヴァンゲリスタの命令に従って『在野の軍師』との戦いへ臨むことも出来た。
ここに至るまでの道程も決して短くはなかったのだが、
それでも汚れ仕事で『義』が貶められるなどと疑うこともなく一途に駆けられたのだ。
 ところが、ここに来て青天の霹靂とも言うべき事態が勃発した。
スカッド・フリーダムが守り続けてきた『義』と、これを全うする為の決意も何もかも――
テイケン総帥の伝言で引っ繰り返されてしまったのである。
 世界に災いを振り撒く『在野の軍師』を始末することは正義の遂行であると、
二百余名の隊員たちは誰もが信じ抜いていた。あるいは護民官と言う名の志にも通じる覚悟と言えよう。
その高潔な志が――スカッド・フリーダムの『義』が、「バカチン」の一言で台無しになったのである。
 悪の打倒と言う正義の大前提にテイケン総帥が待ったを掛ける理由が解らない。
 至高の価値と疑わなかった『義』が総帥によって否定されたのだから、
大混乱に陥る理由としては十分であろう。正義こそが精神の拠り所と定めていた者たちであればこそ、
我を失ってしまうのだった。
 不測の事態を前にして平常心を保ち、過去の経験に基づいて対処し得るような者は、
少なくとも二百余名の援軍の中には皆無である。一途さが眩しい少年少女ばかりなのだ。

「誰かさんの台詞じゃないけど、急展開過ぎてうちらにゃあ随いていけんのんで……。
何がどうなって打ち切りなんてコトになったんかのぉ?」

 鉢鉄(はちがね)を締めた眉間へ皺を寄せながらロクサーヌが首を傾げた。
 戦闘隊長に命じられて『在野の軍師』の身辺調査を行うなど諜報活動に長けたロクサーヌですら、
この筋運びは全く予想外であり、任務の打ち切りと言う異常事態へ至る遠因(きっかけ)にも
心当たりがない。もしかすると、彼女こそが他の誰より混乱しているのかも知れなかった。

「戦闘隊長のやり口がきしゃないゆうんでキレたんかのぉ。留守中を狙ったとしか思えんし。
……うーん? ちぃと待って。でも、そーなると誰が総帥に告げ口したんじゃろ。
しかも、部外者に伝言託すなんて。第一、戦闘隊長がワケ分からんこと企んどるって知ったんじゃったら、
電話一本でこんなぁらを足止め出来たんじゃん――いけんいけん、謎が謎を呼んで、
頭がこんがらがって来たけぇ……」

 ロクサーヌが呟いた通り、確かに今度の任務は総帥が所用でタイガーバズーカを離れているときに
戦闘隊長の権限で決定されたものである。これを越権行為として問題視したテイケンが
任務自体を撤回させた――事態の分析に於いて見当を付けるとすれば、この辺りであろうか。
 自分なりの推理を洩らし続けるロクサーヌを見据え、
「難しく考えなくたっていいよ。人間の思考(かんがえ)なんて軽いモンさ」と磊落に笑ったルシアは、
正義の執行が崩れ去るまでの経緯を少しずつ詳らかにしていく。
 ビクトーらの来襲から遡ること数日――『在野の軍師』に抹殺指令が下された当日のことである。
 アルフレッドと奇妙な縁で結ばれた『トレイシーケンポー』のシルヴィオ・ルブリンは、
ワーズワース難民キャンプに於ける接触だけで内通――洗脳と見做されていた程だ――を疑われ、
七導虎の一角にも関わらず、抹殺指令が発せられた会合にすら呼ばれなかったのだ。
 しかし、己の意に沿わない人間を締め出すと言う戦闘隊長のやり方は他の者たちから反感を買った。
どう考えても『義』の精神を外れた振る舞いなのだから、当然と言えば当然であろう。
 ジャーメインの親友でもあるトーニャ・バンドール、
バスケットボールと格闘術を融合させたカリーム・ローレンスバーグ――
シルヴィオと親しく、又、件の会合に招集されていた者たちは、
戦闘隊長の謀った抹殺指令を迷うことなく彼に伝えた。言わずもがな一部始終を、だ。
 流派の上では互いを仮想敵と見做しているものの、
ワーズワース暴動と言う悲劇を通じてアルフレッドの為人や信念を認めたシルヴィオは、
得難い好敵手を救うべく即座に行動を開始した。
 『義』に悖る暗殺計画を明かしてくれた仲間たちと共にエヴァンゲリスタの私邸へと押し掛け、
スカッド・フリーダムとしてあるまじき指令の撤回を迫った。
この前後にはバロッサ家にも乗り込み、戦闘隊長の専横を食い止めるよう談判している。
 シルヴィオとトーニャは共に七導虎の座に就いている。
そのような立場に在る人間が肩を並べ、隊の重鎮に向かって大変な剣幕で声を荒げるのだから、
半日と経たない間にタイガーバズーカ中で良からぬ風聞(うわさ)が立ち始めた。
 聡い者はスカッド・フリーダムで異常事態が起こりつつあると気付いた様子であったが、
バロッサ家の当主にしてスカッド・フリーダムの重鎮たるイゴールは、
そこまでしても座して動こうとしなかった。
 エヴァンゲリスタに至っては、聞く耳を持たないどころか、
暗殺の実行部隊に援軍を差し向ける手配りを素知らぬ顔で進めていたのだ。
 それ故にシルヴィオに対しては門前払いにも近いような態度を取り、
機密を漏らしたトーニャとカリームへ懲罰まで仄めかす始末である。
 シルヴィオが上層部(うえ)の態度に業を煮やしたのは言うまでもない。
遂には身内の恥≠晒す覚悟でローガンのモバイル宛てに電話した次第であった。
アルフレッドと行動を共にしているだろう師匠に――だ。
 そして、その連絡がジャーメインを経由してアルフレッドに伝わった直後、
ビクトーら処刑人≠ニ交戦状態に突入したのである。

 シルヴィオたちが戦闘隊長の所業へ真っ向から抵抗する一方、
七導虎の一角にして彼らのまとめ役を務めるビターゼ・ギルベッガンも動いていた。
カジュケンボなる武術の使い手も、『義』の精神に於いて今度の抹殺指令に不同意だったのだ。
 勢いに任せてシルヴィオがエヴァンゲリスタの邸宅に乗り込む中、
ビターゼは所用で遠方に出向いているテイケンに連絡を取り、一部始終を明かし、
改めて総帥の裁断を仰いだのである。
 同じ七導虎でもビターゼはシルヴィオたちとは世代が異なっており、
総帥のテイケンや、その補佐役たるイゴールともスカッド・フリーダム黎明期から共に戦ってきた。
位階や立場を超えた掛け替えのない同志≠ノ違いなく、
それはつまり、余人が躊躇うような内容でも遠慮なく話し合える間柄と言うことだった。
 或る交渉の席で戦闘隊長の専横を報告されたテイケンは、
暫しの逡巡の後、偶々(たまたま)帯同していたルシアに事態の収束を要請したのである。
 この時点でビターゼは戦闘隊長が新たに二百余名の討手を送り出したことを掴んでいる。
暗殺の標的とされた『在野の軍師』を絶望的構図から窮地から救い出し、
処刑人≠スちの暴挙を食い止めるには、タイガーバズーカきっての女傑――
ルシア・レッドウッドこそが最も相応しいとテイケン総帥は判断したのだった。

「シルヴィオたちが方々(ほうぼう)に掛け合ってくれたのは分かってけど、
……そこに何でお師さんが絡んでくるの? 自分探しの旅をしてたら総帥にとっ捕まった……とか?」

 抹殺指令が打ち消されるに至った経緯を告げられたジャーメインだが、
そもそもルシアがテイケン総帥に帯同していた理由が分からない為、どうにも要点を掴めずにいる。
 眉間に皺を寄せつつ首を傾げた愛弟子に対して、
ルシアは「色ボケして想像力がゼロになっちまったみたいだねェ」と肩を竦めて見せた。

「じ、自分の説明不足を棚に上げて色ボケ呼ばわりはないんじゃないの!?」
「あ〜、そこは同意見じゃよ。ボンヤリしとる部分が一番大事じゃけえのぉ」

 説明不足と言うジャーメインの批難については、ロクサーヌも首を頷かせている。

「……ったく、面倒くせぇ連中だねぇ――テイケンのジジィからちょいと面白い交渉に誘われてね。
それでジジィに同行してたってだけのハナシだよ。その流れで白羽の矢が立ったっつうワケだけど、
如何にもクソジジィらしい人選じゃあないか」
「そりゃあ、お師さんはデタラメに強いから」
「ンなチョロいハナシじゃねっつの。ホントに色ボケで想像力がなくなっちまったみたいだねぇ。
カレシ見てエロい妄想ばっかりしてるからだよ、このバカ弟子がぁ」
「いい加減にしないとセクハラで訴えるぞ〜、大ボケ師匠っ!」
「良いか、メイ? スカッド・フリーダムと無関係なあたしをブツけりゃ、
少なくとも同士打ちってェ最悪の事態だけは避けられるだろう? 
どっちかがおっ死(ち)んでも、スカッド・フリーダムの損は最小限で済むって計算さ。
仲間同士の潰し合いでなけりゃ体裁だってギリギリ取り繕えるってね――いやあ、喰えねぇ喰えねぇ」

 スカッド・フリーダム総帥としての腹積もりはともかく――テイケンからの要請を承諾したルシアは、
彼が抹殺指令の打ち切りを命じた証拠として直筆の書状を受け取り、
これをポシェットに押し込んでビッグハウスまで駆けに駆けた次第である。
 本人自らが「バカチン」と記した書状を提示することで絶対的な説得力を確保し、
ルシアが口にする言葉の全てはテイケン総帥のものであると、
二百余名の義の戦士たちに刷り込もうと言うわけである。
 一度に大勢へ見せつけることが出来る分、個人のモバイル宛てに説得の弁を垂れ流すよりも
遥かに効果が大きかったらしく、若い隊員たちは総帥の筆致へ釘付けとなったまま狼狽し続けていた。
 『義』を揺るがされて心が乱れ切った現在(いま)、戦闘の続行などは不可能に近かろう。

「――アカの他人の為に背信行為だと? トレイシーケンポーもバカな真似をしたものだ。
……全くもってバカな真似だよ」

 テイケン総帥の決断とルシアの参戦に至るまでの経緯(うごき)が
シルヴィオの奮起より始まったことなのだと聞かされたアルフレッドは、
いつもの調子で悪態を吐きながらも微かに口元を緩ませている。
 アルフレッドも彼(トレイシーケンポー)のことだけは真の義の戦士と認めている。
そのように公明正大な青年が自分の潔白(こと)を信じ、
抹殺指令を下される理由などないと反抗してくれたことが何よりも嬉しかったのだ。

「なぜだ、なぜ……コールレイン総帥のお考えが分からない……! 
『義』を嘲る邪悪を赦免なさるなど……何を考えておられるのか……!?」

 頭(かぶり)を振って困惑し続けるセルカンだが、
その一方でロクサーヌやバロッサ家の姉妹は胸を撫で下ろしていた。
 特にイリュウシナは露骨なくらい満面を喜色で染めている。
 抹殺指令そのものに疑問を持ち、スカッド・フリーダムの在り方を思い悩んでいた彼女にとって、
『義』の精神を踏み躙る卑劣な命令が撤回されたことは、
心中にて女神イシュタルに感謝の祈りを捧げる程の僥倖であったのだ。
 末妹と戦う必要がなくなった安堵は言うに及ばず、
スカッド・フリーダムの『義』が破綻寸前で守られたことに救われたような気持ちさえ抱いている。
 戦闘隊長の陰謀によって穢れされた志が最愛の夫の心身を蝕んでいく様とて見ずに済むわけだ。
 そもそも、『在野の軍師』を抹殺すると言う計画自体が総帥不在の状況下で勝手に決定されたことである。
これは権力の壟断に他ならず、専横(こと)が露見した現在(いま)、
現戦闘隊長は総帥から手酷く叱責されているに違いない――そのようにイリュウシナは考えていた。
 無論、スカッド・フリーダムの内紛から目を逸らして、諸手を挙げて喜ぶつもりもない。
「正義から掛け離れた陰謀を総帥が許さなかった」と言う事実ひとつで志だけは辛うじて守られたものの、
シルヴィオもビターゼも戦闘隊長のあくどい手口を公然と批判しており、
又、その風聞はタイガーバズーカ全体にまで広まっているらしい。
 今後は七導虎の間でも摩擦が生じるのは必至であり、
これは『義』の精神を分かち合い、拠り所とするスカッド・フリーダムが聞いて呆れる醜態とも言えた。

「……スカッド・フリーダムに正義なんかなかったと言うことね。少なくとも今の隊には……。
罪に塗れて暴走したのはアルフレッド・S・ライアンなんかじゃない――
個人攻撃なんて腐った計画を捏ね繰ったエヴァンゲリスタと、……その片棒を担いだ私たちじゃない」

 義の戦士の名折れとも言うべき事態に長らく懊悩してきた為か、
その苦しみを総帥が受け止めてくれたと思い、瞬間的に緊張の糸が切れたイリュウシナは、
年少の隊員たちが大勢居る前でつい口を滑らせてしまった。
 後輩を見守る先達が決して口してはならないような言葉を――偽らざる本心を零してしまったのである。

「じ、自分たちのしたことは、本当に間違っていたのでしょうか……。
正義を名乗ることが許されないような――間違った任務に手を染めてしまったのですか……?」

 誰かが震える声で零した瞬間(とき)、イリュウシナは心の底から軽率な発言を悔やんだ。
 先達の言葉は、それが如何なる内容(もの)であっても年少者の心に深く重く響くのである。
ましてや、七導虎にも近い立場に在る人間の発言だ。
そのような者が自分たちの所属する組織を口汚く批判すれば、後輩が不安を膨らませるのは当然であった。
 しかも、だ。ただでさえ現在の彼らは心が揺らいでいる。
狼狽する最中に追い打ちの如く自分たちの信念に基づく行動を否定されてしまったなら、
たちまち悲壮感に取り憑かれてしまうだろう。
 二百余名の若い隊員たちは、総帥がスカッド・フリーダムの『義』を
叩き潰したとまで思い詰めていた。

「我らスカッド・フリーダムの任務に正しいも間違いもない。全ては信念があったればこそだ。
テイケン総帥は確かに今度の任務を打ち切るよう命じられた――が、
任務と言うものは神聖であり、簡単に引っ繰り返せるわけじゃない。
出したり引っ込めたりを一度でも許せば、我らは誰からも信じて貰えなくなるのだ」

 神聖な任務が途中で打ち切られると言う異常事態をクラリッサは理詰めで分析していった。

「その一線を踏み越えてでも、今の任務を取り止めにしなくてはならない事情があったのだと私は考えるぞ。
アルフレッド・S・ライアンの抹殺以上に優先すべき任務が発生したと考えるのが自然じゃないだろうか? 
シルヴィオの働きかけは、引き金ではなく口実だった――違うか、ルシア?」

 テイケン総帥はスカッド・フリーダムの在り方を否定したわけではなく、
他に対応せねばならないような事態が発生してしまい、その為に仕切り直しを迫られたのだ――と
理由を付けることで若い隊員たちに芽生えた不安を解消しようとクラリッサは試みている。
 一度、心中に染み出した昏(くら)い感情は簡単には打ち消されないだろうが、
しかし、ある種の逃げ道さえ提示出来れば、暴発と言う最悪の事態を直ちに迎えることもなかろう。
そこ≠ノ向かって穏やかならざる感情が吸い込まれ、萎んでいくことをクラリッサは望んでいた。
 しかしながら、逃げ道を示したクラリッサ当人とて苦しい急場凌ぎとしか思っていない。
苦し紛れに総帥の深慮を仄めかしてみたものの、それ自体に根拠などは一切なく、
口から出任せで言い繕っているに過ぎなかった。
 ところが、だ。クラリッサの虚言(はったり)を受けてルシアは深々と頷き――

「――へぇ? いきなり核心突いてくれるじゃないか。クラリッサの言うことは半分は当たってるさ。
もう任務どころじゃあなくなっちまったんだよ、テイケンのジジィも、スカッド・フリーダムも」

 ――と、続けたのである。
 シルヴィオたちの行動と、『義』の在り方を問う声もテイケン総帥は受け止めていると付け加えたが、
これこそが当たり≠フもう半分であろう。

「それにしても、ここまでアタマが冴えてんのに、どうして男のひとりもオトせねぇかなぁ〜。
てか、結婚詐欺に遭いまくるのかねぇ〜。一周回って、逆に才能を感じるよ」
「ほっとけッ! 何が才能だ、何がッ!」
「コイツの男日照りは知ったこっちゃないけど――ま、そーゆーこったよ、悩める少年少女たち。
あたしに言わせりゃ、どんな理由があったって最初の任務をほっぽり出すのはど〜かと思うがねぇ」

 クラリッサからして見れば、その場凌ぎの虚言(はったり)以外の何物でもなかったのだが、
どうやら、本当に任務を打ち切らざるを得ない事情がテイケンにはあったらしい。

「『バイオスピリッツ』――って聞いたコト、あるかい?」

 抜き差しならない事情としてルシアが挙げたのは、余りにも意外なものだった。

「バイオスピリッツぅ? おいおい、まさかと思うが、それって……」
「おっ? そこの色男は物知りだねぇ。ご想像の通り、異世界生まれの格闘技エベントだよ。
向こう≠カゃ『ミクスド・マーシャル・アーツ』なんてェ呼び方で通ってるみたいさ」
「ああ、ビデオも見たことは見たんだが……」

 彼女が口にした『バイオスピリッツ』なる語句には、
スカッド・フリーダムの隊員ではなく馬軍の将たるザムシードが飛び上がって驚いた。
 バイオスピリッツとは、ノイ側のエンディニオンに於いて盛んに行われている格闘技イベントである。
 正確には件の興行を主宰する団体まで含めた呼称だが、
そのバイオスピリッツとスカッド・フリーダムが、どうしたら結び付くと言うのか――
徒手空拳の戦いと言う共通項こそあれども、ふたつの組織の接点が全く思い当たらないザムシードは、
眉間に皺を寄せつつ首を傾げるのみであった。
 ザムシードとて試合を視聴した程度の知識しか持ち合わせていないのだが、
バイオスピリッツとは、眼球や急所に対する攻撃、噛み付きなどの危険行為以外は
全てが許された過激な興行である。
 試合を行なう闘技場も一風変わっていた。金網で囲まれた八角形のリングが採用されており、
檻の中で猛獣が争うような趣なのである。
 その檻≠フ中では、柔道家が打撃を行なうことも、拳闘家(ボクサー)が投げを打つことも認められる。
地上に存在するあらゆる格闘の技術を結集し、互いの全てを賭けて心技体を競い合う――
それがバイオスピリッツの謳う唯一無二の理念であった。
 「あらゆる格闘の技術を結集する」と言う理念は『総合ルール』の名のもとに体系化され、
これに則って催される試合は総合格闘技――通称、『MMA』と呼ばれた。
 MMAとは、『ミクスド・マーシャル・アーツ』の略称である。
 ルールによって競技化された格闘技と言う性格自体がスカッド・フリーダムの理念から掛け離れており、
それ故にザムシードは両者の接点が分からなかったのだ。
 義の戦士にとっての武技とは信念を貫く為の力であり、競技として取り扱うことなど出来よう筈もなかった。

「ざっくばらんに言うと、そのバイオスピリッツからスカッド・フリーダムに挑戦状が叩き付けられたんだよ。
どっちが強いか、この際、ハッキリ決めようっつうイカした挑発付きでね」

 ルシアの口から語られたことは、総帥を支えるべき立場の七導虎ですら全くの初耳であった。
挑戦状が届いたと言う事実ばかりでなく、バイオスピリッツなる格闘技イベントの存在すら知らなかったのだ。
 それも無理からぬ話であろう。アルト側の集団であるスカッド・フリーダムの人間が
ノイ側の興行まで網羅している筈もない。彼らが知り得たのは総帥が所用で留守にしていたことだけである。
 バイオスピリッツなる団体の挑戦に応える為、テイケンは交渉の場へ赴いたのだろう。
最高幹部にさえ知らせないまま動いたのだから、あるいは水面下の交渉だったのかも知れない。
 アルトに於ける武術史研究の第一人者として知られるルシアこそ、
このような交渉には打ってつけの人材であろう。だからこそ、テイケンからも帯同を請われたのだ。
 そうした事情から交渉の場に列席したルシア曰く――
バイオスピリッツは興行の最中に神隠し≠ノ遭遇し、会場丸ごとアルト側へ転送されてしまったと言う。
選手もスタッフも観客も、イベントの賑わいから一転して難民と言う過酷な状況に置かれた形である。
 しかしながら、バイオスピリッツに関わった人々は他の難民と比しても相当に幸運だった。
一緒に転送されたイベント会場は雨風を十分に防げる大きな建物であり、
又、動力源がCUBEである為、照明や冷暖房は停止の心配もなく機能している。
非常用の毛布や医療器具なども施設内に完備されており、仮設住宅としては何ら問題がなかった。
 運営スタッフたちも優秀な人材ばかりが揃っている。
イベント会場となった多目的ホールを拠点に駆けずり回って周辺地域の協力を取り付け、
食糧などの救援物資を首尾よく手に入れたのだった。
 幕府成立と言う大混乱の陰に隠れてしまい、目立って報道されることもなかったのだが、
既にバイオスピリッツはアルトに転送されて初めての興行まで行っていた。
 流石にノイに於けるイベントには及ばなかったものの、限定された条件の中での規模として考えれば、
寧ろ大成功だったかも知れないと、交渉に臨んだスタッフはルシアやテイケンに語っていた。
物珍しさもあって近隣の住民たちはこぞって詰め寄せ、立ち見の観客も多かったそうだ。
 同じスタッフの語るところによると、現在のバイオスピリッツの花形選手は、
自らをイシュタルの申し子≠ニ称する麗しき女性格闘家――ジュリアナ・ヴィヴィアンだと言う。
男女混合のチャンピオン大会で見事に優勝を果たし、
統一王者の座に輝いたプロレス出身の選手である。
 そして、そのジュリアナこそがスカッド・フリーダムへ挑戦状を叩き付けた張本人であった。
アルトのエンディニオンに凄腕揃いの武術家集団が在ると耳にし、一種の交流戦を申し込んだのだ。
 バイオスピリッツと、何よりもイシュタルの申し子≠フ名を
異世界にまで轟かせようと胸算用したに違いない。

「――そのジュリアナ・ヴィヴィアン、交渉の場にも自ら乗り込んできたけどさ、
これがまァパツキンのべっぴんなんだわ。おまけにバカみたいなボインちゃんッ! 
女のあたしでも揉みしだきたくなっちまったよ。圧倒的な存在感ったらなかったねェ」
「お師さんさぁ……言ってることがオヤジ臭いし、第一、その情報って必要なの?」
「交流を深めようって相手の情報は欠かせないだろ。アタマ働かせろって、バカ弟子めが」
「交流を深めるに当たって必要な情報に思えないからツッコミ入れてんの、ボケ師匠っ!」

 ルシアの吐いた台詞ではないが――ふたつのエンディニオンの交流を深めると言う点に於いても、
バイオスピリッツとスカッド・フリーダムが選手を出し合って試合を行うことは極めて有意義であり、
テイケンとしても反対する理由はない。半ば即決にも近い状況であったが、
総帥の一存として交流戦が決定されたのだった。
 今後も両者間で議論が継続されることになっており、
試合を組む上での規約などは、その中で打ち合わせる予定だとルシアは言い添えた。

「ロンギヌスっつう武器メーカーのお嬢ちゃん、知ってるだろう? 名前は何て言ったかなァ」
「ライナだよ、ライナ・グラナート。あたしの友達なんだから名前くらいちゃんと憶えてあげて。
今、着けてるMANAだってレンタルしてくれて――」
「なんだい、メイをエロ担当に引きずり込んだ悪ガキってトコロかい」
「ど〜して、お師さんはそーゆー発想しか出来ないかなぁ!?」
「あんたのエロ仲間もデカく驚いてたよ。バイスピ≠ワでこっちの世界≠ノ飛ばされたのかっつってさ。
上司(うえ)に連絡しなきゃって大慌てだったなァ」
「そりゃそうでしょ……」

 バイオスピリッツと言う巨大な興行が会場ごとアルトに転送され、
尚且つ異世界進出≠計画しているとすれば、ロンギヌス社としても聞き捨てならない筈である。
 この場にライナが居ないので誰にも確かめようがないのだが、
あるいはロンギヌス社もバイオスピリッツへ出資しているのかも知れない。

「テイケン・コールレインが何を考えて承諾したのかは知らんが――
バイオスピリッツの選手たちは、揃いも揃って自殺願望を持ってるのかと疑いたくなるな。
総合格闘技を謳った試合のビデオも見たが……あれは、せいぜいスポーツが良いところだ。
スカッド・フリーダムの連中に挑むなんぞ、幾らなんでも無謀ってモンさ」

 格闘技イベントの団体が義の戦士へ挑戦すると聞いてザムシードが抱いた感想は、
それ自体が両者の戦闘力の差に対する分析であった。
 バイオスピリッツの花形選手だと言うジュリアナの試合もビデオで確認したが、
一定のルールに則って行われる競技の巧者――即ち、アスリートとしては優秀に見えるものの、
人間離れした肉体を誇るスカッド・フリーダムが相手では殆ど通用しないだろう。
 審判(レフェリー)や点数(ポイント)によって勝敗が決するような試合など、
義の戦士の鉄拳ひとつで吹き飛ぶに違いない。
これこそが実戦≠ナ武技を磨く者と、競技に従事する者との差異であった。
 それに、だ。相手の生命を奪わないと言う心構えはともかくとして、
実戦≠ノ身を置く者が競技めいたルールに則って武技を振るう理由はないのである。
 ふたつのエンディニオンの交流と言う企図はともかく、
スカッド・フリーダム側からしてみれば、何も得るものがないように思えてならなかった。
少なくとも武術家としての収穫は皆無であろう。

「――ああ、冒険王サンから聞いたよ。わざわざテムグ・テングリから出張ってるんだってねェ。
なかなかの目利きっぷりじゃないか。それに結構な腕自慢と見たよ」
「お褒めに預かり光栄だがね、相手と自分たちで肉体(からだ)の構造(つくり)が
違うって分かっているなら、最初から引き受けるべきじゃないと思うのだが? 
それとも、恥をかかせて笑い物にしようって算段か? 義の戦士が聞いて呆れるな」
「ちょっとちょっと、おじさん。一方的にお師さんに突っかからないでよ。
挑戦してきたのはバイオなんとかのほうでしょ。仮に恥かいたって自己責任じゃん」
「自己責任で括ってしまうのも乱暴じゃないかね。
年端もいかない子供が百獣の王に素手で立ち向かうようなもんだ。
一方的な嬲り殺しになっちまっても知らんぞ」
「べっつにぃ? 虐殺ショーやらかしてスカッド・フリーダムの名声が地に落ちたって、
あたしゃ気にならないし。MMAってのがどんなモンかを研究する叩き台になれば、
何だって構わないんだよ、ぶっちゃけ」
「お師さん、メチャクチャ言い過ぎだって。総帥のお付きで話し合いに出たんなら、
もーちょっとくらい気を遣わなきゃ」

 ザムシードとルシア、ジャーメイン――三者の会話は、
圧倒的な戦闘力の差がもたらす結果にも言及していた。
 護民官として知られるスカッド・フリーダムだけに
バイオスピリッツ側を完膚なきまでに叩き潰そうものなら善からぬ風聞が立ち兼ねなかった。
交流戦≠ェ前提となる以上は仕方あるまいが、実力勝負にも関わらず、何とも世知辛い話である。

「向こうさんお得意のルールでバランスを調整することになるとは思うがねぇ。
そのくらいはハンデとして譲歩してやろうって話さ。
めんどくせェ制約の中で戦うっつうシチュエーションもオツなもんだろ?」
「一理ある――とだけ言っておこうか。尤も、競技(おあそび)には食指も動かんがね。
鍛錬でなら制約を課すのも良かろうが、実戦の場ではルールも何もなかろうよ。
我がテムグ・テングリとスカッド・フリーダムも、それくらいは分かち合えると思うが?」
「オアソビとは言ってくれるね〜。エヴァンゲリスタだって、しゃかりき張り切ってるみたいだよ。
何しろ、同じ名を持つ世界の交流戦だ。アレもアレで格闘バカだからねェ」

 三者のやり取りを傍らで聞いていたクラリッサは、
ルシアがエヴァンゲリスタの名を口にした途端に眉を顰めた。

「そこでまた戦闘隊長の名前が出てくるのか。
あの男――バイオスピリッツとやらのことを把握しながら、私たちには一言も喋らずにいたのか。
……何も喋らずに暗殺に送り出してくれたわけか……ッ!」

 喉の奥から絞り出された声も苦々しい――否、忌々しげと言うほうが正しいかも知れない。
 ルシアの言葉が本当だとすれば、現戦闘隊長は同胞をも弄んだことになるだろう。
バロッサ家の一族に汚れ仕事を押し付け、組織を疑うことも知らない少年少女に
私刑≠フ片棒を担がせておきながら、自分だけは娯楽を満喫していた――そう思われても仕方があるまい。
 クラリッサが憤るのも無理からぬ話であった。
 ふたつのエンディニオンの交流戦を成功させようと張り切っているそうだが、
エヴァンゲリスタは難民支援に向けたネットワークの形成に東奔西走していた筈ではなかっただろうか。
それを放り出して格闘技イベントに熱中してしまうなど、不可解以外の何物でもなかった。

「なんだいなんだい、その間抜けなリアクションは。あんたら、マジで何も知らなかったのかい? 
かァ〜、道理でヒマ面して人殺しに勤しんでられるワケだ。
肝心なところで抜けてるねぇ、現在(いま)の戦闘隊長殿は」

 クラリッサの反応を見て取ったルシアは大仰に肩を竦めた。
 スカッド・フリーダムを離脱したジャーメインや下級の隊員ならいざ知らず、
七導虎であればエヴァンゲリスタを経由してバイオスピリッツの委細を把握しているだろうと
ルシアは考えていたのだ。
 だが、実情は想像の逆さまである。同格の幹部間であっても情報の共有など出来てはおらず、
バイオスピリッツの件についてはエヴァンゲリスタによって意図的に隠されたとも取れるくらいであった。
 「抜けているのとは違うようにも思えるな」と自嘲気味に語るクラリッサは、
しかし、依然として満面には憤怒を滲ませている。
 格闘の腕前を競い合う場は、タイガーバズーカの出身者にとって何にも勝る晴れ舞台なのだが、
ある意味に於いてスカッド・フリーダムの本領とも言うべき華やかな任務から遠ざけられたようにも
クラリッサは感じていた。

「ライアンを討つと言う任務は総帥の耳にも入っているのだろう? だから、お前が派遣されたのだろうけど。
……身勝手にスカッド・フリーダムを操った罪だけは何としても総帥に裁いて頂かなくてはなるまいよ。
今度の一件については私たちだって心穏やかではないのだぞ」
「さァてねぇ、罪滅ぼしねぇ。咎めるつもりはナシって感じだったけどねぇ、テイケンのジジィ。
向こうで別れる間際にも大会のルールとか運営とか、
細かい打ち合わせなんかも戦闘隊長に任せるみたいなコト言ってたし。
メイのカレシの件で降格処分を喰らうとか、そーゆーのはないんじゃない?」
「お、お師さん! ドサクサに紛れて根も葉もないことを――」
「――ちょっと待って〜、ルシアちゃん。お咎めナシってどう言うことなのぉ〜っ?」

 世界規模の護民官としてのみ動くべきスカッド・フリーダムを一個人の思惑で動かし、
又、『義』の精神に悖る暗殺計画まで仕組んでおきながら、
現戦闘隊長が総帥から処罰されることはなかろう――と、ルシアは己の見立てを披露したのである。
 総帥が不在している時期を狙って造反(クーデター)紛いの行為を繰り返したと言うのに、
当のテイケンは一切を不問にするそうであった。
 これを聴いて素っ頓狂な声を上げたのはグンダレンコだった。
驚愕する余り、四角い骨組(フレーム)の眼鏡が鼻からずり落ちそうになっている。

「ここまでヒドいことをした人に交流試合の運営まで任せちゃうって、さすがに意味わかんないで〜す。
せめて、大変な任務からは外されるのが普通じゃないのぉ? 総帥、謹慎とか話してなかった〜?」
「逆にレンの言ってる意味があたしにゃ分からないんだけど、ついさっきお咎めナシって言わなかった? 
それってつまり、懲罰(ペナルティ)はねぇってことだよ――って言ってるあたしもおかしいとは思うがな」

 スカッド・フリーダムの隊員ではないものの、歴(れっき)としたタイガーバズーカの出身者であり、
テイケン総帥とも交流のあるルシアは、彼(か)の隊の掲げる『義』の意味を良く理解している。
そうでなくとも常識――良識とするべきかも知れない――に照らし合わせて考えれば、
強権的に抹殺指令を発するなどの問題行為は懲罰こそ妥当と判断出来る筈だ。
 無論、ルシアも懲罰の是非をテイケンに尋ねていた。
 ところが、テイケン総帥曰く――それはそれ、これはこれ≠ニのこと。
人間は過ちを犯す生き物であり、これを責め立てるのは正義とは言い難い。
世界秩序を重んじた上での失敗には再挑戦の道を示すことで報いるべきであろう。
 それに、だ。戦闘隊長と言う役職は簡単に付け外しして良いものではない。
『義』の戦いの一切を委ねられる傑物(じんぶつ)と認めたからには、
総帥としても最後まで信じ抜くのみ――とテイケンは熱弁を振るったそうである。
 つまるところ、テイケンは「罪を憎んで人を憎まず」と言いたかったわけだ。
その論法もスカッド・フリーダムらしいと言えなくもない――が、
自らの正義を否定するような任務を押し付けられたグンダレンコたちの心には、
何時までも蟠りが渦巻き続けることだろう。
 この場に居合わせた誰もがエヴァンゲリスタの采配によって歯車を狂わされたのである。
「罪を憎んで人を憎まず」などと言う綺麗ごとでは、とても納得など出来なかった。

「懲罰の代わりに鉛玉を喰らわせてやりたいくらいでさぁ。……俺の人を見る目なんてアテにはならねぇな」

 嘗て一度、エヴァンゲリスタと面談したことのある源八郎は、
世界規模の難民支援を謳う彼の『義』に感銘を受けていたのだが、今やそれも失望に変わっている。
 佐志に帰還次第、スカッド・フリーダムとの協定について見直すべきだと守孝へ進言するつもりだ。
無論、源八郎個人としては、アルフレッドを精神的に追い詰めた男を決して許さないだろう。

 そのように「懊悩」の二字を満面に張り付ける人々の只中に在って、
どう言うわけか、マリスだけは安堵の面持ちである。
 スカッド・フリーダムの内部事情など複雑な背景があるようにも思えるが、
総帥の一声によって撤回が宣言された以上はアルフレッドが生命を狙われる心配はなくなった。
マリスにとっては、それこそが最優先にして最上の問題なのである。

「――アルちゃん、そろそろ治療をさせて下さいまし。全身を飾る血の化粧も艶やかではありますけれど、
愛を以て貴方を見つめる私の心は、その彩(いろ)にざわめいてしまうのです。
私を救うと思って、どうかリインカネーションを……」
「煩い、黙れ」

 スカッド・フリーダムを相手に抗争を続ける理由がなくなったのだから、
マリスとしては今すぐに駆け寄ってリインカネーションによる治療を施したいのだが、
アルフレッド当人は一向に臨戦態勢を解こうとしなかった。
 ケンポーカラテと巨人化のトラウムによる絶技を刻まれ続けて満身創痍となった『在野の軍師』は、
度重なるホウライの発動によって体力も限界を超えてしまっている。
両腕は力なく垂れ下がったままであり、寧ろ立っていること自体が奇跡としか言いようのない状況である。
 それでも、アルフレッドの瞳は闘争心と敵愾心をビクトー目掛けて浴びせ続けている。
頬を伝う血の涙とて止まる気配すら感じられなかった。
 両足でもって頭部を挟みつつ投げを打つフランケンシュタイナーに、
ホウライの力を結集した必殺の蹴り――ドラゴンレイジエンターと、
アルフレッドはケンポーカラテの妙技によって切り札≠立て続けに破られている。
 そればかりか、右の肋骨まで折られてしまっており、完全に追い込まれたものと断じても差し支えなかった。
 少年少女たちが混乱している隙を見計らってビクトーとの交戦を打ち切ってしまえば、
心身ともに死に絶えることはなかろう――が、それにも関わらず、アルフレッドの戦いは終わらない。
終わりそうもない。
 だから――と言うべきか、マリスは手出しが叶わずにただただ立ち尽くすしかないのである。

「ですが、アルちゃ――」
「――罠だッ!」

 マリスの思考(おもい)を断ち切ったのは、喧しいとしか例えようのないセルカンの喚き声であった。

「分かったぞ、分かったんだ、貴様らの企みがッ! バイオスピリッツ!? そんなのはでっち上げだろう!? 
デタラメな偽情報を流して我々を撹乱する気だなッ!? ライアンを助ける為に……ッ!
ビクトー様! クラリッサ様ッ! 皆々様ッ! 騙されてはなりませんッ!
ルシア・レッドウッドもライアンの手先に違いありませんぞッ!」

 セルカンは――この危うい一途さに取り憑かれた少年隊員は、
バイオスピリッツとスカッド・フリーダムの交流戦自体を
テイケンの名を借りた情報工作の計略と思い込んでいる様子であった。
 それ故にルシアの言葉を受け容れず、計略と決め付けて怒号を張り上げるのだ。
 大音声そのものは聞き苦しいことこの上ないのだが、
しかし、彼の癇癪を何もかも「不調法」と否定してしまうのは、余りに短絡的と言えるだろう。
 世界秩序を乱す悪の打倒と言う任務を打ち切ってまで、
見たことも聞いたこともない格闘技イベントへスカッド・フリーダムの全力を注ごうとしている――
テイケン総帥からの伝言と説かれても、果たして、誰が信じられるだろうか。
それは全く現実味を欠いた内容なのである。
 『バカチン』と言う総帥直筆の書状をルシアが披露しなければ、
先着していたクラリッサたちでさえセルカンの大音声に頷いたかも知れない。
 穢れた任務に対する葛藤や、これを強いる戦闘隊長への疑念と言った感情の揺らぎがなく、
胸を張って義の戦士と名乗れる状態であったなら、
ルシアの預かった伝言など冗談と決め付けて取り合わなかった筈である。
 壊れかけの『義』に苦悶し続けてきた彼女たちにとっては、
抹殺指令から逃げ出し得る理由や口実などは何でも良かったのだ。
 さりながら、スカッド・フリーダムの闇≠ノ触れておらず、疑うことも知らない一途な少年少女は違う。
セルカンの呼びかけによって動揺が鎮まり、全てはルシアによる情報工作と結論付けて、
再び敵愾心を燃やす者は少なくなかった――否、それが大多数であった。
 双眸を血走らせた者に至っては、「でっち上げで騙すつもりだったのかッ!」と、
セルカンの言葉を繰り返す形でルシアに噛み付いていく。
 エヴァンゲリスタの言行は、スカッド・フリーダムの『義』に照らし合わせるならば
完全に常軌を逸しており、支離滅裂と言っても過言ではない。
戦闘隊長の責務と言うものを蔑ろにしたも同然なのだ。
 しかし、その戦闘隊長が発した命令にこそセルカンたちは『義』を感じている。
世界の悪≠スるアルフレッドを討つことに正義があると信じ切っていた。
 そこには或る種の防衛本能も働いているのだろう。
バイオスピリッツとの協定はルシアによる情報工作――そのように考えていないと、
スカッド・フリーダムの現状と『義』との矛盾によって思考回路が焼き切れてしまうのだ。

「ルシア・レッドウッドは裏切りの片割れだッ! 弟子を助けにやって来たのが何よりの証拠だッ! 
『義』を踏み躙る下衆どもに惑わされてはならないッ!」

 ジャーメインとルシアを「裏切り者」と罵り続けるセルカンの双眸は、昂揚する余り真っ赤に充血している。
 思い込みに基づく敵愾心でもって理解出来ないことを塗り替えてしまうのは横暴以外の何物でもないが、
スカッド・フリーダムと言う世界≠ゥら外に出ようとせず、
それを価値観の基準として絶対化した人間には最も似つかわしい行動であろう。
 真実よりも自分たちの思い込みを優先させて暴走する若者たちを順繰りに眺めたルシアは、
おどけた調子で肩を竦めつつ、「ちっちェ正義だねぇ」と大仰に笑って見せた。

「同郷の先輩が言うことくらい素直に信用しとけって。
将来(いつか)、苦労するぞぉ、目上を押し退けようっつう可愛くない態度は。
寄り合いで煙たがられるタイプだねぇ――特に火付け役のボクちゃんは」
「うるさい、うるさい、うるさい! 偽造された筆跡などには自分は騙されんぞッ!」
「あ〜、そりゃ大した鑑定眼だ。今度、ウチにある由緒正しき壺の目利きを頼むよ」

 正義が貶された感じたのか、セルカンは満面を真っ赤に染めてマッシュルームカットの髪を掻き毟り、
「その壺で貴様の頭をカチ割ってやるッ!」などと喚きながら地団駄を踏んでいる。
 幼稚としか言いようのない立ち居振る舞いに静かな怒りを燃え滾らせ、
「笑わせるな、小僧」と嘲り混じりに吐き捨てたのは、意外にもディオファントスであった。
 源八郎やマリスと共に造船所跡へ駆け付けて以来、
殆ど発言らしい発言をせずに状況を見守っていたのだが、
目の前に突き出された事実さえ認めようとしないセルカンと、
彼に触発された少年少女の暴走だけは看過出来なかった様子だ。
 普段は『ヴィクド』の人間には似つかわしくないほど温厚で、
誰に対しても紳士的に接するディオファントスであるが、
一度(ひとたび)、機嫌を損ねてしまうと態度が露骨に刺々しくなる。
アルフレッドの失策を追求したときも相当に厳しかったのだ。
 その折と比して現在(いま)は遥かに剣呑である。
流石はヴィクドが誇る提督≠フ弟と言うべきか――野太い怒声は暴力的な凄味でもって研ぎ澄まされていた。
 際限なく暴走し続けるセルカンを今度こそ撃ち殺そうと狙撃銃を構え直した源八郎までもが気圧され、
仰け反ってしまったくらいである。

「子どものすることだから大目に見ようと思っていたが、周りを巻き込んで破滅に向かうようでは仕方ない。
第一、躾は大人の務めだ。……ヴィクド流の躾は、お前たちの優しい親御≠ニ違って厳しいぞ」

 優しい親御≠ニ言う部分をわざとらしく強調したのは、
腕力を以てして他者に理不尽を押し付けようとするセルカンたちの不埒をせせら笑う為である。
 理性を伴わない暴力(ちから)しか頼みとするものがない人間が「正義」の二字を称する滑稽さは、
ディオファントスからすると笑止以外の何物でもないわけだ。
 この挑発によって両親を貶められたと感じたセルカンは激昂しつつ構えを取り、
威嚇を試みたものの、当のディオファントスは少しとして慄かず、
彼の鼻先を示すようにして右の人差し指を突き出した。

「お前が半端者でないと言う証拠に答えて貰おう! この場の何処に正義があるッ!?」

 凛然とした怒声がセルカンを貫いた。
 「この場の何処に正義がある」と言う詰問(ことば)は、字面以上に深い意味が備わっていた。
身勝手な思い込みに支配されて暴力装置と化したセルカンたちにも、
これを促したとしか言いようのない戦闘隊長にも、常識と道徳より導き出される『正義』は当て嵌るまい。
 即ち、狂犬さながらの少年少女を通してスカッド・フリーダムの――否、現戦闘隊長の掲げる『正義』に
挑みかかった恰好である。

「正義は我らスカッド・フリーダムと共に――」
「――いいや、違うぜ。……憶えておけよ、ボウズ。正義ってヤツは何処にでも転がってるのさ」

 一秒たりとも思料を挟むことなく、半ば鸚鵡返しに正義の使者を名乗ろうとしたセルカンに向かって、
冒険王ことマイク・ワイアットが口を挟んだ。

「――だろ、ディオファントス?」
「大人が口を出したら躾にならんだろうに。しかし、私が言いたかったことは、大体、合っている。
……訊いていたか、小僧。つまりはそう言うことだ」
「ふ、ふざけるな! そんなに基準が曖昧で、どうして『正しい義』を定められると言うのかッ!?」

 語気荒く反駁しようとするセルカンではあるものの、言葉とは裏腹に顔面には微かな動揺を滲ませていた。
 世界各地の紛争を仲裁し、血で血を洗うような戦いを未然に防いできた冒険王は、
スカッド・フリーダムにとって正義の同志だったのである。
少なくとも今日(こんにち)までは――だ。
 最早、同志とは呼べなくなった相手を睨み据えるマイクは、
「基準が曖昧なんじゃねぇ。社会ってモンがそれだけ多様的なんだよ」と言い捨てた。

「誰にだって立場があるように、誰にだって正義はあるんだよ。
そりゃそうさ、自分で自分のことを正しいって思えなくなっちまったら、
何やっても迷いまくるし、誰にも胸を張れねぇ。そんな後ろ暗い人生、寂しくて仕方ねぇだろうが」
「そんなのは詭弁だッ! 何て言い訳がましいッ!」
「いいや、それが真実だ。……自分の価値観にそぐわないこと全てが紛い物だと思うなッ!」

 マイクが説く「多様的な社会」を「詭弁」の一言で切り捨てようとしたセルカンを
ディオファントスの鋭い一声が遮った。

「正義として信じているものを譲れないのは当然だ。
それ自体は誤りではない。社会に於いて自己主張をする上でも、な。
自分の存在意義を歪めてまで他者に譲ることが出来ないから争いも起きるのだよ。
それがお前たちの知らない社会≠ニ言うものだ」
「ディオファントスの言う社会≠ナ生きてる人間は――いや、社会≠フ仕組みを知ってる人間は、
誰も彼もバカなんかじゃねぇ。譲れねぇ正義(モン)で争っていたって、
キチンとお互いの主張を整理し合えば、落としどころまで持っていくことが出来んだよ。
相手と自分、両方の正義の間で折り合い付けて、ドンパチにならねぇ道を探すのさ」
「その点、お前たちはどうなのだ? ライアン君の正義に耳を傾けようと言う度量などあったか? 
自分自身の正義を貫いて故郷を発ったバロッサ君と、その先生まで裏切り者と決め付けているじゃないか。
……自分の正義で相手の正義を踏み躙ることが一番の悪≠ニは思わないかね!?」
「あ〜、なんつーか――喋ってたら、ますますバカらしくなってきちまったぜ。
今時、エレメンタリーでも分別出来そうなコトも理解しねぇクソガキが義の戦士を名乗るなんてよ。
こりゃスカッド・フリーダムも将来(さき)が暗ェな、オイ」

 少年少女には難解であろう社会≠フ仕組みを説いたディオファントスは言うに及ばず、
志を分かち合えると認めた相手から正義の在り方を問われ、
挙げ句の果てに現在(いま)の形は無分別であると否定されたのである。
 社会≠ナ生きてきた大人ふたりから理詰めで責め立てられたセルカンは、
反抗を示す為か、歯を剥き出しにして野獣(けだもの)の如く唸り始めた。
 大人が理論武装を以て純粋な正義を押さえ付けようとしている――
何とも自分の都合の良い風に捉え、憤激を燃え滾らせているのだ。

「お前たちは自分の都合で正義を作り変えるッ! 
お前たちのような人間の所為で正義が正義でなくなってしまうんだッ! 
それが汚い社会≠セッ!  言葉で取り繕おうとするな――」

 セルカンの吼え声が木霊した直後、その四肢を光の矢が射貫いた。
 光の矢は彼の身を引き摺るようにして直進し続け、間もなく最寄りの建物に突き刺さった。
鏃は左右の太腿と肩を貫通しており、セルカンは煉瓦造りの壁に叩き付けられた上に
磔同然の姿となってしまった。足裏は地を離れている為、どれだけもがいても自由を取り戻すことが出来ない。

「……あんたにマイクの何が分かんのよ! 頭冷やして出直しなさいッ!」

 射掛けたのは冒険王の愛妻――ケート・クレメンタイン・ワイアットその人である。
 アルテミュラーなる銘の化合弓(コンパウンドボウ)を携えて造船所跡に駆け付けた彼女は、
ここまで直接的な攻撃はマイクたちに任せてきたのだが、
セルカンの暴言だけは許し難く、遂に矢を弓弦(つる)に番(つが)えたのだった。
 ケートの頭上にて浮揚しているティンクは、
「地雷原に飛び込むのが趣味なんだねぇ、あのガキンチョ」と顔を引き攣らせている。
その呟きから察するに、どうやらセルカンは禁句(タブー)に触れてしまったようだ。

「えーっと、ケート? 教育的指導にしては行き過ぎじゃん? 
両手両足ブチ抜いて磔とかエグさ全開の絵面じゃん? 冒険王の奥方としてコレはど〜なの?」
「『敵になったヤツは容赦なく皆殺しだぁ』っていつも言ってるのはティンクのほうじゃない」
「自分でヤる分には気にならないんだよ。でも、人サマのサドっぷりは見てて気分良いもんじゃないなあって」
「――分かったわよ。額をブチ抜いて終わりにするわ」
「何が『分かった』の、アンタ。……でも、どうせやるならハデに行きなよ?」
「人体(からだ)が肉の塊になるような感じね。それも分かったわ!」

 物騒極まりないことを口走るケートは、冗談ではなく本当に眉間へ狙いを定めている。
「おめーら、もうちょっと女子っぽい会話をしやがれ」とマイクが制止の声を飛ばさなかったなら、
おそらくセルカンは肉の塊≠ノ変えられていただろう。
 ケートが構えるアルテミュラーもルーインドサピエンス(旧人類)の置き土産――
レリクス(聖遺物)の一種と考えて間違いあるまい。
 弓弦から放たれたとき、光の矢は一本であった。それが中空にて四本に分裂し、
吸い込まれるようにしてセルカンの四肢に向かっていった。
それはつまり、ケートの念に応じて軌道を曲げたと言うことだ。
 現代の技術で作られた物と全く異なっていることは瞭然であった。
 光の矢が生み出される様相も摩訶不思議だった。彼女は矢筒に該当する武具を装備しておらず、
弓を握る手とは対の掌から一筋の光が立ち上り、これが矢の形状へと変化していったのである。

「あーっ、野郎ォーっ! やりやがったなァーッ!」

 セルカンが重傷を負ったことで逆上した若き隊員たちは、
一先ず冒険王の夫妻を標的(まと)に絞って攻め寄せようとしている。
 箱状の機械――その正体は単身で都市をも制圧し得る恐るべき兵器だが――を背負ったビンは、
今度こそ自分の出番だと身を乗り出したが、その動きをジョウが押し止めた。
 パクシン・アルシャー・アクトゥなる銘を持つ赤い槍を携えたジョウ・チン・ゲンが――だ。

「こう見えて、私も人の親でしてね。教育的指導と言うことでしたら黙ってはいられません――」

 言うや否や、ジョウは轟々と赤い槍を振り回し始めた。
長い柄も両腕の延長ではないかと錯覚してしまうほど巧みな槍さばきである。
 嘗て教皇庁の女神官はジョウのことを盗掘人などと貶めていたが、
左右の五指でもって赤い槍を回転させる様は歴戦の槍兵のようではないか。
 槍の達人と言えば、佐志の守孝である。源八郎も長年の親友を想い出し、
「優男風と思ってましたが、いやァ大(て)ェしたもんだ」と溜め息を洩らしていたが、
その内に守孝の槍とは明らかに異なる現象が起こり、感嘆は驚愕に変わった。
柄の部分に埋め込まれた色とりどりの水晶が毒々しい妖光(ひかり)を放ち始めたのである。
 やがて妖光(ひかり)は柄の全体にまで及び、これを帯びたまま赤い槍を振り下ろすと、
穂先が指し示す方角――前方の空間に縦長の裂け目が生じた。
 空が裂ける≠ニ言う人智を超えた事態を前に少年少女は揃って瞠目したが、
委細を探るだけの遑(いとま)などジョウは決して与えない。
数十名の隊員たちが空間の裂け目に吸い込まれてしまったのだ。
 彼らは数秒を刻んだ後(のち)、上空に現れたもうひとつの裂け目から地上に向かって放り出された。
高潮の影響から石畳は依然として浸水しており、
中空から叩き付けられても衝撃が緩衝されて致命傷には至らないのだ。
これもジョウなりの気遣いであろう。
 このときには最初に出現した空間の裂け目は閉じている。
吸い込まれずに済んだ者たちは呆けた様子でへたり込み、
人外の化け物でも見るような眼をジョウに向けていた。
 先ほど出現した空間の裂け目は、若い隊員たちが一瞬で沸騰させた激情までも吸い尽くしてしまったらしい。

「恐怖で人の心を縛るような真似は不本意なのですが、
独り善がりな正義を世の中の常識の如く振り翳す向きは流石に捨て置けません。
……マイクさんたちが語ったこと、聞き分けなさい」

 凛としたジョウの声が造船所跡に鳴り響き、二百余名の少年少女は抗うことも出来ないまま首を頷かせた。
到着の当初、あれほど威勢の良かった処刑人≠フ援軍は、最早、殆どの人間の心が折られていた。
 『在野の軍師』と『義』の裏切り者だけならいざ知らず、冒険王とその仲間たちの圧倒的な強さの前には、
どう足掻いても勝ち目がないと言う現実(こと)を悟ってしまった次第である。
 二百余名の隊員が戦慄に打ちひしがれていると、突如として石畳を浸していた海水が凍結し始め、
間もなく彼らを取り囲むようにして氷の壁がせり上がり、そこにドーム状の牢獄を築いてしまった。
少年少女は大慌てで拳や脚を叩き付けていくが、渾身の力を込めても氷の壁は壊せず、
そっくりそのまま威力が撥ね返ってきた。
 氷の牢獄への収容を免れたロクサーヌが何事かと辺りを見回してみると、
ディオファントスが両の掌を海水の中に突っ込んでいるではないか。
そして、その周囲には霧氷の如くヴィトゲンシュタイン粒子が舞い踊っていた。

「……そりゃあトラウムなん? 雪とか氷の?」
「ご明察。『スノーボールアース』と名付けたんだが、それはどうでも良い余談(はなし)だな」

 人間の血潮をも凍て付かせるトラウム――『スノーボールアース』を備えたディオファントスにとっては、
氷の壁を築いて敵対者を隔絶する芸当など造作もないのだろう。
果たして、彼の手元から件の牢獄まで轍の如く一直線に凍結している。

「皆、臆するなッ! ここで……ここで自分たちが敗けたらエンディニオンはどうなる!? 
復讐に狂った男の手で更なる混乱に陥れられるッ! それで良いのかッ!? 
正義を死なせるわけにいくものかッ! 戦え……戦い抜けッ! 玉砕だッ!」

 完全に勢いを削がれて立ち尽くす人々の只中に在って、ただひとりセルカンだけは気炎を吐いている。
 冒険王たちに絶望的な力の差を見せつけられようとも、
彼ひとりは何があっても己の――己ひとりだけの正義を貫くことを諦めないだろう。
 四肢が千切れても構わないと言うのか、光の矢で貫かれた手足を力任せに動かし、
肉が裂けても頬が血飛沫で濡れても、何とかして磔の状態から逃れようとしている。
 全ては悪≠ニ信じる存在を滅ぼさんが為に、だ。
 その様を見て取ったルシアは「……どこまでもバカなガキだよ」と眉を顰めた。
 この少年隊員は一途に正義を愛している。何事も行き過ぎてしまうのは、それだけ純粋と言うことであろう。
しかし、愚直な性根と言うものは悪知恵の働く人間から見れば格好の餌食に他ならず、
それ故に戦闘隊長にも付け込まれてしまったのだ。

「総帥が悪≠野放しになさる筈がないッ! その上、裏切り者まで見逃すとッ!? 
……そんなことは絶対に有り得ないッ! そんなことが罷り通るなら――正義は何の為にあるんだ!?」

 マイクとディオファントスから窘められても決して曲げられない信念がセルカンを衝き動かしている。
何ら偽りのない無垢な魂が身の裡から吼え声を上げていた。

「――正義は己自身に問い掛けなさい……」

 その瞬間(とき)、沈黙を保っていたビクトーの声が造船所跡に木霊した。
伴侶たるイリュウシナでさえ聞いたことがないほど静かな声であった。

「ど、どうしたの、ビク――」

 何事かとイリュウシナが振り返ろうとした直後、目に見える世界の全てが眩いばかりの光に包まれていった。




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