14.The Only Neat Thing to Do


 造船所跡が所在する区画をくまなく包み込んだ烈(はげ)しい光の正体は、
その場に居合わせた誰もが即座に理解した。
 尋常ならざる規模ではあるものの、これは紛れもなくヴィトゲンシュタイン粒子である。
二百余名にも上るスカッド・フリーダムの隊員を始めとして、
造船所跡で交戦しているのはアルトの人間ばかりなのだ。馴染みのある光と言えなくもない。
 ノイの側より迷い込んだ難民であるジョウ・チン・ゲンとて何事かと狼狽(うろた)えるようなことはなく、
ほんの少しばかり驚いた程度であった。
 冒険王マイクと共に行動し、アルト各地を経巡る中で様々なトラウムを目の当たりにしてきた為、
具現化粒子≠ニ言う別称(よびな)を持つ光にもすっかり慣れてしまったわけだ。
 時間にして一〇秒程度であろうか――
辺り一面に飛び散って皆の眼を眩ませたヴィトゲンシュタイン粒子が霧のように掻き消え、
世界に再び彩(いろ)が甦ったとき、そこにはビクトーの姿が在った。
 両手を動かすだけで不可視の打撃≠繰り出せるような巨人などではない。
常人並みの身の丈に戻ったビクトーが、だ。
即ち、今し方の光はビクトーの全身から発せられたものと言うことである。
 彼は『フーリガン・スタナー』と言う名のトラウムの効果で巨大化していたのだ。
ヴィトゲンシュタイン粒子が爆ぜて散った後(のち)に本来の身の丈に戻ったのは、
つまり、切り札≠スるトラウムを解除したと言う証左であった。

「――スカッド・フリーダムは変わります。……いえ、最早、変わってしまったのです。
隊の性格も、『義』の在り方も何もかも……」

 凄まじい量のヴィトゲンシュタイン粒子を撒き散らしながら屹立していたビクトーは、
暫しの沈黙の後(のち)、徐(おもむろ)に、そして、厳かに口を開いた。

「観念したってコトでいいんだね、ビクトー? それとも、手前ェのバカさ加減がイヤになったのかね? 
いずれにしても、ジジィの命令に従うのは賢明だよ」

 尚も俯き加減で立ち尽くすビクトーに対して、ルシアは抹殺指令を放棄するのかと尋ねた。
 バイオスピリッツとの交流戦の件はともかくとして――
テイケン総帥は『在野の軍師』に対する攻撃を取り止めるよう彼女を通じて指示を出している。
七導虎たる者、これを受け入れるのが当然と強調するつもりであった。
 念を押すような語調ではあるものの、その物言いはビクトーが戦いを打ち切ることを前提にしている。
ありとあらゆる強敵を封殺してきた常勝無敗のトラウム――フーリガン・スタナーを解除したことで、
最早、アルフレッドと戦う意志がないことを示したようにも見えるのだ。
 傍目には白旗を揚げたように見えなくもない。
アルフレッドの抹殺は正義の執行と信じて疑わないセルカンなどは光の矢によって磔にされたまま、
「自分たちは何も変わってないッ!」と慟哭にも近い悲鳴を上げ続けている。

「……勝手に決めるな……」

 戦闘終結へ向かう流れを作ろうとするルシアに制止の声を飛ばしたのは、
抹殺対象とされているアルフレッドその人であった。
 満身創痍の『在野の軍師』にとって、ここで戦いを終えられることは思わぬ僥倖の筈なのだが、
しかし、テイケンの配慮を全く喜ばず、それどころか、迷惑とでも言いたげに鼻を鳴らしているではないか。

「任務を打ち切るだの何だのは、スカッド・フリーダムだけの都合だ。俺には何も関係ない。
俺はその男を――ケンポーカラテを殺す。それだけだ。……誰にも邪魔はさせない」

 アルフレッドはアルフレッドで、ビクトーを殺さなくてはならない理由がある。
彼の息の根を止めない限り、頬を伝い続ける血の涙は決して止まらないだろう。
 危険を冒してまで自分を助ける為に奔走してくれたシルヴィオの友情へ報いたいと言う思いも強い。
 彼のような真(まこと)の義の戦士が信念を貫こうとするとき、
現戦闘隊長とやらに操られるばかりのビクトーは必ずや障碍となるだろう。
 シルヴィオの『義』を妨げ得る者はひとりでも潰しておきたいのだ。
 戦闘の打ち切りなど以ての外。誰に何と言われようとも戦いを続けるつもりである。
どちらかの生命が絶たれるか、あるいは双方の共倒れか――それ以外の決着などは有り得なかった。

「ボロゾーキンみたいなナリしてイキがるもんじゃないよ、ハンサム君。
ホントはヘロヘロなんだろ、ンン〜? 強風でも吹けば、一発で吹き飛ぶんじゃないかい?」
「……煩い、黙れ……」
「あ〜、ソレ≠ゥ。うんうん、分かった分かった。うちのメイがメールでも書いてたよ。
何かにつけて素直じゃないヤツがいるんだけど、その子どもっぽい意地っ張りが逆に可愛いって――」
「――お、お、お師さんッ!」
「……お待ち下さい。一体全体、今のはどう言う意味なのでしょうか。貴女はアルちゃんに横恋慕を……」
「ほら、もぉーっ! お師さんの所為でマリスに誤解されちゃったじゃない! 
選りにも選ってこんなときにーっ! 頼むから少しは空気読んでよっ!」
「いえ、この際ですから、誤解なのか、どうなのか、徹底的に話し合いたいと思いますけれど」
「おうおう、こいつは面白くなってきた! あの男っ気ゼロだったメイがラブコメ要員だなんて、
いやぁ、チビの頃から面倒見てきた身としちゃ感慨も一入(ひとしお)だよ〜」
「お師さんっ!」

 顔を真っ赤にしたジャーメインと、それを冷やかすルシア、
更には不信感を募らせるマリスまで加わった不毛な口論はともかくとして――
この場に居合わせた誰の目にも瞭然なのだが、アルフレッドの肉体は既に限界に達している。
 全身を血の色に染め、両腕は力なく垂らし、
呼吸も相当に荒い――否、ただ単純に息が上がっていると言うことではなさそうだ。
喉や肺にまで痛手(ダメージ)を受けているのか、呼吸の調子そのものが異常なのである。
数秒おきには激しく咳き込み、赤い斑模様を海面に飛散させていた。
 微かに右半身を傾けている辺り、折られた肋骨を無意識に庇っているのだろう。
「強風でも吹けば、一発で吹き飛ぶ」とルシアは揶揄していたが、
まさしくその通りであり、右脇腹に強撃でも被ろうものなら、まず間違いなく即死は免れまい。

「ビクトー様……ほ、本当にこの男を見逃すおつもりなのですか? 
そ、それが『スカッド・フリーダムは変わる』と言う意味なのですか!? 
……正義は――正義は死んでしまったのですかッ!? 悪≠野放しにするなんて……! 
それじゃ根本的には何も解決しないのにッ!」
「こっちはこっちで相変わらずやっかましいなァ。ビクトー、とっとと帰り支度しちまいな。
そんでもって、このガキは両手両足に強力接着剤でも塗って煉瓦の壁と末永く添い遂げて貰おうや。
タイガーバズーカに連れ帰ってもうるせぇだけだし」
「裏切り者の片割れめッ! なんと狡猾な……ッ!」

 相変わらず独り善がりな正義を喚き散らすセルカンは、ルシアたちに向かって罵声を発しながらも、
同時にビクトーへ『義』の在り方を示して欲しいと訴えていた。
 ルシアの言葉を信じてアルフレッドを解放しようと考えているのであれば、
今すぐに翻意するよう強く促しているわけだ。

「……いえ、……私は――」

 セルカンの悲痛な叫びに応えようと言うのか、はたまた別の意思に基づいているのか、
ルシアから投げかけられた抹殺指令の放棄と言う問いかけに対して、ビクトーは首を横に振った。
 世界秩序を乱す悪≠ニしてアルフレッド・S・ライアンを始末する――
この任務は必ず完遂しなくてはならないと、セルカンや二百余名の同志に向かって表明したのである。
 フーリガン・スタナーの解除は白旗の代わりなどではなかった。
ケンポーカラテの武技を――己の拳≠以てしてアルフレッドを葬り去ると言う鉄の覚悟である。
 トラウムと言う最も強力な選択肢を自ら切り捨てたことは、
ビクトー自身にとっても大きな賭けと言えた。
 巨人と化したままであったなら、不可視の打撃≠以てしてアルフレッドを寄せ付けなかった筈である。
アルフレッドほどではないにせよビクトーも片目を潰されるなど深手を負っており、
フーリガン・スタナーを維持したままであったほうが有利に違いないのだ。
おそらくは戦局そのものを支配出来たことだろう。
 それでも、敢えてビクトーはケンポーカラテと言う本来の様式(スタイル)に戻したのである。
抹殺対象の息の根を止め、血で穢れる覚悟は持っているのかと
アルフレッドから問われた結果――あるいは、その返答(こたえ)だった。
 暫時、抹殺対象を見据えた処刑人≠ヘ、深い吐息と共にクラリッサへと目を転じた。
彼女と視線を交えた後(のち)は、セルカンたち二百余名の援軍を順繰りに見つめていく。
 己の目の動きをクラリッサは追いかけてくれるだろうと確信していた。
そして、そこに込めた企図にも勘付いてくれるだろうとも期待している。
 果たして、ビクトーの真意を察したクラリッサは、口を真一文字に引き締めて深々と頷いた。
 今、ふたりの胸に去来しているのは、七導虎としてセルカンたちの為に何が出来るかと言う使命感である。
 スカッド・フリーダムの正義は死んでしまったのか――
タイガーバズーカに生まれ落ちたときから疑う余地のなかった信念が否定されたものと捉え、
怯えと迷いを綯い交ぜにしたような面持ちを向けてくる少年少女に進むべき道≠示さなくてはならない。
それこそが『義』の規範たる者の務めなのだ。
 七導虎の責務を目配せでもって確認し合った両者は、それぞれ戦うべき相手を睨み据えた。
ビクトーはアルフレッドに、クラリッサはジャーメインに向き直ったのである。

「――我々は七導虎です。スカッド・フリーダムの魁として責任を果たすのみ。
……任務の途中放棄は断じて許されません。例え、総帥の御命令とは雖も――
それが正義を己に問い掛けると言うことなのですから」

 セルカンたちに、何よりも己自身に説き聞かせるような言葉を終えた直後、
余韻の如く周囲で舞い踊っていたヴィトゲンシュタイン粒子が
ビクトーの身に纏わりつき、蒼白い火花を散らし始めた。
 火花は次第に大きくなり、間もなく稲光に変わっていく――言わずもがな、ホウライの輝きである。
 以前に馬軍きっての猛将――ビアルタと戦い、これを撃破したとき、
アルフレッドは『グラウエンヘルツ』と化して対峙したのだが、
その最中に変身が解除されてしまい、光の爆発のようにヴィトゲンシュタイン粒子が
辺り一面に飛び散っていた。
 その果てに光輝くヴィトゲンシュタイン粒子を吸収し、ドラゴンレイジエンターを放った次第である。
 一度、解き放ったヴィトゲンシュタイン粒子を再び取り込み、ホウライとして帯びる姿は、
ビアルタと相対した折のアルフレッドを擦(なぞ)るようでもあったのだ。
 アルフレッドとビアルタが激突した場にも居合わせたザムシードは、
往時との酷似に思わず眉を顰めた――が、『在野の軍師』当人は追憶に浸っていられるような状態にはない。
傍目には二度と動かないと見えた両腕を持ち上げ、構えを取り直したのである。

「ライア――」

 何があったのかと尋ね終える前に、ザムシードは全てを悟った。
いつの間にか、己の身に鳥肌が立っていることに気付いた――このようにも言い換えられる。
やや遅れて背筋に冷たい戦慄も駆け抜けたのだった。
 アルフレッドは構えを取ったのではない。ビクトーから漂う恐怖に反応して構えを取らされた≠フだった。
 目の前に立つ男は、尋常ならざる殺意を迸らせていた。
 何しろ、数多の屍を踏み越えてきた馬軍の将さえ慄かせるほどの凄まじさなのだ。
死線を潜り抜けてきた筈のアルフレッドも防衛本能が著しく刺激され、
壊れかけた肉体が反射的に動いてしまったのだろう。
 世界秩序を破綻に追い込む悪≠始末するべく送り込まれた処刑人≠ナありながら
相手の生命を絶つのは『義』の道に悖ると考え、殺意を研ぐことだけは憚って来たのがビクトーであり、
「罪を憎んで人を憎まず」と言うスカッド・フリーダムの性格でもあった。
 それ故にビクトーは瀕死の状態まで抹殺対象を追い詰めたと言うのに止(とど)めを刺せなかったのである。
相手を懲らしめるだけでなく生命まで奪ってしまえば、
血と罪で『義』が穢れると隊内では考えられているわけだ。
 そのビクトーが抜き身の殺意を滾らせている。アルフレッドとの戦いを通じて、
如何なる心境の変化があったのか――それはザムシードには解らない。
 ただ、ひとつの現実として、ビクトーがアルフレッドの息の根を止めようとしているのは確かであった。
若い隊員たちの規範として『義』を穢すような振る舞いを慎んできた男が、だ。
 言わずもがな、ビクトー本人に質しても何も答えはしないだろう。
そもそも、現在の彼は言葉などではなく己の身を以てして同志たちに道≠示そうと企図しているのだ。
 この先、スカッド・フリーダムには正義などない。
唯一無二にして至上の価値を備えていた筈の『義』は、
たったひとりの戦闘隊長(おとこ)の手によって捻じ曲げられてしまった。
 この先もスカッド・フリーダムの正義を絶対化するつもりならば、何よりも誰よりも強くなければならない。
それを達成するには途方もない覚悟が欠かせないのだ。
 現在(いま)のスカッド・フリーダム隊内に於いて正義を宣言する代償は大きかろう。
自分にとって何よりも大切なモノ≠ナさえ、生贄の如く差し出さなくてはならないのかも知れない。
 だからこそ、「最後に信じられるのは己の『義』のみ」と諭したのだった。
 穢れた任務の結末を通じて、気高い志を全うする難しさを二百余名の少年少女に伝えたかった。
どれほど過酷で報われないか、この道≠進み切る代償とは何か――その全てをビクトーは伝えたかった。
 彼は己の『義』を生贄として捧げようとしているのである。
何かを犠牲にしなければならないほどスカッド・フリーダムの『義』が罪過(つみ)に穢れてしまったことは、
まさしく七導虎が規範となって皆に知らしめなくてはならなかった。
 それが、今、このときに七導虎の立場に在る者の務めなのだ――と、
ビクトーとクラリッサは瞳でもって物語っていた。
その姿は他の如何なる弁論よりも遥かに事態の深刻さを表している。
 暗殺と言う穢れた任務を目の当たりにしながら、それでも正義の道≠邁進する勇気を持っていれば、
それこそが本当の意味での『義』と言えるのではなかろうか。

「……最初はフィーの仇討ちのようなことをほざいていたクセに、よくもまぁコロコロと心変わりするものだ。
言っておくが、ケンポーカラテとジークンドーの話はもう聞き飽きたぞ」
「いいえ、未来の芽を握り潰しただって一瞬たりとも忘れてはいませんよ、アルフレッド君。
……割り切れない思いを抱えて、私はこの場に立っているのですから。
あくまでもケンポーカラテは正義を貫く為の手段。そして、キミを冥府へ誘う死神の鎌とも言えるでしょう」
「フン――上等だ……こちらとしてもお前を殺すのに躊躇いもなくなる。
思う存分、死出の旅とやらを楽しませてやる」

 この場でアルフレッドを始末し、血と罪に塗れた上で二百余名の若者たちと相対することが
七導虎にとっての一番の役目だとビクトーは信じていた。
 血で穢れることが如何なることかを二百余名の少年少女に向けて示し、
彼らが各地に散らばって全ての同志に伝播していくことをビクトーは期待している。

(――セルカン・グラッパたちを策に利用するようで気が引けますがね……)

 己と『在野の軍師』も大して変わらないと、ビクトーは自嘲の笑みを浮かべた、
 しかも、これは総帥の命令に逆らう行為である――が、やはり、己の『義』に基づいて思料するならば、
アルフレッドだけは抹殺しておかなくてはならないと言う結論に達するのだった。
 改めて詳らかとするまでもなく、この青年軍師はフィーナ・ライアンと言う未来の奇跡を
犠牲にした張本人なのである。
 そして、そのことに触れた途端、アルフレッドは血の涙を流し始めた。
これは大切な存在を喪失した痛みの発露と言えるだろう。
 しかし、慟哭に起因する復讐の狂気に晒される中で、
彼が世界秩序を乱す悪≠ニ見做された理由をビクトーは確かめてしまったのである。
 復讐の妄念に取り憑かれ、あまつさえ理性を欠くような男が反ギルガメシュ連合軍の中枢に居座っていては、
エヴァンゲリスタが唱えた通りにエンディニオンから争いの火種が途絶えることはなかろう。
 ここに至って、ありとあらゆる事柄がビクトーを処刑人≠フ役目へと駆り立てたのである。
 ルーインドサピエンス(旧人類)よりも更に古い時代から因縁が続く武技(ケンポーカラテ)を以てして
生命を絶たんとすることには、ある種の餞の意味も込められているのだ。

「――これじゃエヴァンゲリスタとか言う男の思うツボじゃないのかなぁ。
……う〜ん、義兄さんがここまでバカとは思わなかったなぁ……」

 片足立ちでもってクラリッサと対峙したジャーメインは、
さんざん無駄な遠回りをした挙げ句、進歩なく振り出しに戻ったようにしか見えない義兄に呆れ返っていた。
軽蔑と呼べるほど悪辣ではないものの、ビクトーに向ける眼差しは鋭い冷気を帯びている。
 そのジャーメインに対して、「裏切り者の分際で知ったような口を叩くな」と
クラリッサは敢えて厳しく言い放った。

「ビクトーには余人が立ち入ることの出来ない『義』がある。
ライアンにも同じような志があることは認めよう。だからこそ、分かり合えないのだ。
すれ違い、鎬を削るしかないのだよ、メイ」
「……あたしとクラリッさんのように?」
「スカッド・フリーダムと、お前たちパトリオット猟班のように――と言い換えておこう。
いずれにせよ、故郷を捨てた時点で私たちは相容れなくなったんだ」
「故郷は捨てないって言ったでしょ」
「言い繕ったところで事実は変わらないぞ、メイ。
……裏切り者が生きる場所などスカッド・フリーダム――いや、タイガーバズーカにはない」

 ジャーメインを「裏切り者」と呼び付けるクラリッサが二百余名の少年少女に見せようとしているのは、
スカッド・フリーダムの『義』に背を向けた者が迎える末路であった。
あるいは、『義』を分かち合う同胞を裏切った者――と言うべきかも知れない。
 それはつまり、「共に歩む仲間を裏切るべからず」との戒めである。
 人はひとりでは生きられない。それと同じように己の正義を貫かんとする過酷な道≠
ひとりきりでは耐えられないものであろう。
 だが、周りに同じ志を持つ仲間がいれば、互いを鼓舞し合い、支えていくことだって出来る。
そのことを決して忘れてはならないとクラリッサは示すつもりなのだ。
 『義』が歪められたスカッド・フリーダムで生き抜き、信念を全うする為に必要なモノは何か――
ビクトーとクラリッサは、ふたりがかりで若き隊員たちに諭そうとしている。
 今から始まる攻防は、それ自体が義の戦士に対する掛け替えのない教訓(おしえ)であった。
 己が預かって来た伝言を完全否定するような筋運びにも関わらず、ルシアはどこか嬉しそうだ。
 類稀なる戦士たちが如何にして戦うか、これを眺められるのが無上の喜びなのであろう。
稼業からして当然と言えば当然なのだが、根っからの格闘技狂い≠ネのである。

「あんたにゃもう居場所がないってさ、メイ。どーすんだい、ダンボール小屋でもおっ建ててみるか? 
案外、喰ったらウマいっつう話も聞くし、一石二鳥じゃないか」
「お師さん、ちょっと想像が飛躍し過ぎだから。何でダンボール生活まで行き付かなきゃならないのよ」
「――ああ! ハンサムなカレシに養ってもらったら良いのか! 愛の力でダンボール回避だな!」
「ツッコまないからね、あたし! アホなトークをしてる場合じゃないんだから!」

 それでいてジャーメインに冗談を飛ばし、緊張を緩めてやる辺り、弟子想いの良い師匠と言えよう。

「メイさん……」
「えーっと、バカ師匠の言うことはガン無視でいいからね、マリス。
……とりあえず、ここは下がっていて」
「は、はい――」

 先程の口論の折りに傍らまで近付いていたマリスに離れるよう促したジャーメインは、
やがて左掌中に握り込んだ火のCUBEの力を解き放ち、拳に紅蓮の輝きを宿した。
 轟々と燃え盛る爆炎を見つめながら、マリスは大人しく引き下がった。
 ジャーメインに対しては言いたいこと、問い質したいことが山ほどあるものの、
しかし、ふたりの激突に水を差すほど彼女も無粋ではなかった。
何より義の戦士――ジャーメインは脱退した立場であるが――の戦いなどに巻き込まれては、
大して丈夫でもないマリスは一溜りもあるまい。
 そうして戻って来たマリスを見て取るなり、今度は源八郎がアルフレッドに声を掛けた。

「アルの旦那ッ! メイのお嬢ちゃんッ! おふたりに俺の銃爪(ひきがね)、預けますぜッ!」

 思わぬ形で勃発したスカッド・フリーダムとの抗争の決着は、
アルフレッドとジャーメインのふたりに委ねると言っているのだ。
 無論、ふたりが敗れたときには即座にビクトーとクラリッサを射殺するつもりである。
卑怯者の謗りを受けることは免れまいが、アルフレッドに血の涙まで流させるような外道にまで
仁義を通す理由もないと源八郎は考えていた。

「今更だけど、こう言う場合、メイちゃんを応援したら良いのかしらぁ? それとも、クラちゃん?」
「ここまで来たら、もう好きなほうを応援しなさい。……私はビクトーを信じるだけよ」

 グンダレンコはジャーメインを、イリュウシナはビクトーをそれぞれ見つめている。
 磔のまま足掻くことを止めたセルカンや他の隊員たちも、固唾を呑んで二組の対峙を見守っていた。

「テイケンのジジィでも止められなかった不毛な殺し合いも、これで一応はお開き≠チてコトか。
……ちょっと待った、これじゃあ、骨折り損のくたびれ儲けじゃねぇかい、あたしゃ。
ガキのお使いじゃねーんだから、もっとマシなオチにしろってんだい」
「全くの無駄骨と言うことではないだろう? キミはライアンとバロッサのふたりに火を付けた。
それがキミの果たした一番の役目であり、とても意義あることだと思うがね。
何しろ、ここまで志が違うんだ。どのみち、スカッド・フリーダムとぶつかるのは避けられなかっただろうよ。
……ライアンたち当事者を舞台に上げたのがキミと言うワケだよ。ちとフライング気味ではあったがね」

 ルシアの独り言が耳に入ったらしいディオファントスは相槌を打つようにして深く頷いた。

「ヴィクドの『提督』の弟さんだっけねぇ――長々とくっちゃベってると思ったら意外と正論で驚いたよ。
ンまー、あたしの役割なんか、たかが知れてるけどね。結局のところ、本人たちのやる気次第ってコトさ」
「いやいや、本人たちのやる気は十分だろう? 周りのお膳立ても完璧だ。
……ビクトー・バルデスピノ・バロッサは、もうひとつ、腹の中で何か企んでいそうだがね」
「企むっつーか、何つーか……あいつはクソが付くような真面目野郎だからねぇ。
手前ェの戦う姿を他人に見せ付けて、何かを伝えようとしてるのかも知れないよ。
どっちみち不器用過ぎて涙が出てくらぁ」
「この期に及んで何を示そうと言うのだね?」
「さぁねェ――この戦いが終わったときにヤツが生き残っていたら、
そのときにビクトー本人から聞き出しといておくれ」
「やれやれ、口が堅いお嬢さんだ」
「……ただひとつだけあたしの口からハッキリ言えるのは――
勝ち負けに関わらず、今日がスカッド・フリーダムの命日≠ノなるっつうコトだよ」

 決着の瞬間(とき)が近付いていることは誰の目にも明らかである。
抗争の果てに勝利の喜びなど湧かなくとも、この惨たらしい生命の遣り取りだけは終わらせなくてはならず、
又、造船所跡に集い、スカッド・フリーダムの内部崩壊を目の当たりにした者たちには、
最後の死闘を見届ける責任が課せられているのだ。
 ディオファントスとて例外ではない。無意味な闘争で連合軍の要を失うことになるとしても、
生命が燃え尽きる一瞬まで見守る決意であった。

「マイクさんはどう見ます? 先程から二対二の構図は変わっていないようですが、
少し――いえ、かなり厳しい勝負になると見受けましたが……」

 高所から決着の行方を見据える形となったジョウ・チン・ゲンが隣のマイクへ勝負の見立てを尋ねた。

「アルとメイのコトか? さて、どうなるかな――どっちみち、アイツらにケリを任せるって決めたんだ。
黙って見てようじゃねぇか。……ま、勝とうが負けようが、スカッド・フリーダムのクソ野郎どもは
逃がすつもりもねぇけどよ。全員、とっちめてやらァよ」
「全然、任せる気がないじゃないですか」
「それとこれとはハナシが別だぜ。人ン家、メチャクチャにブッ壊しといてトンズラぶっこくとか、
誰が許すかっつーの。全員にトンカチ持たせて潰れた家を直させてやるよ」

 勝負の見立ての代わりに冗談を飛ばすマイクの目の前で戦いは動き始めた。


 先に攻防を再開させたのは、世界秩序を乱す災いの種と見做された『在野の軍師』と、
これを討たんとする処刑人=\―アルフレッドとビクトーの側である。

「皆、よく見ておきなさい。これよりキミたちに『義』を貫く道≠示します。
……それが七導虎としての私に出来る精一杯のこと――
それがどんなに悍(おぞ)ましいものであったとしても、一瞬たりとも目を逸らすのではありませんよ」
「この期に及んでまだ『聖帝』の化身気取りか? 貴様のような愚図が人に何を教えられると言うんだ。
貴様など真似てみろ、スカッド・フリーダムは意志薄弱な臆病者しかいなくなる――」

 今から始まる攻防さえも「七導虎の責務」と言い切ったビクトーに対し、
心底よりの罵声を浴びせたアルフレッドが憎悪の念が漲る拳を突き込んでいったのである。

「――せめて、自分の馬鹿さ加減を晒して死んでいけ……ッ!」

 殆ど瀕死の肉体を力ずくで揺り動かそうと、アルフレッドは気合いの吼え声を発し、
盛大に水飛沫を上げながらビクトーへと立ち向かっていく。
 開戦の当初は両足に蒼白い稲光を纏い、水の抵抗を無効化すると言う技巧も見せていたのだが、
現在(いま)は小さな火花すら伴っていなかった。
 両者の攻防が再び動き始めるまで多少は時間を置いた筈なのだが、
それでもホウライを発動させる程には回復出来なかった様子である。
 立っているのが不思議なくらいの痛手(ダメージ)を刻まれながら、
無理を重ねに重ねて戦い続けた結果と言うことだ。

「おッ――おおおあああァァァッ!」

 一等大きな吼え声を上げながら直線的な右拳打を繰り出し、
これを避けられるや否や、即座に腕を引いて右の前回し蹴り、
続けて軸足を逆方向に捻り込み、同じ足で後ろ回し蹴りを放つなど
次々と攻撃を変化させていくアルフレッドであったが、
その猛々しい振る舞いとは裏腹に技自体には普段の鋭さが足りなかった。
 石畳を満たす海水で濡れそぼったジーンズの重さによって、
身のこなしにまで悪い影響が出始めているわけだ。
 つい先程まではジーンズの重みなど感じてもいなかったのだが、
今や鉛を括られたように重く纏わり付いている筈である。
当然と言えば当然だが、得意の蹴りを打ち込む上で一番の妨げであろう。
 それが為に必殺技は必殺≠ニはならず、
アルフレッド渾身の『パルチザン』も不発で終わってしまったのだった。
 満身創痍と言う条件だけならばビクトーとて同じくらいの重傷なのだが、
彼はアルフレッドと違って僅かばかり余力を残している。
その分だけ身のこなしも疾(はや)く、生半可な攻撃では彼の身に届くことも有り得ないのだ。
 現在(いま)のアルフレッドが相手であれば下腕ひとつで足りるだろう――
処刑人≠ヘ侮蔑を宿した隻眼でもって抹殺対象を睨みつつ、
彼の後ろ回し蹴りを片手のみで軽く弾いてしまった。
 しかも、だ。今となっては攻守の『軸』を断ち切るまでもないらしく、
どこまでも涼し気な顔で蹴り足を押し返すのである。

「いきなり技が単調になりましたね。さしものアルフレッド君もお疲れのご様子――」
「煩い、黙れ……!」
「――遠慮は不要です。さぁ、永遠にお眠りなさいッ!」

 腹を括って臨んでいる為か、ビクトーより繰り出される武技(わざ)には
これまでのような躊躇や容赦と言うものがなく、
ホウライを纏った拳と脚を立て続けにアルフレッドの頭部へ叩き込んだ。
 いずれも半円の軌道を描く猛烈な打撃である。
 頭蓋骨が割れなかった為に即死だけは免れたものの、
脳は大きく揺さ振られており、何時、意識が消し飛んでしまっても不思議ではなかった。
 アルフレッドは大音声を発することで己を奮い立たせ、
危ういところで踏み止(とど)まることが出来た――否、それ以外に意識を繋ぎ止めておく術を
持ち合わせていなかったのである。

「ちぇぇぇェェェいッ!」

 ビクトーもまた勇ましい吼え声を発し、アルフレッドを精神の面でも圧倒しようとしていた。
 恐るべき武技を次々と繰り出しながらも、ここに至るまで攻防の最中に大音声を張ることは殆どなかった。
それが今は違うのだ。身の裡に眠っていた野性まで剥き出し、
アルフレッドの血肉を余さず貪ろうとしているようにも思えた。
 踏み込みに用いた足と同じ側の拳を一直線に速射してきたアルフレッドに対して、
ビクトーは先ず打撃(これ)を避けつつ右側面まで回り込み、更に左掌でもって彼の右肩を下方へと突き押し、
姿勢を崩したところで対の腕による肘鉄砲を繰り出した。
 ただでさえ脳を揺らされたばかりだと言うのに、更にこめかみへ追い撃ちなど受けようものなら、
それだけでも失神させられる可能性が高かった。
 咄嗟の判断ではあるものの、膝の屈伸のみで左方に跳ねたアルフレッドは、
着地と同時に反撃体勢を整えるつもりであったのだが、
そのときには既にビクトーは間近まで接近していた。

「逃がしませんよ、アルフレッド君……私からは逃げられないのですッ!」
「逃げも隠れもしない……ッ!」

 追撃の拳打を掌でもって受け止め、直進される勢いを吸収しながら後方へと退(すさ)り、
ビクトーの体勢を逆に崩してしまおうとするアルフレッドであったが――

「――最早、小細工は通じる段階ではないのですよッ!」

 ――しかし、防御法(わざ)の仕掛けが僅かに甘かった。
 体当たりさながらに深く踏み込んできたビクトーを支え切れず、
続けて繰り出された頭突きを受けてよろめくや否や、力任せに押し切られてしまった。
 己の優勢を揺るぎないものにしようとしているビクトーの顎が
突如として撥ね上がったのは、その直後のことである。
 姿勢を崩されながらも強引に身を捻り、右足を突き上げると言う意表を突いた反撃である。
今まさに追い詰められようとしていたアルフレッドにとっては突破口を開く為の一手であった。
 続けざまに右踵をビクトーの脳天に落とし、これを以て強制的に頭の位置を下げさせると、
蹴り足を引き戻しつつ、反対に左拳を振り上げていく――昇竜の如き渾身のアッパーカットだ。
 今にも斃れそうだった人間のものとも思えない流れるような連続攻撃であったが、
悲しくも「やはり」と言うべきか、当のビクトーには殆ど痛手(ダメージ)は与えられていない。
頭部を横方向に振ることでアッパーカットを避け、その流れの中で自身の右腕を振り回した。
 言わずもがな、この瞬間(とき)のアルフレッドには、
鞭のように撓る横薙ぎの右拳が左側面から迫っていた。これもまた半円の軌道を描く武技であった。

「ぬゥあ……ッ!」

 敢えて左側頭部にて拳打で受け止めたアルフレッドは、
脳まで達した痛手(ダメージ)を歯を食い縛って耐え凌ぐと両の五指でもってビクトーの頭髪を掴み、
その状態から一気に左膝を撥ね上げた。
 己の身を差し出して拳打を受けたのは、この場にビクトーの身を釘付けとする為の策である。
ほんの一瞬ながら打撃が命中した直後だけは誰もが静止状態となる。
これならば速度の鈍ったアルフレッドであっても捉え切れると言うわけであった。
 所謂、飛び膝蹴りである。それも、相手の動作(うごき)を封じた上で
叩き込むと言うジャーメインを模倣する打ち方であった。

「あらあら、メイちゃんったら〜。お互いの必殺技を交換し合うなんて随分と大胆なのねぇ」

 蹴り方の特徴に気付いたグンダレンコは、味ありげな視線をバロッサ家の末妹へと向けるが、
ジャーメインはジャーメインでクラリッサと相対しており、姉の冷やかしになど付き合ってはいられなかった。
 それはジャーメインとの深い仲≠疑われたアルフレッドも同様である。
 膝蹴りそのものが眉間――正確には鉢鉄の装甲によって――でもって受け止められてしまい、
これによってアルフレッドは再び姿勢が崩れ、更には報復の左掌打でもって喉を打たれた。
 直後には右の下段蹴りで左脛を打ち据えられ、続けて直線的な右拳打で顎を突き上げられ、
動作(うごき)が極めて小さな左後ろ回し蹴りによって右内膝を揺さ振られ――
最早、アルフレッドには堪える術などなく、石畳の上に崩れ落ちるばかりであった。
 小さな水柱を立てながら倒れ込んだアルフレッドをビクトーは容赦なく踏み付けにしようとする。
 寝転がった相手に対するケンポーカラテの追撃は危険にして執拗――
その恐ろしさを既に身を以て痛感しているアルフレッドは、
右脇腹が悲鳴を上げるのも構わずに身を転がし続けた。
一秒でも動きを止めようものなら、その瞬間に頭部(あたま)を踏み潰されてしまうだろう。
 踏み付けでは仕留め切れないと見たビクトーが鉄拳を突き込んでくると、
これを躱したアルフレッドは両手でもって全身を持ち上げ、左右の足を大きく開きながら回転し始めた。
 己の身を駒に見立てた回転蹴りである――が、この妙技を以てしてもビクトーの足を払うことは叶わない。
僅かに退るのみで容易く避けられ、逆に蹴り足ごと踏み潰されそうになった。
 無論、迫る危機にはアルフレッドも気付いている。すぐさま片手で全身を支える格好に変化し、
次いで身を捻り、ビクトーの腹に連続して左右の足裏を突き込んでいく。
 余人であれば内臓が破裂しても不思議ではない連続蹴りを腹筋ひとつで凌いだビクトーだが、
アルフレッドとて有効な痛手(ダメージ)を与えられるとは考えていない。
一先ずは処刑人≠フ身を後方に弾き飛ばすのが狙いであった。
 果たして、左右の膝のバネを生かした蹴りはビクトーを吹き飛ばし、
両者の間合いも大きく開くこととなった。
 やや離れた地点から攻防を見守ることしか出来ないマリスは、
気が気ではないと言った調子で小さな悲鳴を上げ続けている。
 ようやくアルフレッドが処刑人≠フ猛攻から逃れられたと安堵したのも束の間、
そのビクトーが中空へと跳ねた。一等強く足裏を振り落とそうと言うのである。
 やがてビクトーは水飛沫を巻き上げながら地上に飛来し、
その瞬間、踏み付けを避け切った筈のアルフレッドの身が中空へと撥ね上げられた。
 不可視の打撃≠フ一種であることは間違いなかろう。
足裏より放たれた衝撃波が石畳に撥ね返り、水面もドーム状に盛り上がって爆ぜた。
 これはつまり、衝撃波が四方八方に輻射した証左である。
巨人と化していた折に見せたような大規模なものではないものの、
手負いの人間を痛めつけるには十分過ぎるほどの効力を秘めている。
 アルフレッドの身が弾き飛ばされたと見て取ったマリスは悲鳴混じりに彼の名を呼んだが、
その当人は最愛の恋人≠フ叫びにも反応など返さず、
深紅の瞳で――否、五感でもって迫り来る追撃のみを捉えている。
 アルフレッドを中空に浮かばせたビクトーは、衝撃波を放った側の右足を軸として腰を捻り込み、
轟々と風を裂く左前回し蹴りを繰り出した。無論、これは半円の軌道を描く技巧(わざ)である。
 蹴り足の位置は高い。爆弾≠抱えた胴ではなく頭部に強撃を重ねることが狙いなのは明白だ。
 それ故にアルフレッドにもビクトーの動きを先読みすることが出来た。
先程も円軌道の打撃を立て続けに叩き込まれ、大きく脳を揺さ振られている。
即ち、浅からぬ痛手(ダメージ)を被った部位を再び叩くほうが「殺す」には手っ取り早いと言うことだ。

「舐めるなッ――」

 ビクトーの蹴りが横回転であるのに対し、アルフレッドは中空にて身を縦回転させ、
更には右足を振り上げ、この足甲を処刑人≠フ左足首へと引っ掛けた。
 互いの蹴り足が絡まるや否や、ビクトーは突如として技の拍子を崩してしまった。
このとき、アルフレッドは中空にて身を翻して横回転へと変化している。
ビクトーの蹴りが描く軌道に沿って旋回し、互いの足が絡まった一点を軸として遠心力を生み出し、
遂には処刑人≠フ身を放り投げたのである。
 傍目には螺旋の動作(うごき)の中にビクトーを巻き込み、自由を奪ったようにも見えたことだろう。
これもまた勁(けい)≠ニ呼称される技巧(わざ)の一種であり、
相手の仕掛けた技の勢いや力の作用を吸収し、今し方の投げの如く利用してしまうのである。
 ホウライを発動させられないほど疲労困憊の状態にあるアルフレッドにとっては、
最も有効な技巧(わざ)とも言えよう。
 僅かに残存した力を絞り出すのは、言わずもがな反撃の瞬間だ。
 中空にて身を翻し、両の足にて着地せんと図っていたビクトーを追い掛けたアルフレッドは、
鋭い踏み込みと連動させて軸≠ノ据えた右足、次いで腰を捻り込み、
一連の動作によって生じた回転力を右拳の先まで到達させて強撃を繰り出した。
 『スピンドルバイト』――アッパーカットに近い技であり、
懐深くに潜り込んで顎を粉砕しようとしたのだが、
右拳が直撃するよりもビクトーの反応のほうが遥かに速かった。
 両拳を幾度となく速射しながらアルフレッドの右側面へと回り込み、
スピンドルバイトを難なく避け切ったのである。
 全身の回転運動に基づく勁(けい)≠ヘ、相手ではなく己の身の裡より生み出さなくてはならない。
そもそも身のこなしが鈍(にぶ)った状態では、威力の減退は言うに及ばず、
命中させられるだけの速度を確保することが難しいわけだ。

「逃げてばかりでは俺は殺せないぞ、ケンポーカラテ――」

 肉体(からだ)が言うことを聞かない状態であっても、アルフレッドは追撃を諦めない。
ビクトーが逃れた先へ発揮し得る限りの速度で右手甲を振り抜き、その動きを押し止めようと図った。
裏拳と呼ばれる技法だが、上段に構えてから一気に振り落とすその軌道は縦一文字を描いている。
 比喩ではなく物理的にビクトーの身を釘付けにしようと言うのだが、
彼も甘んじてアルフレッドの拳を受けるつもりはない。左下腕でもって縦回転の裏拳を受け止め、
これと同時に右足裏を突き込んでいった。
 胴を踏み付けにして反対に動きを止めてしまおうと言うわけだ――が、
左半身を開くことで直線的な蹴りを避け切ったアルフレッドは、
一連の流れの中で軸足、次いで腰を連続して捻り込み、全身で螺旋の如き力の働きを作り出した。
 勁(けい)≠左拳の先まで伝達させるのは先程と同様であるが、今度はアッパーカットではない。
振り向きざまにビクトーのこめかみ目掛けて直線的な拳打を放ったのである。
言わば、変形のスピンドルバイトであった。
 カウンター気味の一撃であった為にビクトーにも避けようがなく、
鈍い音と共に右のこめかみで鮮血が飛び散った。
 速度と共に命中率も著しく低下しているのだが、直撃さえすれば勁(けい)≠用いた拳打は
十分に効果を発揮するようだ。回転を伴う拳によって右のこめかみは僅かに陥没し、
ビクトーも苦悶の声を洩らしている。

「――余計な気を回さないように。ちゃんと息の根を止めて差し上げますからッ!」

 勁(けい)≠用いた拳打に対する報復は、円軌道の技巧(わざ)であった。
水平に閃く左手刀を繰り出し、アルフレッドの首を狙ったのである。
半円を描いたことで鋭さも大幅に増しており、下手を打つと頸動脈を切断されるかも知れなかった。
 名剣が如く研ぎ澄まされた手刀が下腕でもって受け止められるとも思えない。
防御を固めたところで腕ごとに断ち切られては無意味であろう――このような事態を警戒したアルフレッドは、
手刀の描く軌道に逆らわず、左方に跳ねると言う回避行動を選んだ。
 これはビクトーから見て九時の方角にアルフレッドを移動させた≠ニ言うことになる。
 手刀から逃れる為の咄嗟の判断であったのだが、跳ね飛んだ直後にはアルフレッドは己の迂闊を呪っていた。
彼が九時の方角へ着地する頃には、ビクトーも三時の地点に移動を済ませていたのだ。
 処刑人≠ェ降り立ったのは、アルフレッドに対して最も有利に戦いを進められる位置であった。
円軌道を描く打撃も、相手の攻守の『軸』を外す技巧(わざ)も、思いのままに繰り出せる場と言えよう。
 「円運動の中に呑み込む」ことで身の自由を奪い、抵抗すらさせず、
一方的に粉砕するビクトーならではの妙技は『竜巻』とも喩えられているのだが、
これは不可視の時計盤≠フ上に相手を乗せて踊らせるようなものだとアルフレッドは見破っていた。
 アルフレッドが六時の地点から一二時の方角へと一直線に駆ければ、
ビクトーは三時の地点へとすぐさま身を移し、そこから強撃を繰り出すのである。
 一二時の地点に『軸』を据えようとしたところで拳脚を打ち込まれ、
ひとつ飛ばしに一〇時の地点まで弾かれてしまったなら、当然ながらアルフレッドの技は拍子が崩れる。
この直後にはビクトーは一〇時の地点に対して最も有利な場所まで移っているわけだ。
 時計盤に振られた一から一二と言う番号へ相手を強制的に移動させ、
己もまた有効に攻守を組み立てられる地点に移る――
ビクトーの眼には己と相手が立つ空間に数多の時計盤が視えているに違いない。
 円軌道を描く技巧――円と一二の数字によって作り出される時計盤≠フ法則は、
一挙手一投足に至るまで全ての動作(うごき)に当て嵌まるのであった。
 しかも、現在(いま)のビクトーはホウライを纏っている。
先程までに披露してきた『竜巻』とは威力も速度も桁違いなのだ。

「――シィィィッ!」
「ぐがッ……!」

 鋭い吼え声と共に繰り出された横薙ぎの右拳打は、アルフレッドの左側頭部を打ち抜き、
彼の身を大きく振り回した――否、それどころではない。その場で錐揉みさせる程の威力を発揮した。
 この衝撃は脳にまで貫通し、大きな痛手(ダメージ)を再び重ねることなったが、
それでもアルフレッドは意識を手放すことなく耐え凌ぎ、強く石畳を踏み締めて錐揉み状態をも断ち切った。
 ビクトーの側とて攻撃の手を休めることはない。アルフレッドが構えを取り直した頃には、
既に背後まで回り込んでいた。六時の地点に立つ彼に対して、三時の場所から左後ろ回し蹴りを繰り出した。
 しかも、ただの回し蹴りではない。蹴り足を高々と振り上げつつ下肢と腰の柔軟性を最大限まで引き出し、
半円を描くようにして踵を急降下させたのである。
 変則の後ろ回し蹴りを放たんとする間際にはビクトーが纏ったホウライも一等輝きを増し、
これに反応して所作(うごき)も数倍に加速した。
 如何にアルフレッドが優れた武術家と雖も、こればかりは避けようもあるまい。
ビクトーの左踵は彼の脳天――その真ん中を鋭く抉っていた。
傍目には蒼白い稲妻が降り注いだようにも見えたことだろう。

「いかんッ! そこから逃げろ、ライアンッ!」

 アルフレッドの脳天より鮮血が噴き出す様を見て取ったザムシードは、
大音声で回避を呼び掛けるが、最早、何もかもが手遅れであった。
 疲労困憊の上、幾度となく脳へ痛手(ダメージ)を重ねられた為にアルフレッドの身動きは極めて鈍く、
何処かへ跳ねて間合いを取ることなど不可能となっている。
 間もなく、死を呼ぶ『竜巻』は彼の身を完全に呑み込んだ。
 全円の軌道を描く打撃を叩き込み、この威力を以て思い通りの位置へと標的を吹き飛ばし、
その間に自分が最も有利な場所まで移り、そこから追撃を見舞い――
拳と脚の雨霰がアルフレッドの全身を無慈悲に蹂躙していった。
 何とかして抗おうにも円軌道の打撃と同時に防御の『軸』まで外されてしまう為、
無防備とならざるを得ない。現在(いま)のアルフレッドは四肢をもがれた上で
嬲り殺しに遭っているようなものであった。
 滅多打ちにされる最中、偶然に左の足裏が石畳に触れ、六時の地点に在るビクトーから逃れようと
一一時の方角へ跳ね飛ぶアルフレッドであったが、彼は瞬時にして一二時の場へと移り、
そこから直線的な左拳打を突き込んできた。円軌道ではなく真一文字を描く攻撃を、だ。
 これによって頬を打たれ、『軸』を外されそうになるアルフレッドだったが、
『竜巻』から逃れる好機を逸しまいと直撃の寸前に左下段蹴りを繰り出し、ビクトーの右膝を脅かしていた。
 拳打の軸足を蹴飛ばされたことで技の拍子が乱れてしまい、ビクトー自身の『軸』が定まらなくなった。
即ち、アルフレッドの身体に作用して自由を奪えなかったと言うことである。
 すかさず対の右下段蹴りでビクトーの左内膝を打ち据え、続けて中空へ飛んだアルフレッドは、
必殺の左後ろ回し蹴り――パルチザンで彼の顔面を蹴り付けつつ後方まで跳ねようと企図していた。
 ビクトーが起こす『竜巻』とは、極端に言えば「連続して放たれる円軌道の打撃」に他ならない。
それ故、横薙ぎの攻撃が大部分を占めており、ここから螺旋の運動に基づく比喩が生まれたのである。
 絶え間なく持続する螺旋の運動から抜け出すことが『竜巻』を破る唯一の方策と考え、
後方へ跳ね飛ぼうとするアルフレッドだったが、対するビクトーには全く隙がない。
 身を沈ませながら前方へ一気に踏み込み、中空に在ったアルフレッドを通り越すと、
その背後を容易く奪(と)ってしまった。

「小細工は通じないと申し上げた筈です――」

 言うや否や、ビクトーは屈んだ状態から右足を振り上げ、身を捻りつつ後ろ回し蹴りへと転じた。
 おそらく彼の目には縦に配置した時計盤が視えていることだろう。
自身の在る場を六時と捉え、一二時の地点に在るアルフレッドへ半円を描く蹴りを見舞おうと言うわけだ。

「――ちィィィ……ッ!」

 両掌を重ね合わせて蹴り足を受け止めようとするアルフレッドであったが、
やはり『軸』を外され、脱力した状態で一二時から三時の方向まで墜落させられてしまった。
 これを見て取ったビクトーは一足飛びで追いかけ、九時から三時の位置へと右拳を振り回す一撃――
四半円を描く縦回転の裏拳でもってアルフレッドを打ち据え、今度こそ地上に叩き落したのである。
 踏み付けなどの追い撃ちを警戒し、アルフレッドは即座に身を起こしたものの、
このときには既に横薙ぎの左拳が眼前まで迫っており、程なくして再び『竜巻』に呑み込まれてしまった。
 最早、この場はビクトーの仕掛けた法則≠ノ支配されたようなものである。
時計盤の上で踊らされる『在野の軍師』には完全に逃げ場がなくなっていた。

「……禁忌を……禁忌を破ると言うの、ビクトー……」

 「禁忌」と呟くイリュウシナの声は微かに震えていた。
即ち、これこそがビクトーの最終奥義と言うことである。
 標的から一切の自由を奪い取る時計盤≠フ法則と、
極めに極めたケンポーカラテの武技(わざ)を結集した死の乱舞である。
 イリュウシナですら夫が実戦の場で奥義を放ったところなど見たことがなかった。
大抵の相手は時計盤≠フ法則に頼るまでもなく円軌道の打撃のみで退けられた。
幾人ものアウトローを相手にする場合であっても、
フーリガン・スタナーさえ発動させてしまえば一網打尽に出来たのである。
 『在野の軍師』が為す術もなく打ちのめされる様を見ても瞭然のように、
一度(ひとたび)、解き放たれたなら相手を必ず死に至らしめるのだ。
 その性質上、スカッド・フリーダムの『義』とは相容れず、
ビクトー自身も人目に晒すことを憚って禁忌としてきたのだった。
 しかし、今は違う。若き隊員たちが歩まなくてはならないだろう血塗られた道を思い、
彼らに義の戦士としての覚悟を促すべく、敢えて封印を解いたのである――が、
その果てに現れたのは酸鼻を極める場景であった。
 悪≠ェ討滅されると見て歓喜していたセルカンでさえ、今や余りの悍(おぞ)ましさに言葉を失っている。
正義の魁たる七導虎が用いるのに相応しいとは思えない魔の技なのだ。
それが為にイリュウシナの声も震えてしまったのである。
 狙えば確実に息の根を絶てる爆弾≠――右脇腹だけを外しながら打撃を繰り出しているのだが、
これがビクトーなりの矜持であり、踏み越え難い最後の一線なのかも知れない。
 尤も、敢えて弱点など狙わずともアルフレッドを仕留めることなど造作もなかろう。
『軸』を外され、全身から力が抜け落ちた『在野の軍師』は、己の足で立つことさえままならない状態にある。
それが証拠に彼の足裏は石畳を踏んではおらず、絶えず撥ねられ、吹き飛ばされているようなものであった。
弾かれた先に於いても再び同質の打撃を叩き込まれ、ビクトーが望む位置まで運ばれてしまうのだ。
 そして、処刑人≠ヘ抹殺対象が惨たらしい肉片と化すまで死の乱舞を止めることはないだろう。




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