9.Il Divo


「『ホウライ』を使えば巨大化まで出来るようになるのか? 
ライアン、お前も同じようにデカくなればいいんじゃないか?」

 橋の袂からアルフレッドに向かって大音声で問い掛けたのは、言わずもがなザムシードである。
 スカッド・フリーダムを仮想敵と想定して内部調査を行っていたこともあり、
馬軍の将も『ホウライ』と言う秘術そのものは知っている。
応用次第で効力も無限に拡大されていくと言う点も把握していたが、
その全てを知り尽くしているわけではない。
 ホウライを極めた者であれば、巨人と化すことまで可能であるのか――これを訊ねたかったのだ。
 橋の上に立つイリュウシナとロクサーヌを向こうに回して睨みを利かせている為、
アルフレッドに背を向けたままであったのだが、その声は確(しか)と届いたようだ。
 「ホウライだって万能じゃない。こんな真似は出来ない――」と言う声が背中に返って来た。

「――が、巨大化の前にヴィトゲンシュタイン粒子の発生を確認した。
十中八九、トラウムと見て間違いないだろう」

 人智を超えた変貌の正体はトラウム以外には考えられないと、アルフレッドは自身の分析を付け足していく。
 確かにホウライは身体能力を強化する効果も含んでいる。師匠たるローガンからは教わらなかったが、
応用によっては肉体を膨張させることも不可能ではないのかも知れない。
 しかし、ここでひとつの疑問が生じる。肉体そのものを巨大化させたとすれば、
身を包む着衣は何もかも破けてしまう筈である。ましてやスカッド・フリーダムの隊服は
極端に伸縮性に富んでいるわけでもなく、仮にそのような素材で仕立ててあるとしても、
一〇メートルを超える巨躯に対応し得るとは思えなかった。
 ところが、胡坐を掻いて座したビクトーは隊服まで巨大化させているではないか。
 隊服が原形を保っている点から考察を進めたアルフレッドは、
ビクトーの巨大化はホウライとは無関係であろうと見做している。
 全身を金属化するトラウムの使い手――イーライ・ストロス・ボルタとの戦闘を振り返ると、
彼もまた着衣まで含めて変身させていた。
 ジャーメインは両腕に巻いたバンテージをトラウムの力で満たし、
これによって鋼鉄(はがね)の如き硬度を得るそうだが、
しかし、素材そのものを変質させているわけではないのだ。
 それはつまり、ホウライに物体自体を変質させる効力がないことを示している。
 これらを手掛かりとして推理し、巨大化はホウライではなくトラウムに依るものと断じた次第である。

「ビクトーの『フーリガン・スタナー』をありきたりなトラウムと思わないで頂戴。
あれ≠ヘトラウムであると同時に、もうひとつの完成された格闘スタイルよ。
……切り札≠使ったからには必勝は確定――ライアンの命運もここまでよ」

 横から口を挟む形でザムシードの疑問に答えたのは、彼と正面切って対峙するイリュウシナであった。
この発言を以てして、夫の切り札≠トラウムと認めたのである。
 『フーリガン・スタナー』なるトラウムには絶対の自信を置いているらしく、
「アルフレッドの命運も尽きた」などと大仰に謳って見せた――が、その割に表情は優れない。
まるで、その力だけは使って欲しくなかったとでも言いたげな面持ちだった。
 一方のアルフレッドは、己の命運が尽きたと宣告されようとも、気に留める素振りすら見せなかった。
不可思議な構えを取り続けるビクトーを見上げながら、決してたじろがないのである。

「アル……!」

 血の涙を流し続ける姿へ何も言い出せずに立ち尽くしていたジャーメインも、
アルフレッドが義兄の切り札≠ヨ真っ向から挑む覚悟だと見て取ると
意を決してその名を呼んだ――否、呼ばずにはいられなかった。
 本当は今すぐにでも犠牲≠ノついて問い質したかった。
どうして今まで教えてくれなかったのかと両手で胸を叩きたい気持ちだった。
 他にも言いたいことは山ほどあるものの、今がそのとき≠ナないことはジャーメインとて解っている。
 彼が如何なる想いでビクトーとの決着へ臨んでいるのか、
赤黒い涙を見れば、ただそれだけで察せられると言うものだ。
 それ故に彼女はアルフレッドを追い詰めるようなことは絶対に口にしない。
 ビクトーへ向かっていく背中に向けて、ただ一言――

「……負けたら承知しないからね」

 ――と、短いながらも心よりの声援を送るのみであった。
 そんなジャーメインの脳天に何か≠ェ当たった。正確には何か≠ェ空から降って来た。
 反射的に両手を差し出し、撥ね返った何か≠受け止めると、掌にはひとつのCUBEが転がっていた。
 ジャーメインの励ましを背に受けた直後、アルフレッドは何かを放るような仕草を見せていたが、
これを投げ渡したと言うことであろうか。
彼がビクトーを翻弄する為に用いたCUBE――MS‐FLMであることは間違いなさそうだ。
 火の力が宿ったCUBEを託したことについて、アルフレッドは何も語らなかった。
振り向いて「紛失(なく)すな」と注意を促すことも、「預ける」と目配せすることもない。
 しかし、ジャーメインは月並みな言葉よりも大切な何か≠託されたような気がした。
 空虚としか例えようのない瞳で血の涙を流し、狂気じみた怨嗟ばかりを吐き続けているものの、
未だ人間(ヒト)としての心は失っていない――その証しのように思えてならなかったのだ。
 ワーズワースの惨劇を目の当たりにして正気を失いかけた瞬間(とき)、
絶望と慟哭を抱き留めてくれたアルフレッドは、今も此処に居る。
脳天に残る微かな痛みが、そのことを信じさせてくれる。
だからこそ、ジャーメインは遠ざかっていく背に向けて強く首を頷かせるのだった。
 右の掌中には託されたCUBEを強く握り締めている。

「――先に死んでいった者たちの為にも、俺は戦い続けなくちゃならない。それが遺された人間の責任だ。
その責任に於いて、失われた生命まで貶めた貴様だけは絶対に生かしてはおかない」

 あらん限りの憎悪を燃え滾らせるアルフレッドに対して、
ビクトーは物言わぬ石像と化したかの如く微動だにしない。声ひとつ発することなく座している。
 瓦礫を踏み締めながら巨人の前に立ったアルフレッドは、鋭い呼気ひとつで心身を引き締める。
これに共鳴するかのように全身に纏わせた稲光が天高く逆巻き、蒼白い火花が爆ぜて散った。
 トラウムによって巨人と化したビクトーとアルフレッドでは、一〇倍近い体躯の差がある。
傍目には攻防へ突入する前から結果が見えているような絶望的な事態であろう――が、
アルフレッドにとっては、必ずしも不利と言うわけではなかった。
 余人ならばいざ知らず、アルフレッドであれば劣勢を覆す可能性があると言うことだ。
 トラウムを発動させたビクトーは、必然的に『ホウライ外し』を使うことが出来なくなっている。
最早、ホウライの使い手同士の戦いではなくなったと言い換えられるわけだ。
 今や全身に及んだ蒼白い稲光を全力で叩き込める――
この状況がアルフレッドに齎(もたら)す利は計り知れなかった。

(俺のほうもトラウムが使えれば手っ取り早いのだがな)

 持ち主が窮地に陥ろうとも沈黙を保ち続けている灰色の銀貨――胸元に垂らしたペンダントだ――を
左の人差し指で弾いたアルフレッドは、これを合図に足裏で蒼白い稲光を炸裂させた。
 烈しく爆ぜたホウライから得た推力を以てして、人間(ヒト)の力だけでは不可能なほど大きく跳ね飛び、
ビクトーの喉元まで迫ったアルフレッドは、己の身を槍にでも見立てたのか、そのまま一直線に突撃していく。
 蒼白い稲光を纏った掌でもって喉を打ち据え、跳躍の頂点から重力に任せて落下しつつ、
心臓の真上に鳩尾、腹部――と、垂直に並んだ急所目掛けて絶え間なく拳と脚を叩き込んでいった。
 腹の辺りに引き付けられたビクトーの左手を蹴り飛ばし、
蒼白い火花を散らしながら再び跳ね飛んだアルフレッドは、
頭部を目指して翔ける最中にホウライのエネルギーを凝縮して生み出した弾丸を次々と投擲した。
 一〇発は撃ち出したであろうか――全弾が顎の辺りに命中し、そこに凄まじい爆発を起こした。
まるで太陽が炸裂したかと錯覚してしまう程の閃光が辺り一面に降り注いだのである。
 直視しようものなら間違いなく目が眩むであろう蒼白い光爆(ひかり)を突き抜け、
ビクトーの顔面を捉えたアルフレッドは、先ず鼻を蹴って左側面まで回り込み、
次いで両の拳をこめかみへと突き入れていく。幾度も幾度も、飽きることなく叩き付けた。
 常人であったなら最初の攻撃の時点で頭蓋骨が陥没し、
続く猛襲によって粉々に砕けていてもおかしくなかった――が、
巨人と化したビクトーは頭部が軋み音を立てるどころか、血の一滴すら皮膚に滲んでいない。
 内側の骨も相当に厚みを増しているのだろうが、それにしても桁外れの防御力と言わざるを得まい。
一撃たりとも有効ではなかったのだから、アルフレッドにとっては憂慮すべき事態である。
 舌打ちを引き摺りながら降下したアルフレッドは、
ビクトーの肩を蹴って再び跳躍すると、今度は背面に回っていった。
 次に狙うのは首の骨の継ぎ目である。内部を走る神経にまで痛手(ダメージ)を貫通させるべく
上昇の勢いを乗せた右膝でもって深く抉り、すかさず対の左足による前回し蹴りに転じた。
 追撃を見舞った直後には骨の棘突起(でっぱり)を踏み付けにして次の継ぎ目へと移り、
拳と脚を連続して打ち込むと、止(とど)めとばかりに掌底を叩き付け、
生じた反動でもって更に上の継ぎ目に跳ねていく――このような動作を幾度も繰り返したアルフレッドは、
最後の棘突起(でっぱり)を踏み付けにして頭上へと駆けた。
 正確には頭上(それ)よりも僅かに高い。跳躍の頂点より一気に急降下したアルフレッドは、
固く組み合わせた両手を鉄槌の如く振り落とした。
 その一撃は確かに脳天を捉えたのだが、しかし、痛手(ダメージ)を与えたようには思えない。
アルフレッド自身、手応えと言うものが感じられず、又、ビクトーの側も身動(じろ)ぎひとつしていないのだ。
内部を貫く筈だった衝撃とて分厚い頭蓋骨で撥ね返されたのだろう。

「――見た目通りの化け物かよ」

 近くの三角屋根に飛び移ったアルフレッドは、そこから跳ねて後頭部に蹴りを見舞ったのだが、
やはり、ビクトーは微動だにしない。
 例によって足裏でホウライを炸裂させ、十二分に推力も得ていた。
両足を揃えて猛烈な一撃を加えたつもりであった。それにも関わらず、身を傾がせることも叶わなかった。
 ここまでの攻撃が全て通じていないことは、アルフレッド自身が誰よりも理解していた。
打ち込む度に弾き返された手足のほうが軋み音を上げ、
身のこなしに支障が出るのではないかと危うく思えるほど痺れてしまっている。
 ビクトーからすれば、小さな虫にでも刺された程度にしか感じないのだろう。
だからこそ、防御も回避もせず、ましてや払い落とそうとする素振りさえ見せないわけだ。
 アルフレッドの打撃が命中する度に蒼白い閃光(ひかり)が爆発し、
尋常ではない破壊力が生じている――まさしく全身全霊を傾けて攻め掛かっていると言うのに、
その一切がビクトーには効いていなかった。
 武術家同士の激突であった頃も苦戦は強いられていたが、
全く痛手(ダメージ)を与えられないと言うことはなかった。
片目を潰し、一時(いっとき)は首の骨を圧し折る寸前まで追い詰めたのである。
 それが今ではどうだ。ビクトーがトラウムを発動させた途端に完全な手詰まりとなってしまったのだ。
体術を以て戦うアルフレッドには最悪としか言いようのない状態だった。
 こうなっては長期戦は必至であるが、攻防の要たるホウライも何時まで持続出来るか、分かったものではない。
長時間に亘って蒼白い稲光を纏い続ければ、痛手(ダメージ)を与える前に
アルフレッドの肉体のほうが先に限界を迎えることだろう。

(今はもう疲れも何も感じないがな――)

 蹴りを放った後(のち)に手近な瓦斯灯の上へ降り立ったアルフレッドは、
次に選ぶべき攻め手を思料し始めた。
 巨人と化したビクトーは依然として胡坐を掻いたままである。
摩訶不思議な構えを維持し続けており、その様は石像のようにも見える。
 ホウライを駆使した打撃までもが弾かれる以上、正攻法で戦っていても事態の進展は難しかろう。
寧ろ、こちらの拳(けん)が一切通じない≠ニ言う状況そのものを利用し、
ビクトーの想定を完全に上回る攻撃で仕留めるべきか――と、『在野の軍師』は脳裏にて策を練っている。
 相手にとって絶対的に有利な状況とは、実は最も隙を見出しやすい狙い目でもあった。
巧く誘導出来れば、油断を引き出すことも可能と言うわけだ。
 優勢の中に生じる一点の綻びを突いて崩す≠ニ言う計略は、
『ジューダス・ローブ』の予知能力を降したときと同様である。
 ビクトーが発動させたトラウムの特性は未だに掴み兼ねているものの、
取るべき計略が定まった以上、それは瑣末なことに過ぎない。
 殺せるか、否か――真っ白≠ネ思考(あたま)が求めるのは、この一点のみであった。

「少しばかり手荒くなるが、死ねば一緒だ。苦しみ抜いて死ぬのが貴様の償いだ」

 ビクトーに向かって怨念を吐き捨てるなり左掌を開いたアルフレッドは、
そこでホウライのエネルギーを凝縮させ始めた。
 幾筋もの稲妻が火花を散らしながら左掌の一点へ収束していき、間もなく光の球を作り出した。
サッカーボール程度の大きさであろうか――脈打つ心臓の如く明滅を繰り返す様は、
輝ける恒星(ほし)を彷彿とさせた。

「さっき試して、そいつ≠ヘ通じなかったじゃないか。同じ手を何度も使うなんてお前らしくもないな」

 眩いばかりの光の球を手にするアルフレッドに対して、ザムシードが地上から懸念の声を投げた。
 塞がれた行く手を突破すべく左右の掌底を連発し、
これに続く関節技でもって猛襲を仕掛けてきたイリュウシナを逆に投げ捨て、
蟷螂になり切っているロクサーヌを拳打ひとつで弾き飛ばしたザムシードは、
一対二の攻防を繰り広げつつ頭上の戦いにも注意を払っていたようである。
 馬軍の将が指摘した通り、アルフレッドは既にホウライの弾丸をビクトーへ射ち込んでおり、
結果として傷ひとつ負わせてはいなかったのだ。そいつ≠ヘ効かないと危惧するのは当然だった。

「試すまでもないわ……フーリガン・スタナーの本質は……ただ大きくなるってことじゃない……! 
この地上で……誰よりも神人に近付くのよ……ビクトーは……! 
神人の領域にまで達する……トラウムなんだから……ッ!」

 ザムシードの指摘を切って捨てたのは、投げ付けられた欄干に凭れ掛かるイリュウシナであった。
 身を捻って着地することも叶わず、背中を強か打ってしまったのだろう。
挑発的な声色とは正反対に肩で息をしており、何時までも欄干を離れられずにいる。
 すかさずロクサーヌが駆け寄ったが、現在(いま)のイリュウシナは、
最早、何かを支えにしなければ立っていることも苦しい様子である。

「神人にも肩を並べた今のビクトーには……どんな攻撃も通じない……天に唾するのと同じことよ……!」
「神人とは随分と畏れ多いじゃないか。いやはや、妄想が相手とはライアンも大変だな」
「……別に忠告したつもりでもないから……どうなろうが知らないけれど……きっと後悔するわよ……!」
「今のお前さんの恰好には、信憑性ってモンが皆無だと思うがね。
大仰なコトは自分独りの足で立って、初めて口に出来るものだ。そのほうがサマになるからねェ」
「う、うるさい! 今だけよ、こんなのは……っ!」
「それなら手ェ離す? 補助輪外したばっかのチャリンコ練習みたいになるゆうて思うが?」
「あんたは悪ノリし過ぎよ……っ!」

 トラウムを発動させたビクトーは、創造女神イシュタルの子ら――神人の領域にも匹敵すると
イリュウシナは語っている。誇張だとしても、これほど大それた話はあるまい。
 アルトに於いて女神信仰を司ってきたマコシカの民ですら、
秘術を通じて神威(ちから)の一端に触れることしか出来ない程の高次に神々は存在するのだ。
 それは人間が決して侵してはならない領域とも言えよう。
 仮に、だ。神々と同じ境地に立つ者がいるとすれば、まさしく人間の限界を超越した存在に違いあるまい。
 もしも、この場にマコシカの民が居合わせたなら、
イリュウシナの発言は神々への冒涜として厳しく譴責されただろう。
 ノイに於いて女神信仰を統括する教皇庁の神官が件の発言を耳にしようものなら、
譴責程度では済まない筈である。聖騎士を差し向け、女神の名の下に誅伐したかも知れない。

「……アルフレッド・S・ライアン……あなたはこれから死ぬより恐ろしい目に遭うことになるわ。
そして、それこそがあなたに相応しい裁きなのよ……! 
エンディニオンを動乱に導き、身近な仲間まで自分の為に死なせた罪の――」

 「裁き」の二字を吐き捨てながら瓦斯灯を見上げるイリュウシナを、アルフレッドの眼光が鋭く射抜いた。
地上に在る敵≠目の端にて睨(ね)め付けていた。
 互いの視線が交わった瞬間、バロッサ家の長女は心臓が凍り付くような恐怖に見舞われ、
全身を大きく震わせた。義の戦士として数え切れない程の強敵と対峙してきた彼女が、だ。
 力弱き者たちの護民官≠ノ課せられた任務の性質上、
重武装したギャング団や巨大クリッターと戦うことも少なくない。
そのような死線へ直面したときにも立ち竦むようなことは一度としてなかったのだ。
 これこそ正義を貫く為に鍛錬を重ねてきた賜物である――その自負がたったひとりの青年に砕かれてしまった。
血を吐く程の努力を一睨みで覆されたようなものであった。
 言わずもがな、この屈辱以外の何物でもない事実に驚愕しているのはイリュウシナ当人である。
心の鍛錬をも超越し、直接、本能の部分に恐怖を刻まれたとしか言いようがなかった。

「戦闘隊長がゆうたこと……」
「え……?」
「……あんなぁがゆうたことを今になって理解し始めてとるよ。
アルフレッド・S・ライアン――ありゃあヒトじゃないんじゃ……同じ人間とは思えん」

 我知らず後退(あとずさ)ったイリュウシナを支えるロクサーヌであるが、
彼女もまた全身を小刻みに震わせている。ふたり揃って嘗てない戦慄に中てられたと言うことだ。
 ロクサーヌが呟いたように、今やイリュウシナはアルフレッドのことを
自分たちと同じ人間≠ニは思えなくなっていた。
 本性は人の姿を借りた死神であり、魔力を帯びた深紅の瞳によって、
見る者全ての生命力を吸い尽くそうとしているのではないか――
冷静に考えれば呆れてしまうくらい荒唐無稽な錯覚に囚われてしまっているのだ。
 恐怖に魅入られたふたりを更に追い詰めるよう「貴様らは次だ」と呟いた死神≠ヘ、
光の球を中空へと放り出し、これを剛脚でもってシュートした。
 帯状の光芒(ひかり)を残像の如く空に映して翔る様は、さながら流星である。
この眩い軌跡を追尾するようにして、アルフレッド自身も瓦斯灯を蹴って跳ねた。
 彼の視界の先では蒼白い流星≠ェビクトーの眉間に直撃した――が、
ザムシードの危惧するような筋運びとはならなかった。
 先程の攻防で投擲したホウライの弾丸は接触と共に炸裂してしまったのだが、
光の球はビクトーの眉間に当たるや否や、火花を散らしながらアルフレッドのもとに撥ね返ったのである。
 ゴール前に陣取ったキーパーの拳で弾かれたサッカーボールが、
シュートした選手の足元まで戻ってきたような恰好だ。
 中空で身を翻し、オーバーヘッドキックで再び光の球をシュートしたアルフレッドは、
そのまま縦回転を伴いながらビクトーに向かっていき、鼻背目掛けて踵を落とした。
 案の定と言うべきか、硬い鼻骨の前に踵落としは通用しなかったが、
アルフレッドの身が宙へ弾き飛ばされる頃には、
急降下していた光の球も水面で撥ね返って再上昇し、術者(かれ)の直ぐ近くにまで到達した。
 光の球が戻ってくる時機(タイミング)を見計らったアルフレッドは、
これをビクトーの右側頭部へと蹴り出し、自らはシュートの際に発生した反動を利用して後方に跳ねた。
 シュートを打つ直前、アルフレッドはビクトーの正面に在った。
そこから光の球を蹴ったところで側頭部には命中しないだろう。
術者(かれ)の足を離れた直後、蒼白い流れ星の軌道は大きく曲がっていき、
正確にこめかみを捉えたのだ。
 狙った箇所まで誘導されたとしか思えない弧の描き方であった。
 卓抜したサッカー選手はシュートの軌道をも自在に操ると言うが、
それと同じ妙技をアルフレッドも駆使したのである。
 当のアルフレッドは最寄りの瓦斯灯に着地するなり、やや離れた場所に位置する三角屋根へと飛び移った。
 件の建物に降り立つと、丁度、ビクトーの右側面へ回り込む形となる。
三角屋根全体が軋む程に強く踏み付け、再び中空を翔けたアルフレッドは、
撥ね返ってきた光の球を右の五指にて掴みつつ急速旋回し、必殺の『パルチザン』を繰り出した。
 光の球が直撃した箇所に左後ろ回し蹴りを重ねようと言うわけだ。

「ローガン譲りの技だ――篤と味わえ」

 パルチザンを済ませて身を翻したアルフレッドは、
更なる追撃として右手に掴んだ光の球をこめかみへと叩き付けた。
「押し当てた」と言うほうが表現としては正しかろう。
 蒼白いエネルギーを凝縮させた球≠ニ言っても、質量そのものを伴っているわけではない。
勢いよく叩き付けたところで重量(おもみ)による衝撃も高(たか)が知れている。
 その代わりにエネルギーの炸裂と言う現象を発生させられるのだ。
ホウライの球≠ビクトーの肉体へ押し当てると、
激烈な閃光(ひかり)が起こり、これと同時に辺り一面へ蒼白い稲妻が飛び散っていく。
 光の球を中心として輻射された衝撃波は周辺に立つ瓦斯灯の柱を揺らしており、
ランプ部分に嵌め込まれた四面の硝子板を次々と粉砕していった。
 光の球に秘められた破壊力の大きさを物語るかのような現象と言えよう。
 「暴威」の二字こそ相応しい衝撃波を以てして、
アルフレッドはビクトーの体内に――否、脳に痛手(ダメージ)を浸透させようと図ったのだ。
 地上で戦っていた者たちも無反応ではいられず、
上空より降り注ぐ眩い閃光(ひかり)に意識を集中させている。
 何しろ辺り一面に無数の稲妻が落ちてくるのだ。
瑣末なことと見做して気にも留めず、眼前の敵にだけ注意を払っていると、
脳天に当たって卒倒してしまうかも知れなかった。
 光の球から拡散される蒼白い稲光は、自然現象としての落雷とは性質が異なる為、
両足が海水に浸かっていても感電するような事態にはなるまいが、
直に接触した場合は、この限りではなかろう。
 僅かばかり時間が経ったことで死神≠フ眼光による動揺が和らいだイリュウシナは、
夫の身を脅かしているであろう光の球を仰ぎながら、
「無意味だって言ったじゃない」と侮蔑を吐き捨てた。

「元々、『フーリガン』とは無秩序な暴徒と言う意味よ? 
その暴徒を鎮撫することにビクトーのトラウムは由来しているのだから。
ありとあらゆる無秩序を鎮める力の前に歪んだ暴力など通用する筈がないのよ」

 死神≠フ暴威が如何に凄絶であろうとも、
それが悪しき力である限りは正義の巨人には何の意味も為さない。
どのような技を以てしても、『義』の力が弾き返すことだろう。
 夫のトラウムを誇らしげに語るイリュウシナではあるものの、
その口調は「正義の巨人が負けるわけがない」と己自身に言い聞かせているようでもあった。
 決して口には出さないが、最早、アルフレッドの攻撃が絶対に通じないとは考えられなくなっていた。
第一、ここまで追い詰められたビクトーを見るのはイリュウシナとて初めてなのだ。
 皮膚を焦がすエネルギーの奔流はともかくとして、
体内に吸い込まれていく衝撃波が夫の身に如何なる影響を及ぼすのか、
彼女にも見当が付かなかった。
 それにしても――と、更にイリュウシナは考える。
 ビクトーを撃ち続ける光の球も、全身に纏って戦闘能力を撥ね上げている蒼白い稲光も、全てホウライである。
今のアルフレッドは徒(いたずら)に生命力を削っているようにしか見えなかった。
 確かにホウライは応用次第によって術者の戦闘能力を無限に拡張させることが出来る――が、
その分だけ体力の消耗が激しくなってしまうのだ。
 戦闘能力の強化と、エネルギーの凝固による武器≠フ精製――二種のホウライを併用すれば、
当然ながら肉体への負担も大きくなる。正しくは大きくなり過ぎる≠ニ言い換えるべきであろうか。
 それは燃え滾る火口を目指して直走(ひたはし)っているようなものであった。
身の裡に染みていく熱を魂の沸騰と誤り、これこそ潜在能力の覚醒と昂ぶった末に破滅へ至るわけだ。
 実際には生命の全てを燃やし尽くそうとする愚行に過ぎない。
 二種のホウライの効果も同時に極限まで引き上げているのだろう。
冷徹な程に聡い『在野の軍師』であれば、衰弱を恐れて加減した技が
ビクトーに通じないことは承知している筈である。

「死ぬ気なの? このままじゃ自滅するだけよ……!?」
「殺す気なんだよ、ライアンのほう≠ヘな」

 自殺行為にしか見えないと呟くイリュウシナに対し、ザムシードは皮肉めいた調子で鼻を鳴らして見せた。
嘲りに満ちた瞳は「そんなこと≠熾ェからないのか」と語っている。

「生命の遣り取りはどちらも一緒でしょう。ビクトーが手加減しているとでも言いたいの? 
切り札≠ワで持ち出しておいて手を抜くなんてこと――」

 ザムシードの真意を測り兼ねたイリュウシナは首を傾げるばかりである。
 尤も、馬軍の将を問い詰めるような時間はない。
意味不明な発言の意図を明かすよう求める前に戦局が動いたのだ。
 体内に浸透する衝撃波でもビクトーを倒せないと見て取ったアルフレッドは、
中空にて光の球の上に乗り、これを渾身の力で踏み付けにした。
 つまり、光の球を踏み台の代わりに使った次第である。
 二種のホウライの効果を掛け合わせて天高く昇ったアルフレッドは、
水面まで急降下した光の球が自分のもとまで再び撥ね戻ってくるのを待った。
 その間に何処を撃つべきか、狙いを定めていく。頭上より遥か高くまで飛び上がっている為、
思料も視線も、ビクトーの側に感付かれる危険性は低かろう。
 数秒と経たない内に撥ね戻ってきた光の球が自身の脇をすり抜けようとした瞬間、
すかさずこれを踏み付ける――天空から今までにない速度で急降下し、
己の身を流れ星≠ノ変えて攻撃を仕掛けようと言うわけだ。
 骨折した右脇腹が悲鳴を上げるような勢いに乗りながらも体勢を整え、
猛禽の嘴が如く左脚を突き立てていく。
 流れ星≠フ軌道は鋭い斜線を描いており、間もなく巨人の延髄部分にて交わった。
首の骨の継ぎ目を足裏でもって狙い撃ちにしたのだ――が、
遥か天空からの急降下を以てしても致命傷を与えることは叶わなかった。
 それどころか、逆に自身の足が軋んでしまったくらいである。
裂傷を負っていた左脛からも鮮血が噴き出していた。
 続けて骨の棘突起(でっぱり)を踏み付けたアルフレッドが舌打ちを引き摺りながら中空に跳ねた直後、
彼と入れ替わるようにして光の球が降り注ぎ、今し方の蹴りによって抉られた箇所へ命中した。
寸分の狂いもなく全く同じ箇所に、だ。
 猛禽の如き嘴と光の球――ふたつの流れ星≠ヘ、驚くべきことに全く同じ軌道を描いていた。
即ち、アルフレッドは二種の攻撃が交わる一点と軸線を見極めたと言うことである。

「蹴りは勿論、アレ≠ェ結構効くんだよ。しかも、二重の仕掛けと来たもんだ――」

 自身の頭を摩りながらザムシードが口の端を吊り上げた。
 アルフレッドと模擬戦を行った際、彼も同質の技で裏を掻かれていたのだ。
中空から頭部目掛けて落下するホウライの弾丸の威力は身を以て知っており、
それ故に今度の攻撃は己が受けたものとは比較にならない痛手(ダメージ)を刻むだろうと確信していた。
 ふたつの流れ星≠ノよる衝撃は延髄を貫通し、脳を直接的に蝕んでいる筈だった。
 しかも、ここに至るまで幾度となく頭部への痛手(ダメージ)が重ねられている。
巨人と化していようが、神人の領域へ近付こうが、ヒトと言う生き物である以上、
生命の根幹とも言うべき部位を狙い撃ちにされたなら、必ず影響が現れる――否、現れなくてはおかしいのだ。
 しかしながら、ビクトーは最初に座した状態から僅かとて動いてはいない。
その威容(すがた)からは脳に対する痛手(ダメージ)など全く感じられなかった。

「――おいおい、嘘だろう? やせ我慢は身体に良くないぞ? 
……そっちは我慢比べのつもりかも知れんが、こっちは肝試しみたいに思えてきたぜ」

 百戦錬磨の馬軍の将とて、この事態には愕然とさせられている。
口元に宿していた笑気も完全に吹き飛び、今では顔を引き攣らせるばかりであった。
 この途方もない頑強さの前には、最早、何も打つ手なし――と、
ほんの一瞬ながら諦念を抱いてしまった程である。

「我慢比べだろうが何だろうが関係ない。この男が死ぬまで攻め続けるだけだ」
「バカなことを言うよ、ライアン。お前だって飽きてきただろう?」
「別に。辟易しているのは最初からだ。今更、何かを感じることもない。感じたいとも思わない」
「……せめて、肉体(からだ)がくたびれていることくらいは自覚しておけよ」
「必要ない」
「相当、無茶しているのだろう? 誰かさんの台詞じゃないが、自滅なんてオチは笑えないからな」
「滅びるのはスカッド・フリーダムのほうだ。ひとりとして生かしては帰さない」

 最寄の瓦斯灯に飛び乗ったアルフレッドは、ザムシードから掛けられた戒めを聞き流し、
撥ね戻ってきた光の球を左手で受け止めると、呼吸を整えようともせずに再びビクトーへ向かっていく。
 「血ィ吐きながら抜かすコトかよ」と言う呆れの声が追い掛けてきたが、
彼は振り返ろうとする素振りさえ見せなかった。

「――無駄な足掻きでも、そろそろ満足しましたか」

 傷ひとつ付けられない拳(けん)を振るう意味など有るのか――
これを質すビクトーの声が腸(はらわた)にまで響いた。
 処刑人≠ノ似つかわしい声とでも言うべきか。
どこまでも抑揚に乏しく、そもそも人間らしい感情が絶無のようにも思えるのだ。
 ジークンドーとケンポーカラテ――両武術の宿命に酔い痴れていた一時(いっとき)が
幻であったかのような豹変である。
 それはつまり、正面に見据えたアルフレッドのことを
生きる価値もない罪人≠るいは取り除くべき塵芥と捉えている証左であろう。
 機械的に穢れ≠拭うだけなのだ。そこに感情など湧く筈もあるまい。
 世の理を悟り切ったような面持ちでもあり、アルフレッドには不遜とさえ感じられた。
 それ故にアルフレッドは如何なる言葉を掛けられても黙殺したのである。
価値≠ニ言うことであれば、ビクトーこそが言葉を交わす意味がない男であった。
 大きく振り被って光の球を投擲するアルフレッドの瞳にも人間らしい感情など宿ってはいない。

 直下と言っても差し支えのないような場所にてアルフレッドの攻勢を傍観していたクラリッサは、
その技に故郷の旧友の面影を見出していた。
 彼女が想い出した旧友とは、言わずもがなローガン・H・R・ルボーその人である。
 アルフレッドがローガンに師事し、ホウライを授かったことはクラリッサも承知している。
ロクサーヌは弟子入りに至る経緯まで詳細に調べ上げていたのだ。
 どうやら、アルフレッドは師匠の教えを良く吸収しているらしい。
ローガンの独創性を以てすれば、ホウライのエネルギーを凝縮させた球に
弾力性を持たせることも不可能ではなかろう。
 タイガーバズーカに於いて、他の誰よりも――それこそスカッド・フリーダムの七導虎以上に
ホウライを巧みを操っていたのがローガンなのだ。
 「ホウライと言う秘術に最も愛された男」と言っても過言ではなかった。

(七導虎以上に――か。スカッド・フリーダムに入隊していたら七導虎も夢ではなかっただろうに……)

 何しろローガンはホウライと言う秘術を編み出した男――スカッド・フリーダム総帥の直弟子なのだ。
 ホウライを授けた愛弟子とは雖も、その生き方を師の思想で縛り付けるつもりはなく、
一所に押し込めては天衣無縫の才能も開花し得ないと考え、
自由に旅立たせたのだと過去にテイケン総帥は語っていたが、
もしも、ローガンがスカッド・フリーダムの一翼を担っていたならば、
戦闘隊長の座に就いたのは、シュガーレイでもエヴァンゲリスタでもなく、
彼であったとクラリッサは確信している。
 ローガンと併せて脳裏に浮かぶのは、ハーヴェスト・コールレインの姿であった。
 スカッド・フリーダムに勝るとも劣らない正義の心を持ちながらも思想の違いから袂を分かち、
別の道で力弱き者たちへと駆け付けていったテイケン総帥の一人娘である。
 ホウライを編み出したテイケンの娘でありながら、この秘術の才能に恵まれず、
蒼白い稲光を纏うことさえ叶わなかったハーヴェストは、
己の心に従ってタイガーバズーカを去り、荒野にて冒険者となった。
 それが彼女にとって最良の選択だったことを疑う者はタイガーバズーカにはひとりもいない。
アウトローの蔓延る荒野の只中に在って、力弱き者たちの為にトラウムを振り翳し、
セイヴァーギア――即ち、救世の剣≠ニ謳われるまでになったのだ。
 正義の味方を標榜するセイヴァーギア・ハーヴェスト≠ヘ、
世に平和と希望をもたらす為であれば、如何なる強敵にも敢然と立ち向かっていく。
 真なる『義』の心とは如何なるものか、これを体現する勇者がエンディニオンの動乱を看過出来る筈もなく、
ギルガメシュと言う絶対脅威との戦いに自ら身を投じていったのだ。
 セイヴァーギア・ハーヴェスト≠フ唯一にして最大の誤りは、
『在野の軍師』を同志に選んでしまったことであろう。
 スカッド・フリーダム総帥の愛娘は己の正義を貫いた果てに、
アルフレッドが手に掛けた犠牲者≠フ中に名を連ねることとなったのである。
 テイケン総帥のもとに屍すら還らない惨たらしい末路でだった――そのようにクラリッサは聞いている。
 そのテイケンが一人娘の犠牲≠ノついて語ったことは一度もない。
 ギルガメシュとの戦いに於いて既に多くの隊員が不帰の人となっているのだ。
このような状況下で総帥たる者が身内ひとりの死を嘆くことなど決して許されないと、
自らを厳しく律しているのだろう。
 身内の死に囚われた者が如何なる末路を辿るのかは、バロッサ家の崩壊を見れば瞭然である。
彼らと同じ轍を踏むわけにはいかない筈だ。
 その覚悟が察せられるからこそ、タイガーバズーカの人々も
ハーヴェストの犠牲≠ノ触れることを憚ってきた。
 ただひとり、現戦闘隊長のエヴァンゲリスタだけは、
「ハーヴを死に追いやったのは他ならぬライアン。希望に満ち溢れた平和――その意志を否定したも同然。
彼女の正義を引き継げるのは我々しかいない」と、抹殺指令に携わる者たちへ呼び掛けていた。
 『在野の軍師』を討ち果たすことは正当な判断であると改めて主張し、
同時に士気を昂揚させる狙いがあったのだろう。
それはつまり、総帥の愛娘の犠牲≠政治的に利用したとも言い換えられるのだった。
 『義』に悖(もと)る策を弄してばかりいる現戦闘隊長のことは、
クラリッサも内心では信じ切れなかった――が、
『在野の軍師』を生かしておくと世界の秩序が乱れると言う主張には同調している。
アルフレッドの存在を危ういと思っていればこそ、
七導虎の称号(な)を貶めるような汚れ仕事も引き受けたのだ。
 『在野の軍師』に関わった者は、皆、死ぬ――それだけは間違いないとクラリッサは確信している。
 彼は余りにも多くの人間を犠牲≠ノしてきた。
テイケン総帥の愛娘にして正義の同志たるハーヴェストまでもが犠牲≠ノされてしまった。
義の戦士の矜持に懸けて、これ以上の犠牲≠ヘ罷り成らない。

 その覚悟で抹殺に臨んだクラリッサではあるものの、
本音を明かすならば、ここまで『在野の軍師』が善戦するとは想定していなかった。
 ローガンからホウライの手解きを受けた優秀な武術家と言うことは承知していたのだが、
七導虎の全力を以てすれば、労なく仕留められるだろうと信じて疑わなかったのである。
 この任務を主導する処刑人≠ヘ、あくまでもバロッサ家の三人であり、
クラリッサたちは万が一の場合に限って戦列へ加わると言う取り決めであった。
 しかも、『在野の軍師』と直接的に対峙するのはスカッド・フリーダムきっての強豪である。
高潮に紛れて待機している間に任務は完遂される筈だった――が、
その予想は脆くも崩れ去り、バロッサ家の三人だけでは如何ともし難い状況に陥ってしまった。
 現世代の七導虎に於いて最強とも囁かれるビクトーが血みどろになるまで追い詰められ、
とうとう切り札≠ワで発動させた。梃子摺るどころか、大苦戦と言っても差し支えあるまい。
 『在野の軍師』――アルフレッド・S・ライアンは、それ程までの難敵と言うわけだ。
 彼の攻勢(いきおい)は衰えることを知らなかった。
トラウムの効果によって巨大化したビクトーにも臆せず立ち向かっていく。
 極限までホウライの効果を引き上げ、光の球を投擲し、同時に打撃を見舞い――
不死身とも思える巨人へ死に物狂いで猛攻を仕掛けていた。
 幾度(いくたび)、撥ね返されようとも諦めずに攻め続ける執念だけは
賞賛に値するとクラリッサは思い始めていた。
 無論、そこには心臓が凍り付くような戦慄も伴っている。
 もしも、自分が処刑人≠ナあったなら、血の涙を流して戦う威容(すがた)に気圧され、
『エウロペ・ジュージツ』の絶技を繰り出す前に返り討ちに遭ったかも知れない。
 純粋な技巧(わざ)に於いてもアルフレッドは驚異としか言いようがなく、
正面切って対決したところで競り負ける可能性もあった。
 現在(いま)もアルフレッドは中空にて複雑怪奇な技を仕掛けている。
光の球を投擲すると同時に自らも突進し、渾身の打撃を叩き込む点は先程と変わらないのだが、
ローガンから授かったと思しき天衣無縫の妙技は今まで以上に研ぎ澄まされていた。
 ホウライのエネルギーを凝縮することで作り出された光の球は、
ビクトーの肉体に弾かれると水面や建物に当たって撥ね返り、再び標的(まと)に向かっていく。
正反対の方向に跳ねて狙うべき対象から逸れてしまうこともなく、だ。
 光の球は術者の手を離れ、縦横無尽に空を翔けている。それにも関わらず、標的(まと)を誤ることがない。
 必要に応じてアルフレッド自らシュートし、軌道修正を行ってはいるが、作用そのものは最小限。
光の球自体が意思を持ってビクトーへ喰らい付いているように見えるくらいであった。
 どの箇所に光の球を当てれば、地上の何処に撥ね返り、再びビクトーの身を撃てるのか――
弾道に関する計算を最初の段階で徹底的に凝らしたと言うことである。
 光の球は撥ね返される度に加速し、ビクトーの全身を打ち据えていく。
 そして、ホウライのエネルギーを全身に纏ったアルフレッド自身の速度も、
光の球に呼応して爆発的に上昇していった。
 弾道を正確に読み取り、その対角線上へ瞬時に回り込むと、
球の命中に合わせて自らも拳や脚を突き入れていく。
 上下左右から挟み撃ちにし、更に軸線を合致させることで双(ふた)つの衝撃波を激突させようと言うのだ。
 ビクトーの体内にて炸裂した双(ふた)つの衝撃波は、
四方八方へと輻射され、おそらくは内臓まで軋ませることだろう。
 それで斃れないビクトーも尋常ではないが、破壊力と速度を限界を超えて引き上げ、
尚且つ究極的な精密さが求められる技を数え切れないくらい繰り返し、
一度も仕損じることのないアルフレッドには、クラリッサも畏敬の念を抱かずにはいられない。
 ホウライの恩恵がなくとも地力だけで七導虎に比肩する筈だ。

「――ずーっとアルを見つめてるけど……まさか、好きになっちゃったってコトはないよね!? 
クラリッさん、アホみたいに惚れっぽいし……」
「……はァ?」

 眼前に敵≠ェ在ることも忘れ、すっかり中空のアルフレッドに見入っているクラリッサに対し、
ジャーメインが訝るような表情を向けた。
 見れば、グンダレンコまで「あらあら、やらかしちゃった?」とでも言いたげな表情を
浮かべているではないか。
 「本ッ当に失礼な姉妹だな! 人を発情期みたいな目で見るとは……ッ!」と、
クラリッサが怒号を迸らせたのは言うまでもない。

「あらぁ? クラちゃんってば、年がら年中、そんな感じだもん。
メイちゃんだって心配になっちゃうわよねぇ〜」
「見くびらないで欲しいものだな! そこまで分別のない人間ではないつもりだ! 
仮にも旧友の恋人だぞ!? 横恋慕など悪趣味にも程がある!」
「――だってさ。メイちゃん、安心しても良さそうよぉ〜」
「……いい加減、そのテの話にはツッコミ疲れたよっ」

 反論する気も起こらないとそっぽを向くジャーメインであるが、
頬を染める羞恥の色だけは抑えようもあるまい。
 このように素直なところは、スカッド・フリーダムに所属していた頃から少しも変わっていないと、
クラリッサは心中にて苦笑している。
 ビッグハウスへ赴いたのは七導虎の任務であり、
災いの種とも言うべき『在野の軍師』の存在を危険視した為であるが、
それとは別に旧友――ジャーメインのことが気懸かりでもあったのだ。
 本当に恋愛関係を結んだのかはともかくとして、
現在(いま)のジャーメインはアルフレッド・S・ライアンに入れ揚げている。
関わった者全てに犠牲≠強いる『在野の軍師』を信じ切っている様子である。
 これほど危うい情況はなく、取り返しの付かない事態へ発展する前に彼女を止めなくてはならなかった。
それが為にクラリッサは、『在野の軍師』か、愛する故郷か、二者択一の決断を迫ったのだ。
 何があっても彼女自身に選ばせなくてはならなかった――否、片方を捨てさせなくてはならない。
他者から強いられた決断によって未練を残しては、いつか過ちを繰り返してしまうだろう。
 素直な人間ほど何かの拍子に心が揺れ動き、善からぬ入れ知恵に惑わされるものである。
そして、他者を唆すことで連合軍を操っているのが『在野の軍師』ことアルフレッドなのだ。
 そのような男へ付け入る隙を与えない為にも、
ジャーメイン自身に全ての想いと未練を断ち切って欲しいとクラリッサは願っていた。

「……どうだ? 結論は出たのか、メイ? お前が本当に帰らなくてはならない場所は――」

 『在野の軍師』か、愛する故郷か――どちらを選び取るつもりなのか、
今一度、ジャーメインに質そうとした瞬間、クラリッサの目の前に巨大な水柱が立った。
 さりながら、ジャーメインが突進を試みたわけではない。グンダレンコが動いたと言うことでもない。
一瞬の後(のち)に割れて砕けた水柱の先には、スカッド・フリーダムが討つべき抹殺対象の姿が在った。
 次なる猛攻に備えるべく地上に降り立ったのであろう。
ビクトーを仰いだまま深く腰を落とし、全身に力を溜めているように見えた。

「ア、アル……っ!?」

 気恥ずかしい会話を聞かれてしまったのではないかと、頬を真っ赤に染めるジャーメインだったが、
文字通り、生命を削って巨人を攻め続けるアルフレッドには、
周囲の情報を漏らさず拾い上げるような余裕などある筈もなく、
己の身を狙っているだろうグンダレンコやクラリッサを一瞥することもなかった。
 誰かの言葉に反応することもないまま左足を高々と振り上げ、これを垂直落下させる否や、
落下時よりも遥かに大きな水柱を立てて中空へと戻っていった。
 跳躍の瞬間、やはり足裏にてホウライを炸裂させていたが、
水柱の高さからも察せられる通り、その威力は今までの比ではない。
 アルフレッドの踏み付けた一点を中心として、石畳が大きく、且つ深く抉れているのだ。
 傍目にはホウライの炸裂によって生じた陥没と映るかも知れないが、
件の秘術に精通するジャーメインたち三人は、直接的な原因が別にあることを見分けている。
 おそらくアルフレッドは体内にホウライの力を満たし、
これによって潜在する能力(ちから)を覚醒させ、自慢の剛脚を極限まで強化したのであろう。
だからこそ、踏み込みひとつで地面に大穴を穿てたのだ。
 しかし、イリュウシナとグンダレンコには解せない点があった。
他の場所――三角屋根や瓦斯灯を踏み付けた折には、ここまでの破壊力は見られなかったのである。
 「これまで本気で戦っていなかったのではないか」と言う考えも過ぎったが、
不死身としか例えようのない頑強さを誇るビクトーへ攻撃するときに手加減などは出来まい。
常に渾身の力を振り絞り、拳と脚を叩き込んでいる筈なのだ。
 「ここに至る全ての攻撃が『在野の軍師』の計略であり、
巨大な破壊痕を刻む程の技を出し惜しみしていたのだろうか」と混乱するふたりを余所に、
ジャーメインだけが真相に気付いていた。
 たった一度きりではあるものの、これと似たような状況に彼女は立ち合っていたのだ。
 ホウライによって潜在能力を起爆し、次いで剛脚に蒼白いエネルギーを纏わせて光の牙と化す――
竜の顎(あぎと)≠ニも喩えられる『ドラゴンレイジエンター』であった。
 ジャーメインの目の前で馬軍きっての猛将を撃破し、
また別の決闘(たたかい)ではフェイ・ブランドール・カスケイドに致命傷を与えた必殺技である。
名実共にアルフレッド最大の奥の手≠ナあった。
 「巨大な破壊痕を刻む程の技を出し惜しみしていたのか」と言うイリュウシナたちの仮定も、
あながち誤りではなかったと言うわけだ。

「アルッ!」

 天を仰いだジャーメインへ――否、地上に在る者たちへ蒼白い烈光(ひかり)が降り注いだ。
今や輝ける牙と化したアルフレッドの左足は、造船所跡の全域を太陽の如く照らしていた。
 ビクトーの額に命中して跳ね返った光の球を再びシュートすると思いきや、
これを純粋なエネルギーに換えて左足に纏わせた次第である。
 歴(れっき)とした奇襲であった。光の球と打撃を組み合わせた戦法から突如として変化し、
更には潰されていない左目をも眩ませると言う二段構えの仕掛けなのだ。

「今度こそ息の根を止めてやるッ!」

 そして、アルフレッドが抜き身の殺意を迸らせた。
 四肢を大きく広げ、且つ輝ける牙≠フ対となる右脚を水平に折り曲げた体勢は、
竜の頭を模っているようにも見える。やはり、ドラゴンレイジエンターを繰り出すつもりなのだ。
 爆発的な破壊力を命中箇所の一点に収束し、相手の肉体へ完全に伝達させることが竜の顎≠フ神髄である。
 アルフレッドが狙うのは、先に抉った右目ひとつ――深手を負った箇所に竜の牙≠突き立て、
その威力を脳にまで伝達させようと言うのだ。
 全ての力を注ぎ込んだ最強の一手とは雖も、巨人と化して以降のビクトーは生身と思えない程に堅牢であり、
他の箇所を狙っても弾き返される可能性が高い。だからこそ、左目を攻めなくてはならなかった。
 既に激甚な痛手(ダメージ)を負っている神経へ竜の牙≠フ威力を伝達させれば、
脳の機能を破壊する程の衝撃でもって即死させられるかも知れない――それが起死回生を懸けた一手である。
 もうひとつの奥の手≠ナあるフランケンシュタイナーは、先程の攻防で破られてしまっている。
この上、ドラゴンレイジエンターまで仕損じるわけにはいかなかった。

「……キミには出来ない――」

 今まさに竜の牙≠ェ左目を抉ろうかと言う刹那、ビクトーが鋭く息を吐いた。
 その直後のことである。竜の顎≠ニ化して飛び込んでいったアルフレッドの全身に
凄まじい衝撃波が襲い掛かり、為す術もなく遥か後方まで吹き飛ばされてしまった。
 造船所跡の上空を一直線に突き抜け、あわや海原へ弾き出されるかと言う寸前で身を翻したアルフレッドは、
この区域の出入口に建つ物見塔を蹴り付けることで最寄の建物に飛び移り、
屋根伝いにビクトーのもとへ駆け戻っていく。
 その間(かん)にも己の身に起きた現象について分析し始めた。
 ドラゴンレイジエンターを撥ね返したのは、所謂、不可視の打撃≠ニ呼ばれるものであろう。
それは間違いなさそうだが、しかし、肝心のビクトーは身動(じろ)ぎひとつ見せなかったのである。
 憶えている限りでは溜め息を零したくらい――と、
そこに考えが至ったとき、アルフレッドの脳裏に閃くものがあった。
 風を司る神人――ディーファは吐息ひとつで嵐を起こすと伝承されている。
あるいは、それと同じ神秘(わざ)を溜め息でもって成し遂げたのではなかろうか。
イリュウシナは現在のビクトーについて、「神人の領域にまで近付いた」と謳っていた筈である。
 それこそが巨人化と言う異質なトラウムの特性なのかも知れない。

(神人の寓話なら思い当たる節がないわけではないが――)

 本当にビクトーは風の神人の領域にまで達したのか――
これを確かめるべくアルフレッドはビクトー目掛けてホウライの弾丸を投擲した。
 屋根から屋根へと移りつつ両の掌より一〇発ずつ連続して撃ち掛け、全弾を標的(まと)に降り注がせていく。
 アルフレッドが駆ける――翔けると表現するほうが正確か――物見塔の付近から
ビクトーの座する地点までは相当に距離が離れているのだが、
一発たりとも外すことなく着弾点に到達しており、
放物線を描いて飛来してくる光弾(たま)を仰いだイリュウシナなどは
「自棄になって無差別爆撃でもするつもりなの!?」と怒声を張り上げた。
 この場合、無差別爆撃にはなるまい。アルフレッドの狙いは正確そのものであり、
二〇発全てがビクトーひとりに向かって集束していくのだ。
 果たして、巨人の右手が微かに動いた。ほんの少しだけ手首を動かし、
掌を扇に見立てて風を送るような仕草を見せたのである。
 ただこれだけの動作(どうさ)で先程と同様の現象が起きた。
 ディーファの如く風を操ったわけではないが、広範囲を一撫でにする衝撃波でもって光弾の軌道を捻じ曲げ、
術者たるアルフレッド自身へ襲い掛かるよう誘導したのである。
 これが人間であったなら、立派な叛逆であろう。
術者の意思を離れて一直線に飛んできた二〇発の光弾(たま)を
左右の蹴りでもって次々と撃墜したアルフレッドは、水路の脇に設置された大型の機械へと飛び移った。
 石造りの土台の上に据え置かれた件の機械とは、人力で動かす旧式のクレーンである。
 クレーンの左右へ縦型に設置された車輪の内側に入り込み、足で踏んで動力を生み出す仕組みとなっている。
ハムスターさながらに両足でもって車輪を動かし、鎖を巻き上げると言うことだ。
 人力クレーンの直ぐ近くには一際大きな倉庫が建っている。
往時の船大工たちは件の機械を使って造船用の資材を搬入していたのだろう。
言わずもがな、現在は役目を終えており、ビッグハウスの歴史を偲ばせる遺産として保管されていた。
 その貴重な文化財に飛び乗ったアルフレッドは、
あろうことか、機械そのものが木っ端微塵に砕け散る程の脚力(ちから)でもって踏み付けにし、
ビクトー目掛けて一気に跳ね飛んだ。
 踏み台代わりに使うだけならまだしも、修復不可能な程に粉砕することはなかろう――が、
今のアルフレッドにとっては、過去の遺産を尊重するよりも未来へ続く活路を拓くことが急務なのだ。
重大な問題に発展すると解っていようとも、人力クレーンの状態など顧みてはいられなかった。

「ハッ――ぉおアぁぁぁァァァッ!」

 巨人の左目を狙って空を翔けるアルフレッドは、裂帛の気合いと共に竜の頭を模る体勢となり、
右足に眩いばかりの烈光(ひかり)を纏った――もう一度、ドラゴンレイジエンターを繰り出したのである。
 しかも、だ。今度は奇襲戦法ではなく正面切って勝負を仕掛けている。
これこそ乾坤一擲の覚悟と言うものであろう。
 「同じ手を何度も使うなんてお前らしくもない」と、またしてもザムシードから懸念の声を飛ばされそうだが、
アルフレッドとてドラゴンレイジエンターに拘泥しているわけではないのだ。
この局面に於ける頼みの綱が竜の牙≠オかなくなってしまった。ただそれだけのことである。
 選択肢の欠落以外にも過酷な現実≠ェアルフレッドを容赦なく蝕んでいく。
彼自身が痛みや疲弊を感じることはないのだが、
一度目のドラゴンレイジエンターと比べて所作(うごき)が格段に鈍っている。
 それは肉体を酷使して戦ってきた代償に他ならない。
 そもそも、痛みや疲弊を感じなくなっていること自体が危険なのだ。
二度目のドラゴンレイジエンターは繰り出せたが、それを最後に蒼白い稲光すら途切れてしまうかも知れない。
 最早、アルフレッドの肉体は限界を超えようとしていた。
巨人と化し、更には神人の如き領域にまで達したと言うビクトーへ喰らい付くだけの余力はなく、
その現実は精神(こころ)の持ち方ひとつで覆せるほど甘くはない。
 竜の牙≠正面に見据えたビクトーは、両手の構えを複雑な形≠ノ変えていく。
 掌を重ね合わせるように動かしたかと思えば、
右手は親指と人差し指を、左手は親指と中指を合わせて輪を作っている。
 次いで左拳を胸元まで持ち上げ、人差し指を真っ直ぐに伸ばし、これを右の五指にて包み込んだ。
 更にビクトーは両手を胸元まで引き付け、親指と人差し指でもってふたつの輪を作り、
続けて左右の五指を合わせて三角の形を模るような構えを取り――
こうして手の形≠変える度に衝撃波が発生し、
不可視の打撃≠ニなって中空のアルフレッドを叩きのめすのだ。
 この時点で二度目のドラゴンレイジエンターも仕損じたと言うことである。
幾重にも押し寄せる衝撃波によって身体の自由を奪われ、
その最中に右足を満たしていた蒼白い烈光(ひかり)も消滅してしまった。
 ビクトーが右の人差し指でもって地を示すと、一際強烈な衝撃波がアルフレッドを撥ね飛ばし、
水路へと真っ逆さまに墜落させた。
 大きな水柱を立てて底まで沈んだアルフレッドであるが、
イリュウシナが「……勝負あったわ。結局は自滅したようなものだけれど」と言い終わらない内に這い出し、
地上へ戻るや否や、再び全身に蒼白い稲光を纏った。
 肉体が限界に達しているにも関わらず、尚も消耗を加速させるホウライに縋り付こうとしていた。
 自らを死に追いやっているようなものである。
燃え滓に風を送り込み、無理矢理に火を熾していると例えたほうが良かろう。
 事実、アルフレッドは死にかけた肉体を精神力だけで揺り動かしているようにしか見えないのだ。
 しかし、そこまでしてホウライの恩恵を得たところで、次に採るべき選択肢がアルフレッドにはない。

「……アル――」
「ライアン……」

 それが分かってしまったからこそ、ジャーメインもザムシードも呻くようにしてアルフレッドの名を呼び、
苦悶の面持ちで絶句するしかなかった。
 奥の手≠フひとつであるフランケンシュタイナーは先程の攻防で躱されてしまった。
もう一度、仕掛けるだけの体力が残っていたとしても、巨人の首を捉えることは不可能であろう。
 その上、最も破壊力のあるドラゴンレイジエンターまで破られたのである。
痛手(ダメージ)を与えるどころか、技そのものを命中させることさえ叶わなかったのだ。
 文字通り、手も足も出なかった。全ての望みが絶たれたにも等しかった。
 この絶望的な構図を象徴するかのようにして、遂にアルフレッドの身から蒼白い稲光が潰えた。
張り詰めた糸が切れるように掻き消えてしまった。
 それはつまり、ホウライを維持し続けるだけの体力が尽きたことに他ならないのだが、
寧ろ、ここまでよくぞ堪えたと言うべきかも知れない。
 双眸から流れ落ちる涙とは別に、アルフレッドは両の耳穴からも鮮血を噴き出させている。
荒い呼吸(いき)は途切れ途切れとなっており、死が間近まで迫っていることは誰の目にも明らかであった。

「――少しは満足されたご様子ですね、アルフレッド君。よろしい、未練は残さないようにしてください」
「……煩い……黙れ……」

 構えを取ることすら叶わず、だらりと両腕を垂らしたままのアルフレッドに対し、
ビクトーは――否、『在野の軍師』を抹殺せんとする処刑人≠ヘ、
まさしく神人の如き超然とした眼差しを注いでいる。




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