10.Face Behind the Mask


「私が指揮しておりました未確認失踪者捜索委員会は
エンディニオン全土に広いネットワークを持っておりますから、程なく素晴らしい報告が出来るでしょう。
決死隊の皆さんは最優先で探すよう命じておきますので」
「いえ、それは――」
「共にギルガメシュと戦う同志ですから、それくらいのことはさせて下さい」
「そ、そう言うことではなくて……」

 転送事故の影響によってはぐれてしまった決死隊の要員(メンバー)を捜す為、
本来は難民救済を目的として活動している未確認失踪者捜索委員会を使おうと
提案してきたモルガン大司教に面食らうフィーナであるが、
彼女が恐縮して固辞する前にタスクのほうから「是非ともお願い致します」と頭を下げた。

「タスクさん、でも……」
「フィーナ様のお気持ち、お察し申し上げます。ですが、良くお考え下さいませ。
ジョゼフ様もご不在の今、私どもの独力だけで皆様を捜し当てることが可能と思いますか?」
「そ、それはぁ……」
「私どもが生まれたエンディニオンと同規模の惑星(ほし)と考えておりますが、
……いえ、その半分程度だとしても、手掛かりを足で稼ぐ≠ノは広過ぎます」
「うっ……」
「――と言うわけで、捜索の件、改めてお願い申し上げます。
シュペルシュタイン様にはお手数をお掛けしますが……」
「畏まりました。直ぐにでも手配を致しましょう。後で皆様の特徴などをお聞かせ下さい」
「委細をまとめておきます」

 それほど乗り気とは言えない話が目の前で淡々と進められていくことをフィーナは複雑な心境で見つめていたが、
納得し難いことを飲み込み、頭を下げてでも実≠取ろうと言うのがタスクの考えである。
 散り散りとなった仲間を捜索するには、未確認失踪者捜索委員会は間違いなく頼りになるだろう。
教皇庁嫌いのニコラスと雖も、これには同意せざるを得なかった。
 ギガデス付近に固まっているのならまだしも、世界中の彼方此方へバラバラに転送されていたなら、
絶対に追い切れない筈だ。ひとりひとり捜し訪ねることは現実的な解決策とは言えないのである。
 そもそも、決死隊はギルガメシュが建造を進める最終兵器――『福音堂塔』の阻止を
目的として異世界へ渡ったのであり、事故の範疇に過ぎない仲間の捜索などは
重要視すべきものでもないのだ。
 更に付け加えるならば、カッツェが開発した切り札≠携えるムルグを発見しないことには、
件の最終兵器も阻止出来ないのである。それこそが福音堂塔を停止し得る唯一の装置であると言う。
 ノイに於いて最大規模であろう教皇庁の組織力を以てすれば、この死活問題とて容易く解決する筈だった。

「この件はエカ君に一任致しましょう。ライアンさんとも打ち解けたようですし、
何より年齢(とし)も近い。きっと上手くやっていけるでしょう」

 決死隊捜索を取り仕切るようモルガン大司教が指示を与えたのは、何とエカ・ランパートその人であった。
未確認失踪者捜索委員会にも所属していた彼女ならば、あるいは適任と言えるのかも知れない。
 しかし、当のエカはモルガンの言葉を受けて飛び上がらんばかりに驚いた。
事前に何の相談もなく、本当に突然の指名であったらしい。

「聞いてないんだけどッ!?」

 目を剥いて食って掛かるのも当然であろう。
未確認失踪者捜索委員会を離れたエカは、本来の所属である聖騎士団に復帰している。
つまり、件の委員とは現在は無関係なのだ。
 今回も未確認失踪者捜索委員会としての任務ではなく、
あくまでも大司教の護衛を務めているに過ぎないのである。
それにも関わらず、突然に厄介極まりない捜索を委ねられたわけだ。
これで混乱するなと強いるほうが無理であろう。

「それはそうでしょう。たった今、私の権限に於いて決めたことですから。
ですが、私としてはこれ以上ないと言うくらい相応しい人選だと思っていますよ」
「こっちにもこっちの事情があるんだけど!」
「ご安心下さい。団長には私のほうから伝えておきますから。
……ああ、そうですね。キミひとりではなく、キミの隊の任務と言うことに致しましょう。
団長の指揮のもと、我らの同志を必ず見つけ出して下さい」
「何がどう安心なワケ!? アタシが言ってるのは、そーゆー問題じゃなくて!」
「キミの場合、団長と離れ離れになりたくなくて、ここまで頑なに拒んでいるのでしょう? 
ですから、一緒に居られる時間を作って差し上げたのではないですか。
キミにとって一番のチャンスを作ったこと、寧ろ、感謝して欲しいくらいですね」
「そ、そ、そーゆー問題じゃなくてッ!」
「――しかし、宜しいですか、エカ君? これだけは忘れないで下さい。
大切な人と離れる痛みはライアンさんたちも同じく味わっておられるのです。
その辛苦へ寄り添ってあげて下さい。キミにはそれが出来る。いえ、これはキミにしか出来ないこと」
「……理詰めで退路を断ってくれちゃってぇ……!」

 己が所属する騎士団の長に懸想しているらしいエカと、
これを冷やかすようなモルガンのやり取りへ耳を傾けながら、
タスクは大司教なる肩書きが教皇庁に於いて絶大な権限を有しているのだと改めて確認した。
 その場の思い付きと言う出鱈目な要請さえ押し通せるだけの権限を
教皇から許されていると言うことである。
 教皇庁がノイに於ける女神信仰の中心と言う点を踏まえるならば、
それは恐るべき事実であり、どう考えてもモルガンに逆らうのは得策ではない。
不満や疑念を抑えてでも歩み寄らんとした自分の判断は間違いではなかったと、
タスクは確信するに至った。
 不満を爆発させているのはエカのほうである。
 一方的な命令が気に食わず、執拗に食い下がりはしたものの、
最後にはモルガンの口舌に言いくるめられてしまい、
フィーナたちに向かって「まっかせなさい!」と胸を叩くことになった。

「ランパートさんに協力して貰えるなら心強いかな。
もっと教皇庁のことも勉強させて欲しいですし……」
「ああ、もう! そんな風に言われちゃったら、やる気出すしかないじゃないの〜!」
「でも、ランパートさん……」
「そんな畏まった呼び方じゃなくて、エカで良いわよ。
成り行きはともかく、これからよろしくやっていく仲間なんだし」
「じゃあ、私のこともフィーで。よろしくお願いします、エカさん」
「フィーちゃんね。オッケー、まかしときなさいっ!」

 エカの協力――正確には彼女が属する隊が受けた任務なのだが――が正式に決定されると、
ようやくフィーナも食事を進め始めた。
 議論が長時間に及んだ為、すっかり冷めてしまったが、味のほうは抜群であったらしく、
幸せそうな表情を浮かべながらカツカレーを頬張っていった。
 途中から殆ど話に加われなくなり、「アタクシ、何の為に此処にいるのかしら」と
不貞腐れてしまったアンジーや、信仰の在り方にも抵触するような難しい議論を
巧みに取りまとめた「モルガン師」へ感動しているレナスはさて置き――
ようやく会食らしい場となってきた。
 食事は済んだとばかりにニコラスが一足早く席を立ち、
タスクも愛想笑いを貼り付けながらモルガンの出方を窺い続けるなど、
フィーナを取り巻く人々は穏やかならざる心境であるが、
少なくとも表面上は正常(まとも)な会食のように見えてきた。
 しかし、食後にブランデー入りの紅茶が運ばれたことから事態は一変する。





 地上最強の名を欲しい侭にし、『不滅竜(ふめつりゅう)』とも呼ばれる恐るべき生物、ガンマレイ。
現代まで生命を留め続ける伝説≠ェ棲まう活火山(ドラゴンズヘヴン)を北方に望む前線基地は、
その夜、大変な騒ぎであった。
 前線基地と言っても、ガンマレイ討伐を志す冒険者や腕自慢が集うだけの小村に過ぎないのだが、
そのような場所に教皇庁を取り仕切る実力者――モルガン大司教が来訪したのである。
 余人は知る由もないが、打倒ギルガメシュを掲げて異世界よりやって来た決死隊が
ギガデスの教会を宿所としており、共に戦う同志≠ナある彼らに接見を求めた次第であった。
 件の同志たちとサルーンにて夕食を共にしたモルガンは、
こちら≠ニは異なる世界で生まれ育った人間ならではの視点を含む有意義な議論≠ェ済むと、
後の始末を同行者の聖騎士(エカ・ランパート)に任せて席を立った。
 その後を愛弟子たるレナスも追い掛け、サルーンを出たところで師の背中に
「自分が随いていながら申し訳ありません」と頭を下げた。

「どうしてキミが負い目を感じるのかね? 私には思い当たる理由(こと)もないのだが」
「ライアンさんたちの一挙手一投足に目を光らせておくのが自分の務め。
それを怠り、モルガン師の期待に沿うことが出来なかった自分を責めるのみです」
「キミにそこまで立ち回るよう期待してはいない。……気楽にやりなさい」

 レナスが「しかし、自分は……」と言い掛けたところで
モルガンは片手を軽く挙げ、これを左右に振って見せた。
 まるで愛弟子の言葉を鬱陶しそうに退けたようにも見えるが、
己のことを慕う人間を邪険に扱ったわけではなく、他の者たちに向けた人払いの合図であった。
 会食の場に選ばれたサルーンの付近には教会の関係者が詰めており、余人が近付かないよう見張っていた。
今し方の仕草(ゼスチャー)は彼らを遠ざける為の合図なのだ。
つまり、自分と愛弟子以外の誰にも聞かせたくない会話と言うことである。
 「誰にも聞かせたくない会話」とは、言い換えれば「余人の耳に入れてはならない言葉」であろう。
迂闊な真似を仕出かそうとした愛弟子を「モルガン師」が助けた恰好だった。

「第一、私がキミに課したのは教皇庁にとって最良の路(レール)にライアンさんたちを導くことだ。
履き違えているのなら、今ここで改めておきなさい」

 己と愛弟子以外に周りから居なくなったことを確かめた後(のち)にモルガンは口を開いた。

「尚更、自分の不徳を責めるしかありません。……おれは何も出来ていません」
「自分に厳しいのはキミの美徳だが、背負わなくて良い責任まで引き受ける必要はないのだよ。
私を師と思ってくれるのなら、せめて助言には耳を傾けて欲しいものだな。
キミにはもう何度も同じことを諭している気がするが……」
「それにしてもあれ≠ヘ度を越しています。止められなかったのは間違いなく自分の失態です」
「……確かに品がないとは思うがね……」

 愛弟子の言葉を背中で受け止めながら、モルガンは頭痛を堪えるように右手を額に当てた。
 ここまでレナスが詫び続けるのには、当然ながら理由がある。
モルガンが指摘したように彼が責任を感じる問題でもない筈なのだが、
半日以上もフィーナと行動を共にしておきながら、彼女の危険な本性≠見抜けなかったことに
とてつもない罪悪感を覚えてしまったわけだ。
 危険な本性≠ネどと大仰に喩えられたものの、
それは大司教相手に不躾な発言を連発したことを指しているのではない。

「これ以上は堪忍しやがれ下さいましぃッ! 下は! 下だけはぁッ!」
「んん〜!? 随分、化けの皮が剥がれてきたねぇ〜! 可愛くなってきたもんだねぇ〜! 
もっともっと素直になっちゃおうかぁ〜! サイコーにイイ声で鳴いて貰ってねぇ〜!」

 全てはふたりの背後から――サルーンの店内から聞こえてくるアンジーの悲鳴と、
これを弄ぶ下衆の極みの如き哄笑(わらいごえ)が物語っている。

 それは夕食の最後に運ばれてきた飲み物を発端とする珍事であった。
 原因と呼べる物は、林檎を原料とするブランデーを数滴ほど垂らした特製のアップルティーである。
看板メニューとして多くの人々から愛されており、それが為にサルーンのマスターは腕によりをかけ、
これを卓に並べたウェイトレスも必ず気に入って貰えると確信していた。
 香り豊かなブランデー入り紅茶が騒動の火種になることなど、
そのときには誰ひとりとして想像していなかったと言えよう。
 紅茶に酒を足す飲み方は古くから好まれており、その種類も豊富である。
角砂糖にブランデーを染み込ませ、火を灯した上でアルコールを飛ばすと言う小洒落た方法もあるのだが、
このサルーンでは直接的に酒を垂らしている。砂糖とブランデーを別々に注ぐわけだ。
 林檎の香りに包まれた瞬間からフィーナは相当に気に入ったらしく、
「甘くて美味しいね」と喜んで口にしていた――が、
二杯目を飲み干したところでケラケラと陽気に笑い出し、次いで声の調子を急変させた。

「――お前たちの魂は腐り切っているッ!」

 平素のフィーナからは想像も付かないくらい凄みを利かせた声と粗野な言葉遣いには、
その場に居合わせた誰もが度肝を抜かれたことだろう。
 彼女の目は完全に据わっていた。瞬きひとつせず、どこか遠くを睨み据えていた。
誰の目にも泥酔していることは明らかだった。
 紅茶に注がれたアルコールが強過ぎたわけではない。
事実、三杯目を注文したアンジーは軽く酒気を帯びた程度なのである。
少しばかり頬に熱を帯びたタスクとて意識は確(しっか)りと保っていた。
 余り酒に強いとは言えないフィーナは、以前にマコシカで開かれた酒宴でも醜態を晒していた。
残念ながら、そのことを知る人間がサルーンには居らず、
それが為にブランデー入り紅茶を飲まないよう止める声も上がらなかったのだ。
 アルコールを摂取したことによって陽気さの極限にまで達し、
暴走としか喩えようのない状態と化したフィーナは、ニコラスが先に宿所へ帰ったと知るなり、
「あの赤髪ブタ野郎っ! 私の酌じゃ呑めないってか!」と、これまた意味不明なことを喚き始めた。

「底抜けの甲斐性ナシだねぇ、あんにゃろう! そんなんだからちーっともミストちゃんと進展しないんだよ! 
甲斐性もなけりゃタマもないってェの!? 少しはアルを見習いなさいよねー!」
「フィ、フィーナ様? 他にお客様が居られないとは言え、
隣近所の迷惑もございますので、もっと声を落とされるべきかと。
……と申しますか、仰ってることが支離滅裂かと存じますが……」
「はァん!? お前も大概なんだぞ、若作りィ!」

 このままでは教皇庁との信頼関係をも揺るがすくらい見苦しい事態になると直感したタスクは、
大慌てで制止を図ったものの、それに対して当のフィーナは「なんだ、バカヤロー」と言い放ち、
次いで彼女が穿くロングスカートの裾を掴み上げた。

「ちょっ、ちょっ……フィーナ様!?」
「他人(ひと)に説教垂れてる暇があるんなら、手前ェのことを振り返ってみなよ……さぁーっ!? 
世話好きだか何だか知らないけど、マリスお嬢様に依存し過ぎなんだよね、私に言わせりゃーっ! 
それなのに落ち着き払っちゃってさー! なんなの!? オトナの余裕ってヤツなの!? 
こっちはアルが居ないってだけでソワソワしっ放しなんだけどーっ!?」
「お、お察ししますっ。とにもかくにも、スカートから手を放して下さい!」
「マリスお嬢様が居なくて平気なんですかー!? あんな事故の後なのにすっごく薄情ですよねーっ! 
違うでしょーっ!? 余裕ぶっこいてないで、ちょっとは慌てふためいたらどうですかー!?」
「そ、それはその……で、でっ、ですからぁっ! ス、スカートを捲らないで下さいっ!」
「おうおうおうおう、初々しい反応じゃのぉーっ! 年増と思えない若作りの秘訣は何ぞやねーぃ!? 
一生懸命、気を張り続けるコトですかーっ!? ほゥ〜れ、タスクさんの秘密を御開帳じゃィ!」

 さしものタスクも、こうなってはフィーナを鎮めるどころではない。
スカートの裾を両手でもって押さえ、何とか捲られないように抗うばかりだ。
 思春期の男子の如き悪戯を試みていたフィーナ当人は、
タスクの抵抗に勝てないと認めるや否や、飽きたように五指を離し、
ウェイトレスが運んできたばかりのアップルティーを同じ手でもって掠め取った。
 それはアンジーが注文した物だった――が、彼女が抗議するよりも早く一気に呷り、
その挙げ句に「こんなんじゃ足りないよ! いっそ樽で持ってこい、樽で!」と、
マスターに向かって無茶苦茶な要求を飛ばす始末であった。
 博愛の精神(こころ)に満ち溢れていた数分前とは別人のような豹変の仕方に
店内の誰もが呆然と固まっている。モルガンでさえ唖然としたまま声のひとつも絞り出せないのだ。
 エカから目配せでもってフィーナの為人を訊ねられたタスクは、
真っ青な顔で「私もこんなお姿は初めてです……」と答えるしかなかった。
 目の前で繰り広げられている暴挙の数々はさて置き、フィーナは決して野卑な人間ではない。
自分以外の誰かの為に涙を流し、戦うと言うことの痛み≠己の身で引き受けるべく
拳銃を手に取る強さをも兼ね備えているのだ。
 仕える主人(マリス)の手前、今まで口に出すことを憚って来たのだが、
タスクはフィーナに対して尊敬の念すら抱いていた。
 それが何故、このような醜態を晒しているのかと問われれば、
「酒が狂わせた」としか言いようがないのである。

「アール、アルアルアルアルぅ……会いたいよぅ、寂しいよぅ、何してんだよぅ……」

 都合、三杯目のブランデー入り紅茶を飲み干したフィーナは、
盛大な音を立てつつ額から卓に突っ伏すと、今度は最愛の青年の名前を唱え始めた。
 乱れた呼吸を速やかに整えたタスクは、フィーナが連呼しているのは義理の兄≠フことであると、
エカとアンジーに向かって説明していった。
 歪な三角関係のことを迂闊に喋ってしまうと、
いずれアルフレッドたちと合流したときに余計な騒動(さわぎ)を起こし兼ねないと考慮し、
一先ずこの場では義理の兄妹≠ニ言う情報のみを与え、
問題となりそうな部分は伏せておこうと取り計らったのだ――が、その秘密を当事者自らが暴露してしまった。
 「張り倒してやりたくなるような朴念仁のことだから、寂しくなんて思わないかも!? 
こんな可愛いカノジョが居るってのに、どこまでも魂が腐っているんだからぁ!」と明言したのだから、
最早、タスクとしても誤魔化しようがない。
 エカは「忙しい酔っ払いだね。今度は惚気話かぁ〜」と苦笑を洩らし、
アンジーに至っては「義理の兄妹で恋に落ちるなんて浪漫ですこと!」などと目を輝かせているのだ。
 フィーナが口にする『アル』は恋人の名前であるとふたりに認識されてしまったようである。
 双眸を瞑って俯くタスクの隣では、尚もフィーナの惚気話が続いている――かに思われたのだが、
それもまた雲行きが怪しくなってきた。陽気であった筈の声も徐々に重苦しくなっていく。

「アルとマリスさんさぁ……あのふたり、アレはきっと転送装置から振り落とされたよね。
きちんと確認出来たワケじゃないけど、あの変態さんの所為で吹っ飛んじゃったよね」
「私にもそのように見えました。……マリス様の御身が無事であれば良いのですが……」
「つまりさぁ、それってさぁ、ふたりっきりであっちに残っちゃったってコトだよねぇー! 
めちゃくちゃヤバイんだよ、こちとらァっ!」
「フィーナ様っ!?」
「あンの腐れスケベ小僧がデカパイに引き寄せられないワケがないッ! 
灯りに寄って来る羽虫みたくッ! マリスさん、女の私から見てもフェロモンムンムンなんだからぁー! 
あの人が本気になったら誘惑されるに決まってんだろォォォッ! アルとか言うド畜生はよォォォッ!」

 フィーナが吐露したのは、早い話が恋する乙女の悩みである。 
 自分がアルトを離れている間にアルフレッドとマリスがアカデミー時代の関係へ戻ってしまうのではないかと
心配しているわけだが、迸らせた内容は少女らしい甘酸っぱさとは程遠く、穏やかとも言い難い。
 事実、フィーナの発言に違和感を覚えたらしいアンジーとエカは、揃って小首を傾げている。
 このときにはタスクの面から血の気が失せていた。
フィーナは暗に歪な三角関係を暴露しているようなものなのだ。
 アルフレッド、フィーナ、マリスによる複雑な人間模様をタスクは見抜いている――が、
しかし、目の前で大暴れしている少女や己の主人の口から聞かされたことは今までに一度もない。
在野の軍師を問い詰めた折に自白させただけである。
 マリスも義理の兄妹≠フ関係を疑っているようだったが、確信には至っていないだろう。
勿論、タスクから主人へ密告したことはない。三角関係に勘付いていると言う素振りを見せたこともないのだ。
 これまで何があっても「何も知らない」と言う芝居(ふり)を徹底し、
三角関係が明るみに出そうになった場合には、話を逸らすよう誘導した程である。
 酔った勢いとは雖も、フィーナはタスクの気遣いを蹂躙したようなものであった。
 しかも、マリスのほうが横恋慕しているとも取れる言い方なのだ。
 三角関係に秘められた真実はともかく、こればかりはタスクも聞き捨てならなかった。
対面もしていない内から主人に対して悪印象を持たれては堪らないのである。
中でもアンジーとエカはフィーナの発言をそのまま信じてしまう可能性が高く、
どこかで訂正しなければなるまい。
 その一方で、最大の理解者であろう義理の妹≠ゥら手酷く扱き下ろされたアルフレッドについては、
「良い気味」と言う感想しか持ち得なかった。
 ここ最近、彼はジャーメイン・バロッサにまで思わせぶりな態度を取っており、
フィーナの言葉を借りるならば、「ド畜生」以外に喩えようがないのだ。
 それでもフィーナを諫める言葉を探すのは、
「ド畜生」呼ばわりされるような愚か者を庇う為などではなく、
主人の名誉を守らんとする使命感からであった。
 フィーナの目は依然として据わったままだ。己の言行が如何に危ういものであるか、
これを理解するのに必要な思考が全く止まっているのは間違いない。

「ねぇねぇ、タスクさぁ〜ん! ど〜ゆ〜教育したらさぁ、マリスさんがあんなデカパイになるの!? 
何なの、あの凶器……揉んでと言わんばかりじゃんッ!」
「マ、マリス様の発育のことを私に言われましても……」
「てゆーか、揉んだのかな!? アルの野郎、アカデミーでマリスさんを揉みしだいてましたかー!? 
私のことは『蚊に血を吸われた痕跡の如し』とか何とかっつってバカにしておきながらァァァッ!」
「……フィーナ様、婦女子として破廉恥な発言は慎まれるべきかと存じますが……」
「――よし、今度は服を丸々剥ぎ取ってみようか! 破廉恥ストリーム満開じゃィッ!」
「な、何の脈絡もな――お止(よ)しになってェ!」

 またしてもフィーナにスカートの裾を掴まれ、これを剥ぎ取られまいと必死に抗うタスクであったが、
彼女の言行から或ることに気付いていた。
 彼女が大暴れを始めるに至った原因である。暴走自体はブランデー入り紅茶が引き金だったが、
悪魔の如き衝動は心の深い部分から噴き出してきたように思えるのだ。
 よくよく耳を傾けたことによって把握出来たのだが、
普段、心の奥底に抑え込んでいる鬱憤が酒の力を借りて暴発しただけなのである。
聞くに堪えない喚き声の裏側には、どうしようもない寂しさと切なさが滲んでいた。
 一度(ひとたび)、原因が解ってしまうと、数々の暴言が全く別の物として思えてくるから不思議だった。
現在(いま)のフィーナは、離れ離れになったアルフレッドのことが恋しくて仕方ないのであろう。
 そして、マリスに真実を伏せたまま歪な三角関係を維持し続けていることを苦々しく感じているわけだ。
 アルフレッドとの将来についても不安が強そうだった。
 それもその筈――としか言いようがないのだが、如何なる事情があったにせよ、
アルフレッドが仕出かしたのはフィーナに対する最悪の裏切りなのだ。
性格上、これまで表には出せずにいたのだが、残酷な事実によって確かに傷付き、深く怒り、
「どうして、こんなことになってしまったのか」と苦しみ続けてきたのである。
 思いやりと言う名の理性によって本音を抑えてきたフィーナであるが、
その全てが酒の力によって解き放たれた恰好であった。
 誰よりも慈悲深い性格とは言うものの、彼女とてひとりの人間である。うら若き乙女である。
心の内側にやるせない思いを溜め込んでいくのが普通であり、
タスクからすれば、よくぞ今まで負の想念を暴発させずに堪え抜いたものだと、
強靭な精神力に頭が下がる思いだった。
 フィーナが抱えた苦しみの形≠理解してしまったタスクは、いよいよ彼女の暴挙を責められなくなった。
制止の声を絞り出そうとする度に胸が軋み、それが彼女を躊躇わせるのであった。
 責めるべき相手は別であろう。全てはアルフレッドが原因なのだ――と、
この場には居ない青年への憤激ばかりが募っていく。

「いい加減になさい。見苦しいことこの上ないですわよ、ライアンさん。
お酒と言うものは、もっとクールに楽しむもの。それが淑やかの極意ではなくって?」
「おっ、なになになになに? どうしたどうした、エセお嬢様? この期に及んでエレガント気取りなの? 
よっしゃ、ここはひとつ、化けの皮を剥いで素直にしてあげよう――物理的にねェッ!」
「――ひッ!? い、いや、来ないで……ケダモノっ!」

 見るに堪えない暴走を止めるべく、勇気を振り絞って近付いていくアンジーであったが、
不幸にもこの行動によってフィーナの標的(ねらい)が彼女自身へと移ってしまった。
 タスクのスカートから離した両の五指にてアンジーのブラウスを掴み、
神業めいた手際の良さでボタンを上から下まで瞬時に外していく。

「リボンにフリルにびらッびらな下着(もん)でお嬢様を演出ってか! 
悔しいくらい可愛いじゃんか! よし、もっと素直≠ノなってみよう! 行ってみよう!」
「たッ、たぁすけてぇ〜!」

 間もなくフィーナの手によってアンジーの生肌が露となった――
その頃にはモルガンとレナスはサルーンから姿を消していた。
 置き去りと言うよりも後始末を任されたことに気付いて悲鳴を上げるエカではあったが、
さりとてフィーナとアンジーを捨て置くわけにもいかず、
先に退出したふたりへ「ロクな死に方しないわよ、あんたたち……」と恨み言を吐き捨てた後(のち)、
素裸にされることを覚悟した上でケダモノ≠ノ向かっていくのだった。

 当然ながら屋外のモルガンたちにはエカの恨み言など届いてはいない。
一際大きなアンジーの悲鳴が鼓膜を打つばかりであった。

「――本当に大丈夫なのでしょうか、あの方々は」
「では、戻るかね? 私は遠慮させて貰おうと思っているよ」
「いえ、そうではなく……モルガン師、正直、自分は心配でなりません。
貴重な同志とは言え、まさか、あのような方々だったとは……」
「……あのような≠ニは、具体的にどう言うことだね?」
「悪酔いで周りに迷惑を掛けるようでは、教皇庁の同志として相応しいのか、どうか……」

 サルーンの内側にて繰り広げられているだろう狂態を想像したレナスが
辟易したように不安を漏らすと、彼の師たるモルガンが溜め息を引き摺りながら振り返った。

「では、ライアンさんたちを迎え入れると決めた私の判断が誤りだったと、
キミはそう言いたいのだね、レナス君」
「い、いえ、そんなことは……っ!」

 モルガンの面は冷酷なまでに厳しい。
師として弟子を導くと言うよりは期待外れの人間を見下すような眼光であり、
これに射貫かれたレナスは全身から血の気が引いていった。

「良いかい、レナス君。酒によって引き出される人間性や裏の心と言うものは眺めていて愉快だが、
それだけで人の器を分かったような気持ちになるのは愚か者の趣向だよ。
私はキミをそのような無礼者に育てた憶えはないのだがね」
「も、申し訳ありませんっ! 自分……自分は――」

 余程、師から向けられた眼光が衝撃だったのだろう。
絶望に染まった面持ちで後退(ずさ)ったレナスは、殆ど額づくような恰好でその場に跪いた。
 今にも絶息してしまうのではないかと心配になるほど呼吸が荒く、全身を小刻みに震わせている。
許しを乞うにしても、余りにも痛々しい姿であった。
 遂には脂汗まで滲ませた愛弟子を憐れに思ったのか、それとも別の意図が腹の底に在ったのか――
それは定かではないものの、ともかくもモルガンは片膝を突いて寄り添い、
その背中を優しく擦っている。傍目には師弟の愛情のように映ることだろう。
 事実、レナスの側は「モルガン師」の温情と捉え、涙まで流して感謝を述べ続けたのである。

「……今のところは『大丈夫』だろう。今のところは、ね……」

 モルガンは声色を柔らかくしてレナスの耳元に語り掛けた。
 「フィーナたちを同志として受け入れて大丈夫なのか」と問い掛けたのはレナスであったが、
これに答えるモルガンは、全く別の意味合いで『大丈夫』と口にしていた。
 今のところは教皇庁の駒≠ニして使い道がある――モルガンが発した『大丈夫』の一言には、
そのような意味が含まれているのだ。

「特にライアンさんは素直で宜しい。ハブールの民が犠牲になった一件と、
何よりもご自分の故郷が滅ぼされる様を目の当たりにしてきただけに、
世を憂う気持ちは人一倍強いようだ。そうでなくては、こちらとしても張り合いがありません。
……後はこちらで軌道修正してやれば良いのだよ」
「……教皇庁(われわれ)の路(レール)の上に乗せる――と言うこと……ですか?」
「聡くて助かる。……そう、人は使いようだよ、レナス君」
「は、はい……っ!」

 使い走り同然に扱われているレナスへ聞かせるには皮肉としか言いようもないのだが、
当人は「モルガン師」の深謀遠慮に触れて感極まっていた。
 一方、自分の言葉を必ず好意的に捉えてくれる愛弟子をモルガンはどのように見ているのか――
その表情(かお)は氷のように冷たかった。
もしかすると、レナスのことなど既に眼中にないのかも知れない。
 実際、大司教の瞳は愛弟子のことなど全く捉えていないのだ。
 乱れに乱れた呼吸が落ち着いたことを認めたモルガンは、
レナスから離れるようにして身を引き起こすと、
そこから数歩ばかり進んだ後(のち)、愛弟子に背を見せる恰好で立ち止まった。

「……同時に少しばかり危険でもあるのだがね、フィーナ・ライアンは」
「はい。……教皇庁を間違いだらけのように考えているみたいですから……」
「良く見ておくのですよ。あれ≠アそが我々のエンディニオンを滅ぼす癌細胞だ」

 此処から先の世界≠眺めているモルガン大司教は、
その頭脳にて異世界(アルト)との戦争を想定しており、
ノイの側が必ず生き残れるよう様々な策を張り巡らせていた。
 人や物が悉(ことごと)くアルトの地平へと強制転送され、
現地に順応する中でノイ独自の文化などを喪失してしまうことを彼は懸念している。
その事態を以てしてこちら≠フエンディニオンの滅亡と定め、
だからこそ、アルトとはギルガメシュが瓦解した後にも緊張状態が続くと主張しているのだった。
 そのモルガンがアルトから訪れたフィーナのことを将来的にノイを脅かす癌細胞とまで言い捨てた。
 ギルガメシュと戦う同志とは雖も、今日の今日までフィーナのことなど
取るに足らない存在としか思っていなかった。
争乱の鍵を握る『在野の軍師』の関係者と言う程度の認識だったのだ。
 しかし、実際に相対したフィーナ・ライアンは『在野の軍師』に勝るとも劣らない才能を備えていた。
人を惹き付ける何か≠ェ彼女には在った。
 途中で論点が行方不明となる程に拙い話し方なのだが、
人に訴えようとする気持ちは殊更に強く、サルーンのマスターとウェイトレスは彼女の言葉に聞き入っていた。
ヨアキム派の聖騎士たるエカまでもが心を掴まれていたのである。
 それはノイの滅亡を憂う者にとって、何よりも警戒しなくてはならないことなのだ。
彼女の言葉がこちら≠フ人間を掴めば掴むほどアルトによる侵食≠ヘ早まるだろう。
 しかも、だ。これからフィーナは教皇庁と言う後ろ盾を持つことになる。
彼女が発する言葉は弥が上にも説得力が高まるだろう。
 つまり、フィーナと接触したノイの人間がアルトの事物によって塗り替えられる確率が
跳ね上がると言うことである。
 フィーナ・ライアン――彼女のような存在こそがノイを蝕む病理なのだとモルガンは繰り返した。

「イシュタル様を信じる心も、ギルガメシュを憎む怒りも我らと共有しています。
同じ路にて交わる可能性に賭けよう――そして、どうしても教皇庁の障碍になると見極めたときには、
……キミが始末をつけなさい、レナス君」
「畏まりました。エンディニオンを侵す癌細胞、必ずや取り除いてみせます」

 これ以上ないと言うくらい血腥い命令を下されたにも関わらず、
レナスは一瞬たりとも躊躇せずに首を頷かせた。
 面に宿した表情は不気味な程に変わらなかった。
心身が落ち着いた後には、先程までと同じ朗らかな笑みを貼り付けている。
 愛弟子の面を覗き込んだモルガンは「それでよろしい」と満足そうに頷き、そのまま彼のもとを去っていった。
教皇庁の運営を取り仕切ると言う多忙な大司教のこと、ギガデスには僅かな時間しか滞在出来ないのだ。

「一命に代えてでも――」

 残されたレナスは、何時までも何時までも、「モルガン師」が去っていった方角に頭を垂れ続けた。




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