11.Let's go ONSEN 北方に活火山を望むギガデスは、ガンマレイ討伐に向けた前線基地と言うことだけでなく、 密かに温泉地としても注目されていた。 当然ながら地上最強のドラゴンが棲息する土地である為、温泉街の賑わいからは程遠いものの、 クリッターとの戦いを好むような腕自慢たちには傷を癒す湯治場として愛されているのだった。 屋内屋外を問わず、浴場が村の至る場所に設置されている辺り、 盛況の度合いが推し量れると言うものであった。 屋外浴場――所謂、露天風呂の一ヶ所を貸し切り同然の状態で使うフィーナは、 肩どころか、鼻の辺りまで湯の中に沈めながら、ブクブクと吐息でもって泡を立てていた。 子供じみた真似に興じるフィーナではあるものの、それは重苦しい溜め息の代わりに他ならないのだ。 露天風呂は大小の岩を高く積み上げた垣根によって外部から隔絶されている為、 不埒な輩が鼻の下を伸ばして闖入してくる心配はなかった。 四方を囲う岩の垣根は個室≠ノ籠っているような心理をフィーナに植え付けており、 これによって思案に集中し得る環境となっている。 (……今すぐ死にたい……本当に死ぬわけにはいかないけど……今すぐ死んでしまいたいぃ……) とにもかくにも、独りきりになれる時間がフィーナには必要だった。 何しろ彼女は筆舌に尽くし難い程の自己嫌悪に苛まれていた。 現在(いま)は午後一〇時を過ぎたところなのだが、 モルガン大司教を迎えた夕食から二時間ばかりの記憶が完全に抜け落ちてしまっている。 より正確に状況を振り返るならば、やけに甘いアップルティーを飲んで以降の記憶が曖昧なのだ。 記憶が途絶える前には間違いなくサルーンで食事を摂っていた――その筈なのだが、 気付いたときには宿所のベッドに寝かせられていた。 「寝かせられていた」と言うよりも「運ばれていた」と表すほうが正しかろう。 何ひとつとして憶えていないにも関わらず、自分の足で宿所(ここ)まで帰り着いたわけではないと、 フィーナは確信を以て言える。 風邪を引いたわけでもないのに肉体(からだ)が倦怠感で満たされ、 それでいて異常なくらいに思考(あたま)が晴れやかなのだ。 過去に酒を呑んだ際の記憶(こと)を振り返るまでもなく、 フィーナは覚醒と同時にアルコールで蝕まれていることを自覚した。 額には冷たい水で絞った手拭いが乗せられていた。 聞けば、タスクが用意してくれたものであるそうだ。 怯えた様子で自分のことを見つめてくるアンジーと目が合ったフィーナは、 記憶が途切れた時間(あいだ)に何を仕出かしてしまったのか、その全てを悟った。 過去にも同じように醜態を晒したことがあるのだ。 無意識の行動と言い逃れするわけにもいかなかった。 「無意識の行動」などと大仰に喩えずとも、事態は至って単純である。 ブランデーが入っているとも知らずに食後のアップルティーを何杯も呷り、 周りに迷惑を掛けるほど酔っ払ってしまった――ただそれだけのことだった。 (そ、それにしたって、あんなことをやっちゃうなんて……) 正体を失っている間にタスクのスカートを捲り、アンジーを半裸同前の姿にしてしまったと エカから報(しら)されたときには、酔いによる熱どころか、血の気まで一気に引いたものである。 しかも、サルーンへの謝罪と言った後始末を引き受けてくれたエカの尻まで太鼓の如く叩いたと言うのだ。 それを知ったフィーナの顔色が蒼白を通り越して土気色に変わり、 再びベッドに逆戻りしたのは言うまでもない。 枕に顔を埋めたまま、二度と起き上がりたくないとさえ思い詰めていた。 自分の所為ではあるものの、考えられる最悪の事態に陥ったのだ。 右も左も分からない異世界(ノイ)に於いて後ろ盾になってくれるだろう教皇庁とロンギヌス社、 双方の人間へ不適切な行為を働いてしまったのである。 セクハラ裁判の訴状が直ちに突き付けられても不思議ではなく、 原告団の中にはタスク・ロッテンマイヤーと言う名前も含まれている筈だ。 事態(こと)の重大さを改めて考えたフィーナは、 ベッドの上に座り直し、額が減り込むような勢いで皆に頭を下げた。 例え、許されなくとも誠意だけは尽くさねばならない――ただその一念で謝罪し続けた。 無論、恥ずかしい思いをした側もフィーナの悪意があったとは考えておらず、 不意に摂取することとなったアルコールの影響だと一切を飲み込み、 罪や罰などと責めようとはしなかった。 明らかに引き攣った笑顔を見せるタスクや、怯えた調子で己の身を掻き抱くアンジーなど、 ある程度の時間が経たないことには解決しない感情面の問題もあるのだが、 動揺もいつかは鎮まるものであり、おそらく翌朝には平素の状態まで戻っているに違いない。 「この年齢(トシ)で酒の加減を知っててもイヤだろ。呑まれちまっても仕方ねぇって。 フィーもこれから気を付けりゃ良いだけだぜ――って、 先に帰っちまったオレが言ったって、あんま説得力ねぇかもだけどよ」 「意外や意外、いいコト、言うじゃん、キミ! 取っ付きにくい人かなーって心配だったんだけど、 そうだね、モルガン相手じゃカリカリするよね。素直な反応で大変よろしい! ……彼の言う通り、誰も何も気にしてないんだからさ。考え過ぎは身体に毒だよ、フィーちゃん」 直接的には騒動に巻き込まれていないニコラスや、 大らかな気持ちでフィーナの醜態を不問に付したエカもそれとなく取り成しており、 共闘関係を破綻させるような蟠りだけは残るまい。 ところが、だ。泥酔した後の発言についてだけは、その場に居合わせた誰もが口を噤むのである。 まさか、無言で淡々と女性陣に悪戯していたとは思えない。 実際、過去に酒の力で正体を失くしたときには己の趣味を皆の前で高らかに暴露してしまったのである。 同好の士であるミストとふたりで喋っているときならばいざ知らず、 彼女の母親――レイチェルの目の前で「男の子同士がとても仲良く≠オている様子を眺めていたいです」と 言った旨を力説するなど、今にして思えば正気の沙汰ではなかった。 それを抜きにしても、「発言」と言う行為に対してフィーナは非常に神経質(ナーバス)になっていた。 ただでさえ、モルガン大司教相手に失言を重ねてしまっているのだ。 酒まで入って理性が鈍った挙げ句、 教皇庁を愚弄する暴言など吐いてはいなかったのか、気が気でなかった。 それ故に「私、失礼なことを言いませんでしたか?」とタスクたちへ順繰りに尋ねるのだが、 誰も彼女の発言には触れようとしなかった。流石に心配になったニコラスが一緒に質しても、 何もおかしなことなど言っていないと、口を揃えて言い切るのである。 「クドリャフカさんよ、アンタとしちゃ、どうなんだい。教皇庁は悪口陰口が大嫌いだろ?」と、 やや挑発気味にレナスへ問い掛けるニコラスだったが、 モルガン大司教の愛弟子さえも肩を竦めてはぐらかす始末であった。 「人は皆、色々な意見を持つものですし、平等な世の中の為には、そうあるべきだと信じていますよ。 仮に教皇庁へ悪口陰口がぶつけられたとしても、それは得難い教えなのだと思います」 「……んじゃ、やっぱりフィーはマズいことを言っちまったんじゃねぇのかよ」 「それとこれとは別ですよ。おれは一般論がどうであるか、説明したに過ぎません」 「アンタの言う一般論ってのは、いちいち上から目線だよな。 教皇庁サマの御威光ってヤツでフィーのやらかし≠烽ィ目溢しってコトで頼むぜ。 ……そっちの聖騎士サンもひとつ頼むよ、この通り」 「ひとつだけ確かなことは、おれが知る限り、ライアンさんに不適切な発言は一切なかったと言うこと。 ですから、他の皆さんも『問題ない』と仰るのでしょう」 片方が敵愾心を抱いている所為か、どうしても緊迫した空気が垂れ込んでしまうやり取りを眺めながら、 フィーナは皆に大変な気を遣わせていること、ひいては危うい発言があったことを悟ってしまい、 いよいよ居た堪れなくなった。 レナスにもエカにも敵意を向けられてはいないので、決定的に教皇庁を貶めたわけではないようだ。 唯一、それだけがフィーナには幸いだった。 しかし、善からぬ発言があったことは確かである。最早、皆の顔を見ていることさえ恥ずかしくなり、 「風に当たってきます」とだけ述べて宿所を飛び出したのであった。 引き留めようとするタスクの声にも振り向かず――だ。 宿所の置かれた教会を出て彷徨う内に件の露天風呂へ行き着いた次第である。 訪ねたときには既に入浴可能な時間は過ぎていたのだが、 フィーナが姿を見せた途端に施設の側から丁重に迎えられ、 頼んでもいない内から支度が整っていき、 気付いたときには貸し切り同然の状態で露天風呂に浸かっていた。 彼女がモルガン大司教と関わりのある人間と言うことは村中に知れ渡っており、 機嫌を損ねては一大事とばかりに施設の側が気を利かせたわけだ。 教皇庁の威を借りるようで気が引けたものの、 独りになって頭を冷やさなければ宿所へ戻ることも出来なかったので、 フィーナはその厚意に甘えることにした。 この際、泉質などは関係ない。彼女が求めているのは乱れ切った心を包み込んでくれる静寂なのだ。 (皆に合わせる顔がないって言うか、どんな顔して会えば良いのか分かんないって言うか、……ダメだぁ〜) 窮屈なリボンから解き放たれて自由となったブロンドの長髪が大きく広がりながら水面を泳いでいる。 その様を眺めながら、湯に顔まで浸けたフィーナは溜め息代わりに泡を立てた。 「――泥酔者の入浴は禁止されていましてよ」 「え……ッ!?」 露天風呂には自分しかいないと油断し切っていたフィーナは、 不意に声を掛けられたことで仰天し、水飛沫を撒き散らしながら立ち上がった。 モーゼルもCUBEも宿所に置いてある。文字通りの丸腰――素裸なのだから当然なのだが――であり、 身を守る術など何ひとつ持っていないのだ。 湯に浮かべていたタオルを反射的に掴み、両手でもって握り締めたものの、 果たして、何かの足し≠ノなるのだろうか。確かに濡れて重みは持っているが、 これで打撃を加えたところで与えらえる痛手(ダメージ)など高が知れている。 不埒な痴漢程度であれば、背後まで回り込み、タオルで首を絞めることも出来るだろう。 しかし、これが武装した相手であった場合、いきなり生死を決するような事態となるわけだ。 もしも、施設の人間が刺客を招き入れたのなら、大声で助けを求めても無意味である。 (てゆーか! こんな恰好、アルにしか見せたことないんだからッ!) 己に降りかかるだろう様々な状況を想定しつつ、声の主を見据えたフィーナは、 その正体を確かめた途端に慌てふためいたことが恥ずかしくなった。 湯煙を背にしてフィーナの前に立っていたのは、件の軍用銃を貸し与えてくれたアンジーその人だったのである。 フィーナが手に持っている物と同じタオルで裸体(からだ)を隠しつつ歩み寄ってきた様子だが、 彼女が見せた意味不明な行動に驚き、双眸を瞬かせている。 それも無理からぬ話であろう。仮にも仲間と思っている相手に臨戦態勢が取ったのだ。 何事かと訝り、驚かないわけがなかった。 尤も、アンジーは直ぐにフィーナの心中を察し、口元に手の甲を宛がいながら愉快そうに笑って見せた。 「ご安心あそばせ。アタクシ、痴漢なんかではございませんことよ」 「……ア、アンジーさん……」 「それに痴漢と言うことなら、寧ろ、ライアンさんのほうではなくって? アタクシ、あんな乱暴なことをされたの、生まれて初めてでしてよ。 どう責任を取って下さるのかしら?」 「ふゥぐ……っ!」 アンジーたちに不適切な行為を働いてしまった――そのことに起因する自己嫌悪に呑み込まれていた為、 今の今まで彼女の気配に気付けなかったわけである。 思わず、「一体、何時の間に……」と漏らしそうになるフィーナであったが、 驚かせようと企んでいたようには見えないアンジーのこと、 おそらくは目の前に立つまでに幾度か名を呼んでいた筈だ。 現実世界とは別の場所に意識を飛ばしていたフィーナが周囲の情報を吸収出来なかっただけのことである。 「で、でも、どうして、私がここに居るって……」 「考え込む程でもなくってよ。道行く人に片端から尋ねて回っただけですわ。 聞き込み一〇人目で行方が判ったのはラッキーでしたわね」 「一〇人って! 普通に大変な人数ですよね!? ……えっと、私にご用でしょうか……」 「酔っ払いを野放しにするのは危険――目の届く範囲に入れておくのは当然ではございませんこと?」 「あう、……ごめんなさい……」 ますます落ち込んでいくフィーナの肩に右手を置いたアンジーは、 対の左手でもって水面を指し示し、自らも湯の中に身を沈ませていった。 「おうぅ――これはライアンさんを追いかけて正解でしたわ。足を伸ばせるお風呂なんて何年ぶりかしら」 「え、でも……アンジーさん、すごいお嬢様みたいだから、お家のお風呂も大きいんじゃ……?」 「ぬぐッ!? それはその――ロンギヌスに勤め始めてからはアパートメント住まいでしたから! アタクシたち、エージェントは帰省もままなりませんの! ええ、ずーっと大忙しなのですわ!」 「……本当にお疲れ様です」 「な、何なんですの、その意味ありげな表情(かお)は……っ?」 「いえ、別に……」 促されるまま再び湯に浸かったフィーナは、横目でアンジーの様子を窺った。 衣服を剥かれたことから先程まで怯えていたが、現在(いま)ではすっかり落ち着いたらしい。 サルーンでの騒動を怨んでいる風でもなく、これを見て取ったフィーナは密かに胸を撫で下ろした。 螺旋状に仕上げた両サイドの髪は水気を吸って湿り、緩く解けつつある。 それを愛らしく感じられるくらいにはフィーナ自身も心の揺らぎが鎮まっていた。 「……んっ? アンジーさん、あのぉ……」 「はい、何ですの?」 「何て言ったら良いのかな――萎んだって言うか、抉れました?」 「えぐッ……!? ど、どこがでございますの!? 何を言ってるんですの!? アタクシ、別に詰め物なんか使ってませんわ!」 「う〜ん、服着てるときのほうが膨らみも大きかったような?」 「さ、さ、錯覚ですわ! 可哀想に湯煙で目が曇ってるんですのね! アタクシの胸は、ご覧の通り、自己主張が抑え切れなくて……!」 「ちなみに、私、胸のことだなんて一回も言ってないんですよ。 お尻のことかも知れないし、悩ましいお腹回りのことかも知れなかったのに、 どうして、そこ≠ノピンポイントで反応しちゃったのかなぁ?」 「はうッ!?」 「……大丈夫! 私はアンジーさんの同志(なかま)ですからッ!」 「弾ける笑顔なのが腹立たしい半面、嬉しくて頼もしくて悔しいんですのっ!」 他愛のない話を経た後(のち)、アンジーは咳払いでもって仕切り直しを図った。 「――それで? 気分はもうよろしくて?」 「あっ、はい、もう大丈夫。へっちゃらです」 正体を失くすほど泥酔した姿を目の当たりにしているアンジーは、 大して時を置かずに入浴したことで具合が悪くなってはいないかとフィーナの身体を案じていた。 その気遣いが深く沁みたフィーナは、先ほどの醜態について改めて頭を垂れた。 糾弾されてもおかしくないような振る舞いを不問に付してくれたアンジーに対し、 後から後から罪悪感が押し寄せてきて、謝らずにはいられなかった。 「……本当にごめんなさい。私、取り返しの付かないことをしてしまって……」 「取り返しが付かないって何のことですの? アタクシの胸のことかしら――って、 何を言わせるんですの!? 何ら恥じることのない気品に満ちた膨らみですわよ!」 「そうですね、とてもお淑やかです」 「そうでしょう、そうでしょう――って、納得するとでも思いましてっ!? 今の『お淑やか』はちっとも嬉しくありませんわっ!」 わざと大仰に頭を掻き毟ったアンジーは、おどけた調子でもって「もう謝る必要はない」と言外に語っている。 フィーナの側も彼女の気持ちを受け止め、重苦しい謝罪の言葉を笑える冗談に換えたのだった。 「ライアンさんが酔って眠ってらっしゃる間にロッテンマイヤーさんから、……色々と伺いましたわ」 「貞淑さとゴージャスさを兼ね備えた殿方の理想像――それがアタクシですのよ!」と 一頻り笑った後(のち)、アンジーは少しだけ声を落とし、又、その調子を硬くした。 些か緊張を滲ませた面持ちからも察せられる通り、 タスクから聞かされたと言う話は、冗談を差し挟む余地のない内容(もの)であるらしい。 果たして、何を打ち明けられたのだろうか。アルトに於ける戦いの概略であろうか。 もしかすると、ギルガメシュによって故郷(グリーニャ)が攻め滅ぼされたことまで教えられたのかも知れない。 それは何処にでも居そうな少女が自ら銃を取り、過酷な争乱へ身を投じる強い動機でもあるのだ。 難民救済を掲げるテロリストの首魁がアルフレッドの実母―― フランチェスカ・アップルシードと言うことまで明かされていたとしても、大してフィーナは驚かない筈である。 コールタンがロンギヌス社と繋がっているのは間違いない。 ギルガメシュの最高幹部が情報を漏らしているのだから、 タスクが話すまでもなく、既にカレドヴールフの正体を把握している可能性すらあった。 アルフレッドの実母ならば、必然的にグリーニャに所縁のある人間と言うことになる。 それにも関わらず、故郷とも呼ぶべき村を焼き尽くしたのだ。 余人にとっては、ただそれだけでも相当に衝撃的であろう。 映画などで描かれる「極端に脚色された令嬢」の演技(つくり)を貫くと言う珍妙な趣味はともかくとして、 如何にも人が好さそうなアンジーは、故郷の焼亡と言う悲劇を背負いながらも戦い続ける凄絶な少女に 深い憐憫を感じているのかも知れない。 それだから、居ても立っても居られずにフィーナを追い掛けてきたのではないだろうか。 「例の内通者と会長がどんな話をしているのかは存じませんけど、 アタクシたち、エージェントには最小限の情報しか流れてきませんの。 ……でも、それでは余りにも寂しくありませんこと? アタクシたちは仲間として出逢ったんですもの」 「お互いのことを知らないままじゃ、ホントの仲間とは言いにくいですもんね。 でも、それを言うなら私もアンジーさんのことはまだまだ全然知らないなぁ。 私だけバレてるのって、ちょっとズルくないですか?」 「アタクシが歩んできた麗しのレジェンドをご所望かしら? 質問だって二四時間受け付けますわよ! てゆーか、これ以上ないと言うくらい丸裸にされた記憶がございますけど、もうお忘れかしら?」 「それとこれとは別問題じゃないですか〜。私、そのときのことも憶えてないし」 「ああ――それで思い出しましたわ。興奮して鼻血を噴かれることが人より多いとか。 ……アタクシをあんな目に遭わせておいて、鼻血の一滴も垂らして下さらないなんて屈辱でしてよ」 「鼻血が多いのは、えーっと、なんて説明したら良いか……タスクさん、余計なコトを喋ったなぁ〜」 「……そう言う色々≠ネことをひっくるめて、 誰かの又聞きなどではないライアンさんたちの本当の話を伺いたかったんですわ。 アナタたちがどんな気持ちでギルガメシュと戦ってきたのか――を」 「……それで色々=c…ですか」 「ええ、色々≠ナすの」 アンジーと言葉を交わす内にフィーナの予想は確信に変わっていった。 タスクは本当に色々≠ネことを明かしたようである。 おそらく同席していたであろうレナスとエカも、その色々≠受け止めたに違いない。 いずれは故郷の顛末も明かすつもりであったので、タスクの口から語られたことを不快には思わなかった。 寧ろ、辛い話を代わってくれたことを申し訳なく感じている程なのだ。 主人(マリス)だけでなく、仲間たちにも細やかな気遣いを忘れないタスクのことである。 他者の立場を危うくするような内容(こと)を話す筈がないとフィーナも信じていた。 (アルのことをすっごい毛嫌いしてるから、そこは何言われても仕方ないかなーって諦めてるけど……) 本当にタスクがアルフレッドのことを扱き下ろしたかはさて置き―― 決死隊が抱える色々≠ネ事情を受け容れ、その上で同志として接してくれるアンジーだからこそ、 艱難辛苦を分かち合うなどと殊更に気負って欲しくはなかった。 「惨劇の痛みと重みをアンジーにまで背負わせることを申し訳なく感じた」と言うべきかも知れない。 こうして寄り添って貰えるだけで十分なのだ。その喜びだけでフィーナの心は満たされるのである。 幾ら詫びても足りない失態を「もう謝る必要はない」と水に流してくれたアンジーと同じように、 故郷の悲劇など気にしなくて良いと伝えたいフィーナは、 彼女の口から厳めしい言葉が飛び出すよりも早く先手を取ることに決めた。 人の生死が関わる事柄だけに言葉を慎重に選んでいるのか、 やや俯き加減となったアンジーの背後まで素早く回り込んだフィーナは、 本人曰く淑やかな部分≠両手で持ち上げた。 実際には持ち上げるだけの膨らみではなかったのだが、 この得難い同志≠フ名誉の為、フィーナは「程よい重みが掌に伝わった」と捉えることにした。 改めて詳らかにするまでもなかろうが、甲高い悲鳴が夜空を引き裂くまでには一秒も要さなかった。 「ちょっ、ちょっ――ちょっと、ライアンさん!? 人が真面目な話をしようとしてるのに、 アナタ、一体、何をなすって……!?」 「……勝った!」 「おいこの、待ちやがれくださいまし! ライアンさんだって大概ですことよっ! 自分の抉れっぷりを棚に上げて勝ち負けを語るんじゃねぇでございますゥッ!」 「い〜やいや、これはどう考えても私の判定勝ちだって。 アンジーさんのが見果てぬ水平線だとすれば、私のは浜辺を歩く海亀の甲羅だもん。 この差は限りなく大きいよ〜!」 「異次元的な喩えで勝負そのものを誤魔化そうとしてませんこと!? ……こうなったら仕返しですわ! アタクシの手で白黒ハッキリさせて差し上げましてよ!」 「や〜ん、アンジーさんの変態〜」 「どの口がほざきやがるんですのかしらァッ!?」 「団栗(どんぐり)の背比べ」としか喩えようのない勝負≠ノ興じながら、 アンジーもまたフィーナの気遣いを察していた。 そして、その真っ直ぐな心根へ触れる内に、改めて彼女の力になりたいと強く願ったのである。 『在野の軍師』と呼ばれる要人の仲間――ただそれだけの雑兵≠ニ低く見られていたフィーナ・ライアンは、 しかし、上層部(うえ)から渡された情報とは比較にならない程の存在であった。 本当に色々≠ネことを背負い、今日まで血みどろの戦いを繰り広げてきたのだ。 二〇歳にも満たず、未(ま)だ面にあどけなさを残した少女が――だ。 それが何ともいじらしく、手を差し伸べずにはいられなかった。 「……応援したくなりますわ、お義兄さんとのことも……」 「――え? アンジーさん、今、何か言いました?」 「えっと、そのぉ――いいえ、……何でもありませんことよ」 タスクから教わったことの中には、フィーナに伏せておかなくてはならないこともある。 それはアルフレッド・S・ライアンを巡る複雑な人間模様のことであった。 酔った勢いでフィーナ自らが義理の兄≠ニの只ならぬ関係を暴露してしまったのだが、 その実態が如何に難儀なものであるのか、自身が仕える主人のことも含めて、 タスクは知り得る限りのことを明かしていったのだ。 あるいはフィーナの発言に対する補足説明と表すべきかも知れない。 いずれにせよ、これはアルフレッドたちと合流したときに無用な諍いを招かない為の措置であった。 事情を知らないノイの仲間の誰かがフィーナの暴露した内容をマリスの前で話そうものなら、 ただそれだけで三者の人間関係は破綻するであろう。 何時か必ずこの三角関係を清算するとアルフレッドは誓っていた。 現在(いま)のタスクに出来ることは、約束が果たされる日を待つのみである。 それまでは誰ひとりとして傷付いて欲しくない――この思いが強ければこそ、 タスクは意を決して三角関係にまで言及し、静かに見守って欲しいと頭を垂れたのであった。 この繊細にも程がある事情を察しているニコラスも、 「何ひとつ面白くもねぇクソったれた話だけど、……フィーの顔を立ててやってくれ」と アンジーたちに理解を求めた。二重に恋愛関係を結んだ恰好のアルフレッドを肯定は出来なくとも、 せめてフィーナの胸中を推し量って欲しい――と。 レナスが席を外した瞬間を狙って切り出した為、この話はアンジーとエカしか知らない。 そもそも、歪な人間模様にタスクが気付いていることはフィーナ当人さえ知らない筈なのだ。 タスク、そして、ニコラスが無理を承知で訴えたのは、 「誰が何≠ノ勘付き、何≠知っているのかを完全に伏せたまま、 今まで通りにフィーナと接する」と言う相当な難題であった。 それは、ただ見て見ぬ芝居(フリ)をすれば済むと言うことでもなかった。 個人の感情に於いては、アンジーはアルフレッドのことを汚らわしい鬼畜(けだもの)としか思えない。 実際に目の前に立ったなら、平手打ちの一発でも叩き込むかも知れない。 時空の壁によって隔てられているにも関わらず、制裁の衝動が身の裡から湧き起こって来るのだ。 知ってしまったことの一切を伏せる――これが意味するところは、 許し難い鬼畜(けだもの)に対する憤激をも封印することに他ならないのである。 渾身の平手打ちを繰り出せば、アンジー本人の苛立ちは晴らされるだろうが、 しかし、フィーナが一等苦しい情況へ追い込まれるのは必定。それだけは何としても避けたかった。 今でさえ不憫だと言うのに、これ以上、悲しい思いはさせられなかった。 如何ともし難い苦境を知ってしまったからには、 フィーナの心に少しでも寄り添っていたいと望まずにはいられないアンジーであるが、 彼女にばかり偏っても三角関係は拗れるだろう。 胸中に染み出した疑念はともかく、面と向かって問い質したわけではないマリスが アルフレッドの愛情を受け取っている相手を見定めたとき、おそらく正気を保つことは難しかろう。 これこそ最悪の事態なのだが、疑いの目を止められなくなってしまった人間とは、 他者(ひと)の些細な言行にも異常なほど過敏に反応するものである。 こうなると、他者の目線ひとつまで細かく拾い上げるようになり、 そこから隠蔽された事実が露見する場合もあるのだった。 マリス・ヘイフリック、アルフレッド・S・ライアン――このふたりと対面したとき、 果たして、タスクが期待するように心を無にしていられるだろうか。 瞬間的に噴き出す激情を抑えられるのか。現在(いま)のアンジーには自信がなかった。 ただひとつだけ確かなことは、この不憫で健気な少女の力になってあげたいと願う心である。 「――居た居た、ホントに居たよ。アタシだけ除け者にして、ふたりきりで心を通わせるなんてズルいなぁ。 村中、片っ端から駆けずり回ったんだけどなぁ、アタシ」 真実を隠し続けることが正しい判断であるか、そうでないのかはともかく、 フィーナにとって最善と思われる選択肢≠考えていこうとアンジーが気を引き締め直した矢先、 辺り一面に垂れ込める湯煙を突っ切ってエカ・ランパートまでもが姿を現わした。 冗談めかした言葉からも察せられる通り、エカもまたアンジーと同じようにフィーナを捜し回っていたらしい。 その目的も一緒であると考えて間違いあるまい。 「アンジーちゃんもさぁ、出掛けるときは一緒だったんだから連絡の一本も頂戴よ。 自分だけあったかい思いするのはズルいってば〜」 「申し訳なくは思っておりましたのよ? でも、アタクシたちってメールアドレスは勿論、 モバイルの電話番号だって存じ上げてませんし、連絡の付けようがなかったんですわ」 「あれ? マジ? そーだっけ? じゃあ、湯上りに速攻で交換しようね。 フィーちゃんもメアドと電話番号、よろしくねっ!」 「是非是非――って言いたいところなんですけど、私、向こう≠フモバイルしか持ってないんですよ。 それは流石にこっち≠カゃ使えなくて……」 「モバイルくらいロンギヌス社で用意致しますわ。他でもない同志に不便はさせなくってよ」 「そうですよね、私たちはお淑やか%ッ盟ですもんね!」 「いっそ羨ましいですわ! 淑やかさ≠ノ堂々と胸を張れるライアンさんがッ!」 「張れる胸なんか、最初からありませんけど」 「自虐はお止しになって。アタクシの胸までシクシクしちゃいますの……!」 フィーナとアンジーが冗談を飛ばし合いながら笑う姿を見て取ったエカは、 先程までの心配事が消滅したと胸を撫で下ろし、次いで「先を越されちゃったかー」と相好を崩した。 落胆したまま宿所を出ていったフィーナを追い掛け、慰めようと考えていたエカであったが、 最早、その必要もなくなったと言うわけだ。これ以上に喜ばしいことはあるまい。 「おっとっと、聖騎士(パラディン)や教皇庁だってロンギヌス社には負けてないよ。 備品の支度は先に取られちゃったけど、ハッキリ言って人探し業務には自信アリ! そっちでポイントを挽回してくから、フィーちゃんも楽しみに待っててね〜」 「ええ、はあ……」 上体を反らせて笑い続けるエカであったが、彼女が身動(じろ)ぎする度に 自己主張の強い部分が厭味のように突き出されるのだった。 露天風呂の只中に在るのだから、当然の如く素裸である。 しかし、女同士と言う気安さからエカは程よく弾力性のある肉体(からだ)を タオルでもって隠そうともしていない。 それはつまり、己の肉体(からだ)に自信を持っていると言うことだ。 実際、エカの肢体は夜空に映えて美しい。やや太めの四肢を滑り落ちる玉粒の汗も健康的な艶を醸し出していた。 そして、その自己主張の激しさに接したフィーナとアンジーは、瞬く間に双眸の光を失った。 「アンジーさん……」 「……ええ、宜しくってよ」 淑やかさ≠フ一点に於いて揺るぎなく結束しているフィーナとアンジーは、 死んだ魚のように濁った目で互いの顔を見つめ、次いで無言で頷き合った後(のち)に勢いよく立ち上がった。 その面には哀しい使命感のようなものを貼り付けている。 この瞬間(とき)、フィーナとアンジーの心は全くひとつに合わさったのだった。 「どしたの、ふたりとも? めっちゃ手をワキワキさせてるけど――」 ふたり揃って爛々と瞳を輝かせ、忙しなく五指を開閉させている。 その奇怪さに首を傾けて間もなく、「ふたりがかりで揉みしだくなーッ!」との悲鳴が ギガデスの夜空に木霊(こだま)したのだが、これは余談の域も出ないこと。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |