9.教皇庁の人々


「――ニシンのバターソテーは皮にしっかりと焦げ目を付けてください。
それから、溶けたバターが付け合わせの野菜まで染みないようご配慮頂けると嬉しいですね」

 そう言って、モルガンは己の座した卓の注文が全て完了したことをウェイトレスに告げた。
 現在(いま)は紺色のストールも店側に預けており、清潔なワイシャツにスラックスと言う出で立ちだ。
教皇庁の神官と言うよりはビジネスマンのようである。
 彼と同じ卓にはフィーナたちも座っている。ストーンヘンジからこの小村に移った一行の中では、
レナスだけが隣の卓に着席しており、そこにはモルガンが伴ってきた女性聖騎士の姿も在った。
 そのレナスはモルガンのことを師と敬っている。レナスを教え導いたのがモルガンその人であり、
現在も彼の手足となって働いているのだと言う。
 それなのに、モルガンのほうは弟子には別の卓に座るよう指示していた。
慕って止まない人物から遠ざけられた形なのだが、それでもレナスは師の横顔を一途に見つめており、
同じ卓に座した女性聖騎士などは、如何にも気の毒そうな面持ちで肩を竦めたものである。

「何しろモルガン師は教皇庁随一の食通ですから。先ず食材の味に重きを置いておられるのです。
教皇庁の公式ブログにも、『ソースにも素材の個性を追い求める』と詳しく――」
「――おやめなさい、レナス君。身内の話など人前でするものではありませんよ」

 誰に訊かれたわけでもないのに食の好みを紹介するなど、
モルガンに対する尊崇の念を隠そうともしないレナスであるが、
しかし、彼は最愛の師から訪問の予定すら伝えられていなかったのだ。
 そのモルガンは異世界の同志たちにどうしても挨拶がしたくて駆け付けたと言う。
 転送事故の影響で総員が揃わなかったことを残念だと述べ、
離れ離れになった人々が無事であるようにとイシュタルに祈って見せたモルガンだが、
ストーンヘンジと言う危険地帯への出迎えにはレナスを差し向けておいて、
自分だけは安全な場所に訪れている辺り、穏やかな物腰に騙されてはいけないようだ。
 このように腑に落ちない点もあるにはあるのだが、さりとて追い返す理由にはなるまい。
 教会の敷地内へ設けられた宿所にて教皇庁の大司教を迎えることとなったレナスとフィーナたちは、
モルガン当人の提案を容れて最寄りのサルーンへと移った次第である。
 そろそろ夕暮れを迎える時刻である。食事でも摂りながら語らおうと言うわけだ。
丁度、この時間帯には酒と食事を求めて陽気な客たちがサルーンに詰めかけ、
大いに賑わっている筈なのだが、今日ばかりは不気味なくらいに静かである。
店内に置かれた一〇を超える円卓も現在(いま)は二枚しか使われていない。
 それもその筈で、モルガン大司教の訪問に仰天した教会の人間が大慌てで手を回し、
先に入店していた客を無理矢理にサルーンから追い出してしまったのだ。
 当然ながら追い立てられた客たちは面に「不服」の二字を貼り付けていたが、
しかし、相手がモルガン・シュペルシュタインならば素直に従うしかなかった。
ヨアキム派を代表するこの男は教皇に成り代わって庁内を取り仕切っており、
言わば、影の最高実力者≠ネのである。
 何かの拍子にモルガンの怒りに触れようものなら、
目立った産業も持たない小村など容易く取り潰されてしまうことだろう。
 この男が背にする教皇庁の権威は、それ程までに恐ろしいのだ。
イシュタルの名のもとに他者の権限や任務を操り、時には法律をも捻じ曲げ、
更にはMANAにて天空を飛び交う権利まで人々から奪い取ってしまえる。
 ガンマレイに対抗する前線基地などと言う触れ込みとて教皇庁の前には塵芥も同然。
消滅の憂き目に遭わない為にも教会の人間は店の内外に張り付き、
関係者∴ネ外の入店を著しく制限しているのだが、
そのように物々しい空気の中で食事を摂っても味など感じられまい。
 フィーナの前には肉汁滴るカツカレーが運ばれてきたものの、
食欲旺盛な彼女でさえ、現在(いま)はスプーンもフォークも取れずにいるのだ。
 ニコラスだけは委縮するのが馬鹿らしいとばかりにチーズステーキサンドへ齧り付いている。
 注文した料理が皆の手元に行き届いた頃合いを見計らって、
フィーナは異世界(ここ)に至る経緯を説明しようと口を開いた――が、
向かい側に腰掛けているモルガンは、希望通りに焦げ目の付いたニシンの白身を切り分けながら、
「事情は伺っております」と彼女の言葉を遮った。
 些か不調法な態度ではあるものの、自分たちの情報が把握されていたことに関しては、
フィーナの側に驚きはない。説明不要と言いつけられた瞬間など、
心中にて「案の定」と呟いたくらいである。

「――成る程、よく分かりました。コールタン氏は本当に気配りの御方でございますね。
私どもの為にここまで根回しをして頂けるとは……。
正直申しまして、何も知らない場所にただ放り出されたならどうしようかと案じておりました。
聞くところによると、教皇庁(そちら)とも大変に昵懇の御様子。これほど心強いことはございません」

 タスクは敢えてコールタンの名前を出した。
 この時点では互いに内通者の詳細は確認していない。
ストーンヘンジに派遣されたレナスにさえモルガンから内通者の委細を伝えられていなかったのだ。
 教皇庁に内通したギルガメシュの寝返り者の正体を確かめるべくタスクは罠を張ったわけである。
 十中八九、コールタンであろうと誰もが思っているのだが、
それでも完全に把握しておかなければ精神的に落ち着くまい。
 タスクの思惑に勘付いたアンジーも、関心がないと言った面持ちでビーフステーキを頬張りつつ、
しっかりと耳を澄ませている。
 彼女もまたロンギヌス社から遣わされた身であるが、やはり最小限の情報しか教わっていない。
上層部(うえ)が秘匿している事柄へ興味を引かれるのは自明と言うものであろう。
 タスクの仕掛けた罠≠ノ対し、モルガンは微笑みすら浮かべながら、
「考えてみると、コールタンさんを通じて私たちは繋がったとも言えますね」と、
事もなげに寝返り者の正体を明かして見せた。

「不肖、この私がコールタンさんと遣り取りをさせて頂いておりますが、
あの御方は実にご聡明。女神イシュタル様への信仰も篤く、
そう言った意味でも我らと歩みを共にしていると言えましょう。
この先の時代に何が必要で、今、何をしなくてはならないか――
もしかすると、世界の在り方を真に見極めておられるのはあの御方かも知れません」
「……べた褒めでございますね」
「あの御方が如何に優れ、先見の明を持っておられるかは、
向こう≠ナお会いになった貴方がたもご存知かと」

 何とも白々しい薄笑いであった。顔立ちが整っている為、見た目には清々しく爽快なのだが、
腹立たしいくらいに涼しげな瞳では、「そちらの目論見などお見通し」と言外に語っている。
 心の内を見透かされたものと悟ったタスクは、己の罠が浅はかな小細工のように思えてならず、
穴があれば入りたい気持ちであったのだが、それをおくびにも出さないままモルガンと対峙し続けた。
 羞恥と悔恨を押し殺していることさえも大司教には見破られているだろうが、
ここで心を折られては仲間たちの顔にまで泥を塗ってしまうと気を張り、
何とか踏み止まっているわけだ。

「コールタン氏は早くからギルガメシュに入り込んで綻び≠探していたのよ。
昨日今日、寝返ったワケじゃないってコトね。
最初からヤツらを潰すつもりでギルガメシュに潜入したスパイってヤツ。
それだから、アタシたちも信用して情報交換出来てるのよ」

 そんなタスクが憐れに思えてならなかったのか、
隣の卓へレナスと一緒に座していた女性聖騎士がモルガンの言葉を引き取った。
 顔を合わせた際、フィーナたちにエレニアック・アン・ランパートと名乗った女性である。
『エカ』と言う愛称(ニックネーム)で呼ばれており、
大司教を警護する為に本来の任務から外れ、仕方なく同行させられているとも語っていた。

「おやおや、私のお話ししたかったことをエカさんが代わりにして下さいましたね」
「ウソ吐きなさいよ。あんた、ちっとも喋る気なかったでしょ〜が。
あのチビ助を褒め千切る暇があるなら、もっとお互いのタメになるようなことを言いなさいよ」
「チビ助とは些か口が過ぎますね。あの御方の耳に入ったら大変ですよ」
「密告(チク)るとしたらアンタだけだし、大丈夫! 
本当にチビ助にバレてたら、アンタひとりをシメりゃ良いんだもの。
……話、聞いてる限りじゃ、どうもライアンさんたちは
チビ助と面白おかしく付き合ってるワケじゃなさそうだしね、アンタと違って」
「博愛の精神もまた神々の教えですよ」
「どのツラ下げて博愛とか語るんだか……」

 「仕方なく同行させられている」と言い切ったことからも察せられる通り、
エカは今回の任務について甚だ不本意である様子だ。
 それが証拠――と言うべきか、モルガンに対する態度もレナスとは正反対。
手厳しい指摘(ことば)をひっきりなしに浴びせていた。
 最愛の師に向かって暴言を吐き続けるエカの横顔をレナスは無言で見つめ続けている。
直接的に面を睨み据えることだけは憚ったのか、
毛先の辺りから内巻きとなっているオレンジの髪へと視線を注ぐ恰好で――だ。
 看過し難い状況に接しても依然として微笑を崩さないのだが、それが却って不気味である。
 仮に笑顔と言う仮面の裏で憤怒を押し殺していたとしても、
おそらくレナスはエカに対して何も言えないだろう。
 エカはモルガンの物と同じサークレットを額に嵌め、
着衣の上に締めた腰の剣帯(ベルト)から誓約のサーベルを吊るしている。
プルオーバーのタートルネックニットにハイウエストのフレアスカートと言う愛らしい装いなのだが、
この装備を以てして正規のパラディンと言う立場を端的に表しているのだ。
 そして、これこそがレナスがエカに口を挟めない理由と言うわけであった。
 年の頃は二〇代前半くらいと見えるが、四〇路に届いているだろうモルガンと比して若年にも関わらず、
エカは教皇庁内部に於いてそれなりの身分≠ノ在ると言うことである。
 聖騎士と言っても見習いの域を出ないレナスが正規のパラディンに歯向かうなど、
ノイのエンディニオンに於いては分不相応の過ち≠ネのである。
 レナスの声は平然と遮り、彼の了承も得ないまま一方的に打ち切ってしまうモルガンですら、
エカの話には耳を傾け、自分のほうから会話を持ち掛けていくのだ。
 フィーナはそこに「身分の違い」と言うものを感じざるを得なかった。
位階を比べた場合に於ける「違い」とは、区別あるいは差別と言い換えても差し支えあるまい。

「ギルガメシュが『難民』と定めた人々のこと、皆さんは既にご承知のことと存じますが――」
「だから、オレがここにいるんだろうが! 間抜けも大概にしておけよ、大司教サンよ!」
「……ほら、見なさいよ。あんたの勿体ぶった喋り方、いつか怒られると思ったわ」
「これは失敬――」

 教皇庁に関わる三者の言行からフィーナと同じように身分差別を感じ取ったニコラスは、
この組織に対して最初から抱えていた悪感情を一等加速させている。
 特にモルガンには敵意にも近い想念を向けている。
ヨアキム派は教皇庁内部に布かれた古い身分制度の改善に取り組んでいると、嘗てニコラスは聞いていた。
しかし、現実はどうか。同派を代表する大司教の言行は「改善」の二字とは正反対ではないか。
 それとも、モルガン・シュペルシュタインと言う男は、
教皇庁と言う組織の闇≠ノ呑み込まれてしまったとでも言うのだろうか。

「ヴィントミューレさん……仰りたいことは分かりますが、ここは落ち着いて下さい。
モルガン師も悪気があってのことではないのです」
「……あんた、自分の言ってるコトが解ってねぇな」
「おれのほうは冷静ですよ」
「冷静だからドン引きしちまうんだよ……」

 エカと違って身分に差がないと見て取ったレナスは、ニコラスに対しては自重を促している。
 そんなレナスをニコラスが睨み返したのは言うまでもなかろう。
 この場に於いてレナスこそが最も深刻な被害を被っている筈ではないか。
それなのに、彼は自分を蔑ろにする「モルガン師」を庇っている。
身分制度がもたらす痛みを痛みと感じさせない教皇庁の刷り込みがニコラスにはただただ恐ろしかった。
 嘗てノイのエンディニオンでは、身分と言う名の等級で人間を選り分け、
その人生をも不当に縛る悪しき王制がはびこっていた。
 だが、それも過去のことである。王侯貴族から平民や貧民などと呼ばれていた人々も
時代(とき)の流れの中で力を付け、支配階級を引っ繰り返し、現代では肩を並べて共に歩んでいる。
即ち、誰もが歴史の担い手となったわけである。
 世界全土で社会の仕組みが見直されていると言うのに、
人々を正しき道へ導かなくてはならない筈の教皇庁では古く悪しき因習が罷り通っている――
これほど愚かな話は他にあるまい。
 モルガンもモルガンで口先では「失敬」と詫びておいて、
何事もなかったかのように次なる話題へ切り替えようとしている。
それはつまり、身分制度について己に誤りなどないと信じ切っている証左と言えよう。
 最早、何を訴えても無意味と悟ったニコラスは、
ウェイトレスに追加の注文を言い付けると、それきり黙りこくってしまった。

「話が途切れてしまいましたが――ここ数年、こちら≠ナは人や建造物、
時には都市、地殻そのものが消失すると言う怪事件が頻発しております」
「『神隠し』と呼ばれる事件のこと……ですよね?」

 フィーナの言葉にモルガンは重々しく首を頷かせた。

「コールタンさんと接触を持つようになってから、ようやく教皇庁(われわれ)も把握出来たのですが、
こちら≠フ世界で『神隠し』の被害に遭った存在(モノ)は、
そちら≠フ世界へ強制的に飛ばされていたようですね。
サイエンスフィクション風に喩えると、ワープやテレポーテーションと言うべきでしょうか。
……皆様はギルガメシュの装置を使ってこちら≠ノお出で下さりましたが、
その逆回しと申しましょうか――」
「――逆とは言えませんよね。異世界に渡るって言う結果(こと)だけは同じですけど、
私たちの場合はコールタンさんの根回しがありましたし、
こうして教皇庁やロンギヌス社の人たちと合流出来ました。
……向こう≠ノワープさせられた人たちにはそんな準備なんかない。
何の保障もないまま放り出されてしまった難民です」

 ノイからアルトへ転送させられた人々の境遇(こと)を『難民』と言い切ったフィーナや、
そうした難民の苦しみを己の目で見てきたと示すよう頷いたタスクに対し、
モルガンは静かに目を細めた。
 アルトから訪れた決死隊の要員(メンバー)たちは、
ノイが巻き込まれた難民問題の本質を正確に捉えていると認めたのであろう。

「不肖、このモルガン・シュペルシュタインは、
消失した人や物を探す『未確認失踪者捜索委員会』の長を務めておりました。
……力不足の為に今日(こんにち)まで原因究明にも至らない有り様ですが……」
「コールタンとか言うチビ助も怪現象(コレ)が起きた原因に関しては何も言わないのよ。
ギルガメシュもそこまでは解ってないってことかしら……」

 そう付け加えたエカも、モルガンが率いる『未確認失踪者捜索委員会』の一員だったと言う。
現在は来るべきギルガメシュとの攻防に備えて本来所属していた部隊に戻っているそうだ。
 尤も、所属が変わった後(のち)までモルガンの護衛に駆り出されてしまう辺り、
帰還以降も余り落ち着いてはいられない様子である。

「そうでした――ヴィントミューレ君、キミたちのことも捜していたのですよ。
ご存知かどうかは分かりませんが、アルバトロス・カンパニーの社長とも
未確認失踪者の捜索で協力体制を取っておりましたから」
「……ああ、ボスから聞いてはいるよ」
「私はあの方に手を差し伸べて貰えたこと、誇りに思っています。
運送に出向いた先で見聞きしたことを積極的に――それこそ一日に何度も報せて頂いて……。
社員を心の底から愛しておられる。実の家族のように……あの方の博愛の精神(こころ)には
深く感じ入った次第であります」
「ああ、教皇庁(あんたら)とはよろしくやってたみたいだよな。
お陰でナントカって言うオバさん神官にも出くわしたなァ」
「ええ、それにも驚かされました。よもやフィガス・テクナー自体が『神隠し』に遭遇するとは……」
「――てゆーか、あなたたち、クインシーのオバちゃんにも会ったの!? 
オバちゃん、元気だったっ? 元気じゃない姿が想像出来ないけどっ!」
「元気っつーか、うるせぇだけだったよ。あんなに煩わしい人間、滅多にいねぇってくらいだ」
「いつものオバちゃんだよ! いやぁ、『神隠し』に巻き込まれたって聞いてから
気が気じゃなかったんだよねぇ〜。やっと胸を撫で下ろせたわぁ〜」
「いつもあんな感じなのかよ! そっちのほうが問題じゃねェ!?」

 教皇庁で言うところの未確認失踪者となってしまったクインシーの安否を純粋に案じ、
息災であるとの話に胸を撫で下ろしたエカのことはともかく――
ニコラスはモルガン大司教に対する嫌悪感を更に深めていた。
 本人も言及しているが、モルガンが未確認失踪者捜索委員会への協力を
ボスに持ち掛けたこともニコラスは知っている。
そうした関係があったればこそ、大司教の意を受けてフィガス・テクナーを訪れたクインシーとも
遭遇することになったのだ。
 だが、その実態はモルガンが語った内容(こと)――
『神隠し』に巻き込まれた社員への救済からは大きく外れていた。
 広域を活動範囲とするアルバトロス・カンパニーに目を付け、
労せずして情報収集の駒を得られるよう仕組んだとしかニコラスには思えなかったのだ。
言わば、自分たちの遭難が利用されたようなものである。
 それを教皇庁とアルバトロス・カンパニーの結託と言う美談めいた語り口で
強引にまとめたモルガンには憤懣以外の感情など湧く筈もない。

(……アルが居てくれたら、このいけ好かねぇペテン師をぎゃふんと言わせてくれたんだろうけどなぁ……)

 最早、モルガンの声を聴くことさえ鬱陶しくなったニコラスは、
新たに運ばれてきたフライドポテトを摘まみながら適当に相槌打つのみとなった。
 モルガンに対する全ての興味がニコラスから消え失せたと見て取ったエカは、
思わず舌打ちをしそうになった。無論、苛立ちを叩き付けたい対象は自分が警護すべき対象である。
 大司教がボスをフィガス・テクナーに訪ねた折、
当時まだ未確認失踪者捜索委員会の一員であった彼女も随伴していた。
それ故、ニコラスがモルガンの何≠ノ対して辟易したのか、この場の誰よりも察せられたのだ。
 あの恩着せがましい物言いに腹を立てるなと強いるほうが無理であろう。
 隣に座したレナスに向かって「師匠の不始末は弟子が何とかしなさいよ」と
八つ当たりをしたくなったエカであるが、
彼のモルガンに対する尊崇――否、盲信を即座に想い出し、何を言っても無駄だと諦めた。
 今頃、レナスはモルガンとボスの美談に感動し、
ニコラスが関心を示さなくなったことを本気で訝っていることだろう。

「――その捜索と言うのは、身分の違いによって優先順位が変わるのでしょうか」

 エカが溜め息を吐こうとした瞬間、フィーナがモルガンに向かって凛と響く声を発した。
アルトから訪れたばかりの人間でありながら、教皇庁の身分制度へ踏み込もうと身を乗り出したのである。
 教皇庁――とりわけ、ヨアキム派へ属する人間からすれば、不敬とも言うべき態度であろう。
驚いたレナスは腰を浮かせそうになるが、これはモルガン当人が片手を挙げて制した。
 何とも表し難い面持ちで座り直したレナスは、またしても奇妙な呪文を唱え始めたのだが、
今や彼を振り返る者などひとりも居ない。

「……この子……」

 ヨアキム派の最高実力者とも言うべき大人物相手に全く物怖じせず、
身分制度と言う教皇庁の暗部を問い質そうとするフィーナにエカの目は釘付けとなった。
 ニコラスもタスクも、すっかり話に入り込めなくなって飲み食いに専念していたアンジーさえも、
フィーナが見せた決然たる表情(かお)に息を飲んだのだ。
 そして、そのフィーナは向かい合わせに座したモルガンと視線を交えている。
憎悪を込めて睨み付けるのでもなく、ただ静かに大司教を見据えている。
 相対した人間へ恐怖を植え付けるほど鋭敏なモルガンは、
フィーナの心中に渦巻く義憤など当然の如く読み切っていた。
 これもまたコールタンより知らされた情報であるが、
フィーナとその仲間たちは、ワーズワース難民キャンプなる場所にて
ガリティア神学派の信者たちと深く関わったそうなのだ。
 件の難民キャンプが悪夢の暴動によって全滅の憂き目に遭った瞬間にさえ居合わせたと言う。
 そのガリティア神学派とは、宗派の始祖たる預言者が神託に基づいて定めた教義を
厳格に守る者たちであり、難民キャンプに於いてさえ身分の差を徹底し、
位階の上下でもって居住区すら分けていたとも聞いている。
 教皇庁の在り方に詳しくない者にとって、
それは歪められた意識(こころ)のようにも見えただろう。
 ノイの出身者からも教皇庁の因習(しきたり)を否定する声が上がっているくらいなのだ。
とりわけ若い世代には時代錯誤とまで嘲られる始末である。
 モルガンに言わせれば、それらは全て取るに足らない感傷に過ぎなかった。
フィーナに至っては、身分制度そのものを本当に理解しているわけでもないのだ。
ワーズワースで犠牲となった難民(ひとびと)への思いが彼女の心を支配し、
尤もらしいことを吐かせているだけであった。
 そもそも、ヨアキム派とガリティア神学派の教義を混同している時点で
失笑を禁じ得ないモルガンなのだが、如何に相手が蒙昧であろうとも
ギルガメシュと共に戦う同志に変わりはない。
 努めて友好的に、そして、暴動で生命を落とした犠牲者への憐憫を面に貼り付け、
フィーナが最も納得し易いだろう形で向き合うのだった。

「成る程、読めました。ライアンさんが仰りたいのは、ハブール難民のことですね。
ワーズワースと言う難民キャンプで全滅させられたと言う……」
「私は――ううん、私たちはそこでイシュタル様の熱心な信徒さんたちと仲良くさせて貰ったんです。
……それなのに、一番大事なところで何も出来ませんでしたけど……」
「ええ、コールタンさんからあらましは伺っております。
そこでライアンさんは教皇庁(われわれ)のことも教わった――と言うことですね?」
「……皆さんとは違うタイプだったみたいですけど」
「宗派――ですね。……そう、我々とは宗派が違えど、
ハブールの人々が犠牲になったことは大変に惜しいと感じておりますよ。
嘆かわしいと申しても過言ではありますまい――」

 そこでモルガンは言葉を区切り、如何にも深刻そうな面持ちで苦悶の溜め息を零した。
 「モルガン師」の慈悲の深さに感動して肩を震わせているレナスはさて置き――
エカは「また始まった」とでも言わんばかりに顔を顰めた。
 モルガン・シュペルシュタインと言う男は、狙いを付けた相手を篭絡しようとする際、
相手の心にするりと入り込む――寧ろ、付け込むと言うべきか――ような言葉を的確に選ぶのだ。
 案の定、フィーナは異なる宗派の犠牲者を悼むモルガンに対して、
意外そうな表情(かお)を見せ始めた。
 篭絡に向けた第一歩は効果覿面だったとモルガンは確信している。

「ハブールはこちら≠ナも有数の宗教都市。そこで暮らす民は、誰もが勤勉で敬虔でしたよ。
教皇庁から遣わされたベテランの神官も、子どもたち相手に神々の教えを熱心に伝導していたと
風の便りに聞いておりました」
「難民キャンプの皆さんが信仰に熱心だったことは、……痛いくらいに伝わってきました。
イシュタル様の――えっと、石像まで持ち込んでお祈りを捧げていましたし……」
「そう、それこそが彼らなのです、女神信仰に全てを傾けると言う。
……身分制度と言ってしまうと、どうしてもネガティブな印象を与えがちですが、
宗派を開いた預言者やイシュタル様との約束を守り続けているだけなのですよ。
今風ではないかも知れませんが、伝統と呼ばれるものは保ち続けることに意味があり、
尊重されてきた理由があるのです。ハブールの民の為にも神々との約束について
ご理解を賜れたなら幸いなのですが……」
「言い方がいけなかったのなら謝ります。
私も教皇庁の伝統とか教えを否定するつもりはありません。
……けれど、人の上に人を作るようなことは、
イシュタル様が一番悲しまれるんじゃないかなって……それが心配なんです」
「創造女神の名のもとに平等であるべき人間の生命に、
教皇庁(われわれ)の方針で序列が作られているのではないか――
ライアンさんはそのことを案じておられるのですね」
「はい……!」

 モルガンに対する態度は僅かに柔らかくなったものの、
己の考えは堅持したままであり、意見を翻す素振りさえ見せなかった。
 これはモルガン当人にも想定外であったらしく、ほんの一瞬ながら眉間に皺を寄せた程である。
 アルトとノイ――ふたつのエンディニオンでは、
形態の違いこそあれども創造女神イシュタルと、その子たる神人たちが深く信仰されている。
 そこでモルガンは「神々との約束」なる耳当たりの良い言葉を用いて
教皇庁内の因習(しきたり)を受け容れるよう誘導したのだが、
尚もフィーナは納得出来ずにいるらしい。
 突き詰めていくと、それは神々に対する不敬にもなり兼ねず、
大司教と言う立場からも心がざわめくのだった。
 無論、感情(こころ)の揺らぎを表に出すようなモルガンではない。

「……余り気持ちの良い話ではありませんけど、
向こう≠ナも人間らしさ≠蔑ろにされることがありました。
こちら≠ゥら飛ばされてきた難民の皆さんを侵略者のように決め付ける人も居たんです」
「ギルガメシュのことでしょうか?」
「いえ――難民全体を攻撃対象にするような感じです。
ほんの一握りだったんですけど、サミットって言う世界中の偉い人が集まる会議でも
難民なんか認めるべきじゃないって言われてしまって……」
「殆ど害虫扱いと言うワケですか。……いやはや、そこまで誤解されているのは些かショックです」
「これもひとつの序列だと思うんですけど――でも、そんなのは許さないって、
真っ向から反論してくれた人もいたんですよっ! 
それが向こう≠ナイシュタル様への信仰とか儀式を取り仕切っていた人なんです!」
「それはまた興味深い。是非とも一度、膝を交えて話をしたいものです」

 初耳のように振る舞うモルガンであったが、
難民排斥運動を先導したアルカーク・マスターソンのことも、
マコシカのレイチェル酋長のことも、全てコールタンから聞かされて把握していた。
フィーナの出方を窺う為にも、敢えて知らない芝居(フリ)をしているわけだ。

「ギルガメシュ自体も難民救済を掲げて結成されたそうですが、
心の準備も出来ない内に向こう≠ヨワープさせられる不安や恐怖の受け皿とは成り得ないようですね。
『神隠し』の中で台頭した組織にも関わらず、やっていることは侵略戦争以外の何物でもありません」
「ギルガメシュとの戦いは泣きたいくらい厳しかったけど、
それを通じて人間らしさ≠チて言うのをたくさん見つめ直すことが出来ました。
……人は何かによって住む世界を切り離されてしまうことがあるかも知れませんが、
それでも、人間同士だから絶対に分かり合える――
綺麗事なんかじゃなくて、本当に強く実感しています」
「……ほう。ライアンさんは長らくギルガメシュと戦っておられたと伺いましたが……」
「ギルガメシュのやり方に納得出来ない人たちが集まって連合軍と言うのを結成したんですけど、
私たちもその一員として合戦に出ていました。
さっき、ちょっと話題になったクインシーさんも連合軍に加わっていたんですよ? 
現地で顔を合せなかったし、戦場まで出ていたかは聞いていないのですけど……」
「確か、砂漠で行われた戦いとか……それにしても驚きました。
虫も殺めないような顔をしながら、戦うべきときにはしっかりと戦うのですね」
「……それなりの事情≠ェありましたから――でも、辛いことばかりじゃなかったんですよ? 
折角、友達になれたのに生まれた世界の違いから敵と味方に引き裂かれて、
合戦場で巡り会うってコトもあったんですけど――」
「いえ、あの……それは、どう聞いても悲劇のようにしか思えないのですが……」
「――それぞれが生きる為に戦うしかありませんでしたから。
そればっかりは悲しいとか苦しいとか、言ってはいられません。
……でも、最後まで友情を信じて行動してくれた人がいました。
その人のお陰で、私の幼馴染みはどん底から救われたんです。
今、ギルガメシュから抜け出すことは難しいけど、
いつか必ず同じ道を一緒に歩いていこうって約束してくれた人たちも居るんです」
「……ふたつのエンディニオンで生まれた者同士の――敵と味方に別れて戦った人たちの約束ってコトよね?」

 これはモルガン大司教ではなくエカ・ランパートから寄せられた問いかけだ。
 あの日、ノイの友人たちと交わした約束を振り返りながら、フィーナは深く強く頷き返した。

「合戦自体は連合軍のボロ負けでしたけど、戦いに勝つこと以上に大切なものをたくさん見つけられました。
もしかすると、ギルガメシュに勝っていたら、逆に取り零していたかも知れませんね。
……人生、何がどう転がるか、本当に分かりません」

 先程からフィーナが語っているのは、ギルガメシュと連合軍の武力衝突となった熱砂の合戦である。
 これはモルガンだけでなく、教皇庁の誰もが経験していない未曽有の事態であった。
両宗派の聖騎士団も、来るべき機(とき)に向けた支度こそ整えているものの、
ギルガメシュと直接的に交戦したことはないのだ。
 モルガンは計略を以て陽之元の武装警察――覇天組を差し向けてはいるが、
それを「ギルガメシュと教皇庁の戦い」と位置付けてしまうのは些か強引であろう。
 覇天組と言う組織自体にもギルガメシュを滅ぼすだけの理由があり、
大司教はそれを利用しているに過ぎないのだった。
 パラディンの一員であるエカは、それが為に誰よりも真剣にフィーナの言葉へ耳を傾けていた。
未だに出撃の号令が掛からない自分たちとは違い、この少女は双眸を以て戦場の現実を見てきたのである。
断じて、彼女の言葉を聞き漏らすわけにはいかなかった。
 見習いの立場とは雖も、レナスとて聖騎士に属する身。
エカと同じくギルガメシュとの合戦にまつわる話へ聞き入っているかと思いきや、
彼の場合は何よりも「モルガン師」が優先される為、
崇拝対象に歯向かっているようにしか見えないフィーナの言葉を素直には受け止められない様子だ。
 その一方で、ニコラスは恥ずかしそうに頭を掻いている。
 フィーナが熱砂の合戦と併せて話しているのは、ニコラスやエトランジェの仲間たちのことなのだ。
あの陰惨な戦いを通じて自分たちに未来の希望を見出してくれたことが照れ臭くて仕方ないのである。

「例えば、そう――保護した難民の人たちから新しい技術を教わって村興しをした処も知ってます。
スゴいんですよ、実際。村の人たちも難民の人たちも、一緒になって頑張った成果なんです。
ふたつの世界の力を合わせるってことは、それまで不可能だったことを可能にすることなんだって、
私は信じて疑いません。だって、人間同士は分かり合えるんだもの……!」

 フィーナは声に一等力を込めていく。
人と人とは必ず解り合えると言う主張こそが最も伝えたいことなのだ。
友情(そこ)に世界の隔たりなどと言う些末な問題を差し挟む余地はあるまい。

「実はオレの親友ふたりも、ふたつの世界の橋渡しになろうって頑張ってるところなんだ。
難民としての向こう≠ノ飛ばされたとき、親身になって世話してくれた人たちへの恩に報いたいってな。
……失敗前提かってくらい分の悪い勝負だし、
教皇庁(おまえら)から見れば、ちっぽけな勇気かも知れねぇが、
こいつは挑戦することに意味があると思わねぇか? 本当に今回の取り組みがコケたとしても、
後ろには志が一緒のヤツらも続いてくれる――オレはそう信じてるぜ」

 そして、このときばかりはニコラスも胸を張った見せた。
 今頃、プログレッシブ・ダイナソーとアイル・ノイエウィンスレットの両名も
フィーナが語った村へ合流している筈だ。
 ふたつのエンディニオンの橋渡し役を務めるべく奔走するふたりは、
件の村を最大の手本にしたいと考えたわけである。
 「旺盛」の二字では例え切れない程の行動力を発揮し、
一歩ずつでも前に進んでいこうとする親友ふたりのことをニコラスは誇りに思っているのだ。
 斯く言うニコラス自身もマコシカの民――その中心はピンカートンの家族である――との交流を以て
異なる世界同士の橋渡しを務めている。
 ニコラスを始めとするアルバトロス・カンパニーがもうひとつのエンディニオン≠ノ馴染み、
そこで暮らす人々と絆を育んでいく過程をずっと見守って来たフィーナだからこそ、
何ら迷うことなく「私たちに解り合えない理由なんかありません」と断言出来るのだった。

「異世界云々と言っても、こうして向き合うのは同じ人間同士なんですから。
お互いに歩み寄っていけるなんて、こんなに素敵なコトはないですよ? 
……そりゃ、確かにこれまでと全く同じってワケには行かないかも知れません。
でもね、その代わりに私たちは新しいエンディニオンを作っていけるんです!」
「……それと身分制度の件がどう繋がるのでしょう? 少し話が飛んでしまってはおりませんか?」
「人の上に人を作って運命を縛ってしまったら、綺麗な言葉で『一緒に歩こう』って誘っても、
きっと相手の心に届かないと思うんです。素直には受け止められないって言うのかな。
『自分たちは生まれつき人間らしさ≠否定されているのに』って突っ撥ねられてしまうような気がします」
「……信仰と言うものは、本来は人間らしさ≠守る軸なのですけれどね……」
「そう言うことも全部ひっくるめって、ワーズワースのときと同じ悲劇だけは絶対に繰り返させない。
そう心に決めて異世界(ここ)に居るんです。これから先も新しいエンディニオン≠目指したいんです」

 ガリティア神学派が掲げる上下の身分制度は、神々との約束≠ノ基づいていると説くモルガンに対し、
これまで見聞きしたことを踏まえて、生まれた世界≠フ違いにこだわらず、
誰とも肩を並べて歩きたいと訴えるフィーナと言う構図である。
 一方的に持論を並べ立てるフィーナに対して、遂にモルガンは全く押し黙ってしまった。
 レナスなどは、異なる文化――ましてや、信仰の形態に口出しする危うさを
理解していないのかと呆れたものである。
 アルトの世界には伝統や因習(しきたり)と呼ばれるものが存在しないのだろうか。
古来より大切にされてきた文化を外部(そと)からやって来た人間が誤りのように言うことは、
それ自体が争乱の火種ともなり得るのだ。
 フィーナ・ライアンとは、やはり異世界の人間なのだ――と、レナスは受け止めるしかなかった。

「不勉強なので私には分からなかったんですけど、身分って本当に必要なんでしょうか? 
私が生まれた世界になかったってコトだけじゃなくて、
今まで出会ってきた難民の人たちの多くが、そんな制度に縛られていなかったんです。
……それだから、ワーズワースのコトが余計に悲しくて――」

 確かに彼女の言葉は巨視的な論ではないが、その代わりに己が経験したことだけを一所懸命に語っており、
現実と言う名の地平を見据えた目線とも言い換えられよう。
 異世界に降り立った難民たちの状況とて、フィーナは大幅に誇張することがなかった。
 アルトの人々とノイの難民は必ず手を携えていけるとする主張も荒唐無稽な理想論などではない。
歴(れっき)とした実例に基づく希望なのである。
 それ故に聞く人の胸に突き刺さるのだ。
 言葉の端々には教皇庁への批判を含めているように思えなくもないのだが、
あくまでも現実を切り取った言葉である為、聖騎士たるエカも反発せずにいられるのだった。
 彼女は隣の卓にて真剣そのものの表情(かお)でフィーナの言葉に聞き入っている。
 優れた論客たる大司教を何とか言いくるめようと気負っているのでなければ、
自分たちが生まれ育った世界(アルト)を殊更に賛美しようとしているわけでもない。
今までの辛い経験を踏まえ、どうすればふたつのエンディニオン≠ゥら悲しみを取り除けるのか――
そのことをフィーナ本人が必死になって模索した結果と分かるからこそ、
エカの側も素直に受け止められたのであろう。
 異世界の現実を目の当たりにしてきた少女が、異世界を情報でしか知らない大司教を相手に
堂々と渡り合っている。殆ど互角と見えるような勝負を繰り広げていることに感動すら覚えた程である。
 アンジーもまた同様である。フィーナのことは『在野の軍師の仲間』程度の情報しか聞かされていなかった。
言わば、アルフレッドの添え物≠ニ見做してきたのだ。
 ところが、実際にはどうか。愛らしい面立ちからは想像も出来ないような芯の強さを見せ、
戦いの場に於いては、初めて持ったと言う銃器――モーゼル・ミリタリーのことだ――すら
容易く使いこなしたのである。
 今はまだ言葉の選び方も拙いが、大器であろうとは十分に伝わってくる――
感心したようにフィーナを見つめていると、向こうの卓のエカと視線がぶつかり、
互いの顔を見合わせる恰好となった。
 つい先ほど初めて会ったばかりの少女にも関わらず、どうしてここまで引き付けられるのか。
アンジーもエカも不思議に思えてならず、ふたり揃って苦笑いを洩らすのだった。

「……それが、心配≠ニ仰せになった理由――ですか……」
「さっきも言いましたけど、人の上に人を作るようなことをイシュタル様が望んでいるとは思えないんです。
勿論、教皇庁には教皇庁のやり方があるとは重々承知しています。
……でも、やっぱり人間の運命を上か下かで縛り付けてしまうことは、
神人様たちの思いからも懸け離れているような気がします。
私はそう言う決まり事を勝手に改善したいんじゃなくて、それもひとつの個性として認めながら、
みんなが共存していける世の中になれば良いなって、それで……」
「身分制度を許せないと言っておきながら、それも個性として受け入れよう――と。
ここは理論の矛盾ではなく、大らかな心の持ちようと捉えておくべきでしょうね」
「私が言いたいのは、単純にそれはいけないってコトじゃなくて――」

 身分制度に関する議論が再び始まろうとした瞬間、思わずエカが立ち上がった。

「――だったら、教皇庁を信じて大丈夫よ! まっかせなさい! 
古くからの身分制度にこだわってるのは、アタシたちじゃなくて、ガリティア神学派のほうだし! 
アナタたちが難民キャンプで会ったのもガリティア派なのよね?」
「そうです。私の知る限りでは、そのグループの人しかいなかったはずです」
「ガリティア神学派の中にもね、人の下に人を作ることを当たり前にしちゃうのはおかしいって、
預言者の教義を再検証する動きもあるんだから! アナタが思うほど教皇庁も腐ってないってコト!」
「そうなんです……か?」
「アタシたち、ヨアキム派が舵を切ったから――って胸を張りたいところだけど、
ちゃんとガリティア神学派の内部から自発的に動き始めたのよ。
テンプルナイトって言うガリティアの聖騎士にも良識派はたくさんいるしね」
「そ、そんなことも知らずに、私、なんて生意気なことを……」
「ちょっと生意気なくらいでイイと思うわよ。怖気付いたら何も始まらないもんね!」

 そう口を挟んだエカは、別に教皇庁の正当性を強弁したかったのではなかった。
自分たちのことをもっとフィーナに知って欲しくて身を乗り出した次第である。
 フィーナが喜ぶような言い回しに置き換えるならば、
生まれた世界の垣根を超えて絆を育もうと踏み出したわけだ。
 フィーナ自身、エカの言葉には学ぶところも多かった。それどころか、手痛い失念にも気付かされた。
ノイの難民にして冒険王マイクの食客たるジョウ・チン・ゲンから
「身分制度などの風習も土地によりけり」と嘗て説かれたことを今になって想い出したのである。
 教皇庁ひいてはガリティア神学派に所属している者が全て身分制度を支持しているわけでない――
その視点を今まで忘れていた己の短慮がフィーナは恥ずかしくて仕方なかった。
 不意に俯き加減となり、エカから「気にしない、気にしない」と慰められるフィーナを眺めつつ、
モルガンはグラスに注がれた水を一気に飲み干した。
喉の渇きを潤すと言うよりも、思考を整理する為の挙動(うごき)である。
 先程もモルガンは一瞬だけ沈黙したのだが、呆れ果てて議論を放り出したと言うことではないのだ。
そのときには思考(あたま)の中でフィーナを篭絡し得る手立てを練り上げていた。
 フィーナの理論と思考は大司教としては見逃し難い程に危ういのだが、
しかし、彼女が教皇庁を警戒してしまう原因も既に見極めており、
その発端を思えば已むなしとも考えられるのである。
 クインシーとも面識がある様子であったが、その割にフィーナはヨアキム派について無知にも等しい。
ワーズワース難民キャンプにて暮らしていたガリティア神学派――
その中でも特に保守的な層と邂逅したことで歪(いびつ)な先入観が植え付けられているのだ。
 ガリティア神学派の保守層を唯一の材料にして教皇庁を見ていることは、
寧ろヨアキム派にとって好都合であった。それこそが誤った認識と訂正し、その上で歩み寄れば、
異世界から訪れた特異な存在を対立宗派から遠ざけ、自分たちの側で抱え込む布石となるだろう。
 エカの熱弁によって手間がひとつ省けたと言うことであった。

「……本当に申し訳ありませんでした、モルガンさん。私、本当に失礼なことを言い続けてしまって……」
「いえ、大変に有意義な議論でしたよ。異世界の方の着眼点は当然ながら違いますね。
長らくイシュタル様に仕え、その伝説を調べて参りましたが、今日は目の覚める思いですよ」
「そう言って頂けると救われます、はい……」

 教皇庁に対する誤解が薄まったこともあり、フィーナの表情も先程より随分と柔らかくなった。
 その一方でニコラスやタスクは、これこそがモルガンの計略ではないかと警戒を強めている。
エカの発言に嘘はなかろうが、それによって気を許したフィーナへ付け入ろうとしている違いない――と。
 ふたりの思考を容易く看破したモルガンは、すかさず別の餌≠差し向けていく。
計略と言うものは、あらゆる意味で標的よりも先≠ノ進んでいなければ効果を発揮しないのである。

「誤解がなくなったところで提案なのですが――宜しいでしょうか、ライアンさん?」
「は、はい。なんでしょう……」
「コールタンさんの手配りで結成されたと言う決死隊、
当初の予定より人数がだいぶ減ってしまっているのでしたね?」
「減ったって言いますか――こちら≠ノ渡る途中に思いがけない事故が起こりまして。
多分、あちこち、バラバラに飛ばされちゃったんじゃないかって思うんです。
そう言うパターンって良くあるじゃないですか、映画とか漫画とかで……」
「そこで、他の皆さんの捜索を教皇庁(われわれ)に任せては頂けないでしょうか」

 モルガン大司教の申し出は、この場に在る決死隊の誰もが予想だにしないことであった。




←BACK     NEXT→
本編トップへ戻る