8.Strange bedfellows


 アンジーは優雅そうに傘を差している――としか表しようもないのだが、
柄に当たる部分は棒のように伸びており、今や折り畳み式≠ノ類される長さではなくなっていた。
 何よりも雨滴を弾く傘布の部分が大きな変貌を遂げている。
傘と言う道具(もの)は突風を受けると骨組みが曲がり、これによって傘布も裏返ってしまうのだが、
アンジーの翳したそれ≠燗ッじ有り様となっていた。
 その滅茶苦茶になった部位には巨大な氷塊を纏わせている。
フィーナが放った水流もそこに吸収されていったのである。

「栄えある開発部第一開発課の逸品、『レディオブニヴルヘイム(氷の世界の淑女)』――
お気に召して頂けまして?」

 フィーナから向けられる驚愕の眼差しが心地良かったのだろう。
アンジーは高笑いを交えながら己のMANAの名称を明かし、次いでこれを大槌の如く構え直した。

「――うぇぇぇぇぇぇいィッ!」

 淑女や令嬢と呼ばれる類の人間が決して口にしないだろう野獣の如き吼え声を迸らせ、
これと共に氷の大槌を振り落としたアンジーは、
のた打ち回っていたムカデ型の頭部を一撃のもとに打ち砕いて見せた。
 これもまたMANAに備わった特性なのであろうか、
大槌の要たる氷塊は見た目以上に相当な質量を伴っているようだ。
 大振りな一撃によって生み出された震動は、地を伝ってフィーナの足裏にまで届いている。
 絵に描いたようなお嬢様≠演じてきたのは何だったのかと、
その豪傑じみた姿を呆けたように眺めていたフィーナの視界に一挺のハンドガンが飛び込んできた。
言わずもがな、アンジーが脇下に吊るしたホルスターより取り出した物である。
 フィーナがこれを受け取るや否や、アンジーは右手一本でに大槌を担ぎ、
左手甲を口元に添えて高笑いを始めた。

「確か貴女はハンドガンが得意でありましたわよね? 事情は存じませんが、肝心の得物が手元にないご様子。
これをお使い下さいましっ! 弾丸(タマ)もご所望ですかしらっ!?」
「……はぁ、どうも……」

 初対面の人間に武器(トラウム)まで把握されていることへ薄気味の悪さを感じなくもないのだが、
さりとて戦う術を持たないままでは足手まといでしかない。CUBEひとつでは流石に心許ないのだ。
 アンジーが投げて寄越したのは、『モーゼル・ミリタリー』と呼ばれる自動式拳銃であった。
 リボルバー拳銃である『SA2アンヘルチャント』とは勝手が違うものの、
同系統の銃器は師匠――ハーヴェスト・コールレインとの訓練の中で幾度も練習している。
銃把(グリップ)を握り、銃爪(ひきがね)へ右人差し指を引っ掛けると同時に、
違和感なく扱えるとフィーナは確信した。

(――でも、これで戦えるッ!)

 己が最も得意とする銃器を手にした瞬間から、フィーナの双眸に凛々しさが宿っていく。
ハイスクールへ通っていそうな少女から戦士の貌(かお)へと変わっていく。

「使い方は解りますの?」と尋ねてくるアンジーの頭上へモーゼルの銃口を向けたフィーナは、
彼女の背面へ急接近していたハチ型のクリッター数匹をたちどころに撃墜せしめた。
 渡されたばかりの銃器を試し射ちすらせずに使いこなしたわけである。
 ハチ型を撃ち落とすまでの動作(うごき)には無駄がなく、
フィーナの一挙手一投足を凝視していた筈のアンジーですら、
何時、彼女が暴発防止の安全装置を解除したのか、全く判らなかった。
 巧みな銃さばきに瞠目しているアンジーを目の端に捉えつつ、
フィーナは左手に持ち替えていたCUBEにプロキシの発動を念じ、四方へ不思議な超音波を輻射させた。
 これ≠ェ何らかの物体へ接触した場合に音波が反射されると言う探知機のような仕掛けなのだが、
具体的にどのようなモノ≠超音波が捉えたのか、CUBEを持つフィーナには知覚出来るのだ。
 果たして、フィーナは石柱の裏に潜んでいたクリッターを次々と撃ち抜いていった。
中には雄々しい角を持つカブトムシ型も混ざっていたが、
接近戦へ持ち込む前に銃弾を浴びせられてはどうしようもあるまい。
 彼女もニコラスと同じようにクリッターが用兵術を駆使していることを察知していた。
このような場合、アルフレッドならば何処かに伏兵を潜ませておくだろうと考え、
プロキシでもって探り当てた次第である。

(……こんなときに考えることじゃないけど、アルは大丈夫かな……あんなことになって無事なのかな――)

 この場には居ない最愛の恋人に想いを馳せ、何とも例えようのない溜め息を零すフィーナであったが、
しかし、戦士として銃を取った彼女に隙はない。
背後に回り込もうとしていた虻型のクリッターを振り返りもせずに撃ち落とした。
 これを見て取ったアンジーは、驚きの余り「んげがァッ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
フィーナが拳銃を用いることは上層部(うえ)から事前に知らされていたものの、
ここまでの腕利きとは想像もしていなかったのだ。
 レディオブニヴルヘイムを勢いよく振り回し、
バッタ型のクリッター目掛けて氷の欠片を散弾の如く降り注がせながら、
「愛くるしい見掛けに寄らず、なかなかハードですのね」と仰け反った程である。

「……お優しい人柄もあって分かり難いのかも知れませんが、
フィーナ様は今日まで幾つも苦しい戦いを潜り抜けて来られたのです。
銃を操る技巧(わざ)も、その御心も立派な戦士なのでございます」

 見る者を驚かせる程のフィーナの猛襲は、全て実戦経験に裏打ちされたもの――
そのようにタスクから説かれたアンジーは素直に首を頷かせるばかりであった。
 そのタスクは掌打の一撃でもってクワガタムシ型のクリッターを吹き飛ばし、
遠方で戦況を窺っていたハサミムシ型へ巧く激突させた。
 ハサミムシ型は突如として圧し掛かって来た重量(おもみ)に耐え切れなくなって断末魔の叫びを上げ、
それから間を置かずにクワガタムシ型も鋼鉄の円錐にて胴を突き破られた。
 レナスである。迅速に敵の死角へと移動し、確実に仕留められる状況へ持ち込んでから
円錐状の武器を繰り出したのである。
 見れば、彼が戦っていたであろう場所には胴や胸部を貫通されたクリッターの死骸が
幾つも転がっているではないか。
 どうやらフィーナたちへ寄せ付けないよう大型クリッターを中心に引き受けていたようである。
激闘を演じた証左と言うべきか、死臭を発する体液で全身を黒く染めていた。
 レナスの浴びた体液とは、つまり返り血である。凄惨としか喩えられない姿になろうとも、
教皇庁から遣わされたと言う青年は何事もなかったように薄い笑みを浮かべ続けている。
 フィーナたちから心身を案じるような眼差しを向けられても、
当のレナスは「皆様の為に働けることが幸いなのです」と言い切り、
己がクリッターの体液に穢されることなど微塵も気に掛けていないのだ。
 フィーナの間近にサソリ型のクリッターが迫っていると見れば、
一足飛びで間合いを詰め、流れるようにして背中に飛び乗り、
「パイルバンカーに貫けない物はない――」と機械仕掛けの牙を向ける。
 レナスの抱えた武器が耳を劈く爆発音と共に眩いばかりの光の粒子を放射し、
これと連動するようにして鋼鉄の円錐を――機械仕掛けの牙を前方に突き出した。
 性質や機構は大きく異なっているものの、レナスのMANAもガンドラグーンと同じように
運動エネルギーを要とする光学兵器の一種なのだろう。
光の炸裂を推進力に換えて鋼鉄の円錐を打ち出す己の得物のことを、
彼は『パイルバンカー』と呼んでいた。
 機械仕掛けの牙でもって背中から胸部に向かって一直線に貫かれたサソリ型のクリッターは、
己の死を悟りながらも最後の抵抗とばかりに猛毒の針を突き込んだ――が、
レナスは直撃する寸前まで引き付けてから左方に跳ねて避け切り、
哀れにも猛毒の針はサソリ自身を穿つこととなった。
 身を捩らせながら苦しみ、間もなく動かなくなったサソリ型の頭部へ
再びパイルバンカーを向けたレナスは、完全に止(とど)めを刺し、また新たな返り血≠浴びた。

「皆様に穢れは寄せ付けません。これはおれのような人間≠フ役目なのですから」
「おれのような≠チて……」
「イシュタル様から授かった喜びです。誰かに尽くす為に生まれてきた――それがおれの役目なんです」

 未だにレナスの為人を掴み兼ねているフィーナであるものの、その一言だけは心の底から不気味であった。
自己犠牲を喜び、我が身を盾として差し出すことを望んでいるようにしか思えなかったのだ。
 フィーナの推察した通り、レナス・クドリャフカと言う男が
教皇庁に於いて最下層の身分に属しているのであれば、
汚れ仕事≠疑いなく受け容れ、己の身を切って陶酔するとしても不思議ではない。
そして、それ故に恐怖と戦慄が込み上げてくるのだ。
 これでは信仰の名のもとに隷属させられているようなものではないか。
しかも、そのような環境≠ナ育ってきたのか、
レナス本人は己が奴隷の如く扱われているとは認識していない様子である。
 アルトの人間の思考でノイの側の理(ことわり)を推し量ることなど出来ず、
身分制度とて軽々に批難してはならないと己に言い聞かせてはいるものの、
心のざわめきだけは如何とも抑え難いのだ。
 それに、だ。同じノイの人間であってもニコラスたちは教皇庁の因習(しきたり)に嫌悪感を露にし、
ワーズワースで暮らしていた難民でさえ身分制度に穏やかならざる感情を抱いていたくらいである。
 身分によって人間を選り分け、生き方さえも縛ること――そのことを忌まわしく思う気持ちは、
異世界の人間だけの物ではないと言う何よりの証左だった。

「おれたちがストーンヘンジに入ってからから不自然なくらいクリッターと遭遇しませんでしたが、
どうやら、それさえも敵の仕掛けた罠だったようですね」
「よもや、ライアンさんたちのコトまでお見通し――ではありませんわよね? 
どちらにしても、知恵の働くクリッターがおりましたこと……!」

 尤も、異世界の身分制度にばかり気を取られてもいられない。
直上(うえ)を仰げば、蛾型のクリッターどもが密集し始め、
全身を震わせるようにして左右の翅を動かし始めた。
 小刻みに羽撃(はばた)くことで大量の鱗粉を撒き散らし、
地上を覆い尽くさんと図っているようだ。

「あれは――ヤツらの鱗粉には触れないようにあそばせ! 
皮膚が焼け爛れてしまいますことよ! 吸い込もうものなら、もう大変っ! 
あれ自体が強力な細菌兵器とお考えあそばせ!」
「『触れないように』と申されましても、鱗粉(あれ)は間違いなく風に乗ってこちらにやって来ますよ。
風向きは私どもの不利を示しておりますが……」
「そ、そのときは気合いで避けて下さいまし! 困ったときのド根性ですのよ!」
「……成る程、それはさぞ優雅なことでしょう」
「ですわ! ですわっ! ですわッ! 下劣極まりないクリッター共め、
アタクシの麗しさに度肝を抜かれると良いのですこと!」
「えッ、あっ――はい……」

 タスクとの間の抜けた遣り取りはともかく――
蛾型のクリッターが降り注がせようとしている鱗粉が如何に毒性の強い物か、
アンジーは端的に説明し、又、最大限の警戒を皆に促していった。
 アンジー自身は氷の大槌を振り翳しつつ、「ここからはアタクシの独壇場ですわ!」と胸を反り返らせている。
彼女が握り締めるMANAを以てすれば、中空から猛毒を振り撒かんとしている蛾型のクリッターも
一網打尽に仕留められるようだ。
 ところが、得意満面と言った表情で自身の胸を叩くアンジーを尻目に、
レナスのほうが先に敵影へと向かっていった。自信の程を示している内に出し抜かれた恰好である。
 既に彼のMANAはビークルモードにシフトしていたのだが、
これが相当な変わり種≠ナあった。
 今までにフィーナたちが見てきたMANAは、バイクやスクーターなど何れも乗り物だったのだが、
パイルバンカーからシフトしたのは、鳥の翼を模したような大型の機械であった。
これを背面に装着したレナス――寧ろ、彼自身が機械の中へ埋め込まれたようにも見える――は、
両翼から光の粒子を飛び散らせつつ蒼空へ飛び上がったのである。
 バイクにシフトさせたガンドラグーンに跨り、スズムシ型のクリッターを轢殺したニコラスは、
草の上を滑るようにして横回転し、これと同時に車体後方に搭載されたノズルから
エネルギーの奔流を迸らせてテントウムシ型を薙ぎ払っていく――その最中に天を翔けるレナスを発見した。
 辺りに群がっていたテントウムシ型を焼き尽くし、再びガンドラグーンをレーザーバズーカにシフトさせ、
最大出力の『ヴァニシングフラッシャー』でもってナナフシ型のクリッターを吹き飛ばしながらも、
レナスを見送った面には「唖然」の二字を貼り付けている。

「あいつ――教皇庁の『聖騎士』だったのかよッ!?」

 悲鳴にも似た驚愕の声が耳に入ったのであろう。
少しばかり離れた地点からアンジーが「今の今まで気付かなかったんですの!?」と、
ニコラスに向かって正答(こたえ)を返してきた。

「どいつもこいつも教皇庁はやりたい放題の好き放題ッ! 世の中、舐め腐っていやがりますのねェッ! 
聖騎士なんて御大層な肩書き背負っているクセしまして、ケツの穴がちっちゃいたらありゃしねぇですのよッ! 
アタクシが蝶のように舞う姿はクリッター共だって待っておりましたのにィッ! 
……こンのクソ虫野郎が――ですわァッ!」

 優雅に振る舞えるだろう独壇場を奪われたことに立腹したアンジーは、
苛立ち紛れに氷の大槌を地面へ叩き付けつつ、中空のレナスを仰いで怒鳴り声を張り上げた。


 蛾型のクリッターの群れへと目掛けて真っ直ぐに翔け、
MANAに搭載された機関砲でもって次々と撃墜していくレナスを望遠する影が在った。
 激戦の舞台と化したストーンヘンジから遠く離れた場所に在り、
それが為にフィーナが伏兵を探った折にも発見出来なかったのだ。

「……同志の願いとは雖も、ただこうして眺めておるのは愉快とは言い難いな。
妾(わらわ)のほうから差し向けたのは事実だが、あれもまた同胞(はらから)に違いはないのだ……」

 その影≠ヘ確かにニンゲンの言語(ことば)を喋っていた――が、
だからこそ、周りのモノどもには通用せず、誰も彼もが無反応であった。
所謂、小首を傾げるような仕草を見せる者まで在るくらいなのだ。
 甲冑を纏った痩身の女性――のようにも見える影≠ヘ、
己が無意識の内に紡いでしまった言語(ことば)を振り返り、忌々しげに頭(かぶり)を振った。

「……すまぬ、皆の者。今のはニンゲンで喩えるところの独り言と――」

 まるで持って生まれた習性の如く同胞(はらから)に通じない言語(ことば)を発する己が
虚しくなったのだろうか、遂に影≠ヘ口を噤んでしまった。
 それきりニンゲンの言語(ことば)を紡ぐことはなく、
同胞(はらから)とやらが全滅するまでストーンヘンジの戦いを凝視し続けた。
 その影≠フ傍らに侍る者どもは、明らかにニンゲンとは掛け離れた異形――
機械と生命体両方の構造を備えたクリッターである。それも昆虫型ばかりが打ち揃っている。
 さりながら、『エンディニオン』と名の付く世界に出没し、
天敵として人類を脅かし続けてきた種とは些か異なっている様子であった。
 影≠ノ従う者たちは、一匹残らず肉体の何処かに輪を模った塗装を施している。
これはつまり、或る一定の思想を以てして結び付いた集団と言う証左ではなかろうか。
 「クリッターが思想に染まる」と言う前代未聞の事態は、
およそニンゲンの常識では推し量れまいが、
ひとつの現実として、上位者の如く振る舞う影≠フもとには
数十にも達する程の同胞(はらから)が傅いているのだ。
 そして、用兵術ばかりに翻弄されたニンゲンたちは、このとき、誰ひとりとして気付いていない。
ストーンヘンジで斃れたクリッターの身にも輪を模った塗装が施されていることに――だ。
 「ただこうして眺めておるのは愉快」とは、この影≠フ偽らざる本心に違いなかった。
 ニンゲンと見紛うばかりの妖艶な肢体を持ち、又、ヒトらしい面相でありながらも、
影≠ニてクリッターに変わりはないのである。
同胞(はらから)が惨たらしく蹂躙されていく様を目の当たりにすれば憤慨して当然であった。
 首の付け根の辺りから無数のケーブルが飛び出しており、これを影≠ヘ白い布で束ねている。
その様はスカーフを用いて着飾るニンゲンの女性のようにしか見えなかった。
もしかすると、感性≠ニ呼ばれる部分は存外にヒトらしいのかも知れない。
 ただひとつ、ニンゲンと決定的に異なっている点と言えば、
その布切れにも輪を模った紋様が記されていたことである。
 ストーンヘンジなる地名(なまえ)の由来となった環状の列石と同じ紋様が――だ。





 昆虫型のクリッターを切り抜けてストーンヘンジから脱したフィーナたち一行は、
追手を迎撃しつつ息つく間もなく駆け続け、
結局、徒歩では半日を要する道程を僅か二時間で走破してしまった。
 彼女たちが駆け抜けた先には、古めかしい小村が所在していた。
 「小村」と言っても、ゴーストタウンのように寂れた場所ではなく、善かれ悪しかれ活気に満ちている。
如何にも強固な石造りの壁でもって村落全体を囲っており、
仮にストーンヘンジに巣食うクリッターが押し寄せてきたとしても、
その爪牙を弾き返してしまえるだろう。
 村落の中央には大きな物見塔も築かれている為、まさしく迎撃体勢は万全である。
サルーンを覗けば、クリッター退治を専門とする冒険者で溢れ返っている程だ。
 さながら、ストーンヘンジを攻め落とす軍事作戦の前線基地のような趣であった――が、
物珍しい情景を興味深く眺めていたフィーナに対してレナスが語った説明によると、
彼(か)の地を睨む形となったのは全くの偶然であるらしい。
 負けじとアンジーがレナスの説明を補足して見せたのだが、
この地に屯する冒険者たちは別の標的≠ヨ狙いを定めているそうだ。
 北に望む火山――『ドラゴンズヘヴン』と呼ばれる地を冒険者たちは見据えていると言う。
 そこには『不滅竜(ふめつりゅう)』の異名を取る地上最強の生物――『ガンマレイ』が棲んでおり、
この村にやって来る者たちはドラゴンズヘヴンの長を退治して
『竜殺し』の称号を得ることを夢見ているのだとアンジーは語った。
 竜殺しなる称号(な)を聞いたフィーナは、
同郷の兄貴分であるフェイ・ブランドール・カスケイドのことを即座に想い出した。
 現在(いま)は袂を分かったフェイとその仲間たちは、
ドラゴン型のクリッターの中でも最強と恐れられる存在(もの)を撃破したことから
件の称号で呼ばれるようになったのだ。
 そのことをフィーナが口にすると、ガンマレイはクリッターなどではなく、
正真正銘の純粋なドラゴン(竜)なのだとアンジーとレナスは声を揃えて強調した。
 そもそも、ドラゴンとは伝承の中に現れる幻獣である。
その伝承に見られる特徴とクリッターとの間に類似点が多く見られた為、
件の幻獣の名を引用して『ドラゴン型』なる分類が生まれたわけだ。
 ドラゴンにまつわる伝承はアルトとノイで共通していることなのだが、
フィーナたちの生まれ育った世界では実在は確認されておらず、半ば空想の産物であろうと考えられてきた。
 これに対してノイに於けるドラゴンの伝承は、誰もが真実であると信じ切っている。
不滅竜の異名(な)に相応しくガンマレイは数世紀に亘ってドラゴンズヘヴンに君臨し続け、
人類最高の名誉を求めて挑戦してくる者たちを無慈悲に蹂躙しているのだ。
 これこそがドラゴンの実在を裏付ける何よりの証左なのである。
 そして、本物のドラゴンは全身を爬虫類の如き鱗で覆っており、
更には一等逞しい両脚でもって二足歩行し、口から白色の熱線を吐き掛けるそうだ。
 嘗てメルカヴァなる軍事国家が大型MANAを中心とした部隊を編制してガンマレイ討伐に乗り出したが、
発砲音が千里を超えて届くほど激しい砲撃を以てしても竜鱗に傷ひとつ付けることが叶わず、
反対にドラゴンズヘヴンを攻めた総員が全滅させられてしまい、作戦そのものが打ち切られていた。
 尻尾を一振りしただけで数千もの部隊が半壊したと言うのだから、
最初から勝てる見込みのない戦いであったことは間違いない。
 僅かでも触れた物を完全に消滅させてしまう白色の熱線には、人類では太刀打ち出来ないだろう。
あるいはガンマレイは神人や創造女神イシュタルの領域にまで達しているのではないか――
そのように畏怖する者も少なくなかった。
 教皇庁も年に一度はドラゴンズヘヴンの実態調査を行っているのだが、
件の熱線によって抉れた痕跡が山の中腹には幾つも散見されるとレナスは語った。
たった一回のみではあるものの、彼も調査隊に加わったことがあると言う。

「おれがあの火山(やま)へ登ったとき、不滅竜は眠ったままで姿を現わしませんでした。
お陰でドラゴンズヘヴンがどう言う場所なのか、自分の目で確かめられました。
……それでも、塒(ねぐら)の火口付近までは恐ろしくて近付けませんでしたよ。
選りすぐりの調査隊だって、無事に戻れたほうが少ないくらいなんです」

 レナス曰く、不滅竜ことガンマレイには休眠期と活動期があるそうだ。
 丁度、現在(いま)は休眠期に当たるらしく、火口――と言うよりも溶岩の底に沈んだまま、
次の活動期まで眠り続けている。
 やがて、活動期を迎えて目を醒まそうものなら、猛々しい雄叫びがこの村までひっきりなしに響くそうである。
 この地に駆け付けた勇者たちは寝込みを襲うことを好まず、
活動期にこそ立ち上がって正々堂々と勝負を挑むのだ――レナスの話へ強引に割り込んだアンジーは、
彼では説明不足と言わんばかりに己が知るガンマレイの知識を述べていった。
 即ち、活動期は最も多くの犠牲者が出ると言うことだ。
ともすれば、棺桶屋にとって稼ぎ時に違いなく、葬儀を請け負う教会も大いに儲かるワケだと、
アンジーは相当に際どい冗談を飛ばした。

「……ウケてくだすって結構でしてよ?」
「ウケるって言うか、どこからツッコミ入れたら良いのか、もう分かんなくて……」

 村を散策する最中にアンジーやレナスから聞かされた話は途方もないことばかりであり、
アルトの出身者であるフィーナとタスクは引き攣ったような顔で目を丸くするしかなかった。
 溶岩の底で眠り続ける生物など彼女たちには意味が解らず、完全に人智を超えてしまっている。
異世界へ到着したばかりで右も左も分からないフィーナとタスクを面白がって、
アンジーたちはふたりがかりでからかっているのではないか――そこまで疑ったくらいである。
 念の為にニコラスへ答え合わせ≠求めるようにして目配せすると、
アンジーとレナスの言葉に偽りはないと首を頷かせた。
 この不滅竜を討伐しようと言う気概に満ちた者たちが件の小村に集っているわけだ。
村の名は『ギガデス』――何とも物騒で不吉な名前だが、
最強の二字を欲しい侭にするガンマレイへ挑めるのであれば、
死して悔いなしと言う心意気の表れなのである。

 レナスがフィーナたちをギガデスまで案内したのは、
再びストーンヘンジに攻め入るべく腕利きの冒険者たちを雇おうと考えたからではない。
そもそも、奇石(いし)しかないような場所の鎮圧など目的と成り得るわけがない。
 彼の手配りによってギガデスに宿所が用意されていた――ただそれだけのことである。
 「宿所」と言っても、教皇庁が管轄する施設の一角を間借りする恰好なのだが、
アルトからやって来たばかりで拠点のひとつも持ち得ないフィーナたちにとっては
思いがけない幸運であり、同時に贅沢としか言いようのない待遇であった。
 何時、伝染病が巻き起こってもおかしくないような環境の中で
暮らさざるを得なかったワーズワースの難民たちが想い出されてしまい、
フィーナなどは自分たちは恵まれ過ぎていると申し訳なく思ったくらいなのだ。
 教皇庁は宗派や町村の規模に応じて様々な施設を運営しているのだが、
ギガデスには『教会』なる場所が設けられていた。
 鉄錆の著しい古びた門を潜り、敷地内に立ち入ったフィーナたちの視界には、
先ず中庭に面した『礼拝堂』なる大きな建物が飛び込んでくる。
 僅かに開かれた鉄扉(とびら)の隙間から内部の様子を探ってみると、
横長の椅子が何列も並べられており、部屋の最奥には女神イシュタルの彫像と、
そこに向かって一心不乱に祈りを捧げる人々の姿を垣間見ることが出来た。
 彼らにイシュタルの教えを授け、人としての正しい道へ導くのは、
教皇庁から派遣されてきた神官だ。無論、その身分≠ヘ組織内部では決して低いものではない。

(マコシカが絶対正しいなんて思わないけど、……やっぱり何とも言えないや……)

 異世界の祈りを見つめるフィーナの心中は極めて複雑だった。
 ステンドグラスから差し込む光を浴びた女神像は、
偶像崇拝と言う形態が存在しないアルトで生まれ育ったフィーナの目にも神々しく映ったのだが、
またしてもワーズワースでの出来事が甦ってしまい、心身が苦い思いで満たされていった。
 彼(か)の地に難民キャンプを設けた人々もイシュタルの彫像を運び入れ、
悪夢としか表しようのない日々が一刻も早く終わるよう神々に救いを求めていたのである。

「お疲れのご様子ですね。配慮が至らず申し訳ありません。もっと休息を取るべきでした」
「……いえ、お構いなく。クドリャフカさんに迷惑は掛けませんので」
「何なりとお申し付け下さい。私はライアンさんたちの力になる為に――」
「――大丈夫です。本当に苦しいときはお願いしますから」

 明らかに芳しくない顔色をレナスから心配されたフィーナは、曖昧な返事でもって誤魔化した。
 この行動に誰よりも戸惑っているのはフィーナ当人である。
他者に対して壁を作ったことのない彼女は、当然ながら誰かの心遣いを拒絶したこともなかった。
恋敵に当たるマリスとも心の隔たりを持たずに接してきたのだ。
 誰に対しても分け隔てなく慈愛を以て向き合う――それがフィーナ・ライアンと言う人間であったのだが、
レナスの言葉だけはどうしても受け容れられず、差し向けられた手を押し返したようなものだった。
 こんなことはフィーナの人生に於いて初めての経験であろう。
長らく共に戦ってきたタスクやニコラスも彼女の取った行動から事態の深刻さを悟り、
反射的に互いの顔を見合わせたくらいである。
 宿所――本来は神官たちの休憩室として使われている小屋だ――に到着するまでの間、
決死隊の三人は誰ひとりとして口を開こうとしなかった。
 アンジーもアンジーで穏やかならざる空気を感じ取り、窮屈そうな面持ちで口を噤んでいた。
下手な発言が余計に状況を拗らせると警戒しているわけだ。
現在(いま)は螺旋状に仕上げた両サイドの髪を指先でもって弄び、
この居た堪れない時間が過ぎ去るのをひたすら待ち続けている。
 「ここまで鈍感だから事態を悪化させた」と言うべきなのか、
皆が押し黙る中、レナスだけは場≠フ空気を読まずに幾度もフィーナへ話しかけ、
ニコラスやタスクを震え上がらせた。
 無論、フィーナ当人は相槌のみで言葉ひとつ返そうともしない。
その心中に如何なる感情が積み重なっていくのか、傍目には瞭然であろう。
 「火に油を注ぐ」とは、こうした状況を表す為に生み出された言葉であり、
無神経としか言いようがないレナスの行動を目の当たりにしたアンジーは、
心中にて「もう帰りたい」と愚痴を零した程である。

「……ここまで伺う機会を逃しておりましたが――ニコラス様。
先程、俄かに仰られていた『聖騎士』とは、一体、どのような存在なのでしょうか? 
……役職と呼ぶほうが正しいのかも知れませんけれど……」

 二階建ての宿所へ到着した後(のち)、タスクは荷解きよりも先に
ニコラスがストーンヘンジで呟いた『聖騎士』についての詳しい解説を求めた。
 質素な構造(つくり)の宿所に垂れ込めた空気は、
イシュタルを祀る施設の一角でありながら全く穏やかではない。
この重苦しさから一秒でも早く解放されたかったのだろう。
 ワーズワースの悲劇を間接的に引き起こしたとも言える教皇庁内の身分=\―
フィーナが制度そのものをレナスに重ねていることはタスクにも判っていた。
 教皇庁より遣わされた青年は、己の身を犠牲にすることが喜びとまで断言したのだ。
決して高いとは言い難い等級の人間に対して、教皇庁が如何なる思想を刷り込んでいるのか、
彼の姿を見ていれば察することも出来よう。
 それ故に教皇庁と言う組織の体質をレナスに見出してしまうわけだ。
 タスクにしてみれば、善からぬ想念に取り憑かれたフィーナを救いたかったのである。
マリスの従者と言う立場から関わりを持つようになったのだが、今では戦友と言っても過言ではない間柄だ。
何よりもフィーナ・ライアンと言うひとりの人間を敬っているだけに、
これ以上、教皇庁のことで心を歪めて欲しくないわけだ。
 無論、タスクとて教皇庁のことは快くなど思っていない。
件の組織に籍を置いている筈のレナスの頭越しに、わざわざニコラスへ聖騎士のことを訊ねたことが
何よりの証左と言えよう。それは不信の表明以外の何物でもなかった。

「あれ? オレ……聖騎士のコトなんか言ったっけ?」
「ええ、とても分かりやすく大きな声で仰っていました」

 そもそも、ストーンヘンジでの呟きを聞かれているとは思わなかったニコラスは、
一瞬ばかり面食らって双眸を瞬かせた。

「えーっと、なんとな〜く薄ぼんやり想い出してきたような……」
「聖騎士のことなら、おれが説明を引き継ぎますよ?」
「――いやいや、質問されてんのはオレなんだから、あんたが出る幕じゃねぇって」
「ですが、『餅は餅屋』と申しますでしょう? おれの知り得る限りの知恵を提供させて頂きますよ」
「おい、あんた……!」

 タスクの心情を察したニコラスが制止の声を飛ばされたにも関わらず、
レナスは勝手に聖騎士の委細を説き始めた。
 先程の戦闘でクリッターの体液を全身に浴びてしまった為、レナスは宿所へ着くなり衣服を替えていた。
その最中の会話であったから、彼の耳には流石に届いていないだろうとニコラスは油断していたわけだ。
 腹立たしいほどに耳聡いレナスの横顔を眺めつつ、ニコラスは心中にて舌打ちした。

「聖騎士とは女神イシュタル様より破邪の資格を授けられた者――選ばれた騎士とお考え下さい」

 聖騎士に課せられた使命を誇るように、レナスは「破邪の資格」と言う部分へ特に力を込めた。
 そもそも、聖騎士とは教皇庁が擁する軍勢の総称である。
 一口に『聖騎士』と言っても、任務の性質と、何よりも宗派によって、
パラディンとテンプルナイトの二隊に大別されている。
 パラディンはヨアキム派と言う教皇庁最大宗派に属する聖騎士であり、
教皇庁の『聖地』を守護するのが主たる役目である。
 ヨアキム派と対立するもうひとつの宗派――ガリティア神学派は、
各地に点在する施設を管理し、神人を模った立像を奉じるテンプルナイトを擁していた。
 パラディンとて教皇庁ゆかりの施設を警護するよう命じられているのだが、
その性質すらガリティア神学派とは大きく異なっている。
 パラディンを教会へ派遣するヨアキム派に対し、
ガリティア神学派は施設が所在する土地の有力者からテンプルナイトを募っていた。
 教皇庁からの派遣と言う形態であるが為に少数精鋭とならざるを得ないパラディンと、
信仰の名のもとに寺院の所在地から大規模な兵力を動因出来るテンプルナイトと言った図式である。

「……ところで、あんたはどっち派なんだ? 教会へ案内してくれたからにはヨアキム派なんだろうけどよ」
「ああ、まだそれを名乗っておりませんでしたね。
ご明察の通り、おれはヨアキム派ですよ――と言っても、
ヴィントミューレさんがガリティア神学派であったとしても、何が変わるものでもありません。
……両派はいがみ合ってばかりと巷では噂されますけど、
本当にそのような醜い争いに塗れていれば、女神の加護などとっくに失われている筈。
つまり、おれたちの間には何ら蟠りはないと言うことでしょう」
「そりゃどーも。心配して貰わなくてもオレはそーゆーのに疎いんでね。
宗派がどうとか、深く意識したコトもねーんだよ」
「アタクシもヴィントミューレさんと同じですわ」
「別に訊いてねぇけど、こっちの姉ちゃんもそうらしいぜ」
「それは皆様の自由と言うもの。教皇庁に属しているからと言って、
信仰心が増すと言うことでもありませんしね。女神の慈悲は如何なる人間にも平等です」
「……ソリャドーモ……」
「いッちいち気に障りやがる言い方ですこと……っ!」

 ニコラスは皮肉を込めて宗派を尋ねたつもりだったのだが、どうやらレナスには通じなかったらしい。
 相変わらず笑顔を崩さないので感情を読み取れないから、
あるいは皮肉と理解しつつ聞き流したのかも知れない。
 ヨアキム派の聖騎士――パラディンと自称するレナス・クドリャフカと言う青年は、
教皇から騎士叙任と共に授けられる誓約のサーベルを帯びていなかった。
 叙任式を済ませ、サーベルを腰に帯びることによって、初めて一人前の聖騎士として認められるのである。
それは教皇庁に属していないニコラスですら知っているノイの側の常識であった。
 つまり、レナスは叙任すら受けていない見習い≠ニ言うわけだ。
世情が不穏な昨今、パラディンも『聖地』の護衛で忙しい筈である。
それにも関わらず、レナスは使い走り同然の役目に駆り出されたわけだが、
全てがサーベルの有無によって理解出来ると言うもの――と、ニコラスは心中にて呟いた。

(見習いの分際で自由にお空を飛び回るってもどうかと思うけどな……)

 ニコラスから向けられる友好的とは言い難い視線に勘付いているのか、
それとも鈍感を装っているのか、依然として微笑を崩さないレナスは、
タスクに向かって聖騎士の使命を説明し続けるのみであった。

「世界を脅かす機械獣――クリッター。それはあなたがたのエンディニオン≠ノも存在していますね? 
おれが読ませていただいたレポートにはそう記してありましたが……」
「その通りでございます。私としましては、そのレポートとやらのほうが気に懸かりますけれど。
一体、どなたの手によるレポートなのか、そして、入手経路はどこなのか……」
「我が教皇庁では、クリッターは太古の昔に天空より降り立った侵略者として伝承されております。
それが地上に棲み付き、今なおエンディニオンに巣食っている――
この伝承と、現代に至る闘争の有り様に由来して付けられた総称(よびかた)がクリッターでした」
「空中生物を意味する言葉でございますね。それは手前どものエンディニオンとも共通しております。
……私の質問へ積極的にお答え頂けるのは幸甚でございますけれど、
今は別のほうに興味を引かれてなりません。異なる世界のことを綴ったレポートなど、
どうやっても手に入れようがないと思うのですが?」
「その件についてはおいおい。……おれたちのエンディニオン≠ナは、
クリッターは天空(そら)を穢す不浄なる存在(モノ)と考えられています。
その穢れをも浄化し得る者――即ち、女神の加護を受けた聖騎士でなければ、
原則的に天空(そら)で戦うことは禁じられております」
「禁止……?」
「クリッターによる世界の穢れを聖騎士が引き受け、盾となって防ぐと言うことですよ。
……稀有な例外として、聖騎士(おれたち)と同等の力を持つ竜騎士も空を翔けてはいるんですが……」

 レナスは聖騎士の次にクリッターについても話を進めたのだが、
これにはフィーナもタスクも揃って目を丸くしている。
 アルトの出身者たちは、クリッターと言う存在そのものが清浄か不浄などと考えたことは一度もない。
『人類の天敵』と言う認識しか持ち得なかったのである。
 さりとて、その『人類の天敵』の中にもムルグのように分かり合える者が存在するのだ。
大切な仲間として大型クリッターを迎えたサーカス団もアルトでは知られている。
それだけに「不浄」と断言されてしまうことが衝撃であった。
 ノイに於いては――と言うよりも教皇庁に於いては、
不浄なるクリッターによって天空(そら)まで穢されていると認識されている。
 そして、その天空(そら)を自由に飛び回れるのがムルグなのだ。
フィーナは自分のかけがえのない相棒をレナスに引き合わせるのが怖くなってきた。

「禁止したのは空の戦いだけではなくってよ。
飛行型のMANAの高度まで教皇庁のお達しで制限されておりますの」

 聖騎士こそがクリッターによって穢された天空(そら)を守れる者――
そのことについてレナスが言及すると、今度はアンジーが口を挟んだ。

「お陰でロンギヌス社も大迷惑ですわ。折角、イカしたMANAを開発しても、
教皇庁(あなたがた)が勝手に作ったルールに違反したら、それだけで神敵呼ばわりですもの! 
酷いときはMANAのスペックにまで口を出してきやがって……! 
教皇庁の皆様は、アレですのね、空を自由に飛ぶって言う特権を独り占めしたいだけですものねぇ!」
「それはどうでしょう。天空(そら)を飛ぶと言うことを甘く考えないで頂きたいです。
遥か空の彼方に或る神々の住まう処――『神苑』へ近付く行為に他ならないのですよ? 
ともすれば、飛行自体が神々への冒涜となり兼ねないのです」
「旅客機はバンバン飛んでますわよねッ!?」
「ですから、初飛行の前に教皇庁がお清めの儀式をしているのではありませんか。
魔を祓う加護をイシュタル様より授かれば、最早、天空(そら)の穢れを受ける心配はありません」
「あれ、茶番にしか思えないんですのよねぇっ!」

 クリッターや聖騎士の任務に絡めて教皇庁が設けた飛行高度の制限について、
ここぞとばかりにアンジーは不満を爆発させた。
 ノイに於いて最大の軍事企業たるロンギヌス社は、当然ながらMANAの開発にも注力しており、
飛行型の物も数多く手掛けている。教皇庁はこうしたMANAの開発にまで要らざる注文を付け、
あまつさえ、完成した物についても本来の性能を発揮出来ないような規制を課しているわけであった。
 アンジーはロンギヌス社のエージェントである。
無理難題を押し付けてくる教皇庁へ鬱憤を溜め込んでいても何ら不思議ではなかった。
 憤激を迸らせるアンジーに対して、レナスは努めて冷静に返答していく。
彼女と同じような不平不満は今までにも数え切れないほど寄せられているらしく、
返答の仕方も相当に手慣れていた。余りにも慣れ過ぎていて、機械的としか思えない程であった。

「そもそも何を以て浄化とするって言うんですの!? 
教皇庁(あんたら)にそんな神通力が備わってるなんてハナシ、聞いてねェんですことよ!」
「女神の加護、それこそが天空(そら)から穢れを取り除くのです」
「答えになってねぇっつってるんですわ!」

 この遣り取りにはノイの側の人間であるニコラスまでもが引っ繰り返りそうになった。
 傍目にはアンジーの追及を言葉巧みに誤魔化そうとしているようなのだが、
しかし、レナスの瞳には相手を騙そうと言う邪な影は微塵も見られない。
 真剣そのものなのだ。女神イシュタルは自分たちにこそ加護を与え、
選ばれた聖騎士であればこそ、ただ飛翔するだけで天空(そら)を守れると信じて疑わないのである。
 より正確に表すならば、そのような思考が働くよう教皇庁から刷り込まれているのだろう。

「――あれ? でも、カキョウさんやアイルさんは普通に空を飛んでたような……」
「カキョウが!? うちのカキョウがそんなコトをしてたんですの!?」
「『ファブニ・ラピッド』でしたっけ――魔女のホウキみたいな感じのMANAに乗って、
スイスイ気持ち良さそうに飛んでましたよ。高度って、つまり空飛ぶ高さのことですよね? 
そう言うの、気にした様子じゃなかったなぁ……」
「それ、きっと高度の規制をブッちぎってエンジョイしてた証拠ですわ! 
くぅぅ〜、羨ましいったらありゃしねぇですこと! ……アタクシも今から向こう≠ノ行けないかしら!? 
カキョウと一緒に思いっ切り青空を飛び回りたいわっ!」
「えと――アンジーさん、カキョウさんとそんなに仲良しなんですか?」
「大親友ですのよ! 大≠ェ付くんですの!」
「私もカキョウさんと友達になったんですよ! まさか、こんなところで縁が繋がるなんて!」
「あらまッ!」

 レナスの言行にニコラスと同じく怖気を感じていたフィーナであるが、
彼の語る飛行高度については想い出したことがあった。
 アルバトロス・カンパニーの一員であるアイル・ノイエウィンスレットも、
アンジーの僚友であろうカキョウ・クレサキも、
飛行型のMANAを所有していたのだが、ふたりとも高度の規制など些かも意識せず、
思うが侭(まま)に天空(そら)を翔けていた筈なのだ。
 カキョウは佐志にも幾日か滞在していたが、オノコロ原上空にて『ファブニ・ラピッド』を乗り回しては、
「ご満悦」と言う喩えが最も相応しい痛快な笑顔を浮かべたものである。

「……どれくらいの高度まで飛び上がったかは存じませんが、それは由々しき問題ですね……」

 共通の友人であるカキョウのことで大盛り上がりとなったフィーナたちの間に、
「許されざる罪に抵触したかも知れません」と言うレナスの鋭い指摘(ことば)が割って入った。
 ノイの人間でありながら、教皇庁の定めた高度規制を破ったことをレナスは問題視しているわけだ。
 事実、「罪」と口にした瞬間(とき)の彼の声は、
浮かべた微笑が欺瞞としか思えないくらいに冷たかったのだ。
 カキョウとアイルは天空(そら)を穢すクリッターと同類項に成り下がった――
そう蔑んでいるようにも聞こえたのである。

「逆上(のぼ)せるのもいい加減にしろよ、てめぇ! どこまでも上から目線で物を語りやがって! 
……人の罪を裁く権利がてめぇなんぞにあるって言うのか!? 信仰を拗らせて神人気取りかよッ!」

 さしものニコラスもこればかりは我慢し切れず、
部屋の中央に置かれていた木製のテーブルへ怒りに任せて拳を振り落とした。
鋼鉄のグローブで包まれた左拳は、室内に攻撃的な音を炸裂させた。
 教皇庁の聖騎士から穢れ≠フ原因と見做されると言うことは、
『神敵』の烙印を押されたのと同義なのだ。
 同盟者として認め合ったカキョウは言うに及ばず、
長年、苦楽を共にしてきたアイルまで神敵扱いされようとしている――
そのようなときに黙っていられるわけがなかった。

「これは教皇庁だけの問題ではありません。まさしくあなたが仰る『人の罪』の範疇なのです。
穢れに染まったればこそ、法を蔑ろにする空賊≠ネどがのさばるのですよ。
……ご存知ですか、違法なMANAを商売道具にする傭兵部隊を?
『羽十字帯剣旅団(はねじゅうじたいけんりょだん)』と言って――」
「ウダウダうるせぇし、てめぇはとんでもねぇ見当違いをしていやがるッ! 
教皇庁(てめぇら)のルールが別の世界でまで罷り通ると思うなっつってんだッ!」
「――そして、その果てに秩序は崩壊し、我々の世界が我々の物ではなくなるのです。
……世界の滅亡と言う事態にならないことを祈るばかりですよ」

 堪り兼ねてレナスの胸倉を掴みそうになるニコラスであったが、
突如として投げ込まれたひとつの声がそれを押し止めた。
 ニコラスを止めたのは男の声である――が、言うまでもなくレナスの物ではない。
何事かと声が投げ込まれた方角を振り返れば、宿所の入り口に見知らぬ顔を捉えることが出来た。
 突然の闖入者は誰か――その面を確かめた途端にレナスは双眸を開け広げ、
直ぐさまその場に跪(ひざまず)いた。
 焦り方はともかくとして、挙動(うごき)そのものは小さかった筈なのだが、
どう言うわけか、彼の呼吸は危うく感じられるほどに荒くなっている。
その上、何か呪文めいた語句を唱え続けているようだった。
 宿所の入り口に立つ男の素性は、当然ながらフィーナとタスクも全く知らない。
ニコラスと同じように怪訝な顔で相手を凝視するのみである。
 レナスを除いてアンジーだけがその顔に見覚えがあるらしく、彼女もまた驚愕に双眸を見開いていた。

「モルガン・シュペルシュタイン……? 大司教の……?」

 純度の高い金と銀を織り合わせ、美麗な組紐のように誂えたサークレットを額に嵌めた男である。
 額を覆う金具の表面にはイシュタルを模ったレリーフが施されている。
屹立する女神の足元を飾るのは、精巧な細工によって再現された『神苑』の木々や花々だ。
これらの装飾は全て加工した水晶で作られていた。
 教皇庁へ籍を置く神官にのみ授けられる聖なるサークレットを嵌め、
紺色の薄いストールを肩に羽織る男を見据えたアンジーは、
呻くような声で彼の名と称号を呼んだ。




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