7.失われたチカラ


 フィーナ・ライアンがギルガメシュ別働隊から『戦乙女』の異称(な)で呼ばれ始めたのは
ごく最近であり、発端は軍事演習施設襲撃より数週間を遡ることになる。
 貿易港として栄えた人工島にシェインたちが転送され、そこでヌボコを始めとする覇天組と邂逅したように、
彼女の前にも異世界での後ろ盾となり得る者が現れた。
 それも、ふたり同時に――だ。
 シェインがヌボコと出逢ったのは全くの偶然であるが、フィーナの場合は少しばかり事情が異なっている。
味方と称するふたりは、彼女が転送された場所にて予(あらかじ)め待ち構えていたのだ。
それは「偶然」の二字では説明が付かないことである。
 物体を量子レベルにまで分解し、亜空間を経てふたつの世界を渡し、
移動先にて再構築する転送装置――『ニルヴァーナ・スクリプト』を使用することで
初めてノイの地を踏んだ直後(とき)、フィーナの目に先ず飛び込んできたのは、
そのふたりが激しく言い争う姿だった。
 ひとりは女性である。ロンギヌス社のエージェントであることは出で立ちから一目で判った。
首のところで結んだ赤いリボンが眩しいブラウスに黒いタイツ、
数層のパニエによって丸く膨らんだ厚手のスカートと言う装いだが、
それとは別にカキョウ・クレサキやダイン・オーニクスと同種のジャケットを羽織っていたのである。
 拳銃の扱いに長けるフィーナは、ジャケットの下にハンドガンを装備していることを一目で見抜いていた。
両肩にゴム製のベルトを掛け、脇下に二挺分のホルスター(拳銃嚢)を吊るしているようだ。
 頭髪(かみ)はブロンド――やや人工的な色艶に見える――で、
両サイドを螺旋状に仕上げており、髪型だけを見れば名家の令嬢のように見えなくもなかった。
 あくまでも「令嬢のように見えなくもない」のであって、
本当に名家へ生まれ付いたのかは疑わしい。
 やたらと仰々しい立ち居振る舞いなど、いちいち芝居がかっているように思えるのだ。
マリスも詩人めいた言い回しを好んでいたが、それとはまた違う。
目の前の女性は、映画などで描かれる「極端に脚色された令嬢」を
再現しているようにしか見えないのである。
 互いの自己紹介すらしていない内から女性の立ち居振る舞いが
演技(つくり)であることをフィーナは看破した。
マユやマリスと言った本物≠ニ親しく交わってきた彼女だけに
容易く見分けが付いてしまうわけだ。
 「お迎えに到着したのはアタクシのほうが先! アナタが紳士ならお譲りなさい!」と、
口元に手の甲を添えて高笑いするお嬢様≠ネどフィーナは今日まで見たことがなかった。
 この女性は明らかに本物≠ゥら外れている。
しかも、感情が昂った瞬間など腕を振り回し、大音声を張り上げてしまうのである。
 折り畳み式の傘を手にしているのだが、
これで相手を殴り付けるのではないかと心配になるような剣幕なのだ。
 傍観者たるフィーナの目には、この女性が一方的に相手へ食って掛かっているように映っていた。

「――教皇庁がしゃしゃり出てくるのはおかしいんではなくって? 
この方たちはロンギヌス社と同盟を結んでらっしゃるですことよ? 
でしたら、アタクシたちのほうで引き取るのが道理ではありませんかしらっ!? 
お呼びでないんですことよ、教皇庁なんてッ!」
「そう言われても困るのですよ。そちらの事情は分かりましたが、
こちらもこちらでライアンさんたちを同志として迎えるよう命じられているのです。
そこから外れてしまえば、女神イシュタルの御導きに反することになります」
「そーやって何でもかんでもイシュタル様の名前を出すのが教皇庁のよろしくないところですのよ! 
信仰を盾に取られて引き下がるほど、アンジェリカ・アイオライトが安っぽい女と思わないで欲しくって!」
「うーん、弱りましたねぇ……」
「ンっまー、無礼な! 全然、弱ったような顔をなすってないじゃないですこと! 
アタクシを小馬鹿なすっておられるのかしらね!?」
「……そう見えないのは謝るしかないのですけど、これで頭を抱えたいくらい大弱りしているんです。
何と言いますか、……申し訳ありません」
「表情(かお)と口先がちっとも一致しない態度が人をナメ腐ってるっつって――
申し上げてるのですわよ! 失礼ちゃいますわね、全くもうっ!」

 好き放題に罵倒され続ける側――もう片方は男性である。
 何かの道具を固定する為の物なのか、両肩や袖に何本ものベルトが付けられたジャケットを羽織り、
傍目には締め付けが苦しそうに思えるほど密着性の高いオーバーズボンを穿いている。
 ジャケットとオーバーズボンの下に着込んでいるのは、所謂、ツナギであった。
その上からサスペンダーを着け、更には先端に設けられたループへ胴回りを一周するベルトを通し、
上半身を満遍なく締め付けている。
 拘束具か何かのような複雑な構造の装備は、言うまでもなくジャケットによって覆われている為、
フィーナからは見ることの叶わない物だ。
腰のベルトとサスペンダーが交わる部位に取り付けられた鉄の輪が見て取れる程度であろう。
 これもまた何かの道具を引っ掛ける為の部品に違いない。
 道具≠ニ言えば、彼は右脇に巨大な機械を抱えている。
象牙色の塗装が細かな疵(キズ)によって剥がれるなど、
相当に使い込まれた形跡が見て取れるそれ≠ヘ、本体の先端辺りに長い円錐型の部品を備えていた。
本体の内側へ嵌め込まれたような構造からして、円錐そのものが大きくスライドするらしい。
 ベルトでもって肩から提げ、脇に抱えたとき、最も扱い易い位置に操作用のグリップが取り付けられていた。
逆手で握り込む形のグリップは底面にスイッチがあり、
これを親指で押すことで円錐が飛び出すと言う機構なのだろう。
 一般人が用いる代物とは思えないような機械を携えた男性は、
しかし、「困りましたねぇ」と繰り返しながらヒヤシンスの髪を掻き続けていた。
 確かに男性は口では当惑した旨を述べているのだが、やや垂れた目には笑気を滲ませており、
それが為に女性の側は虚仮にされたものと感じ取ったようである。

(マコシカの人たちみたいにそれっぽい装束を着てるわけでもないけど、でも、この人――)

 ことある毎に創造女神イシュタルの名を口にし、
又、女性の側も彼が所属する組織の名に言及している為、教皇庁の人間であることは間違いなさそうだ。
 しかし、フィーナ自身は確信が持てずにいる。教皇庁の人間と言う見立ても推察の域を出なかった。
男性は教皇庁に属する人間の象徴とも言うべきサークレットを嵌めていないのである。
 テムグ・テングリ群狼領へ与したゲレル・クインシー・ヴァリニャーノなる神官と
ハンガイ・オルスの廊下で行き違ったこともあるのだが、
あの強烈な女性は額に教皇庁のサークレットをしていた筈だ。
 フィーナ自身は直接的な面識がなかったものの、
アルフレッドたちがワーズワース難民キャンプで出会ったソテロと言う老神官も
同じサークレットを着けていたと聞いている。

(――ううん、ちょっと待って。……そっか、決まり切った服装ってワケじゃないんだっけ)

 神官と言う職に結び付くサークレットのことを振り返っていたフィーナは、
そこで教皇庁にまつわるもうひとつの事実を想い出した。
 ノイに於いてイシュタル信仰を統べる組織、教皇庁。その内部で設けられた階級――信仰上の身分≠、
ワーズワースで暮らしていた貴族階級の多くは寄付≠フ名目で買い叩いたと言う。
 教皇庁が定めた身分の最下層――『神僕(しんぼく)』に属する人々は、
誰もが立場を捨てて寄り添い、力を合わせなくてはならない難民キャンプでさえ
不当な扱いを強いられていたが、彼らよりも位階が上回っていた筈の貴族たちでさえ
サークレットは嵌めていなかったのだ。
 現時点で知り得る教皇庁の知識に照合してみると、
この男性が教皇庁の人間であることを疑う理由はなくなるわけである。
 それと同時に神官と呼ばれる位階にないことも見えてくる。
どの程度の身分からサークレットの着用が認められるのか、
今のフィーナには全く分からないのだが、目の前の男性に限って言えば、
余り高くないことだけは間違いなさそうだった。

「ヘラヘラと笑ってばかりいないで、結論(こたえ)をお出しやがれくださいましっ! 
この件から手を引くか、アタクシの平手打ちを喰らうか!? さぁ、どうされますことっ!?」
「そもそも、どちらか一方が手を引くと言う前提で話を進めるのが問題かと思います。
ロンギヌス社と我が教皇庁との間に利害の対立などありませんよね? 
もちろん、表立って結託しているワケじゃないですけど」
「――ん!? んんんッ!?」
「自分たちが角突き合わせる理由は最初からないんじゃないかと。
どうせなら、ふたりでライアンさんたちをお迎えしませんか? 
ロンギヌス社と教皇庁、双方の誼をより強くすることにも通じると思うのですが……」
「ナ、ナンパですのね!? ナンパなさろうとしておられますわね!? 
アタクシ、声を掛けられただけでその気になるほどカルい女じゃなくってよっ! 
でも、念の為、年収だけは伺っておきますわッ!」
「どこをどうしたら、そんな異次元みたいな発想になるんですか……」
「クソですわ! 持ち上げて落とすパターンでしたのね! おンのれ、よくも! よくもよくもよくもぉッ!」

 ロンギヌス社の女性は顔を真っ赤にして怒声を吐き続け、
対する教皇庁の男性も彼女(そこ)に意識が引き付けられている為、
周囲の情報を読み取ることさえ出来ていない。
 このふたりはフィーナと言う同志を出迎えに訪れた筈なのだが、
何時の間にやら肝心のフィーナ本人が放置されると言う不思議な状況が作り上げられていた。
争いの焦点でありながら――だ。
 何とも宙ぶらりんな立場から言い争いを傍観する羽目になったフィーナであるが、
ロンギヌス社の女性が怒りを増していく理由も解るような気がしていた。
 この男性、物腰が柔らかであり、尚且つ受け答えも明瞭なのだが、
眺めているだけでも心が波立ってしまうのだ。言わずもがな、これは悪い意味である。
 他者を不快にさせる最大の原因は、表情が一定していて全く変わらないことであろう。
どれほど罵られようと面に笑気を湛え続けているのだが、強靭な精神力で聞き流していると言う風でもない。
「耐える」と言う心の振幅さえ感じられず、それが為に温厚そうな微笑すら無機質に思えてくるわけだ。
 フィーナ自身、子どもの頃に遊んだ人形でも見ているかのような錯覚に陥っていた。
内心で相手を見下しつつ愛想を振り撒くような狡猾さは感じられないのだが、
それでも「笑顔を貼り付けている」と言う喩えが相応しいように思えてならない。
 フィーナが分析している間にもロンギヌス社の女性は憤激を加速させており、
今にも相手の胸倉を掴み上げそうだ。
 両者とも年の頃は二〇代前半と言ったところであろう。
教皇庁の男性も受け答え自体は誠実なのだが、その一方で厄介な相手を言葉巧みに宥め賺(すか)し、
切り抜けられるだけの老獪さは未(ま)だ身に着けていない様子だった。

「――大方の事情は察しました。当方としましては多くの同志と手を携えて参りたいと存じます。
是非とも御二方に揃ってお力添えを賜りたく、お願い申し上げます。
そちらもそちらで、手前どもの事情を良くご存知のようですし……」

 そう言ってふたりの仲裁に入ったのはフィーナではない。
彼女の隣から飛び出していったタスク・ロッテンマイヤーであった。
 フィーナはひとりきりで此処に転送されたわけではなかったのだ。
 無論、決死隊の総員が揃っていると言うことでもない。
フツノミタマを付け狙う『贄喰(にえじき)』のヌバタマの襲来を原因として発生した転送事故の影響か、
殆どの仲間とは離れ離れとなってしまっている。
 現にシェインたちは遠国でヌボコと邂逅し、現在は覇天組の保護を受けているのだ。
 尋常ならざる事態の只中に在って、タスクは奇跡的にフィーナと同じ場所へ出現し、
その直後に飛び込んできた不毛な言い争いに面食らったまま、
仲間同士の安否を確かめ合うことも忘れて硬直していた次第である。
 暫し時間を置いたことで、ようやく己の置かれた状況を認識したタスクではあるものの、
元来の世話好きな性格から言い争いを見過ごせなくなり、思わず両者の間に割って入ったのだった。
 タスクの呼びかけを受けて、ようやく課せられた使命を思い出したふたりは、
取り繕いようもない浅慮を愧じた後、改めてフィーナたちに向き直った。
 蟠りが完全に解消されていない証左か、あるいは相手を牽制する意図を含めているのか、
双方とも物理的に距離を空けて――だ。

「――アタクシ、アンジェリカ・アイオライトと申しますの。
会長から伺いましたけれど、皆様はシラカワ隊長と面識がありますわよね? 
カキョウやヴィンセントさんとも。でしたら、察して頂けると思いますわ。
アタクシもロンギヌス社のエージェントですことよ。
以後、お見知りおきを。……ああ、アタクシのことは『アンジー』と
気さくにお呼び下すって結構ですことよ!」
「教皇庁所属、レナス・クドリャフカです。モルガン大司教のもと――と言っても分からないかもですね。
ええっと……我が師の命で皆さんをお助けに参りました。
全ては創造女神イシュタルの御導き。どうか皆さんの為に働かせて下さい」

 順番に――ロンギヌス社のエージェントが勝手に始めたのだが――自己紹介した後(のち)、
アンジーは「恥ずかしいところをお見せして、ごめんあそばせ」と、
スカートの左右の裾を摘まんで恭しく一礼して見せた。
 本人は優雅なお嬢様≠ニして振る舞っているつもりなのだろうが、
ひとつひとつの所作(うごき)がいちいち仰々しい為、傍目には滑稽で仕方がない。
 本物≠フ傍近くに仕えてきたタスクは、如何なるものを優雅な振る舞いと呼ぶのか、
この場の誰よりも知っている。それだけに内心では見るに堪えないと辟易しているかも知れないのだが、
そこはやはり大人≠ナある。呆れたような素振りも見せず笑顔でアンジーに応対していた。

「――クドリャフカとか言う兄ちゃんが持ってるアレ、十中八九、MANAだと思うぜ。
カタログでも見たことねぇタイプだが、きっと今はウエポンモードに切り替えてるハズだよ」
「ラスさん……」

 他の人間に聞こえないよう声を落としつつフィーナへ耳打ちしたのは、
彼女が口にした愛称からも察せられる通り、ニコラス・ヴィントミューレその人である。
 アンジーとレナスが出迎えに赴いた先で確認出来たのは三人のみ――
即ち、フィーナ、タスク、ニコラスだけが同じ場所に転送されたと言うことであった。

「挙動不審な姉ちゃんの折り畳み傘だって分からねぇ。
暢気に日傘差してこんな場所≠ワで出向いてくるわけもねぇしな。
何と言ってもロンギヌス社の人間みたいだからな、あいつは」
「……難民ビジネスのこと、気にしてるんですか?」
「いや、あの姉ちゃん、単純にヘンだろ。あからさまなお嬢様口調なんて不自然極まりねぇし。
アルバトロス・カンパニーにも元お嬢様が居たけど、あんなデタラメな動きはしちゃいなかったぜ」
「本人、一生懸命みたいなんですから、あんまり触れないであげるほうが良いんじゃないかなぁ……」
「てゆーか、オレだって触れたくねぇよ。アレは迂闊に突いたら面倒なコトになるだろ、絶対」

 すっかりアンジーを危険人物――それも本人には限りなく不名誉な性質であろう――と見做したニコラスはともかく、
フィーナはロンギヌス社と教皇庁の人間が同時にこの場≠ヨ現れたことが何を意味するのか、
これを解き明かすべく必死に思考(あたま)を回転させている。
 異世界から訪れる者たちを出迎えようと、全く違う組織の人間が同じ時間に同じ場所で待機していた事実を
「単なる偶然」で片付けるわけにはいくまい。そもそも、フィーナたちが出現する地点を
ふたりはどうやって割り出したと言うのか。
 その疑念は、アンジーとレナスの背後に在る組織は、
何≠、どこまで£mっているのか。そして、どうやって£mったのか――とも言い換えられよう。
 レナスは教皇庁に於ける師匠からの命令で、アンジーはロンギヌス社の会長の指示で
この場≠ノ待機させられたと言うが、これはつまり、ふたりの属する組織の上層部は
フィーナたちが転送される場所を予(あらかじめ)め把握していたことになるわけだ。
 ギルガメシュの最終兵器を阻止しようと言うときに誰の後ろ盾もないままでは苦戦は必至であり、
右も左も分からない異世界に味方が居てくれることは心強いのだが、
同時にこれほど不可解なことはあるまい。不気味と言い換えても良い程だ。
 アンジーもレナスも上層部(うえ)の指示に従って行動しているだけであろう。
フィーナたちが出現する地点を割り出した経緯には、おそらく関与していない筈である。

(こんなコトをする人なんて、コールタンさん以外には考えられないよねぇ……)

 フィーナには全てがコールタンの差し金としか思えなかった。
 教皇庁とロンギヌス社に出現場所を密告したのは、十中八九、コールタンと考えて間違いなかろうが、
ただ機密を漏洩するだけには留まらず、ニルヴァーナ・スクリプトの細かな座標まで
操作していた可能性も捨て切れない。
 寧ろ、そのような芸当を彼女以外の誰に出来ようか――とさえフィーナは疑っていた。
 転送装置の設定はさて置き――教皇庁とロンギヌス社まで操っていたとは、
幹部と言う立場であるが故に自由には動けないと言いながら、やりたい放題も良いところではないか。
 さしものフィーナもコールタンの掌の上で転がされているような錯覚に陥り、
「私たちは仲間であってパシリじゃないんですよ……」と、
誰にも聞こえないくらい小さく溜め息を吐いた。

「……フィーナ様? 如何なさいました?」
「何でもないですよ、タスクさん。そう、何でもな――」

 タスクに呼ばれたことでアンジーたちへと意識を向けるフィーナであったが、
自己紹介を返そうとした瞬間、背筋に冷たい戦慄が走り、
交流を深めていられるような状況ではなくなってしまった。
 故郷を旅立ってから今日まで潜り抜けてきた数多の死地の中で培われた戦士としての直感が
彼女に危機の到来を告げていた。
 見れば、ニコラスとタスクも緊張の面持ちで周囲を警戒しており、
アンジーに至っては両手でもって折り畳み式の傘を握り締め、
更には「空気を読まない不届き者は生きたまま頭蓋骨をぶっこ抜いてやりますわ!」などと
物騒なことまで口走っている。
 レナスも相変わらず表情は変わらないのだが、臨戦態勢を整えたことだけは見て取れる。
フィーナのように本能≠ェ疼いた瞬間に即応したのであろうか、
脇に抱えたMANAのグリップを右の五指にて強く握り締めていた。

「あー、やっぱり何事もなく済むわけがなかったか。つか、出張るにしても遅かったくらいだぜ」

 レナスの物と同じく右脇に抱えて使用する型のMANA――ガンドラグーンを構え直しつつ、
ニコラスは如何にも面倒臭そうに顔を顰めた。
 ノイの地を足で踏む以前からMANAをレーザーバズーカにシフトさせており、
最早、標的に砲門を向けるだけで臨戦態勢が完了するのだが、
ニルヴァーナ・スクリプトによって心身共に疲弊してしまったらしく、
忍び寄る影の正体を探ることも億劫とばかりに溜め息を吐き捨てた。
 先程も彼は含みのあるようなことを話していた。
自分たちが出現した地点を「こんな場所」と嫌がり、
これ以上ないと言うくらい迷惑そうな顔を晒したのである。

「ニコラス様、『遅かったくらい』とは、一体、どう言うことでございますかっ?」
「言ったまんまの意味だよ。……此処≠ヘな、タスク、
こっち≠フ世界じゃ知らない人がいないってくらい有名なクリッターの棲息地なのさ」

 ニコラス曰く――この付近一帯は大型クリッターが隠れ潜む地域として
ノイでは知らない人間がいないと言うのだ。
 どこまで見回しても、此処は何の変哲もない平原である。
環境汚染が深刻化しつつあるアルトに於いても、これと同じような風景が全く消滅したわけではなく、
向こう≠謔阮Kれたフィーナたちにも大して珍しいものではなかった。
 しかも、だ。クリッターが好んで群がる有害な廃棄物も見当たらない。
風に揺れて波紋を作り出す草色の海の只中に大小様々な奇石(いし)が環状に並べてあるくらいだ。
 ルーインドサピエンス(旧人類)の時代の残滓とも伝承される有害廃棄物だけでなく、
背の高い樹木も辺りには見当たらない。それが為に風でも突き抜けようものなら肌寒さに身震いする程であった。
 有害物質を多分に含んだ廃棄物の表面を撫でていないので、フィーナたちが身に浴びる風は清浄そのもの。
この地へ降り立った直後には、避暑地にでも迷い込んだのではないかと誤解しそうになったのである。
 巨大な奇石(いし)が並べられたこの地を指して、ニコラスは『ストーンヘンジ』と呼んでいた。
 本人は今まで写真でしか見たことがなかったそうだが、
それ程までに恐ろしい危険地帯なのだとフィーナたちに注意を促し、
誰に聞かせるでもなく忌々しそうに舌打ちを披露している。
 今やフィーナにはストーンヘンジは戦場としか思えなかった。
事実、彼女たちは揃って危険な気配を感じ取り、臨戦態勢に入ったのである。

「お前さんたち、近くにクリッターの群れ潜んでいやがるって怖くねぇのか? 
よくもヒマそうに口喧嘩なんかやっていられたもんだぜ。
それとも、此処がどう言う場所なのか、マジで知らねぇのか? 」
「ほォ〜ほっほっほ――アタクシに怖い物なんかなくってよ! 
クリッターだろうが、何だろうが、チョチョイとやっつけちゃいますわー! 
何なら、ストーンヘンジを丸ごと吹き飛ばして教皇庁との違いを見せつけて差し上げましょうかしら?」
「こんなときに腕自慢してんじゃねーよ! ンな効率の悪いこと、言ってるんじゃねーだろ。
ロンギヌスの一味なんだから、何かこう……クリッター除けのMANAとか持ち込んでねぇのかよ。
虫を追っ払う機械みたいなヤツを。そのテのMANAを使ってたから、
今までクリッターも寄り付かなかったんだって、そう言うオチで頼むぜ」
「そんな都合の良いMANA、現在(いま)はありませんことよ! 
栄えある開発部第一開発課が鋭意開発中なので、正式リリースをお待ちくださいまし!」
「今、手元になきゃ何の意味もねぇんだよ! アホくせェのは喋り方だけにしといてくれ!」
「なにこの――てめぇ様におかれましては、後で憶えていやがれですわッ!」

 ニコラスがロンギヌス社のエージェントに無理難題を押し付けている間にも、
彼方此方から不気味な羽音と、草を掻き分けるかのような異音が聞こえてくる。
 いずれもクリッターが発する物と考えて間違いあるまい。甲高い鳴き声などは四方八方で上がっている。
しかも、獣のそれ≠ナはなく昆虫の鳴き方に近いのだ。

「……トラウムよりスリッパを取り出したほうが合っているかも知れませんね」

 昆虫型のクリッターが押し寄せてきたと判断したタスクは、
浮足立っている仲間たちを落ち着けようと敢えて冗談を呟いてみたのだが、
誰からも笑い声は返ってこなかった。
 何ひとつ笑えない状況なのだから仕方あるまい。
一同が危機を直感した時点で、既にクリッターの群れに包囲されていたようである。

(――本当にどう言うつもりなのかな、あの人は……っ!)

 誰に対しても分け隔てなく慈愛を以て接するフィーナであるが、
それでも決死隊(じぶんたち)をノイへ誘った食わせ者≠ノは腹立たしさを禁じ得なかった。
 転送の果てに到着する座標を操作したのが本当に彼女であるとすれば、
わざわざ死の危険と隣り合わせになるような場所を選んだことになる。
共に手を携えてギルガメシュを倒そうと言う同志に対し、これほどふざけた仕打ちはあるまい。
 ノイでも有数の危険地帯であるからには、
コールタンが此処をクリッターの巣窟であると認識していない筈がないのだ。

「フィーナ様、ニコラス様! ここは私どもでっ!」
「ああ、そのつもりだぜ! 『ヴァニシングフラッシャー』で焼き払ってやるさ!」
「はいっ! 全部、撃ち落としましょう!」

 食わせ者≠ヨの苛立ちを積み重ねたところでクリッターが攻撃を待ってくれるわけでもない。
 地を這う群れの接近は揺れ動く草叢を見れば瞭然であり、
機械化された関節の可動音(おと)が厭でも耳に飛び込んでくるのである。
 振り払わなくてはならない危機は、すぐそこまで迫っていた。
 高空には羽音を奏でながら飛来してくる敵影も認められるのだ。
胴から下――腹に当たる部位が大きく膨らんだ輪郭から察するに、
おそらくはハチ型のクリッターであろう。
 毒々しい色合いの鱗粉を撒き散らしている大きな翅(はね)のクリッターは、
蝶ではなく蛾――生まれてこのかた、昆虫を好ましいと思ったことがないフィーナは、
腹の底から悲鳴を上げたい気持ちだった。
 さりとて、一歩たりとも退かず、歯を食い縛って踏み止まっているのは、彼女が一人前の戦士であるからだ。
生理的に苦手な種族(タイプ)と見(まみ)えたからと言って、戦場から逃げ出す理由にはならないのである。
 如何なる方向から攻撃されても反応出来るよう身構えつつ、
「来るよッ!」と仲間たちへ――アンジーとレナスも含めて、だ――勇ましく呼び掛けていった。

「リボルバー拳銃だからって狙い撃ちに向かないなんて思わな――」

 片腕を天に翳してトラウムの具現化を図るフィーナ、そして、タスクであったのだが、
彼女たちが幾ら念じようともヴィトゲンシュタイン粒子が掌へ収束することはなく、
全く何も起こらなかった。

(嘘――でしょ……!?)

 その瞬間、フィーナもタスクも表情(かお)が凍り付いた。
 どうして、トラウムが具現化されないのか――最たる原因を一瞬で分析出来てしまったが為に
途方もない絶望感が押し寄せてきたのである。

「フィーナ様、……これは少し難しいことになったかも知れません」
「いきなり躓いちゃいましたね。これ一度きりじゃなくて、
ずっともっと……今まで以上に戦わなくちゃいけないのに……っ!」

 血の気が引いた顔を見合わせるふたりは、
此処≠ェ理(ことわり)から何から全てが違うエンディニオンであることを
改めて思い知ったところである。
 例え同じ名を持っているとしても、自分たちが立っているのは紛れもなく異世界なのだ。
トラウムと言う恩恵は、そもそもアルトでしか確認されておらず、
ノイの側で使えなくなったとしても何ら不思議ではないのである。
こちら側≠ノヴィトゲンシュタイン粒子が存在しているかどうかも怪しい。
 完全な盲点であった。想像力を働かせれば、あるいは考え付いたかも知れない。
生まれ育ったエンディニオンの理(ことわり)が異世界に於いても通用するのか、
これを決死隊の誰かが疑い、コールタンに質せば良かったのだ。
 今となっては全てが遅く、後の祭りとしか言いようもない。
咄嗟に身を転がすことで草叢から飛び掛かって来たバッタ型のクリッターを避け切ったフィーナは、
トラウムが使えなくなった原因を探ることは後回しにて、スカートのポケットに右手を突っ込んだ。
 アルトの出身(うまれ)にとってトラウムの有無は死活問題である。
万が一にも喪失などと言う事態に陥れば、人生設計と呼ばれるものさえ引っ繰り返ってしまうだろう――が、
それを案じるよりも現在(いま)の最優先は眼前の敵を切り抜けることだった。
 体術の心得もあるタスクは、斜めの軌道を描く掌打でもってバッタ型のクリッターを叩き落とし、
一瞬たりとも躊躇わずに頭部を踏み潰して見せた。
 さしものクリッターも脳――あるいはこれに当該する装置と言うべきか――を粉砕されては一溜まりもなく、
フィーナ、続けてタスクを襲ったバッタの化け物は、最早、物言わぬ残骸と化した。

「どなたかスリッパをお持ちではありませんか。いっそ手裏剣よりも手っ取り早いような気が致します」

 おどけた調子で笑いながらも、すぐさまにタスクは別の昆虫型クリッターへと向かっていく。
直上(うえ)からは今にもカマキリ型が降り立とうとしている。
 急降下の勢いを乗せた大鎌がタスクを襲い、左肩から右脇にかけてエプロンドレスに裂け目を作った。
 それは致命傷ともなり兼ねない一撃であったが、
大鎌が振り下ろされる寸前にはタスクは後方へと跳ね飛んでおり、少しばかり皮膚が裂けた程度で済んでいる。
 しかし、これで全ての危機を脱したわけではなかった。
もしかするとカマキリ型のクリッターによる斬撃は、タスクの意識を正面へ引き付ける策略だったのかも知れない。
彼女の背後には地を這うムカデ型が迫っていたのである。
 ドラゴンやギガント(巨人)ほどではないものの、十分に大型のクリッターだ。
二本の牙で噛み付かれようものなら胴を切断されてしまうのは間違いない。

「――やべぇッ! クソ……あぶねぇッ!」

 タスクに迫る巨大な牙を見て取ったニコラスであるが、
彼もまた次から次へと体当たりを仕掛けてくるテントウムシ型の群れに翻弄されており、
仲間を助けるどころか、レーザーバズーカの狙いすら定められずにいる。
 無用の長物と化してしまったレーザーバズーカを右脇に抱えつつ、
飛来するテントウムシ型を鋼鉄のグローブで包まれた左拳でもって殴り付けていく。
 一匹ごとしか攻撃出来ないので必要以上に手間取ってしまうのだが、
今のニコラスには他に選択肢がなく、それが為にタスクの危機にも即応し切れなかった次第である。
 しかも、だ。ニコラスは親友(アルフレッド)のように体術を得意としているわけではない。
渾身の力を込めて拳打を繰り出しても足腰の捻りや踏み込みが甘い為、
中途半端な威力しか生み出せないのだ。
 必然的に大きな痛手を与えるには至らず、テントウムシ型のクリッターも仕留め損ね、
今や持久戦のような状況に陥りつつあった。
 もうひとつ、ニコラスを苦しめているのはスズムシ型だ。
このクリッターが鳴き声を発する度に脳を揺さ振られ、平衡感覚が乱されてしまうのである。
ただでさえ不慣れな拳打が更に弱まるのだから、テントウムシ型を撃墜させられる筈もない。
 テントウムシ型を引き受けると言って飛び出したニコラスは、
フィーナたちとは少しばかり離れた位置で交戦している。
スズムシ型の発する特殊な鳴き声――超音波による攻撃は彼ひとりにしか影響を及ぼしておらず、
他の仲間たちは有効範囲に入っていない様子であった。

(どうなっているんだ!? こんなヤツら、見たことがねぇぞ!?)

 テントウムシ型とスズムシ型――二種のクリッターを同時に相手にするニコラスは、
超音波によって寸断されそうになる思考を必死に繋ぎ止め、交戦の最中に覚えた違和感を分析していく。
 群れを成して人を襲うクリッターは少なくないが、
しかし、直接攻撃と攪乱の役割を分担するような連携攻撃など過去に聞いたことがなかった。
それも、異なる種の間で――だ。
 熱砂の合戦に於いてギルガメシュは何らかの方法≠用いてクリッターを操作していたようだが、
少なくともニコラスが知る限りでは、物量作戦よろしく一挙に嗾ける程度のことしか出来ていなかった筈である。
 現在(いま)、彼の視界に映るクリッターは紛れもない用兵術を駆使しているのだ。
 完全な機械とも純然たる生命体とも言い難い化け物が、どうやって知略など身に着けたのか――
新種≠ニしか言いようのないクリッターについて考えれば考えるほど混乱していくニコラスであったが、
この推論を続けていられたのもタスクの危機が視界に映るまでのこと。
 彼女を不意打ちしようとするムカデ型のクリッターこそが何よりも早く退けねばならない脅威なのだ。

「野郎ォッ!」
「――ラスさんはそっちに集中してッ! タスクさんのほうは私がッ!」

 二種のクリッターに妨害されている為に照準は合わせられないが、
せめて威嚇射撃でもってムカデ型のクリッターを食い止めようと
ガンドラグーンを構え直すニコラスだったが、砲門を向ける寸前にフィーナの大声が飛び込んできた。
 タスクの救援は己が引き受けると言ってのけたフィーナは、
先ずはテントウムシ型とスズムシ型を殲滅するようニコラスへ頼んだのである。
 このとき、フィーナの掌中には水の力を秘めたCUBE――『MS‐WTR』が握られている。
地面から間欠泉を噴き上げさせる『ガイザー』なるプロキシを発動し、
獰悪なる牙がタスクを捉えるか否かと言う瞬間にムカデ型のクリッターを撥ね飛ばしたのだった。
 異世界へ赴くに当たって手持ちのCUBEは全て決死隊に託されており、
フィーナには『MS‐WTR』が割り当てられた次第である。
 自然界のエネルギーが結晶化したとも喩えられるCUBEには、
マコシカの民が操る秘術と同種のプロキシが備わっており、
その力は使用者が念じることで解き放たれるのだ。
 トラウムが使えなくなってしまったフィーナにとって、
水のCUBEは唯一無二の武器と言っても差し支えなかった。

「――忝く存じます、フィーナ様!」

 窮地を救われたことに礼を述べたタスクは、腹を見せる恰好で転がったムカデ型クリッターの胴を踏み付け、
次いでカマキリ型の腕を掴んで大鎌となっている部位をもぎ取ると、これを下方に向かって振り落とした。
 眼下の敵を狙いながらも、それは横一文字の軌道を描いている。
即ち、ムカデ型の胴を真っ二つにしようと言うわけだ。
 巨大な牙でタスクを脅かすつもりが、反対に胴を切断されてしまったムカデ型のクリッターであるが、
流石にしぶとい生命力を見せ、離れ離れとなった両方が体液――生物の血が如く体内を駆け巡る油だ――を
撒き散らしながら這いずり回っている。
 昆虫を好まないフィーナにとっては身の毛も弥立(よだ)つような有り様だが、
その間にもタスクは大鎌を振り回してカマキリ型の頭部を輪切りにし、これを仕留めている。
 大鎌の先端を胴へ突き刺して確実に止(とど)めを刺すと言うタスクの姿を目の当たりにしたフィーナは、
立ち竦んではいられないと自らを奮い立たせ、CUBEを握り締めた右手を前方へと突き出した。
 その瞬間、彼女の右手から一筋の高圧水流が射ち出され、
タスクによって切断されたムカデ型の胴の下半分を捉えた。
 水鉄砲のようにも見えるこれ≠烽ワた『MS‐WTR』に備わったプロキシである。
 先程、ムカデ型を突き上げたプロキシと比して破壊力は桁違いだ。
直撃した部分を中心として全体に亀裂が走っていき、間もなく木っ端みじんに粉砕してしまった。
 残る頭部にも水鉄砲を喰らわせようとするフィーナであったが、その瞬間に不可思議なことが起きた。
一直線に射ち出された筈の水流があらぬ方角へと軌道を変えてしまったのである。
 改めて詳らかとするまでもなかろうが、弾道≠フ歪曲などフィーナは念じていない。
「今度は何っ!?」と、目を丸くしたのが何よりの証左であろう。
 フィーナの右手より射ち出されたプロキシが何か≠ノ吸い取られていくような光景だった。
最早、弾丸ではなく帯と化した水中の向かう先へ視線を巡らせると、
得意満面と言った表情(かお)のアンジーに辿り着いた。




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