6.その名は幕府


 何とも表現し難い異臭の垂れ込める薄暗い閉所で、ひとりの男が獣の如き吼え声を上げていた。
およそ人間の紡ぐ言葉から掛け離れた、感情の迸りとでも呼ぶような絶叫であった。
 その部屋は床と言わず壁と言わず、四方八方が鋼鉄の板で囲まれており、
誰かが歩く度に甲高い靴音(おと)が天井に撥ね返る。
このような室内(なか)で大音声を張り上げようものなら、
反響と増幅を繰り返して極大のうねりと化し、周囲の人々に容赦なく襲い掛かることだろう。
 室内にて直立不動していた兵卒たちも、この瞬間(とき)ばかりは反射的に耳を塞いでいる。
携えていた銃器を取り落としてしまう者も見られたが、これは誰にも咎められまい。
防御が間に合わなければ、鼓膜を引き裂かれたかも知れないのだ。
 現に大音声を発した本人も、己の短慮を悟った直後には周囲の兵卒たちを見回し、
「すまん、私としたことが……」と詫びたくらいである。
 その男の傍らに侍った少年は、耳こそ覆いはしなかったものの、困ったように顔を顰めている。
鼓膜どころか、臓(はらわた)まで震わされたに違いない。
 それでも彼の傍を離れることはなく、自分より二回りは高い位置に在る顔を見上げながら、
「将の立場で生の感情を曝け出すのは如何なものでしょう――ですが、ご心中はお察しします」と、
諫めと慰めを静かに述べていった。その語調を以てして、昂った気持ちを鎮めるよう促している。
 将≠フ立場を問われた側は、自分の半分も生きていないだろう少年へ
「お前のような小僧に何が分かるのか」と怒鳴り返すような真似はせず、
寧ろ、彼の諫言にこそ道理があると認め、黙したまま頷いて見せた。
 これを見て取った少年は、一等悲しげな表情を浮かべ、間もなく苦悶の声を引き摺りながら俯いた。
 何故、この男が「将の立場」まで忘れて声を荒げずにはいられなかったのか――
そこに至る過程を振り返り、胸中に渦巻いているだろう無念を我がことのように感じているのだ。
 両者の姿は、癇癪を起こした父を嗜める息子と言う構図にも見え、室内に立つ兵卒たちの胸を締め付けた。
鋼鉄の板で囲まれた閉所――その中心に立つ将≠ノ、誰もが憐憫の眼差しを向けていた。
 今や肩を小刻みに震わせている男の名は『ティソーン』と言う。
 これは伝説的な名剣より拝借した異称(コードネーム)に他ならず、
更に肩書きを付け加えるならば、『唯一世界宣誓ギルガメシュ 副司令』と冠するべき人間であった。
少年が口にした言葉は比喩などではなく、名実ともに将≠スる立場に在ったわけである。
 先ほどは部下たちの前で激情を晒してしまったものの、
武装組織の副将≠ニ言う重責を担えるだけの年齢であることは間違いない。
 痩せ気味の顔に刻まれた皺の深さが初老の域へ達している事実を端的に表している。
余人には想像も出来ない程の心労が肉体にまで蝕んでいるのか、
双眸は虚ろで、目の下などは大きく膨らみ、醜く弛んでしまっていた。
 目元に生じた黒隈(くま)などは病的としか表しようがないくらいに濃い。
 一方、傍らに在る少年は陽の光を浴びた麦畑を彷彿とさせるほど美しいブロンドであり、
真隣へ並ぶことによってティソーンの面へ滲む陰≠一等際立たせてしまうのである。
 おそらく一〇を超えたばかりだろう。やや色白の肌は瑞々しく、
現在(いま)は悲しみを宿している群青の瞳も、
時間(とき)を置いて気力が回復すれば、溌溂と輝くに違いない。
誰の目にも枯れた佇まいとして映るギルガメシュ副司令とは対照的だった。
 体躯と言う直感的な差異もあり、又、共にカーキ色の軍服を着用していることから、
両者は親子のように見えなくもない――が、実際に血の繋がりがあるわけではなさそうだ。
 ブロンドの少年に対し、ティソーンの髪の色は深紫と全く異なっている。
所々、銀色に輝いているように見えるのは、白髪(しろいもの)が混じっている所為であろう。
 声を荒げた際に乱れたのか、前髪が簾状になっているものの、
深紫の頭髪全体を後方へ流し、所謂、オールバックの型に整えていた。
 ティソーンの頭部に於いて生身と判断できる部分(めんせき)は大して広くない。
顔面の左半分が部屋を囲む鋼鉄の板と同じ鈍色の光沢を発しているのだ。
頬の辺りからはケーブルまで飛び出しており、これは耳朶に装着されたピアス型の機械へ接続されている。
 一風変わった仮面を被っているように見えなくもないが、
しかし、装飾品と同じ扱いは出来ず、簡単に取り外すようなことも不可能である。
過去の激闘によって損壊した骨肉の代わりに機械が埋め込まれているのだ。
 グラムと言う前例が示す通り、肉体(からだ)の一部あるいは大部分を機械化することは
ギルガメシュの技術力を以てすれば容易く、それと同じ手術がティソーンにも施された次第である。
 そもそも、だ。彼は先刻まで本物の仮面を被っていた。
ノイの地に於いてギルガメシュの将兵が用いていた道化師の如き仮面を――だ。
 その仮面が現在(いま)は残骸としてティソーンの足元に転がっている。
激情の赴くまま、床に向かって叩き付けたのだろう。
眉間から一直線に罅(ヒビ)が入り、真っ二つに割れてしまっていた。

「我らの意志はひとつではなかったのか。何故、同志の道がふたつに別れねばならんのだ。
……隔てた世界≠ナいがみ合って、一体、どうなると言うのか――」

 零した呟きが形となって現れたかのような残骸を見下ろすティソーンは、
暫し圧(へ)し口を作った後(のち)、酷く疲弊した調子で瞑目した。
 少年の掌中にも同じ仮面が在る。こちらは何処も壊れていないが、
しかし、これを持つ右手は震えている。恐怖や戦慄と言った類のものではなく、
身の裡から沸き起こる激烈な衝動を必死になって抑え込んでいる証左であった。
 つまり、何かの拍子にティソーンと同じ真似をするかも知れないと言うことである。

「……これがギルガメシュの有り様ですか、ティソーン様。
これが……メルカヴァを滅ぼしたカレドヴールフの――その底≠ニ言うことですか」
「――クトニア、口を慎め。……いや、私の失言がいかんのだな……」
「いいえ、これは私の意思……ッ!」
「ならば、もう一度、同じ言葉を繰り返そう。口を噤むのだ、クトニア」

 血縁でもないのに良く似たこのふたりは、揃って双眸に憎悪を滾らせている。
 ギルガメシュ副司令としての立場と、先ほど醜態を晒したばかりと言う後悔から
ティソーンは感情の暴発を抑えようと努めているが、
反対にクトニアと呼ばれた少年の瞳は今にも憤怒の炎が飛び出しそうだ。
 年端も行かない少年兵にも関わらず、総司令を呼び捨てにし、
挙げ句の果てには、その器≠ェ知れたような物言いで罵倒したのである。
 口を噤むようティソーンから窘められはしたものの、
クトニアは尚も収まりがつかないと言った面持ちで頬を震わせている。
 余程、腹に据え兼ねたのだろう。「何故、同志の道がふたつに別れねばならん」と
ティソーンが零して以来、彼の為に浮かべていた悲しみの表情(かお)は、
毒々しい憤怒の色に塗り替えられていた。
 クトニアの胸中に渦巻く感情(おもい)を察したティソーンは、
彼を正面から見据え、「それでお前の心は晴れるのか? 逆に暗闇が増すだけだろう」と諭した。

「総司令個人(ひとり)を憎んだところで何も変わらん筈だ、クトニア。
……短気を起こして忘れてはならないぞ。お前の生命は、お前個人(ひとり)の物ではない。
お前に生きるよう託した者たちの声を想い出せ」
「私が生きろと強いられ、……託されたのは祖国の思いひとつです。それを貴方が――」
「それでも――それでも……全て飲み込んで進むしかないのだ、今は。
ここで私情に屈すると言うことは、未来を諦めて立ち止まると言うこと。
これまで背負ってきたものを無に帰すわけにはいかないだろう? 
それだけは断じて出来ない筈だ。私も、お前も……!」

 押し殺すかのような低い呻き声にこそ、ティソーンと言う男の抑え切れない本心が表れているようだった。

「……狡い人です。貴方は、いつもいつも……」

 未来は諦められないとするティソーンの言葉で心を震わされ、
これによって激情の根を断ち切られたクトニアは、
「少年」と呼ばれる年頃には凡(およ)そ似つかわしくない憂いに満ちた溜め息を吐いた後(のち)、
落ち着いた口調で己の短慮を謝った。

「お前にそんなことを言わせてしまう時点で、私こそ自分の至らなさを恥じねばならん。
約束破りと責められても、返す言葉がないのだ――」

 呻き声を重ねるティソーンの背後――即ち、部屋の最奥には大型のモニターが設置されている。
今は電源が切れているのだが、大画面(そこ)には先程までアルトにて戦っている本隊の人間が映し出されていた。
 ギルガメシュの――と言うよりは、カレドヴールフ付きで軍師を務めるアゾットが
副司令へ通信を求めてきた次第である。
 本隊からの緊急連絡と言うことで止むなく応じたものの、
ティソーンにしてみれば、現在(いま)はアゾットなどと談じ合っている場合ではないのだ。
 此処にも半日前に辿り着いたばかりであり、従ってきた将兵を満足に休ませてもいない。
ティソーン本人とて重い身体を引き摺りながら薄暗い建物に転がり込んだようなものであった。
 ここまでギルガメシュの副将を追い詰めたのは、他ならぬ覇天組である。
 教皇庁と結託することによって陽之元国外に於いても自由な作戦行動が可能となった覇天組から
執念と呼んでも差し支えがない程の追跡を受け、
人里離れた軍事演習施設まで這う這うの体で退避してきたところだった。
 ここ半月の間にギルガメシュ別働隊は覇天組とは異なる勢力にまで襲撃されるようになっていた。
何処かへ転進すれば、必ず移動先に反対勢力が待ち構えているのだ。
全滅を避けるべく逃げ果(おお)せても、その度に軍事拠点を潰されており、
ティソーンたちは日を追う毎に劣勢となっているのだった。
 今のところ、組織立って連携しているわけではなさそうだが、
反対勢力が複数存在しているのは間違いなく、それぞれ独自にギルガメシュを攻撃していた。
 此処へ――軍事演習施設へ移る前は森林地帯に設けた武器庫で休息していたのだが、
結局は其処も反対勢力に狙われ、夜襲を仕掛けられた挙げ句、
彼方此方から掻き集めた銃器を根こそぎ奪われる結果となった。
 ギルガメシュ正規兵が用いる光学兵器には遠く及ばない旧式の装備ではあるものの、
空≠フ戦力を覇天組に壊滅させられた別働隊にとっては極めて貴重であり、
手元にハンドガンの一挺さえ残らなかったことは痛過ぎる損失であった。
 武器庫を襲撃したのは、教皇庁の息の掛かった人間と推察されている。
数名から構成される小さな隊で、先陣を切って攻め寄せたのが中心人物と考えられていた。
 その者はブロンドの髪を夜風に靡かせながら戦いの場を駆け抜け、
突撃銃でもって次々と将兵を討ち取っていく姿から別働隊内では戦乙女≠ネどと呼ばれている。
 武器庫での戦いなど喉元≠ワで迫って来たことはあるものの、
ティソーン自身は直接的に見(まみ)えたことは一度もない。
しかし、各地に分散させた部隊が戦乙女≠フ猛攻に揺るがされていると報(しら)されたなら、
厭でも意識せざるを得ないだろう。
 流星の如く突如として現れた戦乙女≠ヘ、僅か半月足らずでギルガメシュの脅威と認識されたわけであった。
 彼女の射撃と――その背後に控えた教皇庁の陰謀によって別働隊は大いに苦戦させられているのだが、
現時点では全滅の危機には瀕していない。善戦次第では挽回し得る可能性も残されている。
唯一、それだけがティソーンの救いであった。
 果たして、別働隊の苦闘が本当に本隊の人間にも届いているのだろうか――
軍師たるアゾットはティソーンたちを口先でねぎらった後(のち)、
『幕府(ばくふ)』と言う名の軍事政権がアルトに樹立されたことを報告した。
 この時点で、一度、ティソーンの思考は停止していた。
軍事政権のことなど副将の耳には全く届いていないのである。
 テムグ・テングリ群狼領を主将とする連合軍をギルガメシュ本隊が撃破し、
アルトを実効支配出来るだけの状況まで持ち込んだことは聞いている――が、
そこで一切の情報が止まってしまっているわけだ。
 仮にも副司令に対して事前の相談も何もないままカレドヴールフは『幕府』を発足させ、
あまつさえ、勝手に道化師の如き仮面を脱いでしまったと言うではないか。
 しかも、仮面を捨て去ったのは連合軍を打倒した直後のこと。
そこから相当な時間が経過しているのだが、別働隊は今まで何も知らずに本隊と異なる出で立ちで
戦いの場へ臨んでいたと言うことだ。
 ギルガメシュの組織運営にも直結するほど重大事を
今になって明かすと言う神経がティソーンには信じられない。
 仮面のことも幕府のことも、連絡ではなく一方的な通達としてアゾットは済ませようとしていた。
結果のみではなく細かな経緯まで詳しく説明するようティソーンが求めても、
彼は決して取り合おうとしないのだ。

「おふざけも大概にするんだ。お前には――いや、本隊の人間には我々に説明する責任があるのだぞ。
ギルガメシュの行く末を変えるような決断の場から我々を遠ざけた理由はなんだ!? 
本隊と別働隊が議論を尽くしてこそ『唯一世界宣誓』の指針も定まるのではないか!?」
「副司令は誤解されています。私たちが別働隊(みなみなさま)を爪弾きにする筈がないではありませんか。
時間を惜しまなくてはならない状況だったのです。計略(こと)は一刻を争っておりましたので。
連合軍との決戦に勝ち得たのも副司令の手配りのお陰――ではありますけれども、
援兵を差し向けて頂いた現在も本隊は困窮しておるのです」
「別働隊全体の三分の一にも近い兵をお前たちに譲ったのだぞ。……我らとて楽な戦いなどしてはいない!」
「別働隊の苦境が忍びないからこそ、我らももうひとつのエンディニオン=\―いえ、
アルトに於ける統治の地固めを急いだのです。『唯一世界宣誓』の指針を定めないことには、
助け合おうにもやりようがありますまい」
「ああ言えばこう言う……ッ! そもそも、『幕府(ばくふ)』とは、一体、何様のつもりなのだ! 
『唯一世界宣誓』の指針とは、お前たちの支配欲を満たすことなのか? 
何時からそのような形に歪んだと言うのだッ!」
「ですから、それが誤解なのですよ、副司令。『幕府』とはアルトを征服した証左などではございません。
難民救済に向けたシステムのひとつに過ぎないのです」

 のらりくらりと追及を避けていく態度に立腹したティソーンがモニターに向かって大音声を張り上げても、
アゾットは「他に手がなかったのです。我らの動きが滞れば、それだけ多くの難民が犠牲になりますので」と、
涼しげに答えるのみであった。
 副司令と言う地位に在る者から説明責任を問われたにも関わらず、
当の軍師は必要最低限のことしか喋ろうとしなかった。
 常識の範疇で考えるならば、アゾットの態度は上官に対する不敬以外の何物でもない。
確かに彼も『アネクメーネの若枝』なる最高幹部に列してはいるが、
しかし、副司令と比較すれば位階がひとつばかり劣る筈なのだ。
 軍事的組織に於いて司令官級の人間を軽んじるような無礼など断じて許されるものではなく、
ティソーンの脇にてモニターを眺めていたクトニアに至っては、
ベルトから吊り下げている両刃剣のツカへ反射的に手を掛けそうになってしまった。
 言わずもがな、この場で鞘より白刃を抜き放ったとしても、
異世界に在るアゾットへ届くわけがない――否、単純な距離の問題などではなく、
カレドヴールフ付きの軍師と言う権威≠ノ於いて、己に向けられた一切の攻撃を撥ね返してしまう筈なのだ。
 副司令の威圧でさえ何の意味も為さないのだから、首魁の信任はまさしく不破の盾と言えよう。
 間違いなく視界の端に映ったであろう敵意に満ちた少年兵も些末なことと黙殺したアゾットは、
「可及的速やかに成果を出さなくてはならなかったのです」と、
ティソーンに向かって改めて繰り返した。

「副司令は我々≠ニ合流する以前から幾多の戦場を潜り抜けて来られた、
我が隊の武の要――であればこそ、察して頂けると確信してございます」
「察する? 我らに何も言わせぬ魂胆のことか? ……お前たちは我々≠ワで支配しようと――」
「いやはや、『何も言わせない』とは人聞きが悪いですねぇ。
いえ、我々としても大弱りだったのですよ。
売れっ子アイドルよりもずっとお忙しい副司令ですので、コンタクトを取ることさえ難しくて。
何しろ一つ所に留まることも殆どありませんしねぇ……」
「……当てこすりのつもりか」
「いいえ、これはひとつの現実≠ナございます」

 現実――この二字の裏にアゾットはあらん限りの嘲笑を込めていた。
少なくとも、クトニアにはそのようにしか感じられなかった。
それが為に今にも溢れ出しそうな憤怒を噛み殺さんと歯を食い縛ったのだ。
 カレドヴールフが率いる本隊は連合軍を降して『幕府』を打ち立てた。
一方、ティソーンが指揮する別働隊は覇天組に脅かされて勢力を衰退させつつある。
両隊の差≠ニ言うものを弁えるようアゾットは言外に強いていた。
 総司令付きの軍師は、ティソーンが口を噤んだと見て取るや、
副官と思しき若者へ「後はトキハ君がお相手しますよ」と任せて画面の外に引っ込んでしまった。
副司令との通信が継続中であるにも関わらず、だ。
 そもそも、ティソーンへ通信を求めてきたのはアゾットの側ではなかっただろうか。
 これ以上ないと言うくらい屈辱的な仕打ちを受けた形であるが、
さりとて見ず知らずの新兵を苦情の窓口とするわけにもいくまい。
突如として副司令の相手を任されてしまった副官――トキハと呼ばれた青年である――は、
今にも泣きそうな表情(かお)になっている。
 その様子を見ている内に居た堪れなくなったティソーンは、
「キミが気にすることではない」とアゾットの副官を慰めた後(のち)、
本隊との通信を終了させたのである。

 そして、苦悶と葛藤の中で時間が過ぎ――通信室に居合わせたティソーン配下の将兵たちは、
ギルガメシュに於いて不要と断じられた仮面を外していく。
 どれだけ仮面に対する思いが深くとも、最早、外さざるを得なかった。
 位階の高低に関わらず、誰もが沈鬱な面持ちであった。
本隊の決定がどうにも納得出来ないのか、
抗議の意思として仮面を付けたままの兵士も見受けられる。

「理想を果たしたときこそ、この仮面を外すと言う誓いではなかったのか……? 
我らの目的が、何時、果たされたと言うんだ……ッ!」

 あくまでも仮面を外すまいと頑なな兵士が苦悶の声を零し、
これを受けたティソーンも憂いと悲しみを綯い交ぜにした溜め息を唇より滑らせている。

「――聖女≠ノ何と申し開きをすれば良い……」

 ティソーンが洩らした言葉は将兵の心を大きく揺さ振った。
先に苦悶を吐き捨てた兵士などは膝から崩れ落ち、身を屈めたまま悔しげに嗚咽し始めた。
声の調子からして初老の域には入っているだろう男が人目を憚らず泣き出したのである。
 彼のように落涙せずとも同じ気持ちの人間は少なくなかろう。
部下たちの面を順繰りに見つめていったティソーンは、最後にクトニアへと目を転じた。
 聖女≠ニ聞かされた直後は全ての感情が消え失せたクトニアであるが、
それも一瞬のことで、すぐさまに気を取り直し――
けれども、周りの者たちと同じように涙を流すことも出来ず、
ただただ難しい表情を面に貼り付けるばかりであった。
 「心を凍て付かせた」とした喩えようのないクトニアを目にしたことで
己の失言を悟ったティソーンは、己と彼の間に垂れ込めた穏やかならざる空気に双眸を瞑った。
 だが、悔恨に沈んだのも瞬きほどの時間である。改めてクトニアと視線を交わした後(のち)、
ティソーンは互いの気持ちを切り替えるように「アサイミーは何をしているのか……」と呟いた。
 図らずもクトニアの感情を揺さ振ってしまったことで彼自身の心も軋んだのであろう。
先程の激昂が幻であったかと思えるほど疲れ果てた声だった。

「……高潔な理想より功名心が先に来るような人ではありませんか。
モニターには映っていませんでしたが、アゾット様のすぐ近くに居(お)られたのでは?」

 ティソーンの心中を察したクトニアは、彼の言葉を引き取ることで配慮への返事に代えた。

「古くからの仲間と話すよりアゾットに取り入るほうが忙しい――と言いたいのか?」
「あの方の性格はティソーン様のほうが解っておいでのはず。
そして、付き合いの短い私でさえ危険と感じていることが問題でしょう」
「今の言葉、録音してアサイミーに聞かせてやりたいな……」

 自分より遥かに年長であるアサイミーの為人を徹底的に詰っていくクトニアであるが、
こればかりはティソーンも窘めようとしなかった。
 無論、彼の通りとしか思えなかったからである。
ギルガメシュに於いて軍師に次ぐ知恵者と標榜しているアサイミーは、
己の才能を幹部たちに知らしめ、出世を図ることしか思考(あたま)にはないように思える。
おそらく、隊内の一〇〇人に尋ねても彼女を擁護する意見は聞かれないだろう。
 一言で表すならば、アサイミーは俗人である。
人間として生まれた以上、誰しもが栄達を望む欲と無関係ではいられず、
彼女のように野心を燃え滾らせることは、寧ろ、自然の流れと言えよう――が、
日頃の行いが悪い為か、クトニアには「恥知らずとは、あの人の為にあるような言葉」とまで貶されてしまった。
 心底からの軽蔑を吐き捨てた少年兵に同調しようと言うのか、
あるいは古くからの仲間が離反したことに傷付いているティソーンを慰めたいのか、
将兵たちは「自分たちはどこまでも副司令に随いていきます」と口々に表明した。
 誰ひとりとして別働隊の劣勢を嘆かず、副司令へ殉じることに些かの迷いもない様子であった。
「男ばかりで色気も何もないな」と冗談めかして応じるティソーンではあるものの、
流石に嬉しさを隠し切れず、相好を崩している。
 ギルガメシュ別働隊を構成してきた者たちは、本隊と比較にならないような苦闘を分かち合ってきたのだ。
即ち、それぞれの立場を超えて強い絆を育んできたとも言い換えられるのだった。
 血よりも濃い結束を再確認する大人たちを眩しそうに眺めていた少年兵は、
僅かに時を置いた後(のち)、憂いに満ちた表情(かお)で頭(かぶり)を振った。

「――虚しいですね、本当。別動隊(こちら)は死に物狂いで戦っていると言うのに、
……これでは本隊の立身出世に利用されたようなものではありませんか。
踏み台だったと言うわけですか、私たちは……ッ!」
「クトニアよ、……滅多なことを言うものではない」

 今度こそ口汚い悪言を押し止めるティソーンではあったが、
しかし、この少年兵と同じことを思わなかったわけではない。
クトニアが此処には居ない者たちに向けて発した罵声は、副司令の本心を代弁したようなものなのだ。
 それ故に――と言うべきか、本隊や首魁に対する憤りではなく、
同志を怨まなくてはならない悲しみがティソーンの胸を引き裂いた。
 ティソーンの心中を察したクトニアは、副司令に決断を促さんとする思いも込めて、
「これでもまだ『独眼竜(どくがんりゅう)』の捜索を続けるのですか」と尋ねた。

「私たちに与えられた任務は本隊の盾≠ノなること。そのことに不服はありません。
誰かがやらねばならぬことですから、覇天組とも喜んで剣を交えましょう。
……それとは別に押し付けられた厄介ごとは、この際、切り捨てるべきではありませんか?」
「『独眼竜』――メシエ・M・ヒッチコックを捜し当てることはギルガメシュ全体の益となる。
そして、『アカデミー』の封印を解くには『独眼竜』が不可欠と、……そう言われたではないか」
「ですから、アカデミーの事情にまで付き合う義理はないはず――そう申し上げているのです。
そもそも私たちはアカデミーなどとは――」
「――皆まで言うな。分かっているのだ……」

 ここまで蔑ろにされながら、本隊より託された使命を遂行し続けるつもりなのか――
それはギルガメシュ副司令の去就を問うものであり、同時に別働隊の置かれた状況を冷徹に言い当てている。
 クトニアはギルガメシュからの離反を促しているのだ。
おそらくは別働隊の誰もが本隊と袂を分かつことに反対しないだろう。
 確かにクトニアの言い分には理がある。
副司令の立場でありながら裏切りを是認してしまいそうになる己が悲しかったが、
アゾットの言葉を借りるならば、これはひとつの現実≠ネのだ。
 先刻、軍師(かれ)は本隊の独断による様々な決定事項について、
「議論するには時間が足りなかった」と説いていた――が、
本隊が誓いの仮面を外したと言う時期から今日(こんにち)までに幾度も連絡を取り合っていたのだ。
覇天組の追跡もあり、長時間に亘る討論は困難であっただろうが、
しかし、本隊の意向や軍事政権の成立と言う展望をティソーンの側へ伝えることは幾らでも出来た筈である。
 振り返ってみれば、ここ最近は音声のみの通信だった。
つまり、仮面を外してしまったことさえ意図的に隠したわけだ。
これで善からぬ疑念を抱くなと強いるのは無理があろう。
 それに、だ。アゾットは隠蔽を追及されたところで釈明などせず、
本隊と別働隊の現実≠持ち出して言葉巧みに押し切っていた筈である。
 そこまで別働隊を蔑ろにしておきながら、本隊はアルトの支配者を気取り始めたわけだ。
「立身出世の踏み台にされた」とはクトニアの言葉であるが、これでは捨て駒も同然ではないか。

「以前にもお話しした通り、私は貴方に全てを委ねるつもりでいます。
……しかし、信じて進んだ先がアカデミーの尻拭いでしかなかったなら、
そのときは貴方を心の底から軽蔑しますよ」

 クトニアから重ねられた言葉は、またしてもティソーンの心を揺さ振った。
 彼の発した「尻拭い」と言う二字に将兵たちが刺激され、
本隊への反発を一等増していることも感じ取れるのだが、
これを宥める言葉が現在(いま)のティソーンには紡げなかった。
 メシエ・M・ヒッチコック――別働隊も委細を把握し兼ねているのだが、
チャイルドギャングとして各地を荒らし回っていた少年であり、
自らを『独眼竜』などと大仰に称していたと言う。
 ノイの歴史に於いて永らく支配階級の座に君臨してきた王侯貴族を謗るつもりなのか、
彼らのように華美に着飾って暴れ回ると言う派手派手しさを見せ、
同時に神出鬼没で略奪後の撤収も迅(はや)く、潜伏先さえ全く気取らせないのである。
 少年とは思えない鮮やかな手並みであり、本隊から彼の概要を聞かされた瞬間など、
ティソーンは反射的に「手元に置いて使ってみたい逸材」とまで感じた程であった。
 どこからともなく無数の重火器を調達し、
寒村などは文字通りに粉砕していたともティソーンは聞いている。
 これ≠ノついて独眼竜は『ロクス・ソルス』などと称したそうなのだが、
数多の銃砲を一挙に投入する戦術のことなのか、はたまた重火器そのものなのか、
現時点では何を指した呼び名であるのかさえ判然としなかった。
 この捉えどころのない独眼竜を捜索し、必ず生け捕りにすることが首魁から別働隊に厳命されている。
 アルトに於いて繰り広げられた熱砂の合戦へ援軍を差し向けた結果、別働隊の兵力は著しく不足してしまった。
ただでさえ苦しい状況の中、覇天組と言った難敵と懸命に戦っているティソーンに対し、
何処に在るのかさえ定かでない少年ひとりを捜し出せとカレドヴールフは命じたのである。
 ギルガメシュが勝利し、難民救済の大義を果たす為には独眼竜は不可欠な存在であると言う。
それを言われてしまったなら、副司令の立場に在るティソーンは引き受けざるを得なかった。
 だからこそ、彼は懊悩し続けている。如何に常人離れした少年が対象とは雖も、
全世界から一個人を特定することに変わりはなく、クトニアに至っては不可能と言い続けてきたのだ。
 独眼竜なる逸材へ俄かに胸躍らせたティソーンが一瞬で凍り付いたのは、
改めて詳らかとするまでもあるまい。指令を受けた瞬間など概要をまとめた資料の束を取り落とした程なのだ。

「――アカデミーへ関わる人間にロクなヤツはおらんのですッ!」

 一度(ひとたび)、立てた誓いを貫徹せんが為、未だに仮面を外さずにいる兵士が涙声で吐き捨てた。
 その絶叫を耳にしたクトニアは、腰に帯びた両刃剣のツカを左の五指にて強く握り締めている。
血が滲むのではないかと案じられるほど強く――ひたすら強く握り続けている。
 彼の表情は少年のものとは思えないほどに昏(くら)い。
カレドヴールフが捜し求める独眼竜に対し――あるいはアカデミーと言う機関も含めて――、
相当な悪感情を抱いている様子であった。
 先ほどティソーンに向かって「無駄骨だったときには軽蔑する」とまで口走ってしまったが、
その激烈な一言も胸中に渦巻く嫌悪感が吐かせたものに違いない。

「我らの真(まこと)の敵は教皇庁。これをを打ち負かすにはアカデミーの力≠欠くことが出来ん。
その為にも独眼竜を発見せねばならんのだ。……悲しい哉、現在(いま)の我らでは、
教皇庁の走狗たる覇天組にさえ手を焼いているのだがな――」

 丁度、同じ頃――海を隔てた遠国では、覇天組の局長たちがノイから訪れた同志と
独眼竜ひいては教皇庁について論じ合っているのだが、
ふたつのエンディニオン≠フ交錯さえティソーンには知る由もない。

 けたたましい警報(アラーム)が鳴り響いたのは、
ティソーンが別働隊の無力を嘆く溜め息を吐いた直後のことだった。
 四方を囲む鋼鉄の板によって撥ね返された警報(アラーム)は、
鼓膜を劈く程に耳障りであったが、スピーカーから告げられた事態は
不快と感じる心をも全く打ち砕いた。

「――『戦乙女(いくさおとめ)』の接近を確認! 繰り返す! 『戦乙女』の接近を確認した!」
「そんなバカなことがあるものか! 何故、戦乙女がこんな場所に!? 
ここが嗅ぎ付けられたとでも言うのかッ!」

 敵性勢力の出現を告げるオペレーターに対し、クトニアはスピーカー越しに怒鳴り返してしまった。
 満面に狼狽の色を滲ませるのも無理はない。此処は遠い昔に廃棄された軍事演習施設なのだ。
その上、人里から遠く離れており、覇天組の監察方にさえ今まで気付かれていなかった。
探り当てられることなど全く想定しておらず、だからこそ疲弊した身を休めるのに最適と考えたのである。
 先程まで軍師(アゾット)を表示させていたモニターが
クトニアの吼え声へ呼応したかのように自動的に起動し、大画面に敵影を映し出した。
 軍事演習施設の敷地内へ設置されたカメラが捉えたのは、
別働隊の将兵たちが詰める建物へ続く道路(みち)を一直線に突き進むひとりの少女であった。
 ティソーンたちが隠れ家としている施設は、一種の隠蔽として打ち捨てられた当時の姿を留めており、
手入れなど全く為されていない。ひび割れた路面には草が生い茂り、
外界からの接触を遮断すべきフェンスも彼方此方が拉げ、大穴の開いた箇所も多い。
 その少女は手綱も持たずに馬を駆り、両手にて突撃銃を構えている。
扉が取り外され、代わりに瓦礫でもって塞がれた正門(ゲート)へ差し掛かるや否や、
気合いの吼え声を合図に馬を跳ねさせ、一気に障害物を飛び越えた。
 突然の襲撃に慌てふためき、詰所から飛び出してきたギルガメシュ兵を
突撃銃でもって次々と仕留めていく少女は、フィーナ・ライアンその人である。
 出で立ちこそ替えているものの、凛々しさと愛らしさを併せ持った面立ちも、
瞳に宿した決意の光も、アルトを発った頃と全く同じであった。
 そして、フィーナの姿を見て取ったギルガメシュの将兵たちは、一斉に『戦乙女』と口走った。
軍事演習施設まで攻め寄せてきた彼女を指して、その異名を叫んでいるのだ。

「――戦乙女は私が防ぎます! ティソーン様は一先ず通信室(ここ)からお退(ひ)き下さい!」
「何を言う!? クトニア、お前も一緒に来るんだ!」
「……いいえ、今より私は副将≠フ盾――『ジョワユーズ』に戻ります!」
「クトニアッ!」
「ティルヴィングを呼び出して下さいッ! ……例え、アカデミーの力を借りてでも、
ここで戦乙女を討たねばなりますまいッ!」

 壁に立てかけておいた逆三角形の盾――表面には古めかしい紋章が刻まれている――を左手に構え、
同時に両刃剣を抜き放ったクトニアは、戦乙女を迎え撃つべく駆け出した。
 短慮としか思えないクトニアを一喝でもって押し止めようとするティソーンだったが、
最早、彼は通信室から飛び出そうとしている。そうでなくとも、足を止めるつもりなど絶無の筈だ。

「栄えあるジョワユーズの名に於いて、戦乙女を返り討ちにする! 
我こそ勇者と信じる者のみ私に続けッ! 敵は戦乙女ただひとりッ!」

 数名の兵士がクトニアの呼びかけに応じ、共に戦乙女のもとへと向かっていく。
尚もティソーンの声が背中を追いかけてきたが、誰ひとりとして振り返ろうとはしなかった。
 分かち合うことは唯ひとつ――ティソーンと言う偉大な男を守り抜かんとする意志である。


 クトニア・ブロックフック――ギルガメシュに於ける異称(コードネーム)を『ジョワユーズ』と言う。
 間もなくシェイン・テッド・ダウィットジアクと宿命的な邂逅を果たし、
やがては剣を交え、互いの名を心の一番深い場所へ刻み込むこととなる少年であった。




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