5.独眼竜の影


 シャラがモユルに手伝って貰いながら茶を淹れ直している間に、
ドラシュトゥフはヒロユキに促されて普段着に替えてきた。
何時までも漆黒のプロテクターを纏ったままでは打ち解けて話も出来まいと、
ラーフラにまで注意されては従わざるを得なかったのである。
 重い腰を上げるまで時間は掛かったものの、いざお色直し≠してみれば、
数多の少女と浮名を流すのも納得してしまうほど身綺麗となった。
サスペンダーで吊る形のスラックスにボタンダウンシャツ、チェック柄のベストまで着こなしており、
「裸でさえなければ何でも平気」と言う自堕落な考え方のヒロユキとは対照的だ。
 市中警護の任務で汚れても構わないよう先程までは使い古しの紐を三つ編みに用いていたのだが、
現在(いま)はハートマークを散らしたリボンに替えている。これもまた彼なりのこだわりなのだろう。
 ドラシュトゥフが着替えを終えて離れ≠ノ戻ったとき、先に調理室へ向かったシャラとモユルの姿はなく、
室内ではシェインたちの仲間が話題になっているところであった。
 この場に於ける『仲間』とは、共に転送装置へ乗り込みながら、
ノイへ渡る最中に離れ離れとなってしまった決死隊(ひとびと)のことを指している。

「――何か手掛かりになる物でもあれば良いのだけど。
センパイから聞いたかも知れないけど、僕ら覇天組は場合によっては海外で任務もこなすんだ。
そのとき、友達を見つけられるかも知れないよ」
「聞くも何も、ボクらは海の向こうで誤認逮捕されたんだぜ?」
「そ、その節はうちのヌボコ君たちが大変な失礼をしてしまって……本当、ごめんなさい」
「冗談だから! 真に受けないで頭上げてくれって! ……セシルからも何か言ってくれよ!」
「何だか俺も頭を下げねばならん空気なんだが……」
「カンベンしてくれよ〜。恨みっこナシって言ったばかりじゃんか〜」

 はぐれてしまった決死隊(ひとびと)の特徴を頻りに尋ねているのは、
先程まで離れ≠ノは居なかった青年である。
 名をハハヤと言い、人好きのする優しげな顔立ちに似合わず、
覇天組に於いては『一番戦頭(いちばんいくさがしら)』を務めており、
同時に平隊士へ体術を指南する師範の役目も兼任していた。
 局長から武芸を叩き込まれた直弟子――それ故、ナタクをセンパイと呼んでいる――であり、
同時に義弟でもあるハハヤは、ヌボコのことを実の弟のように可愛がっている。
目に入れても痛くない弟分が異世界の人間と共に屯所に帰還したことを報(しら)され、
大急ぎで駆け付けたと言うのだ。
 市中警護の当番を済ませるなり離れ≠ヨ転がり込んだ為か、
任務に用いる漆黒のプロテクターのままである。
背後には母衣(ほろ)と呼ばれる防具まで担っており、戦場から駆け付けたようにも見えた。
 鉄製の骨組みに引っ掛けてある濃紺の布には、
其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆――と、
古(いにしえ)の軍略の極意が銀字で記されている。
 広い場所で用いるべき母衣を装着したまま狭い室内に上がり込んでしまった為、
周りの人間には相当な邪魔となっており、
ハハヤが身動(じろ)ぎする度に隣に座るラーフラの顔へ布が被さっていた。

「外さんかい、それ」

 幾度も幾度も顔面を撫でられたラーフラは、迷惑そうに顔を顰めて咳払いを繰り返しているのだが、
母衣はプロテクターから取り外すだけでも手間が掛かる物であり、
又、この状況を面白がったナタクから「部屋に戻って脱いでくるのも面倒だろ。付けてろ付けてろ」と
止められてしまい、最後には副長のほうが座る場所を変える始末であった。
 離れ≠ノ戻ったドラシュトゥフは、囲炉裏から少し離れた位置へと移ったラーフラの隣に腰を下ろした。
 彼は副長付きの監察である。つまり、ラーフラは直接の上官と言うことになるわけだ。
その副長に向かって、ドラシュトゥフは「ハハヤ先生には着替えを要求しないのですか」と尋ねた。
 ドラシュトゥフはハハヤより少し早く屯所を出発し、別の区域を巡邏していた。
それが為、一番戦頭より先にヌボコたちと合流し、こうしてプロテクターも脱いできたのである。
 どうして、自分ばかりが着替えを求められ、ハハヤはプロテクターを纏ったままなのか――
幾らかの不服が込められた部下の問いかけに対して、ラーフラは大仰に肩を竦めてみせた。

「己とハハヤを同じと考えてか? お主、それは天然で愉快な者とお笑い芸人を比べるようなものじゃぞ」
「喩えが解り難いのはさておき、私とハハヤ先生、どちらがどちらなのでしょう?」
「自分で考えよ。……お主には隙がないが、同時に愛嬌もない。物腰穏やかそうに見えるだけ≠カゃ。
顔に笑ったような表情を貼り付けておるだけでは生まれついての陰気は隠せぬと、常々申しておろう? 
堅苦しい人間が、殊更(ことさら)厳めしく着飾っておっては、場の空気も其方に引っ張られるのよ」
「全身から負のオーラを漂わせているような方にそんなことを言われると、
何だか滑稽で笑えて来ますね。いやはや、勉強になります」
「ワシらのような人間とハハヤを見比べてみよ。あれは赤ん坊も良いところじゃ。
そこに居るだけで皆を明るい気持ちに出来る。どんな恰好をしておっても、何をしておってもな」
「……納得致しましたよ、副長。ワシら≠ニ言われては折れるしかありませんね」

 副長が語ったハハヤの人柄はドラシュトゥフとて承知している。
如何なる相手にも礼節を尽くし、又、一〇〇年に一度の天才武術家と謳われながらも、
恵まれた才能に溺れることなく努力を欠かさない――どこまでも直向きで、誰からも愛される男なのだ。
 ラーフラに「隙がない」と評され、容易には他人(ひと)に心を開かないドラシュトゥフですら、
ハハヤとは出逢って間もなく打ち解けられたのである。
相手の気持ちを解きほぐすことに関しても天才的と言うわけであった。
 ヌボコにとっても頼り甲斐のある兄貴分であり、今も真剣そのものの面持ちで相談に乗っている。
シェインたちにも彼の人柄は直ぐに伝わったらしく、初対面の緊張もなく和やかな空気で話は進んでいった。
ジェイソンに至っては、「ハハヤは世話焼き」と同い年相手のように接しているくらいだ。
 気さくと無礼を履き違えた態度が目に余るようであれば、注意を飛ばさなくてはなるまいが、
今のところはハハヤ自身が親しくなった証左としてジェイソンを受け入れており、
そうである以上はドラシュトゥフにも口出しが出来ない。
 その一方、ジャスティンは即時に解決すべき問題と判断したようで、
ジェイソンの後頭部を鉄扇でもって打ち据え、ハハヤに対する不調法を戒めていた。

「いやはや、キンバレン氏とは良好な関係が築けそうな気がしますよ」
「そう仰って下さるのなら、堅苦しい呼び方を変えて頂きたいものですよ、ドラシュトゥフさん」
「それとこれとは話が別ですけれどね」
「……なんなんですか、貴方は」

 依然としてドラシュトゥフの為人を掴めず、怪訝そうな表情を浮かべたジャスティンはともかく――
決死隊の要員(メンバー)たちの具体的な特徴を確認する中で、
ハハヤは覇天組とは別にギルガメシュへ攻撃を仕掛けていると言う独立勢力のことを明かしていった。

「独立勢力ゥ? おい、ハハヤ、そんなのがいんのかよ?」
「……ジェイソンさん、まだ折檻が足りないようですね」
「ちょっ、待ッ……! それ、結構、痛ェんだぞ!? オイラが石頭だからって調子良くやるなよっ!」
「折檻は後だ、ジャスティン――ハハヤさん、独立勢力は俺も初耳ですよ。どう言うことですか?」
「うん、その話が飛び込んできたのも、ここ数日のことなんだ。
まだ目撃情報しか手元には入っていないから、誤報って可能性もあるんだけど……」
「俺が海外(エルピスアイランド)に行っとる間のことですか……」
「誤認逮捕で余計な時間を取られたばっかりに最新情報も入らなかったっつーワケだな。
これじゃ監察方失格だぜぇ、ヌボ――いんや、セシルちゃ〜ん?」
「……ヌボコ君、やっぱり土下座しよう。誠意は心から尽くすものだよ」
「えと、……はい、分かりました……」
「だーかーら! ヒロユキ、混ぜっ返すなってば! こーゆー空気、ボクらのほうが困るからさぁ!」

 ハハヤの説明にもあった通り、件の独立勢力は数日前に確認されたばかりであり、
不明瞭な目撃情報程度しか覇天組には届いていない。
おそらくは、情報(これ)を提供してきた教皇庁とて完全には把握し切れていない筈である。
 その僅かな目撃情報と、シェインたちから教わった決死隊の特徴が
合致していることにハハヤは気付いたのである。
 これはアプサラスも同様で、ハハヤの直感を裏付けるかのように「出来過ぎなくらい似ている」と呟いた。
 覇天組の機密に抵触する可能性もある為、ハハヤはシェインたちと語らいながらも
ナタクとラーフラに目配せでもって了解を求め、ふたりが頷き返すまでは委細を伏せていた。
局長たちの許可が下りたからこそ、覇天組が独立勢力の情報を掴んだことにも言及した次第である。
 現時点で覇天組が知り得る独立勢力は二組だった。
 片方は男女混成のコンビである。立ち居振る舞いなどは手慣れた冒険者風であり、
男性の得物は知れないものの、女性のほうは突撃槍と思しき大型の武器を振り回していたそうだ。

「ボクの知る限り、そんなコンビは世界でひとつしかないと思うよ」
「おォ、あのいけ好かねぇガキどもだな。……無事に到着出来たみてぇじゃねーか」
「へぇ? オヤジにしちゃ珍しく他の人のことまで心配してたみたいだね?」
「バーカ、折角の駒が減っちゃ勿体ねぇってだけだ。
あのふたり、無駄に腕は立ちやがるからな、上手く転がしてやらねぇテはねーだろうが」
「オヤジにイーライたちを操縦するような頭脳(アタマ)なんかないだろ。人前だからって粋がんなよ」
「るせェッ! ……取り敢えず、あいつらもこっちに着いた。そこんとこだけ注目してやがれ!」

 ハハヤから特徴を聞かされた瞬間、シェインとフツノミタマは「間違いない」と頷き合った。
アルトでは不良冒険者チームとして知られる『メアズ・レイグ』――イーライとレオナであろう。
夫婦の絆が為せる業と言うべきか、ふたりは揃って同じ場所に転送されたようだ。
 もう片方は数名から構成されるチームであった――が、
各々の出で立ちなどに覇天組のプロテクターのような共通点は見られず、
目撃情報から推察する限りでは、まとまりを欠いているように思われた。
 鋼鉄の杭を突き出す機械で戦う男性に、硝煙垂れ込める場に出ること自体が似つかわしくない両家の令嬢、
珍奇なことながら古めかしいエプロンドレスを纏って敵兵を薙ぎ倒す女性や、
MANAと思しき光線銃を携えた運送業者の青年まで混ざっているそうだ。
 彼らの先頭に立って突き進むのは、突撃銃を撃発する勇ましい少女――
写真や動画こそ撮影されていないものの、
目撃者の話によるとブロンドの髪にエメラルドグリーンの瞳であったと言う。
 最初のふたりについては心当たりがないものの、残る三人はシェインたちも良く知る人物だった。
不確かな目撃情報だけで決め付けてしまうのは早計かも知れないが、
しかし、「ギルガメシュと戦う独立勢力」と言う極めて限定的な条件のもとでは、
他に該当する人間も浮かばないのである。
 エプロンドレスの女性はタスク・ロッテンマイヤー、運送事業の青年とやらはニコラス・ヴィントミューレ。
そして、突撃銃を携えた少女とやらはフィーナ・ライアンその人に考えて相違あるまい。
 メアズ・レイグと同じように三人ともノイまで無事に辿り着けたと言うことである。
 ただひとつの疑問点はフィーナの得物だ。
リボルバー拳銃のトラウム――『SA2アンヘルチャント』と言う本来の武器から
突撃銃に持ち替えたことがシェインには不思議に思えた。
 さりながら、得物の変化などは敢えて推理を進めるまでもない些末なこと。
疑問に思った次の瞬間には、決死隊の要員(メンバー)とは考え難い男女の考察へと
思考も切り替わっている。
 「両家の令嬢」と聞いたシェインの脳裏には、マリス・ヘイフリックの姿が浮かんだものの、
更に特徴を訊ねてみれば、髪の色は艶やかな黒髪ではなくブロンドであり、
しかも、肩に掛かる程度の短さであったそうだ。
 この時点でマリスとは別な令嬢と確定したようなものであろう。
他の面々が変装を施しているとは思えず、
ともすればマリスひとりだけが別人に化ける理由も必然的に消え失せるのだった。
 鋼鉄の杭を武器とする男など、そもそも決死隊に該当者がいない。
ノイに渡って以降、新たに仲間を加えたと考えるのが自然であろう。
あるいは、打倒ギルガメシュの志を共有する者たちと結託したのかも知れない。

「――その二組は連携を取りつつ行動しているのですか? 示し合わせて同じ基地を攻めるとか……。
それによっては独立勢力の意味合いも大きく変わりますよね。
万一、組織めいた動きがあったなら、裏で誰かが糸を引いている可能性もあります」

 如何にもジャスティンらしい鋭い指摘に対して、
ハハヤは申し訳なさそうな表情(かお)で首を横に振った。

「今のところ、連動しているかは分かっていないんだよ。それぞれが遠く離れた土地で戦っているしね。
二組が目撃された時期もちょっとズレてるから、両方とも独自に動いてるハズ――って言うのが、
覇天組(うち)の軍師さんの見立てだよ」
「どっちも散発的に攻撃をかましてるみてぇなんだわ。手と手を繋いで戦ってるようには見えねぇ。
しかし、お前らの話を聴いてたら、何だか辻褄が合ってきたぜ。
要は土地勘がねぇ異世界で右往左往してるってこった」
「うん、そんなところだと思う。ボクらは運よくセシルに出逢えたけど、
そうでもなきゃ、何していいのか、全然分かんないと思うよ? 
何しろ放り出されたのは異世界なんだもん」
「――んん? 異世界がどったの?」

 ナタクとシェイン、両人の言葉を受けたのは、再び離れ≠ノ姿を現したシャラである。
人数分の茶を調理室で淹れ直し、これを運んできたところであった。
誰かに話を聞いたのか、ハハヤの分まで湯飲み茶碗が用意されている。
 彼女の後ろに続くモユルは、盆の上に茶菓子を載せていた。
 政治などの難解な話題に随いていけず、一時は思考回路が焼き切れそうになっていたものの、
今ではすっかり落ち着いたようで、「お茶請けはヌッくんの好きなカステラにしたよ〜」と
許婚相手に朗らかに微笑んでいる。
 顔を見せたのは今し方であるが、もしかすると障子の向こうで室内(なか)の話を
暫し立ち聞きしていたのかも知れない。各人に湯飲み茶碗を配りながら、
「異世界って言えばさ――」と世間話のようにシャラが切り出した。

「――誰か、『フゲン』って名前の、ちょっとカッコいいお兄さんを知らないかな? 
ひょっとすると、キミたちのほう≠フエンディニオンに飛ばされちゃったみたいなんだよねぇ」
「シャラ君、それは――」

 シャラがシェインたちへ尋ねた内容に、ナタクは思わず腰を浮かせそうになった。
 『フゲン』とは彼の学問の師匠である。陽之元全土を巻き込んだ『北東落日の大乱』では
反乱軍の中核を担い、奇跡とも称される秘策を案じて旧権力の打破を主導したことから
畏敬の念を以て大賢者≠ニ呼ばれていた。
 現政権に於いても要職を務めているのだが、視察へ赴いた先で神隠し≠ノ遭ったとされており、
ナタクも事実確認を含めて別選隊こと四番組に行方を探らせていた。
 ノイを脅かす神隠し≠ノ巻き込まれた疑いがある以上、
転送される先――アルトの人間にフゲンの消息を尋ねるのは自然の流れのように思えるのだが、
しかし、ナタクにとっては私事にも近いこと。局長と言う立場からも公私混同は避けたいと、
これまで口に出すことさえ憚っていたのである。
 四番組にすら任務の片手間の捜索以上は求めなかったくらいなのだ。
 これらは覇天組局長と言う立場に在る者としての建前である。
最愛の師匠が消息不明となったのだ。安否が心配でならず、
自ら捜索に当たりたいと言うのが偽らざる本音であった。
 それでも、自分ひとりの我儘で隊の力を使うわけにはいかない。
要人の失踪と言う非常事態を受けて『学校』も行方を探り始めた以上、
独自の捜索などは最低限の範囲に留めるべきなのだ。
 覇天組が果たすべき任務は別に在るのだ――そう己に言い聞かせ続けているナタクの苦しい思いを酌み、
シャラが気を利かせた恰好であった。
 局長としての立場から咎めるような視線をシャラに投げるナタクであったが、
片目を瞑った微笑みでもって返されてしまい、敵わないとばかりに右頬を掻いた。
 このとき、アプサラスからは殺気立った眼光を叩き付けられていたが、
相手にするのも鬱陶しいとばかりにナタクは無視を決め込んだ。

「局長、ボクらに分かることなら何でも言ってくれよ! 少しでも力になれたら嬉しいんだ!」
「……つってもなぁ、マジで神隠し≠ネのかも分からねぇのに、
お前らの手ェ煩わせんのもどうなんだろうなァ……」
「そう言う態度がガキに余計な気ィ遣わせるっつってんだろうがッ! 
いちいち重ェんだよ、てめぇはッ! ウダウダやってねぇで、スカッと吐きやがれやッ!」
「すごいや! ナッくんのダメなところ、思いっ切りバレてるね〜!」
「確かに父様は気の遣い方が極端に下手なときがありますが……」
「こやつの不器用は昔から一向に治らんでなァ。周りを気にし過ぎて逆に迷惑を掛けるのじゃよ。
初対面の者にまで見破られるとは、これこそ覇天組の恥晒しではないか」
「センパイ、ここはちょっと僕もフォローしようがないです。すみません……」
「……おい、待て。途中から身内総出の袋叩きになってるじゃねぇか」

 シャラたち身内どころか、シェインとフツノミタマにまでフゲンの話を促されたナタクは、
不承不承ながら委細を説明し始めた。
 四〇を超えたとは思えないほど若々しい顔立ちであることや、
ヘッドフォンやテレビゲームなどの趣味を心から愛する粋人であること、
陽之元とトルピリ・ベイドと言う祖先(ルーツ)を同じくする土地の文化的な共通点などを
研究していたこと――およそ一か月前から行方知れずになっていることも含めて、
ナタクは敬愛する師匠について語っていく。
 その慕ってやまないフゲンを一種の餌≠ニしてモルガン大司教に利用されたこともナタクは言い添えた。
「忌々しそうに吐き捨てた」と表すほうが正確に近いのかも知れない。
 覇天組が教皇庁の命令に従い続けるならば、件の怪現象に巻き込まれたと思われるフゲンの捜索を
最優先で執り行おう――明言こそ避けていたが、モルガン・シュペルシュタインは
己の特権を行使して局長相手に取り引きを持ち掛けたのである。
 件の大司教は、神隠し≠ノ遭った人間や土地を調査する『未確認失踪者捜索委員』の長を務めている。

「大司教にだけは気を付けろって、さっき、シャラ君が話したよな? 
……つまり、こう言うことなんだよ。人の生命を玩具か何かみてぇに掌の上で転がしやがる――
あのクソ野郎がしやがったこと、俺は絶対に忘れねぇ」
「……こう言う事情もあってさ、何か少しでもフゲンさんの手掛かりがあったら嬉しいんだよね。
幾ら頑張ったって、異世界に飛ばされちゃってたらアタシたちじゃ手が出せないし……」

 モルガンが仕掛けてきた計略について言及した瞬間には、さしものナタクも昏(くら)い憤怒を滲ませ、
隣に座したシャラも激情を宥めるよう彼の背中を撫でた。
 この公用方が前のめりになってフゲン捜索の手掛かりを尋ねたことも、
覇天組の抱えた事情まで把握すれば、早急に解決すべき問題として納得出来ると言うものであった。
 ナタクは私事として捉えている様子だが、
しかし、これは覇天組そのものの行く末を揺るがし兼ねない事態である。
『最凶』の二字を以て畏怖される武装警察を陽之元国から切り離そうと言う目論見まで感じられるのだ。
 そのことに勘付いたジャスティンは、「やり方が余りにも汚い……」と心底からの軽蔑を洩らしている。
 だからこそ、フゲンの安否を確認出来れば幸いなのである。
ナタクにとっても覇天組にとっても、最大の懸念事項が解消され、教皇庁に媚びを売らずに済むわけだ。
「今でも『教皇庁の犬』などと不名誉な呼び名を戴いておるのじゃ。汚名は返上せねばならんのよ」と、
冗談めかしてラーフラは話しているが、これは偽らざる本心であろう。
 シャラは隊の行く末よりもナタク個人の心を案じ、寄り添っている。
その切なげな面持ちからは、師弟の歩みを間近で見守ってきたことが察せられた。
 当のナタクは外見の特徴や要人としての公務など、フゲンについて必要最低限のことしか喋らない。
この期に及んで、尚も公私混同≠ノ対する躊躇いが強いわけだ。
 呆れてしまうくらい頑固な養父(ちち)に成り代わって説明を付け足すのはヌボコの役目である。
 政治、軍事、経済、貿易――ありとあらゆる知識に精通した偉大な学者でありながら、
机上の計算に頼らない実践派であり、ナタクを引き連れて各地を旅して回っていたことなども
ヌボコは語っていった。無論、養父からの伝聞であることを前置きして――だ。
 養父(ナタク)にとってフゲンは幼い頃から憧れ続けてきた学者で、
半ば押し掛ける形で弟子入りしたことも忘れずに付け加える。
「やっぱり師匠は違うぜ」と言う決まり文句から始まる自慢話は、
それこそ耳に胼胝(たこ)ができるくらい聞かされたとヌボコは苦笑した。

「聞いてるこちらが恥ずかしくなるくらい父様はフゲン先生に惚れ込んどるんだ。
何時だったか――酒に呑まれてヘベレケになったときなど、
『そりゃ弟子でも幸せだけど、いっそ師匠のところに養子入りしてェ』とか何とか零しておったよ」
「おまッ……そ、そこまで喋んなくてもいいだろ! てゆーか、師匠の捜索とまるで関係ねーだろ!」
「おじさま、おじさま! わたし、この話が一番好きなんですっ。
ぜひぜひ、みなさんにも聞いて欲しいなぁって!」
「……モユル君もアレだな、うちの倅に影響されてきたな。
コイツに似て性格がねじくれちまったら、ご両親に顔向け出来ねぇぜ」
「ヌッくんはそんな人じゃないですよぉ。悪いお手本≠ェ傍にいるから、わたしは大丈夫です」
「はっはっは――モユルさんも仰いますねぇ。今、僕から目を逸らしませんでしたねぇ」

 ドラシュトゥフをも巻き込んだ愉快な遣り取りを微笑ましく眺めるシェインたちだが、
残念ながらヌボコの語った特徴に該当する人間は記憶にない。
 それ程の大人物であったなら、アルトに強制転送された後も相当に目立つことだろう。
教皇庁の代表を自負してテムグ・テングリ群狼領へ乗り込んだ女神官――
ゲレル・クインシー・ヴァリニャーノ・と同じように何らかの行動≠取ったに違いない。
 ともすれば、ルナゲイト家の情報網が確実に捉えた筈なのだ。
しかしながら、シェインたちの知る限り、新聞王が『フゲン』と言う名を口にしたことは
一度たりともなかったのである。ただの一度も――だ。

「……ごめん、フゲンって名前だって、ボクは一度も聞いたことがないや。
世界中から色んな人たちが集まって来るような場所にも居たんだけど……」
「オイラもサッパリだなァ。その人、話を聞いてると結構な行動派だよね? 
だったら、迷子になったっつって沈んでないで、自分からデカいこと仕掛けそうなモンだと思うんだけど、
そーゆー悪目立ちする人なんか、ちょっと思い付かないぜ。……フツのおやっさんはどうなの?」
「てめぇらに分からねぇもんをオレが知ってるハズねぇだろうが。訊かなくても分かれや。
大体、パトリオット猟班とやらは、世界中を飛び回ってギルガメシュをツブしてたんじゃねぇのか? 
オレらより行動範囲が広いんじゃねーのかァ?」
「だから、困っちゃったんだってば。ギルガメシュぶちのめしツアーに出くわしたって
不思議じゃないような人っぽいじゃん、フゲンさんってさ。オイラ、小耳にも挟まなかったよ」
「んじゃ、手掛かりは零かよ。どうしようもねぇな、クソったれが」
「……もっかい、ごめん。ボクらじゃ力になれそうにないや……」
「お前らが気にすることじゃねぇって。わざわざ骨折ってくれて、ありがとな」
「でも、局長……」

 神隠し≠ノ遭ったとされるフゲンについて、何ひとつ手掛かりを持ち得なかったことに
シェインは心の底から落ち込んだ。ここまで覇天組に厚遇して貰いながら、
その恩をひとつとして返せないことが悔しくて堪らないのだ。
 覇天組が教皇庁の意向に背いたと露見すれば、モルガン大司教はフゲンの捜索など二度と行わないだろう。
それどころか、未確認失踪者捜索委員の権限を悪用して目撃情報などを攪乱してくるかも知れない。
これこそナタクにとって最も効果的な懲罰なのである。
 異世界からの客人≠匿うことが覇天組にとって如何に難しいことなのか、
改めて痛感させられたシェインは、何の力にもなれない自分が歯痒くて仕方がなかった。

「……『気にするな』って言われたことを気にすんのは大人の仕事だ。
てめぇら、クソガキは能天気にしてりゃ良いんだよ。悩む意味もねェくらい足りねぇオツムなんだからよォ」
「……メチャクチャ言うなよ、バカオヤジ。ボクだって、そんなに無責任じゃいられないよ……」

 落胆するシェインの頭をフツノミタマは右手でもって乱暴に撫で付けた。
 励ますと言うよりも弱気をどやし付けているようにも見えたが、
シェインにとっては効果が覿面であり、メチャクチャに乱された空色の髪を整えつつ、
「何すんだよ、このクソオヤジッ!」と元気良くフツノミタマに怒鳴り返している。

「アレクサンダー大学ってトコの教授(センセー)と学生なら友達だよ、オイラたち。
友達になったのは学生のほうだけどさ」

 シェインとフツノミタマの口喧嘩を横目で眺めつつ、
ジェイソンはアルトで知り合った難民について話し始めた。
 グドゥー地方の太守――ファラ王によって保護され、
彼(か)の地の統一にも尽力することになったアレクサンダー大学の人々のことである。
 現在はファラ王自慢の戦士団、『黄金衛士』の一員となっているのだが、
元々は件の大学の研究室に勤める教授と助手たちであったと言う。
 中でもダイジロウ・シラネとテッド・パジトノフは、
親族とはぐれる形でアルトに降り立ってしまい、連絡を取り合えない状態が続いているそうなのだ。
ファラ王の力――正確には彼の愛妻たるクレオパトラの采配だが――を借りて
家族の居場所を探しているが、手掛かりひとつ掴めないともジェイソンは聞いていた。
 アレクサンダー大学の四人について説明しながら、
ダイジロウたちの家族を探し当てて欲しいとジェイソンは眼差しでもって訴えかけている。
 フゲンの捜索を手伝えなかったと言うのに厚かましいとは思ったのだが、
彼らもまた世界の垣根を超えて絆を育んだ友人なのだ。
ダイジロウたちが無事であることだけでも家族に伝えたかったのである。

「……アレクサンダー大学と来たか――ワシの人生、ただ一度の挫折が想い出されるわい。
あそこは『特異科学(マクガフィンアルケミー)』の権威でのぉ――
ワシも受験までは漕ぎ付けたんじゃが、肝心の試験で散々な目に遭ったのよ。
しかし、アレじゃぞ、ワシのカミさんは飛び級且つ首席で卒業したからの。どんなもんじゃい!」
「ちょっと……副長さん、泣いてねぇ? ハハヤ、この人、大丈夫か!?」
「うん、ビックリしたと思うけど、ラーフラさんに少しだけ付き合ってあげて。
苦労話からはジェイソン君も学ぶことが多いと思うからさ」
「それは構わねぇんだけど、……ガチで泣き入ってねぇか、この人?」

 受験の失敗と言う苦い昔語りを交えつつ、ラーフラがジェイソンの言葉に応じた。
 副長から説かれるまで、アレクサンダー大学がノイでも指折りの名門であることは
アルトの客人≠スちは誰ひとりとして知らなかった。
 ラーフラ曰く、他国に所在する名門数校と合わせて『七大学』などと総称されているそうだ。
トルピリ・ベイドに校舎を構えていることさえ、ジェイソンたちは初めて知ったのである。

「……実はフゲン殿にも誘われたんじゃよ、共にトルピリ・ベイドへ参らぬかと。
因縁のアレクサンダー大学にも入り放題と言われたんじゃが、ワシはそこまで堕ちてはおらぬ。
未練はすっぱり断ち切っての、何より副長の役目もあるからの、
されど、大学の資料だけは念の為に取り寄せての、人生で二度目の資料請求でのォ――」
「おーい、すっげぇ面倒くせぇ拗ね方、おっ始めたんだけど、ここまで来るとオイラの手に負えねーぞぉ」

 余程、昔日の失敗が辛かったのか、今やラーフラは肩まで震わせて嗚咽している。
 尤も、ジェイソンはダイジロウたちの合格するような大学が
世界に名を轟かせるほどの名門なのか、そのことを掴み兼ねていた。
「超一流」の三字と彼らが全く結び付かないのである。
 ひとつの事実として、ダイジロウもテッドも、超一流の名門大学へ通っているようには見えなかったのだ。
良くも悪くも自然体で、その姿からは勉学一筋などではないことも窺えた。
運命の歯車が狂うまでは悠々とキャンパス・ライフを満喫していたのだろう。

「――よ〜し、おばちゃんに任せといて! 友達のこと、アレクサンダー大学に問い合わせてみるよ!」

 すっかり負の想念に呑み込まれてしまったラーフラを押し退けて、
シャラがアレクサンダー大学への連絡を約束した。自信の程を示すように左掌でもって右の下腕を叩いている。
 覇天組公用方とは、つまり、局長の職務を全般的に補佐する秘書官である。
それ故に陽之元内外の機関と通信することにも慣れていると言うわけだ。
 場合によっては陽之元国からの正式な連絡と言う形で
トルピリ・ベイド側に問い合わせることも可能――と、シャラは接触を図る方法を挙げていった。
 アレクサンダー大学に籍を置く人間の安否について連絡を図るのだから職権濫用には当たるまい。
「おばちゃん、これでも実はエラい人だからね〜」と、舌を出しつつ茶目っ気たっぷりで話すシャラに対し、
ジェイソンは目を輝かせて頷いた。

「マジ!? 頼めるか!?」
「大学自体は他の都市みたいに神隠し≠ノも遭遇してないしね。
向こうも研究室の教授がいなくなっちゃって、手掛かりを欲しがってるんじゃないかな」
「助かるぜー! サンキュー、おばちゃんッ!」
「……今のは聞き捨てならんぞ。お前、うちのシーさんに向かって何と言ったんだ? んん?」
「アーさん、落ち着いて。先におばちゃんって名乗ったのアタシだから」
「目ん玉、よーく広げてシーさんを見てみろ、少年。中学生と言っても通用するくらいピッチピチだろう!?」
「それ、死ぬほどイタいからカンベンね〜」

 相棒から向けられる愛情をシャラの側も素直に受け止めてはいるものの、
度を越した場合は流石にこの限りではない。「中学生にも見える」と無理のある褒め方をされたときには、
例えアプサラスが本気でそのように思っているとしても、暴走に付き合うつもりはなかった。
 最愛の相棒から冷たい眼光で貫かれたアプサラスは、一瞬にして面から血の気が失せ、
信じられないと言った調子で頭(かぶり)を振った挙げ句、大きくよろけて壁にぶつかり、
最後には嗚咽を洩らしながら離れ≠飛び出していった。
 普段の冷静さが嘘のような狼狽え方であり、初めて目の当たりにするシェインたちは
「ドン引き」と言う表現が最も相応しい表情を面に貼り付けている。
いずれにせよ、アプサラスにとってはそれほど衝撃的だったわけだ。
 尤も、ナタクたち覇天組の仲間は全く落ち着き払っており、
愛弟子のヌボコですら彼女を追い掛けようとはしなかった。
 アプサラスを追いやったシャラ当人に至っては、何事もなかったように緑茶を啜っており、
驚いたモユルから「だ、大丈夫なんですかっ!?」と尋ねられても、ただただ微笑を浮かべるばかりである。
その面には「いつものこと」と書いてあるようだった。

「――俺の師匠はともかくよォ、……『独眼竜(どくがんりゅう)』を名乗る小僧は知らねぇか?」

 気まずい空気を切り替えようと、ナタクが別な質問をシェインたちに向けた。
局長が言うには、今回の誤認逮捕へ至った原因も、この独眼竜であるそうなのだ。

「丁度、シェインたちと変わらないくらいの年頃らしいんだけどよォ、
同い年くらいのガキを集めて徒党を組んで、あちこちを荒らし回っていやがったんだよ。
ギャング団のリーダーが独眼竜を名乗ってたってワケだ。
その通称の通り、片目だって話なんだが、これも目撃情報が不確かでなぁ……」
「ドクガンリュウ……いやー、ボクは聞いたことないかなぁ。ジェイソンはどう?」
「スカッド・フリーダムに居た頃だって、そんな名前のアウトローは聞いたことなかったぜ。
悪ガキをとっ捕まえたことも一度や二度じゃねぇから、
局長さんが言ったようなヤツが居たかもって記憶を巻き戻してみたんだけど、
……やっぱり片目のガキなんか見たこともねぇや」
「今の話に出たのは、早ェ話が『チャイルドギャング』ってヤツだろ? 
……こっち≠フ世界にも、やっぱりそう言うガキが居やがるのかよ……」

 ナタクが語った或る少年たちの話を受けて、フツノミタマは嘆息と共に顔を顰めた。
 『チャイルドギャング』とは、身寄りのない子どもたちが生きる為に徒党を組み、
暴力的な行為を以って金品や食料を強奪する集団を指した呼称である。
 フツノミタマが棲み処としてきた裏社会でも
このような集団は決して珍しい存在ではなかったらしく、
それ故に「こちらの世界でもか」と眉根を寄せてしまったのだ。
 暴力を振るうことで生きる糧を奪い取らなくてはならないのは、
つまり、貧窮した子どもが多いと言う証左でもある。
 無法の道へ足を踏み入れる事情は様々であろうが、
誰の庇護も受けられず、己自身の力しか頼りに出来ないと言う点は共通している為、
一種の仲間意識から身を寄せ合うようになり、やがて暴力性を肥大させていくのであった。
 恵まれているとは言い難い不幸な子どもは、如何なる世界にも存在してしまう――
この現実には子を持つナタクも心を痛めており、フツノミタマがチャイルドギャングと口にするや否や、
一等虚しそうに瞑目したものである。
 ノイに於いてもチャイルドギャングと言う呼称は共通しているらしく、
すんなりと意味が通じてしまったことにフツノミタマは舌打ちと呻き声を相次いで零した。
傷だらけの面には一段と深い懊悩を滲ませている。

「――独眼竜とその一味にはのぉ、他のチャイルドギャングにはない独特の習わしがあったようじゃ」

 苦い思いと共に口を噤んでしまった局長に成り代わり、独眼竜を称する少年の説明は副長が引き継いだ。

「略奪と共に王侯貴族を虚仮にして回るのが独眼竜の趣味のようじゃ。
その土地その土地の王族貴族を名乗って住民を脅かしておったよ。
しかも、現代では廃れてしまったような伝統的な王家の衣装まで調べ上げると言う周到さよ。
周到と言うよりは偏執的と言ったほうがよかろうな」
「ド派手なマントやタイツをわざわざ仕立てて着ていたみたいだよ。
最初は王様気取りなのかなって思ったんだけど、実際にはもっと悪趣味だったってオチだね。
……抵抗した人たちを縛り上げて、裁判の真似事をしていたって証言(はなし)もあるくらいだ」
「されど、所詮は真似事に過ぎぬわ。法律も詮議もなく一方的に極刑を申し渡した上に、
笑いながら銃を撃ったそうじゃ。……幼稚で残虐。断じて野放しにはしておけぬ悪逆の者たちぞ」

 独眼竜の一味が如何なる方法で力弱き民を襲っていたのか――ハハヤもラーフラの解説を補足していく。
 些か刺激≠フ強過ぎる話である為、モユルの前で説いて良いものか、
副長と一番戦頭も流石に躊躇ったのだが、彼女とてヌボコの許婚である。
己に向けられた視線の意味を悟るや否や、「覚悟は出来ています」と首を頷かせた。

「同情出来る部分だって、探せば見つかるのかもだけど、……でも、オイラは許しちゃおけねぇな!」

 覇天組局長の養子へ嫁ぐ者の決意をモユルが示した頃、他方ではジェイソンが激しい怒りに打ち震えていた。
 ほんの少し前までスカッド・フリーダムに在籍し、
力弱き者を救う護民官≠ニしてアウトローと戦っていたジェイソンは、
ただ単に略奪するばかりでなく、愉快犯めいた手口で人の生命を弄ぶ独眼竜の振る舞いに
憤激を禁じ得なかったのだ。
 ラーフラの説明によれば、件の独眼竜は重火器まで持ち出して殺戮に酔い痴れていたと言うではないか。
 道を踏み外す経緯に情状酌量の余地はあるのかも知れないが、
しかし、惨たらしい所業だけは断じて許すべきではなかろう――
そのように吼えたジェイソンは、「同い年くらいだってんなら余計に許せねぇよ」と
最後に付け加えながら両の拳を握り締めた。
強く強く、怒りの深さから肉まで抉れ、血が滲む程に強く握り込んでいる。
 昂った感情を鎮めようと緑茶を一気に飲み干したが、その程度で熱が引くほど生温い激情(もの)ではなく、
今やジェイソン当人が身の裡の憤怒を持て余しつつあった。
 何時になく真剣な面持ちで「独眼竜……」と唱える彼はジャスティンが寄り添い、
感情の赴くまま過ちを仕出かすことがないよう見守り続けている。

「オウゾクって、アレだっけ、決まった土地を支配してた偉い人ってコトで良かったよね? 
村長とか町長とはちょっと違うって、セシルに教わった憶えがあるんだけど……」

 アルトには存在しないノイ独特の統治形態――王制に関する解説を振り返ったシェインに対し、
ヌボコは「お前が話していたテムグ・テングリと言う集団がこちらの王族に一番近かろうな」と、
彼にとって最も解り易いだろう例を引きつつ頷き返して見せた。

「支配されてきたことに鬱憤溜めて、我慢出来ずに爆発って感じなのかなぁ。
……反乱とはちょっと違うけど、似たようなことがテムグ・テングリの領地でも起きたのだよね」
「若しくは、自分らを畜生以下の道にまで追い詰めた社会への意趣返しかも知れぬがな。
王制そのものを笑い飛ばしておるようにも感じられるわ。
……お主ら、『艮家(こんけ)』のことは既に承知しておろうな?」
「セシルからあらましだけは聞いてるよ。陽之元にとって何よりも高い壁≠セったってね」

 『艮家(こんけ)』――それは陽之元に巣食っていた旧権力の象徴とも言うべき存在であった。
政略結婚を繰り返すことで国家の中枢と同化≠オ、
血縁によって特権階級を独占することで権勢を極めた一族なのである。
 旧権力を一掃した上で新時代を打ち立てることを目指した反乱軍にとって最大にして最後の政敵であり、
国家そのものと同化≠オていたが為に容易には止(とど)めを刺すことが出来ない難敵であった。
 その状況を打開したのがナタクの師匠たるフゲンだったのだ。
『北東落日の大乱』の末期に於いて彼が奇跡の策を仕組み、
これによって艮家の一族は全ての権限を剥奪され、国家との同化≠強制的に解かれたのである。
 そして、内乱が最終局面を迎える頃には艮家は族滅(ぞくめつ)≠フ憂き目に遭っている。
 覇天組や鬼道衆の手によって老若男女問わず艮家に連なる人間は殺戮され、
血脈は完全に絶たれた――その筈であったのだが、海外に生き残りを標榜する者が現れたことで状況は一変。
ナタクたちはギルガメシュと戦いながら旧敵の影に怯えると言う最悪の事態に陥ったわけだ。
 改めて艮家との因縁を振り返ったラーフラは、
「……それだけ陽之元が脆弱と言うことよ。内乱は終わった――ただそれだけじゃ」と低く呻いている。
 教皇庁に命じられるまま、陽之元中枢の警護と言う本来の任務から離れてギルガメシュと戦っているのも、
新政権を樹立した陽之元が国家として安定していることを内外に示すと言う政治的な目論見があってのこと。
そうした状況も含めて、覇天組の副長は重苦しく嘆息するのだった。

「……独眼竜が陽之元の出身者とは考えにくいのでな、何処ぞで艮家のことを聞き付けたのじゃろう。
まんまと踊らされたワシらの大間抜けでしかないが、海を渡った艮家の末裔などと
独眼竜めは嘯いておったわけじゃ」

 『北東落日の大乱』を終結に導き、自らの手で艮家の一族を根絶やしとしたにも関わらず、
旧敵の影に怯えている覇天組もまた脆弱である。吹けば飛ばされてしまう程に弱いからこそ、
不確かな情報にさえ幻惑されてしまうのだ――と、ラーフラは自嘲気味に語った。
 ノイに根差した王制と言う仕組みへ挑戦し、世を騒がす独眼竜については、
チャイルドギャングと言うことしか確実なことが判明していない。
 人と物が盛んに行き来するエルピスアイランドへ潜伏していたと言う情報にも一定の信憑性はあるそうだが、
尻尾≠掴むことさえ出来なかったのだから何の意味もなかろう。

「――そっか、セシルたちがエルピスアイランドに居たのは……」
「先程も申したであろう、『まんまと踊らされた』と。
覇天組の大間抜けを嘲笑う独眼竜の顔が目に浮かぶようじゃ」
「適当なコト、ぶっこいてんじゃねーよ。誰も独眼竜の顔なんか知らねーだろ」
「事前の裏付け調査が足らんかったが為に起こった無駄骨だと申しておるのじゃ、局長」

 副長が指摘した通り、調査不足のまま艮家末裔の潜伏先と目される遠国へ乗り込んだのは失敗であった。
職務怠慢と非難されても仕方がなく、甘い気構えで臨んでいたが為に
誤認逮捕と言う最悪の事態を引き起こしたと言えよう。
 「ギルガメシュの支援者」と言う怪しげな情報を信じ込んでしまい、
その正体すら確かめないまま緊急逮捕へ踏み切ったことでシェインたちに迷惑を掛けたのだ。
これこそ気の緩みと言うものである。
 ラーフラの言葉を重く受け止めたヌボコは、己の過ちを恥じ入るように俯いた。
 件の調査を主導したのは年長者であるクンダリーニとジーヴァであるが、
しかし、監察方の一員として何事にも最大の注意を払うべきであったと、
彼は誤認逮捕の直後から自責の念に苛まれ続けているのだ。
 生真面目だけに己を責めずにはいられない弟分が不憫でならず、
その小さな頭をハハヤは慈しむように撫でた。
 モユルが駆け寄ろうとしていた矢先の出来事である。
ヌボコを慰めると言う許婚ならではの特権(しごと)をハハヤに奪われてしまった彼女は、
頬を膨らませることで抗議の意志を表していた。

「――でもよ、ある意味じゃ独眼竜には感謝しなくちゃかもしれねぇぜ? 
ヤツが艮家の残党なんて大騒ぎしてくれたお陰で、オレたちゃシェインたちと巡り会えたんだしィ? 
縁結びのキューピットとして拝んでやっても良いんじゃね?」

 またしても落ち込んでしまったヌボコの気持ちを入れ替えてやろうと、
ヒロユキはこれ以上ないほど珍妙なことを口走った。
囲炉裏を挟んで向かい合った新たな仲間は、独眼竜によって引き合わされたようなものだと言うのである。
 「ヒロユキ君、いいコト言ったよ!」と、シャラも拍手を以てヒロユキの主張を支持している。
些か強引な筋運びではあるものの、両者を「独眼竜が引き合わせた」と言う論は全くの間違いでもないわけだ。

「――それで良いんじゃねぇかな。艮家のコトも一先ずカタがついた。
『終わり良ければ総て良し』って能天気になっても困るが、独眼竜の贈り物ってコトでシメようじゃねぇか」

 覇天組局長もまたヒロユキの言葉に頷いて見せた。
 彼は艮家末裔の顛末について一応の決着がついたと繰り返した。
 チャイルドギャングが陽之元の旧権力を騙(かた)っていたことが判明したのは、
ほんの半日前であると言う。
 『学校』側の調査によって独眼竜の仕業と言うことが判明し、
この報告を受ける為に副長と公用方、更には監察方の頭取を伴って陽之元国の元首――
『公方(くぼう)』のもとに赴いていたのである。
 与頭(くみがしら)と呼ばれる『鬼道衆(きどうしゅう)』の長や、
陽之元正規軍の教頭も同席の上で公方付きの首席補佐官から説明を受けたのだが、
独眼竜が艮家末裔を名乗ったことが確認された直後、
彼の率いるチャイルドギャング自体が忽然と姿を消したと言うのだ。
 これは比喩ではない。目撃者の証言によれば、右目を包帯で覆った少年とその仲間たちは、
空間が虹色の明滅を伴って歪んだ直後、突如として消滅してしまったそうである。

「それって、まさか……まさかッ!」

 チャイルドギャングが掻き消える前後に発生したとされる怪現象の概要を聞かされたジャスティンは、
悲鳴にも近い声色で呻き、それから間を置かずに意を得たとでも言いたげな顔をナタクに向けた。
 何故、ナタクが独眼竜の消息をシェインたちに尋ねたのか――その理由を悟ったのである。
 局長の考えを読み解く手掛かりは、チャイルドギャングが巻き込まれたと言う怪現象が教えてくれた。
ジャスティンとて一度はアルトへ強制的に転送された身である。
その際に空間の歪曲を目の当たりにしていたのだ。
 つまり、ナタクは目撃者の証言を判断材料として独眼竜が神隠し≠ノ遭ったものと結論付け、
チャイルドギャングのアルト襲来を確かめた次第である。
 神隠し≠ヨの遭遇に関しては、ナタク個人ではなく陽之元の首脳陣が共有する見解であろう。
 ジャスティンが自分の意図を理解してくれたと見て取ったナタクは、
「聡いな、お前は。うちの軍師に爪の垢を煎じて飲ませてやりてェくらいだよ」と口元に喜色を宿した。

「身元は知れねぇし、ギャング団の構成員だって殆ど分からねぇ。
判明してるのは、独眼竜がメシエ・M・ヒッチコックと名乗ってるってコトだけだ。
……何しろ手に負えねぇような曲者だからよ、偽名の可能性も十分に考えられるがな」
「エム≠チて、そのまんまの読み方しちゃったけど、
何かの略称なのかも、ちょっとまだ分かんないんだよねぇ」

 メシエ・M・ヒッチコック――それが独眼竜を称する少年の名前だとナタクは明かした。
「M」と言うミドルネームの意味が不明と言い添えたのはシャラである。

「……独眼竜――メシエ・M・ヒッチコック……」

 ふたつのエンディニオン≠フ人間を引き合わせた少年の名を
仰々しい通称と共に繰り返すシェインであったが、
その独眼竜が己の人生へ深く関わることになろうとは、
このときには未(ま)だ知る由もなかった。




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