4.覇天組局長


「そんな愛称(あだな)を付けられる人、世界にひとりしかいないよ」
「おォ、間違いなくアル公のコトだわな」

 『在野の軍師』とアプサラスが口にした途端、
シェインとフツノミタマは互いの顔を見合わせ、同時に目を剥いて驚いた。
 よもや、アルフレッドのことまで覇天組に、ひいては教皇庁に把握されているとは思わなかったのだ。
そこまで予想すべしと強いるほうが無理とも言えよう。今は捕らわれの身となったエルンストに重用され、
連合軍の指針をも左右する立場となった『在野の軍師』ではあるものの、それはあくまでアルトの側でのこと。
難民との交流はともかくとして、ノイの側へ直接的に影響を及ぼすことはなかった筈である。
 それにも関わらず、だ。一部とは雖も、異なる世界の人々にまで名が知られ、
教皇庁の大司教には要注意人物として警戒されていると言う。
 さながら不世出の大人物の如き扱われ方に、ジェイソンは思わず笑気を噴き出してしまった。

「アルの兄キも偉くなったもんだな、オイ。でも、考えてみりゃあ、とんでもねぇ大出世ではあるよな。
前にエルンスト・ドルジ・パラッシュからスカウトもされたんだったよなァ?」
「軍師にならないかって誘われたらしいね。そのときは断ったみたいだけど、……うーん、大出世かぁ。
アル兄ィと出世って言葉が結び付かないって言うか……」
「身近に居たら分からないもんだよ。オイラもシュガーの兄キの昇進とかピンと来なくてさ、
昔と同じ感じで話してたら、周りから『相手の身分を考えろ』って叱られたし」
「アル兄ィを捕まえて身分だの立場だの言う人居なかったもん。
だから、偉くなったって言われてもそんな風に思えないんだな、ウン。
……敵は増えたけどね、明らかに。傭兵軍団のオッサンとか態度が露骨だったもんなー」
「それも有名人の宿命ってヤツじゃね? 出る杭はナントヤラってヤツさ」

 ジェイソンとシェインの会話からアルフレッドのことを相当な傑物と受け取ったらしく、
ラーフラは「同志で良かったわい」と大仰に胸を撫で下ろして見せた。

「エルンストとやらの話はワシらも聞いておる。その者も大層な豪傑のようじゃが、
お主らと親しい『在野の軍師』にもワシは驚かされておるわ。
稀代の豪傑から仕官を請われ、あまつさえ大軍まで取り仕切るとは余程の鬼才。
聞けば、ギルガメシュの軍艦も漁船を繰り出して沈めたそうじゃな?」
「そんなことまで耳に入ってんの!? こえーよ、どーゆー情報網だよっ!」
「左様、異世界に於ける細かな戦況まで教皇庁は掴んでおった。
つまり、内通者は相応の立場に在ると言えるのではないか? 
末端の状況まで吸い上げられる者は、ギルガメシュと雖も多くはあるまい」
「末端の兵士が情報(ネタ)を売ったとは考えられねぇのか? 
何せ飛びっ切りの売り物だ。高い値が付きそうじゃねぇかよ」

 将の立場ではない一兵卒こそが情報を売り飛ばしたのではないかと疑うフツノミタマに対し、
ラーフラは「教皇庁に報せる手立てがあるまい」と首を横に振った。

「教皇庁の本拠地は今もこちら≠ノ在るでな。
故に教会と言った拠点ごとのネットワークは分断されておる。
機密を抱えて駆け込んだとしても、大司教の耳まで届ける術がないわけじゃ。
此度の密告には異なる世界を隔てた通信があったと見て間違いあるまい。
そのような機器、雑兵如きが権限では使用どころか、近付くことも難しかろう」
「……チッ――つまんねーコトを言っちまったみてーだな。忘れてくれや」
「だが、あんたの見解(かんがえ)もあながち間違いとは思えねぇ。
予想だにしねぇどんでん返しで足元掬われるっつーことも少なくねぇからよ。心に留めさせて貰うぜ」

 フツノミタマが述べた意見について、覇天組局長――ナタクは首を縦に振った。
 情報の横流しと言う着眼はともかくとして、肝心の通信手段を失念してしまったフツノミタマへ
恥を掻かせない配慮なのだが、しかし、その為だけに首肯したのではない。
 ナタクはフツノミタマが裏社会に通じていることを一目で見破っていた。
 嘗ての稼業まで確かめたわけではないので、仕事人と言う経歴は把握していない。
傷だらけの容貌や粗暴な立ち居振る舞いではなく、
瞳の奥に見える微かな影から闇≠フ世界に棲む人間独特の気配を嗅ぎ付けた次第である。
 覇天組とて闇≠飼っている。本隊と別行動を取っている四番組の構成員は、
『戦頭(いくさがしら)』を務めるナラカースラ個人の子分≠ナあり、正規の隊士ではなかった。
そして、その子分≠スちは時代の闇≠ノしか生きられない人間が殆どなのだ。
 『御雇(おやとい)』なる名称を与えられた四番組の隊士たちは、
覇天組に加わらなければ、時代の闇≠フ中に埋もれていった者ばかりと言うことである。
 闇≠棲み処にせざるを得ない者たちとも心を通い合わせる局長だからこそ、
フツノミタマの本性に勘付いたのだった。
 それが為にフツノミタマの意見には耳を傾けるだけの価値があると判断したわけだ。
 ナタクが己の意見を真剣に受け止めているとフツノミタマ当人にも察せられたのだろう。
「忘れろって言ってるじゃねえかッ!」と照れ隠しに喚き声を上げ、そっぽを向いてしまった。
 これが生温い気遣いなどであったなら、同情は無用とばかりに腹を立てていたところだが、
ナタクの態度が誠実である為、怒るに怒れないわけだ。
 不調法な真似を仕出かしたフツノミタマの右肩を平手で叩きつつ、
シェインは今し方のやり取りを反芻し、次いで低く呻いた。

「聞けば聞くほど内通者ってコールタンっぽいんだよな〜。
あの人、アル兄ィの顔が兵隊にバレたってことも知ってたし。
……揉み消してくれたって言うけど、いつか、強請(ゆすり)のネタに使われそうで怖いよ」
「そして、その食わせ者にまで期待を寄せられておる――と言うわけじゃな。
……何事にも万能な超人なのか、アルフレッド・S・ライアンとやらは」

 作戦家としての戦績や、名だたる者たちから戦局を託されるだけの資質――
限られた情報を材料として想像を膨らませ、『在野の軍師』を畏怖するような素振りを見せたラーフラに対し、
シェインは大仰と言える程に首を傾げた。

「頭脳(アタマ)はキレッキレだけどさぁ、その超人ってば二股ブチかました挙げ句、
今度は三股疑惑まで出ちゃってるよ。手当たり次第って感じでボクもドン引きしてる」
「そう言う意味でも厄介者かい!」
「正直、申しまして、生臭いゴシップを覇天組の中に持ち込まないで頂きたいのですが……」
「おめーが言うな! 今、何股目なんだよッ!?」
「……覇天組の恥を外に漏らすな、お前たち」

 恋多き人間の醜聞に因んだドラシュトゥフとヒロユキの応酬(やりとり)と、
これを窘めるヌボコの呻き声はさて置き――アルフレッドを畏怖するかのようなラーフラの言葉を、
「確かにあの人は敵に回すと厄介でしょう」とジャスティンが引き取った。
 熱砂の合戦が繰り広げられている頃にはフィガス・テクナーに在り、
天地が引っ繰り返るような奇策を連合軍諸将に認めさせたと言う軍議にも同席していないジャスティンだが、
それ以降のこと――ロンギヌス社と同盟を結び、
スカッド・フリーダムの幹部とも連携を取り付けた場面には居合わせている。
 海運の要衝である佐志が外敵を迎え撃つ防備(そなえ)を万全に整えられたのも、
アルフレッドの采配があったればこそだと言う。
 過去にギルガメシュの襲来を受けた際には、敢えて敵軍を上陸させ、
港町深くまで引き入れた上で反撃を仕掛けると言う陽動作戦を立てて
見事に返り討ちにしたとジャスティンは聞かされていた。
 『在野の軍師』の智謀は、最早、疑う余地もないものであろう。
 アルトを離れた現在(いま)、如何なる展開を迎えているのかは分からないと前置きした上で、
ジャスティンは仲間たちから伝え聞いた『史上最大の作戦』にも触れていった。
 件の大謀略の解説にはシェインも加わった。彼は作戦立案から多数派工作に至るまでの経緯を――
『在野の軍師』が見せた八面六臂の奮闘を目の当たりにしているのだ。
 ギルガメシュへ恭順したように見せ掛けておいて、水面下では連合軍諸将で連携して反撃の機会を窺い、
敵が勝利に浮かれている間に力を蓄え、又、情報工作などを講じて切り崩しを図り、
最後の最後に逆転する――兄貴分が企てた大謀略を語るシェインの声には次第に熱が入っていた。
 便宜上、『史上最大の作戦』などと通称されるアルフレッドの謀略は、
文字通り、世界全土を巻き込む構想であり、壮大としか喩えようのない計画には、
副長どころか、ドラシュトゥフまでもが度肝を抜かれている。
 『在野の軍師』に圧倒されてしまったと言っても過言ではなかろう。
ドラシュトゥフは不意にラーフラと視線を交わし、「ジャガンナートさんが不在で良かった」と洩らした。
 彼が口にしたジャガンナートとは覇天組の軍師である。
この場に本人が居合わせたなら、あるいは自信を喪失したかも知れないと考えたようなのだ。

「余計な気を回すんじゃねぇよ、ドラシュトゥフ」

 そのドラシュトゥフ目掛けてナタクの声が突き刺さった。
 少年隊士(かれ)の言行を咎めるような調子であり、ドラシュトゥフ自身も一瞬ながら肩を震わせた。
つまり、口を滑らせた≠ニ言う自覚があるわけだ。

「ですが、局長……」
「考えるコトの大小で人間の器が測れるワケじゃねぇさ。あいつにはあいつの持ち味がある。
それを生かして俺たちは今日まで勝ち抜いてきた――そうじゃねぇか?」
「……任務の性質が違えば求められる策も違うでしょう。それは私も承知しております。
その上でライアンなる人物の器量に驚かされたのです。
ジャガンナートさんの口から同規模の作戦は聴いたことがなかったので、つい……」
「あのな、ドラシュトゥフ、そうじゃねぇんだよ。手前ェの仲間を低く見てやるなっつってんだよ。
敢えて張り合う理由もねぇんだが、競う前から勝ち負けを決め付けられちまったんじゃあ、
あいつもやってらんねぇだろうぜ」
「同じ条件で計略を練れば、ジャガンナートさんが劣るとは思いません。ただ、私は――」
「お前の目≠ヘ、そうは言ってねぇぜ」
「……あ、う……っ……」
「『同じ条件で計略を練れば』って仮定を話してたけどな、
自分だけの考えで基準を決め付けて、才や器を見極めたような気持ちでいると、
人間をひとつの部分でしか見れなくなっちまうぜ。
そんな人生は味気ねぇし、何処かで必ず不意打ちを喰うもんだ」
「局長……」
「お前の洞察力は誰よりも優れてる。だからこそ、気を付けな。
自分の能力(ちから)に振り回されちゃ勿体ねぇぜ」

 局長に心の内を見透かされ、これによって初めて己の非を悟ったドラシュトゥフは、
恐縮したように頭(こうべ)を垂れた。
 才気に溢れ、前途有望そうに見えるとは雖も、
ドラシュトゥフとて一〇を超えたばかりの少年に変わりはない。
この場は思考と浅慮が入り混じったばかりに躓いてしまったわけだ。
 同様の失敗を演じることが少なくないジャスティンは、
醜態を恥じて俯くドラシュトゥフに己を重ね、憐憫の眼差しを向けている。

「――っつっても、マジで『在野の軍師』と知恵比べしたら、ジャガンナートじゃキツいと思うけどな」
「私の自己嫌悪はどこに持っていけば宜しいのでしょうか、局長っ!」

 ところが、だ。次の瞬間にナタクは軍師対決では勝ち目が薄いと口走った。
隅に控えるつもりでいたドラシュトゥフが声を裏返しながら抗議してしまうようなことを
何食わぬ顔で言ってのけたのである。
 覇天組を支える軍師は、局長にとって古くからの友人だった。
そうした身内≠ニしての感情を抜きにしても、
ナタクは人と人とを比較して比較して優劣を論じることを好まないのだ――が、
長い付き合いであればこそ、ジャガンナートと言う個人の能力が及ぶ限界も判ってしまうのだ。
 ジャガンナートは数十名足らずの部隊を動かす才知に長けている。
各隊士に備わった戦闘能力を存分に引き出す方策を打ち出し、覇天組を常勝無敗に導いてきた。
その功績を疑う人間など隊内には居(お)らず、軍師としての名声は他国にまで轟いている。
 一方、国土全体を巻き込む規模の争乱に於いてジャガンナートの名が表舞台に出ることはない。
軍事力を背景とした政治の一局面では彼は無力に等しかった。
 軍事と政治――これらは複雑に、且つ密接に結び付きながら国家の趨勢を動かしていくのだが、
覇天組の軍師は片方のみを取り仕切るのが限界だったのだ。
 無論、その一点を以てジャガンナートを二流≠ニ切って捨てるのは乱暴に過ぎるだろう。
現場単位での采配と政治に適した能力は全くの別物なのである。
 陽之元の有り様を一変させるほどの大転換となった『北東落日の大乱』は、
敵味方双方の叡智がぶつかり合った戦いでもあったのだが、
その中心からジャガンナートは完全に弾かれていた。
 大局に関与し得るだけの能力を持たない彼は、この役割を他者に託さざるを得なかった次第だ。
 対して、『在野の軍師』は国際情勢まで加味しながらエンディニオン全土を舞台とする作戦の構想を練り、
途方もない計画を現実に動かしていたと言うのである。
 両者の能力が同質≠ナないこと、得意とする領域≠フ違いまで理解した上で、
ナタクは「分が悪い」と分析したのだった。
 余談ながら――陽之元の歴史が塗り替えられる局面にて主導権を握ったのは、ナタクの学問の師であった。
大局を動かす能力(ちから)が如何なるものか、これを成し遂げる大器とは何を示しているのか、
覇天組局長は他の誰よりも知っているわけだ。
 それ故に「『在野の軍師』との知恵比べでは分が悪い」と断じたことは極めて重い≠フだった。

「言っておることが前後で覆りおったわ。局長たる者、己の言葉にもっと責任を持てい。
お主、不届き者を『吐いた唾、飲まんとけよ』と挑発しておるが、
そっくりそのまま今の自分に突き刺さるではないか」
「……見たな、ドラシュトゥフ? これがさっき言った不意打ちってもんだ。俺と同じ轍を踏むんじゃねぇぞ」
「局長、申し訳ありませんが、今は何ひとつ心に届きません」

 局長の心中を読み抜いた副長は、両軍師の優劣については敢えて触れず、
部下を困惑させた発言の矛盾のみを諫めた。
 諫言(これ)と同時に、ジャガンナートの能力を低く見積もったことを眼光でもって戒めている。
 鋭い視線が意味するところを悟ったナタクは、副長から目を逸らしつつ、
襟足の辺りで縛っている長い髪を右の指先で弄び始めた。
 気まずさを誤魔化すときに決まって見せる悪癖(くせ)であり、
そこから全てを察したシャラにまで怒ったような眼で咎められる始末であった。

「――局長の言い分にも一理あるがな。想い出すだけでも胸糞の悪くなるシュペルシュタイン大司教が
アルフレッド・S・ライアンを警戒する理由だけはハッキリ分かったよ」

 ナタクの言葉に同調したのは、意外にもアプサラスであった。
彼女の愛弟子であるヌボコは言うに及ばず、対角線上に座したシェインたちまでどよめいた程だ。
 局長と監察方の頭取の間では常に空気が張り詰めており、天敵同然の関係であることは傍目にも判る。
意見の一致など絶対に有り得ないと誰もが考えていた――その最中でナタクの言葉に頷いたわけである。
 長年、彼女と共に戦ってきた仲間たちにも信じ難かったようで、
同意されたナタクも、彼の隣で聞いていたラーフラも、驚きの余り、上体を仰け反らせていた。
シャラに至っては「アーさんが壊れた」と呆けたように口を開け広げる始末だ。
 そこまで言われてしまうくらいに珍しい事態と言うことである。

「……随分な言われようだな」
「だ、だって――実際、どう言う風の吹き回しなの、アーさん? 
明日の天気予報は槍か矢のザンザン降りに注意って出る展開だよ、これ」
「シーさん、大ボケは適当なところで切り上げて、局長の言ったことを振り返ってくれ。
……教皇庁が異世界との戦争≠ノ我々を嗾(けしか)けようとした事情も見えてくるハズだ」
「『在野の軍師』がこちら≠フエンディニオンを滅ぼす。正確にはこちら≠フ文明を……。
そうなることをシュペルシュタインは――いえ、教皇庁は想定していると仰りたいのですね?」
「流石は私の弟子。無駄な説明が省けて助かる」

 シャラより早く勘付いた愛弟子(ヌボコ)にアプサラスは微笑を以て応えた。

「『在野の軍師』はギルガメシュ本隊と戦っている。
その延長で我々のエンディニオン≠ノも牙を向けると、教皇庁は本気で考えているのだろう。
ギルガメシュを送り込んでくるような世界を決して受け容れるな――そんな結論に行き着くハズだと」
「お粗末な被害妄想です。如何にも教皇庁らしいとも言えますが」
「――ひょっとすると、アルフレッド・S・ライアンのことを
『絶えず戦争に浸っておらねば生きられぬ人種』と見做しておるのやも知れんな。
何しろ偏見に凝り固まった連中じゃ。軍師と呼ばれし者の役割を戦争屋か何かと誤解しておっても
全く不思議ではないわ。寧ろ、納得してしまうくらいじゃわい」

 やがて監察方の師弟の会話に副長も加わった。
 彼は「こちらの気が狂ってしまうくらい、お目出度い連中だ」と
忌々しげに吐き捨てるアプサラスと同じように、
右の瞳――眼帯で覆われていない側とも言い換えられよう――にて憎悪の念を燃え滾らせている。
 無論、憎悪を向ける対象は『在野の軍師』でなく教皇庁だ。
件の組織にて大司教を務めるモルガンは、いずれ異なるエンディニオン同士で戦争状態に陥ると断言し、
こちら≠フ文明を駆逐しに掛かるだろう向こう≠フ世界を迎え撃つよう覇天組に要請していた。
 つまり、異世界との戦争の尖兵になるよう促しているわけだ。
 文明や社会と言うものは、そこに住む民が在って初めて成り立つものである。
民の移住――否、離散を原因として文明が衰える状況は、現在(いま)、惑星規模で起こりつつあり、
このまま『神隠し』と呼ばれる被害が拡大していけば、まさしくひとつの世界が滅びることになるのだ。
 世界を構築するのは文明であり、これを基盤とした社会――
難民がアルトに土着することは、即ちノイの衰退を意味しているのだった。
 そして、その難民を救済するべくアルトを侵略しているのは、
ノイの人間によって結成されたギルガメシュである。
 ギルガメシュに対する憎悪は、やがてノイの人間に向けられるようになり、
何かの拍子に暴発してふたつのエンディニオン≠フ全面戦争に突入するだろう。
その果てにノイは滅び去る――これがモルガンの見立てであった。
 ギルガメシュと言う名の暴力によって抑圧されたアルトの人々は、
無慈悲な報復でもってノイの痕跡を消滅させるに決まっている。
これを先導するのが人を操ることに長けた『在野の軍師』と言うわけだ。
 ノイの消滅に『在野の軍師』が関与すると言うのはラーフラたちの仮定に過ぎないが、
おそらくモルガン大司教は、この突拍子もない見立てを本気で信じ込んでいる筈である。
 だからこそ、ノイの側でも指折りの戦闘力を誇る覇天組を
ぶつけるつもりだったのだろうとラーフラは言い添えた。

「大司教の目から見れば、ワシらもアルフレッド・S・ライアンも、
どちらも争いの中でしか生きられぬ無頼者なのじゃ。共倒れになれば教皇庁には幸いよ。
覇天組も軽く見られたものよな。いっそ清々しいくらいじゃ」
「こうなると、いよいよ内通者も怪しくなってくるぞ。
ギルガメシュを裏切ったと見せ掛けて、対抗勢力に潰し合いをさせる計略かも知れない。
……副長、こうなったからには『鬼道衆(きどうしゅう)』やバーヴァナさんにも
協力を仰ぐべきと思うが、どうだろうか?」
「鬼道衆の連中の嘆く声が聞こえるようじゃ。例の件≠ェ杞憂に終わって、
ようやく肩の荷が下りたと思ったばかりじゃからの」

 アプサラスが口にした『鬼道衆』とは、陽之元に所属するもうひとつの武装警察であり、
バーヴァナは正規軍の教頭を務める国防の重鎮であった。
 そのような者たちにまで協力を要請すると言うことは、
コールタンに対する猜疑心がいよいよ深まった証左である。
 そのコールタンの手引きによってノイまで辿り着いた者たちにも了承を求めようとした瞬間、
アプサラスの双眸は向かい側に座したシェインの顔色が一変する様を捉えた。
 今や彼は満面を憤怒の色で染め上げようとしている。

「ふたつのエンディニオンが何だって? アル兄ィが誰を滅ぼすってッ!? 
……戦争なんか起こすわけないだろッ! どうしてアル兄ィがそんな真似しなくちゃならないんだッ!」

 シェインが激怒するのは当然だった。
 『在野の軍師』が――アルフレッドがニコラスやヴィンセントと言ったノイの人々と
友情を育んでいく様子をシェインは間近で見守ってきたのである。
それを教皇庁の企みによって貶されたようなものなのだ。
 シェインにとっては、あらゆる意味で許し難い。断じて捨て置くことは出来なかった。
 それは普通の怒り方ではない。人並み外れて短気なフツノミタマでさえ慄くような凄まじさなのだ。
激情の赴くままにブロードソードを抜き放ち、
屯所の外まで飛び出していくのではないかと誰もが危うんだ程である。

「ボクらは敵同士なんかじゃない! いがみ合う理由なんかどこにもないッ! 
どうして……どうして、こんな簡単なコトを信じられないんだよッ!」

 憤怒の吼え声を上げたシェインは、兄貴分の誇りを穢されたことだけでなく、
ふたつのエンディニオンの絆を否定されたことに立腹している。
 その思いに気付いたヌボコは、すかさず左右の膝でもって床を滑り、
四角い木枠(ろぶち)の最上部――即ち、囲炉裏を挟んで対面する両者の間≠ノ座り直した。
アルトとノイ、双方の人間を取り持つかのような位置に座したのである。

「落ち着け、シェイン。ここで腹を立てたら教皇庁の思うツボだ」
「だってさ、セシルッ!」
「同じエンディニオンと言う名前を持つ世界で生まれた人間が――異世界の人間同士が手を携えたところを
お前は見てきたんだろう? 教皇庁が何と言おうが、それが俺たちの真実だ」

 これまでシェインが目にしてきたこと――それこそが揺るぎない『真実』だとヌボコは力強く語った。

「お前たちは道標なんだ。シェイン、お前が俺たちを信じてくれる限り、俺たちも迷うことはない。
……頼りにしておるぞ、相棒」

 相棒――そう言って、ヌボコはシェインに弾けるような笑顔を見せた。
ドラシュトゥフやヒロユキでさえ見たことがない表情(かお)を――だ。
 感情の昂った弟を優しく宥めるようなヌボコの姿をナタクは微笑を浮かべながら見つめている。
これ以上ないと言うくらい嬉しそうに目を細めている。


 このときのナタクは、ヌボコとシェインを通じて別のモノを見ていた。
 それは局長と言う肩書きを背負うより遥か昔のこと――
やがて副長と呼ばれるようになるラーフラと出逢った日の追憶(こと)である。
あるいは今日(こんにち)の覇天組へと繋がる全ての出発点とも言えよう。
 丁度、現在(いま)のヌボコたちと同じ年の頃、
ナタクとラーフラは川を挟んで対立する町でそれぞれ暮らしていた。
政治的な遺恨から半世紀以上も憎しみ合い、
先≠ヨ進もうとしない故郷の有り様にふたりとも不満を抱えていた。
 その頃、生涯の師匠となる男から様々な教えを授かり、より広い世界を志向し始めていたナタクは、
「時が止まった」としか例えようがない故郷の現状を変えるべく一念発起して敵対する集落に潜入し、
有力者の子息であったラーフラとの邂逅を果たした。
 町の有力者どころではない。当時の陽之元国を支配していた旧権力の名門――その御曹司である。
 橋向こうの敵対勢力≠ノ滅法強い少年が居るとの風聞を耳にしていたラーフラは、
それがナタクであると即座に確信し、彼を屈服させて自分の駒にしようと目論んだ。
己の故郷も、対立側の町をも破滅させ、一切を無に帰さんとする策略の捨て駒≠ノ――だ。
 当時、顔の左半分を隠していなかったラーフラは、少年らしからぬ野心の炎を双眸に宿し、
自分の仲間でさえ使える人間とそうでない小物を冷徹に選り分けていた。
その点、ナタクは使い捨ての道具には最適な人材だったのである。
 かくしてナタクとラーフラはふたつの町に架かる古びた橋の上で対峙し、
誰もが寝静まった真夜中に決闘へ及んだ。
 野心こそ秘めてはいたものの、互いを憎む心など少しもない。
しかし、故郷と呼ばなくてはならない土地≠ェふたりの少年を敵同士と言う立場に分け、
血みどろの戦いへと誘ったのである。
 ナタクは武器を持たずに拳ひとつで臨み、対するラーフラは槍を携えていた。
 決闘は凄絶そのものであった。橋の上から河原までふたり揃って転げ落ち、
川の水と流血でズブ濡れになりながら、明けの明星が夜空を切り裂くまで戦い続けたのである。
 互いに死力を尽くした果たし合いは、武技に於いて一歩秀でるナタクの勝利で終わった――が、
決着がついた後(のち)、ふたりは朝日の中で不思議な感慨に包まれていた。
 敵同士として出逢い、互いの為人すら熟知していない筈なのに、
この少年となら根腐れを起こした故郷でも変えていけると思えたのだ。
 そして、傷だらけの顔を見合わせた瞬間、互いを生涯の相棒と認めたのである。
 小難しい理屈などではない。厳めしい言葉を並べ立てて何かを誓ったわけでもない。
魂で通じ合ったふたりは、これより数え切れない程の戦いを共にし、
遂には陽之元に巣食っていた旧権力そのものを討ち果たし、
全ての果てに覇天組の両輪として並び立つことになったのだ。


 ふたつのエンディニオン≠ヘ必ず手を携えていける。共に歩んでいける。
そう信じて疑わないヌボコとシェインに自分たちの姿が重なり、昔日の想い出が鮮明に蘇るのだ。
彼らもまた理屈を超越した領域で通じ合ったに違いない。
 今や覇天組副長の肩書きを背負うようになったラーフラも、在りし日の自分を想い出していたのだろう。
右の瞳でふたりの姿を眩しそうに眺め、懐古の念を以て頬を緩めている。
 ナタクからラーフラとの出逢いについて詳しく聞かされていたシャラは、
決意の表情で向かい合うシェインとヌボコの横顔を、次いで局長と副長の背中を順繰りに見つめていった。
全ての人を包み込む春の陽だまりの如き微笑を湛えながら――だ。

「ヌボコの言う通りだ。教皇庁の好きにはさせねぇ――」

 そして、覇天組局長は自身の膝を叩きながらシェインへ向き直った。
依然として瞼が半ばまで閉ざされているものの、何時しか瞳には強い光を宿していた。
 死者が息を吹き返したか――そのような錯覚をシェインに与えるほどナタクの双眸は輝いている。
それは百獣の王と畏れられる獅子の如き瞳であった。

「――覇天組はお前たちを仲間として守り抜く。だが、それはギルガメシュを倒すってコトだけじゃねぇ。
こうして巡り合った者同士、ふたつのエンディニオンを結ぶ橋渡しになれると信じたからだ。
……教皇庁(やつら)が何と言おうと、お前たちは俺たちと同じ世界≠生きる仲間だッ! 
一緒に面白ェ夢を視ようじゃねぇかッ!」

 任せておけと言わんばかりに左胸を叩きながら、覇天組局長は改めてシェインたちを支えると宣言した。
ふたつのエンディニオン≠フ行く末を歪んだ目でしか見られないような教皇庁には、
何があっても屈しない――その決意表明と言っても差し支えはあるまい。
 局長の傍らでは副長も首を頷かせている。強く、深く、まるで強い意志を表すかのように頷いている。

「局……長――」
「お前らは覇天組の隊士じゃねぇんだから、局長なんて呼ばなくても良いんだぜ? 
……ああ、ヌボコのことはお前らに合わせて『セシル』って呼んだほうが良いのか?」
「どっちの名前もカッコいいよね〜。セシルくんか、ヌボコくんか、どっち呼びが良い?」
「父様もシャラさんも、からかわんでください」

 シェインは身が震える思いで座していた。
 最初は生気のない目が薄気味悪く、冷たい戦慄すら覚えていたナタクのことが
今では何よりも誰よりも頼もしく感じられるのだ。
 覇天組局長――その称号(な)が意味するところを、今、初めて理解した心持ちであった。
目の前に在るこの男は、間違いなく一時代を築いた英雄なのだ。

(……エルンストから軍師になれって誘われたとき、きっとアル兄ィもこんな風になったんだろうな――)

 ナタクと言う男の偉大さに触れたシェインは、
心の昂りを持て余し、ただただ彼の面を見つめるばかりであった。
 ジャスティンとジェイソンも同じ気持ちでいるのだろう。
「面白い夢を視よう」と豪快に語った局長へ釘付けとなっている。
 教皇庁には屈しない。面白い夢を共に視よう――口にすることだけならば容易いが、
しかし、これを貫くことでナタクと覇天組は途方もない責任を負うことになる。
 陽之元の政治機関たる『学校』には委細を報告し、協力体制を整えることになるだろう。
無論、教皇庁に気取られないよう全て極秘裏に行わなければならない。
この企てをモルガン大司教辺りが嗅ぎ付けたとき、ナタクが罪に問われる可能性もあるのだ。
女神イシュタルに反逆した神敵≠ニして罰せられるかも知れないのである。
 それにも関わらず、ふたつのエンディニオン≠フ橋渡しを担う少年たちを見つめるナタクには
迷いも躊躇いもない。その双眸には一片も曇りとてなかった。
 想定し得る責任の一切を飲み込み、女神を欺くような決断まで、この男は瞬時に下せてしまえるのだ。
 そして、『捨』の一字をあしらった旗のもとに集う仲間たちが己の覚悟を理解し、
必ず随いてくることも確信している。
 事実、局長が教皇庁に歯向かうと宣言したとき、誰ひとりとして異論を唱えなかった。
普段から反りの合わないアプサラスまでもが反対しなかったのである。
 頼もしい仲間が共に在ると信じ抜けるからこそ、覇天組の局長は大いなる賭けに打って出られるのだ。

「覇天組の局長として、ひとりの男として――俺はお前たちに賭けるぜ、シェインッ!」

 顔を覗き込みながら笑いかけるナタクに、シェインは万感の思いを込めて頷き返した。
 全身が震えていることは、とっくに自覚している。心の底から伝う身震いを止めることは叶わない。
それどころか、この律動に身も心も委ねていたいとさえ思っていた。
 憧れ続けてきたマイク・ワイアットから「親友になろう」と手を差し伸べられたときと同じである。
冒険王に勝るとも劣らない偉大な男と巡り会えた感動がシェインの心身を震わせているのだ。
 覇天組局長は、自分たちを庇護すべき相手ではなく対等な同志として認めてくれている。
この偉大な男と肩を並べて歩んでいける。そのことがシェインには堪らなく嬉しかった。
 見れば、離れ≠フ間に居合わせた全ての隊士たちがナタクの言葉に強く頷いていた。
人一倍、警戒心の強いドラシュトゥフまでもが躊躇うことなく首を縦に振っているではないか。
 これを見て取ったジェイソンは「スカした顔してアツいじゃねーか!」と破顔したものである。

「どうやらヌボコにとって一生の出逢いだったようだな。大事にしなさい」
「はいッ!」

 囲炉裏を挟んで言葉を交わす内にアプサラスもまたシェインたちのことを
愛弟子にとって掛け替えのない人間と理解したようだ。
 ふたつの世界を取り持つような位置に座しているヌボコは、
師匠から掛けられた言葉に対し、右手で握り拳を作ることで返答(こたえ)に代えた。
 この拳を胸元まで引き上げ、「彼らとなら新しい世界を目指せる」と
言外に示すまで一秒と費やさなかったのだ。
 敬愛する師匠に無二の友を認めて貰えた――この喜びを込めた即答(ことば)には、
アプサラスのみならずナタクも相好を崩している。
橋渡しの役割を任せられる程に頼もしく、それ故に養父(ちち)としての感情が溢れたのである。
 その様子を横目で眺めていたラーフラには「親バカ極まれりじゃな」と冷やかされてしまったが、
ナタクは一向に構わなかった。誰に何と言われようとも、嬉しいものは嬉しいのだ。

「――お茶も冷めちゃったことだし、ここらで中休みを入れよっか。
……てゆーか、モユルちゃんのほうが限界みたいだしね」
「にょわっ!?」

 一同の心が確(しか)と結び合わさったことを認めたシャラは、ここで一先ず休憩を取ろうと提案した。
 彼女の言葉を受けてモユルの様子を窺ってみると、またしても難解な話に随いていけず、
今にも頭上から蒸気を噴き出しそうだった。

「よし、行け、色男っ。今度こそキメちまえっ! 
モユルちゃんを現実(こっち)の世界に引き戻せるのは王子様のチュウしかねぇ!」
「立場を自分に置き換えて考えてみろ、ヒロユキ。そんな真似が出来ると思うのか!?」
「オレには無理だけど、お前ならイケるって。さっきだって寸止めまでは行ったんだからよ。
もう慣れたべ? みんなに見られたままでもやれるべ?」
「そもそも人に見せるものではなかろうが!」
「つまり、人が見ていないところではやっていると――セシルさんったら、とんだムッツリ≠ナすね」
「……どうやら師として説教をしなくてはならないようだな」
「誤解されるようなことを言うな、ジャスティン! アプサラスさんも真に受けんでください!」

 ヒロユキとジャスティン、更にはアプサラスにまで冷やかされたヌボコは、
今や全身を真っ赤に染め上げている。その様子をシェインが「茹蛸みたいだぜ」と
喩えたことがきっかけとなって離れ≠ノ和やかな笑い声が起こった。
 陽気なジェイソンに飛び付かれ、気安く腕を首に回されたドラシュトゥフも困ったように微笑んでいる。
それでも、不躾な腕を捩じり上げるようなことはしなかった。

 底抜けに明るい笑い声で埋め尽くされる只中に在って、フツノミタマはナタクを見詰めていた。
何時ものように睨(ね)め付けるのではなく、ただ静かに見据えているのだ。
 己に注がれる視線に気付いたナタクもフツノミタマへと向き直り、正面から見つめ返した。
 今し方の宣言に偽りがないか、フツノミタマは互いの視線を交えることで確かめようとしている。
その親心≠ェ伝わったからこそ、ナタクも誠実な態度でもって応じたのだ。
 ここまで少年たちを引率してきた彼にも安堵して欲しい――その一心をナタクは眼差しに託している。
 果たして、ナタクの心を受け止めたフツノミタマは、
幾度か頷いた後(のち)、神妙そのものの面持ちで頭を下げた。
四六時中、周りの人間に噛み付いてばかりいる彼が自ら頭(こうべ)を垂れたのだ。
 ナタクもまた表情を引き締め、フツノミタマが尽くしてくれた礼≠ノ対して
同様の作法を以て応じるのだった。




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