13.マルドゥークの名を持つ少年


 南方の最果てに位置する軍事大国――『フィッツウォレス』。
 物々しい異称が表す通り、張り詰めた空気が国土の隅々まで垂れ込めているようであった。
治安維持を目的とした保安官(シェリフ)とは別に都市(まち)の至る所に正規軍の歩哨が立ち、
他国から訪れた旅客も自国の民も分け隔てなく監視しているのだ。
 厚手のコートに身を包み、突撃銃を携えた立ち姿は抜き身の威圧感を漂わせており、
見る者全てに恐怖を植え付けていた。この地を初めて訪れる旅客などは、
突き刺すような視線を躊躇いなくぶつけてくる歩哨に先ず慄(おのの)くと言う。
 決して、独裁者が君臨し続けているわけではない。
監視の目を光らせて国民を縛り付けていると言うことでもない。
歩哨に見張られ続けると言う息苦しさはともかくとして、
フィッツウォレスの民は自由な生活を首長より約束されているのだ。
 そもそも、だ。フィッツウォレスでは王族や貴族と言った特権階級が消滅して久しい。
遥か昔に王制自体は廃止され、国民投票によって首長を選出する体制に変わったのである。
 全ての原因は立地に在った。隣国との穏やかならざる関係から
「軍事大国」と揶揄されるまでに軍備を最優先させなくてはならなかったのだ。
 嘗て、フィッツウォレスと国境を接していたのは、史上最悪の独裁国家――『メルカヴァ皇国』だったのである。
 メルカヴァと言う国家を語るとき、ノイの人間は決まって「絶望の都」、「権力者の成れの果て」、
「狂乱が形を為したモノ」などと不穏当な言葉を添えてしまう。
 恐怖の象徴に喩えられるほど件の皇国(くに)は忌み嫌われていたと言うことだ。
 世襲によって王権が引き継がれていく独裁者の一族は、
戦争以外に国力を富ませる術を知らなかったと言っても良い。
 領土の拡大や軍需の増加に基づく経済効果は言うに及ばず、
敗戦国から奪い取った巨額の賠償金もメルカヴァを強国化させる要因であった。
事実、戦争景気によって大いに潤っていたと当時の新聞でも報じられている。
 尤も、歪み切った好景気を享受出来たのは、メルカヴァの王家など一部の特権階級のみである。
戦争を実行する為の手段――軍事力は国内にまで向けられていたと言うことだ。
 教皇庁が定めた身分制度を巧妙に利用することで恐怖政治を実現し、
特権階級に座する人々は、女神イシュタルの名のもとに″走ッから僅かな蓄えまで搾り取っていた。
 王家に逆らう者は裁判を経ることもなく処刑されると言う地獄の如き有り様。
それどころか、罪もない民を思い付きで縛り首にし、
惨たらしい様子を寸劇か何かのように見物したと言うのである。
 身分制度の根拠たる国教から分離した宗派には、
イシュタルに背く『神敵』として苛烈な弾圧を加えていた。
 所謂、異教徒狩りであり、これを匿った者は親類縁者に至るまで
悉(ことごと)く首を斬り落とされたのだ。
例え見せしめであるとしても、生きたまま首筋に鋸を宛がうなど正気の沙汰ではない。
 他国から見れば常軌を逸した狂気の一族としか思えない――が、
これこそがメルカヴァ王家にとっての正気≠ナあり、
狂気などと謗られること自体が理解出来なかったのであろう。
 人道に反していると批難されようものなら気が触れたかの如く激怒し、
内政干渉を断つべく軍事力をも行使して国際社会を威嚇するのだ。
 メルカヴァ王家を絶対的な君臨者たらしめる身分制度の起源――
教皇庁から人道への配慮を勧告されても撥ね付ける始末であった。
 それ故に「ならず者国家」と罵倒する声が圧倒的で、不幸にも領地が隣接していたフィッツウォレスは
幾度となくメルカヴァ軍から侵略を受けていた。大規模な会戦に至ったことも一度や二度ではない。
 国境付近は常に緊迫していた。不法侵入を警戒して配置されたフィッツウォレスの兵士が
メルカヴァ側の狙撃手によって殺傷される事件は後を絶たず、
教皇庁から派遣された視察団へミサイルが撃ち込まれたこともある。
 自分たちのほうから仕掛けた攻撃にも関わらず、
フィッツウォレスや教皇庁に対して賠償請求を申し立てる程にメルカヴァ王族は面の皮が厚かった。
 この恐るべき「ならず者国家」は、国際社会からの孤立を深めつつも戦争景気によって成り立っていた。
しかし、綱渡りの国家運営が何時までも続く筈はなく、遂に大規模な内乱を許してしまい、
首都決戦の末に国家としては滅亡している。現在(いま)から遡って三年前のことであった。
 「殉教の聖女」とも呼ばれる指導者に率いられた反乱軍は、
その広大な国土を道連れにメルカヴァ皇国を滅ぼしたのである。
 世界中から忌み嫌われた「ならず者国家」には、最早、人っ子ひとり残ってはいない。
首都決戦の最終局面に王族側が投入した大量破壊兵器の影響で国土の九割以上が死の荒野と化し、
今なお再生されることなく放置されているのだ。
 何しろ地形そのものが激変するような大破壊であり、
戦災を恐れて離散した国民も忌まわしい土地には戻りたがらない。
復元の可能性は絶無に等しいのだった。
 大いなる皮肉と言うべきか、反乱軍と結託して「ならず者国家」を死の荒野に変えたのは、
今日(こんにち)のエンディニオンを脅かす存在――唯一世界宣誓ギルガメシュの前身である。
 こうした背景もあり、首都決戦に当たって反乱軍を支援したフィッツウォレスは、
国際的なテロ組織を台頭させた張本人として、現在(いま)、厳しい批難に晒されていた。
 ギルガメシュのメルカヴァ侵入を手引きしていた事実が明るみになった折には、
世界で最も購読されていると言う新聞から「テロ支援国家」と名指しで貶された程である。
 さりながら、件の汚名を着せられたことを理由に
メルカヴァと争っていた時代と同じ軍備を継続させているわけではなかった。
「テロ支援国家」などと蔑んでくる国際社会への威嚇でもない。
 国家の仕組みの中へ有機的に組み込まれてしまった軍備と言う要素(パーツ)を
簡単に取り外せるわけがなく、往時のまま維持せざるを得ない状態が続いているのだ。
 軍備とは、即ち戦支度に他ならないが、そこには膨大な雇用が発生する。
フィッツウォレスと言う国家が経済と言う名の歯車によって社会を動かしていくには、
最早、軍備は欠かせないものとなっていた。
 町中で目を光らせている歩哨にも同じことが当てはまるだろう。
彼らに課せられる任務もまた仕事≠フ一種なのである。
 他国からは歩哨こそが恐怖政治に向けた布石ではないかと問題視もされており、
フィッツウォレス政府でも見直しを検討してはいるのだ――が、
件の任務に関わる要員や体制を再編するだけでも膨大な労力と資金を要する為、
実行を躊躇っているのが現状であった。
 フィッツウォレスにとっての軍備≠ニは、
経済の動力であり、「ならず者国家」と争っていた時代の負債でもある。
何処かで修正しなくてはならないと分かっていながらも手を付けられない状態なのだ。
 再生が求められているにも関わらず、誰ひとりとして顧みることのない旧メルカヴァの荒野とは、
或る意味に於いてフィッツウォレスを映す鏡とも言えよう。
 現在(いま)のフィッツウォレスは、嘗てのメルカヴァと同様の状態に陥りつつある――
このように分析する学者も少なくはなかった。
 内戦の混乱に乗じて潜入したフィッツウォレスの工作員がメルカヴァから軍事機密を盗み出し、
これに基づいて大量破壊兵器の研究を進めているのではないかと実しやかに囁かれてもいる。
聞けば、人体実験など非人道的な研究内容も含まれているそうだ。
 あくまでも風説の段階ではあるものの、仮に機密情報の奪取や非合法の研究が事実であるとすれば、
フィッツウォレスが第二のメルカヴァと化す日も遠くはなかろう。

(――収穫は並盛≠チてトコロかな。皆の消息以外はイーライから教わった話が殆どだったし……)

 国土が死滅したと言っても過言ではない「ならず者国家」と、
図らずも「テロ支援国家」の汚名を着せられてしまった隣国――裏の事情をも含めた二ヵ国の委細は、
全てフィッツウォレスの情報屋から仕入れたものである。
 国家の暗部にまで触れている為に情報自体の危険度が高く、
これを知っていると勘付かれただけでも歩哨から追跡されることだろう。
比喩でなく地の果てまで追い詰められ、逮捕ではなくその場で処断されるかも知れなかった。
 危難を招くような情報を敢えて買い取るからには、
降り掛かった火の粉を打ち払えるだけの実力を備えていなければならない。
疚しい事情を抱えた人間を見定めるような眼光など気にも留めず、
歩哨の前を悠然と歩いていく様は、まさしく豪胆の典型と言えよう。
 「豪胆の典型」とは雖も、その容姿に「屈強」の二字は似つかわしくない。
肩には大型の武具を担いでいるのだが、肢体は彫像のように細長く、
突撃槍(ランス)と思しき装備の重量に振り回されはしないかと案じられる程であった。
 痩身の輪郭を描いているからこそ、胸部に見られる自己主張≠ェ一等際立つとも言える。
 レオナ・メイフラワー・ボルタ――大型の突撃槍(ランス)を担いだ女性とは、
アルトに於いて悪名を轟かせていた不良冒険者チーム、『メアズ・レイグ』の片割れであった。
 チームと称してはいるものの、実質的には夫とふたり一組のコンビである――が、
一騎当千の実力がふたつ揃えば、生半可な軍隊よりも遥かに手強いと冒険者仲間の間では恐れられていた。
 彼女が携えた突撃槍(ランス)には、トラウムの効果を打ち消すと言う恐るべき特性が秘められている。
その上、MANAと酷似する変形機構まで兼ね備えているのだ。
 伴侶との待ち合わせに場末の食堂を選んだのも、
万が一、歩哨の奇襲を受けようとも突撃槍(ランス)ひとつで切り抜けられると言う自信の表れであった。

(……お隣はメルカヴァ、か。思うところがあるハズだけど、イーライってばナーバスになっていないかしら……)

 レオナの伴侶――イーライ・ストロス・ボルタも相当に豪胆と言えよう。
窓際のテーブル席に陣取った彼は、妻の到着を待たずにラーメンを啜り、分厚いチャーシューを齧っていた。
 麺鉢の縁から飛び出すくらい大量のチャーシューがタイルの如く敷き詰められており、
スープから立ち上る湯気すら封じ込めている。何とも香ばしいタイルに箸でもって隙間をこじ開け、
そこから麺を啜っているわけだ。
 昼食としては些か豪華に過ぎるようなチャーシューメンへ夢中になっているイーライは、
伴侶が入店したことにも全く気付いていない。

「――トンカツラーメンひとつ、お願いします。それから、瓶ビールも一本。……あ、グラスはひとつで結構です」

 待ち合わせをしている旨と自分の注文をカウンター越しに伝えたレオナは、
これ以上ないと言うくらいにこやかに微笑みながら伴侶(イーライ)の向かい側に腰掛けた。
 次にレオナが為すべきことはただひとつ。やって来た愛妻を一瞥しただけで労(ねぎら)いの言葉すら掛けず、
更に麺を啜ろうとしたイーライの鼻を抓み上げたのである。
 今まさに麺を口に含もうとした瞬間を狙われた為、イーライは「ふごげ!?」と情けない奇声(こえ)を発し、
次いで激しく咳き込んでしまった。半ば宙吊りにも近い体勢で――だ。
 レオナの目から見れば、彼の「豪胆」は「無神経」と言い換えられるようである。
 一頻り、千切れると連呼した後(のち)、レオナからの捕獲≠力任せに振り解いたイーライは、
「仕方ねぇだろ、腹減ってたんだからよォ!」と、
どこをどう聞いても言い訳として成立していない喚き声でやり返した。
 メアズ・レイグの夫婦は、レオナのほうがイーライより年上である。
意味の通じない口答えに対して母性愛に満ちた微笑を返した瞬間、
右の五指でもって伴侶(イーライ)の唇を抓り上げたのは言うまでもなかろう。

 トンカツラーメンが運ばれてきたところで夫婦喧嘩は一先ず落ち着いた。
 当然ながら仲直りとは程遠い状態である。レオナの側は機嫌を損ねたままであり、
未(ま)だ昼過ぎである関わらず、ビールまで呑み始めている。それも独酌で――だ。
 正面に座した夫でなくとも怒りの深さは分かるだろう。 
下手を打ってレオナを刺激しないようイーライも追加の餡かけチャーハンを静かに頬張っている。
火に油を注ぐまいと自己防衛に切り替えたわけだが、
原因は彼自身に在るのだから、寧ろ、口数を減らすことは無責任と言えるのかも知れない。
 己の非を自覚しながら何も言い出せないイーライは、
居た堪れない気持ちのまま数十秒置きに妻の顔色を窺っている。
 己の利益の為には同業者との抗争も厭わないメアズ・レイグの悪名と実力を知る者が
現在(いま)のイーライを目の当たりにしたなら、呆然と口を開け広げるに違いない。
情けない姿を嘲るよりも驚愕のほうが先行する筈だ。
 尤も、レオナが旋毛を曲げていたのは十数分程度のことであった。
 彼女とて大人なのだ。何時までも自分の感情ばかりを優先させてはおらず、
先程、仕入れてきた情報を詳らかにする頃には平素の落ち着きを取り戻していた。
角突き合わせた状態で論じ合う内容ではないと言うことだ。
 表情(かお)から険しさが薄まっていくのを窺いながら、イーライは密かに胸を撫で下ろすのだった。
 既にイーライが知っているだろう情報を省いたレオナは、
アルトからノイへ転送される際に散り散りとなってしまった仲間たちの消息について話し始めた。
 ここ数週間に確認された異常な人物、明らかに不可解な集団と言うことで情報屋に調査を依頼し、
彼らの持つ情報の網≠ノ数人が引っ掛かった次第である。
 シェイン、フツノミタマ、ジェイソン、ジャスティンの四名は、
陽之元国に所属する覇天組と巡り逢い、
成り行きから彼(か)の武装警察から支援を受けることになったようだ。
 ルディア・エルシャインはたったひとりで僻地に転送されてしまったようだが、
何者かが迎えの者を差し向けて無事に保護されたと言う。
 情報屋から聞かされた特徴を基に推理を進めたレオナは、
ルディアに接触したのはルナゲイト家の女性エージェントではないかと見当を付けている。
 ミシェル・ラナ――レオナにもイーライにも聞き覚えのない名前だった。
変わり種のMANAを携えていることまでは突き止めたが、
情報屋たちの網≠以てしても、それ以上のことは掴めなかった。
 ルディアの転送完了から一日半程度の時間を要したものの、
彼女の迷い込んだ先へ一直線に向かったことは確認されており、
接触と保護が誰かの差し金と言う点は間違いなさそうだ。
 件の女性エージェントは、たったひとつだけ重大な手掛かりを残していた。
 裏社会の人間にも接触を図ったそうなのだが、その際に彼女は新聞王≠フ名を口にしたと言うのだ。
無論、それはアルトに君臨するジョゼフ・ルナゲイトのことを指している。
 ルナゲイト家のエージェントがノイに入り込んでいることからして不自然極まりないが、
この場に於いては、ミシェル・ラナをルディアのもとへ差し向けた張本人を探るべきであろう。
 ルディアを救出するよう指示を出せる立場――それはつまり、総てを識(し)る者≠ニ言うことなのである。

「普通に考えたら、ルナゲイトの御隠居しかいねぇわな。
……あのクソジジィめ、やっぱりコールタンと吊るんで悪巧みしていやがったのかよ。
それならそうと、俺らにも話しておけっつーの。チョロチョロとドブネズミみてェに這い回りやがって」
「……あら? 今度のことに関しては、イーライも識(し)らなかった≠フね?」
「生憎、俺は物知り博士なんかじゃねぇからよ。……あんまり記憶≠アテにされても困るぜ」
「それは私だって分かっているつもりだけど……」
「わーった、わーった、この辺にしとこうや。俺の記憶≠ノブツクサ文句垂れてても始まらねぇだろ。
要は王サマ気取りの古狸がこっち≠ナもナメた真似をしていやがる――それだけ把握出来りゃ十分だぜ」
「断言するには手掛かりが足りないわよ。ミシェル・ラナとルナゲイト家の繋がりだって、
現時点では『限りなくクロに近い』ってところで止まっているのだから」
「ケッ――相手は宇宙一の性悪だぜ。難癖かまして、ようやくお釣りが来るくれェだ」

 ジョゼフ・ルナゲイトの為人など全く信用出来ないと言わんばかりにイーライは舌打ちを披露した。
アルトに於いて最高の権力と名誉を手にしながら、
常に黒い噂が付き纏う新聞王を胡散臭いと感じているわけだ。
勿論、これにはレオナも反対しない。
 アルトの人間であるジョゼフがノイの側――異世界へ如何にして働き掛けたのかは判らない。
コールタンとは旧知の間柄であったから、彼女を通じて密かにエージェントを
送り込んでいたとしても不思議ではなかった。
 あるいは、バブ・エルズポイントの転送装置(ニルヴァーナ・スクリプト)を起動するのも
今回が初めてではないのかも知れない。
 この仮説が真実であるとしたなら、共に戦う仲間への背信行為にも等しかろう。

「……気分の悪くなる話はここまでにしましょうか。折角のご飯が不味くなっちゃうもの。
フィーちゃんたちの話は気分転換に持ってこいだと思うわよ」
「クソジジィよかマシって程度じゃね? そっちもそっちでキナ臭ェ話になってるみてぇだしなァ」

 今、ジョゼフ・ルナゲイトの腹を探ったところで何ら意味がないと判断したレオナは、
別の組(グループ)の消息情報に触れた。
 ミシェル・ラナと言う女性エージェントがルディアのもとまで向かったのと同様に、
フィーナ、ニコラス、タスクの三人にも迎えの者が差し向けられたそうなのだ。
それも、ロンギヌス社と教皇庁――ノイを代表する巨大組織から一名ずつ。
 『ギガデス』の情報屋を経由して報(しら)されたことだが、
迎えの者たちは予(あらかじ)め転送される先――ストーンヘンジと呼ばれる遺跡だ――へ入り、
三人の到着を待ち構えていたと言うのである。
 その上、フィーナたちが宿所と定めたギガデスには、教皇庁の大司教まで挨拶に訪れたそうだ。
 こちらには新聞王ジョゼフや、そのエージェントは全く関与しておらず、
コールタンのほうで手を回した可能性があった。何しろ、煮ても焼いても食えぬような曲者なのだ。
内通者を装って教皇庁やロンギヌス社を操ることなど造作もなかろう。

「きっと転送先の細かい座標まで全部把握していやがったんだろうよ、あのババァ。
だったら、俺らにも迎えを寄越しやがれってんだ。何を企んでんのかよ、マジで。
……この調子だと全員合流出来るまで、どんだけ時間が掛かるか、分かったもんじゃねぇ」

 先程もジョゼフの為人が信じられないと舌を鳴らしていたイーライは、
コールタンとて新聞王の同類≠ニ断じて「いつか必ず落とし前をつけたらァ」と憎々しげに吐き捨てた。
 腹の底で何を企んでいるのか、まるで読めないコールタンの真意はともかく――
彼女の差し金で新たな同志を得たフィーナは目覚ましい活躍を見せていた。
この場合の「活躍」とは「戦果」とも言い換えられるのだ。

「フィーちゃんたち、ギルガメシュに一泡吹かせたみたいね。
貴方が仕入れてきた情報(はなし)を聞く限りだと……」
「おォ、こいつは記憶@鰍ンじゃなくて、今さっき買い取ったばっかりの情報(ネタ)だからよ。
十中八九、間違いねぇと思うぜ。てゆーか、あそこまで派手に暴れ回ってるって聞いたら、
アルの奴、ショック死するんじゃねェかァ?」

 転送事故によって異世界に残留してしまったアルフレッドを想い出し、
小馬鹿にするような調子で笑気を噴き出したイーライは、
食堂(ここ)へ入る前にレオナとは別の情報屋に接触を図っていた。
 手慣れた冒険者らしく複数の経路(ルート)から情報を探り、精査するように努めているわけだ。
 この抜け目のなさもまた腕利き≠ニ呼ばれる条件と言えよう。
己の利益の為には抗争すら厭わないと言う悪評を知りつつ、メアズ・レイグを贔屓にする依頼主が多いのは、
腕利き≠ネらではの能力に裏打ちされた実績を幾つも築いているからである。
 そのイーライが掴んだ情報によると、フィーナたちは次々にギルガメシュの拠点を
攻め落としていると言うのだ。軍事行動の要たる武器庫まで叩き潰すとは、
勲章を授かる程の活躍と言っても差し支えあるまい。
 休息にしては不自然なほど長く一つ所へ――件の武器庫へ留まり続けていたギルガメシュ別働隊に対し、
先ず空中から爆撃を見舞い、敵勢が恐慌状態に陥ったところに騎馬を駆って攻め入ったと言うのである。
 それは攻撃再開の宣言――あるいは開戦の狼煙のようにも思えた。
 ナシュア公国の奥地に所在していた武器庫を陥落させて以来、
フィーナは仲間たちを率いて各地を転戦し、その都度、確実にギルガメシュ別働隊の力を削いでいった。
 その内にギルガメシュの側にも顔を憶えられたらしく、
今や別働隊内ではフィーナのことを『戦乙女』などと勇ましい異名で呼び付けているそうなのだ。
 ギルガメシュの副司令――即ち、別働隊を率いるティソーンにも情報を流している人間の話である為、
戦乙女にまつわる風説などは信じても良さそうだった。誰≠ェ手を下したのかと言う点は伏せられたが、
武器庫の壊滅自体は新聞でも一面で報じられている。

「私たちも負けていられないわね。先輩冒険者らしいところを見せなくちゃ」
「冒険者なんざ俺らも向こうも休業中じゃねーか。ここで張り合ってどーすんだよ」
「ここで張り切らなきゃいけないでしょ。離れていても仲間なんだから。
フィーちゃんたちが頑張っているなら私たちはもっと頑張る。それがエール交換じゃない」
「ケッ――暑苦しいこった……」

 メアズ・レイグもメアズ・レイグでギルガメシュの拠点に攻撃を仕掛けてはいるものの、
流石にフィーナ一行ほどの戦果は挙げていなかった。
「そう言うのが一番鬱陶しいぜ」と興味がないように振る舞うイーライだが、
今こそ発奮すべきときと主張する伴侶(かのじょ)の気持ちが解らないでもないのだ。
 行軍中であったギルガメシュの部隊にコッカトリス型のクリッターが襲い掛かり、
これを一羽のみで全滅させたと言う凄まじい情報も耳にしている。
 未確認情報ではあるが、そのような猛攻を大した手傷も負わずにやってのけるのは
ムルグ以外に考えられなかった。

「――ほら、やっぱり先を越されるのが面白くないんじゃない」
「別に……」
「貴方は人一倍素直なんだもの。顔にしっかりと出てるわよ?」
「……ンなことねぇやい」

 慣れ合いや仲間意識を好まない性格上、つい突っ張ったような態度を取ってしまうイーライだが、
戦果と言う点で周囲の人間から置き去りにされることが内心では我慢がならなかった。
 何しろ好戦的な男である。誰かが武勲を称えてくれるわけでもないのに、
勝ち星の競争で遅れを取ることが何より面白くないのだ。
 次の戦闘では今まで以上に奮起することであろう。
夫の心中を見透かしたレオナは、素直になれない性情を愛おしむように微笑むと、
次いでスープに浸されたトンカツへと向き合った。

「それにしても、フィーちゃんがここまでやっちゃうのは意外だったなぁ。
……うんうん、若い子は伸びるのだって早いもの。活躍を聞いているだけで痛快だわ」
「人を焚き付けといて、手前ェで日和(ひよ)ってんじゃねーよ」
「友達のお手柄は嬉しいもの。イーライだってアル君が活躍したら大喜びするでしょう?」
「ケッ――ヤツはまだまだ頑張り方が足りねぇよ」

 幾つかに切り分けられたトンカツを幸せそうな顔で見つめたレオナは、
柔らかくなった衣を崩さないよう箸で一切れずつ丁寧に挟み、口に放り込んでいく。
 醤油ベースのスープを衣へ十分に吸わせたトンカツが殊のほか美味しかったのか、
それとも友人の飛躍を喜んでいるのか――今となっては判別が付けられなかった。
 ただただレオナの面は蕩けそうなのである。
 そんな伴侶(かのじょ)の額を握り拳でもって軽く小突いたイーライは、
「ヘラヘラしてる場合じゃねーっつの」と苦笑を洩らした。

「肝心のネイサン・ファーブルの足取りが掴めなくなったっつーのに、
不確定要素(やっかいごと)が更に上乗せされちまったんだぜ? 
……『独眼竜』――こいつばかりは俺の記憶≠ノだって残っちゃいねぇ」

 独眼竜を称するチャイルドギャングの長――メシエ・M・ヒッチコックと言う存在は、
ギルガメシュが追跡していることも含めてイーライの耳に入っている。
 年端も行かない少年たちがアウトローと化し、略奪を繰り返さなければ生き抜けないと言う事実に
レオナは酷く心を痛めていた――が、イーライから言わせれば、
現在(いま)は生温い感傷に浸っている場合ではないのだ。
 独眼竜と言う存在をギルガメシュが『アカデミー』の関係者として捜し回っている。
これこそ最重要であるとイーライは強調した。
 少年たちが置かれた苦境を黙殺するかのような物言いに対して眉を顰めるレオナであったが、
しかし、伴侶(かれ)の懸念は尤もだと思い直したらしく、
「……『輪廻』から外れた存在と言うことなのね……」と静かに応じて見せた。
 数切ればかりトンカツが残っているのだが、一先ずレオナは麺鉢の縁に箸を置いた。
食事を摂りながら話すべき内容ではないと言う証左であろう。

「仕組まれた『輪廻』にも関わっちゃいねぇから俺個人≠フ当て推量になっちまうんだが――
もしかすると、その独眼竜っつーガキは『マルドゥーク』の一族かも知れねぇ」
「マル――ええっと、……アカデミーの管制官だったかしら? 前に教えて貰ったような……」
「……そうだ。管制の任務を代々受け継いできた一族だよ。
記憶∴痰「でなけりゃ、確かファミリーネームはヒッチコックだったハズだ」
「つまり、セカンドネームが隠し名になっていると言うこと?」
「……メシエ・マルドゥーク・ヒッチコック――多分、それが本来の名乗りだろうぜ」

 『マルドゥーク』の一族がしゃしゃり出てくるのは完全に想定外だ――と、イーライは苦々しげに吐き捨てた。
 見る人を怯えさせるほど鋭い三白眼には失意の色を宿している。
それは己が望んだ通りに事態(こと)が運ばないときに決まって見せる表情であった。
 軌道修正が不可能な状況と認めた瞬間ほど、彼の瞳は輝きを失うのである。
普段は傲慢なくらい強い光を湛えていると言うのに、
それが儚い幻であったかのように一瞬で生気が失せてしまうのだ。
 イーライの瞳に闇が差し込む度、レオナは途方もない不安に見舞われる。
弱った心を奮い立たせるような言葉さえ選べなくなり、ただ静かに伴侶の面を見詰めるのみ。
レオナ本人の心が動揺を来(きた)しているのだから、
「見守る」と言うこと以外の選択肢が抜け落ちるのは極めて自然の流れであった。

「イーラ――」

 自分はイーライの伴侶(パートナー)なのだ。何とかして夫を励まさなくてはなるまい――
そう己に言い聞かせて喉の奥より声を絞り出そうとした瞬間、食堂に新たな客が入って来た。
 最初、レオナは気にも留めなかったのだが、入店してきた客は店員による案内すら断って
一直線に自分たちのテーブルへ向かってくるではないか。
 壁に立て掛けた得物を取るべきか判断するべく、瞬時にして相手の出で立ちを窺うレオナであったが、
どうもフィッツウォレスの歩哨とは違うようである。
「友好」の二字を絵に描いたような明るい笑みを自分たちに向けているのだ。
 毛先の辺りから内巻きとなっているオレンジの髪の鮮やかさが目を引く女性であった。
歳の頃は二〇代前半くらいであろうか。腰に剣帯(ベルト)を締め、そこから一振りのサーベルを吊るしていた。
 この女性が教皇庁に関係する人物であることは、額に嵌めたサークレットが証明している。

「相席しても宜しいですか?」
「――はあ? 藪から棒に、何なんだ、てめぇは?」
「……イーライ、女性に向かってそんな言い方はないわよ」

 訝るような目付きで凝視されているにも関わらず、
件の女性は生き別れの肉親とでも再会したかのように「ようやく見つけた……!」と大仰に呟き、
イーライ、レオナと順繰りに握手を求め、呆気に取られているふたりに
エレニアック・アン・ランパートと名乗った。
 「エカ」なる愛称(ニックネーム)で気さくに呼んで欲しいと言い添えて――だ。





 ヨアキム派の女性聖騎士がメアズ・レイグと接触している頃――フィーナ一行は新たな戦場に在った。
 ノイの大地を踏んでから、およそ半月――フィーナは仲間たちと共に各地を経巡りつつ、
ギルガメシュの軍事拠点を次々に壊滅させている。教会を通じてモルガンから敵の動向に関する情報を入手し、
これを手掛かりに攻撃対象を絞り込んでいるのだった。
 次なる標的は荒野の真っ只中に打ち捨てられた古い軍事演習施設である。
事前に得た情報によれば、そこは遥か昔に廃棄された訓練用の基地であり、
建物なども整備されないまま雨風に晒されているそうなのだ。
 本来は撤去されていてもおかしくない建物――しかし、それこそが隠れ家として最高の条件と言うことだ。
寧ろ、「誰も居る筈がない」と言う先入観を迷彩の如く利用したのである。
 それ故、現時点では名高い覇天組の監察方にも気付かれていない。
多くの基地を失ってしまったギルガメシュの将兵にとっては、
落ち着いて休息出来る数少ない場所と言うことだ。
 だからこそ、階級や所属に関わらず、各地の将兵たちが流れ着く地点となる。
教会で得た情報では、同地には副司令のティソーンまでもが隠れ潜んでいると言うのだ。
 覇天組を筆頭とする敵対勢力の猛攻に耐え兼ね、半ば敗残兵のような有り様で逃げ延びてきたようだと、
教会の人間――その背後に在るモルガンと言うべきか――は語っていた。
 ようやくティソーンに追い付いたと確認した瞬間、フィーナは自分たちで攻め入ろうと決意していた。
共に戦うニコラスたちにも賛否を訊ねたが、アンジーが「ここで退いたら、女が廃るってモンですわ」と
勇ましく応じた通り、反対の声などひとつも上がらなかった。
 ティソーンの身柄さえ確保してしまえば、アルトより訪れた決死隊の目的は達成されたも同然なのだ。
副司令と言う地位に在る者が最終兵器――『福音堂塔』の建造計画を知らない筈がない。
尋問などによって建造場所を突き止め、これを取り押さえることで戦局を一気に覆そうと言うのである。
 建造場所を封印した後(のち)にムルグを探し当て、
彼女に託された『インプロペリア』を組み込んでしまえば、大量殺戮兵器も脅威ではなくなるのだった。
 以前にフィーナたちは喉元≠ワで迫りながらティソーンを取り逃がしてしまっている。
今度こそ副司令の顔を拝みたいのである。
 逸る気持ちを抑えて軍事演習施設へと赴いた一行は、攻撃対象から少しばかり離れた場所に仮の拠点を設けた。
 赤茶けた砂岩が天を貫かんばかりに真っ直ぐ突き出し、これが幾つも林立する地帯である。
気温は高いが、砂埃は大して酷くはなく、日陰で身体を休めることも、食事を摂ることも出来る。
攻め寄せる機会を窺うには打ってつけの場所であった。
 馬を停め、岩陰に隠したフィーナは、休息もそこそこに突撃銃とモーゼル・ミリタリーの手入れを始めた。
各部品の隙間に砂が入り込んでしまうと弾丸(たま)が詰まる原因となり、
故障ひいては暴発と言う最悪の事態を招くのだ。砂塵の荒野では整備の有無が生死を分けるのである。
 トラウムとはヴィトゲンシュタイン粒子から創出される物であり、
極端に言えば、具現化の度にあらゆる状態≠ェ正気状態に戻るのだ。
 そこには表面に付着した汚れや破損なども含まれる。
これらを初期化するのだから、常に万全の状態が保たれているも同然――
つまり、武器を具現化するマテリアライズ型のトラウムには整備の必要がないのである。
 しかし、その特性に頼り切りでは一人前の冒険者とは言い難いと
フィーナの師匠ことハーヴェスト・コールレインは考えており、
射撃訓練と併せて銃器を手入れする方法も愛弟子に叩き込んでいる。
 トラウムが使えなくなった今、師匠の教えこそがフィーナの一番の支えであった。

(――言われた通りにやれていますよ、お姉様。……早くまた一緒に戦いたいです)

 心中にて師匠への感謝を述べたフィーナは、手入れし忘れた部位はないか、
これを確かめるように突撃銃全体をつぶさに調べていく。
『SA2アンヘルチャント』に代わる主武装だけに、絶対に手抜かりがあってはならないのだ。

「今度はどうやって攻めるおつもりですこと? また敵を攪乱しまして?」

 遠目には無人にしか見えない軍事演習施設を双眼鏡で探りながら、
アンジーは如何にも昂揚した調子でフィーナに尋ねた。
 ティソーン追撃と言う重大な決断を真っ先に支持した点からも察せられる通り、
今やアンジーはフィーナと共に戦えることを楽しく思い始めていた。
 彼女が臨んでいるのは生命を賭した危険な任務であり、愉悦を感じる余地など少しもない筈だ。
ましてや、ギルガメシュ兵を蹴散らすことに快楽を求めているわけでもない。
そのような狂乱の領域に踏み込んでいたなら、寧ろ、攻略の要員(メンバー)から外されていただろう。
 しかし、アンジーの胸は確かに躍っている。彼女とてMANAを操る戦士なのだ。
訓練によって培った戦闘能力(ちから)を余すところなく発揮することは、何にも勝る喜びなのである。
 フィーナと肩を並べて戦うとき、その渇望(ねがい)が叶うのだ。
現在(いま)のアンジーを衝き動かしているのは、まさしく戦士としての生き甲斐と言うものであった。
 尤も、珍妙な風貌は一端の戦士とは言い難い。
 額を覆う恰好で装着した暗視ゴーグルはともかく――
全身を黒いタイツで包み、腰にシルクのスカートを巻いた姿は、
戦場で生きる者と言うよりは、舞台上で色とりどりの照明(スポットライト)を浴びる踊り子のようだった。
 ロンギヌス社のエージェントが着用する制服を脱ぎ、
敢えて全身タイツを選んだことには当然ながら理由がある。
 水面下での工作はさて置き、現時点ではロンギヌス社はギルガメシュとの争乱に加わっていない。
そう言うこと≠ノなっている。『難民ビジネス』とも呼ばれる計画を以てノイの民を支援こそしているが、
合戦場に兵を差し向けたりはしないと言うことだ。
 そうした表向きの顔≠烽って、ロンギヌス社のエージェントが
大っぴらにギルガメシュの基地を叩くわけにはいかないのである。一種の変装であった。
 この出で立ちを初めて披露した際、呻き声と共に仰け反ったニコラスに対しても、
アンジーは「正体を気取られない為の措置ですことよ」と説明している。
 だが、身の裡に宿しているのは紛れもない戦士の魂だ。
両手でもって氷の大槌――『レディオブニヴルヘイム』を握り締めて作戦を訊ねる面には、
はち切れんばかりの戦意が顕れていた。
 彼女の視線の先に在るフィーナも、普段とは装いが異なっている。
 腰を防護する強化ゴム製のプロテクターを身に付け、
同質の素材で拵えたニーハイソックス――ガーターベルトで吊っているようだ――や、
活動的なショートパンツを穿いている。
 蒼を基調としたコートを羽織り、長いブロンドの髪をバルーンハットの内側に納め、
アームカバーと使い古しの軍手を嵌めた姿で突撃銃を構えるのだ。
 左右の腋下には拳銃嚢(ホルスター)も装着しており、
ここにはモーゼル・ミリタリーと小型拳銃が一挺ずつ収納されていた。
 フィーナが纏った武装一式は、アンジーが手配してロンギヌス社の倉庫から取り寄せた物である。
ギルガメシュの拠点へ攻め入る際には、普段着からこれ≠ノ替えるようになっていた。
アルトで着用していた防具も荷物袋(リュック)の中に入っているのだが、
折角の厚意を無碍には出来ず、思い切って新調した次第であった。

「――施設の見取り図が手に入らなかったので、ここは力攻めで押し切るしかないと、
昨日も打ち合わせたではございませんか」

 横から口を挟んだタスクは、熱砂の合戦にて用いたボディアーマーを
エプロンドレスの上から着込み、頭部にも半首(はっぷり)を嵌めている。
 トラウムに代わる新たな武器――リストナイフも抜かりなく装着していた。

「最終確認でございましてよ! アタクシ、フィーさんの考える作戦には胸の高鳴りが抑え切れませんの!」
「いや、それ、結構、アブない発言だよね。私、別に軍師じゃないし」

 アンジーの言葉を受けて、フィーナはタスクと顔を見合わせつつ頬を掻いた。
 ナシュア公国郊外の武器庫を陥落させた際、フィーナは自ら計略を披露していた。
ティソーンの率いる別働隊が独眼竜なる少年を血眼になって捜し回っていることは彼女の耳にも入っている。
そこで敵方の事情を利用する策を閃いたのだった。
 作戦の第一段階は情報工作である。ハルプに所在する教会の力を借り、
独眼竜とチャイルドギャングがナシュア国内に潜伏していること、
又、密かに武器庫の占拠を企んでいると言う偽の噂を流したのである。
 こうなると、ティソーンは武器庫から動けなくなる。
手掛かりひとつ得られなかった独眼竜が向こうから近付いてくると言うのだ。
千載一遇の好機とはこのことであろう。
 少なくとも、風説の真偽を確かめるまでは武器庫に留まらざるを得ないハズ――
何かのきっかけで他の場に移るとも限らない副司令を偽情報で一つ所へ釘付けにしたのだった。
 宣戦布告はレナスに任された。夜の帳が下りる頃、飛行型のMANAで高空から武器庫まで接近し、
幾つもの爆弾を投下したのだ。
 奇襲を受けて騒然となる敷地内に着陸したレナスは、
次に「自分こそが独眼竜――メシエ・M・ヒッチコックだ」と大声で触れ回った。
 これによってギルガメシュの将兵は幻惑されたのである。
 半ば恐慌状態に陥ったところへフィーナたちも駆け付け、遂に乱戦となった。
 最早、隊列を組み直すことも出来なくなったティソーンは退却を余儀なくされ、
一夜の内に武器庫は陥落したのだった。
 結局、ティソーンは自分たちが追跡していた独眼竜の影≠ノ翻弄されただけであった。
 この作戦をフィーナから聞かされたとき、
思わずタスクは「アルフレッド様に似て来られましたね」と苦笑を洩らしてしまった。
 「私だって、ただアルの隣に居たわけじゃありませんよ」とはフィーナの返答である。
 少数で敵の拠点を叩くには混乱を煽ること――嘗て、グリーニャで経験した戦いを応用したのだった。
 スマウグ総業の社屋を叩いたときのように敵兵を誘き寄せることは難しいが、
前後の見境がなくなる程の混乱であれば、意図的に作り出すことが出来る。
それにはティソーンたちが最も神経を尖らせているだろう独眼竜と言う存在を利用するに限るのだ。
 最初、アンジーは作戦内容に「机の上の計算のように進むのでしょうか」と懸念を示していたが、
合戦と言う極限状況を味わったフィーナには必ず成功させられる自信があった。
 恐慌状態の只中では、それがどんなに荒唐無稽な物であったとしても、
飛び込んできた情報を反射的に信じ込んでしまうのである。
 よくよく観察すれば、独眼竜と名乗るレナスは身長も声の太さも少年とは言い難いのだが、
しかし、乱戦時に正しい情報を選り分けることなど不可能にも近い。
 独眼竜が攻めてきた――これ以上ないと言う混乱を引き起こす鍵≠刷り込むには、
視界不良も条件として欠かせない。最初の爆撃は敵兵の判断力を破綻させる為の布石であったわけである。
 存外に呆気なく武器庫を攻め落としたとき、
アンジーはフィーナの手を取って「エクセレントでございましてよ!」と激賛したものが、
しかし、計略自体は彼女ひとりの独創と言うわけではない。
 フィーナに計略を授けるのは、今でもアルフレッド・S・ライアンなのである。
心の中に在る『在野の軍師』へ問い掛けたからこそ、人間の心理に付け込む奇策を閃いたのだ。
 ナシュア公国郊外の武器庫を陥落させた後(のち)もフィーナは心の中の軍師に知恵を求め、
己の経験と組み合わせた作戦を立てることで連戦連勝を重ねていく。
 その末にギルガメシュから『戦乙女』と恐怖されるようになったのだ。




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