16.Shiver 「――ひ……ぎぃぃぃぃぃぃィィィィィィあああぁぁぁぁぁぁァァァァァァッ!」 狂ったような絶叫が狭い空間内に響き渡った。 クトニアの右隣に立つ挙動不審の青年へニコラスがガンドラグーンの砲門を向け、 タスクが光の短刀を投擲しようと構えた直後のことである。 「ティルヴィング様……っ!?」 アルコルから『ティルヴィング』と呼ばれた青年―― つまり、クトニアを挟んで反対側に立つ副官級の青年が大声で喚き始めたのだ。 先程から恐慌状態寸前のようにも見えてはいたが、 砲門を向けられて生命の危機を直感したことによって、とうとう限界に達したのだろう。 ただ単に精神崩壊しただけならば、今こそ好機とばかりにニコラスたちも一気に攻め入り、畳み掛けたことだろう。 しかし、この二人の足は完全に止まっていた。勝機を掴めたかも知れないと言うのに、 絶叫を浴びて反射的に踏み止まってしまっていた。 ――腕だ。ニコラスたちの目の前ではティルヴィングの腕がメキメキと耳障りな音を立てながら変貌を遂げつつあった。 元々、痩せぎすで細い腕であったのだが、数秒の間に丸太のように膨らんでいるではないか。 ついにはティルヴィング本体よりも大きく膨張してしまった。 「なんじゃありゃ――もとい、何事ですの、あれは!?」 クトニアに攻めかかるタイミングを計っていたアンジーは、そのことさえも失念して氷の大槌の柄を右肩に担ぐと、 今にも吐きそうと言わんばかりに左手を口元に添えた。 確かにその様子は吐き気を催すようなものだった。カーキ色の軍服を引き裂いて膨らんだ腕は ボコリボコリと筋肉が歪(いびつ)に盛り上がり、はっきりと視認できるくらいに血管が浮き上がっている。 体内を走る管まで太くなっているというわけだ。 ティルヴィングの変貌を見て取ったクトニアとアルコルは――否、この場に居合わせたギルガメシュの将兵たちは 誰もが真っ青になった。言うまでもなく、この青年の絶叫と奇妙な姿を目の当たりにして気分が悪くなったわけではない。 恐怖と戦慄に身を震わせているのだった。 震える手で両刃剣を振り翳したクトニアは、この切っ先を後方に向けた。 言わずもがな、転進の合図である。ギルガメシュの最高幹部を支える副官――『ジョワユーズ』の権限に於いて、 この場からの撤退を指示したのだ。 ほんの数分前まで「志を阻む者たちを迎え撃つ」と勇ましく唱えていたクトニアに 一瞬で敵前逃亡を決断させるような異常事態が発生したという証左である。 七星の紋章の盾に皇国の魂を託したこの少年兵(クトニア)は、軽々に翻意するような人間ではあるまい。 クトニアの決断を容れた将兵は一目散に撤退を開始した。 ティルヴィングは腕どころか全身の筋肉が膨張し始めており、ついには元の数倍にまで達した。 顔の形と大きさだけは変化しないので余計に異様さが際立ち、見る者の神経を激しく揺さ振るのである。 視認という感覚自体が拒否反応を起こすほどの醜悪さに衝き動かされた将兵は、 戦乙女らに対する射撃も忘れて逃げ惑うのみ。 このときにはティルヴィングの軍服は完全に引き裂かれてしまっているが、 その下に伸縮ゴム製のアンダーウェアを着込んでいる為、素肌を全く晒すような羽目にはならなかった――が、 これもまたギルガメシュが開発した兵器のひとつであるのかも知れない。 血管が脈打つ度、表面に取り付けられているものと思しきセンサーが赤く明滅するのだ。 「……アンジーさん、もしかして、アレ≠烽lANAの一種なんですか?」 「ど、どう言うことですの!? あんな風に肉体(からだ)を変身させるMANAなんて、 アタクシ、知りませんことよ!」 「でも、あれ……筋肉を強化する作用がある装置じゃないかなって思うんですけど」 「見たくねぇですわ! グロくてたまりませんことよ!」 ロンギヌス社のエージェントとしての知恵をフィーナから求められたアンジーであるが、 なるべくティルヴィングの変身を見ないようにしながら首を振るばかりだった。 明滅を繰り返す装置について戦乙女は一種の強化装置と予想したようである。 それにしても、効果が大き過ぎるだろう。ドーピングだとしても尋常ではない変化だ。 「ケッ――カッコつけてくれるじゃねーの……」 そう吐き捨てるニコラスの視線の先では、クトニアとアルコルが決然とした面持ちで仁王立ちしていた。 本当ならばティルヴィングを置き去りにしたいところだが、殿(しんがり)として一行の前に立ち塞がり、 将兵たちがこの区画から離脱するまで我が身を盾にする覚悟のようである。 先程と同様に衝撃波を放つ構えを取っているアルコルは、戦乙女たちの様子を窺いながら沈黙を続けている。 ここで衝撃波を繰り出し、万が一でも間近で変身を続けるティルヴィングに接触してしまったなら、 何か大事になるのかも知れない。それ故に構えを取りながら動けないのだろうと認めたニコラスとタスクも、 将兵に対する追撃あるいはティルヴィングへの先制攻撃を踏み止まっているのである。 棒立ち状態で変身が終わるのを見守っているのも間抜けだとニコラスが焦れてきた直後、 もはや、筋肉の塊と化したティルヴィングが耳障りな奇声を発した。 それはもはや人間などではなく、異形の化け物としか喩えようのない存在であった。 「ホゥギョギョギョギョギョギョォォォォォォォォォッ!」 目玉を四方八方に忙しなく動かしながら、ティルヴィングは両腕をメチャクチャに振り回した。 すると今度は腕そのものが長く伸びたではないか。当然といえば当然かもしれないが、 筋肉の膨張に連動して骨格そのものも変貌を遂げたようである。 長く伸びたティルヴィングの両腕が鞭のようにしなり、 激しく波打って壁や天井にぶつかりながら戦乙女たちに襲い掛かった。 まるで、蛇か竜がのた打ち回っているようにも見える。 狭い空間だけに逃げ場も限られているのだが、そこは幾度も修羅場を潜り抜けてきた歴戦の猛者たちである。 瞬時にして安全な場所を見極め、間一髪で直撃を避けていく。 ところが、一度は避け切った筈の腕が急カーブを描いて再び戻って来た。 曲げた箇所を支点として速度を撥ね上げ、肥大化した拳を突き込んできたのである。 しかも、だ。肘でもなく下腕に当たる部分が曲がっている。 仮にも人間のシルエットを持つ生き物として、それは全く有り得ない状態であった。 この異形の化け物は関節の数まで自在に増やせるというのだろうか。 「人間じゃなくてもいいから、せめて、生物としての基本原則くらいは守りやがれでございますのッ!」 堪らず悲鳴を上げるアンジーだったが、現実としてティルヴィングは人間と言う種の限界を超越する芸当を 大した苦もなくやってのけている。 狂ったような叫び声を上げ続けてはいるものの、どうやら、その中には苦痛は混ざっていないようだった。 小さな頭部に見て取れる表情にも苦悶はなく、歪めるような形で肉体を変形させても 体内に激痛が走るといったことはなさそうだ。 (あんな風に身体の一部を曲げたり、大きくさせたり……イーライさんがここに居たら、きっと張り合ったんだろうなぁ) 文字通りの肉弾を潜り抜けつつ、フィーナはイーライの身に備わったトラウム、 『ディプロミスタス』を想い出している。 液体金属と生身の肉体を比較対象として取り扱うのはおかしかろうが、 アルフレッドとフェイを相手にした決闘に於いても同じような技を披露しており、 ティルヴィングに最も近い異能(ちから)として真っ先に『ディプロミスタス』が浮かんだ次第であった。 そのように余計な考えていた所為で、フィーナの反応が一瞬だけ鈍った。 そして、そこにティルヴィングから猛烈な頭突きを見舞われてしまった。 さりながら、本体≠ェフィーナまで突進してきたのではない。 ティルヴィングは腕だけでなく首まで伸ばしたのである。 一瞬の出来事であり、且つ思考を別のところに飛ばしていたフィーナには防御も回避も不可能だった。 鈍い音が響き、血飛沫が飛び散り、その身を大きく傾がせた。 「ぐう……っ!」 「ハキャキャキャキャキャキャキャキャッ!」 脳にまで達した衝撃の為に身体をくの字に曲げて悶え苦しむ戦乙女の首へ噛みつこうとするティルヴィングだったが、 フィーナ当人はその動きをすぐさまに察知し、後方に身を跳ねて迫り来る顎(あぎと)を避け切った。 着地と同時に前方を見据えると、そこには首長竜のような異形が在った。 今の攻防でフィーナを咬み殺せなかったことで錯乱したのか、異形の化け物は天井や床に首と言わず頭と言わず、 肉体の何処かをぶつけている。自分で痛い思いをするだけだろうに、そこまで考えてはいないようだ。 「どっせぇぇぇぇぇぇいッ!」 フィーナが後退った直後にはアンジーも駆け出している。戦乙女と入れ違う形でティルヴィングに突っ込んでいくと、 跳躍しながら狙いを定め、その頭部目掛けて氷の大槌を振り落とした。 このときにはフィーナも次なる攻撃の支度を整えていた。二度、三度と渾身の一撃を叩き落していくアンジーに 命中させるという誤射がないよう細心の注意を払いつつティンルヴィングの頭部に照準を合わせているのだ。 間もなく突撃銃がの銃爪(トリガー)が引かれると、ティルヴィングはバネのように首を撥ね上げて 大槌ごとアンジーの身体を弾き飛ばし、一連の流れの中で発射された銃弾をも避けてしまった。 正気を失った化け物らしからぬ攻防一致の動きである。 しかも、フィーナは外した場合のことまで考慮して天井の軸線上に銃弾を放っている。 流れ弾が天井に撥ね返り、敵の背後を再び脅かすというわけだ。 ところが、その跳弾をもティルヴィングは身を捻って避けてしまったのである。 このとき、彼は振り返ることもなかった。 視認と言う手順を踏まずに背後から迫る銃弾を回避するなど達人の業(わざ)。 撃発したフィーナ当人も、彼女の近くへ着地しながら攻防を目の当たりにしたアンジーも、 唖然とした面持ちで口を開け広げていた。 「この化け物……反射神経までパワーアップしていやがるんではなくって!?」 「アンジーさんに分からないことを私に分かるワケないでしょ! ……でも、それ以外に考えられないんだよね!」 ここに至るまでのティルヴィングの行動は、その全てが利性を失った化け物とはかけ離れている。 フィーナに油断が生じた瞬間を見逃さずに頭突きを繰り出し、あまつさえ反撃の銃弾を完全に回避している。 錯乱状態へ陥っているにしては余りにも正常で、一種の矛盾をはらんでいるといえよう。 攻防を冷静に観察していなければ不可能な動作ばかりを見せているのである。 危険回避も標的の絞り込みも、いずれも本能に衝き動かされたものという可能性も考えられなくはないが、 それにしては不可解な反応ばかりを見せているのである。 尤も、悠長にティルヴィングのことを分析している暇はない。 不意に立ち止まったフィーナとアンジーには突風の如き衝撃波が浴びせられ、 それぞれ散り散りに吹き飛ばされてしまった。 アルコルによる追撃であろうことは、相手の姿を確かめるまでもなく分かっている。 床の上に叩き付けられる恰好となったフィーナだったが、それでも受け身を取って衝撃を緩衝し、 身を転がして立ち上がろうとした――その瞬間に冷たい殺気を感じた。 咄嗟に突撃銃を翳し、迫りくる何かを防ごうとした。 やがて銃身の辺りで火花が散り、同時に銃を持つ手に重い衝撃が圧し掛かる。 「おのれっ! 不埒者の分際でしぶといッ! 正義の裁きを受け入れろッ!」 「私の経験上、『裁きを受け入れろ』って上から目線で言うほうに正義はないものだよ……!」 フィーナを脅かしたのはクトニアである。アルコルの衝撃波で吹き飛ばされた彼女を追い掛け、 己が正義と信じる刃を閃かせた次第であった。 年少ながら副官の地位を許されているだけあって剣腕には目を見張るものがあり、 一瞬でも反応が遅れていたなら、あるいは致命傷を被ったかも知れない。 メキメキと上達しているとは雖も、まだまだ駆け出しの域を出ないシェインとは比べ物にならないと言うわけだ。 「――このクソカスがぁッ! 邪魔しやがるんじゃねぇですことよッ!」 フィーナのピンチを見て取ったアンジーであるが、加勢へ駆け付けようにもティルヴィングが しならせる両腕と首に行く手を阻まれて接近することもできなかった。 焦れたアンジーは遮二無二大槌を振り回すものの、 瞳を四方八方に動かすティルヴィングは全ての軌道を見切って直撃を避け、状況に応じて頭突きを見舞っていく。 轟々と風を裂いて突進してくる頭部を紙一重で避けるアンジーだったが、 すり抜けていった長い首が彼女の周囲で急速旋回し、危険であると判断した直後には胴に巻き疲れてしまった。 「あぅ……このっ……ぐうぅ……ッ!」 「ホギョォォォォォォォォォッ!」 「――野郎ッ! 趣味の悪ィ真似をしやがるッ!」 このままではアンジーが圧死させられるものと認めたニコラスは、 獲物を捕らえた蛇のように舌なめずりするティルヴィングの側面まで素早く回り込むと、 首の付け根を狙って最大出力のヴァニシングフラッシャーを放射した。 果たしてエネルギーの奔流は化け物の首を焼き切り、アンジーも窮地を脱することが出来た。 「お、恩に着ま――」 咳き込みながら礼を述べようとしたアンジーの表情は、次の瞬間には凍り付いてしまった。 切り離された首とその付け根の双方から筋肉の繊維と思しき無数の糸が生え出し、結び合わさったのだ。 この直後には頭部が付け根に引き戻され、何事もなかったかのように切断面が接着されてしまったのである。 見れば、ヴァニシングフラッシャーによって焼き切られた箇所まで完全に再生していた。 「今ので仕留めたと思ったんだが、……いや、それ以前の問題かよ、こいつは……ッ!」 さしものニコラスも、これには呻くしかなかった。 首を落としても息絶えず、それどころか再生までしてしまうような相手を、 一体、どうやって倒せば良いと言うのか。絶望の影を感じざるを得なかった。 「どうなっているのですか、あの御仁は。人の皮を被った化け物という喩えはありますが、 文字通りのモンスターではありませんか。……あれもまたギルガメシュの秘密兵器だと言うのですか?」 「私は所詮、副官の補佐役に過ぎない。仮に秘密の兵器などがあるとしても正体を知るような立場にはないのだ」 衝撃波でもってフィーナへ追い撃ちを仕掛けようとしていたアルコルの前に立ち塞がり、 一対一の接近戦へ持ち込んでいたタスクは、交戦中に視界へ飛び込んできたティルヴィングの怪異について、 光の短刀と共に質問を繰り出した。 アルコルにははぐらかされてしまったが、仮に詳しい手掛かりを提示されていたとしても、 細かく分析していることなどできなかっただろう。タスクとて体術の心得はあったのだが、 この男が繰り出す技は彼女の水準(レベル)を遥かに上回っており、今や防戦一方となっているのだ。 しかも、明らかにアルコルから手加減されている。 女性に敬意を払うフェミニストなのか、本気になって構えるほどの相手ではないと見下しているのか、 はたまた、軽くやり過ごして力を温存しつつ、大勢を窺っているのか――真の狙いは定かではないものの、 この程度の戦いなど彼にとっては小手調べに過ぎないわけだ。 衝撃であった。決死隊の中でも最強に近いタスクが全力を傾けているにも関わらず、 かすり傷ひとつ負わせられないのである。 トラウムの有無も、代替の武器の性能も関係ない。圧倒的な力量の差がタスクを追い詰めているのだ。 彼女もここまで分厚い壁と向き合ったことはない。生まれて初めてと言っても過言ではない程の大苦戦なのであった。 (皆様……どうかご無事で……! こんな場所で斃れてはなりませんよ……!) 同胞の無事を祈るタスクの視界の先では、当のフィーナとクトニアが鍔迫り合いのような状態を続けていた。 「戦乙女よ……いいや、災いの魔女よ! 難民を救わんとする我らが理想を受け容れないなら、それでも構わん! ただ志を刃に込めて断ち切るまでだッ!」 「……キミにも色々な事情があったことは何となく分かったよ。でも、それが暴力を振るって良い理由にはならないよ。 ジョワユーズ君、キミはギルガメシュのしていることがどんなコトか、ちゃんと認識できてる?」 「気安く呼ぶなッ! 貴様に私の何が分かるッ!」 「どんな理想が高くたって、志を掲げていたって、侵略戦争に変わりはないんだよ? 力ずくで誰かの生命を踏み躙って、その先に何が生まれるって言うのさ? ……怨みが渦巻くような世界で平和を語ることなんか出来っこないんだッ!」 「そんなのは詭弁だ! 例え血塗れた手でも! 偽善でもッ! 難民は――我らが同胞は救わなくてはならん! 侵略の謗(そし)りなら喜んで受けよう! 汚名が未来の階段となるのならッ! それが貫くべ志だッ!」 「それはキミの志なの? それとも、キミが守ろうとしている人の志なの?」 「だッ、……黙れェーッ!」 左手に己が出自の象徴たる七星の盾を持つクトニアは、右手一本で両刃剣を握り締め、 下肢に渾身の力を込めて一気に押し切ろうと図っている。突撃銃ごとフィーナを真っ二つにしようというわけだ。 「……自分の意志で起たなきゃ、自分の想いでなきゃ――最後まで貫けないよ、ジョワユーズ君ッ!」 「だから、気安く呼ぶなと言っているッ! 虫唾が走るぞッ!」 年齢が近いということや同じ得物を振るう点からクトニアにシェインの姿を重ねてしまい、 今まで攻撃の手が鈍っていたフィーナであるが、このような状況に至った以上、最早、応戦するより他なかった。 銃身を滑らせるような形でクトニアの刃を受け流したフィーナは、 返す刀で銃把(グリップ)を突き出し、腹部を抉ろうと試みた。 射殺だけはさすがに憚ってしまうものの、人体急所を強打せしめれば戦闘力は奪えると考えたわけだ――が、 銃把(グリップ)による一撃は七星の盾で受け止められ、逆に力ずくで押し返されてしまった。 フィーナの姿勢を崩したと確認したクトニアは半歩ばかり踏み込みつつ、 下方から斜めの軌道を描くようにして両刃剣を擦り上げた。 咄嗟に飛び退ろうとするフィーナであったが、さすがに間に合わない。 鮮血と共に服が裂け、鎖骨の辺りから肩にかけて剥き出しになってしまった。 尤も、戦乙女は肌の露出など気にも留めない。傷は浅く、戦闘の継続に何ら支障はない。 今のフィーナには、ただそれだけが分かれば十分だった。 接近戦に持ち込んでも七星の盾で弾かれるばかりだろうと判断するや否や、 フィーナは少年兵(クトニア)の四肢を撃ち抜こうと突撃銃を両手で構え、狙いを定め始めた。 少年兵へ銃口を向けることに躊躇いが消えたわけではないのだが、 射殺と言う最悪の結末を裂けるにはこれしか選択肢がないと覚悟を決めたのだった。 銃撃に晒されることはクトニアにもすぐに分かった。 地上での死闘から戦乙女は頭部を撃ち抜くつもりだろうと考えた彼は、七星の盾でもって腰から上を完全に覆った。 即死を避ける為の措置というわけだが、これは幾ら何でも先走りと言うものである。 ましてや、フィーナは四肢を狙っているのだ。自らの両足を標的(まと)として差し出したようなものだった。 「――ゲョゲョゲョゲョゲョゲョゲョゲョゲョゲョゲョゲョォォォォォォォォォッ!」 双方が構えを取った瞬間に耳障りな喚き声が轟いた。 それはまるで、自分を忘れるなというティルヴィングの自己主張のようであった。 間もなく両腕が更に伸ばされ、次いで鞭のように鋭く振り抜かれ、 フィーナとクトニアをまとめて弾き飛ばしてしまった。 「ティルヴィング様ッ! それはなりませんなッ! 分別は付けて頂かねばッ!」 「ゲヒョォォォォォォヒョッヒョッヒョッヒョッヒョッヒョッヒョッヒョッヒョォォォォォォォォォッ!」 タスクを前蹴り一発で吹き飛ばしたアルコルが堪らず抗議の声を迸らせるが、 当のティルヴィングは長い首を仰け反らせながら狂ったように哄笑するばかり。 「批難」の二字を脳が認識しているかどうかも怪しかった。 この化け物の暴走によって損壊している壁に叩き付けられ、 前身の骨が軋む音を聞いたフィーナであるが、激痛に屈してはいられない。 瞬時にして身を引き起こし、前方に銃口を向けた。 そこには両刃剣を振り翳したクトニアの姿があった。 フィーナと同じように壁へと激突し、やはり痛みに耐えて起き上がったのだろう。 自分に向けられた銃口を七星の盾でもって塞ぎ、その間に直線的な刺突(つき)を繰り出すつもりであったようだが、 攻撃態勢を整え終わるのは戦乙女のほうが少しばかり早かった。 視認すらせずにクトニアの位置情報や動作を予測したフィーナは、彼の眉間へ正確に銃口を突き付けていた。 最早、勝負は決したと言っても過言ではあるまい――が、それでも、フィーナは銃爪(トリガー)を引かなかった。 「なぜ撃たない!? 貴様……私を愚弄するつもりなのか!?」 フィーナの振る舞いを侮辱と受け取ったクトニアは、顔を真っ赤にして激怒した。 殺される覚悟は既に済んでいるのだ。それなのに戦乙女は弾丸を射ち放つことを躊躇っている。 望まぬ情けを掛けられたようなものであり、それは何よりも少年兵の誇りを踏み躙る行為であったのだ。 「この瞬間! 私なら躊躇いなく撃ったぞッ! 貴様も撃ち殺すがいい! 私たちは同じ戦士としてこの場に立っているんだからなッ! ……さぁ、撃てッ!」 「……そう言う生命を粗末にする言い方は感心しないよ、ジョワユーズ君」 「――ふざけるなッ!」 生命を大切にするよう諭すようなフィーナに対し、クトニアは気色ばんで怒りの吼え声を叩き付けた。 「貴様、今まで我が同胞を何人殺してきたのだ!? それと同じだろうッ!? 戦場では人が死ぬ! 誰にだって平等に銃弾(タマ)が飛んでくる! それだけのことだッ! ……こんなことで子ども扱いするなら――そんなのが一番、腹が立つんだァッ!」 「私は、ただ――」 「――『誰かの生命を踏み躙って、その先に何が生まれるのか』と、さっき訊いたな!? 貴様はどうなんだ、戦乙女ッ!? その血だらけの手で何を生み出すつもりなんだッ!? ……こんなときに踏み止まるような貴様には! 未来など生み出せんッ!」 相手が子どもだから生命を奪うことを躊躇してしまう――その気持ちをクトニア本人に悟られ、 惰弱のように詰られたフィーナであるが、最早、反駁の言葉など持ち得なかった。 あってはならない無礼を働いて少年兵の誇りを傷付けたのは己なのだ。これ以上、何を言えるのだろうか。 「ホキョロホホホォォォォォォゥゥゥゥゥゥッ!」 憤激を漲らせた剣尖でもって戦乙女の喉を穿たんとクトニアが身を乗り出した瞬間のことである。 両者の間に首長竜のような化け物が割って入った。 波打つ両腕でもってニコラスとアンジーを押し返していたティルヴィングの頭部が大口を開きながらクトニアに迫り、 その右肩に喰らい付いたのである。攻め入ってきた敵ではなく味方である筈の少年兵に、だ。 「マジで見境なしかよ、こいつ!」とニコラスが叫んだのと殆ど同時であっただろうか。 タスクを相手に戦っていたアルコルが残像すら映さない速度でティルヴィングの正面まで回り込み、 気合いの吼え声と共に右拳を繰り出した。 「莫迦は死ななきゃ治らんか――ッ!」 鳩尾と思しき箇所目掛けて拳を突き入れる寸前、アルコルは軋み音(ね)が聞こえるくらい強く床を踏み締めたのだが、 これと同時に足元で黄金の稲光が炸裂したのである。 この爆発によって推力を得たアルコルは、余韻のような火花を周囲に撒き散らしながらティルヴィングへ 突撃していったのだった。 轟然たる拳打でティルヴィングの巨体を廊下の向こうまで弾き飛ばしたアルコルは、 アフターバーナーの如く黄金の稲光を足裏で再び爆発させた。 自分が吹き飛ばしたばかりの相手を追い掛けようと言うわけだ。 一秒にも満たない間に追い付いたアルコルは、中空にて身を翻して後ろ回し蹴りを放ち、 ティルヴィングの胸板を抉った。黄金の稲光を纏わせたこの一蹴りのみで異形の化け物は壁を突き破り、 地中深くまで埋まってしまったのである。 これもまた人間業ではない。自分が相手にしていた敵(アルコル)の本気を目の当たりにしたタスクは、 身震いが止まらなくなっていた。 タスクと同じようにアルコルの猛攻を見て取ったニコラスもまた唖然呆然と立ち尽くしている。 「『ホウライ』……じゃねぇのか、ヤツが使ったの――」 今、アルコルが見せたモノは、稲光の色こそ異なるものの、 アルフレッドがローガンより授けられたタイガーバズーカの秘術――『ホウライ』だったのである。 発現の仕方どころか、用途まで酷似しているのだから「偶然」の二字では片づけられまい。 土埃の向こうから戻って来たアルコルは、他の者には目もくれずにクトニアの元に駆け付け、 負傷の程度を確かめていく。ニコラスもタスクも、その背中に声を掛けることなど出来なかった。 余韻のように纏わりつく黄金色の稲光が「今は誰も話し掛けるな」と無言の圧力を発しているのだ。 「案じるな、アルコル。ほんの少し肩の肉を持っていかれたくらいだ……」 「ですが、クトニア様……」 アルコルが見舞った一撃によってすぐに引き剥がされた為、 腕を喰い千切られるという最悪の事態には陥っていないが、 噛み付かれた部位は極めて痛ましく、出血量も尋常ではない。 「……今は戦闘中だ。敵を倒すことだけに集中するんだ。恥を恥とも思わぬ不埒者どもを成敗せよ……ッ!」 誇り高く少年兵は重傷を負ってもなお気丈な態度を崩さず、決然と戦乙女たちを睨み据えるものの、 右腕を染める出血量からして、最早、この戦闘で両刃剣を振るうことは不可能のように見えた。 「……あの人は、一体、何なんですか。ていうか、『人』でもないように見えますけど」 挙動不審であったかと思えば、突如として異形の化け物へと変貌を遂げたティルヴィングについて、 躊躇いがちにフィーナが尋ねた。今はもうクトニアに突撃銃の銃口を向けてはおらず、天井を仰ぐように掲げている。 相手は間違いなく倒しておかなくてはならない敵≠ネのだが、手負いの少年兵を狙うことはどうにも気が進まない。 クトニアが少年だからと言うことではなく、良心が銃爪(トリガー)を引くことを躊躇わせているのだった。 少し離れた場所ではアンジーが氷の大槌を担いでクトニアとアルコルを警戒している。 万が一にも有り得ないだろうが、アルコルから不意打ちでも仕掛けられようものなら、彼女が対応してくれる筈だ。 「……機密を教えると思うか? 貴様は我らの――」 訊ねられた質問を突っぱねるクトニアの声は、前方で起こった轟音によって噛み砕かれた。 またしても通路内に土埃が流れ込み、敵味方問わず皆が噎(む)せた。 しかし、この場に於いて最も重大なのは視界不良と言う点であろう。 茶色い薄膜の先に何≠ェ潜んでいるのか、フィーナたちは一斉に注視し始めた。 「――ゆっくりとは答えられんので、かいつまんで……と言うことになるが、 アレはアカデミーの造り出した生体兵器なのだよ」 「生体兵器……? え……? ……アカ……デミー!?」 「改造人間と言ったほうが分かり易い、か――アカデミーの或る学派が産み落とした遺産とだけ、 とりあえず言っておこう。それ以上は説明しようにも時間がなさそうなのでな」 フィーナの質問にはクトニアに成り代わってアルコルが答えていく。 アルコルが口にしたアレ≠ニは、言わずもがなティルヴィングのことだ。 あろうことか、上官であろう青年のことをアカデミーの生体兵器と吐き捨てたのである。 ギルガメシュ≠ナはなく、アカデミー≠フ遺産とアルコルは言明していた。 「何を考えているんだ、アルコル!? それは組織(ギルガメシュ)に対する背信行為とも取られ兼ねないぞッ!?」 「今が非常事態ということはジョワユーズ様にもお解りでしょう? この場は共闘しないことには厳しいのですから、必要な情報くらい提供しなくてはね」 「――クソッ! ……まさか、こんな局面で暴走≠キるとは……!」 「それだけの恐怖を味わわされたと言うことでしょう。 共闘相手と言うことだけならば、これほど頼もしいこともないのですがね」 敵味方の立場を一時的に忘れ、何≠ニ戦う為に共闘しなくてはならないのか―― 最早、これは愚問と言うものであろう。 土埃を突き破って現われ、「便所に居そうじゃねぇですの、あんなヤツ!」というアンジーの悲鳴を浴びたのは、 四つん這いになって床を滑るティルヴィングである。 腕どころか足まで伸ばして這い回る姿は、いよいよ人間(ヒト)であることを捨て去ったかのように見えた。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |