17.Abattoir worker


「先程、お尋ねしたときにはしらばっくれておりましたのに。人が悪いですね、執事さん」

 頭頂から爪先まで浴びた砂埃や瓦礫が気に障ったのか、
ティルヴィングと言う名のケダモノは全身を大きく震わせている。
 その様子を睨み据えつつフィーナの隣に並んだタスクは、一瞥もくれずにアルコルを非難する。
 生き物とは思えない変貌を遂げていくティルヴィングのことを彼女が尋ねた際、
自分は副官の補佐役に過ぎないので正体など知るような立場ではないと言い切ったのだ。
ところが、実際はどうか。同様の質問がフィーナから投げられたときには
ギルガメシュの――否、アカデミーの生体兵器であることまで明かしていったではないか。
 二枚舌のようなアルコルの態度にタスクは立腹しているわけである。

「ジョワユーズ様も言っただろう? 敵に機密を教えるわけにはいかないとな。
『知っているが、お前たちは敵だから教えん』などと、そんな演劇じみた台詞回しをわざわざ使うものか」
「逃げ方がお上手ですね。言葉のトリックと言うべきでしょうか。つまるところ、掌を返しただけではないですか」
「その通り。状況は流動的に変わっている。臨機応変に考えて思考(あたま)を切り替えていかねばな。
そちらも何も分からないままでは、あの化け物とは戦いようがないだろう? 
需要と供給がマッチしたということで納得したまえよ」
「……ああ言えばこう言う……!」

 タスクの批難に対しては皮肉こそ混じっているものの、アルコルは正論でもってやり返している。
それ故に彼女も反論することが出来ず、眉根を寄せることが唯一の抵抗となっていた。
 尤も、彼の主人たるクトニアはまだ納得していないらしく、
両者のやり取りへ耳を傾けつつも、「普通なら懲罰だということを忘れるな」と不機嫌そうに零している。

「おっさん、無駄話は良いから弱点のひとつでも教えてくれよ。こいつ、正攻法で勝てる気しねぇぜ」

 タスクをやり込めていくアルコルに向かって、ニコラスが吐き捨てるように言い放った。
 彼の言う通り、ティルヴィングはダメージの蓄積によって息絶えるような相手でもなさそうなのだ。
先程は最大出力のヴァニシングフラッシャーでもって頸部を切断したと言うのに、
瞬時に再生してしまったのである。普通の人間ならば即死するにも関わらず、だ。
 これではいくらなんでも攻めようがなく、急所を狙い撃ちにして仕留める以外では消耗戦に陥るだけであろう。

「どこをやっちまえば良いんだ? 共同戦線っつーからには、それくらいは教えてくれるだろうな!?」

 確実に絶命させられる手立てを問うニコラスの語気は荒い。事実、彼はアルコルに返答を強要しているのだ。
 今でこそガンドラグーンの照準はティルヴィングに合わせてあるものの、
回答次第では砲門の向こうにアルコルの姿を覗くことになるだろう。

「……本当に申し訳ないが、アレの弱点までは私も把握してはおらんのだよ。
アカデミーの中でも秘密主義と言うか、ワケの分からん学派が好き勝手にやっていた研究の成れの果てらしいからな。
そんな連中のことだ、まともな研究データも残しちゃいない。あるいは別の学派に焼却されたのではないかな。
私は一度も目にした憶えがないのだよ」
「はぁッ!?」
「知っているのは、あれが生体兵器と言うことと、筋肉や骨の組成を自在に操る化け物と言うことくらいだ。
肉体を変身させたのも、アカデミーに埋め込まれた異能(ちから)の所為だよ。
……その強化手術で頭の中もイジくられたらしくてな、感情が常に不安定で、こうして暴走するというワケだ。
脳みそか心臓でもブチ破れば、おそらく動きが止まるんじゃないかと考えていたのだよ」
「さんざん勿体ぶっといて、そんなオチかよ! 出来の悪い攻略本か、てめーはッ!」

 いよいよこちらに向かってにじり寄って来たティルヴィングに衝撃波を浴びせつつ、
アルコルはニコラスの問いかけに答えていく。
 それは必ずしもニコラスを満足させるような言葉ではなかったのだが、
状況が状況なだけに嘘など吐いてはいないだろう。急所が判っているのであれば、
誰と論じ合うまでもなく自ら突撃していき、その箇所を粉砕した筈である。
 この執事(おとこ)は高次の体術のみならず、『ホウライ』と同質であろう秘術まで使いこなしたのだ。

「攻略本に頼れないときはネット検索って手がありますけど、……そんなヒマはありませんしね」
「てゆーか、ネット上に情報が転がってるなら、オレは通信料度外視して調べまくってやるぜ!」

 残弾の補充を済ませて突撃銃を構え直したフィーナは、
アルコルの衝撃波を浴びせられてのた打ち回るティルヴィングに狙いを定め、眉間中央へと銃撃を見舞った。
 撃ち込まれた弾丸を頭蓋骨を突き破り、確実に脳にまで達した筈である――が、
当のティルヴィングは頭部が大きく揺らいだ程度でダメージを受けたようには見えなかった。
 間違いなく肉と骨を食い破った証拠である円形の傷口まで瞬く間に塞がってしまったのだ。
 間もなくこの化け物は弾丸を口から吐き出した。眉間に喰らった銃弾を、だ。
それはつまり、体内の構造をデタラメに作り変えたと言う証左であった。
 さしものフィーナも顔を引き攣らせながら「全身の毛が逆立つってこう言うことだろうね」と身震いしている。

「――ふん、戦乙女らしく銃を撃てるじゃないか。頭を撃ち殺そうと、銃爪(トリガー)を引けるじゃないか。
……やはり、さっきは私を愚弄したんだな……!」

 フィーナの心に突き刺さるような皮肉を穿き捨てたアルコルは、
嘲り混じりで鼻を鳴らしながらティルヴィングに向かって歩を進めていく。
 右腕が全く動かなくなってしまった為、この戦闘では自慢の両刃剣を振るうことが叶わない――が、
左手にはまだ七星の盾が残されているのだ。これによって攻撃を防ぎつつ、囮役を引き受けるつもりであった。
 元より少年兵がこの場に在ることを快く思っていないタスクは、
「そんな深手で何をするおつもりですか? 何が出来るとお思いですか!」と制止の声を飛ばしたが、
クトニア当人の足は一瞬たりとも止まらない。

「こちらの貴婦人の言う通りですよ、クトニ――ジョワユーズ様。何より御身に障ります。お控えください」
「あんな姿になったとは雖も、ギルガメシュの同胞に変わりはない。
その同胞の暴走に始末もつけられないようであれば、私は副官失格。
……責任のひとつも取れなきゃティソーン様にだって申し訳が立たない」
「ティソーン様が喜ばれる判断とは思えませんが」
「これは私の誇りの問題だ。……叱責は甘んじて受ける……が、
ここで何もしなかったなら、懲罰を言い渡される場にも私は行けなくなるのだ」
「聞き分けのないことを申されますな、クトニア様……!」

 執事を自負するアルコルでさえクトニアを引き留めることは出来なかった。
 深手を負いながらも気高い誇りを以て心身を奮い立たせるこの少年兵は、
ティルヴィングの正面に我が身を晒(さら)して「今の貴様は獣にも劣るッ!」と罵声を浴びせた。
 二足で立った化け物――元は人間なのだから、これが普通であろう――が首や腕を伸ばしてくると、
盾を翳しつつ巧みに避け切り、逃れた場所で再び挑発を繰り返すのだ。
 捨て身の囮役である。タスクやアルコルが案じた通り、右肩に負ったダメージの為に動きは鈍く、
何時、ティルヴィングの猛襲に捉えられるか、知れたものではない。
 翻って言えば、だからこそ囮役としての効果もあるのだ。本能的に弱った獲物を見定めているのか、
それとも単純に目障りなのか、ティルヴィングはクトニアのみに意識を向けている様子だった。
 こうなっては仕方ない――主人(クトニア)を追い掛けるようにしてアルコルも化け物に接近し、
左右の拳を立て続けに繰り出していった。
 鳩尾、心臓、丹田など胴に点在する急所を連続して打ち据えようと言うのだ。
数トンのハンマーを叩き付けたような鈍い音が幾度も轟いたが、それでもティルヴィングは揺らがない。
極限まで強化された筋肉が衝撃を吸収しているのか、あるいは鋼鉄よりも硬くなっているのだろう骨格には
生半可な打撃など通じないのかも知れない。
 ギルガメシュの同士討ちとも言うべき場景を見据えつつ、攻め入る好機を見定めようとしているタスクに向かって、
フィーナは「……私、どうすれば良かったんでしょう」と弱々しく洩らした。

「戦いに甘い考えを持ち込んじゃいけないって分かっているハズなのに、私はあの子を撃てませんでした。
……でも、そのことがあの子の心を踏み躙ってしまうなら、私は……」

 今し方、クトニアから向けられた一言がフィーナの心に深く突き刺さっていた。
深く深く、彼女が信念とするものを食い破っていた。
 しかしながら、タスクにはフィーナの判断が誤りだったとは思えない。
フィーナは己の良心に基づいて撃つべき相手を見定めているのだ。
前途ある少年を殺めることを躊躇ったとして、そこに何の間違いがあるのだろうか。
良心(それ)を失えば、あそこで暴れているような化け物の同類に成り下がり、
夥しい血を浴びて狂気に酔い痴れるのみである。
 フィーナは常に己の心に問い掛けて銃爪(トリガー)を引いている。
殺戮者でも虐殺者でもない。故郷の喪失と言う悲劇を思い知ったからこそ、
戦争と言う名の厄災を断ち切らんと心血を注いでいるのだ。
 他の誰が謗りの言葉を吐き掛けようとも、タスクはフィーナの決意と良心を信じている。
それは長く長く続いていくギルガメシュとの戦争に於いて、間違いなく導きの光となるだろう。
 だから、ただ一言、「フィーナ様はフィーナ様らしく――それで良いのです」とだけ答えた。

「タスクさんの仰ること、ご尤もですわね。リーダーに土壇場でグズグズ迷われても困りましてよ!」
「こればっかりは迷いますよ。……いえ、迷うこと自体がいけないのですけど」
「それならフィーさんが迷わないようアタクシが道を拓いてご覧に入れましてよ!」

 かく言うアンジーは、ギルガメシュの同士打ちを睨み据えたまま、この状況を打開する策を考えていた。
 「この状況」と言っても、不死身と思えるティルヴィングを撃破する手立てのことではない。
化け物の始末へバカ正直に付き合う必要があるのか――アンジーが考えるのは、この一点である。
 突破しなくてはならないが、こう足踏みしている間にもティソーンを取り逃がす確率は高まり続けている。
ここまで踏み入っておきながら討ち漏らすなど最悪の結果と言えよう。
 何としてもフィーナに大手柄を挙げさせてみせる――そう考え続けていたアンジーの脳裏に妙案が浮かび、
次の瞬間には待ち切れないとばかりに行動を開始していた。

「アンジェリカ・アイオライト! 突貫しますですわッ!」

 気合いの吼え声を引き摺りながら飛び出したアンジーは、
轟然と振り抜かれる両腕を掻い潜りながらティルヴィングの側面まで回り込み、
レディオブニヴルヘイム――氷の大槌を胴体へと叩き付けた。
 その直後のことであった。打撃を加えられた部位が霜を帯び、瞬く間に凍結していったのである。

「アァァ〜ギャギャギャギャギャギャッ……ギャオギャオギャッギャギャァァァァァァァァァッ!」

 内部にまで浸透した冷気が気に障ったのか、ティルヴィングは患部≠床や壁に擦り付けるようにして身を捩った。
 痛手(ダメージ)に苦しみ呻いている様子とも違うが、何らかの効き目があったことは確かである。
五指を組み合わせた両拳を振り落とし、ティルヴィングの頭部を脅かしていたアルコルも、
「内部破壊のほうが効き目があるのか?」と目を丸くしている。

「アルコル! 体内に威力を通す技ならお前の『聖王流(しょうおうりゅう)』にもあるだろう!?」
「既に試していますとも。それでも効果が見えないので余計に驚かされたんです。
私の技と、あのお嬢さんの武器で、一体、何が違うのか……」

 クトニアとの会話から察するに、アルコルの体術にも体内へ痛手(ダメージ)を貫通させられる技が
含まれており、これを駆使しているそうだが、打撃によってティルヴィングが苦しんでいる様子は見られない。
 そもそも、だ。レディオブニブルヘイムによる攻撃も
化け物の生命を脅かすほどの痛手(ダメージ)に直結しているかは疑わしいのである。
単に肉体(からだ)が凍り付くことを不快に思い、大きく身体を揺すっているだけなのかも知れない。
 それでもアンジーは氷の大槌で化け物の胴を叩き続けた。
危うく噛み付かれそうになろうとも、囮役のクトニアとぶつかりそうになろうとも、
果敢にティルヴィングへ向かっていくのである。

「アンジーさん、やけに張り切ってるし、確かに少しずつ効いてはいるみたいだけど……」
「完全に凍結させるまで続けるつもりでしょうか。どのくらい時間が掛かるか分かりませんが……」
「きっと別に狙いがあるはずだよ。いくらアンジーさんだって、そんな力技はしない――と思うし」
「確信はないのですね。……いえ、フィーナ様のお気持ち、お察し申し上げますが」
「わ、私、別にアンジーさんをパワー馬鹿だなんて言ってないよ!?」
「私もそんなことは一言も申しておりません。口に出すなど滅相もない」
「――ちょっと、そこのおふたり様ァッ!? アタクシの悪口言ってませんこと!? ちゃんと聞こえてましてよッ!」

 中間距離から銃弾あるいは短刀を放ち、前衛を支援するフィーナとタスクであるが、
この時点ではアンジーの意図は伝わっていない。
 同じ行動を繰り返して複数個所に凍傷を負わせたのち、アンジーはフィーナのほうを振り向いた。
陰口めいた遣り取りを聞き咎めたということではない。その瞳は何か≠伝えようとしていた。

「……ムチャぶりしてくれるなぁ、アンジーさんも……!」

 言葉も交わさずにアンジーが何を促しているのかを悟ったフィーナは、
胸の痛みを振り切るようにして彼女に強く頷き返し、次いでニコラスへと顔を向ける。

「ラスさん、ほんの一瞬でも構いません。敵の気を逸らすことはできますか!?」
「策アリって表情(かお)じゃねーか! おう、任せろ!」
「タスクさんもお願いします。……この状況をアンジーさんとふたりで突き破ってきますッ!」
「了承です。くれぐれもお気を付けて!」

 言うが早いや、フィーナはアンジーが立つ場所を目指して全力疾走を始めた。
 その直後にニコラスは己のMANAをバイクにシフトさせ、ティルヴィング本体に向かって突っ込んでいく。
奇声と共に長い右腕が突き出されると、前輪を大きく持ち上げて車体を傾け、
更には後方に搭載されたノズルからエネルギーの奔流を迸らせて中空に飛び上がった。
 これはただの緊急回避動作ではない。そのままティルヴィングの太く長い腕に乗り付けたニコラスは、
通路の先まで響くほどの轟音でエンジンを蒸かし上げた。腕の上をフルスロットルで走り抜けようと言うわけだ。

「ギョギョギャアアアァァァムゥッ!」

 腕を上下左右に揺らしてバイクごと振り落とそうとするティルヴィングであったが、
ニコラスも伊達にクリッターひしめく荒野を駆ってきたわけではない。
巧みにハンドルを操って変則的な挙動にも順応し、頭部を目指して爆走していった。

「ギッイィィィィィィ……ガァァァァァァァァァッ!」
「やらせませんッ!」
「――と言うより、ボディがガラ空きだな……!」

 ティルヴィングが左腕を振り抜こうとすると、タスクが数本同時に光の短刀を投擲してその動きを妨げた。
 それだけでは化け物を食い止めるには足りないのだが、寄せ手は彼女ひとりではないのだ。
敵の注意がニコラスのみに絞られていると見て取ったアルコルは即座に懐まで潜り込み、
重ね合わせた両掌をティルヴィングの腹部に突き入れた。あるいは、ねじ込んだ≠ニ言っても良かろう。
 アルコルの両手は『ホウライ』に類似する黄金色(きがねいろ)の稲光を伴っており、
掌底突きをねじ込まれた瞬間、ティルヴィングは身体を大きく震わせた。
 これもまた威力を内部まで貫き通す技であったようだ。
アルコルの掌より浸透した黄金色の稲光は、間もなくティルヴィングの背中を突き抜けていった。
 血を吐きながら苦しみ悶える化け物の肩口の辺りまで一気に到達したニコラスは、
首の付け根辺りをジャンプ台代わりにして再び跳躍し、
中空で身を捻りつつガンドラグーンをバイクからレーザーバズーカへとシフトさせた。

「ギョゲガッ! グギィィィィィィィィィッ!」
「しぶといのと喚き声だけがてめぇの取り柄らしいな! ンな野郎に何時までも付き合っちゃいられねーんだッ!」

 ティルヴィングとて好き放題にやられてはいられない。
首を持ち上げながら血だらけの大口を開き、目障りな羽虫≠咬み砕こうと図った――が、
そこまでがニコラスの狙いと言うものだった。
 その大きく開かれた口へとニコラスはガンドラグーンの砲門を向けた。
 出力自体はヴァニシングフラッシャー同様に最大まで引き上げつつ、同時にレーザーを照射する範囲を狭め、
面ではなく点の射撃を行う『ヴァニシングレイランス』である。
有効範囲を犠牲にする分だけ破壊力を高めるという変則型のヴァニシングフラッシャーと言えよう。
 無防備に開かれた口から喉を光線で貫き、内部を焼き尽くすつもりでヴァニシングレイランスを放ったニコラスは、
着地と同時にティルヴィングを睨み据え、攻撃の効き目を確かめた。
 大量の血を吐いたことからも相応の痛手(ダメージ)は与えられたようだが、その成果も一瞬で覆ってしまった。
光線で焼かれた体内の再生が早くも始まったのだろう。
数秒の後(のち)には何事もなかったかのように再び耳障りな喚き声を上げるようになったのだ。

「これでもダメってか。……ギルガメシュがこんな化け物が何匹も飼ってねぇことを祈りてェぜ」
「それに関しては全く同意見だな。上層部(うえ)がトチ狂っておらねば良いのだが」
「てめーんとこの生体兵器だろーが! 他人事みてーに言ってんじゃねぇよ、このボケかまし!」

 『福音堂塔(トリスアギオン)』なるコードネームの大量殺戮兵器まで開発しておきながら、
今更、上層部の狂気を疑うなど馬鹿げているとニコラスは舌打ちを披露した。
 尤も、アルコルに対する追及は、その舌打ちひとつで打ち切られた。
 体内へ直接撃ち込んだヴァニシングレイランスも、
それに先立ってアルコルが炸裂させた掌打――威力が内部に浸透するものだ――も通じないとなると、
いよいよ口論などしている場合ではないわけだ。
 さりながら、援護を頼んだフィーナにとっては、それだけで十分だった。
今まさにアンジーの元へ辿り着こうと言う瞬間、彼女は水のCUBEを掲げて『ガイザー』のプロキシを発動させた。
 その瞬間、床板を突き破って地面から間欠泉の如き水柱が噴き上げられる。
 レディオブニブルヘイムを肩に担いでフィーナの行動を待ち構えていたアンジーは、
プロキシが発動されるや否や、ティルヴィングを呑み込んだ水柱目掛けて氷の大槌を振り抜いた。
 ティルヴィング本体ではなく水柱のほうを大槌で叩こうと言うのである。
余人の目には何を図っているのか意味不明であっただろう。
そもそも「水柱を叩く」と言うこと自体が理解し難い行動なのだ。
 しかし、これこそがアンジーの狙いである。大槌の表面が接触した途端に地面から噴き出した水柱が凍結し、
ティルヴィングの全身を包み込むような恰好で巨大な氷塊と化したのである。
 理性の二字を彼方に吹き飛ばし、暴走を繰り返す化け物を氷の牢獄の中に閉じ込めたようなものであった。

「――よし! 今こそ総攻めのときだ! 全身を切り刻めば、どこかで弱点に行き当たるはず……!」
「なんでてめーが仕切ってんだよ、クソチビ! そして、とんでもなくアバウトな作戦だな、オイッ!」

 これこそが戦乙女の策と見て取ったクトニアは、すかさず一同に総攻撃を号令する。
ニコラスからぶつけられた抗議は、当然ながら黙殺だ。
 七星の盾をアルコルに投げ渡したクトニアは、左手――それも、逆手でもって両刃剣を鞘から抜き放った。
右肩が動かないのであれば、対の手で剣を振るおうという理屈である。
 またしても無茶なことをしようとする幼い主人に対して、執事(アルコル)は困ったように溜め息を吐くばかりだ。
七星の盾を大事に抱えながら「皇国の天命を忘れてはなりませんぞ」と呼び掛けるものの、
彼は聴く耳など持つまい。

 フィーナが総攻撃の号令を無視して標的(ティルヴィング)の脇をすり抜けたのは、
まさにそのときのことであった。

「じ、陣抜けだとッ!?」

 咄嗟のことであった為か、クトニアも古めかしい言い回しを使ってしまったが、
この場に於ける陣抜け≠ニは、つまりは戦線離脱と言うことである。
 クトニアが唖然としたのは無理もあるまい。この状況で寄せ手がひとりでも欠けると、
それだけでも攻め切れるか危うくなってしまうのである。
 しかも、だ。フィーナが飛び込もうとしているのは、本来、自分たちが死守すべきであった道――
即ち、ティソーン副司令へと続く路なのだ。
 ティルヴィングの暴走と言う不測の事態さえ起きなければ無事に守り通せた筈なのに、
混乱に乗じて突破を許すことになるとは、クトニアとしては痛恨の極みであった。

「これくらいは許してあそばせ! アレですわ、てめぇ様がたの不始末に付き合って差し上げる見返りですわよ!」

 そうクトニアへ返したのはアンジーである。大して悪びれた素振りもなく平然と言い放つ辺り、
最初から裏を掻くつもりで謀ったコンビネーションということが察せられた。
 レディオブニブルヘイムによる凍結と言う状況を幾度となく示してきたアンジーが自分に何を求めているか、
その一切を目配せひとつで察せられたからこそ、フィーナは水のCUBEで『ガイザー』のプロキシを発動させ、
こうしてティソーンへ続く道に踏み込んだ次第である。
 以心伝心の相棒同士として両者の絆が深まりつつある証左であり、同時にひとつの成果とも言えよう。
 フィーナとアンジーの戦線離脱を見て取ったクトニアは、たちまち満面を怒りの色に染めたが、
それとは対照的にアルコルは苦笑いを洩らすばかり。衝撃波を見舞って足止めしようともしなかった。
 この通路を抜け切ったところで、先に逃がしておいた将兵がティソーンを護衛している筈なのだ。
万が一、それすら突破されたとしても、招集に応じず、この場に現われなかったもう一人の副官が控えている。
 たかがふたりばかり先行させたところでティソーンを脅かすような事態には至るまいと判断したのであった。

「ギヒィィィィィィィィィ……ッ!」

 混乱を逆手に取った妙案ではあったものの、フィーナとアンジーの目論見通りには進まなかった。
 前身を氷の牢獄の中に閉じ込めたとばかり考えていたのだが、実は右足が僅かに逃れていたのである。
ティルヴィングは右膝から下を長く鋭く伸ばしてフィーナたちを追い掛けた。
 本能でもって殺戮の対象を直感して付け狙う執念と言うべきか、
はたまた暴走しても任務のことを失念しない忠誠心なのか、
いずれにせよフィーナとアンジーはクトニアの裏を掻くつもりで思わぬ奇襲を受ける羽目になったのだった。

「そんなキモい恰好(ナリ)で追いかけてきやがるとは……! ストーカーに用事はありませんでしてよッ!」

 アンジーは振り向きざまに氷の大槌を薙ぎ払い、変則にも程がある蹴りを弾き返そうと試みたが、
化け物の一撃だけに威力が余りにも大きく、逆にレディオブニブルヘイムごと撥ね飛ばされた挙げ句、
フィーナと激突して床の上を一緒に転げ回ることになった。
 すぐさまに起き上がる両者ではあったが、ティルヴィングの右足は激しくのた打ち回りながら
執拗に襲い掛かって来る。身動きの取れない本体に成り代わって、どこまでも追跡してくることだろう。

「そう上手い話はないってことだね……! ズルするなって言う罰だったのかなぁ」
「ギルガメシュ相手に義理も不義理も知ったこっちゃねーですのに! 
これがイシュタル様のお導きだとしたら、何て融通が利かねぇ女神サマですことッ!」

 心の底から辟易したような調子でフィーナとアンジーが溜め息を吐いたのと殆ど同時であっただろうか。
何の前触れもなく二個の球体がティルヴィングの頭上に現われた。
 誰かが後方から投げ入れたと表すほうが正確に近いだろう。
放物線を描いてティルヴィングの頭上に落ちた二個の球体は、接触と同時に凄まじい爆発を起こした。
 改めて詳らかとするまでもなかろうが、件の球体は小型爆弾である。
幾度かの炸裂を経たのち、ティルヴィングの全身に眩いばかりの電流が走った。
 炸裂と同時に無数の電流が四方八方へ飛び散り、明滅を伴って交差を繰り返す。
この現象が立て続けに起こるものだから、傍目には網でもって搦め取られた憐れな野獣のように見えてくるのだ。

「――な、何だよ、コレはぁーッ!? や、やめろぉー! 体内(なか)に入ってくるなぁーっ!」

 絶え間なく駆け抜ける電流によって打ちのめされたティルヴィングは、
珍しく人語(にんげんのことば)で悲鳴を上げ、そのままぐったりと突っ伏してしまった。
 そればかりではない。ティルヴィングの身は見る間に縮まっていき、
数分と経たない内に元の体型(サイズ)に戻ったのだ。
 瓦礫の散乱した床の上に身を横たえた生体兵器≠ヘ、白目を剥いて泡を吹きながら痙攣し続けている。
今まで如何なる攻撃も通じなかったのだが、この爆弾だけは例外的に効果があったようだ。
野獣さながらの喚き声から人語に切り替わったと言うことは、
電流を浴びた瞬間に暴走状態から正気に戻ったのであろう。

「――間に合って良かったよ。……いや、突入した後を追い掛けてきたんだから、
やっぱり、『出遅れて、ゴメン』って謝らなきゃいけないかな?」

 爆弾の投げ込まれた方向を正面から見据えているフィーナも、慌てて後方を振り向いたタスクとニコラスも、
そこに捉えた人影に驚愕し、完全に言葉を失っている。
 知り合いかどうかを視線で尋ねてきたアンジーに対して、フィーナは決死隊の一員であることを伝えた。

「ネ、ネイトさん……?」
「ようやく追い付いたよ。フィー……じゃないや、今は『戦乙女』って呼ぶべきかな?」

 全身を襲う発作から完全に回復していない様子のレナス・クドリャフカを支えながら
戦いの場に姿を現わしたのは、ネイサン・ファーブルその人である。
 今し方の爆弾も彼の手製の物と見て間違いあるまい。
「異世界(こっち)で良いリサイクルパーツを調達出来たからさぁ。奮発して新兵器も作っちゃったよ。
『電磁クラスター改』――早速、お披露目の機会があって良かった、良かった」と朗らかに笑う彼は、
散り散りに別れたときと全く同じ出で立ちである。商売道具が詰まった大きなリュックサックも背負っていた。

「先に無事の再会を喜ぶべきかも知れませんが――それにしても、ネイサン様、どうやってこちらに……?」
「『追い付いた』っつったよな。オレらがこの基地に突撃かましたことを知ってたのかよ、あんた?」

 タスクとニコラスは、そもそもネイサンが此処まで辿り着いたことに驚いているようだ。
教皇庁の力をも使ってマスメディアの目を掻い潜り、秘密裏にギルガメシュの拠点を潰して回っていたのである。
 当のネイサンは肩を竦めつつ、「キミたちねぇ、自分の立場が分かってないの?」と苦笑を洩らしていた。

「ギルガメシュを相手に孤軍奮闘するレジスタンスって言ったら、異世界(こっち)じゃとっくに有名人なんだよ?
世間一般じゃ覇天組とやらの破壊工作じゃないかって報道されてるみたいだけど、
ちょっと調べたら、明らかに別の誰かが動いてるんだって分かるもの。
……今、覇天組以外にギルガメシュ別働隊を攻めるとしたら、僕ら決死隊の仲間しかいないでしょ?」

 軍事演習施設へ至る経緯を説明するネイサンは、人里から遠く離れた場所に一人で放り出されたとも言い添えた。
それ以来、はぐれてしまった仲間たちを求めてノイの彼方此方を飛び回っていたそうである。
 どうやらネイサンのほうにはロンギヌス社も教皇庁も迎えを差し向けなかったらしい。

「つまり、エカさんのほうでも捜し当てられなかったメンバーと言うことですのね。
エカさんには申し訳ありませんけど、教皇庁のお仕事らしく雑ですわねぇ〜」
「助けて貰ってる私が言うのもなんですけど、ロンギヌス社のほうでは特に捜してなかったんですね」
「アタクシが命じられたのはフィーさんとの合流ですもの。
上層部(うえ)や他のエージェントの動向(うごき)までは知ったこっちゃありませんことよ」

 フィーナからロンギヌス社の対応についてチクリと言われてしまったアンジーは、
適当に誤魔化すような調子でそっぽを向いた。

「それで、まぁ――ウワサ話って言うか、情報屋から買った手掛かりをもとにして
戦乙女の仲間たちを追い掛けていれば、その内に合流出来るんじゃないかって思ってたのさ。
我ながら鋭い推理でビンゴってワケ。……てゆーか、僕が着いたときには地上の戦いは終わってたんだけどね。
慌てて地下まで追い掛けたら、この人と出くわしたんだよ」
「……お助けすべきところを……逆に救われてしまう不手際……恥の上塗り……申し訳ありません……」

 ネイサンの肩を借りて何とか立っているようなレナスは、息も絶え絶えと言った自分の容体すら顧みず、
戦いの役に立てなかったことを詫び続けている。
 途中で落ち合ってフィーナたちの先行を聞き、同志であることを確認したネイサンでさえ、
「この人、思い込み激しいタイプだよね? 教皇庁って組織はこーゆータイプばっかなの?」と
顔を引き攣らせる始末。おそらく階段を降りるまでの間、同じような謝罪を繰り返し聞かされていたのだろう。

「成る程、敵方の増援だったのか。それならば、礼を言う必要もなかろうな。
……我が名は『ジョワユーズ』――副司令ティソーンの副官である!」
「うわ〜、こっちもこっちで面倒臭そうな子だなぁ。
異世界(こっち)に来てから個性的なタイプにしか会ってないぞぉ、僕……」

 思いがけず助けられた相手を振り返り、同時に敵≠ナあることを確かめたクトニアは、
左手に握り締めた両刃剣の切っ先を宣戦布告とばかりに向けた。
 共通の敵であるティルヴィングが行動不能となった今、
共同戦線は解消され、本来の敵同士と言う関係に戻ったのである。
 我が身を盾にしてでもティソーンへ続く道を死守するという覚悟を改めて示したのだ――が、
「後方を振り返る」と言う動作自体が少年兵にとって致命的な失敗となった。

「クトニア様も気前がよろしゅうございますな」
「何だ、突然……」
「戦乙女とその付き人をティソーン様のもとへ通されたようなものでしょう? 
受けた恩には必ず報いるのが規範として人の上に立つ者の務めでございますからな。
いやはや、感心感心……」
「な……? なぁーッ!?」

 遠回しな皮肉にも聞こえるアルコルの言葉を受けて判断を誤ったと悟ったクトニアは、
大慌てで後方を振り向いたが、全ては遅きに失し、
そのときにはフィーナとアンジーの姿がどこにも見当たらなかった。
 ティソーンへ続く道を絶対に守り切ると、再度(ふたたび)誓ったばかりだと言うのに、
まんまと彼女たちの突撃を許してしまったのだ。

「分かっているなら、何故、喰い止めなかったッ!?」
「クトニア様が何も仰られなかったので、見て見ぬフリを決め込むつもりなのかと考えまして」
「そんな言い訳が通じるか! 今日のお前は何なのだ!? 軍法会議に掛けられても文句は言えんぞ!? 
……ええい、ここで言い争っていても仕方ない! 戦乙女を追うぞ、アルコ――」

 このままでは戦乙女がティソーンの喉元まで迫るかも知れない――
最悪の事態を避けるべく走り出そうとしたクトニアの足元に一筋の光線が降り注ぎ、その進行を妨げた。

「背中から撃ち殺さなかったのは、せめてものスジってもんだぜ――」

 それはニコラスのガンドラグーンより放たれた速射型のレーザーである。
見れば、彼の隣に立つタスクも、途中から参戦したネイサンも、すっかり臨戦態勢を整えているではないか。
 レナス・クドリャフカだけは依然として戦闘不能状態のように見えるが、
三対二と言うニコラスたちの優勢は変わらない。加えてクトニアは右肩に重傷を負っていて動きも鈍く、
実質的には三対一と言う構図であった。
 アルコルは確かに手強い。強力無比な徒手空拳の技は言うに及ばず、
タイガーバズーカに伝わる『ホウライ』のような秘術まで備えているようだ。
 しかし、この猛者を撃破することが目的なのではない。
戦乙女がギルガメシュ副司令を討ち果たすまでふたりを食い止められたなら、それで構わないのである。
 ニコラスたちにとって圧倒的に有利な状況と言えよう。

「立場が逆転したみてぇだな、お坊ちゃんよ。……ここから先は一歩も行かせねぇぜ」
「私どもは本来は敵同士。最早、遠慮は不要かと。そろそろ決着をつけることに致しましょう」
「僕、まだみんなの人間関係とか全然把握出来てないんだけど、
とりあえず、次にこの子たちが背中を見せたときには容赦なく爆死させちゃっていいんだよね?」

 敵同士と言う本来の関係に戻った以上、遠慮は不要――奇しくもそれは数分前にクトニア自身が考えたことである。
 ならば、ここで戦うしかない。ニコラスたちの狙いが足止めや時間稼ぎと解っていても、
刃を交えて退けるしかないのだ。

「どこまでも忌々しい奴輩(やつばら)め……ッ!」

 このような事態に陥られたティルヴィングを睥睨しながら、クトニアは焦る気持ちを迸らせた。
 悲痛な叫び声は狭い空間内に響いており、
おそらくはティソーンのもとへと突き進んでいくフィーナたちの耳にも届いた筈である。




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