2.或る民族の歴史


 秒を刻む毎に近く聞こえるようになる足音は、誰がどう考えても明らかに急いでいた。
おそらくは全力疾走でシェインたちの在る部屋を目指しているのだろう。
 何か緊急を要する事態でも起きたものと考え、シェインやジェイソンが腰を浮かせると、
そのふたりへ大した問題ではないと伝えるようにヌボコが頭(かぶり)を振って見せた。
 しかも、だ。どう言うわけか、苦虫を噛み潰したような面持ちである。
 一連の反応から察するに、どうやらヌボコだけは足音の正体が分かったらしい。
 間もなく離れ≠フ部屋の障子が開き、次いで何か≠ェ勢いよく飛び込んできた。
より正確に状況を明かすならば、ヌボコ目掛けて何者かが飛び付いた――と言うことになる。

「――ヌッくんっ!」

 ヌボコに飛び掛かっていったのは、何処かより差し向けられた刺客などではなく、
彼のことを愛称で呼ぶひとりの少女であった。
 その少女は突然のことに呆然とするシェインたち三人の目の前でヌボコの胸に顔を埋め、
幸せそうに頬擦りを繰り返している。今や己とヌボコ以外の人間は視界に入っていないのだろう。
 何とも愛くるしい面立ちの少女である。年の頃はシェインたちと大して変わらない筈だ。
ヌボコと同じ肌の色が陽之元の人間であることを端的に表しており、
栗色の髪は両肩に掛かるか否かと言う絶妙な長さに切り揃えてある。
 白いリボンをあしらったカチューシャとパフスリーブのワンピースを身に着けた姿は、
如何にも年頃の女の子≠ニ言った趣である。
 無我夢中でヌボコにじゃれ付き、生命力と言うものを全身で表しているが、
しかし、体付き自体は華奢であり、覇天組の一員とはとても思えない。
 あるいは、これこそが一般的な少年少女の体付きと言えるのかも知れない。
彼女に抱き着かれたヌボコも、反応に困って所在なげに固まっているシェインたち三人も、
同世代の者たちと比すれば桁違いなほど鍛えられているのだ。

「――あ〜あ、オレらが一緒だっつーコトもすっかり忘れちまってらぁ。
恋する乙女は一直線だからしゃーないんだけど、置いてきぼりは寂しいもんだぜ」
「一週間以上、ヌボコ君に放置されていたのだからね。大目に見てあげようじゃないか」
「そんなんオレたちだっておんなじだろ。だったら、足並み揃えて行くのがスジじゃんか。
ホント、女の子にだけは優しいよな、ドラシュトゥフは」
「人聞きの悪いことを言わないでくれないかな。僕の場合はキミと違って紳士なんだよ。
……大体ね、そんな僕たちとモユルさんとでは必ずしも同じ≠ニは限らないよ。
ヌボコ君の中ではイコールにはならないと思うけれどね」

 栗色の髪の少女の後(あと)には、漆黒のプロテクターを纏うふたりの少年が続いている。
 わざと脱色(ブリーチ)を施したものと思しき不思議な色合いの髪に橙色の肌を持つ饒舌な少年と、
艶やかな黒髪はそのままに、太陽に焼かれた地平の如き褐色の肌を持つ丸眼鏡の少年――
後者は「そこで抱き返してあげなくちゃ。誤認逮捕のときだって相手を逃がさなかったのでしょう?」と、
ヌボコに対して気安い調子で冗談を飛ばしていた。
 局長の子息への冷やかしや、身に纏った防具からも察せられる通り、
後から入室したふたりは覇天組に所属する少年隊士に他ならないのである。
 『ドラシュトゥフ』と呼ばれた少年の軽口を受け流しつつシェインたちへ目を転じたヌボコは、
三人揃って「困惑」の二字を顔面に貼り付けている様子(さま)を確認した。
 それはそうだろう。覇天組とは無関係に見える少女が何の脈絡もなく飛び込んできたのだ。
 しかも、その娘は依然として胸の中に居る――ここまで考えが及んだとき、
ヌボコは急に自分の置かれた情況が急に気恥ずかしくなった。
 肩を掴んで件の少女を引き剥がすと、ヌボコは紅潮した頬を晒しながら「邪魔だから離れていろ」と告げた。
 有無を言わさないような語調であったものの、少女の側には全くと言って良いほど通じておらず、
「やーだも〜ん」と駄々を捏ねられてしまう始末であった。

「一週間も放っておいて、こんな扱いはひどいなぁ。メールだってろくに返してくれないしさ」
「任務の最中に私用のメールなんか出来るわけなかろう」
「うそだね」
「嘘ではない」
「シャラさんに聞いてるんだよ? おじさまから一日に何通もメールが送られてくるんだって。
局長さんがやってることを、どうして平隊士のヌッくんに出来ないのかな?」
「そ、それは……」
「ほら〜、もーっ! 面倒くさがって放置するなんてヒドいよ〜!」

 「そんなつれないヌッくんにはこうだよ〜」と、少女はヌボコの頬に自分のそれを擦り合わせた。
 ヌボコの体温を感じることが彼女にとって至福の時間なのだろう。
数秒前まで不機嫌そうだったと言うのに、瞬く間に蕩けるような表情へと変わっていった。
 対するヌボコは、一番他人(ひと)に見せたくない姿を晒していた。
この少女とふたりきりであったなら、あるいは抱き返すこともあっただろうが、
現在(いま)はそのような気持ちにはならない――否、腕を伸ばそうと言う気も起こらなかった。
 ありとあらゆる言行を羞恥の心が堰き止めているのだ。
 最早、引き剥がすことを諦めたらしいヌボコは、己の面相をシェインたちから隠すようにして俯き、
「客の前で恥ずかしいことはやめてくれ」と消え入りそうな声で少女に懇願した。
 喉の奥から絞り出すような懇願を受けて、件の少女も満面を真っ赤に染め上げた。
ようやく自分とヌボコ以外の人間が視界に入った様子である。

「ご、ご、ごめっ――ごめん、ヌッくん! わ、わた、わたし、やっとヌッくんに会えるって思ったら、
他のこと、何も考えられなくなっちゃって、それで……っ!」
「ドラシュトゥフとヒロユキも置いてきぼりにしたようだな。……もっとちゃんと周りを見ないと転ぶぞ」
「あ、あのねあのね! ヌッくんに食べて欲しくてミートパイも作ったんだけど、
それもお家に忘れてきちゃって! でも、今日はきっとヌッくん、お泊りに来てくれるし! 
そしたら、一晩中おしゃべりできるし、一週間分、手も繋げるし、それでそれで――」
「……よし、口を噤め。とてつもない自爆≠しそうだ、お前」

 あたふたと混乱する余り、支離滅裂なことを言い出した少女の肩を抱き、
自分の隣に座らせたヌボコは、シェインたちに向かって「許婚だ」と紹介した。

「――で、です。モユルって言います! いつも、うちの旦那様がお世話になっていますっ」
「まだ旦那にはなっておらん。……まあ、見た通りの感じだ」

 ヌボコの許婚――モユルが深々と頭を下げ、シェインたちも慌ててこれに倣った。

「――って、許婚ェッ!?」

 比喩でなく本当に飛び上がりながらジェイソンが裏返った声で
「聞いてねーよ! てか、トバし過ぎで随いていけねーよッ!」と叫んだ。
 彼の中では許婚と言う存在自体が現実離れしており、
例えば映画などの架空の世界の話でしか出番はないと思っていたのである。
そう言う意味では、ホラー映画のゾンビと許婚とは殆ど同義であった。
 実在などするわけがないと信じていた常識が、たった今、覆されたわけである。
少なくとも、タイガーバズーカで許婚を持った人間などジェイソンは聞いたことがなかった。
 しかも、ヌボコとモユルは自分と年齢も大して変わらないのだ。
十をやっと超えたような年頃に将来の結婚相手が決められ、
又、ふたりともこれを受け入れているのが信じられなかった。
 如何なる経緯を経て許婚となったのかは知れないが、
こうして仲睦まじく触れ合っているのだから、婚約そのものに問題はなかろう。
真面目一辺倒であったヌボコが同い年の少女に振り回される姿を微笑ましくも思うのだが、
しかし、現実のものとして受け止められないことだけはジェイソン自身にも如何ともし難いのだ。

「一体、何をそんなに慌てているのですか、あなたは」
「だってよ、ジャスティン、このトシで許婚だぜェ? 
朝、窓から部屋に入ってきて起こしてくれる幼馴染みかっつーの。
居て堪るか、そんなファンタジーの塊みてぇなの!」
「そんなことを言い始めたらグンガルさんはどうなるのです。あの方だって婚約者が居た筈ですよ」
「言われてみりゃ確かにそうだけど、あの坊ちゃんはちと事情が違うんじゃねーのぉ?」

 ジャスティンの言葉を受けて、ジェイソンの脳裏にひとりの友人の姿が浮かんだ。
 バブ・エルズポイントへ突入する直前の僅かな邂逅ではあったが、
ジェイソンたちはエルンストの嫡子たるグンガルと触れ合う機会に恵まれ、友情を育んだのである。
 その折に会話の流れからグンガルにも幼馴染みの許婚が居ると聞かされたのだ――が、
彼の場合は婚姻によって氏族同士の結束を固めると言う政治的な目論見も含まれており、
より複雑に事情が入り組んでいるように思える。
 許婚ひとつ取ってもグンガルとヌボコを同じようには語れまいが、
いずれにせよ、一般家庭で生まれ育ったジェイソンにとって
想像が及びもつかない領域と言うことは変わらなかった。

「てか、やけに冷静じゃねーの――あ、『将来を誓った相手なら私にもいますゥ〜』っつう余裕か!? 
こんちくしょう、オイラにゃ毒だぜ、おめ〜らの幸せオーラはよぉ!」
「それもありますけど――」
「あんのかよッ!」
「――セシルさんには婚約者が居るようなことは聞かされた憶えがありますから。
……それでも、私だって驚いているつもりなんですよ」
「そう……だったか? ジャスティンには話したことがあったか」
「それとなく仄めかす程度でしたから、半分以上は私の想像だったのですが、
……いや、やはり吃驚させられましたよ。てっきり見栄を張っているのかと――」
「そんなつまらん人間と思ってくれるなよ」

 どうやら、ジャスティンは以前の邂逅の折に許婚がいることを聴いていたようだが、
それでも実際に目の当たりにすると驚愕が先行してしまうのである。
 シェインとて驚いてはいるのだが、その一方で「道理でなァ」と素直に納得もしていた。
ヌボコに抱いていた印象の全てが腑に落ちたとも言い換えられよう。
 常々、彼のことを大人びていると思っていたのである。
許婚――即ち、他者の人生に対する責任を意識するような立場であれば、
同世代と比して精神年齢も高くなる筈だ。
 グンガルを振り返れば、彼もまた自分たちより思考(かんがえかた)が遥かに確(しっか)りしていた。
勿論、御曹司としての気負いもあるのだろうが、
立ち居振る舞い全てに大人の品格とでも呼ぶべきものが伴っていたのである。
 それは己以外の責任まで担い得る人間にだけ宿る余裕≠ニ言うものなのかも知れない。
 テムグ・テングリ群狼領の御曹司と同じくヌボコの人生は既に彼ひとりのものではなかった。
隣に座り、左右の五指を擦り合わせながら、
「一秒でも早く会いたかったんだもん、仕方ないもん……」と、
羞恥に身悶えているモユルとふたりでひとつなのだ。

(すごいなぁ、セシルは……ボクはベルの人生なんて考えたことも――いや、そーゆー問題でもないんだけど)

 ヌボコと言う少年は己と比して一歩も二歩も先を進んでいる。
あらゆる部分に於いて遥か彼方に立っている――その事実を改めて確認させられたシェインは、
嫉妬よりも何よりも、自分のことのように誇らしかった。
 心の底から誇りに思う相手と手を携え、共に歩めることが嬉しくて堪らなかったのである。

「――オレら、お呼びじゃねぇってカンジ? なんだかなぁ〜、寂しいなぁ〜」
「何を言っとるんだ、ヒロユキ。別にお前たちを蔑ろにするつもりは――」
「ああ、いいからいいから〜。他所でこさえたお友達と仲良しこよし、よろしくやってたらいいじゃん。
……ヌボコちゃんのバカ! 浮気者! あんたのことなんか、もう知らないんだからねっ!」
「……初対面の人間が居る前で、よくそこまで好き勝手言えるものだな。逆に感心するぞ……」

 ヌボコとモユルを挟む恰好でシェインたちの対角線上に座した隊士の内、
『ヒロユキ』と呼ばれた少年が板張りの床の上へ不貞腐れたように五体を投げ出した。
 誰がどう見ても大仰な拗ね方ではあるものの、モユルやシェインたちと話す間、
ふたりのことを放置していたのは事実であり、ヌボコは言い訳も出来ないとばかりに弱り顔で頬を掻いた。
 仕切り直しとばかりに咳払いを経た後(のち)、
ヌボコはふたりの少年隊士のこともシェインたちに紹介していった。
 ヌボコと同じ色の肌色の少年はヒロユキ・オリハラと名乗った。
 脱色(ブリーチ)を施したことで髪の毛の大部分が薄茶色となっているのだが、
頭頂部とその周辺だけは元に戻りつつある為に真っ黒と言う風変わりな様相であった。
その様を見てジェイソンなどは「プリンみてぇ」と腹を抱えて笑ったものである。
 少し大きめの丸眼鏡を掛け、男性にしては長い黒髪を緩やかな三つ編みにした褐色の肌の少年は
ドラシュトゥフと名乗った。
 彼はヌボコとは別の意味で大人びた少年であった。
 許婚――生涯の伴侶に対する責任感などから精神的に自立しているように思えるヌボコに対し、
ドラシュトゥフの場合は「老成」の二字が似つかわしい。
立ち居振る舞いが穏やかで、シェインたち客人≠ニも柔らかく接する一方、
相手との会話を最小限で打ち切れる言葉を選んでおり、敢えて距離を置いているようにも思えた。
 それでいて、言葉遣いなどが丁寧であるから厭味な人間と言う印象を他者に与えないのだ。
 この場の誰よりも理知的であり、又、他者との距離≠フ置き方を弁える大人たちの中で
過ごしてきたジャスティンの目だけは誤魔化せなかったものの、
シェインとジェイソンは、ドラシュトゥフとの間に壁≠ェ築かれていることにさえ気付いていない。
 ドラシュトゥフは客人≠ェ喋っている最中、その発言者の面を凝視していることも多かった。
排他的な思念を湛えて睨み付けるのではなく、ただ静かに見詰めているのである。
 自分からは必要最低限の情報しか与えないのだが、
相手の為人については息遣いに至るまで一切を見極めるつもりなのだろう。
 余りにも度が過ぎると見做されたのだろうか――時折、ヌボコから肘でもって脇腹を小突かれており、
不調法とも言うべき凝視はドラシュトゥフの悪癖のようであった。
 ドラシュトゥフとヒロユキは、両者揃って市中警護の任務に就いていたのだが、
その道程にて買い物帰りのモユルと行き合い、ヌボコが帰還する旨を教えたそうだ。
 愛してやまない許婚が陽之元へ帰って来たことを知ったモユルは、
居ても立っても居られなくなって屯所まで走ったと言う次第である。

「覇天組二番組所属――期待のグッドボーイことヒロユキ・オリハラとはオレのことよぉ! 
趣味はプロレス観戦、好きな女の子のタイプは慣らし甲斐のあるじゃじゃ馬ってな! 
お前さんたちのことはヌボコからメールで聞かされてるからよ! 
右も左も分からねぇだろうから、このオレに何でも頼ってくれていいんだぜ!」
「覇天組副長付き監察方――ドラシュトゥフと申します。
『副長付き』と付け加えましたが、上役が違うだけで任務の内容はヌボコ君たち本来の監察方と変わりません。
以後、お見知りおきのほどお願い申し上げます」
「え、えっと、さっきの繰り返しだけど、モユルって言います。
ヌッくんのお嫁さん……です、将来の。今は学校に通いながら花嫁修行の真っ最中でして、
……でも、ヌッくんのほうがご飯作るのもお掃除も、お裁縫だって上手だし、このままじゃいけないなって。
あと、好きなものって言うか、好きなことは、ヌッくんを膝枕して耳掃除――」
「――お前、余計なことを喋らんで良いからな。先程から自爆ばかりしているぞ」
「で、でも! ヌッくん、膝枕してあげると、ぽや〜ってなってくれるし! 
わたしの一番の自慢なんだよ? それにそれに、ほっぺに――」
「――だから、どうして恥ずかしいことを暴露する必要があるのかと言っとるんだ!」

 満面を羞恥の色に染め上げたヌボコはともかくとして――
ヒロユキとドラシュトゥフ、序(つい)でにモユルが自己紹介を進めていく。

「そんじゃ、こっちもお返ししなくちゃな。オイラの名前はジェイソ――」
「――ああ、いい! いい! そーゆー、堅ッ苦しいのはカンベン願うぜェ! 
お前ら、暫くは屯所で暮らすんだろ? なら、顔合わせてる間に勝手に憶えっからよ!」
「この野郎、テキトー言いやがって! 気に入ったぜ、おめ〜!」
「そう言うお前もノリノリじゃねーか! 
オッケー、兄弟(ブラザー)! 気が合いそうだ!」

 僅かな遣り取りから相性の良さを確かめ合ったらしいジェイソンとヒロユキを眺めながら、
シェインは脳裏に浮かんだ或る疑問と格闘している。
 それはヒロユキのフルネームを振り返った瞬間のことである。
ヌボコもモユルもドラシュトゥフも、三者揃ってファミリーネームに該当するものを名乗らなかった。
対して、ヒロユキただひとりが「オリハラ」と称したのである。
 このような名乗り方をシェインは以前にも聞いた憶えがあった。
アルバトロス・カンパニーのトキハ・ウキザネや、ロンギヌス社のカキョウ・クレサキと
「ヒロユキ・オリハラ」なる名前の響きが同系統のものと思えたのだ。
 そのことを思い切って尋ねてみると、ヒロユキは「そいつら、きっとトルピリ・ベイド移民だな」と答えた。

「――あ! なんか、聞き覚えがあるな、トルピリ・ベイドって。カキョウが言ってた気がするんだけど……」
「オレも出身(うまれ)はトルピリ・ベイドなんだよ。
今から何世代も昔のことなんだが、陽之元から他国(よそ)に引っ越した移民団ってのがあってな。
そんで行き着いた先がトルピリ・ベイドってこった」
「そのヒロユキさんが、どうしてまた陽之元へ移ったのさ?」
「さん&tけなんて同い年にやめてくれ! 呼び捨てで構わねぇ――ええっと、どこまで話したかな。
……そうそう、オレが陽之元(こっち)来た理由だったな。
別に深い意味はねぇのさ。自分たちの先祖(ルーツ)がどんなモンなのか、
駅前留学よろしく探検してみたくなってよ。ちょちょいって渡ってみたら、思った以上に面白いじゃねーか。
そんでもって帰化しちまったってだけのことだよ」
「……きか?」
「暮らす――っつうか、所属する国を変えるってときに必要な手続きだよ」
「……こっち≠ヘ何かと面倒なんだな」
「いや、その前によ――ヒロユキってオイラたちとあんま年齢(トシ)変わんね〜だろ? 
なのに、ひとりで海を渡ったのか? 親御さんはど〜したんだよ?」
「両親(おや)もこっちに呼び付けてやったさ! 幸い、『北東落日の大乱』が終わった直後で
海外からの仕事がガンガン流れ込んでくる最中だったしな、陽之元。
食いっ逸(ぱぐ)れるこたァなかったね!」
「かぁ〜、波乱万丈だな、オイ! 話せば話すほど面白くなってくじゃね〜か!」
「ボクに言わせりゃ、ジェイソンも十分過ぎるくらい波乱万丈だと思うよ」

 国の行き来にまつわるヒロユキの話へ聞き入るシェインとジェイソンに向かって、
 「ちなみに陽之元から移民が出発したのは僕の御先祖の所為ですよ」と、ドラシュトゥフが言い添えた。

「今でこそ陽之元の血肉(いちぶ)となっておりますが、
私の先祖(ルーツ)は他国から流れてきた難民なのですよ。
風貌をご覧頂ければ判り易いと存じますが」
「難民? えっと、移民じゃなくて、……難民≠ネのか?」
「ええ、『メルカヴァ』と言う軍事大国に故郷(くに)を攻め滅ぼされた――ね」

 長い歴史の中で陽之元がふたつの民族の共存に変わったことは、シェインもヌボコより聞かされている。
 しかし、そのときのヌボコは他国から訪れた人々を「移民」と言い表していたのだ。
 ドラシュトゥフが自らの祖先を「難民」と表現したことには、何らかの意図が含まれているのだろうか。
「移民」と「難民」――共に他国から移り住んだ民を指す言葉であるが、
その意味合いには大きな隔たりがある。
 ヌボコやドラシュトゥフの祖先を如何に捉えるか、どちらの定義を選ぶべきなのかは、
陽之元の歴史を勉強し始めたばかりのシェインには判別出来なかった。
 ドラシュトゥフからジャスティンへと目を転じ、彼の助言を求めようとするシェインであったが、
知識豊富な彼も首を傾げるばかりである。
 陽之元の国土で共存するふたつの民族の歴史に関して不勉強――と、
ジャスティンの沈黙を断じることは出来まい。国家の成り立ちに直結する複雑な問題である為、
他国の人間が軽々に私見を述べることを憚ったのである。この場に於いて何よりも賢明な判断であった。
 いずれにせよ、祖先(ルーツ)に対する見解がヌボコとドラシュトゥフの間で異なっているのは間違いない。
 それ故にシェインから「移民ではなく難民なのか」と尋ねられても、
ドラシュトゥフは訂正を口にしなかったのである。

「その難民が陽之元に迎えられ、現在まで辛うじて命脈を保っている次第です。
……そして、その受け容れに反発して陽之元から去ったのがトルピリ・ベイド移民なのですよ」
「それって、もしかして……」
「遠慮なさらなくとも結構ですよ。移民団は祖国を棄てたと言うことです。自らの意思でね。
……ああ、自らの意思と言うのは適切でないかも知れません。棄てさせた≠フは我々の祖先なのですから」
「ンなズバズバ言うなよ……」

 シェインたちの会話へ耳を傾けていたジェイソンが悲しげな溜め息を吐いた。
「陽之元を去った民」と語る言葉から往時の内紛を感じ取り、虚しい気持ちになったのだ。
 ジェイソンとて故郷を棄てた身である。出奔に至った事情と背景を
トルピリ・ベイド移民と同一に考えることは難しいが、
それでも「故郷を棄てる」と言う思いが少しは理解出来るのだ。
 だからこそ、「自分の祖先は陽之元旧来の民に祖国を棄てさせた」と、
あっけらかんと語るドラシュトゥフの姿が悲しく思えた。

「事実は事実。そして、歴史は嘘を吐きません。勝者の驕りが史書を書き換えさせることもあるでしょうが、
現在(いま)は事実の上にしか成り立たないものですので」

 最低限のことしか喋らないように努めているドラシュトゥフにしては珍しく多弁であった。
 肌の色が異なる人間――民族同士と言うべきであろうか――が共に在る場景について、
妙な観念や好ましいとは言い難い偏見を抱かれることを警戒し、先手を打ったようにも思える。
 更にドラシュトゥフは己がふたつの民族間に生まれたクォーターであることも付け加えた。
難民の末裔の肌の色と、陽之元旧来の民の髪の色を併せ持っている理由を説いておきたかったのだろう。
 これに対して、ヌボコは難民の末裔の髪の色と、陽之元旧来の民の肌の色――
つまり、ドラシュトゥフとは真逆である。
 ヌボコもまたふたつの民族の混血であったが、彼の場合は父親が難民の末裔であり、母親が陽之元旧来の民。
クォーターのドラシュトゥフは、祖父が陽之元旧来の民、祖母が難民の末裔だと言う。
 勿論、ドラシュトゥフは「混血と言っても何が遺伝するかは人それぞれですけれど」と
言い添えることも忘れない。

「――混血だからと言って何かが違うわけじゃない。世代を重ねる間に陽之元は本当の意味でひとつになった。
どちらの民族を祖先(ルーツ)に持っているかなんて、何の問題もないんだよ。
……ドラシュトゥフも言ったように、現在(いま)は事実の上にしか成り立たない。
お互いの足りない部分を補い合って歩んできた――それが陽之元(おれたちのくに)の成果なんだ」

 ドラシュトゥフが言葉を区切った瞬間を見計らって、ヌボコは力強く語った。
出自の異なるふたつの民族が手を取り合って共に歩んできた歴史こそが国家としての成果と、
彼は些かも躊躇うことなく言明した。
 その瞬間、後方に座っていたドラシュトゥフから何とも例え難い眼差しを向けられたが、
これに勘付いてもヌボコは前言を覆そうとはしなかった。
現在(いま)は事実の上にしか成り立たない――このことを揺るぎなく信じている証左と言えよう。
 シェインもまたヌボコの面を真正面から見つめている。
当然、ドラシュトゥフの顔も視界に入っているのだが、
彼の見せた表情とて陽之元の歴史の一部と受け止めていた。
 ヌボコを見つめるドラシュトゥフの瞳に穏やかさは欠片もない。

(どっちも同じ事実を話してるハズなのに、……全然、違う目をするんだな……)

 陽之元の地で暮らすふたつの民族の歴史(あゆみ)は、
異世界から訪れたばかりのシェインの想像など及びも付かないほどに重いものであった。
 しかし、ここに至るまでの経験に基づいて推し量れる事柄が全くなかったわけでもない。
外来の民への反発などは、シェインたちアルトの人間が相対するノイ側の難民にも通じるものなのだ。
アルカーク・マスターソンが最たる例で、異世界から訪れた人々を害虫同然と見做し、
徹底的な排撃を加えている。
 トルピリ・ベイド移民が祖国を去らざるを得なかった背景も、アルカークが主張する難民排撃も、
その根本には同質の想念が――生まれ育った土地を見ず知らずの者から侵されると言う逼迫(おもい)が
渦巻いているに違いなかった。
 全ての人間が思いをひとつにして外来の民を受け容れられるわけではない。
 しかし、だからと言って、同じ人間同士が手を携えられないことはないのだ。
現に陽之元を去った移民団は新天地で現地の人々と交わり、そこに根を下ろしたではないか――
こうした事実≠フ積み重ねによって成り立つ歴史の上に生きていればこそ、
ヌボコはアルトとノイが結び合わさることに希望を見出したのだろう。
 この場には居併せていないものの――テムグ・テングリ群狼領の御曹司として生まれ育ったグンガルは、
陽之元が積み重ねたような事実≠何時だって胸に秘めている筈だ。
 尤も、グンガルの場合はヌボコとは少し事情が異なっていると言える。
 アルト最強と名高い馬軍は、圧倒的な武力を以てして民と土地を斬り従えてきたものの、
統治自体には善政を布いており、遠征への動員を除いては領民に大きな負担を掛けない体制を築いている。
 ところが、エルンストと言う柱――カリスマとも呼べる存在だ――が捕らわれの身となる前後から
加速度的に求心力を失い始め、今や群狼領から離脱する者が後を絶たないと言うではないか。
 力によって押さえ付けたことへの反発であろうか。
所詮、支配する側とされる側の心はひとつになりようもないのだろうか。
 それ故、ワヤワヤのように宗主の意向を無視して自領の土地を売り捌く者が現れる。
馬軍の威信を貶めるような問題が続発してしまうのである。
 しかも、現在(いま)のテムグ・テングリ群狼領は身内同士で確執を深める始末だ。
 それぞれを連結しておく為の鎖が断ち切られたような状態であった。
エルンストの御曹司としてグンガルが背負わなくてはならないのは、そのように分裂を繰り返す群狼領なのだ。
 それでも、グンガルは絶対に諦めないだろう。ギルガメシュへ投降した父の誇りを守るべく奮戦し、
民を繋ぎ止める手立てを求めて七転八倒するかも知れない。
 シェインには今すぐにでもグンガルと通話し得る道具が欲しかった。
 手元に在るモバイルはアルトにて買い求めた物であり、必然的にノイでは使うことが出来ない。
それ故、離れ離れになった仲間とも連絡が取れず、歯痒い思いをしているのだが、
この瞬間(とき)ばかりは決死隊の要員(メンバー)よりも
世界の隔たりを超越するような通信手段を求めてしまう。
 今、自分たちはふたつのエンディニオンで暮らす人々の心と心を結び付けようと奔走し始めたところである。
こうした思考(かんがえかた)はテムグ・テングリ群狼領の再興にも必ず役立つであろう。
白刃を抜いて斬り結ぶのではなく、互いの心を結ばせることでしか世界≠ヘ繋がるまい――
そのことを親友のひとりへ伝えたかったのだ。

(人の気持ちを大切に考えるグンガルなら、きっと――)

 そのとき、ドラシュトゥフの視線がヌボコから自分に移っていることにシェインは気が付いた。
 言葉を以て確認するような時間(ゆとり)はなかったのだが、
おそらくドラシュトゥフは電子メールなどを通じてシェインのことをヌボコから知らされている筈である。
為人は言うに及ばず、アルトとノイを結び付け、新たな世界へ臨まんとする志も含めて――だ。
 陽之元と言う国家に根差す民族の歴史(あゆみ)を知った上で、
それでも胸に抱いた志を信じ抜けるのか――ドラシュトゥフは眼光ひとつでシェインに質そうとしていた。
 シェインとヌボコが果たさんとしている志は、とてつもなく困難な道である。
民族どころか、世界と言う垣根を取り払おうと言うのだ。
人智と言う名の常識の範疇で考えるならば、挑戦する前から不可能に近いと諦めるところだ。
 だが、シェインは些かも躊躇わない。前人未踏と言っても差し支えのないような険しい道程すら
全く恐れていないのである。
 そんな些末なこと≠謔閧焉Aふたつのエンディニオンを繋げたいと言う希望のほうが遥かに大きい。
ただそこに思いを馳せるだけで胸が躍り、今すぐにでも駆け出したくなってしまう。
 確かにひとりきりでは何も出来ないだろう――が、
志を同じくするヌボコが居る。頼もしい仲間たちが一緒に居てくれる。
そして、この仲間≠フ中にはノイの人間も数え切れないくらい含まれているのだ。
 ふたつのエンディニオンの人間が揺るぎない絆を育んでいけることをシェインは知っている。
 それ故に――と言うべきか、志が果たせずに終わる可能性を彼は全く考えていなかった。
頓挫を恐れる理由など最初から持ち合わせていないのである。

(何があったって、乗り越えられないことなんかあるもんか。ボクらにはきっと出来る――)

 その想いを胸に秘め、シェインはドラシュトゥフへ首を頷かせた。強く強く、頷いて見せた。
 丸眼鏡の向こうの双眸を意外そうに見開いた後、ドラシュトゥフは控えめに頷き返した。
俄かに鋭い冷気を帯びていた瞳も、このときには先程までの穏やかさを取り戻している。

「――あんま面白いとも言えねぇ歴史はあるっちゃあるけどよ、こうして子孫同士は仲良くやってんだ。
湿った気持ちになっちまうようなコトは、あんま深く考えねぇようにしよーぜ!」

 俄かに張り詰めた空気を叩き壊すようにして、ヒロユキが冗談めかしてドラシュトゥフの首を絞める。
 すかさずドラシュトゥフは彼の右手首を掴み、腕を捩じり上げてしまったが、
ヒロユキの側も手痛い反撃を笑いながら受け入れる辺り、
このふたりは平素から似たように戯(じゃ)れ合っているのだろう。
 事実、シェインたち客人≠ノ対しては敬語を用いるドラシュトゥフも、
ヒロユキを相手にする場合は砕けた調子で話している。
あるいは、ヌボコまで入れて名物三人組(トリオ)のように周りから扱われているのかも知れない。

「お取込みのところ、申し訳ありません――あの……セシルさん? 
許婚さんがだいぶイッパイイッパイのご様子なのですが……」
「は? あっ――」

 ジャスティンに促されてモユルの様子を窺えば、彼女は目を丸くしたまま完全に硬直しているではないか。
 ヌボコの許婚とは雖も、覇天組の任務から遠く離れた一般的な家庭で日常≠過ごす少女にとって、
国家の仕組みや政治と結び付く話は難解過ぎたのであろう。
思考回路は知恵熱で沸騰しているに違いなく、今にも頭上(あたま)から蒸気を噴き出しそうだった。

「う〜ん、何時まで経ってもモユルさんは勉強不足だねぇ。
ヌボコ君と添い遂げるつもりなら、今くらいの議論は軽くこなせるくらいになって貰わないと」
「あれがフツーの反応だと思うぜ? 逆に言えばオレらがちょっとおかしいんだよ」
「そんなことはないさ。僕の五番目と一二番目のガールフレンドは、ちゃんと話に随いてきてくれるよ?」
「ふたりとしか噛み合ってないんじゃねーか! ……てゆーか、マジでいつか刺されんぞっ」
「心配ご無用。僕は後腐れが残るような付き合い方はしないよ」

 十を超えたばかりの少年とは思えない下卑た発言を繰り返すドラシュトゥフに向かって、
「どの口で『自分は紳士』などと抜かすのか……」と吐き捨てつつ、ヌボコはモユルの傍らに座り直した。

「……すまん、お前を置き去りにしてしまったな」
「――ふおぉぉぉっ!?」

 ヌボコが愛おしそうに頭を撫でると、それまで油の切れた機械の如く沈黙していたモユルは
全身を大きく震わせ、次いで蕩けるような表情(かお)に変わった。
 頭部に染みる温もりが余ほど心地良いのだろう。
彼の掌が動く度にモユルはおよそ人間の言葉として認識し得ない不思議な声を上げている。
飼い主から可愛がられて喉を鳴らす猫のように見えなくもなかった。
 ヌボコもヌボコで手付きが相当に慣れており、このふたりの触れ合い方を窺わせた。
自発的な行為か、彼女の側からねだられているのかは知れないが、頻繁にモユルの頭を撫でているようだ。

「……あの、ドラシュトゥフさん。セシルさんって何時もこうなのですか?」
「セシ――ああ、ヌボコ君のことですね。あなたのことも話には聞いていましたが、
……この人、外面は無駄に良いですから。フィガス・テクナーへ潜ったときにも
誤解を振り撒いていたかも知れませんね」
「それにしたって私の知っているセシルさんとのイメージが違い過ぎて……」
「ヌボコ君、モユルさんの前では常に鼻の下を伸ばしていますよ。
もしも、この人におかしな幻想を持っていたのなら、今ここでお捨てなさい」

 周りに人が居ることを忘れてしまったかのようにふたりだけの世界へ浸るヌボコとモユルを、
シェインたち傍観者はただただ眺めるばかりだった。
 ジャスティンに至っては呆れ返ったように口を開け広げている。

「ここまでデレッデレになってくれると、足音聞こえたときのリアクションとか納得出来るよな。
足音だけで誰だか判ったみたいだもんよ」
「――あ、それ、ジェイソンも気付いてた? ボクの中で全部が繋がったよ。
あれってさ、他のふたりと許婚の足音、絶対に聞き分けてたよね」
「スカッド・フリーダムもビックリな聴力だぜ。所謂、ひとつの愛の為せる技ってヤツかねぇ〜」

 ジェイソンとシェインの会話が耳に入ったのだろう。
これまで以上にヌボコの顔面は熱を帯び、傍目には沸騰寸前のようにも見えた。
 モユルもモユルで同じように頬を火照らせており、
ありったけの感激と共に含羞(はにか)んだ後(のち)、潤んだ瞳で許婚を見つめた。
 まるで恋愛映画の佳境を切り取ったような情景で、
ヒロユキなどは「チュウでも一発かまさなきゃ男が廃るぜ〜」などと無責任に囃し立てている。
 その言葉に恥じらって逃げ出してしまえば、俄かに垂れ込めた甘ったるい空気も霧散したのだろうが、
あろうことか、モユルが外野の声を真に受けて瞳を閉じてしまった。
それはつまり、全てを受け入れる≠ニ言う意志表示である。
 さしものヌボコもこれには困り果て、狼狽(うろた)えた様子で上体を仰け反らせた。
何とも例え難い類の汗が全身から噴き出し、ただでさえ焦る気持ちを一等煽っていく。

「モ、モユル……」
「ん……っ」
「い、いや、ま、ま、待てよ……」

 ヒロユキに促されたような行為(こと)など衆人環視の中で出来る筈もない――が、
羞恥心に屈して突き放そうものなら、瞳を閉じたまま唇を僅かに尖らせている許婚の面目を潰すことになる。
 現在(いま)、ヌボコの人生に於いて最大級の葛藤が生じていた。
進退窮まった表情(かお)で生唾を飲み込んでいた。

「――青春真っ盛りなところ、ごめんね〜。そろそろ、おばちゃんたちも加わっていいかな?」

 覚悟を決めたヌボコがモユルの肩を掴んだ瞬間、離れ≠フ入り口から笑気混じりの声が投げ込まれた。
 凄まじい勢いで首を振り回したヌボコや、不意の声に驚かされたシェインたちが
入口のほうへ視線を巡らせると、障子の縦框(がまち)から四つの顔が部屋の中を覗き込んでいるではないか。
 首から上だけを覗かせた人々は、これまた器用なことに縦一直線で並んでいる。
 ヌボコとモユルの声を掛けたのは上から三番目の女性であった。
長い髪を襟足の辺りでふたつに縛っており、その愛らしい面立ちには悪戯っぽい笑気を纏わせている。
 真下には褐色の肌に銀色の髪を持つ別の女性――何故だか不機嫌そうに顔を顰めている――が、
一番上には豊かな髭を蓄えた黒髪の男性がそれぞれ顔を出している。
左目全体を二枚重ねの包帯で覆った後者は、髭にも鬢にも目立つ程に白い物が混ざっていた。
 声を掛けた女性の真上――下から数えて三番目には、両の瞼が半ばまで落ち込んだ男の顔が在る。
顎には生やした僅かばかりの髭や、獅子の鬣の如く荒々しい癖毛は言うに及ばず、
これに加えて左頬を斜めに走る古傷が皆の視線を集めていった。
 古傷≠ナはあるものの、最近になって付けられた刀創のように見えなくもない。
鋭利な刃物で抉られたと思しき古傷≠ヘ赤黒い血の色が異常なくらい濃く、
今でも「負傷したばかりではないか」と余人から誤解されることが多かろう。

「――しくじったな、部屋にカメラもモバイルも置きっぱなしだ。
こう言うモンはキチッと記録しとかねぇと、結婚披露宴のときに使えねぇぜ」
「局長、アタシ、モバイル持ってるよ? てゆーか、さっきのは撮影済みだよ? 
録画スタートの音声を消す方法もアーさんから教わったし、ふたりに気付かれることなくバッチシ永久保存」
「ナイスだ、シャラ君。早速、ホームビデオ用に編集してやろう」
「と、父様っ!」
「ナタクおじさまっ! シャラさんもっ!」

 『ナタク』なる男にからかわれたヌボコとモユルは、耳の先まで真っ赤に染めて俯いてしまった。
 潤んだ瞳でとてつもない行為(こと)をねだっていたモユルはともかくとして――
葛藤に葛藤を重ねていたヌボコは、この瞬間、遂に羞恥心が限界を突破したようである。

「ダウィットジアク氏――お間違えのないように。一番上に立っているのが副長のラーフラ先生。
そして、ヌボコ君の養父(おちちうえ)が局長のナタク先生です。
シャラ先生は局長付き秘書官、その下で膝立ちしているアプサラス先生は監察方の頭取。
……有体に申せば、覇天組のご重役が一気に揃ったと言うことです」
「――急展開にも程があるだろッ!?」

 ドラシュトゥフの耳打ちにシェインは素っ頓狂な声を上げながら仰天した。
 飄然と姿を現し、養子(ヌボコ)を冷やかしたこの男が覇天組局長――
つまるところ、シェインたちは心の準備すら満足に出来ないまま、
『最凶』の武装警察を束ねる長との対面へ臨むこととなったのである。




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