10.the fire spread to the house next door


「侵略してきた連中を滅ぼした言い分には一理あるが、……ちと腑に落ちねぇところもあるんだわ」
「今度は貴様か、冒険王。仲立ち気取りではなかったのか」
「中立の立場から見てもおかしいコトだから、こーして出しゃばるしかねーんだよ。
……『緬(めん)』の高官とやらを手前(てめ)ェんトコに招き入れてたそうだな。
一体、どうなってんだ、こりゃ? ヴィクドは『プール』と一緒に全滅させたのは
『緬』の軍勢だったハズだよなァ?」

 答えに窮したアルフレッドを助けようとマイクのほうからアルカークに向けて
ひとつの質問を投げた――と言うよりも、それこそがこの場に於いて
最優先で確かめるべき内容(こと)なのである。
 それはトルーポ・バスターアローによってもたらされた情報であった。
立場上は敵対関係と言うこともあってグドゥーで別れて以来、彼とは連絡を取り合っていないのだが、
別れ際にヴィクドと『緬』の接触について伝えてきたのである。
 この情報について、アルフレッドたちはふたつの疑問を抱いている。
侵略者と蔑むような相手と何の必要があって会談の場を設けたのか。
その『緬』の軍勢をヴィクドは最終的に全滅へ追いやったわけだが、
友好的な同盟などを持ちかけておいて、後になって騙し討ちにしたのではないか。
 ふたつの疑問は表裏一体であり、それ故に「人道」の面で危うさを孕んでいた。

「フン――騙し討ちの何が悪い。我らヴィクドはテムグ・テングリと違って兵力も限られておるわ。
しかも、敵は『緬』と『プール』の二ヵ国。兵数の劣勢に加えて二方面の切り崩しと、
不利な状況を打開するには知恵を働かせるしかあるまいよ。
生き延びる為にはありとあらゆる策を使う。それが乱世の倣いと言うものだ」

 マイクやアルフレッドが自分にどのような疑いを抱いているのか、
そのことを正確に読み抜いたアルカークは、これを平然と肯定した上に
「合戦は力押しでは勝てん」と自分の頭を右の人差し指でもって示した。

「はあ? 『生き延びる為』だぁ? てめーから攻め始めておいて、被害者みてェな言い方すんなよ。
乱世だとか尤もらしいことをほざきやがったが、世の中を乱してるのはどっちだ? 
なァ? アルカーク?」
「恐怖統制で人の心を縛ろうとしておった、どこぞの軍師気取りの名前こそ挙げるべきだろうな」
「てめ、こらっ!」
「――その合戦に正義はあったのかっつってんだろ、マイク・ワイアットはよ」

 まるで化かし合いのようなアルカークとマイクのやり取りへ
ジャーメインの師匠であるルシア・レッドウッドが口を挟んだ。
 戦闘隊長の画策によってアルフレッドに差し向けられた討手を食い止める為、
総帥のテイケンが直々に特使に立てたルシアは、
現在(いま)もまだスカッド・フリーダムの追撃を警戒して一向に同道し続けている。
 テイケンの命令を受けて暗殺計画が打ち切られたのだから、
もはや、身辺は安全であろう――とは誰も考えていない。
戦闘隊長のエヴァンゲリスタは総帥の意向を確かめないまま、
秘密裏にアルフレッドを葬ろうと画策した程なのである。
この先もどのような策(て)を使ってくるか知れないのだった。
 そして、ルシアと言う女性はスカッド・フリーダムの所属ではないにせよ、
タイガーバズーカの出身者に違いはない。
 何の躊躇いもなく卑怯で非人道的な策を講じて『緬』を陥れておきながら、
まるでそれが正当な行為のように振る舞うアルカークの態度に我慢ならなかったようである。

「話に出ていた『緬』とやらを焚き付けたのは、実はアンタのほうなんじゃねーのか。
戦いに勝つ為には知恵が欠かせないっつーのは尤もだがな、
人ん家の庭≠荒らす為に巡らせるのは策略なんて言わねーんだよ。
ただの火事場泥棒じゃねーか」
「フン、見知らぬ小娘が偉そうに口を挟んできたな」
「小娘呼ばわりなんて光栄だね。そんな風に呼ばれなくなって、大体、一〇年だよ」
「お師さん、こんな状況で軽やかにサバ読むの、やめてよ。
一〇年って言葉の間にはめっちゃ幅があるじゃん」
「うっさいねぇ〜、黙ってりゃ分かんないだろ。デコピンかますよ、アホ弟子」
「漫才なら他所でやれ、小娘ども。……情報工作で敵を撹乱するのは軍略の基本だ。
そして、敵の敵は味方――この状況を使ってやらん手はないわ」
「つまり、自供ってことじゃねーか」
「自供だと? 小賢しい! 撃って出るからには兵の労に見合うだけの戦果を挙げねばならんのだ。
それこそが将たる者の務め。目的達成に情だの何だのと甘っちょろいものを感じているようでは
領主の本分など果たせん。兵を斬り従えたこともない小物には分からぬだろうがな!」
「ケッ、上から目線でベラベラと! 口八丁で卑怯なやり口を取り繕えるなんて思わないほうがいいぜ」
「そもそも取り繕うつもりもないわ、ボケかましが。オレはオレのやりたいようにやる。
どこの馬の骨とも知れん貴様なんぞに口出しされる謂れもないわァ!」

 『緬』を罠に嵌めた事実(こと)を隠すつもりがないどころか、
自身の策を世間の目から見て卑劣と認識した上で、
何ひとつ躊躇うことなく鬼畜の道へ踏み込んだような口振りなのである。
 口火を切ったルシアも、彼女の愛弟子であるジャーメインも、
アルカークの悪辣さを承服することが出来ず、会談≠フ場に全くそぐわない仏頂面を晒している。
 憤激の二字を形にしたような面持ちは、今から殴り合いに赴かんとしているようにも見える。
 これに呼応するようにアルカークの三男――アルフォンスや、
その傍らに控えるヴィクド自慢の傭兵たちが一斉に荒々しい唸り声で威嚇を始めた。
ディオファントスとアルカエストが双方へ冷静になるよう呼び掛けなければ、
すぐさまに大乱闘へ発展していたことだろう。
 提督の孫に当たるアルカエスト・マスターソンはディオファントスにも似て理知的であり、
気性の荒いアルフォンスを押さえ込めるのは彼ひとりである。

「今、佐志とヴィクドの合戦になったら、それこそギルガメシュの思うつぼだ。
……ここは抑えろ、メイ。後で愚痴くらい付き合ってやる」
「むう……」

 アルカエストに倣い、アルフレッドもジャーメインの耳元へ落ち着くよう囁いているのだが、
その一方、油断のならない策略家の側面に接したことで、いよいよアルカークへの警戒を強めていた。
 腹立たしいことこの上ないのだが、アルカークが自ら明かしていった策略は
アルフレッド当人にも合理的なものと思えてしまうのだ。
兵力が劣っている状況下で多方面の敵を同時に叩く場合、やはり情報戦こそ勝敗の鍵となる。
全滅と言う惨たらしい末路はともかくとして、騙し討ちも立派な軍略なのだ。
 自分がヴィクドと同じ立場で『緬』と『プール』の打倒を画策するならば、
偽の情報を流して敵勢を惑わし、あるいは両軍の中心人物を調略して付け入る隙を作り出し、
極限まで混乱させたところで攻め込むことであろう。
 アルカークの策略に共感してしまう自分がアルフレッドには厭で厭で堪らなかった。
これでは討ち取った亡骸を木に吊るすような残虐非道の男と同じ穴の狢ではないか。

「アルフレッド・S・ライアンよ、エルンストの軍師などと気取っている貴様はどうなのだ? 
オレの策に何ぞ間違いでもあるか? 誤った策だと思うのか?」

 その上、アルカークは心の内を見透かしたような内容(こと)を質してくるのである。
これだけでも互いの心が通じ合っているように思えてならず、
アルフレッドは苦悶の表情(かお)で黙り込むのだった。

「愚痴くらい後で付き合ってあげるよ?」
「……他のこと≠ナ発散するから良い」

 アルカークと同じようにアルフレッドの胸の内を察したジャーメインが
気遣いの言葉を耳元へ滑り込ませる。
 言葉少なにこれを受け止めたアルフレッドは、
誰にも気取られないよう彼女の太腿へ意味ありげに指を這わせるのだった。

「おいおい、そこでアルに責任転嫁すんじゃねーよ。
こいつを引っ張り込んだってお前のやったことは正当化されねーだろ」

 アルフレッドの意味ありげな行動や、
これに反応して頬を赤くするジャーメインに気付いていないマイクは
人道に反する策略への批難を強めていく。

「オレたちだって絶対正義なんつー陳腐なモンを掲げるつもりはねぇが、
合戦にはそれなりのやり方≠ェあるだろうよ。兵を率いる立場云々を語るからには、
なおさら人の道に背いちゃならねぇんじゃねーのか? 
上の行動が下の人間にどんな影響を与えるのか、そんなことも分かんねーのか」
「我々のエンディニオンを寄生する害虫駆除に何の情けが要ると言うのだ。
マイク・ワイアット、貴様、奥地の秘境を冒険しているときにヒルに喰いつかれたらどうする? 
そのまま血を吸わせておくのか? 毟り取って踏み潰すだろう?」
「毟り取るけど、無意味に潰したりしねーよ。そんな理屈で言い訳すんな」
「それ、出たぞ、エンディニオンを危機に追いやった日和見主義が!
貴様らの甘い認識がどのような事態を招いた? 害虫どもを放置した挙げ句、侵略を許したではないか! 
オレはサミットの頃から言い続けてきたハズだぞ!? 害虫は徹底的に退けるべきだとな!」
「てめー、アルカーク、いい加減に……」
「もう一度、繰り返してくれる! 今、我らのエンディニオンに棲み付いているのは
異世界の難民などではない! 惑星(ほし)を食い潰していくただの害虫――
根絶やしにすべき危機そのものッ!」

 マイクからの問いかけに対するアルカークの回答(こたえ)は、
攘夷思想の根本とでも例えられるようなものであった。
 この男はノイ¢、より迷い込んだ難民たちを一括りにして害虫呼ばわりし、
あまつさえ根絶やしにすべしとまで言い切ったのである。

「……バカは死ななきゃ治らないってワケね……」

 サミットの場に於いて、難民を巡ってアルカークと激しく言い争ったレイチェルなどは、
当時から一ミリとて変わっていない思考(あたま)の固さに呆れ返ったくらいだ。
この期に及んで難民たちのことを害虫としか見ることの出来ない視野の狭さは、
最早、憐れとさえ思えてくる。
 佐志側から出席した誰もが攘夷派を先導しているのがアルカークであろうと
確信を持ちかけたその瞬間(とき)、一陣の疾風が駆け抜けた。

「――いい加減にしとけよ、クソオヤジッ!」

 それは一瞬のことであった。アルフレッドにも――否、ローガンやジャーメイン、
ルシアの目にも捉えることが出来なかった。
 疾風(かぜ)の正体はメシエである。目にも止まらぬ速さでテーブルの上に飛び移り、
これと同時に抜き放った陣太刀――『大倶利羅廣光(おおくりからひろみつ)』の剣尖を
アルカークの喉元に突き付けていた。
 自分のことを――否、攘夷派によって惨死させられた仲間たちのことを害虫と蔑まれ、
激情に衝き動かされたのだろう。包帯で覆われていない左目は大きく見開かれ、怒りの色に染まっている。

「ほう? なかなか威勢の良いガキを飼っているではないか、ライアン」

 対するアルカークは流石に肝が据わっている。
少しでも剣尖が動けば喉を貫かれるというのに身じろぎひとつせず、悠然とメシエを見据えている。
若者特有の無鉄砲さを面白がっているようにも見えるくらいだ。
 好きに刺し殺せとでも言うような豪胆さであり、これを挑発と受け取ったメシエは
「やってやろうじゃねぇか、この野郎!」と鋭く吐き捨てつつ剣尖を突き込もうと構えた。

「メシエちゃん、いけません!」
「ヒッチコック、控えろ」

 ジャーメインの太腿から手を離したアルフレッドがマリスと同時に制止の声を飛ばした。
 マリスとアルフレッド、どちらの声が効力を発揮したのかはさておき、
これを受けてメシエの動きが止まった。危ういところで最悪の事態を免れたわけだ。
 仮にメシエが『ロクス・ソルス』なるトラウムを発動させていたなら、
事態は一等深刻なものとなっていたことだろう。激情の赴くまま手元にあった太刀を真っ先に用いたのは、
ある意味に於いては不幸中の幸いと言えよう。

「先生よォ、人間の言葉も通じねーようなサル山の大将に付き合っていたって仕方ねぇと思うぜ。
こいつのクビをブッ千切って、木の枝にでも吊るして晒し者にしたほうが手っ取り早いんじゃねぇか。
こんな目に遭わされると知ったら、フェイ・ブランドール・カスケイドも黙っちゃいられねーだろ。
あぶり出してやろうぜ、『ジョーイ』だとか寝言ほざいてるバカどもをまとめてよォ」

 提督の窮地にいきり立っていたヴィクドの傭兵たちは、メシエの言葉を受けてどよめき始めた。
それは、善からぬ繋がり≠悟られた人間が見せる狼狽に他ならない。
 そして、彼らが強い反応を示したのはフェイ・ブランドール・カスケイドの名前だったのである。

「なるほどな、ヴィクドとカスケイドの関係を疑っているわけか。
くだらんな、実にくだらん。大事の前の小事に囚われているだけではないか」

 フェイとヴィクドこそが攘夷思想の火付け役――即ち、仲間たちの仇であると疑わないメシエは、
怒りに任せて陣太刀を突き付けたわけだが、当のアルカークは自分に襲い掛かって来た少年の正体には
全く気付いていないようであった。
 尤も、メシエが害虫の一匹≠セと把握したとして排撃的な態度を改めることはあるまい。

「どうしてオレがあんな偽善者と仲良くせねばならんのだ。顔も見たいと思わんのに? 
この鉤爪でヤツのどてっ腹をブチ抜いてやったとき、トドメを刺さなんだことを後悔したくらいだぞ」
「フカシこいてんじゃねーぞ、クソカスがッ!」
「さしずめ、オレを攘夷派の親玉に仕立て上げたいのだろうがな、それは無駄な努力と言うもの。
今、各地で難民とやらの隠れ家を荒らし回っていると言う連中――あれが攘夷の急先鋒であろうよ。
裏付けは取れておらんが、トラウムでもって暴風(かぜ)を操るそうだ。
エンディニオンに吹く風でもって害虫を根こそぎ吹き飛ばそうと言うのだから痛快で堪らんな」
「――理由(わけ)あって俺たちは攘夷の一派を捜している。
……あんたの言う風のトラウム使いが目当ての集団のようだ。特徴が合致していないこともない」
「ならば、答えは出たではないか。オレとカスケイドの関わりではなく、
その連中とカスケイドの関係を洗い出してみろ。勝負なら幾らでも受けてやるが、
身に覚えのない濡れ衣など鬱陶しいだけだ」

 口を挟んだアルフレッドに対し、アルカークは自分とフェイは無関係であると繰り返した。
 それが真っ赤な嘘ということは彼が引き連れてきた傭兵たちの反応を見れば一目瞭然である。
そもそも、フェイとアルカークがハンガイ・オルスで接触していたという情報が
両者の繋がりを明確に示しているのだ。
 だが、アルカークが挙げた別の人物を捨て置くわけにもいかなくなってしまった。
その男は現在、急進的な攘夷活動を推し進める一派の中心人物であるという。
しかも、だ。ゴーストタウンで確認した破壊の痕跡からして、
メシエの仲間を蹂躙したのは暴風(かぜ)のトラウムであった可能性も極めて高い。
 即ち直接的な仇は、その攘夷活動家ということになるだろう。

「オレの言葉によって攘夷の火が点いたことは別に否定せんが、
直接、手を下していられるほど我がヴィクドも暇ではない。
二方面の敵と相対していたオレたちに何が出来たと言うのだ?」
「てめェ……」
「兵を率いる立場と責任を貴様のような小童に解れと言うほうが無理だろうがな。
遊び半分で領主は務まらんのだよ」

 それから暫らくアルカークとメシエの間で睨み合いが続いた。
メシエの側はとりあえず剣尖をアルカークの喉元から引き、肩に担ぎ直している。
 これを見計らったマイクとアルフレッドは互いに目配せし合い、ふたりを物理的に引き剥がそうとした。

「――た、大変でさぁ、アルの旦那! いや、ご、ご一同ッ!」
「何事でござるか、源さん! すわ敵襲でござるか!?」

 その瞬間のことである。会談には同席せず、敵の襲来に備えて別荘地の入り口を警備していた源八郎が
転がるような勢いで駆け込んできた。
 尋常ならざる事態が起きたことは源八郎の様子からも瞭然であり、
さてはこの場をギルガメシュに見つかったかと、守孝は即座に立ち上がって槍を取った。
 さすがにヴィクドの人間は反応が早く、血気盛んなアルフォンスなどは傭兵部隊に号令を発し、
すぐさま出撃しようと前のめりになっている。

「さ、さっきラジオから流れてきたんですがね! これから幕府による政策の発表があるって言うんでさァ! 
難民保護について国際的な規定を発表するってぇ!」
「国際的な……規定!?」

 攘夷派の中心人物と目される人間とアルカークの繋がりを探りたいという気持ちもあったが、
そのような報告を受けては思考(かんがえ)を切り替えるしかあるまい。
 何よりもアルフレッドは「難民保護について国際的な規定」なる言葉に不安を募らせていた。





 件の放送を以(もっ)てして幕府は、とある一つの政策を打ち出していた。
 大まかに言うならば、エンディニオン各地で次々に現れ、
その存在を看過できなくなるまでに膨れ上がった難民を各地の村や町に移住させようという内容であった。
こちら側≠フ世界へと送り込まれてくる難民は、その一まとまりの規模に大小の差はあったものの、
あのフィガス・テグナーのように都市一つが丸々と形をとどめてやってくるというような事例は稀であった。
殆どの場合は数十人から数百人程度の人間が一つの集団となっているという具合である。
 それ故に大多数の難民は雨露を凌ぐ事ができるような家屋を持つ事もできず、
行き場を失って彷徨っているというのが現状である。
 着の身着のまま彼らにとって異世界へと移動する事になってしまった難民たちは、
その日の食料にも事欠く有様で、困窮の中であえいでいたのである。
かつてのワーズワースに住むことになった人々と同じようなものである。
 あの時と同じように、当初は幕府(その当時はまだその名で存在してはいなかったが)は
配給という手段をとっていたのであるが、
あのワーズワースのようにその他の土地でもそれが難民たちが満足できるほど機能する事はなかったし、
その当時よりもさらに増加の一途をたどっていた難民全体に対して、
名目的にも十分な物資を行き渡らせるなどとは、物理的に不可能な事になっていたのである。
 そうであるからして、幕府は難民の移住という政策を持ち出したのだ。
 また、それを実行するに伴って、幕府は今まで存在していた自治体制を廃止する事にした。
エンディニオンに多数その形を成していた各自治勢力の区分は
解体――境界自体は殆ど変更は無かったが――され、
それに代わって幕府が直轄する「県」へとその姿を変えさせられた。
 そして、新たに出来上がった県に難民をバラけさせながら移住させるという目論見であった。
 また、統治を行うにつけて幕府側に都合がよいからという理由で今までの町村名も廃され、
幕府が勝手に名付けたものを強制的に名乗らされたのである。
 勿論、このようなやり方に反発する向きも想定しているだろうが、
幕府が設立された経緯にあるように、各地の自治権・自治能力は、
たとえそれが非合法的な手段であったとしても、ギルガメシュに移譲させられていたのだから、
町名変更に関して訴え出る様な権利は当然に存在はしていないし、
そもそもそれを取り扱うような司法機関のようなものも無かったのだから、
住民にどうこう出来る話ではなかった。
 無論の事であるが、強行的な手段でそれに対抗しようものなら、
幕府による懲罰という名の武力行使が待っているのは誰もが分かっていた事である。
 このような幕府の一方的な、強権的な、無理解で理不尽極まりない命令は
現地の人にとっては到底受け入れられるものではあるまい。
 町名を変更するべしという旨を放送で耳にした佐志の長――守孝は
「かくのごとき申し出を聞き入れる余地など無かろう」と憤っている。
 だからと言って、抗う術もない。
 ギルガメシュに対抗するべく結集された連合軍は一敗地にまみれ、
主将たるエルンストが降伏した今となっては幕府に対して大規模な武力闘争を行うことは出来ず、
何よりもそれはアルフレッドの立てた作戦にも反している。
 それ故に鉄兜を床に叩き付けようかというほどの勢いであった守孝も、
このような事情を考慮すると共に――

「今は抵抗する術を持たないのだから忍従あるのみ。幕府の打倒の前にはこれも小事。
大の虫を生かすためには小の虫に犠牲になってもらわなければならない時もある」

 ――というアルフレッドの提言もあって、郷土を愛する者にとって耐え難い命令に耐えたのであった。
 当然、エンディニオン各地でこれと同じような事があったことは間違いないが、
それについては個別明確に述べる場は無い。
 このような命令を定めるに至るまでに、幕府上層部でどのような話し合いが行なわれていたのかは
アルフレッドたちが知るところではなかったが、
とにかく、難民保護という名目で公布と共に施行されたこの命令によって、
今までの根無し草のような生活から一転して安住の地を得る権利を獲得する事になった難民たちは安心し、
満足するだろう。
 そう確信していればこそ、幕府の最高権力者であるカレドヴールフも大胆な政策へ踏み切ったに違いない。

 だが、現実は往々にして理想通りに話が展開する事はないのだ。
 難民保護のための命令を発布したにも関わらず、
アルト≠フ側から不平不満が上がるのは当然の事であるが、
当の難民たちからもそれに関しては不満の声があがってきたのである。
 アルト<Tイドからギルガメシュ、幕府に対して反抗する手合いは殆どなくなっていたのであるが、
それはあくまで圧倒的勢力に対する抵抗する者という話である。
 敗戦の後もぞくぞくと現れてくる難民に対して悪意を抱くアルト≠フ民がいなかったわけではない。
彼らにとって憎むべきギルガメシュが難民の側についているとあってはなおさらの事である。
 敗戦という受け入れがたい状況に対しての腹いせに、
ギルガメシュに対抗する手段を持たないアルト≠フ人々は、
その怒りの矛先を(それが名目上とはいえ)保護下にあった難民たちに向けたのであった。
 自分たちの足元が崩れていくような不安感と、ギルガメシュに対する憎悪を以ってして、
原住民たちは難民の迫害をより強めていったのである。
 難民に対して一切の援助、手助けを行なわないといったような消極的なものから、
積極的に暴力を以って排除を行なうという過激なものまでその形態は様々であり、
そのような状況の中、ふたつのエンディニオンの間で争いが起こるのは当然の流れであり、
そして、死者が出るような惨事になることも決して珍しい話ではなかった。
 今やアルカークの思い描いたような攘夷の嵐が世界各地で吹き荒んでいた。
 幕府が難民に対しての特段の保護政策を実行する以前から、
このような事が度々起こっていたのであるから、
アルト≠フ町村に難民を迎え入れなければならないという命令が発せられたとなると、
難民たちの不安はさらに高まる。
 日に日に、難民たちの数は漸増してはいるものの、いまだに圧倒的なマイノリティである彼らにとっては
多数派の迫害というものは尤も恐れるべき事態なのだ。
 仮にアルト≠フ民と居場所を共にするに至った時に、
それを快く思わない者たちによって最悪の場合嬲り殺しの目に遭ったとしてもおかしくはない。
そう考える難民の数は決して少ないものではなかった。

 件の放送があった数日後――アルフレッドたちの姿が佐志に在った。
 幕府から一方的に主権を踏み躙られるような形となって激怒したアルカークは別荘地を去り、
最早、会談を行える状況でもなくなった為、アルフレッドたちも速やかに佐志まで帰還した次第である。
 自治勢力の解体が発布された後(のち)の反応を確かめようと考えたアルフレッドは
トリーシャに各地の様子を探らせていた。
 そんなトリーシャが先ほど無事に戻って来たのだが、その表情は重々しく、
「記事にするのも気が滅入るわよ」と嘆息していた。

「難民の人たちも素直に幕府の命令に従っているってわけじゃないわね。
各地に難民保護区域を設置するべきだって幕府に訴えてるみたいだし、政策の実行は難航しているみたいよ」
「……だろうな。互いが互いを恐れ合っているのだから、それを急に一つにまとめようとしたところで
歪みが生じるのは必然とも言える。俺の立てた作戦は不発に終わったが、向こうも同じ轍を踏んでいるらしい」

 地団駄を踏むカレドヴールフの顔を想像したアルフレッドは、良い気味だとばかりに薄い笑みを浮かべた。

「せやけど、だからっちゅうて幕府が命令を撤回するなんてことはあらへんのやろ?」
「幕府としても一々下からの突き上げで方針を転換することはないだろう。
自分たちの弱みを周囲に見せる事は何としても避けたいだろうしな。
ましてや、統治を始めたばかりだというのだからなおさらだ。
少しの妥協が大きな躓きを引き起こしかねないとでも思っているのだろう」

 アルフレッドの見立てに殆ど間違いはないだろう。
 ギルガメシュは世界を統治するための第一歩として幕府を名乗ったが、
その幕府が主たる目的である難民保護に関して躓きを見せようものなら、
エンディニオン各地で幕府の権力というものが脆弱と見なされてしまうのは明確。
そして、それが幕府の統治能力の疑問視へと繋がり、やがては反抗の芽を育ててしまう事になり兼ねない。
 そうであろうからこそ、幕府としては何としてでも
まず始めに掲げた政策の成功を成し遂げなければならない。
幕府としても腐心せざるを得ない問題なのである。
 そしてその政策が、今一歩上手くいっていないことは、保護されるべき難民にとっては災難ではあろうが、
アルフレッドにとっては付け込む隙を考えられる喜ぶべき事態なのだ。

「難民の苦労が少しでも少ないことを祈るぜ。こっちだって幕府のせいでえらい目に遭ってるし、
他所を気にしている場合じゃねえが、……同じエンディニオンの仲間なんだからよ」

 他者の不幸を歓迎しているようなアルフレッドをヒューがそれとなく窘めた。
この場にはいないから良かったものの、とてもメシエには見せられない表情なのだ。
独眼竜とて難民には変わりないのである。

「……別に難民の不幸を歓迎しているわけじゃない。だが、ひとつの事実として犠牲が出ているんだ。
そこから幕府に対抗できる何某かの手掛かりを得られるのならば、反撃の糸口として喜ぶべきだろう」
「――んで、具体的にはどーすんだ? 俺っちらが積極的に関わるとすりゃ、
例の風使いの攘夷派潰しくらいだろ? それ以外のことは静観するべしってか?」
「それが出来る内はそうするのに越した事はないだろう。いつまで波風が立たないでいるかは分からないがな」
「旦那の作戦なら俺たちゃ信じて従いますけどね。ただ、気持ちの良いモンじゃありやせんね」
「お前の言いたいことは俺だって分かっているさ、源八郎。しかしだな……」
「俺だって了解してますって。この行為が間接的に難民を苦しめる事になるのかもしれやせんが、
仕方の無い事だといえばそうなのかもしれやせん。ですが、こういう時でも、もしもフィーさんだったら――」
「うむ、あの御仁ならばいつものように人命第一で行動なさる事でござろう。
たとえ我らが不利な状況に陥ろうとも。
それが良しかれ悪しかれフィーナ殿の持ち味である事には間違いござらぬな」
「フィー、か……」

 源八郎と守孝の言葉を受けて、アルフレッドは小さく幼馴染み≠フ名前を呟いた。
 来るべき決戦の日に向けて自らに責務を課すように日々その策略を練っていたアルフレッドではあるが、
もちろんフィーナのことを忘れているわけではない。
 むしろ周囲の人間に気を使わせないように自分からはそれに触れないでおこうとしていたのだし、
自分の心の中でも努めて彼女のことには心を砕く事の無いようにしていた。
 自分の手を下しようが無い状況では気にしていてもどうにもならないという、
ある意味では合理的な考えもあることにはあったが、
他にも彼女の事を思うと以前見た夢の内容がフラッシュバックされてしまい、
なお一層の不安感を覚えてしまうのだった。
 だからこそ、彼の普段の行動に繋がっていくのであるが、
それでも第三者の口からフィーナの名前を出されるとそれを気にしないわけにもいかず、
胸の中で何某かの焦燥感が湧き上るのをアルフレッドは覚えていた。
 そのようなときに浮かんでくるのがジャーメインの名前であり、表情(かお)であった。
そして、アルフレッドはフィーナについて考えることを止めてしまうのである。

「いない人間のことをあれこれ言ったってどうしようもない。俺たちは先に進むしかないんだ」
「……『いない人間』って、おいおい、アル、冷てェことを言ってやんなよ。
それとも、メイとイイ仲だっつーウワサはマジで――」
「――もうこんな時間か。……始まるぞ」
「話をはぐらかすんじゃねーよ、おい」
「……本日は何か新しい事でも放送されるのでござろうか」

 アルフレッドに掛けられたあらぬ噂を断ち切ろうとしたのかどうなのかは定かではないが、
会話を中断させて守孝がラジオの電源を入れた。
 『時間』というのは幕府が設立以来、定期的に報道しているラジオ放送のことである。
基本的に流れてくるのは、幕府がこれこれこのようにして世界のために行動しているのだとかいったような、
アルフレッドたちからしてみたら失笑を起こしてしまうような他愛も無いプロパガンダ放送であるが、
時々は命令の公布も行っており、幕府の行動を逐一チェックするために欠かせ無いものとなっていた。
 雑音が交じる中、幕府の報道官は新たな命令を知らしめる。

「先に今までの自治体制を廃止して全エンディニオンに県を創設し、
その各県に住むべき場所を持たない難民を受け入れさせるという命令があったにもかかわらず、
この命令の実行は遅々として進んではいない。これの原因を我々幕府はアルト≠フ側にあると判断した。
罪無き人々に言われ無き迫害を加えるなどいう許しがたい行いを為す不貞の輩が数多く存在しているという
実に嘆かわしい事態がそれの最もたるものである事に間違いは無い。
このような難民の危機的状況を幕府としては看過することはできない。
よってこの事態に歯止めをかける意味でも我々はここに命令の追加条項を発する事となった。
一つ、難民の所有物を奪う者は死罪。一つ、難民に危害を加えたる者は死罪。
一つ、難民を殺害する者は死罪、さらにそのような者がでた町村に対しては幕府が直々に制裁を与える。
以上が今回制定された新たな命令である。
なお、この命令に関して一切の反対は許されない。繰り返す、難民の――」

 難民たちが移住を躊躇うのはアルト≠フ迫害であるとの結果を出した幕府は、
このように極刑を基礎とする非常に厳しい罰則を伴った命令を発布して、
エンディニオンの速やかなる平定を企図したのである。

「こいつぁまたとんでもねえ命令を出したもんだな。無茶を言ってくれるぜ」
「難民に手ぇ出したら終いっちゅうことかいな。
そんならもしこっちが難民に襲われた時にはどないせえっちゅうん? 
正当な理由があっても死刑、なんて事になるんかいな? せやったら泣き寝入りしろっちゅう事か?」

 ヴィクドが攻め滅ぼした『緬』と『プール』のことを想い出さないわけにはいかない。
騙し討ちの是非はともかく、件の二ヵ国は間違いなくアルト≠フ土地と財物を掠奪していたのだ。
幕府より発布されたものは、こうした侵略者たちに抗うことも一括して禁じるという法律なのだ。

「これはあくまでもマイノリティである難民を保護するためだろうな。
幕府が難民に対して武力を担保として安全を保障するものだろうから、
あんたの危惧しているような事は起こらないとは思う。……思うが、これはあまりにもふざけた罰則だ。
何事も起こらなければ良いのだがな……」
「何事も起こらなければ良いと言っている本人が暴動でも起こしそうな顔をしているぞ」
「言うなよ、ライアン……ッ!」

 努めて冷静に振る舞おうとするヴィンセントであるが、
眉間に浮かび上がった血管が腹の底から湧き起こってくる怒りの強さを表していた。
 このように権力者の側にとって有利な法律を一方的に押し付けてくること自体、
ヴィンセントには許し難いことなのである。

「どうだかなあ。難民がどう思っているかは分からねぇけど、こんな命令が出されたとあっちゃ、
こっち側=\―アルト≠フ人間は大人しくはしていられねえんじゃねえの?」
「ヒュー殿の申す通りでござるな。無意味に厳しい命令では
逆に人々の恐怖心を煽る結果になってもおかしくござらぬ。
下手をすれば大規模な暴動が起こるやもしれぬぞ。
殺される前に殺せ、などという感情に支配されないという可能性は否定できないことでござろう」
「……ワーズワースん時みたいになるかもしれんっちゅうこっちゃな……」

 幕府の追加命令はエンディニオン全土に新たな波紋を起こしている。
そして、それは攘夷の火が拡大していくことをも意味している。
 一同の各々が思いの丈を語り合う中、例によって例の如くとでも言うべきか、
アルフレッドは変わらない様子で黙っていた。

「アルちゃん、何をお考えになっておられるのですか? 先ほどの命令に面食らったとでも?」
「そんなわけは無いだろう。いや、ある意味ではそうなのかもしれないな。
こんな愚かな命令を発布するとは、墓穴を掘ったな」
「……なんだかアルちゃんたら嬉しそうにしていますわ。こんな時だというのに……」
「考えてもみろ。こういった力を背景とするやり方で統治しようということは、
あいつらがこのエンディニオンを押さえきれていないということの証左だ。
にもかかわらずこんな強引な方法で支配していこうとするのなら、
必ずそれに反作用するだけの抵抗があることだろう。
あいつらがやっているのは自分の首を絞めているようなものだ。
勝手に敵が転んだというのだから喜ばないでどうしようと言うんだ?」
「……アルちゃん……」
「思ったよりも早く好機が到来するかも知れないぞ。……思わず笑いが込み上げてくる」

 俯き加減に腕を組みながら一部始終を聞いていたアルフレッドは、
マリスの表情が曇ったことにも気付かず、悪魔のように口の端を歪め続けている。




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