9.黙れ、小童(こわっぱ)!


「……覇天組――か。これは少し厄介な筋運びになったな……」

 ジーク・ザルヴァートルに変身したクトニアを弾き飛ばしたルドルフは、
間合いを取りつつ自らが切り裂いた岩の上へと飛び乗った。
それはつまり、この場に居合わせた全員を見渡せる場所に陣取ったということである。
 ラーフラ以下、駆け付けた覇天組の隊士たちはこの行動から『敵』を見極め、
それぞれの得物を構え直していく。狙い定める相手は、言わずもがなルドルフであった。

「覇天組と申したな、今。されば、余計な自己紹介は要るまいの。
……お主は一体、何者じゃ? そこのクリッターもどきとチビ助は知らぬ顔じゃが、
漆黒(くろ)き装甲を纏いし子らは間違いなく我らの仲間。
覇天組と分かっておりながら攻撃したとあらば、それはワシらに対する宣戦布告と受け取るぞ?」

 副長と言う立場から皆を代表して所属と目的を問い質すラーフラに対し、
ルドルフは黙秘(ダンマリ)を決め込んでいる。
ノイ≠フエンディニオン全土に「最凶」の二字を以てして有名を轟かせる覇天組相手に
賢い選択肢とは言い難いが、副長の傍らより口を挟んできたアプサラスから
「覇天組をおちゃらけた集団などと甘く考えないほうがいい」と
恫喝されても何ひとつ語ろうとはしなかった。

「覇天組で副長を務めておるラーフラと申す者じゃ。……我が槍の向こうに立つ意味が分かるか? 
おヌシが何者かは知らぬが、場合によっては陽之元一国を敵に回すことになるじゃろう。
そのこと、確(しか)と肝に銘じておくがよい」
「そして、この場には覇天組が誇る監察方が何人も集っている。
ヌボコ、ドラシュトゥフ、この顔を記憶に刻み込んだな? 監察方の総力を以て追い立てるぞ」

 ラーフラが構えた十文字槍の穂先も、アプサラスが突き出した棒の先端も
真っ直ぐにルドルフへ向けられている。その意味が分からないほど彼は愚か者ではあるまい。
 例え、この場で返り討ちに遭おうとも口を割らないという覚悟を決めているのだろう。
一種の悲哀すら感じられる姿にシェインは目を細めるばかりだった。

(アレクサンダー大学って、そんなにおっかないトコロなのか? 普通の大学じゃないのかよ)

 ダイジロウやテッド、プロフェッサー、バイオグリーン――
アレクサンダー大学へ所属する四人とは一応、面識もあるシェインだが、
彼らのことを危険人物と呼ぶ者は殆どいないだろう。
せいぜいメタル化の戦闘能力に慄(おのの)くくらいではなかろうか。
 特にダイジロウやテッドは気さくで付き合い易く、
ニコラスたちと同じように「世界を隔てて友情を結んだ仲間」として親しく交流していたのである。
 少なくとも彼らはルドルフのように特命を腹に抱えたまま死ねるタイプとは思えなかった。
隠し事をしていないというよりも、隠し事を出来ないタイプであろうと思えたし、
離れ離れになった家族を想い、「世界を隔てて友情を結んだ仲間」を助け、
グドゥーの人々への恩義に報いようと力を尽くす心優しく善良な人々だったのだ。

「基地も何もかも、跡形もなく吹き飛んでいるようですが、
この辺りにはギルガメシュの一味が潜伏していたという情報もあります。
……あなたが副司令の放った刺客と言うことなら、ご同行願いましょう」

 ドラシュトゥフから飛ばされた詰問にはルドルフではなくクトニアのほうが
びくりと肩を揺すらせたようにシェインには見えた。
彼と共に立つ少年たちの目にも同じように映ったことだろう。
 遅れて駆け付けた人々からクリッターに間違われてしまったように、
今のクトニアは鋼鉄の装甲にて全身を固めている。バケツをひっくり返したような形状の鉄兜を
被っている――あるいはそのような形に変身しているのかも知れないが――為、
表情(かお)は一切見えないのだが、鉄の板によって遮られた向こう側の反応(リアクション)は
簡単に想像出来てしまうのだった。
 副司令ティソーンの盾を自称する誇り高い少年兵士であっても、
これだけの人数の覇天組隊士を相手にするのは、不利どころか、完全な自滅行為であろう。
ギルガメシュの副官と言う立場が露見すれば一巻の終わりと言うわけである。

「クトニアくん、大丈夫かなぁ」
「あなただって他人事じゃないでしょうに」
「――あうっ」

 何としても正体を悟られてはならないクトニアの身を案じるラドクリフの額を
ジャスティンが右の人差し指でもって軽く弾いた。
 所謂、デコぴん≠喰らったラドクリフとて、現在はギルガメシュの所属なのだ。
ドラシュトゥフ一人であれば、全員で説得して押し切れたかも知れないが、
副長まで居合わせてしまった以上、不倶戴天の敵とは無関係と誤魔化すことは困難だった。
 覇天組本隊の援軍が到着しなければ全滅していたかも知れない。
それは一つの事実であり、だからこそ、異変を知らせる策を何度も試みたのだが、
ルドルフを退けた後のことはまた別問題なのである。
 ラドクリフもクトニアも悪い人間ではなさそうで、ジャスティンとしても何とか助けてやりたい。
しかし、庇い過ぎればギルガメシュとの内通という濡れ衣を着せられるかも知れず、
そのような事態に発展しようものなら覇天組の屯所からは間違いなく放逐されるだろう。
それで済めば良いほうで、下手をすれば身柄を拘束されて
拷問のような取り調べを受けることにもなり兼ねなかった。

「……おい、コラ。マコシカのガキのことが覇天組(こいつら)にバレたらヤベェんじゃねーのか」
「ヤバいなんてもんじゃないって、わざわざ訊かなくたって分かるだろ。厭味かよ、バカオヤジ」
「スカタンが、人をちっちェいじめっ子みてーに言うんじゃねーよ。
何とかバレねぇように手ェ打ったほうが良いんじゃねーかっつってんだ」
「出来るならね。……でも――」
「――こいつは昔からのダチだっつってシラを切り通せ。
たまたま、ココで巡り会って話してるところで妙なことに巻き込まれたっつってな。
本当のコトではあるんだから、覇天組(こいつら)を騙したことにはならねぇだろ。
……何の理由で出くわしたのかは知らねーが、こうなった以上はそれしか手はねェよ」
「オヤジ……」

 事情を把握しているフツノミタマは覇天組の面々からラドクリフの所属先を欺く為の手立てを、
それとなくシェインに耳打ちしていく。
 ラドクリフ一人だけであったら、フツノミタマが考えた策で切り抜けられるだろう。
 そこで問題となるのがクトニアのほうだ。変身が解けた後にどのような姿に戻るのかは
想像も出来ないが、仮にカーキ色の軍服を身に着けたままであったなら、
事前にどのような策を立てても全て吹き飛んでしまうのである。

「……んー、そう上手く行くかなぁ、どうだろ……」
「あァん!? てめー、何か不満があんのかコラ。人が折角、無ェ知恵絞ってやってんのによォ!」
「いや、オヤジのアイディアはベストだと思うんだけど、ちょっと心配事が……」
「何だっつーんだよ! そーゆーもんは、オレにくらい言えや、コラッ!」

 クトニアまで救い得る手立てが思いつかないからこそ、曖昧な返事しかできない。
そんな自分がシェインは恨めしくて仕方なかった。
 ラーフラが鋭く十文字槍を振り抜いたのはその直後のことである。
空を裂く音が轟くや否や、槍の穂先も届かないほど離れた位置に立っているルドルフの足場――
大きな岩が粉々に砕け散ったのであった。

「……『外道貫通砲(げどうかんつうほう)』――副長の絶技だ」

 ヌボコの洩らした呟きから、シェインたちは目の前で起きた現象が
れっきとした『技』であることを悟った。槍の穂先より繰り出される衝撃波のみで
遠い場所の標的(まと)を穿つというわけである。
 しかも、金色(こんじき)に輝くプラーナの稲光を纏っているわけでもないのだ。
純粋な身体能力のみで神業をやってのけたラーフラは、
「次は本人を狙う」と言外に語るかのように、再びルドルフへと穂先を向けるのだった。
 次は威嚇ではない。本気で肉体を消滅させる――そう恫喝されたルドルフであるが、
猫の如く軽やかに着地したのち、「それは困るな。今の技は僕にも凌げそうにない」と、
冷静に自分の置かれた状況を分析し始めた。
 圧倒的に不利であることを認識した上で、それでも全く動揺しないのは、
己に課せられた特命の為に腹を括っているからだろう。
あるいは恐怖を感じないような訓練でも施されているのかも知れない。

「流石は覇天組副長だけある。サンプルとしては実に興味深いよ。
今の数値は他の実験では絶対に採取出来ないモノだったな」
「……ほう? 何やら面白いことを抜かすではないか。お主、どこぞの研究機関の手の物か? 
よもや、『アカデミー』などとは申すまいな?」
「……お喋りが過ぎたみたいだね」

 ラーフラとルドルフが意味深長な言葉を交わす一方で、
アプサラスは徐々に『敵』との間合いを詰めていく。
これに従うのはドラシュトゥフとヒロユキだ。三位一体攻撃で捕縛するつもりのようである。

「無理だけはしないよう言われているのでね。今日はこの辺でお暇(いとま)させていただくよ」
「――ざけてんじゃねぇぞ、てめぇ! 喧嘩売っといて逃げれると思うんじゃねぇッ!」

 ルドルフを囲んでいこうとする三人の連携を乱したのは、あろうことかフツノミタマであった。
包囲網へ割り込むよう三人に先駆け、『敵』と見なした青年目掛けて飛び掛かっていったのである。
 口には愛用のドス――『月明星稀(げつめいせいき)』の鞘を銜(くわ)え、
右手は既に柄(ツカ)へ引っ掛けている。電光石火の疾走から得意の抜刀術へ繋げようというわけだ。
 フツノミタマは、プラーナもホウライも体得していない。
しかし、『剣殺(けんさつ)千人斬り』などと言う物騒な異名を付けられるだけの経験と実績がある。
そして、鍛え抜かれた技がある。攻撃に転じてからの速度にはラーフラとアプサラスですら目を見張った。
 これが凡庸な相手であったなら、瞬時にして首を刎ね飛ばしていたに違いない。
ところが、だ。ルドルフは完全に人智を超越していた。メタル化と言う異能(ちから)すら、
彼に備わった秘密≠フ一端に過ぎなかったのである。

「直(じき)に再会しよう。僕だってキミたちを逃すつもりはない――」

 言うや、ルドルフの肉体(からだ)が明滅を伴いながら陽炎の如く揺らめき始めたのだ。
 何事かと反射的に足を止めてしまったアプサラスたちを尻目に、
構わず突っ込んでいくフツノミタマであったが、鉄拵えの鞘より白刃が抜き放たれる寸前で
ルドルフの肉体(からだ)は雲霞のように掻き消えてしまったのである。
 フツノミタマが繰り出したドスはルドルフの首があった場所を正確に捉えてはいたのだが、
既にこの場に実体が無い以上、如何に鋭い技であろうとも虚しく空を切るばかりだった。

「なぁ、今のって、もしかして……いや、ボクの見間違いじゃないよな!?」
「オイラだって目の錯覚かと思っちまったよ。ありゃあ、『ニルヴァーナ・スクリプト』だぜ! 
バブ・エルズポイントんときと同じモンだった!」
「私たちは大型の装置を使いましたけど、でも、今のは――単体での『ニルヴァーナ・スクリプト』……! 
あれはギルガメシュの専売特許ではなかったのですか……っ!?」

 今一歩で討ち漏らしたことに苛立ったフツノミタマが野獣さながらの唸り声を上げて地団駄を踏む一方、
シェインとジェイソン、ジャスティンの三人は互いの顔を見合わせている。
 彼らはルドルフ消失(ろすと)の寸前に確認された現象にハッキリと見憶えがあったのだ。
バブ・エルズポイント内に設置されていた『ニルヴァーナ・スクリプト』なる転送装置を使用した際、
これと同じ現象(こと)が発生したのである。

「シェインくんたちまで同じことを思ったってことは、やっぱりぼくの思い違いじゃないんだね……」
「ラドもオイラたちと同意見かよ!? んじゃ、いよいよ間違いね〜んだな……」

 ラドクリフもこちら側≠フエンディニオンへ渡る際に同様の装置を使用した様子だが、
彼の発言によって裏付けが取れたというわけだ。
 この場から離脱したルドルフが使用したのは、『ニルヴァーナ・スクリプト』と見て間違いなさそうだった。
ギルガメシュの基地に据え置かれているような大型装置ではなく、
単体(スタンドアローン)で転送を実行させたということは、
あるいは何らかの改良が施されているのかも知れないが、システムの根本はそう変えられないだろう。
 何やら神妙な面持ちで語る四人の様子を静かに見守っていたヌボコは、
「一体、何があったのじゃ」と副長のラーフラから報告を求められた。

「局長も心配しておったぞ。今は教皇庁の連中を押し止めておるわい。
巨大な火の玉に爆発音と立て続けに奇怪なことが起こったじゃろう? 
奴さんどもめ、ギルガメシュの襲撃ではないかと騒ぎ始めたのでな。
普段、居丈高に振る舞っておきながら突発的な出来事に取り乱し、
慌てふためく醜態(すがた)は眺めておる分には愉快じゃったがなァ」
「……俺たちを襲ってきたのはアレクサンダー大学の関係者である旨を仄めかしていました。
動機云々は掴み切れませんでしたが、シェインたちに請われて問い合わせた身元確認が
何らかの引き金になったものと思われます。向こうはそんなようなことも口にしておったので……」
「アレクサンダー大学じゃとォ? 何故、大学が……」
「……それから――」

 そこまでラーフラに説明した後(のち)、ヌボコは一度、ラドクリフのほうを仰いだ。
こうなった以上、ギルガメシュに所属している二人のことを話さないわけにはいかないのである。
 ヌボコの視線に気付いたラドクリフは覚悟を決めたように首を頷かせた。
彼もゼラール軍団の一員として、これまでに幾多の死地を潜り抜けてきた身である。
進退窮まったような状況で狼狽するほど芯が脆くはないのである。
 これに対してヌボコも無言で頷き返す。いざとなればシェインたちが彼を守ってくれるだろう。
無論、自分も可能な限りは擁護するつもりである。
 問題はやはりクトニアだった。ギルガメシュの副官であり、尚且つ副司令の側近と思しき彼の場合、
ラドクリフ以上に厳しい尋問を受けることになるだろう。師匠(アプサラス)の言葉ではないが、
陽之元にとって有益であれば、苛烈な拷問くらいはやってのける覚悟を
覇天組隊士たちは秘めているのである。
 副長(ラーフラ)を本気にさせたなら逆さ吊りくらいは簡単にやってのけるだろう。
普段は誰に対しても分け隔てなく優しく、どちらかと言えば穏健な局長(ナタク)とて、
鬼と化したなら何を仕出かすか分からない。荒くれ者揃いの覇天組を束ねるだけあって、
実は隊士たちの誰よりも恐ろしい男なのだ。

「……クトニア、お前は――」

 ラドクリフからクトニアへ目を転じた直後、ヌボコは言葉を失った。
視線の先では『ニルヴァーナ・スクリプト』に匹敵するような怪異が発生していたのだ。
 ジーク・ザルヴァートル――クリッターに見紛うばかりの鋼鉄のケンタウルスは、
装甲に継ぎ目から赤い光を発し、至る場所から蒸気まで噴き出し始めたのである。
その姿はまるで、オーバーヒートを起こして強制停止した機械のようにも見えた。

「し、しまった! もう活動限界(じかんぎれ)なのか! こ、このままでは変身が解け――」

 悲鳴にも似た声も蒸気の向こうに呑み込まれていく。
 蒸気そのものは数秒と経たない内に風によって拭われたのだが、
そこへ現れた人影――否、その出で立ちにシェインは片手で顔面を覆った。

「……ここでかよ……」

 変身のトラウムと言うものは使用者にとって最悪の状況ばかりを呼び寄せるのだろうか。
それとも、使用者の運気を代償にして変身を完了させているのだろうか。
 振り返ってみると、アルフレッドのグラウエンヘルツも同様だった。
あってはならないようなタイミングに限って、灰色の銀貨が変身を告げる合図を鳴り響かせたのだ。
肝心な戦闘中(とき)に元の姿へ戻ってしまうことも少なくなかった。
フツノミタマに至っては、先述の現象を目の当たりにして侮られていると勘違いしたくらいなのである。
 クトニアのジーク・ザルヴァートルも先例に漏れず、考えられる最悪の状況で変身が解けた次第である。
 ラーフラもアプサラスも、唖然と目を丸くしていたが、蒸気の向こう側にはクトニア本来の姿があった。
「本来」と言うからには、当然ながらカーキ色の軍服を身に纏っている。
その出で立ちをギルガメシュの人間ではないと見誤る間抜けなど、この場にはひとりとしていなかった。
 当のクトニアは覇天組に囲まれた状況の中で変身が解けてしまい、
あまつさえ軍服姿をさらすことになって流石に動揺している様子だった。
 何とも居た堪れないような面持ちで立ち尽くすばかりである。

「説明していただきますよ、ダウィットジアクさん。これがどう言うことなのか」
「何でそこでボクご指名なの!?」

 ドラシュトゥフから極寒の大地よりも冷たい眼差しをぶつけられたシェインは、
説明責任を問われて思わず仰け反るのだった。





 変身のトラウムと言うものは使用者にとって最悪の状況ばかりを呼び寄せるのだろうか。
それとも、使用者の運気を代償にして変身を完了させているのだろうか――
時空を隔てたアルト¢、のアルフレッドも弟分と同じことを、殆ど同じタイミングで考えていた。
我ながら間の悪さに嫌気が差した程である。

「懲りずにそんな禍々しい姿(ナリ)でやって来たと言うことは、
オレたちヴィクドに対する宣戦布告と見なして良いのだな」

 そのようにアルフレッドを難詰するのは『ヴィクド』の支配者――
アルカーク・マスターソンその人であった。
 現在(いま)、アルフレッドとアルカークが対峙しているのは佐志でもヴィクドでもない。
人目に付かず、又、ギルガメシュにさえ発見されていない別荘地の庭園にベンチとテーブルを設置し、
互いに数名の同行者と連れ立った構図で向かい合っているのだ。
 ギルガメシュの奇襲を受けてルナゲイトから落ち延びたアルフレッドたちが
潜伏先として使っていた場所(セント・カノン)だ。
ルナゲイト家が所有する別荘地の一角を借り切って会談の場を設けた次第である。
マユ本人は同行していないが、敷地内に所在する施設は全て自由に使って良いと許可も得ていた。
 無論、アルフレッドは保養の為に別荘地へ入ったわけではない。
懇意にしているディオファントスを通じて彼の兄――アルカークを呼び寄せ、
更にはマイク・ワイアットをも仲介人に立てている。
 秘密裏の招集ではあるものの、これは正式な討論の場であった。
 ところが、会談へ臨む直前で灰色の銀貨が鳴り始め、
アルフレッドは『グラウエンヘルツ』へと変身してしまった次第である。
話し合いには全くそぐわない魔人の姿に、だ。これでは戦闘態勢と見なされても文句は言えまい。
 好戦的なアルカークでなくともヴィクドに対する威圧されていると受け取るだろう。
それが証拠に彼と共にやって来た二人の息子や数人の傭兵たちは一斉にアルフレッドを批難し始め、
同席しているマイクやディオファントスが取り成さなければ、
今頃は乱闘騒ぎにまで発展していたかも知れない。
 何しろ、アルカークとの話し合いの場にグラウエンヘルツが登場するのはこれで二度目なのだ。
ハンガイ・オルスでも魔人の姿を晒し、悶着の火種となっていた。
 急拵えのソファに腰掛け、さも不機嫌そうにふんぞり返ったアルカークは、
横目でマイクを睨みつけると、早々に本題へ入るよう高圧的な態度で命じた。
遠路遥々、呼び付けられたことにも立腹していると態度でもって示しているのだった。
 最初から喧嘩腰のアルカークに対してアルフレッドも憤懣は覚えているのだが、
ここまで場の空気を悪くしたのは自分自身と後ろめたい気持ちもあり、
喉から出掛かる皮肉を先程より幾度も幾度も飲み下している。
 常日頃から敵視しているアルカークと言い争いにならないよう堪えているのは、
自分自身の罪悪感以上に傍らに控えているメシエに無謀な真似をさせない為であった。
 彼の仲間――チャイルドギャングは、アルカークが裏で糸を引いていると噂される攘夷派によって
虐殺の憂き目に遭っている。獰猛な傭兵を率いるこの男が直接的に手を下したわけではなく、
中間にはフェイ・ブランドール・カスケイドも介入しているようだが、
禍根を突き詰めていくと彼こそが真の仇(カタキ)になるのだ。
 普段、やたらと多弁で大言壮語ばかりを吐きたがるメシエが、
アルカークと同じ空間に入った瞬間から押し黙ったままなのである。
あるいは左手に携えた『大倶利羅廣光(おおくりからひろみつ)』の陣太刀を抜き放つ好機を
虎視眈々と窺っているのかも知れない。
 自分がアルカークとの口論に及べば、これを口実としてメシエは間違いなく鞘を払うはずだ。
真隣に腰掛けて彼のことを気遣うマリスにも引き留めることは難しかろう。
 さんざんにノイ≠フエンディニオンを荒らし回った独眼竜だが、
現在(いま)は佐志の一員として列席している。
そのような人間がアルカークに剣尖を向けようものなら、
たちまち佐志とヴィクドによる全面戦争が勃発することだろう。
反ギルガメシュの同志と言う建前はあれども、両者は激しい敵意を向け合ってきたのである。
 議論の始まりとしてマイクはヴィクドが緬とプールの軍勢を全滅せしめたことに言及した。
今やその事実はアルト¢S土に拡がっており、
同席しているアルカークの三男――アルフォンスに至っては、
「我らの力を見せつけてやったのだ! ヴィクドここにありと示してやったのよ!」などと
豪快に――むしろ、太々しいまでに――自慢している。
 武力こそ生きる手段としている傭兵部隊にとって、
二ヵ国の軍勢を一気に攻め滅ぼしたことは比類なき武功なのであろう。
ヴィクドやアルカークを毛嫌いしているアルフレッドと雖も、
これを頭ごなしに否定するつもりはない。将兵とは戦ってこそ生きる¢カ在なのだ。

「まさか、侵略者を迎え撃ったことを糾弾する為、このような場にオレを引き摺り出したのではあるまいな? 
……何が悪いと言うのだッ! おふざけも大概にせいッ! 
緬とやらもプールとやらも、我らが母なるエンディニオンを蚕食しておったのだぞ!? 
地上が食い物にされているところを指を咥えて眺めていろと言うのか、貴様らはッ!?」

 最初(のっけ)からフルスロットルと言った勢いで捲くし立ててくるアルカークに対して、
冒険王マイクは呆れた調子で肩を竦めた。

「――だとさ、アル。お前の言い分はどうだ? 何か言っておかねぇと大変だぜ」
「いや、今のはマスターソンにも一理はある。……一理≠セけはな」
「フン――相変わらず勿体付けたような言い回しが癪に障る小僧だッ!」
「侵略者を撃退するのは結構だ。俺にだって反対する理由はない。
……しかし、テムグ・テングリの領地をどさくさに紛れて乗っ取るのは如何なものだろうな。
敵税を追い払った後にもお前たちヴィクドは居座り続け、実効支配しているのは明白な事実」
「害虫≠ノ占拠された結果、著しく治安が乱れておるのだ! 
情勢が落ち着くまでヴィクドの傭兵が守ってやっている。ただそれだけのことだが!?」
「それはヴィクドの一方的な言い分だ。テムグ・テングリ群狼領からすれば、
領地を掠め取られたようなもの。……仮にも同志だろう、テムグ・テングリとヴィクドは。
今は身内同士で争っている場合じゃない。幕府の策で連携が分断された今こそ、
二強の足並みを揃えて行かなくては――」
「――黙れ、小童(こわっぱ)ァッ! エルンストの飼い犬風情が大きな口を叩くなッ! 
テムグ・テングリから感謝こそされども、非難される謂れなど何ひとつないわぁッ!」

 外交問題に抵触する事柄だけ慎重に言葉を選びながら論じようとするアルフレッドだったが、
早速、頭に血が上っている様子のアルカークは、
「こんな話し合いは時間の無駄」とばかりに鉤爪でもってテーブルを叩き始めた。

「ええい、鬱陶しい――本題に入れと言った筈だぞ、小童ッ!
 拳闘(ボクシング)のジャブのように回りくどく小賢しい真似はするな! 
……貴様は難民にまで危害が及ぶことを問題にしたいだけだろう!? 
ヴィクドの軍事行動が攘夷派を刺激すると言って、オレたちを攻撃したいだけだろうがッ!」

 さしものアルフレッドもこの発言には「むっ」と唸ってしまった。
 アルカークは自分が呼び出された理由は正確に読み抜いていた。
彼には討論の内容を一切、伝えていなかったのだ。ディオファントスにさえ曖昧なことしか話していない。
それにも関わらず、緬とプールの討滅が難民へどのような影響を及ぼすか、
この点まで見通していたのである。理論の通じない暴れ馬には先ず不可能なことであった。
 それはつまり、荒くれ者の傭兵部隊を斬り従えるだけの武勇のみならず、
領地を運営する立場として欠かせない理知や教養を兼ね備えている証左に他ならないのだ。
 だからこそ、アルフレッドは「お前たちの振る舞いが罪のない人間にまで害を与えるのだ」と
詰問せずにはいられなかった。
 難民への悪影響を把握していながら暴挙に出たことは徹底的に追及し、
二度と同志の輪を乱すような振る舞いに出ないよう楔を打ち込んでおかなくてはならなかったのだ。

「それこそ幕府とやらが取り締まれば良いだろうがッ! それが奴らの使命ではなかったかぁッ!? 
オレは侵略軍を打ち払ったまでのこと! 難民保護など我がヴィクドが負うべきことではないわァッ!」

 憤然とアルカークが言い放った瞬間、アルフレッドの背後でメシエの殺意が大きく膨らんだ。
続けて聞こえてきたのは鍔鳴り――ついに独眼竜が抜刀の構えに移ったようである。
 慌てて後方を振り返り、場合によってはメシエを締め上げる決意まで固めるアルフレッドだったが、
視線の先ではマリスが思わぬ奇策で独眼竜を押さえ込んでいた。

「ばっ、何しや……あっ、やっけぇ――って、ちげっ、おい、この……こいつ……ッ!」

 人並み以上に豊満な胸の谷間にメシエの顔を埋め、物理的に黙らせていたのである。
ある意味に於いてはマリスにしか講じられない秘策と言えるだろう。
頭部を完全に抱え込まれた格好のメシエは『大倶利羅廣光』をも放り出して硬直していた。
微かに覗ける耳たぶは、林檎よりも真っ赤に染まっていた。
 当然ながら殺意は萎んでいる。ここから再び『大倶利羅廣光』を握り締める気力が
湧き起こるかも疑わしかった。全く危険が去ったわけではないものの、
一先ずメシエのことはマリスに任せておいて問題ないようだ。
 アルフレッドの隣に座っているジャーメインはマリスの奇策へ感心したように首を頷かせ、
次いで自分の胸へと視線を落とし、何とも複雑そうな溜め息を吐いていた。

「……アルもさ、やっぱしもっと大きいほうが好みだったりする……?」
「煩い、黙れ」

 世にも馬鹿げた質問を一瞬で切り捨てたアルフレッドは再びアルカークに向き直った。
 そのアルカークもメシエの様子を興味深そうに眺めていたが、
在野の軍師と視線が交わった瞬間、この上なく厭味な表情(かお)に切り替えた。

「そもそも、治安問題で貴様から説教される筋合いはないぞ、小童。
貴様の仕出かしたことを振り返ってみろ」
「……どう言うことだ?」
「とぼけるな。貴様ら、スカッド・フリーダムとの抗争に及んだそうだな。
しかも、天下に名高い冒険王のお膝元で。見事な大勝だったそうじゃないか。
そのことはオレたちの耳にだって届いているぞ」

 アルカークが持ち出したのは、スカッド・フリーダムの戦闘隊長が在野の軍師に差し向けた討手の話――
想い出すだけでも胸糞の悪くなる理不尽極まりない事件であった。

「世界秩序の守り人を気取る連中と真っ向からぶつかり合うとは、なかなか思い切った真似をするものだ。
偽善者のメンツが潰れたのは、我らにとっては痛快だが、果たして世間はどう見るだろうな」
「くっ……」

 アルカークの指摘に心を抉られたアルフレッドは、全く答えに窮してしまった。 
 彼の言う通りではないか。内部に抱えた諸問題はともかくとして、
スカッド・フリーダムが世間的に『力弱き人々の護民官』と言うことに変わりはない。
アルフレッド自身、最初の内は混乱に乗じるアウトローへの抑止力として期待していたくらいなのだ。
 理不尽な暗殺計画を返り討ちにしただけではあるものの、
アルフレッドたちはスカッド・フリーダムが誇る名門――バロッサ家の姉妹ばかりか、
七導虎を二人まで撃退してしまった。
 最高幹部を次から次へと退けられたスカッド・フリーダムは、
アルカークが言うように面子を潰されたようなものであろう。
 それはつまり、スカッド・フリーダムの権威と存在意義を貶めたことにも等しいのである。

「オレと貴様のどちらが世界の秩序とやらに悪影響を与えている? 小利口な貴様には解るだろう?」
「……影響力の高さなど競っている場合か。二人揃って悪手≠打った――それだけのことだ……」

 形勢逆転と言った面持ちでせせら笑うアルカークがアルフレッドには憎らしくて仕方がなかった。




←BACK     NEXT→
本編トップへ戻る