11.佐志からアンヤリーニーへ


 幕府の発表によってエンディニオン各地にどよめきが起こっていた頃――
ブクブ・カキシュ内に所在するシチュエーションルームから出てきたグラムは、
まんじりとしない表情で廊下に佇んでいた。
 他の人間と同じように額に手を当てて何事かを考えていたが、
いまだに結論が出ずに、彼の手には固い感触だけが残った。
仮面を外してあらわになった素肌に触れていたにもかかわらず、だ。
 無論、頭を使いすぎてカチカチになった、などという比喩表現がそのまま現実に具体化したわけではなく、
彼の人工物の部分にそれの所以があるのだが、そんな事はどうでも良い。
 とにかく、グラムは悩ましかった。

「どうしたのかにゃ、体のどこかが調子悪いにょ? メンテナンスにでも不備があったかにゃあ?」
「そんな事は無いさ。マーマのメンテナンスはいつだって完璧。
第一に半死半生の俺をここまで修復できたマーマがメンテでしくじるなんてあるはずが無いだろう?」
「だからわたしはあにゃたにょおっ母しゃんじゃにゃいというにょに。
もう……じゃあにゃにが理由?」
「なあ、マーマ。あんなやり方でいいのか? 
ああまで強権的だと逆に反発食らってもおかしくないだろう?」

 グラムを悩ませていたのは、先ほど幕府が発した難民保護の『命令』である。
 発布される前、当然にこれはギルガメシュ上層部で議題に上がった事である。
カレドヴールフに問題解決の手段を尋ねられたアゾットが
アサイミーから上げられていた意見を代弁し、それが通って現在に至るというわけだ。

「しょんにゃに気ににゃるんだったら会議の時に言えば良かったじゃにゃいにょさ。
終わったことを今更あれこれ言ってももう遅いんだにょ」
「何せ俺は現場の人間だからなあ。ああいった事はアゾットとかそういうことが
専門の連中に任せるってのが俺のスタンスなんだ。
……と言っても任せっきりというのもそれはそれで違うと思うし言いたい事もあるんだが、
このやり方には疑問があるからっていっても他にあげられるような代案があるわけでもなし。
悠長に構える時間が無く、さっさと方針を決めなきゃなんねえっていうこっちの事情は
当然痛いほど分かっているしな。それに、一番上がこれでいこうと決定したからには
俺が口を挟むのもどうかって思うわけさ」

 確かにグラムの言う通り、最高権力者であるカレドヴールフがこの命令を是とした以上、
それを覆そうとするほどに彼は組織のまとまりを欠こうというような気にはなれない。
ボルシュグラーブやアサイミー程では無いにせよ、彼も上下関係というものを大事にしている。
だからこそ、上の人間の命令というものが的確でなければならないという考えも持っている。
 それ故に今回のこの命令には一層思うところがあるのだ。
幕府の発した強権的な、独善的な命令を素直に受け入れて賛成できるほど、
グラムは組織に思考を依存しているわけでもない。
組織と自身の感情の板ばさみとなって思い悩んでいるのだった。

「それでも、この混乱を収めるにはこういう荒っぽいやり方も必要なんじゃないでしょうか」
「なんだ、お前さんもここにいたのか。今になって姿を現すとは、いわゆる盗み聞きってやつか? 
趣味が悪いな。俺はそんな風にお前さんを育てた覚えはないんだがなあ」
「え……あ、そんな事は無いですって。たまたまこの廊下を通っていたら、
たまたまグラムさんがいるこの場に居合わせただけで。そんな盗み聞きだなんて……」
「冗談だよ、冗談。一々真面目に反応するなっての。逆にこっちが戸惑うわ」

 グラムとコールタンの会話に入り込んできたボルシュグラーブは、
今回のこの命令に対しては賛成の立場を採っていた。
会議中何やら難しい顔をしていたグラムが気にはなっていたのだが、
偶然彼と出くわした事で彼の悩みを耳にし、それを何とか解消しようと近付いてきたのであった。

「本当にこういうやり方が必要だと思うか?」

 冗談を飛ばしていた時のくだけた表情から一転して真顔に戻ったグラムは、
ボルシュグラーブに彼の真意を尋ねる。

「いや…… 本当にこれが正しい事なのかと聞かれたならば自分としても考えるところがありますけど、
でも必要かどうかというのならやっぱり必要なのかと」
「そうか?」
「これは友人から教えてもらった言葉なんですけど……、
『改革、革新、進歩は血と鉄によって成される』だったかな、とにかく時にはこういった血を流すような事、
厳しい事を選択しなければならないという場合もあるんじゃないでしょうか? 
そして、今回はその時だと。確かにこっち≠フ人たちからの反対、反発はあるかもしれませんけど、
難民のためには必要な措置になるもかもしれませんし、今はこうやって混乱が起きていますけど、
それも後々の安寧のためには止むを得ない事ではないでしょうか?」

 ボルシュグラーブはアルフレッドと再会した折に彼から聞いていた言葉を思い出し、
今回の決定に正当性を持たせてグラムを納得させようとしてみせた。
ボルシュグラーブ自身はこれがアルフレッドがギルガメシュを内部から撹乱しようと目論んだ罠だとは
知る由もなく、ただただ友人の「善意」を受けての二心無き意見として彼の言葉を引用したのだ。

「その言葉を全部否定する気も俺には無いが、しかし血を流すにしたって量というものがあるだろう? 
少量の血で済めばいいだろうが、もしこの世界が沈んじまうくらいの血が流れたとしたらどうする? 
誰もいなくなればそれはそれで一つの平和の形だろうけど、
俺たちが目指すのはそういう破滅的な未来じゃないだろう? 
もっと温和な方法で融和できればそれに越した事はないと思わないか?」

 逆にグラムはその言葉を用いて共存というやり方をボルシュグラーブに諭したのだった。

「しかし、自分たちは反抗勢力を打ち破ってまでこちら≠フエンディニオンに覇を唱えたんですよ。
そのような状況で宥和政策が有効とは思えません。勿論、話し合いで上手くいけば、
それに越したことはありませんが……」
「さぁなぁ……」
「そんな頼りない事を! グラムさんっ!」
「ニブチンにょ。グラムが言いたいのは話し合い以外で上手くやっていく方法があるかもって事にゃにょしゃ」
「さっすがマーマだ。俺の言いたいことが分かっている」
「じゃあ、一体どんな方法で……」
「お前さんは生真面目なのはいいけれど、物事を急ぎすぎるのが玉に瑕だな。
もう少しゆっくりしたっていいじゃないか」

 そう言うとグラムは自分の手を見つめた。

(戦うことで分かり合えるってのは、いささかにセンチメンタル過ぎるか……)

 かつて熱砂の合戦――両帝会戦の最中で感じ取ったエルンストの剛剣の感触を思い出したグラムは、
首を傾げるボルシュグラーブの視線を感じながら口元に笑みを浮かべていた。





 幕府の政策は誰しもが納得のいくものではなかった。特に難民を受け入れる側にはなおさらである。
 とはいえ、幕府の政策に表立って反対するものは無く、実行に向けて着々と話は進んでいった。
 守孝が首長たる佐志もその例外となることない。幕府の役人から通達があり、
その数日後には早々と難民の移住が始まった。

「どうしたい? そんな難しい顔をしてよ?」
「ヒュー殿でござるか。本日にも難民の方々がこちらに到着するということでござるのでな。
少々落ち着かないのでござるよ」
「落ちつかねえって、そんな何か厄介事でも起こるってわけじゃないだろう」
「何事か起こるとは思わぬのだが、難民たちの居所や食料を確保し、
彼らを困窮させる事が無いようにせねばならぬ。
……しかし、ご存知の通りこちらの台所事情も厳しいもので、
それを理解していただけるような者であれば、こちらとしても楽に事が進むのでござるが」
「ああ、……そいつは――確かにな」

 ヒューたちピンカートン家も佐志に疎開している身であり、守孝の言葉を重く受け止めている。
 マコシカの民のみならず、グリーニャやシェルクザールなど佐志には多くの移住者が暮らしている。
先に受け入れた人々の為に佐志は相当な負担が掛けられているのだ。
この上、更に難民まで世話するようになっては、いよいよ経済的に破綻するかも知れないのである。

「変な奴が来たら困るわな。でもよ、きれいなおネエちゃんがたくさんやって来る可能性だってあるだろ? 
そうだとしたら儲けもんだぜ」
「またそんな品の無い冗談を言うんだな、ピンカートンは……」

 法律面で難民たちをサポートし、佐志の人々との融和を円滑化するつもりのヴィンセントも守孝の隣に立ち、
おどけた調子のヒューを窘めた。場違いな冗談と思ったわけだ。

「なんだ、良いじゃねえか。なんつーか、停滞しがちな重い空気をほぐそうとしてだな――」

 平常の中に非日常がやってくるという状況の中、いつもと変わらないやり取りが行なわれていた。
 そして、そんな中で港で警護に当たっていた者たちから難民到着の連絡が入ったのだ。

 到着した難民は総勢で二十と数人といったところであろうか。
港に駆け付けた守孝たちは、大勢が大挙するという予想が外れて拍子抜けしたような思いだった。

「思っていたよりも少のうござるな」
「以前はもっと大人数だったのかもしれないが、こういう時世だ。数が減ったとしてもおかしくはないだろう」

 先に港に到着していたアルフレッドは、移送用の船から降りてくる難民たちを見据えながら
「数が減った」と言い捨てた。
 そこにはギルガメシュの無責任な行動のせいで犠牲者が積み重なったという侮辱の念が滲んでいる。
この場にメシエが居たら「さすがは先生、算数≠烽ィ得意だ」などと
皮肉の一つも飛ばしたことであろうが、先ほどの呟きの中には攘夷派のことも含まれているのだ。
 難民を虐げる過激思想を毅然と取り締まることさえできずにいるギルガメシュを、
アルフレッドは威張り腐った無能者と蔑んでいるわけであった。

(……メイがいなくて良かったな。今の台詞はとてもじゃないが聞かせられないところだ……)

 自分の失言に気付いたアルフレッドは、隣にジャーメインがいなくて幸いだったと胸を撫で下ろした。
正義漢が強い彼女のこと、メシエ以上に怒りを炸裂させていただろう。
 機嫌を損ねると何かと大変なのである。下手をするとフラストレーションの発散≠ノも
付き合ってもらえなくなるだろう。アルフレッドにとっては、それが一番困るわけだ。

(まあ、どうしようもなくなったときには強引に押し――)

 自分の思考がどんどんと不埒な方向に転がっていることをも自覚したアルフレッドは、
勢いよく頭(かぶり)を振ることで邪念の払拭を試みるのだった。

「だろうなあ。見ての通り奴さんたちはどいつもこいつも疲れ果てたような顔をしてやがる。
言葉にはできないような目に遭ってきたっていうのが一番正解に近いところなんだろうよ」

 アルフレッドの失言を受ける恰好となったヒューが言う通り、
佐志に来た難民たちは他の人々と同様に艱難辛苦を味わったことは間違いないだろう。
彼らの様子からもその苦労の軌跡が見て取れる。
 そのような一団の中から一人の女性が姿を現した。どうやらこの難民団体の代表者らしく、
身なりこそくたびれてはいるものの、堂々たる姿で守孝へと歩み寄ってきた。

「ほれ見ろ、言ったとおりきれいなおネエちゃんがいたじゃねえか」
「人に向かっておネエちゃんとは失礼ですね。私にはれっきとしたリジー・フラハティという名前があります」

 リジーと名乗った女性はヒューの無粋な言葉をぴしゃりと切り捨てた。

「貴殿が難民の長でござるか? それがしはこの佐志の代表を務めさせていただいている少弐守孝と申す」
「……佐志(さし)? ここはアンヤリーニーではないのですか?」

 リジーの言う通り、今まであったエンディニオンの統治体制を幕府は廃し、
その後に新しい名前が各地に強制的に命名されていたのである。
 だが、当然のように長年慣れ親しんできた地名を現地の人間がそう簡単に変更するわけも無かった。
佐志の民も同じように旧来の名をずっと名乗っていたのである。

「確かに仰る通り、この地は幕府によってアンヤリーニーという名に変更されたのでござるが、
幕府が何と言ってもここは先祖伝来の土地の佐志でござる」
「そちらにも事情がおありでしょうが、私たちからしてみたら同じ場所に異なる地名があるのは何かと不都合。
ですので、これからはあなたたちもアンヤリーニー県と名乗っていただきたいのです」
「そ、そのように仰られても今になって村の名を変更するわけにもいかぬ。
申し訳ないがこちらは今までと同様の名で通させていただく」
「老婆心ながら申し上げますが、あなたの個人的な満足ではそれで良いとしても、
幕府にこの事が知れたらまた何か一悶着がありましょう。
私たちだけでなく、アンヤリーニー全体の安全の為にもここは幕府から与えられた名を名乗るべきでは?」
「ぬ、ぬうう……仰せの向きは分かるのでござるが……」

 どうやら、この女性は相当な論客であるようだ。
保護を受ける立場でありながら初対面の守孝相手にもズバズバと物を言っていくのである。
 しかも、口から飛び出す言葉の全てが正論である為、守孝としても反駁が難しく、
すっかりたじたじとなってしまった。

「向こうの言う通りにしておけば良い。名前一つに――と言うのもお前たちからしてみれば
聞き捨てならないことかもしれないが、名が変わっても実質的には何も変わらないだろう。
今は幕府に従っているように見せるためにも、対外的にだけでもその名前にしておく方が都合がいいだろうな」
「一度、発布された法令(もの)は従っておくほうが良い。それが不当なものであるとしても、
無駄に逆らえば自分たちが正義を名乗ろうというときに『あいつらは法を軽んじている』と
不名誉なレッテルを貼られてしまうぞ」
「あ、アルフレッド殿とヴィンセント殿がそう仰せなのであれば……」

 アルフレッドとヴィンセントの耳打ちで一先ずは名称に関しての議論は止む事になった――が、
それだけでは代表者同士の衝突は終わらない。
 そして、これこそが『アルト』の現状なのだ。
 幕府によって保護されるべき存在となった難民と、
それを受け入れざるを得なくなったエンディニオン側の人々との間に起こった軋轢は、
何も佐志に限られた話では無い。世界の各地でこのような衝突が起こっているわけだ。
これは類例の一つでしかない。
 武力衝突というものはギルガメシュによって鎮圧されたのだが、
残っている問題は未だに山積みである事だけは確かなのであった。
 リジーは世界中で巻き起こっている『問題』を体現していると言っても差し支えがないのだ。

「それで私たちの住む場所ですが、先に地図で確認したところ、
この村の半分ほどは住居も無く、また農耕地やその他の目的のために供されていない土地であるようですね。
でしたら、その遊んでいる部分を私たち難民のための土地として利用させていただきましょうか」
「は、半分と申されるか? 見ての通りそちらは三十人足らずの小所帯。
その程度の人数のためにそこまで土地を割く事はできぬ。人口比というものもお考え願いたい」
「なぜですか? 今後その土地に建物でも建築する予定でもありますか? 
農耕地や牧場にでもするというのですか? それとも他に何か利用するべき理由があるのですか? 
満足する回答をお聞かせいただきましょうか」
「何かに使うという予定は今のところはござらぬが、あの土地は我ら村の者の、いわば共同の財産でござる。
であるからしてそれがしの一存で決定する事は不可能でござる」
「村人たちの話し合いで私たちにお譲りいただく事を決定すれば良いだけのことでは? 
しかし、私たちがこちらに参るというのは既に連絡済みでしょう? 
それなのに何故何も決めないでこの問題を放置したままでいたのですか? 
代表者として責任を全うしているとはとても言い兼ねますね」
「そちらこそ、我らの事情も察して頂きたいもの。『難民を受け入れろ』と幕府から下知があったとしても、
そう易々と納得できる者たちばかりではござらぬ。大事な問題ゆえに時間をかけて協議し、
そちら側に貸与するべき土地を決定してござ候。そちらが一方的にそこをよこせと言われても無理な話」

 言うや守孝は佐志の地図を取り出し、決定された難民へ貸す土地を区画して記した。
 だが、それを見てもリジーは納得しようとしない。明らかに不当な扱いをしているというわけではない。
守孝が提示した難民へ貸与するべき土地は数件の家屋とその周辺の土地であった。
二十人余りであるリジーたち難民集団にとってはそれでも十分といえるものであったが、
それでも彼女は首を縦に振ろうとしないのだ。

「これはなんでしょうか? 我々をそのような場所に押し込めようだなんていう理由を
お聞かせ願いましょうか」
「いや、そのようなも何も……人数と割り当てられた土地区画の広さ、
その比率からすればこの佐志、いや、そちらにとってはアンヤリーニーでござったな――
ともかく、この村にいる者たちとほぼ同程度の土地を有している計算になり申す」
「そのような事を聞いているのではございません。
私たちに割り振られた場所は村の外れもよいところではございませんか。
我々を除け者扱いしようとする真意が見え隠れしているようにしか思えません。
これで納得しろだなんて言う方がどうかしているのではありませんか?」
「贅沢な注文でござるな……」
「我々としても拠り所となる土地の方々に過剰な負担を強いようと思っているわけではありません。
……ただ我々の希望になるべく沿った決定を求めているだけなのです。
そちら側だけの思惑で事項を一方的に押し付けているだけでは、
こちら側の反発を招いてしまっても仕方ありません」
「そう仰られてもでござるな……」
「そこら辺を何とかしていただくのが村長たるべきあなたの役目です。
幕府の権威を笠に着るわけではありませんが、そのような命令が下された以上は
ふたつのエンディニオンで共存していくべき道理というものがあります。
それを無碍にしようというのならば、幕府の下命に反するということに変わりないではありませんか。
我々と共に生きるか、難民を拒否して幕府に制裁されるかの二つしかないということを肝に銘じてください」
「言いたいことを遠慮なく仰る女性(にょしょう)でござるな。いやはや……」
「今の言葉は聞き捨てなりませんね。女性が言いたい事を言って何が悪いというのですか? 
もしかしてあれですか、全て決まり事は男性が行ない、
女性はその決定に対して唯々諾々と従っていれば良いとそのように言いたいのですか? 
余りにも時代錯誤な考え方っ」
「いや、別段そのような他意は――」
「無論、保守的である事が万事悪い事であると言う気はこちらとしても毛頭ございませんが、
しかし、返るべき物を受け入れようとせずに、
そこにひたすらしがみ付いているだけの誤った保守思想というのはいかがなものでありましょう。
物事の変化に対応できないようなリーダーはいかがなものかと思いますが」

 難民と受け入れ側の村人との間の協定の話はどこへ行ったのか。
守孝の発した何気ない一言でリジーの弁舌はあらぬ方向へと加速していった。
 何とか宥めようと、また自分の意にそぐわない意見には反論しようと守孝は試みてはみたものの、
彼が何かしらの言葉を発するよりも先に彼女の矢継ぎ早なしゃべりは留まることなく、
守孝は守勢に回って彼女の言葉を受けきるのが精一杯であった。

「アルフレッド殿、何か――」

 何とかこの事態を収めようと守孝は口が達者なアルフレッドに意見を求めて、
解決に向けての糸口を見つけ出そうとした――が、肝心のアルフレッドの姿はいつの間にやら消えていた。
同行していたはずのヴィンセントまで連れて、別の場所に移動してしまったようだ。
 それならば代わりにヒューに――と守孝は考えたのだが、彼もまた肩を竦めるばかりだ。

(きれいなおネエちゃんがやって来たのは良いんだけど、ちょいとこれは気が強すぎるってもんだ。
カミさんだけでそういうのは十分……とか言ったらまた凄げえ勢いで捲くし立てられちまうんだろうな。
面倒な事になる前にお邪魔するか。触らぬ神になんとやらってやつだ)

 我関せずという態度で、厄介事に関わるのはごめんだとばかりにそそくさと論議の場から立ち去ろうとした。
 おそらく取り残されることになった守孝は一人でリジーの猛攻を受ける羽目になるだろう。

「――お待ちください」

 愛想笑いだけ守孝に返しながら足を反対方向に向けようとした矢先、
ヒューはリジーその人から呼び止められてしまった。
 「きれいなおネエちゃん」などと不埒なことを考えていたと見透かされたと思い、
肩をびくりと上下させたヒューは、しかし、リジーの面持ちに首を傾げた。
 彼女は訝るような眼差しをぶつけてくるのだ。そのような目で見られる理由がヒューには思い浮かばない。

「……先ほどから気になっていたのですが、あなたのお名前は?」
「俺っち? 何だよ、何だよ? もしかして、ナンパかい?」
「ヒュー・クローウン少佐ではありませんか? メルカヴァ潜水艇部隊の――」
「はァッ!?」

 まじまじとヒューの顔を見つめた後、リジーはヒューに対して信じられないことを尋ねた。
それは記憶喪失という彼の出自を解き明かす手掛かりと思しき言葉である。
『クローウン』というファミリーネームこそ聞き慣れなかったが、
自己紹介もしていないヒューのファーストネームをずばり言い当てたのだ。
 リジーが人の心を読み抜く超能力者(エスパー)でないのなら、
ヒューという名前を口にすることは先ず有り得ないのである。
 ヒューの出自を知っていればこそ彼女はファーストネームを的中させられたのだ。
そうとしか言いようがない。

「おネエちゃんは、一体……」
「私もメルカヴァでは政府の報道官を務めておりまして、軍の情報に接する機会も多かったのです。
少佐と潜水艇部隊のことは、その、……有名でございましたので……」

 ヒュー自身はリジーの言っている意味が理解できず――否、余りの衝撃で思考が完全に止まってしまい、
守孝と顔を見合わせつつ呆然と固まり続けるのだった。
 潜水艇に搭乗していたことまでリジーは――メルカヴァの報道官とやらは言い当てたのである。
失われた記憶の手掛かりが不意に現れたと言うのに、これで混乱するなと強いるほうが無理からぬ話であろう。


 一方、守孝やヒューを放置する形となったアルフレッドとヴィンセントは、
幕府から派遣されてきた一団に対応している最中であった。
 難民たちと共に佐志までやって来ていた彼らは、その道中の護衛という名目でその場にいたわけである。
一応はリジーを始めとする難民二十余人の難民は無事に佐志まで到着したわけであるが、
それだけで彼らの仕事が終わりというわけではないようであった。
 適切な受け入れが出来ているか、幕府の意に反するような不当な扱いを難民に対して行なっていないか。
様々な査察も目的であり、それが問題無しと認められてようやく手続きが終了するといった具合なのだ。
 彼らの対応は補佐役の源八郎が引き受けている。前述の通りの守孝とリジーは論争を繰り広げている為、
難民の受け入れが完了したとは認められることなく、派遣使節もまた佐志に留まらざるを得なかったわけだ。
 対峙した二人の様子から察するに、当分はこちらに顔を出す事ができないだろう。
源八郎が幕府の者と手続きを行うことになっていたのは、ある意味では僥倖といえよう。
 そして、アルフレッドとヴィンセントの合流は源八郎にとっても心強いものであった。
二人とも佐志きっての知恵者であり、論客なのである。いざというときにこれほど頼もしい布陣はあるまい。

「――ってぇわけで、ちょいと待っていておくんなせえ。暫くしたら村長もやってきまさァ」
「あまり待たせないでもらいたいものだな。我々も暇を持て余しているわけではないのだ」

 幕府の役人は極めて尊大であったが、こうした態度には慣れたものであり、
源八郎も腹を立てるようなことはない。村の一角に派遣団を待たせつつ粗相の無いよう気を遣っている。
 何の気なしに一団を見回したところ、思いも寄らない顔ぶれを見つけ出したアルフレッドは、
思わず双眸を見開いた。
 その顔触れにはハッキリと見憶えがある――というよりはそれ以上だ。
忘れることなどできようはずもない。山吹色のツナギ――かのアルバトロスカンパニーの制服である。

「やれやれ、こう何度も顔を合わせてると有難みってもンがなくなるねェ」
「それにしても、こんなに早く佐志の土を踏むことになるとは思わなかったよ。
ここに派遣されるのは偶然というか必然というか。……ま、何にせよ嬉しい限りだ」

 派遣団と共にアルフレッドたちの前に現れたのは、アルバトロス・カンパニーの社長であるボスと、
社員の一人であり、ジャスティンの実母――ディアナであった。
 手持ち無沙汰であったのだろうか、ボスの手には愛読書である『競艇野郎』の単行本があった。
アルフレッドの姿を見つけるなり、本を閉じて彼に語りかけてきたのである。
 アルフレッドと源八郎、そして、初めて見るヴィンセントの顔を順繰りに眺めるボスとディアナに対し、
在野の軍師は「有難みは確かに薄いな」と苦笑いを洩らすばかりである。
 バブ・エルズポイントの戦いの後(のち)、意識を失っている最中にボルシュグラーブに回収され、
彼の別荘で数日ばかり養生したのだが、その際にバブ・エルズポイントの防衛に
派遣されていたエトランジェ――つまり、ボスとディアナにも遭遇していたのだ。

「あ〜ら、誰かと思えばアルバトロス・カンパニーのご両人じゃない。
それとも、エトランジェのエースとか呼んだほうがいいのかしら? 
いずれにせよ、しぶとく生き延びてくれて何よりだよ」

 アルフレッドが立ち尽くしている間に、また一人、その場にやって来た。
ヒューの愛妻にしてマコシカの酋長――レイチェルである。
 散歩のついでに源八郎の様子を見に来たらしいが、
懐かしい顔触れを発見した途端に「あっ」と大きな声を上げて駆け寄って来たのだ。

「生きていたのかとはご挨拶だね。こっちはこの通りピンピンしているさ」
「逆にちょっと太ったんじゃない? ルナゲイトで美味い物に舌鼓でも打ってるのかしら?」
「あンたの辛口なジョークをまた聞けるなんて、なンだか今日は夢のようだよ」
「お望みとあらば、いくらでも聞かせてあげるわよ。
再会記念として辛口も何割増しか、あんたたちに指定させてあげるわ」
「それも良いかもね。……何しろあンたの声は心に響くからねェ」

 ディアナとは良き友人関係を築いていたレイチェルは、
軽口減らず口を叩き合うことで互いの息災を確かめ合っていく。
 熱砂の合戦以来の再会であり、ディアナとボスにとっては本当に久方ぶりの佐志なのだ。
 ボスに至っては心の底から感慨深そうに周りの景色を眺め、
件の合戦に於いて壮絶な撃ち合いを演じた源八郎と再会を喜び合っていた。

「ディアナの言う通りだよ。『よく無事だったんだな』とは、むしろこちらの台詞だ。
……キミたちの話は我々、エトランジェにも届いているからね。
よくぞギルガメシュの基地へ侵攻して無事で済まされたものだよ」
「こちらもこちらで悪運が強い連中が揃っておりやすからねぇ〜。
どうにかこうにか、みんな生き延びているところでさぁ」

 佐志の人々とボスたちが属するエトランジェは、両帝会戦の最中に世界を隔てて育んだ友情を確認し合い、
いつか必ず再会しようと涙ながらに誓っていたのである。
 想像していたよりも随分と早まってしまったように感じられるが、
今日こそが約束の日というわけであった。

「ライアン、この人たちは、もしや……」
「ああ、想像の通りだよ。ラスと同じアルバトロス・カンパニーの人間だ。
……こんなことを言うのはキャラに合わないかも知れないが、
俺たちにとって欠くべからざる仲間なんだ」

 ニコラスと同じツナギを着込んだ両人を眺めながら小首を傾げるヴィンセントに対し、
アルフレッドは幾分、柔らかな表情(かお)で説明するのだった。




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