12.悪夢のシナリオ


 ボスとディアナ――懐かしい旧友たちがやってきたことは間もなく佐志の全域に知れ渡り、
ここに滞在している人々も続々と集まり始めた。幕府より派遣された役人たちは
このような慣れ合いに渋い顔を見せたが、しかし、いがみ合って悶着を起こすよりは遥かにマシであろう。
 エトランジェは彼らの護衛として同道していたのである。
 ヴィンセントと同じようにロンギヌス社から出向してきたナガレ・シラカワも
アルフレッドたちが立つ場所に足を向けていた。彼の場合はボスとディアナとは面識がない為、
旧交を温めることが目的ではない。騒ぎを聞きつけて何事かと駆け付けたわけだ。
 それだけに現地へ到着した後も口が重い。自分と同じように面識がないはずのヴィンセントは
愛想良く自己紹介をしているのだが、ナガレにはそのように小器用なことができなかった。
 間を持たせるような会話もできないし、ヴィンセントのように愛想笑いを作ることもできない。
それどころか、彼の表情には晴れぬものがあった。

「なンだい、そこの色男は。さっきっから仏頂面なままだけど、
そンなにあたしたちに出会ったってのが嫌なのかい? あンたとは初対面だったハズだけど?」
「居た堪れないのかな? しかしだね、喜んでくれとは言わんが、
自己紹介くらい返してもらえると、嬉しいものなのだがなあ」

 ナガレの態度を見兼ねたようにディアナとボスが話しかけてみるものの、それでも反応は薄い。
何だか、アルバトロス・カンパニーの二人を警戒しているようにも見えた。

「聞いてンのかい、お坊ちゃん?」
「ああ、そんなに大きい声を出さなくても聞こえていますよ。
……だが、そんな事は関係ない。話す事なんか特にありませんから」

 余りにも剣呑なナガレにボスとディアナは驚き、互いの顔を見合わせた。

「これは随分と嫌われているようだな。一体、何だというのかね?」
「一々そんな事を言う気にもなりませんが、……自分たちの胸に手を当てて考えてみることです」
「なンだい、この色男。アルなンか比べ物にならないくらい不愛想じゃないか」
「そこで俺を引き合いにだすな」

 時間を経ることによって徐々に軟化していくどころか、
二人に対するナガレの対応は更に頑ななものになっていった。
「胸に手を当ててみろ」と言われてみても、取り付く島も無いような態度で突き放した言い方では
硬質な態度の理由などは更々分かるわけもあるまい。
 繰り返しとなるが、アルバトロス・カンパニーの二人はナガレとは初対面なのだ。
心の奥底に根差すものまで読み取れるほど、お互いのことを知らないのである。
 「はてさてどうしたものやら……」とボスが立派にたくわえられた顎鬚を撫で付けながら
首を傾げていると――

「お、ホンマにアルバトロス・カンパニーのご両所やん! いッやあ〜、懐かしいやんか! 
そっちの調子はどないなもんかいな? もうかりまっか?」
「あの時に離れ離れとなってしまったわたくしたちとあなた様方が、
こうやって再び出会えることが出来るなんて。これほどに喜ばしい事はございません。
この喜び、如何にして表現いたしましょう」

 ――マリスとローガンが到着し、久方ぶりに出会った懐かしきを面々を破顔一笑で迎え入れた。
 大げさなアクションを交えて感情を表現するマリスや、
人懐っこく肩やら背中やらをバシバシと叩いて喜びを表すローガンの、
ナガレとは全く反対の反応にボスも気をよくしたのか、
物腰柔らかに、それでいて表情豊かに、がっちりと二人と再会を祝した握手を交わした。

「いやいや、君たちも元気そうじゃないか。旧知の人間が無事というのは何にも増して喜ばしいことだよ。
我々としても偶然にこの一団に加わることができてね。
こうやって君たちと再び顔を合わせる事ができるというのは思ってもいなかった。
だからこそ、こうやって実際に向き合ってみると嬉しさ倍増というやつだな」

 言葉が交わされることで穏やかな、和やかな雰囲気が彼らの間に流れ始めたのだが、
それでも先ほどからずっと押し黙ったままのナガレにその効果が波及することなく、
硬い様子は一向に変わらない。

「おい、ナガレ、本当にどうしたんだよ、さっきから黙ったままで。
お前、別にそんな人見知りじゃなかっただろう? 彼らも俺たちと同じ立場≠ネんだ。
せっかく、同胞と会えたんだから、もっとお二人とお話しても良いんじゃないか?」

 見るに見兼ねたヴィンセントがナガレを窘めた。

「……申し訳ない、どうもこいつ、緊張しているようで。もっと気安く話しても良いはずなんですが……」
「こっちもそう言っているンだけどね。どーもさっきからこうやってむっつり黙ったまンまなのさ」
「ディアナが怖かったんじゃない? あんた、雰囲気からしてゴツいもの」
「失礼だね、レイチェル。怖がられるのはボスのほうさ。
この間だってねぇ、ルナゲイトの町の子どもに怖がられて、挙げ句の果てに泣かれちまったンだよ。
そしたら、本人まで傷付いちゃって、路地裏に駆け込んで泣き出してねェ〜」
「……失礼な上にとても恥ずかしい話をさらりと暴露するの、頼むからやめてくれないか?」

 周りの空気はどんどんと和やかになっていくのだが、ナガレの場合は逆に眉間の皺が深くなっている。
ボスとディアナが佐志の風景に溶け込むこと自体、気に喰わない様子なのだ。

「あの……もしかして、体調がよろしくないのでは? それで難しい顔をなさっているのではありませんか?」

 一人だけ明らかに他とは違う雰囲気を漂わせて佇んでいるナガレに違和感を覚えたマリスが
控えめに問いかけてはみるものの、反応は極めて乏しい。

「ケッ、いじけてるだけじゃねーのか、こいつ――確かロンギヌス社の飼い犬だったよなァ? 
ギルガメシュをブッ潰そうっつー同志≠ェ、その手先どもと仲良しこよしやってりゃ、
そりゃあ、気に喰わねぇもんなぁ? ちっちぇえな、てめー。ちっちぇえ、ちっちぇえ」

 興味本位でアルフレッドを追いかけてきた独眼竜――メシエが鞘に納まった陣太刀をナガレに向けながら、
彼が仏頂面でいる理由を推理していく。
 幸いにもメシエの声には気付いていなかったようだが、万が一にも幕府の役人の耳に入っていたなら、
まず間違いなく大変な事態に発展していたことだろう。佐志――否、アンヤリーニーに謀反の疑いありと、
シチュエーションルームに通報された可能性も捨てきれなかった。
 果たして、メシエの読みは的中したようで、図星を突かれたらしいナガレは思わずたじろいでしまった。

「……ナガレ」
「人を小物みたいに言うな。ヴィンセントもそんな目で見るなよ……」

 諫めるようなヴィンセントの視線に折れたのか、それとも煩わしい状況から脱したかったのか、
ナガレはようやく重い口を開いた。

「見ず知らずってことは関係ない。こちらは敢えて馴れ馴れしくする必要も、
その筋合いも無いと思っているんだがな……」
「でも、シラカワさん……せっかく、お越しいただいたお二人に向かってその言い方はどうかと思います。
もう少し言葉というものを選ぶべきではございませんか? 初対面であれどうであれ、
人間には守るべき礼儀というものがありましょう」
「……彼の言う通りだよ。俺は幕府の手先になった連中にかける言葉など、
これっぽっちも持ち合わせてはいない」
「そうかそうか、そういう事……か」
「なンだか、厄介なことになったもンだ」

 頑なな態度の理由がナガレ本人の口からもたらされた事で、メシエの推定が確定に変化したわけであるが、
そのように言われたところで自分たちの行動を悔い改めるなどということはない。
 そもそも、だ。他人(ナガレ)がどのように言おうが、
自分たちには全く以って言いがかりに等しいのであるから、それも当然の事。

「我々が幕府の組織に与しているのがそれほど気に入らないのかね? えっと――シラカワ君?」
「保身のために幕府に尾を振ったような奴らなどと関わり合おうとも思わないな」
「こりゃまた随分な言い方なもンだねえ」

 ナガレの言い草に若干気分を害したものの、ボスもディアナも大人≠ナある。
だからこそ、ナガレと同じような態度を彼に向けて報復するなどということもなかった。

「……まるで俺を見ているようだな、シラカワは……」
「アルちゃん……」
「心配するな、マリス。……今の俺は、あのとき≠謔閧ヘ分別が付いているつもりだ」

 ナガレの様子を遠巻きに眺めながらアルフレッドは嘗ての自分を振り返っている。
エトランジェとの武力衝突にまで発展した熱砂の合戦の折には、
彼のようにギルガメシュへ与する者を頑なに拒絶していたのである。
 ギルガメシュに対する恨みが消えたわけではない。
故郷を滅ぼされ、愛する者たちも奪われた。それ故に内通者と手を組んででも、
旧友を利用してでも幕府もろとも滅ぼそうとしているのだ。
 しかし、何の罪もなく、ただ生命を繋げる為にギルガメシュへ与することを
選択せざるを得なかったエトランジェに対しては、二度と怨嗟をぶつけることはないだろう。

「えろうすまんな。せやけど、ナガレがこう幕府を憎むのも無理ないことやさかい。
勘弁してくれへんか? ……オレらもあいつらはやっぱり許せへんねん。
ギルガメシュがやってきた悪どさは、二人とも分かっとると思うけどな――」

 そうしてローガンは今までに自分たちが目の当たりにしてきたギルガメシュひいては幕府の行いに関して、
アルバトロス・カンパニーの二人に説明していった。
 ワーズワース難民キャンプで起こってしまった悲劇と、駐屯していた兵士たちが仕出かした所業を語るとき、
ローガンの声が一等強さを増したのは、単なる偶然ではあるまい。
あれこそギルガメシュという組織が内包する邪悪さ、傲慢さの象徴なのだ。
 ローガンの説明が耳に入るにつけ、ナガレの内心には憤怒がふつふつと湧き上ってくる。
 アルフレッドとて胸糞が良いものではなかった。
難民保護を掲げながら、保護の対象たる難民を嬲り殺しにしたギルガメシュの将兵には
殺意以外の何物も持ち得ないのだ。
 この場に居ないジャーメインも虐殺を目の当たりにして激昂していた。
抱きしめてでも止めていなければ、まず間違いなく戦闘車両に突撃し、
砲弾の餌食になっていたかも知れない。

「――成程、な。ワーズワースのこと、大筋は耳にしていたが、
改めて聞くとシラカワ君が複雑な気持ちになるのも十分に分かる」
「……だったら、放っておいてくれ」
「だけど、あるの一方に理由があるといわれるならば、こっちにも事情ってもンがあるわけさ。
幕府のやり方に目を瞑れって気持ちは更々無いけれど、もう少し歩み寄ってもらいたいっつーのも
正直なところなンだよ」
「そっちの事情なんて、どうだっていい。アルバトロスはアホウドリのことだろう? 
つまり、アホウドリがイヌになっただけじゃないか」
「強情張ってんじゃないわよ、あんたは〜」

 レイチェルから脇腹を小突かれたナガレは、いよいよ皆から批難されているような気持ちになったのだろう。
態度を改めるどころか、口調までもが荒んでいく。

「なんとでも言ってくれ。俺は幕府やそれに協力する人間を認めることはできない。
ロンギヌス社の社員としても、一人の人間としても。……いや、俺の良心がそれを許さない。
それだけの単純な事です」
「……シラカワの反感は尤もだが、俺たちがエトランジェと歩み寄ることまでは
否定しないで欲しいものだな」

 そのとき、アルフレッドが口を挟んだ。

「……俺がギルガメシュからどんなことをされたのか、それはあんたも知っているな?」
「あらましくらいは……」
「俺はあの頃――今だって大して変わってはいないが、ギルガメシュを根絶やしにすることばかり考えていた。
奴らも、その手先も、ひとり残らず殺してやることしか考えていなかったんだ。
……しかし、実際に戦場で向き合ったとき、俺は親友を手に掛けることが出来なかった」

 アルフレッドが振り返っているのは、両帝会戦の終盤でニコラスと繰り広げた一騎打ちのことである。
 溢れんばかりの憎しみを抱えたままニコラスと対決したアルフレッドは、
グラウエンヘルツに変身することまで出来たというのに――確実に相手を殺せる条件が整ったというのに、
世界を隔てて絆を育んだ親友をついに仕留められなかった。
 ニコラスの応戦が激しかったということではない。
躊躇に躊躇を重ねた末、最後の一線を超えられなかったのだ。

「結局、俺は敵≠セと思い込もうとした相手の生命を助けてしまった。
間抜けで甘い判断だと嘲笑(わら)ってくれても構わないがな、
……しかし、俺たちの絆が復讐の思いを上回ったことだけは胸に留めておいて欲しい」

 自分の眼下で抗おうともせずに横たわっていたニコラスの姿がアルフレッドの脳裏に蘇っている。
どれだけ怒りをぶつけようと思えど、どうしても最後の一歩を踏み出すことが出来ず、
逡巡にくれていたあの時の光景が脳裏にフラッシュバックしたのである。
 自分の意志と行動に矛盾が生じていた事は百も承知であった。
そして、最後の一歩を踏み止まった理由を絆だとアルフレッドは結論付けたのだ。
例え、相手(ナガレ)が反ギルガメシュの同盟者であろうとも、
その思いだけは切り捨てて欲しくなかった。
 隣で聞いていたメシエは「くせぇ三文芝居だな」と鼻で笑ったが、
ナガレのほうはアルフレッドの言葉を重く受け止めたようだ。
小さく呻いた後(のち)は無茶苦茶な抗弁をすることもなくなった。
以降もこの場に踏み止まっているのは、自分にこそ非礼があったと認めたことに他ならない。
 さりながら、簡単には敵愾心を解くことができないのだろう。
今はまだ謝罪の言葉を述べようとはしなかった。

「……ま、それぞれみんな、色ンな思いがあるからねぇ。
ひとまず、お互いに深くは干渉し合わないって事でいいンじゃないか」
「君は聞く耳を持たないと言っていたが、これから話す事だけはできれば聞いておいて欲しい。
ロンギヌス社――というか、同じエンディニオン≠フ同胞には無関係とは言えないことだからね」
「何でェ、『偶然の再会』を気取ってる割には準備のいい話じゃねえかよ。
さてはてめーら、最初(ハナ)っから計算ありきでここに来たんだなぁ? 
うちの先生並みに腹黒ェな、オイ」
「メシエちゃん、そのように失礼なことを言ってはなりませんよ」
「……ケッ――いちいちうっせぇんだよ、スイカのお化け≠ェよォ〜」

 メシエが皮肉っぽく茶化したが、ボスの面持ちは真剣そのものだ。
おそらくサングラスの向こうの瞳には憂色を湛えていることであろう。

「これも偶然の続き、と言ったところかな……」

 そう言って一呼吸おいてから、ボスは静かに語りだした。

「エトランジェの一員としてギルガメシュ……というより幕府と近いところに居て見えてきたことだが、
難民と呼ばれる人々を取り巻く情勢は、予想以上の速度で悪化しているのだよ。
旧知の佐志に派遣された我々は僥倖だったくらいなのだ」
「……攘夷思想を叫ぶ連中の攻撃が激しさを増しているのか?」

 攘夷派に言及したアルフレッドに対して、ディアナが「それだけじゃないンだよ」と苦々しそうに答えた。

「うむ、何から話そうか……世界各地での難民の数は益々増加の一途を辿っている。
向こう≠ゥらこちら≠ノ飛ばされてしまう原因は依然として不明であるそうだが、
それだけにこの勢いには歯止めを掛けることはできないだろう。
……先日(さき)に告知された通り、幕府は各地に行き場の無い難民を振り分けてはいるが、
新たに生まれた難民はその数を越えるほどなのだ。それも、殆どが着の身着のままという有様でな」
「フィガス・テグナーのように都市一つが丸々とやってくるのは稀って事かいな?」
「察しの通りだよ。何も分からない場所に放り込まれるのは非常に酷な事だ。
それでも人間だけでやってきている他の難民に比べたら恵まれた状況にあると言わざるを得ない。
その点、私はまさしく恵まれていたのだ。……他の難民へ申し訳なく思うほどに」
「せやなあ。あっちゃこっちゃで争いが起きとるんは行き場の無い難民が原因やし」
「――そう、その争いなのだよ」

 ローガンの言葉を受けて、ボスが神妙そうに首を頷かせた。

「異邦人となった難民は行く当ても無く世界を彷徨い、何の庇護も受けられないままの状態にある。
食う手立てがないままに餓死していく者、満足な治療を受ける事ができないで疾病で命を落とす者の数は
全体の三分の二以上に及ぶのではないかと推定されるんだ」
「そこら辺はよう知っとるで。ありゃ悲惨という一言で言い切れるもんでもあらへん」

 ボスの言葉はアルフレッドたちにとって既に良く知っていることである。
直接的にやり取りをしているローガンだけでなく、
彼らの脳裏にはあの忌まわしいワーズワース暴動の絶望的な記憶が甦っていた。
 件の暴動に関わらなかったナガレやメシエとは共有し得ないものであるが、
あの惨状に接して芽生えた感情だけは決して忘れることができないだろう。

「それだけでは無い。何とかして悲劇的な状況から抜け出そうとするあまり、
難民たちは更に悲惨な道に自ら向かっていく破目になっているのだ」
「ど、どういう事よ?」

 レイチェルが心配そうに身を乗り出した。アルバトロス・カンパニーとの交流を経て、
サミットの折にも逸早く共存を訴えた彼女だけに難民の事情には人一倍敏感なのだ。

「アルフレッド君が口にした攘夷派もそうだし、どこの集団でも同じことだろうが、
類例に漏れる事無く難民の一部にも過激な連中がいる。
彼らは生き延びる為にこちら側≠フ住人から略奪するという手段も取っているのだ」
「……一般的な難民にまでそのような動きが起こっているのか? 
いや、考えれば分かりそうな話だが……しかし、そんな情報はどこからも聞こえていなかったことが……」
「せやけど、どんどんやって来てるっていうたかて、数で劣る難民がこっちの連中を襲うっちゅーのも……。
いや、あれ≠ェあったわな。あれ≠使うとなれば――」
「その通りだ。MANAを悪用した襲撃事件が後を絶たないのだ」

 アルフレッドは思わず呻き声を洩らした。ヴィクドによって滅ぼされた『緬』や『プール』も
こちら≠フ土地々々で略奪を繰り返していたのだが、同じような動きが一般市民のレベルでも
起き始めたと言うのである。
 『緬』と『プール』が戦争の一過程として掠奪を行ったのに対して、
他の難民たちは差し迫った窮状を凌ぐ為に暴力に訴えざるを得ないのである。
それだけに悪と断じて批難することも出来ないのだ。
 自分たちのエンディニオンが脅かされているのだから
断じて掠奪という行為を認めるわけにはいかないが、
彼らを暴走させないよう窮状から救い出す手立てもままならないのである。
 まさしく悪循環だった。そして、悪夢としか言いようがなかった。

「大事(おおごと)じゃねえですかい。こっち≠ノもトラウムはありやすが、
純然たる武器といったようなMANAに比べりゃ心もとねぇ。
武器になんねぇトラウムを所持している連中だって数多くいるとあっちゃあ、
質的にはこっち側≠フほうが不利なのかも知れねぇや。
……いや、最初(ハナ)から応戦するような状況にならねぇのが一番ですがね……」

 源八郎もまた悪夢のような事態を教えられて顔を顰めている。
掠奪が有効な物であると難民全体に広がってしまえば、
彼らを寄生虫のように一まとめにして滅ぼそうとする攘夷派を勢いづかせることは間違いないのだ。
 そうなれば、アルカーク・マスターソンが望むような状況になっていくことだろう。
ふたつのエンディニオン≠フ全面戦争という最悪の事態に陥る可能性も決して低くはなかった。

「いつの間にこんなのっぴきならねぇ状況(こと)になっていたんですかい……」

 源八郎は背筋が凍り付くような思いで身震いするのだった。

「後は互いに生き残りをかけて血で血を洗うという表現がはまる惨劇が繰り返されている。
幕府もこの事態を軽視していないことだけは確かだが、
……現実問題としてことを収められる方策を立てられていない」

 ボスの口から世界規模の地獄絵図を伝えられた一同は、皆、一様に苦々しい表情を浮かべた。
 ただ一人、平然としているのはメシエ・マルドゥーク・ヒッチコックである。

(ここぞとばかりにモラリストぶってんじゃねーっつの。偽善なんぞで腹が膨れるもんかよ)

 メシエからしてみれば、略奪など何もおかしなことではないのだ。
現に独眼竜が率いるチャイルドギャングはこちら≠ノ放り出された後も小さな町村を荒らし回り、
反抗する者たちは老若男女問わず血祭りに上げてきたのである。
 生まれた世界(エンディニオン)も何も関係などあるものか。
強い者が弱い者を食い散らかし、明日へと生命を繋いでいける。それこそ絶対不変の摂理ではないか。
だからこそ、自分は――否、この場に居合わせた誰もが今日も生き続けていられるのだ。
 彼らは自分たちがどれだけの生命を踏み潰し、殺戮の果てに美辞麗句を並べ立てているのか、
自覚しているのだろうか。どのように飾ったところで、
血まみれの今日≠生きていることに変わりはないのである。
 弱肉強食の摂理を動乱か何かのように深刻そうに議論する矛盾し切った連中へ
皮肉の一つでも飛ばしてやろうと思ったメシエは、しかし、口を真一文字に噤んでしまった。

「――メシエちゃん、分かっていますね? 世の中には言って良いことと悪いことがあるんですよ? 
何か言いたいことがあるのなら後で幾らでも聞いて差し上げますから、今は……ね?」
「る、るせぇな。何なんだよ、てめーはよォ……」

 暴言の兆しを察したマリスによって後ろから抱きすくめられ、何も言えなくなってしまったのである。
後頭部に当たる柔らかな感覚が脳を痺れさせていることもメシエを無言にさせる原因であった。

「ですが、それが事実だとすると、どうしてわたくしたちのところにその情報が伝わってこないのでしょうか? 
今までには『緬』や『プール』という軍勢のことしか知りませんでしたわ」

 メシエを抱きすくめたまま、マリスはボスに質問を投げ掛ける。
果たして、それはこの場の誰もが共有する疑問であった。

「おそらくはルナゲイト家が一枚噛んでいる、いや、一枚どころではないな。
とにかく、あちらがやっている事に間違いは無いだろう。
あの一族が発信している情報から、意図的にこういうことが除かれているのだと考えるのが一番合理的だ。
幕府に各地の情報基地などを押さえられてはいるものの、
それでも情報収集、発信の能力が完全に削がれたわけではない。
難民に対する敵愾心を無闇に煽らないための措置なのか、
表沙汰にしないことがルナゲイト家にとって都合が良いのかは分からないが、
何にせよ、意識的に情報統制が行われている事だけは正しいだろう」
「マユさんの差し金と……アルちゃんは思っているのですか?」
「忘れるな、マリス。ルナゲイト家はそんなに甘くはない。
俺たちの同志だし、御老公には何度も助けていただいているが、
……裏では何を企んでいるか、分かったものではないんだ。
それくらいでなければ、新聞王などと名乗ることもできなかっただろうしな」

 ボスに代わってマリスの質問に答えたのはアルフレッドであった。
異常というか緊急というか、ともかく穏やかならざる事態に接して軍師としての思考が働き、
情報そのものが意図的に操作されているという推理に発展していったわけだ。
 惑星規模の情報統制を執り行うなどルナゲイト家以外には有り得ないとアルフレッドは仮定している。
覇権を掌握したギルガメシュ――幕府にも、このような芸当は真似できまい。

「せやろうな。知られると色々と面倒な、不都合な真実――ちゅうもんがあると考えて差し支えないやろ」
「うむ、その辺の事も危惧しておくべきだろう。仮に情報統制があるのだとしたら、
我々としては草の根レベルでの情報伝達をしていくのが筋だと思っている」

 ボスもまた深く、強く頷き返した。

(それにしても、考えが回らなかったというか――いや、考えていたにもかかわらず、
自分からその可能性を否定したと考えるほうが正しいか。
ルナゲイト家が常に俺たちと同じ方角を向いているわけでもないだろうに……。
マリスに言っておいてなんだが、あのマユのこと、利益がなければ即座に切り捨てられるかも知れない……)

 ボスの口から告げられた難民の情勢はアルフレッドにとっても衝撃的なものであり、
それが為に今後の計画について変更を余儀なくされるのだろうという気持ちも去来していた。
 難民に対する意識も必然的に改めなければならない。
こうなった以上、ある程度は仮想敵のように捉えなくてはならないだろうが、
それはアルカーク・マスターソンや過激攘夷派と同じ地平に立つことと同義でもある為、
心の底から嫌悪感が噴き出してくるのである。
 そして、そのような目を難民に向けなければならないことが、何ともやるせなかった。

「いよいよ我々は協力し合っていかねばならんと思っている。小さなことに構ってはいられないのだ。
……シラカワ君、お互いの為にもいがみ合うことは控えようじゃないか。一つよろしく頼むよ」
「……ええ……」
「気の無い返事だねえ。そンなにアホウドリならぬ幕府の犬と手を組むのが嫌かい?」
「いや、今度のはそういう意味じゃありません。少し考え事をしていただけです。
いつまでも意固地になっている場合じゃないことだけは分かっているつもりだから……」

 エンディニオン各地の情勢を受け、またお互いの複雑な事情が絡み合った末、
メシエもエトランジェに対する蟠りを解いたようであったが、
今後対応していかねばならない事、新たに解決するべき事を思うと、さすがに頭が痛いのである。
 気の休まる暇などは暫くは到底訪れないように思えてならなかった。





 アルフレッドたちが難民を巡る情勢に緊張感を高めている頃、
ギルガメシュ別働隊を率いる副司令の懐刀――クトニアの姿は陽之元国に在った。
 正確には「身柄を移されていた」と表すべきであろう。
カーキ色の軍服は脱がせられ、今は陽之元の特産とも呼ぶべき着物を着せられている。
 それも上等な品であった。ジャスティンが身を包む着流しとは少し異なり、
袴を穿いた上に愛用の両刃剣を帯に差し込んでいるのだ。
そこにブーツを履くと、さながら若武者のような出で立ちである。

「おっ、クトニアってばすげー似合ってるじゃん。いかにもサムライって感じだぜ!」
「シェインくんも良いカンジだよ〜。うんうん、ばっちりキマッてるよ〜!」
「ラドが見繕ってくれたんだろ。お陰ですげぇ動きやすい服を買えたよ」
「任せてよ! シェインくんのことなら、ぼく、誰よりも詳しいつもりだからねっ」
「結構、長いこと、離れてたのに自信満々だな、こいつめ〜」
「そこはほら、親友ならではの直感(フィーリング)ってヤツだよ〜」

 クトニアの視線の先ではシェインとラドクリフがじゃれ合っている。
 当のシェインはそれまで着用していたハーフパンツからカーゴパンツに履き替え、
上も七分袖の黒いシャツに変わっていた。それまでボタンを留めていたジャケットも表を完全に開放し、
より能動的(アクティブ)な印象を醸し出している。
 彼のロングコートを預かり、胸元で抱きしめているラドクリフは、
新しい出で立ちを溜め息混じりに眺めていた。
 故郷(グリーニャ)を旅立って以来、長らく着用してきた衣類が大分くたびれてしまった為、
替えを買い求めようと店に繰り出し、クトニアはそれに付き合わされているわけだが、
ここに一つの大きな、そして、避けては通れないレベルの問題が横たわっている。
 自分とラドクリフは捕虜として覇天組に身柄を拘束された身なのだ。
それなのに牢獄などには押し込まれず、陽之元の繁華街を自由に歩き回っているのである。
 ギルガメシュでは考えられない待遇であった。幾度となく組織に危害を加えてきた者を捕らえたならば、
拷問に掛けた上、銃殺刑に処されることも珍しくはなかったのだ。
 嘗てギルガメシュによって討滅されたメルカヴァ皇国の貴族の多くは、
そのようにして落命させられたのである。それに比べれば天と地ほどの差であり、
捕虜でありながら自由を保障されていることは有り難いことなのだが、
だからこそクトニアは戸惑い、「どうしてこんなことになっているのか」と頭を抱えるのであった。

(自分は何をやっているのだ……いや、こいつらも覇天組も、一体、何なんだ? 
これは罠なのか? 私を油断させる為の罠なのだろうか!?)

 贅沢な悩みということはクトニア本人も重々承知しているのだが、
過分な厚遇が却って人を悩ませることもあるわけだ。
 繰り返しとなるが彼は陽之元に身柄を移されている。言わば、敵地に置かれた恰好なのだが、
ギルガメシュ別働隊の一員として行動しているときよりも遥かに呼吸がし易く、
滋養たっぷりの食事の為に肉体(からだ)の調子もすこぶる良かった。
 ふとした瞬間に捕虜という立場を忘れてしまいそうになるほどの厚遇なのである。

(続く)




←BACK     NEXT→
本編トップへ戻る