17.非情の攘夷

「お前……! 何故、この遺跡に難民がいると教えなかったんだ!? 
お前と相棒なら知っていたはずだろう!?」
「ンな無茶言われてもさあー! そりゃ、こっちだって難民キャンプの場所は調査はしてるんだぜ!? 
俺サマのアンテナがいくら敏感だからっつったって、
全部をリアルタイムで受信できるなんて都合のいいことはねぇべよ!」
「それにこの遺跡はゼフィランサスから離れすぎている! 我々としても把握し切れない!」

 ダイナソーとアイルの反論は尤もだが、今のアルフレッドには二人の不可抗力を責めてしまうくらいに
精神的な余裕が無い。彼に何を言っても遅いのは分かっているつもりだ。
 だが、それでも怒鳴りつけるようにダイナソーたちに訊ねずにはいられなかった。
この会話があまりに大声で為されたため、モバイルのマイクがその言葉を拾い、
マユにも聞こえたのだろう――

「どなたに怒鳴り散らしているのかは存じ上げませんが、それはお門違いというものです。
サグ・メ・ガルはつい先日まで無人だったのですよ? 
突然、転がり込んできた難民のことなど、把握しきれるとお思いですか?」
「……それは……そうだが……っ」

 ――そう言ってダイナソーたちの過失ではないと擁護した。

「このサグ・メ・ガルには幕府の政策にも疑問を抱いて、
独自のやり方で生きていこうとした難民たちがつい最近やって来たという事です。
あなたとしては、何としてでも彼らの命を助けないといけないのでは? 
そういう人たちを仲間に引き入れることで後々の反撃策にも影響が――」

 口早にサグ・メ・ガルの近況を伝え、在野の軍師としての使命に訴えるマユであったが、
再びフェイを追い始めたアルフレッドには彼女の言葉は届いていなかっただろう。
 勢い余ったアルフレッドは通話途中でモバイルを握り締め、
本体にヒビが入ったことで回線が強制的に落ちてしまった。





「報告通りだな」
「でしょう? K・kのオジ様の言ったとおりよね。こういう事には目ざといのよね。
……で、どうするの?」
「言うまでもないだろう。当初の予定通りに行なう」

 後を追うアルフレッドたちに先駆けて、
フェイたちは既にサグ・メ・ガルと呼ばれる古びた塔を取り囲んでいた。
 幕府の庇護をも拒否してここに流れ着いた難民一同は突如として現れた物々しい一行を目に、
何事かと外の様子を覗いながら口々に憶測を言い合っているらしい。
 そして、それ≠ヘ突然に訪れた。唐突に数回、フェイたちは彼らに向けて発砲したのだ。
威嚇だろうか、銃弾が飛んでくる事が無い空砲であったが、
それでもこんな事をやられては屋内で閉じこもっているわけにはいかない。
ようやく見つけた安息の地を脅かす者たちに対し、自分たちの意志を伝える為に屋外へ飛び出したのである。

「これは一体、何事でしょうか? ご覧の通り、我々は武器を持たず、
この地でひっそりと暮らしていこうとしているだけでございます。
この塔に用事があるのでしたら、邪魔立ては致しません。ですから、我々の身を――」

 サグ・メ・ガルに移り住んだ難民集団の代表であろうか。
彼は銃口を向けられながらもそれに臆する事無く釈明を行おうとしていたのだが、
話を最後まで聞く事無く、フェイは無言のままおもむろに右手を上げた。
 それに呼応して武装していたフェイの部下達が、一斉にトリガーを引き絞る。
アルフレッドがようやく追いついたのと時を同じくして、サグ・メ・ガルには無数の発砲音が鳴り渡った。

(そんな、まさか……!? いや、やはりなのか? フェイ兄さんが、こんな……ッ!)

 万が一の事態を予測しつつも、攘夷の旗頭という現状を事前に聞かされながらも、
英雄とも呼ばれたフェイが目の前でこのような惨事を引き起こした事実にアルフレッドは打ちのめされ、
一言も出ないまま固まってしまった。
 自分を慕ってくれた弟分の心情など知る由も無く、フェイはさらに兵士たちに命令を下し続ける。
至近距離から無数のレーザーを浴びた代表者および数人の難民は、大地を赤く染め上げた。
 彼らは殆ど人間≠ニしての原形を留めてはいなかった。
塔の中からこの様子を見つめていた難民も、姿をさらしていた者たちは
狙撃手によって次々に撃ち殺されていった。
 外部から生きている難民がいなくなるのが確認されると、一旦銃撃は停止され、周囲からは銃声がやんだ。
 それと同時にパニック状態に陥ったであろう難民たちが叫ぶ声が塔の内部から聞こえてきた。
すぐさまフェイが塔に向かって走り出すと、兵士たちもそれを追って突入していった。
 後には呆然とこの惨状を見つめるアルフレッドたちだけが残された。

「ちょっと、アル、これって――」

 ジャーメインが言い終わらない内にサグ・メ・ガル内部から悲鳴と銃声が幾度と無く聞こえてきた。
 一方のアルフレッドは目の前で起こった非現実的な光景に、
フェイが自分との約束を保護にして虐殺行為を行なったことに、
激甚なショックを受けて茫然自失であったのだが――

「何をボサっとしてるんだ、アル! 自分で言ったことを忘れてんじゃねえ!」
「せや、アル! フェイを止めるって言っていたやろが。立ち止まっている場合やあらへん、行くでッ!」

 ――ヒューとローガンから叱咤を受けてようやく我に返り、
この凶行を止めるべくフェイたちの後を追って急いで塔(サグ・メ・ガル)に突入した。

「結局、殺し合いになるんじゃねーの。最初ッからカマしときゃいいのに、先生も甘ェよなぁ〜」

 同胞とも呼ぶべき人々から流れ出し、路面に溜まった血を踏み越えながらもメシエの面は喜色に満ちている。
自分と似たような境遇とも言える難民が虐殺されたことに憤るよりも、
大義名分を絵て暴れられることが嬉しくて仕方ないようだった。
 その上、義憤に燃えるダイナソーやアイルを「小物相手にイキッてどーすんだよ」と鼻で笑うのである。
 メシエの精神構造を理解し切れないマリスは、この小さな少年の先行きを不安に思いつつも、
決して目を離すまいと息が切れそうになるのも堪えて走り続けるのだった。

 臨戦態勢を整えつつ転がり込んだものの、内部には既にフェイも彼の兵士の姿も見えない。
アルフレッドたちを待ち構えていたのは無数の屍だけである。
あらかた難民達を「片付け」終えると上の階へと移動していったようで、遠くに更なる銃声が響いていた。

「この腐れ外道――」
「ま、待て! 待ちなさい!」

 逆上して突っ込もうとするダイナソーをアイルは背後から羽交い絞めにした。
おそらくフェイは彼のことを友軍などとは思わずに容赦なく射殺することだろう。
それは単なる犬死にであり、そればかりは看過し得ないと必死のアイルだが、
彼女とてフェイの所業に憤激していないわけがなかった。
怒り狂うパートナーを目の当たりにして逆に冷静さを保っている部分もありそうだ。
 ボスとディアナもアイルに加勢したが、これはダイナソーを食い止めることだけが目的ではあるまい。
万一、彼女まで理性を失ったときにすぐさま対応する為なのだろう。
 ボスたちに義理のあるキセノンブックも加わったものの、
激しく抗うダイナソーの肘が運悪く鼻に命中し、その場にうずくまってしまった。
余程、良いところ≠ノ入ったと思える。

「酷過ぎるわ……同じ人間じゃない……どうして、ここまでのことを……」

 一方のトリーシャは写真を撮ることさえ失念して口元を押さえている。
ジャーナリストとしては心を鬼にしてでも真実≠記録しなくてはならないだろうが、
心のよりどころが思考(あたま)から抜け落ちてしまうほどに惨たらしいわけだ。
 目の前に広がった光景は無残という他になく、幾人もの難民達から流れ出た血液は床一面に広がって、
臭気を孕んだ赤い池を作り上げていた。
 このような悲惨な状況を作り上げたのは他ならぬフェイである。
目眩に襲われて倒れそうになったアルフレッドをとっさに支えたジャーメインが
「あんたがここで踏ん張らなきゃ、もっと犠牲は増えるのよ!?」と耳元で発破をかける。
彼女のお陰で、何とか覚束ない足でぐっと堪えることが出来たと言えよう。
 真っ青な顔で頭(かぶり)を振り、生き残った難民達を探すように仲間達に伝えた。

「ダメね。誰も彼も、一人残らず事切れているわ……」
「こちらにも生き残りは見つからない。何とも言い難いが、ここは全滅だろう……」

 レイチェルとヴィンセントがフロアの隅々まで注意深く調べたものの、無情にも生存者は一人もいなかった。
それならば、言い方は悪いがいつまでもこの場所に拘っているわけにもいかない。
少しでも可能性がある方を――と、一行は急いで上階へと歩みを進めた。
 しかし、そこも既に手遅れだった。まさに血生臭い、心胆寒かしめる情景だけがそこには横たわっていた。
 難民たちの骸は無残な形で重なり合い、生存者などは一人も見つからない。
一層の絶望感がアルフレッドたちに押し寄せてくるが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
銃声はさらに上の方からも聞こえているのだから。
 祈るような想いで先を急ぐアルフレッドたちの前に、ついに一人の生き残りが姿を現した。
 しかし、その目はどこを見ているか分からない。謂れのない強襲にさらされた恐怖のあまり錯乱しており、
アルフレッドの姿を確認するなり、大声を上げて彼に襲い掛かってきたのである。

「待つんだ! 俺たちは敵じゃない! お前たちを助けにきたんだッ! 待ってくれッ!」

 そう叫ぶアルフレッドの声は我を忘れたその人に聞こえるはずもない。
強襲の際に砕け散ったと思しき瓶の破片を手に持ち、これでアルフレッドを突き刺そうと突っ込んでくる。
 何とかこの状況をやり過ごすには、不本意な形ではあるが強引に動きを止めるしかない。
首元や下腹部に狙いを定めて一撃を叩き込まんと構えるアルフレッドであったが、
やはり、難民に危害を加えることを躊躇ってしまい、拳を振り抜くことが出来ない。

「――ダメだねぇ、先生〜。こういう世界≠カゃビビり入ったほうが死ぬって決まってんだぜぇ?」

 笑い声を引き摺りながら両者の間に割り込んだメシエは抜き放った陣太刀を閃かせ、
錯乱した難民の手から得物を弾き飛ばした。
 相手が難民ではなくフェイの子分であったなら一刀のもとに斬り伏せていたことだろうが、
傍若無人な独眼竜も自分の置かれている立場≠ヘ弁えているのだろう。
 襲い掛かってきた相手を脅かす為に陣太刀を大上段に振りかざしたものの、
これを振り落とすような動きは魅せなかった。

「頼むから落ち着いてくれ。我々はあなたたちに害を為そうというわけではなくて――」

 怯え続ける難民に対して手を差し伸べようとするアイルであったが、
事態はそんな努力すら嘲笑うように悲劇的な方向へと動き続ける。
 アイルの言葉に耳を傾けて少しずつ警戒を解こうとしたとき、不意にその人の体が痙攣したかと思うと、
そのまま前のめりにばったりと――血の池に大きな波紋を立てて倒れ込んだ。
 一体何事かと呆然と、愕然と一行は固まり続けている。
難民の頚椎と頭蓋骨との間に、この状況でそう表すのはいかにも不謹慎であるが実に見事な腕前で、
ナイフが深々と突き刺さっていた。
 アルフレッドが視線を正面に戻すと、そこにはいつの間にかローズウェルの姿があった。
この惨劇の場にはまるで似つかわしくない晴れやかな笑顔で手を振っているではないか。

「危なかったじゃないの。油断しちゃダメダメよ」
「どういう……どういうつもりだ? 無抵抗な、戦意など一切持たない人間を手にかけるとは……! 
貴様は人間らしい神経を持ってないのか?」

 難民など殺しても当然と言わんばかりのローズウェルの態度を受けて
激しい怒りに衝き動かされたアイルは、傾向してきたMANAをも手放して飛び掛かっていったが、
冷静さを欠いた状態では胸倉を掴むことさえ出来ない。
 ローズウェルにとって与し易い相手となったアイルは、素早い動きで眉間へナイフを突きつけられ、
そのまま進む事も引くこともかなわなくなった。
 奪還に動こうと身構えるディアナたちに向かってアイルを突き離したローズウェルは、
駄々をこねる子どもたちを見つめるような調子で肩を竦めた。

「おバカさんたちねえ。このローズウェルお姉様が親切丁寧に教えてあげるからよーく聞きなさい。
フェイたちがやっていることも、幕府がやっていることも、どっちも同じなのよ。
幕府――っていうかギルガメシュが今までに『こっちのエンディニオン』の住民に何をしてきたのか、
分かっているでしょ? 何の罪も無い人を次から次に殺したじゃない。
ヤツらがこっちの同族を殺すなら、こっちがヤツらの同族である難民を殺したって何もおかしくないでしょ? 
これはただの報復――お分かり?」

 ローズウェルが『現実』として突きつけようとした報復の論理は、あくまで彼の個人的な考え方に過ぎず、
いくらでも反論の余地がありそうなものだし、アルフレッドもそうしようとは思った。
 だが、自分とて半分は復讐心に突き動かされ、ギルガメシュを倒す為の計画を練っていたのだ――
そのことに気が付くと、口舌も思考も止まってしまう。
 グリーニャの焼き討ちが、クラップの死が、アルフレッドにとってギルガメシュひいては幕府を
滅ぼす為の行動の原動力になっていた事に違いはないのだ。
 そして、その心境に揺り動かされて為した策略が実行されたならば、
今広がっている現実以上の血みどろの惨劇が訪れることはほぼ間違いはない。

(俺もこいつらと、同じ……なのか……?)

 ローズウェルの身勝手な理論によって、図らずも自分がフェイたちと同類項になり兼ねない事実に
気付かされたアルフレッドは目の前が真っ暗になったような感覚を覚えた。
 ギルガメシュを攻め滅ぼすという大義名分にかこつけて、
自分は途方もない悪行に手を染めようとしていたのではないだろうか――
その事実が彼を徹底的に打ちのめしている。

「立ち止まっている場合じゃないわよ、アル! まだ全てが終ったわけじゃない……行こうッ!」

 ローズウェルが笑いながら去った後も自問自答を繰り返して動けないままでいるアルフレッドに、
ジャーメインはそう言って喝を入れる。
 これ以上の犠牲者が出る前に、何としてでもフェイの凶行を止めなければならない。
彼女の言葉にようやく落ち着きを取り戻したアルフレッドは、
頭の中に残る疑問を振り払って最上階へと急いだ。
 一行の最後尾に控えたケロイド・ジュースは、無言のままでアルフレッドの背中を追い掛けるばかりである。
 もう少しで最上階まで辿り着くというところで一向は足を止めた。
階段の途中で降りてきたフェイとばったり出くわしたからだ。

「遅かったな。全部片付いたぞ……」

 張り付いたような笑い顔をさらすフェイの右手には、
かつて彼が愛用していたツヴァイハンダーとは別の剣が握られている。
 その姿が物語るのはフェイが聖剣エクセルシスを手に入れたという事実である。
 伝説上の武具だけあって、見たこともない形状の剣であった。
両刃の一振りであることは間違いないのだが、刀身は暗闇の如く真っ黒であり、
そこには血管のような紋様が刻み込まれていた。
 しかも、だ。紋様は赤く明滅しており、さながら脈打っているようにも見える。
 切っ先の辺りには人間の心臓を彷彿とさせる生体部品まで取り付けられているではないか。
これはハッキリと細動している様子が分かる。その様子はまさしく本物の器官≠セ。
 鋼鉄と生物が融合した存在――それが神話の時代より伝わってきた聖なる武器だと言うのか。
レイチェルなどはあからさまなくらい怪訝な顔を向けている。
伝説の勇者が手にしたと伝承される武器とは思えないほど禍々しいのだから当然であろう。
鋼鉄と生物が一緒くたになったという印象は、聖剣(エクセルシス)などではなく、
クリッターにこそ相応しいものではないだろうか。
 疑問の次にレイチェルに押し寄せたのは、神々への冒涜に対するマコシカの酋長としての憤慨であった。

「フェイ、あんた――あんた、まさか、エクセルシスを罪もない人の血で穢したのッ!?」
「いきり立つな、マコシカの酋長よ。……いや、そうだな――貴様らの与太話に付き合わされて
遠回りさせられたのだ。聖剣がマコシカなどではなくこの俺を選んだという現実を畏れるが良い」

 エクセルシスと思しき剣の刀身は、
難民を斬り捨てたときに付着したであろう赤い液体によって彩られていたのである。
 それはつまり、マコシカに伝承されてきた神話と言うことに他ならないのだった。

「フェイ兄さん……」
「ダメだ、遅すぎたか……」

 フェイの様子を窺うに、銃声が全く聞こえなくなった事から鑑みるに、
サグ・メ・ガルにいた難民は彼らの手によって全滅させられたと考えるのが正しいだろう。
 全てを悟ったアルフレッドとヴィンセントが――誰もが力なく打ちひしがれている様に、
渇望していたエクセルシスを手に入れたことに、彼の心は強く揺さ振られたのだろう。
 フェイは更なる高笑いを上げ、刀身についた返り血を素手で拭って舐めとってみせた。
 高笑いを続ける彼の口内が真っ赤に染まっていく様がアルフレッドたちからは厭でも見える。
 こんな時にまで傍から片時も離れなかったジョアーナを抱き寄せると、
彼は口中の血液を口移しで彼女にも味わわせる。
 正常な神経の持ち主であれば、このような行為は到底耐えることなど出来ないのだが、
「これが、あの憎い憎い難民たちの味なのですね。何て甘美な、そしてたぎる味なのでしょう。
さあ、その剣でより多くの難民を屠り、私にもっとこの味を感じさせてくださいませ」と、
薄ら寒くなるほどに上機嫌なのだ。
 この言葉を聞いてより強く笑い声を上げるフェイに戦慄を覚えたアルフレッドたちは、
何も発せられずにただ彼らを見つめていた。

「……狂っている……」

 狂気を孕んだ――というよりは狂気そのものであるフェイの姿に対して
アルフレッドは背中に冷たい物が流れる感触を味わい、
生まれて初めて兄貴分に向かって侮辱の言葉を発してしまった。
 おそらくは難民をエクセルシスの試し斬りに使ったであろうフェイに対して、
アイルやダイナソーは我を忘れて襲い掛かってもおかしくはないはずなのだ――が、
もはや、誰もがフェイと言う存在に慄(おのの)き、怒りの感情さえ刈り取られてしまっている。
 それほどまでにこの男が纏うモノ≠ヘおぞましいのだ。
もはや、フェイ・ブランドール・カスケイドは英雄などではない。この世を乱す魔王としか思えなかった。

「今更だぜ、先生。こいつはハナから狂ってんだよ。身内っつー甘っちょろいフィルターが掛かってっと、
判断がマトモじゃなくなるんだなァ。いやぁ、勉強になるぜ、先生=`」

 この場で正常に思考が働いているのは悪態を吐(つ)くメシエくらいなものであり、
他の面々は恐怖に打ちのめされて身じろぎさえ出来なくなっている。
 尤も、戦慄の時間も長くは続かなかった。突如として塔の外から激しい銃声が飛び込んできたのである。

「銃声……? これは……まさか同士討ち……?」

 外にいた難民たちはフェイたちに殺されている。そして、生き残りを始末するにしては発砲の数が多過ぎる。
とするならば、ケロイド・ジュースが考えたようにフェイの部下たちが何かしらの理由で
仲間割れを起こしたのだろうか。
 そのように彼が危惧するのも当然と言えば当然であるが、それにしても理由が思い当たらない。
些細なことが狂乱の引き金ともなり得るのだから予測し切れないのだが、
それはともかく、アルフレッドの頭脳が危険信号を発した時には銃声は止んだ。
 恐る恐るといった調子でローガンから窓から地上の様子を窺うと、
攘夷を掲げてきたフェイの部下たちが難民と同じように屍を晒しているではないか。
 地面に溢れた血の海は、更に広がっている。

「おいおい、何やねん……こらアカンでアル。どないする?」
「どうするもこうするも、何が起きているのか分からない状況では迂闊に動くべきじゃないぞ」

 さしものローガンも驚天動地の展開が重なり続けたことでさすがに動揺している。
 そうこうしている内に大勢が揃って階段を駆け上ってくる足音が聞こえてきた。

「……こんな所にいたのか、アル」
「お前、どうしてここに……」

 フェイの兵士を掃討してサグ・メ・ガル内部に侵入してきた相手にアルフレッドは驚愕させられた。
現れたのはボルシュグラーブ――バルムンクだったのである。
彼によって率いられたギルガメシュの軍勢がなだれ込んできた次第であった。
 余りの急展開にアルフレッドは驚いたものだが、そうしてばかりもいられない。
何しろ足元には幾人もの難民がその屍を晒しているのだ。
仮にボルシュグラーブがフェイたちによる攘夷活動の通報を受けてサグ・メ・ガルまで急行したのだとしたら、
この状況下に自分たちが居合わせていることは非常に厄介であった。
これでは攘夷に加担していたと判断されてもおかしくないだろう。
 そうなれば難民保護を唱える組織の幹部がどうように行動するのかなど火を見るより明らか。

「……ボルシュ、落ち着いて聞いて欲しい。俺たちは今回のこと――攘夷とは無関係だ。
そんな事をする理由があるはずないということは、他ならぬお前だけは分かってくれるだろう?」
「想い出してください、私たちはこの世界の為に手を取り合おうと誓い合ったではありませんか!」

 旧友の姿を確かめるなり身構えたボルシュグラーブに向かって、
自分たちは攘夷とは無関係とアルフレッドもマリスも弁明しようとしたのだが――

「アル、マリス……言いたい事はそれだけか? まさか、その口先だけの事で俺を信用させようだなんて、
そんな甘いことを思っているんじゃないだろうな? ……だがもう遅い! 
今更、何を言われようとも俺はお前たちを信じない――信じられない……ッ!」

 ――当人は旧友たちの言葉を受けても顔色一つ変えずに殺気を放ったままだった。
ほんの一瞬だけ、マリスを見つめるときだけは悲しげな表情を浮かべた。
 何故、自分たちのいうことを信じてもらえないのか。以前、ボルシュグラーブの別宅で話し合った時は、
罠だとは気付かずに自分の提案を快く受け入れたはずだ。
 それなのに、急に態度を豹変させた理由は何なのか。
思い当たる節のないアルフレッドにはどうにも納得できなかった。

「――は〜いはい、茶番はここまでに致しましょう。わたくしも芝居は嫌いじゃありませんが、
このような場所でこんな三文芝居を鑑賞するほど物好きでもございません」

 緊迫した場面でこの慇懃な物言い――ボルシュグラーブの背後からアルフレッドたちの前に
のっそりと姿を現したのは、死の商人としても名高いK・kであった。
 ワーズワース難民キャンプの暴動を経て佐志で別れたときと比較しても特に変化はなく、
相変わらずでっぷりと太った彼は、丸い顔をアルフレッドに向けると、
何がそんなに嬉しいのだろうか、これまた相変わらず下品な笑顔を見せた。

(K・kがボルシュの傍に? ……そうか、そういう事だったんだな)

 この一連の流れでアルフレッドは全てを察した。
 何故、フェイたちがギルガメシュが扱う物と同じ武器を所有していたのか。
『アルト』の大敵とも呼ぶべき相手と手を組んだK・kが取引によって得た銃器を、
彼がフェイたちに密かに流したからであろう。
 アルフレッドがボルシュグラーブを利用していたことも、ここでフェイたちが攘夷を企てたことも全て――
両者の間で二重スパイの如く立ち回ったと思しきK・kが密告した所為で気付かれたに違いない。
 勿論、カネに汚いK・kがタダで動いていたとは思えないが、そんな事はどうでもいい。
また、彼とコンビを組んでいるローズウェルもこれに一枚噛んでいるのは明らかだ。
 現にフェイたちと共に難民を虐殺していたはずの彼がいつの間にか姿を消しているのだ。
 恥知らずとしか言いようがなかった。ワーズワース難民キャンプの悲劇に遭遇し、
そこで使われた銃器にフェイの関与があったことをほのめかしておきながら、
商売のチャンスを嗅ぎ付けるや否や、自らそれ≠食い物にし始めたわけである。

「アル、こいつだけはブチのめしても良いわよね。こいつだけは許せないわよね!?」
「……抑えろ。ここでこいつを殴ったら、俺たちまで攘夷の一味と見なされる……!」

 今にもK・kへ殴り掛かりそうなジャーメインを抑えるアルフレッドも腸が煮えくり返る思いであったが、
ここで先制攻撃を仕掛けようものなら、より一層、自分たちの立場が悪化するばかりである。

(……攘夷の一味――か。汚辱に塗れているという点は、俺だってもう同じ穴の狢、か……)

 ボルシュグラーブから向けられる憎悪の眼差しがアルフレッドの心を軋ませていた。
今更になって旧友を裏切った罪悪感が押し寄せてきた次第である。
 ギルガメシュへの報復を完遂するということは、つまり旧友をも滅ぼすということだ。
この真っ直ぐで友情に厚い青年の首級(くび)を取るということなのだ。
 アルフレッドの心は荒波に遭遇した小舟のように激しく揺らいでいた。




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