2.昇竜(のぼりりゅう)の陣太刀


「――アルの奴、なんか急に雰囲気、変わってねぇか? 
夏休みの間に非行に走っちゃったハイスクールの同級生、想い出したんだけど」
「マコシカに辿り着く前の記憶がないでしょーが、あんた。適当なコト、言ってんじゃないわよ。
それとも急に海軍時代より前まで遡って想い出したワケ?」
「物の喩えじゃねーか。おまけに俺っち、海軍とはちょっと違ぇーし。
そろそろ、ダンナの前職くらい憶えろっつーの」
「あんたが前職をハッキリと想い出したらね」
「それ、ツッコまれたら何にも言えね〜んだけど」

 そう言って口火を切ったのは、ヒュー・ピンカートン、ツッコミを入れたのは妻のレイチェルである。
 半ば破綻したとも言える史上最大の作戦の立て直しや激化しつつある攘夷運動について、
この地を実質的に取り仕切っている女傑――クレオパトラらと話し合うべく、
他の仲間たちを伴って佐志からグドゥーまで出張って来たのだ。
 今し方、話題に上ったアルフレッドとは暫く別行動だった為、グドゥーでの合流が久方ぶりの再会である。
 そのアルフレッドは暫くマイク・ワイアットが治める『ビッグハウス』に滞在し、
幕府発足や攘夷派による難民虐殺事件の対応――と言うよりも、
これらを逆手に取った謀略を仕掛けるべく冒険王たちと連日連夜に亘って議論を続けていたのだった。
 しかも、だ。その間(かん)にスカッド・フリーダムから「世界秩序を乱す存在」と一方的に見なされ、
『七導虎(しちどうこ)』なる最高幹部を刺客として差し向けられている。
アルトのエンディニオンの諸勢力から成る軍事同盟に於いて、
影響力を持ち過ぎたアルフレッドを警戒しての暗殺計画であった。
 この暗殺計画はスカッド・フリーダム戦闘隊長が強行に推し進めたものである。
世界規模の軍事同盟で作戦立案を主導したという事実を根拠として、
在野の軍師ひとりの意思によってアルトが操られていると言う結論は、
浅慮どころか、被害妄想にも等しかろう。
 結果的にその被害妄想は自滅と言っても過言ではない幕切れとなった。
タイガーバズーカが誇る名門、バロッサ家の一族によってアルフレッドとその仲間を囲み、
二〇〇人もの援兵まで送り込んだにも関わらず、返り討ちに遭ってしまったのである。
 その上、スカッド・フリーダム隊内でも義の道に悖る暗殺への反発が広がり、
護民官としての任務に支障を来(きた)すほどの大混乱に陥っていた。
 そこへ付け入るかのようなタイミングでノイの総合格闘技団体『バイオスピリッツ』から
「同じ格闘家集団として、どちらが上なのか白黒つけよう」と挑戦状を叩きつけたことがダメ押しとなり、
いよいよスカッド・フリーダムは在野の軍師にかまけてはいられなくなった。
 『七導虎』の中でも随一の実力者であり、ジークンドーの誕生にも浅からぬ因縁を持つ武術――
ケンポーカラテの使い手であるビクトー・バルデスピノ・バロッサとの死闘で
半死半生の重傷を負ったアルフレッドにとって、暗殺計画の頓挫は九死に一生を得たようなものであった。
 マリスのトラウム、『リインカネーション』で負傷個所こそ回復したものの、
肉体に蓄積された疲弊までは完治させられないのである。
 かつてセフィがギルガメシュの光線銃に胸部を撃たれた際、
リインカネーションによる治療を施されて傷口が塞がった後も暫く意識を取り戻さなかったのだが
それと同じ状態に陥ったわけだ。
 二週間もの間、アルフレッドはビッグハウスで入院させられていたのである。
尤も、意識は数日で取り戻しており、すぐに佐志へ帰還しようとしたのだが、
マリスやジャーメインに強く押し止められ、マイクの屋敷で共に策を論じ合っていたディオファントスにまで
「君はまだ自分の立場が分かっていないのか。これ以上、同志に迷惑を掛けるべきではない」と叱られては、
肉体が本調子となるまでおとなしく病床で過ごすしかなかった。
 共に刺客を迎え撃ったザムシードは早々に退院し、御曹司ことグンガルのもとへ戻っていったが、
彼にもビッグハウスを発つ間際まで「くれぐれも無理だけはするな」と釘を刺されたのである。
 件の病院には刺客としてアルフレッドに立ち向かったビクトーも搬送されていた。
筆舌に尽くし難い死闘の末、アルフレッドは折れた肋骨が内臓に突き刺さり、ビクトーは首の骨を折られた。
互いに即死してもおかしくない重傷であり、マリスのリインカネーションが一秒でも遅れていたら、
間違いなく病院ではなく墓穴に放り込まれていたことだろう。
 マリスとしてはアルフレッドを殺そうとした相手を助けるつもりはなかった。
それどころか、彼にリインカネーションを施している間も死んでしまえばいいと
心中にて呪詛の言葉を吐き続けたくらいなのだ。
 そのような昏(くら)い気持ちを覆さざるを得なくなったのは、
ジャーメインから義兄(あに)を助けて欲しいと涙ながらに懇願されてしまったからである。
敵味方に分かれたとは雖も、彼女にとっては身内。どうあっても見捨てられなかったのだ。
 さしものマリスも仲間からの必死の訴えを突っ撥ねることは出来ず、
アルフレッドの治療が終わるとビクトーにもリインカネーションを施したのだった。
肉体を完全に復元させられるトラウムでなければ、
おそらくビクトーは一命を取り留めたとしても二度と戦えないような身体になっていた筈である。
 今もまだ彼はビッグハウスの病院に留まり続けているが、
肉体の疲弊が癒えさえすれば、然るべき場所に帰還することであろう。
 そのとき、暗殺に失敗したビクトーがどのような処分を受けるかまでは
アルフレッドたちにも関知するところではない。

「殺そうとした相手に助けられてりゃ世話ね〜な。……これからどう転がるかは分からねェけど、
義の戦士っつうメンツはブッ潰れたようなもんだぜ。手前ェで手前ェの墓の穴掘りやがったな」

 スカッド・フリーダム襲撃の顛末を聞かされたヒューは、嘲笑と共に唾棄したものだ。
 こうした経緯もあり、ビッグハウスからグドゥーへ入ったアルフレッドに向けて、
佐志の仲間たちは退院見舞いを述べることになったわけだが、
実際に再会した瞬間、ヒューは彼の様子が何か変わったように思えたのである。
 一行を武装漁船のトラウム『第五海音丸』に乗せてグドゥーまでやって来た守孝も
アルフレッドの変化に気付いたらしく、兜のヒサシの向こうで難しそうな表情を浮かべつつ、
「はて、これはどうしたことでござろう」と首を傾げていた。
 一体、どこが変わってしまったのか、具体的に挙げることは難しい。
喋り方や態度がおかしくなったということでもないのだ。
今までのように受け答えは淡々としており、言葉を交わす上ではいつもと同じようにしか見えない。
それなのに心をざわめかせるほどの違和感が付きまとうのである。
 それと、もうひとつ――こちらは判り易いものだが、
アルフレッドとジャーメインの関係が明らかに変わったように見えるのだ。
言葉のやり取りなど距離感は依然と同じようなのだが、気付くとジャーメインが傍らに控えているのである。
 マリスも傍らに侍っているのでふたりきりとわけでもないのだが、
例えばアルフレッドからジャーメインに対する呼びかけがぶっきらぼうなものから「メイ」と愛称になり、
彼女に意識を向ける頻度も増えたように感じられる。

(まさか、フィーのいない間につまみ食いしようってんじゃないでしょうねぇ……)

 不埒なことも一瞬は考えたレイチェルだが、既にアルフレッドはフィーナとマリス――
ふたりの女性に対して道理に反することを仕出かしている。
善からぬ素行からして全く有り得ないことでもない為、脳裏を掠めた疑念を否定し切れないのだった。

「――そーいや、あんたらはあの小僧のお仲間なんだろう? 
うちのメイがスケスケの下着姿であの小僧の病室に忍び込んだっつーウワサもあるんだけどねえ。
そこら辺の事情(こと)、何か訊いてないかい? 
『メイの婆(ババ)様、孫に子種(タネ)はないのか』ってうるッさいんだよねェ」

 さも当たり前のような顔で一行の輪に混ざり、廊下(じべた)に胡坐を掻いているのは
ジャーメインにムエ・カッチューアを教えた師匠――ルシア・レッドウッドである。
タイガーバズーカの出身でありながらスカッド・フリーダムには加わらず、
アルトのエンディニオンに埋もれた武術史の研究を専門に行う考古学者であるというのだ。
 普段は故郷にも寄り付かず、スカッド・フリーダムにも関わらないよう世界各地を飛び回っているのだが、
今回ばかりは特例的にアルフレッド暗殺と言う暴挙を食い止める為、一肌脱いだそうである。
 そもそも、戦闘隊長のエヴァンゲリスタによる暗殺計画は、
スカッド・フリーダム総帥、テイケン・コールレインにも伏せられたまま進行していたのだ。
全てはテイケンが遠方に出張っている間に仕組まれたことである。
あるいは総帥不在の隙を狙った企みとも言い換えられよう。
 出先にて今回の暴挙を知ったテイケンは、偶然に同行していたルシアを使者に立て、
総帥の名に於いて全ての作戦行動を中止させる密書を託し、ビッグハウスへ急行させた次第であった。
 アルフレッド暗殺計画の阻止に寄与したルシアもまたアルフレッドやジャーメインたちと
一緒にグドゥーへ赴き、佐志からやって来た面々と合流したのだった。
 そのルシアは、今、とんでもない爆弾≠一行の輪のど真ん中に投下した。
今まさにレイチェルがアルフレッドとジャーメインの関係を勘繰っていた最中に、だ。
 狙い定めたようなタイミングだったこともあり、
思わずレイチェルは「たにェッ!?」と奇妙な唸り声を洩らしてしまった。

「ちょ、ちょっとちょっとちょっと……そ、それ……マ、マジなの……?」
「いや、ウワサってのはちょっと言い過ぎたかも知れないけど。アタシが勝手に言ってるだけだし」
「ウワサでも何でもない、ただのホラ話じゃないの! 弟子のことなんだから自重しなさいよッ!」
「いわゆるひとつのカマ掛けってヤツ? 可愛い弟子だから行く末が心配になってねェ〜」
「それにしたってタチが悪過ぎるわよッ! こんな話、アルに訊かれたら名誉棄損で訴えられるわよ! 
今日は腕の良い弁護士センセも一緒なんだから!」

 ジャーメインが病床のアルフレッドを誘惑したと言う驚天動地の風聞について、
震える声で真偽を確かめるレイチェルであったが、結局のところ、根も葉もない作り話であったようだ。

「ほ、本当にお願いします、レッドウッドさん……わ、わたくし、心臓が止まるかと……」

 レイチェルのすぐ近くでルシアの話を聞いていたマリスは流石に顔面を引き攣らせている。
夜這いの疑いを耳にした瞬間に身も心も衝撃で打ちのめされていたらしく、
ただでさえ色白な面から殆ど血の気が失せてしまっていた。
 相手が目上と言うこともあって癇癪を起こさずに堪えたのだろうが、
よくぞ我慢したものだとレイチェルは褒めてやりたいくらいだった。
それほどまでにルシアの言行は悪質なのである。

「……あんなぁ、ルシア。お前さんのノリには大抵の人間が随いていかれへんのや。
師匠だの弟子だの言うとるけど、お前さんのやっとることはメイに大迷惑なんやで。
そこんとこ、自覚しとるか? ノリだけで生きとるお前さんのことや、してへんやろ」
「相変わらずアホだねぇ、この男は。あー見えてメイはウブと奥手とヘタレの三拍子なんだよ。
ケツでも蹴ってやらなきゃ男も出来ねーっつの。それとなーく色気のあるウワサを流して、
妙な空気でも作り出してやったら、ちったァ変わるかと思ってさ〜」
「そやから、それが余計なお世話やっちゅーねん! 本人たちにその気≠ェないんやから、
強引にくっ付けようとするなや! ホンマ史上最悪の見合いババアやでッ!」

 同郷の古馴染みであるローガンから注意されてもルシアはとぼけた調子で肩を竦めるばかり。
 アルフレッドとフィーナ、そして、マリスを巡る複雑な人間関係を彼女が承知している筈もなく、
だからこそ、『見合いババア』とまで痛罵されるほど余計な真似を仕出かすわけだが、
それにしても発言が下品と言う自覚がないのは考えものであろう。

「セフィでもいたら、この姉ちゃんも上手いコト黙らせてくれるんだろうけどなぁ」
「弱気なこと言うたらアカンで〜。ここはヒューに踏ん張って貰わんと。
ルシアとレイチェル、中身は案外、似とると思うで? お前さんなら言いくるめられるて!」
「……は? 何? 遠回しに『ババア』って言ってるわけ? 
ローガン、あんた、さっきこっちの人を『ババア』呼ばわりしてたわよね?」
「レイチェルもなんでそこに喰いつくねん! 問題はそことちゃうやろ! こんなん冤罪や!」

 普段であれば下卑た話にも喜んで食いついていくヒューであるが、
仲間たちの間に不和を生じ兼ねない状況だけに悪ふざけをする気にもなれないのだ。
 女性を紳士的にエスコートする才能に長けたセフィは、
アルフレッドの依頼を受けて遠方まで調査に出張っており、グドゥーには足を踏み入れる予定もなかった。
「肝心なときにいやしねぇ」と不意に愚痴ってしまうヒューであるが、こればかりは仕方あるまい。
彼が帯びた任務は極めて重大なものなのだ。

「――っと、遊んでばかりもいられへんな。向こうも終わったみたいやで」

 これ以上、マリスを刺激しない内に何とかしてルシアを遠ざけようと頭の中で練り始めた矢先、
尋問に使用された部屋の扉が開かれた。
 開扉の音へ真っ先に反応を示したのはダイジロウとテッドである。
独眼竜メシエの第一発見者とも言うべき二人は廊下の椅子に腰掛けたまま、
尋問が無事≠ノ終わることを祈り続けていたのだ。
 相手はノイのエンディニオンきっての外道アウトローではあるものの、
今となっては同じ難民であり、加えて少年と言うこともあってどうしても気に掛かる様子だった。
入室時に嵌められた手錠が外れていることを見て取った瞬間、
テッドなどは安堵の溜め息を洩らしたほどである。
 一方のローガンもメシエが五体満足で退室してきたことに胸を撫で下ろしていた。
アルフレッドが熱砂の合戦の折りにギルガメシュの兵を拷問したことは生々しく記憶している。
同じ過ちが繰り返されたりはしないか、師匠としては気が気ではなかったのである。

「――アルちゃん!」

 不埒な企みを抱えたルシアに対して自分の恋人(もの)であることを主張しようと、
マリスは部屋を出てきたアルフレッドの腕に飛び付いていった。
 ルシアによって煽られるまでもなくジャーメインと距離が接近しつつあることに
マリスは尋常ではない焦りを覚えており、今ここで楔≠打ち込んでおこうというわけだ。
 恋人≠ゥらぶつけられた熱情に応えるつもりもないアルフレッドは、
自分の腕にしがみ付くマリスを一瞥するとメシエに食事や衣服の世話をするよう命じた。
それ以外の言葉など必要としていないかのように、ただ指示だけを与えたのである。
 余りにも淡白な態度であったが、マリスのほうは恋人≠フ役に立てることが純粋に嬉しいらしく、
「アルちゃんの為に最高のコーディネートをご覧に入れますわ!」と健気に頷いていた。
 さしもの源八郎もアルフレッドに冷たい視線を送るが、
その眼光で射貫かれた当人は早くも別のことに意識は向いているようで、
ジャーメインに向かって「例の件の手配は済んでいるだろうな」と呼び掛けていた。
 まるでマリスではなくジャーメインこそパートナーと言っているような扱い方であり、
最早、源八郎は肩を竦めるばかりである。守孝もまたアルフレッドの様子に目を丸くしている。

「メシエ君でしたわね? わたくし、マリス・ヘイフリックと申し――」
「てめーのコトもアルフレッドのコトもよ〜く知ってっから、つまんねぇ流れ作業は抜きにしてくれや。
こちとら死ぬほど腹が減ってっから無駄なパワー使いたくね〜んだわ」

 改めて自己紹介しようとするマリスをメシエは「無駄」の一言で遮った。
しかも、だ。ファラ王の屋敷で初めて邂逅したにも関わらず、
この少年は自分やアルフレッドのことを良く知っていると言う。
 メシエの発言の意味を掴み兼ねて首を傾げるマリスに向かって
アルフレッドは「そいつはマルドゥークの一族だ」とだけ伝えた。
 『マルドゥーク』――アカデミーと関わりのある一族の名である。
 その一言で大方のことを察したマリスは、「さぞかし苦労があったのですね」とメシエの頭を抱きしめた。
自分たちが学んだアカデミーが封鎖されたことはボルシュグラーブから聞いている。
それ以降、マルドゥークの一族は路頭に迷い、アウトローに身をやつすしかなかったのだろうと
メシエの艱難辛苦を想像し、堪らなくなったようだ。
 豊満な胸の中に顔を埋める恰好となったメシエは、
「なに勘違いしてんだ、てめぇ! 人の女(スケ)に手ェ出すほど落ちぶれちゃいねぇんだよ!」と
口では突っ張ったことを言いながらも首から下は緊張に固まっていた。
残虐非道にして好き勝手な振る舞いを繰り返しておきながら、
女性から抱きしめられると言う経験とは無縁であったらしい。
 「いい加減にしねぇと四つん這いにさせんぞ、コラァッ!」と喚く声も相当に上擦っており、
そこにアウトローらしからぬ純情さを感じずにはいられなかった。

「……あら? でも、メシエ君は向こう≠ゥらやって来られたのですよね? 
それなのにトラウムを所有なさっているんですの……?」
「る、るせぇな! どーだって良いだろ、ンなこと! ……つーか、もう絶対ェ教えてやんねー! 
少しくれェ年齢(トシ)が上だからってオレのことをナメやがって! ガキだってからかいやがってよォ!」

 豊満な胸の中で窒息したのか、羞恥に悶えたのか、力ずくでマリスの腕を引き剥がしたメシエは、
満面を真っ赤に染めながら乱れ切った呼吸を整えていた。

「相変わらずライアンの知りたい部分だけはダンマリなんだな、彼は。
案外、お前さえいなけりゃ、もっと素直に喋ってくれたかも知れないな」
「……煩い、黙れ」

 最後に退室してきたヴィンセントは、拝借していた手錠(ハンドカフ)を
ヒューに返却しながらメシエの様子に苦笑いを零した。
 自分の犯罪歴については武勇伝のように語りたがるメシエだが、
マルドゥークの一族やアカデミーにちなんだ身の上話になると途端に口を噤んでしまうのである。
 ノイの人間でありながらトラウムを備えていると言う奇妙な事実はアルフレッドも尋ねたのだが、
そのときにも何一つ語らなかった。チャイルドギャングあるいは独眼竜としての非道はともかく、
マルドゥークの一族としての自分のことだけは絶対に喋らない。
 それはまるで、彼自身が過去を否定しているかのような頑なさであった。

「――そう仰ると思いましたので、お召し物はこちらで支度させております。
何でも好きな物を選んでください。シラネくんとパジトノフくんにも約束しておりますが、
例えそれがどのような人間≠ナあれ、難民には必ず手を差し伸べるつもりですので……」
「あんた――」

 メシエを囲むようにして語らっていたアルフレッドたちに声のみで割り込んだのは、
廊下の向こうから悠然と歩いてきたクレオパトラである。
 難民捜索で手抜きをしていたファラ王への折檻を済ませてから駆け付けると言っていたクレオパトラは、
意外な人物を伴って現れた。不肖の夫を逆さ吊りにするだけなら手際よく片付けられたのだろうが、
どうやら並び立つ人物の出迎えに手間取って余計に時間が掛かったようだ。

「……御老公が不在となれば、自ら出張るしかないと言うわけか。それとも、日陰に飽きただけか?」
「相変わらず皮肉がお上手ですこと。佐志にも一度、お邪魔したことをお忘れですか?」

 クレオパトラの隣にて微笑みを浮かべているのは、新聞女王――マユ・ルナゲイトである。
 地獄の悪魔を彷彿とさせる奇抜な衣装を好み、公の場でもこれを着用するマユであるが、
グドゥーの太守との会合と言うこともあり、今日ばかりは素顔を晒して群青色のチュニックに身を包み、
同色のロングスカートを穿いている。背後には執事のアナトールも控えていた。
 ルナゲイト陥落後、ギルガメシュの追撃を避けて安全な土地に逃れていたのだが、
幕府成立と言う事態に至って、ついに表舞台へ姿を現わしたようである。
 あるいはルナゲイト家の健在と内外に示さんとする魂胆があるようアルフレッドには思えた。



 メシエが通された一室には世界中から掻き集めてきたかと思えるくらい種々様々な衣服が用意されていた。
 比喩でなく本当に屋敷内の衣類を寄せ集めたのか、
女性物は勿論のこと、武具・防具の類まで室内に置かれているではないか。
 アウトローの血が騒いだのか、メシエは武具のほうにばかり視線を向けていたが、
そこはマリスが制止し、先ずは貴族風の服を替えるよう指示した。
ノイのエンディニオンに居た頃から着用し続けてきた為か、至る部位が擦り切れており、悪臭まで放っている。
彼女としても堪え切れなかったのだろう。

「先にシャワーをお借りすれば良かったかしら。今からでもお願いして――」
「るせぇなぁ、ちっとは黙ってろよ。……どうせなら、洒落っ気≠フあるほうが面白ェよな」

 尤も、着替えを選び始めるとメシエも少しずつ気持ちが乗って来たらしく、
ウィンドーショッピングを楽しむ買い物客のように色々な衣服を手に取り、自分の身体に当てていった。
 最初は微笑ましそうに眺めていたマリスも、段々と不安な面持ちに変わっていった。
どう言うわけか、メシエは男性物の服には目もくれず、女性物ばかりを選んでいくのである。

「女装趣味がありまして? それとも、実は男の子が好みとか……」
「そーじゃねーよ。洒落っ気≠チつっただろーが。人の話、聞いてねーな、てめー」

 ケミカルウォッシュを施されたと思しきデニムのスカートとレギンスを穿き、
セーラー服に袖を通し、腰にガンベルトを締めてそこに中口径のリボルバー拳銃を差した。
『ロクス・ソルス』と称するトラウムに関係した物ではなく、おそらくは自前の装備を、だ。
 確かに男性用のスカートも存在はしている。セーラー服も元々は男性の船乗りが着用していた物だが、
その奇怪なシルエットを抜きにしても、色彩も組み合わせもデタラメだった。
 メシエは更に女性物であろう細身のランチコートをマントの如く肩に羽織った。
偶然にしては出来過ぎだが、奇しくもアルフレッドと同じ着こなしである。
 尤も、現在(いま)のアルフレッドは鎖帷子を身に付け、ロングコートには袖を通しており、
メシエは一段階前のものを追い掛けるような恰好だった。

「右目を覆う包帯、だいぶくたびれておりますけど、それは変えないのですか? 
クレオパトラさん、眼帯も幾つか用意してくださっていますよ?」
「いらねーよ、ンなもん。しかも、カタナの鍔って……重くて邪魔だろーがよ」

 思い入れがあるのであろうか、返り血の跡と思しき赤黒い斑点が飛び散った包帯だけは
取り替えようとせず、眼帯には見向きもしなかった。
 「カタナの鍔の眼帯なんて似合うのではありません?」と
勧めてくるマリスを無視して革のブーツを履いたメシエは、足に馴染ませようと床を蹴飛ばしてみせた。
煩わしい声は蹴り返すと言う意思の表れであろう。

「そーいや、アカデミー以降のこたァ、オレも全然知らねーんだけどよ――」
「わたくしとしては、アカデミーでのことをもっと教えていただきたいのですが……」
「――アルフレッドの野郎は何でフェイ・ブランドール・カスケイドにこだわってやがんだ? 
難民を狙ってんだから、どうやら共通の大敵らしーがよ、それにしたって執着し過ぎじゃねーか」

 攘夷派と結び付いた敵≠ナあればこそ警戒するのは当然だろうが、
それにしても固執が過ぎると左の隻眼でもってアルフレッドの様子を観察していたようだ。
 アルフレッドとフェイ――両者の関係性を尋ねられたマリスは、
僅かに躊躇った後(のち)、「わたくしも人からの伝聞でしか知らないのですけれど」と前置きして、
ギルガメシュに攻め滅ぼされたグリーニャのあらましを語っていった。
 アルフレッドとフェイが同郷の兄弟分であり、ほんの少し前まで深く信頼し合う関係であったこと。
実際に幾度も共闘したこと。ギルガメシュとの武力衝突の前後からフェイが一方的にアルフレッドを
敵視するようになったこと。そして、ハンガイ・オルスで起こった顛末――
マリスが苦々しげに語る話へ耳を傾けていたメシエは、
「アルフレッドの野郎は敵を作り易い性格だもんな。次から次に狙われるってワケだ」と吐き捨てた。

「オレの予想が間違いでなけりゃ、フェイ・ブランドール・カスケイドの野郎は
アルフレッドへの当てつけにクソったれた騒ぎを起こしてるのかも知れねぇな」
「当てつけ……ですか?」
「試しにアルフレッドの首を差し出してみろよ。攘夷派の動きもちったァ静かになるんじゃねーの」
「そ、そんなこと……」

 ふと、立てかけてあった一振りのカタナが目に留まったメシエは、これを手に取った。
少しばかり刀身を引き抜いて刃紋を確かめてみると、
鍔元から中ほどに掛けて昇竜のような意匠が刻み込まれているではないか。
 両刃の剣に巻き付く竜の意匠にすっかり魅せられたらしいメシエは、
玩具を前にした子どものように無邪気に笑い始めた。

「オレに言わせりゃ、アルフレッドもフェイもちっちぇんだよな。
兄弟分なんつー甘っちょろくておセンチなモンに振り回されてっからアタマがおかしくなるんだぜ」

 青みがかった鉄鞘より白刃を一気に抜き放ったメシエは、
ツカを両手で握り締めるや否や縦一文字に一閃させ、次いでこれを擦り上げてみせた。
 彼は知る由もないが、手に取ったカタナの銘は『廣光(ひろみつ)』、
号は『大倶利羅(おおくりから)』――ルーインドサピエンスより旧(ふる)い時代から
伝わってきた宝刀であるそうだ。

「相手が誰だろうが、……親兄弟だろが、ナメたヤツには思い知らせてやりゃあ良い。
オレならそうするね。アルフレッドの野郎もビビってねぇで、とっとと覚悟決めろってんだ」
「メ、メシエ君……?」
「何ならオレがこのカタナでフェイの首、取ってやろうか。アルフレッド先生≠ノ代わってよォ――」

 いきなり白刃を振るい始めた独眼竜に異様な気配(もの)を感じたマリスは、
正気を疑うような眼差しで彼の身を案じている。

「……上手いこと飼ってくれねェと、あっさり手を咬むかもしれねぇぜ、先生――」

 自分と同じ深紅の瞳でもって不気味がられていることに勘付き、
これを面白がっているのか、独眼竜メシエはひたすら高く嗤(わら)い続けた。




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