6.逃げるは恥だが腹は減る


 敵の施しを受けるわけにはいかないと強情を張っていたクトニアであるが、
鼻を通って胃袋を直撃するソースの香りに敵うはずもなく、
ジェイソンがヤキソバパンを差し出した瞬間になけなしのプライドが陥落した。
 半ば無意識にパンとペットボトルを受け取りながら口につけることを躊躇ったのは、
「施しを受ける」という行為そのものに貴族としての矜持が揺らいだからではなく、
良心の呵責に苛まれた為である。
 ここから離れた地点には執事のアルコルを待機させている。
いけ好かないがゼラール・カザンもいる。
崩壊した軍事拠点を這い出し、逃れる最中であった彼らは満足に食事を摂ることさえできず、
現在(いま)も疲弊に蝕まれている。
 ゼラールに至っては自分たちを全滅の窮地から救うべく無理に無理を重ねてしまい、
未だに身体を上手く動かせないような状態に陥っていた。
 それにも関わらず、自分ばかりが食事を提供されて良いわけがない。
とんだお人好しと自嘲したくなったが、覇天組と同じように不倶戴天の敵である『戦乙女』の一団まで
クトニアの脳裏を掠めたのだ。

「『腹が減っては戦は出来ぬ』――だよ、クトニアくん。身体が資本なんだし、元気を作らなきゃ。
空回りするくらいの元気がクトニアくんの取り柄なんだから、それがなくなったら寂しいよぅ」
「だから、どうしてお前はそう馴れ馴れしいんだ。
私の何が分かると言うのだ、ラドクリフなんかに……」
「またそんなツレないこと言ってぇ。ぼくが食べさせてあげようか? 『あ〜ん』ってやって」
「いらんっ! というか、そんなことをされたら、そこの青髪に恨まれそうだ!」
「青髪ってボクのことかよ。何ならボクも一緒に『あ〜ん』ってしてやろうか?」
「シェインくんも一緒だなんて、出血大サービスだね。
むしろ、ぼくのほうが食べさせて欲しいくらいだよ。さあ、クトニアくん、こっちにパン貸して?」
「何なんだ、貴様らは! ……ええい、寄るな! 自分で食えるっ!」

 クトニアが食事を躊躇う理由を察したラドクリフは、
ときとして己を苦しめる足枷となってしまう生真面目さから解放してあげようと、
様々な言葉を紡いで彼の心に寄り添っていった。
 このようなときにまで矜持にしがみついてしまうのは美徳ではなく愚行というものであろう。
気高く生きようとする信念は尊いが、
その為に身体に負担を掛けては本末転倒とラドクリフは考えたのだ。
 そのラドクリフにはジャスティンのほうからフルーツサンドが提供されていたのだが、
彼はそれに手を付けず、そのままクトニアに手渡していた。
 「身体に負担を掛けては本末転倒」という考えと明らかに矛盾した行動であろうが、
友人を案じる健気さに物言いを付けてしまうような無粋な者は、この場には誰一人として居なかった。

「なんだか、こいつ、セシルに似てね〜か? オイラだけか、そう思ってるの」
「奇遇ですね、ジェイソンさん。私も今、同じことを言おうと思っていましたよ。
物腰なんかそっくりじゃないですか。良かったですね、セシルさん。相性良さそうですよ」
「……よしてくれ」

 ジェイソンとジャスティンの言葉にヌボコは苦笑とも自嘲とも取れるような表情を見せた。
もしかすると苦々しい思いを噛み潰した為に顔が歪んだのかも知れない。
 二人の見立てがあながち間違っていないことがヌボコに複雑な思いを抱かせている。
クトニアと同じように堅苦しい性情≠ニ言う点は本人も自覚するところであり、
仮にドラシュトゥフとヒロユキがこの場に居合わせたなら、
彼らと同じように「相性が良さそうだ」と笑ったに違いない。
 だからこそ、ヌボコとしては複雑であった。
シェインたちの雰囲気に流されたような形になっているが、
相手がギルガメシュ副司令付きの副官を名乗る以上、覇天組としては即座に逮捕すべきなのである。
「敵に施しを与える」ということに蟠りを持ったのもその為であるし、
標的が疲弊している今こそ好機と訴えてくる戦士としての感覚≠ノ衝き動かされそうにもなるのだ。
 しかしながら、反撃すらままならないほど疲弊している相手を
力でねじ伏せることに躊躇を覚えるのもまた事実である。
 これが師匠のアプサラスや、裏の仕事≠ノも手慣れているドラシュトゥフであったなら、
淡々とクトニアを仕留めたことであろうが、
ヌボコの良心は人の道に背く振る舞いを決して許さないのだ。

(……似ているのは俺のほうじゃないだろう……)

 それともうひとつ、ヌボコには非情に成りきれない理由があった。
 ふとした瞬間にクトニアが垣間見せる誇り高さは、
かつて陽之元に於いて貴族階級に在った実父の面影を思い起こさせるのである。
 欲望の赴くままに政治を操ってきた旧権力と、
この打倒を目指した者たちの間で繰り広げられた全国規模の内戦――
『北東落日の大乱』を経て政体そのものが一新されたのだが、
旧権力の只中に在って内側から腐敗を正そうとした人間がいなかったわけではない。
 ヌボコの実父はその象徴(シンボル)とも呼ぶべき政治家だったのだが、
それ故に旧権力側の者たちに忌み嫌われ、ついには暗殺という最悪の末路を辿ったのである。
 そう言う意味でも「クトニアと似ている」という評はヌボコの心に突き刺さるのだった。

「――おっ、ついに行くか、行くのか、クトニア!?」
「ぼく、小鳥の餌付けはやったことないんだけど、きっとこんな感じなんだろうなぁ。
すっごくドキドキするし、心がぽかぽかするね〜」
「う、うるさいっ、見るなっ! それに貴様、馴れ馴れしくて鬱陶しいんだよ、……シェイン」

 だからこそ、クトニアがヤキソバパンを包んでいたラップを外した瞬間に
ヌボコは心の底から安堵したのである。
 実父は政敵の罠に嵌って牢獄に繋がれたこともあった。
そのときには飲食の一切を断って獄中闘争を繰り広げたというのである。
 対してクトニアのほうは諦めにも近い面持ち――ラドクリフの説得を容れたということだ――で
ヤキソバパンに齧(かじ)りついている。その姿を見届けたことで初めてヌボコは
クトニアと実父とを切り離して考えられるようになったわけだ。
 さりとて、己の信念に殉じた実父とクトニアの人間の器≠比べて、
その優劣を分けたということではない。クトニアも自分と同じ少年だと安心したのである。

「餌付けか――俺も大豆のクッキーバーなら持っているが、食うか?」
「んぐ!? ま、待て! これ以上、敵の施しを」
「ラドクリフから押し付けられたフルーツサンドを抱えて離さないくせに何を言っているんだ」
「むごもごっ!」

 覇天組隊士としての使命よりも自分の感情を優先させてしまったことを
心の中で養父(ナタク)たちに詫びるヌボコだが、
それでも人の道に背けなかった自分を否定したくはなかった。
 結局、クッキーバーを口の中に押し込まれてしまったクトニアは、
ヌボコ以上に複雑な心境で咀嚼を続けている。
 同い年の少年たちに囲まれて張り詰めてきた気持ちが緩んでしまい、
半ば根負けのようにヤキソバパンを受け容れたのだが、
遠くで待機している人々への負い目だけはどうあっても飲み下せない。
 それでも身体中には活力が漲っていく。
その度に自分一人だけ生命を繋いでしまったかのような苦しみが折り重なっていく。
 「他日に逆転を期す為に今は恥を忍ぶのだ」と
自分自身に対して虚しい言い訳を繰り返しながら平らげたヤキソバパンとクッキーバーは、
今まで食べたどんな料理よりも美味く、そして、ほんの少しだけ苦かった。

「ラドだって腹減ってるんだろ? 何か食べなくて平気なのかよ?」
「オイラ、ドライフルーツなら少し持ってるぜ」

 背中からシェインに抱き着かれ、正面に立つジェイソンから左右の掌で
頬を捏ねられていたラドクリフは、空腹を心配してくれる親友二人に対し、
「出来れば、それもクトニアくんにあげて欲しいな」と首を横に振った。

「ぼくは大丈夫。シェインくんたちとまた会えたことで胸いっぱいだもん」
「ボクだっておんなじ気持ちだけど、それじゃ腹は膨れないだろ?」
「おうとも。やせ我慢なんかしやがったらオイラとシェインでお仕置きだかんな」
「……クトニアくんは頑張り屋さんだからさ、パワーも人一倍、消費が早いんだ。
ちゃんと食べて、元気になってもらったほうがぼくのほうも安心なんだよ」

 あくまでも友人(クトニア)のことを優先するラドクリフがいじらしくなったシェインは、
「お前が本当に変わってなくて、ボクも安心したよ」と帽子の上から彼の頭を撫でた。
 シェインの優しさを感じて一等気持ちが緩んだのだろう。
ラドクリフはますます脱力し切った表情(かお)になっていく。
彼の頬を弄んでいたジェイソンなどは「餅みてーだぞ、おい」と心地良さそうだった。

「こうなると昼の弁当を置いてきたのが失敗だったな。セシル、何とかならないか?」
「手分けして行う調査の中間報告を兼ねて、隊士全員で食事を摂ることになっておるだろう? 
教皇庁の人間も同席してな。……その取り決めは守らねばならん」

 「そこを何とか」と合掌して拝み倒そうとするシェインであるが、
対するヌボコは決して首を縦には振らなかった。

「ピクニックではなく、あくまでも現地調査なのですから。
本隊に預けてある弁当を勝手に持ち出したら副長さんに叱られますし、
何かあるのではないかと怪しまれるに決まっていますよ。
シェインさんの気持ちもお察ししますけど、それは藪蛇というものです」
「……ジャスティンの言う通りだ。俺だって意地悪で言っているわけではない」

 ヌボコの心中を察したジャスティンがシェインに言い諭していく。

「ヒロユキならまだしもドラシュトゥフにこいつのことがバレたら俺にも庇い切れない。
……局長が情けを掛けようとしても、副長が許さんはずだ」
「覇天組ってカタいよなぁ、そーゆートコ」
「俺に言わせれば、お前たちが自由過ぎるだけだがな。普通、敵を」
「……お前たちは覇天組ではないのか?」

 フルーツサンドの最後の一欠けらを咀嚼しながら二人の少年の会話へ耳を傾けていたクトニアは、
シェインの発言に違和感を覚えた。漆黒のプロテクターを纏っていることから
今の今まで隊士の一員と思っていたのだが、覇天組と言う組織に対して随分と他人事ではないか。

「この中に限った話だと、覇天組の隊士はセシル一人だよ。
ボクらは屯所に居候させてもらってる身でね。今度の調査にも無理言ってくっ付いてきたんだ」
「教皇庁とか言う連中の目を欺いてやったのさ。いわゆる、隠れ蓑ってヤツだぜ」

 不思議そうに首を傾げるクトニアに対して、
シェインとジェイソンはあっさりと自分たちの立場を明かした。
覇天組の機密に抵触するようなことでもないので、隠し通す理由もないだろう。

「うんうん、そのプロテクター、すっごく似合ってるよ、シェインくんっ。
ぼく、ちょっと見惚れちゃったもんっ」
「だろ! 密かに気に入ってるんだよね、コレ」
「おいおい、オイラはシカトなのかよぉ、ラド〜」
「だって、ジェイソンくんはそんなガシャガシャ付けてると邪魔なんじゃないかなーって。
体術使いなんだし、もっと身軽なほうが良いんじゃない?」
「いや、これ、上手い具合に設計されてんだよ。関節の動きとか妨げね〜し」
「……ま、こーしてフル装備だったら誤解されても仕方ないかな」

 同時にクトニアがいきなり斬り掛かってきた理由もシェインは納得していた。
このプロテクターを纏っているのだから仕方ないが、
彼は自分たちのことを覇天組の隊士と勘違いしていたわけだ。

「――あ、そうそう。クトニアくん向けにもう一つ、
ぼくのほうから補足説明すると、シェインくんはフィーナさんの幼馴染みなんだよ。
一緒に戦っている仲間って言い方のほうが良いのかな」
「『戦乙女』の仲間ぁッ!?」

 ペットボトルに口を付けていたクトニアはラドクリフの言葉を受けて
お茶を霧のように噴き出し、同時に飛び上がるほど驚いた。
 比喩でなく、本当に飛び上がって驚いたのだ。地面に腰を下ろしている状態から跳ね飛び、
着地と同時に鞘へ納まっていた両刃剣のツカに右の五指を引っ掛けたくらいである。

「タイミングが見つからなくて言いそびれていたんだけど……、
あのね、シェインくん。その『戦乙女』――フィーナさんもすぐ近くにいるんだよ」
「フィー姉がッ!?」

 クトニアに続いてシェインをも驚かせたラドクリフは、
『戦乙女』と呼称されるフィーナやその仲間たちとギルガメシュの軍事拠点で交戦し、
その後に仲間の裏切りによって宇宙兵器で攻撃され、絶体絶命の窮地に陥ったことなど、
ここに至るまでの経緯を順を追って説明していった。
 この周辺がクレーターだらけになった経緯やギルガメシュが保有する宇宙兵器の存在など
ラドクリフが明かしたものは、まさしく覇天組が探るべき情報であり、
ヌボコは何時になく真剣な面持ちで話に聞き入っている。
 クトニアの立場からすればラドクリフの行動は決して容認出来るものではなかった。
ギルガメシュの機密を漏洩するのも同然であり、また同士討ちという恥を晒しているようなものだった。
 本当ならば、今すぐにでもラドクリフの口を塞ぎたい。塞がなければならないはずだった。
それ故に苦虫を噛み潰したような面持ちで立ち尽くしているのだ。
食事を提供してもらった恩≠烽るので、ここは黙認するしかないと考えたわけだ。
 何とも義理堅い少年である。今でこそギルガメシュの少年兵として戦争に身を投じているのだが、
幼い頃より施されてきた貴族としての英才教育の賜物か、
受けた恩は必ず、そして、すぐに返さずにいられないようである。

「……今の話は聞き捨てならん。俺の立場としてはクトニアの身柄を拘束して
尋問をせねばならんところだが……」
「ま、待ってくれよ、セシル! それはッ!」
「分かっている。……だから、俺も困っとるんだ」

 義理堅さは誠実性にも通じるものであり、クトニアが悪い人間でないことが伝わってくるからこそ、
シェインは両者の間に立って庇うのだ。
 そして、一度は父の面影を重ねてしまったヌボコもシェインと同じ気持ちを汲み取っている。

「……お前こそ本当に良いのか、シェイン? 相手はギルガメシュだぞ?」
「覇天組の使命は重々分かってるつもりだけど、やっぱりここでとっ捕まえるのは賛成できないよ」
「覇天組は関係ない。俺が心配しているのはお前自身のことだ。
……故郷を滅ぼした相手なのだろう、ギルガメシュは」

 クトニアを捕らえるか、否か――その判断に於いて、ヌボコはシェインの心情を重視した。
 いくらラドクリフの紹介とはいえども、故郷を攻め滅ぼし、友人を殺し、
最愛の幼馴染みまで奪い去った怨敵の一員を本当に受け容れられるのか、
そこまで割り切れるのか、ヌボコはそのことを心配していた。

「まさか、お前はグリーニャの――」

 シェインとヌボコの会話に閃くものがあったらしいクトニアは呻いて絶句した。
 首魁たるカレドヴールフが軍事拠点でもないような山村を焼き討ちした事件は
異なるエンディニオンで戦っている別働隊にも知れ渡っている。
 ギルガメシュは新時代の秩序を標榜している。
その志があったればこそ、過酷な戦争にも突き進んでいけると言うのに、
首魁たるカレドヴールフが無意味な虐殺に走るなど断じて許されるものではない。
 義憤に駆られた虐殺の舞台が『グリーニャ』と言う山村であったとクトニアは鮮明に記憶していた。
 故郷の名前を口にしたクトニアに対して、シェインのほうも静かに頷き返す。
その瞳には怒りでも憤りでもなく、ただ哀しさのみを宿していた。

「……本当に良いのか、貴様――いや、シェイン。ギルガメシュを本当に受け容れるつもりなのか? 
ラドクリフに義理立てするつもりなら、……そんな同情は真っ平御免被るぞ」

 これはクトニアの言葉である。ヌボコと同じ問いかけではあるものの、
ギルガメシュが――グリーニャを滅ぼした組織の人間が発した場合、意味と重みは大きく異なるだろう。
 無論、クトニア本人がグリーニャ攻めに加わったわけではない。
それでもギルガメシュの一員であることに変わりはないのである。

「ギルガメシュにも色々な人がいるってことは分かったからね。
……ラドも言っただろう? ボクはギルガメシュと――お前の仲間と戦ってきたって」
「……ああ……」
「グリーニャをやられたことに恨みがないって言ったら、正直、ウソになるけど、
自分ばかり不幸だなんて言いたくないからね。……戦いって言うのは命のやり取りだ。
ボクだってそれが分からないほどバカじゃないつもりだよ」
「……刃を交えるのは戦場でのみ。そこから外に恨みは持ち出さないと……そう言うことか?」
「そんなところさ。……そんな風に考えられない人もいるけど、
ボクは真っ向から違うって言っていきたいね」

 難しい質問を投げかけられてもシェインは決して取り乱したりはしなかった。
あくまでも冷静に、そして、努めて明るくクトニアと向かい合っている。

「生命を張るってのはお互いに本気でブン殴るってコトだけどよ、
ある意味、究極の『お互い様』って言えるんじゃねぇかな。
合戦場から離れた場所で相手に恨み言ぶつけるなんざ弱虫のやることだぜ」

 シェインの背中を押したのは隣で聞いていたジェイソンだった。
 ギルガメシュに殺された仲間の仇を討つべく故郷を飛び出したジェイソンとて、
クトニアに私怨をぶつけようとは思わないのである。
 シュガーレイとずっと行動していたなら、あるいは問答無用でクトニアに襲い掛かったかも知れないが、
現在(いま)は違う。肩を並べて立つシェインと同じように戦時と平時を
割り切って考えられるようになっていた。

「……故郷を奪われた恨みとそこまで向き合えるのか――強いな、お前たちは……」

 シェインとジェイソン――同い年と見える二人から恨みとは違う眼差しを受けたクトニアは、
両刃剣のツカに掛けていた右の五指を離した。
 報復の剣を振り上げられたときには自らも白刃を抜かねばならないと思い、
身を強張らせたわけだが、もはや、その必要が全くなくなったのだ。
 それ以上に二人が見せた心の強さがクトニアは眩しかった。
亡国の貴族としての運命を背負う自分とは異なる心の在り方が眩しくて仕方なかった。
 一方、双方の様子を見つめていたラドクリフは、クトニアが両刃剣を抜かないだろうと確かめると、
心の底から安堵の溜め息を吐き、次いでシェインのほうへと向き直った。

「……それからベルちゃんのことなんだけどね……」
「ベルッ!? な、なんでラドがベルのことを!?」

 今度はシェインのほうが飛び上がって驚く番だった。
それも無理からぬことであろう。カレドヴールフに連れ去られて以降、
コールタンに訊ねても安否が不明のままであったベルについてラドクリフが言及したのである。

「そ、そうか、お前、ギルガメシュだもんな! そ、その話し方ってことは、
ひょっとして、ベ、ベルに会ったのか!? 元気か、ベルはッ!?」
「元気、元気! シェインくんと会いたがってたよ。ぼくもベルちゃんとは友達に――」

 身を乗り出してきたシェインにラドクリフがベルの仔細を話そうとした――そのときであった。

「――みなさん、逃げてください! すぐに離れてッ!」

 切羽詰まったジャスティンの声がシェインたちに危急を告げた。
 その直後には少年たちの背にしていたクレーターの一部が突如として崩落し、
大量の土砂が上空から降り注いだのである。
 逸早く避難を呼びかけられたこともあり、土砂の下敷きだけは免れたものの、
一体、何が原因で崩落が発生したのか誰にも見当が付かなかった。
 ジャスティンとてクレーターに亀裂が走った瞬間しか捉えきれなかったのだ。

(いや、違う。あれは亀裂と言うより切断されたような……ッ)

 視界を完全に覆い隠す砂埃が風によって洗い流されると、そこに一つの人影が現れた。
 黒猫の如き肌に灰色の髪――長い前髪でもって顔の右半分を覆い隠した青年が
崩落した岩石の上にて屹立していたのである。
 鋼鉄の篭手であろうか、右の下腕の辺りが銀の光沢を発する金属によって覆われているのだ。
そこには大振りの刃(ブレード)が接続されており、
付け根≠ノ当たる部分は縦横無尽な可動式のマニピュレーターになっているようだった。
 ところが、だ。誰もが篭手に覆われているものと認識していた青年の右腕が
何の前触れもなくいきなり生身に戻った。篭手を外したのではなく生身に変身したのである。

「今のって、まさか――」

 機械から生身へと変身する様子にシェインは見覚えがあった。
さりとて、それはトラウムではない。変身(トランスフォーム)ということであれば、
アルフレッドの『グラウエンヘルツ』やイーライの『ディプロミスタス』など
該当するトラウムも確かに存在するが、青年の見せたそれ≠ヘトラウムとは異なる能力だった。
 そして、その能力の名称をシェインはアレクサンダー大学に所属する人間から聞いたことがあった。

「――『メタル化』っ!?」
「……やっぱり、そうなのか……」

 シェインが『メタル化』と口走った瞬間、青年は目を細めて頻りに首を頷かせた。
何やら納得するものがあったらしいのだが、対するシェインたちには何のことだか意味が分からない。

「一人で納得していないで、名前くらい名乗ったらどうなんですか? 
……今の崩落、状況から考えてあなたがその刃(ブレード)でやったとしか思えないのですが?」

 明らかに自分のほうから現れたにも関わらず、青年は顎に手を当てて暫し物思いに耽っていたが、
ジャスティンから誰何されたことでようやく一向と向き直った。

「僕の名前か――呼び方はたくさんあるから、どれを教えたら良いのか……」
「何をワケの分からないことを言っているんですか」
「……刃(ブレード)にちなんで『ルドルフ』――とだけ名乗っておくよ」

 シェインたちは既にそれぞれ武器を構えている。ラドクリフも抜かりなく短剣を拾い上げていた。
 自分たちを岩石の上から見下ろしてくる青年――ルドルフは明らかに敵≠ナある。
先程の土砂は『メタル化』によって作り出された刃(ブレード)を用いての奇襲ということで間違いない。

「ダイジロウ・シラネやプロフェッサー≠フことを嗅ぎ回っていたのはキミたちだな? 
陽之元の覇天組まで動かすとは大したツテだけれど……」
「お前、一体……」
「……アレクサンダー大学の人間――これだけ名乗ったら十分かな?」

 ルドルフが口にした『アレクサンダー大学』という言葉にシェインは双眸を剥いて驚いた。
それは『メタル化』と言う能力を備えた者たちと関わりの深い大学の名称である。




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