5.How does it feel?


 フィーナの告白とハーヴェストの“審判”から一夜明け、アウトバーン行を再開した一行は、
シャッガイを筆頭とする強力なクリッターを打尽にした勢いに乗って目的のアクパシャ保護区まで
一気に通過―――することはなく、現在、その足は訳あってミキストリ地方へと向いていた。
 “ミキストリ地方行き”と印字された電光掲示板の指示に従ってインターチェンジを降り、
その先の標識通りに道行けば、鉄鉱採掘が盛んな街ポディーマハッタヤへ辿り着く。
 キャットランズ・アウトバーンの管理局が常設されているその鉱山街にアルフレッド一行の姿はあった。
 目的は一つ。管理局へクリッター討伐の報告に向かうハーヴェストのお供である。
 クリッター掃討の戦場に居合わせたアルフレッドたちを“正義の使者の朋友”として紹介したいと
ハーヴェストから誘われたのだ。

 ニコラスの手前、余計な寄り道を避けたいアルフレッドはやんわりと謝辞したのだが、
ハーヴェストとの同行を熱望するフィーナがこれに難色を示し、頑として譲らなかった結果、
目的地から反れてポディーマハッタヤへ向かわざるを得なくなった次第だ。
 「オレの我が儘で始まったことなんだから、道草は少しも構わない」とニコラスは了承してくれたものの、
アルフレッドには気乗りしない寄り道だ。
 いや、“気乗りしない”と言うよりも、非常に気まずい。
 自分の詰めの甘さが災いして経路設定が乱れに乱れ、その挙句に寄り道すると言うのだから、
先を急ぐニコラスには申し訳無い気持ちで一杯だ。

(………今はニコラスの都合を最優先させなければならないときだと言うのに………。
道草を食える立場でないと言うのに………俺と言う男は………ッ!)

 ………尤も、アルフレッドが気まずく感じる要因は別にあるようだが。

「いいか、フィー。管理局に顔を出したらすぐに本来のルートに戻る。
急ぐ旅にも関わらずお前たちの我が儘に付き合うのだから、それくらいは譲歩しろ。良いな?」
「………………………」
「………無視か。反応も示さないパターンの完全無視か」
「コ………、コカー………」

 ちなみに―――他の面々が寄り道を了承する中、なおも食い下がって説得せんとしていた
アルフレッドの脇をムルグが嘴でもって突っつき、それが決定打となって
彼も渋々折れたと言う経緯がある。
 なにしろアルフレッドとムルグはフィーナには一つ大きな蟠りがある。
 罪の告白に対してハーヴェストが下した審判を受け入れ、再び前向きな気力を取り戻した直後、
アルフレッドとムルグは、疑心暗鬼も甚だしい嫉妬に突き動かされてその場へダイビングし、
一連の感動的な流れをブチ壊しにしてしまっていた。

 そこから先はクラップが呆れ声で吐き捨てた通りである。
 折角、ハーヴェストと心通わせていたところを最悪の形で邪魔されたフィーナは
顔を真っ赤にして激怒し、以来、主犯格の二人とは口も聞かない状態が続いている。
 「これ以上、事を荒立てても状況を悪くするだけだ」と大人の妥協をムルグに促されては、
アルフレッドとしても強硬な態度を崩すしかあるまい。

 かくして妥協と譲歩の末にやって来たポディーマハッタヤは、一行の抱える鬱屈した思惑を
吹き飛ばすインパクトでもって出迎えてくれた。
 一目見て言葉を失うほどの驚愕を与えてくれたのは、その懐へ潤沢な鉱脈を秘すドライラム・マウンテンだ。
標高にして千メートルは優に超しているだろう巨大な鉱山と、そこに設置された採掘用の巨大な足場を背景とする
町並みの至るところには、ドリルやマトックと言った器材が散見された。
 どうやら、このポディーマハッタヤには一環千金を狙う鉱夫たちの夢と浪漫が無数に燻っているようだ。
 一仕事を終えて炭鉱から上がってきた筋骨隆々の男たちがサルーン(※酒場)で、
一杯ひっかける姿も採掘器材と同じくらい見つけられた。
 サルーンの一つから見世物であるフラメンコギターの陽気な音色が漏れ出しており、
その達者な演奏には思わず足を止めて聴き入りそうになるが、足並みの乱れは鉱夫たちの笑い声が防いでくれた。
 アルコールの入った彼らのダミ声と言ったら、フラメンコギターの演奏を掻き消すほどにやかましく、
「聴く気が無いのか」と演奏者が気分を害してしまわないか、他人事ながら心配になってしまうくらいだった。
 それでいて無粋に感じないのが不思議なところである。
 一仕事終えた鉱夫たちの笑い声は底抜けに陽気で、溌剌で………一攫千金に夢と浪漫を燃やす情熱の迸りが感じられた。
 生きることへ真剣に臨む彼らの情熱が心地良いからこそ、フラメンコギターの演奏者も
席を立つことなく弦を弾いていられるのであろう。

 金鉱が発見されたときに巻き起こるゴールドラッシュのような活気が、ポディーマハッタヤ全体に宿っている。
 写真でしか見たことのないゴールドラッシュの様子と、ここポディーマハッタヤの活気を照らし合わせながら、
シェインはそんな感想を一人ごちた。
 フィーナもフィーナで初めて見る光景に興奮気味だが、町並みの特色を話題に声を掛けてくるアルフレッドやムルグには
完全無視を決め込み、間に挟まれる恰好となったのハーヴェストを「子供じゃないんだから………」と大いに困らせた。
かく言うハーヴェストもアルフレッドには少なからず蟠りを残しているらしく、
ムルグとフィーナの関係修復は取り成そうとしてくれるものの、もう一人の青年には気の無い返事をするばかりで
仲裁に入る素振りは全く見られない。

 今のフィーナに絶大な影響力を有するだろうハーヴェストに突き放されたとあっては、いよいよ八方塞である。
 ネイサンに生温かい眼差しで肩を叩かれ、ホゥリーに嘲笑われ、クラップにまでメールでこき下ろされて
盛大に肩を落とすアルフレッドは、今もってグラウエンヘルツの変身が解けていないだけに
とてつもなくシュールだった。

「正義を愛する戦士たちが力を結集すれば、滅びぬ悪などどこにもないのですッ!
それが正義の、正義たる由縁ッ! 邪悪なる影を暴き、光明によって撃ち祓うことは、
あたし一人では出来なかったかも知れません。でも、あたしは一人じゃありません。
正義を愛する仲間たちがいてくれたから、あたしは戦い、そして、悪に勝ち得たのです。
あたしに感謝はいりません。ですが、正義の仲間には拍手を送ってあげてください。
命と信念を賭して人類の天敵に挑んだ彼らこそ称えられるに相応しい勇者なのですからッ!!」

 挨拶と報告――と言うよりも正義の、正義による、正義の為の勝利宣言――を終えて管理局を辞す頃には、
陽はすっかり西へ傾いており、すっかり鉱夫たちの姿も見られなくなっていた。
皆、家に帰り着くか、サルーンへ転がり込んで酒盛りをしているのだろう。
 もう少しで薄暮が訪れるような頃合となってはキャットランズ・アウトバーンへ戻ることも出来ない。
 この日はポディーマハッタヤに宿を取ることとなり、またしてもアルフレッドは胃にキリキリと痛みを覚えたが、
フィーナから掛けられる無言の圧力の前には、最早、彼は無力である。
 ニコラスへの気まずさを深めながら、断腸の思いでこの鉱山街での宿泊を認めたアルフレッドは、
夕食を摂りに入ったサルーンでまず真っ先に胃薬を注文した(もちろんここはドラッグストアではないと断られたが)。

「―――ンで、結局、フィーはジャスティス馬鹿に随いていくってことでアンサーなリエゾン?
ここでパーティをゲラウトヒアするのカナ? カナ? カナ? カナ?」

 ―――と、久しぶりに屋根のある場所でのゆっくりとした食事を満喫している最中に
答えにくい質問を唐突にぶつけられたフィーナは、口に含んでいたココアを盛大に噴霧してしまった。
 その先に口も聞きたくないアルフレッドがいたものだから、気まずさは割増だ。

 口は聞きたくないが、さりとて謝らなくては彼女の気が済まない。
 とりあえず急場を筆談で切り抜けることにしたフィーナは、謝罪の言葉を書いたコースターに
自分のハンカチを添えてアルフレッドに差し出すと、一抹の心苦しさを引き摺りながら
「まだ怒っているんだから」と表すようにそっぽを向いて見せた。

 仲直りの道のりはまだ遠そうだが、それでも今のアルフレッドにはこの上なく喜ばしく、
顔面にかかったココアを拭うのも忘れてフィーナを見つめている。
 ………繰り返しになるが、こうなっては執行者の威容も形無し、台無しである。

「………ホゥリーさんさぁ、もーちょっと場の空気を読んでよ。フツー、その話題を、今、持ち出す?」
「ボキをオツムの軽いハイスクール・ガールと一緒にしないでくれるかネ。
空気をリードして、あえてディスのトピックをピックアップしたのサ♪」

 ネイサンもネイサンでホゥリーの発言には虚を突かれたらしく、
フィーナのように噴霧するのだけは回避できたものの、激しく噎せ返ってしまった。
 わざとトラブルを惹起させるかのような態度をネイサンも咎めてはみたが、
人間に備わって然るべき常識や理性と言ったネジが何本か千切れ飛んでいるホゥリーが
聴く耳を持つハズも無く、注意に対してふてぶてしく開き直る有様だ。
 場の空気を乱した自分の弁に些かも悪びれていない様子は、見る者全員を心底苛立たせた。

「………本当に趣味の悪いヤツだ」
「ボキからルックしたら、チミのがメニメニ悪ホビーだとシンキングよ。なんなの、そのコート姿。
ショルダーのホーンとかグレートメニー邪魔ジャン。フォックスみたいなアイ付きもチンピラっぽいし、
ホラ、隅っこのテーブルのチルドレンなんか、チミをルックして泣きべそかいてるヨ♪」
「好きでこんな恰好している訳じゃ―――俺だって一刻も早く解けて欲しいと思っているんだ」
「またまたまたまた〜。そんなことスピークして、リアルはずっとトランスフォームしてたいんじゃナッシング?
チミみたいなタイプはむっつりスケベのポテンシャルがあるもんだしィ、
ちょっとアブノーなメタモル願望があってもストレンジじゃナッシングって言うかぁ〜」
「妄想も甚だしいな。マコシカのレイライナー(※魔術師)と言うのは、
皆、貴様のような妄想癖に取り憑かれているのか? それともレイライナーと言うのは表向きの触れ込みで、
本当はジャンキーか何かの類ではないのか、貴様? そうであれば虚言も幻覚症状で説明がつく」
「あらあらあらあら〜、ボキらの軍師サマともあろうアルフレッド様がとんだルック込みギャップだネ。
そもそもボキは―――」
「―――うるさい、黙れ」

 この男、空気を読まない発言ばかりか、ハーヴェストが固辞した報酬の金まで横取りしていた。
 「ピープルが用意してくれたマネーをシャットアウトするなんてバチヒットもグッドだヨ。
ありがたくゲットして、ネクストのジャーニーに役立ててこそ冒険者なのサ」などと
適当な理屈をこねての横取りなのだが、実はホゥリーは件の戦闘では何ら活躍していなかった。
 アルフレッドに指示されて魔法の準備はしていたのだが、それを発動させる寸前でハーヴェストが乱入した為、
結局、攻撃も支援も何一つ行なっていないのだ。
 にも関わらず、“正義の味方の朋友”を気取って報酬を、それも全額を懐に仕舞いこむなど厚かましいにも程がある。
 よくも平気な表情(かお)をして同席できるものだと彼の神経を疑い、心の底から疎ましく思っていた矢先に
空気を乱す発言と来れば、アルフレッドでなくても殺意を覚えて然りだろう。
 実際、報酬を横取りされたときには眉一つ動かなかったハーヴェストの表情がみるみる険しくなっている。

「ま、まぁ―――アレだよ、ほら、アレ。ホゥリーが空気読まないのは今に始まったことじゃないって。
それにさ、アル兄ィ、ホントのジャンキーだったら魔法なんか使えないって。
神人のほうがドン引きして力貸さないでしょ、多分」
「向き不向きで言えば、ちょっと特別なタイプのほうがレイライナー向きなんじゃないかな?
特別ってのとはちょっと例えが違うかもだけど、ハーヴさんが正義の味方に適してるようにさ。
その人に相応しい天職ってのがあると思うんだよ、僕は」

 このままにしておくと乱闘騒ぎにまで発展すると察知したシェインとネイサンは、
あざとさ全開のわざとらしい素振りで話題を切り替えにかかった。

「―――そうなのよッ! その人のポテンシャルに適した進路を示唆してあげるのが
先行く者に課せられた使命なのよッ! 先行く者だからこそ噛み分けられる酸いも甘いもッ!
学んだ全てを伝えてこそ魂は継承されるのだわッ!」
「………僕、もしかして地雷踏んじゃった感じ?」
「そして、ここに正義を共有できる小さな勇者がいるッ! 英雄の卵が誕生したッ!
その場に居合わせた運命の偶然―――いえ、必然を、あたしは【イシュタル】に感謝しているッ!
猛烈に感動したこの出逢いッ! 一期一会の魂の触れ合いッ! あたしはこの宿命に希望の萌芽を見たのよッ!
芽吹いた希望に、あたしは、あたしの全てを受け継がせたいッ! 
正義の使者を継ぐのは、あたしと正義の路を往けるのは、キミしかいないんだ、フィーッ!!」

 ………話題の切り替え、見事に失敗。
 かえってハーヴェストに話題をぶり返す口実を与えてしまったらしく、
ネイサンは「どーすりゃいーんだよッ!?」と肩を竦めた。
 なにしろ顔を見合わせて悲嘆してくれるハズのシェインまでもがハーヴェストの雄弁に
シンパシーを覚えて聴き入っているのだ。肩を竦めて不貞腐れる以外に鬱憤の落としどころは見つかるまい。

「あたしにはキミの考えが理解できないわ。今まで庇護してきた大切な人が巣立っていくのは
確かに寂しいことかも知れない。どんなに切ないかも知れないわ。
でも、これは別離じゃなくて未来への飛翔なのよ。再会したときのフィーを想像してみてよ。
大きく、とても大きく成長したフィーの姿に、キミは何も感じないのかしら?」
「理解しなくて結構だ。お前などに世話を焼いて貰うまでもなくフィーは進歩していく。
俺たちと旅する中でな」
「それが家族の、いや、男の傲慢だと言っているんだよ。誰だっていつまでも同じ場所にはいられないでしょう?
いつかは違う路を行くんだ。キミも、フィーも。その瞬間が今なんだよ!
巣立ちの邪魔をする親鳥や兄弟を、キミは見たことがあるかい? ないだろッ!
それは何故か? ………寂しさで流す涙が、次の再会には喜びの涙へ変わると知っているからだよッ!」
「大体にして矛盾していることに気付かないのか、貴様は。貴様、手元に置いて成長を促すだの、
何だのと抜かしたが、今まで通りに俺たちと旅するのと何が違う?
環境の変化が刺激を与える理屈はわからんでもないが、それを論拠とするには、貴様の雄弁はあまりに空虚だ。
何の根拠も無い精神論を振り翳し、しかも、正義の名のもとに危険にばかり首を突っ込む人間になど
どうしてフィーを預けられるものか」
「鳥かごの中に押し込めておくことと、自由の空で朋友が傍に随いていることはまるで違うッ!
その身が空にあるか否かの違いが、キミには全くわかっていないんだよッ!
鳥は! 翼はッ! 空の高さを知ってこそ、強く羽撃く術を求めるものなんだからッ!!」
「屁理屈ばかりこねてくれる………!」
「どっちがッ!?」

 不意に発言のチャンスを掴んだハーヴェストは、先ほど抱いたホゥリーに対する苛立ちを
アルフレッドに対するそれへと転化したらしく、フィーナの進路について火の玉のような熱さと勢いで
一気呵成に捲くし立てた。
 当たり前と言えば当たり前なのだが、彼女を自分の手元に置いて育てたいと申し出たハーヴェストに
アルフレッドは真っ向から拒否をぶつけ、それが新たな口論の火種となっていった。
 一番大切にして来た恋人をどこの馬の骨とも知れない人間に任せる訳に行かないアルフレッドも、
その考えを「フィーナの成長を妨げる原因」だとして認めず、もっと自由な世界で育てたいと主張するハーヴェストも、
お互いに一歩も譲らない。

 仕舞いにはアルフレッドの反論を「男の自分勝手」「フィーナの未来を閉ざす害悪だ」とまで
ハーヴェストは切り捨て、フィーナを巡って火花を散らすと言えば聞こえは良いが、
議論はそのまま討論あるいは論争の様相だ。
 しかも、だ。フィーナもフィーナでハーヴェストの言葉に満更でもない様子で頷いており、
それが余計にアルフレッドの焦燥を煽って止まなかった。

「お姉様の言うことにも少しは耳を傾けてよ、アルっ!」
「おま…、おいッ!? な、なんだ、その“お姉様”と言うのはッ!? お前の義兄は俺で、あいつは他人だ。
言い間違うにも程があるだろう? そこはお兄様だろ、せめてッ!?」
「お生憎様! 魂の姉妹なのよ、あたしとフィーはッ!」
「ハートとハートの繋がりは、肉親と少しも変わらないんだよ、アルっ!」
「誰かトランキライザーを持って来い! この二人に冷静な判断力を教えてやるんだ!」
「クールな判断パワーが必要? だったらチミも打って貰ったら、トランキライザー。
ヘッドにブラッドがアップしっぱなしだよ〜ン♪」
「お前は青酸カリでも呷っていろッ! それを拒否するなら、テトロドトキシンを静脈注射だッ!」

 おまけにフィーナと来たら、いつの間にかハーヴェストのことを“お姉様”と呼ぶようになっているではないか。
 短時間の内によくぞここまで…と目を見張るような急接近である。

「そ、そもそもだ! そう言う話は今すべきじゃないと思うんだがな。
俺たちにはニコラスを送り届けると言う使命がある」
「逃げたわね、卑怯者ッ!」
「なんとでも言え。だが、使命の途中にもう次の話をするのは、あんたの流儀にも反するんじゃないか?
いくらなんでも先走りが過ぎる。いや、今ある依頼への怠慢だと思うんだがな」
「いや、それはどうかな? 客商売やってるから言うんじゃないが、オレたちだって仕事のときは
常に次の動きを考えながら作業してるんだ。そちらが片手間に次の行動を計画するのは、
オレに言わせれば何ら失礼じゃねぇよ。誰でもやってる普通のことだ」

 劣勢を感じ取ったアルフレッドは、ニコラスからの依頼を最優先させることに結論して、
有耶無耶の内にこの話題を切り上げようと試みたのだが、思いがけずニコラス本人から議論の続行を促され、
いよいよ逃げ場を失ってしまった。
 本社のあるフィガス・テクナーなる街へ一日も早く帰りつくのを願っているニコラスであれば、
目の前でこれ以上の寄り道を論じる人々に不満を漏らし、それが話題を終わらせる切り札に
なってくれると期待していた目論見が、ものの見事に崩れ去った恰好である。

「それに今は休憩時間だろ? ましてやじきに別れる居候に気ぃ使う理由なんか無ぇさ」
「気を使うなと言うのは、俺たちの台詞だろう、ニコラス。お前はもっと自己主張して良いんだ。
我が儘を言ってくれても良い。………例えば、この廃油の結晶体を張り倒してくれとかな」
「オーイ、オイオイオイオイ、アルぅ? ザッツはチミのウィッシュだろ〜が。
アザーのせいにして、な〜に大義名分をクリエイトしよーとしてるリエゾン? 
さっきのトピックじゃなし、どっちが悪ホビーなのかねェ」
「そうだ、ヴァランタインさんの言う通りだ。あんたは“自分の仲間”のことを考えるべきじゃないか。
オレにばかり感けててもしょうがねぇよ」
「………………………」
「スピークしてくれんじゃん、ネェ? ………“自分の仲間”と来たもんだヨ」
「………………………」

 ………アルフレッドがポディーマハッタヤへの寄り道について
ニコラスへ気まずさを感じていた最大の原因は、実はここにあった。
 自分の浅はかな謀略の為に、一瞬とは言え、ニコラスの命を秤にかけてしまったことを、
アルフレッドは誰に問われるまでもなく素直に白状し、その場で謝罪していた。
 同じく天秤にかけられていたネイサンは「落とし前ってヤツは必要だよね、親友だけに」と
一発尻を蹴り上げるだけで済ませてくれたのだが、世の中に全く同じ考えの人間がいないように、
ニコラスは彼からの謝罪を素直には受け取れなかった。

 謝罪を投げられた際には確かに「オレがアルフレッドの立場だったら同じことをした」と理解を示し、
気にしなくて良いと言ってくれた。
 ………言ってくれたのだが、それ以来、ニコラスの態度がどこかよそよそしいのだ。
 アルフレッドに対して一歩引いているだけならまだしも、彼に連なる仲間たちにまで
どこか遠慮しがちになっていた―――つまり、距離を詰める前に戻ってしまっていた。
 以前のような敬語こそ使わないものの、意思決定に全く参加しないなど明らかに皆と一線を画しており、
それがアルフレッドを大いに懊悩させている。

(口にチャックをしていれば良かったのか………? バレなければニコラスにもショックを与えなかった。
………だが、仲間と認められる奴に隠し事はしたくない。したくなかったのだが………―――)

 そう苦悩していたところへフィーナのヘッドハンティングとも言うべき今度の騒動が降って涌いたものだから、
ただでさえ捻くれている性根をより意固地にしてアルフレッドはハーヴェストに反抗しているのだ。
 これ以上、チームの状況を悪化させてなるものか…とでも考えているのだろうが、
フィーナ本人がヘッドハンティングに乗り気であることからして形勢は彼にとって甚だ不利である。
 そもそもアルフレッドが悪化させまいとする“チームの状況”からして
彼にとって都合の良い編成=フィーナが傍らにいるのを前提として組んだ隊のことであり、
結局のところ、ハーヴェストが指摘した通りにフィーナを鳥かごに閉じ込めておくようなものだった。
 そのことをハーヴェストは猛然と憤り、男の傲慢と悪し様に吼えているのである。

 フィーナをハーヴェストに預ければ一事が万事上手くいくとは限らないものの、
それでも師匠からの教えの中から必ず何かを掴み、鳥かごの中に限定されるのみでは見つけられない
知恵や経験が得られるのは間違いない。
 にも関わらず、自分とフィーナの関係性へ拘泥するあまり巣立ちを妨げんと躍起になるアルフレッドは、
事情云々を問わずエゴ丸出しの情けない男と断じられても仕方あるまい。

「そう言えば、お姉さまは普段どんな仕事をされているんですか?」
「主にはバウンティハントやクリッターハントだけど、ここ最近は不審な事件が多くてね、
その捜査に借り出されることも多いしさ。正義の太陽が世界を照らし出すには、もう少し時間がかかりそうよね」
「捜査もしちゃうんですか! えっと、推理とか、そんな感じで?」
「いやいや、まずは地道に聞き込みから入るよ。探偵みたいなもんかもだね。
今、追っている事件は、あくまで個人的な調査なんだけど―――」

 大切な少女を掻っ攫おうとする不倶戴天の相手への敵愾心を剥き出しにしつつ、
その半面でニコラスへの対応に苦慮する雁字搦めなアルフレッドを黙殺、
あるいは「どこまでも考えることが小さい」と嘲笑うかのようにフィーナとハーヴェストの会話は
少しの淀みも無く順調に進み、言葉を交わす度に互いの親しみを増していく。

「―――スマウグ総業社長の不審死と、行方不明になっている社員の謎を知りたい」
「――――――………………ッ!!??」

ところが、順調に行くかに思われた触れ合いは、ハーヴェストから発せられたその一言で急転直下を迎えた。
個人的な調査ではあるものの、ハーヴェストはスマウグ総業社長の不審死の謎や、
その社員の消息を追っていると言った。
それが一行にとってどのような意味を持つのかは、和やかなムードから一転して
彫像さながらに凍りついたアルフレッドたちの逼迫加減を見ればわかると言うものだ。

 世間的には不審死として片付けられているスマウグ総業の社長は、
フツノミタマが手を下したものであると彼自身の口から聞いている。
 これについてはアルフレッドたちは全く関与していないのだが、
その死を一行の謀略であるものと誤解させられた社員たちの夜襲を跳ね除け、
返り討ちに全滅させた事実は揺るがし難い。
 事情はどうあれ、一人残らず生害せしめたことをハーヴェストの雄弁する“正義”と照らし合わせれば、
それは間違いなく彼女の忌み嫌う“悪”の所業である。
 まして個人的に調査するくらいこの件に関心を持っているのだ。“悪”の所業をアルフレッドたちが為したものと知れば、
“正義”を標榜する彼女がどのような判断を下すかは論じるまでもなかろう。

 いや、フィーナの告白から既にスマウグ総業崩壊へのアルフレッドたちの関与を認めているに違いない。
 眉間に皺寄せた複雑な面持ちで一行を見回すハーヴェストの態度で
自分たちの秘密が露見しているのを悟ったアルフレッドは、思わず腰を浮かせて食って掛かろうとした。
「それを知っていてフィーに接近したのか? 犯人の懐に潜り込むために」―――と。

「あぁ、シャチョさんと愉快なスレイブどものトピック? アレならボキらでディフィートしてやったんだけどネ♪」

 しかし、その激昂は、あくまで空気を読まないことに固執するホゥリーによって
喉の奥まで押し込められ、怒ることも場を取り繕うことも彼にはもう出来なくなってしまった。
 その上、ホゥリーの煽りは説明不足も甚だしく、社長の不審死にまで関与していると仄めかすような
言い回しになってしまっているではないか。
 愉快犯的な彼のこと、場の空気が底辺へ転落することまで折込済みで不穏当な声を上げたに違いなく、
更にはそれを隠す素振りも見せないホゥリーの態度にアルフレッドは怒りや殺意を通り越して、
何もかもを放り出したくなるような虚脱感を覚えた。

「誤解するな、殺ったのは俺たちだ。フィーはその戦闘に参加していない。
第一、俺たちは社員どもに襲撃された側だ。それを煽動した黒幕もいる」
「ああ、オレたちを襲ってきたヤツの人質にされてたんだよ。あの娘、そのときは意識も無かったし」

 気を取り直したアルフレッドはニコラスと声を合わせてフィーナをフォローしようと努めるが、
言葉を重ねる都度、その場しのぎの嘘のように思えてきてしまい、
とてもではないがハーヴェストを説得するには足りないだろう。
 なお、内容は違えど折り合い悪くなりつつあったニコラスと声が重なったことに、
アルフレッドは言い表しようの無い充足感を覚えたのだが、それはまた別の話。

「落ち着きなさいってば。接近するも何も、フィーから聴かされて初めてキミたちの関与を
知ったんだから、接近のしようもないでしょうが」
「しかし、俺たちは社員を皆殺しに………」
「それについても落ち着いて。スマウグ総業の連中は見つけたとしてもいずれ倒すつもりだったのよ、あたしも」

 鼻息荒く迫るアルフレッドを落ち着けようとするハーヴェストだったが、
彼女は場を鎮めるどころか、またしても混乱を煽る不穏当な言葉を吐いた。

「倒すって………あいつら、一体、何をやらかしたってのさ? 
ボクらの故郷にゴミを持ち込む以外にも悪さしてたってこと?」
「悪さなんてもんじゃない。スマウグ総業の社員は、皆、一級の犯罪者だよ」
「なッ!?」

 ハーヴェストが説明するには、グリーニャに汚染物質を持ち込んだスマウグ総業の構成員は、
その殆どが前科数犯の犯罪者だと言うのだ。
 それも殺人や強盗と言った凶悪犯罪に手を染めていたともハーヴェストは付け加えた。

 どうやらスマウグ総業が持ち込んだ有害物はゴミだけでは無かったようである。
 よくもそのような連中と正面きってやり合い、勝ち残れたものだ…とフィーナとシェインは、
改めて自分たちの置かれていた危機的状況を振り返り、顔を見合わせて身震いした。
 アルフレッドの采配が無ければ、どんな目に遭わされていたかわかったものではない。

「あのクソ社長、とんでもねーヤツらを使ってやがったんだな。
どうりでグリーニャをブチ壊しにしても何にも思わないワケだ!」
「で、でも、どうしてわざわざ危ない人を従業員にする必要があったの?
普通に募集かけたほうが安心じゃないのかな」
「いや、読めたぞ。………山奥の農村は絶好の隠れ家と言うわけか。
工場に入ってしまえば、早々表に顔が出ることもない。まして、住民運動を起こされるような業務だ。
巻き込まれまいと引き篭もっていたと言う風に説明もつく。
おそらく社長は、身柄を匿い、仕事を世話してやる代わりに不当な低賃金を条件に出したんだろう。
低賃金で労働力を使えるのだから、雇い主してみれば、これほど旨いビジネスはないな」
「………………………」
「『アルには聞いてない』―――か。そう言った類の反撃は、せめて口で言ってくれ。
コースターの裏に書くのでなく」
「余計にわかんないなぁ。お給料が少なかったら、それこそ暴動が起こるんじゃない?
脅されるかも知れないのに怖くなかったのかなぁ、あの人。………お姉様は何か知っていますか?」
「………無視か。別の人間に質問を振るパターンの黙殺か」

 ビンゴ、と指を鳴らしながら――正確には指を鳴らそうとして失敗した――ホゥリーは、
スマウグ総業と犯罪者たちの互恵関係を割り出したアルフレッドの推察に捕捉を添える。
 いつになく積極的なのは、フィーナの質問に答えようと身を乗り出したハーヴェストの出鼻を挫き、
彼女の面目を丸潰れにするのが目的だ。
 不機嫌そうに睨んでくるハーヴェストを横目に捉えながら優越感たっぷりに口元を吊り上げて見せるのだから、
アルフレッドの弁ではないが、全く持って趣味の悪い男である。

「裏社会じゃノーマルなハナシだよ、そのカテゴリーのブラックビジネスはネ。
クリミナルだって世間からハイドできる上にリトルでもギャランティーをゲットできるだもん。
メニメニなピープルが飛びつくってモンでショ」
「そこよ、問題は。犯罪者を世間から隠匿して、なおかつ再犯に繋がる金まで渡すなんてッ!
できることなら、あたしの手でブッ倒してやりたかったわッ!!」
「形骸化した法律を逆手に取ったビジネスってのは、同じ商売人の僕としちゃ耳を覆いたくなる話だよ。
商売ってのは清く正しく美しくやるもんさ。阿漕なビジネスじゃ一般受けも狙えないしね」
「つまり、悪い商売は長続きしない―――ってことだよね?」
「まさしくその通りよ、フィー。悪は必ず滅びる。戦いの荒野でも数字の海でもそれは同じことよね」

 “雇用の正常化に必要なのは平等な賃金でもなければ、優良な待遇でもない。
道義を重んじ、不正を誡める道徳心と、一人ひとりの力で世界経済を支えるプライドなのだ。
それが欠落し、無理無体に収益のみを追及した結果がエンディニオンのこの有様なのである”。

 著名な経済学者であるベバレッジ氏の発表した論文には、そのような記述がある。
 今回のケースにそっくり同じ形態の悪しき雇用がエンディニオン中で慢性的に行なわれており、
それによって生じる雇用側のモラルに対する不信や一般人との埋め難い賃金の格差が
社会不安を助長している点も論文は言い当てていた。

 無法が生んだ無道か、無道が横行するからこそ無法と成り果てたのか―――無法と無道、
どちらの先行を論じても詮無いことではあるのだが、ベバレッジ氏の弁を採るならば、
一人ひとりの意識を改革しないことにはどうしようもない問題のようにも思える。
 無法にせよ無道にせよ、道義を軽んじ、不正に手を染めるような人間はやがて誰からも見放され、
社会から完全に淘汰されるのだ。

 そのように世界は動いているし、また、動かなければおかしい(これはハーヴェストの熱弁だ)。
 即ち、邪な輩の蔓延るエンディニオンにはありとあらゆる不信が潜在しているわけであり、
これでは世情が不穏に陥るのも当然の成り行きである―――と以前に読んで感銘を受けた
ベバレッジの論文を思い返しながら、ふとエンディニオンの社会構造を腐らせるファクターに
思いを巡らせていたアルフレッドの後頭部をムルグの嘴がさながら啄木鳥のように突き刺した。

 シュレディンガーと言う強烈無比の攻撃手段や身体能力だけでなく、
不落とも言える防御力をも得られるグラウエンヘルツに変身したままのアルフレッドには
ムルグの奇襲は文字通り痛くも痒くも無いものだったが、そもそも今回の嘴は、
彼の殺傷を狙ったものではなかった。
 嘴で突っつきつつ身体を左右に振って「コッカッ! コッカッ!」と鳴くムルグは、
どうやら周りをよく見るようアルフレッドに促している様子である。

 思慮を妨げられたアルフレッドは不承不承といった風にムルグに従ったのだが、
そこに思いがけないものを見つけるや、「よく教えてくれた」との礼を込めて彼女の頭を撫でた。
 そうしてムルグと頷き合い、憤怒の気色も露に勢いよく立ち上がる。
 アルフレッドとムルグの血走った視線の先には、フィーナの手を握り締めるハーヴェストの姿があった。

 スマウグ総業が処罰されて然るべき犯罪者の巣窟だと訊いたフィーナが
「だったら、私のしたことは罪でも何でも無い」とあらぬ思い違いをしてしまうのではないかと
案じたハーヴェストが先んじて気を回したのである。
 「人を殺めたと言う罪は絶対に忘れちゃいけないよ。受け止めて生きるのがキミの使命なんだ」と
改めて彼女の歩むべき人生を教え諭そうとしたのだが、ハーヴェストの意を汲んだフィーナは
自分を気遣ってくれる視線へ静かに頷き、「お姉様の教えを無駄にはしません」と無言の内に答えた。
それはつまり、ハーヴェストの説いた正義が、着実にフィーナの中に根差している証であった。

 そんなフィーナが愛しくて………ハーヴェストは彼女の右手を――罪と共に勇気を掴んだ右手を
優しく包み込み、今一度、激励を送ったのだ。
 ハーヴェストのいたわりを受けるフィーナの表情はとても満ち足りており、うっすらと頬を紅潮させれば、
逢瀬を楽しむカップルのように見えなくもない。
 「ナウは百合ってジャンルもブームだかんネェ。ザットなイチャイチャもグッドってセイか、
ボキ的にはどんとカミングってフィーリング♪ アイ福アイ福♪」などとホゥリーが煽り立てたこともあって、
アルフレッドとムルグのジェラシーは更に増幅されていた。

「あまり野蛮なことは言いたくないのだが、実力行使でわからせなくてはならないコトも
世の中にはある。そうだろう、相棒?」
「コォカァッ!!」

 アルフレッドとムルグの放つ穏やかならざる剣幕が自分に向けられたものと見て取ったハーヴェストは、
仲裁に入ろうとするフィーナを制し、二人に倣って勢いよく起立した。
 腰に手を当てて仁王立ちし、怒りの眼光を正面衝突させる構図から察するに、
心を通わせる大事な一時へ何度となく無粋な横槍を入れてくるこの二人には
さしものハーヴェストもいよいよ堪忍袋の緒が切れたらしい。

「いい加減、アタマ来たわ、こんちくしょうッ! サルーンの裏に来なさいよッ! 
ケリをつけてやろーじゃないッ! 負けたほうはフィーをスッパリ諦めるッ! これでいーわねッ!?」
「コカカッ! カカ? カーカカカカカカッ!! ココカカカココカァァァーッ!!」
「臨むところだ。自分の吐いた言葉を忘れるなよ」

 フィーナ奪取の障害へ敢然と立ち向かう腹を決めたハーヴェストはムーラン・ルージュを発動させるや、
その先端でもってサルーンの入り口を差した。言わずもがな「表へ出ろ」と言う合図である。
 実力行使での排除を考えていたアルフレッドとムルグにとって、それは願ってもない成り行きだ。
 鼻先同士が擦れ合うギリギリまで顔を近付けたハーヴェストとアルフレッド&ムルグのコンビは、
互いを至近距離で睨む体勢のまま、唖然とするフィーナたちを置いてサルーンの外へと出て行ってしまった。
 当人同士にしか聞こえないほどの小声で何事かを喋っていたようだが、
おそらくは互いを口汚く罵り合っていたのだろう。ガラが悪いにも程がある。

 物々しい様子に一時騒然となったサルーンの客へ仲間の粗相を謝罪したフィーナは、
精も根も尽き果てたと言う風情で椅子に凭れ掛り、「私のために争わないでとか言えばよかったの?」と頭を抱えた。
 三者の対立を止めるに止められなかった自身の不甲斐なさを悔いているのだが、
自制心を喪失するまでに高まっていたアルフレッドとムルグのジェラシーは、
争いの根源たるフィーナの言葉をもってしても、おそらく止められなかっただろう。
 シェインなどは「痛い目見りゃあ、アル兄ィの頭も冷えるっしょ」とドライに言い切ってしまっている。

「他人の命を天秤にかけても平気な腹黒だよ、アルは。それってさ、ハーヴさん、ヤバくない?
しかもさ、アルってばグラウエンヘルツに変身中だし………」
「………………………」

 シェインの言葉に納得しかけたフィーナだったが、ネイサンから発せられたその懸念によって
鎮まりつつあった焦りが再び火勢を取り戻した。
 格闘戦のみならいざ知らず、現在、彼はグラウエンヘルツに変身している真っ最中である。
物質を分解してしまう不可思議なガス・シュレディンガーによって絶対的な攻撃力と防御力を
発揮し得る極刑執行者に。
 しかも今回は、その獰猛さと戦闘力から“グリーニャの最終兵器”、“全殺怪鳥”などと
異名(むしろ畏怖)されるムルグまで随いていっているのだ。
 最凶のコンビがジェラシーを殺気を丸出しにしてハーヴェストへ挑んでいると言うことは、
導き出される答えとは、すなわち―――

「とッ、止めないとッ!!」

 ―――最悪のシナリオを頭に描いたフィーナは、血相を変えて三人の後を追っていった。
 幸いにして戦いの激音や悲鳴の類はまだ耳に入っていない。急げば間に合うかも知れない、と。

「………ムルグはともかくアル兄ィも大概だな。もっとフィー姉ェにしつけて貰わないと困っちゃうよ」

 呆れ果てたシェインの呟きを最後に一行の確保したテーブルは静まり返った。
 アルフレッドたちのせいで一時緊張に包まれたサルーン内も本来の喧騒を取り戻しており、
至る場所で飛び交う陽気な笑い声が静寂に支配されたテーブルへ妙に重く響いた。
 シェインはクラップから送られてきたメールの返事を入力するのに忙しく、
ホゥリーも残ったオードブルをかっ込むのに夢中で、おそらくサルーンの裏手で行なわれているだろう
痴話喧嘩のことなど忘れてしまっている様子だ。
 ネイサンもネイサンで痴話喧嘩が終わるのを待つまでの暇つぶしにと帳簿らしき手帳を取り出して
何事か書き物を始めており、視線を落としたまま終始無言を保っている。
 周りが大盛り上がりしているだけに、交わす言葉の無い食事テーブルほど沈黙の重いものはなかった。

「…………………………」

 その静まり返ったテーブル上で、ただ一人、ニコラスだけはアルフレッドたちが
去っていったサルーンの出入り口をいつまでも見つめ続けている。
 眼差しは深刻そうに細められているが、かと言って痴話喧嘩を案じてオロオロしている風情ではない。
 まるで消えた残像の名残を惜しむような、そんな寂しげな眼差しだ。

「ネイトっちのセイ通り、アザーのライフを天秤にかけても平気ってセイ方もあるだろーけどさ、
リバースでシンキングしたら、どーなんだろネ」
「―――んぇ?」
「ルック通り、アルは何をシンキングしてんのかいまいちシークし切れない腹ブラッククンだけどねェ、
いくらなんでもアザーまでラフに割り切っちゃうほど性悪なんかねェ〜」

 ニコラスの眼差しへ宿った想いを明らかにしたのは、本人の吐露でなくホゥリーの呟きだった。
 残ったオードブルや追加で注文したステーキサンドへ向かったまま視線は合わせないものの、
皮肉めいた言葉はニコラスを目指して続いていく。

「アルにとっちゃチミもすっかりハートから信頼できるチームメイトじゃん?
スカーフェイスと愉快なマリオネットどもをディフィートしたときにだって、
チミの実パワーをアルはチェックしてるリエゾンだしィ〜? 
チミがセルフでピンチを切り抜けられるって判断したんだろーってシンクしたのヨ、ボキはネ」
「………………………」
「―――ンま、アザーのライフだからこそ割り切っちゃうって捉え方もナッシングしにもあらずかナ。
なにしろヤツは腹ブラックの軍師サマだかんネ♪」

 図星を―――アルフレッドに感じていた蟠りをズバリと言い当てられたニコラスは
反射的にホゥリーの顔を凝視するが、彼は向けられた視線に気にも留めずステーキサンドへかかりきりである。
 周りをケチャップで汚したあの分厚く下品な口が、ちょっとした会話にまでいちいち皮肉を織り込んでくるあの口が、
蟠りの核心を突いてきたかと思うと、アルフレッドではないが無性に「黙れ、肉塊」と言いたくなるが、
ホゥリーの発した言葉のお陰で心が軽くなったのは紛れもない事実だ。
 思わず出かかった「煩い、黙れ」を喉の奥へと押し込めながら、ニコラスはホゥリーから貰った言葉を
改めて反芻してみることにした。

 他人の命だからと割り切ったのでなく、ニコラスの実力を信じて自身の手による逆転へ期待したのではないか。
仲間の命を天秤にかけたと言うアルフレッドの謝罪に対してホゥリーの示した見解がまさしくそれである。
 ニコラスのことを“余所者”としてでなく仲間として同等に扱っていればこそ、
非常に危険な賭けにも出れたのだろう―――ともホゥリーは付け足した。

(………オレを…余所者のオレなんかを…本当に仲間だと思って…くれているのか………?)

 シャッガイ率いるクリッター群の襲撃を受けた際に命の取捨選択を行なってしまったと
アルフレッドから聞かされて以来、彼との間に埋め難い溝のようなものを感じていたニコラスだが、
ホゥリーの見解を聞くにつけ、急速にその隔たりが無くなっていった。
 “余所者”だからと軽んじられたのでなく、旅を共にする“仲間”だからこそ窮地よりの脱出を
信じて貰えたのだ―――我ながら単純だと自嘲しつつも、その捉え方がアルフレッドへの蟠りを氷解し、
溝を埋め、心を充足させていくのもまた事実である。

 勿論、ホゥリーが釘を刺すようにして付け加えた「他人だから、余所者だから割り切られた可能性」も
全く考えられないこともないのだが、毎回後ろ向きに捉えてしまってはアルフレッドにも―――仲間にも
大変に失礼ではないか。
 そう前向きになれるまでにニコラスの心は復調していた。

「………なんて言うか、すげぇこじ付けだな」
「根拠がエンプティとでもセイ? い〜じゃんい〜じゃん、ラフにゴーオンよ、チミィ♪
リトルともアザーのライフが云々っつってネガティブなベクトルにアルのソーリーを拡大解釈する
クソ虫よりゃずっともマシと思わナッシング? 人生、ポジティブ以外は損よ、損♪」
「―――まぁ…な」

 どう考えても運送業とは不釣合いな、ガントレットさながらの鉄製の厳ついグローブで固められた左手を
右の指先で意味ありげになぞりながら、ニコラスはホゥリーに頷いて見せた。
 それきりホゥリーは食事に戻り、ニコラスにも最早彼と会話を続ける必要性は見当たらなかった。

 これ以上、言葉を重ねる必要性を感じられないほどに、ニコラスの心は柔らかく解きほぐされていた。
 きっと次にアルフレッドと顔を合わせるときには、先ほどまでとは異なる反応を示せるに違いない。
願わくば、そのときにアルフレッドの顔面(主に横っ面)がフィーナの平手で変形していないことを…と
愚にもつかないことを思い浮かべ、ニコラスをククッと喉を鳴らした。

「―――? もしかして、今、僕の悪口、言ってなかった? なんか悪意を感じたんだけど、気のせい?」

 一テンポ遅れて自分に皮肉が向けられたと気付いたネイサンが顔を上げたときには、
食事テーブルは再びシンと静まり返っていた。

(………信じてみるに足るこじ付けではあるかな――――――“仲間”…だし、な………!)

 周囲から割り込んでくる陽気な喧騒の中、ニコラスの視線は再びサルーンの出入り口へと戻っている。
 消えた残像の余韻を、“仲間”の後姿を求めるその眼差しは、もう寂しさも不安も宿してはいなかった。




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