7.「流れる雲を追いかけたい」と僕の足が云う 「―――ベルフェルに続いてまたも襲われるとはな。災難ばっかり続いているな、そっちは」 『災難なんてもんじゃないよ。戦いが終わった後がまた大変だったんだから。 アル兄ィとクソオヤジ、なんか戦ってる内に通じ合っちゃったらしくてさ、 いきなりハグしだすんだもん。何事かと思っちゃったよ』 「アレか? スポーツ選手がお互いの健闘を称え合うみたいな感じか?」 『そんでもって見詰め合うだろ? もうフィー姉ェが興奮しまくっちゃってめちゃヤバかったよ。 あんな鉄砲水みたいな鼻血、ボク、初めて見たもん。最終的にペットボトル一本分くらいは 行っちゃったんじゃないかな』 「行ったっつーか逝ったっつーか………フィーの奴、よく生きてたな。死ぬぞ、フツー」 『さすがに半分死んでたけどね。つっても死んでたのは顔色だけで、 表情はすっごい幸せそうだったよ。もう悟りを開いたヒトみたいに安らかだった。 “我が人生に一片の悔い無し”って言葉は、こーゆーときに使うんだろうね』 「………イヤ過ぎる人生だな、それ」 『ハグしてすぐに退散したから良いようなもんだよ、あのオヤジ。 あと一分でも長く留まっていられたら、ちょっと本気で命に関わったかもだね』 「死因が興奮による失血だなんて恥ずかし過ぎてお悔やみ爛に載せらんねーよ。 確実にライアン家末代までの恥になるわな。しかも興奮した原因ってのが、 これまたろくでもねぇ理由だし」 そうやって昨夜起こった騒動のあらましをクラップに説明してやったシェインではあったものの、 正直なところ、アルフレッドとフツノミタマとの間で交わされたやり取りについては 多分に自分なりの想像を膨らませて話していた。 両者が演じた激闘には立ち会えず、ぎりぎり決着の間際に間に合ったようなシェインでは、 当夜の情報があまりに不足していて、想像を膨らませでもしなければ説明が補えないのだ。 だったら最初から無理に話さず、見知った限りに留めておけば良かろうが、 あらぬ尾ひれをくっつけて話題(ネタ)を捏造(つく)るのも、遠方にいて事実確認の出来ない人間に 物事を説明する際の楽しみなのだ。 度を過ぎないくらいの作り話やホラであれば、それも話の旨味になるのである。 問題とすべきは捏造の有無でなく、むしろその“尾ひれ”が有害か否かと言う部分であろう。 その点、シェインはフィーナの性情をよく把握した上で、彼女がやらかしそうなコトを想像し、 蛇足や余談の類としてクラップに吹き込んでいた。 いや、本人に確認を取っていないだけで、実は内心で想像上と同じコトを考えているかも知れない。 その可能性は、残念ながら高いと言わざるを得なかった。 フィーナには失礼千万な話だが、当人の日頃の行いが悪いのだから、 狼少年の類例よろしく疑われても仕方あるまい。 (抱き合ったってのは作り話だな。………フィーならそんなような妄想を広げててもおかしくねーけど) クラップもクラップでシェインの言うことは話半分だと割り切って聞いている。 いい加減、この弟分との付き合いも長いのだ。子供だてらに絶妙に信憑性のありそうな ジョークやホラを使ってくるのにもクラップは既に慣れっこだし、いちいち真に受けていたらキリが無い。 シェインの大法螺を適当に流した――けれどもフィーナならやってしまいそうと内心疑念はあるが――クラップは、 机の上に広げてある時計の設計図へ目を配りながらモバイルの通話を終えた。 呟きにもボヤきにも聞こえる溜め息を一つ吐き出したクラップは、気持ちを切り替えて作りかけの時計へ 向かった…つもりだったが、集中すべき意識はシェインの話にばかり取られてしまっている。 遠く離れた場所で旅を続ける仲間たちのことが気にかかって仕方がなかった。 『………結局、てめぇの勝ち逃げだったぜ』 聴きようによっては負け犬の遠吠えそのものな捨て台詞を残して去ったフツノミタマは、 姿を消す間際、見送る人々に背中を向けたままアルフレッドと交わした約束を守ると誓っていった。 結果はどうあれ、敗北を認めた以上は二度と無益な勝負は挑まない、と。 ようやく厄介者から解放されたと喜ぶフィーナやシェインを他所にアルフレッドの表情はなおも険しい。 後ろを取られて組み敷かれた挙句、首を掻かれるとばかり考えていたアルフレッドには、 圧倒的有利であったハズのフツノミタマが自らの敗北を認めた理由がまるでわからないのだ。 あの勝負は、確実に自分が負けていた。大逆転の秘策を弄した覚えもないのに、 最後まで組み敷かれたままだったと言うのに、どうして自分は勝ちを得たのかが アルフレッドには全く納得できなかった。 裏社会の仕事人と言う経歴の持ち主を相手に油断するなと言うのは無茶な話であり、 一旦退いたのも他日に奇襲を仕掛ける為の布石とも限らない―――そうやって疑い始めればキリも無いが、 勝負に関してフツノミタマは潔さを貫いた男だ。 一貫してきた潔さを汚すような真似をフツノミタマがするようにはどうしても思えず、 せめて八割は彼の言葉を信じてやっても良さそうなものではないか。 直接勝負を見届けられないような遠く離れた場所で、しかも、大法螺が多分に込められたシェインからの聞き伝えしか 判断材料が無いにも関わらずフツノミタマの性格とその潔さを鑑みた結論を導き出せると言うのに、 アルフレッドは安心するよう促す親友のメールへ「何も知らないお前に何がわかる」と素っ気無く返している。 普段は無視を決め込んでいるメールを珍しく返してきたあたりがムキになっている証拠であり、 素っ気無さの中に含まれた強い語調がフツノミタマの奇襲を恐れる怯みの表れであった。 心理的な揺らぎを察知するよりも小手先の理論や理屈が先行してしまうアルフレッドが クラップの結論を理解できるようになるのは、まだまだ先のことになりそうである。 ………理論や理屈を超えた信念のぶつかり合いが、フツノミタマの一人の戦士としての魂を震わし、 その境地に決着を見たことも、頭でっかちなアルフレッドには当分悟れぬことだろう。 (手前ェで手前ェの勝ちパターンがわからねぇようじゃ、アイツもまだまだ甘ぇなァ―――なんつったら、 ケツに蹴りが飛んで来るんだろーな。………考えてみりゃ、横暴な野郎だぜ、マジに) そうやって負け犬じみた捨て台詞の裡に秘められたフツノミタマの魂を感じ取ることのできたクラップではあったが、 彼とて万能ではなく、ただ一つだけわからないことがあった。 (………“タテナシ”って、一体、何のことだ………?) 決闘の最後、力強い啖呵を切ったシェインを見てフツノミタマは無表情のままに“タテナシ”と呟いたらしい。 それきり攻撃の手を止め、アルフレッドを解放したと言うのだから、この勝負の本当の勝利者は 漁夫の利よろしく見せ場をかっさらったシェインなのかも知れないが、 それにしても彼を見るなり“タテナシ”と呼びつけるのはどう言う了見なのだろうか。 そもそも“タテナシ”と言う名称を持つモノからして正体が朧気にもわからない。 戦闘的なフツノミタマが攻撃の手を止めてまで呟くからには、相当に大きな意味を持つモノなのは間違いないが、 それにしても断片すら推理材料が無いようでは“タテナシ”の正体も掴めないのだ。 シェインの顔と勇気ある行動を目の当たりにした瞬間に呟かれた言葉である以上、 そこに何らかの意味があると思われるのだが、フツノミタマが去った今となっては事実関係の確認も望めない。 電話の最中、しきりに「“タテナシ”って何だろう?」とクエスチョンマークを飛ばしていたシェインのこと、 しばらくは“タテナシ”なるリドルに頭を悩ますことだろう。 フツノミタマは自分を見て“タテナシ”と呟き、そして、去っていったのだ。 ただでさえ好奇心の強いシェインが気にしないハズも無かった。 シェインの懊悩を見兼ねたアルフレッドが自分を囮にしてフツノミタマを誘き出すなどと言い出さないか、 そればかりがクラップには心配だったが、今のところはそんな無茶はしていないようだ。 珍しく返ってきた親友のメールによれば、アレコレと考え込んでいるシェインの尻を叩きつつ、 キャットランズ・アウトバーン最後のインターチェンジへ向かっている最中らしい。 最後のインターチェンジを降りれば、いよいよマコシカの集落があるアクパシャ保護区に入る。 目的地である古代民族の集落は目と鼻の先にあると言っても差し支えなかった。 アルフレッドが言うには、今日の午後にはキャットランズ・アウトバーンを抜けられるとのことだった。 ふと手元の時計を見やれば、針は午後一時を指している。 アルフレッドからのメールを受信したのが朝方のことだから、早ければ今頃はキャットランズ・アウトバーンを 降りている真っ最中かも知れない。 含みたっぷりだったフツノミタマの捨て台詞が気にならないと言えば嘘になるものの、 今の自分はニコラスを無事にマコシカの民の集落まで警備することが使命なのだと アルフレッドは真面目腐った態度でメールを締め括っていた。 また、アクパシャ保護区へ入る頃にはハーヴェストの姿もパーティから消えているだろうとも アルフレッドのメールには書き添えられていた。 フィーナを挟んでのすったもんだがあった末、結局、ハーヴェストはキャットランズ・アウトバーンで アルフレッド一行たちと別れることにしたのだ。 「ちょっと寂しいけどね、………キミはまだ彼のもとを離れちゃいけない。 何よりも第一にキミのことを想ってくれる彼のもとで、もっともっと色んなことを学ぶべきだよ。 正義の道は一日にして成らず。彼と共に戦う中で、あたしの言うことの意味が解るようになる。 正義を為せるだけの技と心と力が育まれるんだ。フィー、あたしは信じているよッ! キミの無限の可能性と、キミに正義の在り方を教えてくれるだろうアルの誠の心をッ!!」 如何なる手段を用いてでも討ち果たさねばならない仇敵であるハズのフツノミタマを、 裏社会でも名うての危険人物を、挟撃に攻められるチャンスにありながら、 一対一で雌雄を決すると取り決めた彼との誓約を遵守し、誰にも決着の邪魔をさせまいとした アルフレッドの誠心に胸打たれたハーヴェストは、名残惜しそうにするフィーナを熱く言い諭し、 本来、彼女が在るべき場所へと誘ってやった。 正義を愛するフィーナを手元に置いて育て上げたいのは偽らざる本心だ…が、 礼節をもって正々堂々と決着に臨む誠意、戦士としての気骨をこそ今は学ぶべきだと判断し、 その心得を体現でもって教えられるのはアルフレッド以外にいないとハーヴェストは認めたのだ。 何かを学ぼうとするとき、最も近しく、最も親しい人の生き様が何よりも胸に響くと言う原理(こと)を、 ベテラン冒険者の域にあるハーヴェストは経験として知っており、だからこそフィーナの成長を アルフレッドに託したのである。 機(とき)として卑劣にも見える謀略に長じながらも誠の心を決して忘れず、 義の戦士たる資格を備えたアルフレッドに、だ。 今は別れて歩むことをフィーナに了承させたハーヴェストだったが、 だからと言って彼女を正義の道を往くパートナーに迎えるのを諦めたわけではなく、 寂しげな面持ちでいたフィーナの肩をしっかりと抱き締めながら、いつかの再会を約束していた。 いつか訪れる再会の日まで、自分を磨いていこう。お互いを驚かせる程に強くなろう。 今日の別れは、未来の再会に繋がる一本の道なのだから。 そう熱く語るハーヴェストにフィーナは何度も何度も頷き、指きりでもって固く再会を誓い合った。 それこそアルフレッドとムルグが嫉妬に狂ってしまうくらい、熱く、固く、二人は正義の再会を誓い合っていた。 モバイルのメールアドレスと電話番号を交換したとも言うから、今後は日に一度、あるいは数度の割合で 正義の語らいが交されるだろうし、迷える心を救い、進むべき路へと導いてくれた“お姉様“への フィーナの憧憬はますます強まるように思える。 アルフレッドやムルグが嫉妬に狂い、狂って与太って暴れた挙句、ゲンナリを通り越して グロッキーしないかがクラップにも心配でたまらなかった。 旅を共にすることも出来ない第三者であるクラップの目にも、アルフレッドとムルグが壊れていく様子が ハッキリと浮んでしまうのは、彼の想像力が豊かな証しか、はたまたアルフレッドとムルグのフィーナに対する執着が 目に余るくらい醜いからか。 いずれにせよ、親バカならぬフィーナバカの二人に自重を促すよう――場合によっては実力行使でも――シェインに 言いつけておく必要があるのは確かだった。 「それにしても意味がわからない。どうしてあいつらは急に心変わりしたんだ? 揃いも揃って呆れるほどの執着心だったと言うのに………」 フツノミタマの唐突な敗北宣言に続いて、ハーヴェストまで急にフィーナの引き抜きを 諦めた理由がどうしても理解できず、杞憂以外の何物でもない疑心暗鬼に駆られて首を傾げる アルフレッドの背中をニコラスは思い切り引っ叩いてやった。 曰く、そんな小さいことを気にしていたら前にもどこにも進めなくなっちまう。 そう言ってアルフレッドの手を取り、早く進もうと励ますニコラスの表情には、 最早、蟠りを惹起させるような陰は見つからなかった。 またしても謎が増えた。 無意識とは言え、仲間の命を天秤にかけると言う人間として最低の行いを打ち明けたが為に よそよそしい関係となってしまっていたニコラスの態度が、いつの間にか、 以前と同じよう笑いかけてくれるまでに復調しているではないか。 謝罪は最初に済ませたのだが、それ以降、彼の機嫌を取った覚えも、 機嫌が直るような出来事があった覚えもアルフレッドには無い。 それなのによそよそしかった態度が完璧に復調しているとは、どう言うことなのだろうか。 フツノミタマ、ハーヴェストと続いて、またしても起こった不可解な現象の正体が見極められないアルフレッドは 「所謂、時間が解決してくれる…と言うヤツだろうか。いや、そうに違いない」とこじつけで結論を出し、 無理矢理に自分を納得させた。 そうでもしなければ、不器用を地で行くアルフレッドの思考回路はパンクしてしまうのだ。 「モタモタしてたら、またおかしな場所でビバークすることになっちまうよ。 ―――さぁ、行こうぜ、アルフレッド!」 たったそれだけでアルフレッドは晴れ晴れした気持ちになり、悩みも何もかもが吹っ飛んでいく。 やっとニコラスが戻ってきてくれた―――そんな安堵が心を底から満たしていく。 ニコラスが、………新たに出来た仲間が心を開いて笑いかけてくれるのなら、 頭の片隅に浮かんだ小さな謎にどれほどの意味があるものか。 再び繋がった心を二度と離さないよう、アルフレッドは差し出された手を強く握り返した。 本人すら気付かないうちにその生き様でもって引き寄せていた手を、強く…強く握り返した。 ………握り返したは良いが、いきなりバイクへ変形させたガンドラグーンの後部へ乗せられた上に 心の準備も出来ないままフルブーストに付き合わされ、挙句の果てに振り落されて 半ベソになってしまったのは、アルフレッド曰く「誰かにバラしたら蹴り殺す」な余談である。 走行中のバイクから振り落されるなど常人であれば非常に危険な状況なのだが、 そこは超人的な身体能力と反射神経を兼ね備えたアルフレッドのこと、上手く身を捻って着地できた。 肩で息する顔面は脂汗まみれで歪みきっており、この時点で既に両目の端へ うっすらと汗以外の水分が溜まりこんでいた。 「すまんすまん、ちょっと調子に乗りすぎた」と駆けつけたニコラスへ問答無用のチョークスリーパーで 仕返ししたのも二人の親密を象徴する一幕だ。タップを無視して泡を吹くまで解放しなかったあたり、 ある意味、アルフレッドのほうでもニコラスに対して遠慮が無くなったのだろう。 一応、注釈しておくが、もちろん、良い子はチョークスリーパーで親しみを表してはいけないので、 別な方法で友情を示すことをここに約束しよう。 「シンプルなブレインでグッドねぇ、有象無象のピープルどもは。ハートでハートをシェイクとかぁ、 今時、前エイジ過ぎるっつーの。もうね、グロいのよ。ピュアなポイントが気色アウトなのよ。 ホットでヒートなハートとかぁ、ルックしてて、マジ吐き気してくんだよねェ………」 ホゥリーの薄気味悪い笑い声が聞こえてきたような気がしたが、 そんな下卑た汚物を晴れやかな心へ一片たりとも挟み込みたくないとばかりに アルフレッドは全身全霊で無視を決め込んだ。 人間為せばなるとはよく言ったもので、声色まで脂ぎったホゥリーの汚い笑いは すぐさまにアルフレッドの脳内から掻き消えていった。 なかなかの離れ業をいとも容易くこなしてしまったのは、アルフレッドが器用だ天才肌だと論じるよりも、 もっと単純にホゥリーのことが心底嫌いだからこそ為せる芸当と言うべきだろう。 驚くほどの精度でホゥリーの気色悪い笑い声は、僅かな情報とて脳裏へ残さないようにして アルフレッドの耳を右から左へ流れていった。 「―――決めたよ、アル。私、やっぱり冒険者になりたい。 お姉様みたいに困っている人を助けられる冒険者になって、私は、私の夢を叶えたい。 ………もしかしたらね、この手に宿った戦う力は、それを叶える為に授かったものなのかも知れない。 だから、受け止めて―――………―――受け入れたいんだ、この力も………ッ!」 そして、一行の旅路がアクパシャ保護区へ入った頃―――ハーヴェストと別れた後、 フィーナは仲間たちに偽らざる決心を打ち明けた。 ハーヴェストと過ごし、心を通わす中で見出した、自分の歩むべき…いや、歩みたいと希(のぞ)む路を。 シェインが歓迎し、ムルグも認めたその決心をアルフレッドが了承するには、もう少し話し合う時間を 必要としているようだが、そう遠くない未来には彼も折れることだろう。 スマウグ総業の一件以来、塞ぎがちだったフィーナが、「冒険者になる」と大いに語った夢を通して、 かつての明るさを取り戻していることをアルフレッドもちゃんと解っていたから。 フィーナが夢を語って笑顔を弾けさせる度、アルフレッドの口元にも優しげな微笑が灯っていたから―――。 (そう考えてるとうかうかサボッてもいられねぇわな―――あいつらに負けたくねぇし) シェインから聞かされたキャットランズ・アウトバーン上で起こった一連の顛末を思い返していたクラップは、 ドライバーを握った手の平にじっとりとした汗を感じるに至って、ようやく我知らず内に 指先へ過剰な力を込めていたと気付いた。 手の平の汗が、スペクタクルに興奮して噴き出したものでなく、ほんの少しの間に遥か遠い“先”へ 進んでしまった親友たちに対する一種のコンプレックス――あるいは自分だけが置いていかれると言う 焦りなのかも知れない――から来ていることにもクラップは気付き、 為に襟を正して改めて目の前の時計に向き直った。 秒針を動かす仕掛けの部分が剥き出しになった時計と、ネジやハンダと言った幾つかの部品と睨めっこし、 老朽化した機巧を新品さながらに修復するのが今日の彼の仕事だった。 カッツェとルノアリーナへ子供たちの冒険を、大いなる飛躍を語って聴かせるのは後回しでいいだろう。 この時間帯ならカッツェもまだ仕事中のハズである。 逸る気持ちをひとまず抑えて、一日の業務を終えてから晩酌でもお供して、その肴にでもするとしよう。 アルフレッドたちの活躍と成長は、今日の酒を最高に美味くしてくれることだろう。 「とりあえず―――大量生産にゃ真似できねぇ匠の技ってェのを見せてやるとするかい」 器用な手付きでドライバーを操るクラップの耳からは、既にシェインの語りの残響は消え失せている。 BGM代わりにとモバイルから流している軽妙な電子音が、ドライバーを操る彼の指先へ リズミカルなテンポを与えていた。 “自分のやるべきこと、進むべき路”へ集中しているクラップの手の平が 厭な汗を噴き出すことはもう無かった。 「―――なーんつって爽やか友情ストーリー風に終わってもらっちゃ困るんだよねッ! 本当の主役にして真打登場がまーだ残ってんだからさぁッ! チャンネルはそのままでヨロシクってヤツだよッ!! てか、今までのは全部余興ね。 いわゆる前説ってヤツ? あるだろ? え? ありがちじゃん。 大物が登板する前に薄汚い若手芸人が必死こいて自己アピールする、あの薄ら寒い感じ。 つーわけでお待たせ、お待たせ、お待たせちゃん! アナタの主役でオンリーワンこと、 プログレッシブ・ダイナソー、ここに推参なりだぜッ!!」 ………全くもってその弁に理は無かった。 爽やかな友情ストーリー風で終わっていれば綺麗な幕引きとなったであろうに、 その自然な筋書きを否定するような強弁が、全てを台無しにしてしまっていた。 こんなに自己主張の激しい強弁を放れる人間は、エンディニオン広しと言えどもそうはいまい。 思春期の男子学生が考えそうな、ある意味、エッジの利いたニックネームを自分自身に付けて 高らかに宣言するタイプとなると、ますますターゲットは絞り込まれてくる―――などと、 今更、気を持たせる必要もなかろう。 サム・デーヴィスもといプログレッシブ・ダイナソーだ。 フツノミタマが仕掛けたスマウグ総業残党の奇襲を撃退した折、 仲間の危機にも関わらず一人だけ戦闘から逃げた罪でベルフェルに置き去りにされたダイナソーが、 あの口だけ番長が、どうしようもないヘタレ男が、ファッショナブルと独り善がりとを履き違えたトサカ頭が、 どことも知れない森の中心で、本人以外は誰も望んでいないだろう再登場を高らかに宣言していた。 「いきなりナニを言い出すかと思えば………あたしゃ、あンたのバカ話に付き合う為に ここにいるンじゃないんだよ。てか誰に言ってンだい、今の」 「そ、そうつれないこと言わんでくださいよぉ。オレ、マジでひでぇ目に遭わされたんスからぁ〜」 なにやら同行者もいるようだが、その人もダイナソーの意味不明な放言には呆れ果てている。 手馴れた調子のツッコミや仕切りの巧みさも、その人がダイナソーと同じツナギを 着用しているところを見れば成る程納得だ。 付き合いが長い人間なればこそ、聞くだに煩わしいダイナソーのマシンガン・トークも 飄々と受け流せると言うものである。 「酷い目、ねぇ。あンたの自慢話にゃ何の興味も涌かないけど、 ………あたしゃ、ラスが無事かどうかが心配でならないよ」 「ぶ、無事でなくたっていいさ! なんてったって、あの野郎は親友のオレ様を裏切って、 悪党どもに寝返った薄情者なんだからさぁッ! ちっとは痛い目見やがれってんだッ! オレ様がどんな思いでここまでやって来たか………―――あーッ! 思い出したら、 またイラついてきたぜッ!! あの野郎、ニコちゃん野郎ォ〜ッ!」 「もしかしたらその悪党どもに脅されてるだけかも知ンないだろ。 親友だってンなら、滅多なことを言ってやるンじゃないよ」 「その場にいなかったから、そーやって呑気にフォローしてられるんスよ! ディアナ姐さんだって、オレ様と同じ目に遭ってたら、今頃、ブチ切れまくり間違いナシッスから!」 その同行者は―――ディアナと呼ばれた女性は、ほんの少し前までボスや同僚らと共に本社に在って、 音信不通となったニコラスやダイナソーの捜索に注力していた“ディアナ・キンバレン”その人であった。 「それについちゃ同情もしてやるさ。だから、あンたに随いて来てやったんじゃないのさ」 「よく言いますよ。やっと知り合いに会えたと思ったら、姐さんまで迷子なんて………。 オレ様、本気でフィガス・テクナーに二度と戻れないって絶望しましたもん、あの瞬間。 よくもまあ、こんな方向音痴が運送屋なんてやって来れたもんスよ。 まあ、方向音痴についちゃあ、オレ様も姐さんのこたぁ言えませんけどさぁ」 「あたしらだってホトホト困ったよ。GPSもナビも見当外れな方角ばっか指してくれやがるンだ。 周りの人たちに訊いたってフィガス・テクナーなンか知らないの一点張りだしねぇ」 「アルバトロス・カンパニーって社名は知らなくても、フィガス・テクナーくらいは 聴いたことあるもんだと思ったんスけど………どうもオレ様たちのホームグラウンドは 認知度カスッカスなマイナーっつーか、ド田舎な地方都市の域を出れてねぇみたいッスよ」 「そンじゃあ、あンたはさしずめ地方都市で粋がってる田舎っぺってトコだね。 よくあるだろ? 都会に憧れる田舎もンが勘違いした恰好で背伸びするのって」 「ひ、ひでぇよ、姐さん! オレ様のは研究に研究を重ねた、超最先端のファッションなんだぜ!? アンテナビンビンのブームゲッターになんつー暴言だよぉ!」 「本当の最先端にいるような都会人なら、いちいち研究なんかしなくても 自然と流行品を着こなすもンだとあたしゃ思うンだがねぇ。脇に外れたヤツに限って、 焦りまくってがっつくじゃないか」 「あ、姐さんのいけずッ!」 二人の息の合ったやり取りを周りの人々は不思議なものを見るような目で眺めている。 と言っても、コントさながらの会話のキャッチボールを呆れているわけではない。 木漏れ日差し込む森深き場所に居住区を設けたこの辺りの住人は、皆が皆、 神話上の出来事や神性のシンボルを意匠化して編みこんである伝統的な民族衣装に身を包み、 手には棒杖や鈴、魔除けの枝といった祭具を携えている。 見るからに世俗と隔絶された生活を送っていると思われる彼らの目には、 近代的な出で立ちのダイナソーたちが物珍しいのだろう。 中には「外界の人間が立ち入るのは気持ちの良いものではない」と眉をひそめる者も見られ、 そうした保守的な傾向からも彼らのトラディショナルな生活と民族性が窺えた。 「ま、冗談はさておくとして―――ラスに連絡がつけばいいんだけど、やっぱり難しいか」 「中継基地がこの辺をフォローしてないのか知らないッスけど、メールも通話もダメになってますもん。 いや、ちゃんと機能してたってあんにゃろうになんか連絡してやんねーけど!」 「冗談言ってる場合じゃないだろ。危険極まりないじゃないか、そのアルフレッドって男」 「で、でしょ? でしょ? 誰にそそのかされたか知らねぇが、伝統ある古代民族の集落を焼き払おうなんて、 とんでもねぇ連中ッスよ!」 「それを聞きつけたあンたとラスが義憤に駆られて立ちはだかった―――ラスはともかく、 あンたにしちゃ珍しいね。そう言う正義の味方みたいな真似、あンた、嫌いだったろ? 非生産的だとか、自己満足に付き合っていられないとか何とか抜かして」 「時と場合に寄りますよ! いくらなんでもアイツらのやり方はあくどいッ! 暴力も掠奪もなんでもアリだ! ベルフェルっつー港町んときの話、したでしょ? アイツらを恨んでる人たちに加勢して戦ったんだけど、返り討ちにされちまったばかりか皆殺しッスよ! ………いや、皆殺しっつーか、オレ様含めて何人か生き残れたんスけど、 朝になってもう一度、戦場に戻ったら、そりゃあもうひでぇ有様でしたよ。 遺体なんか火で焼き尽くされてて………あんなもん、人間のやり方じゃねぇッ!」 「………ラスもラスだね、全く。どうしてそんな連中と同行しているんだか。 脅されてんなら仕方ないが、仮に金か何かで釣られたってんなら、ちょいとお仕置きしてやらなくちゃねぇ」 「………姐さん、オレ様、ますます怒りが込み上げて来ましたよ! あいつら、絶対に許さねぇぜ………!」 ………なにやらおかしな話になっているようだが、ベルフェルで起こった出来事の真実を知らされていないらしく、 ダイナソーの語るもとい騙るアルフレッドの悪行三昧にディアナは神妙に頷き、 その都度、面に宿した怒りの炎を強めていく。 周りの人々から好奇の視線を浴びつつ、ダイナソーとディアナは古代民族が住まう深森の集落の中心にて 悪逆非道のアルフレッド一行の打倒を誓い合った。 狙いは神代より伝わる数々の秘宝か、はたまた女神より授けられし秘術の真髄か。 何の罪も無い古代民族を根絶やしにせんと企てるアルフレッドたちを打倒し、ニコラスを救い出す。 もしも、ニコラスが悪の道に染まってしまっていたなら、拳でもって目を醒まさせよう。 それが同じ会社に勤め、時には家族以上の絆で支え合う仲間の役目だ、と。 そうして打倒アルフレッドに集中する意識ではそれ自体を視界に拾えなかったし、 そもそも外界からやって来た二人には読めなかったのだが、集落の入り口に設えられた木製の看板には、 古代語で此処に住まう部族の名称が刻まれていた。 ――――――その部族の名を、マコシカ………と云う。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |