1.英雄見参!


 今日ほど自分の迂闊さを呪ったことは無い―――アルフレッドの脳裏には
後悔以外の感情は浮かんでいなかった。
 それ以外の感情を浮かべられる状況ではなかった。

 天の運を掴み、地の利を得、人の和を結んでこそ勝利を掴めるとアカデミーで履修し、
その奥義をもって事態(こと)に当たったアルフレッドは、
マコシカの民の間で語り継がれる伝統を調べ上げ、
戦意を剥き出しにする彼らの心を掴むことで状況の行き詰まりを打破したのだ。

 つまり、かの民族にとって伝統や遺跡の類は生命よりも尊び、護らなくてはならない存在であることを、
悪知恵を働かせて人々を攪乱したダイナソー以上に理解していた………ハズだった。
 そのことをよくよく心に留め置いていたなら、彼らが永劫保護していくべき伝統的な遺跡を破損するような無茶な戦いを忌避し、
せっかく開けた和解への糸口を壊してしまうことだけは避けたに違いない。

 ところがクラーケンの迎撃に気を取られるあまり、アルフレッドは今度の知略の前提となった
マコシカの民の伝統と気風を失念したばかりか、自らの手で最悪の過失を侵してしまった。
 知略に心得のある人間にあるまじき致命的なミスである。

 迂闊、迂闊、迂闊………自分の思慮の足りなさをアルフレッドは悔やまずにいられなかった。

(堅牢な防御を破るには手段を選んではいられなかった………全滅を避けるには必要な手段だったんだ)

 そう自分を慰めても虚しいだけで、状況がこうも逼迫しては、言い訳すら我が身を斬りつける刃でしかない。
 守るべき伝統を毀損されたマコシカの人々は、皆が殺気立って武器を構え、
中には彼らにのみ伝わる秘術、プロキシでもって威力攻撃を仕掛けようとする動きさえ見られた。
 既に何人かの人間が神人(カミンチュ)とのポゼッションに必要な神楽や祝詞を執り行いつつある。
 ホゥリーと旅を共にする中でプロキシの恐ろしさは肌身に感じている。
 彼ひとりでも凄まじい威力を発揮するのだ。それが複数名によって一斉に繰り出される様を想像し、
アルフレッドの背筋は凍り付いた。

「ちょいとお待ちよ!!」
「なんだ!? 裏切り者のくせにまだ何か言い訳しようってのか!?」
「あンたらの大事な遺跡をヤッちまったのは悪かったよ。それは謝る。
だけど、頭下げるのはこの危なっかしい状況を収めてからだ。
古びた遺跡の一部をカスッちまったくらいでガーガー言われたンじゃね、こっちも殊勝にゃなれないよ」

 打開案を模索するアルフレッドだが、最悪の状況に限って最高のタイミングでやって来るもの。
一緒に静寂の水深から脱出してきたディアナが声を荒げてマコシカの民へ食って掛かるではないか。
 ダイナソーの口車に乗せられたとはいえ、あれほどまでに自分たちへ手揉み足揉みしてきた人間が
些細なきっかけで手のひらを返し、罵声を浴びせるようになった変わり身の早さが
ディアナの癇に障った様子である。

 竹を割ったようなカラッとした性格、とはディアナを評したニコラスの弁だが、
そうした性格の人間は一度結んだはずの信頼関係が覆されることを何より嫌い、何より憎む。
 第三者が聞けば明らかな開き直りと逆ギレと酷評されるディアナの反論も、
彼女の性格と照合すれば止む無しと言えた。
 これ以上、相手を刺激して事態を悪化させたくないアルフレッドから見れば、
ディアナのこの性格は彼の寿命を縮める要因でしかないわけだが。

「なんだ、その言い草はっ!? 反省の見られない物言いは、なんだっ!?」
「お前たちには神代が遺した“生きる神話”の希少性が理解できていない!」
「今を生きて、次を見てかにゃならない人間が過去の遺物をそ〜まで有り難がる意味が知れないね。
あたしにとって重大なのは、小さい価値観に縛られて大きなモノを見誤ってるあんたらのカタい頭さね!」
「あ、あの、姐さん………、あんまり刺激しないほうがよろしいかと………」
「あンだって? そ〜ゆ〜のはもっと大きな声でハッキリ言ってやンなよ、トキハ。
『約束を反故にして武器を持ち出すバカは、遺跡と一緒にコワしちまったほうがいい』………だっけ?
あンたにしちゃ、威勢のいい啖呵じゃないか」
「言ってないっ!! 一ッ言も言ってませんよ、そんなヤバいことっ!!」
「このガキッ!! 青びょうたんのくせに生意気を吐いてくれるッ!!」
「壊しちまったほうがいい、だとぉ? …上等だぁ! てめぇこそギッタンギッタンにしてやるから覚悟しろよ!」
「だから僕はそんな悪態(こと)、一言も―――………あーッ!! 頭固い人たちだなぁーーー!」
「ほら見ろ、やっぱりそこのオバタリアンと同じ目で俺たちを見ていやがった!」
「あ…い、いや、今のは別にそういう意味での発言じゃなくてですねっ!?」
「―――ちょっと待ちな! どいつだ、今、あたしのコトをオバタリアンって呼んだのは!?
まじで磨り潰すよ? つーか殴って削って粉々にしちまうよ? ………せめて貴婦人と呼びなぁ!!」
「姐さん出てくると、わけわかんない方向に捩れそうだから、ちょっと黙っててくださいっ!」

 案の定、ディアナの反論はマコシカの民を逆撫でし、いつ暴発してもおかしくない状況へと両者の軋轢をエスカレートさせた。
 何とかディアナを止めようとしてあらぬ方向に滑ってしまったトキハの口が
彼らの怒りの炎へ派手に油を継ぎ足したこともあって衝突の気配は肌へ突き刺さるくらいの最高潮。
 例えどんなに知恵と機転の働くネゴシエーターが頭を捻ろうとも、対話による和解の道は見つけられそうになかった。

 伝統を尊び、遺跡や神話を連綿と続く時代の語りへ吹き込むのを天命と考えるマコシカの民と
遺跡など石と粘土で組み上げた古い建造物にしか見えず、何ら意味あるものとは考えられないディアナでは
根本的に考え方も価値観も異なり、決して相容れないのだ。

 角を合わせてはならない者同士がぶつかってしまい、
互いの価値観を妥協知らずでカチ合わせて火花を散らすという最悪のパターンに陥ったのだと
アルフレッドは悟り、心の中で頭を抱えた。

「一難去ってまた一難………ここにお前のストーカーが出てきたらパーフェクトだな」
「何を以ってパーフェクトなのかは知らないが、軽い冗談で流してくれるほど状況は易しくないようだぞ」
「ジョークが通じないときはひたすら頭を下げ続けるしかねぇな。クレーム処理の鉄則は謙虚かつ従順だし」
「そのやり方が成功する可能性に賭けたくなってきたよ。
言葉を飾った謝罪が通用しない相手にはなかなか効果的かも知れない」
「だったら諦めよう。一通り罵声を承った後にひたすら謝罪をして、
それで初めて効果が表れるのがクレーム処理ってヤツだからな」

 背中を合わせることで互いの安全を預け合い、左右から迫るマコシカの暴徒の群れへ
油断なく警戒を張り巡らすアルフレッドとニコラスは無理と分かっていながらも和解を模索するが、
その言葉とは裏腹に自然と身体は臨戦体勢を整えていく。
 鼻先まで攻撃の手が迫っている以上、望む望まないに関わらず臨戦態勢を整えざるを得なかった。

 アルフレッドはいつでも得意の蹴りで敵影を蹴散らせるように体術の構えを取り、
ニコラスはバズーカ形態のガンドラグーンを脇に構え、威嚇するかのように砲門をマコシカの暴徒目掛けて突き出す。
 あくまでも自衛のための構えであって、自分から攻撃を加えるつもりはさらさら無いのだが、
二人のこの行為は暴徒の怒気を更に煽ったようだ。獣のような唸り声を上げる者まで現れた。

「悪いな、アルフレッド。俺の考え方もディアナ姐さんに近いんだ。
………古臭さしか価値がないようなものを大事にしているほうがどうかしてる」
「どうかしてる連中にやられるつもりはない、と?」
「社則にもあるんでね。“自分の身は自分で守れ。業務中の正当防衛はオレが許す”ってさ」
「お前たちの社長は、また、随分面白い人間らしいな」

 人間はここまで怒りを昂ぶらすことが出来るのか、と窮地にも関わらず感心さえしてしまうくらい
峻烈に血走った眼光が四方八方から浴びせられ、一行の進退はいよいよ窮まった。
 一触即発にして絶体絶命の危機である。

「ヘイ、親愛なるフレンズ! 何をハイドろうボキもあの銀髪ボーイに詐欺られたボディなんだ。
ちょいとリトルマネーをデットしたのがラックのハード。知らされてなかったアンビリバボー金利が
いつの間にかスノーマン式にオーバーしちゃって………。
返済しようにも返済できず、首をチェインでロックされた挙句にあちこち引きずり回されて、
もうホロホロホロリで………」
「ちょっと待てよ、オイ!? なにそれっ!? 初耳なんだけど、そんな裏設定っ!! 
借金どころか、ボクらのほうがお金払ってたじゃないか! 雇われのガードでしょ、一応は!」
「………ライフあっての物シードだかんネ。ここいらでボキはお暇させてもらうよん♪
―――お、そだそだ! ボキが背後からこいつらにファランクスをシュートするんで、
フレンズもそれに合わせてくれ〜♪ 徹底的にブチノックしたら、ボキの潔白もビリーヴしてくれるっしょ、ねェ?」
「う、裏切るっていうのかよ、ホゥリーっ!!」
「裏切りじゃあないさ、ベリ〜リトルボーイ。こういうカードの切り方をオトナは処世術ってコールんだよ」

 最早、空気を読むとか読まないというレベルではないホゥリーの言行はシェインでなくても唖然とするものである。
 処世術という大義名分を掲げてチームメイトを裏切り、鮮やかというしかないやり口で保身へ走ったホゥリーには
彼のことを「マコシカの恥」と口汚く罵倒していた怒れる同胞ですら、武器を向ける理由を忘れてポカンとしてしまうほどだ。

 気まぐれな冗談でなく、本当にファランクスの魔力を手に持ったスタッフへ宿し始めるあたりにホゥリーの図太さというか、
常人には理解し難いライフスタイルが透けて見えた。

「コォッカァ? ココココココ………コッカカカコッ!!」
「いけないよ、ムルグ。絶対に手を出しちゃダメ。この人たちは敵じゃないんだから………
きっと分かってくれるはずなんだからっ!」
「ムリムリ! ずぅぇったいムリ! ジャーナリズムのなんたるかを理解しない原始人と解り合うなんて不可能よ!
肉体言語でやり込めるしかナイって! てゆーか私の特ダネをコケにした連中には
肉体言語以外に付けるクスリがナイって感じ!」
「ちょ…、トリーシャ、無責任に煽るなよぉッ!」
「だって、そうでしょ!? 特ダネなんだよ、特ダネ!? それをさ、あんな風に扱うなんてさっ!!
こいつら、スクープとストーブの区別も付かないんじゃないかしら!? 原始人そのまんまよッ!!」
「だ、だから刺激すんなって………カンベンしてよね、もう」

 アルフレッドがマコシカの民について調べている間、独学ながらも専念していた射撃訓練の成果が表れたのか、
戦い方を学ぶ以前に比べてSA2アンヘルチャントを構えるまでの動きに無駄が減少していた。
 銃口はマコシカの人々に狙いを定めてはおらず、暴発の危険性をも考慮して地面と睨めっこをしている。
 いつ何があっても対応できるように一応はハンマー(※撃鉄)も起こされているが、
血気に逸って飛び掛らんとするムルグやトリーシャのアジリティを制するフィーナのことだ。
暴徒が雪崩れ込んでこようとも実際に撃発することはあるまい。

 静寂の水深での戦いを基に練り上げた特ダネを無碍に扱われたことへの報復を、
マコシカの民と同等か、あるいはそれ以上の戦闘力を有するフィーナたちの手で実践させようと刺激するトリーシャに
叱声を浴びせるネイサンだが、口では厳しいことを言っても彼女が大事なのに変わりなく、
身を挺して庇いつつ、電磁クラスターを油断なく構えている。

 フィーナはともかく、もしもトリーシャに傷一つ付けられるようなことがあれば、
ネイサンが激昂するのは簡単に予想でき、反撃を自重し切れるとはとても思えなかった。

「すまねぇ、俺のせいだ………」

 撃たれた肩を庇いながら起き上がったダイナソーが弱々しく漏らした。
 彼なりに重く責任を感じているらしく、親友のニコラスにまで口八丁とこき下ろされる平素の饒舌はなりを潜め、
きつく噛まれた青白い唇は苦々しく震えていた。

(止むを得ない―――のか)

 自分で撒いてしまった危難の萌芽を自身の手で刈り取ることを決心していながら、
その手立てと機会を考えあぐねていたアルフレッドだったが、
ダイナソーの疲弊を目の当たりにした瞬間に覚悟が固まった。
 マコシカの暴徒が異口同音に叫んだ通り、これ以上の問答は無用。
一方通行に馳せ違う言葉をいくら掛け合ってもそれは時間の浪費でしかなく、
双方の亀裂を深くする原因と判断したなら今すぐにでも断ち切らなくてはならなかった。

「………次に合図をしたら俺は攻め込む。お前はトサカ頭を抱えて脇へ逃げろ」

 結論は、ひとつ。
 降りかかる火の粉は自らの手で払い落とすしか―――力でもって力に対抗し、
マコシカの暴挙を跳ね除けて屈服させるしか選択肢は残されていないとアルフレッドは判断を下した。
 最悪の結論ではあるが、ことがここに至っては是非も無い、と。

「踏ん切りをつけたのはいいけど、それには従えないな。この人数を相手に無事で済むと思ってるのか? 
さっきの戦いのダメージだって残ってるだろうに」
「俺だって一人で戦えるとは考えていない。俺には俺のチームがある。俺が攻め込めば、チームメイトも加勢してくれる。
それで手数の上では拮抗できる。………約一名、保身に走った阿呆がいるが、
あいつだって形勢が俺たちに有利と見ればまた手の平を返すだろう」
「だったら、尚更、俺たちも手ぇ貸さないと」
「手を出したら最後、お前は自分の仕事を完遂できなくなる。差出人へ手紙を返す資格を失うんだ。
それだけは避けなくては」
「こんな状況で他人の仕事を心配するのかよ………律儀っつーか、クソ真面目っつーか………。
とにかくだ、そんな悠長なこと、言ってられるかよ。殺らない程度に出力抑えれば、行けるさ、多分………!」
「………いいな、絶対に手を出すなよ。残りの二人を止めるのをお前はお前の戦いにしろ―――」
「お、おい、アルフレッドっ!?」

 唐突に示された提案へ難色を示すニコラスだが、彼からの返答を待たずにアルフレッドは合わせていた背を離し、
大地を蹴って睨み合いの最前列へと躍り出る。
 慌てたニコラスが制止の手を伸ばす暇も与えられない、ほんの瞬きの間の出来事だった。

「話しても無駄なら―――望み通りに実力行使で応じてやる………ッ!」

 抗戦の意思をはっきりと表したアルフレッドの昂ぶりが相手にも伝わったらしく、
怒りにを震える数多の武器と魔力の照準が、彼の突飛な行動に悲鳴を上げるフィーナの目の前で
一斉にアルフレッド一人へ絞られる。
 いくら手練のアルフレッドとはいえ、静寂の水深における連戦で負ったダメージと疲労が残っている状態では
全ての攻撃を掻い潜るのは不可能だ。どう考えても致命傷を免れる術は無かった。

「アルッ!」
「今度はアル兄ィか! なんだって今日はワケわかんないコトが多いんだぁっ! 
みんな、いろいろ、ブッちぎり過ぎだろッ!!」
「ブッちぎるのはここから、ここからぁーッ!! へちゃむくれ共の首根っこ、捻じ切っちゃえぇぇぇーッ!!」
「コォーッカァァァッ!!!!」
「あああー………、ムルグまでその気になっちゃって………くっそぅ、アルのバカヤロ〜! ヤケクソバカァっ!」

 SA2アンヘルチャントを腰だめに構えたフィーナと、ビルバンガーTを発動させたシェインが
押っ取り刀でアルフレッドの加勢へ走る。
 女子供だけを行かせるわけにも行かず、トリーシャに伏せるよう指示してネイサンも後に続いた。
 これによってようやく彼一人に絞られていた照準が分散し、その致死率を大幅に引き下げた。

 いつもならダメージで弱ったアルフレッドを真っ先に狙いそうなムルグも、
今は憎き恋敵を助けに入ったフィーナとシェインへおとなしく追従している。
 無論、アルフレッドの窮地を救おうと言うわけではない。
腹に据えかねたマコシカの人々を狩るには、アルフレッドの開いた突破口へ飛び込むしかなかったからだ。

 ………そのようなドス黒い思惑を秘め、クチバシから獰猛な涎を零す姿が
一般的な“おとなしさ”に当てはまるのか―――という問いへの返答は緊急時につき保留としよう。

「ラス、行くよッ! ナメたヤツらに外の世界の厳しさをみっちり叩き込ンでやろうじゃないかッ!!」
「―――ああ、わかってる! 時間を止めたままじゃ得られないパワーを見せてやる!」

 戦闘の継続が不能であるダイナソーを抱えて一先ずは戦域を離れたニコラスだが、
ディアナに促されるまでもなくアルフレッドの加勢に入ることは決めていた。
 いくら仕事が全う出来なくなろうとも、見知らぬ土地で迷子になった自分たちへ手を差し伸べ、
命まで懸けて力を貸してくれた仲間の危機を見過ごせるわけもない。

 閉所である静寂の水深での戦いに合わせてバズーカ形態に変えていたガンドラグーンをバイク形態へとシフトし、
急速にエンジンを蒸かし上げるニコラス。
 彼に倣ったディアナも対クラーケン戦で剛拳を発揮した巨大なガントレットからドラムガジェットを
機動形態と言えるスクーター形態にシフトさせ、ニコラス以上に激しいエンジン音を巻き上げた。
 高速機動を発揮して敵陣を駆け巡り、霍乱でもって敵の体勢を崩してしまおうというハラだ。

 ガソリンを起爆させて走行する自走機械と異なり、ガンドラグーンやドラムガジェットには
エネルギー供給の手段にCUBEが組み込まれている。
 CUBEは魔力が結晶化したような特異な物体で、それ自体が高純度のエネルギーを発する為、
エンジンへ組み込んだ場合は循環効率に優れ、しかもガソリンなどの燃料を一切必要とせず
半永久的に使用し続けられる利点がある。
 また、動力発生を行なうのに旧来のガソリン式のような点火が必要無く、
かつエネルギー循環が円滑なので本来なら地響きを起こすような爆音を上げることは無いはずだ。

 メーカーが謳い文句にしていそうな、“動いているのかもわからないくらい静かなエンジン”のフレーズが
当てはまるにも関らず、思わず耳を覆ってしまう爆音を上げるということは、
ニコラスもディアナも、打ち跨った二輪車の出力をオーバーロード寸前まで高めているのだ。

「ニコラス! 血迷うなッ!」
「血迷ってんのはお前のほうだろ! 人の道を迷うほど、俺だって人生に不案内じゃねぇ!」

 早急過ぎる事態の転調にアタフタとテンパッた挙句、全く随いていけなくなって呆然とするトキハや
足手まといを自覚し、蹲ったまま戦いの動向を見守るしかないダイナソーに代わり、
ニコラスとディアナがフルスロットルをもってアルフレッドたちの加勢に特攻しようとした、
まさにその瞬間のことである―――

「―――――――――!!??」

 ―――攻勢のマコシカと守勢のアルフレッド一行、両者の轍で塗り潰されそうだった僅かな間隔へと、
突如として天空より一縷の稲光が降り注いだ。
 ニコラスたちのフルスロットルをも掻き消すほどの激音は、両者を怯ませ、その気勢を一気に削ぎ落とす。
 不意打ちさながらのタイミングで降り注いだ稲光は、その一点を基軸として周囲に局地的な地響きと亀裂を走らせたばかりか、
地面との衝突によって衝撃波を生じさせ、中心部に在ったアルフレッドたちは言うに及ばず、
離れた場所にいたダイナソーとトキハまでも跳ね飛ばした。

「ギョ、ギョギョギョォーーーッ!?」

 マコシカの民を騙し討つためでなく、本当にアルフレッドたちへ火球を炸裂させようと企んでいたホゥリーに
最も強烈な衝撃波が飛んできたのは、変わり身の早さを裁いた天罰であろう。
 丸々太ったボディがボウリングの球のように転がり、木立にぶつかってはあちこちへ跳ね返った。
 その様子はどこか人間ポンボールを連想させるもので、痛手を被った彼には申し訳ないが、
「ざまぁみろ」という言葉がよく似合う。

「な、なになになになに!? なにが起きたの、一体!?」
「落雷………か? いや、しかし、予兆も何も無かったが………」

 強烈な衝撃波によって撥ね付けられたフィーナの背面へ回り込み、
彼女を地面と激突するダメージから庇ったアルフレッドであったが、彼女の疑念に明答するだけの余裕はなかった。
 空から凄まじい速度の紫電が一閃したのは彼の瞳も捉えていた…が、そこから先は全く視認できてはいない。
 推理材料から文字通りの“青天の霹靂”がこの炸裂を生み出したと仮定はしたものの、
澄み渡った快晴には雷雲など影も形も無く、雷雨を降らせる黒雲がこれから集まるような気配すら見られない。
 稲妻でないなら、マコシカの地に渦巻いた憎悪の嵐を一吹きでもって押し流した閃光の正体とは………。

「先手必勝だ! ヴァニシングフラッシャーで煙ごとブッ飛ばしてやる!」
「待て、ニコラスッ! まだ手は出すな! 何が起きたのか、それを見極めるまでは不用意に刺激するんじゃない!」
「悠長にしてんなよ、クリッターかも知れないだろ!」
「仮にクリッターだとすれば刺激は余計に避けるべきだ。姿形が見えない以上、こちらからの作用が裏目に
出る可能性も十分に予測される。………砲撃の体勢を整えつつ、まずは様子を窺うんだ!」

 吹き飛ばされながらもすぐさま体勢を立て直したニコラスは、青天の霹靂が落ちた地点へ威嚇射撃を行なうべく、
再度バズーカ形態にシフトさせたガンドラグーンを構えるが、
アルフレッドから飛ばされた鋭い制止がトリガーの引かれる寸前でその動きを凍て付かせた。
 正体が判然としない内は迂闊に手を出さないのが賢明である。

 衝撃波によって高く舞い上がった土煙の濃度が薄らぐにつれて、
落雷と思しき閃光の降り立った地点に屹立する何らかの黒いシルエットが浮かび始めた。
 地上から天空へ垂直に伸びるその物体は、おぼろげな輪郭線から推察するに
どうやら一振りの巨大な剣らしいのだが、見たままの巨剣と断定するには何かがおかしい。

 地上を見下ろし、天空を仰ぐ柄の部分に不自然な影があるのだ。
 柄に施された装飾と考えるには大きすぎる不自然な影は、どことなく蹲った人影のようにも見え、
そんな面妖な推理材料がまたアルフレッドの頭を悩ませる。

 目の前のシルエットをあるがままに認めるならば、天空高くより地上へ一直線に落下した物体へ
何者かがマウントしていたことになるのだが、そんなことはまず常識で考えられない。
 第二の仮説は、衝撃波で吹き飛ばされずに堪えた何者かが、落下点へ誰よりも早く駆け寄り、
閃光の正体を検めている―――というものだが、烈風と形容するしかないような一撫でを耐え切れる屈強の男は
マコシカの民の中には見られなかった。
 バリアを張るプロキシを咄嗟の判断で発動させ、こと無きを得たと考えられないこともないが、
頭に血が昇り切り、アルフレッドたちの殲滅へ意識が凝り固まっていた暴徒に
防御を思慮する精神的余裕があったとは到底思えない。
 そもそも防御用途のプロキシに打つ手を切り替えられるだけの時間的余裕は無かった筈だ。
 本当に一瞬の出来事だったのだ。大地を掬った閃光と衝撃は。

「見知った顔が見えたと思えば、いきなり本気の喧嘩を始めるんだもん。
お兄さん、ちょっと焦っちゃったよ」

 理解し難い奇妙なシルエットから男性の声が起こり、
推察を押し進めるアルフレッドの集中を射抜いたその瞬間(とき)、
マコシカの集落を吹き抜けた一陣の風が土煙を洗い流し、
輪郭線でしか捉えられなかったシルエットを白日の下へと晒した。

 茶色く煙たいヴェールの裡から現れたシルエットの正体に、誰もが我が目を疑い、息を呑む。
 刀身が中ほどまで大地に突き刺さった幅広にして長大な両手剣の柄には、
“常識の範囲を越える”としてアルフレッドが棄却した仮説を履行する人影があった。
 荒れ狂ったマコシカの民でもなければ、アルフレッド一行でもアルバトロス・カンパニーの新顔でもない。
サーフボードの要領で巨剣の腹へ乗り込み、上空から落雷の如く降り立ったとしか考えられない人影が。

「―――フェイ兄さんッ!?」

 ツヴァイハンダーと呼称される巨大な剣のヒルトに足を掛け、切っ先付近と柄尻の止め具で結ばれた
レザーベルト――長大ゆえに担いで携行する為に取り付けられたものだ――を馬の手綱のように繰る人物に
アルフレッドは見覚えがあった。
 “見覚えがある”という程度の話ではない。優しく微笑みかけるその顔も、“兄さん”と彼に呼びかける声も、
アルフレッドには家族同然の親しみがある。

「行儀の悪い恰好で失礼するよ、アル」

―――フェイ・ブランドール・カスケイド。

 寒村を襲うギャング団の退治や凶悪なクリッターの討伐を専門に請け負い、
その輝かしい功績が新聞の一面を賑わすことも多い、エンディニオンで最も名前の知られた冒険者。
 アルフレッドらと同じくグリーニャを故郷としながら、その狭い枠に収まりきらず、
持って生まれた才気を発揮して世界中にその雷名を轟かす英雄の笑顔が、
ツヴァイハンダーの上で輝いていた。







「フェイのハナシじゃないけど、ホントにびっくりしたんだからね。
アルくんたちがこんなトコにいるとは夢にも思わなかったし、おまけに大立ち回りまで始めちゃうし」
「………そこで我らがリーダー………自分に任せろとばかりに……カッ飛んでいったわけだ………。
………その意気やヨシだが………下手を打てば両者にそれぞれダメージを与えて………
三つ巴のデスマッチに………発展していた………派手な登場はヒーローの特権だが………、
………少しは自重しろ………」
「信用ないなぁ。ちゃんと飛び込む前に軌道修正していたって。
結構、行けるもんだよ? こうやってベルトをさ、ちょいちょいって振ってさ」
「………そんな漫画みたいなアクションを………現実にできるのは………
存在そのものが漫画のようなお前くらいだ………」
「いつもながらケロちゃんのツッコミはグサッと来るなぁ………
まるで僕がヘンな人みたいな言い方じゃないか」
「………おめでとう、フェイ………自覚症状は治療の第一段階だ………
思春期の少年にあらぬ夢を与えるような………存在そのものが………
思春期少年の夢みたいなオーバーアクションを………これからは改善―――えべらぱッ!?」
「ひーとーのーかーれーしーのーわーるーぐーちーいーうーのーはーこのクチかぁ〜っ!!」

 ………小節が変わった直後に読者さまを置いてけぼりにする珍妙な応酬があったことを、
最終文責のある執筆者が深く陳謝いたします。申し訳ございません。

 気を取り直し―――登場するなり自己紹介もそこそこに
フェイを交えてスラップスティックなコントを始めたのは、彼と行動を共にする二人の仲間だ。

 仲裁と呼ぶにはかなりの力技を用いたフェイの強引さを指摘し、
悪態を吐いたチームメイトへチョークスリーパーを仕掛けた女性は、
フェイを「彼氏」と呼んだことからもわかる通り、彼の恋人でもある。
 マコシカの民族衣装へ意匠化されたエンブレムと同様のものが刺繍された前掛けに身を包む姿は、
フェイと並べばファンタジー物語に登場する“勇者と魔術師”の取り合わせにも見え、画として非常に映えた。
 プラチナの髪をポニーテールに束ねたプラチナの髪も美麗そのものだ。
 インナーのワンピースはシルクで織り上げられてゆったりとしており、
大きく広がる袖口へ施された白鷺の羽を模した装飾が目を引く。
 民族衣装のような前掛けに宿る清楚な印象と、インナーに施された大胆なアプローチとが両立する着こなしは、
トランジスタグラマを体言する彼女にしか成しえないだろう。

 同性が羨む美貌と、初対面の人間の心を掴んでしまう包容力に満ちた微笑みとを兼ね備えたその女性は
ソニエ・ルナゲイトと云う。

 一方、恋人の悪口に口元を引き攣らすソニエからチョークスリーパーを食らっているのがケロイド・ジュースだ。
 フェイとソニエの呼びかけにも出てきたように“ケロちゃん”なる可愛らしいニックネームがある。
 と言っても、出で立ちは可愛らしいニックネームとは不相応に厳めしく、独特の威圧感と異彩を放っていた。
 全身を覆い隠すくらい大きい薄汚れのローブを頭のてっぺんから被る装いは異様にして威容だ。
 袖に通した腕は常人よりも長く、裾からほんの少しだけ覗いた素足の爪先は猛禽類のそれのように鋭く尖っている。
 異常なほど前傾に突き出した猫背も威圧感に一役買っているように思えた。
前方へ大きく傾いた猫背は、獲物を前にした肉食恐竜が背を低くして飛びかかろうとする姿勢を彷彿とさせるのだ。
 呼気と共に吐き出している嗄れた声は聴く者の腹を底冷えさせる迫力を帯び、
初めて彼の姿を見る者の背筋に冷たい戦慄を走らせた。

「………おっぱいが背中に当たって………地獄極楽ロマン紀こ―――ぐげぇッ!!」

 しかしながら、その戦慄も数秒後には物の見事に粉砕された。
 チョークスリーパーでもって首を締め上げられているにも関らず、
背中へもたらされた望外の感触を満喫する嬉しそうな悲鳴は、
怖気を走らす嗄れ声とはあまりに釣り合いが取れておらず、
最初に彼に恐怖を抱いた人間を一人残らずズッコケさせた。

 不埒というより破廉恥な悲鳴にドン引きしたフィーナから微妙に白い眼を向けられているのに
彼は気付いていないようで、背中から首筋にかけて押し付けられる柔らかな感触に荒い息を吐く始末。
 全身を覆い隠すローブを纏うことで一見ミステリアスな雰囲気を醸してはいるものの、
口を開けばなんてことはない、重度のダメ人間そのものだ。

 仲良きことは素晴らしき哉を地で行く三人組だが、世間的には英雄の一団として通っているのだから、
いくら仲良くじゃれ合うにしても、もう少し場というものを弁えるべき―――とはアルフレッドの感想だった。
 仲良きことと言えば、チームのシンボルアイテムなのだろうか、三人ともお揃いの青いバンダナを巻いている。
 フェイは右腕に、ソニエは自慢のポニーテールを結わえ、ケロイド・ジュースは短く裁断して両手首へ
それぞれ大事そうに締めているところが三人のチームワークの良さを窺わせた。

「あー………ゴホンっ!」

 脈絡無く始まったコントによって白けてしまった場の空気に勘付いたフェイは、
呆気に取られる人々に向き直り、仕切りなおしの咳払いを一つする。

「えー………彼はアルフレッド・S・ライアンくん。僕と同郷の青年です。
フィーナさん、シェインくん、それからムルグの身元も僕が保証します。
ホゥリー・ヴァランタインさんのことは僕よりも皆さんのほうがご存知でしょうが、彼も信頼の置ける冒険者です。
決して不正に与する人間ではありません」
「………思いっきり裏切りぶっこいてやがったけどね」
「ま、まぁまぁ、シェインくん―――」

 わざとらし過ぎる咳払いに一時はどうなるかと思われたが、さすがは英雄の誉れ高いフェイである。
 魔を調伏する鬼神が意匠された胴鎧を纏う立ち姿は、傍らにツヴァイハンダーを置くと独特の迫力を醸し出すのだが、
聖人そのままの爽やかで清らかなマスクにかかれば、それは威圧感でなく、
人の心に信頼を呼び起こす英雄性へと自然と昇華される。
 全身から発せられる善徳とでも表せば良いのか、誰に対しても物腰穏やかに接する聖人の気性が
フェイを英雄たらしめているのだ。

「―――訊くところによれば、今回の騒動の発端は、
伝統に基づく正当な決闘の最中に起きてしまった不慮の事故と言うではありませんか。
彼らはことを荒立てるのを嫌い、正義の道に従って競い合ったのです。
正義の道だけじゃない、マコシカの皆さんが過去から現在へ、また、未来へ連綿と受け継いできた伝統をも彼らは尊重していました。
そこまで思慮深い彼らです。悪しき心、疚しい心は一辺も無かったでしょう。
その善心、公明正大な勇気に免じて、この場は収めては貰えないでしょうか?」

フェイの説得の言葉尻を「………お願いします」と頭を下げながら継いだアルフレッドの態度は
謙虚かつ恭順だが、やたら声を低くしているあたり、蟠りは強く残っているようだ。

「カスケイドさんがそう仰るなら、なぁ」
「ああ、これもきっと女神のお導きかも知れないし………」
「そうだ…よな。フェイさんの言うことに間違いなんかあるわけないっ!」

 さすがは“英雄”の説得と言うべきか。
 アルフレッドたちの言葉が届かなかったマコシカの人々もフェイの説得には素直に頷き、
静寂の水深を破損させてしまった過誤を許すといい始めた。
 エンディニオン中に響き渡る名声と、それに違わぬ実力・人格を完璧に備えたフェイの言葉は、
乱世を導く預言者の託宣さながらの効力を帯びており、誰しも従わなくてはいられなかった。

 もしもスカーフェイスのフツノミタマ辺りが同じ具足を纏っていたなら、
英雄性を発揮するどころか泣く子もひき付けを起こす恐怖の対象になっていただろうに…と何の気無しに考え、
フェイのコスプレをしたフツノミタマを想像して噴き出しそうになるシェインだったが―――

「ちぇっ、な〜んか引っ掛かるんだよなぁ。ボクらの弁解はパーペキ無視で、
フェイ兄ィの説得には猫まっしぐらってさぁ〜」
「それだけフェイ兄さんの名声が浸透しているということだ。
考えてもみろ、素性の知れない俺たちと世界中の人たちが認めるフェイ兄さんでは言葉の信用度が違う」
「つってもさぁ〜、遺跡ブッ壊したーっつってあんだけキレてた連中なのにさぁ、
フェイ兄ィがちょちょいっと話しただけで全部許しますーってのがさぁ〜」
「不貞腐れたい気持ちもわかるっちゃわかるけど、ここはアルフレッドに倣って静かにしていようぜ。
変な波風が立つのは一日一回までにしといて欲しいだろ?」

 ―――と、あまりにスンナリ事態(こと)が運び過ぎるのも面白くないらしく、
自分たちが陥った状況との落差に口を尖らせる。

 アルフレッドやニコラスの心中にもシェインの抱いたような複雑な思いが少なからずあるものの、
事情はどうあれ丸く収まった騒ぎをいたずらにぶり返しても意味が無いと割り切り、
マコシカの人々を説得するフェイの言葉へ素直に耳を傾けた。
 窮地を救ってくれた英雄の説得は、イントネーション一つ取っても不思議と胸の奥へ響くものがあり、
これなら頑ななマコシカの心も解きほぐせるとフェイの素性を知らないニコラスも素直に頷いた。

「なんだいなんだい、こりゃあッ!!」
「ちょ、ちょっと! サムくん、落ち着こうよ、ね? ラスくんも言ってるでしょ、厄介は一日一回でお腹一杯だって」
「るっせぇやい! トキハ、お前は腹立たないのかよ!? オレたちゃコケにされたよーなもんなんだぜ!!」
「なんだって良いよ、もう。痛い目見ないで済むなら、コケにされたってバカにされたってボクは構わない」
「かーッ!! ヘタレたことを抜かすなよな! ここまでプライドに泥塗られて引き下がれるかぁ!」
「非生産的じゃないか、キミの言い分は。僕らがあの遺跡を壊しちゃったのは事実なのに、
それを皆さんは許してくれるって言ってるんだよ? 
ラッキーと思いこそすれ、こっちから願い下げて喧嘩売る理由をどうやって見つけろって言うのさ。
理由なき反抗には付き合えないよ、僕も、皆もだ」
「うーぐぐぐぐぐぐ………! ―――やっぱり納得いかねぇッ!!」

 この筋運びに一番納得の行かないのがダイナソーだ。
 自責の念に駆られて落胆したと言うのに横から入ってきた人間にあっさりと解決されたのが堪らず、
相当にご立腹の様子である。
 厄介事に巻き込まれるは懲り懲りなトキハが羽交い絞めにして押さえ込んでいなかったら、
腑に落ちなくてカリカリしているダイナソーがもう一騒動起こしていたかも知れない。
 マコシカの民の変わり身に一度は怒りを露にしたディアナでさえ今は落ち着きを取り戻し、
騒動の治まった現実を受け入れているというのにダイナソーの器の小ささと言ったらみっとも無かった。

「………ニコラス」
「ん?」
「“ん?”じゃないだろう。目的を忘れるな、目的を。俺たちは何のためにマコシカの集落までやって来たんだ?」
「あ? ………ああ、仕事のことか。いや、色んなことがあり過ぎてさ、ちょっと放心しちまったよ」

 フェイのお陰でマコシカの民の怒りが完全に鎮圧し、人々の心が落ち着きを取り戻したのを見計らって
アルフレッドがニコラスの脇を肘で小突いた。
 当初の目的を果たせと促しているのだ。

 放心などしている場合ではなかったと思い至り、ニコラスは頭を掻いた。
 果たすべき目的を忘れてしまっては、何のためにここまで苦労に苦労を重ねてきたのかわからないし、
何よりもアルフレッドたちに申し訳が立たない。

「―――この中にミスト・ピンカートンさんはいらっしゃいませんか? 
俺―――じゃない、私は運送業者の者ですが、あなたに手紙を預かってきています」

 ダイナソーに預けておいた郵送物の収納バッグから一通のエアメールを取り出し、
何事かと訝るマコシカの人々の前へ高々と翳した。心当たりのある人は名乗り出て欲しい、と一言添えて。
 住所と氏名を改めて確認するが、エアメールは間違いなくここマコシカの集落から出されたものだ。
“ミスト・ピンカートン”という差出人がポストへ入れたことも氏名欄で確認できる。

 これでもし誰も名乗り出なかったときには、アルフレッドたちにかけてしまった負担へ報いる為に
首をくくらなければならないと半ば本気で考え、祈るような気持ちで“ミスト・ピンカートン”の名前を点呼するニコラスだったが、
幸いにもその心配は杞憂に終わった。

「あの…っ! あの…っ! あの…っ!」

 本人としては精一杯大きな声を出しているつもりなのだろうが、
元々が他の喧騒に揉み消されてしまうくらいか細い為、最初は名乗りがニコラスの耳へ届くことは無かった。
 それを聞きつけた周囲の人々が反応を示さなければ、ニコラスは本当に聞き逃していただろう。
 彼らのお陰で人だかりが割れ、ややあってから友人と思しき女の子たちに背中を押された一人の少女が
ニコラスの前へ姿を現した。

 ニコラスの点呼に応じて名乗り出たのは、ホゥリーを始めとするマコシカの人間が纏うものと同じ民族衣装へ身を包む、
ランプブラックの髪の少女だった。

 “ミスト”という名前がその人の雰囲気をそのまま表すかのような、
どこか儚げで弱々しい少女が伏し目がちの顔を控えめに上げながら、ニコラスの前に進み出る。
 自分の力だけでは一歩を踏み出すのも躊躇してしまうようで、
背中には弾みを付けさせようとする友人たちの手が添えられていた。

(………辛気臭い女だな………)

 声の主―――つまり目的の人物との対面を果たしたニコラスが、
シアン色の瞳を伏せる少女へまず抱いた第一印象はその一言に尽きる。
 客に対する感想としてはこの上なく悪いものだが、そう受け取らざるを得ない弱々しさ、
内向きに篭る陰のオーラが彼女の小さな身体から発せられていた。

 “ミスト・ピンカートン”は、風に吹かれればそのまま掻き消えてしまいそうな、
霧か霞のように儚い少女だった。

「ミスト・ピンカートンさん………?」
「は、はい、私です。ミスト・ピンカートンです」

 おずおずと手を挙げて答えるミストは、何か強いことを言いつければ
泣き出してしまうのではないかと気を使ってしまうくらいか弱く、
これから行なう郵便物の説明を彼女を刺激せずにどうやって円滑に進めれば良いのか、
その冴えたやり方を見出せないニコラスは心の中でそっと溜め息を吐いた。
 溜め息せずにはやっていられなかった。
 厄介ごとは一日一回で十分って言ったのに―――と。







 時計の針は日付が変わる頃合を示しており、夜の帳が完全に折りきった時間帯―――にも関らず、
マコシカの集落は昼さながらの明るさを保っていた。

 最小限の電気のみを通し、可能な限りは自然に回帰した暮らしを心掛けるマコシカの集落には街路灯などは無く、
集落全体を覆う夜の闇を払拭するには、プロキシによって灯されたカガリ火を立てる必要がある。
 集落全体を太陽の微笑む青天の如く照らすのにそうしたカガリ火が一役買っているのは確かだが、
照明という物理的な条件だけを整えても、“真昼さながらの明るさ”が保てているとは言えない。
 日付が変わる深夜だと言うのにマコシカの集落に真昼の明るさを延長させているのは人々の活気だった。

 いつもなら誰もが就寝している時間帯である。
 今日より更に深く、敬虔な信仰を明日に果たせるよう想いを馳せ、
朝日に祈りを捧げられる喜びを噛み締めながらマコシカの民は眠りに就く。
都会の人間がベッドに潜り込むのより何倍も早くに、だ。
 それが彼らが永年踏襲してきた習慣であった。

 しかし、今宵は違う。
 大人から子供まで全てのマコシカの民が眠ることを忘れたかのように歌い、騒ぎ、
銀の皿へ盛り付けられたご馳走――多分に精進料理の趣向は凝らされているけれど――に舌鼓を打っている。
 子供はジュースを、大人は酒を酌み交わし、今夜この瞬間を大いなる女神に感謝している様子だ。

 この喧騒を端的に表わすとすれば、村を挙げてのパーティーと呼ぶべきか。
そして、そのパーティーの中心には、フェイ・ブランドール・カスケイドと二人の従者(とマコシカの民は云う)が
鎮座ましましている。
 数時間前まで修羅の巷と化していた中央広場のポールに掲揚される横断幕にも
“歓迎、フェイ様一行とそのご友人”と明記された通り、今宵の主役はフェイなのだ。
 酒瓶やご馳走の盛り付けられた銀皿を手にフェイのもとを訪れる皆が
口々に「さすが英雄、見事なお裁き」とか「英雄フェイ様にお会いできて光栄です」と繰り返す賛辞からも
フェイの並々ならない名声が伺える。
 そのような“英雄”が集落へやって来たのだ。こうした歓待が催されたとも得心できると言うものであった。

 ………尤もフェイ当人は盛大な歓待を心から喜んでいる訳では無いらしく、
愛想良く応じてはいるものの、時折複雑そうな苦笑いを覗かせた。
 特にフェイたちの活躍を語って欲しいとねだる子供の相手には手を焼き、
せがまれるままにクリッター退治や新聞の記事にもなったギャング団の逮捕の話を一応はするものの、
フェイにとって武勇伝の披露などは本来恥ずべき行為であり、困ったあまり言葉に詰まる箇所も多々見られた。

「―――そこで我らがフェイの出番! 逃げ惑う悪党どもを千切っては投げ、千切っては投げの大立ち回り!」
「………それはリップサービス………し過ぎだろう………オレが仕留めた数は………あいつの二倍だ………。
………称賛されるなら………オレのダーティーでヒートなかつや―――ほっげらッ!?」
「は〜い、良い子のみんな♪ 頑張ってるお友達を差し置いて、自分のことばっかり自慢すると
こんなダメな大人になっちゃうから気をつけてね♪ 自分よりお友達の頑張りを誉めてあげるのが
ステキな大人になれる秘訣♪ ソニエお姉ちゃんとの約束だヨ♪」
「………ステキな大人が………キャメルクラッチでお友達を………締め上げるものか………。
………暴力で人を捻じ伏せる悪いお手本に―――ま、待て………本気で………ギブだ………ッ!
………なんか…もう………お脳の銀幕にお花畑気分………」

 すっかりご陽気に出来上がったソニエとケロイドジュースが
身振り手振りまで交えて武勇伝を語る姿を眩しそうに見つめるフェイの姿は、気の毒にさえ思える。

「………そんなに気を張らなくてもいいんじゃないですか。酒の席なんだから、ほら、リラックス、リラックス」
「え、ええ、自分はリラックスして―――って、ああ、アルくんか」
「ま、一杯」
「ん、ありがとう」

 無邪気な子供たちに混じってアポなし取材を切り出した邪気(と言うかジャーナリズム魂)バリバリのトリーシャを
強引に押し退け、アルフレッドがフェイの前に陣取った。
 ヘッドロックから脇へ放り出されるという無情の連続技を食らわされたトリーシャは
「報道の自由を主張しまーすっ! こーゆー妨害は記事にしちゃうよっ!?」などと不満をぶちまけるが、
アルフレッドはその全てを無視し、眼中から彼女の影形を排除してフェイの杯に濁り酒を注いだ。

 濁り酒はマコシカの集落で醸造されている物だ。
 過度の嗜好物を律する彼らは今宵のパーティーのような特別な席以外では飲酒も殆どしない為、
主として儀礼用に用いられている。
 蒸留酒でもなく白濁しているので初めて口にする人間には抵抗があるようだが、
まろやかでクセの無い口当たりは都会で販売されている銘柄付きの酒と比べても遜色無い。
 呑み易さに油断しているとあっという間に酔いが回ってしまう危険性にさえ気を付ければ、
これほど美味い酒は滅多に見つけられない―――かつて情報誌で称賛と共に取り上げられた事もあった。

「―――っと、キミはまだ未成年だからお酒は禁物かな」
「少しくらいなら構いませんよ。父さんの晩酌に付き合うことも多かったし」
「弁護士志望にはあるまじき言葉だよ? 法に抵触するんじゃないかな?」
「気を張らなくてもいいってことをフェイ兄さんに教えようって言ってるんですよ。
………でも、フィーの眼には入らないようにお願いしますね? あいつ、こう言うコトには本当にうるさいから」
「法律書よりもフィーちゃんの眼のほうが恐い、か」

 注いでもらった酒を一気に飲み干し、その杯をアルフレッドに渡してお返しの酒瓶を傾けるフェイは
オーバーなくらい周りの状況を警戒して見せた。
 フィーナに見つかったら大変だと言うアルフレッドをからかったのだ。

 当のフィーナはマコシカに暮らす同い年くらいの女の子とすっかり意気投合したらしく、
アルフレッドが隠れて飲酒するさまなど気にも留めず、おしゃべりに夢中になっている。
 彼女を中心とした車座の中には、先ほどニコラスから手紙を渡されたミストの姿もあった。

 監視の目が届かないことを知った途端、「お陰でコレも喫えない」と愚痴りながら
ズボンのポケットに忍ばせてある煙草の箱を取り出そうとするアルフレッドだったが、
フェイが喫煙しないことを思い出し、一本摘んだばかりの右手を慌てて引っ込める。
 煙草を好まない人間の前で火を点けるほど彼は無神経ではなく、
だからこそ慌てて煙草の箱から手を離した訳だが、その慌てっぷりがどうにも滑稽で、
思わずフェイは吹き出してしまった。
 気恥ずかしげに頬を掻くアルフレッドであったが、やがて釣られるように喉を鳴らした。

「昼間は本当にフェイ兄さんのお陰で助かりましたよ。一時はどうなるかと思ったし、
もしも俺たちが手を出してたら、今のこの歓迎会もありませんでした」
「あれは本当に焦ったよ。一時はどうなるかと思ったから………
偶然を呼び込んでくれたティビシ・ズゥ様に感謝しないとね」
「それとフェイ兄さんに………改めまして、本当にありがとうございました」
「い、いいってば、頭下げなくたって。なんか、背中が痒くなっちゃうからさぁ」
「ええ、わかっててやりました」
「こっ、こらぁ〜、年上をからかうんじゃありません」

 “ティビシ・ズゥ”とは、遍く運気の流れを司る神人(カミンチュ)だ。
 成る程、フェイの言う通り、運を司るティビシ・ズゥのお導きがあったればこそ、
アルフレッドたちは進退窮まった緊急事態から救われたとも言える…が、
プロキシやCUBEの力は信頼しても、現世でハッキリと捉えられない神人の存在を
眉唾に考えている無神論者寄りのアルフレッドは、あくまでフェイ個人に助けられたと認識しており、
運を幸へ導いたティビシ・ズゥではなく、フェイに頭を下げた。

 おどけて見せたのは照れ臭さを隠すのと同時に、
神人の信仰するマコシカの集落のド真ん中で無神論を漏らすような失態を犯す前に
この話題を切り上げたかったからだ。
 弟分の考えを見抜いたのか、フェイもそれ以上はティビシ・ズゥに触れる話題は出すことは無かった。

「そう言えば―――どうしてマコシカの集落を訪ねたんですか? 結果的に俺たちは助けられたけど」
「うん、そのことなんだけど―――」
「………?」

 世間話の感覚で何の気無しにマコシカ訪問の目的を尋ねたアルフレッドだったのだが、
どういう理由か、フェイは杯を口元へ付けたまま返答を言い淀んでいる。
 明朗快活なフェイにしては珍しいことで、よほど気まずい質問を放ってしまったのかとアルフレッドも心配になる。

 弟分のそうした気落ちを読み取ったフェイは、アルフレッドに余計な気を遣わせてしまったことに頭を掻き、
ややあってからポツリポツリと彼の質問に対する返答を話し出した。
 あたかも自分の心を落ち着けるかのように、少しずつゆっくりと。

「ここから数キロ離れたジャングルに“グラストンベリー”と言う名前の遺跡がある。
僕らはその調査へ出向いていたんだ」
「グラストンベリーか。神代の秘宝が眠っているとか、いないとか………」

 まさか、アルフレッドが探索先の遺跡について詳しく知っていると思わなかったフェイは目を丸くして驚いたが、
それも一瞬のことで、すぐに「さすがは周到」とウンウン頷いた。
 ダイナソーの弁舌によって膠着させられた状況を打破する為、
静寂の水深での決闘に持ち込んだ彼のネゴシエーションを事前に聞いていたので、
交渉を円滑に進める材料に使おうとマコシカ周辺の歴史を調査したものとすぐに合点が行った模様だ。

「そうか、グラストンベリーに安置されているものが兄さんの目的だったのか」
「ん………うん」

 古代秘宝の隠されたグラストンベリーなる城址がジャングルの奥地にひっそりと息を潜めていること自体は、
ニコラスと二人で篭った図書館の資料からアルフレッドも読み取っていたものの、
文献には抽象的な情報のみが散見されるだけで、具体的に何が眠っているのかは分からず仕舞いだった。

 どんな秘宝が眠っているのか、どうしてフェイがその秘宝を求めたのか、
アルフレッドの興味は尽きないところだが、どうやらこの“秘宝”という物がフェイの弁を鈍らせる原因のようである。
 ただでさえ進みを淀ませていた口が、グラストンベリーの秘宝へ触れるに至ってますます声を小さくした。

「―――聖剣エクセルシス」
「え………?」
「隠したってしょうがないでしょ。このコはエクセルシスを探してグラストンベリーに潜ったのよ」

 もじもじと口元を撫でつけたまま、一向に話を先へ進めようとしないフェイに痺れを切らしたような声が
アルフレッドの背後から飛び込み、秘宝の正体を詳らかにした。

「レ、レイチェルさん………っ」
「英雄が聖剣を探したって少しもおかしなコトは無いじゃない。それをウジウジモゴモゴと………。
聴いててイライラしちゃったわよ、私」

 レイチェル―――と困ったように顔を顰めるフェイに名前を呼ばれた女性は
アルフレッドの頭へ覆い被さるような恰好で身を乗り出し、
「話のネタ一つを勿体つけてると、その内、もったいないオバケに食べられちゃうわよ」と
彼の口野暮ったい態度をカラカラ笑い飛ばした。

 マコシカに伝わる揃いの民族衣装に身を包みながらも他の者より装飾が多く、
サリーと呼ばれる厚手の布を背中から腰にかけて撒いているのが人目を引く彼女は、
他ならぬ酋長―――つまり、マコシカの民を束ねるリーダーである。
 ややクセのあるモスグリーンの髪を後ろで束ね、その房に鷲の羽根が左右から一本ずつ差し込まれているのだが、
この羽根こそが酋長の証なのだ………とフェイが耳打ちしてくれた。

 フェイを“このコ”とからかって呼ぶからには、彼よりも年長の筈なのだが、決してそうは見えない。
 と言うよりも、“古代民族の酋長”と言う響きから連想されるイメージ(例えば老婆像など)を
レイチェルは物の見事に粉砕しているのだ。
 実年齢はともかく、見た目だけで判断するならフィーナとそう変わらない年齢に思えるくらい若い。
肌にも張りがあり、大きく丸い瞳には幼さの残滓すら見て取れた。

 ………余談だが、酋長と呼ぶにはあまりに若々しいレイチェルの見目にアルフレッドは飛び上がって驚き、
思わず「その若さで酋長を務めているのですか?」と不躾にもほどがある質問してしまったのだが、
これが彼女の気を良くさせたらしい。
 パーティーの後、こっそりと呼び出されたアルフレッドは、彼女からお小遣いの入ったポチ袋を渡された。
 「真実を見極められる慧眼は大事にしなきゃね。ブルーベリーガムでも買いなさい。
眼を良くしておけば、人生楽しいわよ」と話すレイチェルの、不気味なくらいの上機嫌が印象深かった。

 その行為に「若作りを自供したようなものじゃないか………」とアルフレッドは直感したが、
過去に年齢についての不用意な発言で母・ルノアリーナから
二時間耐久電気アンマの刑に処せられた経験があったのを思い出し、その場は愛想笑いでやり過ごした。
 妙齢(予想)の女性に年齢の話をするのは禁忌だと、彼は文字通り身体で覚えていた。

「聖剣! エクセルシス!! 音に聞く伝説の武器をフェイさんがゲットしちゃったんですか!?」

 レイチェルが明かしたフェイの目的に対し、素っ頓狂な声を上げて喜ぶこの声は、トリーシャだ。

「これはスクープだよ、スクープっ! 鬼に金棒なんてレベルじゃないっ! 
向かうところ敵ナシのヒーローに伝説の聖剣が装備されちゃったら、エンディニオンの歴史がひっくり返るワっ!」

 “エクセルシス”とは、エンディニオンの古代史にてその存在が語られる伝説の聖剣の名称である。
 起源には諸説あるが、現在は天上の神苑へ去った神々が未だ人類と共に地上で暮らしていた神代(ころ)、
“最も深き底”より這い出た異形の破壊神タンムーズを征討すべく戦った正義の勇士が
女神イシュタルより賜った一振りの剣がエクセルシスである―――と言うのが一般に語られる通説だ。

 星々の運行を司る神人、イア・サークが太陽の黒点より抜き出したタマハガネに
火の神人、カトゥロワが生命の炎を吹き込み、土の神人、シャティがその神性の象徴とされる鉄槌でもって千日鍛え続け、
女神イシュタルが直々に祝福の息吹で撫でたとされるエクセルシスは、
聖剣とも神剣とも呼ばれる一振りであり、手にした者は神の如き力を得ると今日にも伝えられていた。
 神話上でもエクセルシスを手にした勇士は、神人と比べて余りに脆弱な人間であるにも関らず、
女神イシュタルに匹敵する破壊神タンムーズを七日に渡る戦いの末に浄化させ、まさしく神の如き力を発揮している。

 確かに神話上にのみ姿を現す伝説の聖剣が、現世において英雄と称されるフェイの手に渡ったとすれば、
トリーシャが一大スクープに取り上げたくなるのも無理からぬ話だった。
 旧き神代の伝説と生きた伝説が一つに合わさった機(とき)、
エンディニオンの歴史が大きく動くのは誰の眼にも明白であり、
混迷の世に在って人類はその奇跡を待ち望んでいた。

「早とちりの一人走りは止めときなさいな。聖剣なんてもんが本当に見つかってたら、
今頃もっとすごい大騒ぎになってるよ。それが無いってコトはさ、………察してやりなよ、このコのやるせなさを」
「酋長の言から察するに、グラストンベリーにエクセルシスは………」
「それがね、僕ら、ガセネタ掴まされたみたいでさ。マコシカの皆さんにも一緒に探索してもらったんだけど、
骨折り損のくたびれもうけでさ………」
「それで俺に言い出しにくかったんですか?」
「………ま、まぁ、それもあるには、ある、かなぁ………」
「………………………………………………………………………」
「………キツいっ! 可愛い弟からのその冷た〜い視線がお兄さんにはキツ過ぎるっ!」

 誰もが望んでいるものほど、待って待って待ちくたびれても手に入らないのがこの世の常。
 結局、グラストンベリーには伝説の聖剣の影も形も見つけることは出来ず、
確たる成果を得られないまま、フェイたちは探索を打ち切って帰還してきたのだった。

 それ自体は何ら恥じることではない。
 強く信じられてはいても実在が怪しまれる伝説上の遺物を探そうと言うのだから、
手がかりの中にも当然、虚偽の物が含まれるし、あるいは本当に正しく伝承される物であっても、
数千年の時間を経る内に錯綜し、在るべき姿とは似ても似つかない不揃いの断片へ塗り変わってしまうことも多々ある。
 嘘とも真とも分からず、なおかつ希少な情報を基に手探りしていかなくてはならないのだ。
 見誤るのを当たり前として、次の捜索への布石を得られれば御の字と断言してしまっても差し支えない。

 だと言うのに、失敗へバツの悪い思いを感じ、弟分にモジモジと言い淀んだことが情けないと
アルフレッドはジト目でもってフェイに訴えているのだ。
 小さい頃から良く見知る相手に恥を掻き捨てることを躊躇う必要がどうしてあるのか、と。

「武力にしろ、権力にしろ、一点に強い力が集中することは法律が約束するところの、
自由と平等の侵害に当たるからアルに言い出しにくかったんじゃないかな?
エクセルシスを手に入れでもしたら、どっちもフェイさんに集中してしまうしさ」

 と、そこへ杯を片手にネイサンが割って入った。
 まるで狙い定めたかのような絶妙のタイミングだ。アルフレッドの追及でたじたじにされたフェイへ
法律の解釈を交えたフォローを入れつつ、探索の失敗について何事かアジテーションを入れようと
身を乗り出しかけたトリーシャを制しての闖入である。

 フェイの心中にはネイサンの指摘した通りに思慮する部分があったらしく、
ジロリと睨めつけるアルフレッドの視線から逃れるように杯を煽って顔を隠した。
 ネイサンとしてはこれによってフェイの地位向上を取り計らったつもりだったのだが、
残念にも余計にアルフレッドの機嫌を損ねる結果になってしまう。

「………俺の堪忍袋の紐はそこまで緩くはない」

 アルフレッドに言わせると、ネイサンが言い当てたフェイの気遣いは心外そのものだった。
 確かに弁護士志望のアルフレッドが遵守せんとする法律には力の一点集中は一番の大敵である。
 どれだけ法律によって社会を統率しようとしても、そこに強大な権力、武力を有する絶対者が現れたなら、
その者の都合で法の権限・拘束力は簡単に引っ繰り返されてしまい、独裁の情勢が完成するだろう。
 そうした世の中にしない為に法律は存在するのであり、立法・司法・行政の分割―――
所謂、三権分立も提唱されているのだ。

 だからと言って、神経を過敏に尖らせ過ぎだ、と言うのがアルフレッドの主張だった。
 聖剣エクセルシスを手にすることで得られる力にフェイが驕ってしまうとはアルフレッドは露とも考えておらず、
彼ならその力を正しく行使することも固く信じていた。
 小さい頃から良く見知った間柄なのだから、アルフレッドがどれだけフェイに信頼を寄せ、
心の底から信じていることも察して欲しい。その思いを見くびらないで欲しい―――
折角、細やかな気配りを案じたフェイには申し訳ないが、アルフレッドの言い分は至極適切なものだった。

「そっちの彼、アルって言ったっけね、君は弁護士を目指しているの?」
「―――正確には過去形ですけど、ね。模試は受けましたが、司法修士生になる前に故郷(さと)へ
帰りましたから………」
「グリーニャだったね、君やフェイのお故郷(くに)って。
どう言う村かは、このコやソニエから伝え聞いた程度にしか知らないけれど、
やっぱヒーローの養成所でもあったりするわけ?」
「は? ヒーロー養成所?」
「そうとしか思えないよ、知らない人間からするとね。片や生きた伝説だのナンチャラだのって持ち上げられる剣豪で、
片やエンディニオンには希少な弁護士先生だ。そんなスゴい能力を持った人間が二人も輩出されるなんて、
そんな偶然はなかなかあるもんじゃない。特別な養成施設でもあるんじゃないかって私なんかは想像しちゃうのよ」
「いや、何の変哲も無い農山村ですよ。ねぇ、フェイ兄さん」
「出身者が言うのもなんだけどね。変わったところがあるとすれば、悪質な廃棄物業者が巣食っていたことだけど………。
それもアルの活躍で追い出されたしね」
「あ〜、なんかニュースだか新聞だかでやってたよ、やってた! スマウグ総業だっけ?
社長が不審死した、アレ。何? あれを解決したのはアルだったの? ………はぁ〜、ますますスゴいじゃない」
「ご、誤解を招くことを言わないでくださいよ、フェイ兄さんも! 別に俺は大それたことはしていません。
スマウグの連中を追い払ったのだって、村の仲間たちだから………」
「謙遜するところが、また、ニクいねぇ。………うちの宿六に君の爪の垢を煎じて飲ませたいわよ。
あンのタマネギ野郎、家空けたまま、一体、何ヶ月帰らないつもりなのか―――ったく………」

 レイチェルが口早に継いだ応酬をその場のしのぎのお世辞だとアルフレッドもフェイも直感したが、
決して悪い気はしなかった。
 誉めちぎられて、持ち上げられたからではない。濁りかけた空気を切り替えしの妙で打開してくれたことに
二人とも救われた思いを抱いたからだ。
 失言に近いネイサンの発言が場を支配したままであったなら、気まずさが続いて会話が途切れていただろう。
 その窮地をレイチェルは機転を利かせて助けてくれたのだ。

 フェイに同道してグラストンベリーを探索していた為に
アルフレッドたちとマコシカの民の間で発生した揉め事の調停を出来なかったことを心から悔い、
酒宴によって両者の摩擦が薄れたことを大いに喜ぶレイチェルは、
年齢詐称(予想)は別として、懐と情の深さが感じられ、頭の回転もすこぶる早い。
 (多分)若くして一族を束ねる酋長の椅子に就いていることを素直に頷ける好人物だった。

「―――それにしてもですね、私って言うか、ここにいるみんながって言うか、
世界中のみんなが知りたいのはですね、どうしてまたエクセルシスを探そうとお考えになったのかってとこなんですよ。
女神が力を注いだ聖剣なんて代物を苦労してまで探さなくたって、
フェイさんは既にスゴいパワーも剣聖、英雄という称号、名声も持ち合わせているわけですし。
超一流の名を欲しいままにした今になってどうしてエクセルシス探索へ乗り出したのかを、
ズバリ本音でお話しいただけるとサイコーです。私がって言うか、ここにいるみんながって言うか、世界中のみんなが」
「え? え? えぇ?」
「お、おい、トリーシャ! 酒の席で取材は無粋だろう。場を読めよ」
「シャラップ! フェイさんはアルだけのもんじゃないでしょ? みんなのフェイさんでしょ?
だったら私にも少しっくらい分けてよね! 生きた伝説と対面できるなんてチャンス、滅多に無いんだからさ!
………いや、待てよ? “アルだけのフェイさん”ってセンも、なかなかイイわね。
ううん、かなりいいスジ行ってるわ。世間の闇にひっそり生きるそのテのニーズにかっちりハマるかも!」
「………何なんだ、そのテのニーズって………」

 お近づきの印に、とフェイの杯へ酒瓶を傾けようとするネイサンの襟足を掴み上げて後方に引き摺り倒し、
アルフレッドまでも無理矢理脇に押さえ込んでフェイの真ん前に陣取ったトリーシャが
雪辱とばかりに彼へ突撃レポートを敢行した。

 美味しいスクープは死んでも逃さないトリーシャの旺盛なタフネスに目を丸くするフェイや
強引なやり方に憮然とするアルフレッドはまだしも、
開封した酒瓶を手にしたままひっくり返されたネイサンの被害は甚大で、
哀れ濁り酒を顔面へモロに浴びた挙句、鼻の穴に伝ったアルコールで痛烈な頭痛を被り、
ジタバタ悶絶するハメに陥った。

 そんなネイサンなど見向きもせずにフェイへ喰らいついて離れないトリーシャの記者魂は、
果たしてタフネスの四文字で済ませて良いのか疑問が残る物だが、
もちろんハートに火が点いた今の彼女にそんな質問をしても軽く流されるに決まっている。

「え、えーっと………まあ、有り体に言うなれば、法律が効力を発揮しないような世の乱れを糺す為に
邪悪な流れを断ち切る強い力が必要だと感じたから、かな」
「ふむふむ、ふむふむ―――具体的にどういった時に危機感を覚えられたのでしょーか?
“あ、これは世の中、どうにかしないとイカン”って」
「理由を挙げたらキリがありませんよ。それだけエンディニオンは病んでいるということです」

 これではまるっきりインタビュー取材である。
 英雄へ憧憬する集落の人々に質問責めに遭い、疲れの見えたフェイを息抜きさせようと
やって来たアルフレッドにしてみれば、空気を読まないトリーシャの行為は苦々しいものだ…が、
それと同時に彼の知りたい情報を上手く誘導もしている。
 弟分と対面(トイメン)で話すには気を遣ってしまうような話題がインタビューに形式を変えただけで
立て板に水の如く流れてくるのだ。

 言い淀まれて聞けず仕舞いだった情報の不意の決壊に耳を欹てるアルフレッドは、
表情だけは空気を読まないトリーシャへの批判を作りつつ、内心ではフェイの話す一字一句を
聞き逃すまいと懸命だ。

 各種メディアのインタビュー取材にも慣れているフェイなので、最初こそ唐突に向けられたマイクに困惑気味だったが、
エンジンがかかるにつれて段々と演説口調に変わっていくのが可笑しい。

「その最たる例がテムグ・テングリ群狼領の侵略だ。諸問題はあるけれど、
テムグ・テングリだけは何があっても見過ごせない」
「”テムグ・テングリ”か………確かにあいつらは厄介だな」

 ふとフェイの発した単語に強い関心を引かれ、アルフレッドがフェイの言葉尻に乗った。
 横からつい口を挟んでしまったアルフレッドは、反射的にトリーシャの様子を伺うが、
フェイのピックアップした“テムグ・テングリ”なる単語について彼が正しい知識を有しており、
これに裏打ちされた横槍が取材の潤滑油に変わるものと判断されたらしく、特に咎められるようなことはなかった。

 抜け目無く回された録音テープが一時停止されることもなく、
マイクはそのままフェイとアルフレッドの会話を拾い続けた―――取材続行の合図だ。

「アルの言う通り、テムグ・テングリ群狼領の侵略は由々しき問題だよ。
武力による征圧なんて行為はエンディニオンにとって百害があっても一利の得も無い。
………僕らの掴んだ情報では、彼らは神聖なるマコシカの地をも視野に入れているとか」
「えぇっ!? ちょ、ちょっと待って、ここの部分、オフレコですけど、それ、マジですかっ? 
ホントのホントに初耳なんですけど………」
「女神を恐れぬ所業ですよ。大いなる神人によって守護されるエンディニオンの大地へ
掠奪の横行する無法をもたらすだけでも冒涜だと言うのに、この上、マコシカまで標的に入れるとは………。
正常な人間の思考とは思えない」
「と言っても敵は数万の大軍から成る連合部隊だ。いくらフェイさんが剣聖と呼ばれる達人であっても、
ソニエさんとケロさんが脇を固めていると言っても多勢に無勢。成す術なく蹂躙されるのは目に見えている。
数の不利を覆すには、数万の干戈を一刀のもとに薙ぎ払えるだけの力が不可欠だな」
「それこそテムグ・テングリを悪辣と断じる由縁だよ。数の暴力で押し寄せて、
罪も無い人々の自由と主権を強奪する蛮族だ。そう、テムグ・テングリ群狼領は粗野な蛮族です。
エンディニオン上で最も野蛮な………!」

 アルフレッドとフェイがしきりに論じる“テムグ・テングリ群狼領”とは、
ここ十数年の間に新興された武装勢力のことを指していた。
 その性質を一言で表すなら馬賊の一団………つまり、実戦向けの訓練を施された軍馬に打ち跨り、
機動力の高い部隊でもって一挙に敵勢を撃破する騎馬軍団である。

 前身は草原地帯に根を下ろす一集落に過ぎなかったが、
肥沃な地で鍛えられた駿馬の機動力に高い攻撃力の可能性を見出した前頭目が武装勢力として編成し、
近隣へ侵略に撃って出たことから版図拡大の快進撃は始まった。
 狩猟やクリッター討伐を生業としていたテムグ・テングリの民は、
他の地域に暮らす人々と比べて爆発的にフィジカルが強く、また、戦闘意識とその能力も高かった。
 駿馬の機動力と野生の攻撃力を組み合わせて組織された騎馬軍団の攻勢は凄絶と言うより外無く、
近隣の町村は次々と支配下に置かれ、抵抗せんと結託した対立勢力も尽く撃破されていった。

 町や村と言った小規模単位の自治の上に成り立っている現在のエンディニオンに於いて、
間違いなく最強の攻撃力と最大の兵力を有する一大組織であった。
 真に恐るべきは緩急あらゆる施策を用いる勢力増強の手腕で、
軍門に下る人間は日に夜をついで増し続けていると言う。

 統治体制はどうであれ、彼らの行為は侵略以外の何物でもなく、
人々の自由と平等を尊ぶフェイにとって許されざる存在であり、必ず撃滅すべき最強の敵でもあった。

 ………なお、“群狼領”なる形容詞は版図が拡大する内に
外来部族との結びつきを意識した誰かの提唱によっていつの間にか後付けされた物で、
一集落であった頃の名称は“テムグ・テングリ”、ただそれだけである。

「中でも頭(かしら)のパラッシュは相当の手練と聴いているよ。
個人の戦闘力、大隊を率いるカリスマ性、どれ一つを取っても非の打ち所が無く、
軍馬に討ち跨る様は神人さながらとか」
「フェイさん得意のツヴァイハンダーは刃渡りにして2メートル近くありますが、
テムグ・テングリ群狼領のエルンスト・ドルジ・パラッシュが使う刀剣は更に長いと噂には訊いています」
「噂と言うのは尾ひれが付くものですが、パラッシュにまつわる情報は、おそらく全てが真実でしょう。
誇張が含まれるとしても、限りなく真実に近いと僕は判断しています」
「そ、その根拠とは―――?」
「神人の如くと称賛され、武力一つで荒らぶる軍勢を斬り従えるからには、
民の心を納得させるだけの技量を備えていないことには統率の方程式が成り立ちません。
エルンスト・ドルジ・パラッシュは間違いなくエンディニオンの未来にとって最強の敵でしょう。
こうしている間にも侵略行為が行なわれ、テムグ・テングリの版図が拡大している―――
残念ですが、この苦い現実こそが、パラッシュの威力を証明する答えなのです」
「かなりの苦戦を強いられると予想されているわけですね?」
「だが、僕は負けない―――」

 前頭目の急死に伴う後継者の選定を巡り、前頭目の忘れ形見である二人の兄弟の間で内乱が続いていたが、
兄のエルンストが弟を一騎討ちの末に撃破し、正式にテムグ・テングリ群狼領の頭目を継承した―――
これがおよそ半年前のトップニュースで、当時はエンディニオン中を烈震させたものだ。

 兄弟間の争乱が渦を巻いている最中は動きが鈍っていたテムグ・テングリ群狼領だったが、
新たな頭目を得てからと言うもの完全に息を吹き返し、以前にも増して版図の拡大へ注力している。
 父の代での征圧と合わせ、エルンストはエンディニオンの実に四分の一近くを支配下に置いていた。
 法の効力が薄いことを逆手に取った…いや、仮に法が強い力を有していたとしても、
それを軍馬で踏み破り、武力でもって地上の全てを従えんとする恐るべき勢力である。

「―――皆さんが僕のことをどう評価しているかは分かりませんが、
僕自身は徳の至らないちっぽけな人間だと思っています。
エクセルシスを振り翳して権威を味方に付けるくらい大胆になれる自信もありません。
でも、聖剣を手にすることで理不尽な侵略、誰にも平等であるはずの法律を捻じ曲げる悪徳を罰することが叶うのであれば、
僕は及ばずながら力を尽くしたい………自由と平等を守る為に、法と正義をもたらす為に、
フェイ・ブランドール・カスケイドは聖なる剣を求めています」

 そこまで一息に言い切ってから、興が乗るあまり酒の席に不似合いな雄弁を垂れていたと自覚したフェイは、
冷やかしが多分に込められたアルフレッドの眼差しを避けるように首を竦め、照れ臭そうに自嘲の笑みを浮かべた。
 「またやってしまった…」。そんな声が聴こえてきそうな困り顔だった。

 そんなフェイの様子を見つめながら、まだ見ぬエルンスト・ドルジ・パラッシュと彼が戦えば、
果たしてどちらに軍配が上がるのだろうか、とアルフレッドは思いを巡らせる。
 新聞やニュースの取材にも応じず、神秘のヴェールに包まれた未知の強豪の技量がどれほどの物なのかは
情報不足も手伝って計り知れないが、剣聖のフェイが負けるとは考えにくい。
 兵の数に勝機を託せば間違いなく敗れるものの、一対一の状況―――つまり、純粋な戦闘力での勝負へ持ち込むことさえ出来れば、
フェイの勝ちだとアルフレッドは勝手に推量していた。
 いかにエルンストが強大であろうと、身の丈以上のツヴァイハンダーを自在に操り、
たったの一振りで昼間のような激震を起こせるフェイに戦闘力で敵う訳が無いだろう、と。

 そして、トップのカリスマ性に依って率いられた軍勢などは、所詮、寄せ集めの烏合の衆に過ぎない。
 トップが倒れれば報復に燃えるよりも混乱が先に立ち、幾万の軍勢と言っても瓦解するのにそう時間はかかるまい。

(―――大軍の足並みを鈍らせ、その上で小勢が力を発揮するよう閉所所に敵を誘き寄せて、それから―――)

 いつしかアルフレッドは、不利な状況を覆して大軍に勝利を収めることを起案する軍師の表情(かお)になっていた。

(………そもそも、だ。ここの連中がもっと協力的になれば済む話ではないか………)

 隣村で情報収集を行った際に紐解いた文献の中に発見したとある伝承がアルフレッドの脳裏に浮かんでいた。
 それは、マコシカの民の間で語り継がれている伝説的な英傑のことである。

 創造女神イシュタルを崇拝する民族であるマコシカにとって、前述した破壊神タンムーズは何があろうとも相容れぬ存在である。
 イシュタルとタンムーズの間で最終戦争が勃発した折にもマコシカの始祖たちは死力を尽くして激闘し、
破壊神の討滅へ一助を添えたと言われている。
 神話の時代の最終戦争に於いて、同胞たちを率いて女神のもとへ馳せ参じたマコシカの大酋長を
人々は“ワカンタンカのラコタ”と畏敬し、彼もまたその期待に応えてよく戦った。
 ワカンタンカのラコタとは、古代語で『天上に住まう主の友』を意味する。
 人類の総代とも言うべき勇者であり、事実、ワカンタンカのラコタは女神の軍勢の旗頭としてタンムーズへその刃を突き立てた―――
アルフレッドの読んだ文献にはそのように記されていた。

 イシュタルより下賜された羽根冠と翼の鎧を身に纏っていたとされるワカンタンカのラコタであるが、
その輪郭は、聖剣エクセルシスの伝説と重なるところがある。
 否、重なるなどと言うものではない。女神の旗頭、人類の総代と言うポジションに至るまで殆ど同じであり、
身も蓋もない言い方をしてしまえば、イシュタルより授けられたモノが武器か、防具かの違いだけであった。
 あるいはエクセルシス自体、マコシカに伝わっていないだけで、本来はかの大酋長の所有品であったのかも知れない。
 しかしながら今日に継承される伝説では、非常に通っているにも関わらず、
聖剣エクセルシスとワカンタンカのラコタは交わらない物とされており、これを立証する術を現代の叡智は持ち合わせていなかった。

 古来より伝承と言うものは、編纂者の都合によって荒唐無稽な異説が捏造されていたり、
事実として受け止めることが困難なほど歪められてしまう事例が後を絶たなかった。
 コケのようにへばり付いた偽りの部分を削ぎ落とし、歴史の真実へとアプローチするのが考古学なのだが、
膨大な労力を費やす割に見返りが絶無に等しく、それが為にエンディニオンではこの分野の進歩は殆ど見られない。
 それも当然の流れであろう。惑星環境が劣悪を極めると言う過酷な世界で生きているエンディニオン人に
実利へ通じぬ学問を育てるだけの余裕などどこにもあるわけがないのだ。
 考古学の精度は惑星環境に比例していると言えよう。

 こうした背景もあってアルフレッドは伝承と言ったモノには信を置いてはおらず、
エクセルシスと大酋長、元々は別の事跡であった筈の二つの伝承をどこぞの誰かが勝手に融合させた挙句、
そこで留めておけば良いものを同様の体質を持ったまま枝分かれさせたのではないかと見なしている。
 仮にアルフレッドの想像が事実に即しているとすれば、曖昧、あやふやどころの話ではなく、
現代まで語り継がれている数多くの伝承が根底から覆される筈だ…が、
結局のところ、これは無神論者の偏屈の域を出てはおらず、殆どの人類が女神の敬虔な信徒であるエンディニオンでは
誰からも支持されることはなかろう。
 かく言うアルフレッド自身も、このような仮説を提唱するつもりは毛頭なかった。

 歪曲あるいは捏造が混ざっている可能性は極めて高いものの、マコシカの民に備わった体質を慮れば、
おそらく大酋長の存在そのものは真実であろう。
 ワカンタンカのラコタと呼ばれる伝説的な英傑をマコシカの民はイシュタル同様に心から敬っており、
無窮の時が流れた現在(いま)も大酋長の座は永久欠番さながらに空位のままである。
 酋長として集落を束ねるレイチェルではあるが、マコシカの最上位に在る大酋長の座へ就くことはまず在り得ないそうだ。

 そうした信仰心の強さ、伝説を継承していく使命への忠実さから推察するに、
ワカンタンカのラコタが身に着けたとされる羽根冠や翼の鎧は現在もマコシカの何処かに
安置されているのではないか―――アルフレッドにはそう思えてならなかった。
 無神論者のクセに実利を伴う遺産の存在は認めるのか…と自嘲するアルフレッドだったが、
マコシカの民は太古の昔より様々な伝承物や遺産、祭器と言ったモノを保護しているとも耳にしている。
 そのような民族がイシュタルより大酋長へ下賜された神器を蔑ろにするとは考えにくいのも確かだ

(………フェイ兄さんこそ神器を継承するにふさわしい)

 大酋長の装備が保管されているのであれば、これをフェイに授け、エンディニオンの未来を託せば良いではないかと
アルフレッドには思えてならなかった。
 フェイには間違いなくワカンタンカのラコタを名乗る資格があるとアルフレッドは信じている。
同意を求めれば、殆どの人間が諸手を挙げて賛同すると言う自信もあった。
 テムグ・テングリ群狼領の脅威にさらされるエンディニオンは、かつてない未曾有の混乱期にあると言えよう。
女神の旗頭たる大酋長の再臨を誰もが待ち望んでいる筈である。

「マコシカ舐めんなヨ。そうイージーになれるんなら、誰だってヒーローだ。
トゥルーにセレクトされたメンだけがワカンタンカのラコタになれるのサ。
そこいらのザコなんて相手にもされナッシングよ」

 次代のワカンタンカのラコタにフェイを据える―――そう夢想するアルフレッドの胸中を見抜いたらしいホゥリーが
いつもの如く皮肉を一つ投げかけたが、口の中いっぱいに骨付き肉を頬張っていた為に
言葉として満足に紡がれておらず、モゴモゴとするばかりで何を言っているのかわからなかった。
 深い思料に耽るが故に周囲への注意力が著しく減退しているアルフレッドには、
彼が口を動かす様子は咀嚼のようにしか見えなかった。
 
 他の面々も概ねアルフレッドと同じような反応だった。一瞥もせずに食事や談笑を続ける者のほうが遙かに多い。
 ホゥリーの皮肉を理解したのはレイチェルとフェイくらいなものであろう。
 アルフレッドに向かって言い放たれた痛烈な皮肉を片耳にて拾ったレイチェルは、
その直後、困ったように眉間へ皺を寄せ、気遣わしげな眼差しをフェイに送った。

「………………………」

 別段他意のある訳でもなかった皮肉が、対象のアルフレッド以外へ飛び火するとは、
これを言い放ったホゥリー自身も予想だにしていなかっただろう。
 レイチェルの視線の先では、悲しげに双眸を細めるフェイの姿があったが、
その痛ましげな様子は夜の闇が塗り潰し、彼女以外に気づく者はいなかった。

 宴の喧噪は、唇を噛むフェイをその場へ置き去りにするかのような盛り上がりを見せている。




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