5.再会


 ―――手裏剣とは読んで字の如く“手の裏に隠す剣”であり、
暗器(※隠し武器)の一種として使うのが本来の用法だ。
 手のひらに隠せるくらい小さな武器を不意打ちで投擲することにインスピレーションを受け、
先人は“手裏剣”と言うネーミングに辿り着いたに違いない…が、
アルフレッドの目の前で轟々と飛び交うこの武器は何だ?

(手裏剣の名付け親に対する冒涜だな、これは)

 直径1メートルを優に超える長大な手裏剣が縦横無尽に荒れ狂い、
四方を囲む雑木を巻き込みながらアルフレッドとフェイに襲い掛かってきた。
 手裏剣と言うよりは巨大なフリスビーやブーメランに近い感覚で放たれたこの武器こそ、
完全なる“敵”として認められたタスクの発する攻撃だった。
 手の裏に隠せそうも無い長大な手裏剣をタスクは夢影哭赦(むえいこくしゃ)と呼び、
自らのトラウムであるとも称してその冷たい刃先をアルフレッドとフェイへ向けて投擲しているのだ。

 空気抵抗がどのように手裏剣の軌道に作用するのか、物理的な法則が速度の緩急にどんな影響を及ぼすのか。
ありとあらゆる計算が巧妙に凝らされた手裏剣は、それを投げた持ち主の手元に殆ど戻らず、
まるで自律した意思を持つ一個の生物のように自在に動き回り、何度となく二人を猛襲する。
 無機質な手裏剣とは思えない滑らかかつ複雑に描かれる軌道など、
精密に獲物を狙う猛禽類の羽撃きと比べても何ら遜色が無いものだ。

 更に厄介なのは、手裏剣の旋回に巻き込まれて輪切りにされた雑木だ。
 抉り取られた破片に始まり、輪切りの塊そのものが投石器で射出でもされたかのように
戦場を飛び交うのは、これに相対するアルフレッドたちにとって相当に厄介なものだった。
 翔ける手裏剣を間隙を縫って飛び込んでくる木っ端を、
時に叩き落とし、時に躱して切り抜けようとするアルフレッドとフェイであったが、
塊の射出されるスピードがとにかく速く、次第に劣勢へ傾き始めている。
 輪切りにした木っ端を、手裏剣の回転によって発生した風の渦に乗せて射出してくるのだ。

 裁断と射出を殆ど同時に行う夢影哭赦に対して、アルフレッドは戦慄を覚えた。
 そんな威力が込められた手裏剣なのだ。一撃でも食らったらどうなるか―――
想像しただけで彼の背筋に冷たいものが走った。

(おい、冗談じゃないぞッ!? フツノミタマなんて比じゃない―――フェイ兄さんと互角かよッ!!)

 互角と頭に浮かべたのは希望的観測で、信じたくも認めたくもないのだが、
武器の性質だけでなく身体能力でもフェイが徐々に押され始めていた。
 当たり前だが、身体能力の優劣が戦闘能力にそのままイコールではない。
闘気を刀身に宿らせて撃ち込む秘剣に秀でたフェイが完全な不利に立たされているわけでもない。
 現に迫り来る巨大手裏剣をツヴァイハンダーで切り抜け、
タイミングさえ合えば野球のバッターがホームランを打ち上げる要領で
木片もろとも“ピッチャー返し”よろしくタスク目掛けて跳ね返している。
 ところが、敵も慣れたもので、フェイがツヴァイハンダーで巨大手裏剣を受け止めた瞬間にトラウム解除を行い、
手元に改めて巨大手裏剣を形成し直して、防御のフォロースルーから体勢が整い切っていないフェイへ
超速の追撃を加える。

 投擲したら棒立ちと言うことでもない。投擲者本人の格闘術も相当なレベルにまで鍛えられており、
手裏剣でフェイを攻撃しつつ、格闘術でもって同時多発的にアルフレッドへ襲い掛かる。
 アルフレッド得意の蹴りを難なく捌いては鋭い手刀を突き込む敵の背後に
加勢のツヴァイハンダーが振り落とされはするものの、タスクはアルフレッドを跳ね除けながら身を翻し、
そのままサイドフック気味に繰り出した掌底突き(※張り手の一種)でツヴァイハンダーの腹を打ち据え、
斬撃の軌道を強引に曲げて難を凌いだ。

 意表を突かれて体勢を崩しかけるフェイだが、泡を食っている暇は無い。
 背中には先ほど弾いた巨大手裏剣が再び迫っており、これをやり過ごさないことには、
アルフレッドの加勢に走ることも出来ない。
 タスクと打ち合いを演じつつアルフレッドを庇い―――戦闘は、その繰り返しだった。
 当人としては臍を噛む思いだが、アルフレッドは完全にフェイの足手まといになっている。

 これまで体験したことがない全く新しい戦闘スタイルだ。
アカデミーでさんざん学んだ百般にも及ぶ武器術の中にも該当するものが記憶に無い。
 細部に至るまで計算が凝らされた連続攻撃は、見蕩れてしまいそうになるくらい精密にして玲瓏。
悔しいが、現状のアルフレッドの力量では、付け入る隙が見出せなかった。

「わたくしも任務を仰せつかっている身。まして主人の命とあらば、
我が身を粉にしようとも必ず成し遂げなくてはなりません。
申し訳ございませんが、そちらが戦う意思を鎮められるまで応戦仕ります」
「応戦? ………笑わせるッ! それはこちらの台詞だ。貴様に売られた喧嘩を買っただけだッ!」
「喧嘩などと………わたくしの態度がお気に触ったのでしたら、
そのように言いつけて下さればそれ相応の謝罪も用意できたのですが………」
「悪いね、ロッテンマイヤーさん。僕らに必要なのは謝罪じゃなくて、この理不尽な拘束からの解放なんだよ。
そっくりそのまま言葉を返そう。………そちらが僕らを解放するまで、悪いが戦いを続けさせてもらうッ!」

 ―――唐突に息詰まる死闘が勃発し、そこに至るまでの詳説がすっかり吹き飛ばされてしまっていたが、
幾分、眉を吊り上げたタスクが糾弾するように、そもそもの戦端を開いたのはアルフレッドとフェイのほうで、
待ち人への案内を主務と心得るタスクにしてみれば、戦いは迷惑極まりなく、実に心外な成り行きだった。

「これ以上、あんたに付き合うつもりはない」

 話を数分前にまで遡れば―――アルフレッドのこの一言が開戦への門を開いたことになる。

「ロッテンマイヤーさんには悪いのだが、相手がどれだけ面会を求めても、
俺は名前を名乗りもしない人間を信用することはできない。
使いを寄越して召喚するからには、名乗ることは最低限の誠意じゃないか?」
「主の心が不敬に当たることはわたくしも重々承知しております。
その上で、不敬を承知の上で貴方様をお連れしているのです。
………憤懣も立腹も、全て主とお逢いになればたちどころに解けますので」
「あんたが何をどう承知しているかは俺の知ったことじゃない。
第一、俺の蟠りをどうして他人が理解できる? 他人のあんたが俺の気持ちをどうして割り切れる? 
何様なんだ、あんたは?」
「わたくしは何もそのような―――」
「御託は結構だ。俺が言いたいのは、名前を明かさず、面談を望む相手の不信を煽るようなヤツと面談しても、
お互いに不幸な結果に終わるということだ。心穏やかな面談をセッティングしたいなら、
また、あんたらに人としての常識があるのなら、それなりの誠意を見せてもらおう」
「………わたくしの口からは何も申し上げられません」

 戦いが始まる前、アルフレッドはいつになく多弁にタスクへ話し掛けては
繰り返し繰り返し“待ち人”の正体を尋ね、口数が少ない普段の姿をよく知るフェイの目を丸くさせた。
 タスクの口から“待ち人”の正体を引き出そうと躍起になり、
あの手この手を試みるアルフレッドの饒舌は普段が普段だけに奇妙かつ珍妙だが、
腹の内ではタスクの主になど全く興味は無い。

 しつこさそのものがアルフレッドの巡らせた策の一つなのだ。
 繰り返し繰り返し繰り返し………それこそ呪詛のように絶え間なくタスクへ問い続けることによって彼女の注意を反らし、
隙を生じさせようとの一計をアルフレッドは案じていた。
 先に述べた通り、最初は奇妙な饒舌に閉口していたフェイも以心伝心でアルフレッドの真意に気付き、
途中から言葉尻に乗ってマシンガンさながらにタスクへ質問を畳み掛ける。

「僕は後見人として立ち会う身分だから、アルみたくゴリ押しするつもりは無いよ? 
でも、第三者的に客観視するとね、ロッテンマイヤーさん、ここは要領よく対処するのが吉じゃないかな?」
「………主には内密に、お二人にだけ名前を明かせと?」
「察しが良くて助かるよ。もちろん僕は知らなくても構わない。
アルと、アルとの再会を待ち侘びる相手との問題だしね、これは」
「申し訳ありませんが、主の意に背くことだけは出来かねます」
「だから臨機応変とフェイ兄さんも言っているだろうが。俺たちが耳打ちされたと言わない限り、
あんたと主とやらの間に溝が生じることはない。あんたが言う反意の事実も生まれないというわけだ。
頭をもっと柔らかくして物を考えるんだな。………頭を柔らかくなんて、俺に言われちゃおしまいだぞ、あんた」
「自分で言っちゃダメだろ、どんな自虐ネタだよ。………自虐はともかくとして、
アルの言いたいことは理解できるでしょう? 僕らは絶対に告げ口はしない。約束する。
この誓いと僕らの誠意に、貴女も誠意でもって返してくれることを期待するよ」
「期待するだけ無駄とは思うが、フェイ兄さんの言う通り、あんたの誠意に賭けてやるよ。
言い出しっぺは俺だしな。………柔軟性を欠いた頭の判断もまた堅いと思うがな」
「アルフレッド様………、カスケイド様………」

 二人から口早かつ執拗に質問責めを受けたタスクはさすがに閉口してしまい、
ほんの一瞬だが、注意が削がれた。
 ほんの一瞬の隙ではあるが、アルフレッドが待ち侘びた瞬間が訪れた。
 千載一遇のチャンスだ。
 アルフレッドと、なによりフェイの技量をもってすればその一瞬の狭間より勝機を手繰り寄せることも叶う。

「誠意をもってしても誠意を返さないと突っぱねるのなら―――これ以上、あんたに付き合うつもりはない」
「残念だけど、この先の路は一人で歩いて貰うことになるな―――本当に………悪いねッ!」

 アイコンタクトでアルフレッドに攻撃開始を合図したフェイは疾風迅雷の一足飛びでタスクの背に迫り、
大上段に構えたツヴァイハンダーを縦一文字に振り落とす。
 もちろん刃は立てず、腹の部分で打ち据えるだけだ。それでも重量武器のツヴァイハンダーにかかれば
脳天を打ち据えただけで戦闘不能に陥れることができる。
 よしんば意識を失わなくても、頭蓋骨を伝って脳を一打ちした衝撃波は、
タスクの身体から一時的にせよ運動機能と感覚神経の両方を奪うことだろう。
 アルフレッドが引き寄せてくれた千載一遇のチャンスにも、己の剣にも、フェイは絶対の自信を持っている。
これで窮地を脱せられると確信していた。

「いずれ痺れを切らせるとは考えていましたが………こうなっては仕方ありませんね」
「――――――ッ!?」

 だが、確信の一撃が脳天を捉えるよりも早くタスクの影は掻き消え、
「まさかッ!?」と我が目を疑ったときにはフェイは彼女に背後を取られていた。
 一足飛びで背後を取るつもりが、逆に絶体絶命の窮地に追い込まれてしまった形だ。

「兄さんッ!!」

 背後を取られたフェイを救うべく、確実に足りない技量を度外視して遮二無二突っ込んだアルフレッドは
今まさにフェイの延髄へ鋭い手刀を落そうと構えるタスクの脇腹へラピッドツェッペリンを繰り出した。
 ラピッドツェッペリンとは、一足飛びで相手との間合いを詰めつつ、空中にて何度も蹴りを打ち込む荒業である。
 パルチザンに並ぶアルフレッド得意の空中殺法だ。左右合わせて五連もの重い攻撃をタスクに見舞おうとするが、
フェイをも翻弄するスピードの持ち主はそう簡単に捕まえさせてはくれなかった。

 手刀を構えた右手に左手を添えて防御の体勢を整えつつ、その場で急旋回したタスクは
ラピッドツェッペリン初撃の蹴りを肘で受け流し、捌くなり一気に間合いを詰めて
アルフレッドへ体当たりをぶちかました。
 男二人に比べて華奢なタスクだが、肩口からぶつかっていった体当たりは
アルフレッドの肋骨、鎖骨、喉元を一気に打ち据え、人体急所を精密に狙われた彼の意識を閉ざしかけた。

 即時数打のダメージへ懸命に堪え、『パルチザン』で反撃を試みるアルフレッドを素早い動きで翻弄したタスクは
蹴りの有効範囲外へ後転でもって逃れ、斬りかかられた際に足元へ落としてしまっていた手裏剣を掴まえるや、
追い縋るフェイに投擲し、彼が打ち込むはずだった追撃を牽制する。
 考えもしなかったローアングルからの反撃に度肝を抜かれたフェイは
ツヴァイハンダーを防御の壁へと翻して手裏剣の奇襲を切り抜けたものの、
タスクが狙った通りに追撃の刃はそこで止まってしまった。

 後転という不利な姿勢にも関わらず、目にも止まらぬ速度の手裏剣を繰り出したタスクの技量に
フェイもアルフレッドも凍りつくような戦慄を覚え―――それから、現在の激闘に至った次第である。

「出でよ―――ウォールズ・オブ・ジェリコッ!!」

 恐るべき夢影哭赦とタスクの格闘術に対して、フェイも自身のトラウムを発動させる。
 掲げた左手の先で光の帯が爆ぜ、そこに三つのピースで組み上げた正三角形のオブジェクトが現れた。

 「アルを護れッ!!」

フェイが命じるのと同時に正三角形のオブジェクトは分割されたパズルのように三つのピースごと彼の指先から遊離し、
円を描いて空中を旋回しながらアルフレッドの周囲を取り囲む。
 やがて三つのピースは互いを連結するかのように一筋の光線を結ばせ、
線と線の間に描かれた面に白銀のシェルターを形成した―――
これがフェイに備わった盾のトラウムにして彼が“切り札”と胸を張るウォールズ・オブ・ジェリコだ。

 アルフレッドを覆うようにして展開されたウォールズ・オブ・ジェリコは淡く透過こそしているものの、
強度は折り紙付きで、夢影哭赦が蹂躙し、降り注がせた輪切りの塊を尽く跳ね返したばかりか、
塵一つすらシェルターの内部へ通していない。
 強度の証明はなおも続く。しこたま木片の洗礼を喰らったにも関わらず、
シェルターの表面には傷一つ付いていなかった。

 重く硬質な打撃を何度も何度も被ったと言うのにビクともしないウォールズ・オブ・ジェリコは
いかなる爪牙をも跳ね返す無敗の盾として、フェイの雷名を高めるのに一役買っており、
アルフレッドは身を持ってその不落の防御力を実感したのだった。

(古人は矛盾を皮肉ったものだが、最強の剣と無敵の盾は同時に存在し得るものだ………!)

 感嘆の溜め息を漏らしたアルフレッドの眼前では、フェイとタスクの接戦がいよいよ激化している。
 アルフレッドの身の安全をウォールズ・オブ・ジェリコへ委ねたフェイは、
第三者を庇うことで分散していた戦闘力の全てを眼前のタスクへ注ぎ込み、
全身全霊で勝負を決めるつもりだ。

「………“足手まとい”か。つい最近、聴いたばかりの言葉だな………」

 第三者を庇う………つまり、タスクへ肉迫するにはアルフレッドは足手まといになると見なされたのだ。
 弟分を庇いながら戦うことが大変なハンデになると判断したフェイは、
無敗の盾たるウォールズ・オブ・ジェリコで包み込むことによって
死の飛び交う戦場から隔離したわけである。

 かつてアルフレッドもフィーナへ同じような現実を突きつけ、戦場から遠ざけようと図ったのだが、
そのときの心無い仕打ちが今になって自分に返ってきたような気持ちだ。
 力になりたいのにそれが叶わず、無理を押して駆け寄ろうとすれば辛い現実を突きつけられ、
あまりの無力さに胸が痛む―――スマウグ総業と一戦を構えた際にさんざんフィーナを足手まといと突き放したが、
彼女と自分がどれほど違うものか。フェイやタスクといった超人から見ればどちらも大差なかろう。
 「俺も結局は雑魚でしかない」。理解もしているし、受け入れてもいることだが、
立て続けに力量の不足を痛感させられていたアルフレッドには、
フェイのお荷物でしかないという現実は殊更響いた。

 どれだけ嘆いてみたところで、どれだけ参画の可能性を模索してみたところで、
超人同士の激突という高次のレベルにあるフェイとタスクの一騎討ちは、
アルフレッドごときでは踏み入る隙間も見つけられず、指を咥えて趨勢を見守るしかない。
 胸元で揺れる灰色の銀貨を握り締めるが、こんなときに限ってグラウエンヘルツも発動せず、
そうなるともう講じる手立てが無かった。

「―――剣翔乱武(けんしょうらんぶ)ッ!!」
「一丈流るる宵の星が如き『罪(とが)』にてお相手承ります」

 ウォールズ・オブ・ジェリコのアドヴァンテージによって
アルフレッドを気遣う必要の無くなったフェイの太刀さばきは一気に鋭さを増し、
流れるような身のこなしで連続斬撃を叩き込んでいく。
 剣翔乱武と呼ばれる秘剣だ。
 冴え渡る連続斬撃は、剣の軌道を追う残像を見ているだけ魅入られてしまう。

 前後左右から打ち込まれる流麗な連続斬撃を正面に捉えるタスクだが、
決して魅入られることもなく、眉一つ動かさず、冷静怜悧に剣の軌道を見極めている。
 手元に戻した夢影哭赦から繰る『罪(とが)』なる技も、
フェイより打ち込まれる連続斬撃を完全に見極められたからこその選択だ。
 四方に張り出した刃が本体から射出され、思いも寄らないギミックに驚くフェイ目掛けて奇襲を仕掛けた。
このギミックを『罪(とが)』と呼ぶ―――と、アルフレッドは後にタスクから教えられる。

 本体とワイヤーで連結されたこの四つの刃は変則的かつ俊敏な動きに惑わされそうに成るフェイだが、
そこは幾多の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の剣聖である。
 刀身へ左手を添え、刃を振る際に微弱な加重を与えることで
重量の作用へ小回りを利かせられるように工夫したツヴァイハンダーを巧みに操り、
全方向より襲い掛かる四つの影を見事に受け流していく。
 物理法則を計算に入れて戦う術を知るのは、タスクだけではないと言わんばかりの機転だった。

 この工夫を見るや、タスクは刃を失って平べったい鉄塊と化した夢影哭赦を盾に見立てて突き出し、
轟然と唸るツヴァイハンダーを跳ね除け、そのまま押し付けることでフェイの動きをも封じ込めにかかる。
 ツヴァイハンダーを攻撃にも防御にも使えなくし、動き回るワイヤー式の刃を直撃させようという魂胆だ。
 狙うは、四肢。命まで取るつもりは無いものの、課せられた使命を果たすには戦いの終結が急務であり、
それにはフェイから戦闘能力を奪う必要があった。

「なんのぉッ!!」

 フェイも狙われているのが四肢であると見抜き、夢影哭赦で押さえ込まれたツヴァイハンダーを手放すと
力点を外してタスクから逃れ、彼女の懐へと飛び込んだ。
 咄嗟のことに反応が遅れたタスクは半身を反らしてフェイの突進をかわそうとするものの、
すれ違いざま右側面より繰り出された手刀の直撃を脇腹に許してしまい、鈍痛に身体を揺らがせる。
 ツヴァイハンダーを諦めた為に無手というハンデを背負いはしたが、追撃のチャンスをフイにはできない。
 左の肘で反対の脇腹へ更なる鈍痛を与えながら、いつも腰のベルトに差している鉄笛を空いた右手でもって引き抜き、
タスクの眉間に狙いを定めて大きく振りかぶった。

 しかし、これがフェイの失策だった。
 大型武器のツヴァイハンダーを操るフェイは攻撃に際して大振りになる傾向があり、
このときも長さ20センチばかりの鉄笛を大仰に振りかぶったせいで大きな隙が生じていた。
 動作を最小限に絞ってさえいれば、目論見通りに彼女の眉間を叩き割り、
勝利を得られたのだが、結局、この一瞬の隙をチャンスに変えたタスクに向こう脛を蹴飛ばされ、
フェイは体勢を崩してしまった。

 しまった―――フェイが失態を悔やんだときには、タスクが繰った四つの刃が彼の四肢間近に迫っていた。
 狙いは正確に定まっており、最早回避は不可能である。

「―――やらせるものかッ!」

 ―――そのとき、フェイの足元からいきなり間欠泉が噴き出して彼の身体を上空高く跳ね上げた。
 あまりにも唐突な現象にタスクもフェイも何が起きたのか把握できず、しばし目を瞬かせたが、
間欠泉が噴出する直前に聴こえた叫び声の主へ視線を巡らせ、全てを理解した。
 二人の視線の先には、ウォールズ・オブ・ジェリコのシールドに護られたアルフレッドが、
突き出した右手にCUBEを構えているのが見えた。
 そして、彼の右手の中に握られた小さな立方体が淡い燐光を放っているのは、
魔力の結晶体とされるCUBEが裡に宿した力を解放した証である。

「………さすがはアルフレッド様、良い判断です」
「そりゃそうさ。僕の自慢の弟分だからね」

 水のエネルギーが結晶となったCUBE『MS‐WTR』だ。
 アルフレッドが発動させたのは、このMS‐WTRに書き込んであるプロキシの一つ、ガイザーである。
 これはたった今再現された通りに足元から冽水を間欠泉の如く噴出させて攻撃するものだった。
 本来は攻撃プロキシの一種なのだが、機転を利かせたアルフレッドは味方であるはずのフェイを
ガイザーの間欠泉で突き上げ、追い縋る夢影哭赦の有効範囲から彼を外すことに成功したのである。
 少々手荒い方法になったものの、直撃を免れたフェイは上空で身を翻し、
着地と同時にツヴァイハンダーを拾い上げて体勢を整えられた。

 常識として認められている用途へアレンジを施した応用力は軍略・戦術に精通したアルフレッドならでは。
フェイとタスクはアルフレッドが利かせた的確にして鮮烈な応用を目を見開いて称賛した。

「近接戦闘では足手まといだが、CUBEによる遠隔攻撃でならサポートも可能。………これより先は
再び二人がかりで攻めさせてもらうぞ、ロッテンマイヤー」

 『MS‐WTR』は今日の今日までアルフレッドが所持していなかったCUBEだ。
 これは、マコシカの集落を出発する間際、酋長として争いを止められなかった落ち度に対する謝罪の品として
レイチェルより譲られた物だった。
 その場に居合わせなかったレイチェルが落ち度を悔やむ必要は無いとアルフレッド以下みんなが考えており、
欲深いホゥリー以外は謝罪の品を固辞したのだが、「酋長の心配りを無碍にするのか」と
マコシカの人々からややピリピリした気配を察したニコラスがアルフレッドの背中を押し、
結果、彼の手元に渡った経緯がある。

 あの場は固辞したものの、「貴重なCUBEなんだ。旅には幾つ持っていたって損は無い」とのニコラスの示唆に従って
頂戴しておいて本当に良かった―――そうアルフレッドは一人ごち、心の中でレイチェルに感謝を述べた。
 陥ったのが窮地だけに、レイチェルのお陰で形勢を持ち直せたと感謝しても過言ではなかった。

「兄さんッ!」
「了解! 今度は僕の番だ! アルの作ってくれたチャンスに応えてみせるよッ!!」

 魔力の膜で対象を包み、物理ダメージを緩衝するモダレイションという防御プロキシをフェイにエンチャント(付加)し、
続け様にタスクが手裏剣を構える周辺へ粘着力の極めて高い粘液を塗布するアルフレッド。
 何も無い空間から創出され、塗布された粘液もプロキシの一種だ。グリースというこのプロキシは、
粘性の水を足元に絡めることで標的の動きを封じ込める補助系の術であり、
スピードに長けたタスクに対して有効と判断したのだ。
 握り締められたアルフレッドの右手が燐光を発していることからも解る通り、
一連の現象はCUBEに込められた術式をエミュレートしたプロキシの効果である。

 CUBEに書き込まれたあらん限りの術式を駆使してサポートを行い、
ガイザーの照準を今度はタスクへ向けつつ必勝を叫ぶアルフレッドの声はやや上擦っていた。
 足手まといと見なされていた自分がフェイの力になれるのが嬉しいのだ。
 近接戦闘ではウォールズ・オブ・ジェリコで護られなくてはならないほど脆弱な自分だが、
CUBEでなら、プロキシでなら、フェイと共に戦える、と。

「受けて立ちましょう―――それがわたくしがこの戦場に尽くす礼儀です」

 二対一………それも戦いが始まった頃とは形勢が異なる二対一の状況に追い込まれても
タスクは少しも慌てることは無く、冷静そのものでアルフレッドとフェイを見据えている。
 誰も庇う必要なく剣技を振るえるフェイと、CUBEによるアルフレッドの遠隔攻撃は
共に全力を発揮でき、非常に厄介。
 おまけに足元を侵食するかのように塗布されたグリースの粘液が大幅に行動を制限しているのに、だ。

劣勢を物ともしていないタスクの様子にアルフレッドは改めて緊張を強める。
折角、行動の封じ込めを試みた『グリース』だが、粘液など一足飛びで避けられる自信がタスクにはあるのだろう。
爪先スレスレまで粘液に蝕まれていると言うのに、全く気にしていない様子である。
ここまでサポートを施しても、持ち込めるのは優勢でなく5:5か、と目眩を覚えなくも無いが、一方的な劣勢を
脱したことも事実であり、逆転の余地が開いたと解釈するほうがよほど建設的だとアルフレッドは自分に言い聞かせた。

「行くぞ!」
「行くよ!」
「行きます」

 三者三様にして異口同音の激昂が黄昏の薄光を浴びる木立を震わせ、
互いの戦意を更なる高みへ鼓舞した―――

「―――武器を納めなさい、タスクっ!」

 ―――まさに瞬間(とき)、アルフレッドでもフェイでも、タスクでもない第四の声が
対峙する両陣営の間に割って入り、高まり昂ぶった戦意をバラバラに寸断してしまった。
 ガラスの鈴を鳴らしたかのような声は凛々しく美しく、どこまでも果てしなく透き通り、
清涼な風の音に等しいその響きはアルフレッドたちの心を一瞬にして捕える。
 誰もの心を掴んで離さない、魅了の魔力とでも言うべき不思議な響きを第四の声は備えていた。

 聞き惚れるあまり、危うく無防備になりかけたフェイだが、タスクの名前を呼ぶ以上は彼女に与する人間に違いなく、
新手と訝り警戒する必要もある。
 緩みそうになった柄へかける力を入れ直したフェイは、呆けたように第四の声へ聴き入っているアルフレッドの分まで緊張を強め、
ツヴァイハンダーの剣尖を声のした方向へと翳す。
 木立の影に隠れて声の主の姿形は見えないままだが、草の根を踏み分ける音はだんだんと近くなっており、
こちらに足を向けてはいるようだ。

 ならば、なおのこと警戒を強めなくてはならなかった。
 美しい声の持ち主だからと言って相手が声質通りにしおらしいとは断定できず、
タスクと同等の戦闘力を有し、なおかつ彼女以上に凶暴な攻撃を仕掛けて来るとも限らない。
 戦況が悪化する可能性は高い。厳しくタスクへ言いつける口調から彼女よりも位階が上の人物であることは推理できた。
 あるいはアルフレッドと再会を望んでいると言う彼女の“主”なのか。

 第四の声をかけた相手の正体が何者であろうとフェイには関係ない。
 あらゆる可能性を想定し、あらゆる状況に備えていなくては、
悪い予感が的中して敵の新手だった場合に目も当てられない結果になるのだ。
 前方を差していた剣尖を右脇へ回し、引き付けた体勢でツヴァイハンダーを構えるフェイの両手にも次第に力が入っていく。
柄に巻きつけられた滑り止めの革ベルトへじっとりとした汗が吸い込まれていく。

「アル、どうしたんだ、アル!?」
「………………………」
「アル?」

 不確定な展開の中に新たな危機をはらんでいる場合、人一倍敏感に警戒心を強めるアルフレッドなのだが、
どういうわけか、第四の声が耳に入った途端に真紅の瞳を見開いて硬直し、
彫像か何かのように一言も発しなくなってしまっていた。
 ツヴァイハンダーを構え直したフェイに倣うこともなく、無防備に突っ立ったきり、だらしなく口まで開け放っている。
 そんな弟分の様子を見かねたフェイが何度となく注意を呼びかけるものの、
意識を吸引された抜け殻さながらに呆けたままのアルフレッドは反応を示さない。
………いや、示さないと言うよりも右耳から左耳へ完全に通り抜けてしまっている様子だ。

 美麗なる第四の声に魅了され、魂までまだ見ぬ声の主に引き抜かれてしまったと言うのか。
 糸の切れたマリオネットと化したアルフレッドが為していることと言えば、
声のした方向を真紅の瞳でただただ見つめるのみである。

「武器を納めなさい、タスク。わたくしがお前に申し付けたのは戦いではないでしょう? ………控えなさいっ」

 継がれた言葉で短慮を窘められたタスクは殆ど条件反射のようにしてその場に夢影哭赦を放り出し、
片膝をついて平伏する。
 動作としては単調かつ一瞬の出来事ではあるが、敵が目の前で武器を構えているにも関わらず
一声かけられただけで自分の得物を捨ててまで恭順を示す姿には、
声の主とタスクとの間に絶対服従の盟約が結ばれていると感じさせた。

 「武器を納めろ」という指示が一種の符丁のようなもので、武器を捨て恭順の姿勢を見せることで二人の油断を誘い、
後から奇襲を仕掛けようとの指示だと、研ぎ澄まされた緊張感がフェイに言いつける。
 杞憂かも知れない―――知れないが、声の主の敵性を見極める材料も少なく、
疑心暗鬼とも取れる警戒心が杞憂に終わるとは現状では断定できなかった。
 なにしろタスクが捨てた夢影哭赦は人の手で開発された出来合いの武具でなく、彼女が創出したトラウムである。
 放り投げたから安心という訳にも行かない。放り出したトラウムの解除と再創出を行なえば、
瞬時に夢影哭赦を構え直すことができるのだ。

 その手を用いた不意打ちをフェイは警戒していた。
 幾多の修羅場を切り抜けてきた百戦錬磨の剣聖だからこそ張り巡らすことができる繊細な警戒だった。

(………この声………おい………まさか………)

 ………一方、アルフレッドは耳から浸透した第四の声に精神を侵され、思考回路が完全に凍結していた。
 視覚は最早黄昏の林道を捉えてはおらず、にわかに吹き始めた肌を冷やす夕暮れの微風にも触覚は働いていない。
人間に設けられた五感のうち、まともに機能している部分はどこにも見つけられなかった。
 精神を侵した第四の声だけが絶えることなく何度も何度も脳内にリフレインし、その共鳴がやがて綾をなし、
アルフレッドの網膜に儚く微笑む大きな瞳の少女を幻影として映し出す。

 リフレインしていたタスクを諌める声も、少しずつ少しずつ変貌を遂げ、
いつの間にか、アルフレッドの名前をひどく弱々しく呼ぶものに摩り替わっていた。

『―――アルちゃん―――』

 弱々しい呼び声はそう繰り返し、繰り返される度にアルフレッドの心に痛みを伴う波紋を落す。
 かけられた言葉は全く違うものに変わっていたが、名を呼ぶその声だけは、精神を侵したそれと全く同じものだった。

(これは………この声は………この声で、この呼び方で自分の手を引くのは………)

 脳裏へ映し出された儚く微笑む大きな瞳の少女の幻影に、機能を取り戻した視覚が捉えた現実の彩が合わさり―――

「マリス様―――」

 ―――木陰から姿を現した第四の声の主にそのシルエットを重ね合わせた。

「侍従の無礼をお許しください。全てはわたくしの心を思慮してのこと。その純然たる想いをお察しください」

 草木を分けてようやく姿を見せた主をタスクは“マリス”と呼び、
絶対服従の証を立てるかのように更に深く、恭しく頭を下げる。
 タスクが跪き、絶対服従を誓う“主”マリスは、あれほど強い警戒を抱いていたフェイの心をも一瞬のうちに解きほぐし、
見蕩れさせてしまうような絶世の美女だった。

 年の頃はソニエとそれほど変わらないはずなのだが、底抜けの明るさが全面に出ている彼女と比べて随分と大人びており、
少し伏し目がちの瞳などまるで生死を達観したかのような落ち着きを持っている。
 その静けさへ美しさと儚さ、哀しさと憂いを一握ずつ注いだ瞳は赤水晶の如き輝きを宿し、
浮世を離れた神々しさまで醸していた。
 宵の闇よりなお黒いランプブラックの髪は、見つめるだけで吸い込まれてしまうのではないかと錯覚するほどに妖艶で、
風に靡く度に背筋へ快楽にも似た衝撃が走る。

 朴訥なフェイには、第四の声の主―――マリスの美貌は身も心も狂わす麻薬を遥かに越えた誘惑の芳香だ。
 絶対服従を誓っているタスクではないが、天の御使いが喉を震わせて紡ぎ出す聖歌の如く清らかな声で何事かを命じられたら、
自分の全てを捧げてでも彼女に尽くしてしまうだろう。
 慌てて頭を振り、一瞬でも別の女性に心を揺さぶられたことを悔い、
心の中でソニエに土下座してようやく正気を保ったフェイだが、
常人以上に意志の力が強いはずの彼ですら諸手を上げて屈してしまいそうになる神秘的な魅了の芳香を、
マリスは清廉そのものの身から発していた。

 黒一色のドレスの端を掴み、非礼を詫びて頭を垂れた際に除けたマリスの首筋があまりに白く、眩しく、
フェイは再び誘惑の虜になりかけてしまった。
 今度はケロイド・ジュースの腹踊りを思い描いて煩悩を打ち消し、なんとか事無きを得た。

「………」
「アル? 本当にどうしたんだ、アル!?」
「………………」
「アルッ!!」
「………………………」

 神秘の誘惑に屈しまいと懸命になっているフェイと正反対に、
アルフレッドの精神は、目の前に現れたマリスと、未だに瞼の裏へ浮かび続ける幻影の少女との狭間で揺らいでいた。
 混沌する瞳の中で重なったマリスと幻影の少女のシルエットは、あまりにも………あまりにも酷似していた。

 幼さを残していた顔と大人びた顔、病人が纏う病床用の着衣と銀の装飾が施された黒衣、
肩のあたりで切り揃えられていたボブカットとサイドで結わえたツインテール―――
幻影の少女と第四の声の主は、装いこそ異なっているけれど、
白目から零れ落ちてしまうのではと心配になるくらい大きな大きな瞳とランプブラックの髪はそっくり合致し、
何よりアルフレッドと同じ真紅に染まった瞳の色は他の誰とも間違えようがない。

 自然な形で溶け合い、一つに合わさった二人分のシルエットは、
アルフレッドが網膜に浮かべた幻影の少女と第四の声の主が同一人物であることを彼自身に認めさせた。
 そこまで明確に立証されては、アルフレッドも認めざるを得なかった。

 ………そして、認めざるを得ないからこそアルフレッドの思考は矛盾と破綻を繰り返し、機能を閉ざしてしまったようだ。
 今、彼の思考を堂々巡りしているのは「マリスがこんな場所にいるはずない。いるわけがない」。

 ―――幻影の少女も、名前をマリスと云った。

「幾年月―――幾年月も待ち侘びて、恋焦がれるうち、いつ明けるとも知れない夜の巡りを数えるのには
慣れたつもりでいたのですけれど―――ふふっ………いけませんわ。もう歯止めが利きません。
いいえ、歯止めが利かないんじゃない、歯車が回ってしまったのです。そして、回った歯車はもう止められない。
今日まで連綿と紡がれた歴史がそうであったように、人の心も同じ。動き始めた歯車に身を、心を委ねて、
足の先から頭の先まで駆け巡る恋という名の衝動が赴くまま、愛を高らかに叫ぶしかない」
「………おい、本当に………」
「銀の月の静かな輝きへ情熱の炎を灯す貴方にこそ、恋の衝動と愛の宣誓を約束して欲しいのです―――」

 アルフレッドの顔を撫でるように伸ばされたマリスの両手は氷のように冷たく、その体温も彼は記憶していた。
 肌で感じ、心で感じた体温を忘れてはいなかった。

「………マリ………ス………」
「―――やっと逢えましたね、アルちゃん………っ」

 焦がれた声でアルフレッドの名を呼んだマリスの指先が彼の唇を愛しそうに撫でたとき―――新たな風が吹き付けた。

「ジャーナリストのド根性が恋人たちのピンチを救うっ!! ―――ラストスパートかえるよ、フィーっ!」
「よろしく、トリーシャっ! これが私たちの合体必殺技っ! ツープラトンスプラッシュだよっ!」

 行く手遮る草木を強引に踏み分ける自転車がアルフレッドたちの対峙する林道へ猛スピードで突っ込んできたのだ。
 夕陽を反射して橙色に煌く自転車を漕ぐのは、この銀輪を愛して止まないトリーシャだが、
今回は単騎の突撃ではなく、背後にはハブへ足を掛けたフィーナを乗せていた。
 シェインより告げられたアルフレッドの危機を救うべく二人乗りで林道へ急行した次第である。

 ツープラトンスプラッシュなる合体必殺技――大仰に技と呼ぶにはあまりに拙く、
どこからどう見てもただのニケツだが――を声高に叫ぶのは如何なものかと思わなくもないが、
二人乗りという非常にバランスを欠く状態にも関わらず、「右に重心」「左に傾いた」「トリーシャ、前、前っ!」と
声を掛け合って姿勢制御をこなす絶妙のコンビネーションは、二人がすっかり意気投合した証明でもあり、
見ている分には清々しく微笑ましい。
 いつの間にか互いのことを“フィー”、“トリーシャ”と気兼ねなく名前で呼び合っているところからも
二人の関係がより近しくなったことが見て取れた。

「セタップ・スーパージャンパーッ!! K点越えも夢じゃないッ!!」
「アル、今行―――………へ?」

 急ブレーキによって生じた反動をバネにして自転車から高速で飛び降り、
空中で『SA2アンヘルチャント』を具現化したフィーナは着地と同時に
敵と思しき人影へ照準を絞った…が―――

「アル兄ィッ!! 助けに来た―――え? ………はぁっ!?」
「コカ―――ケ………?」

 フィーナの後を追ってシェインたちも林道へ転がり込んだのだが―――

「………ほホう………なんという急展開………昼メロ真っ青で………お兄様オドロキだぞ………」

 絶体絶命の危機だと憔悴しながら駆けつけた仲間たちの目に飛び込んだのは、
夕焼けを背にマリスと濃厚な口付けを交わす――と言うよりも一方的に唇を押し付けられる――アルフレッドの姿だった。




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