4.群狼夜戦


「それでさ、アル。この辺の地形を調べたのはいいんだけど、これで一体何をしようっていうの?」

いつ両軍が激突してもおかしくない中で、佐志の地形を調べていたアルフレッドは、
先程手を貸すと決めてもらったセフィやローガンと言った個性的な協力者の力もあり、あらかたの情報を得ていた。
ところで、地形を調べることにどのような意味があったのであるのだろうか、と不思議に思うフィーナは、
アルレッドの行動の目的は何なのかと、その思いの丈を前を歩く彼にぶつけてみた。

「調査してみて分かっただろう? この島にはが洞窟が網の目のように走っている。
だからそれを利用して、あの悪徳商人に一泡吹かせてやろうというわけだ」
「うーん、『それを利用』って言われても…… もっと詳しく教えて欲しいんだけど」
「説明が足りないとでも言いたいのか? あまり時間は無いが…… まあいい、かいつまんで話そう」

佐志の詳しい地形を知ったアルフレッドの考えは、以下のように説明された。
地下を走る洞窟を利用、つまりそこを通って秘密裏に移動する。
これは奇しくもテムグ・テングリ西軍が軍議によって決定したことと同じであるのだが、
当然、移動の目的は彼とテムグ・テングリでは全く異なっている。
両軍が本格的な戦闘に入れば、戦場に近い村でこのまま留まっていたとしたならば、
拡大する戦火の中に飲み込まれてしまう可能性は決して低くない。
このまま何ら策を講じずに手をこまねいていては、この村にも港にもまず間違いなく、
東西どちらかの、もしくは両方の軍勢が侵攻してくるであろう。
それにこの村は、西軍の使者の要請を突っぱねていたのだから、
どさくさまぎれに見せしめとして攻撃されるかもしれない、と思っていてもうがち過ぎではないはずだ。
ともかく、村が攻撃されたとしたら、その時には村人たちは蜂起し、テムグ・テングリと干戈を交えることになるだろう。
そうなると待ち受けるのは目を覆わんばかりの惨状に他ならない。
いかに村人たちの思いが強かろうとも、戦意だけで戦闘がどうにかなるはずがない。
抵抗する者は誰であろうと容赦なく討つという基本方針のテムグ・テングリに対抗する手段とは、
防衛としての攻撃ではなく、自衛としての退避である。
村から避難し、地下洞窟に逃げ込むことができれば、少なくとも村人たちの被害は無い。
よしんば、地下でテムグ・テングリの軍勢と鉢合わせすることになろうとも、
こちら側としたら退避して隠れていただけのことであり、別段、彼らへの抵抗でも反抗でもないのだと弁明ができる。
だから相手としてもそう手荒な行動には出ないだろう、ということである。

「ふーん、そういう事かあ。でもあの悪人たちをガツン、とやっちゃうような作戦じゃないのが残念だなあ。
やるからには、徹底的にやっちゃった方が良いんじゃないのかな?」
「あいつらに対しての手を打たないとは考えていないが、それはまた別の話だ。
今はまず、村人たちを安全な場所に退避させるなければならない」

アルフレッドの言うように、K・kたちに対しての報復的行為については考えていないこともないが、
とりあえずそれは後回しにするべき問題だった。
村人たちがK・kの思惑通りに武器を買ってしまったのは今となってはどうにもならない。
それでも、K・kの思惑を粉砕しようというならば、その武器を使わせないことだとアルフレッドは考えていた。
村人たちの安全を確保することができれば、自衛にしろなんにせよ武器は使用されないはずである。
これならば直接的ではないにせよ、人の命をも商売の道具にしてしまおうとするK・kに対しての反抗行為なのだ、
というロジックがアルフレッドなりの結論である。

「そういう考え方もあるかも。でも、それはそうとアル、村の人たちを安全な場所に避難させるって言うけど、
わたしが何度言ってもみんなは村から逃げようとはしなかったのにさ、
そんな簡単にアルの言うことを聞いてくれるかなあ?」

(村人を動かす手立て? そうだった、しまったっ!)

フィーナの発した何気ない一言がアルフレッドの心の中に深々と突き刺さった。
彼の計画は、村人たちが彼の言う事に素直に従って行動しないことにはどうにもならない。
村人たちが村から離れようとしなければ、折角の作戦も絵に描いた餅である。
K・kに対抗する策を考えに考えて、思いついたのはよかったのだが、
そちらへ気を配るあまりに、肝心なことへついぞうっかり気を回していなかったのである。

「どうしたの、急に黙って? もしかしてアルったら、そこを全然考えていなかったの? 
それじゃだめじゃない、一番大事なことなのに。もう時間が無いのにどうするの?」

アルフレッドがこの点については何も考えていなかったことを知ったフィーナが、
間に合わなくなったらどうするのかと、彼の両肩を掴みながら何度も彼の体を揺さぶった。
一刻も早く何か良い手段を考えろ、とフィーナは言いたかったのだが、
調子の悪い機械ではないのだから、アルフレッドを揺すろうが叩こうが、そうそう上手い具合に策が出るわけも無い。
何でこんな前提を見逃してしまったのか、とアルフレッドは自分の考えの浅さを悔やんだが、
今から佐志の人々を、断固としてここから逃げようとはしない彼らを避難させる策を考えていては時間がなさそうだ。
「ちょっと落ち着け。まだあわてるような時間じゃない」とアルフレッドはフィーナの両腕を掴んで、
冷静になるように諭してはみたものの、そうしたところでどうなるか。
突如として名案が閃く、などという都合の良い事に期待などはとてもできなかった。
ここまできておいて万事休すか、と思われたのだが、今回もまた上手い具合に話が進んだのである。

「オラァ、真昼間っから天下の往来でイチャついてるんじゃねえぞ。目に毒だろうが!」

その声には非常に覚えがある。というよりはついさっき聞いた声だった。
二人の会話に割って入ったその男、口調から簡単に連想できる、あのフツノミタマであった。
何度も何度も突然出会うものだ、と彼との再会をアルフレッドが驚いて二の句を告げるよりも早く、

「ちょっと様子を見にくりゃ、なかなか面白れえ話をしているじゃねえか。
考えが足りねえあたりは笑い話になっちまうが、今はテメエのアホさを笑ってる暇はねえな。
村人たちを何とかしたいってんだろ? だったら、そういうことはオレに任しておけよ」

とフツノミタマは言うが速いか、村の広場にいた村長の元へと一目散に駆け出し、
彼の後ろに回りこむと、匕首を抜いて喉元に突きつけた。とっさの事で、村長も村人もしばし呆然としてしまったくらいだ。
何をするのか、とアルフレッドとフィーナがと語りかけるよりも早く、フツノミタマはそのままの姿勢で、

「いいかテメェら、耳の穴をかっぽじってよく聞きやがれ! 
このジジイの命が大事なら、あそこに突っ立っているヤロウの言う事に従え! 
おう、さっさとしろ。グズグズしてるとジジイの首がそっちに飛んでくぞ!」

と村人に向けて怒鳴り散らした。
村人同士のつながり、特に村長を大事に思っている村人たちの心理をついた、フツノミタマの作戦である。
村を守るのも大事だが、村長の命を守ることも同等以上に大事である。
こうされてしまうと、村人たちも否が応でもアルフレッドの言う事に従わなければならない。
多少などとは到底言えない、非常に荒っぽいやり方ではあったが、
アルフレッドが懸念していた村人たちの説得を、いとも簡単にフツノミタマはやってのけたのである。
あまりに突然のことで状況がよく把握できなかった村人たちも、
時が経つにつれて徐々に呑みこみはじめ、村は異様な雰囲気に包まれた。
喉元に刃物を突きつけられながらも、村長は自分に構う必要は無いと気丈に叫んだ。
フツノミタマの言うとおりにするなとの村長の言とはいえ、言うとおりにしなければ村長は殺されてしまうかもしれない。
そう考えるといかに村長の命令であっても、素直に従えはしない。
互いのつながりが強固である村人にしてみたら、彼を見殺しにするなどということは到底できなかったのである。

「分かりました。言われた通りにいたしますので、村長の命だけはお助けくださいませ」
「そうだ、分かりゃあいいんだ。おら、後はテメェの仕事だ」

遠巻きにフツノミタマを囲みながらも、結局どうすることもできなかった村人たちは、
彼に頭を下げ、村長の命を保証するかわりに、素直に彼の言う事に従った。
どうだ、とでも言わんばかりに、フツノミタマは呆気にとられるアルフレッドの方に顔を向けて口元をゆがめた。







 雲間から姿をのぞかせる夜空の月は、この一戦の結末を見届けんとするかのように輝いていた。
幾度となく合戦を続けてきたテムグ・テングリ東西両軍の内紛も、いよいよ佳境を迎えてきた。
互いに全軍を挙げての激突は、日が沈んで周囲が暗くなる頃、ついに火蓋が切られた。
左右に部隊を広げて展開させる西軍。
作戦では別働部隊が敵軍の背後を攻撃し、相手を混乱状態に陥れるまで防御に徹する予定である。
であるのならば、防御に適した円形やそれに近い陣構えの方が守りやすい。
しかしこの戦いは陣地戦ではなく、両軍の雌雄を決する戦いであるのだから、
ひたすらに守りを固める陣形を露骨に組んでしまっては相手に不信感を抱かせてしまう。
狙いはあくまでも敵軍が主力部隊に攻撃をしかけてくる事であるのだから、
守りに徹しようとするあまり、敵軍に攻撃をためらわせるようでは本末転倒なのだ。
それゆえに、防御「寄り」の陣形を採ったわけである。
また、別働部隊に兵員を割いていたわけで、その分主力部隊の守りが薄くなっている。
それ故に一計を案じる。中心部に厚みを持たせて、陣の両翼は配置する兵を少なくする。
欠けた月のような形が、俯瞰であれば窺う事ができたろう。
集中させて陣を置いてある東軍からしたら、(そもそも佐志には全てを俯瞰できるほどの高所がないのだが)
ただ単に、両翼を広げた陣を構えていると判断されるのではないだろうか。
このような事情のあった西軍に対して、数の面では若干の見劣りがある東軍は、
突破力の強化させるために、西軍の方へ矢印を向けるよう陣立てであった。
西軍は連勝しているおかげで士気が高い分、逆にわずかでも不利になれば士気がガタ落ちするはず。
だから、まずは相手の守りを突き崩すために、攻撃力を集中させる陣形としたわけである。
偵察部隊が西軍の陣立てを見てからの東軍の陣組みであって、
仮に西軍が守備固めに徹した陣形だったのならば、このような一点突破型の陣形だったかどうか。
ともかく、西軍の一つ目の狙い通りには戦況は動いたようだった。

「敵側の動きはどうじゃ?」
「現在のところ、敵軍はではほぼ全ての戦力を以ってして、我が軍の中央部に突撃を仕掛けているもよう。
陣形後ろへの備えは無いか、それとも無視しているように思えます」

ゼラールが率いる部隊は、軍勢の中ほどに配備されていた。
そこから戦況の観察をしてみても、戦いの形勢としては五分五分の状態に見受けられた。
また、東軍は物見が言うように別働部隊によって生じた西軍本隊の兵員減少には気づいていない様子であった。

「ならば良し。敵軍の意識はどうやらこちらの三方攻撃に向いていることよ」

厚みを持たせた中央部分は敵軍の突撃を食い止め、東軍をこれ以上進ませぬと必死に守る。
その隙に、陣の両翼に配備されている兵士たちは東軍へ遠距離から攻撃を仕掛ける。
一転突破を目論んでいる東軍は、ゼラールが言うように本体へと注意が向いている。
このまま東軍が一心不乱にこの状態で、陣の中央の攻め続けていてくれれば、
地下を抜け出した奇襲部隊が敵軍後方より攻撃を仕掛けやすくなる。
そうなれば間違いなく東軍は混乱に陥り、後はその隙をついて一気に攻めたてるのみである。
現在戦闘に参加している両軍の兵士数、陣形による有利不利、士気の高低等々が影響する戦場。
東西両軍のパワーバランスはほぼ同じ程度であり、戦況は一進一退のまま。
西軍としてはこのままでいられれば、後は別働部隊の奇襲を待つだけである。
策略通りに戦闘は進んでいると、西軍のかなりの将兵は思っていた。
だがしかし――

「……。遅い、遅すぎる! 一体別働部隊は何をやっているのだ?」

後衛に部隊を構えていた中で、デュガリが苛立ちを見せ始める。
彼だけではない。西軍の中で、この作戦を知っている将や兵のほとんどが、であった。
デュガリが呟くように、予定されていた刻限をとうに過ぎたというのに、
いまだに別働部隊が作戦通りに敵軍へ奇襲を行なったという報告はやってこない。
これは一体どうしたことなのか、と思うもの仕方のない事であろう。
だが、将が焦りだしたり、苛立ちを覚えたりするのはともかく、それを兵士たちに悟られてはならない。
諸将の不安は徐々に周囲へと伝搬していき、いつしか西軍本隊の全域まで伝わってしまう。
何か不測の事態に見舞われている、そのような思いが兵士たちの中にも湧き上ってくる。
別働部隊の奇襲が行なわれるまでは積極的に攻めることなく、
相手に意図を気取られない程度に防ぎ続けるだけでも良いのだ、という思いがあった。
だが、作戦の肝心要となる別働部隊からの連絡が、いつまでたっても届いてこないのだ。
敵軍を混乱に陥れての挟撃。これさえできれば完全勝利は成したも同然なのだと思っていた西軍の陣営に、
段々と不安から生じた動揺が広がってゆく。
将たちから発生した焦りが、兵士たちや指揮官の間にも色濃く現れ始めた。
ゼラールの部隊も例外ではない。彼らにも西軍に蔓延する焦りの雰囲気が伝わり、
いつしか彼の部下にもうろたえる者や動揺する者、混乱しそうな者が現れ始める。
別働部隊の奇襲の遅れによって広がる動揺の波紋は、今ですら西軍から正常な感覚を奪っていっている。
このままこの動揺を放っておいて闇雲に戦っているだけでは、さらに状況は悪化するのは間違いない。
全軍が恐慌状態へと陥ってしまうだろう。そうなってしまえば西軍の敗北が近付くことは間違いない。
この一戦に敗北することによって、西軍と東軍の勢いが完全に逆転してしまえば、
戦略的な敗北すら可能性に入れなければならなくなってしまう。
当たり前のことであるが、それだけは何としてでも避けなければならない。
多くの諸将と同様に、ゼラールもこの戦況の移り変わりを危惧した。
故に彼は、一計を案じる。

「閣下、一体何をなされるおつもりですか?」
「知れたことよ。余が最前線へと赴き、別働部隊が来るまでの間、有象無象どもを相手してやろうぞ。
兵士どもがこの体たらくでは、勝てる戦も勝てぬわ」

たった一人で最前線に赴いて戦うなどとは正気の沙汰ではない、と部下が止めるよりも早く、
ゼラールはいとも容易いものだとでも言わんばかりに単騎でラクダ(なぜだか彼だけが馬ではなく、ラクダに乗っていた)
を駆り、そのまま東軍の真ん前へと躍り出た。
たった一人が現れたことなど東軍の兵には気に留めるものも無かった。
それも当然だ。若干ではあるものの、優勢に立っている彼らの前で、
わずか一名の将が立ちはだかろうとも時間稼ぎにもならないはずであった。
そう、はずであった。

しかし、この男は違った。ゼラールが牙のように鋭い犬歯で自らの右手を噛み切って出血させた瞬間、
戦況が動き始めたと言っても過言ではない。
 流れ出た血液は突如として気化し、そして信じがたい事だったが、やにわに業火へとその姿を変え、
闇が包んでいた戦場にあたかも日輪が降臨したかのような眩い光をもたらした。
一体何が起こったのかと、東軍の兵士だけではなく西軍の兵士もしばし動きを止め、
揺らめく炎を身にまとったゼラールに注目せざるを得なかった。

「東軍の弱兵どもよ、かかってくるがよいぞ! 貴様らの惰弱な力では余の炎などは揺らめかせることもできぬ。
恐れるか、炎を? 恐れるか、余を? 思う存分に斬り付けよ、撃ちすえよ、射かけよ! 
いかにしようとも万に一つも余の体を傷つけられぬわ!」

ゼラールが彼のトラウム――自分の血液を燃焼させて高出力の炎を作り上げる――
エンパイア・オブ・ヒートヘイズを発動させ、東軍の前に立ちふさがる。
 慢心に至るという理由から、テムグ・テングリでは末端の兵に至るまでトラウムの使用は禁じられている。
だが、ここに至って掟を順守したとしても、敗北してしまえばそんなものは何の意味も無いし、
そもそもゼラールがいかに厳命されようとも、テムグ・テングリの掟に従うなどということもあり得ない。
仮にゼラールが命を守っているなどとアルフレッドが聞いたのなら、まさかそんなと一笑に付すだろう。
とにかく、彼のトラウムは周囲が目するところで発動されたのだ。
両軍の中心で炎を噴き上げ、高笑いを上げるゼラール。
戦闘のさなかに突然目にしたこのあまりの異様な光景が、東軍の兵士に大きく動揺を与えた。
兵士たちの中には、命令を無視してでもゼラールに照準を合わせ、一斉に彼めがけて銃撃を行なう者も現われる。
しかし、エンパイア・オブ・ヒートヘイズの炎の前には鉛の弾など塵芥に等しい。
全ての弾丸は彼の体に傷をつける前に、炎にのまれて消滅していった。
 恐怖におののく東軍の兵士たちを目にし、ゼラールは不敵な笑みを浮かべ、出血したままの右手をさっと振りかざす。
すると、彼の体を覆っていた炎が意思を持ったかのように渦を巻いて彼の血を取り込むと、
瞬く間に巨大な炎の竜巻となって東軍の兵士たちへ襲いかかり、彼らをのみ込んでいく。
 灼熱の炎の中で、兵士たちは断末魔の声を上げる間も無く蒸発してしまった。
ただ呆然と立ち尽くし、遠巻きにこの非現実的な光景を目にするだけだった兵士たちも、
いつしか業火の熱にその身を蝕まれていき、次々と倒れていった。

「貴様らは何たる体たらくぞ。これで名にしおうテムグ・テングリの精鋭とはお笑いよ。
 貴様らの力は余一人の働きにも満たぬか? 戦意無き者は味方といえども余の炎の糧になる価値しかない。
進むは名誉の生、退くは不名誉の死と心得よ。一人一殺の死兵どもよ、大いに猛りて敵の魂を砕くがよいぞ!」

士気の低下が見てとれた西軍の最前線の兵士に、ゼラールはかくのように叫びつけ、叱咤した。
高慢ながらも熱気のこもった激励によって、西軍の兵士たちはまた勢いを取り戻し、東軍の突撃を押し返し始めた。
兵士たちの奮戦を目にし、「やればできるではないか」と高笑いを続けるゼラールの炎はさらに煌々と輝きを増し、
夜の帳をすっかりと消し去ってしまっていた。







どうしてこのように西軍の別働部隊は遅れをきたしたのか。話は前後する。
フツノミタマの機転によって、村人たちを計画通りに避難させることに成功したアルフレッドたちは、
彼らを引き連れて地下の洞窟へと歩みを進めていた。

「あ、いたいた。アル兄、頼まれていた仕事はすっきりと片付いたよ」
「そうか、それはご苦労だったな」
「なーに、あいつらのやり方にはムカッ腹が立っていたんだ。苦労だなんて全然思わないさ。
むしろあいつらに仕返しができてスッキリってところだよ」
「全くチミはヒューマン使いが荒いねえ。エナジーを使うワークをさせるとか、ありえナッシング」
「お前が持ち込んだ厄介事だろうが。自分の不始末くらい、自分で片づけたらどうなんだ?」
「おおっと、アウチなところをついてくるね。人のウィークなポイントを的確につくなんて、さすがは軍師サマだね。
はいはい、ソーリーソーリーってね」
「少しは悪びれたらどうなんだ、ラード。まあいい、お前に何を言っても仕方ない。先を急ぐ」

アルフレッドに頼まれていた別の仕事を終えたシェインとホゥリーも、
前もっての打ち合わせ通りに洞窟へと向かい、アルフレッドたちと合流する。

「シェインくん、そういえば一緒に行ったローガンさんとセフィさんは?」
「セフィって人の方は切り上げようとしていたんだけど、面白い喋り方のローガンっておっさんは『もうひと暴れしたるわ』
とか張り切っていたし、まだやっているんじゃないかな。何しろ――」
「――? ちょっと静かにしろ、シェイン。何かが聞こえてくる」

事の顛末を面白おかしくフィーナに語ろうとしていたシェインであったが、
それについて話し始めるよりも先に、彼はアルフレッドによって制止させられる。
何事か、と一同が耳を澄ましていると、どこからかガチャガチャと金属がぶつかり合う音が聞こえてきた。
まさか自分たちの他にもこのような場所を進む者がいようとは、とアルフレッドも考えていなかったのだが、
現にこうして何者かの声までもが聞こえてくるのである。
相手が分からない以上、迂闊に歩き回るわけにはいかない。
下手を打って音の主と接触して余計なトラブルに巻き込まれることは、
村人たちを連れて避難している、という点を控除しても避けるべきことであった。
テムグ・テングリをやり過ごすために地下に潜り込んだのだから、無暗に動き回る必要もなかったのだ。
ひとまずは物陰に隠れて、相手に自分たちの存在を気取られないように手持ちの明かりを全て消して、
息を潜めてやり過ごすようにとアルフレッドは村人たちに命じ、自分たちも同じように身を潜めた。

「アル兄、あいつらってもしかしたらあれじゃない?」
「ああ、もしかしなくてもテムグ・テングリの兵士だな。
ここからでは東西どちらの兵士かは分からないが、どちらにしろ出会っても良いことなど一つも無いのは確かだ」

小声で話すアルフレッドとシェインの目線の先には、テムグ・テングリの部隊。
兵士たちの持つ照明のおかげで辛うじて目視できるのだが、それゆえに彼らがかなり近い所にいるというのも分かった。
アルフレッドたちは当然知らないが、
この一団こそエルンストらの策によって敵軍を後方より奇襲しようと行動中の、西軍の別働部隊である。
厄介な連中と出くわしてしまった、とアルフレッドは思い、見つからないように動くかどうか考えたが、
かなり近いといっても、照明を持っているから黙視しやすい兵士たちと全ての明かりを消している自分たちでは、
発見されやすさにかなりの違いがある。
また、彼らの動きを注意深く観察してみても、自分たちが隠れている場所の方向へ歩いてくるようには見えなかった。
だから、このまま静かにして隠れていたら見つかるはずは無いのだ。
兵士たちに発見されぬように息を殺して、彼らが過ぎ去るのを待っていたアルフレッドたちや村人たち。
呼吸すら控えるほどの緊迫した状況の中、突如として、

「うっひょぉぉぉぉぉ! テムグ・テングリやってキター! 
粉砕してやんよ、粉砕ぃぃぃぃぃ! 肉だ、挽き肉にしてやるぜぇぇ、ハンバーグゥゥゥゥゥ!」

と洞窟内に響き渡る「超」が付くほどの大音量の奇声が、アルフレッドの後方にいた村人たちの中から発せられた。

(誰だ? どこのバカだ?)

思わず叫びだしたくなる衝動を抑え、アルフレッドが後ろを振り向くと、
そこには他の村人によって口を押さえつけられながらも、おぞましいほどの笑顔で暴れている、
一人のでっぷりと太った体型の女性が見えた。
女性とはいうものの、ホゥリーのような丸々とした姿はともかくとして、
暴れだす前からそうだったようなボサボサで手入れが一切されていない髪の毛や、
笑顔であるがどことなく無機的で虚ろな顔つき、その他見えてくる姿全てが、
アルフレッドが抱いている一般的な女性のイメージとは十万億土もの隔たりがある。
男とも女とも、そもそもまともな人間かどうかも判別しづらい様相を呈していた。
村人たちが小声でなにやら話しかけている内容から、名前が撫子ということが分かり、
本人の声質などとすり合わせるとようやく女性だと判断できた。
だが男だろうが女だろうが、そんな事は今この場では些末なものでしかない。
この撫子のせいで上手くいくかと思えた流れが一転、完全に台無しになってしまった。
いかに急いで行軍していたとしても、あれほどの大音量を聞き逃すはずも無く、
兵士たちの方からにわかにざわめき立つ声が聞こえてきた。
相手側にも、自分たち以外の存在がこの場にいるということがばれてしまったのは明らか。
撫子一人によって、何とか実行できた計画が水泡に帰してしまったことをアルフレッドは歯噛みした。
暗がりの中でうっすらと見えていた、彼女が着ているダサいトレーナーに縫い付けられていたアップリケの、
これまたダサいのキャラクターの、人を小馬鹿にしたような笑い顔が、彼の怒りをより一層増幅させていた。

「アル兄、これってもしかして物凄くヤバいって感じじゃない? どうする?」
「もしかしていても、もしかしなくてもヤバい以外の何物でもないだろ。
どうするもこうするも、こんなことになってしまったのなら手段を選んでいられやしない。
せめてお前たちはあの騒がしいバカを黙らせておけ」

進退窮して戸惑うシェインに、撫子の対処を任せることにしたアルフレッド。
何をするのか、とシェインが尋ねるよりも早く、アルフレッドは意外な行動に出る。
先程まで身を隠していた物陰から突如として躍り出ると、
そのまま一直線に索敵を開始していたテムグ・テングリの部隊に向けて走り出したのである。

「いくぜえぇぇぇ、テムグ・テングリのクソどもがぁぁぁ! こっから先に進みてえなら、肉になってから行きやがれぇぇぇ!」
「ここにいたぞ、こいつだ! こいつが声の主だ。捕えよ!」

単身で別働部隊に突撃したアルフレッドは、
辛うじて目視できる距離にあった部隊との間を走り込んで一気に詰め、
先ほどの奇声は自分が叫んだのだと相手に誤認させるために、あえて出したくも無い撫子の口調をまねて、
雄叫びをあげながら近くにいた兵士に攻撃をしかけた。
警戒していたとはいえ、暗がりの向こうから突進されたのでは確認しづらく、
しかもアルフレッドの動きが極めて素早いものだったために、兵士はとっさの行動をとることができない。
ようやく視界に捉えることができたアルフレッドに武器を向けるが、
自分たちは密集しているのだから、手にした銃で攻撃すれば同士討ちの危険性がある。
そのわずかなためらいの間に、アルフレッドはすっと彼らの視界から姿を消してしまった。
どこへ消えてしまったのか、と焦る兵士たち。
その隙に、光が照らされていない場所へ、体勢を低く保ちながらアルフレッドはさらに間合いを詰めてゆく。
目と鼻の距離まで近づいた瞬間、アルフレッドは渾身の力で一番近くにいた兵士に足払いをみまい、
一回転するほどの勢いで転んだ兵の腹部を、もう一撃と蹴りつけた。
苦悶の声が上がるか上がらないかの内に、アルフレッドは体勢を立て直して次の攻撃に移る。
ある者は首筋を蹴られて昏倒し、またある者はみぞおちを殴られてうずくまったり、強かに脛を蹴られて倒れこんだり。
兵士たちが隊列を立て直して構える頃には、すでに四、五人が行動できないほどのダメージを負っていた。
アルフレッドの猛攻は、このまま全員打ちのめされてしまうのかと思わせるほどの凄まじさだったが、
いかに彼が格闘技に精通しているとはいえ、百人ほどいるテムグ・テングリが相手ではあまりに多勢に無勢。
不意をつかれた部隊が防御を固めながら、隙間無く隊列を組んでアルフレッドを取り囲み、じわじわと圧迫していく。
なおもアルフレッドは抵抗してみせたが、衆寡敵せず、ついには捕縛されてしまった。

「畜生、あぶねえじゃねえか。油断するなよ、他に敵の姿は確認できるか?」
「いえ、そのような気配はありません。どうやらこのバカが一人で特攻してきたようです」
「ふうん、どうせ暗闇の中でビビっている時に、オレたちと遭遇したからテンパって襲いかかってきたんだろ」

アルフレッドが一人で注意をひきつけ、残された人たちは全力で撫子を抑えていたから、
テムグ・テングリの部隊は、先ほどの声の主も攻撃してきた人間も、
押さえつけられているアルフレッド一人だけであったと思ったようで、他の人間には気付くことはなかった。
自分の存在を相手に強く印象付けることで、仲間や村人たちといった他者の存在へ気を回させないようにして、
安全を確保しようという、アルフレッドが行なった苦肉の策は何とか良い結果をもたらした。

「オイラト隊長、こいつはどうしましょうか? 進軍の邪魔だし、今すぐ切って捨てますか?」
「いや、背後関係があるかもしれない。厳しく訊問してやらねばならないだろう。
だが、今はそんな時間は無い。こいつのおかげで進軍を妨げられて時間を食ってしまった。
殺すのはいつでもできる。これ以上作戦を遅らせられない、先を急ぐ」

別働部隊はアルフレッドの身柄を拘束すると、
そのまま彼を連れてすぐさまに本来の任務である東軍の奇襲に向けて行動を再開した。
切りの良い所であえて捕まったのも良かったのかもしれない。
結果論ではあるが、もしこれ以上粘って、西軍の作戦進攻に重大な遅れを引き起こさせていたら、
尋問などはお構いなしだと、怒り猛った兵士に斬られていたかもしれない。
五分五分よりもさらに分の悪いギリギリの駆け引きであったが、どうにか賭けに勝ったというところだろうか。
何とか命を長らえたアルフレッドは、策叶ったりという安堵の表情で、大人しく彼らに連れて行かれた。

「どうしよう…… アルが、アルが……」
「こうしてはいられません。一刻も早くアルちゃんをお救いしなければ。タスク、準備はよろしいですか?」
「マリス様、僭越ながら申し上げます。
お気持ちは分かりますが、何のためにアルフレッド様があのような行動をとったのかをお考えくださいませ。
あの御方がなされた理由は、わたくしたちの身の安全を図るためでしょう?」
「だとしてもですわ、タスク。このまま黙って連れて行かれるのを見過ごすのは――」
「だとしてもです、マリス様。ここで追いかけていっては御意志に反することになってしまいます。
本当にマリス様がアルフレッド様をお大事に思うのならば、今はご自重なさってくださいませ」
「……」

アルフレッドのとっさの機転によって、間一髪で難を逃れたフィーナたちであったが、
彼がテムグ・テングリに連行されてしまった以上、素直に安心などできるはずもなかった。
アルフレッドを救出しようと、護身用の金属バットを手にして駆け出そうとするマリスと彼女を引き止めるタスク。
すぐにでも彼を助けたいと思うのはフィーナとて同じ。
しかし彼女もタスクの言葉を聞いてしまうと、行くべきか行かざるべきか、強い葛藤にさいなまれてしまい、
どうしたらいいのやら、と混乱するばかりだった。
こんな事になった原因の撫子を責めることすら忘れてしまうくらいに、彼女たちの動揺は大きかったのだ。

(うーん…… 助けに行きたいのは山々だけど、それじゃアル兄の努力が無駄になっちゃうもんなあ……
しかしアル兄も大変なことになっちゃったな。こんな二人の板挟みをいつまでも放っておいたら、
いつかきっとろくでもない目に遭うんだろうなあ)

彼女たちと同じようにアルフレッドの身を案じるシェイン。
それとはまた別の場違いな心配も、フィーナとマリスのこの様子を見ていると湧き上がって来ていたのだが、
このことは無事にアルフレッドが解放されてからだ、と面白がるのは後回しにした。
兵士たちと、彼らに連れられたアルフレッドは、すでに闇の中へと消えていた。







地下でこのような出来事があったなどと、地上にいる東西両軍共に知るべくも無いことであった。
一旦陣形を立て直し、あまりに危険なゼラールを回避して、二手に分かれて西軍の陣を切り裂こうと目論む東軍。
そうはさせじと、敵を囲い込むようにして攻撃を与えつつ、
東軍の突撃から本陣を防ぎ続ける西軍のぶつかり合いは、いまだもって終わりを見せる様子も無い。

「フェッハハハハハハ、どうした、臆病風にでも吹かれたか? 
貴様らの言う大義と、余の野望、どちらが上かこの場ではっきりとさせようではないか! 
命が惜しいか? 大義とやらは命をなげうってでも行なわねばならぬものではなかったのか? 
覚悟を決めぬ貴様らに何ができようぞ! 覚悟を決した余の前では貴様らなぞゴミタメ以下じゃ!」

最前線でなおも業火を上げながら東軍と対するゼラール。
炎の威力はつまり彼の出血量に比例する。
エンパイア・オブ・ヒートヘイズの発動から短くない時間が経過しているわけで、
彼の奮戦、つまり血量とてこのままずっともつわけではない。
 しかし、着実に限界が近づいてくるなどという気配を微塵も感じさせない彼の堂々たる姿に勇気づけられ、
いまだに奇襲成功の報を受けなくとも、西軍の兵士たちは士気を下げることなく東軍と干戈を交え続けた。

きわどいところで均衡が取れていた戦いはなおも続くかと思われたが、ついに終わりが始まる。
アルフレッドに攻撃を受けて、その対処をせねばならならず、当初の予定よりも遅れをきたしてしてしまったものの、
ついに西軍の別働部隊は地下水脈を抜けて地上に出で、東軍の後方を奇襲することに成功した。
完全に前方の西軍主力部隊だけに意識を向けていた東軍は、
背後からの攻撃に全く対応できず、次から次へと討ち取られてゆく。
にわかに陣形が千路に乱れた東軍。
裏切り者でも出たのか、それともまた別の何かが起きたのか、と最前線の兵まで一気に恐慌が伝わってゆく。
途端に士気が坂を転がるように下がっていく東軍と、ようやく戦闘に参加できた全く疲労の無い奇襲部隊。
これでは兵の数などはものの問題ではない。当たるべからざる勢いで突撃する、
破竹の如き進軍速度で陣を突き抜けてゆく奇襲部隊に、東軍はかき乱され、さらに戦闘能力を奪われていった。 
ようやく西軍本隊に奇襲成功の報が届くと、西軍本隊もさらに勢いを増し、反撃に転じる。
 エルンストによる総攻撃の命令が全軍に下された。
月のような形状の陣は、その両翼をさらに伸ばし、東軍全体を包み込むような形へと変わる。
別働隊によって完全に混乱させられた東軍を、四方八方から西軍が攻めたてた。
 すでに勝敗は誰の目にも明らか。
混乱が続く東軍には最早敵軍の猛攻を防ぎきる術は無く、ある者は命からがら戦場から退却し、
またある者は最後の一兵まで戦わんと勝ち目の無い戦いをなおも続けるものの、
大勢が決した今となってはどうにもすることも叶わず、完膚なきまでに叩きのめされた。
東軍を囲い込んだ西軍の輪は徐々にその広さを狭めてゆき、
輪の大きさに比例して、戦場より響く銃撃の音や兵士たちの雄叫びも散発的に、小さくなっていく。
そしてそこからそう長くない時間で、ついに戦闘は終結した。
今までのこう着状態が嘘のように、案外早く終わったと思わせるほど、戦況が傾いてからは実にあっけないものだった。
 この戦いで東軍の二割ほどが死傷し、残りのほとんど全てが捕えられたり、降伏したりして西軍の虜となった。
後の世にいう『群狼夜戦』は、西軍の完全な勝利で幕を迎えた。


(地下を利用していたのは相手側の後方を突くための策か。それにしても見事な手並みだな)

テムグ・テングリ西軍が洞窟に注目して、そしてそれを戦術的に利用しようとしたところまでは驚くべき事でもない。
余程、戦術や策略などに秀でた者だけが思いつく作戦というわけではないからだ。
 今のような結果をもたらすためには、
確実に敵軍後方につながっている地下洞窟を通ってきた情報収集力の確かさ、
そして奇襲部隊が地上に出た際に、きちんと敵軍の後方から現れられるように、
東軍の動きを上手くコントロールし、一か所に留まらせ続けることができる戦術眼の確かさが必要になる。
 早い話が、テムグ・テングリは巷での(悪意がある方の)風評――血に飢えた暴力集団――とは違い、
巧みに戦術、戦略を行なう高度な戦闘集団だったというわけである。
アルフレッドは拘束されたままでありながらも、それを忘れてテムグ・テングリの作戦に感心していた。

「この作戦は一体誰が考え出したんだ?」

いまだに後ろ手に縛られたままのアルフレッドであったが、そのような事はお構いなしに、
この作戦を思いついた者へ関心が向き、近くにいた兵士に尋ねる。

「何だお前? 捕虜のくせにずいぶんと余裕じゃないか」

 自分の身がどうなるかも分からないというのに、随分と場違いなことを考えるものだ、
と兵士はアルフレッドを不思議そうな目つきで見た。拘束されていても全く気にしていないと、
余裕を見せつけようとでもしているのだろうかと兵士は思ったが、しかしアルフレッドの顔は真剣そのもの。

「まあいい、そんなに気になるのなら教えてやろう。
我らが御屋形様、エルンスト・ドルジ・パラッシュ様が策に他ならない。
勇猛果敢にして一騎当千。だがそれにおごらず、計略も修めた類稀なる才能を持ち合わせた偉大なる御方よ」

アルフレッドに尋ねられた彼の近くにいた兵士は、自軍の大勝利に気をよくしていたのか、
捕虜であるアルフレッドにも事の次第を教えた。

(エルンスト…… これで名実共にテムグ・テングリの後継者か。いかなる人物だろうか――)

鮮やかなる勝利を西軍にもたらした今回の策を考案した、
エルンストという人物への強い興味がアルフレッドに湧きあがった。
 武力でエンディニオンに覇を唱えるテムグ・テングリは、良しにつけ悪しきにつけ、様々な評判がある。
悪い方なら、「冷酷無比な暴力集団」だとか、フェイが言ったような「犯罪集団」など、
良い方ならば、「エンディニオンの解放者」や、「戦神の代行者」といったところである。
 しかし、エルンスト本人については代替わりしてからまだ日が浅いからだろうか、ほとんど耳には入ってこない。
一体どういう人柄なのかと彼が思うのも無理はないだろう。

「だがそんな事を聞いてどうする? 捕虜であるお前がどうなるのか、それは御屋形様次第だぞ。
せいぜい、首がつながるよう、御屋形様の寛大な処置を祈るんだな」

同時に兵士からこのように言われたことで、自分の命運が不確かなことを思い出した。
事情や過程はどうあれ、勝利者である西軍に攻撃をしかけたのは確かだ。
兵士の言うように、エルンストの命によって処断される可能性もあるわけで、彼は一抹の不安を覚えた。
だがしかし、巨大な騎馬軍団を統括するエルンストという人物を、この目で見るまたとないチャンスだ。

(こういうのを不幸中の幸いとでもいうのだろうか、いや、ちょっと違うか)

そうアルフレッドは密かに思っていた。


「この者らの処遇、いかがいたしましょうか?」

戦が終わり、島に朝が訪れる頃、会戦の勝者たる西軍はすぐさまに戦後処理を開始した。
まずはこの戦いで鹵獲した捕虜をどうするか、と部下は尋ねたのである。
水脈で捕えられた後、そのままずっと拘束されていたアルフレッドも、その他の者たちと同じようにいた。
隣には東軍の総大将ザムシードがいる。

「言いたいことは?」
「敗軍の将が語る言葉など無い。さっさと斬るがよい」

エルンストが言葉少なげに、表情の変化も少なげに問いかけると、
東軍の総大将として戦い、敗れ、捕虜となり、既に死を覚悟していたザムシードは一言そう言った。
諦めというよりも、全てを受け入れようとした決意を表わした態度である。
ザムシードの言をエルンストが聞き取ると、すっと立ち上がり、従者に預けていた剣を手にする。
そしてゆっくりとザムシードの前へと進みながら、同じくゆっくりと刀身を鞘から抜き出す。
無言のまま一歩一歩近づき、エルンストはザムシードの手前で歩みを止めると、
怒りや憎しみ、憐みなど、何か特別の感情を抱いているようには全く見せない、
淡々とした、という言葉以上にあっさりとした表情のままで、剣を勢いよく振り下ろした。

しかし、この場にいた多くの者の予想に反して、ザムシードは首を刎ねられることは無かった。
剣によって切られていたのは、彼を縛り付けていた縄であった。

「……?」
「お前は生きていて良い人間だ」
「それは一体、どういう意味で――」

反乱軍の将として、戦犯として、死罪が妥当だろうと思っていたエルンストの周りの者に加え、
裁きを受ける身であったザムシード自身もあまりの予想外な事態に驚いていた。
もとより口数が少ないとはいえ、さすがにこれだけでは斬首しなかったエルンストの意図が分からない。
そこへすかさずデュガリが、

「御屋形様は『一切の罪を不問とし、これからは新たなテムグ・テングリのためにその腕を振るって欲しい』、
とザムシード殿に命じているのだ。敵対したから斬るというのでは、組織の屋台骨を抜いているのに等しい。
戦に勝っても、有能な士を殺していては内部がガタガタになってしまうのだとの仰せであられる」

とまるでエルンストの言葉を通訳するように長々と、ザムシードに言って聞かせた。
デュガリの説明を聞いて、エルンストは一度だけうなずいた。
エルンストの温情に、ザムシードは感謝の言葉も出ないくらいに感極まり、
大地に額をこすり付けるくらいに深々と頭を下げ、その体勢のまま長い時間いた。
数分たったろうか、ようやく彼はエルンストに顔を向け、今後の忠誠を固く誓ったのである。
居並ぶ西軍側の将たちも、一様にエルンストに対しての畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

「これは?」
「はい。こやつは地下の洞窟にて別働部隊が捕縛した輩にございます。
ビアルタの報告によると、この者が別働部隊へ洞窟内で攻撃をしかけたために進軍に遅れをきたし、
全軍を危険な目に遭わすことになってしまったのだ、と――」

縛を解かれたザムシードの隣でまだ拘束されたままのアルフレッドへ、
エルンストはちらりと目をやると、どうして部外者が裁きを待つ場にいるのか、
どうして拘束されたのか、と簡潔に部下からアルフレッドの事を聞いた。
 そしてアルフレッドにも二つか三つ、経緯を尋ね、アルフレッドはそれに答えた。

「成程……」

少し考え込んでいたようであるエルンストが、何かを悟ったように一言呟くと、
彼はまたアルフレッドの拘束も解くように命じ、彼に無罪を言い渡した。

「よろしいのでしょうか? 意図がどうであれ、わが軍に支障をもたらしたのは紛れもない事実」
「あたら有能な士を殺すのは惜しい」
「ははあ、合戦が始まってからの短い時間の内に、
地下洞窟を利用して軍事に転用するというのは中々思いつくものでもない、というわけですか?」
「そのとおりだ」
「御屋形様の仰せの通りだ、アルフレッドとやら。今回はその才に免じて不問とする」

デュガリがまたしても解釈した言葉の通りだそうだ。
エルンストはアルフレッドの才能に感じ入るものがあったようである。
彼の温情判決に、アルフレッドもザムシードと同じように頭を下げた。

「野に埋もれさせておくには惜しい」
「いや、ですが――」
「アルフレッド、せっかくの御屋形様のご厚意であらせられるぞ。
いつまでもしがない冒険者稼業などを続けて才を浪費していくよりも、
テムグ・テングリの、御屋形様の下でお前のその才能をいかんなく発揮してみようとは思わないのかね?」

さらにエルンストは氏素性の分からないアルフレッドに対して、
テムグ・テングリに加わって、立案をつかさどる立場で働いてみないかとスカウトまでしたのである。
このエルンストの器量の大きさに、懐の広さに、アルフレッドといえども深い憧憬の念を抱かずにはいられなかった。
名にしおうテムグ・テングリで自分の才を発揮できるということは確かに興味深い話ではあったし、
また圧倒的なエルンストのカリスマ性に惹かれるところも大きかったが、だがしかし――

「貴様ごときを拾ってやるという、温情を無下にするのか、アルフレッド・S・ライアン?
犬でさえ温情を与えられればそれに見合おうとするものであるのに。
何をためらう必要があろうか。小物のためらいなど、時間の浪費に過ぎぬぞ。
他人の情けをはねつける気か? やはり犬にもなりきれぬ木端よのう、フェッハハハ」

テムグ・テングリの将であるのだから、ゼラールももちろんこの場に列席している。
エルンストの言葉に、誘いに、ためらいを見せていたアルフレッドに対して、皮肉を以って笑いかけた。
アルフレッドがエルンストの提案に伸るか反るか、一同の注目が向けられる中で、

「申し上げます。洞窟にて身を潜めていた佐志の村長が、戦後の混乱のどさくさに紛れて殺害されたもよう」

と突然に驚くべき報告がなされたのであった。









「また大儲けしちゃったんじゃないの? この商売上手ぅ」
「どう転んでもこっちが利益を出す状況に持ち込める。この才能が我ながら恐ろしすぎて笑ってしまいますねえ」

内紛のどさくさに紛れて武器と傭兵を売りつけて一稼ぎしていたK・kは、
彼についていたローズウェルと共に、上機嫌で佐志の港へと戻ってきた。
彼らの視界には、大規模な戦乱に巻き込まれながらも、
アルフレッドの策によって奇跡的ともいうべき損害の少ない村がそこにはあった。

「あらあら、激しい戦いだったはずなのに、意外に壊されていないわねえ」
「いやいや、本当に残念でなりませんねえ。
もしテムグ・テングリの連中に破壊されていたら、今度は建築資材や人足を売り込もうと思っていたのですけれど」

村落のあちこちを見回しながら、もっと稼げたはずなのにと残念そうに語る二人。
それでも、かなりの儲けは出していたのだし、これ以上欲をかくこともないだろう、
儲けのチャンスはどこにでも転がっているのだから、戦が終わった以上はこんな片田舎にこだわる必要も無い。
そういう思いがあるから、既に彼らは佐志には興味を持っていなかった。
さっさと港に寄せてある自分の船で帰ろうとしたのだが、しかし――

「ねえ、ちょっとぉ…… どうなってんの? これってどういうこと?」
「そんな…… ワタクシの船が…… 何じゃこりゃー!」

彼の船は完膚なきまでに破壊され、船の先端がわずかに海上に顔を覗かせるだけであり、
その周りには船の残骸と思しき破片がゆらゆらと波に揺られていた。
アルフレッドの依頼によって別行動をとっていたシェインたちの目的はこれだった。
K・kの船は、彼らの手によって原形をとどめていないほどに破壊されていたのだ。
アルフレッドの制裁が行なわれていたことなど、もちろん二人は知る由も無かった。

「いやー、久々にこんだけ暴れられてすっきりしたわ」
「これに懲りて自重するようになれば良いのですが、あの男の更生は難しいでしょうね」
「くじけるような事言わんで欲しいわ、セフィはん。せやけど、船壊すときはいっちゃん楽しそうやったで。
それにあんたの爆弾、ごっつい威力やないか。専門家か何かなん?」
「そのへんはまあ、追々話すときもあるでしょう」
「さよか。まあ、細かい事はどうでもええわ。悪人も懲らしめられたし、めっちゃええ気分や」

ローガンの高笑いが潮風に乗って聞こえてきたような気が、K・kたちにはしたようなしなかったような。
聞こえていたとしても、今の彼らの精神状況ではどうでも良い事であったろう。




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