2.King of Kings

「何たる体たらく。これでは先ほどの報告と全く同じではないか」

テムグ・テングリの本営に戻らざるを得なかったアルフレッドを待っていたのはデュガリの叱責。
村長が毒殺されたということ以外には、結局のところ何も判明しなかったのだからそれも無理なからぬ事。
だからこそ、アルフレッドはこの非難を甘んじて受けたわけである。
さりとてデュガリもこの事のみに拘泥している場合ではない。
まだまだ他にもやるべき事は残っており、言い方は悪いが佐志の村長だけに構ってはいられないのだ。

「この事件はおいおい調べていっても遅くないんじゃない? まずは佐志を勢力下においてからでも」
「カジャム殿が仰られるとおり。我々の支配を確固たるものにするためにも、
この機に乗じてすぐさま佐志に派兵をし、我々の支配下に置くべきだ」

覇権主義を以って行動基準とするテムグ・テングリからしてみれば、内紛に勝利した勢いそのままに、
佐志をもついでに領地にしてしまおうという意見が上がってくるのは極めて必然と言える事である。
重臣たちはエルンストに、即座に佐志を占領すべしと進言する。

「構わん。捨て置け」

だがエルンストは佐志の侵攻に気を向けていた家臣団を制した。
テムグ・テングリ内で驚きの声が上がっただけではなく、
その場にいたアルフレッドも、彼の自らの行動規範を否定しかねない決定には面食らったくらいだ。
噂に聞いていたような暴力的とまで言われていたようなやり口とは随分と、いや正反対と言ってよかった。
彼が耳にしたとおりの組織だったら、間違いなくエルンストは村長の死に乗じて、
そうでなくてもいずれは佐志を武力で以ってして征服するはず。
少なくともアルフレッドはそのように予測していたのだから、意外と言っても過言ではなかった。

「しかし御屋形様、我々はこの世界に武を、覇道を広めねばならないはず。そうであるならば――」
「今回の戦は内輪の事。そもそもの目的が違う」
「あくまでこの戦いは身内での争い。いわば佐志の民たちはとばっちりを受けた形である。
そのような状況下で更なる損害を彼らに与えるは我々の威に背くことなのだと、御屋形様は思し召しであろう。
それに開戦前に使者をよこしたときにも、彼らは我らの下に付く事を良しとはしなかった。
ゼラールからそう聞いている。間違いなかろう?」

驚く重臣たちの言葉を遮ってエルンストは口を開いた。
いつもの彼の物言いと同じで、その言葉は短いものであり、それを補足するようにブンカンが説明を始めた。

「あやつらは即答しおったわ。独立中立を旨とし、いかな勢力にも与しないと」
「であるからして、佐志を押さえるには村人を全員殺めないとならないくらいの覚悟が必要であろう。
当然、我々がその気になればあのような村などは歯牙にもかけない。
だが今回の件に関しては、御屋形様はそのような行動は望んではおらぬ。
テムグ・テングリの覇とは武力に裏打ちされた物であって、武力そのものではない。
力だけで全てを解決するような、血に飢えた獣とは異なるのだ。
村民の意志を尊重せねばならないのだと御屋形様は仰られておる」
「そんなところだ」

ブンカンやデュガリはゼラールの口も借りて、
佐志の人々が独立を貫く意志が非常に強固であった事実を改めて説くとともに、
そのような村にエルンストが攻撃をしかける意志が無いことを諸将に説いた。
敵対していた弟の軍も吸収したエルンストのテムグ・テングリと片田舎の村である佐志では、
比較にならないほどの、説明不要の圧倒的な戦力差がある。
村人が決死の思いで抵抗してくるとしても、どう厳しく見積もっても負けるはずなど無いのだ。
しかし説明の通り、征服するとなると村人の全滅は免れないだろう。
世間とは異なるものの、テムグ・テングリとて規則や規範というものがある。
そもそも今回の戦は、佐志の制圧が目的ではないのだから、土地の人間を根絶やしにするなどは忌むべき行為。
できるからといって、する必要もないというわけだ。
諸将からしてみれば、目の前に獲物がぶら下がっているような絶好の機会であったのだから、
それをむざむざと逃す事には不満はあっただろうが、
しかしエルンストが佐志への侵攻はしないのだと決定したのだから、
エルンストの言葉は絶対である彼らの中に、あえてそれでも佐志への侵攻を口にする者はいなかった。

(随分と寛大なんだな。俺の処分もそうだったが―― 聞くと見るとでは大違い、というやつか)

エルンストが武断主義一辺倒だとばかり思っていたアルフレッドだったが、
実際に本人に相対し、言動を見るにつけ、彼のエルンストへの評価は全く様変わりしていた。
民の意思を尊重して、武力制圧の意見を押さえつけたエルンストの器の大きさに感じ入っていた。
冷静かつ冷酷な判断が下せる決定力と同時に、他人を慮ってそれを受け入れられる度量があってこそ、
家臣は彼のために身を奉げる思いになれるのだろう。
そして彼らが強固に結びついているからこそ、テムグ・テングリがこうも大勢力に成長する事ができたのだろう、
とアルフレッドはエルンストという人物をよくよく見ながら考えていた。
すると、そのアルフレッドの様子を目敏く察したゼラールが、

「えらく大人しいではないか、アルフレッド・S・ライアン。感動したというのなら、
素直にそのように申すがよい。
余が口を添えてやろう、テムグ・テングリの傘下となり、使い道の無い貴様の命を捧げるがよい。
貴様のような者であっても拒まれる事はあるまい。御屋形様は寛大なるぞ、フェッハハハハ」

と意地悪く口をゆがめながら、アルフレッドに話しかけてきた。
エルンストに敬意を、関心を、その他諸々、彼に対して思うところがあるのを見せたアルフレッドを、からかったのだ。
このゼラールの語りかけが本意であるにせよ、そうでは無いにせよ、
アルフレッドは彼の提案に二つ返事で答えてしまいそうなほど、
エルンストという今までに出会ったことの無いタイプの人物に、強く惹かれていたのは確かであった。
最も知られたくないゼラールに心の内を見透かされたアルフレッドははっとなってエルンストの方をつい見てしまう。
そんな彼に向けてエルンストは淡々と、

「その気があるなら構わん。拒みはしない」

本日出会ったばかりの、どこの者ともわからない人間であるにもかからず、寛大にもそう言った。
アルフレッドにとってもテムグ・テングリに仕えるのは(少なくとも心情的には)悪くない選択肢だったし、
彼の気持ちが大きく揺らいだのもまた事実だったのだが、

「素性も知れない人物を受け入れてくれる気持ちはありがたいのですが、
しばらくの間、俺は仲間たちと共に自分の道を進んで行こうと思っています。申し訳ありません」

すっと頭を下げて仕官を辞退した。仲間という言葉を使ってみたが、図らずも人を殺めてしまい、
その贖罪のために己が進むべき道を模索するフィーナの傍に付いていたい、
彼女のためにできる限りのことをしたい、というのが大体のところだったのかもしれない。
 だからこそ、自分だけが一時の感情にせよそうでないにせよ、ここで旅を終えることを良しとしなかったのだ。
 アルフレッドがエルンストの誘いを無下にしたと、あからさまに顔をしかめる将もいたわけだが、
そういった者に向けて、エルンストは何も言わず、しかし眼光鋭く睨み付けて、彼らを制した。
そして、決意を持って毅然とした態度をとったアルフレッドを一瞥して、
彼は少々惜しそうに、「気が向いたらいつでも来い」とだけ伝えた。







旅を再開することとしたアルフレッドたちは、佐志の港から出発した船の上で揺られていた。
もちろん、佐志に向かった時に乗っていたK・kの船はシェインらに壊されているのだから今は別の船。
エルンストが特別の計らいで用意してくれたテムグ・テングリの小型船である。

「テムグ・テングリも太っ腹なところあるじゃん。ちょっと見直したよ。
とっ捕まったときは生きて帰れないって物凄く焦ったけど、無事に帰してくれた上に船まで用意してくれるなんてね」
「ああ、そうだな」
「まーたそうやってボーっとして。風でも浴びてしゃっきりしなよ」

爽やかな潮風を浴びて無邪気にはしゃいでいたシェインとは対照的に、アルフレッドは生返事で気が抜けた様子だった。
それよりは色々と考えてみる事が山積みでシェインの言葉に反応していなかったと言うべきか。
何せ彼には気がかりが多かった。
村長が殺害された事件に関しては、結局真相は分からずじまいだったのが心にしこりを残す原因となる一つ。
それはさておけるのだが、もう一つ。
港を発つ前に、(ようやく彼の無事を実感できたのか)マリスが人目もはばからないでアルフレッドに抱きつき、
涙を流しながら喜んだ事。それだけならまだしも、その時に同じ場所にいたフィーナが見せた複雑な表情。
戦争に気を回していたおかげで暫くは忘れていたが、こうしてみると非常に由々しき問題だった。
行きよりも帰りのほうが気がかりな事の度合いが増したか、とアルフレッドはぼんやりと周囲を眺めていた。
マリスと何かしら言葉を交わしているフィーナの姿が見えた。
いつもの彼女とは違う、どことなくマリスに気を使っているような雰囲気があった。

(させないでもいい苦労をさせてしまっているな……)

マリスとの関係上、表立ってすることも出来ず、アルフレッドは心の内でフィーナに詫びの言葉をかけて頭を下げた。
問題はおいおい解決するとして、とアルフレッドは何の気なしに甲板の様子を眺める。
船上にはフィーナたちと共にセフィやローガンの姿もあった。
佐志での一件で彼らとは協力関係となったわけなのだが、
次の目的地を見つけるまでは、とアルフレッドについて来る形で行動を共にしていた。
 物腰が柔らかで人当たりの良いセフィと、ノリが良くてどことなく人懐っこいローガンは、
すでにアルフレッドたちのチームに馴染んでおり、シェインやフィーナとも談笑を交わす仲になっていた。
彼らについても気になる事が一つ。
アルフレッドたちが佐志を出立する際に、この船が用意されていた小さな港には、
彼らとアルフレッドたちが事前に示し合わせていたかのようにその二人の姿があったのだ。
自分が知らないところで誰かが彼らに連絡を取ったのだろうか、とアルフレッドは考えていたのだがそうでもなく、
ローガンが言うには「セフィが『ここにいれば再会できる気がする』と言うた」という事だった。
勘が良いと言うにはあまりにも良すぎる、そんな違和感をアルフレッドはどこか覚えていた。
知らない内に監視されていたのか、だとしたら何のためなのか、などとついつい気になってしまっていた。
だが、今までの事でナーバスになっているだけなのかもしれない、
疑わしいと思えば何でも怪しく見えるものだ、とその疑問については深く考えないことにした。

ともかくあれこれ悩んでいても仕方が無い。
今は旅を続けるにあたって心強い仲間が増えた事を喜ぼう、とアルフレッドは、
一息つけるためにポケットから佐志の宿にあった小さな売店で購入していたタバコを1本取り出し、
慣れた手つきでオイルライターで火を点けた。
 そういえば佐志の村にテムグ・テングリの兵士が来てからはゴタゴタ続きで吸っている暇が無かった、
などと思いながら煙を吐き出してタバコの火を消そうとしたのだったが、ここで彼ははっと気が付いた。
テムグ・テングリ兵に拘束された際にどさくさの内に紛失してしまったのか、
あちこちをまさぐってみても所有していたはずの携帯灰皿が無かった。
 ワンコインで買った安物だから、無くした事は気にならないが、しかしタバコの捨て場が無い。
マナーに反するが仕方ない。やむなく甲板の縁を使って揉み消したのだが、

「おい、テメェ、マナーの悪い事してんじゃねえぞ。っつーかガキがそんなモン吸ってんじゃねえ。バカになんぞ」

そう彼の行動を咎める声が後ろから聞こえてきた。

「お前か、驚かすな。マナー違反は分かっているが…… しかしお前みたいな人間がそれを咎めるとは少々意外だ」
「人をなんだと思っていやがるんだ。せっかく手を貸してやろうって言ってる人間にちょっとばかり失礼だろうがよぉ」

実は新たにチームに加わったのはセフィとローガンだけではない。
アルフレッドとは度々手合わせしてきたフツノミタマも彼らの仲間としてこの船に乗っているのだ。

「随分と大きく出たじゃないか。確かにお前を仲間に誘ったのはこっちだが、
しかし俺が頭を下げて『どうかお願いします』などと頼み込んでまで引っ張ってきた覚えはないな。
むしろ、そっちが俺たちについて来る気を見せていたはずなんだがな」
「テメェが気まぐれネコを飼い慣らせねえからだろうが。もう一回あれとやりあわねえ事にはこっちの気が済まねえ。
いつ出て来るか分からねえっつーなら、こっちが四六時中張り付いていた方が手っ取り早いってわけだろ」

アルフレッドを付け狙っていたはずのフツノミタマが彼の仲間になった理由は大体この会話に集約されるようだった。
グラウエンヘルツが発動した状態でのアルフレッドと戦いたがっているフツノミタマが彼を追っていたのは周知の事実。
しかし彼の期待に反して二人の戦いの時にはそれが発動する事はなかった。
アルフレッドの意思とは無関係に彼のトラウムは発動、解除されるのだから、フツノミタマが望むようにはいかない。
特に三度目などはわざとではないのか、とフツノミタマが怒りだすくらいにタイミング良く(彼にとっては悪く)
解除されてしまったのだから、彼の再戦への思いがつのるのは無理なからぬこと。
そこに着目したアルフレッドが、
冒険する上で大きな戦力として期待できる彼を味方に加えようと思ったのもまた無理なからぬこと。

「戦闘バカだと思ってはいたが、こうあっさり釣れると拍子抜け、という気もしなくはないが」
「あぁん? 言うに事欠いてバカってなんだ、おう!?」
「そこに噛みつくのか。それはともかく、『タテナシ』って一体何だ? 人名か?」
「……けっ。んなこたテメェが知ったことじゃねえ。余計な詮索はしねえのがこの稼業の礼儀ってやつだ」

 以前、ポディマハッタヤでフツノミタマが呟くように口にした「タテナシ」という言葉。
これが何を意味するのかは明らかではないが、どうやらシェインと関係が深そうだというのはアルフレッドにも分かった。
もしかしたら彼が仲間になった本当の理由は、グラウエンヘルツとの再戦などではないのかもしれない。
あれほど猛々しかった彼の戦闘意欲を喪失させる何かがその「タテナシ」にあり、
その「タテナシ」を連想させる何かがシェインにあるからこそ、彼はシェインの近くにいようとしたのではないか、
そんな感じにアルフレッドはフツノミタマの行動を考えてみた。
 だがそうであったとしても、他人の過去(なのだろうか)を一々暴こうとする、
ある意味では悪趣味な行為はアルフレッドの望むところではない。
 フツノミタマが付いてきたいのだと言うのなら、それだけで充分。拒否する意思は無かった。
 シェインは反対するかもしれないとアルフレッドは考えていたのだが、そんなことも無く、
今までの経緯や「タテナシ」の事など気にしていないのか、それとも覚えていないのか、案外あっさりと話は進んだ。
 フィーナの方も、腕利きのフツノミタマが仲間になるのなら、これからの冒険がより安心できると、
楽天的なのか何も考えていないのか、特に反対することも無かった。

 とにかく、別段もめ事が起こるわけでもなく、フツノミタマはあっさりとアルフレッドたちに迎え入れられたのだ。
敵に回せば恐ろしいが、味方にすれば非常に心強い存在であるのいうのは相違なかった。
味方にしてもほとんど役に立たないホゥリーよりはよほど頼りがいがあるというものだ。
 そんな事を考えながらフツノミタマを黙って見ていたアルフレッドが気味悪かったのか、
フツノミタマはゴミ箱から空き缶を取り出し、「ここに吸い殻捨てろ」とだけ言うと、さっさとキャビンに引きこもってしまった。

 その際、この二人のやり取りを見ていたフィーナの瞳が、幾ばくか汚れた光を放っていたのは蛇足である。







 キャビンと言う限られたスペースのうち男性部屋として割り当てられた一角へと戻ってきたフツノミタマの目にまず飛び込んだのは、
何やら難しい顔で自分のモバイルと睨めっこをしているシェインの姿だった。
 悩みとは無縁の彼にしては珍しく眉間に皺まで寄せているあたり、尋常ならざる事態が起こっていると見て間違いなさそうだ。
 視線を巡らせ、無言のうちにムルグへ子細を尋ねたものの、
彼女にも見当がつかないらしく、翼を広げて“お手上げ”のゼスチャーを返されてしまった。

「なにシケたツラ下げてやがんだ。ジジィみてーな顔になってんぞ」

 ストレートに問い質すのを憚るような雰囲気を醸すシェインに向かって、
フツノミタマは彼が気を楽に持てるようにからかい混じりで声をかけたのだが、
戻ってきたのは「この場にいる誰よりもフケたオヤジに言われたくないっての」と言う一回こっきりの返事。
それも心ここにあらずと言った調子で、だ。
 人生を全力でエンジョイするシェインにしては珍しい…と言うよりも、考えられないような陰気なリアクションであった。

 思いがけず合戦に巻き込まれ、馬賊の捕虜にされかけ、極めつけは謎の毒殺事件―――
ここ数日の間にイレギュラーな事件へ次々と遭遇したことで体調を崩したとも案じられる。
 それはムルグにしても同じことで、シェインの傍らに寄り添うと気遣わしげに彼の顔をのぞき込んだ。
 血色は優良であり、体調不良ではなさそうだ…が、依然として眉間の皺は深い。

 フツノミタマたちの気遣いを察したシェインは、「ムルグもオヤジもキャラに合ってないぞ」と
照れ隠しの悪態を一つ吐いてから、少しずつ悩みの種を明かし始めた。

「さっきさ、ケロちゃんから電話があったんだよ」
「ケロ…? 誰だ、そいつ? ずいぶんとマヌケっつーかチンケな名前だな」
「ケロイド・ジュースだよ。フェイ兄ィんとこのチームの。
フェイってのは、フェイ・ブランドール・カスケイドのことな。
あんたは知らないだろうけど、ちょっと前までフェイ兄ィたちと一緒に旅してたんだよ」
「いたな、そんなヤツ。そう言や、あいつもグリーニャ出身だっけな。
スマウグのクソ社長、フェイが絡んでくるんじゃねーかって終始ビビりまくってやがったなァ。
ンなことだから死に方までヘタレなんだっての」

 古い記憶を紐解くかのようにグリーニャでの出来事を回顧するフツノミタマだったが、
スマウグ総業の社長に死を与えたのは、それを語る当人である。
 自分で手にかけておきながらまるで他人事のように話すフツノミタマへ「やっぱ常識ってモンが飛んでんだな、この人」と
首を傾げそうになるものの、それを揶揄すると話がまたややこしくなると判断したシェインは、
口から出かけた悪態を喉の奥へと押し込んだ。

「ついでにソニエ姉ェやフェイ兄ィとも話をしたんだけどさ、………なんかフェイ兄ィの反応がおかしかったんだよ」
「そりゃおかしいだろうよ。世の為、人の為なんつって戦うバカ、頭がどうかしてるぜ。
………ああ、てめぇらの知り合いにゃ、もうふたりばかしいたよな、そんなのが。
あそこの師弟も大概トンチキだもんな」
「そーゆーこと言ってんじゃないっての。つーか、フィー姉ェとハーヴもバカにしたな? 
アル兄ィにぶっ飛ばされるぞ。ああ見えてすげー地獄耳なんだから」
「違うっつーなら、なんだっつーんだよ。もったいぶらずに要点を言いやがれ、オラッ!」
「自分で混ぜっ返しておいて勝手にキレんなよ! ………フェイ兄ィがさ、アル兄ィとエルンストのことを話したら、
なんか急に声色変わっちゃってさ」
「あん? テムグ・テングリの大将に気に入られたっつー話かよ?」
「うん―――」

 シェインの話を要約するには、まずフェイたちの経路について詳らかにせねばなるまい。
 テムグ・テングリ群狼領の動向を探るべく彼らの本拠地へ潜入していたフェイたち一行は、
アルフレッドが佐志へ赴く洋上から寄越していたメールやコールには全く気付いていなかった。
 と言うより、潜入捜査にあたって三人とも自分のモバイルを携行してはいなかったのだ。
万が一、敵に捕縛された際に身元が割れるのを防ぐ為の措置である。
 ここまではアルフレッドも予想をしていた。

 問題はその先にあった。
 潜入捜査が一段落し、安全な場所まで帰還したフェイたちは、暫しの間、他所に預けてあったモバイルに電源を入れたところで
初めてアルフレッドからの着信に気付き、大慌てで返信を送ったのだ。
 ところが、今度はアルフレッドのほうが着信に気付かず、何度コールしても応答する気配がない。
留守番録音の設定もされていなかったのでメッセージを残すことも出来なかった。
 機転を利かせたソニエはフィーナにも同様のメールを送り、コンタクトを試みたのだが、
彼女も彼女でモバイルの着信音には気付けなかったようだ。
 察するにソニエがメールを寄越したのは、甲板で話しこむアルフレッドとフツノミタマへ
些か禍々しい視線を送っていたのと同時刻であろう。
 フツノミタマがキャビンへ引っ込んでからも余韻と言うものがある。余韻に浸っている間はモバイルなど眼中になかろう。
 つまり、ソニエからの着信を確認するのは、もう少し後になると言うことだ。

 そこで巡り巡ってシェイン宛にケロイド・ジュースから連絡が入った次第である。
 シェインは佐志で遭遇したテムグ・テングリ群狼領の内部闘争『群狼夜戦』について、
知り得る限りの情報をフェイたちに提供した。
 フェイたちはテムグ・テングリ群狼領の悪行を調査しているのだ。佐志での出来事を細かく伝えることは、
フェイたちにとって有益になると考えるのは自然だった。
 ケロイド・ジュースと雑談を交わし、ソニエからは合戦に巻き込まれたことを心配され、
フェイにはエルンストやテムグ・テングリのことを詳報したのだが―――

『………ははは―――危うくアルと敵対するところだったんだね。………いや、心変わりしてくれてホッとしたよ』

 ―――アルフレッドの知略で佐志の人々が戦火から免れたこと、
その功績をエルンストに認められ、配下に加わるようスカウトされたことを話している内に
フェイから発せられる声のトーンが徐々に低くなっていったのだ。
 巷で悪鬼のように忌まれているエルンストが、実は情に篤く、無益な争いを許さぬ理知をも備えた名将であると説明が及ぶ頃には
明らかに声が硬くなり、濁りや澱みを含むようになっていった。
 その場はケロイド・ジュースの取り成しで収まったものの、シェインにはフェイの変貌が気にかかって仕方がなかった。
 テムグ・テングリ群狼領も、これを率いるエルンストも、世間で噂されるような悪逆な侵略者とは全く違っていた。
立派な人々だ―――そう付け加えたのが、もしかするとフェイの気に障ったのかも知れない。
 生意気に楯突いたとフェイに思われたのではないかとシェインは気に病んでいるのだ。

「さっぱりわかんねーぞ。今のドコにキレる箇所があんだよ」
「ボクだってわかんないよ。でも、どう考えてもムカついてたもん、フェイ兄ィは。すっげぇ不機嫌そうだったし…」
「自慢話聞かされただけで不機嫌になるなんてよ、天下の英雄サマとやらもケツの穴がちっちぇーな。
しかも、手前ェの弟分の話なんだろ? それでキレるなんざクソもいいとこだ」
「世界中の誰よりも一番キレやすいあんたに言われたらおしまいだよ。
あんたと一緒にされたら、フェイ兄ィも心が折れるって」
「―――ど〜かなァ? 案外、スカーフェイスのオッサンがトークする通りかも知れナッシングよ?」

 顔を見合わせて首を傾げるシェインとフツノミタマへ口を挟んできたのは、意外にもホゥリーであった。
 そう、意外だった。少なくともふたりにはホゥリーの闖入は意外でしかなかった。
 佐志を出航してからと言うもの、スナック菓子やランチョンミートを貪る以外の時間はずっと高いびきをかいていたこの男が
周囲の状況を把握していると誰が想像できるだろうか。
 そもそもシェインもフツノミタマも、何の役にも立たないホゥリーのことは目端にも入れずに黙殺するつもりだったのだ。
それだけに彼から発せられた言葉には大きな驚きがあった。

「何も成果をゲットできなかったセルフと、エルンストのハートをキャッチしたアルとを比べて、
あ〜らら、セルフったらな〜んてミニマムなスケールなのかしらってどん底にフォールしたってトコでしょ、ど〜せ。
アザーの武勇レジェンドってのは、リスニングしてるサイドには結構カチンとカムするもんヨ」
「なんだい、そりゃ。お前、ホントにフェイ兄ィをバカにしてんのか? お前基準で考えんなっつーの」
「じゃあ、リバースでクエスチョンだけど、アナザーにカスケイドの機嫌がバッドになるリエゾンでもあるのかネ?
シンキングつかないだろ。ビコ〜ズ、ザットがアンサーなのサ♪」
「いや…、でも、フェイ兄ィだぜ? このヒゲオヤジじゃないんだから、いくらなんでもそんなことで怒らないだろ」
「てめー、コラ! いちいちオレを引き合いに出すんじゃねぇよッ!!」

 聖剣エクセルシス探索が上手く運んでいないことをホゥリーは指摘しているのか―――
そう考えられなくもないが、しかし、それだけのことでアルフレッドを妬むとはとても思えなかった。
 成果を上げたアルフレッドと、その対極にあるフェイ。確かに落差を感じることもあるだろう。
焦っていれば、尚更、他人の功績は眩しく見えるものである。
 だが、フェイはこれまでにも数多の功績を残してきた。旅を始めて間もないアルフレッドが
足元にも及ばないほどの輝かしい功績を、だ。
 にも関わらず、落差を感じて嫉妬心を抱くとすれば、それは心が狭いどころの話ではない。殆ど性格破綻ではないか。
 エルンストも大した人物ではある。しかし、フェイとて勝るとも劣らない英雄なのだ。
フェイは篤実な人格に於いても周囲の尊敬を集めている。
 そのような偉人が醜悪で下劣な嫉妬心を、それも瑣末な理由で覚えるとはシェインには考えられなかった。

「チャイルドがシンクしてるほどオトナはシンプルじゃないってコトさ」
「そう言うことなら、まぁ、………一理あるわな」

 であるからこそ、ホゥリーの言うことをいつもの底意地悪い皮肉だと捉えて聞き流すつもりだったのだが、
ここに来て急にフツノミタマが彼の言葉に頷き始め、シェインは思わず目を見開いて仰天した。
 最初こそシェインと同じように怪訝そうに眉を顰めていたものの、ホゥリーの話を聞くうちに得心がいったらしい。
 無論、シェインには大人たちが何をどう得心したのか、理解できていない。
 沈黙のまま頷き合うフツノミタマとホゥリーは、シェインの目にはどこか不気味に思えた。

「単に調子が悪かっただけではありませんか? 皆さんも経験がおありでしょうが、
人間、体調が優れないときには何事も悪いほうへ考えてしまうものですよ」

 大人ふたりの沈黙にアテられて一層眉間の皺を深めつつあったシェインを慰撫し、
その不安を解きほぐしたのはセフィからの差し出口であった。
 男子部屋の片隅に腰を下したまま文庫本のページを黙々とめくっていたセフィだったが、
三人の会話にはちゃんと耳を傾けていたようだ。

「それにカスケイド氏はテムグ・テングリの本拠地へ潜入していたのでしょう? 私たちが佐志にいる間に。
彼らは英雄の誉れ高いチーム。まず間違いなく何らかの成果を挙げているでしょう」
「ザットでアザーなデイのファウルもチャラにするっかい? ノンノン、澄ましたフェイスで意外とスウィーツなのネ。
セルフの役立たずっぷりを突きつけられたら、大体のメンはライフをスローしたくなるってもんさ。
スーパーヒーローなら尚更だヨ」
「仮にアルフレッドさんと自分とのギャップに蟠りを覚えたとしましょう。しかし、それは一時的なものでしょう? 
いつまでも引き摺るとは思えませんね」
「ホワッツ? 小気味グッドに断言してくれちゃったケド、そうライトにゴーするとは思えナッシングヨ。
大人のメンタルはチミみたいなイージーボーイがシンキングしてるよりずっと複雑なのよン♪」
「もっと簡単ですよ。カスケイド氏には仲間がいます。苦しい気持ちを受け止めてくれる人がいるなら人間は立ち直れる。
………尤も、それをあなたに理解するよう求めるのはいささか酷ではありますがね」
「オゥフ………チミ、ルーキーなのになかなかズバズバなのねェ………反論できナッシングなのが、リトルだけ癪だわよ」
「自覚があるなら少しは悔い改めろよ。アル兄ィもそろそろ限界の限界だと思うよ? 
セフィにローガンって言う頼もし〜いチームメイトも加わったし、いつお役ゴメンになるかわかんないぜ?」
「ジョークのつもりかい? ならベリー上手くトークしなきゃ。チミたち、ボキのプロキシがナッシングでも平気なリエゾン? 
無理でしょ? 無茶でしょ? プロキシのアドヴァンテージをルックしちゃったら、もうビフォアーにはリターンできナッシングでしョ♪
ボキはセルフの値打ちを誰よりもわかってるのっサ♪」
「そう言う減らず口が嫌われる原因じゃねぇのか。野垂れ死ぬのも勝手しろって言われるぜ。
そうなっちまったら、人間、おしまいだな」
「ディスん中で誰よりもロクなダイ方しないメンがそれをセイ? ハッハ―――ウケる。ウケるよ、フッたん♪」
「あぁん!? 今なんつった、コラァッ!? そんなに笑いたけりゃ手間ェのツラぁ鏡に映しやがれってんだッ!」
「ノンノン♪ セルフのフェイスで爆笑できたのは、生後半年までだったヨ。慣れってテリブルだネ。
モーニングに洗フェイスしてても愉快なことは一個もナッシングになっちったもん」
「………私が言いすぎたせいでしょうか。この人がここまで自虐に走るなんて………」
「ンなことで辛気臭くなンじゃねーよッ! コイツがそんなタマかァ!? 
デリケートの真反対にいやがるからムカついて仕方ねぇんだろうがッ!!」

 ロクな死に方をしない…と言うよりも、血管が破裂して卒倒する可能性のほうが遥かに高いフツノミタマはともかく、
セフィが適切なフォローを与えてくれていなかったら、今頃、シェインは本格的に頭を抱えていたに違いない。
双眸を覆い隠す特徴的なエクステによって表情の全てを窺うことが出来ず、
それ故に周囲の状況へ無関心なように誤解され易いセフィではあるものの、
彼の側からは人間模様に至るまで静かに観察がなされている様子だ。

「陸地が見えてきたで! 港までもう少しやぁッ!」

 甲板に居残って水平線を眺めていたローガンがキャビンへ駆け込んできたのは、
子供を不安がらせてはいけないとセフィからゼスチャーで指摘されたフツノミタマがバツの悪そうな表情(かお)を作り、
次いでホゥリーがしらばっくれたように欠伸をしたのとほぼ同時であった。

「次ってどこに着くんだっけ?」
「デーヴィスデルタや、デーヴィスデルタ。ええ町やで! スシがめちゃ美味いっちゅーハナシや―――って、
『エンディニオンの歩き方』に書いてあるねん」
「観光ガイドの受け売りかよ! あんた、武者修行の旅とかしてるんじゃないの?」
「それとこれとは話が別やがな。クリッターがごっつ潜んどるようなトコにスシ屋がいてるか? おらんやろ。
板前はんに美味いもん握って貰いたいんやったら、ガイドに従うんが利口ちゅ〜こっちゃ」
「………途中で自分が何言ってるか、わからなくなったろ。話題の摩り替えにもなってないんだよ!」
「なっはっは―――細かいことはええねん。知らんもんは素直に知らん言う。
ガイドでも何でも知らんコト教えてくれるもんには黙って従っとくんが礼儀っちゅ〜もんや。
人間、素直が一番やで!」
「キレイにまとめようとして失敗するタイプだな、ローガンって」
「ほうか? きれーにまとまったやろ、美味いスシ食うってコトで。これでええのんとちゃうの」
「だから、それだとふりだしに戻ってるんだって!」
「ほ〜、そらアカンな。言葉ってムツかしいんやなぁ〜」
「………他人事ちっくに流しやがったよ、このおっさん」
「ええがな、ええがな! 素直っちゅー括り方でええがな!」
「ここまで素直って言葉を傍若無人に使う人をボクは初めて見たよ。すげぇや、ダメな意味で」

 ローガンから陸地が近付きつつあることを聴かされた途端、シェインの心は一気に弾んだ。
 フェイの変調は確かに懸念事項へ数えられるが、だからと言って一つの気がかりにばかり拘泥していては
暗く塞ぎこむしかない。それは極めて非生産的と言えるだろう。
 ならば、気持ちを入れ替えてポジティブでいよう。自分らしくあろう―――シェインは優良なメンタルを維持し続ける方法を
理屈ではなく感覚で体得しているのだ。

「ワンスだけ結論がアウトプットされたネ。ディスはボキもチミも同じフィーリングじゃナッシング?
“これじゃあフェイも浮かばれない”。ヘイ、リピート・アフター・ボキだよ、ボ〜イ♪」

 ときとして残酷ですらある子供ならではの切り替えの速さを目の当たりにしたホゥリーは、
わざわざセフィにも聴こえるような声量でもってチクリと皮肉を吐いて捨てた。
 困ったように口元を歪めたセフィもこれには反論をしなかった。




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