2.現場検証 物資、人材、企業…ありとあらゆるモノが集まり、世界経済の中心地とされるルナゲイトの象徴にして、 テレビ・ラジオの放送を含むエンディニオン全土のマスメディアを発信し、統括するセントラルタワー。 テレビやラジオの撮影はもちろん、各地に散らばった通信社より入電される数限りないニュースと格闘するスタッフが、 日夜、粉骨砕身働くその巨塔には、現在、途方も無い大混乱が巻き起こっていた。 平時であっても相当に慌しいのだが、今日はその比ではない。 フロアと言うフロアで怒号と悲鳴とが代わる代わるに飛び、 廊下を、階段を行き交うスタッフたちは一秒でも時間が惜しいらしく、皆が皆、駆け足で移動している。 老若男女に至るまで全てのスタッフの顔には脂汗と共に極度の疲労が浮んでおり、 中には廊下の脇へ座り込んだまま動けなくなってしまった人間も見られる。 それくらいならまだ良いほうで、疲弊が限界に達して倒れてしまったスタッフの姿もあった。 そこで素直に休んでおけば良いのに、救護へ駆けつけた同僚に介抱されて僅かばかり回復するなり、 制止の声を振り切って持ち場へ戻っていく様子からもセントラルタワーに起こった混乱の深刻さが透けて見えると言うものだ。 ジューダス・ローブによる公開放送の爆弾テロから一夜明けたセントラルタワーは、 アルフレッドをして戦場と言わしめるほど混乱し切っていた。 詳しく現場検証して分かったことだが、爆弾テロに見舞われたセントラルタワーの被害は、 その殆どが放送器材や収録スタジオに集中していたのである。 器材はカメラや編集用の装置など九割が大破、二十あるスタジオは全壊させられてしまい、 ご丁寧にも電波配信用のアンテナまで破壊され尽くしていた。 予告したジョゼフ暗殺を完遂する為の布石とするには不必要なまでの損害だ。 例えば、ジョゼフの逃走を防ぎつつ、彼の同席した収録現場を混乱させようと言う意図があって 器材やスタジオを爆破したとしよう。そう仮定すれば無意味に思える爆破にも一定の意義は定められる。 だが、それでも使用していない器材やスタジオを破壊する理由にはならないし、 現場から遠く離れた場所にあるアンテナまで大破させる意味もわからない。 暗殺の失敗が世間に露見するのを防ぐ為にアンテナを破壊したとこじつけられなくも無いが、 その見方は強引が過ぎ、肯定するにはあまりにも根拠が足らなかった。 「この有様、お前の目にはどう映る?」 「そいつはオレのほうが聴きてぇな。どっちかっつーとテロだの何だのは、てめぇのほうが専門だろ。 士官学校出てるつったじゃねーかよ」 「確かにアカデミーでテロ対策は習ったがな。しかし、これはあまりに不自然過ぎる」 「そう、不自然だ。暗殺にしても不自然、テロにしても不自然と来たもんだ。 わけがわからねぇにも程があるっつーんだよ、ド畜生が。 こんなわけわかんねぇ状況をオレに見せて、てめぇはどーゆー意見が欲しかったってんだ。あァん?」 「わけがわからないと言う意見だけで十分だよ。暗殺と考えても不自然と言う見立ても助かった。 ………と言うか、お前、ちょっとカリカリし過ぎじゃないか? 二十四時間、がなってばかりじゃ疲れてしょうがないだろう」 「ほっとけやッ! これがオレのライフスタイルなんだからよォッ!! ポリシーッ! ポリシーだッ!!」 「どう言うポリシーだ、どう言う」 つい数時間前までテレビ番組の公開収録が行なわれていた場所とは思えないくらいメチャクチャに破壊されたスタジオへ 現場検証にやって来たアルフレッドとフツノミタマだったが、 調べを進める内にいよいよ手詰まりとなってしまい、お手上げとばかりに二人して首を傾げていた。 そもそもジューダス・ローブの狙いからして判然としないのだ。 犯罪予告にはジョゼフを殺害する旨が明記されていたが、 いざことが起こったときには、標的へ危害が加えられることは一度としてなかった。 爆破するだけ爆破しておいて、だ。 警備の霍乱を狙っての爆破だとしたなら、せっかく煽った混乱に乗じることなく姿を消すなど本末転倒――― いや、言い方は悪いが、ただの間抜けではないか。 ジョゼフの身辺警護に当たったアルフレッドたちの必死の抵抗に遭って暗殺を断念したと言うわけでもない。 ジューダス・ローブがジョゼフ暗殺に動かなかったことは、 全てが終わった後に訪れた拍子抜けの虚脱感が如実に物語っていた。 狙った標的は決して逃さないとされる極悪非道のテロリストが相手だっただけに、 「この虚脱感こそ敵の罠ではないか」と余計に当惑したものだ。 しかし、いつまで経ってもジューダス・ローブの魔手が再来する気配は見られなかった。 「今更言うことでもねーよ。奴さんはトチ狂ってやがるのさね」 「ピンカートンさん…だったかな、以前にもこうした奇行はあったんですか?」 「モチのロンよ。奴さんのバカを並べ始めたらキリがねーさ」 腑に落ちないと言う表情を浮かべて首を傾げていたアルフレッドへ 「奴さんの考えるこたぁ、常識じゃ測れねぇのさ」と声をかけたのは、現場検証に同行するヒュー・ピンカートンだ。 数年来、ジューダス・ローブと対決してきた名探偵は、 折り目正しいアルフレッドへ「ヒューでいいよ」とフランクに笑いかけながら、 かのテロリストがこれまでに起こしてきた事件を幾つか紹介していった。 暗殺以外のテロ行為にも手を染めてきたジューダス・ローブのこと、今回のような奇行は過去にも何度かあったようだ。 例えば、モバイルの中継基地を破壊したケースでは―――対象となった山奥の施設を その周辺と共に徹底的に爆破するのみに留めたと言う。 もともと地盤の緩い地形だった為、爆発によって大規模な土砂崩れが引き起こされたが、 人里離れた場所だった為に人的被害は無く、 損失と言えば、その周辺にモバイルの中継基地が作れなくなってしまったことくらいであった。 また別のケースでは―――ルーインドサピエンス時代に廃棄されたものと伝えられる地下シェルターで 致死性のウィルスを繁殖させ、二度と人間が踏み入れない病魔の巣窟に変えてしまったとか。 ところが、此処には元々誰も住み着いておらず、 そればかりか使途不明の遺跡として平素から気味悪がられていたのだ。 結果、地下シェルターはキャットランズ・アウトバーンと同じように野ざらしのまま放置されていたと言う。 そんな場所へウィルスをバラ撒いたところでどうなると言うのか。 ウィルステロに使う為に培養していたと考えられなくもないが、 それにしても自分が立ち入れなくなるようなバイオハザードを起こすとはおかしな話である。 このようにジューダス・ローブの奇行は枚挙にいとまがなく、中には愉快犯的な事件も多々あった。 ヒューに言わせれば、今回のような肩透かしもジューダス・ローブならやりかねない珍事とのことだった。 実はアルフレッドは、今回のジューダス・ローブの爆弾テロをジョゼフの命を狙ったものではなく、 彼の、いや、ルナゲイト家の資産に痛手を与えるのが本当の目的だったのではないかと考え始めていた。 テレビ放送を休止せざるを得なくなることは、ルナゲイト家にとっても大きなダメージである。 この被害状況では完全な復旧まで膨大な時間を要するのは確実だった。 当然、器材やスタジオの修復には莫大な費用がかかり、 今後、ルナゲイト家は収入が途絶えたままで億単位の支出と闘うことになるのだ。 これほどルナゲイト家に強烈なダメージを与えられる攻撃は他には無いだろう。 ジョゼフを含む人的損害が皆無だったことも、この仮説に説得力を与えていた。 収録のあったスタジオも何箇所も被害に遭っているのだが、 最初に小さな爆発を起こして観客やスタッフを外へ逃がしておき、 それから大きな爆発を起こすと言った手口のものばかり。人命に対する配慮が為されていた。 負傷者を出さないようジューダス・ローブは計算していたのかも知れない――― そんなテロリストらしらぬ印象をアルフレッドたちに与えるほど、今回の爆弾テロは成り行きから結果まで全てが不可解だった。 この仮説にヒューは「可能性はあるわな」と頷き、フツノミタマは「みみっちい真似しやがる」と地団駄を踏んだ。 あたり構わず何にでもキレるフツノミタマにアルフレッドはほとほと呆れ果て、 最早諌める気も起きなかったが、彼に代わってヒューが上手く取り成したようだ。 探偵と言う職業柄、ありとあらゆる情報へ貪欲でなければならず、 また、折衝能力も問われる為、それらを可能とする人付き合いへの精通が必須条件となる。 その道のプロであるヒューはさすがの手並みと言ったところだ。 取っ付きにくそうなフツノミタマにも上手く対応し、彼の怒りの矛先を巧みに逸らしてくれた。 「あんたがイラつくのも無理ねぇさ。あの野郎はそのテの小細工が大好きなんだ。 そこに気付くたぁ、アンタ、なかなか鋭いじゃねーの」 …などと言うあからさまなヨイショを受けて機嫌が直るあたり、フツノミタマの精神年齢が知れると言うものだった。 言うまでもなく、ジューダス・ローブの小細工に気づいたのはアルフレッドなのだが、 これを主張するとまたフツノミタマの機嫌がこじれるだろう。 そう判断したアルフレッドは、あえて見なかったフリをして自身の推論を進めることにした。 「だけどよ、ジューダス・ローブってのがジィさんの金蔵を攻撃する理由がわかんねーよ。 パイナップル頭よ、ジューダス・ローブはジィさんとこに借金でもしてたんか? あん?」 「そんな話は聴いたことねーな。それに回りくどいっちゃあ回りくどい。 金目当てだってんなら、ハナから金庫爆破するなり銀行ヤるなりすりゃあ良かったもんよ」 「会ってまだ数時間なのにアル呼ばわりか………まあ、それは置いておくとして――― その矛盾や疑問は話している本人も思っていたよ。アタリは良いと思ったんだが、やはり突飛過ぎたか」 仮にルナゲイト家の資産を攻撃するのがジューダス・ローブの目的だったとしよう。 しかし、その仮説を掲げるとまた別な矛盾が浮上する――― 果たして、今回の事件がジョゼフの、いや、ルナゲイト家の資金へどれほどの打撃を与える言うのか? 確かに今回の被害は甚大である。 その総額を見せられたら、生粋の庶民であるフィーナあたりは天文学的な数字の羅列に打ちのめされ、 泡吹いてひっくり返るだろう。 だが、テレビ、ラジオを問わずマスコミに至るまでのあらゆるメディアを掌握するルナゲイト家の力をもってすれば 損失などいとも簡単に回収できるに違いない。 仮に今回の損失で一時的な赤字が出てしまったとしても、次月にはすぐに黒字へ復調しているだろう。 黒字どころではない。きっと余剰に収益を上げ、たった一ヶ月の内に赤字分を補填してしまうのは明白だった。 そうした収益のシステムをルナゲイト家は確立させているのである。 まるでエンディニオン全域に根を張った情報網と同じように、ヒトの肉体を循環する生命の潮(うしお)のように、 ルナゲイト家へと金が巡るシステムを、かの“新聞王”は一代にして張り巡らせたのだ。 なにしろルナゲイト家はエンディニオンで唯一のテレビ局、ラジオ局の創設者であり、 同時にあらゆる放送権を掌握する最高権力者である。 勿論、映像制作を専門とする下請け業者はルナゲイトの傘下を問わず各地に存在しているのだが、 それらの会社が自分たちの作った番組を電波へ乗せる場合には相応のマージンを支払う必要がある。 ソフト販売についてもルナゲイト家が主導権を握っている為、 定められた契約金を制作会社へバックしても莫大な収益が新聞王の一族へ残るのだ。 “あらゆるメディアを掌握している”と言うことは、即ち、書籍や新聞、情報誌の流通もその括りの中に入る。 いつでもどこでも楽しめると言う点において、テレビよりも身近な娯楽である紙媒体の商品へ 庶民の手が伸びないわけがない。 それらの合計によって算出されるルナゲイト家の収益は、推して知るべし…と言ったところだ。 ジョゼフの手掛けた“創業”もさることながら、 先代の功績を継承し、その地盤を固めながら自らも卓越した経営手腕を発揮、 モバイルコンテンツに代表される新たな分野「IT」の開拓を成功させたマユの“発展”によって、 エンディニオンに張り巡らされたルナゲイトの根は、近年、より潤いを増していると言う。 その幹が創業時より数倍太く強固になっているとも。 先に述べた赤字の補填プランは、おそらくマユの手で実現されるだろう。 ジューダス・ローブのもたらした損害を瑣末と嘲笑うかのようにいとも容易く、だ。 つまるところ、アルフレッドが仮説の一つとして提唱したジューダス・ローブの攻撃は、 ルナゲイト家にとって焼け石に水なのである。 実害などあってなきが如しと言う結果に終わるように思われた。 「さっきも言った通り、可能性もちゃんとあるんだぜ? 前例もたっぷり有らぁな。 なにしろ奴さんの行動は、予測も理解も何にもできねーんだからよ。 回りくどくても、自分がピンチになっても全然オッケーみたいなトコも奴さんにはある」 「………イカレてるとしか考えられねぇな。オレもオレで大概だと自分で思うけどよ、 手前ェの不利になることを喜んでやりたがるなんざ、輪をかけておかしいぜ」 「目的の為なら苦労を厭わないと言うことでも無さそうだな。執念の一言では割り切れない、か」 「そ。奴さんはとことんイカレちまってるのさ。だから厄介なんだよ」 ヒューから聞かされたジューダス・ローブの異常性と照らし合わせながら自らの仮説を反芻するアルフレッドだったが、 ルナゲイト家の資産が実質的に無限である以上、やはりこの考えは理に合わなかった。 ルナゲイト家保有の金庫や銀行を直接叩いて紙幣を物理的に抹消するか、 あるいは何らかの方策で件のサイクルを根幹から揺るがさない限りはジョゼフの資産には実害を与えられない。 いくら常軌を逸したジューダス・ローブとは言え、実害を見込めない行動などするだろうか? それも大きな危険を冒してまで、だ。 仮に自分が同じ立場であったなら、もっと合理的かつ効率的な攻撃を考えたハズだ。 いや、しかし、相手は常人の思考を持ち合わせないテロリストであって―――と口元へ手を添えたまま、 周りの様子も目に入らないくらい深い物思いに耽っていたアルフレッドの後頭部を、 フツノミタマが鼻息荒く引っ叩いた。 「うざってぇったらありゃしねぇぜ。辛気臭ェツラぁ、いつまでも晒してんじゃねーよ」 「そうも言っていられない。あらゆる可能性を考えておかなければ対策も立てられないだろう?」 「そうやってこっちを霍乱すんのが野郎の罠かも知れねぇつってんだよ。察しろや、ドン亀がッ!」 「………」 「大体、てめぇが頭でっかちになっちまってどーすんだ? あ? ブレーンのてめぇがよッ! あらゆる可能性だとかなんとか抜かすんならなぁ、手前ェの頭がこんがらがってるっつー状況も考えとけや!」 「………かも知れないな。すまん、善処する」 手加減も遠慮もない一発を後頭部に入れられ、一瞬、物思いもろとも意識が吹っ飛びかけたアルフレッドは、 最初こそフツノミタマをきつく睨みつけたものだが、鼻息荒く言い放たれた彼の弁に正論を見るや、 素直にそれを受け入れ、反芻するかのように二度、三度と頷いた。 シェインと同等か、下手をすればそれより下と思しき子供じみた苛立ち方を彼が見せたのはつい数分前のことだ。 そのような醜態を晒す人間にしては意外なほど的確な助言が飛び出したもので、 ヒューは思わず目を丸くし、次いで冷かすように口笛を吹きかけた。 一見、からかっているかのような軽い口笛は瞬く間にフツノミタマの機嫌を損ね、 またしても子供っぽい喚き声を彼から引き出してしまったが、 ヒューがフツノミタマと言う男を見直したのは間違いなかった。 「あんなになるまでリラックスするこたぁねぇがよ、てめぇもちったぁ肩の力を抜きやがれッ! いつまでも仏頂面でいられたんじゃ、こっちまで息が詰まっちまうんだよッ! それともなんだぁッ? 血管ぶっ千切ってよォ、血ィ抜かねぇとダメかぁ? あぁんッ!?」 「お前………自分の顔を鏡で見てから垂れろ、今の説教は」 「そ、そ。フッたんのほうこそ肩に力入り過ぎだってーの。眉間に青スジなんてハイテンション、 今時、フッたんくらいなもんだぜぇ?」 「るせぇんだよ、パイナップル頭ッ!! 次にフッたんって抜かしやがったら頚動脈噛み千切んぞ、オラァッ!!」 この場にいる誰よりも喧しく、血走った眼でヒューへ掴みかかっていったフツノミタマの言葉では、 説得力も何もあったものではないが、思考を柔らかくすることについては全く同意するところである。 (………しかしな、俺の周りには気を煩わせてくれる仲間が多いからなぁ………) “あんなになるまで”とフツノミタマに指差された先を見れば、 普段お目にかかれないガレキの数々へ興味津々で齧り付いているネイサンの姿があった。 彼は件の爆弾テロには全く関与しておらず、シェインたちと共に一般の見学席でバラエティー番組の収録を観覧していた。 今度の爆弾テロが世界的に悪名を馳せるジューダス・ローブの手によるものだと知ったときはさすがに仰天したものの、 自分に直接関わりがない事件だけにそれほど強い興味を示してはいなかった。 それが一転した理由は、恋人であるところのトリーシャだ。 爆弾テロのことをネイサンづてに聞いたトリーシャは、世紀のスクープを取り逃がしたと大層悔しがり、 自分を招聘しなかったアルフレッドを「融通が利かない石頭」、「エロいことばっか考えてるから、肝心なときに気が回らないのよ」、 「さすが二股がバレるだけあるわね。とんだお間抜けだわ!」などとさんざんに責めた。 ジューダス・ローブからジョゼフを守る為、警備体制を秘密裏に遂行する必要があったことはトリーシャも理解をしている。 理解はしているのだが、さりとて千載一遇のスクープが絡むとあれば、そう容易く割り切れるものでもない。 せめて現場検証だけは取材させて欲しいと熱烈に請うトリーシャの気持ちを慮ったアルフレッドは、 ヒューとジョゼフにその確認と許可を取り計らった。 両名ともにトリーシャからの申請を断る理由はない。 トリーシャの手がける新聞で取り上げられると言うことは、それだけジューダス・ローブの爆弾テロが広く知れ渡るのに等しく、 転じて情報提供の数が増すかも知れないとの胸算用もヒューにはあった。 ジョゼフに至っては、自身の統括する各種マスメディアにも発信しない単独のコメントをトリーシャの記事へ寄せることを確約し、 彼女を大いに喜ばせた。 新聞王としてトリーシャのジャーナリスト魂に感じ入るところがあったのだろう。なんとも粋な計らいである。 ところが、トリーシャが事後調査を取材するのには、一つだけ大きな問題があった。 フェイ一行と共にテムグ・テングリ群狼領内へ潜入調査をしているトリーシャは、 どう足掻いても爆破された現地にまで赴くことが出来ないのだ。 なにしろ敵地潜入の真っ最中である。おいそれと往来出来るわけがなかった。 どうしても手が離せないと言うトリーシャに頼まれ、彼女の代理として取材にやって来たのがネイサンその人なのだ…が、 瓦礫の山…いや、彼をして有価物の山を目の当たりにした途端、その職務は放棄されたようである。 「………あのよぉ、さっきから気になってたんだけど、アレってば何なのよ?」 「末期患者だ」 「は?」 「末期患者だ」 「………病名は?」 「アル公の説明が聞こえなかったんか、てめぇは? 末期患者だっつってんだろうが。 あ? 三半規管引きずり出して、そこに直接ブチ込んだろーか?」 「いや、あの………」 「強いて答えるとするなら、一種の職業病というヤツだな。そうとしか表しようがない」 「あんな職業病、聞いたことねーっつーか、一体、どんな仕事やってりゃ、あんな病気に罹っちまうんだ?」 「うっせぇ! うるっせぇッ! いちいち質問が多い野郎だな、てめぇはぁッ!! そんなに知りたけりゃ、本人に聞き込み調査でもして来やがれやッ!」 「おいそれと危ねぇモンに近付かねーのが探偵の鉄則なのさ。 ………てか、探偵じゃなくたって、あんなヤベェもん、誰も近寄りたかねーだろうよ」 「賢明だな。………我が友人ながら情けない」 「ひょっほほほ〜♪ 向こう三年は白米最高〜♪ ふりかけご飯でもイケる、イケるぅ〜♪」などと 意味不明な奇声を発しながらガレキに頬擦りし、いそいそと商売道具のリュックサックへ放り込んでいくネイサンを睥睨しながら、 アルフレッドは「今日、親友が一人減ったな…」と溜め息混じりにひとりごちた。 プライドも何もかなぐり捨てて地べたを這い回る風情を見せられたら、そりゃ親友を辞めたくもなるだろう。 興奮に支配されたネイサンの姿は笑いを―――と言うか、失笑を―――を誘うような滑稽なものではあるのだが、 アルフレッドの頭はリラックスするどころか、激しい鈍痛に見舞われ、かえってストレスが溜まってしまった。 「アルっ! ア〜ル〜っ!」 「………子供みたいな呼びかけはやめてくれ、フィー」 「あ、ひどいなぁ、その言い方〜。アルの為に急いで来たのにぃ〜」 頬擦りだけでも怖気が走ると言うのに味でも確かめたいのか、取り上げたガレキを舌先でペロペロと舐め、 「う〜ん♪ コレコレ! まったりこってりしたこの舌触り! めっけもんの証拠だよッほほほ〜ぃ♪」とまで やり始めた親友の醜態に我慢の限界を来たしたアルフレッドへフィーナが声をかけたのは、 彼が教育的指導とばかりにネイサンの脇腹をサッカーボールか何かのように蹴っ飛ばしたのと同時であった。 ここまで走ってやって来たのだろうか。息を切らせてスタジオに入ってきたフィーナの手には、 控室へ置き忘れていたアルフレッドのモバイルが握られている。 「着信あったよ。フェイ兄さんからみたい」 フィーナの説明へ呼応するかのように、着信があったことを知らせるランプがチカチカと点滅を繰り返していた。 ネイサンの口から噴き出した泡にもその点滅は映り込んでいたが、 やはりと言うか、なんと言うか、歪にひしゃげた光はグロテスク以外の何物でもなかった。 * 一方、アルフレッドたちが爆破テロの現場検証を行うその足元―――セントラルタワー地下に設けられたジョゼフの執務室では、 この部屋の持ち主であり件の事件で標的と目されていた新聞王が、 巨塔のセキュリティを統括する警備主任より被害の状況やジューダス・ローブが侵入したと疑われる経路の説明を受けていた。 その席にはジョゼフの孫娘にしてルナゲイト家の現当主や、彼女と浅からぬ関係にあるセフィも同席している。 肉親のマユはともかく、完全な部外者のセフィが機密情報の飛び交う席に列するなど 本来であれば許されないのだが、孫娘との交際からジョゼフにも知遇を得ており、 且つ、ジョゼフ当人が彼の冒険者としてのキャリア・力量へ一定の信頼を寄せている為、重要な参考人のひとりとして招聘されたのである。 何より彼はジューダス・ローブの襲撃に際してジョゼフ警護を務めた一員だ。 爆弾テロを間近で目にした彼の参画は、この席に於いて大いに有意義と言えるだろう。 アルフレッド一行とルナゲイト家首脳部とのパイプ役もセフィは期待されていた。 程なくして被害状況の説明を全て終えた警備主任は、 手で払うようなゼスチャーを見せたジョゼフに恭しく一礼すると自身の持ち場へと戻っていった。 警備の稚拙がジューダス・ローブの侵入を招いたことに間違いはなく、 セントラルタワーのセキュリティを預かる彼としては、その責をどのように問い詰められるか気が気ではなかった。 現に地下執務室のドアを押し開けるまでに相当に時間を費やした様子である。 入室を躊躇ってしまうほどにルナゲイト家の折檻は恐ろしいと言うことだ。 罷免やむなしとまで覚悟を決めた警備主任であったが、 思いの外ジョゼフは寛容で、彼に掛けられたのは痛罵ではなくいたわりの言葉であった。 額に汗しながら萎縮している警備主任に対し、「おぬしの普段からの働きぶりはワシが最もよく見知っておる。 あのような化け物が相手じゃ。不覚とは思うまいぞ。あの中で犠牲者が出なかったことは おぬしの功績として語り継がれるじゃろう」とジョゼフはその肩を優しく叩き、今後とも宜しく頼むと激励を送った。 望外のねぎらいを受けて感激したらしい警備主任の面持ちは、執務室を辞す頃には陰りのない晴れやかなものとなっており、 その双眸には熱い涙が溜め込まれていた。 入室の寸前にはゾンビさながらに生気が抜け落ちていたのだが、全く別人のような変貌ぶりである。 「あの警護主任は解雇しましょう。感情で動くようなタイプは駒としては欠陥です」 先ほどまで警備主任が立っていた空間に向かい、本人の不在を良いことに辛辣な痛罵が吐き捨てられた。 声の主は、ジョゼフと警備主任のやり取りを傍観していたセフィでも、ましてや新聞王本人でもない。 そもそも、だ。マキャベリストの如く辣腕を振るうことはあるものの、 さりとて本人がいなくなるのと同時に他者への気遣いを翻すような趣味の悪い腹芸をジョゼフは持ち合わせてはいない。 甚だ品格に欠ける発言をしたのは、マユの傍らに控える老齢の男性だった。 面に波打つ皺の数や色の褪せた白髪から察するに年の頃はジョゼフとさほど変わらないだろう。 矍鑠・剽悍なジョゼフとは対照的に好々爺を絵に描いたような面立ちをしており、 マッキントッシュクロスに身を包んだその風体は、達観した老紳士そのものと言えた。 ところが、口をついて出たのは他者を貶める下卑た罵声。お世辞にも紳士とは言い難い。 「部下はチェスの駒とでも言いたいのか? 相変わらず独創的じゃな、お前の発想は。 しかしな、それを人前で話すのはやめておくのじゃな。………ルナゲイトの名に泥を塗る真似だけはするでないぞ?」 「肝に銘じておくことね、アナトール。いくら理に適うこと言っても、いたずらに相手をかき乱すようでは無能と変わらないわ」 「これはこれは失礼を―――」 ジョゼフに一睨みされ、マユから諌めの言葉を申し渡された見掛け倒しの老紳士は、 自らの非礼を口先では謝罪して見せたが、しかし、前言を撤回する様子も、悪びれた素振りもなかった。 とりあえず頭は下げたものの、自分の発言にこそ理があると思っているようだ。 何故に失言だと責められたのか、その理由を彼が自らに問うことは永遠にあるまい。 マッキントッシュクロスに身を包んだ見掛け倒しの老紳士は、その名をアナトール・シャフナーと言う。 人の好さそうな面構えによって隠された本心はともかくとして、態度の上ではマユへ従順に突き従うこの男は、 多年に亘ってルナゲイト家に仕える執事である。 “多年に亘って”との説明通り、ルナゲイト家でのキャリアは他の誰よりも長い。 ジョゼフの代から彼の右腕として公私をサポートし、当主の座がマユに移ってからは彼女の後見人を兼務していた。 そもそもマユの教育係を務めたのもこのアナトールなのだ。 もとはルナゲイトの遠縁にあたる人物で、古めかしい言い方をするならば、“一門”と呼んで差し支えのない立場にあった。 「―――御言葉を返すようですが、役にも立たない駑馬を飼い続けていては、いずれルナゲイトの名に深い疵を付けるでしょう。 今、使い物にならない人間は、将来まで待っても同じこと。予想される害悪をあらかじめ除いてやることは、 我がルナゲイトの為にも、あの男の為にも良いのではありませんかな?」 「………………………」 またしても不躾な提言を吐くアナトールであったが、それもルナゲイトの一門と言う自負があったればこそ。 虎の威を借る狐ほど下衆な真似をしているようには見えないが、 何しろ老成した外見と中身の間に大きなギャップがあるアナトールだけに他所でどのようなことを仕出かしているか、 知れたものではなかった。 それ故か、はたまた別の理由があるのか、ジョゼフはアナトールが挙げた提案に対して全くの無反応を貫いている。 代々の当主に執事として仕えているアナトールは、つまりジョゼフからマユへとその盟主が変遷していったわけだ…が、 孫娘へと代替わりする過程に何か善からぬことがあったらしい。 年齢が近く、また遠縁とは言えども親類に違いのないジョゼフとアナトールが交誼を結ぶどころか、 お互いを牽制し合っている様には、余人には窺い知ることのできない業深い因縁が表れていた。 「………どう思う? この始末」 発言に対して誰からも反応が返されなかったアナトールを不憫に思ったらしいマユは、 「ルナゲイトの特権を忘れたのかしら? 駑馬を駿馬に変えられるのは、この地上に於いてルナゲイトだけではなくて?」と 彼の言葉尻に乗ろうとしたのだが、それを敏感に察したジョゼフは、機先を制する恰好で配下に話を振った。 アナトールから発せられる数々の暴言に対してマユが肯定にも近い態度を見せることが腑に落ちないジョゼフではあるが、 そのことを追及していても埒が開かず、また、こだわればこだわるほどに不快な思いをすることが予想できる。 ならばいっそ、場を支配する情報を一新してしまったほうが合理的と彼は判断したのだ。 「私の視界が及ぶ範囲に限って言えば、不審な動きをした人間は観客、出演者、スタッフのいずれにも見当たりませんでした。 主任の報告によれば爆弾は遠隔操作と時限式の併用。ともすれば、会場の外からスイッチを押したと考えるのが妥当でしょう。 ただし、この仮定を採るには一つ問題点があります。………スタジオ内部の状況をジューダス・ローブはどのように把握したのか。 小型カメラでも仕込んでスタジオ内の状況を視認していたと言うことなら説明もつきますが、 想定されるカメラも、またそれを隠しておく仕掛けも発見には至っていません」 「ふむ―――」 「となると、やはりスタジオの中に変装でもして紛れていたか――― 尤も、我々はジューダス・ローブとやらの姿を正確には掴めていませんから、変装以前の問題ですがね。 いずれにせよ、疑わしい動きを見せた人間は確認できませんでした」 「―――お前の“目”を以ってしても、か?」 「スタッフと観覧席に部下を何名か潜ませておきましたが、残念ながら………」 ジョゼフに問われて自身の推論を披露したのは、なんとラトク・崇(すう)である。 彼が担当する番組の収録中に爆弾テロは起きた。 警備に当たっていたアルフレッドたちとも違う位置・角度から一部始終を目撃した彼の証言は、成る程、重要にして貴重であろう。 とは言え、だ。新旧の新聞王が顔を合わせるほどの重要な席に一介のタレントが列するなど、 普通に考えれば有り得ない事態である。 マユとの関係があり、且つジョゼフに冒険者としての力量を見込まれたセフィとはまた事情が違う。立場も違う。 この場へ居合わすには不釣合いとしか言いようがなかった――― 「収録に参加した全ての人間の素性を洗い出しているところです。簡単に尻尾を掴ませるとは思いませんが………」 「さすが仕事が速い。何がしか手がかりが見つかれば御の字じゃ」 ―――そう、この場に居合わせるには不釣合いとしか言いようがない筈なのだが、 それは“タレントとしてのラトク”に限った話である。 子供向け番組で見せるようなデニムのツナギでも、報道番組で見せるワイシャツでもなく漆黒のシングルスーツで全身を固めたラトクは、 テレビで見せるような陽気な笑気とは似ても似つかぬ冷気を、中年相応の皺を刻む頬へと帯びている。 別人と見紛うばかりの風貌は、ただそれだけでタレントとは異なる立場でこの席に列していることを表していた。 黒服姿のラトクは、ジョゼフの背を守るようにして彼の後方に控えており、マユに従うアナトールとは立ち位置も含めて好対照であった。 「口では温情を掛けておきながら、裏では別の人間に調査を任せるとは、なんとも抜け目がない。 さすが新聞王殿は人の使い方を心得ておられる」などと皮肉を吐くアナトールへ向けた眼光は鉈のように鋭利で、 彼のことをテレビでしか知らない子どもたちが見たら間違いなく泣き出すだろう。 「セフィ、おぬしはどう見る?」 「そうですね―――」 アナトールの皮肉と、これを眼光一つで迎え撃つラトクを目端に捉えながらジョゼフはセフィに見解を求めた。 爆弾テロの当日、アルフレッドやヒューと共にジョゼフの警備に当たっていた彼の意見は、 ラトクのそれに勝るとも劣らぬ価値を有している。 「―――あくまで推理の世界ですが、ジューダス・ローブの狙いは最初からセントラルタワーの破壊がだったのではないでしょうか? 本当にジョゼフ様の命を狙っていたとするのなら、発見される可能性が高まるような派手なパフォーマンスをするとは思えません」 「殺害予告まで出しておきながら、か?」 「そこなんですよ。個人を暗殺するにはそれ相応のやり方と言うものがあります。 ジョゼフ様ひとりを狙ったと考えるには、今度の大騒動はどうにも合点が行きません。 人混みに紛れて暗殺を図るのなら、爆弾よりも狙撃を行ったほうが遙かに効率的です」 「爆弾で広範囲を破壊したほうが狙撃よりも仕留めやすいと判断したのではないか? 無差別攻撃にはなるが、一発の銃弾による“点の攻撃”よりも広い“面の攻撃”を試みた…とは?」 「ラトクさんの仰ることは尤もですが、タワーを崩落させれば、ジョゼフ様以外にも大勢の人間が巻き添えになります。 あくまで過去のデータに基づく判断ですが、ジューダス・ローブはこれまで大量殺人は行っていません。 暗殺の対象は正確に狙っていく。それがあのテロリストのやり方です」 「ならば、彼奴の目的は何なのじゃ? ワシを狙ったわけでもなければ大量虐殺でもない。 もとより狂っておるが、しかし、目的も無しにテロ行為を働く者でもあるまいて」 「今回、最大の被害を受けたのはテレビやラジオの収録に使う機材だと聴いています。 ………そこで思ったのですよ―――」 説明を続けつつ、セフィは警備主任から配布された書類を手に取った。 あくまで概算ではあるものの、そこには今回の爆弾テロによって被った損害の内訳が羅列されている。 「―――テロリズムには、暴力を以て行う意思表示の側面もあります。 カメラやミキサーと言った機材が徹底的に破壊されたと言うこの報告から推理を進めると………」 「自分の正体を探るつもりなら、次こそ命を取る―――警告、いや脅迫とでも申すのか? かのテロリストを追い求めるメディアはごまんとおるからのぉ」 「その見せしめにセントラルタワーを爆破したか。あるいは、これから行われるテロ行為が世間の目に触れないよう 先んじて機材を破壊しておいたか………」 「記録の妨害とでも申すのか? ………ますますもって理解に苦しむな、ジューダス・ローブとやらは」 セフィの見立ては、これまで出されたいずれの推論・報告とも方向を異にするものだった。 一部にはアルフレッドの立てた仮説に通じるものがあるが、彼の場合は結論を得ぬまま胸中に留めており、 爆弾テロの標的をジョゼフ以外に求めようと明言したのは、事実上はセフィが初めてである。 セフィの示した見識を熟慮に足るものと判断したジョゼフは、思考に耽るよう腕組みしたまま瞑目し、 刹那の後に再び双眸を開くと、今度は瞼を閉ざすことなくじっとセフィの顔を見つめ始めた。 閉ざしたはずの双眸が一瞬で開いてしまったのは、頭の中でシミュレートしていた推論に有力なものを発見した条件反射であろう。 人並み以上に長い前髪によって遮られたその奥―――おそらくマユ以外には 拝見する機会が絶無に等しいであろう双眸を探るかのようにジョゼフの視線はセフィの面を捉えて微動だにしない。 数分の間、無言の対峙が続いた。 隣に腰を下しているセフィと、正面に鎮座するジョゼフとを交互に見比べていたマユが勝ち誇ったような表情(かお)を作ったのは、 カウントを開始して三百秒が経過したときだった。 デモナイズされたマユの満面は、ただそこに立っているだけで十分に悪魔的かつ不気味なのだが、 感情に伴って顔の筋肉へ動きが加わると、その恐ろしさは数倍増しとなって見る者に襲い掛かってくる。 今しがた見せた勝ち誇るかのような表情(かお)も、マユ当人としては“喜”を表しているつもりなのだろうが、 エキセントリックな化粧のせいか、傍目には聖句を浴びて悶える悪魔の“苦”の歪みにしか見えなかった。 しかし、さすがは祖父、さすがは恋人と言ったところか。 ジョゼフもセフィも、マユがいかなる感情を満面に宿したのかは訝るまでもなく読み取れるらしい。 祖父に恋人自慢をしてどうする―――照れ臭そうに頬を掻くセフィを目端に捉えながらジョゼフは露骨に顔を顰めた。 エンディニオンの影の最高実力者とまで畏敬されるジョゼフを相手にセフィが驚愕の仮説を示し、 この恐るべき新聞王と一対一で渡り合ったことがマユにとっては嬉しかったようだ。 ジョゼフにしてみれば、孫娘の色恋を目の当たりにするのは気分が良いものとは言い難い。 「そう言うことは、せめてふたりきりのときにやらぬか!」 苦いと評判の良薬をどうしても飲み干せずにたまらず吐き出してしまったような、そんなジョゼフの様子に一同から微笑が漏れる。 過剰に張り詰めていた場の空気がひとまずは元の状態へと戻った。 「いっそフツノミタマを使ってはいかがでしょうか? 今はライアンとか言う若造に同行しているようですが、 ジョゼフ様から直々に依頼を出せば、ジューダス・ローブへの”仕事”に動くでしょう」 ここで新たな波風を立て、丸く収まりかけていた流れを台無しにしたのがアナトールである。 自分の意見が採用されないことをわかっていないのか、 あるいは進行の妨害となることをわかっていながら愉快犯的に場を乱しているのか、またしても素っ頓狂なことを言い始めたのだ。 それは、フツノミタマにジューダス・ローブ抹殺を依頼すると言うものであった。 毒をもって毒を制すと切り出したアナトールは、ジョゼフの警備にも携わったフツノミタマのこと、 アルフレッドとの間で起こした諍いと同様に上手く焚きつけてやれば、自ら進んでジューダス・ローブへの“仕事”を行うだろうと提言した。 マユが資料を回したのか、彼の耳にもアルフレッド一行の動向は入っているようだ。 些か乱暴ではあるものの、裏社会の仕事人であるフツノミタマをジューダス・ローブの始末に充てると言う方策には 全く理がないわけでもない。 引き受けるか否かはフツノミタマの判断次第となるが、仕事人への依頼と言う点では、裏社会のルールにも則っている。 「バカを申すな。ワシに裏の殺し屋を雇えと言うのか? そのような理非を働いたと商売敵に知れてみよ。 ルナゲイトは一巻のおしまいじゃぞ」 だが、アナトールの提案に対してジョゼフは露骨に拒否反応を示した。 当然であろう。いくら相手が世界的なテロリストだとは言え、新聞王とも言われる男が裏社会の仕事人を差し向ければ、 それだけで世情を揺るがす一大醜聞となりかねない。 「命惜しさに道を踏み外した」、「資産を攻撃されたことへの報復だ」などと誹謗の的にされることだろう。 「何をそう目くじらを立てるのですか? 何事も秘密裏に行えば宜しいではないですか。 今まで通りのことですよ。我々も汚れを知らない身ではありませんわ」 それとなくマユが仲裁を試みたものの、アナトールへの憤激に取り憑かれているジョゼフには、孫娘の声は届いてはいなかった。 仮にマユの言っている意味を理解したのなら、たちまち大爆発を起こしただろう。 「お嬢様の仰る通りですな。そもそもあなた様は仕事人たちの―――」 「―――口が過ぎるぞ、アナトールッ!」 何事か言いかけたアナトールを、ジョゼフの怒号が遮った。 この小柄な老人のどこから発せられたのかわからないような、大きな、本当に大きな怒号であった。 肝心のアナトールの言葉が途絶されてしまった為に委細までは判りかねるものの、 それがジョゼフにとって触れてはならないタブーだったことは、張り上げられた大音声からも明かであろう。 血走った目でアナトールを睨み据えるジョゼフの様子から“大嵐”の訪れを予感したラトクは、 呆れたように首を竦めるマユへ一礼し、そのまま物言わずに執務室を辞した。 次いでマユはセフィにアイコンタクトを送った。 前髪に隠された双眸でもって彼女の意図を受け止めたセフィは、微かに頷いて了承の旨を返し、 先に執務室から退去――と言うよりも退避と言うべきか――していたラトクの後を追った。 セフィがドアを閉めた瞬間、地下執務室は“暴風域”に入るのだろう。 * 地下執務室を出て少し歩いたところでセフィはラトクの背中に追いついた。 と言うよりもラトクのほうがわざと歩調を緩め、セフィが追いついてくるのを待っていたようだ。 ジョゼフの執務室から地上との行き来を行うエレベーターまでは十メートルばかり歩かなければならない。 このフロアだけでも情報収集に用いるコンピューターが百台近く設置されており、 機械の隙間を縫うようにしてジョゼフ直轄のスタッフたちが慌しく動き回っていた。 利便性を考慮したのか、はたまた構造上の都合なのか、 ふたりの目指しているエレベーターは、各部屋から丁度中間の地点に設置されている。 地上へ上がるエレベーターまでの回廊を世間話を交えながら進むセフィとラトクであったが、 別段親しい仲でもない為、極端に会話が弾むようなことはなく、 新聞記事やニュース放送など幾つか話題を出し合ううちに自然と先ほどの件へと互いの興味も移っていった。 「―――アナトールのジジィじゃねぇけどよ、ご隠居も性格が悪ィよな。 口では偉そうなことを言うクセに、誰よりも周りの人間を信用してねーのはご隠居本人っつーんだからよ」 「はあ………」 話題がジョゼフやアナトールへ及ぶ頃には、ラトクの態度は先ほどよりも数段砕けたものになっていた。 依然として陰気な空気は纏わりついているものの、盟主たる筈の新聞王を“ご隠居”と呼んで軽々に扱うなど 口調もかなり崩れてきている。 先ほどまではカッチリと締められていたネクタイも、今では首に一本の紐がぶら下がっているだけの状態と化していた。 タレントとしての顔でもなければ、ジョゼフの前で見せるような厳しい面構えでもない。 おそらくはこれが素のラトクなのだろう。 万華鏡さながらの百面相を見せるラトクには、さしものセフィもどう反応したら良いのか判らず、 あまつさえ距離感をも測りかねた挙句、曖昧な相槌を打つくらいのことしかできなくなってしまっていた。 これがローガンやヒューであったなら、戸惑う相手へフランクに呼びかけていいと促すところだが、 深い付き合いを求めているわけでもない様子のラトクは、セフィの困り顔など見向きもせず手前勝手に話を進めていく。 「ジューダス・ローブから殺害予告が届いた日から内偵を命じられてなぁ。 たまったもんじゃねぇよ。オレだって番組幾つも抱えてんだからよ。………なあ、ご隠居、オレになんつったと思うよ? 『お前のトラウムを以ってすれば容易いことじゃろう』だってさ」 「それは私だって同じことを思いましたよ。あなたのトラウムは内偵向きではないですか」 「あんたさんは素直にホメてくれるけど、あのジジィの場合は違うからね。 あれはホメてんじゃなくて、四の五の言わずにやれっつー命令だよ。 言葉って怖ぇな。ニュアンスとかイントネーションだけで全然意味変わっちゃうんだから」 ラトクの備えたトラウムが如何なる性質のものかをセフィは既に知っているようだ。 なにしろ、だ。困惑を抱えたまま宙ぶらりんな気持ちでいたセフィをも瞬間的に話題へ引き付けられるほどのトラウムである。 ラトクの隠し玉は、これを知る人間にとって相当な脅威と思えるものらしい。 「内偵っつったら、テムグ・テングリ群狼領の密偵も何人か入り込んでやがったな」 「………ほう?」 「ジューダス・ローブにご隠居が殺られたら、その混乱を狙ってルナゲイトに本土決戦でも挑むつもりだったんじゃねーのか。 抜け目がないっつーか、盗人猛々しいっつーか。あの馬賊もやることがセコいよな」 おそらくはテムグ・テングリの軍師格であるデュガリかブンカンあたりの差し金であろうとセフィは予想をつけた。 あのエルンストが小手先の策を弄する様など想像も出来ないし、ましてカジャムが彼の望まぬことを率先して行うとは思えなかった。 しかしながらエンディニオンの武力統一を目指すテムグ・テングリ群狼領にとって、 その最大の壁となるであろうジョゼフ・ルナゲイトへの暗殺予告は、注目すべきトップトピックであることに変わりはない。 セコいの一言で片付けてしまっては身も蓋もないが、事態(こと)の成り行きを的確に把握し、 状況によってラトクの言うような行動へ移る為にもセントラルタワー内部の調査は必要不可欠なのである。 如何せん結果は悲惨なものとなったらしく、発見した密偵にどう対処したのかを尋ねたセフィへラトクは胸のあたりで十字を切り、 これを以って答えに替えた。 「アナトールのジジィも油断がならねーんだぜ? あのジジィ、セントラルタワーの見取り図やら何やらを勝手に持ち出して 外部の人間に売り飛ばしてやがるからよ」 「それは完全にアウトではありませんか?」 「アウトどころの話じゃねーよ。それ一発で人生にリタイアだぜ」 小銭を稼ぐ為か、それとも売りつけた先の組織にジョゼフの命を狙うよう煽ったのかは判然としないものの、 如何にも見掛け倒しの老紳士がやりそうなことではある。 だが、そこまで裏切り行為の実態を掴んでいるにも関わらず、ジョゼフからは何の処断を下されていない。 今までの態度を省みる限り、アナトールを排除する口実を狙いこそすれ見逃してやるとは到底思えない。 「………ま、人生なんてもんは持ちつ持たれつだからよ」 セフィの疑念を察したラトクは、胸ポケットから取り出した100ディプロ硬貨を親指で以って中空へと跳ね上げ、 これを器用にも別の手でもってキャッチして見せた。 回りくどい暗喩ではあるものの、どうして裏切り行為を働いたアナトールが今ものうのうと横柄な態度を続けていられるのか、 その理由を硬貨一枚から感じ取ったセフィは、あの男をマユの執事にしておくのは危険ではないかと改めて考えさせられた。 危険なのはアナトールだけではない。この男…ラトクとて容易く心を許すわけに行かない食わせ者である。 それにジョゼフもジョゼフだ。陰で他者を貶めるような腹芸を持ち合わせてはいなかった様子だが、 しかし、聖人君子を気取ったまま情報戦争の世界で財を成すことなど出来るわけもなく、 密偵を放って秘密裏に内部調査を進めるなどの“実力行使”も場合によっては断行されてきたのだ。 今ここにルナゲイトと言う栄華の深淵を垣間見た心持ちのセフィは、 悪びれもせず「何事も“予防”が大切ってコトさ」などと言っておどけるラトクへ苦笑いを浮かべるしかなかった。 マユともジョゼフとも親しいセフィだけに、ルナゲイトの体質へ物言いをつけることも出来まい。 「キミも“予防”には気をつけることだ。どこでどんなメに遭わされるか、わかったもんじゃねーからよ」 エレベーターの乗り場へ辿り着いたタイミングでラトクが発したその言葉は、セフィの満面に浮かんでいた笑気を全く霧散させた。 笑気の失せた頬には、代わりに殺気が宿りつつある。頬から視線を横に滑らせれば、 そこには真一文字に結ばれたまま糸で縫いつけられたかのような、深い沈黙の様相が認められる。 ―――“予防”。この二文字をラトクが口にした瞬間にセフィの表情が豹変した。 意図を掴みかねるのだが、ラトクも“予防”の二文字にだけ心なしかアクセントをつけていた気がする。 地上からエレベーターが到着し、鉄製のドアが重低な音を立てながら開かれた。 フロアの喧騒とは裏腹に地上と地下の行き来は頻繁にはないのか、中には誰ひとりとして乗っていない。 無人のボックスが、大口を広げてふたりが入ってくるのを今や遅しと待ち侘びていた。 「ん? どーした? 乗るんだろ?」 「………………………」 ラトクから少しだけ遅れてエレベーターに乗り込んだセフィは、仲間たちが待つ控え室のフロアを選択した。 ラトクのほうは一先ずスタジオへ戻るらしい。現場百篇と言うことではないが、自分なりに現場検証を行い、 そこからジューダス・ローブ特定に結び付けていくそうだ。 ………誰に訊かれたわけでもないのにペラペラと説明をし続けるラトクに対し、セフィは押し黙ったまま一言も発したりしない。 「やっぱエレベーターは苦手だ。この中ってさ、すっげぇ乾燥してるよな。喉やられちまうよ」 そう言いながら、どこか芝居がかった咳をするラトクへ「どうぞ使ってください」とセフィは自分のハンカチを差し出した。 何の変哲もないただの布切れだ…が、どう言うわけか、その内側からは紙と紙が擦れ合うような乾いた音が聞こえてくるではないか。 受け取ったラトクがそっと覗いてみれば、二つ折りにされた薄い紙を布切れの中に見つけることができた。 表面の紋様からそれが小切手であると気付いたラトクは、器用にも布切れの内側で折り目を広げると、 記入されてある額面へと視線を走らせた。 手品のような細工を施して見せたセフィだが、記入されているのもまた魔法のような桁数である。 羅列された零の数からして異常であり、少なくとも一介の冒険者がポンと出せる金額ではなかった。 実に怪しい小切手だが、指折り数え始めると片手で足りなくなるような零の羅列で骨抜きにされたラトクには 金の出所など問題にならないらしく、これについてセフィが追及を受けることもなかった。 「あんたさんも“予防”はカンペキみたいだな。それなら風邪だって引かないだろうね」 だらしなく口元を歪めながら手渡されたハンカチをポケットに仕舞ったラトクは、ちょうど開いたドアの向こうへと足取り軽く去っていった。 「………どこにでも湧くものですね、寄生虫は………」 再び閉ざされた鉄のドアに向かってセフィは不快感を隠そうともせずに吐き捨てたが、 しかし、人に掴ませる為の小切手を何時でも出せるよう仕込んである彼も聖人君子とは異なる世界の住人のような気がしてならない。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |