4.いつか見た『黒書』

 道中の和やかなやり取り(ごく一部に殺伐とした空気はあったが)が事件続きで疲れていた身心を癒し、
一行はすこぶるリラックスした状態で調査場所へと到着出来たのだが、それもほんの一時のこと。
指定された場所へと到着した途端、皆の表情は一瞬にして強張った。
 荒野の真っ只中にぽつねんと佇むその場所は、荒涼とした周辺の景色とはあまりにも馴染まず、
まるでピザのトッピングにサラミやチーズでなくショートケーキの材料を用いているかのような違和を見る者に感じさせるのだ。

 そもそも一般の建造物とは、周辺の地形や住人と何らかの因果関係――例えばそう、周りの景色と馴染む景観や
近隣する村落との統合などが挙げられる――があって然りなのだ…が、かの場所についてはそれが全く感じられない。
 砂混じりの風が吹く荒野へ唐突に真っ白な建物が現れるのだから、その不自然さは相当なものだった。
 真新しいフェンスによって人の出入りが妨げられているのが好奇の目を引くものの、
それ以外はまるで規模の大きな病院施設のようである。
 余すところ無く真っ白な塗装の施された外壁は病院特有の清潔感で満たされ、
エントランスホールへ続くものと思しき正面玄関の真上には、生命の循環を表す聖蛇を象ったレリーフが飾られていた。

 相当に高名な建築家が手掛けたものだろうか。例えば天井やロビーへ大胆にも大きなガラスを張り、
これによって太陽光を院内へ照射するデザインとなっている。とても凡庸な人間には想像の及ばない斬新な発想ではないか。
 正面玄関のアーチ一つを取ってもただただ高尚なる芸術性に見蕩れ、嘆息してしまう。
 エンディニオンに住まう全ての生命の故郷とされる地底の秘境“原初の海”の顕現を試みたかのように
穏やかでいて強い活力の迸りを感じさせる波を描いたアーチは、病院施設のホスピタリティとして最良の造りであった。
 玄関に敷き詰められたタイルには猿から人へと順々に進化していく過程が刻まれており、見た目にも楽しませてくれる。
 今日のエンディニオンでは様々な“進化論”が飛び交っている為、
人類の祖先を猿と仮説する学派以外の人間がこのタイルを目にしたら気分を害するのではないかと
他人事ながらアルフレッドは心配になったのだが、そこまで細かいことを気にしているのは彼くらいのようだ。

 フィーナやマリスたち女性陣は美しくも荘厳な佇まいを見せるこの施設のデザインに魅入られ、
シェインやセフィと言った男性陣も興味津々と言った面持ちであちこちを見て回っていた。
 無機質な網目で囲まれている為、折角の美麗もフェンス越しにしか拝めないものの、
それでもこの施設のコンセプトであるだろう“斬新でいてアヴァンギャルドと言うほどではないデザイン”の迫力は十二分に伝わってくる。
 見る人に驚きを与えこそすれ決して不愉快にさせないことへこだわり抜かれたデザインは、
神の所業と称賛するに価する領域…いや、完全なる芸術であった。

 ………問題はここである。神の所業にして完全なる芸術が、どうして荒野のど真ん中に、しかも単体で砂風に晒されているのか。
 もし、ルナゲイトのような大都市の中に収まっていれば景観・機能の両面でしっくり来るものだが、
このような恰好で荒野に佇むなど不自然と言うよりも、最早、不気味である。
 実際、一夜明けたらいきなり太陽の射光を遮る程の大きな建造物が姿を表していたのだから、
エヴェリンの住人には不気味以外の何物でもあるまい。
 フェイの事前調査によって神の手を持つ建築家がエヴェリン出身でないことも既に分かっている。
 人智を超えた天才が一夜にして、それも誰にも気付かれない内にこの芸術を完成させてフラリといずこかへ去ったと言う可能性も
強引にねじ込めはするが、それは余りにひねくれた予測と言うものだ。

「………………………」
「またアル兄ィは難しい顔してるねぇ。理屈ばっかで疲れないの?」
「誰もがお前たちのような野次馬根性を持っていると思うな。対岸の火事で済む話ではないんだぞ。
原因のわからない超常現象が目の前で起き、それに対処するべく渦中へ臨むんだ。
あらゆる可能性をシミュレートしていれば、自然、険しい表情(かお)にもなる」
「だーかーらーっ! 冒険にそーゆー理屈はいらないって言ってんの! お楽しみなんだよ、冒険ってのはさ!」
「本当に一端の冒険者になりたいなら、警戒心や危機管理能力を養え、シェイン。
お前はそうやって理屈を蔑ろにするが、やる気一つで切り抜けられる危険は少ないぞ。
楽しいと言うだけで突っ走っていたんじゃ、冒険者ではなくただの無鉄砲だ」
「無鉄砲上等! お楽しみってのを心の底から楽しめるファンキーで楽しいヤツが
膝抱えて楽しまないでいたんじゃ、世の中に冒険の楽しさってのを広められないじゃん! これぞ冒険者の五大原則ゥッ!!」
「たった今、作ったくせにさも昔から定められていたような言い方するな。誇大広告も甚だしい。
大体、何なんだ、そのデタラメな五段活用は?」
「え? もっかい聞きたい? ―――これぞ冒険者の五大原則ゥッ!!」
「………もういい。水掛け論になるのがオチだ。何でも好きに放言していろ」

 この場合、シェインの言い分よりもアルフレッドが抱いた常識的な範疇の疑念のほうが優先されるだろう。
 人智を超える事態に直面したとき、大なり小なり狼狽し、過去に見聞してきた常識に混乱を収拾する答えを求めるのが
人間と言う生き物なのだ。
 世界の九割九分を占める凡庸なる人々は、まさしくこの法則に従って生きているのである。

「まだまだ影の付け方が甘いのぅ。それでは太陽光を生かすと言う建物の特徴が伝わり切らんぞい。
興奮させるのじゃ! 記者たる者、読者の興味をビンビンに興奮させてナンボじゃて!
記事も記事でただあるがままを書けばよいと言うものではないぞ。
お主のジャーナリストの端くれならばわかっておろうがの、真実と脚色を高い次元で融合させるのが
万人を唸らすコツじゃ。真実の列挙ではルポにもならぬ。それはただの感想文じゃ。
事実を捻じ曲げぬ範疇の脚色をどう書き記すか、この見極めじゃな、要は」
「おすっ! どもサンクスですっ! バシバシご指導ご鞭撻をよろしくですっ!
てか、師匠と呼びたい! 呼ばせてください! お願いします、新聞王サマっ!」
「かっかっか―――その意気やよし! ホレ、ベストショットを取り逃してはならぬぞ。
雲間から差し込む光と窓ガラスのデザインは相性が抜群なること、神域の如くじゃ」
「らじゃりっす!」

 こんな連中は例外中の例外で、むしろ常識を外れた部類に入る為、無視してしまって構わない。

「お、おい…ニコちゃんよぉ、俺サマたち、夢でも視てんのか?
それともあんまり地元が恋しくて幻覚が出て来るよ〜になっちまったのか!?
ちょっと待った、ちょっと待った! それは待ってくれよ! ホームシックなんざガラじゃねーってよ!
なんだよ、この辺! ここいらの風景! ………まんまフィガス・テクナーじゃねーかッ!」
「肝心の大都市は見つからねーけどな。ただ――――――」

 もっと驚いたのはニコラスを始めとするアルバトロス・カンパニーの面々だ。
「よ、若年銀製総差し歯」と冗談で呼びかけ、その制裁としてアルフレッドに顔面を変形させられたダイナソーが
呻きとも取れる声で口走ったように、調査場所周辺の地形がフィガス・テクナー周辺のそれとそっくり同じだと言うのである。
 彼らが帰り着く日を待望するフィガス・テクナーと、だ。

 オールド・ブラック・ジョーに揺られる道中にもニコラスたちは流れゆく風景に奇妙なデジャブを覚えていたそうだが、
誰もが目の錯覚と自己解決し、表立っては口にしていなかった。
 テレビ出演までして呼びかけても手がかり一つ掴めなかったフィガス・テクナーへの道がまさか偶然からもたらされるワケがない。
そんな幸運などあってたまるか―――重ねに重ねた苦労が知らず内にニコラスたちの神経を偏屈へと捻じ曲げていたようだ。

 だからこそ、彼らは激しい戸惑いに揺さぶられた。
 腫れ上がってまともに言葉も紡げないダイナソーの意を翻訳してやったトキハの声など
生まれたての小鹿の起立かと思えるくらい震えていた。
 単に周辺の野山が酷似していただけならここまで動揺することも無かったであろう。
 しかし、調査場所として指定されたこの建造物が決定的な衝撃となり、ついにアルバトロス・カンパニーを打ちのめしたのだ。

「――――――リーヴル・ノワールだけはしっかりありやがる。一体全体、どうなっちまったんだ………?」
「アイル、あンたがあたしらンとこに迷い込むまでに新しい“神隠し”の情報を訊いたかい?
リーヴル・ノワールがどっかへ飛ンじまったとか、そーゆー類ンのをさ!」
「小生がフィガス・テクナーで最後に訊いたのは、テロリストどもの基地が“陽之元”の一軍に壊滅させられたと言うニュースだ。
正確にはこの辺りを走行している最中のラジオでな。折角の機会だと言うのに常日頃よりの恩を返せないどころか、
何の力にもなれぬ自分の無力を悔やむばかりだ」

 リーヴル・ノワール―――ニコラスは目の前に現れた謎の建造物にそう呼びかけていた。
 ニコラスだけではない。彼に釣られるようにしてアイルもディアナもその名称を復唱した。

「あ、えっと………このリーヴル・ノワールと言うのは、僕らの本社があるにフィガス・テクナーに隣接していた廃墟なんですよ。
隣接って言うよりも郊外に廃棄されてたって言うのが正しいのかな。外壁とか新品みたいに見えますが、築数十年は経ってますよ、全部。
その辺は不思議な素材なのかも知れないってオカルト好きの間じゃもっぱらのウワサです」

 説明を求めるよう目配せしたアルフレッドに応じて驚嘆の原因を語るトキハだったが、
どうしても興奮が先に走ってしまうらしく、激しい動悸を抑えるように左胸へ手を当てながら喋っていても、
その目は右へ左へと忙しなく泳いでいる。
 トキハが説明するところに寄れば、彼らがリーヴル・ノワールと呼んだこの建造物は
もともとフィガス・テクナー郊外に打ち棄てられていた廃墟らしく、
狂気に取り付かれた科学者が良からぬ研究をしていたと言う曰く付きの場所であった。
 正当な所有者もわからず、長年、放置されていたのだが、最近になってフィガス・テクナーの商工会が
安全対策としてフェンスを張り巡らし、立ち入りを厳重に禁じたばかりだと言う。
 尤も、物理的に隔絶せずとも心理的な恐怖が先立ち、フェンスが張られる前から誰も近寄ろうとせず、
フィガス・テクナー市民の安全対策を掲げたハズの商工会のスタッフとて内部に立ち入って調査することは無かった…と
トキハは付け加えた。

 すぐさま調べに走ったダイナソーの見立てでは、フェイが調査場所に指定したこの建造物を囲うフェンスも錠前も、
フィガス・テクナーの商工会が施したものに間違いなかった。
 安全対策のフェンスが張り巡らされたその夜、ダイナソーは度胸試しにとリーヴル・ノワールへ忍び込み、
入り口付近の壁に「プログレッシブ・ダイナソーここに推参!」とペイントしていたのだが、
その落書きも一字一句欠けることなく残っていた。
 「度胸試しとは片腹痛い。内部へ潜入することなく逃げ出してきただけではないか」と冷たく突き放すアイルや
「プログレッシブ・ダイナソーだなンてデタラメな名前書かれても誰もわかンないねぇ。
あンたはサム・デーヴィス。それ以外の何者でも無いよ」と笑うディアナの話は余談の域だが、
それはともかく、この場所はアルバトロス・カンパニーの良く見知ったリーヴル・ノワールであることが
ダイナソーの調査と落書きによって断定できた。

 ………断定出来てしまったから、現場は混乱に陥ったのだ。
 フィガス・テクナーに縁のある建造物は発見できたものの、そこに隣接しているハズの当の都市は見る影も無い。
 周囲の地形も見覚えはあるが、ニコラスたちが知る限りではこの一帯は化学工場の用地として開発されていたし、
何より異なるのは、フィガス・テクナーの周辺は見渡す限りの荒野ではなく草木が群生していた点だ。
 “死にかけた大地”と呼ぶに相応しい罅割れた荒野とはまるで彩りが違っていた。
 それに、だ。現在、目の前に在るリーヴル・ノワールには、フィガス・テクナーの代わりにエヴェリンなる小村が隣接している。
フェイに調査を懇願した小村が。
 ニコラスの記憶違いでなければ、エヴェリンがある一帯こそ開発の手が入っていない地域だったハズだ。

 こうした幾つもの違和感が地形の酷似を単なる偶然としてアルバトロス・カンパニーに納得させ、見極めを鈍らせていたのだが、
リーヴル・ノワールを確認したことでニコラスたちの胸には、今、とある一つの希望が灯っていた。



  自分たちは知らず知らずの内にフィガス・テクナーへ帰っていたのかも知れない―――と。



「ディアナ姐さんが言うには“神隠し”はヒトや建物を問わずに発生していた………。まさか、この現象にも何か関係があるのか………?」
「お前たちのいない間にフィガス・テクナーが“神隠し”に遭ったと言いたいのか? 
まだこの場所がフィガス・テクナーの跡地と決まったわけじゃないんだぞ。
言い方が悪くてすまないが、周りの気色が似ているからと言って呑気に構えるな。手痛いしっぺ返しはお互いに避けたいはずだ」
「言ってくれるよなぁ、アルは。………オレたちの苦労はお前だって知ってるだろ?」
「最初期からこの件に付き合っているんだ。それは十分にわかっているつもりだよ。
だが、希望を持つことと楽観的になることは違う。バンザイするのは楽観できるだけの根拠を得てからにしたほうが良いと思うんだ。
………上手い言い方が浮ばなかったのは謝りたいが………」
「あ…い、いや、親身になってくれるのはありがたいって。マジで助かってるしよ。
でも、そこまでアルが思い詰める必要はねぇんじゃねーか?」
「思い詰めもする。友人の悲願が叶うか否かの瀬戸際で張り切らない人間がいるものか」
「お前は―――………ったく、とことん不器用なのか、それとも恥ずかしいヤツなのか、わかんねぇぜ。
………そこまで言って貰えて、嬉しいけどさ」

 ニコラスたちの喜びへ水を差すのは大変に心苦しいのだが、
エヴェリンの存在や開発された場所とやらが見当たらないことに説明がつかない以上、
ここをフィガス・テクナーの在った場所だと認めるのはあまりに楽観的であるとアルフレッドは考えていた。
 彼らが道中に感じたと言うデジャブについてもアルフレッドは懐疑的だった。
なにしろこの場所はルナゲイトからそう遠く離れてはいないのだ。それなのにニコラスもダイナソーも、
アルバトロス・カンパニーの面々はルナゲイトと言う大都市の名前を聴いたことも無かったと口を揃えて話していた。
 その点を尋ねられたニコラスの返答は「色々と考えたさ、オレだって。
この場所からルナゲイトって町までの道のりとか頭ん中にある地図と当てはめてみたけどよ、
オレたちの知る限り、あの辺りは更地だったんだ。大都市なんて想像もしねぇよ」。

(極めて酷似する地形については希望も抱けるが、似て非なる場所と言う可能性は捨てきれない。
サムの書いた落書きは確かに信憑性の高い材料だが、それだけで判断するのは詰めが甘いな)

 少なくともアルフレッドにはこの場所をフィガス・テクナーと断定できるだけの条件は見つけられない。
見つけられない以上は裏が取れるまで調査しなくてはなるまい。
 アルバトロス・カンパニーに有益な情報をもたらしてやりたいと思えばこそ、安易な判断は慎むべきなのだ。

「………その手がかりがリーヴル・ノワールにあるかも知れないってワケだな」
「そうだ。思わぬ成り行きになったが、元から今回の調査に賭けていたからな、俺は。より一層、気合いを入れて調べに当たるとしよう」


 決意を秘めた面持ちで頷き合うアルフレッドやニコラスとは真逆に暗澹たる佇まいで肩を落としているのは、
彼らを合流場所で迎え入れたケロイド・ジュースだ。
 気合い十分でやって来たアルフレッドを交え、調査の打ち合わせを始めたフェイの傍らで
参加者たちの喧騒に耳を傾けていたケロイド・ジュースは、時間を経るにつれて続々と増え続ける参加者の総勢を指折り数えながら、
そのあまりの多さに思わず呻いて閉口してしまっていた。

 相変わらず深く被ったフードで顔を隠している為、その表情までは判然としないものの、
両手で頭を抱えつつ、身体を大きく反らしながら「………ケロちゃん、ショック………!」と絶叫するあたり、
よほどショッキングな災難が彼を襲ったのだろう。それだけは推察できた。
 心配したシェインが「ケロちゃん、何かあったん? ボクで良かったら力になるぜ?」と話し掛けても
ヘッドバッティングするかのように上体を激しく揺らして懊悩を体言するばかり。
 取り付く島も無いほどの悩みをケロイド・ジュースは抱えているようだ。

「………コイツらの分まで………ギャラを………払わねば………いかんのか………」

 ………そして、シェインの問いかけに対する答えが、この呟きに集約されていた。
 リーヴル・ノワールの調査はアルフレッドたちへの正式な依頼であり、また、大きな危険が予想される仕事でもある為、
苦労に見合った報酬を支払う予定を立てていた…のだが、
アルバトロス・カンパニーを含めてもせいぜい十名前後だろうと高を括っていたところ、
いつの間にか見知らぬ顔が増えており、最初に算段を立てていた額面では全く足りないように思えたのだ。
 足りないどころか、参加者全員に報酬を支払っていけば、まず大赤字は免れないだろう。
 つまるところ、ケロイド・ジュースは調査費用が思いがけず大幅な超過を見ることに悶々としていたわけである。

 サラリーマンのように定期的な給与が得られるわけではない冒険者にとって、
遺跡などの調査にかかる費用をしっかりと管理し、財布の紐を固くしておくのも重要な心得だ。
 種銭や出費を最小限に抑えて身入りある仕事をこなす―――職業としての冒険者を成り立たせるにはこの見極めが何よりも求められる。
ベテランの冒険者ほど潤沢な財産を備えている背景には、キャリアに応じた高額報酬の依頼が舞い込むこと以外にも
こうした原理が働いていた。
 依頼を達成する為に使った費用が報酬額を上回ってしまい、
骨折り損のくたびれ儲けになるケースがケロイド・ジュースの懊悩を言い表す好例だろう。

 とは言え、もんどり打って転げ回るほどのアクシデントでも無いのだが、
なにしろケロイド・ジュースは行動の一つ一つがリアクション芸人もかくやと思わせるほど大袈裟。
今回も今回でベテラン冒険者にあるまじき失態を全身全霊で演じているのだ。
 昨日今日に始まったことではないオーバーアクションには周りの人間もすっかり慣れきっており、
初めて目の当たりにするセフィやヒューが例外として目を丸くするものの、
チームメイトであるフェイやソニエはリアクション芸を完全に黙殺し、
一番近くでケロイド・ジュースに付き合っているシェインに至っては動揺を見せるどころか、
「ま〜た始まった」と呆れることすらしなかった。
 フツノミタマの怒鳴り声と同様にケロイド・ジュースのオーバーアクションも既に常態化している為、
いちいち反応を示すまでもないと周りの人間も心得ているのだ。
無反応を貫いていれば、その内に、彼も虚しくなって自分から止めるだろう、と。

「お金の話なら私は最初から受け取るつもりはないわよ。手伝いの手伝いで来ただけだもの。
久しぶりにフィーの元気な顔を見れたことが一番の報酬だわ」

 熱血と言う表現がこれ以上ないくらい似合う勇ましい声がケロイド・ジュースの耳を打ったのは、
誰からも反応を返して貰えず、寂しくなってオーバーアクションを中断した直後のことだった。

「それにこの不可思議な現象、エヴェリンの住人の心へ不安と言う名の波紋を落としているのでしょう?
正義を貫く者として、これを看過するわけには行かないわね!
そう! あたしは正義の為にしか動かない! 正義の道を全うすることこそが、財宝に勝る報酬なのよ!」
「さすがお姉様ですっ! その生き方に痺れます! 憧れちゃいます!」

 正義を連呼する時点で語るに落ちていると言うか、出オチと言うか―――
熱血な声の主は、フェイに勝るとも劣らぬヒーローとして名高く、また、フィーナの魂の師匠とも言うべきハーヴェストその人だ。
 それまで関わっていた依頼が一段落し、次の仕事を求めてルナゲイトへ向かっていたところにフィーナからメールを貰い、
妹分を手助けするべく駆けつけたと言う。
 最初は可愛い妹分をサポートしてやる程度にしか考えていなかったのだが、
フェイの説明を聴くにつれてエヴェリンの不安を駆り立てるリーヴル・ノワールへ正義の怒りがこみ上げてきたらしく、
今ではアルフレッドやアルバトロス・カンパニー以上に調査への意欲を見せていた。

 相変わらずの暑苦しさは鬱陶しいものの、上手く泳がせばハーヴェストは絶好の露払いになってくれる。
なにしろ今回の調査は、近隣住民の安全確保も名目の一つに数えられているのだ。
 弱者の味方たらんとするハーヴェストを“正義”の題目で焚き付けてやれば、
我先にクリッターの群れへと突っ込み、自分たちが戦う手間を省いてくれるに違いない。
 「ナントカとハサミは使いようだな…」と腹黒い薄ら笑いを浮かべるアルフレッドを見咎めたフィーナは、
彼の邪悪な思惑を戒めるようにその脇腹へ肘鉄を食らわせた。

「よう言うたで、ハーヴ! それでこそワイの自慢の幼馴染みや! 金で買えんもんもこの世にゃぎょ〜さんあるもんや。
そいつを教えまくったれや!」

 ―――と、そこへいきなりローガンが割り込んできたものだから、アルフレッドもフィーナも面食らってしまった。
 乱入してくるなり無遠慮にハーヴェストの肩へと腕を回したローガンは、
ポカンと口を開け広げたまま硬直しているアルフレッドたちに彼女を自分の幼馴染みだと紹介した。

「幼馴染みって………お前とコールレインが、か?」
「せやせや、他に誰がおるっちゅうねん! ワイとハーヴはな、タイガーバズーカっちゅうトコの生まれなんや!
聞いたことあるやろ? 笑顔と食い倒れの町っちゅ〜の。
ほんでお家はお隣同士。通った幼稚園も一緒。おまけに生まれた病院もおんなじなんやで。
まあ、ワイらの生まれた界隈にゃ産婦人科は一箇所しかあらへんかったけどな」

 寝耳に水とはこのことである。
 ふたりが幼馴染みと言うことにも驚きなのだが、それが揃って冒険者稼業をしているのだから、全く世間は狭い。

 ローガンの口からハーヴェストの名前が出たことは、少なくともアルフレッドが記憶している限りではたったの一度も無かった。
 頻繁にメールや通話でやり取りしているフィーナにも目を配ったが、彼女も首を横に振った。
過去のメール内容を振り返るまでもなく、まるで覚えが無かった様子だ。
 フィーナは「もっと早く言ってくれれば良かったのに」と驚き混じりに抗議したが、
彼の前でハーヴェストの話をしたこともなかったし、ローガンとしてもまさか幼馴染みと縁ある人間がこんな身近にいるとは夢にも思うまい。

 ハーヴェストもハーヴェストでローガンの話題を出していなかったのだから、同じような抗議があって然るべきなのだが、
こちらには食って掛かる気配は見られなかった。
 きっと「お姉様にはお姉様なりの事情があったに違いない。だからローガンさんの名前を出さなかったんだろう」と
胸の裡で勝手に自己完結し、納得しているのだろう。
 ご都合主義よろしく憧れの“お姉様”ばかりフォローするフィーナにローガンからは
「えこ贔屓なんてらしくないやん!」との突っ込みが入ったが、実際にその通りなのではないかとアルフレッドも感じ始めていた。
 ハーヴェストなりの事情があって、ローガンの名前を出さなかったのだろう、と。

 そう感じるのには確かな理由があった。
 ローガンは喜々としてハーヴェストを自慢の幼馴染みと話しているのだが、紹介されている当人は寒気がするほど無表情なのである。
 アルフレッドにも経験があるのだが、人間がこうした表情(かお)を作る場合と言うのは、
自分の身に降りかかっている状況が一秒でも早く過ぎ去ることを祈って完全に無と化しているときだ。
 この無表情が引き攣ったり歪んだときが最も危険。腹の底に溜め込んでいるモノが抑圧の枷を壊し、
暴発しようとしている危険信号なのだ。
 そして、ハーヴェストの表情は、今まさに静から揺らぎ、歪み始めていた。
 唇は引き攣り、肩をわなわなと震わし、眉間にはくっきりと青筋が浮んでいる。
 もう間違いない。噴火は秒読みだ―――それを見て取ったアルフレッドは音も無くその場から離れ、
打ち合わせを中断させたローガンに唖然としているフェイたちの輪へと戻っていった。

「ワイとハーヴはな、そんじょそこいらの幼友達とはちゃうねん。なにしろ同じ釜のメシを食ろうた仲なんやから」
「同じ釜の…? えっと、家族ぐるみでキャンプに行ってたとかですか?」
「ちゃうちゃう、家族ぐるみちゅーんは合っとるけどな、ちとちゃうのよ、ワイらの場合。
ハーヴのお父(と)んがな、なんとワイのお師さんでなぁ、ハーヴとはちっこい頃から一緒に―――」
「―――ええ加減にせんかい、このダボハゼがぁッ!!」

 共に過ごした幼少期を瞼の裏側にでも描いているのだろうか。感慨深げに何度も何度も頷きつつ昔語りを進めていたローガンが
ハーヴェストの父親――ローガン曰く、彼の師匠のようだ――のことを口に出した瞬間、ついに彼女の怒髪が天を衝いた。

「そないに昔話がしたいんやったら、故郷(くに)に帰ってウチ以外のヤツとしたらええッ!! 
そうや! 今すぐ帰れや! 帰れ! 三秒以内にウチの前から消えてやッ! 消えやぁッ!!」

 瞬時に発動させたムーラン・ルージュの柄でローガンの顎を思い切りカチ上げ、返す刀で後頭部を叩き伏せたハーヴェストは、
顔面から地面へとめり込んだ彼に一瞥すらくれず「消えや!」と吐き捨てた。
 よほど腹に据えかねるものがあったに違いない。怒りに任せたハーヴェストの打撃は二度とも一切の容赦が見られず、
現に連続して人体急所を強打されたローガンはピクピクと痙攣したまま、起き上がる素振りすら見せなかった。

 今まで出くわす機会が無かったが、どうやらハーヴェストには極度に感情が昂ぶるとお国訛りが飛び出す癖があるようだ。
ローガンを殴り倒し、罵詈雑言を浴びせる間、彼女は足元に突っ伏す彼とそっくり同じ独特の訛りを使っていた。
 完全に地を出させるまでにハーヴェストを激昂させるとは、まさしくローガンは彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。

(話を聴く限り、あいつら、同門らしいが―――その頃に何かあったか? ………いずれにせよ、
深入りはしないほうが身の為だな)

 拒絶反応にも近い剣幕でローガンを拒絶するその原因が気にならないでもないものの、
他人の事情を覗きたがるような低俗な趣味をアルフレッドは持ち合わせていなかったし、そもそもハーヴェストへの関心など皆無に等しい。
 ある意味においてフィーナを巡るライバルでもあるハーヴェストに関心が涌くとすれば、
先輩冒険者としての実力や実績を露払いに利用できるのではないかと胸算用するときくらいである。
 それに、だ。ローガンとハーヴェスト、幼馴染みとは言え男女である。男女の関係へ迂闊に足を突っ込めば、
たちまち厄介に巻き込まれると言うことも朴念仁なりに理解していた。
 「触らぬ神に祟りナシ」とばかりにアルフレッドはふたりの関係へ口出しすまいと心に決めているのだ。

「放っておいて良いのかい、あれ?」
「いちいち付き合っていられませんからね」

 苦笑混じりに問い掛けてくるフェイにアルフレッドはきっぱりとそう答えた。
 ここで振り返ろうものなら確実に巻き込まれる。巻き込まれたら最後、自分の顔面もローガンと並んで地面にめり込む羽目になるだろう。
謂れもないことで痛い目を見るなどご免被りたかった。

「………ローガンさんがセクハラでもしたんじゃないですか? さっきのも完璧にセクハラですよね。
そーゆーのに興味無さそうな顔して、とんだセクハラ親父ですねっ! サイテーですっ!」
「今をときめく女冒険家がセクハラ被害っ!? 幼馴染みの気安さに付け込む邪悪な手口っ!
現行犯逮捕の瞬間に完全密着っ!! ―――って記事にしちゃってもイイですか?
女の敵には裁きの鉄槌を食らわしてやらないとッ! ワタシは“セイヴァーギア”さんの味方です♪」

 徹底的にローガンを詰り倒すフィーナとトリーシャの罵声や「渡る世間は鬼ばっかや〜」とすすり泣く声が背後から聞こえてくるが、
これに関しても全て聞き流そう。

「それで調査はどのように行なうつもりなんですか?」
「そこなんだよ。応援を要請しておいてなんだけど、まさかここまで大人数が来てくれると思っていなかったから、
人員の割り振りも手詰まりになってしまってね。最初の予定ではパーティを一つ組んで潜るつもりだったんだ」
「フェイ兄さんが困るのも当然ですね。この人数を一つに固めたら、調査が捗るどころか、歩みが遅くなってしまう」
「………アル………あのな………人件費は………なるべく………抑える方向で………」
「はいはい、ケロちゃんはお口にチャックね。一番最初に躓いてたら一向に先に進まないでしょ。
今回ばかりは採算度外視でやるっきゃないわよ」

 フェイたちと本格的な打ち合わせに入ったアルフレッドだったが、どうやらリーヴル・ノワールの調査は思った以上に難しそうだ。

 見取り図と言った探索の手がかりが得られなかったのは出現時の状況から考えて仕方ないとしても、
フェイたちがエントランスホールやその周辺フロアを調べた限りでは、シャッガイ級の大型のクリッターが何十匹と徘徊している上、
各所に電子的なロックが施されていて先に進みたくても進められないと言うのだ。
 しかもこの電子ロック、セキュリティシステムと直結しており、力任せに解除を試みたところ、
けたたましいアラーム音を引き連れたガードロボまで大挙して来たとフェイは語った。
 ニコラスが漏らした「そんな危険な場所なら封印しておいて正解だったな」と言う感想はまさしく当を得たものである。

 同じ調査でも洞窟や古代遺跡と勝手が違うとは想像していたが、まさかここまで厄介なものとは。
 これまでに行く手を阻む障害が三重であることは判っているものの、その解法が全く不明な上、
調査を進める内に新たなトラップが投入されぬとも限らない。
 クリッターの群れは“竜殺し”や“セイヴァーギア”と言ったお歴々を前衛に出すことで撃滅するとして、
電子ロックは施設内のどこかにあるだろう制御系統を直接掌握し、機能を切るしか対処法が無かった。
 少なくともアルフレッドが士官学校で教わった事例では、電子ロックの解除はこれが最も有効だった。
当時、履修したのは軍事基地と言った敵地潜入に関する知識だが、今回のケースでも応用が利かせられそうだ。

 ………その応用と言うのも新たなトラップやアクシデントが発生しないことを前提条件として成立するものなのだが。

(こう言うのは専門外だ…が、習った凡例から足し引きしながら考えるしか無いか………)

 さりとて発生の不確定なトラブルをアレやコレと論じてばかりもいられない。
ソニエの言葉ではないが、最初の段階で躓いていては一向に先には進めないのだから。
 まずは折角集まった大人数を生かす方法を模索することにしよう。
“党多きは進み、少なきは退く”との古語が示す通り、参加者が多く参集したことはプラスに働きこそすれマイナスには傾くまい。
 パーティを複数に分けるにしても、各人の相性などを考慮してメンバーを割り振らねば。
さて、どこから手を付けたものか―――

「やれやれ、育ちの悪い小僧どもにはろくすっぽまともな考えも浮ばんらしいのぉ。
少しはアルを見習ったらどうじゃ。キャリアの十分の一にも満たぬキャリアしか持っていないような
冒険者が立派にワシの護衛を務め果たしたわい。“竜殺し”だの“剣匠”だのとご大層な勲章をぶら下げておるようじゃが、
ワシから見ればただただ無為な時間を貪ってきたとしか思えぬわ」

 ―――アルフレッドが調査の骨子を練り始めた直後、けんもほろろな一声が飛び込んできた。
 フェイとケロイド・ジュースにピンポイントで痛烈な罵倒を浴びせたのは、
いつの間に出したかも知れないアームチェアに凭れつつ、ミーティングの様子を傍観していたジョゼフだった。
 ファッションや言行がエキセントリックであることを除いては温和そのもののジョゼフにしては珍しく満面に不機嫌の色を浮かべており、
双眸に瞬かせる剣呑な輝きたるや、今にもフェイたち二人へ噛み付きかねないほどにギラギラとしている。
 そこから醸し出される感情はただ一つ。敵意だ。はち切れんばかりの敵意と悪意がジョゼフの瞳を通して迸り、
剥き出しの刃となってフェイとケロイド・ジュースを刺しているのだ。

「おじいちゃんったら、またフェイとケロちゃんをいじめて〜っ」
「いじめとは人聞きの悪いことを言うてくれるな、ソニエ。ワシは事実をただ述べたまでじゃよ。
無能者を発見したらばその無策を指摘し、尻を蹴り上げてやるのもジャーナリストの務めじゃからな。
そうやってせっつかれねば動くに動けぬ情けなき醜態とて、ワシに言わせれば、
英雄を気取るにまるで価しない三流芸人のそれじゃわい」
「おじいちゃんっ! ………もぅっ!」

 そんな不躾なジョゼフをソニエは“おじいちゃん”と呼び、応じるジョゼフはソニエに“可愛い孫”と返した―――
つまり、ジョゼフがフェイたちを目の敵にする理由はここにあった。
 “おじいちゃん”、“可愛い孫”と呼び合うことでもわかるのだが、ソニエとジョゼフは血の繋がった肉親なのである。
それも祖父と孫と言う極めて近しい続き柄だ。

 どこから紐解けば良いものか―――マユを妹に持つソニエは、本来、ルナゲイト家の正統な後継者としてエンディニオンに生を受けた、
いわゆる生まれながらのセレブリティであった。
 物心ついた頃には既に両親と死別しており、ソニエとその下の妹、マユはエレメンタリーに進学する少し前から
祖父であるジョゼフに引き取られ、ありとあらゆる英才教育を受けながら育っていた。
 ジョゼフはどちらにも優劣を付けず、どちらも公平に叱責し、どちらにも一杯の愛情を注ぎ、
将来、二人がルナゲイト家の屋台骨を担うことを人生最後の命題として楽しみにしていたのだ。
 ところが、二人の人間が価値観や考え方の異なる全くの別人同士であるように、
ソニエとマユは互いにジョゼフ流の経営術や帝王学などを学びながらも全く異なる結論へ辿り着いた。
 祖父譲りの帝王学を水を擦ったスポンジのように貪欲に吸収し、王者たる風格とその思想をも受け継いだマユと違い、
冒険や自然研究と言った帝王学を外れる分野に興味を強めたソニエは、
 セレブリティと言えば聞こえは良いが、その実、ジョゼフの発言が神託の如き絶対性を持つ閉鎖的なルナゲイト家や、
殆ど新聞王の独裁に近い状態が続く生まれ故郷に嫌気が差し、半ば飛び出すような恰好でフェイたちに随いていったのだ。
並みのセレブリティとは格が違うルナゲイトの家柄を捨てて。
 冒険者と言う危険な稼業で生計を立てずともエアコンを完備した特等の部屋で悠々自適に暮らして行ける安穏をかなぐり捨てて、
ソニエはジョゼフのもとから飛び立って行った。

 出奔の直後、恩を仇で返した不孝者だとジョゼフは怒り狂って暴れ回り、ありとあらゆる手を行使してソニエを連れ戻そうと試みた。
フェイとケロイド・ジュースに多額の懸賞金を掛けた上、ソニエが彼らに誘拐されたものと発表して社会的に追い詰めようともした。
 金で買収しようとしたことはもちろん、刺客を送り込んだ回数など片手では数えられない。
 恐るべき祖父の執念をまざまざと見せ付けられたソニエだったが、どんなに恫喝や非難を浴びせられようともその信念を折ることはなく、
出奔から三年を経てジョゼフが根負けの白旗を挙げるまでの間、生きる伝説こと新聞王を相手に一歩も退かずに戦い抜いた。

 ソニエとジョゼフが正式に和解し、勘当を解かれたのはそれから間もなくのことである。
 最強のクリッターと恐れられるドラゴンとの死闘と言った数々の武勇伝を語るソニエに
ジョゼフは「大したタマじゃよ、我が孫娘ながら」と感慨深く頷いていたと言う。

 以来、ジョゼフはソニエをよく後見しつつ、彼女たちの冒険を密やかに応援してきた。
出奔当時の蟠りはすっかり消え失せ、今ではモバイルなどを使って非常にフランクなやり取りを交わしているくらいだ。
 本人が誰にも語っていないことにつき、あくまで推察の域を出ないが、
もしかしたらジョゼフはソニエが自分に楯突いたことを内心では喜ばしく思っていたのかもしれない。
 強情を張り通しただけのように思えるかも知れないが、あの新聞王を向こうに回して気風の良い啖呵を切り、
ついには独立をも勝ち取ってしまったあたり、相当な胆力があってこそだあろう。
 ある意味において、ソニエはジョゼフを超えたとも言われている。
 師の喜びは弟子が自らを超えた瞬間にこそある―――例えそれが自身の敗北を意味しているとしても、
ジョゼフがソニエの勝利を喜ばない道理が無いのだ。

 だが、ソニエの独立を喜ばしく思っていることと、目に入れても痛くない孫娘を掻っ攫っていった大泥棒ふたりのことはまた別問題。
それとこれとは話が違うらしい。
 ソニエがパーティに入ってからと言うもの、フェイもケロイド・ジュースも優しく遇されたことは一度もなく、
おそらくはこれからも汚物を見下ろすような視線で刺され続けることだろう。
 ソニエがルナゲイト家と和解した際にはこれまでの諍いを水に流し、勘当も解いた厚情の御仁なのだから、
フェイたちにも寛大に接し、拗れた関係を元の鞘に納めてくれて良さそうだが、そう容易く割り切れるものではないようだ。
 ソニエとフェイが恋愛関係を結んでいることもジョゼフには気に入らない。気に入るわけがない。

 最近、態度を軟化させるどころか、ますます意固地になって来ているとはケロイド・ジュースの溜め息だ。
 実際、「………お年寄は………ヘソ曲げると長引くから………まいっちんぐ………」と漏らしたケロイド・ジュースへ
ストマッククローと言う名の肉体言語で返事したジョゼフの姿をアルフレッドも目撃していた。
 泡を吹きつつ声にならない悲鳴を上げてジョゼフの腕をタップするケロイド・ジュースの悲惨さは勿論、
ギブアップの意思が示されているにも関わらず無言のまま、怨敵のどてっ腹を掴み続ける新聞王の情け容赦無い仕打ちには、
さしものアルフレッドも背筋に冷たいものを感じたくらいだった。

 結局、ソニエが心を砕いてフォローを働きかけてもジョゼフの態度が軟化することはなかった。
 取り付く島もなくフェイとケロイド・ジュースを敵視し続けるジョゼフを宥めてくれるようソニエはラトクにアイコンタクトを試みるが、
新聞王の忠実なる懐刀は表情一つ変えずにそれを無視し、ルナゲイトから持参した日よけ用のパラソルやテント、
簡易テーブル、救護道具などの必要物資を何食わぬ顔で準備していった。
 「ラトクっ、ちょっとラトクったら! 無視してんの、わかってんだからねっ。いい加減、こっち向きなさいよ」と
小声で呼びかけられても黙殺を決め込むあたり、親代わりでもあったジョゼフの恩恵を無碍にし、
あまつさえ自分勝手にルナゲイト家を出奔した人間の言うことなど耳を傾ける価値すら無いとでも考えているように見える。

 敵か味方の判断までジョゼフと同じくするとは見上げた忠誠心と言うよりほかない―――
そう評価してやりたいところだが、無視を決め込みつつも目端ではソニエやフェイたちがどう動くかをつぶさに観察しており、
イニシアチブを握っている人間へとりあえずは尻尾を振っておこうと胸算用をしている可能性もなくはなかった。

 ルナゲイト家中とその周辺人物たちが繰り広げる愛憎の寸劇を静かに見守っていたセフィは、
いつまで経っても終わりそうにない醜い争いへ「やれやれ…」と肩を竦めて見せた。

「御老公の気持ちもわかりますが、あれではソニエさんが可哀相ですよ。
愛娘をダメ男に嫁がせる男親だってあそこまで過敏にはしません。あれじゃまるで溺愛していた息子を
名家の御令嬢に婿入りさせる母親です。お相手が出来た人間であればあるほど、
その母親はアラを探そうとしますからね。それを見ていることしか出来ないご家族はもっと大変だ。
現にマユさんも御老公の頑なな態度には頭を悩ませていますし………」
「マユが、か? ソニエさんでなく、どうして妹のほうが頭を抱える必要がある?」
「遺産目当てで老人に擦り寄る女ペテン師じゃあるまいし、
普通の家族であればお年を召された御老公を心配するのは当たり前じゃないですか。
モバイルへ着信を残したのに掛け直してくれない恋人にヤキモキするくらい当たり前のことだ。
アルくんだってそうでしょう? 相手のモバイルが壊れてしまったのか、
もしくは電話したくてもできないような窮地に陥っているのか―――そんな風にあれこれ考えて
ヤキモキした経験、キミにもあるでしょう?」
「………お前の例えはな、セフィ、いまいち、意味が伝わってこないんだよ。
それにな、本旨よりも余談のほうが長くなっている。本題を置き去りにしてどうするんだ」
「つまり、私が言いたい主旨(こと)は、マユさんの気苦労なんですよ。
いつまでも御老公がフェイさんたちに意固地になっていると、彼らのチームメイトであるソニエさんの中にも
反発が生まれてしまいますよね? ひいてはそれが再び御老公とソニエさんを決裂させる原因になるのではないか―――
仮にそうなった場合、今度こそルナゲイト家は完全に崩壊するでしょう。
恋愛感情と言うファクターが介入した途端、肉親同士の争いは原初の泥濘よりも更に深い沼地さながらに
ドロドロになりますからね。………マユさんはそのことに気を揉み、悩んでいらっしゃるのですよ」
「にわかには想像できないな。あんな風体をさらす奴がまともな常識を持ち合わせているのか?」
「趣味と人間性は必ずしも一致しませんよ。根拠に欠けることを仰るなんて、全くアルくんらしくもありませんね。
マユさんほど細やかに周囲へ気を配っている人はそうはいらっしゃいませんよ」
「あいつとはだいぶ付き合いも長いが、俺はお前の言う心配りを感じた覚えがないぞ。
フィーや御老公を通じての付き合いになるがな」
「今しがた話したばかりでしょう? 趣味と人間性は一致しない、と。“アル君はマユさんの趣味に合わなかった”。
自分の趣味ではない人と仲良くする必要性は、腐乱した卵黄と殻とを分別して捨てるのと同様に皆無ですからね」
「………………………」

 つらつらとマユの気持ちを代弁していくセフィをアルフレッドは物珍しそうな目で見つめていた。
 ニュアンスの受け取り方一つで千差する域ではあるものの、絶妙な言い回しで小馬鹿にされた気がしないでもないアルフレッドだったが、
話をこじらればただただややこしくなる為、あえてそこには触れずにおく道を選んだ。

「………やけに訳知り顔だな」
「訳知り顔と言うのは、こう言う表情(かお)のことを言うんでしょうね、きっと」
「ああ、そうだな。そのニヤけた口の中に電球を詰め込んで、それから顎に思い切り蹴りを食らわしてやりたいよ。
仮に許されるなら、歯茎には無数に小石を敷き詰めておきたい」
「どうぞどうぞ。割れた電球と砕けた歯が小石と一緒にキミの顔面に降り注ぐだろうけど、
それでも構わないと言うなら、好きに試してみてくれ。知識をひけらかすのが生き甲斐のキミには
“訳知り顔”はとてもよく似合うんじゃないかな」
「お前と一緒にしないで欲しい。俺は生まれつき人相が悪いだけだ。見聞きした情報を秘密にしておいて、
そこから来る優越感でニヤニヤするようないやらしい顔つきとは全く違う」
「それはそれは大変失礼しました。確かに私とアル君ではハナから勝負になりませんでしたね。
生まれながらにして知識の塊だった賢人と私のような凡人が競うなんて、おこがましいにも程があります」
「おこがましいかどうかは別として、悪賢くても知性は知性だ。さもしい自己満足よりずっと使い道がある。
ここは誉め言葉として受け取っておこうか」
「………おめぇらの会話聴いてっとよぉ、胃が痛くなっちまってしゃあねぇぜ。
どんだけ仲悪ぃんだ、オイ。ってか、仲悪そうなワリにめちゃくちゃ息合ってるし。
何なんだよ? 良いトシこいたおっちゃんにはわかんねぇ流行りのスキンシップか何かなん?」

 顔面の上半分が特徴的な前髪で隠されている為、ケロイド・ジュース同様に表情が判然としないセフィと、
ポーカーフェイスよろしく普段から感情をあまり表に出さないアルフレッド。
そんな二人が厭味とも皮肉とも取れる言葉の応酬を繰り広げるのだから、周りにいる人間はたまったものではない。
 表情と言うものがハッキリとわからないことは、つまり、二人がどこまで本気なのかも読み取れないと言うことだ。
当人たちにはちょっとした言葉遊びのつもりでも、周りの人間は背筋が凍りつくような仲間割れに見えるのである。
 ヒューが間に入って中断を促さなければ、二人のアイロニカルなやり取りはより一層エスカレートし、
仲間たちを当惑させていただろう。

「あーんと………フェイって呼んでいいんかい?」
「―――え? あ、ええ、構いませんよ。敬語よりもフランクに話して貰ったほうが僕も気が楽ですから」
「オーケーオーケー、俺っちとあんた、気が合いそうだぜ。気負わずやるのが仕事を成功させるコツだもんな」

 突き刺すようなジョゼフの眼光に怯んで調子を崩しているフェイへ、
なにやらびっしりと書き込まれたメモ帳を目で追いながらヒューが話し掛けた。

「フェイと愉快な仲間たちが最初にココへ訪れたのは何時になるんだっけ?」
「………十日前だ………三日ほど調査したが埒が開かず………一旦………エヴェリンに………
引き返したのだ………それはそうと………どうせなら………ソニエと哀れな下僕どもに………
チェンジプリーズ………」
「人の名前を勝手に使うなっての。おじいちゃんに代わって、今度はあたしがサムライボム喰らわすわよ」
「二人して身内の恥を晒すような真似しないでくれよな。………ええっと、どこまで話したかな、探偵さん?」
「ケロちゃんからは調査開始日と中断した日にちを教わったねぇ。も一つ質問させて貰えるんなら、
フェイにはエヴェリンに引っ込んでからのことを訊きてぇな。エヴェリン戻ってからは
一度もリーヴル・ノワールに行ってなかったんだよな?」
「こうして皆で集まるまではね。お陰で久しぶりに羽を伸ばせたよ」
「ガスと一緒に自制心まで抜いちゃったどこぞのバカが羽目外し過ぎて
エヴェリン追い出されそうになったけどね。全裸でムーンウォークとかまじで信じられないわ。
しかもブリッジしながらなんて………次やったら、その粗品、ぶっこ抜くからねッ!」
「………うふふ………サド全開の………スクリームっぷりに………ケロちゃん………メロメロ服従………っ!」
「オーケーオーケー、俺っちにゃ冒険者の苦労はわかんねーけど、仕事にゃ息抜きが必要さ。
骨休めもしなくちゃよ。俺っちもさー、一仕事終わったらマッパで夜遊びすんのがお決まりでよぉ。
息よりも魂をブチ抜いて欲しいもんだね、男に生まれたからにゃあよ。 ………おおお? 面白ぇこと、気付いたぞ。
ナニか抜かれてるハズなのにナニかが満たされるたぁ、これいかに? いわゆる一つの夢心地?」
「はーい、ぶっこ抜き二人目確定ね〜。どうせなら頚椎ブチ抜いてやろうかしら。
いわゆる一つのズッ殺し(=頭蓋骨を引っこ抜いてブチ殺すの意)ね」
「………頼むから、犯罪者に間違われるような発言は控えてくれって。
ただでさえ知り合いから『前科者の更生を請け負ってて大変だな』とか『危ないのを引き連れてて怖くない? 
襲われないように気を付けなよ』とかさんざんに言われているんだからさぁ………」

 探偵らしい調子で質問を繰り返すヒューは、フェイからの返答で得られた要点を手帳の余白に書き込んでは独り言のようにそれを反復し、
黒線を引いて関連のありそうな走り書き同士を繋げていく。
 走り書き同士を組み合わせることによって見えてきた仮説や事実を枠外に書き入れることにも余念が無かった。

「はい、じゃあ、“迷探偵”の質問コーナーも終わったことだし、そろそろ本題に入――――――」
「――――――あ、悪ィ、あと一つだけ質問させて貰っていーかい? 
トシ取ってくると集中力が散漫になっちまってな、一度じゃ質問を終えられねーんだわ」
「………………………」

 フェイの返答が終わった頃合を見計らって切り出そうとした寸前、いきなりヒューが質問を次いだものだから、
話の腰をバッキリと折られたソニエは勢い余って噎せ込んでしまった。

「わかる範囲でいいんだがね、あんたらが戦り合ったクリッターん中にデミヒューマン型のヤツを見かけなかったかい? 
コボルトとかゴブリンとかさ二足歩行で手先も器用なヤツらは」
「ムカデ型のシャッガイやコウモリ型のドラクロワとは数え切れないほど戦ったけど、
デミヒューマン型は見かけなかったなぁ。ソニエやケロちゃんは気付いたかい?」
「他に目に付いたヤツとなると―――ベヒーモスには何度か囲まれたわね、サイ型の。
スライム型のブロッブにも梃子摺ったわ。あいつら、雑魚のクセに数が揃うと厄介なのよね」
「………粘液に塗れた………ソニエは………ヘヴンなくらい………艶っぽかったぞ………!」
「結論を言うと、デミヒューマンと戦った覚えは全く無いわ。
………約一名、クソの役にも立たない寝言ほざいていやがるけど、気にしないで。ていうか、気にしたら本当にズッ殺しよ」
「へいへい。勿体ねぇけどこればっかは仕方ねーわな。おとなしく頭ン中で妄想するだけにしとくわ」
「だから、そーゆーことすなッ!!」

 まるで狙っていたかのようなタイミングで「あと一つだけ」と質問を重ねたヒューをソニエはそっと睨みつけたが、
当の名探偵は射るような眼差しになど全く気付かず、
手帳と睨めっこしながら「最終アクセスの日時と照合させっと、やっぱおかしくなるなぁ」などとブツブツ唸り続けている。
 あるいはソニエから向けられる視線にはとっくに気付いているのかも知れないが、
思考の邪魔になるものとして無視を決め込んでいる可能性もあった。

 いずれにせよ、手帳に記された走り書きの乱舞を真剣な面持ちで見つめるヒューからは普段の軽佻浮薄さは見られず、
声をかけることすら躊躇してしまう“名探偵”の表情(かお)がそこにあった。
 本物の名探偵の姿だ。

「もう何も無いわよね? こんなとこでモタモタやってたんじゃ陽が暮れ―――」
「―――ホントにすまねぇんだけど、もう一個だけ頼むわ。これでオーラスにすっからさ。な?」
「………………………………」

 ………ここまで徹底してソニエの発言を妨げているなると、やはりある程度はタイミングを見計らっているのかも知れない。
 ソニエは気付かなかったが、絶妙のタイミングで「あともう一つ」と質問を繰り返したヒューの口元は、
明らかにフェイから得られる情報への喜びと異なる意味合いで釣り上がっていた。

「三人の足のサイズを教わってもいいかい? ………あ、おかしな質問だと気を悪くしねーでくれよ。
これも調査に必要なもんでね」
「また藪から棒に面白い質問が来たもんだね。………僕のサイズは二十六・五だよ」
「………俺は………二十七………ピッタシだ………」
「私は二十四・五。ただしムクんでいなければね」
「あ、ソニエちゃんには特別にスリーサイズも教えて欲しかったんだけど」
「………上から………九十二…五十六…八十九だ………ボン…キュッ…ボン…の鑑だろう………?」
「よーし、質問者も代弁者もまとめてズッ殺すからそっ首差し出しなさい。
生まれてきたことを後悔するような目に遭わせてやろうじゃないの」
「………止めなくていいんですか、フェイ兄さん? ソニエさん、本当にあの二人を殺り兼ねませんよ?」
「………キミの言葉じゃないけど、いい加減、付き合っていられないよ………」

 最後に赤ペンで要点を丸ジルシで囲んだヒューはフェイたちから聴取した情報を再度反芻してから―――

「ていうか! 一体、さっきから何なの? こんな質問がどうして調査に役立つって言―――」
「―――単刀直入に言うとだな、俺っちら以外にリーヴル・ノワールへ調査に来てるヤツがいる。
人数はおそらく三人。二人組のコンビと単身のが一人。そいつらは、今、リーヴル・ノワールの奥まで入り込んでるみてぇだ」

―――不思議そうにしている仲間たちを見回してそう断言した。




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