1.Fatal Fury

「さー、盛り上がってまいりました。『頂上決戦リーヴル・ノワール・異種格闘無差別デスマッチ』は
今まさにクライマックスを迎えようとしています。解説はワタクシ、ワイルド・ベアーと―――」
「―――クール・ベアーの二頭でお送りします。いや、それにしてもスゴイですね〜。
今世紀最高のベストバウトと言えるんじゃないかしら。
並み居る敵を千切っては投げ千切っては投げって言う古い諺を文字通り体現しているわ」
「ナイスハングリー精神ですね。血も肉も臓物まで沸騰するこのアイアンマッスルがお茶の間の皆さんに届きますでしょうか? 
今夜のマットは不死鳥の息吹を受けたかのようにヒートアップしておりますッ!」
「…ま、そもそもお茶の間ってドコって話になるけれどね。付き合ってやらないでもないわよ、
あたしもこーゆー享楽は大好物だわ。かっさばかれたどてっ腹がピンクサーモンみたいに炸裂すんのとか
待ってるんじゃない、お茶の間の皆さんは」
「おぉーっと! 出ました!! フィーナ選手、ルール無用の残虐ファイトですッ! 撃って撃って撃ちまくってますッ!!
のたうち回る挑戦者、これはたまりません。どうやらここで死神ストップのお時間です!
それでは皆さん、ご一緒に! はい、黙祷ォーッ!」

………などと呑気にも格闘中継のリングアナよろしく実況をしているのは、
改めて確認するまでもなく『セピアな熊ども』の二頭である。
 モニター画面を覗き込めば、いかにもリングサイドに設置されていそうな簡易テーブルと有線マイク、
金属製のゴングまで用意してあり、ご丁寧にも闘魂燃え上がること請け合いの熱いBGMが実況に乗せられている。
 彼らが実況しているのは、勇猛果敢にクリッターの群れへと挑んでいったフィーナたちの戦いだ。
 『セピアな熊ども』は世紀のベストバウト、力と技の祭典などと無責任に囃し立ててくれるが、
実際の戦況は彼らが放言するほど甘いものではなく、数の上で圧倒的に劣るフィーナたちはじりじりと劣勢に追い込まれつつあった。
 ソニエ、タスク、ハーヴェストと群を抜いた戦闘力の持ち主が三人も揃いながら苦戦を強いられるなど
普段の戦闘ではまず考えられないことだった。
 三つの力を一つに合わせて、たちまちの内に並み居るクリッターどもを一網打尽に平らげていてもおかしくない。
 フィーナのSA2アンヘルチャントが、大型のガントレットにシフトさせたディアナのドラムガジェットが、
三人の強者へ力を添えたなら、失われた者たちの眠りを妨げる無粋な鼠輩を粉砕させるのに数分もかかるまい。

 だが、現実は覆せない。
 “もしも”に基づく空論を展開させて劣勢を跳ね除けられるのなら、
今頃はリーヴル・ノワール内部に潜むクリッターどもを全滅させているだろう。
 “もしも”に基づく空論も虚しく、フィーナたちの攻勢は今や尻すぼみさながらに鈍っていた。

 劣勢に立たされた背景にはいくつかの要因が関係している。
 向こうに回したクリッターの殆どが大型である点と、圧倒的な数の差は極めて深刻な問題だった。
 倒すのに時間と労苦がかかる大型クリッターを相手にすると言うことはそれだけ体力を消耗すると言うことであり、
そこに数の不利が絡むとなると、ジリ貧になるのは火を見るより明らか。
 言うまでもないが、ジリ貧と言う苦境は想定内である。想定の上でフィーナたちは戦いを挑んだのだ。

 チーム分けを行なう際にアルフレッドから申し渡された秘策(こと)だが、
速攻を仕掛けてクリッターの群れを統率するリーダー格を撃破してしまえばもっと楽に戦闘を展開させられただろう。
 つまり、託された秘策を達成できなかったが為に苦戦を強いられていると言う次第である。

 全くチャンスに恵まれなかった訳ではないのだが………。

 荒くなった息を継ぎながら、アイルは「“言うは易し、為すは難し”とは良く言ったものだ」と吐き捨てた。

「………バカなお遊びはここまでにして―――あんたたちも本当に運が無いわね。
クリッターだけならまだどうにかなったかも知れないけど、ホムンクルスまで湧き出ちゃね。
あの腐れ熊の台詞じゃないけれど、多勢に無勢はデスマッチ以外の何物でもないわ。
おまけに終わりの見えないマラソンマッチと来たもんよ。さすがに同情してあげるわ」

 劣勢を呼び込んだ最大の原因が、只今、ワイルド・ベアーの口から飛び出したアクシデントである。
 ホムンクルスと呼ばれるデミヒューマン(=亜人)の集団がどこからともなく現れ、
独立した第三勢力としてフィーナたちの行く手を阻んできたのである。
 クール・ベアーの言葉を借りるなら、続々と現れるホムンクルスとは、
生体研究の果てに崩れ落ちた異形の子らの細胞辺が何らかの影響を受けて一つに合わさり、
融合と共に筋肉組成と骨格を再生させ、現世へ再来した化け物であると言う。
 クリッターとは全く異なる存在ともクール・ベアーは付け加えていた。

 現にクリッターどもはホムンクルスを邪魔とばかりに薙ぎ払い、あまつさえ人間の代用として捕食するモノまで出始めている。
 クリッターにとってはホムンクルスも人間同様に天敵あるいは餌でしかないようだ。
 それでもホムンクルスたちはクリッターには目もくれずフィーナたちを―――生ある人間どもを駆逐すべく執拗に追いかける。
自分たちの安らかなる永眠の為にフィーナたちが戦う決意をしてくれたと言うのに、だ。

 デミヒューマンの容貌は、先ほどの映像に登場した異形と比べても遥かに整っていた…が、
どう言うわけか見る者の心を掻き乱して仕方なかった。
 全身を腐乱させたゾンビやのほうがまだ可愛げがあると思ってしまうほどに、だ。

 微かに白濁する半透明の肉体が辛うじてデミヒューマン…“亜人”のフォルムを保っているものの、
頭や手足が異常に大きく肥大化しており、人間であれば脳に当たる部分で血液を思わせる赤い液体が溜め池を作っている。
まるで透明のフラスコに赤色の水を注ぎ込んだような恰好だ。
 頭部には眼や鼻、耳と言った本来あるべきパーツはどこを探しても見つけられない。
おそらくは僅かな触覚と本能のみを頼りに徘徊しているのだろう。
 目測ゆえに誤差はあるだろうが、身長にして百二十センチも無いように見える。
 デミヒューマンとは言え、あまりこう言った形容をするのは好ましくないだろうが、
不恰好な肉体や不気味に明滅する赤い液体の溜め池、視覚、臭覚、聴覚を持たない―――と
身体的特徴に特異なものが並んでしまうと、明らかな畸形と認識せざるを得なかった。

 特筆すべきは恐るべき生命力だ。
 クリッターどもに薙ぎ払われ、捕食され、肉塊と化して飛び散ったホムンクルスは、その肉塊から新たな肉体を再生―――
つまり分裂して再びフィーナたちに襲い掛かって来た。
 穿った見方では、生ある人間を駆逐する為の執念と言えるかも知れない。

 見ようによってはミジンコのようにも見える不気味なフォルムに生けとし生ける全ての存在への怨嗟を宿して
執拗に迫り来るホムンクルスの姿は、今までフィーナたちが遭遇してきたどのクリッターよりも恐ろしく、
また、醜悪に思えてならなかった。

 「とんだ名探偵よ! デミヒューマンがいないですって? 思いっきりいるじゃないの!」と
ここにいないヒューへ恨み言を吐き捨てるソニエだったが、彼の見込み違いを責め立てるのがお門違いなことは
本人が一番わかっていた。
 クリッター以外にこのような敵が潜んでいるなど想定しているはずもない。
生体研究の犠牲者がゾンビさながらに甦り、しかも増殖までして襲い掛かってくるとは、予言者でもなければ見通せまい。
 プロファイリングの時点では、リーヴル・ノワールで行なわれていた研究もわかっていなかったのだ。

 再生と分裂を繰り返しながらクリッターの群れに混じって執拗に、執拗に攻撃を繰り返して来るのである。
 しかも、彼らの乱入が影響してクリッターのリーダー格を潰すチャンスを逸してしまっていた。
 事情はどうあれホムンクルスたちが敵性勢力であることは、今や明白であった…が、
しかし、フィーナたちはどうしてもホムンクルスへ攻撃を加えることが出来なかった。

「あなたのトラウム、チーム最強だと風の噂に聞いているわ。剣匠のツヴァイハンダーより遥かに上だとか。
それを披露しないのは、出し惜しみなのか、それとも―――」
「―――音に聞く“セイヴァーギア”からそんなに評価されてたなんてね。なんだかこそばゆいわ。
………生憎とあたしも使いたいのはヤマヤマなんだけどね、こんな狭い場所で発動させようものならこっちまで巻き添えを食うわ」
「フッ―――最強のウワサ、どうやら本当のようね」
「それに………本当にアレを使ったら、もう………」
「………そうね………ええ、その通りだわ」
「………………………」
「名高い“切り札”を拝見できないのは残念だけど―――あなたの正義の心が! 愛の心がッ! 
今はそれが何よりも頼もしいわッ!!」

 手加減した攻撃で跳ね返すことまでは出来るものの、その先―――
悪魔の手で無残な最期を遂げ、はちきれんばかりの恨みを原動力に甦った彼らを再殺するがどうしてもできない。
 どうしても歯止めを掛けてしまうのだ。
 向き合う度に脳裏に浮かぶ異形の断末魔が、耳にこびりついた痛切な泣き声が、
ホムンクルスたちの執念を「恨みあれば当たり前の行為だ」とフィーナたちに認めさせ、これを否定することを躊躇させている。
 クリッターのように鋼鉄さながらの堅牢な皮膚を持たないホムンクルスは、銃弾も鋭刃も徹すほどに脆い。
肉体の脆さも人間並みであった。
 赤子の手を捻るもの―――そう、赤子を手に掛けるほどホムンクルスは簡単に肉塊へ還る。
 だから………だから、フィーナたちは再殺を踏み止まってしまう。

「どンだけ倒したか、わかンないかね、アイル? 大まかな数でも良いンだけどねぇ」
「細かい判別までは出来かねますが、小型クリッターのおよそ三分の一は撃滅したものと見受けられる。
………誤射は含めてはいませんが」
「いいさ、誤射は。あンたもあたしも胸糞が悪くなるだけだ。………それに本当に胸糞悪いのは、
子供の命をオモチャにしやがった連中だ」
「子を持たぬ小生ですら怒髪天を衝いているのだ。ディアナ殿のお怒りたるや、胸中、察して余りある」
「ハハハ―――よしとくれ。ホームシックになっちゃったら、アイルのせいだぞ」
「これはしたり。では、ジャスティン君を―――息子さんを胸に秘めて戦っては如何でしょうや。
ホームシックとて生を渇望する一つの骨子。背に呑んでおくは、必ずや勝利への推力となりましょう」
「言うようになったもンだよ、本当。………いいさ、ここは一つ、あンたのアドバイスを素直に聴いておくとするかね」

 大型クリッターは相当数を残しているものの、ブロッブと言った小型クリッターはその数をだいぶ減らしている。
 アイルが得物とするのは携行式のミサイルポッド、ガイガーミュラーだ。
 そこから発射される無数の光学ミサイルが敵影をロックオンし、
雑魚を一挙に吹き飛ばした成果が小型クリッター群の大幅な減少として表れていた。
 有事においてはミサイルポッドとして使われるガイガーミュラーは、
エアプレーン(=一人乗りの小型ヘリコプター)にもシフト出来、本来の用途は後者が主体なのだが、
危急存亡の状況だけにアイルも操縦技術を披露してはいられなかった。
 今、この場にてエアプレーンの機能を披露するとすれば、化け物どもの魔手が届かない天井スレスレを飛ぶか、
あるいは大型クリッターとホムンクルスが犇く僅かな間隙を縫うしかあるまい。

「瘴気漂う魔窟に巣食った魔獣を相手に負けるつもりは微塵も無いけれど、
一向に減る気配が感じられないのは厄介ね。フィー、まだ頑張れそう?」
「もちろん! お姉様にトレーニングの成果を見て貰えるせっかくの機会なのにへたっていられませんっ。
それにこの場所を、………怨霊を生み出してしまうほどの悲しみに満ちたこの場所だけは私の手で………っ!」
「そうね。………祈りを捧げる時間が許されず、鎮魂歌を唄う暇も無いのなら、せめて弔砲でもって失われた魂を慰めたいわ」

 遠距離への狙撃や砲撃を最も得意とするフィーナとハーヴェストのコンビも
ガイガーミュラーを操るアイルに勝るとも劣らぬ戦果を挙げていた。
 特にハーヴェストは、ここリーヴル・ノワールに寄生し、
小さな命をモルモット同然に扱った悪魔どもへの怒りをぶつけるかのようにして
誰よりも力闘しており、勢い余って突出し過ぎるあまり、
ガイガーミュラーから射出された光学ミサイルに危うく巻き込まれそうになったぐらいだ。

 すんでのところで光爆を回避したハーヴェストは、巻き込まれかけた災難をアイルに抗議するどころか、彼女に同調し、
変形させたムーラン・ルージュの砲門よりスマートグレネードや多弾頭ミサイルを矢継ぎ早に速射、
ときにはガイガーミュラーの発射タイミングに合わせて二重のミサイルを見舞っていく。
 合わさったミサイルは通常よりも遥かに強力な爆発を起こし、それが二重三重と飛来されれば、
いかに獰猛にして狡猾なクリッターと言えどもたちまち瓦解するばかりである。

 加減と言うものが極めて困難な状況の中でもデミヒューマンを巻き込むまいと努め、徹した末、
ついに一人としてホムンクルスから犠牲者を出さなかった。
 部屋中を揺るがすほどの爆発を何度も何度も繰り返したと言うのに、だ。
 骨の髄まで熱血な立ち居振舞いからして大雑把で、微に入り細に入る精密な作業が苦手そうに見えて、
その実、不躾な先入観を尽く粉砕せしめるだけの技量の備えているとは、さすがはフェイたちに比肩する英雄である。

 獅子奮迅との形容詞が最も似合う“セイヴァーギア”の勇猛っぷりを見せ付けられたマリスは、
「お噂以上ですのね。わたくしもアルちゃんを探す間、色々な場所を巡り、様々な人と出逢って参りましたが、
ここまで熱く、どこまでもお強い女性は初めて拝見しました」と感嘆の溜息を漏らし、
そんな彼女にフィーナは師匠自慢よろしく胸を張った。
 “お姉様“と慕うハーヴェストが自分以外の人間にも称賛されたのがよほど嬉しかったのだろう。
 まるで自分のことのように―――いや、自分のこと以上にハーヴェストの活躍を誇らしげに語るフィーナがマリスには微笑ましかった。

「………惜しいわね、アレ」
「………? どうかした、トリーシャ?」
「フィー、気付かない? ほら、あそこ。多分、エレベーターだと思うんだけど、
アレを使えばこのピンチから逃げられるんじゃないかしら?」
「全然、気付かなかったよ。と言うか、戦ってるからそこまで気が向かなかったって言うか………」
「な、何よ、そのジト目っ! ひっどいなぁ〜、私だってカメラとペンで戦ってるのよ〜」
「冗談だって、冗談。………でも、うん、トリーシャの言う通りだね。このまま戦い続けていても埒が開かないし、
体力を使い切っちゃったら最後だもん。さっきからお腹も鳴いてるし、結構、危ない状況かも………」
「お腹減ったって………あんた、炊き出しのカレー、三十人分ペロッとやったばっかじゃない!」
「いやだなぁ、トリーシャったら。カレーなんてソフトドリンクみたいなものじゃん。汗をかいたら、すぐに消化しちゃうって!」
「突発スクープゲット! ただし“街で見かけたちょっとアレな人”コース!
具がゴロッゴロ転がったもんを、ドリンクで、しかもソフトだなんてのたまう人間、あたしは生まれて初めて見たわ!」

 ムーラン・ルージュより発射されたスマートグレネードの爆発で大量の粉塵が舞い上がり、一行の視界を遮った。
 ほんの一瞬の出来事である。
 刹那を経た後には粉塵も白み始め、今しがたの爆発によって一角の瓦解したクリッターの群れが再び彼女たちの前に現れた。
 粉塵が床の埃へと戻るなり、猛攻を再開させたクリッターとホムンクルスを切り抜けながら僅かに見える隙間へと眼を凝らせば、
そこには下階へ降りる為のエレベーターがシャッターと言う名の大口を開きながら、
今や遅しと搭乗者の到着を待ち侘びているではないか。

 と言っても、一般の人間が乗り込むようなエレベーターではない。
 おそらくはリーヴル・ノワールのスタッフが物資搬入の為に使っているものだろう。
剥き出しのレールに取り付けられた足場をフェンスとシャッターが囲っているのみと言う極めて簡素な造りだ。
 大量の物資を抱えてフロア間を行き来する為か、足場は通常のエレベーターよりもかなり広く、
八人で一斉に乗り込んでも窮屈な思いをしなくて済みそうだ。

 成る程、トリーシャの言う通り、上手く間隙を突っ切ることがエレベーターに退路を見出せるかも知れない。

「………地上と天井、二つの間隙か………」

 激しい動きによってズリ落ちていたメガネを指先でもって押し上げながら、誰に聞かせるでもなくアイルはそう呟いた。
 レンズの向こう側にある双眸は、エレベーターを見つめたまま微動だにしない。

「ハウルノート殿、恩に着る。そこもとの洞察のお陰で状況を打破できる手立てが見えたやも知れん」
「はっ? ………えぇ? わ、私、何かした?」
「この戦闘、随一の手柄となるだろう」

 エレベーターからトリーシャへと視線を巡らせたアイルは、
汗で滑って再びズリ落ちた眼鏡を押し上げながら興奮気味に言い募った。
 ホムンクルスへカメラを回すばかりで戦闘に貢献した覚えのないトリーシャは
何がどう手柄になったのか自分では全くわからずにきょとんとしている。

「へぇ―――考えたもンだね、アイル。それならエレベーターまで辿り着けるかもだ」
「ど、どう言うことですか? トリーシャの発見と、一体、どう言う繋がりが………」

 自分のことを指差しつつ、「ねえ、あたしの何がお手柄? フィーにいぢめられたばっかなのに…」などと
きょとんとしているトリーシャと正反対に、誰よりも早くディアナはアイルの意図するところを察したらしい。
 この辺りはさすがに阿吽の呼吸だ。
 ふとマリスを庇いながら戦っていたタスクへと眼を向ければ、彼女にもアイルの言から閃くものがあったようで、
アルバトロス・カンパニーの女性コンビを交互に見ながら、居住まい正すのに併せて大型手裏剣・夢影哭赦を構え直した。
 次なる攻め手に備えて体勢を整えようと言うのだろう。タスクの瞳も現状打破と勝利への期待とで輝いている。

「………突っ込むのですね、敵陣に」
「ご明察。メイドにしとくには勿体ない素質だね。もっと自分の能力を生かせる職場があるンじゃないかい?
なンならアルバトロス・カンパニーの配達係、空けとくよ。うちの大将は太っ腹だからね、危険手当も弾ンでくれるハズさ」
「せっかくのお申し出、大変ありがたいのですが………わたくしの場合、仕事も趣味の内ですので………」
「そりゃ残念」
「キ、キンバレンさん。どさくさに紛れてのヘッドハンティングはお控えください。
タスクに抜けられたら、わたくし、もうどうしようもなくなってしまいますっ」
「ご安心ください、マリス様。わたくしがマリス様のお傍を離れるときは、マリス様が嫁がれるときですよ」
「………あらら、見せつけられちゃったよ。こりゃハナから勝負に無ンなかったみたいだね」

 端的に表すならば、アイルが企図した逆転の手立てとは、
退路たるエレベーターに向かって敵中の正面突破を試みる大胆な速攻策であった。

 十数倍もの兵力差がある以上、ただでさえ死中に活を求めるような行為である正面突破は
更なる深刻な危険性を帯びることとなる。
 一気呵成に敵中の間隙を縫ってエレベーターまで突っ切れると言う絶対的な保証があるのなら、
ハイリスクに見合うだけのハイリターンを得られるものとして挑戦しても良さそうだが、
この場における正面突破は誰の目にも無謀に映った。
 大型クリッターが三、四体でも折り重なって行方を阻めば、衝突と共に突進の勢いが跳ね返され、
全ての賭けが水泡に帰すのである。小型クリッターと言えど侮れず、数体に取り付かれでもしたら、
敵陣のド真ん中で無残な死体を晒す結果に終わる筈だ。
 正面突破による生還は万分の一の賭けと言い切っても差し支えは無さそうだった。

「面白いじゃない。そう言うギャンブルさながらの大勝負、あたし、大好きよ」

 だが、ソニエはアイルの提案を二つ返事で快諾した。
 ここでもその効果を発揮した“人の心を変える力”は、
無謀極まりない作戦に懸念を示していたフィーナやマリスの反論をものの数秒で翻させ、
ソニエは皆の意思を敵中突破へと見事に纏め上げた。
 これから生死を賭した大一番へ向かうにも関わらず、いつもと少しも変わらない気風の良い声には
不安や焦りと言ったものが全く感じられず、その自信に満ちた態度はフィーナたちを大いに励ました。
 決死行へ挑む上で最も必要とされるのは、強い武器や技でなく臆病風に吹かれぬような気概である。
 ソニエのように数え切れないほどの修羅場を潜り抜け、経験と実績に裏打ちされた自信を醸し出せる戦士は、
まさしく守り神のような存在であった。

「偶然が生む運命の激変を人は奇跡と呼ぶッ! そして、偶然の連鎖は必然に通じるッ!
今こそ必然を掴み取るときよッ! 必然は偶然を呼び、偶然が奇跡を生むッ!
奇跡が運命を塗り変える瞬間を、あたしたちの眼で見届けるのよッ!!」

 その潮流へ、やはりベテラン冒険者のハーヴェストが交われば、いよいよ怖いものなど無くなるのだから、
人間と言う生き物の何と単純なことか。
 前言で触れた精神コンディションの変遷を単純と断じるか、はたまた心持つ人間ならではの感受とするかは人それぞれだろうが、
一つだけ確かなのは、ソニエとハーヴェスト、この即席チームの二本柱がそれぞれ正面突破に自信を見せたことで
フィーナたちの闘志が一気に燃え上がったと言う点だ。
 最早、正面突破は彼女たちにとって無謀な賭けから必勝の戦法へと変わっていた。

「合図を頂戴したい。号令に合わせて突貫する」
「いいわよ。………各自、ウォーミングアップをしっかりしておいてね。ゴーサイン出したら、最後、
突っ走って突っ走って突っ走りまくるだけよ!」

 ミサイルポッドからエアプレーンにシフトさせたガイガーミュラーへと打ち跨ったアイルは、
ソニエに正面突破敢行の合図を委ねた。
 それに呼応してフィーナたちも各々の武器を構える。
 押し寄せてくるクリッターに触れるか触れないかと言うギリギリの円周で回転するプロペラに巻き込まれないよう
気持ち身を屈めた一団は、そのままじりじりと一点に密集していった。
 プロペラが起こす旋風の下で一丸となったフィーナたちは、ソニエから号令がかかるのを今や遅しと待ち受けている。

(たった一言で絶望の淵へ望まんとする恐怖を打ち消し、遥けき闇の底にまで希望の光を導けるなんて………。
………わたくしも―――わたくしもあの方たちのようになれるかしら………)

 マリスの独白通り、窮地を前にしても全く動じた様子を見せないソニエやハーヴェストの姿が仲間を奮い立たせ、
その心に、瞳に、真っ赤な勇気を灯したのである。

「………あら? 本当に正面からカチ込み仕掛けるつもり? 男気溢れ過ぎじゃない?
なに? あんたら、揃いも揃って鉄砲玉? どこぞの勢力圏をシメちゃったレディースチームか何か?」
「ここでリングに届けられた新たな情報です! チャンピオンチーム、なんと元は雄闘女組と呼ばれる
異種格闘ユニットだったことが判明しました! いや、これは意外な展開でしたね、クール・ベアーさん。
一見、アイドルユニットにしか見えないプリチーなチームが全員腕に覚えがあったなんて!
ですが、逆に納得です。マット界に降臨した天使たちの経歴はこの英雄的な強さの証明に―――ひゅごぼッ!?」
「お遊びはおしまいだっつってんだろうが。とっととマイクを置きなさい」

 あくまでリングアナに徹しようとするワイルド・ベアーに業を煮やしたクール・ベアーが
彼の小さな口へマイクとゴングを同時にブチ込むと言う『セピアな熊ども』ならではの漫才は、
既に誰の耳にも目にも入っていなかった。

 誰しもの心が噴火の瞬間を待ち侘びる活火山のマグマさながらに燃え滾っている。

「そろそろ行くわよ―――グッドラックッ!」

 吼えるや、ソニエは眼前に迫ったクリッターへと掌を突き出し、
そこからゆうに一メートルはあろうかと言う巨大なエネルギーの塊を撃ち出した。
 魔力を凝縮し、弾丸として撃発するホローポイントのプロキシ(魔法)である。
 前述した通りにメカニズムも実にシンプルで、初歩的なプロキシとして術の修練にもよく使われているものだ。
 初歩のプロキシとは言え、侮れないのがホローポイントの特色だ。
術師の魔力に応じて威力や有効範囲が大幅に強化される為、
ソニエレベルの人間がこれを使用した場合、たったの一撃で敵影を壊滅させられるだけの破壊をもたらし得る。
 果たして、今、ソニエの掌を離れたホローポイントも多くのクリッターを蹴散らし、
僅かしか開いていなかった間隙をチーム全員が駆け抜けられるだけの幅まで拡張せしめた。

 威力もさることながらそれ以上に驚くべきことは、短時間の内に神人(カミンチュ)との交信を終え、
強大な魔力を授けられたソニエの技量にあった。
 火炎や雷撃など自然の力に依ったプロキシを自在に操るホゥリーも
マコシカの部族の中では非常に優秀な術師なのだが、そんな彼であっても神人(カミンチュ)から魔力を借り受ける場合、
必ず詠唱や韻、神楽と言ったプロセスを経由していた。
 全知全能なるイシュタルの寵児とも言うべき神霊たちと交信し、ポゼッションするには、
神人(カミンチュ)たちの意識を現世へ向けさせる為の儀式がどうしても必要になるのである。

 ところがソニエはほぼ無動作で神人(カミンチュ)から魔力を得、あまつさえプロキシに換えて行使していた。
神霊たちとの相性にも依るが、交信に係る手順を省略できるのは、よほどの技量の持ち主と言う証だ。
 現在までにこのような芸当が出来るのは、集落に残ったマコシカの民の中では酋長のレイチェルをおいて他にはおらず、
改めて“英雄・ソニエ”の実力を見せ付けられた恰好だった。
 レイチェルから直々に手ほどきを受けたプロキシの冴えは、天井知らずで飛躍しているようだ。

「ノイエウィンスレット家に伝わる秘術、よもや他に使い手がいるとは予想だにせなんだわ―――」

 ソニエの発したプロキシを空中より見下ろしつつ、一気に部屋の中心まで飛翔したアイルは、
そこでガイガーミュラーをホバリングさせ、クリッターの注意が自分に引き絞られるのを見極めてから
機体の両側面に備え付けられた小型ミサイルポッドより光学ミサイルを降り注がせた。
 注意を惹き付けられていたところへ不意打ち気味にガイガーミュラーが対地攻撃を仕掛けたのだ。

 対地攻撃によって小型クリッターの殆どが残骸と化し、残存した者どもも体勢を崩した。
 光学ミサイルの誘った敵の動揺を見逃す手は無く、アイルは更なる追撃を仕掛けようと勇み、
重油の発するような何とも言えない臭いが辺りを包み込む中、一時的にガイガーミュラーの操縦桿から両手を離した彼女は、
何やら複雑な韻を組み始めた。
 ソニエやホゥリー…マコシカのプロキシに長じた術師たちがその秘術を発動させる際に組む韻とそっくりなゼスチャーをアイルは行い、
果たして、その韻が具現化させたモノも、かの古代民族が神人(カミンチュ)より霊力を借りて起こす奇跡に極めて酷似していた。

 韻を組み終えたアイルの目の前に魔法陣と呼ぶのが妥当と思われる光のパターンが浮かび上がる。
 操縦桿に両手を戻したアイルは、ガイガーミュラーの姿勢をやや前のめりに傾けるなり照準をその魔法陣に定めてロックオンした。
 程無くしてガイガーミュラーのミサイルポッドより光学ミサイルが発射されたのだが、
激しく明滅するその光弾が魔法陣に接触した瞬間、驚くべき変化が起こった。
 魔法陣を通過した光学ミサイルが突如として紅蓮の炎に包まれたのだ。

 不可思議な現象を経て光弾からナパーム弾へと様変わりしたガイガーミュラーの砲撃はさながら隕石のように降り注ぎ、
再びクリッターの群れへ激甚なダメージをもたらした。

「あの魔法陣………強い魔力を感じるわ。神人(カミンチュ)のそれと非常によく似た力を」
「アレがアイル自慢の奥の手ってヤツさ。『オーキス』とか言ってたね。
なんでもあいつン家に古くから伝わる秘術らしいンだよ。あたしゃ、そう詳しくは知らないンだけど」
「魔法陣は秘術とやらの発動体の一種みたいね。火や水―――元素のコントロールをマコシカのプロキシは真髄としているけれど、
あの娘の使う秘術も同質、か。………同じ台詞を繰り返すけど、世の中は広いって言うか、
まさか同質の術の使い手に巡り会うなんて、夢にも思って無かったわね」

 なるほど、マコシカに伝わるプロキシを見たアイルが「ノイエウィンスレット家に伝わる秘術を使う人間が他所にもいるとは」と
驚いたのも頷ける。
 なにしろオーキスを見せ付けられたソニエ自身が彼女と全く同じ心持ちなのだ。
 自然界から特定のエネルギーを発生させるプロキシとはメカニズムが異なるようだが、見た目にはそっくり同じである。
 マコシカのプロキシがオーキスの、オーキスがプロキシの亜種だと説明されても素人目には全く分からず、
そのまま信じ込んでしまうだろう。

(―――ま、似てるからって負ける気しないけどね)

 優秀な『レイライネス(=魔術師)』として思うところがあったのだろうか。
 ソニエの掌から放たれるホローポイントは更に威力を増しており、まるでオーキスに負けまいとする気概が宿っているかのようだった。

 ソニエの発した気概へ共鳴するかのように駆け出したのはタスクとディアナの二人だ。
 ガイガーミュラーが放った紅蓮の光弾とホローポイントの巻き上げた粉塵が薄まらぬ敵陣へ勇猛果敢に突撃した二人は、
それぞれの得物を恐慌状態に陥ったクリッターどもに容赦なく突き立てていった。

 地面スレスレを這うようにして低空を飛び交う夢影哭赦にクリッターの足元を払わせておき、
タスク本人は得意の体術を駆使して血路を開く。
 そこに踊り出たディアナがガントレットにシフトさせてあるドラムガジェットでクリッターを粉砕すると言うコンビネーションだ。
 肘の付近へ設置された噴射口から爆風を吐き出し、これによって一撃一撃に数トンもの威力を乗せられるドラムガジェットは、
堅牢な大型クリッターの皮膚をも易々と砕いていく。
 低空を這うものと油断していたところへ急激に上昇して不意打ちを見舞う夢影哭赦も
ディアナの鉄拳と同等あるいはそれ以上の攻撃力を発揮している。

 凄まじき力の応酬にはさしもの大型クリッターも恐怖を覚えたらしく、一匹また一匹と後退り始めた。
 だからと言って人間の天敵を相手に手加減をしてやる理由にはならず、
タスクとディアナは手を緩めるどころか、このフロアに巣食うクリッターを一掃せしめんとする勢いをもってして攻撃を加速させていく。

 続いて飛び出したのがハーヴェストだ。
 半ばお定まりと化している正義の雄叫びを上げながらジャンプし、タスクとディアナを跳び越えたハーヴェストは、
空中でムーラン・ルージュを三連装の機関銃・ACサブマシンガンに変形させると、
照準を合わせず殆どデタラメに弾丸の雨あられをバラ撒き始めた。
 特定の攻撃対象を選ばないと言うことは、一発あたりの命中率が正確にターゲッティングした場合に比べて大きく劣ってしまう半面、
銃撃の有効範囲がより広域へ拡張されるのである。
 一見すると無差別乱射だが、そこはハーヴェストである。仲間はもちろんホムンクルスをも巻き込まぬように
細心の注意を払っており、クリッターのみを精密に撃ち抜いて行った。

 いわゆる“点の銃撃”でなく“面の銃撃”を試みたハーヴェストの判断は功を奏し、
アイルのナパーム弾に続いてまたも空中から対地攻撃を受けたクリッターの群れはいよいよ総崩れの様相を呈している。
 そこへトドメとばかりに突っ込んだのがトリーシャとフィーナのコンビだった。
 トリーシャが全速力で漕ぐ自転車の荷台へハブに足掛けて乗り込んだフィーナは、
タスクたちの開いた活路を駆け抜ける間、左右に迎えたクリッターどもに更なる銃撃を加え続けた。
 こちらはハーヴェストの行なった“面の銃撃”でなく“点の銃撃”―――つまり精密狙撃だ。
 これまでの多重攻撃によって手負いとなったクリッターを選り分け、その急所を的確に狙撃し、一体一体、着実に仕留めて行く。
 さすがにハーヴェストほどの精密さはまだ会得出来ていないものの、
手負いのクリッターを撃破するには現在のフィーナの腕前でも十二分に事足りた。
 エレベーターに向かってトリーシャの自転車はグングンと近付いていく中、
彼女たちの通った後に続々とクリッターの屍が重なっていくのがその証拠である。
 つまるところ、フィーナとトリーシャが考案したツープラトンスプラッシュなる合体技は、
今日、晴れて初の大成功を収めたと言うわけだ――前回は攻撃を開始する前に途切れてしまったので――。

 愛らしい顔立ちに青筋立ててペダルを超速回転させるトリーシャの粉骨砕身が実を結び、
自分自身の見出した退路へと彼女は一番乗りを果たした。
 ………フィーナを乗せていて負荷を制御し切れなかったのか、エレベーターに乗りつけるなり二人揃って自転車から投げ出され、
きりもみしたまま顔面から金網張りの足場へランディングしたのは、余談と言うかご愛嬌の範疇か。

「ィよっしゃあ、一番乗りゲットぉッ! チャリンコの馬力を舐めんじゃないわよ、こんちくしょうめ!」
「私の銃火で血路を開いてみせますッ! みんな、さぁッ―――早くッ!」

 勝利宣言を発した二人が、これまた揃って鼻血を出しているのも、もちろんご愛嬌。
 二人の呼びかけに応じてエレベーターへ駆け込もうとするハーヴェストたちだったが、人間の天敵どもがそれを見過ごす筈も無く、
車輪となっている両足が発揮する敏捷性と頭部に備えた二連装のカノン砲で恐れられるクリッター・バイコーンヘッドが
背後から襲いかかり、ホムンクルスもその動きに続いた。

「来たれ、大河のせせらぎ! 渦と巻け、大海の怒涛っ! 今こそ不浄なる存在を跳ね除け、
真なる勇者たちを勝利の丘へと導き給えっ!!」

 しかし、バイコーンヘッドの砲門が、ホムンクルスの魔手がハーヴェストを捉えることはなく、
次の瞬間には双方の巨体は、足元から突如として噴出した水柱によって高く跳ね上げられていた。
 バイコーンヘッドとホムンクルスを、周辺のクリッターもろとも吹き飛ばしたのは、
間欠泉を噴出させるガイザーのプロキシだ…が、発動させたのはレイライネスのソニエではなく、なんとマリスであった。
 言うまでも無いが、マコシカの民でなく、また、専用の修練も受けていないマリスには、
神人(カミンチュ)と交信することも、その力を借りて執り行うプロキシを操ることも出来ない。
 彼女は水を司る神人(カミンチュ)、カトゥロワの霊力が込められたCUBE『MS‐WTR』を使い、
そこに施術(プログラミング)されているプロキシを発動させたのだ。
 『MS‐WTR』のCUBEは、万が一の場合の護身用にと、リーヴル・ノワール探索へ入る事前にアルフレッドから手渡されたものであった。

 魔力が生み出した間欠泉によって跳ね上げられたクリッターどもは、尽くタスクの繰り出した大型手裏剣の餌食にされ、
残るホムンクルスはムーラン・ルージュをスタッフ形態に戻したハーヴェストが教育的指導の名のもとに殴り飛ばした。

 機転を利かせて仲間たちの窮地を救ったマリスは、敵の注意が前衛へ反らされている間にアイルに拾われ、
今はガイガーミュラーの荷台へ打ち跨っている。
 ヒト一人分の加重は大きな負担になるのではないかと気が気でないマリスだったが、
仕事で数十キロもの荷物を運ぶことに慣れているアイルには、彼女一人を乗せることなど造作も無い。
 むしろ、体重の軽いマリスを乗せて飛行するほうが普段の業務よりずっと楽なくらいだった。

「………………………」
「あ、あの、どうかなさいましたか? やっぱり重かったでしょうか、わたくし」
「いや、重いと言うか大きいと言うか………」
「そ、そうでしょうか? 単純な身長はアイルさんよりも小さいと思うのですけど………」
「いや、背中に当たっているクッションが、だな―――いや…、なんでもない………なんでも………」
「は、はあ………………」
「………………やはり………大きい………小生など足元にも………………クッ―――!!」

 フィーナとトリーシャの鼻血コンビに続いて仲間たちがエレベーターに駆け込むのを見届けてからアイルは降下に入った。
 壊滅的なダメージを被りながらもせめて一矢報いようと最後の攻勢に出たクリッターとホムンクルスを
巧みな操縦で回避したアイルは、ガイガーミュラーごとエレベーターに乗り付け、
着陸するなりミサイルポッドへとシフトさせてしつこいにも程がある敵影の足元めがけて威嚇の光学ミサイルを放った。

「―――されど、器の大きさならば必ずや比肩できよう! 我がノイエウィンスレット家が誇る大器は如何なるモノとて受け止めてくれよう! 
例えそれが悪意の波であろうとも構わぬ! 真なる邪を滅し、正の潮流を起こすが使命はノイエウィンスレットにこそあるのだッ!」

 足元を脅かされて身動きを取れずにいるクリッターとホムンクルスへアイルは毅然とそう言い放った。
 着衣こそアルバトロス・カンパニーの社員一同が共有する野暮ったいツナギだが、
光学ミサイルの爆裂を反射させるアンダーリムの眼鏡の下で凛と引き締まった眼光は、
鷹のように鋭く、また、狼のように涼しげで、その勇ましさたるや、さながら歌劇団にて活躍する男装の麗人と言った趣だ。
 エアプレーンとミサイルポッドの二つの形態を使いこなす鮮やかな手並みと先ほどの啖呵が合わさった瞬間の恰好良さと言ったら、
下手な男性などまるで相手にならず、見る者の憧憬の溜息を誘った。

 実際、アルバトロス・カンパニーの本社があるフィガス・テクナーには、
件の歌劇団に付く追っかけと同質のファンクラブが存在しており、
腰まで伸びた長い髪をアイルが翻す度にファンの娘たちが気を失ってしまうのを本人は全く知らなかった――
罪作りな話とはこのことである。

「マリス様のお陰で九死に一生を得ました。心から御礼申し上げます」
「それは気にしないで頂戴。わたくしもタスクがいなくなっては困るのだから、おあいこよ。
………わたくし自身、タスクに負けないくらい肝を冷やしたわ………」
「そこはアイル様のご器量に感謝いたしましょう。あの方なくして無事の脱出は不可能でした」

 ―――余談はともかく、ガイガーミュラーから振り落されないようアイルにしがみ付いていたマリスは、
タスクやフィーナに出迎えられながら、先ほどまで激闘を演じていたフロアが少しずつ遠ざかっていく様子を見守った。
 マリスとアイルが乗り込んだ直後にエレベーターは下降し始め、数秒前まで居たフロアの状況は、
最早、クリッターやホムンクルスの鳴き声に耳を傾けることでしか確認できなかった。

(………終わったのですね、戦い…は………――――――)

 戦闘区域を離れたと実感した途端、マリスは頭の先から爪先に至るまで全身に震えを覚えた。
 護身用の金属バットを持っているとは言え、戦闘そのものにはメンバー中で最も不慣れなマリスだ。
命懸けの戦いの、その最前線に立たされた緊張が今頃になって襲って来たのである。

「………やはり、いきなりは無理ね。わたくしもルナゲイトさんやコールレインさんのように、
………英雄のようになれればと思ったのだけど、無い物強請りは凡百の人間には毒だったのかしら………」
「千里の道も一歩からですよ、マリス様。今度の戦いにおけるマリス様のご奮起は
ここにいる皆様が周知しております。もちろん、わたくしもマリス様のご活躍を誇りに思っております」
「………タスク………」
「だから、今は羽根を休めてください。次なる戦いと、更なる飛躍の為に」
「………そうね………―――ありがとう、タスク」

 小刻みに震え続けるマリスの肩を右手で抱き締めたタスクは、空いた左手で主に宿った怯えを落ち着けようと彼女の背を優しく撫でた。
 それは、幼い頃からマリスを怯えさせる全ての想念を拭い去ってきた、一種のおまじないであった。
 背中を撫でられ、耳元で「大丈夫ですよ」と囁かれる度にマリスの心から暗い想念が晴れていき、
一杯の恐怖からでも瞬く間に立ち直ることが出来るのである。
 果たして今回もマリスの表情から早々に恐怖の色が抜け落ち、やがて彼女は安らいだようにタスクの懐へと顔を埋めた。

 極度の緊張が思った以上にマリスの体力を奪っていたようだ。
 力無く枝垂れかかって来る主を優しく抱き留めたタスクは、地下のフロアへ到着するまでの暫時、
このまま休んで欲しいと声を掛け、マリスもそれに頷いた。

「ご覧下さい、マット界に愛の華咲くこのときをッ! 戦いがあって愛があるッ! マットの上に愛があったっていいじゃないッ!
白くて可憐な花が背景に超似合いそうなこのお二人に心からの拍手を送りたいッ! 
ボク個人としても爪先が粉砕しちゃうまで拍手を送り続けたいッ!!」

 ―――と、主従のふれあいを見事ぶち壊しにしてくれたのは、エレベーターに取り付けられた端末から漏れ出す無粋な声。
 モニターを見やれば、そこには見慣れた顔が二つばかり並んでいた。

「一時はどうなるかと思ったけど、なかなか面白い逆転劇だったわ。試合に負けたけど勝負に勝った感じかしらね。
………どうせなら全滅するまで戦い抜いて欲しかったけどね。そのほうがゲームとしては燃えるし」
「ムチャなこと、言わないでくださいよぅ………私たち、もうクタクタなんですから………」
「一息ついたらコールドスプレーか何かで左手を冷やしておきなさい。………ファニングって言ったかしら?
左手でハンマーを弾くあの連射のやり過ぎでもう腫れ上がってるでしょ?
銀髪ボーイたちに合流するにはまだ少し時間があるからね」
「………それじゃあ、このエレベーターってやっぱり―――!」
「勝負に勝って拾った命を無駄にしたくないってんなら途中の階で降り立って構わないけど?
………尤も、あんたたちのことだから最後には仲間たちンとこを目指すのだろうし、
そのつもりなら今だけは体をゆっくり休めとくことね。エレベーターの終着駅―――
地下のフロアには何が待ってるかわかったもんじゃないわ」

 どこか残念そうな声色で話すクール・ベアーのアドバイスに従って
アルフレッドたちが探索を進めているであろう地下まで降りることに決めたものの、
到着した先がクリッターの巣窟でないことを乗り合わせた誰もが祈っていた。
 下降する最中、夥しい量のクリッターで溢れかえっているフロアも垣間見えたのだから、
フィーナたちが心配になるのは無理からぬ話である。
 なにしろ先ほどの正面突破によって大幅に体力を消耗してしまっているのだ。
次にあの規模の戦いを強いられたら、今度こそ危ないかも知れない。

「………ホムンクルス…だったかしら? 正直なところ、二度と遭遇したくない相手ですわね」
「クール・ベアー様たちに見せて頂いた映像にあった実験や、それがもとで亡くなられた方には
重ね重ね慙愧の念が耐えませんが、わたくしもマリス様には同意見ですね。色々な意味で、もう戦いたくはありません」
「あたしも勘弁願いたいもンだね。………本当なら、一人一人、どンな形でも埋葬してやれンのがベストなンだろーけどさ………」

 調査を打ち切って逃走したフィーナたちには、最早、知る由も無かったが、
彼女たちが後にしたのは『セクト:モルグホール』と呼ばれるエリアであった。
 モルグとは、つまり死体処理場のことである。
 無道の実験のなれの果てとも言うべきホムンクルスが発生するポイントとして、これほど相応しい場所は他にはあるまい。
 そのホムンクルスの―――失われた命の怨念は、口惜しそうな遠吠えはいつまでもいつまでも聞こえていたが、
次第にその遠吠えは悲鳴に変わり、ついには消えて失せた。
 生ある人間が立ち去ってしまったことで執念も失せてしまったのだろう。
再生も分裂もすることなく、『セクト:モルグホール』に現れたホムンクルスは全てクリッターの腹へ収まってしまったようだ。

 この場にホゥリーがいたなら、鎮魂だの何だのと意気込んでおいて何も出来なかったばかりか、
ホムンクルスまで見殺しにせざるを得なかった醜態(こと)をさんざんに皮肉ったことだろう。
 自分たちの手を汚さなくとも、我が身可愛さから見殺しにした時点で同罪である。
それを戦略的撤退などと称するとは、随分と都合の良い正義もあったものだ。
 反吐が出るほど自分勝手で、どうしようもないペテン師。救う救う詐欺などと後ろ指さされても反論できる立場ではない。
 そうやって耳あたりの良い偽善ばかりを並べ立てていけ―――想像した言葉の全てが、
ホゥリーが口臭やゲップと共に吐き出す声で再生され、彼に不快感しか持ち合わせていないハーヴェストは思わず耳を塞いだ。

(こんなことに………こんなことになると分かっていたなら………)

 見殺しにするのだったら、せめて永遠の安寧を与えてやったほうが正しかったのではないか。
彼らの救いになったのではないか………。
 押し寄せる怨念と正面から向き合い、安寧を与えてやるべきだったのかも知れない―――
余熱を帯びたSA2アンヘルチャントの銃口を額へ押し当てながらフィーナはホムンクルスの悲劇を想い、

「フィーが心を痛めるのも無理ないわ。あたしだって遣る瀬無い気持ちで一杯だもの。
例え捻じ曲げられた命であっても、深い業を背負っておるとしても、人間である以上は誰でも等しく救いたい。
でも、現実はそんなに甘くなかった。ホムンクルスを助けてあげたくても、
あのまま戦いを続けていたら、あたしたちのほうが先に全滅していたのは間違いないわ。
………あたしたちも現実と言う高い壁の前には無力と言うことかしら………」
「お姉様………」
「―――でも、諦めない限り、やり直すことは必ず出来るのよッ! 今日の悔恨を未来への糧とし、
次なる機会にこそ全ての命を救ってみせるとッ!! ………全ての命を救えるだけ強くなれたら、
そのときは、今日、犠牲にしてしまった命のために弔いの祈りを捧げよう、フィー。
多分、それがあたしたちに出来る精一杯なんだと思う………!」
「………かも知れませんね。今の私は、………何もしてあげられないくらい無力だから………っ」

 ………それからハーヴェストの言葉に深く頷いた。

「ホムンクルス………一体、何者なの? そこな熊ちゃんたちは本当に何も知らないの?」

 疲れ果てているマリスやハーヴェストと共に黙祷を捧げるフィーナを他所に、
人心地ついたことでジャーナリスト魂を燃やせるまでに気力が回復したトリーシャは、
モニター越しの『セピアな熊ども』を相手に質問責めを切り出した。

「さっきも話してやった通り、あたしらはあくまでもナビゲーターなのよ。
訪問客に対応できるようある程度の知識は与えられているし、研究者たちの残したデータへ
アクセスは出来るけど、それでも連中の全てを把握しているとは言い難いわ。
研究データだって、例えば主管以上にしか閲覧許可が与えられないような機密にはアクセス出来ないし」
「ホムンクルスについちゃあ、失敗作の細胞をベースにしていることと自己再生、
自己分裂を行なえるってことくらいしかオレたちも知らないのよね。
肉体に作用する何らかのギミックが例の細胞に施されてるってのは確かなんだけど、肝心のカラクリがどうもね、さっぱりだ。
………んん? あれれ? それじゃまるでオレのクール・ベアーへのラヴとおんなじなのっ!? 
どこから生まれるのかはまるでミステリーだけど、傷付いても不死鳥のように甦るところとか、もう生き写しも良いじゃん! 
―――良いこと閃いた! ピンと来ちまった! ヘイ、みんな! オレのことをこれからは愛のホムンクルスと呼―――へぷんッ!!」
「肉片と化してから名乗りやがれ。ま、あんたの場合、熊から変身できてもせいぜい単細胞生物止まりでしょうがね」

 ところが、その意気込みは単なる勇み足でしかなく、「知らないものは話せない」と『セピアな熊ども』に質問をかわされたトリーシャは、
ものの見事に空回ってしまった。
 それでも何とか………そう言って食い下がるものの、知識として持ち合わせていない事柄では、
何でもお見通しのようなふてぶてしい面構えの『セピアな熊ども』と言えども答えようがない。
 ついにはクール・ベアーに「一昨日来やがれ!」と撥ね付けられてしまう始末であった。

 解き明かすべき真実に一歩とて接近出来ず、ガックリと肩を落としてしまったトリーシャを慰めようとフィーナが手を伸ばそうとしたとき、
下へ下へと降りていたエレベーターが激しい震動と共に急停止した。
 一時、フィーナたちは敵襲と勘違いして騒然となったが、落ち着いてインジケーターを見れば、急停止の謎はすぐに氷解される。
 現在地を表すインジケーターはリーヴル・ノワールの最下層を指し示して明滅していた。

「着いた…みたいだね………」

 とりあえず敵襲でなかったことに胸を撫で下ろし、互いに早とちりを笑い合うフィーナたちであったが、
エレベーターのドアが開いた瞬間、その笑みは凍りつき、満面に驚愕を貼り付けることとなる。

「………戦闘ッ!? ようやっと死地を切り抜けたばかりだと言うのにこうも連戦が続くとは! 
これを得難い成果が待つ吉兆と見るか、絶望の深淵へと続く凶兆と取るか………! 
そこもとらは眼前にて斬り結ぶ者たちに何を想われるっ!?」
「あたしにはネガティブな発想ってのがなかなか理解できないのよね。
せっかくなんだし、チャンスの前に待ち構えてる最後のハードルと捉えましょうよ。
………だから、今はアルたちに加勢して、この場を勝ち抜く方法のみを考えよう!」

 辿り着いた最下層―――エレベーターのドアの向こう側に広がっていた光景は、まさしく死闘の極地。
 見たことのない男女二人組を相手に苦戦を強いられる仲間たちと―――

「―――アルっ!?」

 ―――絶対防御を誇る筈のグラウエンヘルツが脇腹を抑えながら倒れ込むと言う我が眼を疑う信じ難い状況が
リーヴル・ノワールの最下層にて展開されていた。




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