2.Wild Bunch



 ―――時間は、フィーナたちが最下層へ到着する二十分前に遡る。
 『セピアな熊ども』からリーヴル・ノワールに関連する衝撃的な映像を見せられたアルフレッドたちは、
そのショックを引き摺りながらも探索を続行し、最下層に当たる地下十三階へと辿り着いていた。

 アルフレッドたちも探索の途中でエレベーターを見つけてはいたのだが、
閉鎖されている上に安全性を第三者へ委ねなければならない空間にわざわざ足を踏み入れるのは無謀だと判断し、
あえて文明の利器を使わず徒歩で地道に階段を下っていた。
 例えば、先行していると思われる者たちが制御システムをハッキングし、
アルフレッドたちが昇降している最中に悪意をもってエレベーターを止めてしまう可能性も想定される。
 他にもクリッターがエレベーターを昇降させるワイヤーを寸断させる、
密閉された空間を致死性のガスで満たすトラップが仕掛けられている…等など、
翻って考えれば慎重と言うよりも、最早、臆病に近い想定に結論を見出したアルフレッドたちは、
額に汗しても、足腰に過分な疲労を溜めても、行く手を阻むクリッターを退けながら、一段一段、階段を下っていった。
 尤も、別なフロアで退路に用いたフィーナたちが安全性を証明したあたり、彼らの推論や想定は杞憂であったようだが、
後で知って盛大に肩を落とすことになる事実はともかくとして、現在(いま)のアルフレッドたちには徒歩以外の選択肢はなかった。

 最初の内は「是非とも成果を挙げたい大一番で“下(くだ)る”とか“下りる”と言うのが続くとは、いやはや、不吉ですね。
ゲンを担ぐつもりはありませんが、これはまるでハネムーンに向かう新婚夫婦の前を黒猫が横切るようなもんですよ」などと
ジョークを飛ばしていたセフィも、さすがに地下十階へ入ったあたりからはめっきりと口数が減り、
着衣に汗で染みが出来始める頃には物言わず機械的に足を動かすばかりになっていた。
 逆に体力を使えば使うほど、筋肉を動かせば動かすほど調子が上がってくるローガンはいつにも増して饒舌になり、
励ましているのか、「冒険者も身体が資本や。もっともっと肉付けなアカンで」とセフィの背中をバシバシ叩いた。
 バンプアップされて本人が思っている以上の力が出ているのかも知れない。
アルフレッドとヒューが思わず振り返ってしまうほどに肉打つ音は大きく、案の定、セフィは恨めしそうに口先を尖らせていた。
 長い前髪に妨げられてはっきりと確認することは出来ないものの、
おそらくは憎々しげな眼差しを無言の訴えとしてローガンに送っていることだろう。

「生憎と私は栄養を脳に回しているんですよ。体力を養うよりも知力の充足を望む性分でしてね」
「オツムに栄養を回すたぁ、ごっつおもろいことを考えるやんけ。ええな、今度、ワイも試してみるわ。
実はオツムん中を鍛えるにはどうしたらええか、行き詰まっててん」
「は、はぁ………」
「やっぱ手羽先がええんかな。それともマグロの目玉かいな? ―――せや! 頭だけ使うて
逆立ちっちゅーんのもアリとちゃうかな。喉を動かせば屈伸もイケるやんけ」
「いっそ水を浸した洗面器を頭の上に乗せて生活したらどうです? 
頭頂部からかかる重量で脳が鍛えられるのはもちろんバランス感覚も同時に養えると思いますよ」
「ほっほ〜、さっすが学者肌は発想が違うわ。おおきに、セフィ。このヤマが終わったら、早速、雑貨店に駆け込んでみるで」
「………………………」

 そう言ってカラリと笑うローガンへ脳味噌筋肉野郎め…とアルフレッドは心の中で漏らしたものの、鬱陶しさは皆無だった。
 当てこすりの通じないローガンにますます気力を萎えさせられているセフィには申し訳ないが、
底抜けに明るく威勢の良い訛り声がアルフレッドには励ましのように聞こえるのだ。
 疲れた身体が笑気に呼応して元気を取り戻していくような感覚をアルフレッドは覚えていた。
 ふとヒューの横顔を見やれば、その口元にも明るい笑みが浮んでいる。どうやら彼もアルフレッドと同じクチらしい。
 ムードメーカーを買って出てくれるローガンは、あえて苦しい道を進むこの一団にとってとても貴重な存在であった。

「体育会系の人間と文系の人間を火と油の関係によく喩えるじゃないですか。
それがどう言う意味なのか、私は、今日、身を持って思い知りましたよ、アル君。
オランウータンかマントヒヒを相手にチョコバナナの作り方をレクチャーするようなものだ。
類人猿にデコレーションを説いたって理解できませんから。………いや、見様見真似で出来るようになる可能性があるだけ
彼らのほうが幾分マシかも知れない」
「その辺にしておいてやれ。ローガンもローガンなりに色々と考えているんだよ。あいつはただのバカじゃあない」
「ん? ん? チョコバナナがどうかしてん? ワイは、アレや、凍らせたバナナのほうが好みやな〜」
「………アル君は自分の発言に責任を持てる人間だと信じていますよ」
「バナナを凍らせるなんて通な味わい方がオランウータンを知っているか? 
冷凍庫を使いこなすマントヒヒがいるとでも? ………知識を要する調理方法は知らないようだが、
それを補って余りあるものを持っているじゃないか」
「そう言う逃げ方は感心しませんがね、私は………」

 ………こうして笑気に英気を吸い取られていくセフィには、重ね重ね申し訳ないが。

(次が十三度目の階段か………)

 更なる深淵へと続く階段を下りながら、アルフレッドはこれまで通過してきたフロアのことを思い返していた。
 地上一階から下層へ向かうフロアは、ロッカールームや仮眠室、スタッフ用の食堂など
リーヴル・ノワールで研究が行なわれていた頃のものと思しき昔日の名残が殆んどであった。
 研究者の日記や資料が残されていないものかと一応は確認して回ったのだが、
成果と言えば、だらしない人間が破棄し忘れたコンビニのレシートとレンタルショップの会員券が一枚ずつ。
いずれも色褪せが激しく、物理的な磨耗で日付すら満足に読み取れない有様だった。

 有力な情報を得られなかったのは確かに口惜しいが、最初からそれほど期待を掛けていなかったので、別段、気を落とすこともない。
 なにしろここはイリーガルな生体実験が行なわれていた場所だ。
研究の内容が世間の明るみに出た場合、如何なる風評がリーヴル・ノワールに吹き荒んだか分かったものではない。
 自分が彼らの立場であったなら、マイナスを呼び込む要素は塵の一つに至るまで抹消したいと考えるだろうし、
それはリーヴル・ノワールの研究者たちにしても同じだったようだ。
 かつては研究者の個人的なファイルが一杯に収納されていただろうガラスのケースも、今や埃を溜め込むのみ置物と化している。

 目を凝らすことでようやく読めるようになる風化寸前のレシートへ目を落とし、
そこに極秘情報を見出すとすれば、タイムサービスの時間帯と値引率くらいだ。
 ルノアリーナに見せてやれば喜ぶかも知れないと一瞬だけ考えたが、
風化寸前と言う状態から推察して十年以上の時間を経過している筈。
現在にまでタイムサービスや値引率が生きているとも思えず、ふと涌いた親孝行の発想をアルフレッドは頭を振って打ち消した。

 レシートはともかくとして、これまでのフロアを振り返ったとき、アルフレッドには一つ気がかりなことが生じていた。
 これはセフィやヒューも気付き、揃って訝しんだのだが、クリッターの残骸がフロアのあちこちに散乱していたのだ。
 物言わぬ骸に付けられていた傷痕などの破損状態を確認する限りでは、
ここ数時間のうちに破壊されたものだと言うのが“検死”に携わったヒューの見立てだった。

 表面が溶けかかった残骸を拾い上げてしげしげと眺めていたローガンは「共食いでもしとったんかいな」と呟き、
律儀にもクリッター相手に両手を合わせて供養してやっている。
 クリッター同士で共食いすることは、限りなく少ないものの、前例が無いと言うわけではない。
 例えばヘルサイズと呼ばれるカマキリ型のクリッターは同士討ちした挙句に相手を捕食し、その力を吸収して進化すると言う。
 ハゲタカ型のクリッター・アンズーは同種こそ襲わないものの、別なクリッターの骸を発見するなり数羽でもって取り囲み、
死肉を貪り喰らう習性を持っていた。

 いずれも身の毛がよだつほどのおぞましい習性だ。
 いくら人智を超えた化け物とは言え、同じ種族同士で、肉を、骨を喰らい合うなど、狂気に冒されているようにしか思えない。
 人間の常識がクリッターへ通じないのは重々承知しているものの、改めて見せ付けられた共食いはやはり気分の良いものでなく、
義憤すら覚えてならない―――と言うのは身震いするローガンの考え方だが、アルフレッドの見解は彼とは大きな隔たりがあった。

 そもそもアルフレッドはクリッター同士が共食いをしたとは少しも考えていない。
 溶解と言うよりも高熱を発する何かで焼き切られたかのような傷や、
鋭利なモノで刺し貫かれたように見える痕が目に止まった瞬間からアルフレッドの脳裏には一つの仮説が浮んでいた。
 一刀両断と言う表現がまさしく当てはまる切断面や、頭部・心臓(あるいはこれに該当するコアの部分)などの急所が
正確に狙い撃たれた形跡のある残骸が増えてきたことで、その仮説へより強い説得力が生まれてもいる。

「なんやねん? なんや気になることでもあったんか?」
「いや、そこら中に散らばっている残骸を見ていて思ったんだがな………焼き切られた傷も、
何かが貫通したような痕も、やけに綺麗だと思わないか? 力任せの殺傷と言うよりも“技”に近い、と」
「そらクリッターん中にもテクニシャンくらい居てるやろ。スケルトン型の中には武器の扱いにごっつ手馴れたヤツもおったで。
二刀流で来られたときなんて真っ青になったもんや」
「しかし、リーヴル・ノワールに巣食う化け物どもの中にそこまで高い知性と技術を備えたタイプは見つけられなかった。
このリーヴル・ノワールで“技”を駆使してクリッターを屠れる者があるとするなら、………ローガン、お前ならどう考える?」
「彼らが持ち得ない知性と技術を持つ者、すなわち天敵にやられたと考えるのが打倒でしょう。
知性と技術を持ち合わせるが故にクリッターにとって羨望と憎悪の的となる天敵―――人間にね」
「ちょ、ちょう待てや、セフィ! そこで割り込まれたら、ワイの立場があらへんがな!」

 そう、これはどう見てもヒトの手による――――――

「すまねぇ! みんな、そこで一旦ストップしてくれや!」

 ―――と、物思いに耽っていたアルフレッドの意識はそこで急に現実へ引き戻された。
 それは、最下層の地下十三階―――『セクト:クレイドルホール』と案内板に記されたフロアへ足を踏み入れたときのことだった。
 急に眉間へ皺を寄せたヒューが探偵の必需品とも言えるルーペをポケットから取り出し、床や壁と睨めっこを始めたのだ。
 自分で指紋や汚れなどを付けてしまわないように白い手袋まで嵌めて、ヒューは丹念に丹念に辺り一帯を調べて回った。

 その姿に何か閃くものがあったのか、アルフレッドも彼に続いてその場に這いつくばり、
床へ耳を押し当てた。床を渡る震動からこのフロアの情報――例えば人間の足音など――を得ようと言うのだ。
 双眸を閉じているのは、微かな物音も聞き漏らさないよう意識を研ぎ澄ませている証拠である。

 二人の様子に只ならぬものを感じたローガンとセフィは、口にチャックするゼスチャーを見せ合い、
言いつけられた通りにその場で立ち止まった。

「さすが最下層、真打ち登場って趣きやな………」
「………自分からお口にチャックしておいて、十秒も保たないのはさすがに考え物ですよ。お二人の邪魔しちゃ悪いじゃないですか」
「せやかて、ジッとしとるだけでもワイにはごっつ苦痛なんやもん。息苦しくてかなわんのや」
「いや、お喋りまでは禁止してね〜から、俺っち。ちと調べたいことが出来ちまったんでね、その辺に座って待っててくれ」
「ほれ見ぃ、セフィは神経質過ぎるんや。オツム柔(やわ)くしとらんと人生おもろないやろ?」
「気を遣ったらどうかと言う話を私は―――………いえ、もう結構です………」

 ローガンが言う通り、『セクト:クレイドルホール』はこれまで通過してきたどのフロアとも雰囲気が違っていた。
 いや、雰囲気どころの話ではない。
 このフロアだけが別世界に在るのではないかと錯覚してしまうほど、造りそのものが独特の異彩を放っているのである。

 四方を鋼鉄の板で固めた構造なのだが、その鉄板からして不思議な組成をしており、
触れると冷たい感触や頑強な高度、鉄独特の臭いを持っているものの、表面はガラスのように透き通っているのだ。
 鉄板の向こう側に走る無数のパイプ管やケーブル、レトロチックな歯車が全て透けて見え、
ここが建造物の一室であることを物語っていた。
 透き通った金属板の隙間はファインセラミックスや合成樹脂が塞いでいる。

 アルフレッドの許可を取った上で、何事か試すようにヒューが床を強く踏みつけてみれば、
鉄の板を蹴ったときに出るのと同じ鈍い音が回廊中に響き渡る。
 強化ガラスのようにも見えなくもないが、やはり四方を固める板は鋼鉄製なのだ。
 なんとも不思議な素材の板である。少なくともエンディニオンに住まう人々は目にしたことの代物であろう。
 ジャンク品を問わず珍しいパーツや素材に目が無いネイサンあたりがこの場所を知ったなら、
涎を垂らしてへばり付くに違いない―――いつか、どこかで、誰かが抱いたのとそっくり同じ感想をローガンとセフィも共有していた。
 惜しいことにネイサンはフェイが率いるチームに編成されており、現在は別行動を取っていた。

「………やはり追いついたようだぞ、先行者に」

 これまでと大きく異なる『セクト:クレイドルホール』の様子をしげしげと観察していたローガンとセフィへ
アルフレッドは多分に緊張をはらんだ眼を向けた。
 彼の口から飛び出した“先行者”の意味するところは一つしかなく、傍観者と化していた二人の面もサッと緊張の色で染め上げられた。
 耳を床に押し当て索敵に神経を尖らせていたアルフレッドが起き上がるのとほぼ同時にヒューも周辺の調査を切り上げ、
先行者との接近に「そうみてぇだな」と同意する。
 彼もまた足跡などを調べることによってこの先に待ち構えているであろう者たちの情報を得ようと試みていたのだ。

「奴さん、この先にいなさるぜ」
「………三人一緒に行動していると言うことですか?」
「いや、足音は二つ。おそらくは男女のコンビだろう。少なくとも、この近辺には件の二人組しかいない筈だ」
「ほな、中年のオッサンちゅ〜のは追い越してもうたかも知れへんのやな。………こりゃ挟み撃ちに用心せなアカンな」

 ヒューが調べたところによれば、自分たちに先んじて『セクト:クレイドルホール』に入り込んでいるのは、
若い男女のコンビであると言う。
中年男性のほうはまだこのフロアには辿り着いていないようだ。
 これを有利と見るか、不利と見るかは人それぞれだが、
少なくとも今後はローガンの言う通りに挟撃に攻められるリスクを考慮しながら進まねばなるまい。
 全くの別行動を取っているとは言え、中年男性と男女のコンビが結託していないとは限らず、
後から追いついて不意打ちされる事態に陥っては目も当てられない。
 四面楚歌と言う焦燥煽る状況と、何よりも「先行者が連絡を取り合っていることも、悪意を持っていることも、
度の過ぎた被害妄想だ」と甘く見る油断こそが『セクト:クレイドルホール』における最大の敵であった。

 四方八方を敵に囲まれたと言う認識で周辺に警戒を凝らしながら、
アルフレッドたちは階段を下りてからと言うものずっと続いている長い長い一本道の回廊を往く。
 一つの山を貫通させたトンネルのように延々と続く回廊には幸いにしてクリッターは徘徊していなかったものの、
それにしては胸を焼かす臭いが漂って来るのはどう言うワケか。
 クリッターの亡骸の近くを通ると決まってこれと同じ臭いが鼻腔を突くのだ…が、
前述した通り、この回廊にはクリッターの気配がまるで無い。つまり、悪臭が起こる理由が見当たらなかった。

 セフィをして動物的本能に忠実なローガンが鼻先をヒクヒク動かせて臭いの漂ってくる方角を探ってみれば、
回廊を先に進めば進むほど悪臭がキツくなって来ることが分かった。
 「まさか本当に臭いを嗅ぎ分けられるなんて………どれだけ動物じみているんですか」と
自分で振っておいて呆然とするセフィは置いておくとして、回廊の先で何かが起こっているのはまず間違いない。
 もっと言えば、“先行者”の二人が何らかの行動を起こしているのではないか―――
誰にともなくそう呟いたアルフレッドへ皆が真剣な面持ちを浮かべながら頷いた。

 何かが待ち構えている―――緊迫を腹の底に溜め込んだまま、果たして、どれだけ歩いただろうか………
薄暗い回廊を進んでいくうち、目の前に突然と太陽のような光が差し込み、目を眩ませながら更なる一歩を踏み込んでいくと、
今度は急に広いホールが現れた。

 ………紛らわしい言い方を噛み砕くならば、暗がりを進んでいたせいですっかり闇に慣れていた目が、
回廊を抜けた先に設けられた広大なホールから差し込む明かりで眩んだだけの話である。

(ここは―――………ここが最深部なの、か?)

 視力を取り戻した瞳が捉えた広大なホールは、やはり回廊と同じ素材で部屋全体を固めていた。
 強いて一つだけ違和を挙げるとするなら、そのホールの中央に見慣れぬ人影があったことだろうか。
 あるいは、そこに居るべきものと予測していた二つばかりの人影が、
聳え立つ大きな大きな扉を背にしてアルフレッドたちを睨み据えていた。

「―――――――――ッ!!」

 慎重論に囚われ過ぎ、神経過敏になっていた影響か、辿り着いた『セクト:クレイドルホール』に人影を認めただけで
アルフレッドたちの身体は過剰に反応し、相手の人となりも確かめぬ内に臨戦体勢へと移ってしまった。

「“前の輪廻”と時刻どころか面子もリアクションもそっくり同じか。
………イヤなもんだな、一から十までカチッとハマッちまうのはよ」

 ………だからだろうか―――二人組の内の一人が、入院患者に配布される両サイドの開いた、
手術着を彷彿とさせるケミカルな上着と、アイボリー色のヘッドギアを身に着けた青年の漏らした呟きは、
いやが上にも興味をそそられるほど謎めいていると言うのに、
アルフレッドたちの耳は全くと言って良いほどそれを拾い上げていなかった。
 最早、彼らの意識はヘッドギアの青年の不可思議な容貌に引き付けられたまま、微動だにしていない。

 ヘッドギアと同じ素材で出来ていると思われるアイボリー色のガントレットで左手を固めており、
ガントレットとヘッドギアは何やら無数のケーブルで連結してある。
 首に巻かれたチョーカーにも飾りを模したアイボリー色の機械が付けられているのだが、
やはりヘッドギアとはケーブルで繋がっていた。
 青年が身に着けた三種のアイテムの側面には透明な液晶画面が設けられ、
そこで電子的な明滅が浮んでは消えてを繰り返している。
 予めセッティングしてあるのか、時折、ガントレットの画面には現在時刻が表示されていた。
 モバイル並みに便利な機能を搭載したガントレットだ…が、青年はデジタルな機材には然程興味が無いらしく、
液晶画面へ電子的に表示されているにも関わらず、わざわざポケットからアナログな時計を取り出して現在の時刻を確かめていた。

 銀細工の施された上等な懐中時計だ。
 裏面に『GUARFIELD』とマイスターの名前が刻印された懐中時計へ三白眼を落としながら、
彼は今一度、「イヤでイヤで仕方ねぇ」と今にも引火しそうなくらいの熱を帯びた苛立ちを唾と共に吐き捨てた。

 見るからに凶暴そうな青年と好対照に、彼の隣に立つ女性は思わずヒューが口笛を吹いてしまうくらい可憐で、
更に“女の武器”の使い方を心得ているのか、豊満な乳房をタンクトップで覆い隠すだけに留めるなど
艶やかなラインを惜しみなく披露している。
 上半身に着用しているものと言えば、タンクトップ以外には使い込まれた山吹色のマフラーのみで、
ローライズなズボン――いわゆるニッカボッカの形式で、脛の部分で丸くまとめている――からは小さなヘソも出していた。
 サイズにしてFカップ級だろうか………ただでさえ豊満な乳房を持っているだけに、
ここまで露出が高ければ肉欲めいたイヤらしい印象が付きまとうものだが、
この女性から立ち昇るのは清楚な色香のみであり、男性の煩悩を刺激するどころか、
冒し難い神秘的な雰囲気を見る者に感じさせた。

 だからこそ携えた得物の武骨さが、彼女の佇まいに不可思議なアンバランスを作り出すのである。
 彼女は中世の騎士が馬上にて扱うことでも有名なランスを携えていた。それもかなりの大型だ。
 今は側面に取り付けられたベルトへ腕を通し、肩から提げているものの、全長は明らかに彼女の身長を超えており、
華奢な女性が振り回すには到底不向きに思えた。
 ランスの中ほどにはレールのような機構が有り、刺突が直撃すると共に尖端部分のパーツがスライドする仕組みになっている。
また、レールの施された箇所は透明な素材――ガラスではなく、
『セクト:クレイドルホール』の壁面に使われている特殊な鋼材と同じ光沢を放っている――を使用しており、
まじまじと観察してみれば、内側には緑色の液体が注入されたアンプルが収納されていた。
 まるで注射器のような構造だ。
 実際に可動したところを見ていないので正確なことはわからないが、接触と共にスライドした尖端が敵の傷口へ深く突き刺さり、
がっちりと固定したところへ液体を直接注入するのではないかと見る者に想像させた。
 ご丁寧にもアンプルにはメモリも振ってあり、ますます注射器のような趣きであった。

 血腥い冒険者稼業とや大型の武器とは不釣合いな、全てを包み込む慈愛で溢れる穏やかな眼差しは、
隣で爛々と凶暴に輝いている、噛み付くような三白眼とは正反対だ
 その三白眼は、今、懐中時計からアルフレッドたちへと視線を変えつつあるところだ。
 とにかく目付きが悪い。
 ただでさえ細い目を更に細めた青年は、アルフレッドたちを値踏みするかのように睨めつけた後、
懐中時計をポケットに仕舞いながらようやく後続のチームへまともに向き合った。

 トラウムのユーザーなのか、はたまた徒手空拳の使い手なのか―――大型ランスを提げたパートナーと異なり、
彼は武器と思しき道具をどこにも持ち合わせていなかった。
 小物入れに見える小さなバッグをベルトのループを通して腰から提げているものの、
小さなバッグの中に武器らしい道具が入るとは思えず、やはり戦闘となればトラウムを発動させて戦うのであろう。
 そして、彼の得物を披露する絶好の見せ場に当たるだろう戦闘は、たった今、終結した模様だ。

 二人の足元には、これまでのフロアで遭遇したものなど比べ物にならないほど巨大なミミック型クリッター、
バルバロイが無残な骸を晒している。
 クリッターの外装と思しきパーツには尖端の鋭い物で穿たれた痕跡があり、
その直径は女性の携えるランスと奇妙なくらい一致していた。
 先ほどまでの一本道の回廊でにわかに嗅いだ匂いと、二人組に踏みつけにされる亡骸から漂って来る匂いが同じだと
ローガンが横から口を挟み、アルフレッドも彼に意を得た旨を目配せした…が、それだけで断定はし切れまい。

「いきなりご挨拶じゃねぇか。売られた喧嘩は買うぜ、俺たちはよ」
「あ、いや―――すまない、そんなつもりではなかったんだが………」

 状況証拠を確定的なものへ変える材料を求めてヘッドギアの青年を観察していたアルフレッドだったが、
不躾な視線を窘められてしまっては、返す言葉も歯切れが悪い。
 睨みを利かせて来る三白眼に怯んでしまったと言うこともある。
 普段は物怖じなどしないのだが、苛立ちを隠そうともしない目の前の青年に鷹のように鋭い眼光で睨まれた途端、
何とも言い表しようの無い衝撃がアルフレッドの胸中を駆け巡るのだ。

(―――なんか………引っ掛かるんだよな………)

 意図せず三白眼と視線が交わったアルフレッドは、凶暴極まりない顔立ちを見つめるに従って、
胸の裡に薄ぼんやりした靄のようなものが垂れ込めてくるのを感じた。
 この靄を言い表す言葉を無理矢理に既存の凡例から拾い上げるならば、デジャブへ当てはめるのが最も近い気がする…が、
そのカテゴライズもあくまで強引。正しい引用とは思えなかった。

 今日、生まれて初めて出逢った筈なのに、そんな気が全くしない。
 珍妙なコスプレとも言える装いをしたこの青年と、自分はどこかで既に出逢っているのではないだろうか―――
判然としない薄ぼんやりとした感覚が呼び起こしたのは、デジャブや記憶違いと言った常識内の理屈では
説明が付けられないものだった。

 ………もっともっと深く、心と魂の水面に落とされた波紋のようなざわめきが、
亀裂の走った薄氷の表面へと染み出す冽水のようにじわりじわりとアルフレッドの心に広がっていく。

(………全く記憶にない顔なのに、どうして見覚えを感じる? ………それとも俺の頭がどうかしてしまったのか?)

 考えるよりも感じたことに身を任せていれば、もっと人生が楽になれるかも知れないのに
そうした振る舞いが自己を堕落させるものとして自戒しているアルフレッドは、
眉間に皺寄せながらも律儀に分析結果と向き合い、自身の心に落とされた波紋の正体を見極めようと試みている。
 実態として把握することが困難な心のざわめきは、遥か遠く離れた故郷へと馳せる郷愁を彷彿とさせ、
そこを糸口として自己分析を推し進めたアルフレッドは、ヘッドギアの青年が取り出した懐中時計が
不可思議なデジャブを錯覚させたのかも知れないと言う結論に達した。

 ヘッドギアの青年が取り出した懐中時計には『GUARFIELD』と言うマイスターの名前がと刻まれている。
 見間違えるハズも無い。『GUARFIELD』とはクラップ・ガーフィールドが時計を製作および修復する際に用いる名乗りであった。
 懐中時計自体にも見覚えがある。記憶違いでなければ、
あれは確かクラップが初めて独力のみで作った懐中時計ではなかっただろうか。
 生まれて初めて『GUARFIELD』の名称を時計へ刻む折に親友が見せた、
ほんの少しの自慢気と、心から嬉しそうな笑顔をアルフレッドが忘れる筈も無かった。

 そうやって強烈に郷愁を発する懐中時計に自分はアテられてしまったのだ。
 デジャブを感じたのもあの三白眼でなく懐中時計に違いない。と言うか、懐中時計のほうが俺には本体だ―――と
アルフレッドは心魂へ落とされた波紋に対する結論を見出していた。

 ………それでも鎮まらない奇妙な波紋を引き摺りながらも、それを強引に押し隠し、
ただひたすらにアルフレッドは親友のこさえた懐中時計との再会が郷愁と言う名のデジャブを感じさせたのだと信じ込む。
 自我をも揺るがしかねない疑念が生じたとき、人間は自分に都合よく思考の破綻を補完するように造られているのである。
 今のアルフレッドが、まさしくその典型的なパターンであった。

「不敬を働いたことは平に謝る。あんたたちは、一体………?」
「あ? なんつった、今? 名前を知りたきゃ手前ェから名乗りやがれ」
「………イーライ、大人気ないよ」
「チッ―――………俺たちの名前だったな。俺たちはメアズ・レイグ。あんたらと同じ冒険者チームだ。
………冒険者ってことでいいんだよな? まさかピクニックでこんな危ねぇ場所まで来ねーだろうしよ」

 「新興のチームですよ。なかなかの手練だと聞いています」と言うセフィの耳打ちと、
波紋を投げかけた本人からの激しい罵声によって、思考に耽っていたアルフレッドは意識を現実へと引き戻された。
 見れば、ヘッドギアの青年――パートナーにはイーライと呼ばれていた――は
ただでさえ鋭い三白眼を更に釣り上げてアルフレッドを睨みつけているではないか。

「チーム名は特に定めていないのだが、俺たちもそちらと同じ冒険者のチームだ。
近隣住民にこの廃墟を調査するよう依頼を受けている」
「だったらもう帰るこったな。ココはあらかた俺らも調べたがよ、怪しいモンは特に見当たらなかったぜ。
例外を挙げるなら、ココをシメてたクリッターの親玉か。………ま、ソイツも俺たちが先に片付けちまったけどよ。
ほれ、そこに転がってるだろ? ヤリ過ぎちまって原形留めてねぇがな」

 「ほれ見ぃ、疑う余地なんかあらへんかったやろ。ワイの嗅覚を信じんから恥かくんや」とローガンが得意満面で胸を張るが、
相手にすると長くなるのでここは黙殺。
 いじけたらいじけたで、またセフィにフォローを頼むとしよう。

「そう言うわけにも行かない。調査以来はここに潜る為のきっかけみたいなものでね。
俺たちもこの廃墟そのものに興味があるんだ」
「何ィ? リーヴル・ノワール自体に、だぁ?」
「見たところ、そちらも大扉の先にまではまだ到達していないのだろう? だから、もし良ければ―――」
「調査自体がマジな目的っつーことならよ、お前ら、この先にも進むってことだよな? オレたちと同じ進路をよ」
「―――あ、ああ…そのつもりだよ。だから、一期一会と言うようにだな―――」
「そうかい、そうかい。よくわかったぜ―――」

 「一期一会と言うように、もし良ければ、一緒に進まないか?」。
アルフレッドはそう言葉を継ぎたかったのだが、イーライはそれを許さなかった。
 彼はアルフレッドたちが先に進む意思があることを確認するなり、右手を握り拳にして突き出し、
四人に向かってサムズアップして見せた。

「―――残念だがよ、てめぇらはここでまとめてリタイアだ」

 四人の視線を釘付けにしている親指が反転して地面を指したのは、イーライがそう吐き捨てたときだった。

「………どう言うつもりだ?」
「簡単なことだろ。一つのゴールに冒険者のチームが二組。これがどう言うことなのか、よーく考えてみな。
………居合わせちまったのが不幸だったな、お互いによ」

 親指で地面を―――その先にある地獄を指し示していたイーライの握り拳が再びアルフレッドたちに向かって突き出され、
今度は中指が立てられた。
 そのゼスチャーが意味するところは、ただ一つ―――アルフレッドたちに対する宣戦布告であった。

「な、何を藪から棒に! こちらは別に争うつもりなど無い!」
「そっちに無くてもこっちにはあるんだよ。全ての冒険者が手前ェらみてぇに上品とは思わねぇことだな。
居合わせた途端に潰し合いになるのも冒険者のルールってもんだぜ」
「品格の問題じゃない。むしろ、人格の問題だ。出会い頭に戦いを挑むなど破綻者も良いところだぞ」
「ようやく財宝にありつけそうだってときに押っ取り刀で別なチームがやって来やがった。
財宝を独り占めするのにこれほど邪魔で癪に障るモンは無ぇだろうがよ。だから、ぶっ潰す。簡単な理屈じゃねぇか」
「そんな理屈があってたまるか。自分の言っていることが道理に反しているとわからないのか?」
「そんなもん、当たり前だろ。潰すつもりの相手に挨拶してやるだけまだ人間が出来たほうだぜ、俺たち。
それとも何か? 喧嘩吹っかけるってときに相手の御託をいちいち伺ってやんのか、てめぇは?」
「………貴様は違うのか?」
「あんま笑わせんなよな、甘ちゃん。ガキのお遊戯じゃねぇんだからよ」
「………………………ッ!」

 相手がクラップお手製の時計を持っているからと気を許し、すっかり油断し切っていたアルフレッドは、
イーライから突きつけられる数々の暴言に戦慄し、すっかり言葉を失っていた。
 同じ場所でバッティングしたことだけを理由に潰し合いへ発展する話など生まれてこのかた聴いたことがない。
 ほんの数分前まで囚われていた不可思議な感傷など、今では別の時空にまで吹っ飛んでしまっている。

 傍若無人の振る舞いは明らかにアルフレッドたちに対する挑発だ。
 否が応でも戦闘に持ち込んで決着をつけ、彼が言うところのゴールや財宝をメアズ・レイグのみで独占するつもりと見受けられる。
 ことここに至った以上、最初にアルフレッドが提示しようとした譲歩や協力体勢は、
実へと結ばせる為の芽を摘まれてしまったと見なすしかあるまい。

 とは言え、ここで挑発に乗ってしまっては敵の思う壺。
 わざわざ敵の土俵で勝負してやる必要も無く、アルフレッドは挑発を切り抜けた先に別な選択肢を求めるつもりだった―――

「邪魔者相手には実力行使、か。なるほど、道理だな」
「おい、ヒュー!」
「ふむ―――そこまで言い切るとは、一端の冒険者ではあるようですね。
こちらとしては交戦しても一向に構いませんが、そちらは宜しいのですか? 誰の目にもこちらの有利は明白ですよ。
………尤も、宣戦布告された以上は決着を交渉のテーブルに戻すつもりもありませんが」
「セフィまで………!」

 ―――のだが、そんな彼を尻目にセフィたちは非常識極まりないイーライの宣戦布告をさも当然のことのように受け入れた。
 正面から挑戦を受けて立つ気の無かったアルフレッドは信じられないと言った表情を浮かべて仲間たちを振り返るが、
セフィもヒュー既に臨戦体勢を整えており、呆然とする彼になど一瞥すらくれない。
 倒すべき敵と見なしたメアズ・レイグにのみ彼らの意識は集中していた。

ローガンが肩を叩いてフォローしてくれなければ、今頃、アルフレッドは仲間たちの短慮に対して
「お前たちも同じ穴のムジナになりたいのか? あんな野蛮人と一緒に!?」と噛み付いていたかも知れない。

「お前さんはまだ慣れてへんやろうけどな、冒険者っちゅ〜リスキーな仕事やっとると、
少なからずこ〜ゆ〜場面にも出くわすもんなんや。言い方悪いけんど、ワイらはシャバからはみ出したアウトローみたいなもんやからな。
………手柄の取り合いかてしょっちゅうや。お前さんの言う品格や道理が通じん相手もぎょうさんおるっちゅーこっちゃ、アル」
「………………………」

 ………“生まれてこのかたこんな非常識な話を聴いたことが無かった”のは自分ただ一人で、
一端の冒険者にとってこの手のトラブルは日常茶飯事であり、
いちいち騒ぎ立てるまでもないものなのだと思い知らされたアルフレッドは、
冒険者の間に横たわる暗黙のルールすら把握していないヒヨッコが一人前の先達を相手に見当外れの大見得切ってことを省み、
顔から火が出そうになった。

 冒険者でないヒューまでもが布告された宣戦を、至って普通のように承諾したことを踏まえて鑑みても、
どうやらイーライの言う通り、自分は相当の甘ちゃんのようだ。
 無法も、非道も、理不尽さえも………冒険者たちの行き交う荒涼たる世界では、極々ありふれた風であった。
 数多ある風を選り分けるでなく等しく乗りこなしてこそ、一人前と言う自称が許されるのだろう。
 誰の目にも悪徳としか映らないメアズ・レイグだが、冒険者の間に横たわるルールに照らし合わせるなら、
半端者を跳ね返す強烈な暴風にも難なく乗ることのできる一流のチームと認めざるを得なかった。

 冒険者を名乗るのがおこがましく思えるほどの自分の認識の甘さに唇を噛むアルフレッドだったが、今は猛省している場合ではない。
 イーライの全身からは既に身の毛も弥立つような激しい戦意が溢れ出しており、
すぐにでも攻撃を仕掛けて来そうな気配が感じられた。

 そう、猛省など後回しにして、今は応戦すべき機なのである。
 当初の意図から大きく外れて直接対決するハメに陥ったメアズ・レイグを如何にして撃破するのか―――
アルフレッドに課せられたのは、一流のチームを向こうに回して互角に渡り合える戦術を練り上げることにあった。

「てめぇ、俺が最初に言ってやったことを忘れたのか? 割り切れっつったじゃねぇか。
………この期に及んでまだ愚図るなんざ、よっぽどの甘ちゃんか、それともヘタレかよ」
「彼の言葉じゃないけれど、下品なことは慎んで欲しいわね。いつも言ってるでしょう?」
「うっせぇな、レオナ。育ちが悪ィんだから仕方ねーだろ、今更、変えられるかってんだ。
それにどう言い繕ったって同じだぜ。喰うか、喰われるか―――それが俺たちの居る世界だ」

 戦術を練らせるだけの猶予すら与えぬとでも言うように、イーライは攻撃開始を宣言した。
 レオナと呼ばれたパートナーも、彼の粗暴な振る舞いを窘めることはあっても、
攻撃そのものを制止するつもりはないらしく、アルフレッドたちに向かって駆け出したイーライの後を追う彼女は、
走りながら巨大なランスを腰溜めに構え、姿勢も低く突撃の準備を整えていった。

 やはり、激突は避けられない―――見る間に迫り来るメアズ・レイグを正面に捉え、
彼らの一分の隙も無い身のこなしに全身を強張らせるアルフレッドだったが、
その緊張は、どこからともなく聞こえてきた銀貨を摩擦させるような音がすぐさまに解きほぐした。

(………珍しく運が向いているようだな、今日の俺は!)

 アルフレッドが首から提げているネックレスの飾りが―――穴を穿ってチェーンを通している灰色の銀貨が激しく律動し、
金属と金属を擦り合わせるかのような音を立てているのだ。
 紛れもなく異形の魔人・グラウエンヘルツの出現を知らせる予兆であった。

「ヘッドギアの男は俺が受け持つ! ヒュー、セフィ、ローガン! お前たちはあの女性をッ!」
「願ってもねぇ! …けど、お前さん、ひとりぼっちで大丈夫かよ!? 二対一のがいーんじゃ………」
「心配無用。気まぐれな“猫”が目醒めたからには、この勝負、取ったも同然だ」

 イーライとレオナ、二人で結成されたメアズ・レイグに対して、こちらは四人編成。
しかも、運が良いことに最強の手札であるグラウエンヘルツまで発動しようとしている。
 幾つもの強力なアドヴァンテージが揃ったことによって
一流の冒険者たちと互角以上に戦えるであろう有効な戦術を考えついたアルフレッドは、仲間たちに散開を号令した。

「何勝手に対戦カードを組んでやがんだよ。てめぇらに従ってやる義理なんざありゃしねぇ!」
「道理だ…が、今から死ぬ人間が後のことにまで気を掛ける必要が無いのも、また別の道理だ」

 イーライと馳せ違う間際に光の帯が爆ぜ、グラウエンヘルツへの変身を完了したアルフレッドは、
なおも傍若無人を吐くイーライに対してこれまでになく強気の態度でやり返した。
 無敵とも言える攻撃力と防御力を兼ね備えたグラウエンヘルツが発動した以上、負ける要素は一つとして見つからない。
 今まで言いたい放題にやられ続けた鬱憤が逆転の機会に際してついに爆発したのだ。

 負ける要素が見当たらないと言うのは決して過信や慢心ではない。
 そもそも、だ。最強のトラウムを名乗っても過言でないグラウエンヘルツと、
如何に強かろうとも常人の範疇を出ないイーライとを比べた場合、どうやってもアルフレッドの有利に判断が傾いてしまうのだ。
 主観を入れぬ客観視もアルフレッドの絶対有利を支持している。
 ありとあらゆる物体を消失させてしまうシュレディンガーのガスを主戦力として備えるグラウエンヘルツに、
果たして常人が敵うものか、と。

 三白眼に植え付けられた奇妙な感傷は未だに気に掛かっているものの、
完全な敵味方と分かれ、あまつさえイーライに譲歩の余地が無い以上は、戸惑いも躊躇も、揃って消失させるしかあるまい。
 凶暴極まりないイーライの性格上、報復の名のもとに纏わり付かれる可能性は非常に高かった。
一時の感傷に囚われて、今後の障害になるであろう要素を取り逃がすなど持ってのほかだ。
 この場でイーライを―――障害に成り得る要素を始末しておく覚悟をアルフレッドは決めていた。

「悪く思うな………ッ!」
「それはこっちの台詞ってモンだッ!」

 その覚悟をもって容赦なくシュレディンガーを吹きかけるアルフレッドだったが、
雨雲のようにとぐろを巻いて迫ってくるシュレディンガーを単なるガスと思っているのか、
イーライはグラウエンヘルツ必勝の切り札を前にしても微動だにせず、回避しようとする気配すら見せなかった。
 足元に散乱するバルバロイの破片がシュレディンガーに呑み込まれ、
その実体をエンディニオンから消していると言うのに、この正体不明のガスを少しも恐れていないようだ。
 彼の態度をアルフレッドは愚の骨頂と見なし、危機察知能力の欠損によって死を招き寄せた哀れさに心の中で聖句を唱えてやった。

 だが、蒙昧なる死者へ捧げんとしていた祈りは、半分も行かない内に寸断されてしまった。
 今まさにイーライの身体をシュレディンガーが覆い隠そうとした瞬間に起こった怪現象に、アルフレッドは我が目を疑った。

「―――まさか自分と同じトランスフォーム(変身能力)を持ってる人間に出くわすとは思わなかっただろ?」

 突如としてイーライの肉体がメタリックの光沢を放つ液体に変化し、シュレディンガーの巻いたとぐろの中心、
すなわち台風の目とも言える隙間をスルリとすり抜けたのだ。
 いきなり攻撃対象を失ったシュレディンガーは、既にイーライの残像すら見当たらない床にぶつかり、
飛び散っていたクリッターの残骸を貪り喰らうのみで掻き消えた。

 水溜りのような形状となったメタリックな液体は、そのままスライムのように床を這い、
シュレディンガーの余波が及ばない距離まで退避するなり鈍色の間欠泉を噴き上げた。
 鈍色の水溜りから噴き上がった間欠泉も、そこから辺りに散った飛沫も、すぐさま一点に収束していき、
まるで粘土細工のように固形化され、やがて一つのシルエットを作り出した。

 ―――イーライだ。水溜りのあった場所には、不敵な笑みを浮かべるイーライが屹立していた。
 メタリックな液体への変化に始まる一連の怪現象を、イーライは自身のトラウムだと説明した。

「貴様も変身のトラウムを備えているのか!?」
「てめぇみてーに全身を一気に変身させるんじゃなく、肉体の一部を金属に化けさせるんだがな。
ディプロミスタスってんだ。以後、よろしく―――………って、
今日、ブッ殺してやるんだから、説明してやる意味も、よろしくする必要もなかったか」
「………………………」

 形態こそ異なるものの、同じトランスフォームのトラウムを持ったユーザーとの遭遇は、
必殺の自信で繰り出したシュレディンガーを難なくかわされたこと以上にアルフレッドへ驚愕と衝撃を与えるものだった。
 リボルバー拳銃、巨大人型ロボット、懐中電灯、多機能スタッフ………これまでにも数多のトラウムを見聞きしてきたが、
そのいずれにも共通する点は、自身の望むモノ――フィーナのように望まざるモノを得てしまうケースもあるが――を
具現化させることであり、肉体そのものを変身させるタイプはグラウエンヘルツ以外では出くわしたことがなかった。
 自身の身体能力をブーストアップさせるタイプのトラウムもあるにはあるのだが、
やはりグラウエンヘルツのように完全なトランスフォームを行なうものは、現時点では自分のもの以外には確認されていない筈だ。
 世界は広いと言うが、同種のトラウムが他に存在することをアルフレッドは想像すら出来なかった。

 何分にも気まぐれである為、発動のタイミングをコントロール出来ないものの、
アルフレッドにとってグラウエンヘルツとは他の誰もが持ち得ない唯一無二のアドヴァンテージであり、
その強みが奪われることは、戦略家としても大変にショックであろう。
 “唯一無二”のアドヴァンテージは、つまるところ戦局を左右し兼ねないほど強力だったのだ。

 しかも、イーライの変身能力は発動のタイミングを自由自在にコントロール出来る。
 本来、トラウムに優劣は無いし、どちらが先に発動したのかを確かめるつもりも無いものの、
単純に変身能力としての利便性や戦術・戦略へフレキシブルに取り入れられるかを総合して評価を対比させるならば、
やはりグラウエンヘルツよりもディプロミスタスのほうが、数段、勝っているように思える。

「奥の手かわされたくらいでボケちまうようじゃ、やっぱ冒険者に向いてねぇわ、てめぇ」
「珍妙な芸当を見せられれば驚きもする。向き不向きを評したいのなら、そこからの挽回まで見届けからにして欲しいものだな」
「そう言うところがダメだっつってんだよ。絶対的な力の前には屁理屈なんざ意味を持たねぇのさ。
グダグダこねる暇があったら、会心の一撃でもぶつけて来いってんだ」
「理を持たぬ力にどれほどの意味があるものか。決定的に理知を欠くような男に負ける気はしない」
「………てめぇみてーな頭でっかちのガキは見てるだけで反吐が出るぜ。せいぜい粋がって、後で吼え面かけよ。
地元でチヤホヤされてた程度のマイナーリーガーじゃメジャーの舞台で通用しねぇってコトをたっぷり教え込んでやらぁッ!」
「望むところだ、アウトローが………ッ!」

 そう言って嘲笑うイーライの右腕がメタリックの光沢を帯び始め、かと思えば螺旋を描く水流のように溶解し、
瞬く間に右手の先が鋭利な刃へと変身していった。
 完全に固形化する頃にはフツノミタマも羨むような業物が打ち上がり、その切っ先はすぐさまにアルフレッドの首筋へと向けられた。
 これがイーライの戦闘スタイルだったのだ。
 パートナーと違って特定の得物を持たない為に丸腰にも見えるが、
その実、肉体を金属化させられる強力無比のトラウムを備えており、
全身を武器と化して相手をズタズタに引き裂いてしまう恐るべき戦法を彼は十八番にしていた。
 そして、その猛襲の恐ろしさをアルフレッドは身をもって実感させられた。

 前述した通り、確かにグラウエンヘルツには無敵を自称できるだけの絶対防御が存在している。
 だが、この世に本当の意味での“絶対”が存在しないようにグラウエンヘルツご自慢の絶対防御にも死角と言うものがあった。
 シュレディンガーによって形成する盾で遮断できねば絶対防御は成立せず、
ガスの僅かな隙間をすり抜けて襲ってくるディプロミスタスの刃は対処のしようがなかったのだ。

 もちろん、アルフレッドもシュレディンガーを密集させて盾にしているのだが、
イーライは右手を針金のように長細くしてガスの隙間を通過させ、
すり抜けた先で再び刃の幅を広げて着実に斬撃を浴びせ掛けてくるのだ。
 魔人への変身によって基本的な防御力も格段に向上してはいるものの、何事にも限界はある。
 ダイヤモンドすら軽々と斬り裂くのではないかと思わせるほど鋭く砥がれたディプロミスタスの刃は、
グラウエンヘルツの闘衣にも着実にダメージを負わせていった。
 苦し紛れにアルフレッドが拳や蹴り、背中から張り出した脊髄のような形状のアンカーテールを繰り出そうものなら
全身を金属化して一切の物理攻撃を弾き返した。
 時には無数の鉄糸に変身させた左手を蜘蛛の巣を模して編み上げ、投網の要領でアルフレッドの拳を搦め取り、
そのまま空中へ放り投げる一幕もある。

「さっきまでのビッグマウスはどこ行ったぁ!? ちょいとやられただけでもうギブアップかぁ!?
マジでよ、みっともねぇー野郎は徹頭徹尾ダセェなッ!」
「………何とでも………ほざいていろ………!」
「最悪にみっともねークセしてよ、叩く口がデケェってのはどうなんだよ。薄っぺらいプライドがピンチを認めさしてくれねーってか?」
「………………………」
「だったらもっと粋がれよ。ナメクジみてぇに這いずりながら、まだ本気出してねーとか抜かしてろや。
飽きるまでの期限付きでならてめぇの遊びに付き合ってやっからよ」

 放り投げてからの追い撃ちも実に機敏で、体勢を立て直そうとするアルフレッド目掛けてイーライは指先から大量の散弾を見舞った。
 液体金属に変身させた指先から飛沫を発し、それを弾丸状に再固形化させてぶつけると言う荒業である。
 肉体から切り離された銃弾である為に自在な取り回しが利かず、殆んどがシュレディンガーによって消滅させられてしまったが、
隙間をすり抜けた物はアルフレッドの全身を容赦なく打ち据えた。
 地上に降りたら降りたで猛攻撃が再開される―――イーライはディプロミスタスの持つ特性を完全に把握し、
そのスペックを100%以上に引き出して戦っていた。

 攻め手もさることながら守りも万全である。
 全身の金属化に加え、液体金属の溜め池と化して地面を這いずるなど人智を超えた防御手段を巧みに操ってアルフレッドを翻弄し、
隙あらば強烈な反撃を見舞っていった。
 溜め池の状態からまるでヤマアラシのように鋭い棘を何本も張り出す奇襲にはさしものアルフレッドも手を焼き、
既に避け損ねた左足をやられている。

(………無法者の言い掛かりを認めるのは口惜しいが………このままでは………!)

 強い。本当に強い。
 大型クリッターに包囲されたときも、大きな合戦に巻き込まれたときも、つい最近ではジョゼフの暗殺未遂事件のときでも、
劣勢に立たされこそすれ、死の予兆を肌で感じたことはなかった。
 そのアルフレッドが、今、生まれて初めてグラウエンヘルツに変身したままジワジワと追い立てられているのだ。
 絶対無敵の攻守を自慢とするグラウエンヘルツにとって、これほど容易くやり込められることは痛恨かつ屈辱的である。

 翻弄されるがままに苦戦を強いられていたアルフレッドは、緊急回避用の水溜りから間欠泉―――
つまり元に戻る動作へと移行しつつ、全身を巨大なイボ鉄玉に変身させたイーライの、
ローアングルからアッパーカット気味に振り抜かれる大技の直撃を脇腹に許してしまい、
とうとうグラウエンヘルツのままで膝を突かされてしまった。

「ぐっ―――うッ………!」
「オラッ! イイの入ったろうが、今のはよォ!? 死ぬか? そろそろおっ死ぬか?」

 肋骨の粉砕には至っていないものの、ダメージは骨を貫いて内臓にまで達しており、
アルフレッドは殴打された脇腹を抑えながらその場に蹲った。
 乱れきった呼気を整えようと努めているのだが、イボ鉄球から被ったダメージは肺をも揺さぶったらしく、回復はままならない。
 それでも…と反撃に出ようとするものの、本人が思っている以上に蓄積されたダメージは深刻で、
最早、身体が言うことを聞いてはくれなかった。

「なんか偉そうなことを抜かしてやがったよな、てめぇ。俺一人で十分だとかよ。
あれは、結局、ギャグの前フリだったんか? 自虐ネタか何かのよぉ。
それとも何か? 仲間逃がす為にザコがスケープゴートになろうとでもしたのかよ?
………どっちにせよ、てめぇみたいな足手まとい野郎がデカいツラしてるようじゃ、このチームも長くねぇな。
ここでオレらが手ぇ下さなくても、そのうちに野垂れ死んでおしまいだ。どいつもこいつもよ」
「………………………」
「オイオイ、それで睨んでるつもりなのかよ? おっかねぇなんてウソでも言えねぇ、惨め以外の何物でもねぇぜ。
駄々をこねるガキのほうがずっと気合い入っていやがらぁ」
「………………………」
「てめぇが開くのは、この大扉じゃねぇ。………あの世への扉ならオレが開けといてやっからよ、
てめぇは死神をお出迎えする準備でも始めるこったな」

 背後の大扉を親指で示しながら、多分に侮辱を含めて挑発に掛かるイーライに対して今のアルフレッドが出来ることと言えば、
悔し紛れに睨みつけることしかない。
 だが、弱りきった眼光はイーライに新たな侮辱の口実を与えるだけで、むしろ逆効果だった。

「あいつの言う通りや! 無茶して気張りよってからに! あんだけカッコつけといて、ザマぁないで、アル!」

 窮地に立たされるアルフレッドに対して投げかけられたローガンの声は、
大見得切っておきながら醜態を晒すハメになった彼を詰った罵倒ではない。
 仲間を助けに行きたくてもそれが敵わない焦燥が迸らせた、呻くような悲鳴であった。

 開戦当初に号令された通り、ヒュー・セフィ・ローガンの三人は、イーライの相手をアルフレッドに任せ、
自分たちはもう一人の敵―――レオナに立ち向かっていた。
 得体の知れない武器を構え、身のこなしもイーライ同様に電撃的に巧みなレオナではあるが、
戦いに慣れた男が三人がかりで攻め立てれば、早々に撃退できるものと誰もが考えていた。
 一気に決着をつけ、それからアルフレッドの加勢に向かえば良い。
 上手くすればレオナを人質に取ってイーライを降参させると言う策も使えたはずだ。
 アルフレッドにも、当然、その胸算用があったのであろう。
 だからこそ、三人をレオナとの戦いへ送り込んだのだ…が、メアズ・レイグのパートナーは彼らの想像を遥かに超えた強敵であり、
人質に取るどころか、ヒューたちのほうが手玉に取られてしまっている。
 結論から言えば、アルフレッドたちの胸算用は完全なる誤算。取らぬ狸のナントヤラと言う笑うに笑えないオチがついた次第だ。

 アルフレッドたちのチームに入って以来、戦闘らしい戦闘に参加していなかった三人は、
ここに来て初めてそれぞれの手の内を披露している。

 暇さえ有れば胡桃を握り締め、スクワットを繰り返すほどの筋肉バカ…もとい筋骨隆々なローガンは、
武術着を着こなす見た目通り、豪腕を振り回す体術で格闘している。
 同じ体術でも、技巧で攻め立てるシャープなアルフレッドと正反対に力で押し捲るダイナミックな戦い方は
一撃一撃が必殺の破壊力を秘めており、レオナに避けられた拳が地面を打とうものなら、鉄の板がひしゃげてしまう程だ。

「だぁぁぁぁぁぁん! 闘きゅぅぅぅぅぅぅ………波球けぇぇぇぇぇぇんッ!!」

 高らかに必殺技の名称を吼えるキャラクターからエネルギーの奔流や光球が放たれるのは、
少年向けの漫画やアニメにはありがちな光景だが、
ローガンはフィクションの世界でしか有り得ないと思われたその光景を現実世界で忠実に再現して見せた。
 必殺技の名称と思しき羅列を吼えながらオーバースロー気味に腕を振り抜いた彼の掌から、エネルギーの塊が撃ち出されたのだ。
 稲光のようなスパークを周囲へ撒き散らしながら飛んで行ったエネルギーの塊は、惜しくもレオナに回避されてしまったが、
フィクションの世界だけだと思われた人外の技を操る手合いが実在する…と彼女に相当なプレッシャーを与えられたことだろう。

 断っておくが、脳味噌筋肉…もとい、体力を資本とするタイプのローガンはマコシカの民に伝わる
プロキシを覚えられるだけの頭脳を持ち合わせていない。
 ほんの少しでも知性が関わる事柄は、エレメンタリーからハイスクールに至るまで
体育以外の全教科オール赤点を徹頭徹尾貫いた彼には、死の宣告以外の何物でもない。
 つまり、同じ気弾ではあるが、ソニエが使ったホローポイントとは全く系統が異なる物と言うわけだ。
 どうやらローガンは武闘気功(※身体に内在する気を練り上げ、格闘術に転用する技法の俗称)か、
あるいはそれに類する特殊な闘術を会得しているらしい。

 ローガンの操る闘術の詳細を語る機会は後に譲るとして、
亀の甲羅のような丸みを帯びたラウンドシールド(※円形の盾)を得物とするセフィに着目すれば、
攻め以外を全く考えない彼と正反対に彼は攻防一体の技術を駆使してレオナに肉迫し、接戦を展開している。
 レオナから撃ち込まれるランスの穂先をセフィは盾の丸みを生かして滑らせ、上手い具合に受け流していった。
 グラウエンヘルツが張る盾とはまた違う意味の“鉄壁の守り”を達成させたセフィの技巧は、
攻勢に回ってもその力を大いに発揮する。
 ランスの穂先から手元に至るまで側面を舐めるようにして滑走させたラウンドシールドでもって
セフィはレオナの肩口をしこたま殴りつけた。
 わざわざラウンドシールドでランスの側面を滑ったのは、
レオナの攻め手を押さえ付けながら反撃に持っていくと言うセフィならではの工夫だ。
 地味なように見える小細工だが、敵の腕力や打ち込みのクセまでも見極めねば完成を見ることは出来ず、
実際は高い次元で攻守を融合させた見事な技巧であった。
 惜しむらくはローガンに比べてだいぶ華奢なセフィの腕力では一撃必殺のダメージが生み出せず、
彼女の手からランスを奪うまでの成果を挙げられなかったことか。

「何やってんねん、セフィ! どうせならドタマに一発エエのをかましたれやッ!」
「生憎と私は野蛮は好みませんのでね。女性に手を上げるだけでも心が張り裂けそうなのに、
顔を狙うなんてとんでもありません。例え窮地に陥ろうとジェントルの道を守る権利は手放しませんよ」
「決闘申し込まれた冒険者の判断としちゃあ大間違いだが、男としては極上だぜ、その心意気!
こんなべっぴんさんなら、俺っちはいっそ殴って欲しいね。殴り倒して欲しいもんだぜ!
イイ感じに見下して貰って、家畜とか言って激しく罵って貰えりゃ本望よォ!」
「それのどこがジェントルなんですか、それのどこが。私が説いたのは紳士たる者の心得であって、
貴方お気に入りの火遊びじゃありません。………って、なんですか、ローガンさん…その心外極まりない目は」
「いや、けったいな趣味しとる思うてな………ケチ付ける気ィあらへんけんど、なぁ………」
「それはヒューさんだけです! 僕は至って健全ですからっ!」

 あらぬ誤解は置いといて、紳士を標榜し、その心得を体現しようと努めているセフィには、
いくら敵とは言え、レオナを顔面の殴打することなどもってのほか。
肩口や脛と言った表に露出する機会が少ないであろう部位を打ち据えるのが精一杯だった。
 これを紳士的と称えるか、阿呆で間抜けと見下すかは、人それぞれの判断に委ねられるだろうが、
少なくとも人道に反した行為ではなかろう。

 だからこそ、繊細な部分まで物事を考えそうになく単純明快に威力攻撃へ走るローガンから不満の声が挙がること自体、
セフィには理解できなかったし、それだけで彼を野蛮人と蔑むのに十分な理由であった。

「ま、べっぴんさんに引っ叩いて欲しいてのはマジ願望だがよ、限度ってもんがあるさ。
そーゆープレイっつ〜のは、男も女もハートに余裕があるときにするもんだもんよ。
余裕があるからヤバ目なアレコレが燃えるっつーか………満たされてるのに満たされない、
ギリギリの境界線が一等エキサイティングなんだぜッ!」
「………………………」
「………どうしてヒューさんの変態発言を聞いて私のほうを見るんですか」
「偏見持っとるつもりはあらへんのやで? それだけはわかっといてくれや。
そいでもなぁ、紳士を自負してるヤツに限って裏の顔はド変態っちゅ〜ウワサもぎょうさんあるしなぁ〜」
「………………………」
「―――仲良しなのは結構よ。でも、私も女性なのよね、一応。
ハラスメント訴訟を起こされても良いなら、お下劣な会話を続けても良いけれど、
法外な賠償金を支払いたくないのなら、目の前の戦いに集中して欲しいわね」
「へへっ、こりゃ手厳しいね。でも、心配しなくていいぜ、俺っちはずっと前からキミに釘付けよぉ。
裁判なんて面倒臭いことしねぇで、肌と肌が触れる距離でガチのコンタクトしようぜぇ!」
「あらあら、困ったわね。ちょっぴりキツめに“メッ”しなきゃ利かないのかしら」
「ふ、ふぉぉぉ〜! 今のはやべぇ! “メッ”ってのはやべぇってッ! 俺っち、もう辛抱たまんねぇぜ!
………飛べる! 今のこのテンションだったら、空だって飛べるぜぇッ!」
「………………………」
「だから、そこで私を見ないでくださいっ!」

 セフィの紳士道に同調しつつもそこから思い切り外れた変態的なリアクションを連発して
レオナから失笑を買うハメになったヒューだったが、バカ全開の態度に反して戦い方そのものは実にクレバーである。

 手錠を武器に戦う姿が特に印象的だが、レオナの動きを封じるべく手首や足首を狙って投げ付ける他にも
ナックルガードのように握り締めてストレートパンチやサイドフックを打ち込むなど
本来の用途を超えて手錠と言う物を巧みに応用している。
 ただ一点…本人曰く「探偵らしい武器だろ?」とのことだが、手錠と言う物は、
本来、警察機関の人間が使うものであり、ヒューには申し訳ないが、探偵との組み合わせはミスマッチも良いところだった。

「あなたたちの頑張りは認めてあげたいのだけど、結果が出せなければ冒険者としては失格ね。
名探偵さんとしてもダメかしら。勝ち目の無い敵を見誤るなんて素人も良いところだわ」
「べっぴんはんのクセして言うこと厳しいやんけ。もちっとやわく言うたってや」
「ふふっ―――綺麗な薔薇には棘があるものよ。………使い古されたフレーズだけどね」
「妙齢の女性にとってその皮肉は諸刃の剣ですね。歳がバレては逆に冷かしでやり返されますよ。
神経を逆撫でされるような当てこすりがおきに召さないのなら、隙を見せる言葉は差し控えるべきかと」
「もしものときはあなたが助けてくれるのじゃないかしら、素敵な紳士さん。
戦闘中の相手にまで敬意と礼儀を尊重するあなただもの、期待するのは見込み違いかしらね?」
「なんでぇ、なんでぇ、セフィの一人勝ちかい。コイツが引けたら呑みでも誘うつもりだったのによ。
昨日の敵と一杯傾けるってのも一興だろ?」
「お生憎様。イーライで間に合ってるのよね、そう言うのは。それに鼻の下を伸ばしきった男性の
お誘いを受けるレディーはいないものよ。コールガールとレディーの区別がついてから出直してらっしゃいな」
「へへっ―――こりゃあ、マジで手厳しいぜぇ」

 しかし、頭が回るだけでは圧倒的な力量の差を埋めるには足らない。
 腕力があるだけでは潜り抜けて来た修羅場の数を補うには足らない。
 ヒューたちの軽口へ丁寧に一つ一つ応対しながらもレオナの振るランスは鈍る気配すら感じられず、
むしろ戦えば戦うほど刺突の鋭さが増していくように思えた。

 しかも、だ。大型武器を振り回していると言うにも関わらず、レオナの呼吸は戦闘開始前と比べて全くと言って良いほど乱れていない。
額に汗すら流していなかった。
 彼女を向こうに回した三人が肩で息を継ぎ、全身からぐっしょりと汗を噴き出している状態と見比べれば、優劣は明らかである。
 イーライ風な言い方をすると、屁理屈を捏ねても好転の兆しが見えないと言ったところか。

「………負けを認めて今すぐここを立ち去るなら、攻撃はこれで終わりにするわ。
私だってあなたたちと戦うのは本望ではないもの。仕掛けた本人に言えた義理は無いけれど、条件次第では手を結んだって構わないわ」
「………辛口と思わせといて甘口かい、ボインのお姉ちゃん。本当に男心の弱ぇトコを攻めてくれるぜ。
口説きのテクとして見習いたいくれ〜だよ」
「油断は禁物ですよ、ヒューさん。レオナさんの可憐さは疑う余地すらありませんが、
彼女の弁を借りるなら、美しい花の陰にこそ毒を帯びた棘が忍んでいるもの。
甘言に乗ったのが運の尽き、背後から刺されて召されるなんて、
悪魔退治に出かけた聖者が誘惑に負けて堕落するのと同じくらい間抜けな話です」
「あー………確かに油断も隙もあらへんわな。さりげなく名前で呼ばわるたぁ、
セフィ、お前さん、やっぱりごっついスケベやな」
「私が口説き上手か口説かれ上手かは別として―――悪い取引じゃないと思うわ。
どの選択肢を採るのがベストなのか、それを見極めるのも冒険者の器量じゃない?」
「ほんで相方が納得するとは思えへんで。なんちゅーても、アベックで考えが違うてんねや。
いくらお人好しなワイかて、分の悪い博打はでけへんな」
「イーライなら私がなんとかするわ。あなたたちの無事は絶対に約束する。だから、おとなしくココを去って」
「………………………」

 なんでもかんでも喧嘩を吹っかけるタネに持っていくイーライとは大違いで、
同じ冒険者同士で戦闘することに覚える虚しさをほんの少しだけ混ぜ込んだ複雑な笑顔を見せながら、
レオナはそっとヒューたちに最後通牒を提示した。
 降参してください。今なら助けます―――そう言って優しく話し掛けてくれるレオナだったが、
言葉とそれを紡ぐ声、慈しみとそれを示す表情は柔らかくとも、どこか凄みを感じるのは気のせいではあるまい。
 何故ならこれは、最後勧告でなく最後通牒。掛け値なしの労わりでなく、敗北宣言と言う条件付きの労わり。
 冒険者チーム同士の潰し合いに虚しさを覚え、戦闘を終わりにできるのならパートナーの意に反する行為も辞さない彼女のことだから、
きっと明言はしないだろうが、最後通牒に従う意思を見せなかった場合、
この場にいる全員を強制的に動けなくすることぐらいは仕出かしそうだ。
 冒険者がぶち当たる過酷な状況を幾度となく潜り抜けて来た実績と、そこから滲み出すベテランならではの厳しさが、
いっぱいの慈しみにも隠れ切らず顔を覗かせていた。

「美しい薔薇と踊れるのなら棘に刺されても構わないと考えているのは私だけでしょうかね?」
「そいつぁ俺っちが先に言ったじゃねーのさ。べっぴんさんに引っ叩かれるんならむしろイケイケだっつって。
レオナちゃんのせいでもうビンビンになっちまったしよ、ここで尻込みしちゃあ男が廃るわなぁ」
「喧嘩するっちゅー相手に女も男もあるかい。そーゆーモンを超えてぶつかり合うんが喧嘩っちゅーもんや。
しかも相手は格上と来た。上等やんけ、こんなおもろい喧嘩にゃそう恵まれへんで」
「………………………」

 しかし、レオナの差し伸べた慈悲の手をあろうことか三人は揃って払い除けた。
余裕はもちろん逆転の可能性など僅かとて無いと言うのに、だ。
 セフィもローガンも一端の冒険者のつもりである。
 ヒューは探偵を本業にしているので冒険者とはいささか勝手が違うのだろうが、二人の仲間と想いは同じだ。
 イーライがアルフレッドに対して言い放った罵倒の一つである“薄っぺらいプライド”が、三人の足をひたすら前に押し出させるのだ。
 お情けなど無用、最後まで戦い抜かんとする意志を律動させて。

 その途中に転がっていたレオナからの最後通牒を蹴り飛ばして、彼らは逆転を期しての一斉攻撃に出た次第である。

「交渉決裂と言うわけね。………本当に残念だけど、私も今から本気を出させて貰うわ」

 正面からローガンの繰り出すエネルギー弾を、側面に回ったセフィが振り抜いてくるラウンドシールドを、
二人が注意を引き付けている間に背後に飛び込んだヒューからの手錠を、レオナは最小限の身のこなしで順繰りに受け流していく。
 またしてもランスの側面を押さえつけて攻撃を妨げようと試みるセフィには、
瞬間的に得物を手放すことで対処し、彼の口から自嘲が漏れるのを待たずにレオナは強烈な蹴りをその鳩尾に見舞った。

 糠に釘を打とうしても無駄なように、力ずくで圧していた物が急に取り外されれば、
ベクトルの持って行き場所を失った金槌の持ち主がバランスを崩すのは自明の理であろう。
 もちろん、セフィもそのリスクは考慮しており、もしもの場合は危機を挽回せしめる自信もあった。
 誤算があるとすれば、レオナの戦闘力を読み違えたことか。
 彼女はセフィの予想を遥かに上回る身のこなしを見せ、彼がリスク回避へ動くより早く反撃を打ち込んだのである。
これではセフィと言えど手も足も出せない。

「ほなもう一丁ゥッ!!」

 多方向からの同時攻撃が容易く破られてからも三人はコンビネーションを崩さず、
第二撃を試みるべくそれぞれの持ち場へ電撃的に動いた…のだが、ここで大きな怪異が訪れた。

「えっ…?」
「な、にぃ…?」
「あぶなッ!?」

 何を血迷ったのか、三人が三人とも、各々の持ち場から急に飛び退き、コンビネーションを崩してしまったのだ。
そのまま突撃していれば再び一斉攻撃を繰り出せたと言うのに…である。
 まるで示し合わせたかのように持ち場を離れたヒューたちだが、三人が三人とも自分自身の行動に激しく戸惑っていた。
 言うまでもないが、三人とも持ち場を離れるつもりなど毛頭無く、
最初から取り決めていた通りに立て続けに一斉攻撃を繰り出してレオナを猛襲することだけを考えていた。
 一瞬の隙すら逃さぬようただただレオナを見据えて攻め入った―――その筈だったのに、結果はご覧の有様。
攻めるどころか、自らの出鼻を挫いて転げる始末だ。

「は、早いてッ!」
「ちょ…待てよ!?」
「やられる………ッ!?」

 気を取り直してもう一度、コンビネーションを組もうとした矢先、またしても三人は連携を崩してしまった。
 今度は先ほどに輪をかけて悪い。攻めるに有利な状況を生み出せる背後や側面を取るどころか、
三人はレオナの前へ一列に並んでしまっていた。
 これでは攻撃して下さいとばかりに自身を的と見立てたのと同じである。
 最後通牒を蹴られた以上、手加減をしてやる必要もない。
 舞い込んできたチャンスをしっかりと掌中へ収めたレオナは、目にも止まらぬ速さでランスを振るい、三人を順繰りに強撃していった。
 レオナの前に飛び出した瞬間はさながら夢遊病者の様相だった三人だが、
ランスの落とした影が喉元へ掛かるときには意識を判然と取り戻しており、辛うじて直撃は免れた。
 直撃こそ免れたものの、穂先が揺らめく程の速度で振り抜かれたランスは強烈な衝撃波を生み出し、
これに巻き込まれた三人は揃って後方に跳ね飛ばされた。

「ちょ、ちょう待てや………こりゃ、一体全体、どうしてもうたんや!?」
「聞きたいのは私も同じですよ。急に変な映像が頭の中に入り込んできて、それで―――」
「そうそう、俺っちもそのまんまよ。ワケわかんねーフラッシュバックが起こってさ、
それに身動きが引っ張られちまったっつーか………」

 追い撃ちに備えてすぐさま起き上がった三人は三度も同じ轍を踏まぬよう互いの顔を見合わせて
先ほど起こった怪異の原因を探ろうとする。
 言葉を交わして判ったことだが、意味不明な行動へ無意識の内に走ってしまう直前、
ある共通の怪現象が三人を襲っていたのである。これこそコンビネーションが崩れた最たる原因であった。

 最初に連携を崩してしまったときにはいつの間にかレオナが目の前にまで迫って来ている光景が、
次に彼女の的となったときは、大型ランスが今まさに背中から心臓までを貫かんとしている光景がそれぞれフラッシュバックしていた。
 何の脈絡もなく起こったフラッシュバックは、フィルムとフィルムの間へ一瞬だけ差し込まれた映像のように三人を惑わし、
殆んど脊髄反射で意味不明な行動を起こさせていたのである。
 いずれもレオナからの攻撃――それが現実でなくフラッシュバックの中だけであっても――に起因して
防御体勢を取ったのであるから、本能的な危機回避と言えるかも知れない。

「レオナさんの瞳孔が収縮しているのはわかりました。………それからの数秒は、正直、記憶が空白なのですが………」
「レオナちゃんが何か妙な技でも使ったんかねぇ。べっぴんさんにナイショの秘密は付き物だしよ」
「妙な技たぁええ例えやな。相方のオハコも訳わからへんイロモノやし、そのテの切り札を隠しとっても不思議はあらへんで」

 無形の力の働きで知らぬ内に意識を支配され、レオナにとって攻撃を加え易い状況へと引っ張られたと言うことは、
前後の成り行きからして彼女の仕業を思わざるを得まい。
 それでいて魅了のプロキシをかけられたような強制力の束縛は感じず、
ごく自然に肉体が動いたと言う不可思議かつ不気味な感覚が三人には余韻として残っている。
 自分の意思――多分に潜在的な意識ではあるが――で動いてしまった………なんとも言えない違和感が、
セフィも、ヒューも、ローガンも、どうしても拭えなかった。

 レオナを見据えていただけなのに、別段、彼女は特殊な動きを見せなかったと言うのに、
一体、自分たちの身体に何が起こってしまったのだろうか………。

「種を明かすつもりはありませんけど、一応、お伝えしておきましょうか。ダブルエクスポージャー、………今のが私のトラウムよ」
「瞳孔がキュッてなるんがトラウムやて? ………ホレ、見ぃ、やっぱしイロモノやんけ。
そないなトラウム、見たことも訊いたこともあらへんがな」

 おぼろげながら原因は見えてきた。術者も確定させられた。
 しかし、それだけでは勝負はつかない。妖術が発せられる予兆も回避法もわからなければ、
突破口をこじ開けるなど絵に描いた餅も良いところである。
 やはり、全身全霊を傾けて血路を見出すしかない―――

「―――アルッ!?」
「―――アルちゃんっ!!」

 ―――「だったらこっちの取っておきも見せてやらぁ」。そう言って手錠を握り締めたヒューが決然と立ち上がった直後、
けたたましいエンジン音と共にふたつの絶叫が上方より降り注いだ。
 聞き間違う筈もない。フィーナとマリスだ。
 『セクト:キマイラホール』からエレベーターを使って降下してきたフィーナたちのチームが
ついに最下層の『セクト:クレイドルホール』へと辿り着いたのである。




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